ひたり、と足が止まった。少しぼんやりと外階段一段目で凍り付いた自分の足を眺める。かすかな吹雪と赤い月光が脚の輪郭を包み込んでいて、自分から足が一本取り除かれたような気分になった。

―――何かよくないものが来ている。

銀時は諦観の篭った溜息を付いた。本当はこれ以上一歩も足を踏み入れたくないが、現実問題自分の家がこの先にある以上仕方がない。
覚悟を決めて、見えない白に踏み込む。
(覚えている、いまだ)そして、再びはたと止まった。


嗚呼、分かってしまう。
彼の声、彼の魂、彼の色を抱える自分から目を背け続けていても、気配だけで分かってしまう。


今日は、弱っている。銀時の口元が深く抉れた。




心 中




粉雪が深く深く降り積もる。
砂糖のようだと錯覚できるのは最初の数分だけで、十分もすればべっとりと張り付く白い泥だ。
雪が吹き付ける窓には、煩雑な白模様。分厚く白い層が、家全体に絡みつく。

更に内面は更に酷かった。入った瞬間、白く濁った空気が身を包む。
煙草と焼酎をベースに、その上に薄めた血の匂いと色濃い情交の残り香を塗りたくったような質感。
何かが軋んで、傷んでいる。白さが、その証明。

「高杉、テメェ不法侵入の挙句、うちの空気を汚すの止めてくんない?」

居間のソファーに我が物顔で転がる高杉に声をかける。勿論言っても無駄だと分かってるが。


「………その汚ェ戦場の匂いが懐かしいくせに」

望んで戦場に取り残された男が呻くような返事を返す。同時にぎしり、とソファーが軋む音が響く。
高杉は寝転んだまま足を組み、「反論は?」と皮肉を言う。彼が纏う白い着物の裾の割れ目から、骨ばって不健康な足が覗く。純白に彼岸花の模様をあしらった着物なんて、似合いすぎて趣味が悪い。

「あァ、いいだろ。世界が白くなるのを見ていたら、テメェを思い出した。そうしたら、テメェの色が恋しくなった」
「恋しいとか、お前ェ柄にもねえ言葉使うなっての。それに銀さんのイメージカラーは、そんな不健康な色じゃなくて鋭い銀色なんだよ。こう女にモテそうなやつなんだよ。毒々しい高杉君と一緒にしないでくれますかー」
「馬鹿言うな。病んでるくせに」
「だから、お前と一緒にするなって。それともなに、鬼兵隊総督が一人じゃ怖いとか?」
「病んでるさ。そうじゃねェんなら、病ませてやる」
そう粘つく声を発した高杉は、ゆっくりとソファーから下りた。


「なァ、銀時よ。一人じゃねェから、怖いんだぜ」


そうかもしれない、と澄み始めた思考が頷く。まるで定めであるかのように、闇と罪の上塗りが止まらない。同じ空間に、それどころか同じ世界に生きているだけで腐食が進む。

高杉の裸足の足がぺたりと床に張り付く。肌蹴た裾から生える、細く病んだ色ながら筋肉質で気味の悪いほど健康的な両足。彼の濁った隻眼と、誰かの生命を喰らって赤く滾る口腔と、白い顔に張り付く黒髪。
芯が、疼く。寒さを言い訳にして。

嗚呼、気味が悪い。
それなのにその不気味さと不均衡さに、どうしようもなく欲情する。爪を立てたいと思ってしまう。

「人は自分一人の闇なら抱えきれるだろう。他人の闇だけでもなんとか出来る。……だがなァ、テメェの闇と他者の闇が交じり合えば抱えるどころか抱きとめた腕が折れる」

その通りだった。高杉が劣情をそそる笑みのまま歩んでくる。

伸ばされる折れた腕、はためく白と赤と灰色。戦場に混ざっていた全ての色が夜に流れる。そうして俺達は交じり合えば交じり合うほど、おかしくなる。これほどの静寂を孕んだ狂気があるなんて思いもしなかった。

「腕はとっくに折れた。銀時。―――むしろ、潰してくれよ」

首に高杉の腕が絡む。この乾いて病んだ腕が大嫌いだ。……だが、それ以上に、俺は、


キスは相変わらず血と男の匂いが混じりあった味がした。










高杉の目は持ち主に似て酷く気まぐれだ。遠くからでは、俺達が失った数多の血と骨を全て飲み込んだような濁った色なのに、近くで見れば氷のように澄んでいる。何処を見ているか全く分からないこの隻眼に、数多の馬鹿な奴らが魅せられ、飛び込み、骨を潰されていくのだろう。

「銀時ィ。俺の潰れた目は思い出を、残った目はお前を見てる」
まるで考えを読んだかのよう。激しく舌を絡ませながらも、高杉は少しの隙を縫って言葉を乱さない。
「黙っとけって、嘘吐き」
「いや、お前にだけは嘘は言わない。俺が見るのは、銀時、テメーだ」

俺が一日閻魔になれるのなら、まずは自分の舌を抜いてその次にはこいつの舌に手を掛ける。どの口がそんなことをほざきやがる。忘却を否定して俺を縛りながら、自分は激動の中に消えていってしまうくせに。一度血の匂いに惹かれたら、俺の声など聞きもしないくせに。

もはや白夜叉の得意技「聞かない振り」ではない。高杉には聞こえない。それが馬鹿杉のくせに、俺の世界を絶えず影で塗りつぶしているくせに、あまりで自由で腹が立つ。ああもう、こんな馬鹿斬りたくもない。このまま、キスで殺してやりたい。顔が真っ青になって、それから見慣れた土気色になって、俺の口腔に奴が最期の息を吐き出す―――多分、それは一生分のセックスに勝る。

だが、人並みの肺活量ではキスしたまま50%に賭けるのが関の山。妥協して高杉を押し倒すと、奴が倒れて見えた窓から粉雪舞う外が見えた。

ああ積もる。
繊細な雪はしぶとく土に絡みつく。それは死体を、血を、――志を葬った白。


―――優しく、抱いてやろう。


瞬間、そう思った。いつになく丁寧に着物を剥がし、鎖骨に舌を這わせてみる。
すぐに高杉が不満をあらわにした。

「銀時。らしくねェ愛撫なんかするな」
「今日は銀さん優しい気分なんだよ。もう、溢れる優しさで抱いてやるから、楽にしてろって」
我ながら反吐が出そうな台詞。こんなことを言ったのは生まれて初めてかもしれない。
だが、その恥ずかしい気持ちは高杉の表情が凍り付いた喜びですぐに掻き消えた。
世界を埋める白、白、どこまでも白。


「高杉ィ。酷くしてやると思うなよ?」
そう耳元で囁けば、淫らな怒気が立ち込める。 ……その顔が見たかった。






高杉が俺の中心を舐めている。濁った血の色の舌が、執拗に走り、黒髪が揺れる。
「……っ…歯ァ、立てんじゃねェっての」
「わざとだ、腑抜け」
根本まで咥えて、高杉はくいと喉を突き出す。目だけで嗤う。昔のように、いつものように、無理やりその頭を掴んで喉の奥まで押し込めと。
どちらかといえば高杉が苦しんでいる方が救われる俺は、彼の後ろを緩やかに撫で擦る。


(皆、お互いを大好きだってことを忘れちゃいけないよ)
どうしてか、高杉もしくはヅラと寝ると先生の言葉を思い出す。俺達がこんな風になっているだなんて、思いもしないだろうに先生との思い出は、俺達が酷く爛れた瞬間にばかり思い出される。


全身に触れる高杉の熱。こういう時、俺達全員が抱き合ってしまった罪の重さが快楽と共に脳を腐らせる。高杉を貫けば、ここにはいない桂をも貫いてしまう。

「………う、っぁ……。テメ、意地の悪い抱き方すんじゃねェ…っ」
「今日は悲鳴じゃなくて、普通の喘ぎ声が聞きたいんだよ」

自分でも呆れるほどゆっくりと腰を進める。高杉が無理やり腰を振って対抗するのを、慎重に押さえ込む。それでも人間の身体の不思議か、息と空間が乱れていく。
よォ辰馬。お前が、自虐の方法も万策尽き、これで慰めあう俺達を哀れんだ理由が分かったよ。


優しくすれば優しくするほど、寂然とした空虚が襲ってくる。
俺は言う。縋るような声になっていた。

「高杉。―――このまま心中しようか?」
一回イってから、ヅラも呼んでさ。今度は絶叫するくらい酷く抱いてやるから、三人で繋がったまま、互いの首を脇差で掻き切るっていうのはどうよ。

粉雪が消えて、世界が開ける時。発見されるのは無様に繋がれた三つの不健康な死体と、夥しい血潮。多分、恐ろしく抽象的で曖昧故に痺れるほど美しいはずだ。
(うつくしい、それは白い鬼の言葉)


だがその囁きを聞いて、一瞬の間抜け面を晒した高杉はすぐに嘲笑の笑みを浮かべた。

「嘘吐き。昔、心中を断ったのはテメーだろう。今度も、俺とヅラが果てたらテメーはすぐにここを出やがるくせに」

そうして、再び喘ぎ声を出しながら、無言の抗議を続ける。
本当は目の前で自分と桂が死ぬのを見れもしないくせに、と。そんなことをしたら、残ったお前は一人夜叉に逆戻り。出来もしないことを期待させるな、と。





心中。
(ねえ、銀時。皆は君の目を見据えてくれるだろう?)もう遅すぎた心中。
初めて腰を強く打ちつけた。自分の性器が高杉の中で跳ね回るのが分かる。痺れて乱れて苦しくて。
(銀時、お前だけを鬼にはしない)「銀、時。はっ………あぁっ、う…うああぁ……!」明滅する過去と、退廃の現在。(銀時ィ。正しくなくても、生き残った者は戦わなくちゃならねェ)きっとそれは走馬灯。心中すらできない俺達のためのレプリカ。「……高杉っ!………っつ」
打ち寄せる吹雪が、本当の言葉を飲み込んでいく。(
行くな、行くな、時代に殉じるな。俺を置いていくな馬鹿!)乱れて、喘いで、叫んで、何もない。


広がるのは白、白、やっぱりまた白。