止めてくれ。これ以上、世界を許せなくなりたくない。 五 段 中 暁天は美しい。 世界がある一点から、全ての色を思い出す瞬間。それが何故か懐かしくて、桂は笑う。 朝焼けは逃走の妨げとなり、どちらかといえば夜に全ては埋もれてしまえばいいと思っているにもかかわらず、何故かその橙色の空に思い出したいものが浮かんでいるような気がした。遠い、遠い、何かが。 数刻前まで、生死をかけた戦いをしていたとは思えないほど、朝日を見上げる桂の顔は穏やかだった。むせかえる鉄の臭い、息が途切れる瞬間、憎しみと恐怖に溢れた視線―――桂は、それらが青春時代の思い出なのか、現在のものなのか、考えるのを止めた。 「皆々様、地獄でもお元気で」 そう言ってから、らしくないと自嘲。それでも桂は胸に手を添えた。 芝居のように優雅で、隙のない一礼を。沈黙の役者の残骸に向けて。そう、あの男に倣って。 (許せよ、―――高杉) 返答が返るはずもない。だが、その瞬間図ったかのように、締め切られていた襖が開いた。反射的に刀を向けた桂は、襖の向こうに立つ人物を見て、穏やかに笑い刀を下ろす。相手も部屋をぐるりと見回してから、静かな笑みを浮かべた。押さえきれない喜びと諦めに、歪に輝いた笑みを。 そうして、二人の役者は丁寧に礼をする。互いの演技への賞賛に代えて。 その夜、演じられた芝居は、三幕。 ◆ ◇ ◆ 「……うぐっ…は、………!」 「続けて下さい」 容赦のない蹂躙に高杉の身体が弓なりに反り返り、がしゃりと鎖が音を立てる。 「続けろって、どこまで」 銀時は声を抑えて、背後の役人に問う。終わるまで、と返事の代わりに背中に押し付けられた銃が動いた。 高杉を犯すのは久しぶりだった。抱く、ではない。まさしく犯すだ。彼の尊厳を全て無視して、思い切り汚す。かつて、その行為を強いたのは自分だった。人であり続けるために、彼を道連れするための行為だった。―――成れの果ては、その自由すらない。 依頼は「性的快感による自白剤を飲ませたから、犯れ」と簡潔極まりないものだった。男相手など趣味ではないと言い訳できるような状況ではなく、四方から銃を構えられ、その上一人の携帯の画像に万事屋が映れば、逃れようはない。 「止めろ、銀時……!止めてくれ………!!」 状況が分からないわけないだろうに、残った隻眼を一杯に見開き、高杉は懇願した。あらゆる屈辱に歯を食いしばって耐えてきた男が、心の底から祈っていた。その真実が分からないほど銀時は馬鹿でもなく、高杉から遠くもなかったが、口からもれ出たのは静かな溜息だった。 その意味を一瞬で悟った高杉の目に、彼の一部にすらなっていた絶望が浮かび上がる。 「せん、」 そのまま舌を噛み切ってしまうのではないかと思うほどの深い絶望は、銀時をぎくりとさせた。だが、高杉は叫ぶことを選び、途中で背後から猿轡をかませられて沈黙した。 ゆっくりと高杉に触れる。一本の指が触れただけで、その身体は跳ね上がる。 驚いて手を引けば、指には真新しい血がこびりついている。それが高杉に加えられた拷問の苛烈さを如実に表していて、銀時は吐き気を覚えた。 (高杉) 周りを固める役人達に気がつかれないよう、唇のわずかな震えだけで語りかけると、恐慌状態だった高杉の目に落ち着きが戻る。……大丈夫だ、彼は狂わない。少なくともこの場にいる人間を始末するまでは。銀時はそう思ったが、その声が自分を納得させるような音程で驚いた。 動揺を隠して問う。 (殺してほしいか) 緑色に光る彼の目に、薄情なことをほざく自分の唇が映る。高杉は、しばし逡巡し――彼を知る者ならば恐ろしいほど長いと感じる時間を経て――真っ直ぐに見つめ返してきた。唇は動かず、先ほどと表情は何も変わっていない。 だが、銀時には分かる。もう共に生きられなくとも、分かる。呼吸をするように知っているといってもいい。 (死ねるか) 侍達は負けていない。俺はまだ戦っている。俺ですらその言葉を言うのなら、彼が言わないはずはない。自分も変わって、彼も変わった。それでも彼は、松陽先生の生徒で、俺の友で、鬼兵隊総督なのだ。この馬鹿は心の底からの祈りが破られても、すぐに次の策に移ろうとする。いくらでも過去を嘆くが、立ち止まったりはしない奴だ。いわんや、死などという簡単な道を選ぶはずもない。 ―――友に、その強さがなければ、攫いたかったかもしれない。 だが、臆病で彼に追いつくことすら出来ない俺は、彼を攫えない。 高杉にしろ桂にしろ、せめて彼らの魂に反せず――それでいて彼らの一番の望みだけを踏みにじるという矛盾の中で、言い訳じみた中途な救いを提示するだけの男だ。 「いい面じゃねーか。苛めたくなるよ」 銀時は言う。「お役人さん、俺を選んだ理由って、俺の性癖見抜いた上で?」と嗜虐の笑みを浮かべると、正面にいた役人が何故か携帯のカメラを作動させた。男に、しかも幕府の役人に写真を撮られて不快に思わないはずもないが、銀時は少し眉を細めるだけに留めた。 高杉の首筋に噛み付きながら、熱も帯びない心の声を聞く。 今ここで逆らえば、失うものがあまりに大きい。高杉を解放できれば、―――そしてこの程度の人数ならば、 ぴくりと、指が止まった。 (俺は、今、何を考えた……?) 自問したものの、銀時の心に囁かれた言葉を彼はしっかり聞き取っていた。本当は高杉を逃がせば、自分は手を汚すことなく、彼が報いを受け取らせるはずだ、と最低にも囁こうとしたはずだった。だが、正反対のことがはっきりと聞こえた。 「ううっ……ぐっう」 高杉は、既に猿轡が外されているにも関わらず(尋問のためだろう)、唇をかみ締めて耐えている。銀時の顔を見ないようきつく隻眼を閉じ、既に噛まれた下唇からは血が流れ、銀時の上着にまで流れてきていた。 なるべく快感ではなく痛みを感じるよう、それでも終わらなければならない。銀時は、その加減で苦戦していたのだが、哀しいかな男の性か、次第に終わりが近づいてきたことを感じる。 目だけでタイミングを教えると、一瞬だけ高杉と目が合った。炯炯と気味悪く燃えている。 最後の瞬間に意に反したことを話さぬように、服を噛ませるべく高杉の頭を掴んだその時、銀時を奇妙な違和感が襲った。 心なしか、包帯の巻き方が、違う気がする。いつもよりきつく巻きつけられているような――― だが、その理由を考えるより前、茶番の終わりが訪れた。高杉の身体が大きくはね、銀時の着物に彼の歯がめり込む。少し肉まで噛まれた気もしたが、痛みはすぐに白濁に消える。 「銀時……」 ゆらりと、力を失った囚人の身体を抱きとめると、驚くほどほど張り詰めた声が聞こえた。 そして、彼が放った言葉は、銀時を凍りつかせる。 高杉は、宣誓した。 嘘だらけの男が、かつて、戦争に参加することを決めた時と全く同じ声で、はっきりと。 「神も仏もあるものか」 息を呑む。聞かされてはならないものだったはずの言葉に、一片の嘘がないことを銀時は分かってしまった。 ―――その、自分達に残されたたった一つの、約束の文言は、酷いほどに本当だった。 ◆ ◇ ◆ 「よぉ〜、山崎ィ。元気かぁ?」 山崎の病室に、大層疲れた様子の沖田がやってきたのは午後2時を回った頃だった。沖田は持っていたコンビニ袋をベットに備え付けられた机に置き、横にあった椅子に座り込む。そしてようやく溜息をついた。 「元気ですよ、痛いけど。沖田さんこそどうしたんですか?桂は?」 桂に斬られた傷は深く、身体は布団に縫い付けられたように動かないが、意識はすぐに戻った。 「桂も忽然と消えちまったが、面倒な事が起こったんだよ」 昼食を抜いて走り回っていたのだろう。断りもなく菓子パンをかじりながら、沖田は声を低める。 「人斬りだよ。それも、昨晩に三件」 「一晩に、三件!?同一犯ですか?」 いくら治安が悪いといっても多すぎる数だ。 「分からねェ。俺の勘では、同じ奴だが、釈然としなくてなぁ」 沖田にしては珍しく歯切れが悪い。目線だけで続きを促しながら、山崎は背筋に薄ら寒いものが這い上がるのを覚えた。 概ねにして、沖田の勘はよく当たる。それも血なまぐさい一件であればあるほど的中するのだ。 街を歩いていて、彼がなんとなくきな臭いと言う。その付近で何かよくないことが起こる。死体が出たり、事故が起こったり。そして、輪をかけて当てるのは、事件現場を見た後の勘だ。本人に言わせると本当にふっと憑き物が降りてくるかのように、女がらみだとか、複数だとか、感じるらしい。 「害者の資料を見ると、幕府の役人って事以外共通点はなさそうですね」 「だろ?下っ端じゃねぇが、精々中堅どころだ。今洗い出してるが、うーん」 そもそも沖田はこういう分析は向いていない。素早く顔と名前を覚え、頭の中にしまいこまれた膨大な資料から、一つの推測を口に出す。 「中堅ってことは、誰かの懐刀っていうことはありませんか?何かの計画が立ち行かなくなるとか、攘夷派の犯行だとしたら天人の店に便宜を図る中心人物の懐刀とか」 「今当たってるんだが、何分監察がほとんどいなくていけねぇや」 先の作戦で、桂に先頭不能に追い込まれた隊員のほとんどは監察だった。おかげで被害者の共通点を探すのは、一般隊士の――主に沖田と山南の隊の仕事となったのである。慣れていないため、作業のはかどらないことこの上ない。 「すみません……」 「気にするな。一箇所に配置した俺の方に責任はある。ところで、山崎。お前、この三人のこと知ってたか?」 「え?」 「いや、さっき資料を見たときに、『ああ』っていう顔したから」 見ていないようで、見ている。この観察力だけは監察並みだと山崎は密かに舌を巻いた。 そして不思議に思う。言われてみれば、名前と顔に覚えはある。だが、この三人は一度も調査したことはないし、役に立つ情報源でもなかった。その記憶に間違いはないと思う。 しかし、言われて気がついたが、確かに自分は彼らを知っていた気がする。 「知っていた気はします……でも、どこで知ったんだろう?」 首をかしげる。記憶に薄靄がかかったように思い出せない。しかも、この薄靄の正体はおそらく無関心だ。興味がなかったことを思い出すのは難しすぎる。 「思い出したら連絡します。それで、同一犯か複数か、それとも偶然かの話は?」 「それだ」 沖田は急に真顔になった。 「最初の殺しが午前1時。次が驚くなよ、場所は歩いて15分ほどだが、2時だ。最後は少し空いて5時半だが、移動時間を含めるとそれほど余裕はない。ついでに、この三人の家は、たいした役職でもないくせに警備が厳重なことで有名だった。どいつもこいつも、寝所の隣部屋には必ず小姓が二人、奥方と夜伽をしてる時ですら、待機。一刻ごとに寝所の襖を開けて、用心棒が二人で見廻り。庭の警備も二十四時間体制で、最低でも六、七人はいたらしい」 山崎は眉をひそめる。確かに閑職の割には、厳重すぎる警備だ。維持費も馬鹿にならないに違いない。攘夷浪士達も弱体化しつつあり、こんな中堅の役人などいちいち狙ったりはしないだろうに、違和感がある。 「大人数で畳み掛ければなんとかなるかもしれねェが、乱闘があった形跡はない。寝所にいた奥方にも、小姓にも、用心棒にも全く被害者はなかった。殺害も、乱暴もだ。ただ、寝所にいた主人だけが喉を一突きで殺られてた、ってわけだ」 「つまり下手人は、標的の隣で寝ている奥方には目もくれず……?」 「そう。一件目は奥方が、二,三件目は女郎と稚児が同衾してたが、誰も犯行には気がつかなかった。定時見回りが騒いでようやく発覚だ。それまでは死体と同衾」 行燈の下、白い布団に二つの裸体。汗に濡れた二本の腕と二本の足が絡み合う。 片方の首に刀が突き刺さる。呻き声が上がったのかは分からぬが、血が溢れ、夜具を濡らす。もう一方は知らずに寝息を立てている。その首筋に夜具に滲んだ血が迫る。 ―――おかしい。あまりに、奇妙な柄だ。 「おかしすぎますね。攘夷浪士のテロなら、家人は皆殺しのはずです。しかも、それだけの警備で次の見回りまで誰も気がつかないことからも、大人数じゃない。ほぼ単独でしょう」 「だろィ。だが、単独だと仮定すると、殺しの連続に疑問符がつく。一人でやったっつうんなら、全部の警備を一人でくぐり抜けたことになる。そんなことは出来ないつーことで、単独だが、仲間で分担して殺した説が有力なわけだ」 「でも、沖田さんは下手人は一人だと?奥方が寝首を掻いたとかでもなく?」 「女子どもにゃできねェよ。一太刀で首の皮一枚にしてやがる。刀の扱いに熟達して、力もある。俺は、全部の現場を見たが、なんとなく、同じな気がする」 犯行声明があったわけでも、何かのモティーフが置かれていたわけでもない。だが、あれは「同じ」だと沖田に告げている。自分達には分からない理と整合性で、三つの殺しは繋がっている―――ような気がする。 乱れていない布団。一刀で斬られた首。お決まりの「天誅」など書かれていないが、よくもここまでと思えるほどの憎悪を詰め込んだような現場。それが、歪に混ざり合って、冴え冴えとした空間にすらなっていた。今までのテロ現場で、あんなものは一つとしてなかった。 「まさか、桂……?」 山崎が呟いた言葉は、まさしく沖田の心中を代弁していたが、その考えは沖田しか持っていない。直感的には桂だと思ったのだが、何分今まで見てきた桂からは考えられないことで、自信がないのだ。 「上はそう思ってねェよ。俺も桂の野郎かと思ったが、それなら奴は"逃走後わずか2時間後に、殺しをしていることになる"。いくらなんでもあの警備を、計画なしに2時間で破るのは無理だ。なら、最初から計画していて、"たまたま"俺達が斬り込んだのが同じ日だったっていうことになるが、桂は計画的な人斬りはしたことがない」 「ということは、上には別の下手人候補がいるわけですね?」 「ああ。幕府かその上の天人か、どっちから出たのかはしらないけどな。亡霊を、挙げてきやがった」 沖田は更に声を低めた。 攘夷戦争時代を生きていた者なら、一度は聞いたことのある名。その鬼神のごとき戦い。 そして、終戦の時、「彼の死」は他ならぬ幕府によって、世間の常識にまでなるほど流布されたはずだった。 「その名前は、―――白夜叉」 ◆ ◇ ◆ 「そこまで人手が足りないんじゃ仕方ないですね。……ああ、でも夕方に戻ればいいんですか。了解です」 沖田が山崎と話している丁度同じ頃、斉藤終は、万事屋の向かいにいた。明け方は、大量に出た怪我人の看護やら新しい隊の編成やらで一度屯所に戻ったが、それ以外はずっとここで張っている。 間の悪いことに銀時はその間に仕事に行ってしまったらしく、まだ帰って来ない。失態といえば失態だが、正式な任務でない以上、斉藤はあまり気にしてはいない。それに、もう終ったことだ。 恐らく沖田も坂田銀時については、確かな方針が確立していないのだと思う。だからこそ、「見張って、もし桂や高杉に手を貸すことが合ったら止めろ」などという半端なことを押し付けてきたのだろう。彼の過去へのかすかな疑惑――それ自体は持たぬ方がおかしい、真撰組内でも彼とまともにやり合える者がどれだけいるか怪しいほどなのだから――だが、同時に彼の魂にも惹かれる。疑惑と羨望が渦巻いて、どちらも取れないのだ。 そうは言っても、近藤の命令は絶対だ。例の人斬りのおかげで、そもそも人数が足りないのに加え、恐怖に慄いた幕臣たちからの警護依頼が後を絶たない。これ以上、不確定要素にかまけてはいられないということだ。 夕方から待ち受ける激務のため、急いで食事でもしよう。 ―――そう思った瞬間だった。 がしり、と肩を掴まれたのは。 「よォ」 かろうじて悲鳴を飲み込めたのは偶然だったと思う。 気配に気がつかなかったのも不覚なら、それ以上に一瞬で背筋が凍るなど始めて人を斬った時以来の衝撃だ。 不吉な予感は概ね外れない。 「アンタ、真撰組の……えーと、名前忘れたけど。私服ってことは非番だろ?メシでも行こうぜ」 背後では、いつもより目が死んでいない坂田銀時が笑っていた。 そのわずか10分後、斉藤は有無を言わさず最寄のファミリーレストランに連れ込まれていた。 銀時はにこやかに笑って、「ごちでーす」とあっさりと言い放ち、さっさとメニューを開き始めている。 「万事屋さん、ここ俺が持つんですか?」 さすが隊長と言うべきか、すぐに平静を取り戻した斉藤は呆れたように言い返す。 「まま、細かいことは気にしないで。あれだよ、君たちのところのゴリラがゴリラ女をストーカーして、そのとばっちりが万事屋に来てんだよ。その迷惑料」 「いちおう理は通ってますね。……分かりました」 「さっすが、公僕様〜」 水に手を伸ばそうとしていた斉藤の手がぴたりと止まった。底知れぬ冷たさで肌が粟立ち、指が動かない。 銀時の口調は特別冷ややかなわけでもなく、いつものゆるい口調だった。調子に乗ってランチセットを2人前頼み、だらしなく肘であごを支えながら斉藤の注文を待っている。 紅の目は、全く笑っていない。 内心、殺されるかもしれないと冷や汗をかきながらも、斉藤はにこやかに世間話を続ける。こういう腹芸が出来るのが、斉藤が色男といわれる所以でもある。 意外なほど銀時も話に乗ってきて、仕舞いには最近行った色町の話までしてしまった。 「いや、あんたの10分の一でも人の話聞ければ、ゴリラもまともなんじゃねーの」 「あれでいいところがあるんですよ」 「……知ってるよ」 驚くほど優しい声で銀時は言った。 「いい奴だよ実際。あいつは腹芸なんかやらねえんだろうな。……分かってるんだけどなあ」 銀時は本当に困っているようだった。まいったなあ、とがりがり頭を掻き、お冷を飲み干す。 そして、ぽつりと、怖いほど真顔になって言った。 「……なあ、お前らは、武士じゃない近藤じゃ駄目なのか?」 色事、人間関係にかんしては百戦錬磨の斉藤も、言葉の意味が理解できず絶句した。 銀時もそれだけでは無理だろうと思ったのか、物分りの悪い子どもに諭すように話を繰り返す。 「だからな。真撰組局長つったって、幕府の気まぐれ、天人どもの気まぐれで簡単に首が胴体からおさらばしちまうような立場だろう。俺はお前らが嫌いだが、忘れちゃならねえ士道は貫いている奴らだと思ってる。だがな、上にはそんなこと、どうでもいいんだよ。金や女や権力やら気まぐれやら、単に気に入らないだけでもいい。ゴリラにゃ、それを押さえる腹芸なんか出来ねえだろ?」 斉藤は、これほど寂しそうな目で語る人間を今まで見たことがなかった。鬼のように強く、いつも口が減らない銀時に、このような脆さがあるのにも驚いた。 何か言おうとしたが、それを銀時は手だけで制す。 「土方がいる、お前がいる、他にも参謀がいるってんだろ? それで、本当に守りきれると思う?」 (……頭が切れて、策謀が上手い奴がいても、俺達は、あの人は) 「お前らがゴリラに惚れたのは、あいつが武士だからじゃないんじゃねぇの? 真撰組何ざ辞めて、全員で田舎に帰って、道場やってても、いいだろうに」 銀時の声に含まれているのは、恐ろしいほどの乾きだった。笑っていないと思えた目は、彼の本心の色だった。 真撰組解散を示唆する言葉。他の誰かが言ったら何の迷いもなく振り捨てていける。そうやってきた。 だが、坂田銀時の鬱屈とした慈愛――そう、これは情けだ。何故かは分かりたくないが――は、一蹴するにはあまりに寂しげで、振り払えない。恐ろしいのは、自分のどこかに、彼の言葉に共鳴する部分があるからだ。 「坂田さん。それは、……忠告ですか?」 それとも経験か、と聞こうとしたが言葉が出なかった。 ほとんど同い年であろう銀時が、何歳も年上のように、若者を見る苦笑と切なさのような色合いで目を光らせる。 「いいや、願望」 (俺は、武士道ごときに彼らを奪われるのが許せなかった) だが、と銀時は斉藤の答えを聞かずに立ち上がる。 あの言葉が発せられてしまった以上、自分には"その真偽を確かめ、返答する"義務が発生する。 ―――どんなことをしても。どんな犠牲を払っても。 もう一度、抜き身の刀のように冷たい声に戻し、銀時は言う。後ろは振り向かなかった。 「じゃ、ごちそうさま。俺ん家、ストーカーしてた代償としては安いだろ?」 家に帰ると、丁度新八と神楽は買い物に行ったらしく、不在だった。懐に手を当てると、札束の感触がする。それがあまりにおぞましくて、スーパーまで追いかけて行って肉でも買おうと思う。その前に仕事を片付けたら。 高杉の拷問は、明日も続くらしい。好ましい"データ"が出なかったというのだ。それは、銀時が明日もあの行為を強要されることを意味する。友の心を汚す代償として、汚濁に塗れた札束を渡されながら。 データの意味はわからないが、とにかく動かなければならない。その上、こういう時に限って桂に連絡が取れない。 どこかでふらふらしているのかもしれないし、巻き込まれているのかもしれないが、とにかく最優先事項はアレだ。 銀時は少し考え、天井を向く。 囁くように、だがはっきりと呼びかけた。 「さっちゃん、いるか?」 |