鬼火



 今でも夢に見る。
 彼の悲痛な懇願を。
 ふてぶてしく、余計な一言ばかり、意地っ張りの、ろくでもない、その男の。
 先生を誰より救いたかった幼馴染の。


 やめてくれ、高杉、と、叫ぶ、その無力な懇願を。

 

◆ ◆ ◆



「―――真選組の沖田、欲しくねェか?」
 高杉が優雅に煙管をふかしながら言った内容に、銀時はげんなりとため息をついた。
「それって、今しがたそいつに爆破されて手当中の俺に言うこと?」
 幕臣の屋敷への襲撃は成功したが、警護に詰めていた沖田総悟が放ったバズーカにより銀時は無数の裂傷を負い、その上ただでさえ聞き分けのない髪が爆発してしまった。きっとしばらく元には戻らないだろう。
 銀時としてはそれだけで、沖田は今すぐに斬りたい幕府の狗第一位に君臨したくらいだ。

「あれは単にテメェがのろいからだ」
 だが、高杉は間髪を入れずに切り捨ててくる。返答と共に、無傷のその横顔も、さらに銀時をいらつかせる。
「あぁ? テメェがもう一人、首取りに行くか、って寄り道してる間に追いつかれたんだろうが!」
「得な首だっただろうが。まさか偶然家老殿が訪ねているとはな。テメェの髪が爆発するくらいじゃ釣りが来る。―――それよりも沖田だ。あいつ、直前に家老の救援を命じられたくせに、無線を捨てて白夜叉を狙いに来た。最高にイカれてやがらァ」

 あの時、沖田の爛々と光る双眸に映っていたのは自分たちだけで、燃え盛る幕臣の屋敷も、焼け焦げる人肉の臭いも、武士にとって無視できない命を伝える怒鳴り声も、何もかもを置き捨てて、笑ったのだ。
 獲物を見つけて舌なめずりをする笑み。それは狗というより、悪鬼と呼ぶにふさわしかった。

「引きずり込んじまおうぜ。この深淵に」

「だが、そう簡単にいくか? 沖田は近藤に心酔している」
 当たり前のように割り込んだ声に銀時は顔をしかめた。
「つうか、ヅラ。いつから湧いて出た」
「ヅラじゃない桂だ。貴様がいつまでたっても上達しない手当に苦戦し始めたあたりだな」
 つまり最初からだ。銀時と高杉の舌打ちが揃う。
 桂はそれを無視して、銀時の手から膏薬と包帯を奪い取る。
「俺は鬼の副長の方がいいと思う。ぶっ飛んだ鬼などお前ら二人でたくさんだ」
「テメェにだけは言われたくないんですけど。……って、今、わざと消毒液振りかけただろ!」
 焼け爛れる! と転がる銀時を尻目に、高杉が言い返す。
「あいつはただの正気の喧嘩屋だろうが」
「今はただの喧嘩屋に過ぎんところは認めるが、正気なのは強みだ。近藤ができない暗部のやりくりをしているのは土方だからな。もう少し政治屋もほしい」
「陰湿な政治屋はテメェでたくさんだ」
「失敬な。陰湿さこそ政治の本質だろう。それに、今日は得しただろう? 豪華な首が飛んだと聞いたぞ」
 にたりと悪い笑みで付け加えた桂を銀時が小突く。

「桂くぅん? 俺たち、ほんの数分前に帰ってきたんだけど、あのおっさんも偶然居合わせたらしいんだけど、なんで知ってるのかなあ?」
「奥方が留守だっただろう?」
「そういえば……まさか、お前、手籠めにして」
「馬鹿者! そんな破廉恥なことをするか! 何、ちょっとした伝手でな、奥方とは清く正しい茶飲み友達なのだ。それで、あの家老に目を付けられていること、夫が出世のために差し出そうとしていることを察したと相談されたわけだ」
「で? 偶然、俺たちが襲撃する日に合わせて、受け入れるからと呼び出させたってことか。道理で、幕臣以外の家人がいないと思ったぜ。―――悪党め」
 苦いものを飲み込んだ顔で高杉が続きを引き取る。

 つまり、桂は最初からこの襲撃計画に合わせて家老を始末するつもりで奥方に近づいたのだ。普段は江戸城の堅牢な警備に守られた家老であろうとも、夜這う際には警護も最小限になるとふんで。
 そして、自分たちがその存在に気が付いたならば、必ず首を取ってくることを確信して。

「なら先に言えよ! おかげで俺があの小僧に爆破されただろうが!」
 銀時が怒鳴る。これは銀時に理がある、と高杉も何も言わない。
「確実に来るかは分からなかったのだ。男女のにゃんにゃんの日にはタイミングなどあるだろう。それに貴様があの程度の警備で爆破されるとは思わなかったし。そういう意味で沖田は予想外ではあったな」
「俺はテメェの古びた語録が予想外だよ!」
 腹立たしいことに桂は怒号に合わせて包帯をきつく縛りながら、銀時を無視して高杉との話を続け始めた。


「沖田と土方。個別に試してみるか」


 その言葉を聞いて、高杉がにたりと笑った。言うとまたしょうもない言い合いになるから言わないが、さっきの桂と瓜二つだ、と思い、銀時は更にきつくなりそうな包帯を桂から取り上げた。
 こうなった時、この二人には二人だけの会話がある。それには入れないし、入ったとしてろくなことにならないのは嫌というほど知っている。

「あァ。崩しがいがあるのはあの二人だ」
「近藤は外すだろう?」
「外す。あいつは俺達には染まらねえ。それに日陰者には陽の光は強すぎらァ」
「よし。日程は後で決めるとして、沖田は言い出しっぺのお前が行くか?」
「当たり前だ。土方はヅラだな」
「―――いや、銀時がいい」
「え!? 何いきなり巻き込んでんの!」
 聞くともなしに聞いていたらいきなり指名され、銀時がのけぞる。
「今までの流れだと、普通にヅラが行く流れだろうが!」
「いやな、何度か追いかけられて思ったのだが、あいつは何となくお前に似ている」
「はぁ!? 俺の瞳孔はあんなに開いてねえよ!」
「瞳孔というか、全体の雰囲気だな。同じ系統というか。それでだ、貴様と同じ系統と言うことは、きっと俺のありがたい話にも聞く耳は持たん。それならば似た者同士をぶつけてみるのが上策だろう」
「フン。そっちの方が派手そうだな。一票」

 銀時が言い返す前に、高杉が言い、そのまま立ち上がる。

「高杉ィ! テメーだってヅラの話なんざ聞かねえだろうが!」
「違ェ。俺は聞いたうえで無視しているだけだ。―――万斉たちと手はずを相談してくる。まあ、安心しろや。テメーの爆発した頭が元に戻るくらいの期間は空ける。そのアフロじゃ、勧誘も何も大道芸人と間違えられるのが関の山だからな」

 銀時が罵詈雑言を喚き、一拍遅れて「無視とはどういうことだ!」と桂が騒ぎ出したが、その時には襖は閉じられていた。



 高杉が鬼兵隊の詰めている棟に戻ると、丁度万斉とまた子がテレビを流しながら茶をすすっているところだった。画面には「破竹の勢い! 寺門通の新曲、4週連続1位!」とテロップが踊り、何度も聞かされた曲が大音量で流れている。

「おお、晋助。見てこれ、今週も1位でござるよ〜」
 満足げに頷き、次の衣装をどうするか、デザイン画を前にやり取りする二人は、どう頑張っても過激派攘夷浪士の幹部には見えない。
「やはりたまにはヘビーなテンポでお通殿の影の部分を見せつけるのも大事でござるな」
 その影の部分の着想が、以前にご破算となった紅桜から来ていると知っている高杉は複雑な心境だが、万斉とまた子は気にせずに盛り上がっている。
「最初聞いた時は暗いと思ったんスけどねえ」
「トップアイドルを目指す以上、新たな曲調への挑戦は避けられぬよ。ファンの反応も上々。ほら、最古参の寺門通親衛隊も新しいダンスまで編成してくれたでござる」
 間奏に入ると、一度カメラが観客席に寄り、お揃いの半被を着た集団の一糸乱れぬオタクダンスが映る。その中央で誰よりも大きい声で全体を指揮するのは、どこにでもいそうな眼鏡の隊長だが、さりげなく全体の気配を察し、遅れがちな気配を察すればハンドサインで指示を出す。
「大将とは色々なタイプがいるものでござるな。なかなか目の配り方がうまい」
 万斉がちらりと高杉を見ながら言う。
「おい、何か言いたいことがあるなら言え」
「別に、いつのまにか晋助たちが襲撃に行っていて、家老の首が飛んだことくらい根に持ってないでござるよ」
「その文句ならヅラに言え。―――次は出番だぜ」

 瞬間、二人の気配が変わる。ひりつくような、熱を帯びた何か。

「真選組の沖田を引きずり込みてェ。また子、万斉。二人で沖田以外の奴を足止めしてくれ。―――ただ、殺すなよ」
「え、殺さないんスか?」
 意外な指示にまた子が言う。

「ああ。逆上した沖田じゃ”今は“意味がねえ。素の状態でどれだけイカれてるか見たい」

「……悪食にもほどがあるでござるな」

 己の大将の悪い笑みを見て、万斉が鼻で笑う。皆殺しにしろ、というよりもはるかにたちが悪い。
「お前がそれを言うのか?」
 高杉がさらに悪い笑みを浮かべた。

 

◆ ◆ ◆



 始めは、指先から這い上がるかすかな痺れのような何か。次第にそれは腕全体を飲み込み、上半身へと移ってゆき、重い疼きに変わる。
 疼いていると自覚したのはいつだっただろう。
 腕には鈍い感覚が滞留するのに、視界は冴え、力が漲り、自然に刀に手が伸びそうになる。

 もう少し斬りたい、と、指が、腸が、血が、いや自分の全てが言っている。

「いやー、疲れましたね」
「とっとと一風呂浴びてえなぁ」
 山崎と原田に生返事を返しながら、沖田は一人、脳裏で増え続ける血潮を見る。
 幻のはずだ。任務は無事に終わり、周囲の一番隊と三番隊の隊士たちにも被害はなく、これからは任務終わりの解放された雰囲気で騒ぐ彼らと風呂で汗と返り血を流した後はそのまま飲みに繰り出すことになる―――何一つ変わらないいつもの夜のはずなのだ。
 なのに、どうしてか、血生臭い。


「―――いいねェ、沖田ァ」


「伏せろ!」
 闇にふわりと漂ったそれは、まさしく死そのものに聞こえた。その認識よりも早く、身体が動いた。
 地に伏した瞬間、頭上を銀色に煌めく何かが走る。そして銃声。
「ぐわっ!」
「原田!」
 原田だけではなかった。跳ね起きた時には、針金のような何かに絡めとられた隊士たちが、瞬く間に銃弾に倒れていく。まるで射的の人形のように、あっけなく。

 残ったのは自分一人。仲間のうめき声と血の臭い、じっとりとした湿り気。
 認識したと同時か、少し前に、沖田の頬が奇妙な形にねじれた。それは笑みに似ていた。

「よォ。沖田総悟。いい夜だな」

 声は嗤う。

 一泊遅れて、その男は春宵の底から陽炎のように立ち現れた。圧倒的な静寂と死の匂いを引き連れて。
 春か。いや、浮かれた桜にとどめを刺す春雪、重く、あまりに静かな。
 音の全てが、うめく仲間たちの声も、遠くの歌舞伎町のがやついた声の集合も、すべてが消え、たった一つの声だけが鳴り響く。
 なぜか、恐ろしく澄み渡っていた。

「だが物足りないだろう? お前の菊一文字が泣いている」

 一音が闇を揺らすたび、陽炎が少しずつ実体を帯びていく。
 遠目にも派手な蝶柄の着物。鍔のない刀。にたりと笑う血色の良い口元。澄み渡った双眸。

 ぞっとした。人生で初めて、地獄を閉じ込めた瞳を見た。

 ―――高杉晋助。
 生死問わず。幕府どころか天導衆からも抹殺の命を出されながら、世界中に反逆する攘夷派の筆頭。


「沖田ァ。俺が連れて行ってやるよ。お前の望む深淵に」


 伸ばされた手が、月光で煌めいた。何よりも艶めかしく。



 自分でもこれ以上ないと思う三段突きを、高杉は後ろに下がる動きと首をしならせる動きだけでかわした。そして、その後に見せつけながらゆったりと刀を抜く。

「短気だな」

 話をしよう、と一度逃れた間合いに踏み込みながら、高杉は言う。
 背後で切れかけた電灯が明滅する。その光を背負った男の口元。

 沖田は身を震わせた。ぞわりとしたのか。その正体を自分は知らない。
 分からないまま、沖田は笑う。

「指名手配犯を前にして斬りかからない選択肢があるとでも?」
「微妙に違ェ。―――俺を前にして、だろう」
 ほら、来いと誘われて、足が勝手に動いた。奈落の底へ駆け降りる感覚だった。

 今度は高杉も避けず、正面から刀が合わさる。その時、昏い双眸が目の前にあって、この男が自分とほとんど変わらない体格だと知る。

「沖田。お前は飢えている。テメェの剣を受けるにふさわしい相手に」
「さァ、どうでしょうねェ。今日も今日とて随分斬りやしたよ」
「だが、足りなかっただろう? あっさりと斬れてしまった。お前は物足りなく思って歩いていた。そこに俺が来て、悦んでいる。違うか?」

 返答に代えて手首を返し、瞬時離れる。そのまま姿勢を落とし、突きで首を狙う。
 脳裏には綺麗に飛んだ高杉の首が映った。外れたことのない、その映像。
 だが、高杉は突きの腕をとり、そのまま沖田の身体を投げ飛ばした。
 心底仰天したが、沖田は投げられた勢いに逆らわず、宙でもう一度胴を狙う。それもかわされて目が合った。

 高杉の瞳に映った己と。爛々と、輝かしいものを見るように、またたく瞳と。


 血が湧いた。

 体温が上がり、視界が澄み渡り、指先まで力が巡る。夜が明るく開けた。
 嫌でも悟らざるを得なかった。


 退屈な夜の終わりを告げる男。血の滲む濃霧のにおい。
 ああ、自分は快哉を叫んでいる。

「なあ高杉。その首をくれよ」

 暇で暇で仕方なかったのだ。そんな自分も心底嫌だった。

 近藤が好きだから、彼の志に寄り添いたいはずなのに、誰か困っている奴を護りたいとかいうあの人特有の、信じがたい題目、本当は強烈にあこがれて自分のものにして、その熱ごと、あの人に近づきたいというのに、いくら斬っても斬っても、そんな熱は発生しない。
 彼は、どんなに虫けらのように弱いやつらを斬っても、それによって苦しめられた人たちが救われた、と自分をほめてくれた。

 俺はどうでもよかった。どうでもいい自分が心底嫌だった。
 

 待っていたのだ。ずっと。切望を超えて飢えるように。
 地獄を映す人間に会い、刀を交えることを。
 飛ばした数多の首とは比べ物にならない。


 この男の首を飛ばせば、きっとこの空洞は埋まる。


 覚えず、沖田は本当に笑って、闇夜にぽつんと取り残された薄い月を見た。自分でも驚くほど楽し気な笑い声が漏れた。
「まだこの首はやれねえな。―――だが、俺と来ればお前の渇きを満たすと約束しよう」
 満足そうに沖田の乾いた笑いを聞きながら、高杉は大胆にも刀をおさめ、歓迎の抱擁をするように両手を広げた。いや、どちらかというと、見てみろと言われている気がした。
 口元が笑んでいる。先ほど不穏に笑ったそれは、今、穏やかで、優し気ですらある。先ほど見た冷たい刃の煌めきと死が凝縮した双眸さえなければ、書生のようだ。

「―――イカれてやがらァ」

 狂っている。そう括れたら簡単だろう。
 本来混ざらないものが、高杉という人間に塗りたくられている。狂ってはいないが、正気とも思えない。
「アンタ、その貼り付けた笑いのまま、世界をひっくり返すつもりかィ」
 高杉となぜか目が合う。疲れたように笑っていた。

 その時、高杉から立ち昇った気配が、沖田を貫き、そして何よりも深い後悔だと分かってしまったのは、きっと生涯にわたる失敗だった。この邂逅がどこにつながるにしろ。そして、沖田が理解したと悟ってしまった高杉の方にとっても。

「……そうだよ。馬鹿馬鹿しいがな」
 諦めたように言い、一つ呼吸を置いて、続ける。
 二言目には最初に現れた不吉な男に戻っていた。両手がひらひらと舞う。
「知っての通り、俺たちは攘夷戦争に出て、そして無様に負けた。もう何も戻ってはこない。―――それでも、やるんだ。国を崩して、幕府を、――そして、天をも首をとる。そう決めた」
「なんでそこまでするんですかィ」
「今は言えない。だが、お前にならいつか話したい」
「誑し屋」
 ククッ、と高杉は喉に絡む嫌な笑いをした。
「こんなにも正直に勧誘しているのにか? ―――沖田。お前を誘う条件は二つ。すべてを壊すまで先陣で斬りまくれ」
「……それは退屈とはほど遠そうで。二つ目は」
「全部終わったら、俺の首をやる。望むなら斬り合いをしてもいい。ただ斬りたいのなら刀を捨ててお前の前に立つ。約束する」

 しん、と高杉を中心に、すべての音が消えた。

「ただし、誰にも言うな。特に坂田銀時と桂小太郎だけは絶対にだ。俺は約束を違えるのは好かねぇが、あいつらに知られたら、かばいきれる自信がねぇ」
「……それって、全部終わって、あんたを斬ったら俺はどっちにしろ殺されるんでは」
「天下の一番隊長殿とは思えねぇ弱腰だ」
 安心しろよと続けた声は凪いでいた。高杉の本音が、凪の狭間から漏れ出たかのように、静かだった。
 全部終わったら、俺たちはまとめて地獄に行くから、と。
 沖田はため息をついて、刀を鞘に納めた。

 

◆ ◆ ◆



 その沖田の胸にある携帯端末は、先ほどから一定の時間を空けて鳴り続けている。
 恐ろしい焦燥に身もだえする心臓のように、早く、不規則に。
「沖田君、出ないでしょ。高杉の馬鹿は短気だから、もう死んでるかもしれねえよ」
 虚しく端末を鳴らし続けた土方は舌打ちとともに端末をしまった。


 目の前の男。白夜叉。坂田銀時。


 突然現れ、「今おたくの沖田君、勧誘しようとさ、うちの馬鹿総督が行ってるんだけど」と薄ら笑いを浮かべた、この男。
「えーと、土方君も来ない?」
 あちらこちらにもっさりと広がった髪をぽりぽりと掻きながら――しかも利き手で――坂田銀時は、にへらと締まりのない笑いをした。
「あぁ?……どういう意味だ」
「陰険な土方君は裏を読むのに必死っぽいけど、そのままだぜ。あんたは、喧嘩師らしい。喧嘩なら俺たちのほうが、盛大で、世の中ひっくり返すような一世一代の喧嘩をやる。こっちのほうが楽しくない?ってこと」
 なんだっけな、と思い出しながら銀時の口から言葉が続く。
「三食昼寝付き。おやつはヅ、桂の機嫌次第。獲物は刀から銃、重火器、戦艦、宇宙船まで何でもある。遠大な喧嘩の舞台。飛ばす首も豪華絢爛、幕府の重鎮から天人、―――いずれは将軍、そして天。まあ、メンバーは頭のおかしいやつばっかりだけど、退屈だけは程遠いよ」

 両手を上げ、薄ら笑いを浮かべながら、謡うように、坂田銀時は滔々と語る。

「頭のおかしいやつの筆頭がよく言うな」
「失礼すぎねぇ? 俺なんざ一番まともだよ。―――それに」

 それは立ち話をするとき、少し動くだけの仕草に見えた。神経だけが動き、抜いた刀を飛ばされる。瞬きよりも早く、鈍く光る刀が首にかざされていた。

「それに、たぶん、沖田君はこっち来るよ? あの子、俺たちと同じだし」
 坂田銀時は一振りで首を飛ばせるというのに、何事もなかったように会話を続けている。

 土方は直感した。この男は、会話に飽きたら直ぐに斬る。
「……総悟は、頭はカラだが、お前たちのところへ堕ちたりしねえよ」

「近藤がいるから」

 喉が詰まった。突然灼熱の石でも投げこまれたかのように、血が上った。
 坂田銀時が嗤う。全てを見透かすように。

 そう。まさに彼がいるから、なのだ。
 沖田総悟という危うい天才が踏みとどまっているのは。

「うーん、そうだな。沖田君は腕前を見てるけど、鬼の副長殿の技は見てねえな。……そうだ。こっちに来る時の条件としてさ、近藤の首、持ってきてくれない? それで沖田は必ず化ける。桂の見立てじゃ、あんたも八割は化ける。沖田君に真っ先に殺されるかもしんないけど、その時は、あんたの人生で一番の喧嘩の末だ。喧嘩師冥利ってもんだろ」
「……お前、それでも勧誘するつもりあんのか」
「あ、ばれた?」
 坂田銀時は気怠く笑い、あろうことか剣を下した。
「まあ、ぶっちゃけると、桂はあんたを買ってるけど、俺は嫌いなんだよね」
「奇遇だな。俺も大嫌いだ」
 刀の軌道を予測しながら、一気に間合いの外に跳ぶ。追いかけてくる殺気すらなかった。
「土方君に大嫌いとか言われるとムカつくんですけど。俺の嫌いの方が確実にでかいから。首落とすだけじゃ足りないくらい」
 不思議だった。
 白夜叉。不倶戴天の敵。それなのに、この男に「ムカつく」だの「嫌い」だの「髪の毛が爆発してほしい」だのくだらないことばかりが浮かび、そして相手もそう思っていることが、なぜか“分かる”。

 だから分かった。

「もうさ、土方君と話すのだるいから、沖田君とバカを見に行こうぜ。面白きこともなき世を面白く、ってな」
「センスないな、お前」
「あ、高杉に言ってやろ。一発でその首おさらばだね。一撃くらい耐えて、うわさに聞く、副長さんのセンス皆無の俳句くらい詠んでほしいけどさ」

 この提案を断る道などすでにない。断れば、ただ、この男は飽きて、斬り、それで終わりなのだ。





「あんた、最高だ」

 瞬きすら許されない程のわずかな間に、死ぬ、と高杉ははっきりと自覚した。  その一撃をかわせたのは、高杉自身も分からぬ僥倖だった。伸ばした手。一切の油断はなかった。

 沖田総悟の、心の底から嬉しそうな、赤ん坊のような、幸せそのものの笑顔!

「そんなに待てねえ。今すぐ、あんたの首が欲しい」

 甘い、柔らかな、声。輝きに満ちた目。そこには希望のような、星の光のような、すべてをなげうってもいいものに出会った無上の喜びがあった。
 三段突きをかわしながら、慌てて下がる。だが、確実に間合いを取ったと思った瞬間に、沖田の顔が目の前にあった。
 首を串刺しにする突きを反射的にかわしたが、一枚皮を持っていかれた。なぜか、鈍く光る血だけがゆっくりと動いていく。双方間合いを取った。

「やるねえ。高杉」
「テメェもな、沖田」
 返したが、高杉は次の一撃をかわすイメージは持てなかった。

 だから言葉を続けたのも何も考えないままで、時間稼ぎなのか、死ぬ前にこの悪鬼ともう少し話したいと思ったのかも分からない。

「ところで、沖田。お前、土方は好きか」
 きょとん、とした沖田の顔は恐ろしいことに年相応に幼い。
「大嫌いですけど。毎日俺が直々に暗殺してやってるのに、死にやがらねえ」
「……へぇ、仲がよろしいことだな」

 高杉は足を引いて、わざと構えた。型はまっすぐ、そう決めている。
「土方さんごときで俺の動揺を誘えると思うなんて、ちいと余計ですねィ」
 沖田の覇気が充満し、頬を打った。熱量を帯びていた刀が、斬られつくした斬撃の後が、秋の夜長のようにじりじりと冷え、静まっていく。

「―――土方は今頃白夜叉が殺しているさ。奴の嫌いなタイプだからな」
「奴?」

 刃は正面で弾けた。高杉は内心安堵した。
 受けられた。沖田は確実に動揺している。

「白夜叉。俺がお前の勧誘に、あいつが土方の勧誘に行っている」
「……土方さんはアンタらと違う」
 沖田の体重が見事に刀に乗り、じわりと押され始める。

「俺もそう思うぜ。土方は運が悪かった。桂に気に入られた。あの野郎の試しは狂気の沙汰だ。銀時を向かわせ、生き残れば、本腰を入れて勧誘する。……不運だよ」

 高杉はほとんど目の前にまで迫った刀越しに、囁いた。
 可哀そうな土方。そんな気まぐれで死ななければならない。


 ほんの一瞬。沖田も認識しなかったかもしれないわずかの間。
 沖田の腕は不自然に強張った。

 押し戻せる。足を踏み出し、手首を返す。思い通りに刀が付いてきた。
 死なない程度に斬ろう。ひと月も手当てをすればその間にこいつは落ちるだろう。
 高杉は確信した。刀を押し戻し、隙ができた腹に飛び込む。


「総悟!」


 その声が聞こえた瞬間、全身に鳥肌が立った。
 何もわからないまま、体が先に反応する。あらんかぎりの力で後ろに飛ぶ中で、視界の片隅に、土方と――銀時が見えた。

 煌めく刃が、蛇のように、あり得ない軌道で迫る。


 化けやがった!


 考えられたのはそれだけだった。
 腹の貫通を狙った一撃目を避けられた僥倖をもってしても、脇腹は斬られた。浅くはない。
 沖田の空洞の目が、血しぶきの軌道をぼんやりと眺めている。
 足払い。飛んで避けた。着地した瞬間、どこから現れたのかも分からない軌跡に太ももを薙がれた。飛ぶのがあと一瞬でも近かったら、確実に足を落とされていた。

 ああ。見なくても分かる。
 沖田は、虚ろな目のまま、誰にも真似できない、この世で一番美しい三段突きを構えている。
 かわせない。

 本当に、その一瞬で、走馬灯が流れた。河原に打ち捨てられた仲間たちの首、溶けるように欠けていくとも知らなかった頃の円陣、一人一人の死に際、焦げた死体、親に知らせる手紙の書き出し、―――「やめてくれ、高杉」―――その声を聞きながら、斬った先生の首。


 死ねない。
 だが、死ぬ。


 死ねない。銀時の前で。
 こいつに先生の仇を討たせてやるその日まで、死ねないのに。

「あんたのことは生涯忘れねえ」

 憧憬と熱に満ちた、沖田の目。
 ああ、俺は死ぬが、こいつは堕ちた。それで許されるのか。


「許されねえよ、高杉」


 なぜその声と刀が、間に合っていたのか、分からない。

 沖田が首に触れる寸前であった三段突きを、信じられない速度で、背後に回した。
 首筋をめがけて投げられた刀がはじかれ、高杉の頬をかすって、背後の壁に突き刺さる。
 そこまで視認できた時には、横に爆笑している銀時がいた。

「高杉くーん! あんな自信満々に作戦たてといて、普通に殺されかかってるってどういうこと? ださくない? 恥ずかしくない? 俺ならしばらく部屋から出れねーわ」
 睨みつけると、その目は炯々と燃えている。

 これは駄目だ。銀時がこの目になった時は、もうどうしようもない。
 見ると、沖田は通常の間合いの二倍を取り、土方の横に構えている。

 ああ、こっちも駄目だ。この馬鹿が土方なんぞ連れてきたから、護るものを思い出させてしまった。

「万斉、また子」

 高杉がつぶやいた瞬間、天井から銃弾と弦の煙幕が張られた。肩を引きずり上げられる。土方は何か叫んでいたが、沖田はまたあの赤子のような輝きに満ちた顔で手を振っていた。
 最悪だ。横の男の顔は、正直見たくない。
 だが、首をへし折る勢いで、そちらを向かされた。

「もう一度言うぜ。―――死んで、逃げられると思うなよ」

 友の、残された隻眼が、そう高杉を断罪する。

 

◆ ◆ ◆



「なんだ一体、貴様らは生傷ばっかり増やしてきおって!」
「今回増やしたのは高杉だけだろうが」
「前段もまとめてだ」
 ほとんど引きずられながら、また子に泣かれ、万斉に説教をされ、銀時が嗤い続けるという最悪な道中を経て戻ると、桂が仁王立ちで待っていた。
 手にはしっかりと救急用具があるのはありがたいが、心の底から黒子野がよかった。

「……なるほど。沖田は厄介すぎる。むしろ幕府内に置いておくべきだろう」
 一通りの話を聞き、「お前ら馬鹿二人以外に気狂いだと思ったのは久しぶりだ」という自分のことを棚に上げた嫌味を言った後、桂はそう断言した。
「このままにしておくのかよ。俺の髪とついでに高杉くんの仇だぜ。明日にでもバッサリ斬ってきてやろうかと思ってたのに」
「なんで俺がテメーの天パより下なんだよ」
「いいや。斬るのは早い。……正確に言えば、“もったいない”。この高杉を慄かせた不安定さと化け物じみた腕前だ。そんなものが一人で立てるか? 必ず奴は誰かに依存し、正常の世界に紙一重で存在している。つまりは近藤、土方だな。―――だが」
 桂の口元が薄く歪み、双眸が酷薄に光る。
 その悪鬼そのものの顔は、仲間内でも桂は二人以外には決して見せない。そしてそれが出るのは、彼が水面下で編み込んだ罠が完成した時だけだ。


「幕府が、真選組を潰したらどうだろう。警察組織は一つで良い、と」
 糸は一本、つながったさ。
 桂はうっそりと笑ってそう言った。




 その後駆けつけてきた手当部隊に捕まった高杉を置いてそのまま足早に出て行った桂に追いついたのは、拠点を出てしばらく歩く河原だった。桂の速足は、走っているわけでもないのに異様に速い。
 桂は黒々とした水面を見つめながら、立ち止まっている。つまりここが、誰にも聞かれない場所ということだ。

「―――何考えてやがる、桂」

 銀時が問う。自分でも意外なほど、平坦な声だった。
「どこぞの無鉄砲二人組が失敗したからな。その続きに決まっているだろう」
「俺は、あいつらを引き込もうなんざ二度と思わないけど」


 あの時。
 無我夢中で沖田に刀を投げたあの時。


 過ぎ去ったのは高杉ではなく、自分の走馬灯だった。落ちる高杉の首が見えた。
 完全な死の軌跡。

 防げるイメージはなかった。単に、高杉の運にすぎない。
 銀時にはそれが嫌というほど分かっていた。

 だから。
 あれを見た以上、沖田は必ず殺すと決めた。


「―――なあ、銀時。貴様、何か勘違いをしているだろう」
 鯉口を斬った瞬間、桂の、すべての表情が消えた顔が目の前にあった。

「俺が、あの馬鹿を殺されかけて、黙って見ていると思ったか?」
 水音が、木々のざわめきが、すべて消え、銀時の耳には歌うような桂の囁きだけが残る。
「見廻組局長。佐々木異三郎。―――知っているな。手を組んである」
「は? いつ?」
「今日、お前らが土方と沖田を引き付けている間だ。普段佐々木に張り付いている監察も沖田の方にいたからな。がら空きだ。しかも、奴の家の警備は休暇中だった」
 待ち構えていた佐々木。手を出す桂。その情景が、脳裏で爆ぜる。
「幕府の由緒正しい家柄の佐々木が耳打ちし、真選組がやり玉に挙がった時、近藤は隊士たちを護るために進んで死ぬだろう。さあ、土方と沖田はどうなるかな」


 からからと満足そうに笑う桂。
 昔はこんな笑い方をしなかった、と去来するのは悲しさだ。
 銀時は目を閉じた。問うても仕方のない問い。幾度しただろう。


 先生。
 俺たちはどこで間違った。
 あんたを護れず、高杉の心を護れず、相変わらず三人で支えられる距離にいるはずなのに、知らない顔だけが増えていく。

 桂の横顔。
 先生。

 彼はこんなに濁ってはいなかった。


「あいつらは埋め火だ。道具として踏みにじられ、燃え上がらなければ、首になるだけ。燃え上がればその時は―――天まで届く火柱になるかもしれない」


 そこまで言って、桂は口元に指をあてた。高杉には聞かせない。
 それは、ここに誘われた時に分かっていた。

 高杉は殺されかけようが、沖田を手に入れて国を崩すつもりだろう。
 その沖田も正面の戦力として使う。幕府の抱える警察組織で随一の腕の沖田が拠れば、続く者は確実に出る。
 ある意味の、先生に顔向けできる、正面からの仇討ち。
 高杉は、先生を斬ったからこそ、正攻法から出られない。


「これは、貴様と俺の秘密だ。―――分かるな」


 分かるよ。
 銀時は微笑んだ。


「やめてくれ、高杉」


 無力な懇願。ただただ、彼に懇願し、罪を背負わせただけの、役立たずの二人。
 その消えない、咎。


 同罪の俺たち。


「仕方ねえな。さっさと叩き斬ってくるかと思ってたけど、ヅラに免じて保留にしておいてやるよ」
「ヅラじゃない桂だ。人が頑張った策謀に対して、なんて態度だ」
「というか、今気が付いたけど、お前、俺たち囮にするのこの一か月で二回目じゃね」
「人聞きの悪いことを言うな。大事な仲間を囮にするわけがない。……なんというか、たまたまお前たちが暴れるタイミングに用事が重なったというか」
「へぇ」
「あ! 大きい花火の横で、風流に線香花火を楽しんだというか」
「もっと簡潔に言え」
「……いいのがあった。烏を引き付ける案山子だ! あれだ」
 銀時は無言で拳を振るったが、正面から受けられる。そして、ゆっくりと縋るように桂の手に力が入った。

 蒼白な顔。縋る手は、震え続けていた。




 
 鬼火。―――あるいは惑わせ火という。
 それは青白くたゆたう燐光とも、橙に焼け付く光とも、ただ闇の中に一点だけ浮かぶ白い光とも言われるが、共通していることは、それは人を誘うということだ。先の見えない焔の底へ。黄昏の淵へ。あるいは闇夜の帳へ。
 微笑みに似た、惨たらしく、美しい軌跡とともに。