エホバの証人からの脱走


第2章 もっと調査しなさい

  ものみの塔は調査しないように説得しているわけではありません。エホバの証人は「個人研究」の活動を習慣づけるよう促されています。それには聖句の瞑想も含まれます。男性が割り当てをこなす資格があると見なされると、調査するにも身が入るでしょう。また、事前に良く準備をしないで演壇に登るなら、すぐに目立ってしまうでしょう。
 性別は問わず、資料を通して徹底的に調査しないで集会に出るなら、罪悪感を持ちます。王国会館でタブレット端末が用いられる前にはカラーの蛍光ペンが用いられました。資料をよく調査していましたとほかの証人に知らせる道具でした。
 今ではデジタル形式であれ、ハードコピーであれ、ものみの塔の出版物に限られています。ライブラリーソフトやオンラインのものみの塔ライブラリーウェブに限定されています。霊的なことがらを理解するに当たっては、外部情報は勧められていません。 「ものみの塔」誌には次のように書かれています。

エホバの組織が備えている出版物や情報検索の手だては,建設的な考えでわたしたちの思いを刺激し,正しいことと悪いことを見分けるよう訓練してくれます。(ヘブライ 5:14)荒海の中でいかだにしがみ付くように,こうした備えにしっかりと付いていなければなりません(「ものみの塔」1997/1/15 P.6 )

「王国宣教」はもっとはっきりと書いてます。ものみの塔の出版物を頼るに足る唯一の情報源として選び出すように書いてます。

一方,わたしたちの得ている霊的な祝福はもっと大きなものなのです。わたしたちの命はエホバからの霊的な食物に依存しています。(マタイ 4:4)霊的な命を支えるものを世の情報源に求める人たちは飢えていますが,わたしたちは食べたり飲んだりして満足しています。(イザヤ 65:13)『忠実な奴隷』は,永遠の命に導く知識の尽きることのない供給源をわたしたちが利用できるようにしています。―マタイ 24:45。ヨハネ 17:3(「王国宣教」1996/5 P.1第4段落)

「霊的食物」であるものみの塔の出版物で調査しても満足な答えを得られず、疑問を感じたらどうしますか。証人は「世的な情報」を調査する許可が得られてますか。「ものみの塔」誌は喜々として明らかにしています。

もちろん,出版物にまだ取り上げられていない論題や聖句もあります。聖句に関する注解が載せられていても,あなたの抱いている疑問については何も述べられていない場合もあるでしょう。また,聖句によっては,聖書中で詳細が明らかにされていないゆえに疑問が生じることもあります。ですから,疑問の答えがすぐに得られるとは限りません。そのような場合,答えの出ない事柄について憶測すべきではありません。そのようにすると,「信仰に関連して神からのものを分かち与える」どころか,「調べるための問題」に関する議論に巻き込まれかねません。(テモ一 1:4。テモ二 2:23。テト 3:9)支部事務所も世界本部も,出版物中で論じられていない質問すべてについて調査して答えるという立場にはありません。わたしたちは,聖書に生活の導きとなる情報が十分に収められていることに満足できます。そして,詳細が載っていないこともあるゆえに,著者である神への強い信仰が求められている,ということを認めます。―「エホバに近づきなさい」の本の185-187ページを参照(「ものみの塔」2011/10/15 P.32)。

 ものみの塔の出版物で答えが得られない疑問を感じたら、疑問が間違っているに違いありません。エホバは聖書と「忠実な奴隷」により、適切で理屈に合う質問に答えられるはずです。出版物から「除かれた」ものは面倒でもなく、特上な信仰を示す機会だと思うはずです。手紙で疑問を国際本部に出さないように。援助する「立場」に就いていないからです。調べるためにはものみの塔の出版物だけを用いて格闘を続けないといけないのです。
 この理屈はとてもこっけいです。しばし考えてみなさい。人類にとっての唯一の霊的伝達経路と主張する宗教から出される情報だけに依存するなら何を期待できるでしょうか。その情報は客観的ですか。批評が保証されてますか。宗教から批評が抑えられる恐れがあるときには組織を批評する動きが起きますか。
専ら神の知恵のパイプであるという根拠のない主張をする集団があり、問題があるとする証拠が上がったりするとその間違いを認めるでしょうか。神の導きという前提があったのに、お詫びをしたり罪を告白したりして、ひどくその権威が傷つけられるのではないでしょうか。もし、神がこの集団を用いているなら、根拠のない話を伝達したり、非行を働くために動かすのはなぜでしょうか。
 神の権威を主張する宗教はどれも間違いを間違いと認めないことを指摘してしまうと、見過ごせない明白さにまで言及しなければならない危険性をはらんでいると危惧してます。しかし、ものみの塔を問題にし、証人を操ろうとする企てを扱う場合には特にこの点を強調しなければなりません。過去、何十年と、文書の欠陥には言い逃れをするだけでなく、その間違いを暴露し、組織の主張を否定する元信者の資料は危険であり、生かしておけるものではないと、証人を説得する技術を修得しました。例えば「ものみの塔」1992/7/15 P.15にはこう書かれています。

背教者は,指導の任に当たっている兄弟たちの間違いや表面上の失敗につけ込みます。わたしたちの安全は,背教者の宣伝をあたかも毒であるかのように避けることにかかっています。

「ものみの塔」2006/11/15 P.24 ではこう酷評しています。

神の求めておられることを行ない,決して「悪霊の食卓」にあずかることなど考えてはなりません。(コリント第一 10:21)背教を退けてください。エホバの食卓でしか得られない霊的食物に感謝してあずかりましょう。そうすれば,偽教師や邪悪な霊の勢力に惑わされることはありません。(エフェソス 6:12。ユダ 3,4)

 つい最近では元信者の精神的な不健康さを疑ってさえいます。

あなたが医師から,致死的な感染症にかかっている人との接触を避けるように言われたとしましょう。あなたはどうすべきかを理解し,警告をしっかりと思いに留めるのではないでしょうか。背教者たちは「精神的に病んで」おり,いわば他の人を自分たちの不忠節な教えに感染させようとしています。(テモ一 6:3,4)偉大な医師であるエホバは,彼らとの接触を避けるようにと言っておられます。どうすべきかは明らかですが,わたしたちはあらゆる面でその警告に留意することを決意しているでしょうか(「ものみの塔」2011/7/15 P.16)。

 背教者は極端に劣る悪のイメージを証人のこころの中に埋め込むらしい。背教者はサタンの陣営に属するうそつきと考えられています。だまそうと努め、非難に値する情報を作ることに専念していて、ちょっとした間違いに興味を覚える「悪意のある霊の力」の人質になっていると言います。注意深く近寄らないようにしない限り、強靱的な態度、社会を腐敗させる態度を伝染された者、病気に悩むきちがいの詐欺師と描かれています。
 このような被害妄想、レッテル貼り、強い嫌悪感はエホバの証人に強い影響を及ぼします。背教者の情報を調査する考えそのものを恐怖に感じるようにする恐れがあります。背教者のウェブサイトの中の議論を意識して発見しようとしたときのことがありありと思い出せます。そのとき、ほんのわずか面白みを覚えました。
 神を不快にさせるのではと本当に恐れていました。心臓がどきどきしました。天井を破壊し、くすぶっている焼け跡をきれいにするひらめきがあるのではと期待していました。身震いのする激しい感覚は子どもの時以来、直接影響していたものがあったからでした。神が唯一の「真理」を分配するために神から用いられた組織だと確信してしまうと、元信者についての戒めを深刻に捕らえ、自分の益のために正当な警告だと思います。
 組織が神のために語っているという前提を捨て去り、議論のほかの側面を意識して試みることを自分に許すときにだけ、ものみの塔の「背教者」という語彙の使い方は元信者を悪魔であり、悪意があると思わせるために組織が設計した語彙のずる賢い使い方だと理解できるでしょう。辞書を引くと、背教者は単に宗教と関わりを避ける人だと分かります。貴方はエホバの証人、モルモン教、カトリック、イスラムなどの背教者です。
 本当に嘘と決めつけたものの真相に向き合う人は、本質的に罪人でしょうか。嘘と証明されたものから離れて、知的に正直さを求めることは賢明でしょうか。以前の宗教の関係に厳格さを求めるまでして、新しい宗教に入った人が嘘と分かった元の信仰を捨てることには二の足を踏むことになると、ものみの塔は分からないのでしょうか。深刻で良心に基づく理由から背教者が行動しているなら、背教者になるには本当におごりがあるからと言ったとしてもそれは間違いではありません。排斥という障害を乗り越え、そのような立場にする家族の離反に勇気を持って闘わなければならないのだから、なおそらそう言えます。
 背教者はうそつきでプロバガンダの罪人であると主張します。だから、だましと操りをたくらんでいる不正直な者に変わらない限り、証人は組織を捨てられないのだと思わせます。甚だしいまでの一般化です。証人が背教者の情報で見付けられるものが本当かを先延ばしする可能性があるのにそれを中傷し、背教者全員をひとからげにしようとしています。
プロパガンダの嫌疑がかけられた背教者としてものみの塔が指摘した事例ではもっと明らかになります。例えば2017年の「ものみの塔」誌から引用すると

サタンは,わたしたちが思考力を働かせ,理性的に考えることを望みません。「プロパガンダが大きな効果を発揮するのは,人々が……批判的に考えようとしない場合」だからです。(「20世紀のメディアと社会」[英語])ですから,聞いたことをうのみにするのは危険です。(箴 14:15)神から与えられた思考力と理性を働かせて,真理を自分のものにしてください。(箴 2:10-15。ロマ 12:1,2)(「ものみの塔」2017/7 P.28-29)

 リン・ゲレマンとデビット・マクレーンの「20世紀のメディアと社会」を調査すればわかりますが、皮肉にも、ものみの塔は背教者の情報へのアクセスに対して批判を引用していても原文から一部分を除くという罪を犯しています。引用された文章は手を加えてなければ次のようになります。

人々が複数の情報源にアクセスしないとき、批判的に考えようとしてもそれを妨げられるなら、プロパガンダはもっとも大きな効果を発揮するらしい。ミカエル・バルフローは、複数の情報や解釈が妨げられているか、助長されているかがプロパガンダを科学的に見分けるもっとも優れた判断基準だと、示唆した。

 正直に深く考えるために信者が背教者の情報を調査することを妨げ、ものみの塔は非常に悪質なプロパガンダだと指摘する犯罪を犯しています。情報に対するアクセスを制限して人々を操ります。
 協会は神が管理する組織であり、協会は「真理」の擁護者だと主張します。相反する情報を調査する信者の考えを恐れないと考えるかもしれません。証人はそのような情報が明らかに信頼できないものと考えるだろうと期待できるかもしれません。ものみの塔が繰り返して背教者を叱責したり、議論を封印するために騙したり操りをする危険性やそれに対する心の備えの必要性が明らかになります。
 プロパガンダ自体には人を騙す必要性はありません。辞書によるとプロパガンダを「情報。偏向した性質。誤解を招きやすい性質。政治的な目標や意見を広めるために使用される」と定義しています。賢明で有益な政治的目標や意見の側に偏っている可能性もありますし、目標を奉じようと支持する情報を与えて他人に影響をおよぼすことも考えられます。印刷物であっても、ビデオであっても、「ツイート」であっても、共有したり、拡散したりするプロパガンダと考えられます。しかし客観的な目標があり、有益で、正義に依拠しているなら「プロパガンダ」キャンペーンの裏に隠された動機を問題視する人はいないでしょう。
 目標が進歩的で正当と認められるものだと確信しているなら、論争のほかの側面を見ないようにとは人々に説かないでしょう。自分の利益にかなう話し合いに仕向けると幸福を感じさえします。立場が逆の反対意見を言う人の不合理性をいっそう際だたせるならその意見も歓迎するでしょう。
 背教者のプロパガンダをよく見ると、ものみの塔のプロパガンダとは逆に両方の議論が提示され、事実に基づく結論にたどり着くように書かれていることがはっきりと分かります。
 一方、デジタル形式のものみの塔の情報源は数十年前に遡るだけの出版物だけしか提供していません。一方、背教者のサイトでは組織の草創期にまで遡るものみの塔の出版物を包含しています。ダウンロードが可能です。何十年にわたり「忠実な奴隷」がばらまいてきた偽予言、揺れ動く教義、偽りの憶測、欠陥だらけの議論、誤った情報をこれだけ際立たせるメディアはほかにありません。
 この点、ガチガチの証人はこう言うかもしれません。「しかし、ラッセルやラザフォードの時代の出版物は古い光です。その当時と比較して霊的にも組織的にも進歩しましたから、もはや証人の神学や教義とは関係ありません」。
 神が人類のための経路として当時のものみの塔を選んだのなら、草創期の「エホバの組織」はとんちんかんなものだったのです。例えば、協会が無知・蒙昧な組織だったとき、1917年に出された「終了した秘義」は無知で行き当たりばったりの過去の時代の遺物として知るでしょう。確かにその本は奇妙でやっかいな主張や憶測に満ちあふれています。けれどもイエスは1914年と1919年の間に「霊的神殿」を検査し、清められました。そのような手順を経てものみの塔をほかの宗教以上に優るものとされました。
「終了した秘義」が1917年に出版されたのですから、イエスの検査と清めがなされているただ中において比類のない印を提供しているとは言えないでしょう。同様にひとたびものみの塔の成員が神の「忠実な奴隷」として選抜されたといっても、1917年以降に印刷されたものみの塔の出版物にはそれが当てはまると期待してもいいのでしょうか。この時代から発展をしているものみの塔には正直で、簡易で、合理性のある基準を期待できるでしょうか。どれほど遡る「光」が輝いていたとしても、これらの時代に組織が印刷し、配布していた出版物の中にはほかにその根拠はあるのでしょうか。
 ものみの塔を弁護しようとする人は「新しい光」と「古い光」の概念全体を調和しようとします。ものみの塔の「新しい光」を正当化するためものみの塔が使う聖句を調査すると、実際の真理が後になって暴露されるまで神が信者に嘘を意図的に教えているというストーリーは聖書に書いてありません。
 これに関して証人が答えなければならない二つの大事な質問があります。「神はものみの塔を聖霊によって導いていますか」。そして、「終わり良ければすべて良しなのですから、神は嘘をつきかねないのでしょう」です。
 エホバはうそつきか、そうでないのか。エホバがうそつきでないなら、真理のための代理人として嘘を書くため、神は古い協会に影響を及ぼしたと暗示するなら、それは神に対する冒涜です。しかもその真理はかなり後にならないと暴露されないのです。
「真理」は真理です。どんな宗教指導者であろうと、「現在の真理」ということばは使いません。ものみの塔が過去の教えは間違っていると認識しても、エホバの導きを主張するなら、まさしくエホバを冒涜しています。
 背教者のプロパガンダに関する話の筋を見抜き、「忠実な奴隷」の高尚な神学のための有効な基礎はものみの塔の古い出版物だったと分かると、実り豊かな光景が開けてきます。魅力的で満足のいく、客観的な調査に招かれます。平凡な長老よりも物知りでエホバの証人について多くの学びをしていることが分かるでしょう。脅迫や恐怖を小出しにして使っていて、効果的にそのような知識が控えられてきたことに当惑するでしょう。
 調査の意義とそれを妨げるものみの塔の悪巧みを避ける理由を説明しましたから、これから個人的に有益な資料だと判明した調査の道具をリストにして示します。そこから何が発見されるか、ヒントを示します。

ものみの塔に関する出版物
 C・T・ラッセルの時代にまで遡るものみの塔の出版物はその場所さえ分かれば比較的容易に到達できます。古書店で探す気があるなら、古い書籍や雑誌が見つかるオンラインの情報源を次に上げます。

AvoidJW.org  ダウンロード可能なデータを広い範囲で集積しています。協会の発足時まで遡る、すべての出版物があります。平のエホバの証人ならアクセスを禁じられている長老宛の手紙や案内書が含まれています。証人の信仰や教義、方針に直接関連していますが、オンライン上でアクセスが制限されていると、この種の著作権に抵触する資料集はほとんど調査は不可能です。
WatchtowerWayback.org 同様なサイトで、フランス語でも英語でもダウンロード可能な資料集です

Archive.org 非営利のオンラインライブラリです。管理人は元証人ではありません。昔のものみの塔の資料にアクセスするために用いられます。検索する上で頁数にやや難があります。Websiteの知識があるなら目的のPDFファイルを配置できます。ものみの塔の出版物の索引に書かれている略語に慣れているとやりやすいでしょう。

元証人の書籍

良心の危機
 稀有な本で、ものみの塔の内部の背後にあるものがほのかに見えてきます。脱会した証人によってもっとも読まれています。レイモンド・フランズは元会長フレッド・フランズの甥です。十年近く統治体の成員でした。その間、組織の頂点での言い争いや不手際や権力闘争を目撃しました。
 実際の証拠に基づき主張や論議をする必要性に留意し、慎重に重要な手紙のやりとりを見直していて、組織から求められた原稿を引用しています。複数の世代にわたる証人にはものみの塔からの自由を求める上で助けになりました。大切な情報源です。これからの証人として生まれる世代にも援助と希望を与え続けると確信しています。

クリスチャンの自由を求めて
「良心の危機」に続くレイモンドの二冊目の書。さらに詳しく証人の教義を掘り下げています。個人的な体験を押さえて書かれています。ものみの塔の組織重視の信仰体系に隷属するのではなく、個人的なクリスチャンの信仰を維持できると主張していて重要なメッセージを発しています。
訳者注:日本語訳は個人的に相談

マインドコントロールの恐怖
S・ハッサン著。元証人が書いた本ではありませんが人々につけ込み、人々を操る、さまざまなカルト(エホバの証人も含む)の指導者によって使われるメカニズムを明確に特定し、詳しく説明しています。特にハッサンのBITEモデルはカルトがいかにして信者を巧妙に感化しているか示しています。マインドコントロールの理解にとっては非常に有益な道具です。

 何十年にわたり、さまざまな人たちがものみの塔の歴史と教義について数多くの書を著しています。しかし調査のための道具として推薦するとしたら、すぐに上記の著作が頭に浮かんできます。

元証人のサイト
JWfacts.com

 エホバの証人の教義、信仰、歴史を調査するにはすばらしい情報源です。Paul Crundyが設立しました。慎重に調査されたエッセーやよく書けているエッセーを数多くまとめています。テーマごとに話題を探せます。興味深い話題や質問を中心にしています。

JWsurvey.org
 結果を対照的に見て、分析するやり方です。目標は現役の証人も元証人も匿名で意見を表せることです。かつては小規模なサイトでしたが証人の世界の現状をレポートしているウェブサイトに成長しました。このサイトは元証人にとってもっとも一般的なオンラインの情報源になりました。毎月十万人以上の訪問者を引きつけています。

WatchtowerDocuments.org
 ラッセルの時代に遡るものみの塔の資料を集積した書庫です。初期の出版物や公式な文書類を含みます。主宰者はものみの塔の元執筆委員であったバーバラ。1980年代、1990年代に初めて暴かれた性的児童虐待に関心が集まった時、組織の無関心さを証言する立場にありました。現在ではバーバラは卓越した、最愛の元証人の活動家です。自から書いた体験談はよく読まれています。

Quotes-Watchtower.co.uk
 一連の著名な引用文をテーマごとに、アルファベット順に系統立ててまとめています。ものみの塔が聖霊に導かれているか迷っているなら、作為に満ちたものみの塔の記事の山を閲覧して確かめられます。何十年にもわたる「忠実な奴隷」のわがままで突飛なことばを暴露しています。
 ものみの塔の独善を暴露している情報にアクセスする必要があっても、現役の証人の友人や家族とトラブルを起こすおそれがある場合、また背教者の本で本棚を一杯にする状況にない時には、最も効果的な方法はこれらのオンラインの情報だと思いなさい。

まとめ
  どのようにして、またどの程度、騙されてきたかを明確に理解できる域にまでに達する助けになる情報はこれほど見てきたとおり豊富にあります。中身はデジタル形式でも、ハードコピーでも、テキスト形式でも、ビデオでも取り出せます。理解を助長するほどの質の情報にアクセスするためには必ずしも金銭を払う必要はありません。正しい決断をしたかを調べ、満足させるだけなら苦痛は少ないでしょう。しかし、調査・研究が将来にまで及ぶ収穫をもたらします。それは間違いありません。
  人の心はとても複雑です。ベットの下に怪物はいなかったと安心した後になっても疑いや恐怖がくすぶり続けるほどに複雑です。妄想や不安感が表面化したときには、いつも安心させてくれる書を蓄え、真実の情報を所有しているならくすぶっている邪悪な考えを追い出してくれる備えとなるでしょう。
  カルトじみた団体の働きのために長い年月を浪費した現状に区切りを付けるときには調査はパズルの最後のワンピースになるでしょう。念のために申し上げますと、できるだけ最小限のダメージでものみの塔のくびきから解き放たれる必要があります。特に家族や友人と愛のある関係にある場合はそう言えます。そのために計画した上での脱走が必要になります。


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