飲み会やります、首を洗って来られたし。 桂 そんなとても飲みの誘いとは思えない手紙をなんとなく無視できずに来てしまったことを、銀時は足を踏み入れて一秒で後悔した。 座敷には、人数から考えて到底飲み切れないほどの酒が無造作に置かれている。しかもビールや日本酒だけでなく、明らかに宇宙産の怪しげな酒の割合が高い。そして酒の量と比べてつまみが明らかに少ない。ほぼ乾きものか、これまた宇宙産の怪しげな何かだった。 場所もおかしい。 ここは歌舞伎町の飲み屋でも、料亭の離れでもない。真選組の屯所なのだ。 何より。 「おお、銀時。よく来たな」 機嫌よく笑いながら出迎えてくる桂。 「遅いぜよ! わしらは一刻も前から飾り付けばして、準備しとったき」 いつか見た「攘夷志士同窓会」と全く同じノリの「攘夷4大宴会」の飾り付けを自慢げに指さす坂本。そして。 「そう言うな、坂本。今日は俺たち攘夷四天王、いや何度も言うだろうから略して攘夷4の記念すべき飲み会の日だ。俺たちは数々の苦難を乗り越え、こうして再び集い、酒を交わす席を設けることができた。俺はそれが何よりうれしい」 「全くじゃ。お前ら悪ガキ三人はちくともじっとしとらんし、気が付いたら騒動に巻き込まれとる。ここまで長かった。だが、今日という日を迎えられたことを感謝せんとの」 「おい、坂本。そういえば、前から引っかかっておったが、――あまりに展開がシリアスなので言えなかったが―――この馬鹿二人とセットにしてくれるな。俺はいつでもこいつらの尻をぬぐってきた保護者ポジションだ」 「そりゃあヅラが見ている幻想ぜよ。結局のところお前も参加して、被害を拡大させておったき。この坂本辰馬こそがお前らの尻ぬぐいのポジションでぐげぶ!」 「いい加減突っ込ませろォォォ!」 銀時の渾身の飛び蹴りを食らって、反応が一瞬遅れた坂本が吹き飛んだ。腹立たしいことに桂は座り込むことでかわし、更に吹き飛んできた坂本も避けて無傷だ。 「お前ら馬鹿二人が話してたら一つも意味が分かんねーよ! そもそも何でよりによって、真選組の屯所なんだよ! つうか、何で俺たちしかいねえの? しかも――」 「チッチッチッ、分かってないな、銀時」 ポーズを決めながらウインクまでしてきたこいつを殴りたい――そう銀時は思ったが、何分間合いに入っていない。その間に桂は自慢げに続けている。 「察しの悪い貴様のために解説するとだな。まず真選組の屯所は、本日俺たちの貸し切りだ」 「貸し切りっていうか、店ですらないけど!?」 「些細なことだ。真選組の三分の一はそよ姫と要人の会談の警護で宇宙、もう三分の一は盆休み、残りは心優しいこの俺が慰安旅行をプレゼントしておいたから留守だ。ちゃんと使用許可も取っている」 前の2つは本当だろうが、残りが嘘くさいと思ったのは自分だけではないだろう。というより確実に嘘だ。桂がそんな殊勝なことをするはずもないし、そんな金も持ってはいまい。 「使用許可ぁ?」 そして桂が差し出した紙には、ほとんど判読できないミミズが這うような文字で「屯所、一日貸し切りを認めます。何があっても怒りません。ウホ。」と書かれている。 「アホかァァ! これゴリラ酔い潰してテメーが書いただけだろ!」 「そんなことはない。下の方を見ろ。ちゃんと二人分の血判が押してあるだろうが」 「いやこんな紙切れにどんだけマジなんだよ!」 「いやいや、重要じゃ。いかんせん、わしら攘夷4の飲み会じゃ。飲みすぎて店に迷惑をかけてもいかんき」 いつのまにか復活した坂本が言う。まだ一滴も飲んでいないはずなのに声が大きい。 「その点、ここならいくら壊しても安心だ。俺も攘夷4の記念すべき飲み会に相応しい場所をいろいろ考えたのだが、壊れても問題ないところを優先したということだ」 恐らく何も知らないであろう土方が聞いていたら、もうすでに斬りかかっているだろうな、と銀時は諦め半分で思った。 「あのさっきからその攘夷4って押してくるのイラっとくるんだけど―――つうか」 「分かっている。貴様が照れくさくてなかなか言えない難儀な奴であることくらいは。だから俺たちがアピールしているのだ」 「違ェェ――! しかもさっきから話遮ってるのわざとだろ! そこの! 足元の、高杉はどうしたんだよ!」 そう。 実は銀時がこの座敷に足を踏み入れた瞬間に、すでに高杉はこの場にいたのだ。 縛り上げられ、猿ぐつわをかまされた挙句、桂に踏まれて。今は銀時の蹴りを避けた時に座り込まれているので、床に転がされた高杉の上に桂が座っている格好である。 桂と坂本は、暴れる高杉の動きやくぐもった声をすべて無視していたのだ。 着いた瞬間に、高杉の殺気に満ちた視線とぶつかった方の身にもなってほしい。 「ああ。高杉か。せっかく外見年齢が酒を飲める年代になったからな、盛大に祝おうと連れてきているぞ。ちゃんと待ったのだ。中身はおっさんとは言え、子どもに飲ませるわけにもいかん」 うんうん、といかにも素晴らしいことをしたという顔の桂は、やはり高杉の上に座ったままだ。 「全然、祝ってないよね。拉致とかそういう奴だよね」 「違う。この馬鹿が酒を酌み交わすのはどうのだの、まだ時期じゃないだの、ごちゃごちゃうるさいから、止む無く縛り上げて連れてきたのだ」 むごっと高杉の抗議の声が一段と大きくなった。言われてみれば、高杉・桂・坂本の顔はひっかき傷やら翌朝には青あざになりそうな打撲がある。 「いやー、骨が折れたぜよ。中身はおっさんとは言え、全盛期の身体を持っとるのは厄介だったき。ちくと暴れすぎて、晋助たちの長屋が壊れてしもうた。どうしよ、また子ちゃんに殺される。アッハッハッ」 「まあ、それは坂本が弁償するし、代表して殺される旨の書置きを残しておいたから問題ない」 「え、何それ知らない」 「そうか。だが、知らなくても大丈夫だ。来島殿と武市には事前に、素直じゃない高杉がやりたいとは言えない飲み会を開催するからよろしく頼むと根回ししてあるからな」 だが、長屋を壊されるとは思っていなかっただろう、と銀時は三分の二以上諦めながら思った。 その時。 「テメェ! ヅラァ! 殺す!」 長い芋虫状態の抵抗の末、猿ぐつわを外した高杉が怒鳴った。声を聞いただけで分かる。相当、相当怒っている。 「フハハハハ! いい加減、感謝の言葉くらい素直に言ったらどうだ」 どこに感謝される要素があるか分からないが、ふんぞり返った桂は器用に縄を切り、間合いの外に退避している。 「どこに感謝される要素があるんだよ!」 高杉が怒鳴る。そのツッコミを口にしなくてよかった、と銀時が思った瞬間、正面から高杉と目が合ってしまった。 真っ直ぐで、鋭い、―――その両目。 「あぁ? 銀時、テメー何笑っていやがる。テメーもこの阿呆どものグルか?」 その言葉で、すとんと、合点した。 そうか。 さっきからずっと、自分は笑っていたのか。 「いいえー。ただ呼ばれてきたら阿呆どもの掛け合い漫才よりも、なんか中身おっさんのくせに若作りの奴が床に転がってるのが面白かっただけですけどー」 もういいのだ、と思う。 いざ奴が戻ってきてみれば、飲みに誘う言葉一つ思いつかなかった。あの瞬間を思い出すのがしんどくて、いつでも飲めるのだし、と言い訳してきた。だが、もう、こんな滅茶苦茶になってしまったら気にする方がアホらしくなってくる。 青筋を立てて怒鳴る高杉も、火に油を注ぐことを言う桂も、ずっと大声で笑っている坂本も、あまりに馬鹿馬鹿しく、懐かしかった。 「……上等じゃねえか。テメーらおっさんが、酒で勝てると思うなよ」 ごきり、と高杉の腕が鳴った。到底これから飲むとは思えない形相と拳だが、きっと自分たちはずっとこうなのだろう。 「よう言ったぜよ!高杉!」 どこから出してきたのか、「攘夷4」と書かれた扇子を広げる坂本は殴りたいと思ったが。 「うむ。受けて立つぞ」 桂も日本酒の瓶を掴みながら、悪い顔で頷く。ろくなことが起こらないことだけは確定的だ。 銀時は完全に諦めて思った。 もういい。飲んでしまえ、と。 「―――テメェらは後悔させる」 高杉が一つため息をついてから、正面から見ていなければ分からないわずかな角度で、口角を上げた。 乾杯ぐらいはしめやかにやろう、と言った桂が中央に置いた酒を見て、「あ」と二人分の声が揃う。忘れたことはない。師匠が時折大事そうに舐めていた気に入りの酒だ。 「お登勢殿に借りてきた。どこぞの格好つけたがりの人間のキープのようだが、今日という日に飲むのなら許されるだろう。ちょうど四杯分だ」 なあ、高杉。 悪くないだろう、と無理やり杯を持たせ、桂が微笑む。その横顔は信じられないほど、優しげとしか言えない穏やかさで、思わず銀時は目を逸らした。 その感無量といった顔を直視できなかったのは高杉も同じだったのだろう。 「………」 ああ、なのか、それとも小さな舌打ちなのか分からぬ息をもらし、視線を逃したまま、黙って酒を注がれている。 「ほら、銀時」 「……おう」 あれほど騒がしかったのに、今は静かになって杯が満ちる音が聞こえる。 「坂本。今度は味わって飲むのだぞ」 「分かっちょるよ。そんな根に持たんでも。ヅラの分は、」 坂本が酒瓶を受け取ろうとしたが、一瞬早く取った手がある。―――高杉だ。 「―――ほらよ」 高杉が桂の杯を満たして、丁度酒がなくなった。本当にきっかり四人分。 「ありがとう、高杉」 隣にいた坂本が「わし泣きそう」と独り言ちた、微かな呟きを唯一聞いてしまった銀時は、俺も、とこぼしかけてそれを飲み込む。 こんなのは聞いていない。こんなに幸せそうな顔で笑う桂と、それをうざったそうに、だが当たり前のように見ている高杉がいるなんて。本当にいつ以来なのだろうか。 「乾杯だ。この時間を再び与えてくれた先生に。俺たちを助けてくれたすべての者に。―――そして俺たちの腐れ縁に」 「乾杯」 その声だけはぴたりと揃う。 流し込んだ灼けつくような味わいの酒には、かすかに桜の香りが漂っている。 ◇ ◇ ◇ 松陽が好んだ酒は今から思えば一定の法則があった。喉を焼き、腹に落ちた瞬間に一気に酔いが全身を貫く強いもの。その鮮烈さと裏腹に、四季を彩る花の豊潤な香り、水のように飲める口当たりのもの。大人になって分かったが、一番物騒な酒だ。 「ヅラァ、何かツマミねえの? 食い物的なやつ」 銀時が最初の一杯を飲み干した桂に言う。彼の好きだった酒のほかにも、明らかに怪しげな酒が転がっているのだ。腹に何か入れておかないと酷いことになるのが目に見えているというのに、見渡しても乾き物しかない。普段の桂であれば、すべて蕎麦かもしれないが、何かしらは用意しそうなものだった。 だが、返ってきた返事は。 「何を言う。もったいなかろう」 「え?」 銀時が意味を問うより前に、桂がおもむろに立ち上がる。 「一番! 桂小太郎! 行きまぁーーーす!」 「えええェェーー!?」 銀時の叫びが会場に響く。その声にかき消されたが、高杉からも「げ」と声が出ていた。 桂はあろうことか腰に手をあて、瓶ビールをラッパ飲みし始め、そのまま一気に飲み干したのだ。 「いよっ! さすが、狂乱の貴公子!」 さっきまで、ものすごくしんみりしてたよね!? あれ何だったの? という無力なツッコミが銀時の口に上る前に、動じなかった坂本の野次が飛ぶ。 「わしも負けておれんぜよ!」 「おい、辰馬」 隣にいた高杉が声をかけても、すでに坂本の耳には届いていない。 「二番! 三馬鹿の保護者にして、快援隊社長、そして桂浜の龍、坂本辰馬! 行くぜよォォォ!!」 そのまま、先ほどの桂と全く同じように、一息でビールを流し込む。 「何それ、声のデカい人のくせに、かっこよく名乗るなんて聞いてないぞ!」 桂が抗議し、坂本がしてやったりと笑う。 「ふふん、名乗ったもん勝ちじゃ! 名乗りたかったら、もう一度飲めい!」 「上等じゃないか!」 「おい、ヅラ」 瓶を探す血に飢えた獣のような視線を感知した銀時が、ビール瓶を遠ざけようとしたが、その手は手加減なしに払いのけられる。 「再び、吉田松陽の弟子、狂乱の貴公子にして、逃げの小太郎と恐れられ、元内閣総理大臣の経歴を持つ、松下村塾きっての俊才、桂小太郎!」 「いや長いぜよ!」 「たくさん言うことがあるのだ。声のデカい人は黙っておれ!」 桂は、器用に坂本と言い合いをしながら、新たに手にした瓶も空けている。 「さあ、俺の知っている悪ガキどもは、この局面で尻尾を巻いて逃げるような輩ではなかったが、どちらがいくのだ?」 挑発するその目は、完全に据わっているが、底の見えない双眸に、長きにわたって沈んでいた底なし沼の昏さはもうどこにもない。 唐突に、銀時は思い出す。まだ未来を信じていた頃に、酒を流し込んだ夜、桂はこんな悪い顔で笑っていなかったか。 「………馬鹿だな」 正面から、鼻で笑う声がした。 「銀時。テメーがその軽い頭で考えていることなんざ手に取るように分かるぜ」 「あぁ?」 思わぬところから馬鹿にされて、反射的に言い返そうとして、固まった。 口元には人を馬鹿にするときの薄ら笑み。喉に絡む小さな笑い声も、いつもの通り腹立たしい。 それなのに、目が優しい。 「今が、その未来ってもんなんだろ」 そう言って立ち上がった高杉も、そのままビールを流し込み、坂本が喝采を上げた。 「お前は乗ると思うとったぞ、高杉! あれ、名乗らんの? わしがやろか?」 「馬鹿者! 高杉は色々と拗らせているのだから、正面切って名乗るのが恥ずかしいのだ。いい加減、そういうことは察してあげブフォオ!!」 飲み干されたビール瓶が桂の顔面を直撃した。 間を置かず一気に距離を詰めた高杉の掌が、顔に吸い込まれるように走り、桂の頭を畳に叩きつける。畳どころか床下まで軋む嫌な音がした。 「ヅラァ。テメェこそ、いつになったら、“察せられる”ようになるのか、今日こそ教えてもらおうじゃねえか」 高杉の前腕の筋肉が隆起する。 本気の、しかも利き腕のアイアンクローにさすがの桂も悲鳴を上げた。 「ちょ、待て、痛い! 握力が洒落になってない!」 よく考えたらお前だけ若い時のままの力って反則じゃないか!と自ら火をつけておきながら、喚きだした桂も必死に抵抗しているが、いかんせん体勢が悪すぎた。上から伸し掛かられて、右腕全体で締め上げられているがために、頭突きで逃れることもできない。 「ああ。先生にもう一度もらった命だからな。とくと味わえや」 「変なところで割り切ってる! 先生もそういう使い方をしろ、って言ってるんじゃないと思うぞ!」 「安心しろや。俺ァ、いつか拳骨で人間を地に埋められねえかと思っていたんだが、会得した暁には真っ先にテメーにお見舞いしてやる」 「おい、ちょ、こいつ全然話を聞かんぞ! どういうこと!?」 それをお前が言っても全然説得力がない、と加害者も含めて三人は同時に思った。が、今、ここで桂がやられてしまえば、次は自分だと気が付いた坂本が助け船を出す。 「ま、まあまあ、高杉。まだ我らが金時くんの飲みを見ておらんぜよ! ヅラを締め上げるんは、とりあえず、後にだな」 「おい、テメーの所業も忘れてねェぞ。何、締められポジションから逃げてやがる」 「いやいや、そんなポジションは嫌じゃ!」 桂のうめき声を聞きながら(しかし、高杉の力が全部桂の方に向かっているのを確かめながら)、坂本は少し距離を空けている。それを横目で把握しつつ、高杉が、にやりと、誰よりも悪い笑みを浮かべた。 「それに、そこの馬鹿は酒に弱ェからな。ぶっ倒れるのが関の山だろうがよ」 「あぁ? そこの低杉何か言ったか?」 上等だ、と立ち上がってしまう自分を呪いたいと銀時は心底思った。 このメンバーで、この飲み方をするなんて、すでに最悪の明日しか想像できない。だが、高杉に挑発されて受け流すなど、後もう二周くらい人生をやらないときっと無理だ。 「その目ん玉見開いてよく見ろや!」 ◇ ◇ ◇ その後、自重する者などいるわけがなく。 ビールや日本酒といった出所が分かる酒は全てなくなり、仕方なく坂本持参の怪しげな酒に手を伸ばし始めたのは、どのくらい前だったのだろう。 「アッハッハッ、ゆかいじゃのう! あ、これ、わりと美味いぜよ」 そう近隣全てに響き渡りそうな大声で笑い続ける坂本が、よく言えば緑色、悪く言えばヘドロ色の酒を勧めたかと思えば、 「なんだ、その奇天烈な色は! 変な効果はないのだろうな?」 と、言う割に、特に確かめもせずに桂がそれを流し込む、という地獄絵図が続いている。銀時と高杉も怪しげな酒を一杯ずつは飲まされているが(したたかに酔っているはずなのに、桂が目ざといのだ)、残りはほぼ坂本と桂が片付けていた。 「……おい、高杉。あいつら、今日、おかしくね?」 目の前で繰り広げられる異様な飲み方に、先に危機感を吐露したのは銀時だった。 あまりにらしくない。 確かに桂はザルだが、それでも度を過ぎれば二日酔いにはなる。飲み比べは強いが、単に酒に強いのではなく、本来はと相手を自滅させる術に長けているタイプなのだ。坂本も酒が好きで、そこそこ飲めるが、単純な酒量だけであれば桂の方が上で、それを自覚した飲み方をすることが多かった。 「ペース早すぎだろ。しかもほぼ柿ピーしか食ってないし」 銀時は怪しげな色に顔をしかめながらも静かに杯を口に運ぶ高杉に続けて言う。先にここまで後先考えないことをされると、いまいち乗り切れなくなる。なんとなく高杉も同じ心境だろうと思ってのことだった。 「……おかしいのは、いつものことだろ」 「まあ、そうだけどよ」 「……」 「……」 やばい。 会話が途切れた。 どうしよう。 意識をしてしまった瞬間に、銀時を猛烈な焦りが襲う。高杉は会話を広げずに酒とツマミしか見ていないし、頼みの綱の桂と坂本はか備え付けのカラオケで叫び始めており、全くこちらに注意など払っていない。 (え、すげー気まずいんだけど。あれ、俺、いつもこいつと何話してたんだっけ。いや、何話したかったんだっけ。つうか、こいつ、気まずくないの? 俺が気にしすぎなの? 何か話題振ってくれてもよくない?) 「あー……お前、今、何してんの? プー?」 当たり障りのない会話、と頭をひねり、なんとか銀時は言った。 とは言っても、何をしているかは聞いてもいないのに桂がしょっちゅう聞かせてくるし、高杉が巻き込まれ、そして巻き起こした騒動の噂もしょっちゅう耳に入っているので、苦しい質問だった。 「テメェと一緒にするな。―――ガキの手習いと、三味線と、持ち込まれた厄介ごとくらいか」 「つうか、俺とあんまり変わらねえじゃん。暇だってことじゃん」 「テメェで暇だと認めりゃ世話ねえな。―――まあ、今までよりはな」 高杉が追加の酒を手酌で注ぎ、また会話が途切れる。 (暇でもあんなに騒動の渦中にいんのかよ、とか突っ込んでいいの? いや、気にしてんのかとか言われたらもっと気まずいしな。つうかなんで俺ばっか気をもんでんの?) 「銀時」 あまりの気まずさに、注がれた酒を一気に干してしまう。 そしてすぐに後悔した。今までのどの酒よりも強い。 この一杯で、混乱した頭がより働かなくなった気がする。 だからあの騒がしいやり取りの中で、引っかかっていたことが口に出てしまったのかもしれない。 「……その、酒酌み交わすのは、時期じゃねえって、テメーは……乗り気じゃねえってことかよ」 きっとあれは、機微を読むなどとは無縁な桂によって不本意に暴露された本音だ。 その証拠に一気に苦虫を噛み潰したようになった高杉が、再び手酌で酒を流し込んでいる。 しばしの沈黙。 「………テメェは、何も言ってきてねェだろうが」 「へ?」 返ってきた返事は予想外で、すぐには意味が取れなかった。 「………どいつもこいつも、察しが悪ィな。酌み交わしたいと言ったのはテメェだろう」 そこまで言って、高杉は顔を背けて、再び酒を飲み始める。 (ちょっと待て、つまり、こいつは、俺が誘ってないから時期じゃねえって言ったってこと……? テメェは初デートの前の女子かよ! おっさんのくせに! つうか、あの局面で飲みたかったなんて言って、こっちから誘う方が気まずくね? テメーこそ察して、「心配かけた。飲みに行くか?」くらい言ってもよくない? いやそんな高杉気持ち悪いけどよ!) 混乱した銀時の脳裏ではそれを口にしたら即刻、拳が飛んでくるような思いだけが浮かんではまた消えた。 「あー……つまり、飲みに行こう、って言ったら、……行くの自体はいいってことかよ」 銀時は半分以上酒で麻痺した脳みそから、口に出しても障りのない箇所だけひねり出した自分を内心で褒めた。普段であれば嫌味の一つも言っていただろうから、むしろ麻痺していたのが良かったのかもしれない。 「………まァ、そういうことだ「よく言ったぞォォォ!!!高杉ィィィ!!」 そういうことだな、と言い切る寸前で、それはバカでかい声にかき消された。 もちろん会話に割り込んでくるのは桂で、地響きを立てて走り込んでくる。 「ヅラァ!! テメェはいい加減空気を読め! つーか聞き耳かよ! どんだけ地獄耳なんだよ!」 肝心要のところで邪魔をされ、銀時が怒鳴るが、桂の耳には全く入らない。それどころか、がばっと上から覆いかぶさるようにして、銀時と高杉に抱きついた。 「お前ら意地っ張りがこんなにもまともな会話をできるようになるなんて、俺は本当に感激したぞ……! 特に高杉がまた意味の分からない思考をして、どこかに立ち去ったり、生き急いだりして、お前らがすれ違うのではないかと危惧しておったのだが、……よかったなぁ」 視界の隅で、桂に拳骨を落とすべく振り上げていた高杉の拳が下ろされた。銀時もアッパーカットの一つでも入れようと準備をしていたのだが、行き場がなくなる。 桂が顔を擦り付けている肩が少しずつ濡れていくのを悟ったのは、きっと同時だった。鼻水も擦り付けているのはいただけないが、そんなことをされては、殴るに殴れない、と途方に暮れる目と目が合った瞬間。 パシャリ。 「パシャ?」 銀時と高杉が発信源を振り返ったタイミングで、追いうちのシャッター音が続く。 「撮ったど―――! ヅラァ! お前ら三人の感動のショットじゃ!」 「辰馬!」 怒りの声が綺麗に揃うが、被写体のもう一人が「よくやったぞ! やはり記念すべき会合には記念写真が必要だからな! もう一枚正面から頼む」と薄っすらと赤い目のまま―――銀時と高杉にしてみればその顔で写真に写ろうとする神経が到底信じられないが―――言い、数枚が追加されてしまった。 「この写真は快援隊で責任もって豪華アルバムにしちゃるきに! 実は、高杉を捕獲した時とか、捕獲した後の芋虫状態でふがふがしているところとか、金時が来た時の間抜け顔とかも地道に撮ってました!」 効果音が付きそうな満面の笑みでVサインを見て、締めよう、と決断し、銀時が足を踏み出した時には、目の前に桂の後頭部が迫っていた。 「ぐえっ!」 そのまま、桂ごと吹き飛ばされ、床の間に激突する。 「辰馬ァ。テメェも拳骨の実験台になりたいようだなァ」 坂本の目前に距離を詰めた高杉が拳を沈める、と銀時は思ったが、警戒していたのか坂本が腰を落として止めた。 「……チッ」 高杉が舌打ちをし、そのまま力比べに移行する。 「高杉。わしらもちくっとはしゃぎすぎたかもしれんが、大目に見るぜよ」 「テメェらの少しは当てにならねえんだよ!」 高杉が怒鳴る。お前も人のことは言えねえけどな、と銀時はそのツッコミを酒で無理やり飲み込んだ。 「わしはのう、お前らは別の道を行っても、いつか繋がると信じちょった。けんど、十年は長かった。正直もう馬鹿どもが笑い合うところは見れんのか、と思うたこともある。叶ったと思うと、嬉しくてのう。―――時に高杉、ちくっと手を貸してくれんかの」 坂本は凛とした声で言った。 「吐きそうじゃ」 瞬間的に青くなって後ずさった高杉を誰が責められるだろう。素早く手を放し、叫んだ。 「辰馬! ゲロ袋、早く出せ!」 だが、長年の経験値か判断は早い。坂本が吐く前に宣言できたのは、かなり上出来の部類に入るとこの場にいる誰もが身に染みて知っている。 「わ、わしの上着の右……」 一音発するたびに、坂本の顔が青白くなり、声がかすれていく。 高杉が右ポケットから袋を取り出し広げたのと、坂本が限界を迎えるのはほぼ同時だった。 高杉が渋い顔で介抱しているのを見ながら、ふと銀時は異常に気が付いた。 こんな時、小言と共に動くのは大体桂だ。その桂は沈黙したまま動かない。 「……おい、ヅラ…?」 銀時が恐る恐る声をかけると、桂が億劫そうに首を上げた。 「銀時……。信じられないのだが、……結構気持ち悪いぞ」 坂本と同じくらい顔を青くした桂が、危機感があるのかないのか掴みにくい声で言った。だが、銀時はもちろん知っている。 この顔は限界の顔だ。 そしてようやく悟る。たいしたツマミを用意しなかったのは、吐くまで飲むつもりだからもったいない、の意であったことを。 「信じられないじゃねえよ! あんな飲み方すりゃあな! ―――高杉!」 銀時の言いたいことを察した高杉が、悶えている坂本に言う。 「辰馬、もう一つゲロ袋出せ!」 「……一つ、しかないぜよ……」 だが吐き続ける坂本の返答は芳しくない。 「なんでテメーは船酔いするくせにゲロ袋の二つも持ってねェんだ!」 怒った高杉が声を荒げる。 「……高杉、そんなゲロ袋と連呼するのは品がないぞ。……きたろう袋と……」 「言ってる場合か!」 突然割り込んだ桂の謎の説教を途中で止め、銀時は脇に手を入れて無理やり桂を立たせる。会場を出て、左右どちらに行くかは、賭けだ。厠の文字が見えなかったら、―――もう仕方がない。 台所にあったありったけの水を飲ませ、吐かせ、再び水を飲ませ、吐かせを繰り返し、ようやく死に体の桂と坂本を引きずって会場に戻った時には、既に日をまたいでいた。 間違いなく半刻以上は大の男を抱えて介抱し、厠と台所を行き来していたわけで、銀時も高杉も疲れのあまりその場に座り込んだまま動けない。 「―――よく見りゃ酷いな」 銀時が呟く。人の世話をしている間に酒が抜けてしまった頭は、見たくもない現実を認識していた。会場は空き瓶が散乱し、カラオケ機は壊れ、襖と壁には数か所穴が開き、畳も数か所がへこんでいる。畳の原因は銀時も見ていた高杉の攻撃だろうが、正直いつカラオケと襖と壁が犠牲になったのかは皆目見当がつかない。 坂本と桂は大の字に転がり、えずいたり、少しでも楽な体勢になろうと寝返りを打ったり、高杉が台所からくすねてきた歩狩汗をちびちび飲んだりと忙しいそうだ。 「……高杉?」 倒れている二人からの返しは期待していなかったが、もう一人も何も言って来ないことを不審に思ってみると、ほとんど空になった歩狩汗の横で、胡坐をかいたまま高杉が固まっている。 「え、……寝てる?」 そういえば、こいつ、一番強かった酒をほぼ一人で飲み切っていなかったか。 銀時は信じられない思いで、落ちている高杉を見た。半分は「俺を一人でこんなところに残して寝る?」という切実な思い、もう半分は―――。 (―――もうこいつも、酔い潰れられるのか) 高杉は元々人の気配に聡かった。攘夷戦争の時でもあまり潰れていた記憶はなく、戦後に至っては酔い潰れたくてもできなかったのだろう。 試しに目の前で手を振ってみても全く起きない。本気で落ちている。 「……ヅラァ、辰馬ァ。高杉の野郎も落ちたし、そろそろずら…お開きにしよーぜ」 声をかけても、桂からは「あーうー」という呻きしか返ってこなかったが、坂本はずるずると這うようにしてこちらに来た。 「……ちょいと、待ちい。わしも攘夷4の記念写真に写りたい」 「お前そんだけ死んでるのに根性あんのな」 「わしは誰よりも吐き慣れとるきの」 「いやなんの自慢でもないけど」 「……高杉寝ちょるが、まあ問題ないじゃろ。あ、でも、シャッター押す人間がおらんぜよ。自撮り棒も持っておらんし」 「シャッターなら俺が押してやるよ。テメェら四人の雁首並べてなぁ?」 「え」 銀時が振り向く前に、がしりと肩を組まれる。 割り込んできた声。 全然思い出したくないが、知っている声だ。いつものように怒鳴っておらず、恐ろしく平坦なだけで。 「楽しそうで何よりだよ。そろそろ俺たちも混ぜてほしいんだがな。―――なあ、総悟」 無感動に惨状を眺める土方。 「全く。今日は散々でねぇ、どこぞの元総理大臣様の裏ルートからのリークがあったと思いきや、犯罪者どころか巨大落とし穴しかねえっつう有様で、そろそろスカッと飲みてェと思ってたんでさァ」 既にバズーカを構えた沖田。そして足元に正座している近藤。 近藤だけは滝のように汗を流して、なるべく土方と沖田の視界に入らないように小さくなっている。 「だが、残念ながら酒はないようだな」 「土方さん、どうせこいつらの豪華な首で弁償してもらうわけですし、酒代わりの花火でもいいですかィ?」 「おうよ。やっちまえ」 「待って待って、土方君、沖田君。違うんだよ、これはあの、うちのヅラがおたくのゴリ…局長の厚意で会場を借りててね」 土方が完全に沖田に同調し、肩を組んでいない方の手で鯉口を切った瞬間、銀時は一気に背中に噴出した冷や汗を感じながら言う。 これはまずい。 間違いなく激怒しているし、こちらは桂の強硬な主張により武装解除して飲んでいたものだから、獲物もない。 「ねえ、そうでしょ、桂君。……っていねェェーーー!」 桂も、坂本も、先ほどまで寝ていたはずの高杉も影も形もなくなっている。 「―――なんて、甘ぇんだよォォォーーー!!」 「ぐえっ!」 銀時は慌てず騒がず、「それ」を引いた。 廊下から三人分の呻きが聞こえ、足を引かれた三人が襖と共にて座敷に転がる。 「甘いんだよ。俺たちがどんだけ腐れ縁だと思ってやがる。こんなこともあろうかと、さっき足に忍糸を付けといたから。俺、六股疑惑の時に、簡単な動作なら忍糸を扱えるようになってるんだよなあ」 「いや、銀時、今は仲間割れしている場合じゃないぞ。ほら、土方君の血管が切れそうだぞ」 背中をしたたかにぶつけた桂が言う。 土方たちの怒りの大部分は桂が原因だが、そんなことは思っていない口ぶりだ。 「いやいや、お前らが先に裏切ろうとしただろーが。……地獄まで道連れじゃァァーーー!」 土方が、にたりと笑った。 「よし。その“依頼”承ったぜ。―――総悟!」 「あいよ!」 沖田が最高にさわやかな―――悪鬼としか見えない笑みで微塵の躊躇もなくバズーカを放つ。 「ギャアアアァァァーーー!!」 咄嗟に直撃は避けたが、忍糸が絡まったまま団子状にもつれた四人は爆風の中、宙に舞った。 そして。 一陣の、温い風が吹く。 風にあおられ、いや、風に追い落とされるようにして、四人が畳を突き破って床に沈む。 「ええええええ!?」 土方と近藤の声が揃う。 沖田の攻撃はあったが、こんな攻撃ではない。彼らの頭は、一瞬だが、上からの力で揺らぎ、気が付いた時には座敷の床に突き刺さっていたのだ。 しこたま飲んでいたところへのダメージを受け流せず、意識を飛ばしているようで、ぴくりとも動かない。 “人に迷惑をかける飲み方をしてはいけません” それは空耳だったのかもしれない、と思うほどの、夜に溶け入ったかすかな声。 振り向いても、誰の気配もなく、二度は聞こえない。 「いや、今ので一番壊れてるからコレェェェ!!」 土方が四人分の大穴が空いた畳を指して、叫ぶ。 再び微かに笑んだような気配が、夏夜のしじまを揺らした。 |
酒は飲んでも飲まれるな