下 階下への蹂躙は一瞬だった。鉄張りの壁を破壊してくるのは予想の範疇だったが、突入した瞬間に沖田がバズーカを連射したのには、さすがの二人も驚いた。 何しろ沖田は部下が突入する前に、三方向――つまり部屋全域に砲撃を加えたのだ。当然、部屋は炎に包まれ、家財や柱が一瞬で瓦礫の山と化した。 「……なんつー、無茶しやがる」 とても捕縛目的とは思えない爆撃から間一髪で逃れた高杉がぼやいた。階下では、炎が燻る音や木材がひび割れる音が轟音と共に響いている。偶然にも仕掛けが天井裏にあったから事なきを得たが、床下に潜っていたら間違いなくお陀仏だっただろう。狂乱の貴公子、鬼兵隊総督、世界の癌、攘夷派二大巨頭等の仰々しい名を持った丸焼きの出来上がりだ。 高杉の声は近くにいてもほとんど聞こえない程度の音だったが、桂はすぐに答えた。 「無茶の代名詞に言われたくはないと思うが、貴様と一緒に蒸し焼きかと思うとぞっとせんな」 「言うな、気味悪ィ。……こっちだ」 軽口を叩きながらも、二人はすぐに移動を開始する。ここも安全ではない。 そこは横に長い隠し部屋だった。一階の天井部と二階の床下部の空白に造られたもので、高さは大の大人が四つん這いでようやく進めるほど。 基本的な家屋は、一階の天井と二階の床の間にスペースなどはない。その心理の裏をかいた単純な仕掛けだが、以外に効果的なことが多い。 真撰組や見廻り組などの警察組織は時として天人系の地下組織にも手を伸ばすことがある。そのため御用改め時も、対象以外は極力傷つけるなという圧力が上からかかる。つまり一階に潜伏した犯人を捕らえる場合でも、二階を巻き込む戦術はなかなか使用されないのが普通。その政治的な躊躇にこそ付け入る隙がある。 先頭を行く高杉が、床に降り積もった埃を払う。綿のように軽いそれが舞い、少しずつ木の表面が顔を出した。灰色の埃が舞い散る天井裏はまるで世界の終わりのよう。永遠にその閉塞性が続きそうな「快感」。ある意味で閉鎖空間を好む異端二人が肩の力を落としかけた瞬間、高杉の右手が目的のものに触れた。 ちらりと振り返る。眼球の端だけで目を合わせた桂が頷く。高杉が床に刺さった楔を引き抜く。 仕掛け階段が稼動し始めた音が聞こえるか聞こえないかの時、内臓を揺さぶるような轟音が響いた。 「沖田さァァァん!!!」 「耳元で騒ぐんじゃねぇよ」 突入すると同時に、止める間もなくバズーカを発射した沖田は、山崎の絶叫を涼しい顔で一蹴した。 その冷たい反応にも負けずに山崎が食って掛かる。 「ちょっ、聞いてませんよ!!なんですぐバズーカ!?これ、あいつら二人とも死んだんじゃないですか!?」 当初の予定では、沖田が囮として飛び込んだ後、各隊が一斉に出口・排水溝・柱など脱出口となりうる全ての場所を固め、その上で二人をあぶりだすはずだった。 幕府側から止むを得ない場合を除いては、確実に生け捕りにするよう指令があったばかりだ。火炎系の武器使用の制限を補うため、最新鋭の捕縛用の武器などを援助されたというのに。 「いや、これは生きてる。敵を騙すにはまず味方からって言うだろィ」 大体これくらいの爆撃で死ぬのなら、とうの昔に奴らは殺されている。 沖田の目から見れば、建物を壊さず、脱出口に網を張る方法こそが甘すぎるのだ。真撰組はおろか、幕府――天導衆にすら憎まれる攘夷浪士の巨魁。そんな普通の方法で捕縛できるのなら苦労はしない。 「大体、俺達の作戦内容なんざ洩れてる可能性が高い」 「まぁ……それはそうですけど」 ここまであの二人が野放しにされていた理由を、警察の無能と彼らの戦闘力だけだと思う馬鹿はそうそういない。まず間違いなく幕府の中枢に間者はいるだろうし、前回の動乱で大分減っただろうが真撰組内部の癌の可能性も拭えない。 「つまり、洩れた作戦内容を上手く決行する一番の方法はこれだろ?」 沖田は山崎を一歩下がらせ、振り返ってにやりと笑った。その笑みに危険な香を感じた山崎が制止する前に、沖田の持つバズーカが天井へと向いた。 「人の気まぐれでィ!!」 バズーカが続けて火を噴いた。 身体のど真ん中を貫く軸に鋭い冷気が走った。「ヅラ!!」それを認識するかしないかの瞬間、高杉は目の前にあった桂の背を思い切り蹴飛ばした。 べきりと嫌な音を立てて足場が崩れる。高杉は、大きなひび割れの向こうに、蹴り飛ばされた桂の蒼白な顔を一瞬だけ見た。一度崩れれば、完全な崩壊は早い。天井は高杉の身体ごと雪崩のように階下へと降り注いだ。 大きくかしがった体勢で投げ出された高杉の反転した視界には、身の毛がよだつ様な光景が浮かんでいた。遠くでかすかに聞こえるのは桂の悲鳴だろうか。無論、高杉にはそれを感じる余裕はない。 右目だけのわずかな世界を断絶する太い針金の銀色。恐らく、床か壁が破壊された時に突き出てしまったものだろう。時間にして1秒にも満たぬ間に、高杉は懸命に身体をよじり、その自分を串刺しにしようと待ち構える銀色から逃れようと足掻いた。 左手で延髄付近を守り、どうにか受身の体勢を取る。丁度その瞬間、無理な形に捻った身体のすぐ脇を凶暴な針金が通り過ぎ、高杉の身体とその他の瓦礫が床に叩き付けられていた。 「山崎!桂を!!」 爆風の中、天井から落下する赤い着物を視認した沖田は叫ぶと同時に地を蹴る。 指令を受けた山崎も瞬時に行動に映った。大破した壁から外に出て、3番隊に守備を任せる。下手に人数を増やしては、沖田の立ち回りの妨げになる場合が往々にしてあるからだ。そのまま自分は、家の外壁から屋根の中に滑り込み息を呑んだ。 天井裏は酷い状態だった。 沖田の砲撃によって二階の床まで破壊され、大穴が開いている。所々で火が燻り、視界と呼吸器が徐々に侵されていく。山崎は姿勢を低くし、懐刀を抜いた。 (………桂。高杉を助けるために残るか、いや) 直感で逃げると思った。 高杉一派と桂一派の対立が深いからではない。勘と言ってしまえばそれまでだ。 山崎は思う。紅桜の一件以降も続く両派の確執は深い。それを最前線で調査してきたのは他ならぬ自分自身だ。だが、先ほど聞いた言い合いが頭から消えない。 あれは何だ。山崎には、奴らは何か別の法則にしたがって動いている気がしてならない。そしてその酷く不吉な法則は、どうやっても理解できるものではない――いや理解してはならないだろうと恐怖する。 その恐怖を振り払い、日頃から闇に慣れた山崎の目が、煙と煤に塗れた薄暗がりを鋭く見渡した。相変わらず人の気配はない。 (さすがだ) しかし、確実にいる。その確信を頼りに、山崎は自分が滑り込んできた穴を塞ぐようにして構えた。逃げるとしたらここしかない。山崎自身も息を殺す。首を絞められているように息苦しい。 それは恐らく粘膜に張り付く煤だけのせいではない。暗闇が粘つき、凝縮しながら近づいてくるような感覚。殺気のようでいて殺気ではなく、無人のようでいて無人でもなく、ただ酷く澱んだものが沈殿しているような――― ギィ 「……っ!?」 視界の隅。木が軋む音。山崎はバネのように跳ね上がり、剣客の本能のままその音に肉薄した。 すぐにぼやけていた隠し階段の残骸が明確な輪郭をもって、迫ってくる。―――おかしい。この階段は使えず、もし使えたとしても二階の連中に捕らえられる。そんな簡単なあぶり出しに桂ほどの男が乗るのか。 逃げの小太郎。自分だったら、この状況なら……。 その答えをはじき出した瞬間、背後の瓦礫が吹き飛び、凶刃が山崎に襲い掛かった。 沖田は真撰組随一の脚力で、無残に倒れ付す高杉に迫った。 「……っ!」 「取らせねェよ!」 天井から思いきり叩きつけられたにも関わらず、すぐに刀に手を伸ばそうと跳ね起きるのはさすがと言うべきか。沖田は内心舌を巻いたが、やはり脊髄への衝撃は容易には受け流せない。沖田の足が高杉の刀を蹴り飛ばす方が早い。 その勢いを殺さず、左手だけで脇差を抜く。刃の軌道は真っ向勝負の直線コース。左肩を貫かれれば、さすがの高杉も苦悶の声をあげた。その声に沖田がにたりと笑う。 「ようやく会えたねィ」 まるで恋焦がれていた相手を見るように目を細め、沖田は高杉に容赦のない足払いをかけた。 爆風に吹き飛ばされた上、肩を斬られた状態では耐えようがない。高杉は痛んだ背中を再び壁の残骸にぶつける羽目になった。 「これがようやく会えた相手にすることかよ。色恋がなってないねェ」 額から流れる血を拭う高杉の挑発的な笑み。その隻眼は、最も過激で危険な攘夷浪士には似合わず、恐ろしく落ち着いている。深緑色の眼球は、 秋雨のように冷たく鋭い。近くで見ると吸い込まれる錯覚を覚えるほど澄んでいる。沖田は容赦なく高杉の頬を張った。 この男は、まるで自分など見ていない。殺すか殺されるかの相手すら、相手にしない。だから冒涜したくなる。 「俺は痛めつけることで愛を実感したいタイプなんで」 にっこりと微笑んだ沖田を凝視し、つける薬はない、と高杉は首を振る。 「この芋侍が……。俺ァ、ガキと風流心のない奴はお断りだ」 左腕を針金にざっくりとやられ、紅の着物がどす黒く染まっている。当分動かせないほどの傷で、その上肩にも穴が空いている。それでもなお、高杉は不敵な笑みを崩さない。 それが沖田の嗜虐心に火をつける。 「ところがどっこい。俺の方は、アンタをこの場で痛めつけてスッキリしたいんですよ」 そう悪鬼の笑みを乗せた沖田からゆらりと歪みが立ち上る。 その陰惨な殺気を感じないわけではないだろうに、高杉は更に面白そうに目を細める。身体は動かず、孤立無援だというのにこの高揚感。この感覚は知っている。―――酷く歪で、不快で、触れ合いたくもあり、壊したくもなる。 「言っとくが、俺は土方斬りには関与してねェぞ。勝手に桂の野郎が飛び込んできて、ほんの気まぐれで晩酌をしてたらこの様だ。俺は何かィ? その辺に埋まってるか、十中八九逃げ去った桂の代わりの哀れな獲物ってわけか。沖田隊長殿?」 「仕方ねェんですよ。アンタの友達が俺の一番の暇つぶしを駄目にしてくれたんでねェ。遊んでもらえますよね、鬼兵隊総督殿?」 高杉が三日月形に唇を歪めたのと、沖田が返事も聞かず高杉を蹴り飛ばしたのは全くの同時。 やはり高杉は笑い続けていた。 ◇ ◆ ◇ 「あーうー、月が回って見えらぁー」 知らないうちに限界量を越えていたのか、べろべろに酔っ払った銀時がソファーに転がっていた。横に転がる酒瓶は既に空。その酔っ払いの視界といえば調子の悪いスクリーン並みで、四隅は白く濁りぼやけている。月の様に丸く曖昧な輪郭の視界の中に、本物の月がこれまたぼんやりと浮かんでいる。悪酔いをしない方がおかしい。 これ以上飲んだら明日後悔するという心と、まだ飲み足りない潰れて眠りたいという心が葛藤する。一瞬の逡巡後、勝利した後者に従って銀時が酒瓶を求めて立ち上がった瞬間、突然電話が鳴った。 「あー、はいはい。皆の銀ちゃんが運営する万事屋ですけどー」 酔っ払いは最低な応対だったが、一応電話には出た。 だが、相手の名乗りに反応して、緊張感のない銀時の表情が一瞬で恐ろしく厳しいものに変わった。 「……幕府の人? うちみたいな小汚ねー万事屋に何のようですかね」 先ほどまで潰れる寸前だったとは思えない、硬質で冷え切った声だった。 銀時は黙って相手の話を聞いていたが、話の途中で話を打ち切った。 「あのですね、実に破格の依頼だとは分かりますよ。でも俺は、そちらさんの依頼は受けねえことにしてるんすよ。前に何度か死にかけたことあるんで。命あっての物種でしょ。ボディガードだろうが、探し物だろうが、真撰組にでもやらせりゃいいでしょう。折角の権力を使わねーでどうするんすか。………ちょっ、人の話聞いてる? 受けないって……おい!」 「くそっ!切りやがった!人の話を聞けっ!!」 力任せに受話器を叩きつけ、悪態を付く。 何が明日の朝迎えを寄越すだ。何が俺一人で出来る簡単な仕事だ。何が……何が。 銀時はよろめきながら水道に駆け寄り、一気にコップ3杯分の水を飲み溜息をついた。 電話越しから聞こえた声が反響する。吐き気がする。猫なで声で、安全な場所からの余裕があり、全てを奪っていった声。 何がこの依頼を受ければ、貴方の一番会いたい人に会えるだ。 彼を奪ったのは、永久に奪っていったのは、他でもない――― その日一晩、銀時に眠りが訪れることはなかった。静まり返った万事屋、たった一人の夜。 彼は死んだ魚のような目に奇妙な光を湛え、暁天まで外を見続けていた。 ◇ ◆ ◇ 「金時はなんで電話に出ないんじゃ!!」 地球時間でいう深夜。5回目の電話が空振りに終わった坂本は、苛立っていた。確かに宇宙空間からの電波はよくないが、3回に1回は繋がらない程度だ。事実、4回は繋がったし、留守電にも登録した。それなのに銀時からの連絡がない。 一瞬、新八の家に泊まっているのかと思ったが、彼は滅多なことでは外泊しない。仕事で外泊する場合は、お登勢に留守を頼んでいくから少し時間はかかっても連絡はつくのだ。 本人は決して言わないが、その習慣が旧友に何かあった時、すぐに動けるようにだと坂本は知っている。銀時は高杉や桂の、無論坂本の生き方を止められるとは思っていないし、守ってみせるとも思っていない。自分達は悲しいほどに対等すぎて、誰も寄り添うべき妥協点を見つけられない。だからせめて何が起こっているにしても自分の知っているところで。せめて何か手を尽くせるように、知らないところで永遠に消えるということだけはないように。その強迫観念が銀時にはある。 首筋がぞわりと粟立つのを坂本は感じる。それを知っているからこそ銀時の不在は、不気味だった。 「高杉からも連絡がないんじゃな」 坂本の背後では陸奥が鬼兵隊と通信中だ。画面に映し出されるのは、陸奥の友人にして高杉親衛隊の来島また子だ。 「晋助様がぶらりといなくなるのはいつものことっス!でも、行き付けの妓楼と飲み屋と料亭に確認しても見つからないことなんてないっスよ!!」 その声は叫びに近い。 「例外があるとすれば、坂田銀時や桂や坂本殿といる時だろうが、うち二人は晋助の居場所を知らず、うち一人は渦中の人物。つまり何も分からないということでござる」 また子の隣にいた万斉が冷静に付け加える。不快という思いは全く隠れてはいなかったが。 「で、うちの頭は地球に行くと言っちょる。鬼兵隊は今どこにおるんじゃ」 「座標A-4058-23。火星付近ですね」 武市が答えた。それを受けた陸奥の目配せを受け、通信訳が坂本に代わる。 「ワシらの船は、火星の反対側じゃ。ところで、万歳君。ターミナル運行状況の情報は入っちょるかの?」 「万斉でござる。特に変化は見られぬようだが……ただ、陸奥殿の情報から考えれば、厳戒態勢でござろうな」 それは、鬼兵隊にとってターミナルへの入管が厳しいことを意味する。 「通常時でも鬼兵隊の船は第一級警戒船じゃ。簡単に破られとるがの。だが、天導衆が手を出そうかという時に入管したら、飛んで火に入るなんとやらじゃ」 「だが、それは快援隊も同じでござろう。最近は坂本殿が幕府の狗どもに目を付けられていると聞くが?」 「同じ穴の狢じゃな」 坂本が喉の奥で笑った。つられて万斉も皮肉気な笑みを返す。 「さぁ、それはどうだか」 「アンタら、喧嘩してる場合っすかァァ!!」 万斉の言葉が終わるか終わらないかのうちに、しびれをきらしたまた子の鉄拳が万斉に飛ぶ。 その声に、ふと坂本が真顔になった。 「そうじゃな。わしは快援隊を二つに分け、陸奥にまかせる一隊はターミナルから、わしの一隊はまぁその他もろもろのルートから行こうと思っちょる。ただ、」 交渉の要になったところで、予め決めてあったかのように言葉は陸奥に引き継がれた。 「わしらだけじゃ、高杉や桂さんを探し出すのは厳しいの。そして」 「鬼兵隊だけでは、地球に入れるかおぼつかない」 万斉の言葉が終わると、そのまま通信が途切れた。元通りディスプレイには茫漠たる宇宙が戻る。 無限の色彩を秘め、それゆえに混沌と澱み、絶対的な静けさを持って横たわる宇宙。目前には、赤い岩の星が漂っている。坂本は一言も話さず、それを眺めていた。普段よりも毒々しく、濁った血の色を彷彿とさせる星を。 どのくらいその沈黙が続いたのか分からない。不吉な赤色の端から、見慣れた宇宙船の先端が見えたとき、ようやく坂本は陸奥を振り返って笑った。 いつもの通り飄々と、殴りたくなる優しさで。だが、恐ろしく獰猛に。 |