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44    20100101『寅年はタイガー(1)』

20100102
ケーニヒスティーゲル。画像にカーソルを置くと別カット。
 
 
寅年はタイガー(1)
 
 
 
寅年はタイガー。
魔法瓶でもなく耐火ボードでもなく、
野球チームでもなく、ゴルフ場の浮気者でもなく、
タイガーといえばやっぱり戦車。
そう、独逸の戦車は世界イチぃー! のあの戦車。
映画『戦略大作戦』でアメリカ戦車兵が、タイガー三台を相手すると聞いて
「スリー・タイガース!!!(ひええっ、オラやだ、逃げるべ)」
とビビリまくる、あのタイガー。
代表は、ティーゲルTとケーニヒスティーゲル。
戦後ニッポンの、いや世界の模型界に君臨する虎の王者。
この二タイプで、きっと戦車模型市場の八割くらいは
握っているのではないか。
だって、ティーゲルTとケーニヒスティーゲルを作らずして、
アメ車のシャーマンとかソ連戦車ばかり作っているモデラーは、
ちょっと想像しにくいのだ。
 
なぜ、戦車界のタイガーは凄いのか。
想像してみよう。戦車の世界に、もしもタイガーがなかったら……
……何もない。
そうだろう? 
虎抜きで、シャーマンやバンターやT34を並べたって、全然、スカではないか。
どう、つまらないのか。
さよう、虎抜きの戦車界は、横綱が休場した相撲界と同じなのである。
 
軍艦世界は、一隻がひとつのベースボール・チームみたいなもので、
勝ち抜きトーナメントというよりは、艦隊対抗のリーグ戦である。
空戦世界は、敵味方の領土を縦横に行き来して、
戦爆連合とか局地迎撃戦とか、
さまざまな作戦を組み合わせるところが、サッカーを思わせる。
しかるに戦車界は、どうみたって、相撲なのである。
タイガーを横綱におけば、後はずらずらっと、番付表が作れるではないか。
なんたって、てっぺんはタイガー。
ほかの戦車はみんな、「いかにしてタイガーを倒すか」だけを目標に
闘ってきたようなものなのだから。
 
その点、戦後とりわけ世紀末ころの各国MBTは、つまらない。
いやたしかに、メインバトルタンク、主戦闘車両としての主張はあろう。
チョバムアーマーだとかリアクティブアーマーとかの小細工も含めて、
合理性にかなったヴィークルのスマートさは認めよう。
電子で武装し、データリンクして空陸一体の総合戦闘を展開する、
そのこざかしいパワーも認めよう。
しかしひとつ、タイガーに比較して、
決定的に備わっていないものがあるのだ。
 
“闘魂”、これである。
 
タイガーの魅力、いや魔力は、それに尽きるのだ。
戦争映画で『パットン大戦車軍団』がいかに名作とはいえ、
『バルジ大作戦』には、ある点でかなわない。
なぜ、かなわないのか。
“闘魂”なのである。
タイガーには、他のタンクにはない、歴史ゆかしいテーマソングがある。
かのパンツァー・リート、年寄りには「タンクメンの歌」として記憶される。
当時、敗色濃厚な独逸には、ベテラン戦車兵はすでになく、
映画の閲兵シーンでタイガーを前に並ぶのは、
若き十代のヒヨッコばかり。
こんな子供たちに戦争ができるものか、いや、させていいものか。
無理だ、お前たちはただ死に行くだけだ。我々の敗けだ。
指揮官ヘスラー大佐が嘆息する寸前、
かれらは歌い始める。
そこに主張も理屈もない。ただあるのは若者の力強い歌声と、
ドラムの如く踏みならされる軍靴の響きのみ。
ヘスラーの顔から懐疑が消える。高揚し、高らかに歌う。
これはしかし、勝利を確信したからではない。
そんなことは、もう、どうでもいいのだ。
ただ「戦える。おれたちはまだ戦える!」という、
男の根源的なスピリットが皆を巻きこみ、支配し、
何かが乗り移ったかのように、タイガー戦車団が一斉に驀進を始めるのだ。
吹雪をついて、ぬかるみを跳ね飛ばして、
パンツァー・リートのマーチとともに敵陣を突破また突破してゆく
戦車団の獰猛なパワー。
『地獄の黙示録』の、ワルキューレの騎行シーンに先立つ名場面だ。
しかしそのタイガーを進めているのは、戦略でも戦術でもなく、
理屈めいた愛国心や、キミを守りたい、なんて甘ちゃんな正義心でもなく、
ただ若き丈夫(マスラオ)たちの“闘魂”しかないのである。
それゆえ、この映画は傑作だと思う。
男は戦うのだ。最後までたたかって死ぬのだ。
敗戦の絶望の中で戦車団を動かした、この原始的なまでの闘魂が、
ある意味、戦争のひとつの本質、いや人間の男たちの非業として
突きつけられてくるのである。
だからタイガー戦車、すなわちティーゲルには、
男を奮い立たせる闘魂が宿っているのだ。
 
 
更新日時:
2010/01/04

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Last updated: 2010/1/11

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