いつかきっと、その言葉が残酷なまでに陳腐で、それにすがるのは弱者か愚者だという教えを受け入れた結果この世界に生きているにもかかわらず、血に似せた赤いペンキで自分の足跡と友の行方を虚しく追いつづける俺達は本当は世界でたった一人であることを執拗にごまかしているのかもしれなかった。


廃 線 の 夏


俺はその地に辿り着くと真っ先に雑草をむしる。綺麗さっぱり人を蒸発させてくれそうな陽光(世界全体をそうしてくれたらどれだけいいかと思うのに、願いを叶えてくれたことはないが)が夏草の深い緑に反射する。額にはじっとりと汗が伝った。作戦中でもない今の汗を日頃の冷や汗と比べて珍しく考えるようになったのは、と思い出そうとして止めた。決まりきっている答えだ。ただ、みんなのいない所で死にたくはないだけ。

黙々と草をむしり終わると丁度
30cm四方ほどの草のない剥き出しの大地が出来る。大地はあいも変わらず不揃いな石だけがゴロゴロ転がっていて、熱気を一手に吸収している。俺はディパックを漁ると椅子を置いた。
支給された軍用の椅子がピカピカだったのはおそらく最初の一年だけだ。使い慣れ、容赦なく連日こき使われた椅子は今にも壊れそうで俺が座ると迷惑そうに悲鳴をあげたが、軽く足で小突くとおとなしくなった。

ようやく辺りを見回す。……俺の目から見て右上にやはり
30cm四方の四角があった。
ただし、既に新たな雑草が生え始めている。まだ辺りよりも草の背が低いからかろうじてわかるだけ。もしこれがなかったら、再び汗だくになりながら辺りの雑草を掻き分ける羽目になるところだった。
立ち上がり歩み寄ると、探すまでもなく赤文字があった。


ATIME UP 20XX …、…


それは地表の上に直接書かれた文字で、草に埋もれていたがすぐにわかった。
"俺達"はこの文字を探しなれすぎている。
……跡部の出発の合図。三ヶ月前だった。

そして俺は待ち始めた。





へこみだらけの椅子から三歩の距離にその線路は伸びている。線路は三本。廃線だった。
通勤通学の客を乗せていたのは遥か昔の話。客がいなくなり観光客用の電車が走っていたのが昔の話で、軍用列車が走っていたのが結構最近の話。軍のほとんどを送り出してしまった後、線路は捨てられ廃線となった。それでも道ではあり続けた。

軍の上層部も俺達みたいな一般の兵士達も、従軍医師や看護婦達も、とっくの昔に避難した民間の人もこの線路を忘れた。だからこそ、この線路は俺達の待ち合わせ場所になった。


忍足がこの線路の最終列車に乗って任務に出掛けたのは五年前の夏の日だった。
彼は夏草の匂いで硝煙の香りを消し去り、右頬をはらしながら笑顔で去っていった(ちなみに右頬は忍足が「帰ってこられんかもしれん」とか言い出したときに岳人が殴った跡だったりする)。
忍足は軍服を着ていなかった。
行き際、美人の奥さんと可愛い子供を連れてこの線路を歩いて帰ってくると言ったから美人かはわかんないじゃん、と蹴ってやった。その時俺達はあの約束を交わしたのだった。




がりっ……、爪の中に石が引っかかった嫌な音がする。
本当は素手でなんか掘りたくはないのだけれど、スコップなど持っているはずもなくて(そしてナイフなど無闇に使えるはずもなくて)俺は痛みに耐えながら作業に打ち込むわけだが、もともと手は傷のない部分を探し出すほうが難しかったりするくらいなので、たいした関係はないのかもしれない。

炎天の下での作業は俺の手が缶の冷たい感触を味わった途端にあっけなく終わった。
掘り出した缶の中味は赤色のペンキ。五年もそこにあるのに、ほとんど減っていなかった。

たっぷりとペンキに手を浸し、何も考えずその文字を書き付ける。


JCOME BACK 20XX…、…


しばらく眺めてから、水を汲みにいこうと立ち上がった。


―――約束。
あまりにも非現実的で、あまりにも甘くて、そして愚か過ぎるほど愚か。
俺達みたいな身の上の中でその言葉を使えば社交辞令でしかない種類の言葉だった。
いつかきっと。信じるのは辛い。

跡部、宍戸、忍足、岳人、滝、そして俺。
自慢するわけじゃないけれど、全員部隊はバラバラでもそれなりに名前は通ってる。この動乱のご時世に、毎日のように目まぐるしく敵味方が入れ替わる不安定な軍部で、消息程度の噂を耳にする事が出来るくらいには。

跡部はれっきとした本部司令部の一員だし、宍戸は撃墜王(エース)の称号を受け取ったばかりで、岳人はゲリラ戦のプロ、滝は情報工作では世界で五本の指に入り、俺も特殊作戦には絶対の自信がある。そして忍足はスパイの第一人者だった。

アカデミーの時から、いつしか集まったエリート集団。
エリートはエリートとしか付き合わない、それが俺達が誰の区別なく言われている事。宍戸だって岳人だって滝だって、やろうと思えば周りとなじむ事などなんでもないくせに、軍内で浮いた自分のままでいる。
だって俺達の一番大切にするものに都合が良かったから。
"あの"エリート集団がこんな馬鹿げた約束を果たすために非番を全てここに座って過ごしているだなんて、信じる奴は誰もいない。……でも、俺達の帰る家はここしかない。



「よお」

宍戸が来た。
四日前の俺と同じように、ボロボロのディパックを背負って戦場の匂いをすこしだけ引き摺っていた。
約束を始めてから、まあ当然なんだけど、同じタイミングで仲間に会えることなんかないに等しい。(五年もやってればなかったわけではないけど。滝は跡部と一度だけ、それも一日だけ会ったらしいし。岳人と宍戸は作戦で一度だけ協力したらしい)
草を抜き始める宍戸の変わらぬ笑顔があまりに嬉しくて、うんって言うのもやっとだった。

「宍戸、撃墜王になったんだって?」
「ま、な。持ってるぜ。見るか?」
「うん」

無造作に宍戸の手から放たれたメダルはずっしりと重い。どれだけの機体を落とせばこれを手に入れられるのか知らないけれど、焦げ臭い匂いが何処からか流れてくるような気がした。
アカデミーにいた時には俺達の中で、飛行術がビリだった宍戸が撃墜王になる日が来るのだから世の中不思議な物だと思った。飛行術でトップだったのはちなみに俺だったり。

「これ貰う時に本部で跡部に会ったぜ」
宍戸は苦笑を隠さなかった。
撃って撃って、鬼になった結果、かろうじて連絡しか取れなかった跡部と会えたのだから。
「相変わらず嫌みったらしかった、面が」
「しゃべったの?」
「んな暇あるかよ。跡部、今厄介事抱えてるみたいなんだよな。後でくそむかつく手紙がきただけ」

宍戸は軍服の内ポケットから手紙を取り出す。
不器用な宍戸がずっと持っていたわりには、ある程度綺麗に折りたたまれていて、宍戸がどれだけこの手紙を大切に持っていたかわかった。(当時、紙なんて軍儀の時にしか使わせてもらえなかった。連絡は全て通信での文字のみ。跡部だからくすねることが出来たんだろう)
泊まっていた部屋にこっそり置かれていた手紙を見て、どれだけ喜んだだろうなんて想像に難くない。

手紙は終始跡部にしては感情的で、まるで跡部の嫌みったらしい高飛車な声を耳元で聞いているような錯覚に襲われた。内容的には俺もさっき思った感じだったけど。
後はひたすらどうでもいいことがしばらく続く。宍戸が振られた時の話だとか、誰かのマヌケな話だとか。跡部は心の底から宍戸のことを馬鹿だと思ってるけど、筆跡は優しかった。むしろ優しすぎて哀しかった。
行間に、跡部の巧みな文章さばきに隠されて、次第に俺達が出てくる。

本当に何気ないエピソードを一番大切にしている跡部が綴る、俺達が持っていた日常。
……不意に、その違和感に気がつく。

「宍戸」
別に呼びかけたわけじゃなく、自然に口をついた。
宍戸はまだ笑っている。口の端だけを釣り上げて、まるでそこに跡部が立っているような、自嘲的な笑みを浮かべながら。きっと宍戸はこの笑顔を見てしまったんだろう。

再び俺は手紙に視線を戻す。
最初に出てきたのが岳人の話。
5日間絶食していた岳人が久しぶりの食事で忍足が最後に取っておいたプリンを綺麗に食べて忍足がいじけた話。
ああ、きっと俺達にしか分からない。
全員のエピソードがあやうく生還したときのエピソードだなんて。

ゲリラ部隊にはサバイバル訓練ってのがあって、
6割が死体で戻ってくる。これを通過しないと一人前にはなれない。
岳人は見事生きて帰ってきたけど、帰って来た時には毒蛇の毒がほとんど全身に回ってた。
しかも後輩を庇ったってのが岳人の馬鹿な所。
医療班にも見限られ、最期をやすらかにと俺達の部屋に帰ってきた岳人。
不眠不休で毒の血を吸い出しつづけたのは忍足と滝。勝手に夜中森に行き、その毒蛇を殺し、ワクチンをその場で作ってしまったのが跡部。その間の全員の任務を肩代わりしていたのが俺と宍戸だった。

………岳人が、もう一度食事を出来た。その時の喜びは忘れない。そう思っていた。

それは始まりに過ぎなかった。
宍戸が撃墜された。その時は跡部が一緒の部隊で飛んでたから、宍戸は爆発の瞬間跡部が投げたロープで一応助かった。その時、跡部の機体に頭を強く打って脳手術をする羽目になった。
だから二番目の宍戸のエピソードは、坊主になっちゃった宍戸を皆でからかったときの話。

完璧だと思われる跡部にだって死にかけたエピソードがある。
その時軍に残ってたのは滝だけだった。滝は後で俺達に語ってくれた。
跡部が金髪の少女に化けて、杖を突いて帰ってきたときの形相で殺されるかと思った、と。
元気になった跡部にもう一度女装させたけど、その時は綺麗過ぎて恐かった。本部昇進をかけて、激戦区に取り残された跡部はプライドも全部捨てて生き残った。

さて、その滝だけど。実は俺と滝は本気で殺し合いをしたことがある。
情報操作の滝と特殊工作員の俺が、任務が重複し、相手を口封じしなくちゃいけなくなった。
慌てて忍足と跡部が事実確認に飛び回って、ぎりぎりで帰還命令が出たから良かったけど、既に俺と滝は相打ち状態で二人そろって危篤状態だった。
俺達のエピソードは蜜柑で仲直りした時、病室をオレンジ色に染めて減給喰らった話。
もちろん後片付けに巻き込まれた人もいた。


「これは、跡部の遺言だね」


言いたくなかった。
でも宍戸は絶対にこの言葉をいえないから、言った。
否定の言葉を聞きたかった。
でもそれが真実だって知っているのは宍戸だ。



つまり俺達はそういう奴らなのだ。
忍足が帰ってくるまで、非番になったらここに来て待ち続ける。
いつの日か、全員がどういう形であれ揃った時に、どこか別の世界に行けるように。

その約束は命ある限り守る。
大切な仲間達と、知らないうちに失っていた物を取り戻すために生きる。生き残る。

それは真実。
軍にいるのも真実。

混乱の時勢の中、敵味方が入れ替わる中、一度敵になってしまったら本気で戦う。
仲間だからと言って任務を覆す事は出来ない。
きっと誰かが誰かを殺す事だって起こるんだろう。
それを一日でも伸ばすために、会わないほうがいい。

友のために軍を裏切れる唯一のあいつは、今いない。



忍足のエピソードだけは、何気ない普段の一こまだった。
実はあいつだけが死にかけたことがない。
忍足の任務はたった一つに人生をかける。死ぬために生きる任務だったからだ。



…………俺はちょっと前の宍戸がしたように、全ての文章の癖を覚える。その間に宍戸は草をむしり始めたっぽくて、静かな沈黙が下りていたけど気にはならない。それよりも、この手紙を書くために机に向かう跡部の心境を、この話を一つ一つ思い出して手が震えたときの彼の心境を全て覚えていられるように、文字のはねや払いまで網膜に焼き付ける。
「きっと跡部は帰ってくるよ」
いつでもそうだったもん。
諦めたような顔をして、その中でもいつも帰ろうとだけ考えていた跡部なら、必ず帰ってくる。
「憎まれっ子、世に憚るだろ?」
「そう。宍戸もちゃんと格言とか知ってるんだ」

ああ、なんでこんなにも軽口が乾いていて殺伐としているのだろう。
ずんと圧し掛かった物の声を聞いたような気がした。
人斬りは死ぬときにそれを償わなくてはならないと聞いた事がある。昔、この国にいた侍の言葉。人斬りはろくな死に方も出来ないとわかってる。俺達だってわかってる。
軍に入り、血を被ってない所なんて身体にない。
死ぬときは、戦いで殺されるのが当然なんだろうってもちろんわかってはいるのだが。

勝手だよ、と俺は思う。
そうしなきゃならなかったんだ。だって、誰もそれ以外の選択肢を与えてはくれなかった。
どうすればよかったんだよ、なんていくら言っても足りない。何処で俺たちは引き返せたの?

親が軍に売った時、泣き叫んで止めればよかった?
最初の訓練で目の前に立ったあいつに刺されていればよかった?
民間人が占拠する美術館を殲滅させた時、悪魔だと罵られていればよかった?
専門分野を決める時、特攻部隊に志願していればよかった?
処刑されるために皆で脱走すればよかった?
友達なんて作らなければよかった?
せめて誰かに必要とされたいなんて思わなければよかった?

出来るはずもなかった。


「ジロー。……俺、
""に行くけど」
「俺も行く」

宍戸はまだピカピカのメダルを太陽に翳す。昼間だったけれど、太陽から流れる光は斜陽、滅びの色に似ていた。
俺も黙ってその後姿に続く。手紙も宍戸に返した。
今回は何もない。俺が
""に入れることが出来る物が見つからなかった。



""は俺達が待つ場所からは5分ほど離れている場所にある。
そこは一番綺麗に線路が一望できる場所で、打ち捨てられた鉄材などの複雑な迷路が俺達の楽園を隠してくれる。
紛れもない愚者の楽園は小さくも大きくもない、ただの穴。

「あんま増えてねーな……」
「もう探し尽くしちゃったしね。あ、でもこの前来た時は俺入れたよ?」
「どれ?」
「あの指輪が上に乗っかってる飛行機のミニチュア。美術館でもらったんだー」

もらったわけじゃないって誰だって分かるのに、宍戸はもちろん何も言わない。へえ、あれ昔の忍足の愛機じゃんとだけ言った。軍に入ると必ず全員が基礎訓練として戦闘機に乗るのだ。

「見ろよ、このメダルは散々お前らが俺の飛行術を馬鹿にした思い出」

晴天の斜陽に焦がされながら、メダルを穴に投げ入れた男の顔は酷く、くしゃくしゃだった。
続いて大切に持っていた跡部の手紙を穴に入れる。言葉は、なかった。

俺は持っていたナイフで毛先をばっさりと切る。不恰好になったけど、どうでもいい。
「ジロー?」
「うん?だって、捧げる花がないから」
血に染みた金髪が、俺達がようやく受け取れる花でしょ。


―――その何の変哲もない穴は、今は俺達の思い出の墓場だ。
なんでも、思い出に繋がる物を此処に入れる。線路で待つ人が寂しくないように。帰還した忍足が寂しくないように。
そして、その穴が一杯になった時。それまで忍足が戻ってこなかったら。

""は忍足の墓になる。
俺達の約束の墓になる。

「ジロー。俺、休暇今日しかなくて。明日、もう行くから」

でも、それが嫌できっと誰かがこっそりと穴を広げていくに違いない。俺達の全員がもしかして死に絶えても、風雨が穴を削って流してくれるに違いない。そんな卑怯な計算に約束は基づいていて、きっと待ちつづけるのはいつかきっと、まで永遠になのだ。



「じゃあ、ばいばい、忍足」
タイムアップは二日後の夜。





そしていつかの無人の廃線。
誰もいなくなった深い穴の前に男が立つ。積み上げられた思い出の墓標を蹴り飛ばした。
にっと笑った顔に面影はなく、ペンキの赤すら見つからない全くいつかの夏の日。

―――男は、待つ。

自分が唯一裏切らなかったものを、静かに待ち続ける。
血が追って来ても、妻の責める声が天国から聞こえても、椅子から動かない。





―――諜報任務と言う物がある。
敵方の町に潜入し、一生をそこで過ごす任務。解任はない。
解任があるとすれば、戦争が終わった時か、それとも。
男が立った時、戦争は終わっていない。それとも、町を裏切り、滅ぼした時か。


(忍足は唯一自分のために、軍を裏切れるんだよ)






廻りめぐり、再び夏。
誰もいない線路。誰もいない椅子。誰もいない草原。
誰もいない穴。

夏草に埋まった、思い出と彼らの墓場。






俺達は執拗に一人であることを誤魔化しながらも、実は世界から君が必要だといってもらいたかっただけで、本当にそれが実現不可能ないつかの話であったにもかかわらず、生きている限りいつかを信じていたかったわけで、願わくばこの手が綺麗な自分になりたかった。


END


アトガキ
檻姫さん、ハッピーバースデー!(それがこれか)
ニュージーランドの廃線を見て思いつきました。向こうでは通勤通学にもはや電車は使わないようです。

つくづく私は氷帝パラレルが好きなんですね。
檻姫の小説書いてるうちにジロが得意になってきた。

ラストはご自由に。