七章 守りたかった人 二、 門をくぐった瞬間、淡く流れてきていた杏の香りのほかにも桃、菖蒲、牡丹など季節が異なる花の香りが一斉に鼻腔をくすぐる。一見無造作に生えている様でも、花は華美な中に静けさも内包しており、煩さを感じない。 別の門から帰ると言うネジと別れ、ナルトは昇山者が必ずくぐる門へ辿り着いた。 穏やかな気分だった。この楽園を見て、純粋にこの中に身をうずめていたいと思えた。 「ナルト!!」 三歩と歩かぬうちに、聞きなれた声が降り注いだ。 天幕の位置をこの門が見える場所に設定したのだろう、仲間が我先にと走ってくるのが見えた。おそらく無事であろうと思っていたが、やはり笑顔を見れば感慨もひとしおである。この様子では隊に支障は出なかったに違いない。自分が鵬ではなかったとわかっているはずなのに、いつもの通りの笑顔で迎えてくれる事が嬉しかった。 「遅え!てっきり、くたばったかと思ってたんだぞ!」 当然のように真っ先に怒号を発したのはサスケ。全く割に合わないと彼は思う。 今まで何度もナルトの無謀さに気を揉まされ、それでいて彼はいつも戻ってきた。 困った友人は新しい時代にもこのままなのだろう。そうである限り、自分は彼についていくと決めた。 「よかった……」 泣き笑いのような表情を浮かべるのはヒナタ。 どれだけ手を伸ばしても届かない彼は、いつも何かを乗り越えてきた。 これからやらなければならないことへの勇気を貰った気がして、心が温かくなった。 「ナルトォ!」 「うわっ、サ、サクラちゃん……!」 サスケの吉量は無事サクラを隊まで連れ帰っていた。 突然抱きついてきた彼女にナルトはひたすら動揺するばかりだ。 「どうしようって思ってた……!私のせいでナルトが死んじゃったって!」 「―――死にはしねえってばよ」 「……ナルト、ありがとう」 ぽんぽんとサクラの頭をたたき、ナルトは蒼穹の空を見上げる。 春の兆しが見えたのは自分だけではないはずだ。 「………ごめんな」 ここまでついてきてくれたのに、ごめんな。 それから、変わらないでいてくれて、ありがとう。 ◇ ◆ ◇ ―――その夜半。 昇山を成し遂げた喜びに身を浸しながら、酒を酌み交わす宴会がしめやかに行われている頃。 「………サクラ、どうした?」 重傷を負っているにもかかわらず、すっかり出来上がり絡んでくるナルトをかわし、夜風に当たっていたサスケは背後に向かって静かに声をかけた。本当は、何の用だと言ってしまいそうだったのだが、それを押さえる事が出来たのは我ながら僥倖である。 決してサクラが嫌いなわけではない。好きかと聞かれれば好きだと答えるし、大切かと言われれば大切に決まっていると返す。……それ故に、彼女と二人きりになるのは苦手なのだ。 大学時代、サクラは毎日のようにサスケ君が好きと言っていた。 サスケは興味のないのを装いつつも、ある意味では日常の一部としてそれを享受していた。どうしてそれに応えなかったのか、応えられなかったとしか言いようがない。その頃は、彼女を好いていても決してそれが恋愛感情に変わることはなかった。 「話があるの」 サスケが二人きりになったとき、自分を避けていることなどサクラも百も承知だった。 それでも臆す事はない。新王登極を見届けるのは公の任務。サスケと話をつけるのは彼女個人の任務。 「……久しぶりにナルトとサスケ君に会って、初めてヒナタにも会って……この空間が懐かしかった」 「…………」 「皆のことが好き、それはずっと変わらないわ。もちろんサスケ君も好き、とても大切。―――でも、私は今、イタチが一番大切なの」 サスケの動揺は、嫉妬にも近しいのかもしれなかった。 恋愛感情なのか友情なのか、酷く曖昧な位置にいながら、心からの愛情を注いでくれた彼女の目が他の男のほうを向いたことへの。 いや、自分でも嫉妬なのか、ただの独占欲なのか、取り残される事への不安なのかはわからない。 「黎王、うちはイタチからの伝言です。でも、彼が言ったわけではありません。不器用に過ぎる彼は本音は言わずに日々を過ごしています。―――これは私の私見ですが、イタチの本音であると思います」 その男が、自分が捨てられた代わりに家に残った兄であったから、衝撃は強かった。 結論から言えば、兄を憎んでいるわけではないのだ。ただ、自分の世界から完全に兄の面影が消えてしまった事が寂しかった。 「………夏に新王が立ち、春野サクラが帰還する暁には黎に遊びに来るように、と」 二対の目が、錯綜し、絡み合う。 無言で踵を返したサスケの横に、サクラがひっそりと追いついた。 「すっかり酔いが醒めたな。―――飲み直すぞ、サクラ」 「うん」 たった一言の言霊は、肯定の言葉であるためには充分すぎた。 夜風に桜色の髪が一瞬だけなびき、影がぼやけ静謐を描き出した。 |