歌は終わった、しかし歌声が聞こえる










死体は重いというのは、常識に等しい共通認識だった。抱えれば抱き潰されるという事実も。
知らない者は誰も生き残れなかった。

生きているならば、どれほど弱っていても必ず背負う。みしみしとなる肩、切れる息、そんなものが人を抱える重みを伝えたが、その重みに押し潰されたことはない。
何よりも怖かったのは、生きている人間の重みが、死者のそれに代わるあの一瞬。筋肉やら心やらごと潰す重み。―――こいつは、死ぬのだ、と分かってしまう瞬間だった。










容赦なく全身を弄る風で視界はほとんどきかない。
眼を開け、船の欄干から乗り出した体勢を崩さないのがやっとだ。
だから銀時がしがみつくように手を掴む高杉の表情も見えない。確かなものは双方の血でぬるぬると滑る手の感触と、冷淡な言葉だけだ。


「手を離せよ。銀時」


荒れた風の中でも、高杉の声はよく通った。
昔からそうだったな、と思うのは自分の走馬灯でもあるのかもしれない。高杉の声はどんな乱戦の中でも電撃のように通り、問答無用で仲間を導く力強さがあった。
だが、今は、それがない。透き通ったまま、死に向かって歩いて行こうとする声に変わった。


「テメェの、戯言に、付き合う余裕はねーんだよ!いいからさっさと掴まれ!!」



手首だけは血すら止める強さで掴んでいる。
だが、その先の指は風に弄られるまま。必死の努力をあざ笑うように、力なくひらひらと揺れる。


「高杉!!」


高杉、高杉、高杉。呼び慣れすぎた音が、耳の中で混ざり合って雑音がひどい。眩暈がする、頭に血が上り割れそうだ、だが――
この手を離さぬために戦ったことがあった。あの時、高杉も全身の力でしがみついてきた。


「……掴め…………!!頼むから、掴んでくれ!!」


だが、江戸の紺碧を背にする高杉の手には力が籠らない。
彼は敗れた。鬼兵隊、春雨、見廻組……高杉の手にある総力を結集して挑んだ戦いはわずかなほころびから瓦解した。文字通り、古びた屋根を踏み破る時のように、前触れと言う前触れもなく、あっさりと。


「どうして?テメーは、ずっとこうしたかっただろう」


一片の疑いも含まない高杉の声が痛い。
それ以上の言葉はないが、優しげに揺れる隻眼は如実に語っていた。
お前は、俺を、殺すためにここに来て、今叶おうとしているだろう、と。

違う違う違う。銀時はわめいた。
止めに来た、斬ることも覚悟してきた、テメーの作戦が失敗したと悟った時にゃこれで斬らずに済むと思ったうれしかった、いつだって、テメーは望んだことなんざねえだろうが、助けたかったのに……!!


どれだけ刀と生きても、夜叉などと恐れられても、自分しか止められないなんぞと強がってここまで来ても、最後の最後でこの手は届かない。
後悔と諦めと足掻きの全てがぐるぐるとエコーした。死んでもいい、と思った。むしろ死にたいとすら、思ってしまった。それで届くのならば。

なぜ、萩の涼風の中で出会って、結末が黒々と澱む黄昏になってしまったのだろう。


「銀時ィ。お前はお人よしだなァ」


朝が見たい、と高杉は切実に思った。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった友の顔とその背後に静かに表れた黒服の男を見ながら。

別れの時だった。いつか来ると知っていた、だが永久に来なければいいと思っていた瞬間が来たのだ。


自然と、本当にあふれるように笑みがこぼれた。
それは、偶然見てしまった土方から見ても、少年のそれのように晴れやかな笑顔だった。


「届いていたさ、いつだって」

許せ。銀時。


言うが早いか、高杉は噛み切る勢いで、己を掴む右手に噛みついた。ギリギリの体勢で掴んでいた銀時は、耐えられなかった。
手首が外れる。悲鳴が上がった。夜叉にまでなった男の絶望が凝縮した慟哭の悲鳴が。

高杉は笑いながらゆっくりと落ちていく。


「させるかァァァア!!」
「…………っヅラ!」


背後から伸びてきた手を振り払って身を乗り出した銀時は、その生涯忘れられない光景を見る。
雪が舞うように無抵抗な落下を続ける高杉の腕を掴んだ手。細身に似合わない太さの、傷だらけの両手。もちろん、その持ち主は一目で分かる。

驚愕に言葉も出ない高杉を、力強い腕が無理やり、一層下の窓に引きずりこむ。
一度はわずかな安堵でため息をついた銀時だが、次の瞬間には全ての血の気が消えた。

桂は船の二層目で、真線組の足止めをしていた。人数の差は歴然、ある程度のところで引くと言っていたし、自分たちの中で桂の引き際は随一だ。失敗するはずなどない。
意味することはただ一つだ。彼は己の意思で残った。すなわち―――

思考が最悪の現実にたどり着いたのとほぼ同時。高杉が消えた窓から暴力的な閃光が漏れる。
銃声。
終わりの、合図。


「総悟だよ」


飛び出そうとした着物が残忍な手に縫いとめられる。
襟首をつかみ、銀時を此岸に引きずりあげた土方が静かに言う。
完全な勝利を収めた者とは思えないほど、沈鬱な声だった。

「土方ァ。……白夜叉、殺してくれよ」

土方の足元で、銀時は小さく丸まり、首をさらして懇願した。
その腰の刀で、かけがえのない野郎どもの首を落とす刀で、あいつらを捨てて、結局は間に合わなかった役立たずの鬼を殺ってくれ。



不幸なことに、土方はその時に感じた憐憫を、生涯忘れなかった。
本当に、最後の一瞬まで。それこそ、当の高杉の首を落とした感触も、近い将来に嗅ぐターミナルの燃える臭いも、そして目の前の打ち捨てられた男に殺された時の痛みも、最後の瞬間には全てなかったというのに、近藤の、沖田の、ミツバの、兄の笑顔の後に、なぜか坂田銀時の疲れはてた笑みが映った。



うずくまった銀時のみぞおちに拳を入れた瞬間、誰のものかも分からない絶唱を聞いた気がした。




◆ ◇ ◆




切り取られたわずかな光が薄暗闇を遠慮がちに照らす。既に東雲は過ぎ去り、空にほのかな熱が浮かぶ時刻だった。 見たかった光景ではなかったが、不思議におかしい。
「何を笑っている。薄気味悪いぞ」
桂の嫌そうな声を聞いて、高杉は自分が笑っていたことに気がつく。
「テメェの髪がな」
そして名残惜しい空から目を離し、深く考えずに言い返した。テメェの説教がうるさいから最期の東雲を見逃した、と。
それがまた桂の逆鱗に触れる。
「うるさいとはなんだ」
一晩中、無意味な口げんかをしたというのに、まだ言い足りないらしい。言葉尻を捕まえられる。

「昔から我慢に我慢を続けた、さっさと吐き出しておけばよかった必要事項だぞ!……まったく、貴様という奴は幼き頃からどれだけ俺を巻きこめば気が済むのだ。戦時中もそうだぞ、夜遊びやら無茶な作戦やら貴様が持ち込んだ悪習のしりぬぐい、金策を誰がしたと思ってる。俺じゃないか!」
そのまま桂は、どの金策が大変だっただの、こんな裏での手続きがあっただの列挙し始めた。
「死ぬ前にふさわしい素晴らしいご高説だよ。さすがヅラだ」
「ヅラじゃない桂だ。……このあだ名もそうだな。何度止めろと言っても、誰も聞かなかった」
俺は人が良すぎたな、と桂は真顔で言った。

「挙句の果て、死に際にまで巻き込まれた俺を善人でないと誰が言う?」

この冗談めかして言う桂は、本当は戦争中に頭がおかしくなっていたのかもしれない。
どうしようもなく、死地に慣れた肉声が悲しい。その方法さえあれば、きっと泣いただろうと高杉は思う。
「テメーが勝手に巻き込まれてきたんだろうが。……そもそも」
それでも言い返す言葉は、憎まれ口。
「なんだ。詫びの文句なら早く言わんか」
再び返るのは、ふんぞり返った気配と誠意のない文句。
「俺たちゃ、くたばるときは同時に、それもろくでもねえ末路だと決まっていたじゃねえか」
それに返すのは、これまた冗談めかした世捨ての言葉で丁度良い。

「クッ……ハハッ」

見慣れた双眸がぐにゃりと歪む。
桂は唯一自由になる筋肉を存分に使い、大声を上げて笑った。震わされた空気でくぐもった音がした。

「なァ、桂。俺はテメェを狂わせたのか」
ひきつった笑みに、失われた時を見る。
あのあばら屋で、自分が炎を燃え立たせなければ、桂は濁らなかったのかもしれない。
しかし、桂は意外なことを聞いた、と笑いすぎて涙が流れる頬を地で拭いた。
―――高杉。貴様も狂ったと言われ続けているだろうが、正気か?」
「正気だ」
高杉は即答した。どこを探しても、狂っている暇も余裕も見つかりはしない。
「俺もそうだ。一度も狂ったことなどない。すべて、己で選んだ道だ」
桂は一度言葉を切り、晴れ晴れとした微笑をのせた。

「だがな、本当はお前がいたから、ここまで走ってこれた」

高杉はくしゃりと瞳を下げた。
「……バカだなァ。テメェが、いつだってそうやって許すから、俺が調子に乗るんだぜ」
そうやって泥濘の中に引きずり込み、道連れにした。あの再会の日、本当は彼が戦いたくなかったことを知っていたのに。
声にならない謝罪を聞いたのか、桂の口元に苦笑がのる。何を今更、と笑い飛ばすように。
「俺は物分かりのいい利発な子供だったからな。友人になってしまった時にあきらめていたさ」
それに、と桂はにやりと不穏な空気で付け加えた。俺もだよ、高杉、と。

「貴様を見ていると戦いたくなって仕方がなかった」

高杉は今度こそ腹の底から笑った。
ああ、この結末に、一片の悔いもない。

「奇遇だなァ。俺も、テメェの底なし沼のような目を見ていたら、負けたくねえと思っちまったよ」



「負けたな」
不意に桂が真顔になり、言った。
「ああ、負けたな」
高杉も真顔で返し、「はじめて言った」と続ける。

毎日のように負け犬と思って生きてきたが、一度も認めたことはなかった。
そのくだらなくも、頑強な意地にしがみついて、もがいて、馬鹿みたいに傷ついて。

「完膚なきまでだな」
「あァ、コテンパンっつうやつだ」

空気が揺れた。
本当の終わりとは、なんと軽やかで静かなのか、と高杉は思った。
肩の荷が下りてしまった、本当に負けたのだと桂は思った。

「なあ、そう思うだろう? 土方、沖田」
そして言う。
濁らない魂を惜しげもなくぶつけて彼をすくい上げ、一時の勝者にも選ばれた不運な二人組に。

―――最期に、望みは」

必死に、顔の筋肉を堅く凍らせた土方が返す。まるでその言葉しか知らないように、最期という事実を塗りこませるように。


「斬首にしてくれ」

狂騒が嘘のように消え去った声で、高杉が即答する。桂も静かに頷いた。
「今、近藤さんが切腹できるように上に掛け合ってますぜ。それでも?」
沖田の目が、ごろりと揺れる。それは、あの戦闘の時、至上の幸福のように恍惚と己を撃った男とは思えない不安と疑問に満ちている。
きっと彼は聞きたいのだ。武士の死に様として悔しくはないのか。そもそもお前らは何なのだ、と。
「ああ。それだけが、今の俺たちの望みだ」
だが、教えてやらないと高杉と桂は同時に思った。この死に花に込めた想いだけは決して。

「……万事屋に、何か伝言はあるか」

絞り出すような声で土方は言い、一瞬遅れて己に驚いた。その後何度も考えたが、なぜそう問いかけたのか、特に処刑が終わるまで、坂田銀時監禁する事実は伏せられなければならないはずだったのに、彼の存在をほのめかしたのか分からなかった。

「そうだな。……幸せに、と」
かすかな逡巡の後、桂が言った。
「酷え。あんたらが半分を持っていくくせに」
沖田が駄々をこねるように喚く。口に出してはっきりと分かった。高杉がたしなめた。
「人は半分しかなくても生きて行けるさ」
否定のない言葉に、沖田は苛立つ。
これほど残忍な結末があるだろうか。連れて行かれる。あの優しすぎる人は、こいつらに。
この首を飛ばした瞬間、もう二度と、彼と笑いあったりいがみ合う日常には戻れないなんて!

「土方、沖田」

高杉が自分の首を撫でながら言った。


―――楽しかったなァ」


何を馬鹿な、と言い返そうとしたが、言葉が出ない。
おかしい。
なぜ、敗残者として汚名と共に消えるこの男達は最高の人生であったかのように死んでいく!


桂がこの上なく魅力的に笑う。鍛え抜かれた刃のように美しく。


「さあ、昼の鐘だ。行くぞ、高杉」


あたかも全国民に愛される英雄かのような傲慢さで。




◆ ◇ ◆




暗闇に沈んでいた瞳がぎょろりと動いた。一度目の昼の鐘は余韻すら残さず消え去り、二度目の鐘が遠くで鳴っている。
ひどく静かだった。少なくとも日頃は聞くに堪えない摩擦音を引き起こす錆びついた扉も物音ひとつ立てず、足を踏み入れるたびぶつけられる囚人の罵詈雑言もひっそりとなりをひそめている。
まるで、最奥に閉じ込められたものに飲み込まれてしまったかのように、音がない。
そして、動くのはその男だけだ。

「あいつらの血は温かかった?」

それまで何度話しかけても目線一つ動かさなかった死体のような夜叉は、土方にぼんやりと目をやり、言った。

「首を飛ばした感触は?」「どんな音で転がった?」「見物人は?」「なあ、答えろよ」

土方は一つ一つ、克明に事実を答えた。間違えても、この男が甘い期待に沈んでいかないように。本当は生きているのではないかなどと、生涯思わないように。
これまで飛ばしたいくつもの首と変わらなかった、骨で止まらぬよう真っ二つのイメージで斬った、穴にごろりと転がって、なぜだかぐるりと回って、あいつらの首は嗤ったよ、確かに。
楽しかったなあと嘲笑っていたよ、桂の首を飛ばした沖田も嗤った首を見たと言っていた、あんな気味の悪いものはもう一生見たくないと、俺は言ったよ、あいつらの人生は終わった、二度と現れない、ってな。


―――釈放らしい。どうする?万事屋」


土方はそこまでつぶやき、喉の乾きと、猛烈な疲れを感じ、肩をすくめて言った。
早く出て行ってくれ、と心から願いながら。

目が逸らせない坂田銀時の顔に、暗い疲労と怒りが満ちていく。人を小馬鹿にしてへらりと笑っていた赤い瞳が、どろりとした真紅に変わる。
拷問だと思った。人の、それも焦がれた人間の半分が、削り取られるようにして少しずつ奈落に落ちていく様を見せつけられるなど。


「行くよ。―――でも、いいのか?」


土方が、腕の縄を切った。

「俺は奪うかもしんねえよ。テメェも、テメェの大事なモンも」

自由になった手をもてあそびながら、銀時は笑おうとして失敗する。
歪んだ死体の顔に無理やり穏やかな笑みを乗せたような不気味さだった。

「土方ァ。本当に分からないんだ。ここを出た後、どうしたいのか」
「ああ」
銀時は土方の両腕を掴んだ。握りつぶされそうなほどの力だった。
「出て、いつもの風景を見たらさ、家に帰りたくなるかもしんねえ。帰ったら新八と神楽が何も知らずに待っててさ、俺があいつらの訃報を言って泣き出して……あいつらと一緒なら泣き方も思い出せるかもしれない」
「それがお前の最善だよ。銀時」
「もしかしたら、そのままターミナルまで言って、萩、俺たちの故郷行きの列車に飛び乗ってさ、こんな俺たちでも一応友達がいるからさ、先生の墓参りに行って、泣けるかもしれない」
「途中で万事屋に電話を入れろよ。それだけすりゃあ、きっといい」
「そうでもなくて、俺はクズだから、歌舞伎町に入った瞬間、酒と綺麗な姉ちゃんであいつらのこと全部忘れようとするかもしれない」
「それは、健康的だな」
「だろ?」
初めて、銀時は土方の相槌に反応し、肩を落として目を細めた。

「忘れちまうことほど健康的なものもないよなあ。奪われた記憶もなくなるんだったら、どうだったのかって思わねえ?」
銀時は無力を嗤いながら、言葉を返そうとする土方を制した。


でも。


「笑ってくれ。昨日までの俺が戻ってこないことだけは、分かっちまった」


瞬間、土方は音を聞いた。壮絶な恐怖が走り、思わず刀を抜く。
その横を虚ろな表情のまま、銀時が通り過ぎる。
「土方ァ。テメーに憎まれときゃよかった」
「あいつらは、テメーに幸せに、と言ったんだ!!」

怒鳴り声を遮り、扉が閉まる。

一拍遅れて再びその音が被さってきた。奈落に中吊りになっていた人間の半分がずるりと溶け落ちて完全に壊れた音が。


土方は声を出さずに、刀身を見つめる。


憎んでいればよかった。憎んで、いや他人程度の無関心で、淡々と切り捨てられさえすれば!
自分がとんでもないことをした自覚があった。あの男は近い将来真選組を斬り裂くだろう。
―――裏切ったのだ、自分は。本当に守りたいと誓ったものを。


土方はうなだれる。初めて、勝利の味がこれほど苦いと知った。勝っても地獄とはよく言ったものだ。
せめて心さえ掴まれていなければ、これまでの多くの戦いと同じく、健康的に忘れられただろうに。




◆ ◇ ◆




歌舞伎町は相変わらず明るかった。おでんともつ鍋と酒と白粉と酔っぱらいの臭いがすべて混ざり、街灯はそこが昼だと錯覚させるほどの白さだ。
河原の刑場に立っていたら、いつのまにか夕方も過ぎていた。いい加減、行かなければと思い、立ち上がった。


(それでも歌舞伎町に来たのか、俺は)


萩ではなかった。ターミナルでもなかった。それどころか、後角を一つ曲がれば、万事屋が見える。
自分は帰っていいのだろうか。己に問いかけようとして止めた。もう自分はその権利を持たない。


代わりに問う。
高杉、桂。俺、帰っていいのか。―――家族のもとに。

答えは返らない。当然だった。彼らは死んだのだ。


角も曲がれた。いつもの大通り。誰も彼らの死を知らないいつもの街。客引きのバイトの顔もすべて知っている。万事屋の看板が見え、少し傾いたそれに、ああ明日直さなければと思う。

帰りたい。彼らは何も知らず、おかえりと言ってくれるだろう。
帰って泣いて、あいつらの体温に触れたい。
この半分は埋まらずとも、人には留まりたい。


帰ろう。
お前らを捨てた俺の、幸せを許してくれ。




―――そこの白夜叉殿。道をお間違えでは?」




二つ、撃鉄を上げる音がした。
万事屋の二つ手前の路地裏、薄い闇がゆっくりと口をきく。

「のう銀時。お前んの選択は、ただ一つと決めていたじゃろう?」

銀時はその名を呼ぼうとして、一歩路地に近づいた。
その首にワイヤーが絡みつき、首を落とされぬよう反射的に路地に飛び込む。


「ふむ、拙者達と同じ負け犬の首を連れてくるかと思ったが、白い夜叉に変わったか」


男は本当に、自分の首が付いてこようがこなかろうがどうでもよさそうだった。
首がほしいなら、もう少し早く引け。


「さァ。行くっスよ。坂田銀時」


女が言った。この場でなければ見とれるほどの、蠱惑的な残忍さだった。










人生の中で、四度終わりの音を聞いたことがある。
一度目。先生の首を見ながら二人と目も合わせられなかったとき。
二度目。あの墓場で意識を飛ばすことを選んだとき。
三度目。逃げて、逃げて、その果てに彼らがもう一度目の前に現れたとき。
四度目。彼らを失った。ただ一つ、前の三回と違うことがある。











「さあ、白夜叉。まずはじめは何をしようかのう」

陸奥の声が遠い。土方もそうだった。自分には関係のない噂話をガラス越しに聞いているかのような、無関心さ。もう自分は誰の声も遠くからしか聞こえなくなるのだろう。
その代り、何も聞こえなくなった空洞に、待ち望んだ騒がしい声ではなく、とうの昔に失った鮮やかな歌声が反響する。

「……昔さあ、ひでえ戦局の時に、高杉の野郎が歌ったことがあったんだ」

ろくに音も出なくなった古びた三味線片手に、あのよく通る声で。

「それを聞いた桂がな、自分もかぶせて歌ったんだけどよ、あいつ音痴だろ? 俺の歌声に混ぜるな、なんて高杉が怒ってなあ」

楽しかったなぁ。
銀時は星の見えない空に向かって言う。 そしてため息のさりげなさで付け加えた。
「はじめは、俺をつけてきた連中の掃除だろうなあ」
陸奥は、心の底から満足げに笑う。
それが見知った彼女のものではなく、ほんの少し空しかった。
「さすがじゃ。あの馬鹿がどうして貴様に執着したのか、少し分かったぜよ」



執着。苦しいじゃねーか、バカヤロー。
あいも変わらず、聞こえるよ。
お前らのめちゃくちゃに崩れたあの歌声が。




そう、四度目の歌声はまだ止まない。