残 
二章 星屑的

四、


「………おわっと!」
「どうしたドベ」

執務室にある愛用の椅子から転げ落ちたうずまきナルトに冷ややかな言葉が振りかかる。
ちなみに言葉を発したのはうちはサスケ。ドベとは二人が所属していた大学での順位を示す。

(今日は反論してこないな)

普段ならばドベという言葉に過剰反応を示すナルトだが、今日は全くの無反応のまま、先ほど舞い込んだ手紙にくぎ付けになっている。
大理石の冷たい床に倒れているナルトは大層まぬけだったので、サスケはそれを隠すことなく口に出す。

「いい加減にしろ、ナルト。お前の短絡細胞でも今朝廷を転覆させないためには必要なんだよ」
「………」
「って、聞いてんのか!?」
聞いてない。全く聞いていない。


「………サクラちゃんが来るってばよ!」


苛立ち、目の届く範囲にあった筆を投げようとしていたサスケは唐突に顔を上げ、突進してくるナルトに驚いた。
だが、その驚き以上にナルトの内容の方が衝撃的だった。

「サクラが?」
「おう!……えっと、要約すると新王登極を見届けに来るってよ」



春野サクラは二人と同じ大学に在籍していた同級生だった。
もともと夏国は学問が発展した国ではない。自然、大学の数も限られ、今でこそ宮城付近に屋敷を構えるまでになったが、あの頃のナルトとサスケでは到底入学できるものではなかった。
だが、二人はどうしても大学に行きたかった。
"この家"で役割を得るために。いつか、この家の主人の恩に報いるために。

そこで二人が選んだのは十二国中で一、二を争う豊かな雁の大学だった。
延王は人種にこだわらない。雁に住む者だろうがそうでなかろうが、半獣の学生だって珍しくはない。
大学は各国の学生で賑わい、まるで十二国全ての文化が見えるサロンのような空間だった。

サクラもその一人である。
もっとも彼女は黎国秋官長大司馬という殿上人の娘で、本来なら蝶よ花よと育てられていたはずだった。
それに亀裂を入れてしまったのは幼き頃のナルトであるのだが、今語るべき事ではあるまい。
ある事件を経て――多分に気性も災いしているのか――彼女は官吏として歴史の中に埋没する事を選んだ。そして過去の自分を知る黎の大学を拒み、数年ぶりにナルトとサスケに再会する事となったのである。


三人はめでたく(サクラとサスケの努力によりナルトもなんとか)卒業し、サクラは修業のため黎へ戻った。
昇仙し、一時的に不老不死になってからも、交友は続いていた。
ナルトはサクラのことになると盲目同然、サスケは逆に彼女に追われる立場。
―――彼女に付随する事なら、全て分かっていると自惚れていた。


十年後。霊麒の失道の報が夏にももたらされた。
その頃から、サクラの連絡は途絶え、黎は冬に突入したのだった。



「久しぶりだってばよー!今度こそサクラちゃんを振り向かせて見せるってばよ!」
「………空位の時代に不謹慎だぞ」
「口元笑ってる奴に何言われても説得力なし」
「ナルトのくせに俺にツッコミを入れる何ざ、生意気なんだよ!」

そう言い合いをしながら、何気なく書類を裁可している辺りはさすがであるが、それもナルトの一言が出るまでだった。

「そーいや、さー」
「あ?」
「今日、昇山の順番決めたんだよな。―――俺たちが行けんの、四年後だって」


瞬間的に執務室に冷風が吹き抜けていく。
かたん、静かにサスケが筆を置いたのを見てナルトは思わず竦みあがった。


「………その議案を出したのはどいつだ」
「冢宰」
冢宰とは六官の長――つまり天官地官春官夏官秋官冬官を統括する者である。
共に冬官の二人が逆らえる立場ではなかった。
話の持っていき方によってはサスケが何をやらかすか分からない事をナルトは身に染みて知っているので、それなりに工夫はしたんだと抵抗する。
「とりあえず、冢宰は一番最初に行くって言って聞かねえから赤州候と天官の一派を入れた」
「……最初だけを除けば妥当だな。人望があり、民に好かれている」
「だろ。誰が即位してもおかしくはない」


(そうだ………俺の眼から見てもそうだ)


確かに皆が人望があり、深謀遠慮、民が希望を持つ人物だ。
同時に自分達の友人であり、夏を救いたいという同士である。信頼している。

だが……。
腑に落ちないとでも言うのか。これではただの我侭でしかないと分かっているのに。




小姓が廊下を駆ける音がする。
彼女が来た。―――あの、兄に仕える、遠くに行ってしまったサクラがやってきた。
ナルトが飛び出していく音を聞きながらサスケは思う。



(俺はナルトが王だと信じたい)





空だけが残酷なほどの蒼天を描く。
一体誰が、それを見上げるほどの力を持っていたというのか。昔は溢れるほどの札を下げていた里木は枯れ木のまま。夜毎、口減らし、子に刃を振り下ろす音がする。そんな中で。

世界は血に染みているのだ、もともと僕らは血の中を泳いでいるのだと一人の少年が言った。そうなら、天は何をしているんだともう一人が言う。夢を見せている、と彼は言う。遥か昔に滅んだ夏の夢を
――亡霊となったことにも気がつかない僕たちに見せて、宴会をしていると。

確かにそうだ、ともう一人の少年も頷く。俺たちは最初から死んでいるんだなと聞いた。
ああと友は答える。昔、彼らに天の偉大さを説いた父母ももういない。馬鹿正直に生きて処刑された。天が助けてくれた事などあったか、そう二人は思った。そして虚ろな眼を向ける大人にこれ以上ない甘い笑顔を向けた。彼らは首を刎ねる刃の軌道を笑いながら眺めた。
――口減らしは、彼らの番だった。



夢を見よう、いつ果てることのない夢を。
信じていた小さな世界を捨て、昔に孵ろう。
海は花。人は塵。天は愚者。僕は夢。
誰も何も持たない世界に行こう。
誰もどこにもいない世界に行こう。

国を滅ぼす夢を見よう。
全てを奪ったこの世界が、終わる様子を静かに眠りながら夢に見よう。

おやすみ。
今から帰るよ、母さん。




――――そして、四年後まで王旗が上がることはなかった。