残 
三章 の満開の下

三、


「どうして助けた」


ナルトの邸宅(つまり州候邸)の土地には小さな裏庭が含まれている。現在は少しでも糧とするために、華やかな庭園を潰し、畑としているが。
農民に軽く声をかけながら、ナルトとサスケはその道を歩いていた。
ここを抜ければ、邸の裏口につく。その間だけの――屋敷では憚られる静かな密談である。

「普通の海客じゃないぞ。蝕もなかった、しかもこの時期に虚海に入って生きていた」

呟くサスケの声に抑揚はなく、その思考は窺い知れない。
ナルトも必ずこの質問が来るとわかっていた。足を止めることなく、視線を彼方へ飛ばす。


「サスケ。お前、あの日を覚えてるか?」
「………」
「俺は忘れられねぇ。多分、何があっても覚えてるよ」



(俺だって覚えている)



どうやったら、あれを忘れられるのか。
あの、俺達が初めて会った日を。律王が現れる前の時代。―――初めて人を殺した日のことを。


◇ ◆ ◇


桜の森の満開の下。彼らは一心不乱に土を掻く。がりがり、がり。伸びきった爪が地中の石によって削れ、折れる音を聞きながらも何かに憑かれたかのように必死にその穴を掘った。
君の悪いほど荘厳な夜桜を咲かす土に、指から流れる血を染み込ませる彼らに表情はなかった。

自分のほかにもう一人、穴を掘っている。それだけがあまりに確かな事実であり、それ以外は全てが曖昧な偶然により生まれた物語に過ぎなかった。
確かめる術もない。あったとしても、無意味に過ぎる。
そもそも、表情の見えない目の前の彼が誰であるかなど知らなかった。


漆黒の穴は墓穴だった。
人一人がすっぽり埋まるほどの大きさのそれを、六歳にも満たないであろう少年二人が掘る。
供養の際に必ず刺される梓の枝もなく、ただそこにあった命を無機質に葬る、墓。
自分達以外は誰もこの死者を知らない。
―――こうやって人間は終わっていくのだと知ったのもこの日だった。


「………入れるか」
そう言った少年の声に抑揚はない。赤い月光に隠されていた貌が照らされる。明るい黄色の髪に青い目、そして空位の時代にふさわしくない薄絹の服。
見るものが見れば、彼が誰なのかすぐにわかったはずだ。
だが、死体の男を含め、それほどの学を持つ者などいなかった。

「ああ。………お前、こいつの服、着ろよ。それじゃ街道でたかられるし、身元を調べられる」

対して、言ったそばから死体の襟首に手をかけた少年は一目で浮浪者とわかる。
襤褸をまとい、ぼさぼさの前髪からぎらりと輝く目だけが覗く。腰には襤褸で隠されてはいるが、どこかで盗んだのであろう――小型の短剣が刺されている。
実際に、殺傷として使われたのは初めてだった。

「途中で、売れねえの?」
黄色の髪の少年。
「もう夏にそんな絹を買えるのはいない。いるとしても、役人どもだ、金を払った直後に殺されるのが目に見えてる。お前、本当に世間知らずだな」
「……俺さ」

声は常闇にすら、感じられる。

―――宮司なんだよ」




宮司というものがある。
この十二国は神頼みをしない。全ては天帝の意志を介在すると考えられているのが理由の一つ。もう一つに王がいなくなるたびに亡国の危機に晒される民は自分の腕だけを頼りに生きていること。
だから、役人が手配所を持ってきたとする。村の者は結託し、彼の者を保護した後引き渡す。その行為を責めるという概念すらない世界だ。ここは。

宮司はおそらく唯一の例外だろう―――夏だけの。
ある一定の学を持つ者ならば宮司の存在は誰でも知っている。だが、その宮司が何処にいるのかは誰も知らない。
一説に彼らは王の庇護を受ける者、普段は口分田で暮らしながら"その時"だけ目覚める者、等々。
その時とは、王、麒麟とも存在しない空白の時代にある。それも妖魔が跋扈し、朝廷も腐敗と完全に従来の世界が壊れた時に宮司は存在を明かす。

十二の家から成り立ち、家が存続する限り宮家の座を回していく。
宮家とは宮司を出す家。宮司を育て、山へと捧げるためにだけ存在する家。――生贄の家。
宮司一族だけが知っている山があるという。そこは、天神と崑崙、蓬莱の神の力が合わさり、歪んだ祭壇なのだそうだ。
そこに宮司を捧げる。宮司は消えうせ、国は滅びない。
伝説的でありながら、それは祈りだ。人はこう言う。神隠しの祈り、と。

宮司という名の生贄。
それは何処からともなくやってくる子供だった。荒廃を歴史の中で味わううちに、本来ならば宮司家の子供がなるはずのそれは、親に売られた子供へと変わっていた。
売られた子供は養子として宮家で育てられる。
そして彼らは消えていく。絹の服に身を包み、神々しいばかりの切ない祈りとなって。



「……母さんは、俺がこうなるって知ってて俺を売ったんだってばよ」



だから、親にすら必要とされないなら、どうやっても生きてやるって思った。


「国を救えって言われた。でも、この国が一体何をしてくれた。自分が命を駆けるものくらい、自分で決めたいって思った」
「………あの男は追手か?」
「ううん。追剥ぎじゃねえか?」
「だろうな。―――急ぐぞ」

少年は死体を穴に投げ入れると返答を待たずに土を被せる。
痕跡すら残さず人一人の人生を――始めてあった黄色の髪の少年と共同で殺した男の人生を、捨て去る作業。淡々としていた。

「お前、俺を突き出したりしねえの?」
「………別に。一人で生きていくのにも限界を感じていた頃だ」


二人の少年の後姿が夜桜に溶ける。

神隠しになりたかった。


◇ ◆ ◇


「俺は嬉しかった。サスケが助けてくれて」
「……」
(俺は、まだ傷つけるお前が羨ましかっただけだ……)


「俺達も、おっさんに助けられる前、ああいう目だったんだろーな」


サスケは何も言わなかった。
そうなのだ、彼はこう言うと思っていた。自分もそうだったのだから。




だが、一体この気持ちは何だというのだろう。
自分が一番嫌ってきた不合理性に支配された不可解な強迫観念は。


……あの傷ついた女に、譲れないものを奪われるような、この予感は。