Essay
日々の雑文


 39   20071116★アニメ解題『シムーン』(3)
更新日時:
2007/11/26 

20071116
写真はスコットランドの空に翻る、大空陸的な旗?
写真をクリックすると、『シムーン』作品サイト(テレビ東京)へ。
 
 
 
『シムーン』、思春期のレクイエム(3)
 
 
 
TV放映をオンエアでご覧になった方にとって、『シムーン』はすでに1年以上前に終わった番組ですが、2007年11月16日の私にとっては3週間前に初めてDVDでまとめて見た作品。シムーン・ショックはいまだ覚めやらずといった感じです。
ここで、締めくくりの考察です。
 
 
● 黄色い花の物語
 
『シムーン』には、現在からはるかな過去へ、そして過去から現在へと無限の時を超えて巡る伏線が、いくつかあります。
最も衝撃的なのは、オナシアとドミヌーラとの関係でしたね。
さらには、こんなのがありました。
過去の村でドミヌーラが歌った、“新天地への扉(田園)”の歌。
同じく、リモネがささやいた、「アー・エル」の意味。
 
同じく、最終話冒頭でリモネが抱いて歩いている、小枝で編んだ“魂のゆりかご”。
これは第15話でリモネがユンから作り方を教わったものですね。それを、過去の村に住むようになったリモネが作りはじめています。小枝を集めているところからみて、自分の手でいくつも作っているようです。それがユンの村に伝わり、やがてユン自身へと、作り方が伝承されていった……とみることもできます。
 
そして、なによりもシムーンそのものが、そうでしたね。少女たちを乗せて現在から過去へ旅し、いずこかで埋もれてはるかな時を過ごし、現在において発掘されたケースが多々あったことでしょう。
おそらく何百年か何千年という年月、そのヘリカル・モートリスが「ぽーっ」という不思議な作動音を奏で続けたまま……
 
ドミヌーラとリモネとともに時を超えて旅したシムーンも、その後、数奇な運命をたどったのかもしれません。どこかで外付けの機体構造を失い、ヘリカル・モートリスだけになってしまい、やがてシヴュラたちのシムーンとして、再生されたのかもしれません。
 
第14話でドミヌーラが分解させたのは、ひょっとして、そのヘリカル・モートリスを搭載した機体だったのではないか……そんな気もします。
だから、そのヘリカル・モートリスはドミヌーラの今後の運命を記憶していて、14話で分解されたことで、覗き込んだドミヌーラにこれからの記憶を与えてしまったのかもしれません。
 
さて、それから、悠久の時を超えて過去と現在を結ぶモチーフとして登場しているものに、“黄色い花”があります。
最終話冒頭で、リモネがふと見つけ、一輪を摘んだ、黄色い花。
 
それは現在にいたって、アルクス・プリーマの甲板庭園に植栽されていました。第23話のAパートで、アーエルが一輪を摘んで、捨ててしまったものを、車椅子で通りかかった副院長が拾い上げようとします。
「手折られ命を終えても、だれかの心の慰めになれる……」と。
国は敗れ、地位を奪われ、生きがいを失った自分を、捨てられた一輪の花にたとえようとしたのでしょうか。もう未来への希望はない。それでも、人はせめてこの花のように、だれかの慰めになりたいと願う……
そんな心境ではなかったかと思います。
 
同じように、第25話で強制的に泉へ行かされ、シヴュラとしての未来を断たれた少女たちは、最後に残った一輪の花を咲かせるが如くに、アーエルとネヴィリルを“希望の大地”へと放つのです。
 
そして……
最終話、ふと、頭上のかなたに二人のシムーンの飛行音を聞いたような気がして、空を見上げるアルティとカイムを、にわか雨が濡らします。
その雨は同時に、アルティとカイムの家の前に咲く、黄色い花にも降りかかります。乾いた土を濡らす、恵みの雨となって……
 
黄色い花を軸に、ひとつの物語が、時をめぐりつつ、そのように語られています。
とりたてて役に立つわけでもなく、華やかというわけでもない、小さな黄色い花ですが、出会う人の心にささやかな慰めを残しながら、悠久の時を超えて咲き続けていることを。
そんな花に対しても、神様は雨を与え、慈しみの恵みを忘れずにおられる……。
 
絶望の時を超えて、それぞれの人生を一生懸命に歩む、かつて少女だった登場人物たち、ひとりひとりの姿に、一輪の黄色い花が重なります。
 
“どこにでもいる、どこにもいない”
はかないけれど、ふと見れば、そこにいる、黄色い花。
 
だれもが、そうしようと願えば、だれかのための小さな慰めとなり、新たな幸いを残すことができる。
小さくても、かけがえのない幸いを。
それが“生きている証”。
 
私たちはみな、この小さな黄色い花のようなものではないだろうか……と。
 
 
●オナシアとドミヌーラの物語
 
私たちはみな、この小さな黄色い花のようなもの……
 
じつは、そこに、オナシアとドミヌーラの魂の救いもあったように思います。
オナシアは、その不可思議な前歴ゆえに、宮国と周辺国との戦乱が拡大して、神の乗機シムーンすら墜とされるようになることを、あらかじめ知っている人物でした。
そしておそらく、何も手を打たなければ、宮国はどんどん不利な状況に陥り、いずれは敗北してしまうだろう、という危惧を、はるか以前から抱いていた人物でした。
 
宗教的最高指導者たるオナシアですから、やろうと思えば、周辺国に先んじて宮国を軍事強国に育て、シムーンを戦略兵器として組織し、礁国も嶺国も討ち従えて、大陸を征服してしまうことも、可能だったと思われます。
それこそが、宮守さまの言う「神が与えたもうた“もしも”」であったことでしょう。
 
しかし、あえて、オナシアはそうしませんでした。
手をこまぬいたまま、歴史の流れに任せて、戦いに敗れて滅びゆく宮国を傍観したのです。
オナシアにとって、それは「罪」そのものでした。
歴史がもたらす苦難をみな、シヴュラの少女たちや宮国の人々に押しつけて、自分は何一つ選択せず、泉に立ち続けている。
もちろん、オナシアの心は苦悶していました。この国にまもなく確実に訪れる悲劇を知りながら、警告の一言すら発しない。それは、このうえなく重い罪なのだと……
実際、そのような事情を何も知らないユンにすら、すがりたい思いだったのですから。
 
しかし、なぜ、そこまで苦しんでも、オナシアは動かなかったのでしょう。
翠玉のリ・マージョンで時空を超えるまでのドミヌーラは、あれほど好戦的だったというのに。
理由のひとつには、リモネの言葉があったでしょう。
「シムーンがあったから、ドミヌーラと出会えた」という。
しかし、それだけの理由ならば、オナシアは第16話の時点で、ドミヌーラとリモネが翠玉のリ・マージョンを成功させて時空を超え、はるか過去の世界へ旅立ったことを確認できれば、それで満たされたはずです。
リモネとドミヌーラが歴史の予定通りに出会い、旅立った。
そのあとは、歴史を改変しても不都合はなかったはず。オナシアが主導して、挙国一致で戦争に全力を傾けてもよかった。
しかしその後も、オナシアは何もせず、祖国の苦境を傍観し続けます。
 
おそらく、オナシアには、それでも守らねばならない定めがあったのでしょう。
たとえ戦争に敗けることになっても、シムーンと少女たちを戦争の道具にしてしまってはならない、という。
もしもオナシア自身がシムーンと少女たちに戦争参加を命じれば、シムーンを神の乗機から、ただの殺人兵器におとしめてしまう。少女たちも神の巫女ではなく、本質的にただの兵士になってしまう。そうなったら、二度ともとに戻すことはできない。
 
それが、オナシアの苦しみであったことと察せられます。
しかし、ついに宮国は戦争に破れました。シムーンは嶺国に接収され、シヴュラたちは泉へ行かされて、シムーンに乗る者は宮国からいなくなる……そんな事態が、現実になってしまいます。
決断できず、選択せずに生き続けてきたオナシアに対して、歴史は残酷な結末しかもたらしてくれませんでした。誰かが手を差し伸べてくれるという奇蹟は、起こらなかったのです。
 
そしてオナシアは、宮国の多くの人々が信じていた、テンプス・スパティウムの神さまがいつかかならず勝利をもたらして下さる……という希望は、ただの幻想にすぎないことを、だれよりもよく知っている人物でした。
なんといっても、シムーンのヘリカル・モートリスから未来の記憶を受け取ってしまったドミヌーラ自身が、第16話Bパートで、テンプス・スパティウムの十字架を叩き壊しているのですから。
神様なんていないことを、世界で一番よく知っているのが、神に最も近いとされている自分だ……という事実の皮肉なこと。
 
オナシアは間違いなく、絶望の淵に立ったことでしょう。
なにもかも、はるかな過去のあの村で自分がシムーンについて教えることにした、その時から始まった。そして連綿と続いてきたシムーン・シヴュラの歴史が、決断せず選択できなかった自分ゆえに、悲劇的な終わりを迎えることになったのですから。
 
しかしそのとき、オナシアのもとにユンが訪れます。
「あなたを救いたい」
はっきりとそう告げられたとき、オナシアはどう思ったでしょうか。
渡りに船、と言ってしまえばすげないのですが、ユンの意志はオナシアにとって、確かに福音そのものでした。
 
ユンはオナシアの罪と苦しみがどれほど重くとも、その理由と結果が何であろうと、すべてを受け入れて担うことを伝えたのです。
「あなたは、きれいだ……」と。
それはオナシアの存在すべてに対する、心の抱擁であり、許しでした。
このときオナシアは悟ったのでしょう。
 
もう、肩の荷を降ろしてもいい。未来を担ってくれるのはこの少女。私はオナシアでなく、ただのひとりの少女に戻ってもいいんだ……
 
ようやく、罪と苦しみから解放されたオナシアが涙して、光の粒となって昇天したとき、もしかするとユンは、そこに幸せなドミヌーラの面影を見たのかもしれません。
 
きっと、オナシアはそのとき、自分が歴史の始まりと終わりを一身に担う責任者であり続けなくてもいいことを、静かに悟ったのでしょう。
自分は決して、自分が思っているほど特別な存在ではない。
過去の村の路傍に咲いていた黄色い花の一輪と同じなのだ。だれもが、そうなのだから。
だから私は、一輪の花に戻ってもいいのだ。
“どこにでもいる、どこにもいない”私なのだから……
 
そのようなことを、オナシアは感じたのかもしれません。
 
これもまた、魂の救済と言うべきでしょう。
 
『シムーン』は、アーエルとネヴィリルの出発(たびだち)の物語でしたが、それはまた、遥かな時を超えた、オナシアとドミヌーラの“終着の物語”でもあったのです。
 
 
※オナシアとドミヌーラは同一人物なのか。
明白な証拠が示されているとは言えませんが、私はそうだと思います。
証拠として有力なのは、第24話でオナシアがユンに、「私は遠い昔、コール・デクストラに所属していました」と告白していることです。ドミヌーラは「コール・デクストラの最後の生き残り」ということでしたから、これでオナシアとドミヌーラの前歴が一致したことになりますね。
そもそも、ドミヌーラが「コール・デクストラの最後の生き残り」とされていたことからみると、オナシアは自分の前歴をユン以外の誰にも言わず、それまで秘密にしていたことになります。
そうまでして隠す理由は、やはり、自分とドミヌーラとの間に、なにか特別な関係があることを、他人に悟られたくなかったからでしょう。そうなってしまうと、タイム・パラドックスによって二重に存在することになってしまったもうひとりの自分の運命に干渉してしまうことになるからですね。
 
 
● 魂のゆりかごの物語
 
さて、『シムーン』の最大の謎は、いまだ解かれぬままに残されました。
シムーンとは、何か。誰の手によって、どこからもたらされたものなのか。
 
作品中の宮守さまの話では、超古代文明の産物であり、遺跡の一部だとされています。あるいは、宇宙からやってきた異星の文明の落し物かもしれません。
 
しかし、そこまで明らかにされなくても、「少女たちにとって、シムーンとは何だったのか」という哲学的な問いに対する答えは用意されています。
 
シムーンの本来の姿を想像してみましょう。
機関砲を撃ち、リ・マージョンで人を殺戮する悪魔のシムーンでなく……
 
本来のシムーンは、少女たちの清浄な祈りの場。
二人の少女が心を通わせて祈りを捧げる、神の乗機だったはず。
シムーン球を介して心と心を触れ合い、一体となって、無我の境地で空を舞い踊る少女たち。
そこには、ただ幸せな時間だけが流れていたはずなのです。
シムーンと話し、シムーンと感じ合い、「ああ、私たちはここに生きている!」と、世界を寿(ことほ)ぐことのできる至福のとき。
それは、少女たちにとって“生きている証”であり、自分たちの魂が、神の領域へと昇華するとき。
そして多くの人々の魂に、神の恩寵を導くとき。
“魂の救済”こそが、シムーンによって育まれていたのです。
 
そこで、思い出してみましょう。
第15話の冒頭で、ユンが小枝で編もうとしていた、“魂のゆりかご”。
それは出来あがったのち、マミーナの遺髪を収め、マミーナの魂のゆりかごになりました。
そして、マミーナだけでなく、さまよえる多くの少女たちの魂を救い、やすらぎを与えるゆりかごになりました。
 
死者の魂を安らげるゆりかご。
 
シムーンも、そうでしたね。
第17話で、シムーンはアングラスという死せる少女を乗せました。
その悲惨な運命に、せめてもの安らぎを与えるかのように。
さまよえる魂のゆりかごになったのです。
 
一方、第1話では、シムーンはアムリアという少女を時の彼方の世界へと旅立たせてあげました。少女の願いをかなえるかのように。
シムーンはその力を振り絞って、彼女の魂を飛び立たせてあげたのだ……と、みることもできるでしょう。
望み多き魂を巣立たせるゆりかごになったのです。
 
ならば、シムーンは……
 
少女たちの魂を育み、巣立たせ、そして安らげてあげる、“ゆりかご”だったのでしょう。
ただ少女たちを別の世界へ運ぶ乗り物ではなく、そこで魂が成長し、愛を結び、やがて命尽きたのちに、魂が帰って安らぐことのできる、救いの“ゆりかご”だった。
 
そう考えたいのです。
最終話のラストを飾る、落書きで描かれた少女たちの肖像、その最後に映るのは、魂のゆりかごを抱いたユンの姿でした。
 
シムーンとは、少女たちにとって、何だったのか。
お話の最後まで明かされることのなかった問いへの答えは、最後のカットで“魂のゆりかご”のモチーフが黙って重なることで、見事に語られたのではないでしょうか。
 
 
●マージュ・プールの物語
 
シヴュラたちがリ・マージュの修業をする場、マージュ・プール。
アルクス・プリーマの船内庭園の甲板から船底へと開口しているトンネル空間。
なかなか、おもしろい施設だと思いました。普通ならドーム状の体育館みたいな、飛び回る少女たちを見上げる空間を想像するのですが、マージュ・プールはその反対に、軌跡を引いて舞う少女たちを見下ろす、井戸のような閉鎖性のある空間だったからです。
 
のびやかに大空を舞うリ・マージュを練習するには、いささか窮屈に感じますね。
なにか、特別な意味があるのでしょうか。
 
そこで思うのは、マージュ・プールの下方の開口部から外へ出てしまったら、どうなるのかということ。そこはまさに奈落の底。おそらくアルクス・プリーマのヘリカル・モートリスの影響から離れてしまい、墜落死する危険をはらんでいるのでしょう。
 
プールの底には、底無しの死が口を開けているのです。
 
もちろん、うっかり外へ落ちてしまわないように、安全装置のようなものはあるのでしょうが……やはり、見るからに、恐そうです。
そこにあるのは、危険で厳しい現実。
 
なるほどと思いました。
ここは、少女たちを乗せるシムーンの母艦。
少女たちを育む寄宿学校でもあり、アルクス・プリーマは、母親のような存在。
赤ちゃんを守り育む、母の子宮にたとえられるでしょう。
 
そう考えると、井戸のようなマージュ・プールは……
母の安全な胎内から、厳しく死に満ちた現実の世界へと開いた道。
赤ん坊が生まれゆく、産道を思わせるのです。
 
私たちにとって、生まれてくる赤ちゃんは、すでに性別を決定しています。
しかし、シヴュラの少女たちは、性が分化していません。
私たちの感覚では、生まれる前の状態。
少女たちは、まだ胎児なのです。
ですから、シヴュラたちは、マージュ・プールの下の穴から外へ出ることは、しようとしないし、してはならぬことなのです。
 
そんなプールから、第25話に、シムーンの機体がぬっと姿を現します。
驚きました。本当に卓越した演出です。
この演出のために、マージュ・プールの構造が用意されていたと思わざるをえません。
アーエルとネヴィリルが産道を通って(泉へ行くことによって)残酷な現世の世界に出るのでなく、新しい別な世界へと脱出する乗り物が入場してきたのです。
 
シムーン。それは少女たちにとって、魂のゆりかご。
そのゆりかごに乗ったアーエルとネヴィリルは、プールの下の穴からこの世界へ“出産”されるのでなく、頭上の透明な天蓋を破って、新しい世界へと飛び出していきます。
マージュ・プールという産道からではなく、子宮を破って。
帝王切開?
そんなイメージもひらめきます。
しかし二人が飛び立つ方向は、産道とは反対の、天空へと向かっています。
 
そう。マージュ・プールの井戸構造を、母胎からの“産道”だと解釈すれば、アーエルとネヴィリルの出発は、普通の“出産”とは逆のプロセスで動いていたことに、気付かされるのです。
 
私たちが、この現世に“産み落とされる”のと、真逆の道。
すなわち……
この場面では、“生まれる前の世界への昇天”という現象が表現されていると、読みとることもできるのです。
 
さて、多くの宗教に語られる“天使”は、男性でも女性でもない、性別の分化していない精霊が、私たちに見える姿形を得た存在として描かれています。
 
シヴュラたちは、作品の設定では巫女ですが、そこに“天使”の意味合いが秘められていることは確かでしょう。
アーエルとネヴィリルの出発は、まさに天使が神のおわす天上へ還っていく姿。
この世に生きて生まれるのでなく、死んで生まれるのでもない、天使の昇天。
 
ですから、二人の“翠玉のリ・マージョン”は、“生まれる前の世界への昇天”だと解されます。そのイメージには、荘厳な天使の喇叭の響きすら漂います。私たちの心の中で、二人はこのとき、生でもなく死でもない、“永遠”を与えられたのです。
 
“永遠の少女”とは、きっと、そういうことなのです。
生でもなく死でもない世界へと去ることは、私たちの世界から、二人が失われること。
そう、二人は失われた。けれど、永遠にあり続ける。
 
作品の掉尾を飾る、切ない喪失感は、そこに生まれるのでしょう。
 
 
●もうひとつの“彼女たちの肖像”の物語
 
小さなツッコミですが、最終話でロードレアモンが、自分のデスクの上に飾っている卓上の額が見えますね。そこに写っているのは、シヴュラ時代の自分とマミーナ、隣の写真はぬいぐるみを抱いたフロエ。
ちょっと待てよ。
これ、カラー写真?
そんな技術、あったっけ。
 
第2話で礁国の戦闘機にアーエルが挑む場面で、礁国機は偵察写真を撮影していますね。それはモノクロ写真だったはず。
科学技術において最先端の礁国でモノクロ写真ですから、宮国も良くて同等か、むしろ「写真を撮られるとタマシイまで吸い取られる!」という江戸時代末期なみの迷信がはびこって、写真機は普及していなかったとみていいでしょう。
 
また、もしも宮国に写真機が普及していたら、最終話ラストに落書きで出てくる“彼女たちの肖像”は落書きにする必要がなく、みんなで並んで、シヴュラ卒業記念写真を撮ればよかったことになります。
 
ですから、ロードレアモンのデスクの上の写真らしきもの……もうひとつの“彼女たちの肖像”は、カラー写真であるはずがないのです。
 
考えられるのは、彩色の細密画。
写真なみに細かく描かれた、本物の肖像画なのですね。
 
なぜ、そんなことに注意するかというと、ロードレアモンのデスクの卓上額が写真でなく“細密画”ならば、それは実際にあった場面ではない可能性が出てくるからなんですね。
それは、過去にあった現実の場面でなく、「こうあってほしかった」という願いをこめて描かれた“思い出”、と解釈することもできるのです。
 
マミーナとは、もっと、こんなふうに仲良くしたかった。ぬいぐるみは、フロエにあげてもよかった。そんな思いを、名残惜しさとともに、細密画に描いてもらったのかもしれません。
 
写真は、現実をそのまま写します。
しかし、“思い出”というものは、少し違うのかもしれません。現実そのままでなく、こうあってほしかった……という願いが、妖精の粉のように振りかけられることで、より輝きを増して、心の中に残るものではないでしょうか。
 
ロードレアモンの、思い出の残し方は、ただ「こうだった」という現実を写したカラー写真などではなく、「こうありたかった」自分の、もうひとつの肖像ではないか。そう思うのです。
 
その肖像は、いつまでも消えることのない“永遠の少女”たち……
 
 
●彼女たちの肖像の物語
 
最終話の最後のカットで、画面の右から左に流れる、“彼女たちの肖像”。
第24話で、パライエッタとモリナスが、アルクス・プリーマの船内に落書きした、少女たちの思い出の姿。
 
描かれた顔は15人分。ちょっと多いですね。一度見ただけでは誰の顔なのか全部を判別することができず、スローで繰り返し見てしまいました。
物語の中盤で成立したコール・テンペスト12名のフルメンバーに加えて、マミーナに代わって加わったヴューラ、そしてアムリアが描かれ、それからパライエッタの顔が二つもあるからですね。
 
最初に出てくる左上の顔はヴューラ。でも描かれたのは最初でなく、むしろ最後に、全体の構図を考えながら、この位置にモリナスが描いたのではないかと思います。
 
相合傘に入ったモリナスを描いたのはパライエッタでしょう。傘の右側にワポーリフの帽子だけがある、というのが意味深です。もしかすると、相合傘と帽子を追加したのは、モリナス自身だったかもしれません。
 
で、すっかり調子に乗ったモリナスが、その右側に、巨乳のパラ様を描いてしまったのではないかと。
ぬぬ……やらせてたまるか、とパライエッタはその顔にバッテンを打ち、その下に、ネヴィリルとラブラブで仲良く並んでいる自分を描き直したようです。ネヴィリルの心の王子様だったアムリアは、ちょいと右に引き離されました。パライエッタの思い、ここに叶えり、といった感じですね。
 
ドミヌーラはどうも好感を持たれていなかったらしく、いささかへちゃむくれに描かれてしまいました。描き手はモリナスみたいですね。
まあ、仕方ないでしょう。旧式艦メッシスで、シムーンを分解するように命じたドミヌーラのおかげで、愛するワポーリフがノイローゼに追いこまれたのですから。
それにパライエッタにしてみても、シムーンを分解させたドミヌーラが無責任にもショックで寝込んでしまったのが運の尽き。ドミヌーラに代わってメンバーの指揮を執るはめになり、散々失敗して孤立し、「無力だ……」と煩悶の日々を送らされた悪夢を思い出さずにはおれないでしょうから。
 
そんな感じで、なんとなく、真面目に描こうとするパライエッタに、モリナスがふざけた感じの絵で茶々を入れている様子が想像されて、微笑ましいですね。
 
そんな、彼女たちの肖像は、朽ちゆくアルクス・プリーマの中にあって、いつまでも消えることのない“永遠の少女”たち……
 
そして最後の最後のワンカット。だれも描かれていない壁。
そこは、きっと、あなたの手で、あなたの肖像が描かれるべき場所。
 
「ここには、あなたがいるのです」
 
そう告げて、『シムーン』は幕を閉じました。
作品の世界に、永遠に、あなたの心が“生きている証”を刻印して……
 
アー・エル。シムーン……
 
 
 
 
 


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