戊辰の役、郷士の従軍者数を郷土誌等から拾い出して、城下士の従軍者数を割り出した。
 大山綱良が公文書滅却したため不明である事実のひとつが戊辰の役に関する一切。城下士と郷士に対する待遇格差は、1878年の氾濫を考える際に重要であり、人数はその基礎である。鹿児島県史学第30号(1983年)の宮下満郎氏(戊辰出陣軍日記と賞典禄下附願 17頁)によれば「県史は戦兵四千五百人と推定しているが、うち外城士の出兵数は、外城・私領・番兵を合わせて、約千八百人と推定してよい」と記述している。しかし城下士:郷士=2,271:2,955となった。
 戊辰の役後、49万石規模で城下士へ補償されたのに対して、郷士へは1874年から5年間の144人、1878年から10年間の525人へ、1860~64年の5年間ぶんと無補償の2,286人を除き、32,980石規模。だがこの補償を1人あたりでみると、健常な城下士12.3石に対して、郷士は5.6石(記載人数599人、死亡者含む)。
01/12/2019修正。
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