満天の星が煌いている。宇宙を飛ぶ者がそんな文学的な感傷に浸ることはあまりない。宇宙への旅口は、よく密航してくるような指名手配犯達を除けば、メタリックで無機質な物体を積み上げたターミナル唯一つ。ターミナルを通過すれば、視界に広がるのはひたすらな闇。星の輝きはない。

しかしながらその闇は完全な黒ではなく、この世に存在する全ての色を含めた結果偶然に闇色に似ているものになった、という表現が正しいような感じだ。だからこそ坂本は宇宙を愛しているのかもしれない。その、全ての色に束縛されながらも自らの色を失わない宇宙という存在を。



「陸ー奥」

ぼんやりととりとめもない思考に耽っていた陸奥は、横合いからの能天気な声に我に返った。
「なんじゃ。出航前に社長がそんな間抜け面晒しとる暇はないはずじゃが」
「アッハッハー!わしの顔は可愛い女子のために、常にチャーミングな状態じゃき!」
「その台詞はおりょうちゃんに張られた頬を直してから言え」
大事な出航前に大量のアルコールを摂取した馬鹿など相手にしていられない。
坂本はわざわざ出航手続きなどしないから関係ないといえばないのだが、ただでさえ最近はターミナル管制がうるさくなっているのだから気を使って欲しいものだ。
手続きに必要な書類を打ち込みながら、陸奥はさりげなく――しかし最重要な事柄を口にした。

「ところで、高杉はバレない適当なところに放り出したんじゃろうな」

(……なるほど、)

言葉に昇華して納得した。どうも今日は自分に似合わぬ感傷が多いと思ったら、あの男の残滓が船の中を流れているからか。こんな気持ちの悪い表現ばかりが浮かんでくるのに、頭を掻き毟りたくなってくる。
「心配いらんぜよ。なんか迎えがくるとかゆーちょったし」
いい加減あの世からの迎え的なものに迎えられればいいのに、そう陸奥は静かに思った。
「陸奥はしょうえいのー。本当に高杉が天に召されたら、号泣するくせにの」
間髪を入れず坂本が笑った。あの馬鹿に気持ち悪いくらい綺麗な表現を使っちゃった、と付け加えて。

坂本が発した言葉の意味を一つ一つ飲み下したら、最悪に不味い味が口一杯に広がって吐きそうになった。
吐き気をこらえて言い返そうとしたら、喉元にあった何かが浮かび上がった否定を飲み込んでしまい、陸奥は舌打ちをしてそっぽを向いた。坂本は笑わなかったが、その気遣い――いや疑問すら浮かばぬほど当然と思っている態度が更に陸奥の苛立ちを強める。


この手の話題の時、それも致命的な事柄についてだけ、決して嘘を吐けない自分が嫌いだ。坂本に嘘をつけないことは、とうの昔に諦めた。だが陸奥は高杉にも嘘がつけない。

では完全に真実しか話さないのかと言われれば、それこそ嘘になる。真実をどこかに置き忘れてきたあの男相手には到底不可能な話だし、無意味極まりない。常に細やかな嘘、いや戯言を散りばめて、ようやく浮世に相応しい会話が成り立つ。ああ思い出した。高杉だけでなく、桂にも坂田にも嘘を見破られるのだった。



珍しく坂本が出航書類にサインを始めてくれたので、手持ち無沙汰に高杉が天に召されたら自分は果たして泣くかという、本当にくだらない脳内議論を始めてみる。

心なしか視界がぶれて、饐えたパイプの匂いが鼻腔をくすぐった気がする。高杉が倒れていた。本当は死んでいるべきなのだが、彼はただ倒れているというのが正しい。
かつて陸奥の腰に回された腕は地面にべっとりと張り付き、常に人を小馬鹿にした笑みが乗っていた唇は引き結ばれ、人を果てない不安に陥れる瞳は瞼に隠されている。だらしなく身体に引っ掛けられていた着物は凍りついたように一つの皺もなく彼の身体に張り付き、病的な肌の色は赤みを取り戻している。

坂本!と悲鳴を上げそうになって、陸奥は声も出ず手も動かせないことに気がついた。
高杉は人を人形にする。だが人形の身体をした人間は諦めず、自らを唯一預け得る男の名を必死になって叫んだ。坂本!坂本!高杉は死んでない!


その声に呼応するかのように、心象風景に坂本が現れた。不可解な、しかしながら当然の結果として桂と坂田も一緒だ。
そして三人が全く同じ行動をした。今度は陸奥を驚かせない。予想済みだった。
彼らは倒れた高杉を抱き上げ、愛おしさの篭る声で名を呼び、抱きしめた。偶然倒れる役回りに当たった高杉を中心に、坂本の腕が桂を抱き、桂の腕が坂田を抱き、坂田の腕が坂本を抱き、一つの生命体が出来た。

ああ、ほんの少し坂本は泣かないかもしれないと期待したのだが、彼もあちらに行ってしまった。その事実を生きている限り決して認めたくない陸奥自身の深層心理が認めてしまっているのだから世話はない。そもそも、あの生命体の母は自分だ。

永遠の静謐に身を浸した高杉のただ動かない身体から、全員に等しく永遠が染み渡り、静寂が訪れた。陸奥はそれを見ている。悲しく悔しいことに、納得して見ている。
彼らの根源はあれだ。ただ、彼らが抱き合って友情の名の下に幸福を相補強しあうのは、深い静謐の中だけというだけだ。

ふと触れてみようか、と思った。躍動する現実を、自分の手から彼らに注ぎ込んで、無音の夢から醒ましてやろうか。
………坂本、分かった。私が泣くのはこの時だ。
どうして自分が涙を流さなければならないのか分からないが、彼らの均衡が崩れた時、自分は間違いなく号泣するだろう。
桂と高杉の哄笑を聞きながら、坂田の諦観を眺めながら、坂本の足が動くのを嘆くのだ。そちらに行ってはいけないのに。


坂本は溢れる生命力で陸奥を生かす。同時に彼なしでは生きられなくさせる。
高杉は毒々しい蝋で彼女を人形にする。残念ながら、自分には坂田のように逃げ続ける力はない。
桂はさしずめ人形遣い。高杉が作った幾多の人形に操り糸を絡ませる。
糸は彼らが言う過去の色をしている。陸奥はその色が松下村塾に限定された色をしていればいいのにと願うが、そんなことはあるはずもない。それには戦禍に咲いた青春がこびりついている。




陸奥の視線がさ迷い、通信回線に向けて腹の立つ笑い声を発している坂本の背に収斂される。どうせおりょうちゃんに会いに行った時にでも事故を起して万事屋にでも突っ込んだのだろう。
正直ぶん殴りたいが、それでも坂本の背は好きだ。無条件に安心する。常に大義という名の前を見る背は、過去に囚われたりはしないと無言のうちに明言してくれる。

「陸奥ー!ちゃーんと、事故の調書も書いたし金時に修理費払ってぶん殴られたのに、真撰組の多串君が厳重注意五月蝿いんじゃ。せっかく出航許可が出たき、ケリつけちょくれー」
「いい加減事故起す暇があれば、その空の頭に何かつめろ毛玉」
「アッハッハ、ごめんちゃ!」

とりあえず通り抜きざまに笑い続ける阿呆に肘鉄を入れてから、通信に向き直る。陸奥は深い溜息をついた。
結局、全員が好き勝手行動して人に面倒事を押し付ける。信頼という残酷な言葉をもって。
真撰組がわざわざ坂本の交通事故の為に通信してくるはずはない、と坂本も分かっている。空港に出入りする人数は馬鹿に出来ない。近辺でまた高杉が目撃されたのだろう。奴の場合、それも世を嘲笑う手段として計算しているのかもしれないが。
とっとと酒を抜いて来い、と手で合図し陸奥は極力冷静な声をもって通話を始めた。


最近は――いや最近になってようやく、というべきか――幕府は坂本を疑っている。たかが交通事故の連発(無論社会的に許されることではないが、被害者が今のところ桂と万事屋に限られているから容認されている)で、真撰組副長が直々に通信してくるのがその証拠だ。
もっとも幕府及び天人は完全に攘夷志士達を侮っているので、追求は執拗ではない。恐らく坂田に対するものと同程度だろう。坂本の船が来ると三回に一回ほどの確率で高杉なり桂なりが現れる、陸奥に言わせれば十分すぎる事柄にも注意に留めている。馬鹿馬鹿しい。だから人形師と人形遣いが涼しい顔で我々の魂にむしゃぶりつくのだ。

半分怒鳴っている土方の声――彼は、最も追及が激しい者の一人だ。さすがの洞察だと思う――に感情の篭らぬ声で応答する。放っておいても、いつもの通り局長殿の仲裁が入るだろう。








ぐん、と重い艦隊が宙に浮き始める。再びかすかな思念の波に囚われていた陸奥は不覚にもバランスを崩し、そのかしがった肩をいつ隣に戻ってきていたのか坂本が支えた。
「何考えてた?」
馬鹿馬鹿しい思考を隠そうか一瞬迷ったが、既に目にはその紙が焼きついていたので諦める。

「おまんらが、移民星に行ったらどうなるか、じゃ」
「ああ、晋助が怒っちょった奴か」

今、ターミナル近辺の至る所に移民星のビラが貼られている。今なら家族単位も可能、楽園への移住、費用は全て幕府が支給、とこんな感じだったろうか。
天の川の屑星を移住可能型に改造した上で、人間を移住させて人口を減らしていこうという天人の思惑が簡単に読める。たいした環境でないことも一目瞭然であろうのに、移住希望者は後を絶たないらしいが。


先ほどまでヤケ飲みをしていた高杉は、目をぎらつかせて怒りを坂本と陸奥にぶつけた。坂本はこれは何を言っても無駄じゃ、早く逃げんとヅラまで来よる、とそつなく応対し、その間に陸奥は高杉の正気に恐怖した。

しばらく前までは奴は慢性的に狂気の中にあり、ふとした拍子に正気に戻っているのだと思っていた。
しかし彼は完全に正気だ。鋭敏な感覚で真の狙いを読み、ここまで人心が天人の下に慣れてきているでは俺達は何だ、と激怒した。どうして今まで気がつかなかったのだろう。狂人の振り、不愉快にもわかってしまった―――ただの人では去った鬼は帰らない。

「この際思い切って行ってみい」

本当は狂ってしまいたかった男の残した辛い香りが、いつも以上に想像力を刺激する。彼らがもはや失ったに違いないそれを陸奥は初めて誇った。人間が持つ一番手軽な自慰行為を失うとはどういう世界に生きることなのか、たいした興味は湧かないけれど。



剥き出しの大地。中央に申し訳程度の建物と水。一年で綺麗に死に絶えられるだろう。きっと高杉と桂に一服盛って搬送するのは自分の役目だ。もちろん斬られるだろうから、二度と姿など見せない。坂田は坂本がなんとなく説得出来そうだ。
高杉と桂が茫漠たる宇宙の中で久方ぶりに泣き叫ぶ。桂には悪いが、多少愉快だ。絶望に打ちひしがれる二人を、残りの二人が慈愛をもって抱きしめる。不毛である。彼らは夢にまで見るほど望んだであろう、再び同じ場所に帰る偉業を成し遂げた。
星の中央に三本の刀と一つの拳銃が埋まる。彼らの墓標だ。振り返らずに、家に帰る。きっかり一年分を詰めた酒と食事で、時間を気にせず立場を気にせず、ただひたすら友として酒宴をもって大騒ぎをする。高杉と桂は泣かなくなった。彼らは歪みを忘れる、痛みを忘れる、地球を忘れる。そして腐敗した幸福に死ぬ。優しく不毛である。



「そんなむさくるしい環境は受け付けられんき。不毛の極みじゃ!」
「そうじゃな、不毛じゃ。そのうえキモい」
「キモいな」


ターミナルから宇宙空間に出る衝撃が艦隊に伝わり、二人は会話を中断して手すりにつかまった。
坂本が目を細める。坂本はこの一瞬が好きなのだ。地球からのあらゆる柵(それは概ね重力と言う言葉で誤魔化される)が乱暴に取り払われて、体が徐々に軽くなっていく。自由なのだと思うと同時に、纏わりついていた何かの欠落が寂しくなって、また彼は故郷の星に戻る。



そんな顔をするから、解放と断絶の恐怖が均衡的に溶け合った表情をするから、あんな馬鹿な思考が出てきてしまうのだよ、坂本。
彼らを捨てきれないなら、全部抱き込んでしまえばいいのに。かつて陸奥の腕を掴んだ時のように。
彼は太陽に似ている男でなければならない。彼らが映す影を焼き、ぎらついた光にでもしてしまえばいいのに。




そしてそこに陸奥はいない。







でもどうか、いっそ互いに膿合うくらいなら抱き合ってしまえばいい。ある意味彼らだけが救われている現在が、救いという美しい言葉で破綻でもしない限り、自分はこうして人から脱落させられたまま、彼らに憧憬と畏れと憐れみを感じて不毛に硬直させられたままなのだ。




                                   移  民  星  に  逃  が  し  て




しょうえい→おもしろい
快援隊にはちゃんと艦隊操縦士がいるので、坂本は飲酒運転ではありませんよー 
運転する時はさすがに飲みません。気分です。
普段の自分の機体には酒なしで乗るけどよく事故る。