こうしてこうすりゃこうなるものと知りつつこうしてこうなった 多分、 一 段 職業柄、斬り合いをする回数は不逞浪人達も含めてすら多い部類に入るはずだが、それでもほとんどお目にかかれないような鋭角を纏う凶刃が襲い掛かってきた。 その一撃で無様に倒れなかったのは、幾度となく桂を逃がしてきた不名誉極まりない経験から、会話の最中にも常に奴の刀に目をやっていたことと毎度毎度沖田の暗殺もどきをかわしている反射神経の賜物だろう。 「……よく止めたな芋侍」 桂が酷薄に口元を歪ませる。剣を力押しで進めながらも、何処か余裕の残る動作だった。 道場時代から彼は技巧の剣を振るわない。俊敏な剣捌きと身体使いから細やかな技巧に裏付けされているように見えるが、実際剣を合わせてみれば、多少の無茶をしても力押しで畳み掛けて勝負をつけようとしていると身をもって知る羽目になる。 そして。 師に教わった剣筋は、修羅場をくぐる度、ひたすらに戦法を吸収した。何を守っていたのか、思い出せないようなもののために。飢えるかの如く、怯えるかの如く、内々に荒れ狂う虚無を鎮めながら、桂の剣は血を吸った。そして彼自身もまた、その身に浴びた血潮の重さで、かろうじて死なずにいるのだった。 刃を合わせた黒い隊服が手首を強く動かす。波紋を乱そうとしているとぼんやり思いつつ、桂の右腕は細やかな動きでその刺激を相殺する。 「刃を乱れさせれば、取り落とすとでも思うたか。馬鹿め」 その嘲りは、止まらぬ思考の末路にあった。敵は右肩を庇っているどこかで志士を斬ったのかとか、早くこの男が戻れない人斬りになればいいとか(どうして、まだこいつは戻れる色なのか!)、血と骨が絡みつく土壌でしか生きられぬくせに濁らない魂が白夜叉を惑わせるとか、真っ直ぐだった仲間と先生と故郷は失われ、今でも薄暗い路地で陰湿な思考を続ける自分は生きていて、とか、次の思考が生まれる瞬間かそれより前に煩雑なそれは消滅していって、斬り合いの間にも回想に引きずり込まれていく。 「……ってめえ、今日は随分饒舌じゃねえか。普段はこそこそ逃げ回るくせに」 思わず土方が言い返す。苦しさを舌に乗せないのが今出来る精一杯の矜持だった。 「ああ。余裕だからな。―――それに」 土方は硝子球のように現実感に乏しく、それでにて破滅の渇望を秘めた(不意に、桂はその渇望を認められないのだと直感した)双眸を見た。 瞳が縫われ、肩の傷が疼いた。喉が干からびて、後悔すら生まれた。 これの何処か穏健派なんだ、と。 狂った純度が増し、凝縮され、小さく見えるだけではないか! 彼の冷笑は、見るものの臓腑を抉る。あれに魅せられれば、全てを冷却されて砕かれる。 この笑みを崩してやりたいと痛切に思った。崩し、激昂させ、激しさの中で殺さなければならない。 ようやく、高杉に比べて過激性に乏しい桂を、上が血眼になって追うのかを理解した。今はまだいい。激烈と冷静は互いに潰しあっている。だが、彼らが結託してしまったとしたら? 桂はもはや土方を通り越して、推し量れない事を考えている。 彼はその合間に心底どうでもよさそうに微笑した。ぞっとしたのは、久しぶりだとぼんやりと思った。 「むしゃくしゃするんだ。通りがかった貴様が悪い」 瞬間、桂は消えた。いや、消えたように上方に舞った。 しまった、その時既に遅し。迫り来る命の危険に構えた剣が華麗なまでの孤を描いて弾き飛ばされた。曖昧な灰色の空に、桂の黒髪が流れる。その合間に隠れた、嗚呼、本気で殺すほどの気迫も篭らない嘲りの笑み! 屈辱よりも、恐怖よりも、昨日までの自分の無知を呪った。この沈鬱で虚ろな目のまま、彼は時代を壊すやもしれぬ。 果てしない血の濃い匂いと、痛みすら麻痺した皮膚の引き攣りと、断片的に聞こえる桂の言葉。 屯所に、帰らなければならない。 あいつらが ころされて し ま う … … 思考が、一段と強いノイズを伴って―――途切れた。 ◇ ◆ ◇ 「おーい、兄ちゃん大丈夫?」 春の匂いが戻ってきていた。それどころか薄汚れた路地の饐えた臭気も、自分を押し潰した血臭も綺麗に霧散している。あるのは、温かな空気を取り込んだ土の感触であり、ぬるやかな涼風であり、頭上から降り注ぐ平和的な子供の声だった。 想像と違うな。半ば落胆、半ば関心の心持でそう思った。 屯所でもなく、血の匂いもない。屯所でないなら、この場所の名はただ一つだというのに。 死後の世界、それも地獄と言う場所はこんなにも牧歌的なのだろうか。 「……やっべえな。行き倒れじゃん」 「どうすんだよ?先生、遊説に出たばっかだぜ」 もう一人分子供の声が加わる。どうにも、二人そろって聞き覚えがあるようなないような声をしている気がする。 張り付いた瞼を必死にこじ開ける。別にこのまま眠っていても良かったのだが、気まぐれに目を開いてみたくなった。いつか話題に上らせた地獄という場所を見てやろうじゃないか。どうにでもなれ。 「あ。生きてる」 開けた視界は勝手に作り上げていたイメージとは違って明るく、土方は心の底から目を開いた自分の自暴自棄具合を後悔した。 頬に触れる黒土は柔らかく、細かな砂利がくすぐったい。視界の隅には綿毛と花弁を混じらせた蒲公英の花が揺れている。 その風景の中に、子供が立っていた。地に伏せた状態でもその足は小さく細い。ゆっくりと視線を上げる。 飛び込んできたのは、丸い瞳を惜しげもなく注いでいる子供で、彼の髪は四方八方に散った銀髪だった。 なにこれ。子供に罪はないが、どうにも銀髪で天然パーマというのは悪い思い出しかない。 「お兄さん、遠足に行くならちゃんとお弁当持たなきゃ」 「…いや、別に遠足なわけじゃ。つーか、ここどこだ?」 「俺、おはぎ持ってるからあげようか。甘さ二倍の奴」 「いや、お前のあれは兵器だろ。喉が焼け付くじゃねぇか」 この嫌な嫌な既視感はなんなんだろう。 子供のくせに気だるげで、将来駄目人間になりそうなこの様相。明らかに人の話を聞かない態度。 そしてなにより、甘党らしい所! いや、待て落ち着くんだ。相手はガキじゃないか。今からでも遅くはない。換言してやるのが大人の役目だ。 こいつは、あの万事屋ではないのだから。 そう忙しく考える土方に、もう一人の子供の言葉によって無上にも事実が突きつけられる。 「銀時、とりあえず塾に連れてこうぜ。お前のおはぎで見知らぬ人を倒していいわけがないだろ」 ぶっきらぼうながら土方を気遣った物言いだ。それほど、その物体が酷いのか。いやどうでもいい。 今、なんと言ったんだ。 黒髪の、ちょこっと小さめの子供は。 「ぎ」から始まり「き」で終わる名前で、銀髪天然パーマを呼んだのか!? しかも、こっちの黒髪もどこかで見たことある気がするんですけどォォ!! 「ちょ、ちょっと待て!待って下さい!……お、お前、銀時っていうのか?」 土方は狼狽に任せて飛び起きた。 斬られたはずの体に激痛が来ない事を不思議にも思わない。 「そーだよ。坂田銀時。んで、こっちのちっこいのが」 「ちっこい言うな!天パー!高杉晋助。よろしく、行き倒れの兄さん」 偶然だ偶然だと思い込んできたが、もう駄目だった。 出来すぎとも呼べる状況。名前まで同じ。その上、一人の方は昨日まで必死に追いかけていた指名手配犯。高杉特有の倒錯的な雰囲気がないから分からなかった。 よく見れば、人間とは時が立っても顔の造形そのものは変わらないのか面影が嫌というほどあるではないか。 考えたくはなかった。 それでも土方はその考えに辿り着いてしまい、春の陽炎の中につっぷした。 ―――どうも、これは、万事屋と高杉の幼少期らしい。 ◇ ◆ ◇ その時、沖田は恒例の如く、駄菓子屋の前のベンチで惰眠を貪っていた。無論、勤務時間内だ。 よく騒がしい街道で寝られるなとも、毎日よく飽きないなとも言われる行為。その度に俺は、常に飽きてますぜと冷然かつ淡白に言い返していたりして。 大体、何をそこまで追いかけられるのか分からない。人生を足掻きながら生きると言う、あたりまえと言われていて、かつやたら綺麗に見えることが俺には出来ないし、しようともあまり思わない。(思わなくなったのかもしれない) とりあえず今家があって、毎日言葉を交わす奴がいて、それなりに気になってる奴がいて、人斬りを生かす敵もいる日常は飽和点に限りなく近いと思う。彩る言葉だって、俺の物だけが腐敗していた。 ところで言葉っていう奴は、そのほとんど全てが、嘘と臆病さと衝動と今まで生きて死んでいった全ての馬鹿どもが面倒で名前を付けてくれなかったでろりとした物で組み合わされていたりするが、(稀にやたらその混沌の中に埋まる真実の純度がやたら高い馬鹿がいて、俺はそんな馬鹿が好きだ)そんなものだって、これまで数多の人生を支えたり狂わしたり壊したりしてきた優れものだからナメられるものではなく、どんなことを思っていても、一応それを口に乗せるのは、脳内でそいつが受け入れられる形になって喉に到達しなければならない。 だから、近藤さんは別格だから置いといて、例えば土方さんが「太陽に殺されたいと思ってんだろ仕事しろ」とか言い出した日が、世界の終わりが始まる日なのだ。 「沖田さーん!!」 あ、そろそろ土方さんが怒鳴りに来るかと思ったら、山崎が来た。パシリって辛そう。いないと困るが。 「おー、山崎。よくわかったなァ」 「いや沖田さんいつもここで寝てるでしょ。……ってそうじゃなくて!!」 暇だからからかってやろうと思っていた山崎が、尋常でない顔つきだったのにようやく気が付いた。退屈に凪いだ表面のすぐ下にある不安の層が疼く。 「副長が、……副長が斬られました!!」 その瞬間、確かに世界が凍りついた音を聞いた。 一瞬前までの自分がずたずたに切り裂かれて、骨ばかりになって霧散した音も聞いた。 「幸い発見が早かったので、息はあります」 「……かろうじて生きてるってわけかィ。意識はねェんだな。―――下手人は」 「現在最低限の隊士だけ残して探索中ですが、目撃証言によりますと……」 どんよりと、ぼやけた陽炎の中に埋まっていた世界が急速に冷え切っていく。 人は冷静になる時、こんな寒々しい風景を見るものなのかと思った。余分な物が全て排除され、俺が目を背け続けてきた義務だけが、色をなす。斬撃の音楽だけが鳴り響く体温のない空間。 「桂、という説が有力です。俺も副長を斬れるほどの長髪の浪士なら間違いないと思います」 山崎はそう断言した。彼が結論から物事に取り組むのは珍しい。 「俺はこのまま探索に戻ります」 「見つけられんのか?」 「手段は選びません。不可抗力ですね」 「わかった。近藤さんは統括で動けねェんだろ?」 「はい。あ、携帯預かってきました。―――沖田さん」 「わかってらァ」 受け取った携帯電話は間違いなく土方さんのものだった。 ぞっとする。これがこのまま遺品となったら、と思うと死にたいほど。 なぁ、土方さん。 俺ァ、誰かの看病もしたことねェし、アンタを元気付けられる言葉を言えるほどいいやつでもねェ。 そんな俺にぴったりの見舞いがありますぜ。 アンタ、病室に、桂の首持ってきたら、飛び起きるよな? 「斬ってくる。見つけたら教えろィ」 これが足掻きながら生きるってことなら、こんなものは知りたくはなかった。 だがそれ以上に。 「わかりました。……お願いします」 ―――あんなに息を切らしながら走り続ける彼らから彼を奪うなんて許せねェ。 とりあえず、単独では逃がす恐れがある。ある程度の手勢を借りてこなくてはならない。 そうはじき出し駆け出した沖田を取り囲む世界は、相変わらず饐えた春が溢れていた。 |