三章 桜の森の満開の下 一、 四年後。 「―――柔拳!」 喉はからからにひび割れ、絶えず口の中に溢れる血液がそれを潤しているようで、ひゅうと喘ぎに近い息が彼女の口から吐き出された。 ともすれば膝が砕け、地に伏してしまいそうな全身をしかりつけながら、ヒナタはひたすらに走る。 そうしている間にも木々の狭間からクナイが疾走してくる音がする。 二本を巧みに体を捻りかわす。 もう一本は右腕を突き出し、狙いであった延髄付近を守った。 本来ならばこれを弾きかえすためのクナイも打ち果たし、敵が投じてくるそれを利用してかろうじて生き残っている状況だ。 乱暴に右腕にささったクナイを引き抜き、投げ手を見られぬよう背後に鋭く投じる。 正面の敵を捨て、背後のもう一人の懐に飛び込む。取れる、そう感じた瞬間、体に力が湧きあがるのをヒナタは感じ、残り少ないチャクラを練り上げた。 拳だけは力強く、相手の腹を直撃するが、同時に背後から背を薙がれる。 「……っ!」 一瞬、横に避けるのが遅れていたら首を切られていた一撃。 背をざっくり切られながらも、ヒナタは倒れない。体は最期の一秒まで戦うように出来ている。十歳の時アカデミーを卒業して以来、三年間を生き抜いた本能に従って、ヒナタは倒れぬために走る。 倒れるのは死ぬ事だ。 即ち、家を継がず、大好きな妹に自分が背負うべき宿命を押し付ける事だ。 駄目だ、それだけは駄目だ。でも……! 日向ヒナタが中忍に昇格し、配属されてからのフォーマンセルが全滅したのはつい一時間前の事だ。 それぞれが重症を負い、任務を失った中で、叫ばれた最期の命令は逃げること。なんとしても生きて木ノ葉の里に帰り、報告することだった。 (隊長……) 攻撃をかわし、目は懸命に脱出路を模索しながらヒナタはその背中を思い起こす。 自分達の前に立ちはだかった大きな背中。 もういない彼の背中はまるで自嘲的に笑っているようで、何故かヒナタにはその背が消えて久しい従兄弟のものに見えた。 もし、彼が今の自分だったらどうしただろうか。 きっと、自分など生まれ変わっても考えられないような奇策で生き残るだろう。 どうして、彼が宗家に生まれなかったのだろうか……… 「……ぐっ……ぅ…!」 その独白が終わるか終わらないか、ヒナタの背に新たな鉄の翼が生えた。 ああ、力が抜ける。 酷くあっさりと納得した答えを抱え、自分の体が谷間に舞うのをヒナタは他人事のように眺める。 駄目だった、こうなるのだけは、避けなければと思っていた。 でも、どこかでこうして逃げてしまいたかった。 無益な自分にはふさわしい、侘しい死だと思った。 (ごめんなさい……) 峡谷には毒々しい桜が血を流し合う忍達を嘲笑うかのように満開に咲いている。 水面に叩きつけられるまでの一瞬、ヒナタは確かにその花が共に散り、下忍時代からの同僚であるキバとシノの顔、心配そうに自分達を見た紅の顔、父、母、妹……そして遠い彼方に去り行く白い顔を見ていた。 |