三章 桜の森の満開の下 四、 不思議な雨が地を打ち、斑紋を暴力的に広げていく。その暗い雨はネジの憂鬱を更に増長し、結果彼は一日中牀榻から動かず、窓枠に頬杖をつきながらぼんやりと時間を消化していた。 (―――明日になれば、また……) 蓬山に続く門が開き、多くの王位を望む者が昇山してくる。 妖魔の跋扈する黄海を抜け、ここにさえ来なければ起こることのなかった惨い死の犠牲を払い、自分に――正確にはもう一人の麒麟にもだが――会いに来る。 そして、俺が「中日までご無事で」と言う。彼らは消沈し、無理に笑うか、怒鳴るか、静かに去るか。 大体の者に共通するのは、深く叩頭し王を選べという。 民が死ぬ前に、俺に王を選べという。俺の気持ちだけを置き去りにして。 もう四年だ。 ここに来て、最初の昇山者達に会った年から、四年も俺は王を選べない。 時々、あのまま生まれた世界にいたら、いやここにきた次の日が下忍として始めての集合日だった……そろそろ中忍になれていただろうか。 次には馬鹿馬鹿しくなって笑う。常識だ。"慈悲深い"麒麟は戦うことが出来ない。 もし、あの時、俺が体術ばかりやっていたのは無意識のうちに血を直接見るのを恐れたからだったら、なんと見事な籠だろう。 呪印が取り除かれた今でも、俺は籠の中の鳥のままだ。 一度試している。呪印が消えた後、体術が使えるかどうか。 一瞬、体が粉々に押しつぶされたような感覚を味わい、地に膝をついていた。 今までやって来たこと、すべては無駄だったと思うしかなかった。 (珂麒。胡麒がお見えになっています) 足元から遁行した女怪―――明螺の声がした。 正面から入ってくればいいのだが、彼女なりにネジに気を使っているのだろう。用事がない限り、地脈を通して近くにいるものの、現実には現れない。 「今行く」 彼がやって来たことで、この時期がきてしまったことが急に現実感を帯びる。 ネジは手早く着替え、部屋を後にした。 ―――そこは水牢だった。 だらりと弛緩した腕に絡みつくのは黄昏色の鎖。腕に足に首に。無数に錯綜しながら鎖は彼をその小さな世界の中に押し込んでいく。鎖は遺伝子に似ている。鎖は誰かの時の声。いつかの誰かの叫び声。 いつまでこれを覚えているだろう。絡みつく鎖にあった様々な人生を。 彼らの最期になぞらえず、ただ笑顔でいた美しい日々があったということを。 水は由縁。水に溶け込んださらりとした血脈。 鎖は拘束、水は浸食。 肌から口から、飲み込んでいるという自覚すら与えずそれは滑り込む。水は楔に似ている。水はいつかの自分の声。追憶から逃げようとする彼を押し戻す、自分自身の甘い声。 盲目の水牢。 いや、何も見たくない自分。 牢獄の鍵は捨ててしまった。彼は絶対に出たくないと叫んでしまった。 ずるり、 水面が顔へと変わる。見慣れた顔、知らない顔、ただ全てが傷ついている。 彼に絡む顔。泣きながら彼の足を掴む。彼も泣く。懺悔したくとも、動けない。 顔、顔、顔、水、水……鎖、血。 牢に何の違いがありましょう。 鳥籠も水牢も磔も、そこになんの意味がありましょう。 鳥は鳥籠、人は牢、愚者は磔。 罪の唄を謳いましょう。 嘆きの涙で溺れましょう。 人里に帰る方法を捨てたあなたなら、痛さすら感じないでしょう。 諦めましょう、掴む事を。 問いつづけましょう、ただ何故と。 逃げればいいでしょう、愚か者。 |