足元がざらついている。細やかな砂から、少し大きめの砂利までが裂傷切り傷だらけの足にへばりつき、容赦ない痛みを寄越す。砂塵を乗せた風は夜に吹き上げられ、満月が白く浮き上がる。月光によって砂利一粒一粒に影が出来、人間二人の影も深まり、夜が異物を飲み込み均一化されていく。
人間二人が所在無さ気に動く。夜に食われると分かっていた。




                                        敗


                                        者


                                        の


                                        美


                                        学




地平線は水筆で丹念に拭われた後のようにぼやけて見えない。紺色の凪が空に触れるとすぐに中間色に変わり、溶け合っていく。まるで始めから色の違いなどなかったかのように。

「地平線と太陽を引き剥がしてみたいねェ」

砂浜に寝そべっていた銀時は、少しうんざりした表情になった。その変化に気がつかぬはずもないだろうに、声の主の語りは止まず、滔々と歌い上げるように澱まない声が流れる。「地平線は張りつめて時折揺らめいて美しく、太陽は鋭く白く鮮やかだ。鋭いもの同士でもああも簡単に溶け合っちまう」
彼は――高杉は泣いているのだった。涙を流さず、乾いた眼球のまま。


「高杉よォ、その面でセンチメンタル? 夜の海辺で、お前の語りとか正直ないんですけど」
顔も見ずに銀時が吐き付けた言葉と海風が高杉の顔を打ち、たった一つ残った眼球の水分が蒸発し、痺れるような痛みが走る。脳と繋がった目が、侍のための目が乾き、魂が傷む。
「そうかもしれねえなァ……。テメーがいると感傷的になっていけねえ」
だが、痛みはもはや感じない。乾いた男は、更に荒んだ笑いで嘲弄を受け流した。一度夜叉を殺した男の意図などお見通し。彼は言葉に取り込まれるのを恐れている。それでいて、高杉を捨てることも出来ないから立ち去らずに嘲笑う。全く馬鹿馬鹿しい!


時々分からなくなる。世界は自分達に味方しているのか、排除しようとしているのか。それなりの均衡を保った世界を、心の底で呪う俺達を受け入れるはずなどないのに、何故か独りにならない。
銀時は思う。白夜叉を、修羅を、狂乱を殺すことなど簡単なのだ。たった一人、誰かを殺せばいい。否、もっと簡単でもいい。殺さずとも永遠に会わせなければいい。それだけで俺達は崩れ落ちる。

そう独白を重ねる彼の口元には薄い微笑み。先ほどまで嘲笑していた同じ形の唇で、今度は切なく優しく笑う。囁きが高杉を通じて海に消えた。

「……高杉。俺も、どうしようもねえ気分になるぜ」

諦めと慈愛をありったけの憎悪で固めた視点が自然に絡み、銀時の手が目の前の細い顎を掴む。


「末期だな」
「てめェもな」


触れた唇と飲み合った唾液は塩っ辛い敗北の味がした。―――あの頃と、微塵も変わらぬ。












昔、高杉と銀時が何かのオブジェのように「線対称」で寄り添っていた時があった。修羅の様相を呈し始めた男が舞うように戦えば、白い鬼は無様に這いずりながら戦った。逆に白い鬼が優雅に敵を斬り始めれば、修羅は手段を選ばない凄惨で無様な戦いに終始した。そして顔を合わせれば、

「銀時。テメェが鬼だ」 「高杉。テメェは狂ってる」

彼らは周りからみて驚くほど似ていたが、その行動は常に交わらず、愚かにすぎた二人は互いを「異物」と判断した。狂っているのは、お前だ、と。
本当は互いに憧れ、相手になることを望んでいたにも関わらず。


この不毛な関係に第三の男が割り込んだ。線対称とはいえない歪な寄り添い―――それに美を見出してしまったこれまた愚者。「貴様らは欠けてはいけない。共に在らねば」
その言葉を素直で単純な思考回路の二人は、絆であったり最期を共にするための誓いであったり志などという簡単で綺麗なものと受け取っていたが、それは彼らが手を取る姿を―――その美を―――維持するべく発せられた歪んだ言葉だった。男の名は、桂。彼らは声をそろえてしまった。
「狂うなら三人で」


一体何がどうしてこうなってしまったのか、それなりに聡明なはずの三人にも分からなかった。
松下村塾で幼少期を過ごし、馬鹿をやっては師に怒られ、その師を奪われて戦争に参加し、最初は恐ろしくて仕方がなかった刀と血と脂の感触が高杉と桂の手に馴染み、銀時だけが荒んだ存在ではなくなり、本当の意味で三人は理解者として対等な位置で戦う者になり、戦って斬って泣いて考えて生きて、その全てを支えあって乗り越えてきたはずなのに。

銀時は狂いそうになるとよく言った。「高杉ィ。殴らせるか犯らせて。お前の大好きな白夜叉が飢えて死んじまうよ」。可哀想に、かつては綺麗なままの高杉と桂に焦がれていた男にそんなことを言われても高杉は疑問にも思わなかった。あまりに当然のこととして「あぁ好きにしろ。俺は何をされても、屈服はしねェから」と暴力の風を待ち受けた。
本気で抵抗すれば抵抗するほど鬼が渇くのを知りながら、そして自分が搾り取られ干からびるのを知りながら、高杉は抵抗した。ついに力が尽きると、鬼に飽きられる前に高杉は逃げ出し、桂を呼んだ。一言。「交代だ」。桂は高杉を労わり手当てをすると、危険な笑みで茂みに消える。先には更なる凄艶な笑みで白夜叉が待つ。

一体いつから俺達は、互いの危険性でしか分かり合えなくなったのだろう。












「俺さぁ、お前を三回殺したくなったことがあるんだわ。いつだか分かる?」
珍しく高杉の煙管を借りて煙草をふかしながら、銀時が言った。しばらくぶりの話題だった。
「へェ、むしろ三回しかないのが意外だな。テメェは俺に罪を擦り付けるのが得意だったからなァ」
銀時の口から吐き出される澱みを顔に受け、淡い嘲りの吐息が洩れる。
「そりゃお互い様だろーが。で、いつだと思う?」
「戦後に初めて会った時、まァ紅桜だろ、この前の祭」
意外にもはぐらかさず、まともに返答した高杉に「外れ。案外俺のこと分かってねぇな」と笑う。

「まァ、この前は本気で殺すか迷ったけどよ」
「当たってんじゃねェか。で、後は」

いつのまにか波打ち際にまで二人は来ていた。足首に海水がさらりと触れ、絡みつく。所詮同じ液体に進んで閉じ込められるのか、と自嘲しながら銀時は今まで一度も言わなかった正解を吐き出す。


「テメェが鬼になった日」

刀を使えないくせに何もかもを守れると信じて疑わないお前らを、嘲笑っていた。馬鹿だと心の中で吐き捨てていたのに、本当はそう思いたくて。本当はお前らになりたくて。―――鬼にならずとも、あの場所を守って見せると夢を見た途端ああ!!
血みどろになり、いつのまにか戦術に長け、総督にまでなったお前に背中を預けるたびに、一人ではなくなったと喜ぶと共に、その歓喜の罪深さを思い知り、救われたのかそうでないのかすら曖昧になって、その渦巻く泥沼は殺意となった。 いつでも救われるたびに、俺はお前を殺したいと思った。
(もしかしたら最初から救われたくなどなかったのかもしれない)

「………そんな日は忘れちまったが、テメェは少なくとも安堵はしたんじゃねェのか?」
「俺は見極められるのが嫌いなんだよ。お前のそういう―――俺が一番求めていたことを理解しているっつー態度を見ると消し去りたくなる」
「ハハッ、駄目男の典型だな。で、最後のひとつは、紅桜じゃねェのか?」
本気の疑問をぶつけられ、銀時に少しの戸惑いが生まれた。案外高杉が言葉や信義といったものを捨て去っていないことに正直驚いた。不意に悲しくなる。何故、どうしようもなく理解しているのに、言葉はいつまでたっても俺達を素通りするのだろう。


「今更、俺達の間の裏切りに意味があんのか?」


銀時の指が、嫌に優しい笑みを浮かべる高杉の顎から首のラインをゆっくりとなぞる。
「そう、だったな。今更、成れの果てで裏切りも何もねェよな」
自分の首を這う鬼の手に含まれた恐ろしいほどの慈愛を感じながら過去を振り返ると、いつでも自分達は裏切りの中にこそ存在価値を見出していた気がする。自分に汚されない魂が眩しくて、裏切り裏切られそれでも生き続けることが何よりの救いだった。

「だからな、」
(俺は、救いに弱いから)
銀時の指が離れる。





「今、お前を、殺したい」





濁った音を立てて、二本の刀が火花を散らした。
「……よく防いだな」
振り下ろした刀は、高杉の首にたどり着く寸前で銀色の輝きによって阻まれていた。凶刃を寸でのところで防いだ高杉だが、言葉を返すだけの余裕はない。
殺意も何もなかった。防げたのは、腐れ縁の成せる技だ。白夜叉の魂は、ただなおざりに自分の生命を奪っていこうとする。額に脂汗が滲む。上からの体勢を取られた上、そもそも力比べでは銀時にかなわない。事実、徐々に刃は迫ってきている。―――彼は本気だ。本気で、地獄に落ちる寸前で踏みとどまろうとしている。


「たかすぎ」


その声音は、焦がれてやまない師のそれに恐ろしく似ていた。危険信号が鳴り響き、高杉は渾身の力を刀に篭めるが間に合わない。銀時は力任せに高杉の刀を奪うと自分の刀も投げ捨て、高杉の身体を押し倒した。

「……ぐっ!」

圧し掛かってくる銀時の体重を胃に感じ、高杉の口から苦悶が洩れる。
「……やめ、ろ……。銀時……!」
丁度高杉の首筋から海が始まる。その首に吸い寄せられた銀時の腕に力がこもり、酸素を求めてもがく高杉の黒髪が水に揺れた。「俺、世界を救うヒーローになれるかもな」。嗚呼、無様な自分を眺める夜叉の目のなんと優しく、切ないことか。


ひやりと冷えていく首筋。青と灰色が混ざった空が、次第に灰色だけになっていく。
細く、喘ぎ声にも似た途切れ途切れの息。紅い瞳が細められる。
夜叉の腕を傷つけんと無力にも立てられた爪の力が、一本、また一本と抜け―――



「それまでだ。手を離してもらおうか、銀時」



その時、白夜叉と修羅の食い合いに、第三の男が割り込んだ。

「ヅラ!」
「ヅラじゃない、桂だ。そのくるくるパーな脳みそと胴体が生き別れになりたくなくば、手を離せ銀時。高杉が死ぬぞ」
そのまま、背後から銀時の首筋に翳した刀を少し押し出す。一瞬痛みが走り、銀時は顔を歪めたが、それ以上高杉の首を締め上げることはない。
「テメェにだけはパーとか言われたくないんですけど。……よく考えろよ、桂。ここで高杉が死んだら、俺達はこれ以上苦しまない」


一蓮托生。当然そうなるべき結末が戻ってくる。これから夜叉に戻り、反逆を始めようが始めまいが、もはや離れられないという結末だけは変わらないと分かっている。防ぐための無駄な足掻きはし尽くした。だから、これ以上血に塗れる必要はない。
だが、桂はそれを鼻で笑った。同じタイミングで苦しんでいたはずの高杉も愉快そうに目を細めた。
―――そうだ、こいつらはそんなことでは満足しない。

桂が厳かに宣告を下す。

「銀時。もう逃がさん。俺達が三人で刀を振り下ろすまでは、終わりはない。……それとも、銀時、貴様は子ども達に別れも告げずに死にたいのか?」

このまま高杉を離さなければ、彼の死が早いか、桂が自分の首を刎ねるのが早いかの戦いになる。
こういう場面で桂という男は決して妥協などしない。


「昔も言ったな。………三人で、世界に刃向かおうと」


本当にわずかの沈黙の後、深い溜息と共に銀時の手が外された。ようやく十分に酸素を得た高杉が咳き込む間、無音が続く。三人でいればおかしくなると知りながら、彼を呼び戻してしまった二人に帰り道などない。




「……ハハッ……アハハハッ!」




銀時は思った。頭上から浴びせられる二つの哄笑と、自分を抱きしめる二本の腕の熱を感じながら。
憎い。誰よりもこいつらが憎い。だが、ここにしか帰る場所などなかった、と。



ああ、先生。やっぱり一緒になっちまったよ。
ついに嘘の結晶は真実になった。この嘘を貫き通すためなら、俺達は夜さえも欺いてみせる。



海面は月から零れ落ちる光の粒がゆらりゆらりと揺れる。青白い光は地獄への第一歩にしては、嫌になるほど澄み切って輝いていた。

誰かが言った。



「世界は美しい。だから俺達は戦うしかない」






「おかえり」 「ただいま」 砲撃芝居後の話。