四章 殉教 一、 現在、蓬山には二人の麒麟がいる。 本来ならば、麒麟は一人しかいないのだが、胎果の麒麟の期間と時を同じくして一つの王朝が終焉を告げた。孤国である。前王の治世は僅かに七年。その前も二十年の代に乗ることはなかった。 そういった国であるから、孤は荒れ果てている。 もともと、孤は農産物の豊かな国だ。動乱の中であろうとも、夏や遥か昔一度滅んだといわれる雁よりは糧食の面では遥かにましだった。 問題は不安定な王位に伴う朝廷の腐敗。 王がいない時期、偽王が立った数は諸国に比べて群を抜き、朝廷も数えるのも馬鹿馬鹿しいほど変遷している。 その孤国の麒麟――胡麒が蓬莱から帰還した珂麒と共に、蓬山で昇山者と対面していた。 「なあ、ネジ。……今日で、終わりだったっけか」 昼の休息が終わり、女仙達が開門の準備を始めようとしている。豪奢な門の正面にある二つの玉座にネジとシカマルは座っていた。 「そのはずだ」 「………そうか」 何気ない様子で、めんどくせえと呟きながら目を伏せたシカマルがかすかに震えているのをネジは見逃さない。 一体いつまで。国民も思う事を麒麟だって思う。 いつになったら、王が目の前に現れてくれるのか。ネジはまだ王を選んだ事がないからいい。王気の見え方は麒麟によって異なるという。一人一人をじっくり見ていくというのはそれほど苦痛ではない。 だが、シカマルは違う。彼は既に二人の王を選び、仕えている。どれが王気なのか予断を許さぬ"慣れ"。命がけで到達した者を一見で判断できてしまうのは、彼にとってあまりに残酷だ。 「―――今日は、星を見に行くか」 そう言ったシカマルの顔は何処か遠い所を見ている。 「ああ」 答えながら、ネジはここに来て最初の年。初めて彼と共にこの玉座に座った時の事を思い出していた。 奈良シカマルは丁度ネジが初めて昇山者を受け入れる、龍旗を揚げた日、王を失った麒麟だった。 孤王の七年足らずでの自主退位。それについてシカマルは多くは語らない。 ただ、選んじゃいけないとわかってたと言った。 ネジのそれよりは数段明るい金髪を高く結わえるという麒麟にしては独特の――つまり転変前には取らないと相当痛い目を見る――髪型にしている。 口癖はめんどくさい。放っておけば、食事もめんどくさいと言い昼寝をしてばかり。 それでいながら、以外に話し好きでまずまずネジの良き話し相手となっていた。 互いに干渉しないながら、最も理解しあっている……そんな関係が心地よかったのだろう。 だが、彼の優しさを知らない者などここにはいない。 シカマルは蓬山にいない時期は、ひたすら髪を隠し、国民に扮して孤国内を廻っているのだ。 何処にいるかも分からない王を探す、それだけの為に。 「あんな、ネジ。昇山者の中から王を選べるって、幸せなんだよ」 「……そうなのか?」 「昇山してくる奴は、大体腕っぷしに自信があるか、ちゃんと護衛を頼めるくらいに裕福な奴だ。そんな奴が、一体どのくらい国にいる?一握りしかいないだろうが」 「………」 「俺が選んだ前王もそうだった。アイツは自分が王になるなんて微塵も思ってねえ奴で、その日暮らしを生きてる一介の百姓だった」 「それをお前が各地を廻り、探し出したんだな」 「そうだ。俺はなぁ、ネジ、王を見つけると絶望するんだよ。ああ、この人を殺さなくちゃいけないのかってな。すぐにわかった。アイツが孤の次の王だって」 ネジは相槌すら思い浮かばず、シカマルを真剣に見つめるしかなかった。 絶望………彼は、ずっとそんな心で生きてきたのか。 「麒麟が選んだ王にはそれなりの資質があるって教えられる。だけど、そんなのは嘘だ。アイツは王には向いてない、俺が跪けばアイツを不幸にする……わかっていた」 一度は、何事もなかったと言い訳して蓬山に逃げ帰った。 一晩中、その町の名前が廻り、地図になって脳裏に刻印され、王の顔がよぎり続けた。 その時、シカマルは思ったのだ。自分は既にあの男を王にしている、と。 どう足掻いても、彼以外を選ぶ事は出来ないのだと、ある意味居直ったのだ。 「だけど、選んじまった……。何が何だかわからない間に許すとだけ言わせて、即位させちまった。もう俺が耐えられなかったんだよ。国民の叫びに、早く安定した時代が欲しい、せめて王が即位して欲しいっていう声に」 「…………」 「唯でさえ、俺は短命の王をその前に選んでる。これ以上、苦しめたくなかったし、苦しみたくなかったんだよ」 お前が気に病むことなど、何処にある。 そう口は語ろうとしたが、どうしても声が流れなかった。 俺は一体何をしているのだろう――いや、何を望むのだろうとネジは思う。 シカマルの言葉が重くのしかかり、胸に焼け石を飲み込んだような。これは焦燥?罪悪感? 夏の民を哀れだとは思う。だが、シカマルのように必死にはなれない。 何故。過去、何度も唱えてきた何故。 何故、王を選ばない。 何故、俺だったのか。 何故………こうも、空虚な気持ちなのか。 廻る何故の行く先を知ることなく、耳を塞いでいても聞こえてくる哀切の叫びに身を切られながらも、ただただ足元の泥から動けない。 認識している分としては、もう一度誰かに命を握られたくないのが一つ。 二つに、仮に王を選んだとしてそれを失うことへの臆病な恐怖。 最後は、決してネジは認めたくない――でも心の底では既に真理となっている。 自分が選んだ王に、民全員の運命、国の運命を賭けるのが恐い。 だが、それを認めてしまえば今まで自分は何もやってこなかった事になる。判断することなく、唯々諾々と運命を呪ってきた愚者であったことを認めなければならない。…何故、それができるというのか。 「胡麒、珂麒。開門の時間でございます」 ああ、と無機質に言う自分の声でネジは現実に戻った。 先ほどと変わらない。シカマルが半ば哀願にも似た視線で門を見つめている以外は、何も。 とりあえず、やることはやらなければならない。俺は目の前の問題から片付けてきた。 それ以外にやりようがなかった。 珂麒もまた、無意識に身を乗り出すようにして、列が目の前に出来ていくのを厳しく眺める。 |