くだらない日々を共にすごしてきたはずだった。共に剣に触れ、学び、遊び、暮らし、喧嘩してきた。守ろうと誓ったものも同じであったはずで、共に血潮を浴び、絶望に喘いだ。
取るに足らない人生の大半を這いずりながら、それでも手をとりながら生きてきて、誰も知らないうちに離れてしまっていた。虚しいではないか。やりきれないではないか。それを口に出せる時期も知らないうちに過ぎ去ってしまったのだけれど。
幸せな者達よ。我々の無念がわかるだろうか。



                           
二  段



河原の温い風が頬を凪ぐ。通行人の服装も心なしか明るい色彩が多く、世界全体が淡い。
銀時が寄越したおはぎは確かに恐ろしいほど甘かったが、不思議に胃に染み入り、なんとか立ち上がることが出来た。その土方は、何故か銀時と高杉に挟まれながら彼らの塾に向かって川べりを歩いていた。

川の水面が鏡のような眩しさを放つ。一種暴力的な輝きに目を背けた土方の目に、更に黒光りするものがチラついた。銀時の腰に差された刀の鞘であった。
慌てて高杉を見ると、彼は丸腰だ。未来(という保証も微妙なのだが)を知っている身としては、不自然極まりない。

「あ、高杉高杉。桜餅買ってこうぜ」
ほら、と子供の銀時は道端の物売りを指差した。買う前から味を想像しているのか、にへらとだらしなく顔が緩んでいる。
「桜っつっても、葉桜じゃねーか」
冷静に断りを入れた高杉も、食べ物の事で銀時を怒らせると怖い事がわかっているのか、そのまま物売りの方へ足を向ける。

「餡子が甘きゃなんだっていいんですー」
「じゃあ今日は砂糖かけんのやめろ」
「あ、無理。一日の糖分摂取量が充たせなくて倒れるから」
「倒れろパー!」
「テメェ、そのパーの意味で呼ぶなっつったろ!あ、天パーも嫌けどね。ムカツクんだよストレートチビ!」
「うっせえ、デブ!ハゲ!」
「ガキか馬鹿杉!俺がお前より体重多いのは身長が違うからなの。わかる?身長と体重割合が違うの」
「ヅラよりもデブじゃねーか」
「あれは、ほら量る前にヅラ取るから。軽くなんの」
「マジでか」
「馬鹿が信じるー。そんなんあったら、とっくに写真に収めて家宝だって」
「黙れェェエ――!!」

「ちょ、お前ら止めろ!くだんねぇことで、喧嘩すんな!」

当初の桜餅の話題も忘れ、じゃれあいをいきなり喧嘩に昇華させた馬鹿二人を土方は思わず襟首を掴んで取り押さえた。往来で子供二人に挟まれておろおろする真選組副長という自虐的な想像も働き、あまり余裕はない。
「くだらなくない!」
大体なんの因果で高杉の甲高い声を耳元で聞かなければならないんだろうか。
何この状況、俺お兄ちゃんじゃねえか。
「そうだよ!人間には避けて通れない戦いがあるんですー」
目が死んでないだけで、ガキの頃から万事屋はうざい。充分に素質はあったということか。
ところで泣いていい?




「……つまり、お前らは松下村塾っつー塾に通ってんだな」
なんとか喧嘩を収め、わけのわからないうちに代金まで支払った土方が言った。
にんまりと饅頭をかじる銀時と高杉が土方の両側にちょこんと座っているので、本当に休日のお兄さん状態に見えて微笑ましい。
「いつもは先生がいるんだけど、一昨日友達と遊説に行っちまったんだよ。まァ、この塾が藩の困ったちゃんの集まりって感じだから、先生がいない間大体の連中は普通に藩校に通って、親元にいるから問題はないんだけど」

おお、後世の過激派高杉君丁寧な説明ありがとう。
実はお前のほうが万事屋よりはまともだったんじゃねぇのか。
人間というのは、脳内で処理できる情報量を超えた状況に出会うと、どうでもいいことしか思いつかないように出来ているらしい。その松下村塾に、どんな連中がいるのかいやな予感を感じないほどに。

「しかーし、そう世の中うまくはいかないんだよねー」
「……ところで銀髪。お前、いつもその苛々する話し方なのか?」
「銀時は頭が悪いからな」
「高杉よりははるかにマシだから、そこんとこよろしく。話し方がイラつくのは、俺の頭の回転が速いからだよ」
もうこの頃から万事屋は素質があったどころか、取り返しがつかなかったんだな。……疲れてきた。
「……いいから続けてくれ」
「元々持て余し者の塾に集まってくるのは、これがまた一風変わりまくった馬鹿ばかりでね。俺以外。勝手に先生ん家に居ついちゃって、家にも帰らない状況が多いわけ。泊り込み合宿毎日版みたいな?」
「それは家出だ」
「違うもん。皆ちゃんと何日かに一遍は家に帰ってるよ。今日は誰がいたっけ?」
「俺と銀時だろ。ヅラと栄と久坂は道場の試合に行ってる。そろそろ帰ってくるはずだけど忘れた」
久坂、な。お尋ね者追加。ヅラと栄とは誰だろう。
「帰ってくるにしても、ヅラだけじゃん。栄はそのまま馬関の親戚の家行くって言ってたし。入江は?」
「あぁ、あいつは家で説教アンド反省中。この前やらかした喧嘩がバレたらしい」
「あっれー、その喧嘩の首謀者の高杉君はいいのかなー」
「過去を良いように組み替えるな。向こうに宣戦布告されたのはテメーとヅラだ」

万事屋(というのも変な感じだ)をさばいた後、高杉が俺の顔を覗き込んできた。
「なあ、土方さん」
すいません、なんで俺は高杉晋助にさん付けで呼ばれているんですか。
無意味にでかい目が近い。こんな目を俺は知らない。知っている高杉は破滅的な荒廃を纏った狂人だった。そう、その姿は静かな狂乱の影を持った桂と対になるような感じで、―――幾人の部下を殺したか。
本当にこの子供があの高杉に成長するのだろうか。今の奴らは、何処か昔懐かしい故郷の風を纏っている気さえするのに。

「あんたさ、まともな料理作れる?」
「……ハイ?」
「人間の食い物として認められるくらいの料理だよ」
「まぁ、人並み程度には」
自慢じゃねえが、俺の料理は自分で食ってても美味い。近藤さんだって美味さのあまり脂汗をたらしながら食べてくれる。食えないとか阿呆らしいことを言うのは、例のクソガキだけだ。
「マジでか!銀時、今日の夕飯にはありつけそうだぜ」
え、何俺が作ることになってんの?高杉と万事屋に?美味すぎるマヨネーズ膳を?
や、ガキだけど。それともやはりここは所謂あの世で、奴らは―――否、願望であるはずがない。

「よーし。じゃあ、さっさと帰ろーぜ。ほら……ヅラが帰ってくる前に」
一瞬遠いどこかを見つめた銀時が右手を引っ張る。それが年相応の子供の反応で―――そう当然のように、昔の沖田の反応にすら酷似していた―――土方の背筋にひんやりしたものが走った。
「ん。土方さん、今から俺達の家行くけど、即刻メシ作ってくれよ」
「急ぐのか?」

……この違和感は、何だ。いや、万事屋や高杉のことではなく。

「あー急ぐっつーか、遅くなると取り返しがつかなくなるっつーか、取り返しがつかないモン作る奴が帰ってくるっつーか……」

不自然さだらけだが故に、緻密なまでに整然としたこの場所。
この、会話のたびに、彼らを子供として認識するうちに。
何かがそぎ落とされていくようなこの感覚は、一体。


無自覚の中で、土方にとっての壮絶な喪失との戦いが始まっていた。




◆ ◇ ◆




「じゃ、一旦、屯所に戻ってきて下せェ」

通話を終了し、自分の携帯を内ポケットの中に収納した沖田は鼻歌を歌いながら真っ直ぐに廊下を歩いていた。常日頃、屯所はあらゆる種類の音と浄不浄が混ざり合う場所で、澱んだ静寂とは無縁であると思っていたがそうでもないことが証明されたようだ、そう二ヤリと笑う。
毎日大の男達が走り回るが故、そろそろ老朽の兆しを見せ始めた廊下の板の端々に沈黙の墓標が突き刺さっている。最も屯所内を駆け回り、馬鹿みたいに大声を出したり黙り込んだりの千変万化、ろくでなしだが背中を追わずにはいられないあの男の不在。沈黙が沖田を責める。それでも彼は不謹慎にも笑ったまま、乱暴に襖を開く。

「近藤さん」
(さァ、喧嘩の始まりだ)
その言葉を発した瞬間には、笑みは霧散していたが沖田ははっきりとその声を聞いた。

ろくでなしの喧嘩師がにやにや笑い、鼻歌を歌いながら喧嘩に出かける。彼が生きている限り一応存続するくらい、その音は強い。

(俺も随分土方さんに毒されてやがる)

たとえ辺りの風景が冷え切っていたとしても、頭が回転しているのを感じる。普段は俺の悪戯にころころ引っかかる馬鹿な脳みその、どこをどう通ってあんな鮮やかな喧嘩戦法が出てくるのか。一つ疑問が解けた。

「俺ァね、心底土方さんを救いようのない馬鹿だと思ってますが、心底羨ましいとも思ってるんですよ」
近藤と目を合わせた瞬間、苦笑気味の微笑みさえ浮かべ沖田は言う。
「総悟?」
それが天邪鬼の象徴であるような沖田にはひどく不自然だった。

「あいつほどアンタを的確に支えられる奴も俺は他に知りやせん。……だから近藤さん」

そもそも自分は土方が気に喰わなかった。あいつがいるだけで、全ての素直な感情が行き場を失って捻じ曲がっていく気がする。もしこの場に土方がいたら、悔しさと焦燥で血管の浮き出た近藤の手に触れることなど出来はしない。
あいつがいると、自分は酷く子供じみた無様な姿を晒してしまう。近藤の笑顔には安心するのだが、土方にそれを受け止められると上位を主張されたようでこの上なく腹が立つ。

「アンタは統括で動けない。だから、俺がアンタの意思を出来る限り拾ってみせる。癪だが、野郎がやっていたように。もう分かってるでしょうが、多分幕府は本気ですよ」

本当は、自分も本気だと言いたかったはずだと近藤は思った。
沖田の言葉は今の自分にとってこの上なく心強いようで、同時に何か取り返しがつかなくなるような恐れをも近藤に呼び起こした。

「総悟。……分かってると思うが、捕縛だぞ?」
何かを迷って、最も無難な言葉を選んだ近藤がおかしくて沖田は思わず笑った。彼がどんな時でもこういう馬鹿でいてくれるから、自分達は安心して斬ることができる。
「善慮しまさァ。―――でも、無茶はしやすぜ?」
「ああ。お前が死ぬような無茶以外はいくらでもしてくれ」
沖田は立ち上がり、後ろ手にひらひらと手を振った。近藤からその危険な笑みは見えない。

「了解。後、斉藤さんにお願いがあるんですが」






門に続く石畳は白い光沢を放っていた。ごつごつした石の中に混じる微塵の砂が、白い太陽光に反射しているのだ。
「長くは見せないぜ、桂ァ」
そう太陽を睨む沖田の指がすうっと刀の鞘を走る。

「随分、物騒だな」
前方、屯所の正門に身体を預けていた男が笑った。沖田がゆっくりと時間をかけて近づく。
「斉藤さん、早かったですねえ。てっきりその辺でビンタでも喰らってるかと」
斉藤は心外だというように、頬を指でつついた。
「既に殴られた後。しかも、てっきりは酷いな。ビンタ痕は男の勲章、女の魅力さ」
馬鹿の勲章が抜けている、近藤さんが当てはまらない、と沖田はほくそ笑んだが何も言わない。
「で?数ヶ月ぶりに真面目に仕事をする一番隊長直々のお呼び出したぁ何だい?」
「斉藤さん。最初は酷く退屈で、もしかしたらずっと退屈かもしれなくて、でもかなりの確率で面白いかもしれない仕事やりやせん?」
アンタにしか、出来ない。囁く声は低く、どこか甘い響きがある気がする。
斉藤は顔に出さず喉だけで笑った。近藤や土方は嫌いであろう沖田のこの声。

「俺も自分の隊あるんだけどね」
「一番隊と一緒に暴れればいいでしょう。近藤さんから何してもいい、って言われてますぜ?」
だが、自分は好きだ。この声を聞くだけで、刀が鋭く切れ味が増す気がする。

―――万事屋を、いや旦那を見張って下せえ」
「誰でも出来ないか?」
「意地悪だなあ、斉藤さんは。分かるでしょう?」

斉藤は意地の悪い笑みをして、何処からか舞い散る花弁を取った。

「君の菊一文字に負けて、引き受けるよ」




◆ ◇ ◆




「一応は仕方のない選択だったのだぞ」
桂は刀についた血を拭きながら心底不本意だと溜息をついた。

薄暗い部屋だった。春先とはいえ、板の間には冷えが蓄積していた。その冷気に触れ、ようやく昂ぶっていた心が平静を取り戻していくのを桂は感じた。
相手は何も言わなかったが、仄暗い空気の向こうから鋭い目で桂を睨んでいるのは分かる。普通の人間なら震え上がるだろうが、当然そんな神経など持ち合わせてはいない。勝手に続けた。

「勢いに任せてしまったが、土方を斬った以上―――しぶとければ助かるかもしれんが―――騒ぎにはなろう。その危険に仲間達を晒すわけにもいかず、家に帰れなくなった。どこかに泊まろうにもさっき蕎麦を食べた代金分足りなくてな。次に銀時の家を考えたのだが、この前玄関を壊しただけで、半分は奴のせいなのにぶん殴られた。真撰組の御用改めで沖田とかいう小僧にバズーカでもぶちこまれた日には入院になってしまう。弁償する金もないし。で、次には幾松殿に匿ってもらおうと思ったのだが、つい三日前に張り手を喰らったばかりでな。俺を匿ったことで店が壊れれば銀時とは別の意味で怖い。最後に高杉を思い出した時には、我ながら冴えていると思ったぞ。遠慮する必要もなし、紅桜の一件で貸しはあるし、幕府の狗もまさかあの大喧嘩をしでかした二人がつるんでいるとは思わないかもしれないし、迎撃に人は多いに越したことはない。仲間の命は惜しいが、貴様はちょっとやそっとじゃ死なないだろうし………おい、高杉。俺の話聞いているか?」

―――あァ、聞いてるぜ。俺ァ昔に比べて随分気が長くなったと思ってなァ」
桂の正面に座った高杉の表情は少し引きつり、目は据わりきっていた。
自分もそれなりに自分勝手な人間に分類されるだろうと思っていたが、今笑えるほど身勝手な演説をした桂は無自覚だ。当然だろう、といわんばかりの顔に問答無用で爆弾でも投げてやりたい。
「大体、なんで俺がここにいると分かったんだよ」
確かにこの場は高杉の隠れ家の一つだったが、常時使用しているわけではない。今日いたのは、たまたま万斉が艦を率いて、武器の調達のため宇宙に行っているから、そして細かい交渉よりは江戸で情報収集のほうがマシだと高杉が主張したからだ。一つの場に長く居座らないのは、桂こそ熟知しているだろう。自分が宇宙に行っていたらどうする気だったのか。
「ああ、いればラッキーだな程度だった。別にここの鍵くらい外せるし、適当に隠れさせてもらおうと」
けろりと桂は言い放つ。高杉の額に血管が浮き出た。
「………ほォ?そして真撰組に踏み込まれても、俺の隠れ家が一つ潰れるだけ、と?」
「まあ、そうとも言うな」
冴えているだろう、と目を閉じて満足げに呟いた桂の顔面に高杉の容赦ない蹴りが入った。

「高杉!礼儀正しく仮住まいの許可を求める友人に蹴りを入れるとは何事だ!しかも貴様、裸足だぞ!」
「ふざけるな!テメーは一度礼儀を見直せ!死ね!」

顔を見合わせた二人の間に火花が散った。




時をわきまえずに、事件を引き起こした張本人と最も過激な攘夷志士が喧嘩をしている部屋の外。
窓の下に潜んでいた影が、音を立てずに離れていった。
夕刻に近づいた空は、毒々しく赤かった。