病める時も、健やかなる時も、異なる道筋を行く時も、路傍で倒れる時も。
我々は共犯者だ。



共 犯 者


【お年寄りは大切に】

「よォ」
一目を忍び、後ろを振り返ってから家に滑り込むと呼んでもいない来客がいた。
我が物顔で居間に陣取り、勝手に茶まで入れているこの男。もちろん知った顔だ。

「……呼んでないぜ」
「つれないこと言うなよ。一緒に祭りを盛り上げた仲じゃねェか」

高杉晋助。三郎が最後まで付いていった男にして、世の中すべてを敵に回す過激派の筆頭。

「いきなり指名手配になってどうしたかと思って見に来たんだが、なかなかいい隠れ家を見つけたじゃねェか」
「そりゃありがたいね。結構な割合でお前さんのおかげな気がするがな」
「そこで、お前のせいだと言えねェあたりが指名手配犯としては危ないな」
何がおかしいのか、高杉はくつくつと喉に絡む笑いをした。
「だが、ここはいい。人の多い通りからは外れず、左右どちらにも逃げられる。周囲の家も移り変わりが激しい。その上、地下室もある。いくらでも危ない玩具が作れるなァ?」
「……玩具じゃねえ、機械だ」
源外は唐突に襲ってきた疲労感をなんとか茶で飲み下す。
この男は全く懲りていない。あの後、自分とは比較にならないほど真選組の追撃を受けたはずなのに、涼しい顔で次の悪だくみをしている。
それどころか、今更になって警察に追われる恐怖に神経を尖らす自分を茶化しにくる始末。

そこで、引っかかった。
高杉がこの家を語った言葉。”自分はそれを聞いている”。

「アンタ、あの桂とかいう兄ちゃんともダチか」
よく考えれば、戦に出ていた時期は同じで、繋がりがあってもおかしくない。
―――はァ?」
果たして高杉はものすごく嫌な顔になった。
これまで人を小馬鹿にした笑みか、魂の底まで凍り付いたような無表情かしか浮かべなかった男が。
ここは畳みかける瞬間だと思い、高杉が何かを言う前に言い切る。
「いやな、実はこの家は桂の紹介でな。アンタと全く同じことを言ってたよ」
高杉の顔がますます歪む。昔、三郎に寺子屋に行ってまともに勉強しろと言った時と大差ない顔だった。

「……奴は逃げることと面の皮の厚さだけは天下一品だからなァ。”自分の家でもない場所”を勝手に貸すくらいだ」
「よく知ってるな」

突然話しかけてきて、ほとんど無理やりこの家に連れてきた桂は自信満々にこの家の良さを語り、前の家に置き去りになっていた機械や工具を運び入れた。
そして頼んでもいないのに、潜伏生活の心得だの食料だのを置いていき、別れ際になって「大家の許可は取っていないが、大丈夫だ。多分」と親指を立てた。

あの時と桂と今の高杉。似たところは何もないが、何かが重なる。
とりあえず、今言うべきは―――

「ダチだな」
「……じゃねぇよ。あんなバカ」
高杉は分が悪いと悟ったのか吐き捨てるように言って、ずかずかと地下に入っていった。v
「オイ、じーさん!」
そしてわずか数秒で人を呼びつける。
急な階段を慎重に降りると、高杉は壁の一点を睨みつけていた。
「なんだ?―――ああ、それは桂が書いて置いていった。潜伏生活の心得らしい」
「見りゃあ分かる。いいからさっさと墨をよこせ」
こんな阿呆らしい内容を堂々と書きやがって、と舌打ちするのが面白く、近場にあった筆と硯を渡す。

【楽しい指名手配生活の心得 by逃げの小太郎】
高杉はすぐに逃げの「ヅラ」に書き換えた。

一.人を隠すのは人の中。常に人混みの中に紛れるべし。
二.食糧・武器・弾薬は常にひと月分備蓄するべし。
三.常に堂々とすべし。挙動不審は疑われる。
四.逃げ道は三つ以上。隠し通路も必ず作ること。

うろうろと筆が動くが、その四つは飛ばされた。

五.むやみに本名を名乗らない。
テメェが言うな、と書き加えられた。

六.憎しみを、敗北を忘れるな。
そのまま通り過ぎる。

七.一度の失敗でめげない。時代に逆らう機械を作り続けること。
八.面白いものができたら、私まで。
「俺でもいいぜ」と高杉は口頭で言った。

九.追われている桂が逃げ込んできたら必ず助けること。
迷いなくすべてが塗りつぶされ、「ヅラ、見捨てるべし」となった。

十.誰にも頼れない危機の時は万事屋を頼るべし。
高杉はこれまでで最も長い間、それを睨みつけていた。二回、塗りつぶそうとして筆を下す。
迷った末に、万事屋の上に「バカ」とだけ書いた。
―――この意味は問うてはいけない、と直感的に思った。


「またなァ」
その後も地下の機械を見て回り、ようやく高杉が帰ろうとした時には街は夕闇に沈んでいた。
ほとんど半日近く振り回されていたことになる。

「面倒事はごめんだぜ。現役バリバリのアンタらと違って、こっちは老人なんだよ」
「あんなに危ない機械を煤だらけになりながら作るバカは、老人なんて言わねぇよ」
それに、と振り返った高杉の笑みは今日で一番悪いものだった。

「まさか指名手配犯に家を貸してやる奇特な大家を追い返したりしねェよな?」





【大将こそ健康に気をつかえ】
奇遇というべきか、ややこしいと言うべきか、ほとんど同じタイミングで高杉と桂は「健康」に目覚めた。
敗戦から早十年、攘夷活動に駆けずり回る日々を送っているうちに、年を重ねていたことに気が付いたのだ。

戦中はいくら無茶をしても筋肉痛になった覚えはなく、浴びるように酒を飲んでも翌日は早朝から戦えた。
「それが、たかだか幕府の犬に丸一日追いかけられたくらいで筋肉痛とは……」
そう桂が嘆けば、
「あのクソ天人どもの接待ごときで二日酔いたァ、俺も堕ちたもんだ……気持ち悪ィ」
と高杉が項垂れる。
その間にも桂は湿布薬を貼っているし、高杉も延々と水を飲み続けている。二人とも認めたくないので言わないが、まさしく「おっさん」の図だ。

「高杉。残念ながら俺たちももう若くないらしい。戦争の時と同じ生活では攘夷を成す前に倒れかねない」
ようやくため息をつきながら桂が厳かに言った。
今でこそ数多くの仲間を引き連れ、戦艦も持っているが、基本的にはこの身一つが資本なのだ。
「……あァ。いざという時に体調不良で戦えねェなんざ、俺達には許されねェ」
「全くだ。早急に策を練らねばならん」
二人は頷き合った。



数日後。
万事屋で銀時は怒鳴っていた。相手は電話先にいる幼馴染。
「バカなの!? 健康のために真選組屯所から大使館前まで毎日ウォーキングする指名手配犯がどこにいるんだよ!死ぬの!?」
「ここにいるし、死なないし、バカでもない。せっかく自堕落な貴様も誘ってやったというのに!」
逆ギレし始めた桂の声を聴きながら、銀時は唐突に疲れて椅子に沈み込んだ。

このバカはこの数日間毎日、敵の本拠地の近くを変装もせずに歩いては、警察に追い回されているのだ。
形から入るタイプなので、ご丁寧にスポーツ選手のような恰好をして。
平和な朝食の時間に、ワイドショーにスクープされる顔を見る方の身にもなってほしい。
その挙句、一緒にどうかときた。何度思ったも忘れたが、本当に救いようのないバカなんだな、と思う。

「もちろん医療班の充実も忘れてないぞ。癪だが今回ばかりは利害が一致したからな、高杉と共同購入で医療機器も安く手に入れたし、医療班に向いている仲間の研修も共に行った」
「……ああ、そうなの。どーでもいいけど、斬るって言ってなかったっけ?」
「攘夷と健康のためだ。仕方あるまい」
「……へぇ、そうですか」
もう酒飲もう。銀時は即座に決めて、手酌で引き出しに隠しておいた日本酒を注ぐ。
数年に一度、桂と高杉は意見が完全に合う時がある。方向性から手段まで、全て。そして、それらは大体吹き飛んでいる。
そうなった時は誰にも止められない。嫌というほど経験済みだ。
「仲間全員に健康診断も義務付けた。ついに俺たちもホワイト企業の仲間入りだ!」
「いや警察に追われる段階でブラックすぎだろ」
「現役のブラック企業社長に言われたくない。後は、足つぼマットやら筋トレマシーンやら薬膳レシピやらも手に入れたぞ!」
つくづく坂本がいてよかったと思った、と続ける桂(と高杉)は、間違いなく坂本を便利な財布と通販サイトか何かだと思っている。
「誰がブラック企業だ!健康より前に二人そろって頭を治療しに行け!」
怒鳴りながら、自分はどれだけひもじくても坂本が仕入れた薬膳レシピで作られた何かなど食べたくないと思った。
「あーそう、そんな態度ならもう知らないんだからね!俺と高杉だけ健康でピチピチになって、貴様だけおっさんになるんだぞ!指さして笑ってやるからな!」
「死んでくれ」
我慢の限界だと静かに思い、電話を切った。
どうせ、こいつらが手を組んでるのは一時だ。毎度、本当にどうでもいいことですぐ決裂するのだから、無視しているに限る。
健康なんざくそくらえだ。
気が付いたら酒はなくなっていた。



その更に数日後。
高杉は上機嫌だった。連日桂が真選組に追われているアホらしい報道が聞こえるが、警察の配置パターンの分析にもなるしどうでもいい。
自分はそんなことはしない。
運動が大事というならば、さっさと戦艦の中にジムを造ればいいのだ。

高杉のほとんど独断により母艦に完成したジムは運動スペース・プールから射撃場まで完備された優れものだ。
(さっそく試しに行って「ギャアアアアア――――!!!」
トレーニングウェアに着替え、いそいそと廊下を歩いていたら、甲高い悲鳴が響き渡った。
……聞きなれた声だ。

「どうした、また子!」
「変質者っス!!女子更衣室に男が―――って晋助様ァァ!!?」
慌てて更衣室から飛び出してきたらしく、タオルを巻いただけの状態だったまた子は更に動揺した。
「あ、スポーツウェアも素敵っス!……いや、あの、ちょっと今はあれなんで!とりあえず始末を―――」
「更衣室に男だァ?」
その言葉だけで限りなく嫌な予感が胸に広がった。
なぜなら更衣室のプレート到着が遅れた段階で、鬼兵隊員には更衣室の場所を自分が伝達したからだ。まさかその上で女子更衣室を覗く輩がいるとは思えない。
ならば、その事実を知らない人間。
なおかつ、堂々と鬼兵隊の母艦に忍び込み、あろうことがジムを利用しようとするバカは―――。

「……ゲホッ、いや、危なかった」

答えの最初の文字が浮かぶ前に、更衣室からボロボロになった件の人物が出てきた。

「よォ、ヅラァ。テメェ、俺の仲間の着替えを覗こうなんざ、ついにこの世に未練がなくなったか」
高杉は迷いなく抜刀した。
その本気を悟り、顔を真っ赤にしたままの桂は慌てて弁明する。

「いや違うんだ、誤解だ!」
「ほォ?女が着替える場所に男が入る。覗き以外の日本語があったなんて知らなかったよ」
「し、知らなかったんだ!風のうわさでジムなるものが出来たと聞いたから試してみようと、来島殿、本当だ!間違えただけだし、見てないぞ!下着が赤のレースだったなんて―――
最後まで言葉は続かなかった。
また子が無言で発砲したからだ。桂の頬に一筋の血が流れる。

「おい、また子……?」
高杉の呼びかけにも答えない。今の狙いが頭だったのといい、これは。
完全にキレている―――

「ヅラ。長い付き合いだったが、今度は地獄で会おうぜ」

高杉は即座に背を向けた。背後からはまた子が撃ちまくる音(一言も話していないのが怖い)と、「悪かった!お詫びに新しい下着でも差し入れるから――あ、俺はどちらかというと白と黒が」なんて油を注ぎまくるバカの声だけが追いかけてきた。


その日以降、女子更衣室前には「婦女子のみ。覗いた者、死」と高杉直筆の紙が貼られ、二人の大将は決裂した。





【雨心中】

黒い雨の中に忘れられない痛みが流れている。そうとしか考えられないほど、雨の下では頭が痛み、視界がぼやけた。
身体も重い。今すぐ座り込みたいが、土に触れてしまったらもう二度と立ち上がれない気がした。
秋の雨は最も嫌いだ。夏の間に土に染み渡った腐臭が再び溶かされて立ち昇る。

足を速めようとしても重く濡れた着物が足に絡む。それはきっと水に還った数多の屍の重みだ。
桂は傘を捨て、薄汚れた路地に入る。陽の下を歩けない者たちの隠し通路として横たわる場所に入ると少しだけ呼吸が楽になった。
その間にも記憶の断片が再生されては消え、また別の記憶に塗り替わってまた途切れる。
それらには全て間違いだらけで穢れていて、何も護れなかった自分が蹲って、立ち上がりもせずにあの手を待っていた。

血と罪科に塗れ、傷だらけになった手。
敗北の果ての停滞をこじ開けた、悲しい手。

「高杉」

一瞬、夢かと思った。まさに檻のように降り注ぐ雨を避け、掴もうとした手が力なく投げ出されていたのだから。
腹から流れ出た黒い血が雨と混じって淀んでいる。数歩先は大通りであるのに、鮮やかな着物のまま地に沈む男と傘も差さずに立ち尽くす自分には誰も気が付かない。
桂の頬に疲れ果てた笑みが浮かんで、すぐに消えた。もう自分たちはとうの昔に屍になっていて、雨の底に置き捨てられているのかもしれない。



高杉の傷は浅かった。腹を薙がれたようだが、たまたま出血が多かっただけらしい。
むしろ高杉を家まで引きずり、手当をした自分の方がダメージを受けた気がする。
「驚かすな、馬鹿者」
答えは返らない。高杉の顔は血の気を失ってほのかに青白く、真一文字に結ばれた唇も乾いて血が滲んでいた。
「貴様も呑まれたな」
この程度の傷で動けなくなる理由は他にない。
分かるよ、高杉。こんな日は全てを投げ出して意識を飛ばしてしまいたい。
頬に手を当てるとべったりと吸い付く感触がある。それは刀にこびりついた血の粘り気に似ていた。

「……やめろ!」

突然、高杉が魘され、叫んだ。全身から冷汗が噴き出し、顔があっという間に歪んで崩れる。
「……頼む、……頼む、やめてくれ……!」

その先に続く名前を聞ける気がせず、とっさに唇をふさぐ。彼が、いや自分も縋ってしまった名前が、口の中で弾けた。
なあ、お前も雨の日は辛いか。今日は二人はいるのだろうな。間違っても一人で飲みに行ってなんかいないだろうな。
雨の濁った味を交換しながら、ここにはいないもう一人に思いを馳せる。ほとんどそれは祈りだ。
すまない、すまない、すまない。俺たちはお前の仲間だったのに、あの人の弟子だったのに、お前の思いを知っていたのに、やめてくれと叫ぶことしかできなかった。

高杉は目覚めない。
当然だろう。この夢はそう甘くない。まだあの戦場は降りやまぬ血の雨の底にあるのだから。

「―――眠るか」

高杉の体をずらし、その横に滑り込む。指を絡めると、その手は可哀そうにも熱くなっていた。
こうして手を合わせても苦しみは半分にはならない。それどころか、二人分の記憶が融合して、一人では見れない夢の細部までが浮かび上がる。
骨が絶たれた音、散らばった栗色の髪、転がった振動、過去の、信じていた明日が粉々に砕けたあの感覚。

分け合う過去は突き詰めれば悪夢だ。
酷い悪臭を孕んだ雨の匂いの。

「大丈夫だ。苦しみを混ぜてでも、耐えてみせる」
なあ、高杉。そう言った時、力なく手が握り返された。痺れるような痛みが背中を突き抜けた。





昼間の明るさに耐えかねて目を覚ますと、既に高杉の姿は消えていた。
その代わりに一輪の花が手に握らされている。
思わず苦笑いをしながら、その艶やかな青紫色を飲むように見つめ、布団から立ち上がる。

「竜胆か」

雨は上がり、雲一つない蒼穹が暴力的に世の中を照らしていた。
ここは薄暗いままだが、もがけるだけの光が戻った。

―――悪趣味な奴め」

身体は軽くなっていた。ならば、まだ戦える。
桂の瞳に青紫の炎が瞬き、また静かに沈んでいった。