残 
六章 

八、


昇山も残り二日という日に起こった事件はサクラの弓によって幕を挙げた。
その日は襲撃の日であり、朝から警戒色が濃かったのだが、そこは経験が物を言ったのだろう。かすかに流れてきた獣の臭いを最初に感知したのはサクラだった。

―――来るわよ!」

声を張り上げ、素早く弓を構え、サクラは前方を凝視する。前の隊も伝令が伝わり、人が左右に避けたのを認めてから背筋を伸ばし狙いを絞る。
「戦えねぇ奴はすぐに木に張りつけ!絶対動くな!他の奴は全員で道を開くってばよ!」
ナルトの怒声が響くのと同時に矢が鮮やかな軌道を描き、空中に道筋を作った。
耳を塞ぎたくなるような妖魔の金切り声が響いたと思った刹那に、全員の視界に土煙が移る。
「おいでなすったな」
不敵な笑みを唇に乗せたサスケが吉量に飛び乗り、何気ない仕草でヒナタがナルトの隣を固めた時には、姿形が認識できるほどまで群れが近づいていた。


「あれは……戎徽」
ヒナタの声に安堵のような、容赦の必要のない冷徹さの両方が篭もる。
戎徽は爪や牙の破壊力を除けば、少し大型の狼とも見える。速さも手に負えないわけではなし、人妖のように策略を廻らす訳でもなし、羽があるわけでもない。数こそ同数でそこそこの腕があれば、最悪の脅威ではない。
だが、戎徽の恐ろしさは別にある。妖魔が捕らえた生き物を喰らうのは変わらない。だが、戎徽は戦いの途中であろうが、餌を捕らえると餌を生かしたまま逃げ出すのだ。そして群れの長に捧げ、長が食した後おこぼれを頂戴する事になっている。
その長は、いや長だけが人では到底太刀打ちが出来ない妖魔なのだ。
故に、仲間が攫われても見捨てなければならないことが多い。

昇山者達は個々に部下達を指揮する。襲撃の際にも、それぞれの隊が一番動きやすい陣形を取って戦う。陣形が完全に整った時には、既に先頭のナルト達が妖魔と接触していた。


妖魔の群れが人間を緩やかに取り囲むように移動を始める。その先発が最初に狩られる事となった。
ナルトの目が素早く地形を確認する。幸いにも両側は森。しかも木には太い蔓が巻きつき、垂れているときている。口元に浮かんだ甘美な笑みと共に、ナルトはヒナタへの合図として右手を大きく振り上げた。
その合図を読み間違えるヒナタではない。素早くチャクラを練りこみ、近くの木の側面に着地した。

ヒナタはこの能力を前もってナルト達に話している。最初は命を救われた恩返しの意味もあった。だが、今のヒナタが戦う理由はナルトの為に他ならない。
この世界で一応こつさえあれば白眼とチャクラでの吸着、体術の増幅は使える。ただし分身など忍術はどうしても発動しない。白眼については、ヒナタがヒナタであるかぎり血のなかに存在するため利用できる。おそらく、こちらでの理に反しない範囲では過去の力を発揮する事ができるのだろう。
ヒナタとサスケが無事避難したのを確認した後、ナルトがサクラの前に陣取った。

普段の乱雑さからは想像も出来ないほどナルトは正確に糸を操る。
この技を彼がどうやって会得したのかはサスケですら知らないが、少なくとも使いようによっては大変な武器になることは間違いなかった。
極細の糸は慣れていないと見えにくい。それを利用し、敵に絡め捕縛することも出来るし、力を篭めれば消耗するものの両断することも可能だ。複雑な意図の造形は全て十指で制御されている。

見慣れている三人には糸が妖魔に覆い被さるようにして絡まっていくのが鮮やかに見えたが、妖魔に見えるはずもない。急激に動きが鈍った。
ナルトが大きく横に跳んだ瞬間、動かない的と成り果てた戎徽を矢が次々と屠っていく。
中央はサクラが、右側は糸に絡め取られぬよう細やかな操縦技術を発揮しながらサスケが、左側は蔓から蔓へとわたりつつ剣を振るうヒナタが道に鮮血の色彩を描いていく。
彼らが仕留め損ねたものは、糸を力づくで切られる前に器用にその固体に絡まったものだけを外し、ナルトが斬る。いつ糸が絡まってもおかしくない状況でありながら、剣筋は星のように鮮やかだった。

先陣をほとんど一撃で殲滅させられて、戎徽も怯む。
「後方、行くぞ!」
ナルト達を避け、戎徽が後方の者に狙いを定めた……ように見えた。



向かって来ないものを狙っても仕方がない。そう決断したのは四者ほぼ同時。
真っ先に薄紫の髪に返り血を載せたヒナタが側面の援護へ駆け出す。乱戦の場では騎獣に乗っているサスケより自分のほうが適任だと言う判断だ。
サスケも空を跳ばない大群がを正面から相手するとなれば、動きにくい事を察し、素早く長物の槍へと持ち変える。また状況的に弓は危なくて使えない。サクラが初めて剣を引き抜き、ナルトの傍につく。
目配せが錯綜する糸のように絡み、戎徽の咆哮に消える。


―――果たして、それを油断と呼ぶのだろうか。


戦いにおいて油断などなかったと言って差し支えはないだろう。彼らは一瞬の油断がそのまま命取りになることを数々の修羅場の中で見ている。
だが、圧倒的に人と戦ってきたほうが多かった。
忍であったヒナタ、浮浪の生活を生き抜いたサスケ、黎の動乱記を駆け抜けたサクラ、そしていつまでも湧き出てくる追っ手を倒しながら宮司でない自分を手に入れたナルト。
妖魔は確かに脅威だとは分かっていても、人ほど緻密な計算をめぐらすまいと無意識に思っていた。


ほぼ同時に、サスケとヒナタがその違和感に気がついた。
「サスケ君!」
「わかってる」
丁度隣同士で戦っていた二人は相手の目を見て確信を強める。―――妖魔が減っている。
倒した感触であらかたの数は予想できる。だが、多く見積もっても明らかに減っている。仲間が倒されたからと言って、飢えを忘れる妖魔はいない。自ら引くはずはないのだ。
考えつつも剣を振るっていなければいけない。白眼の範囲を広げたい所だが、ヒナタではこれが精一杯だった。


………何か、恐ろしい答えのような気がする。
濁ったわだかまりにも似た、嫌な予感は後方から聞こえた叫びにより証明された。


「ナルト!後ろ!」

その声がサクラのものだと判別するかしないかのうちに、一気に答えは導き出された。
ナルトを倒せば、総崩れになると見越して、ナルトを狙っている!
一瞬で目の前の戎徽の首を刎ね、駆け出した二人の視界には恐ろしい光景が広がっていた。



後方から大群に襲われたナルトとサクラに何も考える時間はなかった。
サクラが剣を捨て、本来の武器である弓を絞る。一気に三頭を仕留めたが、数が多すぎる。
ナルトの糸は五頭の首を引きちぎったが、糸の方にも限界が来て切れてしまった。舌打ちと共に剣を引き抜こうとした、その時に僅かな隙が生まれる。

「ナルト君!右!」
駆け出したはいいものの、計ったかのように進路に割り込んできた戎徽を相手にしていたヒナタの声は悲鳴に近かった。それほど爪はナルトの目前に迫っていたのだ。

「ナルト!」
「なんとか、生きてる……っ!」
鈍い音を立てて右肩に被さっていた鉄鎧が砕け飛んだ。
咄嗟に体を倒さなければ、胸をざっくりやられて即死は免れなかっただろう。
ナルトは右手一本で大きく胴を払った、つもりだった。

――――っ!」

右腕に激痛が走った。見てみれば、じっとりと血が白布を染め上げている。
重傷を負ってすら、ナルトの剣の腕は素晴らしい物だった。


―――だが。


おそらく誰も予想しなかっただろう。
乱れた剣筋が戎徽の足を薙ぎ払い、痛みに刺激されたそれが闇雲に突進した先にサクラがいたことなど。
悲鳴すら上がらず、跳ね飛ばされたサクラの鉄鎧に、戎徽の爪がかかってしまうなど。


「サクラちゃん!」
「サクラ!」
「サクラちゃん!」


同時に三人分の悲鳴が上がった。