残 
終章 桶の追

二、


若干二名が騒がしく話ながら歩いてきたキバ、シノ、ハナビは、ほとんど同時に固まった。
呆然とした表情を隠す余裕もなく、よろよろとヒナタの墓に近づく。
あるはずのない花が華やかに添えられている。今、誰も供えられないはずの花がある。

「桜と………梅」

ハナビが震える手でそれに触れる。
今まさに満開の桜と梅の枝。二本だけの控えめな花束だが、薄桃色と赤の滲みは彼女が今まで見たどんな桜と梅よりも美しかった。

「一体誰が……」

ハナビの呟きももっともだったが、答える者はいなかった。
キバとシノは花束の裏にひっそりと置かれていた物にくぎ付けになっていたからだ。

「おい、これ………!」
キバがいち早く手に取ったそれが、晴天に銀色の光を放つ。
音もなく後ろにきていたシノもその銀色に触れ、冷たさを確かめる。


「……ヒナタの額当てだ」


この色を忘れるはずもなかった。そして、誰よりも丁寧に扱われた木の葉の額当て。
キバなどはしょっちゅう布を替えなければいけなかったが、彼女はほとんど新品同然の綺麗なそれをつけていた。
彼女とともに消えていたはずのそれ。
永遠に見つからないはずのそれ。

誰が、どうしてこれを、そんなことはどうでもよかった。
ハナビのかすかな嗚咽が流れる中、頭を占めるのはたった一つの願いだ。


生きている………?



(ヒナタ、お前は何処に行ったんだ………?)



◇ ◆ ◇


随分と身体が重くなった気がする。
転変を解いた瞬間に女仙に捕獲されたネジは、何十にも布を重ねた礼服を着せられていた。
彼女達に文句を言ったところ、主上の方はもっと華やかなものでございますと冷たく反論されたのでおとなしく着てみたものの、こんなものを身に付けていたら動きにくい事この上ない。
この辺は忍としての記憶なのかもしれない。
そうだとしたら、彼女はいかに戸惑っているだろうと少しだけおかしかった。

(珂麒、もう皆様準備が整っておりますが……)
「わかっている。寄り道が効いたな」
(そういう問題ではありません。これから、新王登極の儀ですよ)

明螺の声も大分苛立っている所を見ると、大方ナルト達にまだかと言われたのだろう。
なら、遁行してしまえばいいのに、麒麟健在を示すため主上の横に張り付いている辺りが素直な所だ。
シカマルに言わせると、女怪とは麒麟に影響されるのだそうだ。つまり、麒麟が俺のようにひねくれていれば女怪は純真、逆に麒麟が素直すぎる場合狡猾になるらしい。
大きなお世話だと吐き捨てる心中も、何故か明るいような気がした。


………結局、俺はこうしたかったのだ。
王に選んでしまえばヒナタ様を傷つけるだけだと分かってはいた。彼女になど跪きたくなかった。それは彼女を守る存在であり続けることへの自身のなさの裏返しでもあった。だが、最後に俺が選べるのは彼女しかいなかったのだ。
許してくれといいながらも、俺は夏の国民を飢えさせたくなかった。これほど亡国の危機を味わった国民をこれ以上虐げたくなかった。
つまり、認めて欲しかっただけだった。

王を選ぶ、その行為が俺にしか出来ない物で、よくやってくれたと言われたかった。
いろいろな理由をつけた。何も自分の意志では決められない。掴んだと思ったらすぐに失う。
日向の運命、ヒナタ様に対する劣等感と焦燥。逃げずに打ち破ってやろうと思う一方で、傷つける事だけで逃げていた。自分が信用しなければ、何も失う事はない――そう優しい楽な論理に溺れていた。

俺が迷っている間に、どれだけの民が死んだのだろう。
シカマルのように各地を廻り必死に王を探したわけでもなく、個人の感情を優先した事もあった。
そんな愚かな麒麟に希望を見出していた者達を俺はどれだけ裏切ったのだろう。
そう考えずにはいられない。


今度こそ、逃げずに許されたい。そう願うのは罪ではないと信じる。
まだ、なりたい自分になれると信じる。
守ろうと思っていた、そう思っていただけで何一つした事はなかった。
傷つけ、無為に嗤っただけ。眩しい輝きに目をそらし逃げ出しただけ。
俺は満足の行く自分に出会ったこともなければ、ヒナタ様を守った事もなかった。


悔いることだけは有り余るほどある俺の生き方。
それを抱えながらも、認められる存在に。
せめて夏に必要な麒麟、主上に必要な麒麟となろう―――


ネジは薄く笑いながら、がやがやと騒がしい人ごみの中、真っ直ぐ一人の人物を目指す。

「主上、お待たせ致しました」

呼ばれた彼女は少なくともネジの記憶にあるどの彼女とも違っていた。
似合いの真っ白な礼服には薄紫の髪がかかり、豪奢な紫水晶をあしらった首飾り、腰には宝刀をさしている。
今は昇山者――つまり、身内しかいないからか、ナルトやサスケ、サクラ達が立ち上がったまま興奮気味に何かを話している。困惑気味の彼女の顔には一応笑顔があり、ネジは内心で安堵した。

「それから、貴官達。我が主上をそのような叫びで困らせてもらっては困るな」
笑いを含んだネジの声にサスケとサクラは気まずげに一歩引いたが、ナルトには通用しない。
「わかった、わかった。大体、ネジが時間かかったのが原因だってばよ」
「それは傍観者の戯れ言だ」


(そうか、ナルトがこういう奴だったから俺は向き合うことが出来た)


麒麟という、この世界では特殊な位置付けの自分さえも当然のように友としてくれた彼がいたから。
彼が太陽のような笑顔でこの夏を照らす人物だったから。
闇を持つことを恐れずに、自分に向き合えた。


「ほら、ヒナタ、ネジ……行ってこいよ。俺たちは此処で待ってるからさ」
夏に国旗を上げるその瞬間、新王登極の高らかな鳴き声を。



「ああ。………では、主上、参りましょう」



二人の前には、いつかの桜並木が未来への道を示していた。