エホバの証人からの脱走


    第3章  脱走を計画する

 エホバの証人から脱走する道は二つあります。おおっぴらに断絶するか、非公式に不活発になるかです。パーティが終わる前に上からコートをはおり、会場から姿を消して、非常にかったるいパーティ会場を離れるか(紹介者やほかの客の怒りを買っても)、密かに中座するかの違いに例えられます。
  自分では楽しめないから帰ると言うよりは、急いで帰宅する必要が出来たけど時間があればまた戻ってくると言うかもしれません。ほかの客はまた一緒になれると思いこんで自分たちで残りの時間を過ごし、いなくなった人は気にもかけないほどに酔ってしまうかもしれません。扉の向こうに出る点では二つの戦略は同じですが、二つの方法を比べると与える衝撃の強さは非常に異なります。
 ほかの客がどのように見ているか気にかける必要はないかもしれません。ほかの客とはそれほど付き合いがなく、貴方をつまらない人だと考えてもらえるならたいした話ではありません。しかし、そうした人たちとの関係と大切な関係を築いていた場合、だましていたなという疑念が起こると、その人たちの感情を逆撫でするにちがいないという思いが起きるかもしれません。ほかの客と仕事上の付き合いがある場合、帰って来るはずだという思いこみを裏切り、仕事の上での損失が生じるでしょう。
 消えてしまうか、断絶するかを決めるときに直面するときのジレンマです。組織の中の精神的に罠にかけられた人たちとの個人的な関係に左右されます。対象者が家族ならば特にそうです。
 もちろん、個人的で良心的な脱会の決断が尊重され、その決断に誰でもおとなしく反応し、信仰を同じくするかにかかわらずに友情を維持する場合もあるはずです。しかし、1981年以来、エホバの証人は尊厳さを失わずに脱会できない組織になっています。「ものみの塔」誌1981/9/15号に次の記事が印刷されて以来、断絶は忌避の対象になりました。

16 考えた上でエホバの証人の信仰と信条を退け,『わたしたちの仲間でなく』なる人々は,当然ながら悪行ゆえに排斥された人と同じようにみなされ,同じように扱われるべきです(「ものみの塔」1981/11/15 p.22-23)。

 消滅するか、断絶するかのジレンマに悩まされているのなら(おそらく愛する人がまだ組織にとどまっているのでしょう)、上の記事を読んで明白な選択をしましょう。家族との関係を正常なままで脱会できるようにし、完全な抜け道としての消滅を考えるでしょう。

不活発になる

 もし集会や伝道に欠席していて一度でも目を付けられと、たとえ厳密な意味で証人のままであっても、「悪い交わり」をしていると判断され、ある程度、忌避の対象になるかもしれません。すべきことをしないで罰を受けているのですから、私はこれを「抑止的な忌避」と呼びます。それでも断絶とは天と地ほどの違いがあります。不活発な人たちはある程度、同情される対象であり、組織から好意的に見られます。例えば2015年に出された「帰って来てください」の冊子はそのような人たちに働きかけるように企画されています。執筆者は、証人が消えてしまうような状態は想像できないし、証人は落ち込まないとも書いています。「帰って来てください」の寸評の欄を読んでください。
 いくら消滅する人に好意を持ち、忍耐しているとはいえ、次のような条件付きです。(1)信仰を続けるか。(2)不活発な期間はどの程度の長さか。(3)ものみの塔の基準を維持しているか。
 次の章に書いたように、長老たちは、不活発な人が実際は不信仰な者になっていると知ると(特に背教に寛容な人に)、躊躇無く次の行動に移ります。
 不活発さが長くなり、伝道へ参加しなくなると証人たちはそれは殺人罪に値する重罪だと強く感じるようになります。例えば2018年にトリニダード・トバコに地帯訪問をした統治体成員アンソニー・モーリスは講演でエゼキエル33:8,9を読み上げました。彼は参加者全員に手のひらを見つめるように求めました(ビデオを見ている者にも)。

 人が手を見つめるとき、神は流れる血を見るだろうか。隣の席に座っている人は貴方をよく知っている人だが、貴方が毎週、奉仕に出かけていないことを知らないのだろうか。神はあなた方の手のひらの血の流れを見ているはずだ。全体的に不活発になるだろうか。私たちは手助けをすると強調する。神のみことばは水で薄められない。警告を無視したのだから、手が清らかでないなら、血を手にし、命を失う。

 仮にそうだとしても、出版物の中では「忠実な奴隷」は滅多にぶっきらぼうなことばを吐きません。それでも上述のことばは統治体の考えを伝道しない者に対する統治体の考えをよく示しています。その考えが平の証人に浸透します。エホバの証人にならない限り、ハルマゲドンで死ぬと人々に警告しないなら、死に値すると彼らは見ています。それをしない貴方は死に値すると考えます。
 いかなる者の悪行が無罪になるかの論を起こします。例えば2016年の「エホバへの忠節を保ちましょう」大会での「悔い改めない悪行者を避ける」と題する講演の梗概の中に書かれたことばを考えてみましょう。

 クリスチャンは「兄弟と呼ばれる人」で不敬虔な道を再び歩み始めた人との交友をやめなければなりません。会衆が処置を取らなくても、不活発な人たちにも当てはまるでしょう("Watchtower"1985/7/15 P.19)。

 協会は長老たちが何らかの処置を取らないとしても「重大な罪」に関与したと分かったなら不活発な人たちを避けるように論じています。誰も貴方が背教していることを知らないと確認するとともに、周りの友人や信者が心の中でものみの塔の規則を認めていないか、感知する必要があるらしい。それは可能でしょう。しかし、時間が経つにつれ、「白よりももっと白い」清らかさを保とうとしていることが分かります。
 例えば、独身で信仰を捨てて消滅する決心をした証人がいるとします。そのうち、まだ結婚していなくてもとても愛する人と性的に関係を持つかもしれません。相手の人はとても信仰心の強い証人である親と会いたいと思うかもしれません。消滅したい人はそれはよい考えではないと答えると相手は気分を害します。親が二人の間には性的な関係があると疑わなければ、会うかもしれません。
 そうこうしているうちにこの種の言い訳や不透明さは二人の間にストレスをもたらすか、二人の将来に暗雲が垂れ込むでしょう。証人の二世でなければ何ら問題ないのは明らかです。ごく自然な成り行きを隠蔽することに荷担できないでしょう。恋人は、人生は短いし、妥当な理由があるのに婚前交渉すると行儀の悪い子だと思われるような関係になるなんていやだと思うかもしれません。
 ものみの塔から脱会しようとする独身の人は、協会が関与する限り、みせかけの純粋さを保つために悩んでいます。それは一人だけではありません。私がこの本を書いているとき、YouTubeの仕事のために元証人と面会し、夫婦共に排斥された人から聞きました――玄関に飾っていたクリスマスのライティング照明を近所の証人が壊したからです。
 二人の元証人はおおっぴらに反対を言う人たちではなかったし、会衆の中でもめごとを起こすような人たちではありませんでした。協会が反対している祝祭日の祝いをしたという理由だけで最後の集会に出た後に詰問する必要があると長老から見られ、その五年後に排斥されました。
 実際にあった話ですが、不活発な証人がいました。うわべだけでクリスマスを祝ったために排斥されました。ジェフェリー・ジャクソンがオーストラリアの王立委員会で児童虐待問題の尋問を受けたときにこれが提起されました。この短いやりとりの中では協会の役員が公式に信仰の局面での恥ずべき面を見せました。協会の驚くべき不正直さを露呈しています。

法律顧問スチュワート:例えば二人が不活発になるか公式に断絶しないで消えたいと思っているとします。そこに長老が訪ねてきて二人がクリスマスの祝いの品や誕生日の祝いの品を持っている現場を目にしたなら、規則に違反していると認めるのですか。
ジャクソン:私には分かりかねます。言いましたように私の担当外です。この種の事項に関する協会の方針に属します。私の個人的な経験からすると、それは問題にはなりません。

 生々しい証言が示しているように、知らないとは言いながらも、ジャクソンはわざと嘘の証言をしています。統治体成員でいることを割り引いても、彼なら排斥の意味とその言外の意味を素直に答えられます。ジャクソンは長老でした。「神の羊の群れを世話する」のマニュアルの内容に通暁しています。そのマニュアルの65頁には「背教者の基準」の中に「偽りの宗教の祝祭日を祝うこと」が書かれています。必ず審理委員会に呼ばれるほどの罪です。
 脱走の経路としての消滅は明らかに最上の策だと思えるとしても、置かれた環境によっては必ずしも平穏な旅地ではないと思いなさい。ものみの塔から見ると、いったんバプテスマを受けたら、生きている限り協会の規則と教義に責任を持ち続けなければなりません。最後に王国会館から出てから何年経とうが、バプテスマの誓いを保つことを強要しうる長老に詰問され、罰を受ける可能性は残されています。

ジレンマに直面する

 運命は貴方にかかっています。どのように脱会するかを決めるのは貴方しかいません。結果に責任を負うのはあなたです。断絶よりも自然消滅を選んだから臆病だとか自分をごまかしていると責められるいわれはありません。大切な人間関係を維持するためにいかなる方法を取ろうが、今の状況に陥れ、人間の権利を蹂躙したのは協会です。人間にはひどい状況を良くするのは権利があります。
 肝試しとして、紙吹雪の舞うパレードをして大きな音を立てて脱走を試そうと言っているのではありません。消滅の旅路を求める立場にあるとしたら、自然消滅が好ましい選択だと言いましょう。たとえ不活発な証人の生涯を送ったらまったくトラブルがない保証はないとしてもです。
 逆に断絶を決めたとしたら、良心的な立場に立っているのですから証人の友人や証人の家族はそれをけなしません。かといっても狙いすましたような、罪を感じさせるような意見が飛んでこないわけではありません(「エホバとエホバの組織を裏切った。不活発になったけれど、傲慢な生き方を求めている」)。しかしそれはまったく正当化できません。いじめです。恐喝です。
 攻撃しているのは協会です。あなたは攻撃してません。誰もが「忠実な奴隷」の指導を認識したり、追放される事態に直面しなければならない状況を企てたのは協会です。家族の離反という子供じみた脅しにもかかわらず、偽りの宗教だと分かってからそこから距離を置いて正直さと清らかさを求めているのです。ものみの塔はほかの宗教から入る改宗者には正直さと清らかさを求めています。
 断絶にも、消滅にも、それぞれ短所と長所があります。最終的な決断をする前に注意深く、比較考量する必要があります。二つのシナリオの比較を手助けするために次の頁に消滅と断絶の比較表を上げます。
 ジレンマは深刻ですが消滅か断絶かの決断をするための時間は残ってます。完璧な家族関係を達成することが目標ではありません。ものみの塔が配偶者を感化しようとしてもできないからです。少なくとも過去を回想し、後悔がない時点まで戻ってみなさい。苦境をよく考えて取るべき道筋を決めるために時間を割くなら、賢明な決断が出来ますし、その出口を計画できます。そうすれば最善を尽くしたと、自信がもてます。

自然消滅を実行する

 もし、自然消滅をする決断をしたなら、早く消えるか、ゆっくりと消えるかを考える必要があります。徐々に消滅すると目立ないものです。次に示すように出る頻度を減らす計画を考えてもいいでしょう。
初期段階       集会出席は月に8回 奉仕は10時間
三カ月後       集会出席は月に6回 奉仕は8時間
六カ月後       集会出席は月に4回 奉仕は5時間
九カ月後       集会出席は月に2回 奉仕は2時間
一年後        集会出席は0回 奉仕は0時間
  もちろん、このように徐々に会衆から退いても長老の注意を引くでしょう。そうなっても長老の手の届く範囲にとどまる手助けとなるように次の章に資料を書いておきます。
  買い物に出かけたときに顔見知りの証人と会って気まずい思いをする可能性があるときはそれを最小限にするためにほかの会衆に移って消滅する――それは考える価値はあります。ほかの会衆に移ると、王国会館で会う長老は貴方にあまりなじみがありません。毎月の出席回数を減らしても長老の注意を引きつける可能性ははるかに低くなります。二カ月以内には、自然に消滅して脱会できます。

若者らしい巣立ち

 目ざめた若者が今だに両親と同居している場合、脱走計画はより複雑になります。脱走の一環として巣から飛び立つ可能性について考える必要があります。
 両親がどの程度、「真理」に熱心なのか、どの程度、両親の信仰に一致するよう圧力をかけられているかに依ります。様子をうかがうため、正直に会話をして将来のことを両親に準備してもらう必要があるかもしれません。関係が悪くなったり、両親との同居が集会や奉仕の時間の条件付きなら、独立できる見込みがあるか詳しく調べる余地があります。
 両親が頑固に反対すると、独立して将来の居場所を見つける可能性は現実的ではないでしょう。状況が好転するまで「ふりをして」も恥ではありません。子どもの時から両親の信仰に従わされることを頼んだ覚えはないのです。悪い状態を改善しようとしたからといって、非難されるいわれはありません。
 学歴やキャリアを積む選択ができるか調べたり、もっとよい仕事を探して貯蓄できるようにします。独立の準備をしている間はそれを中断してはなりません。耐えて、時が満ちたとき、偽装を止め、鞄に荷物を詰め、自立するときがきます。
 逃亡のきっかけが何だったかが分かると、両親はしまいには非協力的になったり、敵意を抱くかもしれません。それに動揺したり、自己中心にならないようにします。愛と優しさを示し続ける限り、譲歩したり、脱会の理由を分かってくれる機会が来ます。
 両親が徹底的に忌避したとしても、また何が起きてもがんばりましょう。若いときに組織から脱会できるなら、ありがたいことです。ものみの塔の奉仕のために何十年もの時間を浪費した元証人は大勢います。人生はまだこれからです。若いうちに脱会するのなら先輩たちは脱会を支援します。

忌避の脅威

  悲観的に見ると、皆を幸福にする努力をしたのに、最悪の場合、自然消滅に失敗して背教者として忌避される場合があります。それに備えるのも無駄ではありません。
  愛する人の心を十分懐柔していないことを忘れないように。そうして感情的にならないようにしましょう。相手は譲歩しているとうすうす気づき始めたら、感情的にならないようにしましょう。ものみの塔の固定概念では背教者は怒りやすいし、辛辣なのです。組織は間違っていなかったと信じさせないようにしましょう。
  もちろん、言うは易く、行うは難しです。父から忌避すると言い渡されたとき非常に怒りました。しかし時が解決します。それから何年か経って愛と優しさがあればよい結果をもたらします。私に罪を感じさせなかったからだけでも良かった。
  アルツハイマー病の患者の世話をしたときを思い出します。患者に口答えをしたり現実に引き戻そうとすると、患者はなおさら苦しくなります。そこで患者の幻覚に調子を合わせました。忌避している者の愛のない言動はものみの塔が背後で糸を引いているためだと解釈するとストレスを減らして対応できますし、相手に共感できるでしょう。そうすれば、完全とは言えないまでも、我慢できないほどの悪い状況は改善されるでしょう。
  情動的な面で対処するほかに、実際に愛する家族から大事にされたころの出来事を思い出す努力をしてもいいでしょう。親から高価な動産を相続しますか。デジタル方式でスキャンできる写真はありますか。
  自然消滅が失敗して忌避という最悪のケースに至ったら、後悔の念にかられるだけではなく、準備のために時間を使いましょう。たとえ、性格が感傷的ではなかったとしても、骨董品に興味が無くても、友人や家族と楽しい時間を過ごした思い出に拘泥しても悪くはありせん。例え、証人とその家族しか写ってなくてもいいのです。その写真をその人たちも持っています。

断絶すると決めたら

  これまでの文を読んで、自然消滅よりも断絶を決断するかもしれません。忌避されるにもかかわらず、断絶してきれいさっぱり、組織から離れる計画を立てて、決断をします。
  断絶の手紙のサンプルを次に上げます。これらから選択できます。暗示が目的ですから自分なりの言葉で書いてください。長老に手紙を書くと思うだけで楽しくなるでしょう。サンプルがその手助けとなるでしょう。
 
サンプル1:短くても的を得ています。ただ単に断絶したいだけであり、できるだけ都合よく組織と縁を切りたいなら長老に次の手紙を送ります

関係者へ
いかなる形であれ、エホバの証人とは交わりをしないことをお知らせします。
以上

サンプル2:どうしても断絶を手紙にしたくなり、長老に何かを書き残したいなら、次のように書きます。
兄弟へ
 エホバの証人として直ちに断絶を知らせなければなりません。とても残念です。熟慮の上で決心するに至りました。それを尊重されていただきたい。意思を確認しようとも訪問は必要ありません。
 会衆を離れるのですから悲しい思いをされるかと思いますが、これは良心の問題だと言うしかありません。子どもたちを守らないで児童虐待を隠蔽し、悪い評判を言い立てられている組織にはもはやつき合いきれません。統治体の教義が矛盾しているために忌避によって家族を分裂させるというのに、神の真理の唯一の擁護者と主張している組織にはもはや確信を持てません。
  たとえ忌避を決めても私は貴方に好意を持っており、友人と認めることを理解してください。個人的に訪問を決断するならあふれる愛で迎えられます。そのときの話合いの中身は二人だけにとどめます。
愛を持って

サンプル3:組織を信仰している家族や職場の同僚がまだ組織にとどまっているなら、また長老が操ったために忌避されることを法的手段に訴えるなら、もっと正直にやるやり方があります。
関係者に
 いかなる形であれエホバの証人とは交友を持たないことをお知らせします。
 良心の自由の権利を強く守りたいのどお力添えを願いたい。断絶の決心をした結果、家族(従業員)との関係が損なわれるなら、法律に則り、法的手段に訴えます。
敬具
  消滅と断絶の賛否両論を考えてきました。脱会計画にどんな問題があるか、調べました。経験するであろう様々な実際の問題には時間をかけて対処できます。

 次の章(長老は味方にならない)では脱走を進めるときに長老に何を期待できるかを書きます。


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