【止め役不在】


「あ、宍戸」

先日、向日と芥川に唆され大掃除中に三国志の世界を教室で再現してしまった件が、どういう経緯でかは不明だが不運にも榊に伝わってしまったらしい。自らが充分恥であるのを棚に上げて、テニス部の品位が落ちるのを嫌う彼は当然のように宍戸を職員室に呼び出した。

もっとも、大立ち回りを演じたのは劉備役の向日と孫権役の芥川で、勝手に曹操に抜擢されていた宍戸は適当に高飛車な事を言って流していた(もちろん参考にさせてもらったのは跡部である)。
それなのに、だ。榊の呼び出しに応じたのは宍戸だけだった。正確には、応じる事が出来たのはである。向日は別の方面でも悪事を働いたらしく、別の教師に怒られていたし、ジローは宍戸が連絡を受けた四限の前に行方不明になっている。

やってらんねーよ、と心中悪態はついていたものの、声をかけてきた滝に八つ当たりしても恐ろしい事はあれ、いいことは何もない。いろんな物への憤懣を頭の片隅に追いやった。
「よお。お前が職員室なんて珍しいな」
「そりゃ宍戸とか岳人とかジローとかよりは少ないよ」
「テニス部ばっかじゃねーか。………つーか、その封筒何だよ?」
涼しい顔で職員室から出てきた滝は大切そうに大きめの茶封筒を抱えていた。
その立ち振る舞いが自分には永遠に備わらないに違いない知性を醸し出していて、宍戸は敗北を味わう。案の定、内容も知的に過ぎた。
「ほら、オーストラリアの姉妹校に交換留学生を派遣する話がこの前出てたろ?」
「………あー、覚えてねえ」
「ごめん、宍戸がその
HR寝てたの知ってて言った。とにかく、一ヶ月の予定で行くんだ」
「お前に決まったのか?」
「まだ最終テストがあるらしいんだけどね。よっぽどヘマをしなかったら決まりそうだって言われたんだ。本当なら大会があるから行けないはずだけど、今年は負けちゃったしね」
「そっか。同じ職員室でも呼び出される内容がえらい違いだぜ」
「何やったの?」
「向日とジローと三国志教室で再現したのが太郎にバレた」
あまりにいつも通りな彼を、三国志を知っていただけでも高尚だと慰めるべきか滝は思案したが、自分も約束を控えていたので流す事に決めた。
そして、呼び出しの人物から推測して、宍戸も連れて行ったほうが良さそうだと判断する。

「ねえ、宍戸。これから相談があるって呼び出されてるんだけど、一緒に来ない?」
「……女子がらみじゃねーだろうな」
「大丈夫。―――日吉」


◇ ◆ ◇


普段は宍戸(ばかりでなく、よく彼をからかう三年生)が近寄ると盛大に顔を顰める日吉だが、今日は何も言わず、座っていた二人用の席から四人用の席に移った。
(一体、何の罠だよ……)
日頃の行いを棚に上げ宍戸は怪しんだが、滝は涼しい顔で日吉の正面の椅子に座ったのでそれに従う。丁度部活の時間である、昼時にはし烈な席取り合戦が繰り広げられるカフェテリアも閑散としていた。

「話の前に、滝先輩、宍戸さん。忍足先輩を知りませんか?」
「「忍足?」」
綺麗に滝と宍戸の声が被さった。
あまりに意外な人物の名を聞いた、との心情を隠さない二人に無表情だった日吉がようやく微笑する。俺だって好きでこんなことをやっているわけではないとの暗喩でもあった。
「そうです。とりあえず、校内で見つけられたのが滝先輩だというだけで、本当は滝先輩と宍戸さんと忍足先輩、全員にお願いがあるんです」
ますますもって話がわからなくなった。
日吉は常日頃、三年生の事をテニス以外では一欠けらも尊敬したことはなく、倒す目標に過ぎないと公言して憚らない。誰がその比重が強いかといわれれば、跡部だとしか言いようがないが、忍足も宍戸も上位にいる事だけは間違いなかった。

宍戸と滝は二人同時に忍足の所在を考え、これまた同時に気まずい様子で目を伏せた。
「………忍足、ねえ」
「アイツはなぁ……」
「何です?」
ずいと迫ってくる日吉が背後に緊迫感漂うオーラを放つのは気のせいだろうか。
いくら日吉が珍しく自分達を頼ってくれたとしても、敵が関東にいないのでは仕方がない。
「忍足は甲子園を見に、とっくの昔に旅立っちゃったよ」
「……」

日吉が沈黙した。無理もない、夏休みに入っているとはいえ、特選クラスはゼミ期間である。そういえば去年のこの時期も彼の声が聞こえなかったような気もしてきたが気のせいだという事にしておいた。

「どーせ、忍足だから、決勝を見届けるまでは帰ってこないと思うぜ」
「俺もそう思うよ」
諦めた口調で付け加えた宍戸に滝が同調したのを見て、日吉は溜息をつく羽目になる。
「では仕方がありません………。ところで滝先輩、その封筒なんですか?」
「オーストラリアへの交換留学生の紙。残念ながら、日吉には協力できそうにないから、宍戸を連れてきたんだ」
「……悪い、用思い出しちまった」

その瞬間、確実に余計なことに巻き込まれると察知した宍戸は素早く逃げの戦法を打った。
当然、長い付き合いである。
滝が止めに入る手の位置までは正確にわかっていたので、そこは突破できたものの……

ダンッ

行儀悪く通路にはみ出した日吉の足に進路を阻まれる。
半ば威嚇、半ば諦めの心境で足の持ち主を睨むと可愛くない後輩はしれっと言い放ったのだ。
「ああ、すみませんね。最近どうも悪い先輩方の癖を受け継いでしまったようで」
「………おい、滝。これは俺に帰れってことだよな」
「さあね」
「別に宍戸先輩だけを責めているわけではありません。まあ、そんなことはどうでもいいので話を聞いて下さい」
これでは中途半端に敬語が入っている跡部じゃないかと二人同時に思ったようだが、それを口に出さないだけの分別もしっかり持ち合わせていた。


三年引退後、少しのごたごたを経て部長に就任した日吉はとある決意に燃えていた。
もちろんその中に戦力強化も含まれる。先代の先輩達は、部に悪影響しか残していかなかったが、テニスの腕前は過去最強だと(絶対に言いたくはないが)日吉は考えている。副部長の鳳と樺地も同様だろう。
戦力は先代を上回るほどの強化を。ただし。

「先輩達が好きなように荒らしていった素行面は改善の余地しかありません」
過去最強の先代達は、揃いも揃って馬鹿ばかりだった。
宍戸を筆頭とする一応自分を常識人だと思っている部類――つまり、忍足と向日のことだが――に言わせると、トップが跡部では対抗上仕方がないという、日吉に言わせると不合理極まりない言い訳が存在するのだが、とりあえず現部長の目から見れば迷惑以外の何者でもない。

「………お前なぁ、それを本人達がいる前で言うなっつーの」
「言わざるを得ないようにしているのは跡部先輩達ですが」
「どういうこと?」

滝の一言で日吉は中断していた話の続きを語る。
曰く、中学高校受験生達の為に学校説明会がある。日吉が睨んだ通り宍戸は知らず、滝は知っていた。
HRでひたすら寝ていたのだろう。

「本来ならば、三年は参加しないはずなんですが……」

その中に盛り込まれた部活自由見学において、各部は未来の繁栄を賭けあらゆる手で新入生候補引き寄せを測る。当然、テニス部も上位の部員による練習試合を公開することとなっているが、これは二年生の仕事である。
初仕事をまかされた日吉は、部員全員に三年生への情報封鎖を厳命した。
慣例として参加しない説明会のことを彼らが真面目に聞くとも思えない。
むしろそうであってくれと日吉は祈りに祈っていた。彼らにテニスを教えてもらいたくないというのは嘘になる。しかし、ここで三年生が好きなように暴れてくれれば、新入生はおろか堂々と見学に来る他校の来年を担う選手達にも恥を晒し、多かれ少なかれ良くない事が起こるのはあまりに明確であった。

「どこぞの犬が跡部先輩の誘導尋問に引っかかりやがって」
「長太郎か」
「鳳だね」

次の日、朝練に出た日吉は何処からか湧き出た跡部、向日、芥川の熱烈な歓迎を受けたというわけである。

「でも、跡部もそのときの
HR寝てたのになぁ」
「………あいつらが、目立つ事を逃すわけねーだろうよ」
そういえば、補講の間(テニス部補講組は宍戸、向日、芥川の三名)やたら跡部からメールが入っていたような気がする。高校進学がかかっている宍戸はそれなりに必死で、どうせいつものからかいのメールだろうと無視していたのだが、それがこの内容だったらしい。

「宍戸先輩!忍足先輩も滝先輩もいなくなる今、跡部先輩達の暴走を止められるのは貴方だけです」
「あ、宍戸ー頼られてるじゃーん」
「滝!なんで俺が!断ればいいだろうが、練習試合にはお断りしますって」
「出来ると思っていっているのなら、貴方の脳みそは豆腐か何かですか?」
「………」
確かに、日吉の言う事など微塵も気にかける三人ではない。
むしろ素直に聞く三人など、それはそれで学園七不思議に登録できる気がする。

「俺は、断じて、来年に、先輩達の奇行が受け継がれるのは、ごめんです」

一言一言、力をいれて断言し、ずいと日吉は宍戸に迫った。
ここまでくると先輩達も話が判明してくる。

「………つまり、お前は跡部が部長の責務とかほざいた跡部コールならぬ日吉コールをやられたくないってことだな」
「まあ、それはともかくあのセレモニーは耐えられないよねぇ」
「………」

日吉は黙った。
宍戸も滝も、跡部が真剣にあのセレモニーを継承するため、日吉を追い掛け回している事はよく知っている。
実は補修プリントをかたに補修組三名は何度か日吉を売っていたりするが、語る必要はない。

「跡部先輩はよくわからないライトをテニスコート上に設置するし、向日先輩は技を磨くとか何とか言って部室にトランポリンを整備するし、芥川先輩はひたすら覚醒モードだし、収拾がつきません」

ありありとその情景が想像できてしまった二人は遠い目になった。
既に、間違いなく、どうしようもない時期に差し掛かっていると思う。
日吉は珍しく甘い笑顔で言った。それは跡部が怒る寸前の脅しの笑みにそっくりであった。


「宍戸さん。まさか、先輩達の友人である貴方が可愛いテニス部の後輩を見捨てるなんてこと、ありませんよね?」


…………

………




当然のように、一つ年下の後輩も口で負かせない宍戸である。
その上彼らを放置すればどのような惨状に見舞われるかもここ三年の付き合いで熟知していた。
口と態度と素行の悪く、日吉に嫌味ばかり言われている宍戸でも後輩達は可愛いのだ。

結局、跡部達が七不思議にならぬよう最善の努力をする羽目になる。
その間、跡部を怒らせ三途川を見ること六回。宍戸は四キロのダイエットに成功した。



そして、その涙ぐましい努力は氷帝全国行きの報を受け、塵も残さず崩れ去ってしまったりする。
このときは既に忍足も帰還し、滝も留学生の話を蹴っていたので全員集合である。

全国会場で、宍戸はぽつりと呟いていた。


「本気で、黙るとか地味だとか常識だとか、が似合わない奴らだ」と。



Fin

苦労人宍戸さんと、先輩達の被害を被る日吉。
互いにめんどくさい事ばかり引き起こす先輩後輩だと思ってると可愛い。