青 春 論
今夜はいくら飲んでも酔えない。酔おうと頑張った挙句に、金が無駄な気がして店を出てしまうほど。 もちろん、そこそこ生きてりゃこのパターンも知っている。 今はアホほど日本酒を飲んでも、頭は嫌になるほど冴えて足もしっかりしているけれど、翌日酷い目に遭う。本当にハンパなく。 どうしてこうなった。 新八も神楽もいない。そこそこ金もある。なじみの居酒屋で酔いつぶれる準備は万全だったというのに。 「どーすっかな……」 このまま家に帰る気は起こらない。酒が駄目なら抜きに行く気分でもない。 歌舞伎町の女たちのネットワークは侮れず、こんな心境でも気を使わなければ手痛い仕返しがある。 そんなめんどくさいことを出来るほど、体力が余っているわけじゃない。 いや、怪我じゃねえよ。あんな若造にやられた傷なんざ速攻治ったから。少し痛みが錯覚で残っているだけだから。 あーあ。どっかにいないかね。 思いっきり八つ当たりさせてくれて、後腐れないやつ。 ひとまず大通りを抜け、ふらふらと歩いていたら、いつもの河原に着いた。 真正面にはターミナル、暴力的に強い光が円状を描いてその場所を照らす。それでも川の底は黒く澱んで見えない。 最悪の場所だが、とりあえず寝転がると予想以上に冷たい草が背に張り付く。正直立ち上がれそうになくてもう寝るか、と目を閉じかけたら影が下りた。 「旦那。そうやって転がってるとボロ雑巾みたいですぜ」 声と失礼な内容で相手は分かった。 首だけを動かして見上げれば、呆れた表情で沖田君が立っている。 オイ、その目、よくされるから分かるけどダメなおっさんだと馬鹿にしてるだろ。 沖田は私服だった。袴をはき、上は意外に上品な若草色。刀はあるけど、それを除けば新八とあまり変わらない。まだ若い。 そしてオフだからかちょっとボーッとしていた。言うなれば隙があった。 確かめようと目を凝らしたら目元はほんのり赤かった。 なんだ、こいつも呑んでる。 ……いるじゃん。 まあ、そもそもこんなに具合悪くなったのは、テメェらの青春真っ盛り感にあてられたからなんだし。 沖田君を河原に引きずり込みつつ、礼儀正しく姉ちゃんに謝った。 ごめん、ちょっと大事な弟君やっちゃうかもしれないけど、化けて出ないでね。 「……っ、何すんでィ。つか、酒くさっ!どれだけ呑んだらこんなになれるんで?」 心配になるほどあっけなく、ころりと転がってきた。とりあえず、すぐに覆いかぶさるのは止めておく。 沖田君は面倒くさそうにのろのろと起き上がり、すぐに顔をしかめた。つか、俺、そんなに酒臭いの? 「えー、マジ? 今日、全然酔えないんだけど、気のせいじゃねえ?」 ハーッと息を吹きかければ、もっと嫌な顔をされた。その歪んだ顔、結構イイな。 「うわ、ほんとやめて下せェ!おっさんくせえ!」 「ちょ、それ傷つくからやめて。お前も十年後、泣きたくなるからやめなさい」 「どこが酔ってないのか、皆目分からねェんですが」 せっかく面倒な宴会から逃げ出してきたのに、と沖田。 「何、接待?」 「いや、うちだけでさァ。―――この前の一件で、随分人も減りましたし、もう一度隊の結束を図る意味で」 聞けば、幹部だけじゃなく平隊士まで含めて定期的に懇親の場を増やすことにしたらしい。 ってことは、今夜は屯所ガラ空きじゃね。いやいや、これはヅラの考えだ。いかんいかん。 「で、荒れたんだ?その調子だと」 「荒れましたよ。ザキは検査入院中だし、土方の野郎はなんでかトッシーが出てきて瞬殺。止める奴がいなくって、ほんと悲惨でさァ。懇親どころか脱ぎ始めた野郎どものチンコばっかですよ、目に入るの」 やってらんねェ、せっかく呑めると思ったのにと呟く声に、胸の底がじり、と焦げるのが分かった。 「青春だね。沖田君」 沖田はきょとんと、それ以外に言いようのない顔をした。意味が分からなかったのかもしれない。 はた目から見ると、本当にそうだよ。 たとえ内紛が起こっても、仲間同士斬り合っても、お前らは同じ道を一緒に生きていく。 「旦那でもそんな言葉知ってたんですねェ」 「君は俺のことなんだと思ってるの。―――まァ」 体勢を変えて、沖田の顔を、夜にも映える赤い瞳を覗き込む。 その眼に映った自分の口元が、ぐにゃりと歪んだ。 「大嫌いなんだけどよ」 俺達のはいつのまにか木端微塵に砕けてた。 今度こそ薄い胸板を押して転がすと、反射的に立ち上がろうと足が動いた。けど、足首を押さえてしまえば問題ない。 とりあえず馬乗りになると、不審そうに見上げられた。案外、俺のこと信じてるらしい。 「旦那?」 「ねえ、君も酔ってるでしょ」 だって反応が遅すぎる。 「どんくらい飲んだの? ほんのり顔赤くなるだけで、後は変わらない奴ほど酔ってるの気づかれなくて損するよ」 「……今まさに実感してまさァ。いい年こいた酔っぱらい一人押しのけられないなんて、飲みすぎやした」 「姉ちゃん、泣くんじゃねえの」 大事な、大事な沖田君が酒に溺れるなんて。 ねえ。 俺はものすごく嫌な気持ちでそう言った。彼女の存在しか幸せな時間の中にいるこいつを傷付ける方法が浮かばなかったから。 それなのに。こいつは。 「姉上はね、俺が真選組に入った時、もう二度と俺の選択を嘆いたりしないって言ってくれたんでさァ」 初めて見る優しさしか残っていない笑みで沖田は言った。 「だから泣かないんです。でも怒ってるかもなあ。……なんか、今、久しぶりに姉上の声が聞こえました」 ありがと、旦那。姉上を覚えていてくれて。 こいつとは思えない素直な微笑みは、毒にしか見えない。 「まァ、味覚はともかくいい女だったしな」 「失礼な。俺は全部食えますぜ。味覚も含めてパーフェクトでさァ」 「いや、味覚はおかしいけど、俺もいいなって思ったかもよ」 「そうなんで?」 「いつかは手出してたかも。だってあの野郎なら、俺でもアリじゃね?」 「旦那、絶対酔ってる。普段のアンタなら死んでも言わねェのに。ただね、」 あ、また笑うと目を背けようとした時には、顔が目の前にあった。俺が足に座っていたのを利用して腹筋だけで起き上がりやがった。 するりと生暖かい手が首にまとわりつく。 「手なんて出してみやがれ。殺してやしたぜィ」 ぐっと冗談とは思えない強さで首を絞められた。とっさに息を吸い込んでたけど、少し視界が暗くなる。 「殺せる?」 君が、俺を? 爪をめり込ませるようにして引っ掻くと、すぐに手が離れる。 「まァ、俺の前に土方のクソ野郎が殺すと思いますけどね。うわ、あいつムカつく、死ね土方」 何の迷いもなかった。当たり前に、感情も何もなく、ただ事実を言っていた。 「土方が?捨てたくせに?」 「その通りでさ。あの野郎は、姉上を置き去りにしやがった。―――でも、惚れてた。だから、アンタが、一時の慰めのために手を出したら殺しますよ。その程度の甲斐性くらいはある」 俺はそう信じている。トドメを刺すように、強く、沖田の目が続けた。 重い、血だまりの味そのままの鉛を飲み込んだように気分が一気に悪くなる。 こいつらは正しい方法で相手を大切にする。青臭い、ほんと勘弁して。 ……伊藤よ。 アンタ、馬鹿だったなあ。 こいつらに背を向けて、あんなロクデナシの方を向いただなんて。 こいつらは、本当にアンタがほしかったものを全部持ってて、分け与えてくれただろうに。 「大体、旦那だって俺が遊び半分でチャイナに手ェ出したら殺すでしょう?」 「宇宙の塵にするね。葬式用の死体とか残らないよ、言っとくけど」 そこで何を思ったのか、沖田は不意にいつもの悪い顔になった。 「じゃあ、アンタの友達だったら?危険なロン毛とか、隻眼のオトモダチを俺が犯したりしたら?」 考えなくても、すぐに答えが分かる絶望を、この子どもはきっと知らない。だからこんな無意味な質問をする。 木端微塵になったあの時に、正しい方法もぐっちゃぐっちゃに潰れたんだよ。跡形もなく。 「そんな奴知らねえけど、その場に呼んでくれたら、犯してる沖田君に後ろから突っ込むね」 「……ほんと、クズですねィ」 「知らなかったの?」 教えてあげようか。 腰を持って肩に担ぎ上げても、なぜか沖田は死体のように抵抗しなかった。 ◆ ◇ ◆ 本当にこのおっさんはどうしようもない。いや、まともな人間だなんて思ったこともないけれど、それにしたって酷い。 会った時から完全に目は座っていて、全身から酒の匂いを立ち上らせ、全身で寂しいと叫んでいた。 これまでの旦那は、心の底からダメなおっさんのくせに、他の誰かが困ったときは驚くほど頼りになった。正直、真選組も旦那がいなかったら壊されていたかもしれない。 だけど今夜は違う。冷たい、寂しい、迷子のような目をする悲しい人。 それは、初めて会った頃に似ていて、皮をはいだら空洞の中に泣いてる子どもがいそうだった。 途中まで俺を担いでいたが、裏路地に入って三つ角を曲がったところで飽きたらしい。前触れもなく降ろされた。 それからは手首を掴まれて細い路地を行ったり来たりしている。 「……どこまで行くんで?」 「うーん、どーだろうねー」 「アンタ、道分かってます? そろそろ帰って死んだ方がいいんじゃねえですかィ?」 「道ィ? そんなもんはとうの昔に踏み外したよ」 駄目だ、全然人の話聞かねえ。 既に旦那がでたらめに歩いているせいで、現在地どころかさっきの河原にどう戻るのかも分からない。 道はどんどん暗くなり、何とも言えない臭気も濃くなっていく。両サイドはほとんど廃屋のようなボロいビルで、時々よく分からない怪しげなネオンが下がったドアがある。 壁には路地裏おなじみの落書きすらなく、人一人通らない。それなのに、歌舞伎町の汚さを全て凝縮したように臭いのだ。 きっとこの人はどこに行こうとも思わず、記憶の中の道すら辿っていない。 それなのにその背はこのゴミ溜めによく溶け込んでしまっている。 「あー、なんか疲れたし、ここでいい?」 「え?………ってオイ!」 考え事が足を引っ張って、反応が遅れた。あ、と思った時には旦那が背後に立っていて、抱きつかれた。 「ちょ、……苦し、」 抱きつくというよりは絞め技のような力で首に縋り付かれ、背筋がざわついた。認めたくないが、怖かった。このまま頭から食らわれそうな、真っ黒い知らない気配。 「沖田」 生ぬるい舌が耳に差し込まれても、声すら出ない。酒の匂いが濃くなった。それとは違うのは、この人の体臭だった。 「お前、子ども体温だね。―――温けえ」 「……どっちが」 アンタこそ熱いくせに。冷え切って震えてたくせにいつのまにか火の玉みたいに、旦那は熱い。 「俺のは単なる欲望だよ。君とは違う」 ぴったりとくっついた身体が悲しかった。アンタ、寂しさを欲望に変えて生きてきたの。 「沖田」 「―――何でィ」 「さびしい」 「うん」 「お前は?」 袴を落とされた音、間髪を入れずに帯もはぎ取られた。早え。 手が足を割り、きわどい場所を探っている。温かくはない熱が這い回る、これをこのまま許したら、俺にもこの熱は移るのか? 「……あんま反応しねぇのな。淡泊な方?」 もう旦那は笑っていた。漏らした本音を隠すように、下種な笑みで。 それなのに帯から滑り落ちた刀は丁寧に地面に置いたりしている。 反応なんかあるかよ。アンタがそんなに空しいから。こんなに近くで臭いまで嗅いでも、アンタは遠い。 「寂しい、なんて資格ねェし」 俺は姉上を置いていったくせに、姉上がずっと好きだった土方の隣に今もいて、昔も今も近藤さんを追いかけて生きていられて、挙句の果てに死に際にまで救われた。 「俺もだよ」 旦那が今度は壊れそうに優しく笑う。 「自分で捨てて、逃げ回って、傷つけて、逃げて、振り切ろうとして」 その時、夜の底が震えて信じられない人間が浮かび上がった。いつからいたのか全く分からないが、完全に間合いの中にそいつはいた。 昼間、往来で逃げ回っている時とは違う、物憂げで冷たい視線。重そうに身体を引きずり、無感動にこちらを凝視している。 目が合った。途端、幽霊のように無表情だった顔に、勝ち誇った笑みが浮かぶ。 「でもお前ら見て、会いてぇなあ、って」 旦那は全く気が付かず、俺に縋り付いたまま呟く。 答えるように幽霊の口元がゆっくりと振れた。 「ほう。誰に会いたいんだ? 貴様は」 夜から分離した桂の笑みがより一層深くなり、旦那は一瞬で我に返った。その時の顔は「しまった」としか言えないもので、それだけであの一言が致命的な何かであったことが分かる。 「……旦那!」 桂が旦那に気を取られている隙に刀を拾おうとしたが、あろうことか旦那に一瞬早く手が届かない位置まで蹴り飛ばされた。 「抜くな、今はまずい……!」 壁に両手をつかれ、視界全部に旦那が覆いかぶさってきた。一時的に桂の顔が全く見えなくなる。 先ほどまで熱に浮かされていたはずの顔は夜の闇でも分かるほど全ての熱が冷めきり、どうやってこの場を乗り切ろうか頭を巡らせていた。 「まずい、ってどういう……」 「どういうことだろうな?」 答えたのは面白そうに笑う桂の声で、すぐに背後からにゅうと伸びた腕が旦那の胸元に巻きついた。 桂は俺を完全に無視して、旦那の耳元に囁く。 「今日はずいぶんと具合が悪そうだな。こんなに簡単に背後を取られるとは情けない」 「うるせえなあ。……何、お前も混ざりたいの?」 口から生まれてきたような旦那が全く答えになっていない答えだけを返す。 「残念ながら今夜は事足りている」 「……へえ、どうりで俺の嫌いな匂いするわ」 近くまで来た桂からはうっすらと花の香りがした。香水じゃねェ、煙草とも違う、嗅いだことのない匂い。 「大層具合と機嫌が悪くてな、随分長くかかった」 「そりゃご苦労さんで。なら帰ってくんない? 俺、これからこの子とイイことしようとしてるんだけど」 不意に冷たかった桂の目に電撃のような何かが走り、突然に桂は旦那の胴に力を入れた。反射的に旦那が力を入れなければ、どこかしらは痛めていたような力で。 「……げほっ、ちょ、酒が逆流する……」 「全く、宿代をケチるから貴様はモテないんだ」 全ては受け流せず咳き込み始めた旦那がかがんだ先に、満月のように不穏が顔がある。 「まあ、狗には似合いか。なあ、沖田君?」 桂は初めて俺と目を合わせて嗤った。 「一応教えてやるが、逃げたければ今しかないぞ。しばらく咳と吐き気は収まらんだろう。付き合う気があるのなら、一晩中は覚悟するんだな」 そうして、もはや旦那には目もくれず、更に暗い路地へと背を向けた。 「待ちやがれィ!桂!」 旦那をどかし、刀を拾ってすぐに走り出したのに後姿を見つけたのは、随分離れた路地だった。 それでも奴の逃げ足を考えれば到底追いつけない距離で、無論刀が届くはずもない。 「ああ。あんまりにも来ないから、そのまましけこんだのかと思った」 だが本当に面倒くさそうに足を止めて振り返った。こちらも足を止める。 「あんま認めたくねえけど、なんで俺を助けた?」 こいつに会って、頭が冴えて分かった。 あのまま寂しさに侵された旦那に引きずられて関係を持ってしまえば、あの人と馬鹿をやれる日々が遠く離れてしまったことを。 きっとあの人は馬鹿だから、回復した後は罪悪感から逃げ回るだろう。 「フン、自覚があるとは優秀だな」 「うるせえな。体格差と地力の差くらい分かってらァ。で、なんで?」 「ハハハッ!」 桂は突然両手を広げ、声をあげて笑い出した。ただ一つ灯る明かりに真っ白な顔が歪んで浮かぶ。 「もちろん怒っているからに決まっている」 瞬間的に桂の殺気が膨れ上がり、抜刀した時にはほとんど目の前にいた。刀が一度だけ合わさり、すぐに手首を返される。 反対方向に駆けながら、桂は囁きながらもう一度俺を嗤った。 「旦那!旦那!駕籠来ましたぜィ」 桂を見失った後、置き去りにするわけにもいかずに旦那のところに戻ったら完全に意識を飛ばして転がっていた。 オイ。普通、あのまま寝るか? 駕籠屋に手伝ってもらって駕籠に放り込み、ひとまず万事屋へ向かう。絶対、この代金は請求する。 「……アンタの友達はおっかねえなァ」 能天気な寝顔に話しかけても返ってくるのはいびきだけ。これだけ見ればただのダメ人間だけれども。 「類は友を呼ぶって奴だねェ」 暴いてみたい。旦那を、いや桂も。 その腸の底を。冷たい泥沼の底を。 かっさばいて、一つずつ並べて、こういうものだと名前を付けて、正体を確かめたい。 まだ遠く、体温も移らず、きっと今夜のことを話すことはないけれど。 「奴に依存されようなんて百年早い」 桂はすれ違いざまそう言った。目だけで人を射殺せそうな視線とともに。 それは間違いなく奴の本音で、俺にすら牽制をかけるほど“怯えていた”。 「弱点発見」 あまりにおかしくて笑い出したら、旦那がうるさそうに身じろぎをした。 |