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“未出版”作品
 


 4    19900909■短編『ドライバー失格』(同人誌)
更新日時:
2006.02.13 Mon.
900909
※これは1990年に同人誌に掲載した作品ですが、多分、書いたのはそれよりも二三年前です。読みにくさと、登場するクルマの凄まじい燃費の悪さはご容赦下さい。
 
短篇小説
 
 
ドライバー失格 
 
 
 
 パドックの観覧席は群衆で埋まっていた。「知」動車教習所を優秀な成績で卒業した、血統書付きの新卒車披露会は半年に一度きりなのだ。
 どのクルマにプロポーズするかは、海賊版の「新卒車アルバム」を十分に研究して決めていた。真っ赤なピュアレディ。パドックの円形コースに出てきたそいつは、ぞくぞくするほどいいボディをしていた。きゅっと締まったサイドライン、楚々とした上品なテールランプ。それに……何といっても「知動車」のプリンセスといわれる容姿の裏に隠された情熱的なエンジン。一分の隙もないチタンとセラミックのメカニズムだ。
 そいつのドライバー・シートにそっくり反って、無制限走路をブッ飛ばす瞬間を想像して、おれは興奮にブルってしまった。乗ってしまえばこちらのものだ。こいつの人工知能が気絶するくらい快感を味あわせてやる。腕には自信があった 観衆の最前列は正装の金持ちに占領されていた。おれはタイミングを計ると、力づくでそいつらをおしのけ、一気に手摺りをこえてピュアレディの前に飛び出し、叫んだ。
「どうだい。レィディ。おれを乗っけてみないか?」
 おれはこの一瞬に賭けていた。クルマがオーナーを選んでしまってからでは遅い。クルマの知覚センサーがスタンド一杯の購入希望者を走査して、自車の器量と教養に合った相手を選別してしまうまでに、おれ自身が目立たなくてはダメだ。
 もちろん、下層所得者のおれがピュアレディを買い、養っていける財産はない。それでもかまわないのだ。ピュアレディがおれに一目惚れすれば成功だ。このクルマを欲しがる億万長者は後を絶たない。おれはオーナーとしてピュアレディを、その代金よりもずっと高額で転売する。そしてピュアレデイ自身は、おれを高給でお抱え運転手に雇い入れ、給料は新しいオーナーが支払うことになる。そんなやり方で「玉の輿」に乗ったやつがいたと、おれは聞いていた。
 だから、おれはかっこいいドライバー・スーツを新調してやってきて、威勢よく、クルマの気を引いたのだ。パドックは静まりかえって、おれを注視した。 
 で、どうだったかというと、見事に振られちまった。ピュアレディはフロントグリルに埋め込んだ位相差格子センサーをちらっと輝かせておれを見ると、冷たく言い放った。
「お呼びじゃないわ」
 そしてプルルンと愛想よくエンジンをふかしながら、タキシードで座っている、誰が見ても大金持ちの孫のお坊っちゃまといった男にすり寄ると、甘ったれ声をかけた。
「私のシートに、お越しになりません?」
 あっと言う間に、おれは警備員に捕まり、場外につまみ出されてしまった。仕方なく、やけっぱちで、歩道のガードレールを蹴飛ばしていると、うす汚いクルマがやってきて、おれの前に止まり、ドアを開けた。シートは無人だ。
「お兄さん。どう? 三十分、五十リッターでいいよ」
 ストリート・カーだ。クルマが人間よりも増えてからというもの、この手の、ぐれたクルマが路上に増えた。もちろん、自分のガレージなんか持っていない。まともなドライバーに相手にされなくなった、品性の悪いクルマが、これもまともな生活ができない人間を相手にシートを売り、ガスをかせいでいる。こいつも例にもれず、知動車教習所の対人マナー・コースで落ちこぼれたのだろう。
 おれは無視して歩き去ろうとした。が、そいつはおれに追い付くと、ボンネットをちらり、と開け、エンジンを見せた。おれはブルった。改造してやがる。八気筒をタンデムにつなぎ、電子装置の容量をアップし、道交法メモリは配線をカットしている。誘惑されたおれに、そいつは止めを打った。
「私を喜ばせてくれたら、三十リッターにまけてもいいよ……どうする。お兄さん?」
「まかせな」
 おれはシートに滑り込むと、やにわにアクセルを踏みつけた。ぐん、とGがかかり、クルマは爆音を置き去りにして、弾丸のように疾走する。ただっ広い教習所のフェンスに沿って一周する途中、コーナーでタイヤがバースト寸前の悲鳴を上げると、コンソールのデジタル表示がちかちかして、クルマの快感を伝えてくる。
 ぐるりと回って教習所の正門が見えてくると、さっきのピュアレディがオーナーを乗せて出てくるところだった。いかにもサラリーマンの中間管理職を乗せそうな、二千CC級のクルマを数台従えている。オーナーの部下達だ。クルマの階級差と、それに乗る人間の階級差は、完全に一致している。
 ピュアレディの赤いボディが、おれの闘争心に火をつけた。
「ぶっつぶしてやる」
おれは乱暴にアクセルを蹴り、ピュアレディに背後からつっかかった。部下のクルマが一台、主人の身代わりになって前をふさぐ。泣けてくるほど忠義なクルマだ。
「どきやがれ」
 パワーはこちらに分があった。車体を振ると、がりっと接触音を残して、尻を削られた妨害車は急回転し、自動ブレーキをかけながら後方に消えた。ドライバーには致命的だ。おれのクルマのリア・ディスプレイは、ごくわずかの間、そいつのフロントグラスに頭を叩き付けて鮮血の固まりになったドライバーを映していた。
 運のいいクルマだ。あのクルマはエアバックを開かなかった。ドライバーに保険をかけていたに違いない。これ以上出世の見込みのない運転者をいつまでも乗せていても意味がない。折りを見て運転者に死んでもらい、保険金を手中……じゃない、「車中」にすることだ。これであのクルマは優雅な余生を送れることだろう。
 あと数秒あれば、おれはピュアレディのヒップに一発かませることができたはずだ。だが、今度、おれの前に割り込んだのは、おまわりの装甲車だった。おれは構わなかった。さらにアクセルを踏み込んだが、クルマはいうことをきかなかった。おれの指示を無視して急ブレーキをかけやがった。全身がシートから飛び上がり、死ぬ! と思ったら世界が真っ白になり、意識を失った。
 気を失ったのはほんの数秒で、おれはまだ生きていることに気が付いた。無傷だった。十数個の白いエアバックがおれをがっちりと包んでいた。
 そいつはエアバックをふくらませたままドアを開け、おれはハイウェイの路上に投げ出された。そいつがおれを殺さない理由はよくわかった。保険金が下りるわけじゃなし、ケガでもして車内を血で汚されでもしたら、次の客に差し障るからだ。
 そいつは、おまわりに引きずられるようにして、走り去ってしまった。クラクションを低音量で鳴らしっぱなしにして、それが、男を見限った女の長いため息に聞こえた。
 おれはやはりふてくされたまま、道の真ん中を黙って歩いた。後方からつむじ風とともに、次々とクルマがせまってきたが、そいつらはいずれも数センチの距離でおれをかすめてすっ飛んでいった。歩行者を引っ掛けて、ドライバーに賠償金を払うような、まぬけなクルマは、いまどき一台もいないのだ。
「轢けないのか? 轢いてみやがれ」
 おれは頭にきて手を振り回し、クルマの前に走り出てみたが、高感度の当たり屋回避センサーを常備したクルマたちに触ることもできなかった。馬鹿馬鹿しくなって天をあおぐと、歩道橋にクルマのための標語が掲げられていた。
 
賢くドライバーを選んで、
賢く走りましょう。
 
 
 
 

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