もう一度出会えるとしたら、何処までも一緒に行けたらと願った気がする。もう一度触れ合えるとしたら、傷つけあいたくないと祈った気がする。かつての俺達は「時間」を誰よりも憎んでいた気がする。 その一方で最期の別れの時、悲しみと同時に訪れた絶望的な安堵と「ああ堕ちる」と思ったのを一番よく覚えていて、もう二度と彼らを自分の一部に取り込むまいと泣いた覚えがある。 また出会いたい、触れ合いたい、笑いあいたい、馬鹿をしていたい、蹴り飛ばして殴りたい、泣きたいがひたすらひたすら続いたその後に、「もう二度と出会うはずはない」と泣き笑いで別れを告げたのだ。 それが願いであったのか、惧れであったのか、憧憬であったのか、断罪であったのか思い出せない。 「………うわっ、」 飛び起きた拍子に、坂田銀時は窓枠に頭をしたたかにぶつけて呻いた。すぐに辺りを見回したが、幸い他の乗客が気がついた様子はない。それもそのはずで、新幹線内にはぱらぱらと乗客が点在するだけで、そのほとんどが惰眠を貪っている。 ふと横を向けば見渡す限りの田園風景で、黒い土と菜の花のコントラストが目に痛い。温い色合いの空には、ふわふわと丸められそうな雲がぶらりと流れている。 そんな平和的な空気がガラス一枚隔てた場所にあるからだろうか。さっきの茫漠とした夢が自分の中に黒々と渦巻いて、ゆっくりと手足にその黒が浸透していく感じがする。外と中を塞ぐガラスに触れたら、ガラスの方が壊れてしまうのではないかと思うほど、何かが荒んでいた。 確かに変な夢だったが、銀時の大嫌いな幽霊が出てきたわけでもなく、グロテスクだったわけでもない。ただ何と表せばいいのか。例えるなら真綿で首を優しく絞められるような、埋没してしまいたい要求を何故か必死で払いのけているような曖昧なリアリティ。――確かに忘れられない何かを含んでいた気がするのに、少し考え事をした瞬間に酷く遠くなっていた"あの頃"。 というかあの頃ってなんだよ、身に覚えないんですけどと心の中で呟きながら、銀時は再び眠りの波が押し寄せてきたのを感じた。全く人間の身体は便利に出来ている。 「いつもこんなんだな……」 少しの自嘲と大きな安堵。この感覚はよく知っていた。 嫌な物を、分厚いオブラートに包んでしまいこむ感覚。それがぼんやりとした春に、最も鮮やかだった。 ◆ ◇ ◆ 講堂前はざわついていた。講堂正面の階段下では既に気の早い在学生が、新歓用のテントを設立し、構内のいたるところでビラの印刷に駆けずり回っている。 まだ開かぬ講堂前には、スーツに身を固めた新入生の多くが待っている。我が子の晴れ姿を見ようと駆けつけた親達によるシャッター音。講堂横から流れてくる桜の花。入学式に相応しい日だった。 その中にいた銀時はなるべく人ごみを避け、その桜の下に立っていた。何か怪しい人のように思えるが、雑踏にもまれるよりましだ。彼もまたスーツに身を包んでいたが、特徴的な銀髪と天然パーマのおかげで、風景から浮き上がっている。 数多い新入生の中でも目立つせいか、ここにたどり着く前も数回新歓活動に掴まった。だが銀時の関心は目下、本日睡眠する場所を確保できるかにある。 彼は今日、入学式の後に引越しを控えているのだった。普通の下宿生はもっと早く引っ越しているはずなのだが、後期入試までもつれ込んだことに加えて銀時自身の怠慢により、今日という日まで伸びてしまった。つまり、入学式の後すぐさま家に帰り、引越しを完遂させなければ今日寝る場所はないということだ。 (あーめんどくせえ。あのババア、引越し屋勝手にケチったくせに、入学式出ろとかよー) 銀時が心中文句を言っているババアとは大家のことである。彼女曰く「アンタ若いんだから、自分の荷物ぐらい自分で運びな!たった4階までだ。同じ階の三人も同じ日に引越しだから協力しな」とのこと。 "それ"が何かに引っかかった。それ、とは何か。何かとは、それか。とにかく何かだった。 自分の脳内がその"何か"を必死に思い出そうとする動きと、必死に押し殺そうとする動きが何故か戦っている間に、視線だけが勝手に動く。春に浮かれて、新生活にがっつくような空気を纏ったむさくるしい群集の中、すぅっと視線が絡んだ。 絡んだ先、隣の観葉植物の陰にいた相手も凍ったようにこちらを見ている。勿論初対面だ。一度も見たことなどない。大学生にしては小柄で、片側だけを不自然に伸ばした前髪のせいで左目は見えないが、どこか挑戦的で鋭い目。 いやいや、男と見つめ合うとかないべ。しかもガン垂れてるとか思われたらめんどいし。と必死に首の方向を変えようとするのだが、相手の双眸に縫い付けられたように動かせなかった。何コレ、俺の大嫌いな「か」から始まって「り」で終わるものじゃないだろうな、いや心霊現象は全て作り事だとか誰か言ってた俺は信じません、先生出発前日に饅頭無断で食ってごめんなさい。 ある意味回転の速い現実逃避に溺れかけたまさにその瞬間、相手がふっと笑った。 ぞっとする笑みだった。 「―――よォ」 ………出会ってしまった。 銀時に何故そう思ったのか、考える余裕はなかった。 それは逡巡となったが、相手は構わず、銀時のすぐ近くに移動してきた。そして一言。 「お前、その髪失敗じゃねェか?爆発?今、目が合ったのも何かの縁だ。今度いい美容師紹介してやるよ」 その言葉で呪縛が解けた。―――主に怒りで。 言い返せば面倒だと分かっていたが、反射的に言い返した。 「君、前髪切るの失敗したの?そうだな、何の縁だな。だから俺が切ってやるよ」 双方沈黙。 「これはファッションじゃねェェエエ!おまっ、初対面で人のアキレス腱切るとか!―――鬼太郎!」 「これはファッションだァァァアア!!ついでに鬼太郎でもねェよ!―――この天パ!」 「全く君たちは何を考えている。美しい春、受験を乗り越え希望に満ち溢れた日に、これから共に過ごす友たちと喧嘩とは……情けない、情けないぞ!殴り合いで友情を語るのは中学生までだ。かくいう俺も中学時代は相当暴れたものだが、今となってはどんなに嫌いな相手でも手を出したりはせん。物事は話し合いで決められるもので、それと同様に友情もまた夢や理想や学問を語り合い、互いに認め反駁する中でこそ培われるとは思わんか。なぁ、そうだろう」 おかしい。とにかくおかしいだろう。 銀時はちらりと先ほど失礼な一言を漏らした青年を見たが、彼もまた何がなんだか分からないようだった。当たり前だが。 とりあえず目の前に仁王立ちをした長髪の男が立っている。スーツを着ている以上、新入生だろう。どういう男かと言うと、それなりに整った顔なのに気持ち悪い感じだ。気持ち悪い、そうだそれしかない。 「……いや、テメー今俺の髪掴んだろ。暴力だろ」 確かな事実であり、どうでもいい事実だけを鬼太郎は突っ込んだ。馬鹿だ。 「単なる仲裁の一手段だ」 しれっと答える長髪はなかなかいい性格をしていそうだが、それ以上にあることが気になって仕方がない。 腰までの長髪。しかも暑苦しい黒髪。とりあえず気持ち悪いが、それ以外の髪型も思い浮かばないのがすごい。視線を動かす。生え際を見たい。別に自然だ。いやしかし。 「………それ、ヅラ?」 相手の目を見たまま、銀時は頭に浮かんだ結論をそのまま口に出した。 「違いねェ!俺もそう思う」 疑惑を掛けられた張本人が反応する前に横で爆笑が起こった。自然に目が合う。片目だけがにやりと細められていた。 「いや、別に気にすることじゃないと俺は思うけどさ。髪の悩みは天パが教えてくれてるからさ。俺は人の痛みがわかる男だから」 ああ、楽しい。何か楽しい。銀時もまた笑みを返そうとした瞬間、強烈な頭突きで二人は吹き飛んだ。 「俺はヅラじゃない!!桂だァァァ―――!!」 「「やっぱり、ヅラじゃねェか!!」」 漫才よろしく息もぴったり叫んだ二人に、桂は挑戦的に笑った。 「それは、喧嘩を売られていると解釈してもいいのか?」 (いや、落ち着け俺。初日に喧嘩などしていいことは何もないはずだ。というかこんな馬鹿っぽい奴らの挑発に乗ったなどと思われるのは末代までの恥だ。ここは、あれだ。要するに目の前の天パと思春期っぽい馬鹿は妙にプライドが高いはずだから、俺のほうが大人の対応をして引くのが一番だろう。まずは挑発し、乗ってきたところをあえて引く。俺なんかかっこよくないか?「無益な争いは好まぬ」的な。何よりこのまま大喧嘩をして、「ヅラ」というわけがわからないが最悪だということはわかるあだ名を定着させるわけにはいかない) 「いやぁ、そんなことはありますよー。僕は人の痛みがわかる男ですけどー、サラッサラのキューティクルヘアーをひけらかす奴だけには容赦はしなくていいっていう家訓があるんですー。なぁヅラ君。ここを平和的に収めるには君がそのカツラを取り、俺の心を慰めるべきだと思う」 「一本残らず地毛だ馬鹿者!ただの嫉妬ではないか。……ほぉら、サラサラで羨ましいだろう!」 (いかんな、予想以上に腹が立つぞこの銀髪) (やべぇな、予想以上にうざいぞこのヅラ) (まずいな、予想以上にむかつくぞこいつら) 三者三様、戦闘モードのスイッチを入れようと心を決めた。自分はこんな暑苦しいことは本来苦手であるはずなのに。引いてしまった方が大人であるはずなのに、だが、二人の顔を眺めているとどうでもよくなってくる。というか、引くのもムカつく。 「ちーこーくぜよ!!!」 しかし、三人がそれぞれ固めた拳は、騒がしく喚く男が寸断された。銀時たち三人の間に飛び込んできた男は、誰かの拳が当たってしまったのか、盛大に転んでスーツのまま地面との交友を深めている。 「……なに、コイツ」 やり場のない拳を握ったまま銀時が呆然と呟く。 「さぁ……?」 「馬鹿じゃね?」 残りの二人からも、曖昧な返答と的確な返答が返された。三人は喧嘩をしかけていたことも忘れ、目を合わせた。言葉などいらない。放置しよう。 「つか、もう俺達以外誰もいないじゃねェか!!どうしてくれんだ、天パ!」 「だから天パとか言うな!つか俺達とか言うな。一緒にするな。……もーいいからよ、入学式行こうぜ。バラバラで」 「………だな」 気がつけばもう桂はいない。さっさとまだ倒れている男の横をすり抜け、黒髪をなびかせながら講堂に消えた。 そもそもあいつが出てこなければ、ここまで騒ぎが大きくなることはなかったはずなのに、なんだか腹が立つ。だが、それ以上に残された二人はこれ以上互いの顔を見たくないと思い、大人しく別々に講堂に消えた。 これで終わるはずだった。 間違っても友達になれる感じではないし、なりたくもない。運のいい事に、この大学は総合大学で、万単位の学生を抱えている。もう二度と言葉を交わすことなどないに違いない。 違いなかったはずだった、のに。 「………おかしくね?」 銀時は新居の前で呆然と呟いた。その横には、うんざりとした顔で「高杉」と書かれたネームプレートを差し込む、鬼太郎がいる。 「え、お隣さん?マジで?この広い町で?」 現実を認めたくないと、高杉を指差して言い続ける銀時に、高杉はこれ以上ないくらい冷たく言った。 「一ヶ月は我慢してやるから、その間にテメェは出て行け」 そのまま自分の部屋に入ろうとする。 「待て待て待てェェェ―――!!なんだって、テメェにそんなこと決められなきゃいけねぇんだよ!そんな金はどこにもありません!お前が出て行けばいいだろうが!」 「馬鹿が。この部屋は音楽を学ぶ学生用の防音室なんだぞ。それをこの格安で借りれる場所なんか出て行くわけねェだろうが!」 「俺だってあれだよ!後期までもつれ込んだら大学の近くに住めるところがなくなってたんだよ!」 「明らかにテメェの方が優先度低いだろうが!あれだよ、お前だったらどこにでも住めるだろ!俺は繊細だから、住居環境を選ぶんだよ!」 「テメェラァァ―――!初日から喧嘩してんじゃないよ!早く下に溜まってる荷物持ってきな!!」 不毛すぎる戦いは、階下から聞こえた大家――お登勢の声で終わった。 目の前の奴はムカつくが、大家の機嫌を損ねては元も子もない。大家さんは神様なのだ。 「……チッ」 これ見よがしに舌打ちをし、まず高杉が階段に足を向けた。銀時もそれに倣う。 一緒に降りたくもないが、とにかく早く引越しを済ませなければならないのも確かなのだ。 しかし、足早に階段を下る二人の足はすぐに止まった。目の前にダンボールを抱えた男が二人立ち塞がったのだ。 「すいませーん、そこの人たち、ちくっとどいてもらえますかのー!……って、あれ、おんしら」 「どうした坂本、急に止まるな」 ダンボールの上から目ともじゃもじゃの髪だけを覗かした男は、間違いなくぶつかって来たあの馬鹿だ。しかも、その後ろから不満を漏らして顔をだしたのは、あの「ヅラ」。 「……なくね?」 「ああ、いやこれはないだろ」 さすがの銀時と高杉も顔を見合わせて確認し合った。大家は、4階に住む大学生は四人だといっていた。全員が今日引越しだとも言っていた。だが、まさかありえない。もうお互いだけでも嫌なのに、これ以上馬鹿が増えるとかありえない。そうだそうに違いない。単なる手伝いのバイトの人だ。そうに違いない。 始めて二人の心は一つになっていたが、そのささやかな抵抗はあっさり坂本によって打ち砕かれた。 「ああ!お登勢さんが言うちょった4階の人たちっておんしらか!じゃ、とりあえず、この荷物は一番奥の部屋に頼むぜよ!」 そう言うが早いが、高杉が文句を言う前に、坂本はダンボールを押し付ける。 「ちょっ、テメ!」 「同じ4階なら話は早いぜよ!わしと桂でここまで全部の荷物を持ってくるから、部屋まで運ぶのはまかせるぜよ!」 「「頼んでねーよ!!」」 銀時と高杉は図らずも声を揃えてしまったが、坂本は全く聞いてはおらず、桂も賛同した。後から思えば、この人の話を聞かない最強タッグに対抗しようと思うだけ無駄だったのだが。 「そうだな。では天パ君は、これを一番手前の部屋に頼む。行くぞ、坂本」 「合点承知ぜよ!!」 人の話を聞け!と銀時が反論する前に、二人は既に階段を駆け下りていた。お登勢の怒鳴り声も聞こえるし、もはや逆らうのも面倒だと銀時が上へと引き返す。その時思わずついた溜息が、ここにいるもう一人の人間と被って非常に不愉快だった。 「あー……ばてたぁー」 夕暮れが最後の赤みを増す頃、ようやく引越しは終わった。最後の荷物を運び込んだ銀時の部屋で、銀時、高杉、桂の三人が倒れていた。 「ヅラ……ちょ、コンビニで水買ってきて」 「あー、俺にも。つか、酒……」 「貴様ら、俺は桂だ……」 誰も動く気が起こらず、また会話は途切れる。 どうしてこんなやつらと当たり前のように会話を交わしているんだろう、と銀時はぼんやり思う。会った時には果てしなく嫌な予感がして―――そしてろくなことは起こらなかったのに、どうしてあまりに自然なのだろう。 昨日まで知りもしなかった奴らが、自分の部屋に転がっている。自室に入れたのは今まで松陽先生だけだったというのに、もはや怒る気も起きない。 「おじゃまするぜよー!皆お待ちかねのビールじゃ!」 転がっていた三人が弾かれたように起き上がった。 「おぉ!気が利くじゃねェか」 「悪いな」 「いや、なんで当たり前のように俺の部屋で飲み会?」 さすがに銀時だけは不満をもらしたものの、残りの二人があっさりとビールの誘惑に負けたため、そして坂本が有無を言わさずビールを掴ませたために黙る。 もう喉はカラカラで、全身が水分を求めている。しかもそれがビールであれば申し分ない。ごくり、と喉が鳴った音が嫌に大きく響いて、銀時はがりがりと頭を掻いた。 「じゃ、とりあえず乾杯と行こうぜよ!あ、わしは工学部航空宇宙工学科の坂本辰馬ぜよ!」 「俺は、医学部医学科の桂小太郎だ。言っておくがヅラではないからな」 「フン、テメェにだけは診てもらいたかねーな。俺ァ、音楽部器楽科ピアノ専攻、高杉晋助」 楽しそうな顔をしているのは坂本だけで、桂と高杉はどちらかといえばうんざりと――ビールのためだけに挨拶したような態度だった。だが、なんとなくだが、その名前の音は嫌な感じではなく。 「……経済学部経営学科、坂田銀時」 乾杯。 音頭も何もなかったのに、しっかり缶を合わせるタイミングが揃ってしまって、また溜息が零れた。 |
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