春 よ 、 我 ら を 嗤 う か
小雪の散らつく中、疲労した様子の受験生達が駅に向かって列を成していた。 一部の人間は寒さ以外の理由で青くなり、また一部の人間は余裕の様子で試験の答えを話し合って辺りから殺気を浴び、大多数の出来なかったわけではないが出来たわけでもない人間達は、不吉なことを言うまいと黙々と歩みを進めつつ試験の内容に触れない話を続けている。 高杉、桂、坂本の三人は例に漏れずその大多数の中に含まれていたが、会話は少々一般よりずれていた。 「なあ今日の試験官、気がついたか?」 マフラーとダッフルコートで完全防御体制を敷く高杉が発した話題がどうでもいい類だったからだ。 右隣にいた桂は節約のため回し飲みをしていた缶コーヒーを坂本に渡してから話題に乗る。表情からは試験の出来はおろか、他の受験状況すらうかがえない。 「目を開けたまま寝ていたな。俺達の人生の一大事にあんな態度だから、汚らしい歪んだ髪が生えてくるんだろうよ」と桂。 「だな。人生の全部とは言わねェが、無視できないくらいは賭けているわけだし、せめて起きてろっつーの」と再び高杉。 そう全然人生の重大事と思っていない様子で二人は笑った。 「でも、あの睡眠技術には驚いたぜよ。間違いなくわしの人生で一番居眠りの上手い男じゃ」 坂本は受験生達に流れる空気をまるで読まずに盛大に笑う。どうでもいいんだよ、とそのどうでもいい話題を提起した男に蹴られた。 「いやいや、あの教室の中で気がついたのはわしらだけじゃ」 「なんだァ、その無意味な自信。んなくだらねーこと考えてた奴が俺らだけだっつーことだろ」 「自分で言うな。虚しいぞ。言っておくが、俺はお前達と違って試験中に雑念に囚われていたわけではないからな。直感でわかっただけだ」 「あ、わしも。別に証拠もないんじゃが、なんちゅーか、寝とるなって感じで」 涼しい顔で言うこの馬鹿二人は、この試験に落ちたら後がない自覚があるのだろうかと高杉は思う。いや、条件は自分も同じであるけれど。 「まあ俺もそう思ったけどよ。どうせなら解答の方がよかったがな」 「馬鹿杉!そうなればよかったけど、ならなかったから貴様のどうでもいい話題提起に乗ってやったのではないか!空気読め!」 「お前が読めェェ!!俺の話がつまんねェなら、テメーがなんか身体張ったネタ提供しろ!そうだ、ヅラ取れ、ヅラ。宴会的に」 「そりゃー、縁起がよか!とりあえず受験生終了を祝して乾杯じゃ!酒持ってこーい!」 「ふざけるなァァ!!」 桂が警告なしに飛び蹴りをかけた。もはや、彼らには受験生の中にいることの自覚はない。 最初に標的になった高杉は長年の経験を活かして余裕で避ける。代わりに目の前を歩いていた黒髪の学生が吹き飛び、隣を歩いていた茶髪の少年が何故か桂に会釈した。 「わかったわかった、桂君の髪は自前なんだよな」 「……なんだかすごく高杉を殴りたい」 「大丈夫、わしらにはちゃんとわかっちょる。桂君の髪はなんかアートネーチャー的な」 「いやー、サラサラで羨ましいなァ。な、辰馬もといモジャ」 「あれ、おんしヅラいじめしながら実は坂もっちゃんいじめなんか?間違いなくいじめだよね?」 「自分で坂もっちゃんとか言うな、ありえないくらいキモい。俺ァ、常に面白いほうの味方」 「じゃあ自分で面白さを演出しろやァァァアア―――!」 怒りの四つ角を三つまで増殖させた桂がろくなことをほざかない高杉の頭を掴んだ。 「おおっと、アイアンクローが入りました!お、チビッコ晋ちゃん、足がそろそろ浮きそうぜよー!」 「チビアンド晋ちゃん言うな!早く星に帰って自爆しろォォ、黒モジャ暑苦しいんだよ……!……って、それはそれとして、ヅラ、脳みそが出る……!」 「フン、もともと何も入っていないから問題なかろう。頭空!バーカバーカ!」 その細い手首の何処にそこまでの力が隠れているのか、アイアンクローをかまされたままの高杉が苦しそうに呻いた。 加害者の桂と面白おかしく爆笑している坂本は、なんでコイツが痛がってるとこんなに愉快なんだろう、あれ俺S?いやないないとか思っていた。きっと前世からの宿命に違いない。つまり高杉が悪い。 「どーでもいーんじゃけど、頼むから高杉帰りの新幹線の切符入れた場所だけは忘れてくれるなよー」 高杉は基本的に物の管理が甘い。受験票や試験場までの行きの切符など学生にとって命の次に大切ランクにくると仏壇に保管するらしいが、帰りの切符とか桂に借りた本とか坂本の宿題とかどうでもいいと(高杉が勝手に)認定したものは、何処にしまったのかもすぐ忘れてくれる。 もっともこの三人では五十歩百歩の違いしかなく、なんとか桂が一般人よりはずぼらという位置に落ち着いているだけではあるが。先日はその桂が帰りの新幹線の予約を不慮の事故(何故か一人だけ弁当に当たった)で忘れ、故郷までヒッチハイクをする羽目になったのだ。 「そうだな。お前はどうでもいいが、帰りの新幹線の切符はないと困る。ほら離してやるから、さっさと思い出さんか」 ようやく開放された高杉であったが、どうしてか目を遠くに走らせ、落ち着きがない。普段、腹が立つほど傲岸不遜なのが嘘のようだ。長年の付き合いで反射的に嫌な予感に襲われた坂本と桂の目が過去の自分を棚に上げて険しくなる。 高杉は慎重に二人から距離を取り、にへらと笑って白状した。 「あー、わり、俺よくわかんねーんだけど、そん時夜行列車に乗りたい気分で、それに予約した」 石のように固まった桂と坂本の脳裏を笑えない幾つかの事態が駆け抜けていった。 入試で泥のように疲れている自分。ってゆうか、たいして出来てるとも思えない。 新幹線なら四時間で家に帰れる。ってゆうか、母さん達合同で鍋用意してるって言ってた。帰らないと殴られる。連絡してもシメられる。 夜行列車?一晩電車の中で寝ろってか?オリエント急行でもないのに?しかも高杉に預けた金の総額からいって、最高車両ではありえない。ってゆうか俺らの夕飯は?予備の金ないんですけど。 家の布団!家の布団!最高のロケーションが、この馬鹿のせいで!? 「「馬鹿ァァァ―――!!埋めるぞ、バカ杉ィィィイイ――――!」」 「こんな時だけ揃えんなァァ!!」 当然、左右両側からの攻撃には耐えられず、高杉が吹き飛んだ。 「お前、絶対津軽海峡聞いたろ!?お前みたいな最低男に彼女できるわけないじゃん!俺だっていないんだぞ!」 桂がキーキー喚く。鬱陶しいこと限りなしだが、自覚もなしである。 「オメーのそのキモさが消えねェ限り望みねェよ!ハゲろ!」 「お前も、あ間違ったお前だけがキモい!縮め!」 「…………すいまっせーん。わしだけでいいんで誰か山口まで便乗させて下さーい。あそこの馬鹿二人は責任持って置いていくんで」 「「ナチュラルに裏切ってんじゃねェェェエ―――!!」」 周りの受験生は、誰か大人の人乗せてってやれよというか早く帰って永遠に戻ってくるな、と思った。 受験生達が足を引きずりながら帰途につくと、入試特有の喧騒に包まれた校舎は酷くあっさりと静寂の底に沈む。その静けさは常日頃のそれではなく、合不合の結果論の雰囲気を孕み、どこか陰気である。 だがそんな文学的な感傷は教師にとっては無価値であった。目の前には採点しなければならない答案の山、ミスなくデータを打ち込まなくてはならないパソコンの現実が横たわるのみだ。 厳重管理下にある答案と格闘することを義務付けられた教員達の大半は、夜の採点作業に備えて食事に繰り出していたが、坂田銀時は理科実験準備室のソファーに長々と転がっていた。早い話、レストランに行く金がないからだ。 今日は嫌な夜だ、と独り言が部屋に流れる。毎年煩雑な作業の多い入試というものは大嫌いなイベントの一つだが、今年は何か嫌な感じがする。 いや試験監督で疲れたというのではないのだ。今年は必殺両目開けで六割位眠っていたわけだし、俺は試験終了後の誘導の担当にもなってないから楽なものだ。 それでもなんだか嫌な感じがした。 遠い昔に忘れた事柄を無理やり想起させられるような。 もしくは優しい断罪を受けているような。 自分の首をゆっくりと撫でてみる。何も異常はない。絞められてもいない。当たり前だ。 首から指を離すと、その指に何かがくっついているように思う。暖かな空気を纏いながら、遠いどこかに繋がるそれが昨日までの透明さを忘却して存在を主張している。 「坂田ァ。お前、ちゃんと湯沸かしたんだろーな?」 「あー、何、服部?」 「それ以外に誰がいんだよ」 準備室の扉が開く音と聞きなれた同僚の声が、徐々に深みにはまりつつあった思考を中断した。じゃんけんで負けて夕飯のカップラーメンを買いに行かされていた服部が帰ってきたのだ。 銀時は心の半分で湯沸しを忘れたと思い、また半分で安堵した。 「坂田、幽霊でも見たのか?今の顔だっせーぞ」 「へ?マジ?銀さんのイケてる顔の何処がどうださくなってんの!?ついでに湯忘れたわ」 全蔵はげんなりと肩を落とし、湯沸かし器を片手に無言で水道に移動した。そしてがりがりと頭を掻きながら無難な返答を考える。返答を脳内の記憶細胞が検索すると、銀時の情けない顔にかつての彼の顔が重なる。 かつて―――高校生の時から大人になる過程で失われた取り返しのつかない何かを除けば、トレース紙に写し取ったように残像は今に一致していた。 夢など語らず、神など信じず、不安定な均衡を生きていた彼が、昔言った一言―――耳にこびり付いた一言が蘇る。 (忘れられない何かを含んだ夢を見るんだ) 「さあな。とりあえず女が近寄んねえ感じになってるよ」 「オメーには言われたくないんですけど。あ、君はよく振られるんでしたっけ?」 「うるせェっての。あー、坂田」 「ん?お、俺今日は塩にすっから。お前はトンコツな」 「普段と変えてるんじゃねェェ――!トンコツ嫌いなんだよ!というかお前、夢は見てないんだよな」 湯が沸いた、と立ち上がった銀時がにやりと笑った。 ああコイツのこの笑みを見れたら大丈夫だ。彼は二度とあの夢は見ないに違いない。 そうだ。そうに決まってる。 「俺は夢は見ねえ主義だよ」 不敵に笑う彼は何者にも侵食されない。 (昔からそうであったように、これからもそうでなければならない) 「そうか。ところで早く塩を手放せ。理事長先生がもうすぐ採点作業にかかれって言ってたんだよ」 「げー。あのババア残業代も出さないくせして人使い荒いぜ」 「あ、目の前で意見してくれるのか?帰っていいですかー、みたいな」 「ロケットランチャーでぶっ飛ばされるって」 ひとしきり馬鹿笑いをした後、二人は来るべき戦争に備えてラーメンに没頭し始めた。 (やなこと思い出させやがって、あのケツ……) 大人になるたびに、青春を共有した相手ですら簡単に騙せるようになる。そういえば、高校の時は自由に本音を誤魔化せるような嘘を俺は欲しがっていた。 嘘は必要なものなのだ。大人になる時に失ったものが嘘を得るための代償であるならば安い。 確かに夢は見ない。 ただ、夢であったものが現実の中に滑り込んでくるような予感が首を締め付けるだけだ。 「―――嫌な名」 雑念を払い、桂小太郎と書かれた氏名欄から視線を外して銀時は赤ペンを握り締めた。 こいつは、春が来たら騒がしい声と共に入学してくるのだろうかと思いながら。 |