温かな空気を奪われた子供達はひたすらに生臭い憎悪を育て続け、そして、 水道水が落ちる音がする。大小紛れた岩を、一滴一滴、叩き壊そうとする虚しい音。 (誰か、止めろよ……) ごろりと座敷に寝転んだまま、銀時は心の中で文句を言う。締め切られない蛇口から滴り落ちる水の音というのは、常日頃でも苛つく。その上、座敷と言わず家全体が死に絶えたように静かならば、より一層音の波紋は広がろうというものだ。 一瞬立ち上がってそれを止めようかとも思ったが、結局やめた。 うだったいけれど、あの音まで無くなったら、ここは完全無音地帯になってしまう。 静謐の底に埋められる、自分達は今まさにそういう状況にいるのだと銀時は思った。 今、この屋敷は無人と言うわけではない。顔を合わせないだけで、それなりの人数はこの冷え切った空間でそれぞれ孤立しているはずだった。 その確信は勘ですらなく、昨日までのざわつきが証拠だった。 日に日に殺伐とした空気に塗り替えられ、大人達の噂話を聞くほどに声を荒げて怒ることすら忘れ、認めるのも許されない憂いに怯えて。今となっては塵屑として捨てられた哀願でざわついていた、この塾。 先生の教えを守り、誰一人口には出さなかったが、ほとんど全員が思った。それを押し殺せるほど大人ではない。銀時も昨日思った。 ……先生が帰ってくるのならば、幕府も天人もどうでもいいじゃないか、と。 侍の矜持を代償にするから、彼を帰してくれ、と。 あれが来るまでは、後年攘夷戦争の主力を担う連中がほとんどそう思っていた。 (先生……。アンタがいなくなって、俺達の家は冷え切ったよ) 俺が高杉と喧嘩して、踏み破った階段脇も。いちいち掃除の度に、久坂が拭いていた襖の溝も。やめときゃいいのに、料理に挑戦するとか言い出したヅラと入江が持った包丁がすっぽ抜けて出来た柱の傷も。 アンタが毎日、村のガキ(俺もガキだけど)から貰った野の花を入れていた花瓶も。 なあ、先生。全部だよ。 アンタがありったけの願いと夢を篭めて作った俺達の家は、一日で――正確にはたった一つの報で――死んじまった。私がいなくなっても、だって?このザマだよ、先生。 そう故人と会話をする彼の表情は、紅色の月光に隠れて見えない。 夜になった。 (どうりで、腹が減ったわけだ。……にしても、誰も動かねーけど) 久しぶりだと思った。こんな、孤独だけを纏わりつかせて朝も夜も関係ない、生きている死体に成り下がっているのは。 何がどうしてこんな因果を持ったのかは、これからも分からないだろう。傍に転がる事実は、常に自分の隣には女のように几帳面で細かい桂と、なんでも先生先生でこれまた融通の利かない高杉がいたってことだけ。 月が赤い。うすぼんやりと、なんて生易しいものではなく、突き刺さるように人を締め付ける赤。 銀時はその色をなんの感慨も無く視界に取り込んでいく。一心不乱に、瞳の中にその色を閉じ込める行為は、魅入られている部分とすがりついて泣きたい気分と果てしない憎悪の部分が、それぞれ妥協点を見つけた結果なのか。 (俺の一生は決まった) いやいや、ガキのくせにナマ言ってんじぇねえよ、俺。体のどこかの部分で、昨日までの自分の声が反響する。そりゃあ、まだ変われると思った時期もあったさ、でもそう思わせた先生が殺されたんだぜ。冷静な今日の自分が意見を押し殺す声がする。 俺は冷静だ。腹が立つのも出し切ったみたいで、ぴんと貼った糸の上も歩けるくらい集中しきっている。早馬が来るまでの数日間、仇へ情けを祈っていた馬鹿な自分達を嘲笑い終わったら、もう始まるだけ。 眼は赤に染まる。おそらく、剣術修業で江戸に出られた桂の眼は真っ青な色をしているに違いない。 そこまで考えて、ひたりと銀時は動きを止めた。 静寂を無理やり破ろうと、廊下を大またで歩いてくる音がする。襖が開かれるスピードにあわせて、剣を引き抜き、突きつけるとそれは昨日よりも格段に赤かった。 「銀時」 「よお、高杉。メシ作りに来てくれたの?」 「馬鹿、俺に出来るわけねえだろ。いつまで人に剣突きつけてやがる。感じ悪いぜ」 そう言いながらも、高杉は自分の腰の剣を引き抜いた。 その仕草が彼にしては不自然に落ち着き払っていて、軽い違和感を覚える。 「真剣持ってたっけ?」 「家から持ってきた」 「悪ガキ」 「今更」 吐き捨てた友は目だけが炯炯と燃えている。―――あの色が、取り込んだ色。 「やるか」 冷たい剣が二本絡む。 波紋に映る、綺麗な線対称。笑み、眼光。融合と呼べるほど似ていた。 「行こうぜ、高杉」 「皆で、な」 冷え切った互いの拳を合わせた刹那から、もしかしたら戻れなかったのかもしれない。 松陽先生が処刑された直後。年は全然違うけど、史実通り、桂は江戸にいます。 ちらちら塾の人々が出てきていても苗字なのは、本誌に出ることを期待しているから。 ゴッドは下の名前変えるしね。 こいつらは、一人きりのときは泣いたり喚いたり呪ったりしていても、全部の心にケリつけて落ち着くまでは誰にも会わなそう。そうなった時には止められやしない。 |