終章 花桶の追想 三、 音もなく花弁が舞い散る花道に、二人はただ無言だった。 立場は逆転し、先を行くヒナタの一歩後にネジが付き従う。 もうあの頃とは違う背中だが、すんなりと心に染み入る。 「主上。………ハナビ様はご健在でいらっしゃいました。あの二人のチームメイトも」 ほとんど独り言のような口調だが、これは自分の頼みの報告なのだと知っているヒナタは目に感謝を込め、ゆっくりと振り返る。 「キバくんとシノくん……ハナビ、…よかった」 「個人的な感想を言わせてもらえれば、あの頭の悪そうな男は少し落ち着く事を覚えないのかと思いました。ハナビ様相手に口でやり込められていましたよ」 「"ネジ兄さん"、キバくんを知ってたの?」 「珂麒とお呼び下さい。昔、貴女も俺もアカデミーにいた頃です。貴女に酷い事ばかり言っていた俺をみかねて、文句を言いに来たのがキバです。横に無口な――おそらくシノでしょう――がいて、無言で批難していました」 「えっと、それで……?」 「怒らないで下さいね。何も知らないくせに勝手を言うなと、柔拳の実験台にしてしまいました」 軽い驚きにヒナタが顔を上げると、穏やかに笑うネジと目が合った。 桜吹雪が二人の間吹きぬける。 ヒナタは何年もの間、彼のこうした笑顔が――昔のままの笑顔が見たかった。 ヒナタが思わず微笑んだのを見て、はっとネジは笑顔を引っ込めてしまう。 「ネジ兄さん!」 冷静な表情に一気に切り替わり、「主上」と口を開きかけたネジをヒナタは必死の思いで制す。 昔、こう叫んだ時には何も掴めなかった。 彼が去っていく背中を見ていただけ。みすみす壁が形成されるのを嘆いていただけだ。 今、ようやく乗り越えられなかった壁が消えたというのに、彼はまた別の壁の裏に行ってしまおうとしている! 冗談ではなかった。これ以上後悔してたまるかと強く望んだ。 「ネジ兄さん。貴方だけの初勅としてお願いします。……これから、重要な儀式を除いては昔の通りヒナタと呼んで下さい。ネジ兄さんと呼ばせて下さい」 あまりにはっきりとしたヒナタの物言いにネジは動揺するが、それを無理やり飲み込む。 何を言おうか迷ううちに次の言葉が降りかかってきた。 「ネジ兄さんは言葉遣いが変わるだけだって言うと思う。でも、私はそういう所から、また分かり合えなくなるんじゃないかって思う……。昔のように、私が弱くなったら叱りつけて。この夏を担う王の最高の理解者として」 麒麟と王は運命共同体。 鎖で繋がれた関係といえばそれまでだ。 でも、私はそれが理解の上に成り立つ絆になると……ならせてみせる。 「…………貴女は、馬鹿だ」 ぽつりと俯いたままのネジは呟く。 俺を、昔の事も含め、全て許すというのか………。 「貴女を守るといいながら、自分が満足するために貴女を王に据えた俺を……許すと……」 「許すっていうのは違うよ……、私はネジ兄さんに謝られることなど何もない。私は弱くて、ヒザシさんを死なせて……ネジ兄さんが離れていってしまったのも当たり前だと思ってた。でも、もう一度、戻りたいってずっと思ってた………」 「……ヒナタ、様」 「様もいらないよ。……私達は日向の人間だけど、その前に従兄同士だから」 「ですが!」 変わらぬ彼の不器用具合にヒナタは笑いを含めて付け加える。 一歩一歩、ただ進むと心に刻みながら。 「今だから言うけど、ネジ兄さん、私が宗家の跡目だった時も社交辞令で様つけましたみたいな尊大な話し方だったよ……?」 「………」 図星らしい。 「今更変えても、って思う」 ざっと風がなり、桜色の舞台は序幕と終幕を同時に告げる。 貴女は本当に馬鹿だ、もう一度ネジはそう言う。顔を上げた。 「……後で、偉そうだとか何とか言っても聞かないからな」 「うん……」 それだけをいい、前を示す。 内心、悪いとは思いながらもヒナタはこの男は何処まで不器用なのだと思ってしまった。 「ネジ兄さん。従兄は前と後ろで歩くものじゃない。横で歩くものだよ?」 「…………今そうしようと思っていたところだ」 そっぽを向きながらも、隣に並んだネジにヒナタは心から微笑んだ。 越えられない壁など、壊れない壁など何処にもないのだ。 何故なら、始まりと終わりはいつも同時に起こっていて、予想とつかない明日は誰でも持っているのだから。 道が何処に行くのか分からないのは、未来が分からないこと。何が起こってもいいということだ。 「―――行くぞ、ヒナタ」 先を見据え、不敵に笑ったネジの顔は酷く涼やかに見えた。 「うん」 いえなかった言葉、失った言葉、全てが桜の中に埋まり、消えていく。 忘れたなら、温かさを思い出す。 泣きたかったら、誰かと共に泣く。 笑うときは、周りも幸せにするよう笑う。 悔しかったら、這いずってでも後悔を取り除く。 それを誇れるうちは、何処にいようとも無限大の未来の中を生きているはずだった。 <了> ネジ、誕生日おめでとうございました。 そしてここまで呼んでくださったあなたに多謝。出来れば、何処かで再見。 |