エホバの証人からの脱走


第6章 家族とは現実的に

 「血は水よりも濃し」のことわざはカルトの場合、単純に当てはまりません。信仰に関係する邪悪な真理を自分で気がつき、脱会を家族に納得させようと心に抱くかもしれません。家族も一緒に脱会に納得してもらえるか否かは時間との勝負です。特効薬を使ってカルトからの教え込みから目ざめさせられないのが問題なのです。特にエホバの証人には強力な教え込みが作用しています。
  ものみの塔の精神的な拘束から解放されるまでには時間がかかります。同じく家族も自分たちのペースで認識の不協和から断ち切る必要があります(家族にはその用意があり、喜んでその段階を開始することを想定して)。
  家族(夫、妻、息子、娘、兄弟姉妹、父母)はエホバの証人の組織は詐欺師だったという結論にはすぐには至らないでしょう。ものみの塔の手強さを過小評価してはなりません。たとえ家族が過去に疑いを口にしていたとしても(「エホバを待つ」ときには疑いを封印する)、背教者だと知れば背を向けるまでに家族の心を捕らえています。
  昔、組織を軽蔑する元証人の悪口を耳にしたときには、ひるみました。もちろんユーモアのセンスはありません。カルトをさげすみ、ののしる側には言いたいことはありました。「キングダム・ヘル(ばかな地獄の言い換え)」、「ミゼラブル・サーパント(奉仕の僕の代用)、「ウォッシュタオル・バブルとトリック協会」といった悪口は子供じみていて、不快に感じました。それでも属していた宗教の性格をほどよく説明するにはうまく言い当てています。

(中略。トリックスターの例えあり。日本人にはなじみがない)

 ひたむきで、献身したエホバの証人は大事にしてきた信仰から離脱させようとする企てには頑強に抵抗します(強固な決意をもたらす信仰。人の存在そのものを説明する信仰です)。たとえ、ものみの塔が嘘を言い続けてきた明白な証拠を示しても、また、言い表せないほどの苦痛を引き起こすひどい不正義に対して責任があるとしても、目ざめる気が起きない証人や完璧に忠実な証人を解放しようとしてもそれに抵抗する理由を探すし、腹を立てるし、相手を憎むでしょう。

 信仰篤い親族の覚醒が見込めるまでには、その人は到底、覚醒しないだろうと想定しなければなりません。不信仰の道に足を踏み入れるという恐ろしい試練が待ち受けているなら、それを理解するだけでも恐ろしいトラウマになるのです。それを忘れてはなりません。貴方は難しい質問を投げかけたり、現実離れした情報にアクセスさせるだけしかできません。徹頭徹尾、管理されているからです。何を読むんだらいいか、どんなビデオを見たらいいか、決めたのは貴方です。貴方がカーテンの向こう側を見ように自分に許したのです。それを自分に許さなかったら(誰かが何を信じたらいいか、何を考えるかをあえて教えてくれたら)、教え込みに抵抗しその場から後ずさりしていたでしょう。貴方の愛する人が置かれている立場はその通りでしょう。
 受身になるという意味ではありません。ふさわしいときに覚醒する権利を尊重しつつ、できることはほかにもあります。先回りして、カルトにいると注意するよりも(それは事態を悪くするだけです)貴方の疑問や憤りを話すまで辛抱強く待つべきです。宗教を忠実に信じても貴方を気遣うなら遅かれ早かれ、あなたの話に耳を傾けます。組織は、霊性が救われない限り、ハルマゲドンで滅ぼされる恐れがあると言っては、人の心を操っています。親族の誰かが貴方をあきらめ、交友を断ち切れないと思うなら(貴方と会話すると霊性が損なわれるのではないかとおそれて)、貴方が集会に復帰するように説得し、貴方を援助しようと強く望んでいるでしょう。親族を助ける目標があるなら、準備をすべきです。
 人によって置かれている状況が違うと認識しながらも、私の意見を言わないといけません。家族から問われれば、不信仰をなるべく隠したい場合があります。たとえば段階的に宗教から消滅し、両親から独立する脱会の計画を立てている十代の子がいるとします。その場合、両親からはできるだけ長く、それが悟られないようにするのが賢明です。バプテスマを済ましていると、排斥された上に家から追い出される可能性があるならなおさらそうです。
 既婚者で妻(夫)にも脱会してもらいたいなら、配偶者にアクセスする機会を持ちたくなるでしょう。そうした場合、関係を良くしたいなら、相手も主導権を握っていることを忘れてはなりません。

既婚者が脱会するとき

  現役の証人であって、すでに結婚している人は、覚醒すると、とても厳しい状況に置かれます。簡単に脱会するとき以上にストレスが加わります。配偶者がどの程度、衝撃を受けるかとか、配偶者も脱会する可能性があるかが見通せないで、疑心暗擬に陥ります。
  幸運にも私の妻は組織がいかに欺瞞を行使していたかを正しく理解してませんでしたし、いくら難しい「真理」であろうと、真理の探究を重視してました。私が覚醒したとき、できる限り妻が情報に接しないよう、細心の注意を払い、妻には情報に「ソフトに」アクセスできるようにしました。
  私は偶然にも衝撃的な実話を発見しました。それはものみの塔がNGOとして国連に加入していた事実です。とても衝撃を受けました。妻に知ってもらいたいとの誘惑に駆られました。少なくとも私の真剣さを妻にも知ってもらいたかったのです。マインドコントロールされてましたから簡単ではありませんでした。知りえただけでも感動ものでした。妻に打ち明け、妻の考えを聞きたいと思いました。
  私が事実を発見して以来、妻を苦況に陥らせたくはありませんでした。私が不信を抱いた信仰について妻と話をしたかったのです。夫婦関係の土台がぐらついているときには二人の話し合いが必要でした。私にはそれをするための時間はありました。
  夫が断崖の縁にいると知れば現役の証人だった妻には縁から連れ戻す義務がありました。細心の注意を払って話をし、できるだけ穏やかに答える自信はありました。結局は妻に話をしました。妻は信仰を吟味し、一緒に脱会に至りました。とても恵まれていました。既婚の証人が組織から消滅しようとしても、とても難しい問題を抱えるよりも逃げる場合が多いのです。

離婚の危機

 配偶者が現役の証人の場合、自分の信仰を客観的に吟味する気は起きません。貴方がどれほど辛抱強くても、礼儀正しくても、組織からの脱走を裏切りと見なし、とても悲しいことだと考えます(どれほど長い間、不活発であっても)。何を言っても、貴方の信仰を捨てる原因を調べようとする気が起きるまでには至りません。
 そのような場合、難しい選択が待ちかまえています。証人であるのが当然の前提で結婚した人と残りの人生を送る決心がつきますか。自分の心の一部しか自由に出来ない人と残りの人生を送るというのにそれに対処できますか。配偶者を愛してますか。配偶者は貴方を愛してますか。二人の間の意見の食い違いを埋めるためにはそれが必要です。
 何とかごまかして結婚生活を続けるか、離婚に進むかを決めるのは当事者です。軽々しく扱ってはなりません。このジレンマから起きるストレスは非常に強力です。そのようなときにセラピストや結婚カウンセラーに相談できる場合は、受けた方がいいでしょう。老婆心ながら言いますと、もし離婚が唯一の答えだとしたら、よく考えましょう。時間をかけて自由で正直な話し合いをした末の答えでしょうか。難しい状況では話し合いが大事です。

児童の親権

 子どもが巻き込まれるなら、状況はさらに複雑です。親権の争いは常にトラウマとなります。片方の親が子どもを忠実なカルトの信者として教え込もうとしていて、反対の親がその運命から逃れさせようとするなら危険の度合いは高まります。
 不幸にももし苦境に陥ったなら、証人が親権の争いに勝つためのガイダンスとして作成された「児童親権事件への備え」と題するPDFファイルをダウンロードした方がいいでしょう。記事を書いた者は「目的は手段を選ばない」やり方に従い、子どもがものみの塔に感化されていないと欺くための陳述を奨励しています。どのようにして若い証人から好ましい証言を得るか、証人の親の側の弁護士を次のように指導しています。

 人生でもっとも大事なことは奉仕と集会ですと言ったとしても、巡回大会でしているような演技をしていると思われないようにします。趣味、工作、社会奉仕活動、スポーツなどに興味がありますと言いなさい。将来の夢を語りなさい。開拓者になるつもりですと言わないように注意しなさい。将来は商売人になりたいとか、結婚して子供を作るとか、新聞記者になりたいと言ってもいいでしょう。絵描きや映画に興味があると言ってもいいでしょう。

 ものみの塔は大会の演台の上でやる演技を見せたがります。しかし、法廷での目的に合わせる時には全く異なるイメージを見せます。貴方の子どものために雇った弁護士がせこい「神権的戦略」に立ち向かうときには、弁護士は入念に準備しなければなりません。確かに、意に添わない親権の決定があったとしても、それは努力が足りなかったからではありません。

離婚した後

 時間が経つにつれ、結婚が破綻したという感覚を覚えます。片方はものみの塔に奉仕させようとします。片方は組織が将来の世代に悪い影響を与えないようにしたくて仕方がありません。こうして子どもは両方の親の間で引き裂かれます。長い間、こうした状況に当てはまる人たちから電子メールを受けてきました。何をどう伝えたらいいか苦労します。私にはカウンセラーの資格がないからではありません。事態が収束に向かうとき何から手を付けたらいいかをどう伝えればいいか、分かりません。やり直しが必要な人と身の上を話すときはなおさらそうです。
 私の経験から言えば、明らかにエホバの証人になりたい子どもはひとりもいません。子どものままがいいだけです。ゲームをしたいし、さぼりたいし、いたずらをしたいし、子どもが好きな遊びがしたいのです。大人の話に関心があるようなふりして窓のない建物の中で毎週、四時間を過ごす――確かに子どもにとっては自然ではありません。大人の話を理解するには若すぎるのです。
 証人としての退屈な生活から脱走しようと言えるなら(たとえ一言でも)、つかの間でもできるだけ楽しい経験をさせられるなら、子どもを自由に駆り立てる見込みはかなりあります。
 子どもの生活において、穏やかで、幸せに満ち、安らぎを覚えるオアシスになるように努めなさい。貴方はものみの塔が刻みつけてきたステレオタイプとは正反対の人間だと子どもに証明しなさい。怒りの念に駆られないように。不道徳で堕落した生活を送ってしまう状況になってもそれに飛びつかないように。無条件で愛と友情を見せる親だし、大切な正直な親なのです。すぺての親はそうあってほしい。
 将来、子どもがどんな決断をしようとも、子どもは貴方が頼りになる存在だと知っています。いかなる場合でも愛と優しさを見せる目標を持っているなら、素直に正しい決断をさせられるでしょう。最悪、子どもがバプテスマを受ける道を選び、貴方を忌避し始めるとしても、子どもは貴方が良い生き方、より充実した生き方を示すために最善を尽くしたことを知るでしょう。子どもが心変わりしたとき、貴方は両手を広げて持っていると子どもは分かるでしょう。
 子どもがいようがいまいが、ものみの塔から脱会すると、厳しい心の痛みや家族関係の変動に見舞われます。言うまでもなく仲間意識の喪失感もあります。自分で決心したのですから孤独感を感じるでしょう。しかし、あなたを愛し、感謝する人たちに取り囲まれ、そこで帰属感を取り戻せるかは貴方次第です。どうすればそれができるかを次章に書きます。


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