残 
六章 

四、


一月を経て、サスケが令乾門に辿り着いた時には既にそこは重厚な沈黙と喧騒が混在していた。
金剛山の頂きに見下ろされながら人々は思い思いに下界の時を過ごす。どの顔にも、憂いの色だけが濃く刻まれ、危険な黄海と言えども追い詰められた風情があった。

事実、誰もが王の存在を確信できないのだ。

幾度となく期待された昇山者が行き、希望を打ち砕かれ帰還する。あまりにその光景を見慣れてしまったが為に、それぞれが今度こそという希望に結びつける事が出来ないのだった。

天伯により令乾門が開かれるのは午。
既に到着している連絡によれば、ナルトとサクラ、ヒナタも予定通りに動いているという事だ。つまり、一番時間的に危なかった自分が到着しているということは、彼らは既にこの喧騒の中に紛れているのだろう。
サスケは迷わずナルトを探す。浮浪であった少年期から人生の節目をともに経験した友はある種独特の気配を持つ。特に目立つ服装はしていなくても自然と目がいくのだ。


……果たして、ほとんど苦労はなくナルトは見つかった。
隣には弓を携えるサクラ、少しばかり憔悴の色が見られるヒナタもいる。彼らの足元には襤褸で包まれた剣などが転がっていたが、それが冬器であることは明確だった。
ひとまず全員が無事だった事、そして護衛の中の腕の立つ者には行き渡りそうなほどの冬器が確保されている事に対して彼が安堵の溜息を静かに洩らした時、サクラが気がついた。

「サスケ君!」

こうして、心から手を振ってくれる彼女はいつでも変わらない。―――変わってはならなかった。
大切な昇山前に浮かび上がった雑念を払い、次の瞬間には冬器の分担を考えながらサスケもまた輪に加わっていった。


◇ ◆ ◇


「開門……か」
知らず、天伯の声が心のうちに響く。令乾門を守る天伯の声は、彼が門を開き、昇山者を招きいれたことを示す。
猶予は何日だろうか、とネジは独白する。背中を預けた梨の木からは控えめな甘さが漂い、小さな白い花が彼の髪に流れては消えていく。花の一枚を拾い、空を映してみようとすると淡い桃色の光がよぎったような気がしてネジは思わず空を見上げた。
この世界に来て、始めてみる色だった。亡国の灰色でもなく、自分を示す鬱金色でもなく、希望を示す蒼でもない。夕焼けの赤を遠い彼方から見るような、ぼかしの赤だった。

………血ではない。
そう思ったのは直感でしかなかったが、麒麟であるはずの自分が嫌悪しなかった。
色を描写しようと思えば、赤以外の何者でもない。だがそれは、果てまで見回せるような水色の世界に一滴だけ赤色を溶かし込んだような、懐かしいともまた違う誇らしげな色彩だった。


(リー!もうしばらく耐えろ!)


どこかで見たことがあっただろうか、と考えた時に思考を裏付ける声が聞こえた。
俺の声……?切迫し、余裕のない叫び……何かを守ろうとする声?

(僕は大丈夫です!それより、テンテンもこの先に崖に落ちて!)
(あいつは上手くクナイで引っかかっていた。縄を投げたからおそらく昇ってこられる!)
(でも………!)
(お前は馬鹿か、リー。………右腕、動かないんだろ。俺が気がつかないとでも思ったか)
(………)
(引き摺りあげるぞ。これで借りはなしだ)

彼の手を思い出す。腹ばいになり、めいっぱい伸ばした俺の手に触れたリーの手。
どちらの手も三日間のサバイバル演習の為に傷つき汚れていた。脇に痛みが走る。崖淵にすれた肌から流れた血が垂直な谷底へと消えていった。
はぐれた二人を探すために発動したままだった白眼。透視された視界に落ち込んだ赤は薄い光を放っている。それは赤ですらなく、名もなき色なのかもしれなかった。
記憶の中といえども、確かに血でありながら、忌む対象ではなかった。


(リー、ネジ、テンテン!お前らは守る為の血と刃を学んだ。よってサバイバル演習、全員合格!!明日から熱血青春パワーで任務開始だァァァ!!)


いつ思い出しても暑苦しい声だとネジは笑う。
あの時の俺は日向を滅ぼすために忍を目指した。それが絶対に出来ない事も知らずに。
ガイはそれを知っていたはずだ。俺に守る物など何もなかったことを知っていながら、ああ言った。


守る為の血と刃。
確かに足手まといにしかなるまいと思っていた仲間達に助けられた事もあった。反射的に、彼らを助けるためクナイを投げた事もあった。
だが、それは呪印によって麒麟の本性が抑制されていたからにすぎないはずだった。
……跪くのには、拒絶反応が出た。
戦うのを拒絶したことはなかった。

麒麟は使令を使う。本来ならその行為も戦闘に分類されるはずなのに。
王を、国を守る為の力……そういうことなのか?


いや、とネジは首を振る。任務中はそれが何であれ、何かを守っていたとしても、彼女は違う。
俺はヒナタ様に対しては、憎しみしか持っていなかった――――


憎かった。
自分がどうやっても手に入れられない物を全て持ちながら、泣いている彼女を嘲笑っていた。
そのまま苦しんでいればいいと思った。俺が解放するまで、無為に嘆き続けろと囁いていた。
彼女を攻撃する時、何も起こらなかった。
守る物など何もなかったのに。




で も お 前 は
い つ か 
貴 女 に 

守 ろ う と し て い る    
   を   ?


約 束


俺 は ――― を 守 る   そ れ   も


な  り  た  か  っ   た   の      は        、




激痛が額に走り、蹲る。
気がついたときには、バラバラに浮遊する答えは――掴もうとした答えが跡形もなく消えていた。