春風と死 足が汗ばんできた。 ひんやりと冷たかった板の間も、所構わぬ踏みしめてしまい、冷ややかさを失っている。いや、それよりも更に嫌だ。なんだかべたべたするし、温い。板の間は少しずつ濡れていく。 立ち位置から円心上に視界を廻らせれば、不規則に床に刺さるクナイと手裏剣。そのなかのいくつかに、もしくは周囲に少しずつ飛び散る血痕を見ることが出来るだろう。 ネジの視界はなかった。正真正銘の闇だ。 だから異常とも呼べる部屋に自分が立っていること、足をもつれさせるたびに傷つけられ静かに血が流れる自分の足も、基本を殴り捨てた飛び道具の絵画も、何も見えていない。 「―――はっ!」 覇気のない掛け声は不完全に父のものを模倣した成果だった。 ニ、三度中空を探り、足元に捨て置かれていたクナイを五本投げる。一つは正面の壁に突き刺さり、また一つは右方向にあったクナイとぶつかり地に落ちる。三本、四本、五本……ついに最後の一つは力を失い、足元十センチの場所。 どかす事も無視することもしない。ネジはそれの位置を知らぬまま、構える。 小さな体を精一杯使い、ぎざぎざの弧を描く。 回す足に先ほどのクナイが一瞬触れ、別れていく。 右腕が鋭く前に突き出され、軸の足に体重をかける。 左足は一気に空間を渡り、細い血の糸を巻きながら蹴りの形を取る。左を下ろすと同時に、体を浮かせ、右足を振り下ろす。 自然に構え直せば、右手と左手は交わり、足は大地踏みしめる。"流れ"だ。 父上、今の流れはどうですか。 もう一度いこう、と思う。 手近な飛び道具を使い切ってしまったので、仕方がなく手探りで一本だけ拾う。 左足を下げ、重心を低く構えなおす。父の指導に乗っ取り、ネジの見えない目は正面の敵を見据えた。 流れるように、小さく呟き、そのまま突進する。 そう言えば昨日はここに余裕がないと注意された。スピードは落とさず、しかし緩やかに体を傾がせ、攻撃。ざくりと壁に突き刺さった音を聞き倒立の形を取りながら、クナイを避けた幻の敵の顎を蹴り上げ、ネジも宙に舞う。 流れ的には次は逆位からの突きによる柔拳か、体勢によっては蹴りだ。―――蹴ろう。 小さく後転し、腹を狙った蹴りを振り落とす。刹那。 「……うわっ」 ネジの体勢が右よりに崩れた。かろうじて受身を取る。 もし、視界が開けていたならばネジは左足を大きく庇っただろう。衝撃を吸収した際に反動で振り下ろされた左足にほんの少し重なる位置にはこの流れの先発であるクナイが刺さっているのだから。 脳天まで痺れるほどの激痛が駆け抜けた。 加速度による摩擦とクナイは手を取り合い、膝下を二十センチほど深く切り裂いた。 ああ、濡れてたのは、ぼくの血だったのか。 後ろに倒れこみ仰向けになると、先ほどまでは聞こえなかった心音が聞こえる。 耳を澄ませれば今の傷から流れ出る血の音までも聞こえるだろう。耳を澄ませ、"それ"が克明に聞こえる事に絶望した。この心音が止まらぬ限り、盲目から抜け出る事は出来ない。 父は言った。 死は恐ろしくない、忍である限り長生きなど望んだことはないと。 忍は自分のために戦うのではなく、他人のために戦い散っていくものだ。 確かに分家は宗家の影。しかし、宗家であろうとも"隠れ里"に属する事は外の世界から見れば等しく影の存在なのだ。 一体影の影は何に命を賭けることが許されるのだろう。 この心音が止まる瞬間は白眼をなくし、盲目となる瞬間だと言う。 ならば、今なお外を見ることが敵わない盲目の鳥は、これ以上何処に行けると言うのだろう。 ネジは盲目の連鎖にはまるな。 "才"ということを知ってるか。才は血に宿るものでも、宗家に宿るものでもない。 それは何かを変える力。どうなろうとも、足掻ける力。お前は外の世界に出て行けるかもしれない。 ……息子よ。いい人生を送れよ。 「……ぼくには、無理です…………っ、」 いっそ、盲目になりたいと思っていた。 もしかして、この白眼が消えてなくなればこの痛みから逃れる事が出来るのではないかと思った。 圧迫するように外界との境界線とした包帯がじっとりと湿る。汗であろうか。いや。 ネジは気持ち悪くなり包帯を掻き毟る。じわじわ、生暖かいものが流れる。さっきから技のキレがなかったのは全く持ってこれのせいじゃないか。 流してはいけないものが流れている。慌てて、きつく結びなおす。 一寸の光も通さなければいい。自分で眼を突く勇気はない臆病者に、他の人に与えられる憐れみの最後の一欠けらでも分けて欲しい。 髪が血を吸っている。鮮明に、髪から脳まで血が逆流しているのがわかった。 纏わりつく血の匂い。やはり日向の血脈は醜くて汚いのだ。だってこんなにも死臭に塗れている。 「ぼくから離れろ!」 クナイでネジはその根源を突き刺す。 流したままの黒髪の中腹を三回刺す。離れろ、今血の悪魔を殺してしまわなくてはならない。 口から吐息のようなものが漏れた。 悲鳴であり、泣き声であり、嗤いでもあった。何もかもが、無理だ。 父上。変える力に、あなたが守って死んだ白眼を滅ぼすのは入っていますか。 ひたり。生温かった床に置かれた冷たい足で床が冷えた。 同時に、包帯から滑り落ちたもので床は海になった。冷えれば海くらい出来る。 "誰か"の足取りはおどおどしく、自信喪失が歩いているかのようだ。攻撃しようとも思わぬほどに。 小さな足が少しずつ黒い世界に白い足跡をつけて近づいてくる。 頬にひんやりとした手が触れた。湿り気をその手は凍らせる。 思わず掴んだ手は、自分よりも少しだけ細く弱い。起き上がってもう片方の手に触れるも、力を加える事は出来なかった。所詮、ネジは感覚を失えないから。 春風のような声はネジの所に届くまでに冷気に切り裂かれ、掠れていた。 「死んじゃ、駄目……だよ」 お前は死ぬな。お前は一族の誰よりも日向の才に愛された男だ。 「…………ぼくのセリフだ」 ネジは春風にすがりつき、ひたすらに泣いた。 END アトガキ ―――――――――――――――――――――――――――――――― ヒザシ様が死んじゃってから、毎日泣きながら修業したと思うのです。 結構好きです。仔ネジが可愛くて可愛くて、おかしくなりそうだ。 ↓ 以下、激長私的ネジとヒナタ語り。暇な人だけどうぞ。 ネジが北風ならヒナタは春風。でも、その逆にもなりえる。 ネジヒナを一つ一つ紐解くと、憎んでいるとか苦手に思っているとか、それとも可愛そうに思っているとかを通り越して、根底に眠っているのは相手に対する強烈な憧れと劣等感なわけです。 ヒナタは立ち上がれて日向を堂々と憎む事が出来るネジの強さがとても羨ましい。自分はただどうしようもなく流されて、劣等感に殺されそうになるだけなのにと泣きたくなる。 ネジは宗家の泥沼の中にいながら優しさを保っているヒナタが眩しい。精神のよりどころが憎しみにしかない自分に比べ、ヒナタは光の中にいるように見える。 だからヒナタはネジが恐ろしく、ネジはヒナタに苛つくのです。 それでもネジが誰を守りたかったかといえば、ヒナタを守れる自分になりたかったわけです。最終的には置いていかれてしまうと分かっていて、決して恋愛にはならないのに、どうしてかヒナタを守りたかった。 ヒナタが誰に甘えたかったかといえば、ナルトでもハナビでもなく、ネジであって。震える手で自分を引っ張っていって欲しい、ネジの強さに焦がれている状況。 ネジはヒナタの歩みが早すぎて着いていけない。ヒナタは過去に引き摺り戻されるのが怖くて前しか見ないから、ネジがいなくなっているのに気がつかない。 ある側面では、ネジはヒナタとはぐれ、必死に前に向かって走る。倒れるまでひたすらに走っても追いつけない。でもヒナタは後ろにいるのです。涙で前が見えなくなった瞬間、ネジが走っていってしまう。 最終的にはどうしても同じと頃へは行けない二人。 精神的には運命共同体であるからこそ、手を伸ばしてもすり抜けてしまう感じ。 ほんと、ネジヒナすごい萌えだ(これは恋愛とは言いません) ちなみに何の関係もないけど、これ小野不由美著「十二国記」に当てはめると絶叫します。 ヒナタが王、ネジが麒麟。是非読んで!面白いから! 麒麟はとっくに王を知っていても、相手が崇高すぎて、かつ劣等感で凝り固まってるから悔しくて、本能に逆らってまで腰を折れない。 「御前を離れず、勅命に背かず、忠誠を誓うと誓約する」と言う時、麒麟は何を思うのか。 ここまで読んでくれた暇人さん、ありがとうでした。 |