銀時は居るか?そう一番礼儀正しく聞くのはこの目の前の男。片目の不良みたいにいちいち悪態をついてくるわけでもなく、どこぞの毛玉みたいに宇宙船で突っ込んでくるわけでもなく、瞳孔の開いたマヨネーズ野郎みたいにずかずか上がりこんでくる事もなく、ちゃんと手土産の菓子を持ってきて(金もないくせに)礼儀正しく玄関で待っている。
ああ性質が悪い(殺すことも出来やしない)。三回に一回は機嫌が悪い振りでいないヨと(そうしたらあの男はリーダー頼むと情けない声を出すものだから、結局上げてしまう)、三回に一回は定春をわざわざ放して撃退(そうするとあの男は裏口の窓から入ってくる)、最後の三回に一回は銀ちゃんが出てしまう。嫌そうな顔をいつもするけど、マヨラーとかサディストが来た時とは違う嫌そうな顔で、それは内側の人間にしか見せないものだとあの男が知っていて満足そうに微笑むのが一番腹が立つ。
もう何度この男の来訪を、彼が自分の家のようにくつろいでいる様子を後ろで見ただろう。いっそ、ある日突然、銀ちゃんに斬りかかってくれればいい(そうすれば、あの男は自分たちの望みが叶う事を知っている)。あの男はこちらに退路を渡しているのかもしれない。でもどうして、私が銀ちゃんの手を放さなきゃいけないの。

ヅラ。呼ぶと条件反射のようにいつもの返答。そこに確かに篭められた暖かさは本当に残酷で、本当は運命の敵にしたっていいくらいのあの男は嫌いではない存在になっていく。ずるいずるい。昔の銀ちゃんを知っていて、どうやっても入れない銀ちゃんの内面に生きていて、離れてしまったってだけで貪欲に次を求めるあいつらはずるい。
(でも私が殺したんじゃなくて、いきなり死んだらきっと泣く)




銀時は居るか?そう聞く心境は、自分でも驚くほど冷めていることが多く、実はあまり訪問に意義を見出してはいないのかもしれない。しかし毎回射殺すような目で見られると、どうしても昔の彼を思い出して、やっぱりここに来なくてはならないのだと自分に言い聞かせてしまうのは俺だけではないだろう。
穏やかな声は銀時が大切にしているこの娘に戦闘意欲を沸かさせないためで、それは裏返せば応戦しないよう戒めているにすぎない(もしも、正当防衛だと言ったら銀時はどちらにつくだろう)。その答えを考えるのもめんどくさく、とりあえず溺れた人がひたすら浮かび上がろうとするかのように、俺達はいつか見た夢の象徴とも呼べるあの馬鹿の足をひたすらに引く。一人ならば、器用なあの男のこと、あっさりと逃げるだろう。だが二人ならば、逃げようとするもう一方の足を引き、三人ならばそれから逃げようとする間に手まで引くことが出来る。
本来ならば、この娘と俺達なら、彼女が絶対優位の攻防戦。守る者と守られる者の関係は、もはや断ち切れぬほど強いが、あの娘は最終的に銀時が俺たちを振り払えない事を知らない(高杉がそう言って高笑いした、俺もそう思った)。それぞれが別の形で贖罪をする中、こちらには銀時にこう言う権利がある。生きようといいながら、俺たちより先に諦めるなんて許さないと。

いつもの嫌な綽名で呼ばれ、ヅラじゃない桂だ。本当に不愉快に過ぎる綽名だが、このときばかりはこれを聞いて安心する。あの日々は確かにあった。今はただそれだけでと嘘を言っていれば、しばらくは戦える。そう気が楽になると、目の前の娘を含めた銀時の家族が暖かく、そしてきれいな物に見えてきて少し穏やかな気分になる。
(自分達もそうなりたかった)




あの男は気がついているのだろうか。あいつらが来るたび、ろくでもない話だけを重ねている間に、少しずつ少しずつ、銀ちゃんを何処かに引き摺っていることを。

あの娘は気がついているのだろうか。家族として彼らを庇護するうちに、彼が持っていた過去をひたすらに内面に追いやり、白夜叉と異名までついた銀時を殺しかけていることを。


あの人を連れて行くなんて許さない