2020年

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12月31日(金曜日)
世の中はコロナでシュリンク。変わり者の僕は今年ほど実りの多い年はなかったと報告したい。それはコロナで大阪勤務が消えた為に授かった実りだ。先ず第一には、サトウキビの師匠夫妻と、曽我さん夫妻とのお付き合いだ。間にサトウキビ栽培が挟まっているが、何度も何度も喫茶店や私の家で懇親を重ねた。生き方や栽培を学び、農業が楽しくなったし、寂しさも霧消した。第二はギリギリだったがイタリア旅行を挙行出来たこと。念願のオペラは当然としても、レオナルド・ダビンチを中心とする絵画に目覚めた事だ。音楽と絵画が旅行の目的に昇華した事。第三は、ボルトン大統領補佐官の話題本が発売されて、翻訳物がなかったので、自己流で翻訳を始めた事だ。遅々として進んでないが、毎日少しづつ進めていて67ページまで来た。速度は遅いが英語書籍に対する恐怖はなくなった。第四は、出かけられないから芸西村の中で毎日同じ風景を撮影した。それで撮影の技術を少し磨けた様だ。構図はまだまだだが、思った撮影ができる様になった事だ。今までは高性能のカメラ頼りだったのだが、古いカメラでもなんとかなる技術を身につけた事だ。第五は、毎日午前中の1時間を使って旅行記を執筆した事だ。今までの外国旅行は書き上げて今はもっと遡って、2009年のインド旅行(出張時)を書いている最中。第六は、柚子の仕事を手伝って新しい知古を得た事。高知は変わった人、意固地な人が多いが、その中に入ると物凄い感動のドラマが展開されている事がわかった。第七はベートーヴェン生誕250周記念で、よく聞いた。まずは全曲を聴いた。そして、ペトロンコやワルター、フルトベングラーなど単発でも聴いた。数値面の総括は、昨年比約200万円の出費が減った。読書は62冊で昨年比▲47冊。映画は33本で△17本。プールは68kmで△27km。
12月30日(水曜日)
今年の年末は大阪の仕事もなく、サトウキビの方も休憩中で、ここ最近慌ただしい中、ぽっかりと自由な空間が現れた様な感じ。伝承館で砂糖を回収し、10個お世話になったお寺に奉納した。2個は文旦でお世話になる禎子さんに持参。白下5個は親戚のおじさん宅。午後は、大掃除。納屋の2階が大変なことになっていて、天井が抜けている。その修復に3時間。倉庫と車庫のかたずけと母屋の清掃に2時間。母屋はいつもこまめにやっているので、それ程大変さはない。家の中が片付くと気持ちが良い。一人で寂しい夜でもキチンと掃除が行き届いていれば何となく安堵感がある。ゆっくり風呂に入る暇も無かったが、今日の朝と夜はカメラ雑誌「間違いだらけのカメラ選び」を風呂の中で読んで今発売されているカメラの位置付けを確認。この雑誌は大変気に入っていたがコロナで廃版になってしまい寂しい思いをしてたが、特別版として復活した。いつもの毒舌が紙面で踊っていてよかった。毒舌がひどいのでキャノンはこの誌面には広告を出さない。夜の音楽は薬師丸ひろ子コンサート(NHK録画)を見た。歌詞の字幕が出たり、1ショットの時間が短いなど不満はあるがまずまず。日本を代表する歌手や作詞家が曲を提供していた。知っている曲が多かった。でも、当時は映画の出演の合間に歌っている印象があって真剣に聞いてはいなかった。今日も体休めの日だが、9時過ぎに眠くて就寝。

12月29日(火曜日)
高知大学の学生たちが、サトウキビを持ち込み製糖した。もちろん先生も同行。この先生は一面趣味のようなレベルに達していて、定年後サトウキビを栽培すると言われるほどの好き者。久しぶりに若い人たちに接して、昔を思い出し、次々と課題を出したし、製法を教えるのもできる限り科学的に数値化した内容で提供した。彼らはスマホ使いの達人なので、その活用を前提としてだ。先生が選りすぐった生徒だけあって、彼らは飲み込みが早い。そに中に我が娘のような、目が輝いている好奇心の塊の子がいて、作業を与えるとなかなか機敏で楽しかった。又、先生の方は、僕の農業活動の中でいろんな疑問をぶつけると、やはり数値的な回答が帰ってきて頭を刺激してくれる。僕の師匠も色々と教えてくれるが、そこはアナログの良さで、まぁ両方とも魅力的だ。疲れ果てた製糖作業で少しだけ刺激があって良かった。5時に帰り風呂焚きと食事。出来上がったタイミングで息子が帰ってきて、ケンタッキーの差し入れ。僕は丁度オーブンで鳥を焼いて食べようとしていた。僕はケンタッキーをほうばり、息子は僕の作った鳥を食べた。息子は人事の仕事をして1年。妙に人を観察しているような感じ。僕もうっかりしたことは言えないな、と酔いが引いた。夜は、松田聖子40周年の番組を見た。今では邦楽は、僕の範疇外で遠い存在だが、僕の青春は松田聖子と共にあったから、少し苦い感じでこの番組を見た。

12月28日(月曜日)
朝3:30起床、伝承館へ駆けつける。もうじっちゃんは1釜絞っていた。この人にはついていけない。春野町の農家からサトウキビが持ち込まれた。話を聞けば、米農家で、生姜農家との事。かなり手広くやっている様だ。話を開いていると信頼が置けそうだ。愛媛の友人に紹介してあげたいが、どうやら今は手一杯との事。今日は伝承館で給与の支払いがあった。今年で3年目。今まで受け取ってなかったのに、急に支払うといわれ変な気分。S子さんと、くれるものは貰っといたらとなった。ありがたくも何ともない。スーパーで買い物をし、お寺でお惣菜を貰い、一人寂しく夕食をとった。自分で献立てる時は、時間にゆとりがあり、今まで試したことのないメニューだから、それなりの気の紛らわし方になるが今夕は簡単な冷凍食品。風呂も、昨日の残り湯にアビトン(ビニールハウスの廃材木材)で追い焚きし入った。壊れかけた私生活。近所のおばさんが、餅を持ってきてくれた。僕が大好きな事を知っているから。僕はすかさず砂糖のお返しをした。

12月27日(日曜日)
サトウキビ収穫/製糖の休みを取って気を緩めていたらもう年末だ。寒さ対策は済ませたとはいえ、お正月の準備をしてない。カンズメ、インスタント食品、肉と野菜を買い込むのは30日か。あれもこれもと考えると中途半端になってしまうのに、つい押し込んでしまう。政府だって、コロナと経済の両立とか言ってGoToトラベルでコロナを蔓延してしまった。更に僕はサトウキビとつくね芋の両方手がけ芋は結局放棄してしまった。わかっていながら守れないもどかしさを菅さんも感じている事だろう。ついでに菅さん関連では水素エンジンの車、水素を燃やす火力発電、政府の政策に乗って、エコに聞こえるが、水素を生成するもとはメタンガスや石炭が現在のところ主であって、それを生成するのに大量の電力を使う。要は石油を燃やす方が効率良い。更にそんなツッコミ関係では、「世はLPレコードの時代だとマスコミが騒ぐ」。アナログは柔らかな音がすると言う。中古LPはそうだろうが、新譜は全てと言って良いくらいスタジオ録音はデジタルだ。デジタル録音しなきゃもう設備がないし、手間がかかりすぎる。メディア変換のないCDがいちばん効率的で音が良い。暖かい音がするとか、柔らかな音がするのはCDの方でLPではない。LPがCDを超えるにはSL1000Rのような超高級プレーヤーが必要で、その音は、やはりデジタル機器と比べ遜色のない音を出すのだから、柔らかい暖かい音はデジタルでも出るのだ。マスコミの記者は確認もしないで記事を書くから、僕らみたいなのに突っ込まれるのだ。実際、安価なレコードプレーヤーよりはよほど安価なCDプレーヤーの方が良い音がするのだ。つくね芋は掘らずにそのまま蔓を切った。来年まで持ち堪えられるか?来年は大量耕作のつもり。息子くんと久しぶりに会った。かっぱ市場で買ったサトウキビケーキをくれた。お正月は何をすると聞かれたので、家にいるんだったら皿鉢料理でも取るか?と聞けば食べるとの返事。昨年の僕はお正月に出張したし、息子は千葉に帰ったので、岡村家は閑散としていた。

12月26日(土曜日)
サトウキビの収穫の時、まだ育ってない芽のままのサトウキビがある。高さ50cmくらいだ。いつも切り捨てていたが、今日はそれを市場に「観賞用」として出荷した。@100円さてどうなることやら。今日は少し農作業がある。芋の手入れだ。せっかく販売できるところまで育て上げたが、サトウキビが忙しくてモノにできなかった。それで来年のタネ用として保存するつもりで、ツルを跳ね、地中に埋め込むのだ。それまでに手竹を切り離す作業などあって時間を食う。外に出したままの脱葉機の回収も必要だし、お墓に花を添えなければならない。そんな事をしているといつの間にか16:00。慌てて風呂を焚き、浜のおばさんところに花をもらいに行く。何もお返しがないので、芋を掘って持って行った。大きな芋で丸く育っていて一流品だった。プレゼントできて良かった。帰って夕食。今日は夕刻に郵便物が届く予定なので、勝手に風呂に入るわけにはいかない。一昨日農協の預金の通帳未記入分のプリントをお願いしたら、郵送になると言っていたのがこれだ。農協の貯金はすぐに減るので何が原因か突き止めたいと思っているのだ。大きなのは地震保険25万円と、車検代5万円。でもそれだけではないのだ。年の瀬に今年いちばんの寒波が来ると言う。お金がなくて寒い思いをするのはいちばん嫌だ。2011年と12年は子供達の学費のため、出費を抑えたから暖房もあまり使わなかった。あれだけはもう二度と味わいたくない。だからお金の管理はキチンとやりたいのだ。コロナで失業しホームレスで食費がない人達がいる。それを聞くだけで身震いする。絶対に味わいたくない世界。アリとキリギリスの、アリのように暖かい時に何とか対策を取りたい。

12月25日(金曜日)
現役の頃、毎年今頃になると、ジュンク堂や紀伊国屋書店の店頭で新作の書籍を7冊くらい買っていた。その足でレコード店を訪問し定番のユーミンとその他諸々を買った。LPレードは早速カセットテープに録音し、スキー場に行く道中の車で聞いた。お正月までスキー場に居座り、それから帰省した。その定番生活は何十年も続けた。今でも、この時期になるとお正月の楽しみを考えることがある。だが、昨年からガラッと生活が変わりサトウキビ一色になったから、お正月の楽しみを考える暇がなくなった。それに寂しい田舎生活はサトウキビ仲間で賑わって心の隙間を埋めてくれる。老い先短いし、仲間も同じだから行くところまで行こうと声を掛け合っている。むしろ老体に鞭打って頑張っているのだが、奥さんの言いつけで、夕食のお惣菜を持って来てくれたお坊さんに、注意を受けた。「現役じゃないから頑張ったらいかん、それに若くはないぜよ」お坊さんの言うことは正しい、正しいがコーヒーをやめて俄然調子を取り戻して自分的には止められないほど元気が溢れ出ているので、どうしても「イカンイカン」と思いながらも制限の範疇を超えてしまうのだ。サトウキビを地元の道の駅に出荷しているが、思ったように売れてない。もし売れれば、脱葉機の原価は稼いだ事になるのだが。今日は何もしないと決めていたので風呂の煙突掃除とむき出しの水道管の防寒だけを行なった。お正月寒くなるニュースを見たからだ。何もしてないのに夜は眠く、シュトラウスの「影のない女」LDオペラを半分見ただけ。指揮はショルティで、低域が豊か。聞いていて気持ちよくすぐに瞼が降りてしまう。

12月24日(木曜日)
エンジンをかけて、車を外に引っ張り出せば電波を受信したカーナビが日付を話しかけてくれるが、今日はそれにメリークリスマスの文言が入った。4時に絞れるようにと師匠からの電話で、少し早めに着いた。そして今日もH氏との確執。洗い終わった釜の近くで薪割りを始めた。埃が出るので止めるように注意した。僕の言い方はぶっきら棒で単刀直入だから、H氏もカチンときただろうなぁ。僕は、食べ物を扱う仕事なのにそんな事にも気が回らないのか?今日の僕のサトウキビは僕の栽培の中で一番良いのを持参したこともある。H氏はサトウキビを栽培してないのでその気持ちは寸分の一も湧かないだろう。後で師匠に「ケンカを売るな」と注意された。彼のサトウキビを炊く作業はことごとく自己流で、師匠や長老のジッちゃんの言うことを反映してないのも癪に触る。まぁもう壊れた人間関係。修復の気持ちも湧くはずもなく、やっぱり来年はサトウキビから脱退だ。それで幾分か気分がすっきりしたところに、?さんと言うご年配と言っても僕と変わらない年齢の元気なおばさんが手伝いに来てくれた。僕よりサトウキビについては経験が長く、よく知っているし、この気安さは何だ。収穫も手伝ってやると言われ、この人ならお金を出して雇っても良いなと思った次第。今日の製糖も良いのができて、少しコツを掴めたような気になった。白下仕上げとした。5時に、師匠に帰れと言われたので、その言葉通りに帰る事にした。普段ならそう言われても最後まで応援するのだがH氏がまだ居たので、顔を見るだけでヘドが出るほど嫌な気分になるから退散した。少ない人生をこの人で汚されたくないのだ。寝る前にイタリア映画で殺人を稼業とする映画を見た。脚本は不味く演技も下手だが、カメラワークは素晴らしい。邦画の妙な凝ったカメラワークは嫌味を感じさせるが、この映画は「構図が命」のような撮影だ。

12月23日(水曜日)
来る日も来る日もサトウキビ一色。今日は収穫の日。脱葉機のブラシが取れていたので補充するのに30分は浪費したが、190kgを4時間半で収穫できた。それで、郵便局に行って宅急便を出すとか、農協で入金するとか、その他諸々を済ますことができた。ここまでうまく行ったのに、夕刻風呂を沸かす時、昨年切り倒した栴檀の木を薪にしたところ、火力が弱く風呂に入った時にぬるま湯だった。濡れた体で外に出て薪を持ってかまどに焚べた。厳しい寒さだった。翌朝も早いので、音楽はブラームスの2番だけをヤンソンスで聴き寝ることにした。ヤンソンス盤はSACDでやはり楽器の明瞭度は高い。指揮棒の一振りであの大きな楽団がグーと響くから、指揮者に拠る作曲家の解釈は別にしても、やはりクラシックは大きな芸術だと思う。ジャズのような軽妙なオシャレ感覚はないが、崇高な知性を感じる。

12月22日(火曜日)
朝3時から伝承館。じっちゃんと二人で絞る。少し耳が遠いが色々と教えてくれる。出来るだけ教えていただいた事は数値化して自分のモノにしなければならない。今日は4釜分仕上げを行った。仕上げというのは、最終工程で、砂糖が焦げずに煮詰める作業だ。火加減の指示と棒でかき混ぜる力仕事で、30分位は抜けられない。ここでは大汗をかく。釜焚きの熱も加わり、まぁ冬とは言えかなりいい汗をかいている。それで大量の水を飲む。どうやら僕は大量の水を飲むと体の調子が良いみたいだ。それにコーヒーを止めているので更に調子が良い。手足の痺れを忘れるくらいだ。友人が手伝いに来てくれたので、かっぱ市場に製品を出荷に行ってもらった。誰よりも良い砂糖の自信はあるが、増量して誰よりも安く出品している。「オカムラさんの砂糖は量が多いね」とお客様の間に広がれば、僕のブランドが出来上がるはずだ。損をしない程度にディスカウントしよう。少し早くあがらしてもらい、「崩し」を作った。これは、製糖した砂糖を細かく砕いて、袋つめするもので、お客様としては、料理なんかに使うとき、ブロック状の塊から削り出す必要がないので、個人で使う時には便利で割と人気がある。1時間くらいで16袋。こちらも200g表示の所、230g〜280gまで増量して詰めた。今日は空腹が酷く、帰って料理を作りながら、酒を飲んだ。

12月21日(月曜日)
今日は収穫日。よくやるよ。脱葉機のブラシを全て交換した。随分時間を要したが、脱葉の能力が上がり後の手剥ぎ工程が楽なった。おおよそ4時間で180kg、つまり一釜分収穫できるようになった。朝のラジオ英会話も聞く時間ができた。サトウキビは家の周りだけの畑で栽培しているから、どこにも出かけないし、庶民の住む下界に降りる事もないから、何と今日は誰とも話さなかった。夕刻スーパーで買い物をするが、エディ払いなので店員との会話もない。コロナの為には良いかな。芸西村はそんなに田舎ではないが、このように「山奥ひとりぼっちの生活」ができて水洗トイレもあるし、インターネット回線もあるのだから中々良い。夜中の大音量シアターもOKだ。趣味に生きるにも適している。空気もきれいで今夕は木星と土星が最接近した様子が見える400年に一度の祭典とのことで800mm望遠で撮影した。(サトウキビ)仲間と戯れ寂しさを紛らわす事もできる。柚子仲間も面白いから、コロナが落ち着くと会いにゆこう。こちらは本当の山奥の人たちだ。

12月20日(日曜日)

今日は4時。H氏と二人。先ずは、絞らなければ始まらない作業は何を置いても優先されるがH氏は、パソコンを開いたり、釜の清掃をして依然として絞る作業に加わらない。僕は絞っては、カスを箱に詰める作業を交互に行った。二人で分担すれば早いのだが、一人で行うのでどちらかが中断するのだ。これでは早朝出勤の意味がないのだが。僕は黙々と作業を続け、5時前にもう一人出勤者があって作業が回り出した。製糖作業では脱葉機の元を取れば(40万円)それで良いかなと思う。来年度はどうすべきか考えるべし。僕の購入した網の目の小さな濾し器が、サトウキビを絞る工程に有利に働く事がわかり、師匠も試したら、「おらの作った砂糖で一番良いものができた」と褒めて下さった。この人は年齢が高いのに固執するものがなく、実に頭が柔らかい。見習いたい性格だ。もちろん僕の製糖も同じ工程なので、じっちゃんがマークするようになったのは言うまでもない。今日の分は友人にあげる。約6万円の砂糖と1万円の工場使用代金が含まれる大盤振る舞いだ。帰ると息子の家からいい匂いが流れて来た。「美味しい匂いがする」と声かけると、何とかの料理だと言った。その夜は、あまり時間は無かったが、ニューイヤーコンサート/ウィーンフィルのCD。大きな楽団が、微塵の乱れもなく機敏に動く。そのテクニックには参った参った。この深夜にはNHKで第九が放映されているはずでDRモードで録画セットした。

12月19日(土曜日)

3時から製糖作業。じっちゃんと二人で1時間。4時から他の人も出勤してきた。昨日友人に手伝ってもらい450kg収穫した。それを今日絞った。今日は出勤者が少なく、釜焚きと製糖を混ぜるのを一人で行わなければならなかった。お陰で煮詰める火加減が勉強できたので良かった。14時に早引きして、もう60本収穫した。友人に再々手伝ってもらうから、1釜分あげると約束したので、そのための収穫追加。夕暮れに少し余裕があったので、風呂を焚いた。食事もきちんととったし、お寺から貰ったおでんを明日の弁当のおかずに当て全てを終えた。明日は午前4時からなので、夜の音楽を聞く時間があるが、レコードに針を落とせばたちまち大きな睡魔。8時半に就寝。どうやら今年は31日まで焚くらしい。僕も作るだけで販売してないから、本当は何しているのかわからない。

12月18日(金曜日)
日本の株価が世界の潮流と違っている記事が日経新聞で掲載された。難しい計算を使って、それをグラフ化し、如何に日本の株が世界の投資家からおいてきぼりをくっているのかを指摘する。だが、こんなことをしなくても、株価は基本的に成長力にリンクするものだから、日本の株価が決して割安でも何でもなく、単に日本の企業の成長力が止まっているからだと明確だ。それはヒット商品にしても、技術の開発にしてもだ、例えばコロナのワクチンの開発を見てもわかる。明らかに中国の後塵を拝している。だから株価が上がらないのが当然であって、投資家が日本を素通りするのは当たり前のことである。それを株価だけに視野を狭め記事を書くので難しい事を持ち出さなければならなくなる。と思う。もう一つ、国家予算を170兆円に増やした。お金を刷ってばら撒くのは結構なことだが、お金の価値は確実に減る。世界が同じことをしているから、世界同時インフレが起きてもおかしくない。と思う。が、それはあり得ないと識者の意見が一昨日の新聞に掲載された。こちらも、普通に考えれば分かること。増刷が土石流のように溜まって、限界を越すと一気に流れ落ちるように、どこかでお金の転換点がある。専門家でない私が考えても分かる明白なこの事。どうもその事に触れた記事を見ない。政治家は「桜を見る機会」の事で躍起になっているためだ。

12月17日(木曜日)
伝承館ではH氏のまたもや不手際が別の人に迷惑を及ぼしている。事の成り行きは、砂糖の精製には最低3名。持ち込み者の応援があることを前提とした人数。製品に仕上げるには更に1名。これで食事の時間は15分くらいを我慢すれば回っていく。その最低限の人数割り当てをせず、夕刻7時くらいに、師匠に泣きついて来た。仕方なく、師匠が翌日午前3時からの応援を受けた。師匠は連日の早朝出勤。何でこうなったか?1番の若手で、結構頭の良いI氏に、サトウキビを絞る単純な作業をする事を指示できないため。しかし、I氏は僕に翌日は早朝出勤だからねと、その作業を受ける発言をして帰ったのだ。それを、早く来ないで良いからとなだめ、師匠に泣きついたのだ。強いものには徹底的に媚し(I氏は結構強い)、弱いものには徹底的に強気だ。人格はともかく、彼には仕事をマネージする能力がないのだ。

12月16日(水曜日)
本格的に寒くなった。朝の部屋の温度は6度。体感では昨日の方が寒い気がする。今日は風呂の残り湯に浸かって体を温めた為か。ラジ英とボルトン翻訳にインド旅行記と午前中のフルメニューをこなした。10時からサトウキビ収穫。5列目の畝は174kg。昨日の4列目は189kg。サトウキビの本数は117本に対し130本。1株分だけ少ない計算になる。作業をしながら昨年の事を思い出した。昨年も近所の方にサトウキビを配った。お礼を言わない人もいるし、自分たちの作っている農作物を分けてくれたりする。人それぞれだけど、家庭を牛耳る奥さんは、何も感じないと言うのが不思議。まぁ僕の元奥さんのようにそれを嫌悪する人もいたから、人のことは言えないが。それに僕はお返しを求めているわけでは無いから、それはそれで良いが、近所付き合いのフィルターはかかる訳ですね。昨日よりも15kg少なかったのかどうか不明だが、今日は4時にしまいをつけ、風呂を焚いても買い物を済ませて、明日のお昼のお弁当を作った。その後、今夕の夕食を献立た。酢カブの中に奴豆腐を入れて半日寝かすといい奴が仕上がった。これをサブに、メインはクリームシチュー。肉の代わりに鰤を使ったらあまり美味しくなかった。時間にゆとりがあると、食生活は豊かになりますね。忙しくて食べるものもろくに食べられないのとどちらが健康的なのか、ちょっと不明でもありますが。夜は、ハープアルパートとティファナブラスを聞いた。オールナイトニッポンのテーマソング「ビター・スィート・サンバ」から始めた。丁度今頃期末試験の徹夜で、窓を開ければ「くりば」から、サトウキビを焚く匂いが流れてきた。中学生時代の思い出だ。あの頃に帰りたいとは思わない。あの頃に一つでも軸があれば良かったのに、何にも自分として核を持ち合わせていなかった。水に浮かぶ油のような存在だったと思う。だから中学生時代の同級生に会っても何の記憶も感慨も持たないのだろうと合点がいった。その後、キースジャレットの「ケルン・コンサート」をかけた。もうこの頃は、自己の確立が出来ていて、音楽にオーディオにのめり込んでいたので自分の歴史が残っている。

12月15日(火曜日)
今日は収穫作業。英語はラジオ英会話だけにして、サトウキビ収穫に午前10時からとりかかった。昼前にお寺さんから焼き鳥を取りに来ないか電話。もらいにゆくと、S子さんからH氏への不満。僕だけでなく他の人も何かと問題を抱えるようになった。何もこんなアルバイトをしなくても食っていけると息巻く。Me too.でも、こんな事で腹を立ててはいけない。なすがままで良いではないか。いざとなれば伝家の宝刀があるとその場の話を終えた。午後は医者に行った。お酒を飲んだ後背中が痛む。またもや膵臓がぶり返したのかな?大先生に検査をお願いした。高知市のかかりつけ病院はなかなか検査をしてくれないが、大先生は最も簡単だ。検査の先は決まっているのでたとえ精度に問題があっても傾向はわかるので安心だ。帰って再び収穫作業。日没ギリギリで終えた。12月8日に日没の一番早い時期を過ぎて幾分日没が遅れ出したので、僅かながらでも遅くまで仕事ができるわけだ。夜の音楽は、ジョンコルトレーンとジョージ・ダルトンをLPで聴く。研ぎ澄まされたデジタル音質では無いが緩めの団子の音が出てくる。悪くは無いが昔懐かしい音だなと思う。タワーレコードから毎週末に店長お勧めアルバム情報が届く、それをiTunesで検索して再生すれば、AACの圧縮音源とは言え、やっぱり21世紀の新しい音楽が流れる。今夕はディブ・コーズを聴いた。たまにはJAZZ系で新しい音楽も良いものだ。

12月14日(月曜日)
3:30起床、7分で到着する伝承館へ駆けつけた。それから10:00まで絞りカスを集めて圧縮して束ねる作業。これは殆ど休憩がない。束ねるのに力も相当必要で、今日から寒くなっているのに、僕は汗をかいて、窓を少し開け気持ち良い風を取り込んだが、他の人からは寒いと苦情。指も酷使するので、指が痛む。もう左の小指は痛みが激しく殆ど役に立たなくなっている。キーボードを打つときに「WASDR」のキーがさっさと打てずに困っているなど、色々と障害も出ている。最後に仕上げ工程を30分(ドロドロに溶けたサトウキビの汁)を担当して相当腕に負担をかけて、チョットこれ以上はというところで、退散帰ることにした。夕食もちゃんとしたのを食べたかったし、風呂にも入りたかった。風呂の中でカメラ雑誌を開くものの、大きな睡魔がやって来て、これじゃとても読むどころの話じゃないな、と風呂から上がった。湯冷まし30分で床に着く。師匠は疲れすぎて眠れないとぼやいていた。組合員全員が僕のようにフラフラの状態だ。おおよそ、7時間くらい家で過ごした後は、伝承館で17時間くらいは激しい砂糖の製糖作業だから、疲れない方がおかしい。せめて10時間勤務ぐらいで回れば連チャンでも何とかなるのだが。他の人は僕より高齢者だから、もっとしんどいはず。この原因は、サトウキビの栽培者が増えたため。大口は我々の仲間内だが、小口のメンバー外がちょこちょこ申し込み、それが多いのだ。200kgを1工程として、5時間を要し、それを通常は次々と流れ作業で6回繰り返していたのが、7回から8回行うようになって、午前3時から午後9時〜10時ごろまでの作業時間となるのだ。それで、外部の人達には仕上げを作業時間の少し時間の少ない「白下仕上げ」をオススメしたりしている。こんなに激しい労働で倒れないのは、頭を使う仕事ではなく、身体を酷使するので、単なる筋肉疲労と睡眠不足だけに限定されているからだろう。おそらく僕ら人間の先祖はこのような試練を幾たびか経て来ているからだろう。これが経験の少ない事務職になると途端に破滅するのは的を得ているかも知れない。

12月13日(日曜日)

今日は昼からの出勤。ボルトン補佐官の翻訳は、少し感が戻ってきたかな?現在67ページ目まで進んで、段々と文章が難しくなってきている感じがするのは、ボルトン氏も政権に深く関与するようになってきているからかな?今はアフガンからの撤退の所を読んでいる。11時半にやめて風呂を焚いた。今焚いても。深夜まで十分に温度は保ってくれているから良い。夕食は持参の弁当。20:00に退散した。明日は4時出勤。今日最後の釜は失敗したので、自分たちでカンショ提出者から品物を買い取らなければならない。人様の砂糖を炊くと言うのはそれだけ責任がありリスクも高いのだ。帰って風呂に入り9時。少し湯ざましをして寝る。もう生活はめちゃめちゃ。

12月12日(土曜日)
今日は夕刻のみ仕事だ。午前中は居眠りをしながらボルトン補佐官の翻訳。久しぶりなので頑張ったが、600文字の翻訳。普段の1000文字に相当する時間を注ぎ込んだのに残念。ヒアリングはニュースで英会話を見た。こちらは字幕(英字)を見ながらだが喋りと意味が一致するようになった。午後、手紙や請求書の整理。農協で最近は買い物をしていて、引き落とし処理をお願いしているから、明細を見てビックリ。しかしここではないと出来ない事もあるから必要経費だと思うことにした。夜の仕事なので、夕飯を早めに食っていると曽我さんが現れた。コーヒーで接待し、僕はご飯を食べた。鳥を焼いていたので、コーヒーのツマミにして貰った。少しぼやきに来たようだった。彼は少し早く僕の家を退散し、伝承館で現地合流。僕は曽我さんとは別の砂糖の崩し作業。カッパ市場で販売するため。就活センターがカッパ市場に品物を提供したので、明らかに競合する。負けず嫌いの僕は、200gの所を230gと増量して明らかにお得感がある製品を作り上げた。向こうはみんなの労賃が含まれているので少し割高。さてこの勝負は如何に。8時過ぎ退散し、風呂に入ってステレオの電源を入れるも、何と少しの聴く間も無く寝てしまっていた。カール・リヒターやウィンフィル・ニューイヤーコンサートのCDが170枚近くも買ったままになっていると言うのに。

12月11日(金曜日)
今日は完全なOFF日。昨晩遅かったので、寝不足で昼間に何度か居眠りした。部屋の掃除と洗濯。台所の清掃。家が片付くと気持ちが和む。古いボロ家故に清潔さは必須。余った時間で「エンド・オブ・キングダム」を見た。ジェラルド・バトラーがすごくいい演技をしている。マット・ディモンがこの手のアクションものでは好きだったが、品格面で少し落ちる。その点ジェラルドはアメリカの上級社会に生きる演技がとても様になるのだ。出身はスコットランドでエリザベス女王の弁護士事務所の弁護士を務めるなど、やはり頭のキレは良いみたい。その前に見た「エンド・オブ・ステイツ」にも出演し良い印象を持っていた(この2つの映画はシリーズものだ)。友人から送られて来たCDも聞いた。リカルド・シャーイ・ベスト盤が音質も演奏も良かった。冬になると音が良くなるまで少し時間がかかるがそれを過ぎれば極上になる。僕の腕と同じで、起き出して数時間経つと普通に戻るがそれまでは、むくみ痺れがある。コロナが無ければ直ぐに病院へ駆けつけるが高知県では今感染が爆発しているので迂闊に動きたくない気持ちがある。朝起きて調子の悪い時は、こうして気力を失って死への道を進むのだろうか?と悲観的になってしまう。昨日のように夜遅く誰も居ない真っ暗な家に戻るとその思いは更に強くなる。サトウキビ仲間と騒いでいなければいたたまれなかったかも知れない。趣味だけでは埋めつくせない空間があるのを感じた。

12月10日(木曜日)
今日は夕刻からの仕事なので、昼間はゆっくりできた。中断していたラジオ英会話を聞き、部屋の掃除と洗濯をして日常を取り戻した。朝飯はいつもの野菜ジュース。キュウリを使ったら父の匂いがした。僕が物心つく小学生の前後、農家である我が家はキュウリを栽培していた。明けても暮れても父はキュウリを作り、運搬車であるテーラー(リヤカーを引く耕運機)の車軸が折れると言う豊作に恵まれた。その頃はよくキュウリを食べた。近所の人達と遊ぶ年齢に達すると、塩もみして食べた。正にキュウリは父そのものだった。多分父の人生ではピーマン栽培の方が時間は長い筈だが、匂いの記憶はキュウリだ。匂いで言えば、母はゴボウだ。12月の年末が近づくとおせち料理にゴボウを煮た。自分で作るゴボウ料理は、自作の砂糖で炒めるキンピラが主だが、それでもゴボウが煮える匂いは正に母だった。それで中断していた墓参りと言うか、しきびを刈り取って墓に添えに行くと、「ブルースター(芸西村で栽培する花で高価な可憐なブルーの花弁がある)」が差してあって、息子も墓参りに来ているんだと思った。いい事だ。夕刻4時には食事を済まして伝承館に駆けつけた。今治からの農家が供出するサトウキビでおおよそ1トン。これを煮詰めて製糖し、12時に終えた。師匠はこれから箱詰めするため2時までかかる筈。愛媛のお客さんはそれから帰ると言う。その方は75歳。晴れると耕し、雨だと本を読むとの事。


12月9日(水曜日)
4:30起床。サトウキビ製糖へ。ヘロヘロだ。滋賀の友人から大量のCDが届く。じっくり聞いて返事を書かねばならぬがそうは行くまい。今日の製糖では絞り汁の源泉から灰汁を抜き取った。そうすると今度は石灰で灰汁が沈殿せず、バケツ2杯を捨てる羽目に。実際製糖は大変難しいと教訓を得た次第。煮詰めるタイミングでも失敗して少し赤みが付いた。皆んなこんな失敗をしてから上手くなってゆくのだと思った。じっちゃんは毎年どんな砂糖ができるのか楽しみにしていると言うが、彼の砂糖は毎年安定した出来具合だ。この道70年の重みは確かに違う。この人は熱心でもあるので、みんな気遣って、夕刻が来れば邪魔だから帰ってと追い出す。そう言わなきゃ皆んなと同じように遅くまで作業をするのだ。そうして皆んなに丁寧に挨拶をして帰る。とても僕らにはできない芸当だ。できた砂糖を型枠に流し込むにも少し硬くなりすぎたので失敗。いよいよ砂糖は化け物だと思うようになった。剣の道にも通じる神技が必要だ思った。自分の砂糖だからこのような失敗も許されるわけで、人様のを預かるのはとても難しく出来ないなぁと思いましたね。お寺で夕食のお惣菜を貰って帰る。実際施しを受けないと僕の食生活は壊れている。

12月8日(火曜日)
3:30起床。サトウキビの製糖へ。毎日辛い。腕も痛いし、左向いて寝ると身切れが痺れる現象も起きた。今までは夢の中で右手を体の下に敷いていたので、手が痺れたと思っていたが、実はそうでなく、どうもどこかに問題を抱えているようだ。それが顕著になってきたのだ。青息吐息で作業を行い、明るくなる頃に元気を取り戻す。未だ、サトウキビは全体の1/4も終わってない。それなのに、もう体を壊した。全体の収量は概算で4400kg。実際は5000kg行くかもしれない。だが僕だけでは無理だ。1000kgは仲間にあげようと思う。友人が伝承館に訪ねてきたので、2時間ばかり抜け出して、追加のサトウキビ60kgを収穫に戻った。再び製糖作業を行い、この日は結局7時半までかかった。夕食中もう一人の友人川電話があってコロナは芸西村で蔓延していて、近所の居酒屋「善」のご夫婦も感染したとの事だった。この経路は明確で、うなぎ密漁の2人が飲み歩いた先々で菌を振りまいた。この菌は密漁仲間の一人が大阪在住で菌を持って高知にやって来て騒いだとの事。この人が使ったマイクを芸西村消防団が使い、更に感染は広がった。と言う話。その夜に、何と息子から、Go To Eat 5000円ぶんの券を貰った。

12月7日(月曜日)
ラジオ英会話、今朝はすんなりと理解。昨晩長く寝たのが良かったのか?サトウキビ収穫を9時過ぎから活動。昨日柚乃酢を車の中にこぼした。H氏の言葉に反応しすぎて、瓶を落としてしまったのだ。その清掃から始めた。収穫目標は340kgだが、今日は170kg。まだ計量の済んでないものが80本。明日早退し、60本追加して明後日製糖に回すつもり。今夜は暗くなっても作業を行なった。車にサトウキビを載せたので、夕食の買い物は自転車で行った。サンシャインで加奈ちゃんに会った。もう仕事を辞めると言う。遊んで暮らすそうだ。コロナが終われば飲みに誘おう。加奈ちゃんは小学生の時にお世話になった先生の娘で、加奈ちゃんを背中に乗せて動く馬になって遊んだものだった。長く活動したので今夕は風呂から上がると体全体にぐったりとした疲労が蔓延した。英語の本を開くには気分が重く、サイモン・ラトルのシューマン4番を聞く。同じベルリンフィルでも、指揮者が違えばこうも変わるのか?サイモンラトルは重厚だ。歴史の重みと言うか間違いのない力強さを感じる。



12月6日(日曜日)
中々いい砂糖ができた。かなり胸を張れるもので、じっちゃんの砂糖と比べたい気持ちがはやる。H氏からは又、問題提起。夜師匠からその事に触れ、労いの電話があった。心の襞に届く師匠の配慮には頭が下がる。この人がいる限り砂糖は辞められないなと思った。凄く痛められやすいが、ひどく感動もするのだ。帰って息子に会った。普通の家庭では当たり前かもしれないが、我が家は離れに息子がいて帰宅は9時ごろ、僕は9時前には寝るし4時には出かけている。生活が合わないのだ。だから都会で言うことのお隣さんのような感じだ。その場の話によると、昨晩は帰宅しなかったそうだ。松山に行っていたと。道後温泉に入り余りにも小さかったのでびっくりしたと。お土産にパンを貰った。黒糖食パンだ。僕にこの砂糖(隣にそびえているサトウキビを指して)パンを作ったら?いやいやそれは検討済み。僕たちの砂糖は高くてパン屋の値段に合わないよと回答した。1kg3000円の砂糖原料を使って果たしてパンとして売れるかな?僕たちの会話はいつもここに集結する。いい品物だが売り先がない。今年はそれが500kgも品物(製品)として出来上がる。来年はそのまま行けば700kgにもなる。

12月5日(土曜日)
朝はラジオ英会話。その後ニュースで英会話。昔の録画番組。読むのは何とか、書くのも何とか、要は聴くのが1番の苦手。テレビのニュースで英会話はヒアリングの練習と言うか、耳の維持。10時から収穫。友人に手伝ってもらい140kgは出来た。昼からサトウキビの加工したものをカッパ市場に出荷。帰って収穫。16:00に190kgを終えて終了。自転車で買い物。丁度今は一年の内で一番日暮れが早く5時の時報時夕日は沈んでいる。帰って献立ているとお寺さんから夕食の惣菜の連絡。もう出来たから断った。もう貰いに行く元気がない。夜早く寝なければならないのを少し我慢して、キリル・ペトロンコのチャイコフスキー6番3楽章を聴く。やはり躍動感いっぱい。楽器の音数も多く収録されている。旧録音の名演も良いが、新録音の音の良さには別の楽しみがありますね。

12月4日(金曜日)
今日は休み。身体も休めよう。と言うことで午前中は洗濯と、英会話。英語の勉強は少し苦痛だが、今日はそれさえも楽しく感じる。昼から伝承館に出かけて、出来上がったサトウキビを加工してカッパ市場に出荷した。帰ってきて風呂焚きと食事で1日が終わってしまった。疲れで動作が緩慢なせいもある。頭の休憩に「スタートレック4K」を42PX10で見た。この古いプラズマテレビが高精細の映像を映し出したのにはびっくりした。はやぶさ帰還にも匹敵する驚きだ。設計者がフルHDでないのでエッジを立てているのも功を奏して照明を落とすと驚異の映像が出現するのだ。ビックバン直後の宇宙はガスなどの空気成分があって音がしたのは理解できるが、現在の宇宙は空気の存在はないので音はしない筈だが、相変わらず爆発音がある。サトウキビ精糖はH氏との確執がなければ幸せな日々を送っている。退職直後は慣れない仕事、送金の負担で私生活を切り詰めた事。離婚の煩わしさや寂しさ、両親を田舎に残して僻地で仕事、今思えば2012年当時、心痛いっぱいで今とは比べ物にならない思いをしたのだがもう弱音を吐いている。その頃の日記を読めば(ネットに掲載中)意外にも文章が明るい。そうしないと自分が崩れてしまうと思ったのだろうか。残念ながら日記ではそのことには触れてない。

12月3日(木曜日)
2:30起床。今日はしんどい。ここまでしんどい思いをしなければならない理由は一つもない。辞めよう。カメラを持って旅に出よう。それが一番良い。伝承館では老人たちが今日はしんどいとため息がちに作業をしている。Me too。指も腰も痛む。身体の敏捷性が全くない。H氏は休みでそれだけが天の恵み。結局この日は全部で5釜。5釜しかないのに夕刻5時まで時間がかかったのは、皆んなの動きが悪かったため。昨晩放送された野市のサトウキビ製糖は、僕らにとって参考になった。僕らの砂糖は味についての自信は揺るぎないが、清潔さや機械の新しさについては見劣りする。僕らの砂糖はブランドがあり、登録商標権もある。専用の包装用紙もある。だが、TV映りも良くない、私服だしヘアケアもしてない。じっちゃんの砂糖は評判で、今日もここに買いに来られた。比べると、マイルド感で他を圧倒する。もう2年、肥料なしで育てると僕のキビもいい味が出るはず。じっちゃんを超えてみたい意欲が湧く。この辛さ、H氏との関係と砂糖で負けたくない気持ちを天秤にかけるとどうなるかな。肥料なしで育てるアイディアもある。果てさて。会社から茨木のマンションにある私物を整理するよう指示が来た。いろんなものを持ち込んだのは、突然仕事が無くなるとは思っていなかったせい。もう半年も行ってないから何を持ち込んだのか忘れた。

12月2日(水曜日)
塩は海や土の中から採れるが、砂糖は植物から採取するしかない。こんな土の中にどうして甘い物質が潜んでいるのだろう?それも肥やしも何にも施してない。むしろ肥やしを絶って5年くらいすれば、いい砂糖ができると言う。サトウキビは飢餓の中でいい砂糖を作るのだ。この不思議さに惹かれてせっせと汁を絞っている。うがったものの見方をすれば、この食物は人間のために生まれて来たようなものだ。他の動物は、味など不要だからだ。砂糖は何にでも使える。ここ1-2年は砂糖を買った事がないのに甘いものを食べられるのは自作農家の為。ラオスでもインドでも国は貧しいが、そこに住む人たちはいたって新鮮なモノを食べている。お辞儀をした野菜などは見かけなかった。若者のチンチンのようにピント上むいた葉類ばかり。皮を剥かれたカエルも光っていた。先進国も150年くらい前までは、やはりこのような恵まれた食生活を送っていた。団塊の世代の健康保険の一部負担について論議が交わされるが、75歳を越す前に該当者は田舎に移住して、地域の人口減に協力する代わりに、田畑を耕して新鮮なモノを栽培して食べたら良い。そうすれば健康で医療負担が減り、充実した老後が送れる筈だ。高知県なんか埼玉県や千葉県の3倍程医療施設の充実があるから、むしろ都会よりも恵まれているのだ。僕でさえ使いきれない土地保有者で、田舎には作物が栽培できる土地が余っている。柑橘類だって5年で収穫できるから、人生100年時代決して遅くはない。農業だけで食うのは難しいが、年金の支援とこまめな収穫物の販売で、そこそこ行ける。もし労を惜しまなければ、薪ストーブを購入し山から竹を切り出せば光熱費も助かる。竹は皆んなの厄介者でお金を払って処分する人さへいるくらいだから。そんな政策が2割負担を求めるよりも有効だと思うのだが。

12月1日(火曜日)
5時起床。今日はOFF日だが、昨晩は9時過ぎに就寝し早く目が覚めた。日経新聞を見て驚くのは、中国共産党が統制を強化し、アリババや電気自動車メーカーがその監視網に触れる恐れが出て入ると書かれていた事。伝承館でサトウキビを煮詰めるにも3者3様で意見が食い違う。増してや国家運営は中央政府に留まったまま、傘下の国民企業が発想する新手を統制するのだから、枠からはみ出ることしかりだ。しかも、デジタル化とグルーバル化で発想は中政府の範疇をはみ出しやすい。アメリカは分断が国政を歪めて入るが、まだ心の中には「アメリカスピリット」が残っているからいざとなれば国の団結も容易。しかし、中国はそうはいかない、「不信」のレッテルは暴動には行き着かなくても、かつての毛沢東時代の様に、向上心を削ぐだろうから、経済発展は今の様にいかなくなるかもしれないのだ。不安程度で言えば「中国がアメリカよりも上かな」。僕の世代は混沌とした時代に人生の終末を迎えることになる。その中で僕は、サトウキビやその他農業で身体を酷使し、鶴の機織りの様に一刻一刻身を削る生活。世の中も自分も決して明日が明るい状態ではない。書籍「生命の条件を探る/阿部豊」を読むと、この宇宙も初めは何もなかった時代があって、宇宙が生まれ、140億年経って現在があり、いずれ崩壊するとあるから、マクロで見れば「世の中が無くなるのだ」そう見れば、永遠なんて絶対に無いのだとわかるから、僕が滅びるのも納得かな。今日はかっぱ市場にサトウキビを出荷した。15万円ほどの物量。他の人がかっぱ市場に持ち込む前に僕としては出来るだけ早く出したい。大井製作所でワイヤーブラシ購入。ワークウエーで手袋、サンシャインで夕食の素材購入、家に帰って、サトウキビ収穫210kg。17:30までかかった。明日は270kg収穫の予定。今日も疲れた。疲れも抜けない。

11月30日(月曜日)
3:30起床。キビを積んで伝承館へ。しゅんろうさんの収穫物から絞る。彼は近所の人だ。彼のサトウキビは虫害虫がついていて、糖度が17度しかない。絞りかすの後始末をする時に、床を掃いたクズは燃やすようにお願いした。そのあと僕の絞りに入るのだが、やはり虫については気になり、今日の絞りカスは、遠くのミカン畑に捨てることにした。無農薬のラベルを貼る砂糖は貴重で、今年は特別なパッケージを作り高く販売することにしたのだ。僕の出荷物は全て無農薬、無肥料でラベルに適合する。それを皆んなと同じ値段で販売していた。指名買いのあるじっちゃんの砂糖もこのラベルは貼れない。今日の製糖は少し実験をし、石灰の使用を控え気味にして、灰汁を捨て(普通の行程は再濾過する)、一気に炊き上げた。色々と口を挟む人がいるが無視して、自分の思った通りの作法で、つまり師匠が教えてくれた江戸時代から続く技術で仕上げた。出来は上々、夕刻師匠が来てえらい焚き上げたね、と言われたので、貴方から教わった通りですよと返すと、「オラァそんなこと言ってないぞ」と、笑っていた。その後みなさん帰り、僕は居残って出来た砂糖を細かく割って袋詰めし、ラベル(僕の名前入り)を貼り、215gの重量の所、230g前後の重量として出荷準備を行った。100個、更に丸いパッケージ版を100個、四角いブロックを39個。明日かっぱ市場に出荷する。TVで放映後ひっきりなしに伝承館に問い合わせが来ている。サトウキビは高知県に於いては冬の風物詩になった。僕のサトウキビは実の入る1月が一番良いのだが、商売は早い程よい。映画「ダイハード」のブルース・ウィルスのように、もうくた。帰るとき僕の車に炊き込みご飯を入れてくれていた。その後電話があって、師匠の奥さんが持って来てくれたとわかった。

11月29日(日曜日)

疲れてはいるが、収穫しなければならない。作業は10時から始めた。僕としては初の「黒街道」。サトウキビの改良種で、早稲。しかも糖度が高い。二十度を越すのは当たり前。しかし、我が黒街道はまだ成長道中で100本しか収穫できず、機械の脱葉機が使えない。残は従来品種を60本収穫。これで合計180kg。他の人の200kgの収量に相当するはずだ。5時ギリギリに終えた。風呂を沸かし、買い物をして夕食。専門業者さんに釜漏れのメールを送り、9時過ぎ就寝。もう限界が来ている。

11月28日(土曜日)
昨日は皆んなヘトヘトだった。それで今日は休み。ゆっくりしよう。今日は何もしない。何もしないので昼食は抜きだ。コロナ渦で副業の話が出ている。したいのにできなかったのが副業の位置付けのような書き方。だが待てよ、僕は色んな仕事をしてきて、この1ヶ月あまりは副業状態だったが、副業は①かなり頭の融通性を効かせないと難しい、特に手先は器用でないと選択肢が狭められる。②あまり違った範疇の仕事の組み合わせは上手くいかない③違った人間関係の職場となり頭の切り替えができないといけない。④移動を含め拘束時間が長くなる。こうして条件を上げると、やっぱり一部の人しかできないのじゃないかと思う。在宅があるじゃないか?僕も在宅でPCの処理を行った事がある。これは、①時間無制限。しかも結果に対し検証がうんざりするほど長くかかる。②視界がぼやけ確実に視力が落ち、③動かないので胃腸の調子を崩す。多分、副業でない方の在宅でもこんな事が起きているのだろうと思う。結果普通の人間は、一本の職業でバランスを取って生きていくしかないと言うのが僕の結論だ。中山淳史は日経新聞のコメンテーターだ。彼がパナソニックの経営不振を書いている。「10%のROEを持続する」との長期目標を出し、実践すれば、世界の評価も大きく変わるとある。指標でしか見えない机上の評論だ。日経のコメンテーターは何時もこんな調子で飛ばしているが、タイトルがパナソニックだったか読んでみたが、やっぱりあいもかわらず、説得を伴わない記事。評論は誰でも、それこそ酒の席上でできる。いつも思うのは核心を突く記事はなかなかないのだ。

11月27日(金曜日)
3:30起床、伝承館に出かけた。もうじっちゃん(91歳)は来てて絞っていた。完全に負けている。今日は実質三人で製糖にするので、忙しいのに何の。完璧に汗だくな状態が5-6時間はあったと思う。水を2リットル飲んだ。うどんに、餅、おにぎりと炭水化物ばかりの食事だが、物凄く美味しい。体が欲しがっているのだろう。腕と指先が痛むのは酷使の影響。僕の供出したサトウキビは19.1度の糖度で、色も良く、しかも舐めるとザラザラ感があって、最高の出来。更に、今回新たに作成した包装用紙が使える。この紙には無農薬、無肥料が明記されていて、誰でもが気楽に使えないのだ。終了後、今後収穫のスケジュール調整があって、終えたのは17:30。それによると、僕は12/21迄に、1400kgの収穫が出来る。恐らく僕の総収量は4000kgあるので、年内3000kgまであげなきゃならない。来年は寒さが厳しく、サトウキビが凍るかもしれないので急いだほうが良いのだ。(しかし来年の収穫の方が味は良いのだが)そして体がついて行くか?仲間は僕より皆上の年齢だが青年のようによく動く。僕もそのベルトコンベアーの上に乗って動いている。もうどうしようもない状態。柚子仲間のトシさんは、昨年も山の尾根を縦走したと言う。四国の名峰No2剣山へ。これにも刺激を受ける。このサトウキビが終わる頃、僕は何処に行こうとしているのか回答を出さねばならないだろう。

11月26日(木曜日)
ラジオ英会話を聞きボルトンの翻訳を済ませて10時からサトウキビの収穫に入った。僕はたかを括っていた。脱葉機械があるから400kgくらいは大丈夫だろうと。ところが午前中の2時間では50kg程しか収穫出来なかった。昼食メニューは、稲庭うどんをと考えていたが、そんな余裕はない。冷凍してあった残り物を引っ張り出して食った。30分で終えて再び開始。この機械は、サトウキビの葉をはがすことが出来るとはいえ、完璧では無いから、結局手作業が必要となる。2時間で100kgが限界かな?結局5時が来て暗くなり340kgを収穫して終えた。組合には400kgと報告してあったが、幾分少ない。しかし、僕の栽培したサトウキビは大きく、絞った量は他の人と同じ400kgの搾り汁がある筈。これだけの重量を秤に乗せたり、車に積み替える作業も行い腕が痛くなった。恐らくだが、同じ年齢層でこれだけ厳しく身体を酷使している人はそんなに多くは無い筈。未だに、それが健康にプラスなのかマイナスなのかワカラナイ。疲れで8:45に布団に9時の時報は深みに陥る寸前に聞いた記憶がある。

11月25日(水曜日)
3時過ぎに目が覚めた。雨が降っていた。これで今日の作業は中止。普段はこれから無理にでも寝るのだが、今日は起きてそのままパソコンに向かい写真の整理を行った。注目すべきは、GH1で撮影した写真だ。レンズをLEICAレンズ50mmF1.4を装着すれば素晴らしい色合いの写真が撮影できていた。ニコンとは違う風味だ。それがGH1で得られたのが嬉しい。このカメラはPanasonicの技術の粋を集めたもので、後継機とは一線を画すとは言え、もう10年以上古い。それがライカレンズで蘇ったから感激もひとしお。こう言う味のあるレンズに触れると他のレンズも集めたくなるのが僕の悪い癖。もう一度LUMIXレンズに戻り深掘りをして見よう。午後はサトウキビの収穫。両親は高校だが僕をよくぞ卒業させてくれたもんだ。今では高卒はくその役にも立たないと社会で評価されているが、僕自身は随分とこの3年間で学ぶことが多かったし、今でも役立っている。それは、平面図や正面図など製図で物体を描画できる技術、エンジンに関する基礎知識、英語。この2番目は会社では真価を発揮しなかったが、定年後農業作業をする時にすこぶる役立っている。今日はエンジンオイルの交換。開きにくいオイルネジもスパナをテコのように使う応用で短時間で出来たし、ディーゼルエンジンの手入れも施すことができた。両親に感謝だ。この機械はサトウキビの葉を剥ぐ為に使う。また、今年は葉の部分は細かく切って来年に備えている。昨年はこの後始末に随分と時間を使った。今年は、うまく切り抜けるつもりだ。(来年があるとすればだが)

11月24日(火曜日)
少し冷え込んだかな的?な山奥だったが、太陽が出ると灼熱の陽気に。今日は脚立に登っての作業。終盤が近づき、一気に終えてしまった。車をコンクリート路面から土の上に止めるように指示されてやばいかなと思っていた矢先パンクした、僕は芸西村から離れると土の上を車で走らない様に気をつけているのだが仕方ない。柚子作業ではバラでシャツを引き裂いてしまい、帰りには事故で車が渋滞。散々な1日だったが、昨日の出来事と併せて、「仕事仲間がいて時間を共有できた事。身体を動かし、健康が維持できた事」と「それによって趣味が頓挫した事」を天秤にかければ、どっちが重いのだろうと考える事態となった。21時まで我慢できず就寝。

11月23日(月曜日)
3時半起き。伝承館で砂糖焚き。新しくできた釜は水漏れが発生し、大量のサトウキビの汁が溢れる。溢れてのは釜の上で焼ける。暑い厳しい竈焚きは今回僕に回ってきた。へっちゃらだ。でも、上の釜を見て火の指示をする人が間違うと、やばい事になる。それが今回起きた。サトウキビの絞り汁が少ないのに僕に火を焚くように指示されて、釜を焦がした。この対応に大わらわ。NHKの取材もあった。今では民生用の小型ムービーで撮影し、生データを携帯電話の電波で飛ばし、松山支局で編集して流す方法との事。夕刻のニュースでもう放映された。サトウキビの仕事は僕にとってはお金にならず、仲間とワイワイできるのが良いから首を突っ込んでいる。ところが、今回師匠は主役から降りて、濱田さんに主を譲った。この人は、一言言えば三言返ってきて、全て言う事を否定する方だ。その上、いろいろ他の作業にも口出しをする厄介な人だ。それが主役になって一層拍車がかかった。今回の二つのトラブルも、結局は僕の提案どおりに処理は進むが、濱田さんは最初は反対し、師匠が頷き飜る結果となる。僕としては「そんなら全部任すわ」と言う気持ちにならざるを得ない。よく考えれば、サトウキビは仲間との歓談が目的だった。それがどうも違う方向に向かっているようだ。夏には炭も焼くと言うが、それが現実なら、この組織から脱退するのは来年の春だ。


11月22日(日曜日)
問題なく快晴。ゆず収穫は飛ばしに飛ばした。友人の収穫が遅いので、近くで一緒に作業して後れを目立たないようにした。そんなことをしてもまだ速度に余裕があって、隣の兄ちゃんの分までフォローする、まるで「走れコーターロー」の状態だった。頑張りには他にも理由があって、今日は積極的に疲れて9時前には就寝するぞと思っていたことだ。明日は3時半起床で「サトウキビの初釜」の為だ。それで、明日の朝飯用のパンと昼飯用のどん兵衛を買うためマルナカ(香川県を本社とするスーパー)に行ったら、中学生の同級生「はるよ」ちゃんを友人に紹介された。名前も顔も全く記憶はない。マスクもとってもらったがそれでもわからない。中学生の記憶は封印されているみたいだ。話を聞けばもう孫がいて、月末に2人目。息子たち3人は皆家の周りに住んでいると言う。幸せそのものだった。掃除洗濯3度のご飯、嫁ぎ先の両親を看取り八面六臂の活躍だったと言った。少しは誇張があるかもしれないが、「それが幸せの原因だよ」と言ってあげた。同窓会には必ず来てねと言う。幸せを自慢できる人は同窓会も楽しいしみんなの消息を聞きたい。そうでない人は、なんとなく人生の敗北感を背負い、会えば生き恥の上塗りをするようで気が進まない。僕も後者の一人だ。ベトナムでタクシーの運転手さんに言われた事「それでは人生寂しいではないか」が僕のもっぱらの生き方だ(趣味に浸る事)。これは、よく知らない誰かと共有できるものではないと思うのだ。

11月21日(土曜日)
紳士服の事を昨日考えてみたが、更に深掘りすれば、元はスティーブ・ジョブスに行き着くかも知れない。IT業界はこぞって新製品の発表時など公式の場でGパンを通した。感性の鋭い若者が見習わない訳がない。その若者も今や40代後半から50代。「要は中身で、外観は動きやすい衣類が定着」した。日本で未だ不振にも関わらず紳士服専門店が未だに息をしているのは、中身より外観が重要だとの認識が残っているからだろう。僕の認識では、今こそ一番重要な分野だと思われるバッテリーの開発国なのに、お株を中国やアメリカに奪われようとしている事に代表される。今日は昼から柚子。友人と車で出かけるが相変わらず臭いし大きな咳をする。柚子の葉っぱは沢山の雨を貯めるのか、雨が上がって1日経ってもまだ水をかぶる状態で僕らを濡らす。太陽は燦々と輝き暑かったので何とかなったが。帰って洗濯物を取り込み、風呂を焚き食事を済ませると猛烈な睡魔。近所のおばあさんが亡くなった。それを遡る2日前、お寺のせっちゃんが「えらいカラスが鳴くが、誰かが亡くなったんじゃ無いだろうか」と言っていたのを思い出した。近所のよしかずさんを訪ね、香典の事を聞くと、包みだけで、葬儀の出席はないと教えてくれた。ついでにカボチャを持っていけと大きなのを貰った。ピーマンの傍らで栽培した立派な出来だ。もう一つニュースがある。iPadで書いたPAGESの文章がiCloudを経由しWindowsPCで読める事を発見。この日記は食堂のiPadで書いているが、PCに上げるためにはメールを使ってワードに変換して送っていた。それが不要になったのだ。

11月20日(金曜日)
今や百貨店でモノを買わなくなった。お惣菜さえもイオンや専門店で買うようになった(大阪出張時)。そして紳士服。ハルヤマ、青山、青木こぞって営業赤字を記録。ユニクロやしまむら、ワークマンの好調さと一線を画している。この違いはフォーマルウエアの衰退かな。それにコロナが拍車をかけたが、近年その傾向はあった。あったのになぜ方向転換ができなかった?もう衣料分野では方向転換ができないほど、この市場は新興の起業で埋め尽くされていたのか。実際自分の生活に置き換えて衣料を見れば、農作業で毎日洗濯し痛むはずの服でも、大体が二年程は穴が開かない。流行を問わない農作業業に回せる服がごまんとあって、僕の生存中に着尽くせるかどうか程の量?昔元妻が買い込んだものだ。高知でも、中古服の店「BJ」、があちこちにある。不足する夏用のシャツはここで調達し十分事足りている。息子はインターネットで買い、娘はGUだそうだ。紳士服業界はどうやって生き残るのだろうか?パナソニックのように、不採算部門を切り捨てながら規模縮小し、ホールディング化(もう実施しているところもある)し、様子を見るのかな?持ちこたえられればだが。あれだけタフなDIGAだったが、今回買ったDIGAは故障した。パナの品質が揺らいでいる。経営と品質は一体だから、紳士服も今買えば綻びがあるかも知れない。経営の不安な企業の製品は控えたらよいのが教訓。今日は伝承館の釜の据付、サトウキビの葉をもぎ取る機械の購入で自宅へ収納、お寺のせっちゃんからお惣菜のお裾分けで2時間の訪問(もったいない時間だった)。一日中身体が怠く、睡魔に襲われた。夜は半分眠りながらベートーベン7番、ペトロンコ&ベルリンフィルを聴く。若いだけに躍動感が凄い、ハードロックに近い4楽章だった。ベルリンフィルが年配のサイモン・ラトルから、ペトロンコに変えた意味が何となくわかった様な気がする。クラシック業界は、僕が注目する若手だけでも、アンドリス・ネルソンズ、テオドール・クルレンツス、グスタフ・ドゥタメルは有無を言わさず、クラシック音楽に新風を吹き込んだから。

11月19日(木曜日)
午後は歯医者の為、柚子収穫を早退したが、おそらく雨で皆さんも仕事は無かった筈。通っている歯医者さん、今日はすっかり信用失墜だ。先ず、麻酔が執拗過ぎるほど多い。その上「痛かったら手を上げて知らせて」と言う。普通あれほどの麻酔はしないよ、その上痛かったらと言うのか?そして詰め物の後、噛み合わせはどうか?あれ程麻酔の後、感覚が無いのにも関わらず、その質問をする無神経さ。次の予約日を聞かれたが、当方から電話で連絡すると断った。帰りに夜須のトマト、土佐の赤牛細切れ、シメジ、こんにゃく、ベビーリーフを買って帰り、家にある赤カブ、キャベツ、葉にんにくでパスタのタレを作り、最後に柚子の皮をまぶしたら、イタリアレストラン顔負けのスパゲッティが出来がった。チリのワインを添えたら、これじゃレストランへ行かなくても良いぞと思いましたね。ベビーリーフは玉ねぎと青じそのドレッシングで量タップリ。街中でなくても3000円は頂ける出来映えでした。ただ問題が一つあって、こんにゃくと牛肉が茶色で、見た目がきれいで無い点だ。夜は、LUMIX GH1(古いカメラ)に最新の50mmライカレンズを装着して撮影すれば、最近のカメラ(フジXT100)と良い勝負が出来るかな?と比較撮影をした写真をiMacで検討した。答えは、①明るいシーンで撮影し、しかも露出補正を適度に施せば、何とかなる。②空の青さとか、柚子の緑の濃さなどはLUMIXの固有の色作りで、最新のG9でもフジを超えることはできない。③F1.4は流石に明るく、ISO100でもしっかり撮影すれば、ある程度の暗さでも何とかなる。のだった。つまり、デジカメは10年くらい前のものでも、単焦点レンズを奢れば何とかなる結論を得た。今度購入するカメラやニコンD850は一生使えると思いましたね。明日は雨で柚子は休み。

11月18日(水曜日)
今回収穫する柚子は木が低いこともあって、何と午前中に2600個の収穫。今日はいいスコアが出ると思っていたが、午後は、終盤近くとなって、カゴが他の人と共有されたので僕の取り分についてカウントできなかった。しかし速度は落ちてないから、おそらく4000個を越したのではと思う。この作業は頑張っても頑張らなくても、賃金は同じなので意味ないが、どんどん前に進むのは結構なやりがいで、つい気張ってしまう。終了後、夜須にあるセブンイレブンでニューイヤーコンサートのBOXを購入。これまでのWiener Philharmonikerのコンサートを集積し50枚のCDにまとめたもの。夕食後聞けば中々音も良くて楽しそうだ。だが昼間の頑張りが体に影響し8時半を待たずして布団に倒れてしまった。労働は決して厳しくないが、1日のエネルギーを使い果たしてしまっている。世の中にはコロナ禍で自宅から出られない人がいてストレスがたまっていそうだが此方では無縁の世界。コロナワクチンの開発に目処が立って株価が上昇し、にわか成金が増えているが、コレも無縁の世界。1日5000円の日当で暮らしている。

11月17日(火曜日)
ウォルマートが西友の株を手放した。上手くいくわけがないと初めから踏んでいた。コレは的中した。その西友に今度は楽天もKKRも手を出すと言う。三者連合でお互いのメリットを享受すると言う。僕はコレも2年後位には空中分解すると思う。買収や合併には強い実行力とカリスマ性が必要だと思う。いくら優れたカリスマ性を持った船頭さんでも、3人となれば、船が陸に上がるだろう。さてどうなる事やら。柚子収穫は久しぶりで楽しいが、友人が椅子を持ち込んで作業をしていると雇い主から連絡があった。その前は長ハサミを持ち込むと用意していた。もう直ぐ70歳になると言うのに、こんな事さへ学ばなかったのか?と可哀想になった。勿論僕も色んなしきたりに反している事をしているだろうから人のことは言えないのだが。彼は、雇われ仲間同志の会話にも入ってこない。勿論コレは無理にとは言わないのだが、定番のメンバー的な雇われ仲間からは、得ることが多いので昼休みなどは輪に入る方が良いとおもうのだが。実は、その傾向は、我が息子君にも言えることで、中々地元民と仲良くなれないのだ。そう言う面ではよく似ているから、僕も頭を悩ますのだ。今日のトピックはしばらく音信が途絶えていたファジー会のメンバーから連絡があった事。Gotoトラベルで仙台、岩手、秋田巡りとの事。いい旅館に泊まっていい思いをしたと言う。良い事だ。本当は僕もGotoで出かけたいのだが、もう少し待てと内部の声が聞こえてくる。それで芸西村の風景を撮影して、お茶を濁している。今はそれでいいと思っている。焦りもない。

11月16日(月曜日)
今日は伝承館の釜の据付。いつものメンバーが揃った。僕は漆喰を捏ねた。家の塀を塗った経験から慣れている。焚き物小屋にかかる樹木も切った。90歳になるじっちゃんが切っていたので、僕は頼んで止めてもらい、僕が代わりにチェーンソーで切った。釜の据付は主に濱田さんが主に行った。彼と並行して作業も出来るが、彼はそれが気に入らないので止めた。僕は小屋の外周りの清掃に徹した。日差しは強く大汗をかいて、ペットボトルで1リットル分のお茶を飲んだ。この場で、11月の作業予定が決まり、月末は殆どが稼働日となる。柚子の方と重なるが、柚子の方に予定を出してあるので、取り敢えず挙行し、伝承館に支障があれば柚子を休むこととしようと思った。夜の音楽は英語に回して中止。




11月15日(日曜日)
賑やかで幸せな時間はすぐに去ってしまう。お金も沢山使ったし、子供たちのお世話で疲れも貯め込んだ。非日常だから享受しよう。それに、こんな幸せが続くと僕は堕落する。一人で厳しく戒めないと健康が続かない気がするし、英語も頓挫する。娘は、朝、飛行機の出発まで今日の行動を迷いに迷った挙句、「とさのさと」と「のいち動物園」に決めた。いっぱい詰め込む娘に対し、今日は1つだけに限定の型を嵌めたが無理。とさのさとではお土産を購入。途中、「真田のうどん」で腹ごしらえ。このうどんは娘の要望。ギリギリスケジューを終えて、空港に滑り込んだ。5分の余裕しかなかった。慌ただしい4日間が過ぎて、閑静な部屋に戻ると疲れで昼寝し、体力挽回に勤めた。今夕は、雑炊で胃腸の調子を整え、明日からの平常生活に備えた。キタムラカメラからLUMIXレンズ到着の連絡があり、今日の道中で購入。200−800と70−200と50mm。高性能レンズで、手ブレ耐性が高い様だ。いずれ別の日に性能チェックを行おう。今日は余裕がない。夜、ドビュッシー生誕100年記念コンサート。吉野直子のハープを聴く。2018年の録画で、音質画質も良好。9時がやってきて就寝。そんなに親しい間柄では無いが柚子仲間から離れて数日経つと、妙に懐かしさを覚え、早く仕事に復帰したい気持ちを覚えた。

11月14日(土曜日)
今日は息子君も合流して室戸岬にある、「ドルフィン・センター」に出かけた。到着時刻は丁度お昼の12時。日経新聞に掲載された「初音」さんで「キンメ丼定食」2200円を頂いた。キンメの刺身に照り焼きがご飯の上に乗っていて絶品。店は満席。その後、イルカを見に行った。僕は見るだけで、子供たちは餌をあげるコース。他にもイルカに乗るコースもあった。場所は漁港の一角を仕切って運営。500円の入場券で結構楽しめた。陽光燦々と降り注ぐ中、カメラの負担は少なく、上手く撮影できた。娘はサムスンGALAXY noteのスマホで、動画の中から静止画を切り出す撮影をしていた。ディスプレイが別格で、カメラが良いのか、表示機器が優れているのか判別しにくい仕上がり。帰りに食材、息子の薦めるケーキ、TSUTAYAで今夜見る映画等々寄って帰り、結局この日も家で寛ぐことなく、全てを使って動いた。シンガポールで一緒に旅して感じていた、これが娘の生き方だと思った。一方息子は更に輪をかけてたっぷりと時間を取るタイプ。僕の即断即決即完了からすれば、かなりのストレスを受ける。家族が揃って何かをする、何処かに行くと言うのは、こう言うもんだ気がついた。他の人は普通だろうが、僕には近年機会がなかった。夕食は窪川の豚を使ったインド瓜の炒め物。焼きそばのオーブン料理。チーズケーキのデザートでまずまずだった。夜は「グリンチ」(アニメ)を見る。比較的素直な性格の息子君でさえ、この映画は素直過ぎると評価。わかりやすい英語だったが、娘だけが全く分からんとぼやく。100インチ4Kシアターだからこそ、家族が募れる。まぁここまでが僕の接待だが、深夜息子は姉を連れて近くの露天風呂に連れて行った。我が家の風呂の方が格段上だと信じているからそういった発想は僕には無いし、深夜に出かける意欲も湧かない。やはり若いのは時間が無限にある様だ。僕は横になると夢の中に直行し、彼らの帰宅は知らなかった。

11月13日(金曜日)
昨日は娘と早明浦ダムのほとりに立つホテルで食事を摂った。土佐の赤牛ステーキ。絶景を見ながらの食事に祐希も満足。しかし料金からすれば、もっと美味しい食事を提供できるはずだが。山奥なのに人でいっぱいだったのは、一つは紅葉の時でもあるからだろう。帰りに息子用に肉を買って夕食時提供したら、娘はそれにも手を出していた。昼食時もう肉はいいよ!と確かに聞いたので、肉は少なめだったが。若いのはいいね。それと、スマホが頭脳の一部を兼ねているから、話が「広い早い正確」(友人の会話はでたらめな思い込みが多い)。ITに弱い息子でもスマホは活躍している、若い世代との会話には欠かせないアイテムだと思いましたね。今日は早起きして足摺岬にある海洋館へ行った。出発と言っても女は支度に時間がかかり、久しぶりに妻が家にやって来た時を思い出した。海洋館は2度目。前回の写真撮影の失敗を克服したつもりだったが、どうやらシャッター速度の事を失念していて、前半は失敗作品が多い筈。見終わったのが1時。道の駅で食事をすれば大当たりで美味いのなんの。娘と舌鼓を打った。ここの売りはメジカ節のダシを使ったカレーうどん。都会では行列モノの出来栄え。窪川で豚を買って、南国市でソバを買った。夕食の準備、ソバの準備は大変で、結局豚は明日にお預け。今日の夕食は息子不在。蕎麦は娘にも気に入ってもらった(粉から打った)。日経新聞に「娘の取説」の書籍紹介があった。我が家にも必要かも知れないが、取り敢えず僕は気が付かないフリで過ごしている。夕食後、映画を見ようと娘の提案で、「二ノ国」を見た。この映画の根本はアバターで、テレワークが始まった今の状況をよく捕まえていると思う。娘も感激した様だった。自分の部屋に帰り、今日の反省をしながら、JSバッハのマタイ受難をカール・リヒター盤で聞いている。対訳はない。

11月12日(木曜日)
2019年12月と何ら世界の健康状態は変わらないのに、株価がコロナワクチンの開発のニュースで一気に盛り上がった。勿論バイデンの当選もあるだろうが、アメリカはともかく、日本の株価が上昇するのは解せない。僕的には世界の富の総額はそんなに変化しない筈だと思っている。誰かが増やせば誰かが減る。アメリカも日本も製造業を中国に移管して、中間所得層が激減した事からも、今後のアメリカはかなり慎重にネットワークを張り巡らせるはず、一方中国は近隣を巻き込んで大きな経済圏を築こうとしている。それに対して日本は何か変わった事をしているのか?NOだ。ご祝儀で株価が上がっているだけ。ルーマニアがゲームソフト開発では大国だとの記事を読んだ。世界が同じ舞台で競争を始めている。こうして富の配分をする舞台に日本は乗ってない。楽天の三木谷氏が社内の携帯部隊は日本語を話す人がほとんどいなかったと経済フォーラムで語った。僕の友人の娘もカナダ人のエンジニアと結婚し楽天にいるから彼の言うことは本当だ。日本ではホンの少しの企業しかそこに足を踏み入れてない。日本電産の永守氏は投資は中国とアメリカと明確に語り、日本にはない。ユニクロの柳井氏も同じことを言う。果てさて、この先どうなるか。子供たちが揃うのでこれだけは伝えておこう思う。舞台は一つ、その舞台が視野にあるのかどうか気を配っているかどうかは大切だと。

11月11日(水曜日)
妙に今朝の冷え込みは厳しくないが、全国区は厳しい冬到来とかで、エルニーニョによる厳寒も予測されている。山奥の柚子畑では時折川風が吹くのが冷たく感じるだけ。今日の作業もご指名が幾度もかかり大忙し。やっぱり僕の作業は早く、遅れている人の助けに入る様な指示だ。収穫用のカゴの数で比較をすれば2割増しだ。大きな柚子の繁茂も5分くらいで片付ける。今日は脚立の使用が多かったが、3300個の収穫だ。最後の方では、奥さんが僕専用に交換用の空箱を運ぶ様になった。僕としては身体を動かすのが気持ちよくて負担が多いとは決して思わなかった。それに明日から4日間も休むのだから少し頑張りすぎても問題ない。夕食時息子君が車の鍵を持ってきててくれた。彼の車で娘を案内するのだが、僕は自宅から車を出すことができず、道の大きな村道まで車を移動させてもらったのだ。娘とはシンガポールで会ったきり2年のブランク。高級肉、魚の指名があって出費は嵩みそう。併せて、タワーレコードから、カール・リヒターとキリル・ペトロンコのCD(4万円)が届くと案内メール。個人でも大忙しだ。そして、息子と娘が一堂に揃うのも4年ぶりだ。寂しかった僕の食卓が久しぶりに賑わいそうだ。

11月10日(火曜日)
冷え込んだ。冷え込んでしかも、さらに収穫場所は川上へと遡上して山間での作業。太陽は3時間ほど拝める。その時は暑いが、他は寒い。みんな服を脱ぎ、再び服を着て体温調節。僕は暑いまま作業を続けて濡れた汗で身体を冷やしたら丁度、陽が陰り上手く行った。雇い主からは段々と難所の役割が回ってき始めた。みんな時間給1000円。今日は最高の2700個程収穫。どうしても負けたくないとやってしまう。だが達成感は確かにあるし、心地よい疲れもある。よく喋るおばさんが来ていて話した、「しずかちゃん」と呼ばれている。嫌味か?今日も太陽が出た時に応援に来て、太陽が2つ出たと言われていた。その人は定年まで四国電力の検針を25年間も務めて、芸西村もそのテリトリーで、僕の家もよく知っていた。「岡村さんを知っていたら声をかけたのに」と言われたが、その頃はライフ・マスターの統計の仕事をしてたので、ちょっとそれはと言う時だった。帰る時、雇い主からみんなに「チャーテ」と呼ばれる瓜をくれた。豚肉と炒めると美味しい。と言う。落ちた柚子を一つポケットに入れて帰り、言われた通りの料理に柚子を刻んだら極上。大きなチューブに入ったモズクを買っていたので、今日は山と海の幸豪華メニューだった。余りにも疲れが激しく、ラジオ英会話を必死で(居眠りも含め)50分頑張り、8:30に就寝。これでも、サトウキビの仕事午前3:00-17:00よりはマシですが。

11月9日(月曜日)
往生際の悪い男だなぁ。さっさと負けを表明し、次の人生を考えたらどうだろうか?足掻けば足掻くほど窮地に陥り、人の信頼を失う。人生に一番大切な貯金、すなわち、「信用」。お金が幾らあっても、信用がなければつまらない。人はそんな付き合いしかしてくれない。今は、トランプが大統領の地位にいるから、周りは遜ってゴマを擦っているが、その地位を降りると誰も相手にしてくれないだろう。この男は梯子を外す人だと付き合う人が烙印を押しているからだ。要するに、彼は「信用を失って、烙印を得た」と言うべきか。今日のゆずは、足の悪いおじさんとおばさんに配慮して、一日中木下にかがみ込み、苦しい姿勢で収穫した。それを見てたご主人は、僕に全体の作業の進捗率を聞き出した。こんな信用はされなくても良いのだが。そして、その畑の作業は格段に楽になったおじさんとおばさんは、夕刻帰り際この畑を頑張って仕上げようとなった、帰る時間が来たが頑張った。おじさんとおばさんは大声で残業だと連呼した。雇い主は「すまんが仕上げてくれるかよ」とみんなに頼んだ。結局終わったのは3:50でそれでも契約時間内。いつもは雇い主の配慮で、3:30に終えている。これを残業だと騒ぐからおもろいやないけ。帰って風呂を沸かす。今日で3日目の継ぎ足しの風呂。もっとも、満水でチンチンに沸かすので、薄める水は半分くらいの100ℓくらいあるから入れ替わりお湯に関しては問題ないが、風呂桶のねめりは仕方ない。夜、ラジオ英会話を聞くのが限界で9時就寝。

11月8日(日曜日)
12時から柚子の作業。10:30出発。お弁当を買って現地で食べてゆっくりとした。少し時間が余ったので、アルマゲドンのペーパーバックを開いた。この本は半分近くまで読んでいるし、映画も見ているから、情景がまだ何となく頭に浮かび、辞書を片手に何とか読める。辞書はスマホにWindamsをダウンロードしている。1ページほど読み時間が来て作業開始。葉っぱに未だ雨が残っていたので、雨をかぶる奥の方は後からで良いか尋ねたら、「No」。1本を済まして次に行ってくれと言う。そう言うみんなは決して奥は取らないから、結局僕が濡れて奥を収穫する。そんな役回りだ。まぁそれでも動いていると暑くなってきたのでこれでもよしとした。今日から右手の平に時々電気が走った様な鋭い痛みが走り、親指の付け根には棘が刺さってハサミの握り方次第で痛む。左親指にも棘が残りこちらは柚子の玉を掴む時に時々痛む。両手は満身創痍の状況だ。4時前にずぶ濡れで終わり車の暖房で乾かしながら帰った。安芸市のシャンシャインで買い物をすると、ビニール袋に買った品物をレジのおばさんが詰めてくれた。レシートを見れば3円引かれてない。今日はサービス日かな?帰って昨日の残り湯で体を洗い、お寺で開催される「23夜」に出かけた。これは魔除けの儀式だ。ここに住むみんなが対象だが、農家の有志のみで運営されている。決まった仕事をしてない住民は参加すれば良いと思うが、その様な煩わしさが嫌なようだ。でもこうして顔を合わしていると、何かあったら頼みやすい人間関係ができる。そんな気安さがある。田舎では自分一人では生きて行けいないのだが。酔っ払って帰り、ダニエル・バレンボエム指揮ベルリン国立歌劇場のブルックナー8番を聴く。今夜は少し贅沢し、HDDを回しハイレゾ再生だ。40分位で音が良くなるが、眠くて我慢が出来なるのもその頃だ。

11月7日(土曜日)
今日は雨天につき休み。昼から雨も上がるだろうから、竹垣でも切ろうかと思いきや、雨は深夜まで降り続いた。定例の作業では何度も睡魔に襲われた。疲れが残っているのだろう。友人の臭いで僕自身も気をつけようと消臭の洗濯補材ワイドハイターEXを探した。一度顔を拭くだけでその手ぬぐいは加齢臭がするのを知っているから、コロナウイルス並みの注意を施さないと、臭いは根絶出来ない。厄介な事だ。昼間は買い物だけ何にもしなかった。夜は昔βマックスで録画した「渡辺貞夫‘84」NHK放送を見た。ドラムスにスティーブガット、パーカッションにエルビンジョーンズ、ボーカルはロバータフラックの錚々たるメンバーだった。時々画像が乱れるがスティーブガットのドラムスは一級品だった。涙が出るほどの感動を与えてくれる。それにまだ若くて、顔が細っそりしている。ビデオテープに録画した名作は160巻収納可能なファイルにぎっしりと詰まり、2冊ある。これも、暇を見つけて乗り越えていこう。体力は9時過ぎまでで、雨音を聴きながら就寝。最近は横になると今日1日の事を思い出す時間もなく直ぐ夢の世界に行っている。眠れないとは無縁の世界。

11月6日(金曜日)
友人を車に乗せた瞬間死臭が漂った。風呂に入ってないのかな?死臭は近所のおばさんの葬儀の際、棺桶から漏れて来た経験があった、あれと同じ臭い。幸に車は外気導入ができ窓を少し開ける事で何とかなった。この友人も家の中がいっぱいだ。いつコロナやインフルエンザに罹ってもおかしくない環境の中で生活している。さて、トランプ氏だがスケールが割と大きい人だと思っていたが、実は小人でノミの心臓だった。往生際が実に良くない。習近平と違った意味で世界の顰蹙を買っている。寂しい人だ。良い面を自分自身で汚している。まぁ我が世の春を4年間謳歌したから、彼も満足しただろう。話は変わるが、職場の雰囲気が実に良くなっている。暖かい目で見てくれる。多分、僕の収穫作業が普通の人と比べて早いからだろうと思う。僕は柚子の収穫作業を分析し、①一度脚立に登ったら、動かないでできるだけその姿勢で収穫する。②一度に2個切って収穫する。③できるだけ二度切りで収穫を済ます。そうすると、1時間で100個くらいの差が普通の人と比べて出る。収穫した箱を運ぶだけの人もいて、この人はこの差に気づくはずだ。まぁこれは僕のうぬぼれですが、汗だくで作業をすると気持ち良いからしているだけで、他意はない。そして夕刻に猛烈な空腹が訪れる。明日は雨で休みと通告があって、帰りにワインを物色した。何とこちらでは、銘柄は日本のメーカーのみで、外国産も日本のメーカーのラベルを貼ってある。フランス産はなく、チリがメルシャンブランドであったので購入。ジェノバの街角で飲んだキリッとしまった味だった。酔い冷ましに4Kルーブル美術館を見た。69000点。今度購入するカメラで撮影しよう、多分3日あれば十分。上手くいけば2日。これも、多分だが、それでダビンチの絵画はほぼ見た事になる筈。この映像は4時間の大作だが、今から研究しておこう。

11月5日(木曜日)
友人はゴルフで休み。一人でゆずに向かった。不遇の指揮者チェビリダッケの振るリムスキーコルサコフ/シェララードを聞きながら。ギルギエフ指揮マリンスキー盤が究極とすれば、随分と違う演奏でおゃと思うところがしばしば。入河内は冷え込んでいてジャンパーを着込んだまま作業した。よく喋るおばさんが来ていて、柚子の森に嬌声が轟いた。調査せず批評するのは良くはないがこの人の家の中は一杯だろう。僕のおばあちゃんがよく言っていた。「外ズラの良い女は家の中がいっぱいゾネ」我が元妻も一緒だった。僕は片付いてない一杯の家では心が休まらないので、余計な事だが、このおばさんの喋りがそう言う面で凄く耳に響いた。小松農園の親父さんが挨拶に来た。少し過去を伺うと、酒屋へ卸の営業をやっていたが、ディスカウントストアが増え、ここらで転職しないと大変な事になると柚子農家を始めたと言う。2002年の事。それまでは父が柚子を手がけていたと言うから、今の経営者で3代目となる。この人の奥さんは東京でビクター音楽教室でピアノの先生をしていたと言うから、ナオ君と呼ばれる息子経営者はいい嫁を呼び寄せたと喜んでおられた。それから僕はハサミで指を切りながらも、19箱仕上げた。今日は高いところが多く午後からは一気にペースダウン。厳しいがこの仕事の良さは、真っ青な空の下、真っ黄色の柚子を新緑の様な緑の中に見つけて収穫するとても都会では味わえない原色を目にする事だ。そして鼻腔には柚子の香り。若返りはしないが、自然の恵みをヒシヒシを授かっている気がする。帰って早々に終いをつけ、ラジオ英会話とボルトン翻訳。もう英語は辞めたいと思うほど理解できなかった。どんなに辞書で紐解いても、前に進めなかった。CPUが前世代のMhz動作になった様だった。近年稀に見る能力低下。こんなのがだんだん重なってボケ老人になるのかなぁ〜。

11月4日(水曜日)
結局大量の音楽を残したまま死んでゆくかも?でも焦っても仕方ない、なる様にしかならない。午前中はいつもの作業。インド旅行記は300ページを超えた。今はパラティアの販売店訪問時の事を書いている。この時は新聞社の取材を受けて、帰国してから新聞掲載の記事が届いた。外国の新聞に載ったのは始めてだ。(高知新聞にはかっぱ市場10万人訪問で掲載された事がある)AmazonでPCのメモリーを4Gから8Gに増やすメモリーを購入した。もう6年も使っているから本体を買い替えても良いのだが、結構散財しているからメモリーでごまかすのだ。最初の立ち上がりは変わりないが、起動後はサクサクだ。まだ当面使えそう。今日は山神様清掃で近所の人達が集まった。今日も懇親会なし。8日の23夜の時に懇親会を開催するとの事。柚子の仕事、サトウキビの仕事、近所の行事と慌ただしくなって、「寂しかった僕の世界が明るくなった」。マイク真木の「薔薇が咲いた」歌の様だ。寸暇を惜しんでCDを聞く。チャーリー・パーカー集No6。サックスを吹きまくっている(勿論若いが故に)その軽さが良い。ラッパ吹きは酒やドラッグや年齢の影響を受けて、現役時代が短いが、その時のノリの良さ、軽さは現在のプレーヤーでは聞けない。タイムスリップが出来れば、1960年のビレッジバンガードに浸りたいものだと思った。

11月3日(火曜日)
昨日の雨の影響で今日も柚子収穫は休み。それで師匠と現在進行中のサトウキビを一部切り取って糖度を測ることにした。総じて我が家の旧品種は糖度が低い。新しい品種「黒街道」は20度に近い。我が家も少し栽培しているが今年はまだ収穫に適さない。これを種に来年別の畑で全面展開する予定。さらに「農林8号」は糖度が16.5でチョット難しい状態。でも、後1ヶ月、晴天が続くとさらに糖度が乗るだろうとのこと、これに期待。その後、師匠の家に預けてある脱葉機の試運転を行い、購入する事にした。カメラの購入も本日GOを出したので、両方で200万円の出費だ。何処まで収入で挽回できるか。帰って家の掃除。柚子作業で頓挫していたので10日目となる。ボロ家なのでどうしても1週間に一度の清掃は必要だ。夕食を摂っていると息子君がプリンを持って来た。今まで1番 のプリンだと言う。早速食べてみれば、確かに間違いのない、味。牛乳の脂肪が一杯凝縮された味だった。娘の帰省時食べさせてあげよう。夜はマルタアルゲリッチとブロムシュテットのベートーベンP協奏曲1番を録画BDで見る。アルゲリッチのピアノシモを引くテクニックは流石だ。映像を見ているので余計にそれが伝わって来る。他にも先日買ったチャーリー・パーカーや、ザルツブルク音楽祭のCDとかがたくさんの残っていて収拾がつかない状態。その上、カールリヒターのCDが8日に届くと言う。夜もかなり厳密な計画の元過ごさないと、買ったCDが可愛そう。

11月2日(月曜日)
昨日は、応援している柚子農家の部落は神祭で仕事は休みだった。そして昨日一日は何にもする気が起きなかった。疲れの反動かな?。今日は僕の方が金比羅さんの清掃で休みをもらったが、昨晩柚子農家から電話で、明日は雨で仕事はありませんと連絡が来た。結果みんな僕と同じように休みだ。今日は定例の英語を勉強できるぞ。この頭は休むと砂に巻く水のように英語が消えてしまう。常に忘れる量と同じ量を頭に叩き込む必要がある。そしてもう一つ頭の件で問題が起きた。大阪の仕事だ。勿論もう発生しない筈だが、もしあったとしても僕は接客が難しいのではないかと思った。レポートによると演奏する音楽がテレビドラマや最近のJPOPSに偏ってきているのだ。僕の頭が使える音楽はジャズ、クラシック、ロックであり、いわゆるオーディオマニアの好む音楽だ。そしてこちら方面は忘れないように充電していると言うか楽しんでいるが、今更下らんTVを見て、JPOPを覚える意欲はない。コロナで世の中のオーディオマニアが外に出なくなった。NHKは今年ベートーベン生誕250周年で盛んに特集を流しているが、その様な分野に関心のある客はショウルームには来てないらしい。手に刺さった棘が膿んで、観音様の清掃の時、聞けばたぬきの脂が良いと言う。かっぱ市場で売っていると言う。早速駆けつけ購入1500円。その足でプール2km。毎夜背筋の強化を行っていたら、ターンが凄く楽になっていた。その上、バタフライも。だが、バタフライで頑張った分だけ疲れる。夜、息子の職場で魚の販売があって、干物を買ってきてくれた。

11月1日(日曜日)
フランスが燃えている。コロナが変えた世相。宗教と政治がクローズアップされている。だが、問題はそこでなく、やっぱりコロナで仕事を失い、イスラム系の人達が割りを食って失業し、貧困に転落したのが原因ではないか。日本でも昔、凶作に見舞われ米騒動が起きた。人間は何処でも同じ行動を起こすのだろう。僕は安倍政権が10万円のバラマキを行なったのは、そう言う意味も含めての事だったと、今更ながら彼の見識は凄いと思う。日本に来ているベトナム人も貰ったから、騒動抑止となった。イスラム系の人はと、ひとくくりには出来ないが、その人達は往々にして勤勉でない。それ故に貧困に転落するのだ。併せて人を妬む傾向がある。習近平はその事が分かっているから、漢民族の様に勤勉になって真っ当な生活ができる様になりなさいと、北方民族を矯正する。それは正しい、凄く正しいと思う。但し、勤勉になり過ぎると、香港や台湾の様に、行き過ぎだと咎められる。僕の見識では国民一人当たり尾GNPが3万ドルまでが管理できる範囲で、それ以上では1党独裁は難しい。話が逸れたが、コロナの蔓延で、底辺層から仕事が奪われて行くので、世相は一段と混乱を来す。一方で底辺層の致死率は高いので、政治家は、「コロナ一掃機能に期待する」を含めて微妙な経済封鎖のコントロールをすれば良いと心の中では思っているはずだ。それを、「コロナ対策と経済の両立」と呼ぶ。頭の良いマクロンも当然そう思っているだろう。よしんば失敗してもコロナの陰に隠れる事ができる。

10月31日(土曜日)
だいぶ疲れが溜まってきた。昨晩も9時に寝たが3時半に目が覚め、それからうつらうつら。手も腫れて痛む。柚子収穫はまぁ単純な仕事だがそれでも生産性の上がる作業を考えると奥が深い。僕の作業はどう見てもそんなに悪くない。実はこれが問題だと、柚子の棘に刺されながら分かった。僕の器用さが人生を曲げたのではないかと思うのだ。僕は生涯を捧げた「営業職」は絶対に向いているとは思わないのは、小さい頃から分かっていた。エンジニアタイプなのだ。それなのに、1978年に営業として北九州に配属されると嬉々として営業を開始した。始めは使い物にならなかっただろうが、しばらくすると何とかこなせる様になった。満点ではないが、そこそこ。僕はその為に2000年までの営業職から抜けるまで、土日は殆どを仕事に費やした。それで「そこそこが実現」した。だが、今思えばそんな努力はせずに、これは合ってないとキッパリと狼煙をあげるべきだったのだ。与えられたから、そこで努力をするのは間違いだったのではと。2000年から仕事が変わり、僕は生き返った。そして、頑張ったがそれは努力や責任感ではなく、面白かったので止められなかったのだ。だがその時はこんな幸運もあると受け止めただけだった。定年後色々仕事を変えてそしてやっと自分の芯が見えてきた。でも僕の選択が間違っていたとしてももう取り返しがつかない年齢。肯定するしかない。今日は帰宅してからは先祖様のお祭り。息子に代理をお願いしたら引き受けてくれた。酒飲みの仲間の中でどう過ごしたのだろうか。僕は風呂から出て、オペラ「セミラーミゼ」を見た。

10月30日(金曜日)
朝のうちは、切り落とした柚子の葉や棘を全員で拾った。午後は新しい畑。ここは違う柚子の種類でトゲが少ないと言うが、ここで僕は顔から血を流した。柚子の玉(実の事)は、ゆで卵の様にそっと扱わなければならない。それで、荊の中に頭を突っ込むのだが、今回は邪魔な枝を切ってはいけないと言う、次の実の為に。それで顔を切るにだ。1個300円位の価値があると言うこれをそっと包みながら枝から切り取る。この農家さんは4000万円くらいの収入らしい。親類の20歳の前半の若者が勤めていた会社を辞めて、見習いに来ていた。確かに収入からすれば魅力だろう。ちまちまと上司にこき使われて年収200万じゃ割りが合わないと思うのも当然だ。澄んだ空、緑しかない自然の中で、知っている親類で固めた仕事。僕はとても我慢ができないが、この内気な青年はそれが合っているかも。渋谷の何とかと言うレストランは美味いとか、ローマの何処そこのパスタは絶品とかは関係のない世界だろう。わが家の息子君も同じ様な感じ。一緒に来ているおじさん(と言っても僕よりか年下)と昼飯を食べながら話すと、趣味は?と来た。答えにくい。僕のは普通の人とは明らかに違っていて、話すと気取っている様に見られやすい。ゴルフ、麻雀、釣りの回答を期待している人からは失望される。高知で知らない人と話す時は、専らサトウキビ(カンショ)以外は知らないフリ。TVも見ないから、世間知についても疎く、普通の話が続かない。かと言ってそんな趣味に手を出す気はさらさらない。総勢16人位見知らぬ人達の組織だから浮く事だけは避けなければ。その人達の作業を見ていると、殆どの人が僕より遅くて丁寧でないし、柚子の見落としもある。動作に無駄が多いのだ。それにお喋りな人は輪をかけて酷い。

10月29日(木曜日)
今日も仕事。朝、息子に大変だと言うのと、ヘルメットが役立っているお礼を言ったら、何と!仕事を辞めたらと簡単に返された。僕は意地でも契約は守ると言ったが、指が痛くてペットボトルの蓋が開けられない状態だ。昨夜夢で、愛宕さんと若い女の子を連れて、屋根のない赤いスポーツカーで追っかけているのか逃げているのかを見た。何で?愛宕さんが登場するのか不明だが、夕食の後腹こなしに30分だけ「スキン・コレクター」を読んでいる。面白くてあっという間に時間が過ぎるのが怖いほど、そして疲れは忘れる。この小説は殺人をする犯人が人の肌に文字を彫って殺す。それをニューヨークの市警が徹底的にデータ分析し、犯人推理を深読みし追い詰める話。これが多分夢と結びついたのかも。物凄い疲れに対し推理小説がこれ程の活性効果を施すとは知らなんだ。日経新聞の土曜日欄に、名前を思い出せないが、日本の有名企業の経営者がよく読む本は推理小説だと堂々と書いてあった(多分楽天三木谷氏?)。頭の切り替えにはこれしかないと。そんなものかとその時思ったが、いやいや疲労にも効果ありとは意外。柚子の収穫は顔から血を流す人ありで修羅場の様相。16年間も通っている80歳の元農協職員ありで色んな人が混在。

10月28日(水曜日)
今日は遅刻せずに到着。昨日の続きから。そして今日からは、脚立の上専用となった。背の届く下はおばさんたちが作業をする、しかしこのおばさんたちは話しながら作業をしているので、取りこぼしが多く、僕は下の方からてっぺんまでカバーする羽目に。朝から汗をかいた。昼飯にコンロを使って味噌汁。その後コーヒー。伊尾木川を眼下に眺めながらの食事は中々いい風情。焼肉も出来そうだ。柚子のバラ対策は自分の身体を刺す棘はハサミで切り落とす事だった。両側で作業をして行くが、意地の悪いおじさんは、僕の方側を手抜きする。すると、僕は、深く柚子の木の中方面に入り込まなくちゃいけないので、余計棘に刺されるといった具合。痛みは都度発生して、都度消えるが、風呂に入った時は、何処が一番刺されているのかよく分かる。物凄くしみるから。今日も昨日と同じく、帰って風呂焚きと食事。その後お寺さんから電話。豚まんと豚肉のお土産があるので取りに来いとの事。序でに昨日の土砂加地のお供え物も頂いた。くたくたに疲れたが体の調子はすごく良い。安眠直結状態だ。これがつらい仕事の一番の褒美かな。

10月27日(火曜日)
いよいよ仕事始め。新しい職場は決まって遅刻をする。これは1971年松下電器に入社した時からずっと続いている。まぁこれは定例行事だから良しとしよう。さて、柚子農家での柚子の収穫だが、これは大変。男も女もうめき声が絶えない。ちょっとした動きで、予期せぬ方向から、身体に棘が刺さるのだ。首や背中に。正面向かっては、皮の防御よう用具を装着しているが、側面や後面は隙だらけ。しかも柚子は木の奥深くにも実を付けていて、取りこぼしのないように、身体ごと荊の中に身を潜めないといけないのだ。初めての仕事。それでもなんとかなった。主からの注意は実にハサミが当たらないように。柚子の木は4m位あって、下の3cmくらいからてっぺんまで満遍なく身を付けている。黄色く熟れていると取りこぼしはないが、緑のままだと見落とす。それに葉も緑でわんさか茂っているのでら、見つけるのは結構難しいし、脚立を使いっての、のぼり下りだから、大変な作業。時給1000円。燃料代、昼飯代で2000円。差しき引き@5000円。今回はベートーベンのチクルスと、カール・リヒターに消える。帰って風呂を焚いて、食事をして、ボルトンを600語、訳してダウン。多分明日からもこれの繰り返しになるのだろう。

10月26日(月曜日)
宝くじが当たって大金持ちになると不幸せになると誰かが言った。正に中国はここに差し掛かったのでは無いか。今は欧米の非難だけだが、中国が覇権を握ると彼らは黙っていない。欧米人から見るとアジア人は黒人同様「下位」なのだ。ドイツを旅行するとよく分かる。一部の人の目線はハッキリと侮蔑の眼差しなのだ。これが欧米人の根底にある。黒人が差別されるのは、もちろん人種も要素だが、あからさまに貧富の差をまとっているからだが誰も口にしない。それは己を卑しめるから。しかし目は口ほどにものを言うからよく分かる。中国は2030年に経済でアメリカを抜くと言うがあり得ない。四面楚歌の中でどうやって生きていけると言うのだろう。1985年の日米プラザ合意なんかも、根は同じ。これ以上日本人に欧米をかき回されたくないのが根だった。240円から100円になり、民主党の無策で80円になった。サムスンの会長が亡くなったが、サムスンの成功例には、この極度の円高とウオン安があって初めてサムスンの躍進だ。単なる経営センスだけでは無いのだ。「元」だって切り上げされば、たちまち中国は世界の工場ではなくなる。ユダヤの金満家は虎視眈々と隙を伺っている。その深さはアジア人の頭の構造では伺えない深さがある。ヘンデル、モーツァルト、ベートーベンと僅かの期間に交響曲を完成の域まで高めた複雑極まる理論を打ち立てた彼らの祖先たちはとんでもない発想力を持っていた。それが今枯渇したとは思えないのだ。今日は明日からの仕事に控えて、煙突の掃除や墓まりなど身の回りを片付けた。気温が落ちてきて昼間の作業で疲れが少なくなって、夜の音楽が復活した。

10月25日(日曜日)
自分でも危ないなと思いながらもそこから抜け出せない。友人と話していてもっとゆっくりしたらどうかと忠告を受けたが、分刻みのスケジュールに慣れた身としては、それは精神の墜落の様な気がしてどうしても路線を変更できないし、そうしないと満足感が得られない。とにかく座っているときには何かを覚えなけりゃと焦燥し、立っていては、何か目に見える結果が欲しいと思うのだ。サトウキビの師匠もよく言う、これだけ気を張っていたら急に逝くだろうが、性分は変わらんぞ。彼は村の運動場の管理をしていて、大概雨の日でも草刈りをしているほどの頑張り屋だ。年取ってもいつも目が輝いている(船頭さんの唄に…今年60のお爺さん、年を取ってもお船をこぐ時は元気いっぱい♫、1941年当時の60歳をこう表現したが、師匠は78歳だ)僕はこの人とウマが合う。そして生き方を学んでいる。きまさごのサトウキビの奥にも、放置した畑が3枚ある(家の周りにこうして沢山の畑があるのはありがたい事だ、全部活用すればかなりの作物が作れる)。「盗人」と言う草が猛繁殖しているので草を畑1枚分だけ刈った。他に用事があるため。買い物に出かけた。お湯を入れるポットだ。ゆず収穫に行った時、お昼の休憩にお弁当の他にコーヒーやカップ麺がいるだろうと。ところが5000円もする。それならコンロと土瓶を買うと6000円で、どちらが良いか天秤にかけて後者を選択した、ついでに焼肉用の鉄板も買った。結局2倍の出費となったが、山の中で焼肉や、干物を焼くのは乙なものだと思う。さて展開はどうなるやら。帰りスーパーでカップ麺やインスタント味噌汁とか色々買い込んだ。どうも私は山に遠足にゆくのと誤解している節がある。まっ!ついでだから古い毛布も持参することにする。休憩時、腰を伸ばす為。近所からは31日先祖様の案内。息子に話したら、気分が乗れば行くと言ってくれた。前述の様に、僕も急死するタイプだから早く近所に慣れた方が良いと思う。

10月24日(土曜日)
曽我さんから電話、今日は師匠の奥様の母の告別式だと。先々月は曽我さんの奥様の母逝去。我が家に比べて死亡年齢が高い。もう岡村家は誰もいない。帰ったのが午後1時。食事の後、ボルトンの翻訳で朝の続き。最低でも1000語は仕上げないと。6月23日から毎日続けてきたので、なんとなく勘が働くようになったのと、要は、正しい日本語の流れに変換しない事だと気づいた。読みにくくなるが、英語の並び方が頭に入るから。多少違和感があっても英語と日本語の直結の訳にしている。例えば、「私は聞いた。トランプは急いでいる結論を、シリアについて」こんなふうに訳している。日本語だと、少々文章がおかしくても意味は理解できる。英語もこの様な順に書かれている。そうする事で英語の文型が頭に残る。英語は単語を並べるだけの構成だが、並べ方に法則がある。そうしてやっと10%の進捗を見た。それから、きまさごの溝上げに行った。山から滲み出る水がどうもサトウキビの生育に悪さをしている様な気がする。溝を深く掘って、この水がサトウキビに届かない様にしなければと思った次第。その次は風呂の薪作り。風呂の薪は毎日使う分だけノコギリで切って作っていた。が、仕事が始まればそんな時間はないはず。取り敢えずは1ヶ月分の薪を作るのだ。今日はその取っ掛かり。タワーレコードから又魅力的なメール。カール・リヒターのコンプリートアルバムが発売になる。氏はアルヒーフレーベルでバッハの作品が多いのだ。1970年代はそのアルヒーフの盤は輸入版でしか入手できず、テク銀の横山氏が推奨されるが、僕は知識無く銀座の山野楽器で眺めて、いつかは買いたいと夢を育んだものだ。それが目の前にぶら下がった。もう一つはキリル・ペトロンコのベートーベンチクルス。彼はベルリンフィルの常任指揮者に昨年就任しサイモン・ラトルから指揮を引き継いだ。何故、ベルリンフィルはこんな若手を指名したのだろう?の回答がこのアルバムに詰まっている筈。何故ならベルリンフィルにとってベートーベンはフルトベングラーの時代から柱だから。

10月23日(金曜日)
5時前にスッキリと目が覚めた。昨晩は10:30就寝したが朝まで一直線。疲れはない。27日から仕事に出るので、少し準備をした。今まで日中に何気なく行なっていた日常の作業がこれから1ヶ月出来なくなるからだ。先ずは米の精米。米はモミのまま冷蔵庫に保管して、食べる分だけ精米しているから。その足で、海岸で松葉を4袋分かき集めた。松葉は風呂の焚き付け用。たっぷり使うと簡単に火がつく。仕事から帰り着くのが5時過ぎだから、一刻の猶予もなく風呂を焚かねばならない為。石油36リットル購入。低血圧で朝に弱いが朝6時前起床で7時出発しなければならず、朝はエアコンと石油ヒーターのダブルで部屋を暖め身体の動きを良くする為必須。帰って、小屋と蔵のしとみの修繕。これを終えて、柿の収穫。家の周りの柿は豊作だが、粒が小さく味も悪い。ジュース用だ。明日は薪割りだろう。タワーレコードから指名のメール(滅多にこないが)。チャーリーパーカー10枚セットが2500円で入手できる案内。早速クリック。それもあって夜の音楽を再開。ベートーベン弦楽四重奏曲。7番。バレイ・クワルテッット。ステレオサウンド特推のアルバム。次の9番は体力不足で断念。残る体力を振り絞って写真の確認。42PX10でも照明を落とせば何とかなる。写真専用有機ELテレビは少し待った方が良いのかな?

10月22日(木曜日)
この日は農作業は行わず、プールにしようと決めていた。丁度雨が降って来て農作業は出来ず、午後は掃除をして風呂を焚いて出かけた。プールは割と混んでいた。もう少し時間帯を遅らせれば空いて来るが、暗くなる。この心理は皆同じか。翻訳も午前中に1000語仕上げたので、夜は映画を見ると決めていた。所が、色々と映画を再生してもどうもしっくりとこない。もしやと、クラシック番組を再生(DIGA 4W300の4K映像はおうちジャンプができるようになっていた、もちろん2Kだが、いつのまにかファームアップされたのだろう)したらピタット嵌った。自分の心理がどんな位置にあるのか分からない、これは腹が減っているのに何が食べたいのか分からないのと似ている。老人特有の不感症の始まりか?丁度今、「ポール・ベッカー」氏の「オーケストラの歴史」を読んでいる所だ。戦後すぐに亡くなった方で、この本はその前にアメリカで書かれた。ドイツからの亡命人。本来はドイツ語で書きたかったが、これは世界の人に読んでもらおうと英語で書いたと冒頭書いてある。この本は物凄く濃い。それに難しい言葉や表現がないにもかかわらず、濃厚だ。それで、一字一句手元のスマホで表現の裏を取りながら読み進めることとなりなかなかページが進まないが、これほどクラシックについて勉強になる本はかつて無かった。クラシックの真髄に触れる旅をしているようなもので、そんな時にアメリカのドンパチは軽薄すぎて見に纏えなかったのだろう。今はSchumanやSchubertのロマン派の所まで来ている。今年はベートーベン生誕250周年でCDもよく買ったし、よく聴いたし、そして彼の作曲した作品は全部聴いた。そんな事もあって、ベートーベンの項は凄く理解できた。

10月21日(水曜日)
おゆげ様の清掃に行けないから、一人で行って済ませて来た。27日の行事の事。一年に一度。豊作の神様で部落の有志が祝う。僕は何も知らず近所の長老に行事は全て呼んでよと伝えた。親父でさえ参加してなかった業も入って来て、それがこのおゆげ様。参加は自由だが、近所ではない人も来るから、良いのかな。@1000円。食べ物持参。話題は聞くだけで僕の提供はない。ピーマン、ナス、農機具、うなぎやイノシシなどここらで獲れる食べ物。おおよそがこの範疇。ハイレゾやモーツァルトは絶対に出てこない。iPhoneの話題もない。聞くだけ。これはこれで良し。次に「安納芋」を作付けした。この芋は真っ黄色で大変甘い。びっくりした。それで1ヶ月くらい前になるが市場に並んでいたものを買って来て、2cmくらいの輪切りにしてお皿に水を入れてつけておいた。そうすると芽が出て来たので土に植えかえた。ここで成長すれば、次は一気に増やせる。サトウキビの新種もこうして増やしている。次に、小屋のシトミが腐ってこぼれ落ちているので、補修を始めた、足場の悪い所で、落ちればかなりの重症だろうと、梯子を小屋に縛るなど安全を優先したので、一気に進まず、途中で断念。これもこれでよかったのだろう。更に、お友達にカメラの購入を依頼した。先日心臓が痛んだりして、「楽しみは後に」の生き方は間違っているんじゃないか。今を楽しむのが必要だと結論を下したので、ここらでカメラの終止符を打つために購入を決めた。CanonR5と16-500mmまでのレンズ群。LUMIXの50-800mmまでのレンズ群。レンズは全部で6本を注文した。これにより、Nikonは16-200mm、CanonRは前述の16-500mm、CanonFDは16-450mm、LUMIXは2-800mmまで途中まで切れることなくレンズが揃う。勿論中継ぎには、旧レンズもあって逆光耐性は無いが順光だと何とかなる。用途に応じて、行き先に応じて使い分けできる。ご主人が写真の個展を開いている奥様の話を友人から聞いた。「主人は決して高級なカメラを使っているわけでは無いんですよ」。私もそれは十分分かっている。iPhoneだって芸術作品は撮影できるのだ、カメラじゃなくて「腕」。僕のは誰もが納得するような性能のカメラを持っている事。2つのカメラで撮り比べをして、どっちが良いのか比較する事。この2つに喜びを感じて、決して写真の腕を競う領域に踏み込むのでは無いのだ。そしたら、この夜、飛行機が墜落する場面を撮影している夢を見て、やっぱりスクープ写真は撮りたいのだろうと思った(矛盾するが)。

10月20日(火曜日)
そんなの田舎のおっさんだってわかっている。基本は昔から変わらないのだ。AM放送よりもFM放送が音が良いのは当たり前。理由は周波数が高いのだ。4Gよりも5Gが早い転送速度が得られるのは当たり前、周波数が高いのだ。周波数が高いと大きな受信用のアンテナがいる(衛星放送の様に)か、至近距離で受診するしかない。芸西村に5Gのアンテナが5本も6本も設置されて始めて5Gの良さが発揮できる。そんなのあり得ない。あり得ないのに日経新聞は5Gだと映画が数秒でダウンロードできるとまくしたてた。「が」やっと今になって「どうやら」と書き出した。余りにも見識の無さ、消費者視点でない記事、多分それだけの人材が集められなくなったという事だろう。トップクラスの学生が向かう所はIT産業だろうから、落ちこぼれを拾って今のマスコミ産業の人材が構成されていると見るべきだろうと認識を新たにした。DX、デジタルトランスフォーメーションについてもおかしな事を言っている。最近はIoTの言葉が踊らなくなったら、DXになった。データ活用化で生産性の改善の意味だが、これについて、こんなことを言う、「経済活性化の鍵はDXの取り組みだろう、これによって雇用も増える」聞き逃しそうだが、文字にすればハッキリと矛盾が見えてくる。生産性の改善は雇用を減らだけなのだ。トランプさんじゃないが、フェイク情報が飛び交っている。実はこれこそが、裏付けを取らないDXによるものだが、しっかりと本物を見分けよう。本物の情報は水が流れる様に自然だが、フェイクは水が上に流れたりする。

10月19日(月曜日)
朝早く息子は再びやって来て、柚子の収穫の方が良いとチラシをくれた。すぐにでも出かけたかったがアマゾンの品物が届くので待っていたら、不在票が入っていた。今の若者は家に来てもチャイムを押すだけで声もかけない。都会ではそれで良い。しかしここは田舎だ。しかも時間指定してこちらが待っているのをわかっているはず。しかも、電話番号まで記入させられている。なぜ、その場で解決しようとしないのか?彼の原因は「与えられた事しかしない」日本人の特質、自分がなんとかする精神は持ってないのだ。寂しい話。しかもアマゾンは、留守の場合ポストに入れる場合もあると断りのメール文迄付いているのだが。
ま。話を戻すと、安芸市から相当山に入っていった農家に会いに行った。もう定員は締め切ったと言われたが、僕を見て気を取直したらしい。来年も来てくれるかと言われた。まだ仕事はしてないのに。10月26日から行くことになった。靴が問題となって、帰りにワークウエーに寄ったが在庫はなかった。柚子の棘を踏むと大怪我をするので鉄板の中敷が必要らしい。帰って息子に話をして、買って来る様に頼んだ。それで、打ち合わせのため、友人と懇親会。実はこのアルバイトは友人も含めて採用する様に頼んだのだ。久しぶりにお金をもらえる仕事をする。本やレコード代に消えるが、結構むつかしい作業であるようだから楽しみでもある。

10月18日(日曜日)
かねてより尊敬する経営者は「3モリ」いると思っていた。一人は稲盛和夫(京セラ)、一人は永守茂雄(日本電産)、一人は古森重隆(富士フィルム)。この内の一人古森重隆氏の「魂の経営」を読んでいる。随分と昔の2000年初めの頃、カメラの説明会で富士フィルムの社員さんの話を聞き、彼がカメラの事よりも、古森重隆氏の事ばかり話すので、これはなんかあるなぁと直感した。僕たちも事あるごとにその頃上司の事を話題にしていたからだ、その言い草がぴったり一緒だった。その話の中に、「フィルムは捨てない」と社会宣言をした話があって、すごく感動した思い出がある。定年後東京に行く機会があって、浜松町の駅ナカDANでこの書籍を見つけ購入した。しかし次々と変わる仕事とその仕事のハードさは読書の時間をすっかり失わせた。コロナがやってきて、自分の時間100%になって現役の頃、敷いていた僕本来の生活パターンが戻ってきて、積んでおいた本を片っ端から読み始め、やっとこの本に順番が巡って来た。感動と涙の物語で、そこら辺の小説を凌駕しているし、ノンフィクションだ。折しもフジのデジカメを買って、ニコンといい勝負するではないかと失望(ニコンに対して)していたので、ますますフジのカメラがが好きになった。
息子は今日も仕事で、夕刻帰って来た時に会うと、ウチの会社でアルバイトしない?と言われた。生姜の収穫で人手が必要らしい。息子は人事なので、彼の傘下で働くことになるのだ。僕の自尊心は?とは思うが無目的の日々を送り、海外旅行の日々を待つには何かしなければならない。から仕方ないか。

10月17日(土曜日)
その昔、日本橋のオーディオ専門店にサウンド寺下さんがあって、その2階に摩耶さんが責任者でいた。社員さんは今一緒に仕事をしているA氏だ。摩耶さんの風貌はギターリストの高中正義に似ていた。氏に商談に行くと、「おもろいやないけ」とよく口にした。前置きは長いがその「おもろいやないけ」の話、日経新聞の書籍紹介欄に、佐々木味津三の紹介があって、全集も発売されているとのこと。検索すれば、800円から4000円まであって、ページ破れのコメントもある。読むよりは持つのに価値がある(僕のカメラと同じかな)。これをアマゾン電子本で検索すれば、0円から99円までの間で揃えることができる(殆どが0円)。これじゃ古本屋はやっていけませんわ。神保町の街の様な集合地区はともかくとして、地方はやっていけないでしょう。これを「おもろいやないけ」と言わずなんと言いましょう!もう一つ、SEA7000の再修理を檜和田さんにお願いしたら、何と基盤が割れていた、移送中に割れた様だと。しっかりとした30kgもあるアンプだと思っていたが、その実中身はひ弱なシャーシ。これじゃいい音が出るわけないわ。いい音の前に信頼性も問題になる。真相はそれがテクニクスのアンプだった。輸送中のダメージなどは営業の僕にはわかるはずもなく、臆面もなくいいものだと言っていたし、信じていた。これも「おもろいやないけ」だ。そして、これに印鑑屋さんの話が5年後くらいに加わるだろうな。印鑑のことを英語はseal.と書く。シールと聞けばピンとくるのは映画の中でのSEAL(米軍特殊部隊)こちらも特異な存在で、リモートコントロールされたドローンやロボットに置き換わる先行き心細い職業。こちらも、5年後はあやしい、正にハンを押した様に縮小する、「おもろいやないけ」に数えられるだろう。今日は雨で何にもしなかった。PCを叩いて本を読み飯を食っただけ。「面白くもなんともない」1日だった。

10月16日(金曜日)
プリマハム増益。そう言えば僕は最近よくウインナーソーセージを買っていた。たぬきに食わすためだ。プリマハムもウインナーソーセージが好調で決算に反映出来ているとか。僕はウインナーに除草剤を混ぜたり、殺虫剤を混ぜたりしてたぬきにを取ろうとしたがいずれも失敗。こんな薬では効かない。
コロナは色んな所が浮き上がったり、消沈したりする。息子の生姜は結構忙しいらしいが、僕の方のサトウキビは売れ行きが不振だった。今年の出来具合はすこぶるく良いが。そのサトウキビを使ってパン粉でフレントーストを作ると中々良いとためしてガッテンんで放映があった。僕も今朝挑戦した。牛乳が少なくてホットケーキになってしまったがそれでも行ける。近所のおばさんに教えてあげたらピーマンをくれた。

そういえば、昼には曽我さんが来て大きなかぼちゃを置いていった。野菜が豊富でお陰で買い物が千円前後で済ませる。今日の野良仕事は文旦の下草刈り。僕の剪定が良かったのか今年は実が大きい。しかし、実があまり付いてない。未剪定の木もそうだから、剪定によるダメージではない。柿も不作。待っている友人がいるがどうしようもない。映画「アド・アトラス」を観た。地球の電子機器がサージにより大きなダメージが出た。原因は冥王星からの電波だと言う。それを退治にロイ(ブラットピット)が出かける。いま丁度「これが物理学だ/マサチューセッツ工科大学ウォルター ルーウィン 」を読んでいるが、これによると、サージと字幕があるが、X線に変更すべきだろう。そして、冥王星から発信しているそのサージが人造物で地球まで届くシナリオには無理がある。X線は光速の数倍早い速度で何かにぶつかるか、吸収されるような動きでなければ、遠くに飛ばせるような波は発生しづらいと書いてあった。この難しい書籍は、すぐに眠くなるが、当たり前の事象を積み上げて行っているから僕のような物理を專攻してない人間でもなんとなくだが概要が理解できた。

10月15日(木曜日)
アメリカの大統領選挙に隠れて、イスラエルとUAEの提携が雲隠れしている。中国の威力外交も不安だが、どうもこの提携が世界の趨勢の鍵を握りそうな感じがする。アメリカと中国の懸念はアナログだから変化は緩やかだが、イスラエルの件はデジタルだ。一気に世の中を変えてしまうかもしれない。どれだけのお金(UAE)が技術(イスラエル)に流れるのだろう。日本の研究開発資金に匹敵するようだと、日本は先進国の後塵を拝する新興国に落ちぶれるかもしれない。その趨勢を決する事とは全く関係のない僕の朝のルーチンワークは、全く社会や、村の、しいては我が家の収入にも関係のない単なる自己満足の英語研鑽だ。だからいつ筆を置いても全く問題ないから、師匠から釜をあげるから手伝ってくれとメールが届いても問題なかった。ただ、昼飯は遠慮した。昼から歯医者の予約があったから。前歯の上がぐらぐらして歯茎は表面から6mmも支持出来てないとの事。抜いてブリッジの必要があるがもう少し様子見の結論。それからプール。今日は混んでいてまっすぐ泳げない背泳は遠慮のでクロールのみ、2km1時間。現役の時と変化なし。と言うか、現役時は力任せ、今はかなり基本通りの効率良い泳ぎ方なので、実際はだいぶん落ちているのだろう。帰ってヘルシオで肉料理。脂を落としての料理。夕刊を読みながら夕食を食べていたら、ガクンと来て無意識の睡魔。そういえば、今日は終日眠さが抜けなかった。

10月14日(水曜日)
iPhone12の発表があった。私は2017年Xを購入。11は5Gない為待つことにした。12Pro-maxが対象。結局はカメラが良くなっただけなのだが、デジカメと比べると、そこはやっぱり複合機で、制限もある。が、位置情報とか綺麗なディスプレイ付属などは魅力あり。11月末が楽しみだ。西の畑の上段をトラクターで叩いた。かなり草が伸びていたので、2回往復し、草の根を切った。トラクターで叩くと平面度が失われる。そこを鍬で補正し大汗をかいた。ここは年末サトウキビの苗床にする。今ほこっている芋は谷屋敷に移動する。散歩がてら和食のJAまで歩くと、ピーナツを収穫している人に会った。話を聞けばほぼ放置で行けるらしい。これは来年挑戦だ。色々栽培する物が増えて大忙しになるが、無職の私には最適。畑が不足するので、耕作放棄地の整地が必要。耕運機があればもっと広げられる。購入は無理だが今ある古い機械を修理しよう。夕刻草刈りその4を行った。紐を1本だけでなく2本使うと、紐の寿命が伸びた。やはり道具は説明書通りに使うべしと思った。今日の入魂写真1枚は百合。野に咲く山ゆり。ピークは夏だが、我が畑の岸に咲いていた。EOS5Dmk3/70-300mmDOレンズで撮影。昼間の作業の疲れで9時から朦朧状態。

10月13日(火曜日)
今日も晴れ渡った。午前中のルーチンワークを手早く済ませ、11時半高知に向かって出かけた。県展を見る為。驚いたのは、彫像が結構あるのだ。聞く所によると、毎年違う出品作品があるとの事で、15世紀ルネッサンスの彫像の多さにびっくりしてたが、高知のような田舎でも匹敵するくらい作品があるようだ(芸術的出来具合は別として)そしておなじく陶器も。窯元が焼いたんじゃ無いかと思うほどの量。こちらは、僕の目で見ても(眼力がない意味)良いのがあった。写真の部が広い場所を確保している。特選は僕には理解できなかった。又人物の写真は妙にヤラセのような感じがするのが三分の一位あった。見てて、なるほどこういう撮り方もあるのかと思ったが、それ以上のものが無く、何故だろうと?マークが灯る。カメラの性能が良くなっているので、A3サイズでも隅々までクッキリ。カメラ雑誌にあるような、カメラの種類、撮影データと撮影場所が記載されてなく、「只写真のみ見なさいなのだ」。タイトルだけは表現できるが、意味不明のタイトルなどで作品を十分表現できてない。何かしら温もりのような物がない。「顔のない女」の感じ。こちらでよく見かける「空き家」の雰囲気。審査員の顔ぶれを見れば、新風を吹き込んで、このセレモニーを大きくするぞ、的な意気込みは感じられないおじいさんばかりだった。会場もこの建物のどの階で開催されているか案内看板もなく、主催者の意気込みも見えない。?マークの原因はわからないままだった。帰りに有名なコミベーカリーで食パンを買った。行きも帰りも向かい風が強く、自転車で2時間と少しを要した。往復60km。随分と疲れた、全身が綿になった感じ。19時に少しうたた寝をしてからシャワーを浴びた。

10月12日(月曜日)
昨日の心臓の痛みを考えると、老い先短いなと思わざるを得ない。かなり厳格に生活を締め付けて来たが、もう少し緩めてはどうだろうかと反省することしきり。身体負担と健康のバランスが妙に分からない。同世代を基準にすれば厳しするし、もう一回り上の知人の基準では歯車が合わない。昔の自分の60歳ぐらいの時と比べてはどうだろうかなど模索は続く。今日はトラクターのオイル交換に農協へ行き、風呂の屋根をペンキで塗って、煙突掃除、草刈りの3回目。煙突掃除にもかかわらず、風呂の火がなかなか燃え上がらず、夕食の買い物は遅くなった。坂を下ると理恵ちゃんがそこで座り込み田舎談義をしていて、「今から買い物?遅いね」と哀れみの声かけあり。僕も仕事はしてないとは言え、結構縛られているから仕方ないのだ。8時過ぎの夜は睡魔との戦いで、何も計画できないと自覚していて、今日は規律を大いに緩め、映画「地獄のヒーロー」を見た。ベトナム戦争で捕虜になった仲間を、戦後救い出しに行く男の物語で、「怒りのランボー」に似ているが、制作年からすれば、こちらが先。香港やベトナムは、僕が足を踏み入れた時代よりも古く、「燃えよドラゴン」に登場する水上生活者の多い香港だった。映画の進め方や小道具が大雑把で如何にも2流の映画だが、ヒーローの一人勝ちの筋は貫き安心して見られるのが娯楽として良い。次に8Kの録画を4Kにダウンコンバートして、ヨーロッパの風景を撮影したNHKの4K番組「8Kビュー」を見た。次に訪れるであろう国オランダ篇だった。こちらは僕がいつも指摘するカメラを振り回すこともなく、安心して見ていられる。NHKのカメラマンはよくわかっている。インタビューはオランダ語だった。英語は半分程度。ひとり旅で農家を見て回るには厳しいかな?音楽鑑賞は大丈夫だろうが。9時終了就寝。

10月11日(日曜日)
台風一過でキッパリと晴れた。昨日に続き、手持ちカメラの比較2。今度は現役NIKOND850.CANON5Dmk3.20D.LUMIXG90.FUJIXT100.
この中でNIKONが一番色濃く出て、設定ミスだと気がついた。スタンダードが他社ビビットに相当する。色がやや赤黄色寄りはキャノン。キャノンの写りはコンデジから一貫しているのが凄い。LUMIXとFUJIがよく似ていた。それから草刈りの開始。家の周りの草刈りを始めた。紐と歯を使い分けると草は一網打尽。2016年に帰ってから農作業を始めた。草は背の高さを超え、草刈り機で一枚の畑を1日で仕上げることができなかった。今は草がそれほどでもないが、そんなに時間は必要でない。一つは「歯」、新品の歯を使うと面白いように刈れる。以前は、磨耗した歯で力任せに刈っていた。例えば萱は6回位の往復が必要だったのに対し、今は一回だ。もちろんそれ用の筋肉がついて来たこともある。
日暮れが早くなって、4時前に作業を終え
風呂を沸かし、夕食の買い物に出かけた。ここから10km西にある赤岡の街へ。自転車で。久しぶりにいい風に吹かれた。膝を痛め自転車は敬遠していたが、今度は膝を大事にしすぎて階段を登るのや、立ち上がるのに四苦八苦し始めた。体重のかからない膝の筋肉増強のつもりで自転車。ところが心臓がキリキリ痛み始め、この夜はこの痛みで何度も目覚めた。

10月10日(土曜日)
新聞を見れば僕でさえ気がつく突っ込みが多くなっていて、これを老人のやっかみというのだろうか、それとも日経新聞はレベルを落としたのだろうか。「北朝鮮のミサイル運搬車の車輪が9個から11個に増えた」。タイヤは偶数だろう。それともインドのリキシャのように前に1個タイヤがあるのかな?「車軸」と書くべきだろう。ちなみに1個の車軸でどれだけ重量を持たせられるのか記載すれば完璧だろうが。まぁとにかく、新聞やニュースを見る時にはスマホ片手に、事実を確認しながら読まなきゃ真実が見えない時代になった。今日は、手持ちのカメラで家の周りを比較撮影した。コンデジはCANON=S9、LUMIX=XZ1、ミラーレスはSONY=NEX5、LUMIX=GH1、G2.いずれも古い機種ですが、炎天下であって、エンジンの能力や画素の少なさは問題ないだろうと踏んだ。結果CANON=S9はキャノンAWBが優位だが、明るい方向に振った絵。LUMIX=XZ1は初心者用に彩度のキツイ絵柄。SONY=NEX5は青空背景の絵のみ記憶色が強めで他は明るめ。LUMIX=GH1は新緑のような緑の発色が得意だが、枯草のような不得意な緑もあって判断がつかない。LUMIX=G2はやや赤寄りの発色だった。全て解像力はMacの27型モニターで見る限り問題ないレベル。僕的にはLUMIX=XZ1以外は晴天風景には今でも使えるなの印象。その後、サトウキビ畑の草刈りを久しぶりにすると、疲れが酷くて午後8時にはぐったりしてしまった。先日2kmの水泳では久しぶりにちょっと距離が少なかったかな感じを覚えて喜んでいたが、やっぱり老化していたんだと気づいた。

10月9日(金曜日)
本日「ボルトン回顧録」の翻訳が発売された。4ヶ月でプロの手に渡ると翻訳される。僕は未だ10パーセントに満たない。文章ではいきなりコーヘンの名前が登場し、ネットで調べ、これが噂になったポルノ女優の名前か?とか、訳以外の人アメリカ社会の常識を知る必要があるので、時間を要する。それを乗り越えて完成させたのは流石プロだと思う。しかし僕もここまで来て僕も自信がついた。時間をかければ読み終えることが出来ると。1ページに2600単語で500ページ。因みに日本の小説、横山秀夫の「64」は1ページの単語数が500弱で600ページなので、ボルトンの書籍は4倍近い圧倒的な大書なのだ。

WFPにノーベル賞が決まった、しかし僕的にはWFPを評価しないのは、これが為に彼らの国は安心して紛争を継続できるからだ。紛争を起こすような国は、これを契機に自助努力なんか、期待するのがおかしい。シリアのアサドなんかはかなり狡猾だ。紛争の当事者が恐れるのは内紛であり、敵対国ではないはずだろうから、WFPは火に注ぐ油のような存在だ。確かに目の前に飢餓の子供が横たわれば助けてあげたい。それは分かる。でも助けると寄っかかって来る。衣食足りて礼節を知る。足りなければ、礼節など御構い無しだ。(フィリピンで随分と教えてもらいました)日本の被災地でボランティアをするのとは訳が違うのだ。結果WFPが援助した国は今でも紛争が止まない。一方で僕は思うのだが、イエメンなど、いくら味方につけてもどうってことはない国だ。たとえその国が相手陣営に翻ってもどうってことはない筈だ。それなのにイランは支援する。ロシアも支援する。彼らの国はそんなに裕福で無い、それよりももっとお金を使う道があるだろうと思うのだが。不思議だ。

夜は久しぶりにシアターを見る。「ツーム・レーダー」。インディーズ・ジョーンズの亜流です。ハリソン・フォード(男)がアシリア・ヴィキャンデル(女)に変わっただけと言っても過言ではない。ところが、この映画の前に、オペラを観てた関係で、音声設定がステレオのままだった(ドルビーサラウンドではない)。見終わって気がついた。AVマニア失格です。

10月8日(木曜日)
台風接近で雨。Digital Trancefomation(デジタルトランスフォーメーション)デジタル化したデータを活用して、市場のニーズを汲み取り、組織プロセス、文化を変えて競合に対し優位になる、という意味。略語はDX。何処にXの文字を使っているねん?それにデジタル化すれば問題解決のような書きっぷり(日経新聞ですが)第一思うのは、市場のニーズが汲み取れれば世界の企業はなんの苦労もない。苦しんでいるのはそこだ。第一いくらデジタルデータ化しても、読み取る能力がないと無理。今企業が必要としている人材はITでなくて、データから本質を読み取る人だ。なんかはき違えていると思う。例えば、コロナ禍が来る2月から8月までわずかの期間だが、新聞折込のチラシ枚数を毎日数えた人がいる。これにより社会のコロナに対する動きが把握でき、自社の動きを追随できたと言う。これが正にデーターを読む人だ。こんなの日経新聞社は統計したのかな?横文字を使いなんかそれらしく見せる軽率さが有りはしないだろうか。今日は師匠と奥さんとで、砂糖のブロックを崩した。崩して200gの袋詰めにしてふるさと納税に提出する作業。これで2日間ルーチンワークが頓挫した。午後から挽回を図るも、昨日の疲れでたっぷりの昼寝をすれば、ラジオ英会話の受講1日分とボルト補佐官の回顧録を少しだけ、読書は手付かず。一方気になっていた「おうちネットワーク」は完結させた。母屋の2セットのAVシステム(それぞれ離れたところにある)と、離れのAVシステムとが繋がれ、何処でも録画した番組が見られる(システムが古いので4Kは未対応、2020秋のNewDIGAで対応)試しにセミラーデを100インチで見ればもうメトロ気分だった。

10月7日(水曜日)
8時から伝承館の薪を整理するから集合との連絡。製糖組合のメンバーが参集した。でも今では製糖組合でなく、NPO法人の芸西村製糖なのだ。これにより、師匠であるシコウさんが退き、代わりにH氏が代表となった。しかしこれに対して僕は問題を抱えることになったのだ。H氏と馬が合わない。もう自分を殺して我慢することなんぞしなくて良いと思っているから、はて、この先サトウキビを続けることが楽しみなのかどうか不明だ。実際、1800kgの収穫で6万円の収入で経費は11万円発生している、この先40万円の機械を購入しようとしている。パチンコのようなもので、時間とお金をロスするようなものだ。それでも栽培の楽しみはあったが、人間関係の苦しみが増えると相殺される。曽我さんや師匠との付き合いは継続したいが、もう製糖はしたくないのが本音。90才のじっちゃんも参加した、普通は病院で寝ている年齢なのに、僕たちと一緒に作業した。僕が折った金づちの柄も直してくれた(手先の器用さは相変わらず)午後3時まで働き、くたくたで、食事や入浴を手早く終えて、寝る前にメトロポリタン・オペラ「セミラーデ」を見た。余りにも美しい舞台。目を見張るとはこの事。内容は三角関係で際立ったことはないが、複雑な関係で朦朧とした頭では理解できない。美しい大妃「アゼーマ姫」の登場が僕の頭の混乱に拍車をかける。セミラーデを演じるアンジェラ・ミードは世界に冠たる歌手で歌い方は見事。美形ではないが、やはり彼女でなければ、舞台を仕切れないオーラを感じた。

10月6日(火曜日)
今度は屋根のペンキ塗り。資材を置いてある小屋の屋根のトタンが錆び始めている。もう歩くと抜けるほど錆びているので、板を敷いての作業だ。この小屋には風呂用の薪しかないので、風呂で燃やし終えたら、取り壊すつもりだ。だからもう放って置いて良いはずだが、外から見れば朽ちている感じだから、何としてもそれは避けたい。見栄を張ったのです。灼熱の太陽下、汗でメガネが曇った。しゃがんだまま、変な姿勢で塗るから腰も痛む。塗り終えた後、しばらく屋根から降りられなかった。夕食にオーブンで鶏肉に野菜を添えて焼き料理を作ったら、これが当たりで、ものすごく良かった。熱を使うのにガスコンロはいい加減な料理しかできず、管理された電熱の方に良いものが出来ると確信を得た。ボルト補佐官の翻訳は1100語を達成し、1日の出来具合としては最高記録。だが、まだ1ページには程遠い。夜、お寺さんがサトウキビの蜜を取りに来た。20個持って帰った。コロナで、かき氷が中止となって、しかもカッパ市場でかき氷を推進してくれる責任者のかよちゃんが亡くなってイベントが宙に浮いたから、大量の蜜が余ったのだ。

10月5日(月曜日)
時間の流れに拍車がかかり歯止めが効かない、寝ている時間が朝のうたた寝、昼寝、就寝を合わせると9時間以上。目が開いている時間が少な過ぎる。モズは天高く鳴き、山にこだまする。虫の鳴き声はあちこちで家全体を包む。柿は全滅(理由不明)だが葉が赤くなり青空に映える。最高の秋を迎えた。まだ体も動く。何をして過ごそうか?コロナ禍があるから身の回りにある畑以外はあまり行きたくない。そうだ、山口百恵のコンサートをNHKが放映するとあったぞ。多分今後2度とないだろう。こんな時期だから、放映に関して百恵ちゃんも納得したのだろう。だが、4Kレコーダは持ってない。急いで高知のヤマダ電機に走ってDIGA DMR-4W300を購入86,000円。テレビは2Kだが放送が4Kだと、やっぱり綺麗。だが問題発覚。録画したディスクはUB900のプレーヤーで再生出来ず、シアターでは無理なのだ(おうちネットワークでも無理)。又、新レコーダはオーディオ出力がなく、居間ではテレビのARCを使ってCA1000に入力するしかない。前モデルに比べて、高域が伸び、モゾモゾ鳴るAFP800と上手く合う。

10月4日(日曜日)
朝は雨が降っていた。この数日間は晴天の筈だったが、昨日は曇り、本日は雨のち曇りだった。午後は塀の北側、漆喰を塗った反対側の塀を黒土で塗るのです。春日八郎の「お富さん」に「いきな黒塀、御輿の松に、あだな姿のお富さん」と言うのがあって、塀は黒が良いと思う。そこで、土を水で練って、風呂で焚いた炭を網で濾して混ぜ込んだ。真っ黒とは行かないが、土色ではない黒土の壁が出来上がった。途中で太陽が出てきて、大汗をかいた。でもこうして、塀が曲がりなりにも、僕が知っている小さな頃の状態に蘇ったのだ。もう昔のように復刻出来ないところもあるが、出来る限り記憶を頼りに昭和20年代の岡村家に戻すぞ(今ではそれを知っている人は居ないが)。夕刻買い物ついでに「ほろ酔い」の缶酎ハイを買って飲みながら帰ったらすっかり酔ってしまって、8時からしばらく寝てしまった。風呂から上がり、寝る前に大阪赴任前後、2008年のホームページを眺めていたら、その頃気づいてなかった事などが思い出されて恥ずかしいなぁ、なんでそんな事をしたの?などと反省すること然り。文章も誤字が多いなぁ。まぁそれをひっくるめて自分であるのだが。今日はなんだか昔に回帰する日であった。

10月3日(土曜日)
今日は安芸市にある大井製作所にサトウキビの絞り機の詳細を伺いにいった。勿論師匠と曽我さんが一緒だ。中古価格40万円。メンテはいつでも請け負ってくれるとの事。但し、特注品は高くつくとの事だった。昼飯をご一緒して、帰りに寺尾で「つめいろ」を料って貰った。2,600円。帰って、塀に漆喰を塗って完成させた。これで、なんとか来客に恥ずかしくない体裁が整った。壊れかけた塀、窓、錆びたトタンは落ちぶれゆく岡村家の象徴のような気がして、なんとかしなきゃと思っていたのだ。最近、頭の中に修復の構想が浮かんできてやっと実現の運びとなった。明日は後片付けをして、ここは完了としよう。「つめいろ」はモチモチする白身の魚で、黒潮町の天然塩で食べた。美味しかった。ご飯はお寺さんで貰った「赤飯」野菜は昨日買ったエビのむきガラを粉にして野菜と炒めたもの。なかなかうまかった。冷酒をコップに半分程呑み大いに酔っ払って、映画「エンド・オブ・ステイツ」を見た。大統領暗殺役を嵌められた警備員の話。いつもよくある内容で安心して見ていられる。モーガン・フリーマンの大統領役が実に様になっていた。優雅で貴賓があった。彼は一体大統領役を何度引き受けたのだろう?残念ながらネットでの公開はない。

10月2日(金曜日)
ステレオサウンド誌を読んでいる。700万円前後のスピーカー特集では、音数の変化を指摘している。昔と読み方が違うのは、評論家の試聴するディスクの多くはApple Musicで聞けるから、どんな音楽かを知ることができるから、表現が現実味を帯びる。この雑誌で好感を置けるのは山内正氏と和田博己氏の2名。他は上から目線。柳沢功力氏は、もう音はわからないので、メーカーイメージや製品のデザイン、価格の概念で評論をしているようだ。ついでにHiVi誌について書くと、麻倉怜士氏は底が浅く語彙が華美で実体に即してない、藤原陽祐氏は目が悪く映像の表現にバイアスがかかる。この雑誌では山本浩二氏と土方久明氏に信頼がおける。元に戻ると、僕の主張は高価なシステムと庶民のシステムの差は、余り大きな差がなく、僅かな差異を誇張して表現しなければならず、そんな面では評論家は大変である。だから、これを信じて購入するとがっかりするかもしれない。「そんなはずはない」と。しかもデジタル機器は日々進化して、よほど勉強して、体験してないと語れない。評論や解説は若い人に席を譲るしかない分野も出てきた。一方で読者である高級オーディオの顧客は年配者だから、デジタルについて行けず、記事にある新製品を買っても使えないのだ。だから買うものがない。
午後は、壁の修復、瓦を黒のペンキで塗った。古い瓦なので苔が生えているから。次は、本命の壁に漆喰を塗った。2/3ぐらい完成で今日の仕事を終えた。
午後4時。太陽のあるうちにすることがあった。それは、近くの田に白い鷺が来ている。田の水に反射してなかなか絵になるのだ。これをカメラに収める作業があったのだ。帰りにお寺に寄って赤飯を貰った。今週は蟹を貰ったりもして色々あった。夜はステレオサウンド誌で視聴に使った音源をダウンロードして、ステレオで確認する作業ていうか、楽しんだ。

10月1日(木曜日)
きっぱりと晴れ渡った。午前中のボルトン翻訳は45ページまで進んだ。もう余り考え込むことがなくなり、少しは楽になったかな。8月は600語/1日の訳だったが、9月は750語/1日と少し進化があった(少し意識して多くの時間を割り当てたのが大きな理由)。
午後は塀の修復。計画通り、塀にアンカーを打ち込んで、これにベニアを張り、ネジで固定し、このベニアにタッカで網を張り付ける。これは漆喰の食いつきを良くするため。今日の作業はここまで、高知に泳ぎに出かけた。2km1時間10分。最盛期からは10分遅れ。これは速度の低下もあるが、速度の出るクロールから平泳ぎと背泳を750m分変更した為。
夕食の買い物を済ませて帰れば息子も帰ってきて、レミーのお菓子を貰った。このお菓子は会社が提供する生姜を加えたもの。食べると結構いける。
今日は中秋の名月。月は明るく、ISO200、シャッター速度1/640、絞り8だった。明るさをオートにすれば、月が真っ白くなる。月の陰影を出すには上記設定が最適。でも、これを見つけるまでに30分要している。こんな事は簡単に出来なければならない。カメラの使い方を熟知してない証拠。夜の音楽を復活、ザルツブルク音楽祭1960年、シュトラウスの「薔薇の騎士」。CDなので全く歌詞不明だが何となく聴かせるものがある。

9月30日(水曜日)
朝から大雨。夏の梅雨のように、細かな雨が高密度で降る、静かな雨だが、外に出るとがっぽり濡れる。昨日の教えに従って、外での作業は出来ないから本を読んだ。CAPA、カメラ雑誌。キャノンのEOSR5の購入を考えていたが、まだ僕の基準を満たしてないと判明し、注文を躊躇するようになった。9月は9冊の読書だった。高知の友人がやって来て、しばらく滞在。その後、近所の友人が今晩懇親しようとメール。早速風呂を沸かして、肉料理を献立した。今日は時間があったので、安いステーキ肉を味付けして牛乳に漬け込んだら、柔らかな焼き具合に仕上がった。話題はアメリカの大統領選。トランプの品位が疑われると言うが、「ボルトン補佐官の回顧録」を読むと、膨大な情報が上がってくる大統領の選択肢はあれしかなかったと思い、彼の表現方法は兎も角、アメリカは誰が大統領をやっても、あのようにならざるを得ないのかなぁと言った。酔ったので、今晩は映画「オキュパイド」を見た。宇宙から占領されるアクション映画だが、タイトルはひねりが無く内容そのものだった。ツッコミがあまりにも多く書き留められないほど。一つ挙げれば、宇宙人はなぜオーストラリアを選んで占有した?他にも候補地はあるだろうに、それにもしオーストラリアだったら何故アメリカの支援はない?これはオーストラリアの映画だったからの単純な理由からで突っ込みが説明できる視野の狭さがあった。

9月29日(火曜日)
今日も天候が優れない。僕自身も最近妙な癖がついて気分が優れない。その癖は夜9時が来ると無性に眠くなり10時までには寝ている、途中でトイレに起きて寝付けないまま悶々としているのだが、6時を過ぎて気がつくこともある。布団の中で8-9時間過ごしている。そして10時ごろまた睡魔で15-30分位は寝ている。弛んでいるのだろうか?晴れていれば塀の修復やペンキ塗りなど山積する仕事をこなすが、曇天ではどうにも体が動かないのだ。そして動かないと不安になる。「人生これでいいのか、友人は一体何を進化させているのか」その声は大きく僕を苛ませる。こんな事は前もあったはず、どんな方法で切り抜けたのか、ぼんやり考えていると、先ずは、身の回りの掃除と整頓だ。気持ちが落ち着くから。次に出てきた解は、ありふれたようだが忘れていた、「読書だ」。本を読む事が一番心穏やかにする事だった。これしか僕にはないと確信した。早速行動に移す。読みかけのHiVi誌を読み終えた。その月発行の雑誌をその月に読み上げるのは久しぶりだ。先ずはこれで妙に気分が良くなった。それではと言うんで、購入してあった本を次々と切り裂いてスキャンにかけた。新刊をいきなり切り裂くのは躊躇いがあるが、スキャンしないとこの細かな文字は読めないのだ。そして当分の間読んでも枯渇しないほどのスキャンを済ませiPadに格納すると、ものすごく落ち着いた。昨年の同時期に比べて25冊も少ないのが、僕の心を苛ませていたのかと、ようやく原因にもたどり着いた(真実なのかどうか不明だが)

9月28日(月曜日)
再び曇天。塀の修理は一つ目の難題に直面している。凸凹の石垣にどうやって漆喰を塗るかだ。厚塗りすれば可能だが、平面に仕上げるのは難しい。ベニアに土台を貼るのはいいが、それをどう保持するか。イロイロと検討した挙句、先ずはベニアを貼ろう。ベニアは70cm幅に切ってもらおう。そして長いボルトを塀に挿入してベニアを保持しよう。ここまで作業をして、ふと浮かんだのは、ボルトを塀にコーキング剤で止めよう。これはなんとかボルトを固定できた。しかしぐにゃぐにゃしている。それでは、その表面にコンクリートを貼ってその動きを止めようと発展した。これはいいアイディアで、夕刻確認するとボルトはかなり動かなくなっていた。最終の姿は見えてなかったが動きながら考えるのもいいもんだと思った。



9月27日(日曜日)
土日も平日も関係ない日々を送っている。今日は朝から晴れたので、塀の修復を進めようと思っていたら、師匠からの電話。サトウキビの葉を剥ぐ機械が届いたので試運転するから来ないか。早速駆けつける。試運転をする、全く葉が取れない。中を開けてびっくり、葉を取るワイヤーが摩耗して殆どない。予備のワイヤーに取り替えるが、この作業が大変。3時間ほどかかった。途中で休憩、師匠の家でコーヒー。もう上がり込むのは慣れた。奥さんにも慣れた、ずかずかと上がりこめる家庭は余りない。部品の交換は部品の数が少なく、7列のうち中央の3列のみ取り付けて試運転。確かに葉は取れるが、茎の小さいのは折れる。それと、太い茎には傷が入る。とりあえず、部品を全部取り付けてもう一度試運転し購入するかどうかを決める。併せて、徳島の中古はないか当たる事にした。帰って風呂焚き、お寺のお坊さんが、茄子の漬物と猪鍋を持ってきてくれた。今日は夕食の買い物をする時間がなくて、缶詰で済まそうかと思っていた矢先の出来事で助かった。妙に歯車が狂い出して、人との関わりが増えたようだ。それに合わせて今日のスケジュールを明日に伸ばすようになりつつある。従来だと、それはイライラの原因だが、それも妙に鈍感になって、仕方ないで済ませている。先の時間が短い中これで良いのかどうか不明。

9月26日(土曜日)
NHK第二放送「シンプルイングリッシュ」を久しぶりに聴く。優しい英語で構成されている会話や物語だがテキストなしでは完全理解は難しい。僕の英語は読むのが主体。実用性に乏しい。

午前中インド旅行記を書いた。当時でも僕に取っては驚天動地の経験だったが、これは何よりも仲間たちに如何に凄い事が世の中で流れているのか、共有する事よりも、誰にも伝える事ができない自分史として位置付けなんだった。と思いましたね。当たり前のことだが、世界は如何にも広い受け止め方は、僕自身のもので、他の人はそうは思わないかも知れないのだ。今ではもっとそう確信している。もうパワーポイントで100ページ目。多分完成は500ページ位になるはず。

午後は谷屋敷の整地。父はいろんな農業資材をここに捨てている。母も競争するように家庭ゴミを捨てている。他に石や瓦、瓶、何でもありだ。作業中芳美ちゃん、理恵ちゃん、純子ちゃん、英昭くんが話しかけて、結局作業時間は半分程度。でもそれは昨日思ったように「良い事」なのだろう。話すことは不要で、興味を持って聞くだけで良いのだ。風呂を焚く時間が来たので退散した。純子ちゃんは大きな蟹の冷凍をくれた。息子が趣味であちこちから魚を取ってくるらしい。サトウキビは誰も通行人がないのでこのようにはならないが、谷屋敷は平地なので、人目に着くのだ。

9月25日(金曜日)
日曜日も月曜日もない。区切りがあるとすれが、雨か晴れか。この頃の天気予報はハズレが多いので、前日の計画は当てにならない。パッと晴れれば、塀を直すのだが、今日のように曇天では迷う。とりあえず農協に行ってトラクターのオイル交換はどこでできるか確認してきた。そこへ曽我さんが現れた。立派なクリを持ってきてきてくれた。まぁコーヒーでも飲みや、それで5時まで潰れて、風呂沸かし、スーパーへ買い物。何にもしてない1日だった。「定年したんだからそれでも良いのではないか?」そんな掟は僕に許されない。「何か一つでも進捗が必要なのだ」。でも待てよ!こうして友達が来てくれるのは一つの進捗だ。新しい情報があって、その上にクリ迄も。今までの尺度を変更しなければならない時に差し掛かっているのではないか。

風呂から上がって、寝るまでの間、この時間は長くても1時間半。音楽を聞けば寝てしまう、本を開けば寝てしまう。思索は殆ど出来ない事がわかり、今日は書籍のスキャンで2冊取り込んだ。頭が朦朧とするが、手先を動かすのはまだ何とかなる。目が弱くなって本を読むのが難しくなっているから、iPadでの読書なら拡大できるので日常のメガネだけで十分だ。

9月24日(木曜日)
タイのランタン祭りの開催がコロナで危ぶまれている。「塔の上のラプンツェル」にも登場するが、夜空に舞い上がるランタンの灯りは目を奪われるほど綺麗。チェンマイが有名だ。僕も2011年LUMIXの発表会時に参加させて貰った。当時の僕のカメラ「TZ10」では写しきれなかった。しかしランタンは記憶の中に残っている。世界には美しいものがたくさんあって、見たい好奇心が湧く。それには3つのハードルがある。ひとつはCOVID-19、ひとつは英語力(聞く耳)、ひとつは年齢、後5年くらいは大丈夫だがその先は不明、そのうちの2年?はCOVID-19で動けない。さらにリスクは東南海地震。これが来ると、修復に2年間かかるし、英語も止まる。これは余りにも恐ろしく3つのうちにカウントしない。

午後雨で農作業は中止、懸案事項高知一の書店蔦屋書店と、「土佐のさと」へ興味調査に行った。まずは蔦屋書店、高知一との事だが、大阪では街の本屋さんクラス。蔦屋家電と同じで、スターバックスの店内にあちこち本が分散されて置いてあって、探すのが大変。そして案の定、アサヒカメラ、レコード芸術の書籍はなかった。田舎はこんなものさ。そこで「CAPA誌」を買って手動精算機へ、何度試みてもバーコードが読み取れない、そこでレジに並んで店員に言った。自分で試みたが読めなかった。すると店員曰く「なかなか読めないのですよ」バカにしとるんか!ツタヤはどの店に行っても何か違和感があったが、ここでもそうだった。僕と合わない店だと思った。

そしてJAが運営する「とさのさと」。企画した彼らはここが高知であることを忘れている。2019年に発表された県別年収は東京620万円。37位高知は406万円。ここで売っているお菓子やグッズは、東京の所得を前提としたものばかりの感じだ。運営費に30%引かれるとの事だが、都心で売っているのと同じようなケーキがおおよそ400円。見ていると、やっぱりレジが閑散としていた。もう一つの館では農産物の販売があって価格を見たが、例えば今旬の仏手柑3個で120円。昨日スーパーで74円で買っているからやはり高い。ちりめんじゃこは300円を切って、これは安芸市の寺尾よりも安いが、味は比べてない。完成したばかりで話題を呼んでいるが、ここは維持できても後2-3年かな。高知県の人は商売が下手で、ビジネス感覚もなく、大手の進出でやられている。農産物は新鮮で美味いが、上手く市場とむすびつけ結び付けられない。僕たちのサトウキビも同じだ。

9月23日(水曜日)
サトウキビの世話がなくなって少し生き甲斐を失った感がある。家の周りや家の中などやるべきことが山積しているのに、午後からの動きは緩慢で居眠りなどもしていたら、師匠からメールで3時からコーヒータイム。これをきっかけに生き返った。長谷寄に行く途中で峰夫さんとあって、「おまんは、あれほど作ってどうするが?、けんど綺麗に作って偉いねや」と褒めてくれた。この人は前にも書いたことがあるが社務所を作るなど、凄く細かな作業のできる人で、ラジコンの飛行機もすべて手作りだった。この人の言質を得るのは、僕としては凄く自信に繋がる。

そして、柿ノ木でコーヒータイム。師匠に貰った「農林6号」の成長ぶりをiPad Proの写真で見せた。旧来のサトウキビからすれば、少し生育ぶりは負けるが、「黒街道」よりも上だと報告した。台風の後でもこれ程真っ直ぐに立っているサトウキビは見たことがないとの事。倒れて曲がると、下敷きになった部分は栄養が偏るので、品質は落ちると言う。帰りに夜須のミツワに行ってハゲを買った。大きなハゲで煮付け用だ。農業を本格的にやるようになって体の調子が良く、食べ物が美味い。味をつけなくても素材の味がよくわかり食べられる。この頃の農作業は軽いものばかりだが、それでも今までの累積があるのか、結構行ける。

辛い農業作業をなぜこれ程みんながするのか(芸西村はほとんどが農家で、若い人も多い)の回答がここにあるように思う。現役の頃は、休日の運動だけでは健康を保てなかった。医者に行かずとも何となく胃が重かった。師匠に元気を貰って、次回曽我さんの49日明けには食パンパーティを開催する旨伝えた。高知には凄く美味い食パンの店が5軒もある。この食べ比べだ。

9月22日(火曜日)
朝からサトウキビの転倒防止の対策、杭7本の追加。僕の柵は弱い支えでも数が多ければ力を発揮する構造。だから脆弱そうに見えるところがあれば、都度補強するのだ。想定外は、170cmの高さに柵を作ったが、今年は異様に成長し、柵以上が半分を越してしまった。成長しすぎた感がある。

それが終わると、蔵の建屋のシトミのペンキ塗り。食事の後、沖の田を叩く。風呂を沸かして入り、早めの夕食をしようと出かけるものの、途中でおじさんにあって、そこで晩飯を頂くことに。おばさんも不思議な人で、人が来るのを厭わないし(主婦は後片付けが大変で嫌がるものだが)、料理が美味い。お土産におこわを貰った。帰りにお寺さんにあって、お祭り用のおはぎを貰った。息子におこわを半分あげると、ペロリだった。

ビール2本で酔っ払い、酔い冷ましにジョニー・イングリッシュとヤンソンス指揮のベートーベン3番を見た。寝る前に台風情報を見ると、随分と方向が外れて、日本に影響が無くなっていた。一方でNHKニュースは煽る。雨量レーダーは青色なのに、200mmの豪雨と警告。そんなことばかりしていると誰も信用しなくなるぞ。

9月21日(月曜日)
敬老の日。65歳以上の老人を敬う日。もう既にとうに越してしまった。世間では僕は老人。酒を飲む機会が少なくなってどう言う訳か元気になった(覚醒している昼間のうちだけですが)。一人暮らしで80歳半ばまではこの状態が続かないかなと願っている。昼から塀の修復に取り掛かった。コンクリートは石を固定して、塀は頑丈になった。ただでこぼこが多いのでどうやってこの上に漆喰を塗るかが課題。僕の住んでいる小屋の外壁に苔が付着していたので、タオルで拭きとる。

緋桐は赤い花が咲いて黒いアゲハ蝶が来て、まるでスタンダール(赤と黒)だ。ニコンで押さえた。インドの旅行記はEOS20Dを使って撮影した写真が多いが、絞り気味でシャッター速度が遅く被写体ブレが多い。ISO、シャッター速度は都度チェック必要だと気がついたのは最近の事。特に明るさに対し、ISOをどう設定するかがコツ。カメラは難しいき故に興味が高まる。日経NEではスマホが単品カメラを駆逐すると書く。コンデジはそうだが、さて一眼はどうかな。最近の日経の書き手は、出来ることとと現実との境を錯覚しているらしく、現実味に欠ける記事が多くなった。キーマンが抜け落ちたのはいつだったのだろう?日経は女性の幹部登用が少ないので世界から遅れているとも書く。そういう書き方は誤解を生じるだろう。仕事は「性」で行うのではなく、「能力」で行うのだろう。それがたまたま女性であった。男性であった。これがビジネスからの見方だ。ただ単純に女性の役員を、大臣を増やせば良いと言うのでは無いと思うが、日経は数字だけを追う。

iOSが14にバージョンアップ。凄いOSらしいが、僕にはピンとこないあ。台風12号が襲来するニュースが来た。明日は昼から雨らしい。午前中にサトウキビの転倒防止柵の追加と、蔵の屋根ペンキ塗りを済ませてしまおう。もし午後晴れているなら沖の田を叩こう。英語が休みとなるが農業優先だ。

9月20日(日曜日)
さて、日曜日の夜。秋の夜長は何をして過ごそうか。ここは完成した映画館で映画「ダンケルク」を見るのが正しい過ごし方だと直前まで思っていた。夕食どき、見る新聞は無く、開いた本を斜め読みしていた。「池井戸潤氏/下町ロケット2」だ。日本人作家のB旧ドラマは極力見ない、買わない事にしているが、多分父母を亡くした時に買った本だから、少し安堵感が欲しかったのだろう。これは正義の佃製作所と悪魔のサヤマ製作所の戦いで、その間に発注元の日本クラインと帝国重工があって、その中にも、正義と悪魔が存在し2手に分かれての戦いとなる、下町ロケット(靴を作る物語)は1次元の戦いだったが、「2」はこれに、もう一つの悪魔と正義のグループ、一村教授と貴船理事長が人工弁の件で戦い、これにも佃とサヤマが絡み、3つ巴の戦いに発展する2次元の戦いになる。台所で窓を開けたままにしておくと、鈴虫やその他何十種かの虫がサラウンドで聞こえてくる。人工の音は時々稼働する冷蔵庫だけだ。(まぁ、ここは昼間でも同じだけど、昼間は屋根に取り付けた太陽光発電で床下の空気を入れ替える換気扇が回る音が加わるだけ)と言うわけで、読書環境が良かったのか、開いた本から目が離せなくなって、一気読みで深夜まで行ってしまった(映画は中止)。

普通、夜になれば眠くなるのに今日は目が冴えて読み通した。映画を見るよりも充実感があったかな。風呂から上がって、NHKが選りすぐった、マタチッチ指揮N響のブルックナー8番を見る。名演。だがそれも3楽章まで、たちまち睡魔到来でダウン。
今日は、母屋につながる蔵と、駐車場につながる倉庫のトタンを塗り替えた。古い家なので、廃虚だと見られないように。特に小屋は遠くの村役場から見ても、サビが見えたので急務だった。

9月19日(土曜日)
天候が冴えない。サトウキビの世話は当分不要(草の生える勢いはもうなくなったのと、サトウキビが大きく成長し栄養分を吸うため、草が成長しにくくなった)。雨が降りそうでも降らないので、昨日の続きで、塀の修復に取り掛かった。セメント袋10個をコーナンで購入。水で練って、壁に貼り付けた。上手く張り付かないのは腕が悪いせい。流れないように、板で止めて、その上からセメントを流し込んだりもした。この塀は、僕の住む部屋につながる階段で普段は見えないが、階段から見れば、如何にも崩れゆく家そのもので、僕の頭の隅で長年なんとかしなきゃと思っていた。最近その回答が頭の中でイメージできてきて、先ずは塀の上の瓦屋根を修復し、そして壁に取り組むことが出来た。いずれも左官さんを雇うと大金が発生するが、自分の腕を頼むと材料費(多分1万円位)で出来るので、完成度のレベルを問わなかったら、そこそこの見栄えで完成する筈だ。但し左官さんとは工法が違うので、耐久年数に差がある筈。(もっとも大正時代に作った塀の工法を現在の左官さんが採用するとは思えないけど、それは赤土を練って藁を混ぜ、壁に石を混ぜて築き上げる工法)この塀が曲りなりでも完成すれば、昔「丸一」と呼ばれ、ある程度賑やかだった岡村家の風貌が蘇る筈。勿論外観だけで住人は一人だから内容は違っているけど。かと言って昔の岡村家の賑わいを知っている人は居ない。昔の祖母に聞いた話だけがたよりだが。

9月18日(金曜日)
車の自動運転が目前に控えている。その技術を支えるのにイスラエルの企業が多く絡んでいる(モービル・アイなど)。そのイスラエルはUAEと国交を樹立した。世界の視点で見ると、これは日本の首相交代よりも大きなインパクトだ。研究開発の旺盛な国があって資金需要が逼迫、一方でお金が余ってどこに投資すれば良いか、バフェット以上に世界を見渡している国がある。それがこの2つであってもおかしくない。他のアラブ諸国が提携に前向きなのはそう言う背景がある。日本のハイテクがあまり脚光を浴びないのはイスラエルの強さの陰に隠された意味もある筈だ。インテルはイスラエルに研究開発を設立している(確かクァルコムも)。そして何よりも、ホモ・サピエンス種で一番知能が高いとされているのがユダヤ人でアメリカの富はユダヤ人が握っている。クラシック業界でもユダヤ人の名指揮者は多い(バーンスタインなど。まさに鬼に金棒。日本は改革の速度を上げて世界の舞台に再び立って、経済を再建する必要があるでしょうね。

先日から家の塀を直している、瓦が欠けて、壁の漆喰が剥げてみすぼらしくなっている。どこまで出来るか不明だが、挑戦中。雨でセメントが使えず、中断しているがこの連休明けには完成するだろう。

9月17日(木曜日)
菅さんが規制改革をすると言う。デジタル推進も併せてやると言う。今まで歴代の首相が規制改革を叫んできた、民主党も政権を取った時にそう叫んだ。だが、官僚の厚い壁に遮られて実現できなかった。だが、今回は変わりそうだ。と言うのは、デジタル推進も併せている事だ。既に光ファイバー網の日本縦断にプラス200億円を追加して動いていると菅さんは語った。デジタル化は、効率が上がるとされるが、同時に仕事が奪われるのだ。保身に奮闘しても、すっぽりとそのポストが消えてしまう事だってありえるから、官僚たちも今回は前向きに取り組まざるを得ない。そして、頭の良い官僚たちは新たな仕事を見つけるだろう、それがすなわち日本が変わる原動力になるだろう。菅さんは本気だから、詰め寄られると結構逃げ場がないタイプの人だし、今は権力を得た。官僚にとってもちょっと手強い存在となった。聡明な官僚を超える記憶力と話がぶれない強みがある。気象庁じゃないが50年に一度の激甚災害が霞が関を襲うだろう。僕も現役時代に一度だけそんな人が上司になって、凄い体験と直接に的確なアドバイスを貰って眼から鱗だった。これも40年に1度の経験だった。「おもろいやないか」「田舎に居たらあかん」。動けるのはあと少しだけど、「出なあかん」感動は今しか得られんと思いましたね。今出来ることはいっぱい本を読んで見聞を広めることと英語を磨くことだろう。

9月16日(水曜日)
あの聡明なオバマ氏、世界のあらゆる情報が飛び込んでくるアメリカ政府。それでもオバマ氏は中東から身を引く構えを見せたし、トランプも傾向としては同じ方向を向いている(イスラエルとアラブの外交を増やす活動中だが、真意は選挙対策で本意ではない)。世評ではオバマ氏の中東政策の失敗と見ている。だが真相は藪の中、50年後に資料が公表されるまでは。(アメリカの中国叩きは覇権がかかっているので明確だ。)僕は思う。どうやら表の世界と裏の世界があって、地球は回っている。「それ、ほんまでっか」と誰かが言ったが、自分も少しその様な見方をしたらどうかと思う。菅さんは、朝昼晩と会食を重ね、人の話を聞いたと言われるが、その根元には、やっぱり真相追及の好奇心があったのではないかと思う。その考えに至ったのは、ボルトンの翻訳をしているからだ。3ヶ月毎日欠かさず取り組んで37ページ目。余りにも惨めな読書スピード。朝起きだちが一番効率よく、夜になるに従いじわじわと落ちる。それは、さておき、この本は、分単位で細かく状況が明記され、一皮一皮真相が剥けてくる。見えないので中断した事も書かれている。(それは時間が解決したとも書かれている)、それにこちらは訳文が繋がらないので、前後関係を深読みする。そうすると、翻訳本(未発売だが)を読むよりも見えてくるものもある、多分。そして思ったのが冒頭の事だ。僕は意を強くして、これは例え時間がかかるとも、継続に意味があるなぁと。そして、この恩恵は時々レコードのライナーノーツが読める様になった事にある。マイルスのようなかなり通の人による解説文は難しいが、クラシックレコードなんか、多分優しく書いてあるからだろう嬉しい。話を元に戻すと、「ジョーカー」の映画は見るたびに違った見方ができると評論されているが、多分それは深読みのなせる技で、表のストーリーと監督の意図する裏の一部が見えてきたせいだろうと思う。

9月15日(火曜日)
定年後、元務めていたコスモスベリーズから、OB会特典として「カンブリア宮殿」で放映されたDVDが届いた。ヤマダ電機とのコラボで、街の電気屋さんを救済した成功物語である。三浦会長も気負いなく淡々と話していて、なかなかの信頼感を得られる。電気屋さんからかなりの加盟申し込みがあったと聞くが、さもありなん話。僕は今大阪での仕事がなくなり閉職中につき、年末のサトウキビの時期以外で再就職出来ないか探ってみるのもありかな。どうしても仕事をしないと食って行けない事はないし、芸西村にも仕事はあるが、やっぱり華やかな街で仕事をしたい。未だ仙台でのポストは空いたままだと聞いたことがある。以前住んだ仙台での仕事は辛かった。もうこんな仕事は2度とするまいと思ったが、雪の降る寂しい夜道を運転して帰った事や、温泉での宿泊など、東北は北海道とは違った冬の魅力があって悪い記憶が消えた。当面海外は行けないから、その間お金を貯める算用もして備えたらどうかなどと思っても見た。ソニーからフルサイズ世界最小のミラーレスが発売された。その2週間前にはLUMIXから、フルサイズの小型版としてS5が発売された(自社比較では確かに小さいのだが、比較対象の機器が、あまりにもバカでかいと酷評だったので、それと比べてでは意味がない)。S5はS1の下のクラスでビギナー向けだ。ソニーのは上のクラスと同じ性能を持っていてしかも小型版だ。どちらも価格は同じだがどっちが魅力的?。断然ソニーだ。デジカメ事業は厳しい状況にある中で、LUMIX陣営は何故特徴のないカメラを開発したのだろうか?意図が不明。これでますます経営が悪化して事業を畳む事になりはしないか心配だ。それくらい今回のLUMIXは酷くて、ソニーが光りすぎている。

9月14日(月曜日)
「人工知能がよく分かる本/神崎洋治」を読んだ。少し古い2015年の本。先に読んだ本は、人工知能は発達すると、人間の叡智を超えるので、どうするのか考える必要があると書く、この書籍は人命に関するところでは人工知能は開発してはいけないと書く。人間の叡智を超えたところに行き着いたAIは、人命に関する分野だけは省いて発達するだろうか?余りにも安易なまとめ方で終わっている本だ。しかも、アメリカのIBMやグーグルなどと同列にNTTや日本の主なメーカーを扱っていて、常識的に考えても比較するのがおかしい。所詮はやっぱり日本人の視野の狭い作家なんだと思わざるを得ない。事最先端に関する書籍は日本人ではもう表現できないと思っているのだが、何を血迷って買ったのだろう。世界の中の日本は、本等に取るに足りない地位に墜落してしまった。そこに、仕事がしたい人が現れた。菅義偉氏である。記者会見を聞いていて、この人の話はブレない。きっちりと筋の通った話をする。ちょっと普通のレベルで論戦すると、負けてしまうな!と思いましたね。インド人の凄く頭の良い人と話した事があるが(半分ほどの理解です)丁度そんな感じだ。菅氏は各国に人脈がないが、各国首脳は会えば直ぐに見抜く筈だ(アメリカのペンス副大統領もその一人)。「この人とは取引できる」と。今日は裏の大日様の清掃。夜懇親会だったが、清掃のみで終わった。懇親会は来月に持ち越し。浮いた時間は、冒頭に書いた本を読み上げ、谷屋敷の畑の整地を行なった。

9月13日(日曜日)
眠い、どれほど寝ても眠い。かと言って夜寝てないわけじゃない。今朝も起きてから2回ほど昼寝した。ボルトン氏の書籍は578ページ中34ページまで来た。未だ1日1ページは難しい。直訳の他に背景訳もある。政治システムの理解、名前だけの場合、政治家+共和党+名前で検索し、どの時代の人なのか、どんな経歴の人なのか位のデータがなければ文章が繋がらない。午後はきまさごの草刈り。新しい機械は確かによく刈れるが、なにぶん大きくて重い。サトウキビのジャングルの中で自由が効かない。それで、紐の頭の部分のみ交換して臨んだら、何と新しい機械と同じようにバリバリ刈れるではないか。要は、草が刈れるのは紐の部分にポイントがあって、機械じゃなかったのだ。まぁ2台あれば作業が早いので買って後悔はしてないが、問題点の核心を理化してなかったのが残念で仕方ない。昨晩夢で全国の販売会社の代表者が一堂に集まって会議をするのを見た。僕は一人ひとりに挨拶をして回った。勿論昔の若い顔がそこに並んでいた。何でこんな夢を見たのかわからない。1974年の「燃えよドラゴン」を昨晩見て、小田急ショウルーム時代の事を思い出していたのかも知れない。今日は昔ついでにNEX5(ソニーのミラーレス)、EOS20Dを持ち出して、サトウキビや波板の錆びたトタン、家の庭に咲くヒキリの蜜を吸いに来るアゲハを撮影した。蝶は動くのでミラーレスはピントが追えないものの、他のシーンは明るい事も手伝って立派な写真に収まった。狸がきまさごに行く道の真ん中に糞をするようになって、毎日掃除に行っている。頭に来ている。取り敢えずネズミ退治の餌を与えた。

9月12日(土曜日)
おじさんの家の畑に花の植栽を行う。近所の人や知人らが集まって朝6時から行った。あっという間に終わって、夕刻6時から懇親会。その間家に帰って本を読み翻訳昼寝を行い、草刈りをした。雨でぬかるんでいるので、上から下まで泥だらけとなる。今度の機械はよく刈れるが、泥もよく跳ねるのだ。それから懇親会に向かった。もうおじさんの域を越してしまったのか、僕の頭で混乱が起きた。いとこの娘2人が区別つかないのだ。間違って呼んだりしてはいけないので控えていた。それにも増して、近所の娘2人が加わっている。この娘もよく似ているが、聞けば双子。これもさっぱり。つまり、今夕は4人の娘について混乱を来したのだ。そして彼女らの子供が宴会の周りで運動会を行った。全部で6名。昔々の昭和の時代、土佐お客はこんな感じだったが、正に今それが目の前で行われている。おじさん達は只々元気をもらうだけ。TVでパブリカが始まると、母も子供も踊った。もう僕の世界とは無縁の出来事。気象レーダーを見ながら、大雨の来る直前に帰宅した。酒にも弱くなって、ビール2缶がせいぜいだった。久しぶりの酒なのに感動が消えていた。もう僕の世界に酒は必要ないかも知れない。

9月11日(金曜日)
天気予報は雨。だが起きると太陽が出ている。これはチャンスとばかり、朝から草刈り。新しく買った草刈りは馬力が違う。エンジンはわずか7cc増えただけなのに。紐で草がバリバリ刈れる。面白いほど。今までは円盤のチップ鋸でやっていた。石のあるところは深く刈れなかったし、どうしても石を跳ねるので気が休まらない。その機械で紐を使うと、草をただ撫でるだけ。ところが今度の機械は、歯のついた鋸のように紐で刈れる。あっという間に家の周りを刈り込んだ。14日近所のお百姓さんが集まって僕の家の裏にある大日様を清掃する。そのときに、家の前の畑の管理を見られるから、意地でも手入れが行き届いているように見せる必要があるのだ。10時に終えると雨が来た。風呂に入って昼飯を食べてプールに行った。次回は1週間の休みがあって50mプールは終了となる。帰って風呂を焚き夕食。午後7時に終え、8時に睡魔襲撃で就寝。

9月10日(木曜日)
書籍の読破が去年より遅れているのに気がつき、少なくとも1日50ページは読もうと誓ったら、たちまち音楽を聴く時間がなくなった。駐車場の扉の修復は結構大袈裟で、レールを敷くセメントを壊して、新たにコンクリートを流し込む大掛かりなもの。僕は多分コンクリートは余るだろうから、それをもらい、風呂場周りの水路の修復ができるだろうと踏んでいたら、正にその通りで、大きなバケツ4杯くらい貰った。コンクリートはミキサー車が運んでくる本格的なもので、混ぜ具合はプロ。粘度も適度で当たり前だがムラがない。たちまち、水路の修復はできたが、表面は石が飛び出しガタガタ。一方駐車場の方は鏡のように滑らか。同じ材料でどうしてこの差が出る?左官に聞いた。長年のノウハウですよ。彼らは40年以上。僕は30分。だがよくよく観察すると、彼らの方は層が厚く、塗る前に流し込んだコンクリートを混ぜている。これで石が沈みセメントが上に来るのだろうと推測した。一昨日曽我さんのサトウキビ畑で台風一過の惨状を見て、ちょっとやばいと思ったので、支えの竹を切ってサトウキビ畑に運び込んであげた。倒れたサトウキビを起こし、少しでも真っ直ぐに矯正するのだ。ただ、倒れたサトウキビはもう自身で起き上がろうとしていて、90度の角度で曲がってしまっている。少し時間を置き過ぎたのだ。かくなる上は、これ以上風で動かないように、ガードを施すのみだと言う。台風の前にこれをしておけば?手伝うよ言ったのだが。その時は、杭を打つのが大変で汗だくになるのがきついと言っていた。今はもっと大変な作業が残されている。それも未来は決して明るくないまがったままのサトウキビができる。

9月9日(水曜日)
書籍、人工知能/ジェイムス・バラットを読んでいる正にその最中に、米軍のリーダーたち、そして対戦に人工頭脳のAlphaDogfightとのコンテストが開催され、ベテランF16パイロットとAIでコントロールされたF16が仮想空間上で戦い、5-0で人間のパイロットが負けたとFilipboardでこの日報道された。この書籍はAIが人類を殺しつくしてしまう危険を訴えた内容で、知能爆発が起こると人類が絶滅すると書く。私たちの使っているスマホは2000年当時のスーパーコンピュータに匹敵し、技術進化が直線でなく急カーブを描いて上昇している。18ヶ月に性能が2倍となるムーアの法則を上回るのを前提としている。コンピュータが自分で考えるようになると、計算速度は圧倒的に速いものだから、人間が制御できなくなる。どうやら、人間の絶滅は、核戦争ではなく、増してや環境汚染でもない。コンピュータが牛耳って人類を絶滅させてしまう。ターミネーターは映画の世界ではなく、現実に起き得るんだと。ではそんなもの作らなければ良い。だが、これは軍事開発の一環であり、研究しなければやられてしまう。核と同じように協定を結べば良いではないか?そうはいかない。ハッカーがウイルスをばら撒くように、いずれ軍以外にも地下に潜った人にも普及する。いや、そうなる前に、人間がこれを抑えきれなくなる。ざっとこのような絵空事が延々と書かれているが、どうやらSFの世界でもないようだ。

9月8日(火曜日)
今日は大阪淀川区の中学生が修学旅行に高知を訪れて、色々と体験をする。そのうちの一つに芸西村でサトウキビで砂糖を精製すると言う。僕らは7時半に出かけて待機し、体験をお手伝いした。見ていると、大雑把な人や慎重に火加減を調整する生徒がいる。問題は先生だ、この体験会で何にもリーシップを果たしてない。みんなの前で、「よろしくお願いします」の掛け声をかけるとか、体験中何か問題はないか?あれば係の人に手をあげて聞くようにとかも言わず、帰るときには、挨拶もせず帰った。これじゃ生徒も育たないわなぁ。先生も生徒から信頼とか、人生の手本とか言われることはないわないわなぁ。先生達は50歳前後で人生をかけて働く時なのに感動のない仕事ぶりをしていた。昭和の人の生き方と今とは違うとは言え、この年齢(時)、世界を舞台に戦っている人がどこの国でもいる。彼らの主張はうんざりするほどあって希望に輝いている。実際に見てきたし、テレビでも放映されている。あの燃えるような時をくぐり抜けたいと思わないのか?と僕は先生たちを見て、失望と言うよりかかわいそうだなと思った。その後3人で昼食会。70歳すぎると思っていたこと(作業)が出来なくなるのをひしひしと感じるぞ。と言われた。今の時期まだ2時頃は作業をする気になれない、前は昼飯時1時間も休憩すれば何のことはなかったのだが。僕は未だそんなことはないが、8時が来ると眠くなり朝6時まで寝てしまい、1日が短くなって、覚醒している時間は14時間くらいの影響だ。

9月7日(月曜日)
嘘つき少年。東日本大震災の時も、前日の10日には津波警報で何事もなく、3月11日の津波警報でも避難しなかったのが災いした。今度の台風気象庁は被害がこれだけで治まったから良かったのではなく、予想がなぜ外れたのか猛反省をし、公表してお詫びする事だろう。そうしたら、次回も国民は素直に聞くだろう。マスコミは空振りでも危険度を連発する方が良いといいほうだいの無責任。我が家の被害は想定内と想定外がある。想定内は、サトウキビが倒れないように柵をしているがそこからはみ出したサトウキビは全部倒れた。想定外は、駐車場のドアが壊れた。僕はてっきり台風だと思っていたら、息子が車をぶつけて壊したのだった。レールが歪み、コンクリートを打ち直す手間があって20万円くらい出費が嵩む。なかなかうまくゆかない。昼から、その倒れたサトウキビを抱き抱えて、柵に結えた。柵に荷重がかかりそうな部分は柵を補強した。作業中にいくつか補強を追加する部分が見つかった。次回の台風時に追加しよう。今日はゆっくりとしたので本を読む時間が取れた。食卓でAIの本、書斎で日経NE「空飛ぶ車」の本。いずれも熾烈を極める競争下にあるが、日本は蚊帳の外。周回遅れ。似たような話でコロナワクチンも同様。安倍さんは外国のワクチンを手当てした。厚生労働省はきちんと認証されたものでないと危ないとヤジ。安倍さんはたとへ、よその国のワクチンでも、障害には国が保障すると嫌味の政策。厚生労働省はメンツ丸潰れ。こちらの最先端も周回遅れ。研究でもデータは海外の臨床試験を使う。日本はデータに統一性がなく使用に耐えない。マネジメントとは、昔は「俺についてこい」という面倒見の良い人だった。現在のマネジメントは人格よりも、将来設計図が描ける人が求められる。それをジョブ理論と呼ぶ本が出ている。

9月6日(日曜日)
未だ雨も風も来ない。取り敢えず海を見に行き写真を撮影。帰って掃除。いずれ雨が来るだろう、雨の日には掃除をしておくと気持ちが落ち着くのでいつもより丁寧に行った。友人から、波を見ながら一杯やろうとメール。ビールとお酒を持ち出し出かけた。遠くに白波の立つ波頭が見える。これがやってくれば、大きな波となる。だが一つ手前の波は、(もう一つ手前の波が小さくて)意外と大きくなったりすると、本命の白波の立った波は、その波が引き帰す水量で打ち消され弱くなってしまう。本当に大きな波は、3つ手前から小さな波が続くと、本領を発揮して大きくなる。波にさらわれる人達は大体がこれにやられる。2時間も波を見ながらお酒を飲んだ。中々飽きさせないものがある。帰って東京ジャズを100インチのシアターで見る。今回は居眠りながら見たが1時間以上も見たので、アンプが温まり素晴らしい音になった。これで我が家の音響システムは全て最低30分かけないといい音で鳴ってくれないのが分かった。寝る前に今度は小型のAVでLD、ワンナイトブルーノを見た。カメラマンが下手くそで、見ていられない映像。TVを切って音だけ、それでも聞かせる演奏。久しぶりにミシェル・ペトルチアーニを聞いた。時折TVを点けて映像でも確認した。かなり抑制の効いた演奏。台風10号は大した影響もなく、寝てしまった。

9月5日(土曜日)
誰も避難なんかしやしない。気象庁発表の台風10号関係のニュースの事。大雨暴風最大限の注意を。早めの避難を。とは言うものの、雨の予想図に赤や紫色の降雨がなく、あっても短時間で長続きしない、それじゃ大雨になりようがない。梅雨時の被害の出たレーダーとくらべると一目瞭然だ。これじゃ素人判断で大丈夫と思わざるを得ない。気象庁も狼少年にならないように、注意喚起には慎重を期すべしだろう。彼らは最大限のリスクを表現するが、それは彼らの立場。僕たち住民は、本当にそうなのかな、いっても無駄足にならないのか面倒さを重視する。今日は一日中雨予想だったが快晴で、洗濯。障子を張り替え、屋根の瓦の端をボンドで塗った。左官さんに頼むと10倍の価格と即応性欠ける。今日の総費用は3500円。夕刻、汗を流した後、波を見に行った。結構人出があって、見知らぬ一人に話しかけられた。その人は、友人から台風は遠いが波がすごいので是非見に行くように示唆されたと言っていた。高知の人はみんな波が好きだ。大雨が降ると田畑の見回りをするのは当然の習わしだ。大雨時じゃないと水の挙動が分からないからだ。夜は友人に手紙を書いた。いつもCDを送ってくれる。僕も、夜の虫、波の音、ツクツクボウシをPCM16ビットで録音し、CD化して返信した。結構手間がかかった。

9月4日(金曜日)
香典を託けに師匠の家訪問。コーヒーに呼ばれて、そのまま昼食もいただき、おまけにパイナップルの大きな玉を貰った。これは珍しい、仏壇にお供えした。帰って谷屋敷の畑の整地。父の資材散々は慣れてはいるが酷いもの。ホンの数時間でゴミ袋3個、金属鉄屑1個。その他始末しなければならないブリキのパイプ軽トラック1台分、ポリのパイプ数本を掘り出した。台風9号なのか10号なのか不明の雨がやってきてこの日の作業を終えた。鍬を使っての作業はキツく、肩で息をする重労働。その割に、腹が減らず夕食も半分残す。食が細っている。その為か体重も落ちている。しかも多く食べてないので朝方は腹が減っている、要は腹持ちがしなくなっていると言うこと。今日は1時間早めに終えて、ハイレゾ整理を行うも朦朧としてきて何をしているのか分からなくなった。どう言う訳か夜この部屋に入り1時間も経つと、時間に関係なく大きな睡魔に襲われるようになった。初めの頃は疲れで眠くなっているのだろうと思っていたが、最近は条件反射でこの状態。お酒も飲まず酩酊しているのだ。

9月3日(木曜日)
新聞を読んでいると、厚生労働省の機能不全が目立ちますね。個々の事情ばかりを言いつらね、全体最適に目がいってない。大臣は彼らのマネジメントよりも、彼らの臣下に準じているようだ。当分彼らは言い分を通し続け、世界から遅れる事だろう。「疫病」と言う書籍が売れているので早速電子本で買った。14章の中国について書かれた所を読むと、正にマネジメントがしっかりとできている、感がします。その反面個人が蔑ろにされるが、病気で死ぬよりはいいだろうと国民は見ているとの事。午後は歯の定期検診、前歯1本がダメで入れ歯かインプラントかの選択。結構慎重に歯には接して来たが、とうとう来たかって感じ。その後プール。バタフライ25mで息ができなくなり、平泳ぎで50mをゆっくり泳ぎ回復し、再びバタフライ25m。これを4回繰り返すと、本当に息が出来なくなってプールの水を相当飲んだ。かつてはレクサス並みの排気量があったが縮んだと言う事。コロナにもやられやすくなっているのだろう。しのび寄る年には勝てない。帰る途中で非常食と水購入。何もなければ良いが、あると困るのが食べ物と風呂。風呂は、川の水をホースで引き込めば何とかなるが、食べ物はどうにもならない。調理の火はプロパンガスだから停電とは関係ない。米は明日精米しておこう。野菜も根物を中心に買っておこう。瓦のボンド止めはできるところまでやろう。師匠から電話で、そがさんの義母死去との事。明日お供えを届けることにした。夜の音楽はしばらく休憩して、ハイレゾ整理に回す事にした。160曲程がPCMとしてタイトルのみ分かる状態。曲ごとに分割し、アートワークを付加し、flacに変換する作業。1日に2アルバム程度の進捗。読書は昨年比で25冊の遅れ、大阪への移動時間6時間×3回=18時間(一月あたり)これが6ヶ月続き総計108時間(=読書タイムが減っている)。昨年は主に今まで購入し読んでなかった雑誌を集中して読んだので、1冊4時間もあれば事足りる。読書の遅れは実につじつまが合う。

9月2日(水曜日)
パリ協定の見直しをするまでもなく、地球温暖化は待ったなしだ。台風9号の勢力が異様に強いのもこのせいだろう。ところが、この温暖化は良いこともある。従来台風銀座と呼ばれたのは高知県。僕の小さい頃はよく来た。雨戸を閉めて家族が家にいたことが何度もある。それが、90年代以降台風が滅多に高知へ来なくなった。もっぱら九州だ。それで、父が建てたビニールハウスも健気に今でも使えている。もう40年近くになるはずだ。今のビニールハウスは10cm四角ほどの骨材を使って、風速50mに耐えられる。我がビニールハウスは直径2cmのパイプで組み上げている。脆弱さは明らかだ。台風10号も来ると決まった。今まで通りに西に行ってくれれば問題ないが、近年来てないからと気まぐれを起こしてもらっては困るのだが。午後、泌尿器科診察。尿に混ざる血は止まったとの事。帰って薪木を伝承館へ。谷屋敷の畑に芋を植える準備をしているが、父が捨てた廃材の後始末をしなければならない。我が持ち全ての田畑に廃材を捨てたのが父の遺産だ。昔の人は惜しくて中々捨てられなかったと言うが、父はそうでなく後始末をしなかった人だと思う。それだけ余分な土地があったからもあるが。今日はビニールパイプを回収。これは強風で飛ぶかも知れんから。夜の音楽は友人から送っていただいた、クイード・カンテッリ/ベートーベン7番。現在の指揮者のように枠にはまってない。1956年の録音だが非常にダイナミックレンジが広い(広いように聞こえる)名演だ。ちゃんとしたCDプレーヤーで聞けばもっと感動があるに違いない。CDプレーヤーはソニーのBDプレーヤー(約2万円くらいシンガポールで買ったPAL映像も見られる)をHDMIケーブルでヤマハのAVアンプにデジタル伝送している。SACD/CDプレーヤーは買い換えの時期に来ている。

9月1日(火曜日)
どこかに出かけたいが何処にも行ってはいけない。日本にはコロナ対策はない(中国は対策をすでに実施中、それは血小板を活用する方法、それ以外は5種の薬を使用せよと明確な指示書がある)。終息気味だとか言うが、それは運でしかない。解決方法がいまだにないから動けない。僕の8月の家計は前年同月比84%だった。残された時間が決められている中、動けないのは大きな損失だ。でも後ろ向きな発想ではますます人生の楽しみを奪われる。今しかできないで楽しむ事だと思う。出かけられないなら、出かけた写真を整理しようと旅行記を書いた。近年は終えたから、2008年のシンガポールに遡って書き始め、11月のマレーシアを執筆中。写真から色々思い出すのが不思議だ。2つ目はリフォーム。先ずは屋根だが、危険な暑さで延期、室内に移り襖、障子紙と来たから、来週から、壁に挑戦しようと思っている。母の元寝ていた部屋も朝日のあたるいい部屋だが、今は物置だ。ここは手を入れると立派なオーディオルームになる。小学生の頃はここが僕の勉強部屋だったこともある(その後玄関横に移った)。その玄関脇の部屋も、床を直せばいい読書ルームとなる。ここも太陽が当たり、冬は午後3時まで暖かい。未だに手をつけてないのが蔵の2階。ネズミの巣窟だが、直せば眺めの良い部屋となる。古い家なので勝手に改装し放題。又、先日LPレコード用にロッカーを入手したので、デジタル化したのはここに保管と言うか移動させれば地震に対して安全だ。そうこうして1年後、辛抱しきった後、出かけられれば感動もひとしおだろう。

8月31日(月曜日)
朝6時、村の時報まで寝てしまった。昨日は疲れていたから。今日はとうとうポールマッカートニーを読み終えた。久しぶりにポールの生き方に夢を貰った著書だったし、長編だった。次の書籍はAI(人工知能)について。午前中部屋にいて、午後からフスマの張り替え。AVルームが段々と仕上がって行くので、汗だくで記念に少しだけ「ジョーカー」を見た。評判の高い映画だけど、主人公のホアキン・フェニックスが僕にはルックスがカッコ良く思えない俳優で、及第点をあげられない。でも、映像の仕上がりや低域の凄さなど異様な世界に包み込まれるのはさすが。映画と言うの、門真の松明寮の娯楽室で見た「太陽がいっぱい」が原点で、クールが基本と焼き付いた。18歳の時である。午後3時から裏山の溝にたまった落ち葉、山道に散乱した落ち葉などを箒で履いた。これが雨で鉄砲水化すれば、我が家の駐車場の排水に影響が出るのだ。サトウキビ畑の溝に生えた草を刈った。残りは1枚だけ。農協に行って草刈機を1台注文した。馬力の一番強いタイプだ。紐で草が刈れるタイプ(今のは2cmの草用で、毎週使用するには良いが、一ヶ月ぶりの草には通用しない)。夕刻、怪我をした近所の「ひろのり氏」の奥さんにお見舞いを届けに行った。帰りに、近所のおばさんに会って挨拶したら、どうも勤め人が退職して百姓をすると、時間単位で行動するような気がしている。時間でなく、体感で仕事をしないとあの人のように、身体を壊すぞねと忠告してくれた。非常に明確なアドバイス。しかも、僕やひろのり氏の事をよく見ている。恐ろしい眼力。夜の音楽は、グレングードル。バッハでなく、ベートーベンの曲。バッハ以外にも説得力のある演奏をするのだと感心した。

8月30日(日曜日)
この近くには純子ちゃんや理恵ちゃんなど中学生の同級生が住んでいて、昔からあんまり仲は悪くなかった。そして世間知に疎い私にここでの生き方を教えてくれている。今日も買い物帰りに純子ちゃんに捕まって、旦那さんも出てきて、この近所の事を克明に教えてくれた。そして、我が畑にサトウキビを植える計画を理恵ちゃんに話しておいたが(理恵ちゃんがその畑の一部を駐車場として貸してと来たから僕の計画を話したいきさつがある)、もう純子ちゃんの知るところとなり、手間や草刈りについて教えてくれた。園芸組合でのアルバイトや、集落活動についてお勧めなどもあった。蚊に噛まれながらの立ち話で辛かったが、しばらく聞くことにした。ここらでは猫の子が生まれても広く伝わるから、結構大変だ。幸いに私の家は山手の一軒家で家の周りに職場である農地があるから、下界と切り離された生き方ができる為、少しだけ煩わせられにくい。今日はふすまと障子を張り替え、台風のためにサトウキビが倒れないように補強を追加した。明日、食料の買い出し。山の水路の清掃で鉄砲水の対策を行えば、取り敢えずは備えが完了する。夜の音楽はショパンピアノ協奏曲/美人ピアニスト;グリーモの演奏(昔はアルゲリッチだったが、今はグリーモに席を譲る)CDからリッピングをDENON 2500NEで聞く。アンプを交換したので音の鮮度が落ち深い感動は訪れてくれないが、定位は良い。

8月29日(土曜日)
そがさんからの呼び出しで喫茶店に行くと、清算はいつも師匠だ。僕は申し訳ないと常々思っていたので、昨晩そがさんと話し合って、朝から師匠のカンショ畑の草刈りを行うことにした。師匠は、村の公園の管理も行っていて、近々の行事の為、忙しくて自分の畑の管理に手が回らないからだ。それにこの暑さでは、日中はなかなか仕事が捗らずかなり焦っている事だろう。僕が歯のついた円盤で粗の草を刈り、その後をそがさんが紐のついた草刈りで仕上げを行うのだ。7時~10時まで。へとへとに疲れた。帰って風呂に入り、少し眠った。汗をかいて目覚めると室温が32度を少し越していた。晴れて風がある限り冷房は使わないが今日は少し暑すぎたようだ。昼からも妙に疲れてダラダラと過ごした。朝の作業は靴の中に水が溜まりジュクジュクと音を立てていたのだ。勿論水は汗のこと。こんなのは久しぶりだった。疲れるには理由がある。部屋の掃除。息子が帰ってきたので、アンプの入れ替え。オンキョーのパワアンプM9に変更。研ぎ澄まされた音の広がりは無くなったが、ボーカルが中央に定位するようになった。SEA7000はゲインか位相に問題があるかも知れない。今月の読書は4冊で、昨年の半分だが、ステレオサウンドとポールマッカートニーの合計1100ページがあり、こんなもんかなと思った。

8月28日(金曜日)
ポールマッカートニーを綴った書籍The Life/フィリップ・ノーマン氏。700ページに及ぶ2段書きで、字が小さく、老眼は感じないさすがの僕も、ハズキのお世話にならないとこの本は読めない。ほぼビートルズに関する事、ウイングスに関する事を網羅している。ポールに対する多少のヨイショはあるものの、主題に並走する形で世の中の世相、特にイギリスの政治経済についても触れて、てんこ盛りの幕内弁当である。しかも、非常に読みやすい。訳を3名が請け負っているが、これが功を奏したと思う。自分もボルトンの訳を行っているが、読める文章にはならない。意味がわかってもそのニュアンスを上手く日本語で表現できないからだ。だから英語のスペシャリストが知恵を出し合い文章を綴ったのは正解だ。例えば、沢山のアーティストが掲載されているが、たぶん原書では、名前のみの表現もあるはずだが、訳文は全てフルネームで表示され、どんなグループで活動してたのかも克明だ。この辺りに手抜きがないのでこの厚い本も結構飽きなく読める。そしてもう直ぐ読み終える。今の章ではポールマッカートニーも62歳になった(実際は僕より10歳上なので78歳)。本の終盤が近くなるに従い、彼の周りの大切な人たちを失ってゆく不幸がドンドン増えてくる。それは誰もが経験する事だから仕方ないが、前半から中盤に至るまで、輝いていた時代があっただけに、だんだんと暗くなるのが読み手にとっても辛い。今日は空気が澄んで光線も強い。久しぶりに写真撮影日。五台山にある県立牧野植物園を訪れた。カメラはニコン850Dに100mmマクロ。キャノン5Dにタムロン180mmマクロ+NDフィルター付き。ISOオートでシャッター速度、しぼりを固定して撮影したが、屋外の明るさにはISO自動が範疇を超えてしまい失敗作品の羅列ができた。やっぱり、1枚1枚設定して撮影するしかないと教訓。シンガポールで撮影した名前不明の「蘭」は、ここの図書館にある図鑑で調べられる事が判明した。蘭の図鑑は8冊もあったが。

8月27日(木曜日)
朝一番からそがさんより喫茶店への呼び出し。こんな暑い日は農作業も辛く、冷房の効いた室内で過ごしたくなるだろう。自転車で駆けつけようとしてたら、迎えに来てくれた。今日は午後1時からはサトウキビの体験会があるから参加して欲しいとの要請もあって、喫茶店から伝承館へ直行した。大阪から中学生400人が高知に来る。それぞれは分散して、各地で何かの体験を行うのだ。その一つが芸西村で砂糖を焚くイベントだ。その指導の為、県職員や村の職員が事前に砂糖を焚いて経験しておくのだ。これが広く定着すれば、新たな収益源となる。しかし、時期が悪い。もしこの学生の中にコロナ患者が居れば、今年の砂糖の出荷は止まる。受けた代表は賭けをしているみたいだ。終わって中途半端な時間だったので、風呂を沸かしてプールに出かけた。今日は2km1時間。若い時のタイムと同じで衰えはないが、(その夜の酷い睡魔を除けば)夜の音楽はパスだ。

8月26日(水曜日)
夕刻、今年初めての秋風を感じた。風呂を焚くとき吹いて来て、夕食を自転車で買いに出る時全開となった。今日は思いの外疲れていて、ペダルは重く、夕食時に睡魔が襲って来た。今日の作業は昨日と同じ草刈りと石拾い。違うのは猛烈な太陽で汗が余り出ず身体の熱だけが上がった感じ。初めて身体の意思とは関係なく水を飲んだくらい。ただそれだけなのに疲れている。風呂から上がってArt BrakeyのLPを聴くのが精一杯。今回購入したLP4枚は名盤ばかり。これはうまく再生しなければ腕が悪い。レコードプレーヤーはSL-1200LTDとSL-1015。カートリッジは205MK2とオルトフォンMC20。1200の方はまったりとした団子状態の音で、LPの匂いプンプン。1015はかなりピント張った障子紙のようで、デジタル録音のように隙のない音。50年前にこのLPが発売された時、人々は今聴いている、この音で楽しむことができたのだろうか?ここ数ヶ月クラシック音楽ばかりを聞いて来たが、JAZZに戻ると安心するのは、楽曲に見通しがあるからだ(なんども聴いていてよく知っている)。初めて見る映画は、早送りで見て、一応のあらすじを掴んでから、もう一度見る。ハラハラドキドキは嫌いだし、先が見えないのも立ち位置がわからず不安を感じる。いわゆる保守的。それを音楽にも当てはめようとする性癖。それが、僕にとっては歴史の短い(聞く時間のこと)クラシック音楽とJAZZの違いかな。クラシック音楽は、かなりいい音がする音響システムに変わってから聞くようになった経緯もあり、最近の趣向だ。特に右チャンネルから聞こえるチェロの凄みが出てないと聞く意味を失うので、SB10000がやって来てから再発見した感じだ。そのSB10000だが、スコーカーの向きが少し(ほんの数度)角度度が右のみ外向きだったのがわかり、今日修正したら、涙の出るほどの感動が襲って来た。

8月25日(火曜日)
まだクマゼミが鳴いている。6月28日から2ヶ月も経過した。少し長いような気がする。年老いた会長が若き社長になかなか席を譲らないように、ツクツクボウシにバトンタッチしないのだ。今年の夏の異変は、サトウキビだ。昨年の10月くらいの大きさに成長して、家の前の畑を埋めている。そのせいで、涼しいのだ。夕食時エアコンを入れたのは今までに3日程度。昼に2日。確かに暑いのに違いはないが、何となく過ごせる暑さでもあるわけだ。微妙な温度だと思うが、体感に差があるのだ。昨日タワーレコードに注文していたLPが一気に届いた。アートブレーキ/モーニン。ジョンコルトレーン/ブルートレイン。キャノンボールアダレイ/サムシンエルス。ノラジョーンズ/ピック・ミー・アップ・オフ・ザ・フロア。合計¥10000。夜は直ぐ睡魔に誘われて真剣に聴けないから、昼間、南風を受けながら聴いた。夏は汗を流しながらジャズを聞く。いつ定着したかわからないが、僕的にはすんなりと受け入れられる。時々強い風が吹いて針飛びを起こすがそれも余興として楽しめる。今回のLPにはCDが同封されている。聴き比べると、低域の近強さやシンバルの抜けなどはCDが良い。LPは雰囲気が良く悩ましいところだ。SEA7000の調子が悪く、ボーカルが歪む。修理を頼む事にした。しかし、もうこのアンプは自分で動かせない。息子にお願いするしかないのは悲しい事実。


8月24日(月曜日)
食事が良かったのか、昨日の疲れが消えているようだ。この数年は夏に大量の汗を流している。水の量が日中2リットル、終えてから2リットル(幾らか遅れて渇きがやってくるので)こんなに流すと体の中の大事な養分も流れ出ているはずだ。野菜中心は大事だと、朝から野菜ジュース。食事を終えて今度はかっぱ市場で野菜の仕入れ。帰りに友人宅で情報交換。帰ってラジオ英語。昨日頑張りすぎたので、今日は軽めの石拾いだけと思っていたが、水捌けの畔を猪が水遊びをして、畔の土が全部溝の中に埋まってしまっている。これを放置すればもっとやられると、溝掘りを行った。汗があごから滴る。それに頭がものすごく痛くなり、左の喉も触ると痛む。これはコロナじゃないか?急遽切り上げ家に帰った。帽子を取り、頭に巻いた汗取り用のタオルを外すと、頭に触った感触がなくなっている。これはいよいよ大変だと思っていたら、痛みは痺れが切れた後の回復にように薄れていった。あんまり強く縛っていたので、骨と皮の間の血管に血が通わなくなっていたんですね。風呂を沸かして軽く浴びた。さぁこれから食事と言う時に、断水。結局野菜は食べられず、食器を汚さないラップで包んだ冷凍食品のみで済まし、不足分はビールと瓜でごまかした。もう一度風呂へ。今度はゆっくりと浸かるぞ。(風呂は井戸水なので、電気のある限り水は豊富)結局20:30寝る前でも断水状態だった。


8月23日(日曜日)
日曜日なのに大忙し。7時半トラクターに乗って沖の畑に向かった。2週間前に叩いた畑だが、倒れて草から再び根付いて繁殖。しかし本根付きじゃないから、軽く叩く9時半には帰れた。それから、芋の作付けの周りの草刈り、台風接近に際してつっかえ棒の設置する為。草が生えていると、蛇が潜んでいるかもしれないから、辺りを明るくするのだ。昼から大日様の竹切り、余りにも多くの竹があって、2本は倒れる時にお堂の瓦を砕いた。破片を拾ってボンドでくっつけて修復。竹は枝を払って纏めて周りの藪の中に積み上げた。伐採した量が多いので、細かくして処分しないと、周りに納めきれないのだ。次は芋の柵作り。結局今日は7:30-17:00まで頑張った。夕刻余りにも疲れすぎて動きたくない状態になった。これはまずい、ビタミンA摂取で元気を取り戻そうと、レバーと大根で煮付けを作った。雷が酷く、風呂に入っている時、ドスンと地響きがして窓ガラスがガタついた。もう年齢なのか、1日フルで働くエネルギーがなくなっている。自転車に12時間乗って、大阪から帰ってきたあのエネルギーは懐かしい話しでしかない。8時には目がしょぼつき9時就寝。

8月22日(土曜日)
朝食後から妙に腹の調子が良くない。古い牛乳を飲んだため?そんな時に、そがさんから電話、喫茶店に出てこい。自転車で向かった。途中でマムシが車に敷かれていた。喫茶店での話はたわいも無い。お土産の塩をやっと渡すことができた。帰り道、敷かれたマムシはもう跡形もなかった。帰って翻訳作業。少し慣れてきたかな程度。とにかく6月より7月に速度が落ちているのがショック。今月はもっとネジを巻くぞ。昼飯の時間になって母屋に入った途端に雨が来た。天気予報は全く正確だった。飯は軽く済ませ、HPのアップデイトを行うもPCの調子が悪く断念。2014年購入だから元を取ったから、買い直しても良い。午後3時半、きまさごの畑で石拾い1列。僅か1列でバケツ8杯もの石を拾う物凄い量。しかしこんなに石を畑から除いて良いものか不安。石があるから、土も流れなかった。その石がないと土が流れてしまうのでは?5時に終えて、今度は大日様の入り口にある梅の木(伐採分)を片付けた。明日は椎木の片付け。その翌日は竹の処分。少しづつ進めよう。百姓の仕事はコツコツ弛まずだ。翻訳も同じ。テレビを点けると台風8号が九州の西を通過する報道。僕は倒れない工事は一応終えているが、念のため補強が必要かも。一方親類のあきひら君から、沖の田を叩いてくれと隣のハウスの人が言っていると伝言があった。畑に虫がわいているらしい。明日は朝から農作業が必要だ。

8月21日(金曜日)
朝は辛かった。昨日の疲れが残っている。ゆるゆると日課をすまし、午後から、のいち動物園へ。一年ぶり。夏だから、コロナ感染対策だからの理由で、イベントなく、しかもこの暑さで、屋外に出している動物も半分。まぁそれなりに写真の腕は磨けたけど。ISO設定の忘れや、シャッター速度優先への切り替えとか、大事なことがぬかっている事もある。カメラはD850とフジのXT100でそれぞれメニュー画面が違うので、毎回使ってないと忘れてしまう恐れがある。そんな面では朝、昼、夜と英語の辞書を広げてないと、朝だけの翻訳作業に支障が出るのと同じ事。記憶が保持できなくなっている。午後3時半から草刈りと石拾い。まだ太陽は強く汗だく。今日も体から熱が逃げず、夕食時冷房のスイッチを入れたし、喉の渇きが水だけで治らずビールを飲んだ。500mℓで酔っ払ってしまい、ターミネーター2を見終えてやっと正気に戻った。一人で飲むといつもこんな風に酔ってしまう。寝る前の音楽は、ザルツブルク音楽祭より1958年の「ドン・カルロ」、疲れと酔いで朦朧となり途中で中断し睡眠。

8月20日(木曜日)
昨晩は疲れで早く寝たためか5時過ぎに起きた。ボルトン回顧録を翻訳。電子ブックの計算では、今の速度で行くと、後500時間程で読み終えると言う。つまり後500日必要だ。それまでに翻訳本が発売されるだろう。もっとピッチを上げないと。昼から笹退治。谷屋敷の畑は雑草が生茂り、近くの住人が放棄地と思い木を捨てている。それに笹が輪をかけて生茂りどうしようもない状態。来年はここにサトウキビを植えようと思っているので、今から整地する必要があり、まずは笹退治。除草剤を散布している。今回で3回目。だいぶん葉が枯れてきた。1週間に1度の頻度でやっていればなんとかなるだろう。ついでに大日様への沿道が草ぼうぼうで、ここにも散布。こちらは只の草だが、日当たりが悪く、除草剤の効果が危ぶまれるが、この沿道が開通すれば、谷屋敷の畑への道は一気に近道となる。そのあと、きまさごで草刈りと石拾い。どうやらこの石拾いが疲れの原因かもしれない。午後4時に止めて、風呂を沸かしプールへ出かけた。今日は無理をしないつもりで1600m。水をかく時、手への負荷が普段と違う重さ。いつもと同じ事をして、負担を感じるならこれは弱っている証拠だろう。夕食のお惣菜を買って帰り日経新聞を見ながら夕食。アップルの株価が2兆ドルを超した記事が紙面を埋めていた。夜の音楽は、ザルツブルク音楽祭1954年版からオペラ「ナクソス島のアドリアドネア」第2幕。歌詞が不明だが聞いていて居心地の良さが漂う。

8月19日(水曜日)
午前中は友人が急襲、翻訳が中断。その後先日のモネの庭に咲く花の名前を調べた。花図鑑のアプリがあって、それにかざすとある程度は名前がヒットする。午後はきまさごの草刈り。2列終えて、今度は石拾い。雨が降るたびに小石が露出して草刈りにも支障が出てきた。そがさんなんかは、この石に乗ると足を捻って挫く恐れがあるので、慎重に石拾いを行なっている。90歳のじっちゃんも、草取りと、石拾いは丁寧に行なっていると言う。僕がやらないでどうする。しかし、これは、地面を這う仕事だし、土に埋まっている石を指で掘り出すのもあって大変な作業。5時に上がり、今度は風呂を焚きながら、裏の祖祖母の墓にかかる木を切った。こうして午後一杯作業し正しい一日を終えたのだが、暑さも手伝ったのか、夕食時急に眠くなった。どの作業に疲れたのか不明だが、大事をとって、夜の音楽はポールマッカトニーの1983年のアルバム片面だけ。say say sayが含まれているやつです。Michael Jacksonが歌の後半をカバーしている。ちゃんとしたステレオで聞くと二人は互角の戦いをしている只者ではない雰囲気が漂っている。他の楽曲はヒットしてないものの、音楽の変化に富みポールマッカトニーは稀代の音楽家なんだと納得。折しも、彼を特集した分厚い本(700ページの2段書き)を読んでいる最中で、併せて彼の凄さに納得。夜の音楽はもっと体系的に聞くべきなのではないか、昼間の作業をもう少し軽くして睡魔が襲ってこないようにすべきではないか、などともっと真剣に音楽を聞くように指摘がある(自分からだが)。

8月18日(火曜日)
8時間も寝るとスッキリ。食事も美味しく、だが少々物足りない。inconvenience (不便な意味)のローソンへ15分かけてコーヒーを買いに、木陰のある旧国道を飲みながら自転車を漕いだ、その足でカッパ市場。マナガツオ¥250を購入。もう一度、ヘルシオで骨の柔らかくなる調理を試みてみようと。他にオクラ、マウリ、セイソウを買った。今日は頭が良い感じ。英語も割と入る。この調子だと思いきや、そがさんから電話。コーヒータイムのお誘いで中断。午後2時には机を伝承館へ移動の応援。その事務所は、閉鎖するので要らない事務機器を処分するとの事。僕もロッカーを貰った。一つは農機具の道具入れ。一つは、LPやCDの保管に。帰って、きまさごで水捌け用の土管探し、掘っても掘っても当たらない。断念した方が良さそうだ。時間を無駄にしている間にきまさごの畑は草ぼうぼうとなった。明日は草刈りが必要だろう。夜はAVシステムでCDのベートーベンピアノソナタ5-6。番号の若いのは弦楽四重奏曲にしてもピアノソナタにしても曲自体が面白くないが、BDプレーヤーで再生するものの、音はなかなか良い。ショウルームの報告書を読むとLP絶賛の反響が多い。しかしショウルームはレコードプレーヤーに160万円。カートリッジに60万円。イコライザアンプに30万円。合計250万円の機器でアナログレコードを再生すれば、良いに決まっている。一般の人が、普通のプレーヤーを買ってそんな音が出るわけがない。僕の持っているプレーヤーのように音に厚みが出ないのだ。普通の人が手を出すにはやっぱりCDだろう。そのCDの音は高域が詰まって聞こえる症状のお客さんは再生機器の点検をした方が良いと思う。

8月17日(月曜日)
寝不足で頭が重い。痛みは無くなったが、念のため119番で紹介された安芸病院に電話した。「こうこうだが見てもらえないか」。「泌尿器科は予約制で無理です」「すごく痛かったのですが」「それでは直接交渉してくださいと電話を回された」結局そこでも予約制でと言う事で断られた。救急車に頼んだ方が良かったかな。アホらしくてこの病院に固執するのはやめよう。南国市にある病院に電話をすると、予約制だが、午後ならなんとかなるかもしれないと14:00予約した。これが普通の病院の対応だよ。診察結果まだ出血はあるが、抜けたのかどうかは不明。取り敢えず、座薬と尿管を広げる薬を貰った。明日芸西村の薬局で処方してもらおう。そんなことで今日は何にも出来なかった。何にも出来ない日があってもいいではないかと内なる声(昔はこんな声がかからなかったが)。小さな鯵を売っていたので、ヘルシオで調理して骨まで食べられるように調理した。これはよく出来ました。夜の音楽は、アートペッパー/ビレッジバンガード。食器の音が聞こえないから、もうこの頃は今と同じで飲み物だけになっていたのか?

8月16日(日曜日)
渡哲也が亡くなった。僕は後何年生きられるだろうか?78歳で逝くともう10年しかない。農作業も大事だが、少し気を抜かないと、それにこの暑さだ。と言う事で、今日は北川村にあるモネの庭に出かけた。32km。丁度播磨屋橋に行くのと同じ距離。こちらは田舎道で、安芸市を抜けると海岸沿いを走るからエアコンは不要。ここは海抜70mで少しは涼風がある。クロード・モネがこよなく愛したフランス・ジヴェルニーの庭をモデルに創られていて、全く同寸法。睡蓮も絵の通りの品種と、同じ場所に植えられている凝ったもの。支配人の和田昌敏氏にお会いすることができて、新しい施設のテーマは何か伺った。「地中海」だと言われる。へぇ地中海にはこんなにヤシがあるの?イメージに合わないなぁ。フランスやスペインの大航海時代に珍しいものを運んできたそれがヤシでもあると言われた。ボルディゲラの庭と呼ばれる新しい風景は、モネの作風に変化を与えたと言われる由緒あるイタリアの風景がモチーフだ。知らなかったなぁ。岩がゴロゴロしているのに草がないのは、防草シートを岩の下に敷き詰めて実現したと言う。高知県、北川村の援助で実現したと言う。僕もあと4年しかないので、引き継ぐ人達にきちんとしたものを残したいと。なる程。庭園では蜘蛛の巣について従業員に聞くと、自然を生かしているとの返事。僕としては、確かにその理はあるが、この広い高知の山林でここだけ頑張っても仕方ないじゃないか。それよりも快適に写真が撮れる様に頑張って欲しい。旬の花はマリーゴールドとコスモスだった。大汗をかいたのでレストランでビールを飲んだ。帰りに「寺尾」で「しまあじ1匹」を買っておじさん宅に届けた。よる1杯飲むため。さすが評判の魚だけあって旨い。ところが、7時過ぎから腹が痛み出して8時に退散した。帰ると猛烈に痛み出した。取り敢えず温めようと風呂に入った。痛みは下がり、下腹部に移った。確実に尿管結石だ。我慢して寝たが23時に目覚めた。トイレに行くと尿は真っ赤だった。午前2時まで我慢したがこれ以上は無理だ、救急車を呼ぼうと電話をした途端、スゥーと痛みが引いた。自分で行くから病院を紹介してと内容変更。電話を切ってしばらく経ったが、完全に痛みは消えていた。寝付けそうだったのでそのまま寝ることにした。

8月15日(土曜日)
正しい夏。この部屋からは海が見える吹通しの良さがあり、エアコンなしで過ごせる。朝一番8時にセブンイレブンへ行ってタワーレコードからのCD受け取り。ノイマン指揮チェコフィルのマーラ全集だ。解説を読むとアナログマスターからいきなりDSDで録音してSACDだそうだ。今までの常識はPCM録音→編集→DSDの過程だった。音の鮮度が上がったと明記してある。1番と2番を聞いたが、ギルギエフ+ロンドンシンフォニーがマーラでは最高の録音だと認識していたが、どうやらノイマンに軍配を上げたい。30年以上も昔にこんないい音が録音できていたとは驚き。昼からは墓にシキビを添え、墓周りの小枝を払った。塚にも山から榊を取ってきてお供えした。それから武装してきまさごの左端を掘り返し土管を探すが見つからないまま、蚊取り線香が切れ、蚊の出てきたところで作業終了。今日も正しい1日を送った。酒を飲まず腹一杯飯を食って、熱い風呂に入って汗をかき、水で薄めて水風呂となった段階で浴槽から上がる。理想のパターンだ。自分の部屋に帰り音楽を聴く。正しい午後の行動が1日の出来の良し悪しを決定づける。熱中症の危険もあるが正しい午後の為に挙行している。

8月14日(金曜日)
ビールが不振で、コーン油が高くなる。おもろい話じゃないか。ビール製造に欠かせないコーンスターチが、ビール不振で十分に精製できない。コーン油は同じコーンスターチからの製造となるようだ。ジャノメミシンも自家製マスクの為に好調とか。コロナが変える市場。隕石の落下で恐竜が絶滅したように、このパンデミックは大きく世の中を変えてしまう。アフターコロナ、ウイズコロナとか優しい言葉だが、実は大変な事を含んでいるかも知れない。昨日の疲れが残り、午前中はうたた寝。正しい夏だと、南風が吹き抜けるから、エアコンなしで昼寝ができる。午後は元気を取り戻し、笹への除草剤散布。その後きまさごへ土管の工事。今日で仕舞いを付けた。ついでに東の端にも水捌けパイプがあるなら掘ってみよう。4時に終えて、駐車場の薪を伝承館へ持って行った。軽トラック一杯あったので、一山できた。後で師匠に電話でその旨伝える。食事の後、今のAVシステム(CA1000+AFP800)でディープパープルを見た。現在のディープパープルだ。おじいさんの年齢なのに今でもパワフルだ。ロックをやる人は若い。ジャズが好きな人はおしゃれ。クラシックが好きな人は理屈っぽく知的。僕はどれかな?

8月13日(木曜日)
サトウキビが植っている畑以外は放置状態だ。そこには笹が勝手気ままに育っている。今日はこの笹退治、先週に引き続き除草剤を散布。1回程度の散布ではびくともしないだろうと読んでいるが2回、3回と続くとどうだろう。8月中に始末をつけるぞと密かに目論む。岡村家の分家のおじさんは90歳を越す高齢で、草退治はできなだろうから、ついでに家の周りに散布してあげた。お盆が近いので、墓の周りにも散布してあげた。今日の太陽は強かった。休憩はしなかったが、身体から熱が抜けず、車で高知のプールへ向かう時、エアコンを入れた。雨の日以外で使ったのは初めてだ。ところがプールで2km:1時間10分泳ぐと寒くて身体が震いだした。2時間を切るタイムなら結構運動しているので身体は火照っているが。今日は速度を上げられるほど体力に余裕がなかった。石原裕次郎じゃないけど、「忍び寄る老いを♪」状態となっている。帰って夕食を献立していると強い睡魔がやってきた。食事の量を減らして、素早く食べた。食事の後、2時間の原則を待たずして床についた。

8月12日(水曜日)
もし今秋台風が来なかったら、サトウキビの収穫は最大限になる。しかも、色もよく、他より成長が早い。僕も、今年は昨年よりも手をかけた。しかしである、コロナ禍の影響で砂糖は売れない可能性がある。どうしようもない。ブルーノート東京とBSクラブはいずれも六本木にあるジャズクラブで、定年後東京に出向いた時に訪れていた、交通便は渋谷からの徒歩。その渋谷駅は大きなビルが建ち、駅舎も重層化し工事中で遠回りを余儀なくされたが、この春完成し便利になったと聞いた。ところが、コロナ禍で在宅勤務が進み、渋谷のオフィスビルを運営する東急不動産が大変な状況下にあると報じられている。何かが変わるだろうと見てたが、ここに来たか!午後から、きまさごの水捌けの工事を昨日と今日行なった。今日は太陽が照りつけ逃げようのない場所での作業。汗だけでは体温が下がらず、自宅に帰ってエアコンを入れて水を飲んだ。今飲んだ水が、手や足から噴き出てくる。10分ほど冷やして元に戻った。とは言うもののもう夏の盛りは過ぎた感じがする。8月に入って朝もエアコンが回っていたが、今朝からは止まった。日中の気温は太陽次第だが、朝夕は着実に季節を刻んでいる。クマゼミの鳴声が今の雰囲気に合わなくなった。もう直ぐ止むだろう。まったりとした暑さにはアブラゼミが似合う。沖の田は半分ほど稲刈りを終えた。藁の臭いとツクツクボウシが良く似合い、これもあちこちで鳴き始めた。夜の虫の鳴声も大きくなった。

8月11日(火曜日)
この暑さも、後10日は続かない。20日を過ぎると朝夕がめっきり涼しくなるからだ。25歳の時から、67歳までずっと旅行(出張ですが)のある人生だった。ホテルに宿泊しなかった月は一度もなかった。それがどうだ、今年2月以降は一切自宅から離れた事がない。最初の頃はまだ何とかなったが、最近ではどうも何かの刺激が欲しくて困っている。季節の変化だけでは物足りない。オーディオや映画も刺激にはなるが、コレも続くと飽きてしまう。かと言って、出かけるのは良くない。昨日はカメラを下げて村を歩いた。見慣れた風景をどう表現するのか頑張ったが限界がある。感染者が年末にピークを迎え下火に向かう事を夢見て、カメラの腕を磨いておこう。それまで我慢。午後からふすま1枚貼り替えた。前回もこの建具屋について書いたが、ほんと、むちゃくちゃな建具屋なのがわかる。今日のは縦枠に釘が打ってあり、昨日までの構造と違う。この家のふすま一枚一枚全て構造が違う。僕の祖母の時代はもうあった家なので、築120年以上(1890年)の昔の家屋。ふすまの構造なんてわからないから外観さえ整っていれば良いのだ(と頭領は)思った事だろう。この家は多分僕の代で終わるから、枠はねじ止めし修復不可能の仕上げとした。夕刻はきまさごで溝掘り。水を一括して川に流す為の土管を埋めるのだ。鍬だけで深い溝を掘るのだが、ひと頃に比べて力が付いているのか、結構頑張れた。しかし水は2時間で1.5リットル。なんせ炎天下ですから。全身水をかぶった状態になる。夜はマリア・リンドバーグ/ベートーベンピアノソナタ15番。今日業界ではファジル・サイのベートーベン/ピアノソナタが話題。(こちらは買えないのでアップルミュージックで対応)。ベートーヴェン生誕250周年企画は、コロナ禍で大当たりしている事だろう。

8月10日(月曜日)
雨の予定だったが晴れていて、絨毯を洗った。今日は昼飯にサトウキビ仲間が私の家に集合する。今日のテーマは蕎麦だ。朝から掃除を済ませて、天ぷらを作った。感じとしては、パリッと揚がってなくベトついた感じ。そがさんが小屋の工事に急遽駆り出されて不参加。もう一度取り直しが必要。途中雨が来て絨毯が濡れてしまった。昼食会は2時半終わったが、師匠が僕の家から帰るときに、脱輪し雨の降る中往生した。車が上がった時は、雨も上がった。後片付けの後、沖の田に行って柿の木の下草を刈った。農業日誌で調べれば2ヶ月のごぶたさ。草は背丈くらいに伸びていた。今日は時間に余裕があって、音楽でなく、映画を見た。「シェイプ・オブ・ウォーター」海の化物をアメリカとソ連が奪い合いする中で、唖の掃除婦がこの化物を拐って保護する物語。感動よりも奇妙な色合いが強く、いくつかのアカデミー賞を獲得しているが僕はそこまで咀嚼できなかった。感受性が落ちているのかな。僕の感覚としては奇妙な生き物に普通女性は嫌悪する物で絶対に近づかないと思う。それを曲げて意思疎通を図り、最後には結ばれる。そんな違和感が、この映画を遠ざけていると思う。この女性を演じた:サリー・ホーキンズはGODZILLAの映画出演が多く、まぁこの映画に出演したとしてもあり得ない事もないかと評価した。今日は農作業が中途半端な時間でしかなく、妙に燃えた感じもなく英語の本も手にする意欲がなかった。

8月9日(日曜日)
この間おじさんと飲んだ時、ビールは不味い、発泡酒は無いかと聞かれた。飲み慣れた物が美味しい。最近の若者の間ではお寿司屋さんの天然ハマチよりも養殖が脂味乗って旨いと言われる。オーディオの世界でも、スマホをヘッドホンで聞く方が、アンプスピーカーを使って聞く方よりも良い音がすると言う世代が増えている。家電量販店のヘッドフォンコーナーの展示数と、コンポ売り場の充実度を比較すれば一目瞭然だ。本物は廃れつつある。ディズニーは「ムーラン」を配信専用にすると決めた。この映画は業界で注目の作品。映画館にとっては救いの「弾」だった。が、実現なく映画館はますます寂れる。本物志向が薄れている。人物についても「男」が居なくなった(僕も含めてだが)喫茶ベイシーの菅沼氏の文章を読めば、自分の軽薄さが反面教師として訴えて来る。ふすまの張り替え正面は完成。余った時間をつくね芋の転倒防止柵と、肥料の追肥。コレで、僕の農作業の当面のところは終わった。後は土木の仕事だ。



8月8日(土曜日)
十分寝たはずなのに、午前10時ごろ無性に眠くなって椅子で前後不覚の眠り。夜の眠りが浅いのだろうか。旅行記を書き上げたので、今の42型PDPでチェック。あまり面白くない。写真のテクニックが表現できない大きさの為。それで、この間行った足摺海洋館の訪問記は1ページ1枚の様式に変更している。HDDには膨大な写真の一つ一つに思い出があるので、写真とコメントを書き込み、65型のディスプレイで見る計画だ。旅行記は後2〜3年で完成予定。写真を眺めるシステムは年末には実現したいと思っている。ディスプレイをソニーの液晶にするか、パナの有機ELにするか迷っている。液晶は写真鑑賞用として長時間見るのに適している。有機ELは発色が綺麗。欠点は長所の逆。観賞用の部屋は母が晩年過ごした寝室。トイレが近く、エアコンが強烈。午後はふすまの張り替え。枠を分解すると、横桟が左右で逆方向だった。中は見えないのいいことに、失敗作をそのまま納品したのだろう。その上反った桟で、入れるのが大変というか難しく、ねじ止めにした。もうどこの建具屋だったのか調べようがない。午後3時から沖の田をトラクターで叩く、草が伸びトラクターで叩ける限界だった。梅雨前に叩き梅雨後田が乾くまでの40日間の出来事。帰り道親類の家の前の菜園を叩きお駄賃を貰った。夜の音楽は和田博己氏が進めるデュークエリントン/The great Paris concertを聴く。コレは素晴らしい音楽だった。録音も宜しくゴキゲン。雑誌を見ながら音楽を発掘するのは楽しいが、もう購入には少し考えた方が良いと思う。それはAppleミュージックの音源で十分に楽しめるのと、関連の作品も紹介があってその量が膨大なのだ。戸惑っている間に、テーラスイフトのような現代人の新譜の案内も来て配信に囚われてしまって先に進めなくなっている。

8月7日(金曜日)
今日は忙しい。朝食材をかっぱ市場に出かけて買ってきた(芸西村の農家が100円で野菜を提供)。野菜の高騰で、緑の葉野菜はスーパーマーケットで買うのが躊躇うような価格になっているのだ。それから、ふすまの張り替え。もう60年以上前に張り替えたままだ。Amazonでふすまの紙を取り寄せ、YouTubeで方法を勉強し実行。屋根瓦、漆喰の壁、そして今回はふすまの張り替えと何でも出来るのだ。ふすまの張り替え、普通は13000円/1枚。でも我が家のは寸法が広いので多分18000円。全部で8枚あるから14万円くらいするはずだ。それが1万円チョット。その上少し「しわ」も付いているのだ。まぁ仕方ない、プロじゃないから。母屋のAVルーム(つまり座敷の事)のフスマだから、正面はスターウォーズの絵柄にした。ここまで来ると、一般の仕立て屋さんの範疇を超えるからもっと価格はアップするはずだ。一日1枚のペースで進行中。それからプール。1800m。水は冷たく上がると身体が冷え切って。温度が上がっていた車の中が気持ち良い。今日は風呂を沸かしなかったし、昨日は風呂のお湯を浴びただけだから、お湯を抜かずにそのままにしておいた。そしてぬるま湯でも良いからと風呂の蓋を開けると、水で薄めなければ入れない湯温だった。「嘘だろう、いや、ホントの話です」

8月6日(木曜日)
今日から本物の夏がやって来た。日差しは強く、33度を超えるようになったのだ(高知では35度超えが滅多にない)。芸西村では本格的な夏や、冬本番がやって来ると夏は南からの風が吹き抜け、冬は強い日差しが照り続けるので、室内で過ごすにはエアコン要らずだ。そして今日はその夏本番が初めてやってきた。森山良子じゃないが「ザワワ、ザワワとサトウキビの間を風が吹く♪」そのモノ(厳密に言えばサトウキビの種類が異なるが)。風は冷たくはないが生暖かくもない。年取ると暑さを感じなくなると言うが、全国の猛暑記録地と比べると海風が吹き緑の上を風がやって来るから、そんなに暑くはないのだ。熱中症は大丈夫(芸西村では熱中症を聞いたことがない)それで今日は除草剤を要所要所にたっぷりかけた。噴霧器20kgを背負うのがチョット厳しくなっていて、途中で休憩したし、もう一回の散布が必要だったけど明日に伸ばした。去年は2回くらい平気だったのに。そして転倒防止のステーをきまさごのサトウキビに施した。コレで少々の風が吹いてもサトウキビは倒れない。台風が来る時には、更にステーの追加が必要だろうが、当面はコレで凌げる。夜の音楽は中断して写真の整理を行った。HDDを4TBに変更したので、中断してたiPhoneの写真を整理している。Windowsでexifデータを見る方法を知って、作業がやりやすくなったのだ(僕の写真の整理は日付毎)

8月5日(水曜日)
寝苦しい夜が続くと天気予報で言ってたが、本当だった。12時過ぎに起きて汗を拭った。室温は28度を越していた。2間続きのふすまを普段は半分程閉めて、エアコンの冷風が直接当たるのを避けているが、今晩は全開にした。そして今朝カーテンを開けてびっくり。窓を開けたまま寝ていたのだ。これじゃ寝苦しいわけだ。結局外気温が下がるまでまんじりとした夜を送った。昨夕は、おいしいカレイの煮付けを圧力鍋で作ったが、食べるのを忘れていて、今朝息子にお弁当のおかず用として進呈したとか、一昨日は鞄の中(買い物袋も兼ねる)から、日萎びた茗荷が出てきた(冷蔵庫に入れ忘れ)とか、BDレコーダーのリモコンがなくて探すと、冷蔵庫の中から出てきたとか、「脳の問題じゃ無いですよ」と言ってくれた先生の診断を疑うような行動をとっているのだ。今日からツクツクボウシが鳴き始めた。コレを”Perfect”と呼ぶ。私の家の周りでは「ヒグラシ」「クマゼミ」「ニイニイゼミ」「アブラゼミ」「ミンミンゼミ」が聞こえる。日本で確認できるセミの全てだ。ゲームソフト「集まれ動物の森」が売れているが、私の家では正に、アツモリが展開されているのだ。この内、ヒグラシとミンミンゼミは数が少なく、裏の大日様の所でしか聞けないから、他所の家ではPerfectではないのだ。凄く幸せを感じる。

8月4日(火曜日)
脳の故障の割には英語の理解度は変わらない、暗算で計算もできる。運転中痛みがくれば痛いところを指で強く押さえると幾分楽になる。病院の先生は脳の問題ではないですね。骨と皮の間の問題で神経痛ですよと見立てる。痛み止めは「ロキサニン」、整形で使うやつだ。家にもある。ともあれ無事でよかった。病院への行きは心配して冷房を入れたが、帰りは冷房は点けなかった。年取れば「ゆっくりする(僕の友人の口癖)」のではなく、「できる限り過酷に身体を酷使するのがいいぞ」。これはサトウキビ仲間の言。僕もそう信じてやって来たが、脳梗塞の疑いを持った昨日は、「ほどほどにと戒めた」が、問題が消えると、「やっぱり過酷に生きていこう」と思った。病院から帰ると草刈り。暑い、汗が顎から滴り落ちる。病気を心配しながらの草刈りではこうは行かない。心に迷いがないと、酷使できる。草刈り完了。夜の音楽はステレオサウンド誌推薦、岡崎哲也氏の押すシェエラザード/スココフスキー/ロンドン交響楽団だ。アップルミュージックに登録があり聞く。流石にダイナミックレンジが広く従来耳に馴染んだ演奏とは違う奇抜さがある。が、強音部では歪む。面白いけど主線上から外れているかな。ステサン誌では1ページ半に渡って詳細を記述するが、僕にとっては表現が大袈裟過ぎかな。オーディオ評論家の麻倉怜士の様な感じ。その心は、あまり信用できない。

8月3日(月曜日)
一難去ってまた一難とはこの事、トイレに行った時、急に右頭頂上部が痛くなった。とても痛む。5分間隔ぐらい。何かしていたら気が紛れるだろうと思ったがそうでもない。セブンイレブンにタワーレコードから届いた「ザルツブルク音楽祭100周年記念アルバム」を引き取りに行った。午前中はそれを聞き何とかやり過ごし、昼からサトウキビの草刈り。本来ならステーの補強杭を打つのだったが、息を詰めるのはまずいのだろうと思った。世間は暑いと言うが、僕はそれほどでも暑さを感じない。歳を取ると暑さを感じなくなるのだろうか?それともサトウキビが生茂り、放射冷却効果があるのだろうか。5時に終えて風呂を沸かす。また頻繁に頭が痛み出した。夕食後我慢ができなくなり、横になると痛みは治った。その隙を狙って食器洗いと入浴を済ませた。明日も続くなら切り替えタイミングで保険証はないが病院へ行こう。ちょっと普通でない痛みと、発生タイミングなのだ。



8月2日(日曜日)
膝の調子は昨日と変わらず、午前中部屋の中で過ごして、午後は痛いのを我慢して西のサトウキビ畑の転倒防止のステーを立てた。ついでに庭で立派に育った松の木を切った。祖父は嘆くだろうが、祖父が植えた時の鉢植えの可愛い松でなく、幹の直径が30cmを越すもう庭木とは言えない大木になったのだ。庭木は僕の身長までが尺度。庭木が大きいと鬱陶しい。虫が湧く、蜘蛛が巣を張る。色々弊害も多いのだ。多分このままだと、塀を壊す。今晩は、早めに終えて音楽を聴く体制が整った。今日はジョンコルトレーンの「ブルー・トレイン」をCDで。ショウルームで聴くのとは解像度に差があるが、めちゃくちゃ負けているような差を感じはないのは、バイアンプで鳴らしている為だ。そうして、CDの交換に立ち上がった時、あの痛みは消えていた。力を入れて歩くとまだ少し痛みは残っているが、スゥ〜と抜けて行った。あの痛みは何だったんだ。夕刻風呂を焚く時、膝の痛みを抱えて父も同じ事をしていたのを思い出した。父も気力はあるが膝の痛みで農業は出来ず、母はボケているし、息子は帰って来たがまた出かけて行ったし、この先何があるのだろうと思っていたはず。父の晩年は、余り楽しい人生で無かったはずだ。そんな思い出が夕刻蘇ったが、痛みが抜けると同じようにそんな感傷も抜けて行った。

8月1日(土曜日)
朝風呂に入って本を読み、立ち上がろうとしたら、左膝が痛くて崩れてしまった。以降昼までびっこを引きながら耐えた。しかしやらねばならぬ事は山積、取り敢えず短時間でもサトウキビの柵を支えるステーは進めようと、前の畑を済ませて、西の畑に着手した。5時で終えた。膝をかばいながらの作業だったが暑くて汗が滴り落ち、熱は逃げるものの喉の渇きが尋常でなく、1時間毎の水分補給となった。それでも夕食は作らなければならず、風呂も沸かさなければならず年老いたらどうしようかと思った。頑張れる期間が思ったよりも短く、寿命も短いかも知れない。タイマーセットを少し前に設定し直し、やりたい事を実現しようと思った。作業をしていたら膝の方は何とかましになったが、今丁度健康保険が切れている期間で病院には行けないからその事でも困っていた。保険証の有効期限の昨日、痛みが出れば良かったのに運命は皮肉だ。死ぬまでにどうしてもしなければならない事は色々あるが、そのうちの一つに太平洋戦争以降の歴史を知りたい欲求もある。学校の教育はここを飛ばしているし、小説も、文献もあまり読んで無い。側面からは坂口安吾があるが王道では無い。僕の県外就職中の父母の足跡も知りたい。伝票やら、園芸組合の控えなどが山とある。一時期エクセルに納めていたがサラリーマンの仕事が忙しく中断した。今は時間ができたが、サトウキビが僕の行動を引っ張る。どこかで、線を引き分別しなければ、そのうちに動けなくなり何も得られず逝ってしまう。一方で気候の変化が1.5度上昇は思ったより早くやってくるらしい(2025年迄に)。僕の死までの時間と地球で人類が生息可能な時間とかが結構近似値を示しているような気がする。夜の音楽はショスタコ4番。派手な導入部。解説では136名の演奏者を指名しているなど大編成の音楽だ。この音楽の全体像が把握できず「こういうものなんだ」とただ聞くだけになった。クラシック音楽はモーツァルトからマーラーまでの期間に限定する方が良いかも知れない。Jazzは明確で80年以前。ロックは60-70年代。こちらは明確だ。

7月31日(金曜日)
7:30山本の奥さんと芸西病院の北側にある崖下に行って切り倒した木の確認。僕が砂糖を焚くのに良いからと案内してくださった。僕のサトウキビ栽培も少しずつ近所に浸透してきているから。帰ってラジオ英会話とボルトンの翻訳。今日は頭の調子が良く英語がスムーズだ。ところが、保険証が切れる通知が昨日届き、パナソニック健康保険に電話をすると、年金の手続きをされているかと聞かれる。延期しているから何もしてないです、それはおかしいですね。とりあえず必要書類を送りますから見てくださいと電話を切った。さぁ大変。全てを中断して南国市にある厚生年金の事務所に行けば、予約制なので受け付けてないと言われる。詳細を聞かれるので未申請で年金が来てない。何か忘れ物があるだろうか?それは大変と調べてくれたら、問題なしだと分かった。葉書は無視していればそれで良いのですと言う。安心して帰宅し午後から、蔵の瓦のずれ落ちるのを止めるためセメダインを瓦の上に詰めた。炎天下で汗が流れ落ちた。全身が濡れると体温が下がり始め、暑さ対策になるが、チューブ1本終える頃に汗が枯渇し喉が乾き、この作業を終える。水を1リットル飲み、干した布団を取り込み、今度はサトウキビの転倒防止のステーを地面に固定する作業。1枚の畑完了。明日残りの予定。除草剤散布や、柿の木の手入れなど山積している。この喉の渇きはビール以外癒しようがない。だが、今日の夜は音楽を聞かなければ、8月3日はザルツブルク音楽祭100周年記念アルバムが届くので、ショスタコ全集を聞き終える必要があるのだ。今日は7番。スターリンによって破壊され、ヒットラーによってとどめを刺された街レニングラード(現サントペトルブルク)をテーマにしているため、この曲は「レニングラード」と呼ばれ、評価の高い音楽。名盤はバーンスタイン版。確かにこのジャケットは見覚えがある。当時はショスタコを高く評価してなかったので所有してない。今聴いているのはヤンソンス版。リマスター済みで気持ちよく高域が伸びる。

7月30日(木曜日)
釜屋に通じる天井が抜けている、この豪雨で頻繁に雨漏りがした影響、その修復。網戸3枚の貼り替え、その後にサトウキビ畑の転倒防止ステーを設置する作業、それには杭の周りの草刈りが必要で、草刈機を回すと回転を上げればエンスト。低い回転では草が刈れず、農協に行ったら、スロットルの調整で回復。帰って桟を運んでいたら、山本の奥さんが「木を切ったので、取りにこんかね」と案内。明日の朝ゆく事にした。夜はモーツァルトのレクイエムとショパンのピアノ協奏曲3番。いずれもLPレコードにて。今日は妙に少し煩く聞こえる。山形が大雨で被害。400mmの降雨。高知もこの時同じ降雨。山形はこのスピーカーの嫁ぎ元なので心配。山形で仕事をした時、この県は自然災害の一番少ない所で住むには良いと皆さん話されていたが、伏兵があったのだ。

7月29日(水曜日)
5時半起床、パンを食べて6時に出かけた。お寺さんと、親類のおじさん夫妻。老人ばかりなので、出発には時間がかかる。窪川で休憩。片坂は高速道路になっていて、いきなり佐賀町に出てきた。途中家から2時間の通過ポイントあり(カーナビに印)それを時間通りにクリアした。このポイントは軽トラックで、結構気張って速度を上げないと達成出来ない難関だったのだが。道中の平均スピードも借りた吉崇君の車(Step Wagon)なので上がっていたはず。その上軽トラックよりも疲れは少ない。又、眠くならない。大方(黒潮町おおがたのこと)の街も新しい道路が開通して一気に通り抜けができる。ここから南下し中村市(現四万十市)を通らずショートカット。海遊館は意外と小さかった。入ってすぐベビの展示がありパスした。2階から鑑賞。今回はD850に60mmマクロを装着、ISOはオート、シャッター速度1/80、絞り6.3の設定。しかしながら、サメなど動くものは被写体ブレだった。もっと臨機応変にシャッター速度は変えるべきだった。やはりカメラは使い慣れてないとうまく写せない。その上、動きものを写すオートフォーカスも、設定が多く、どれを使えば効果的なのか判断がつかない。総じて言えば動く魚は、もっと動きに敏感なD5などが理想だろう。今度はミラーレスを購入するつもりだが、それだとなお難しい筈だ。水族館は意外と早く見終えて帰途についた。窪川のJAで肉を買った。ここの豚肉は高知県では有名なブランド(米豚)だ。流通が少ないので全国的には無名だが、多分味は1級のはず。その街のレストランで昼食。勿論豚肉料理。柔らかいしっとりとした肉。帰宅すると息子からローソンの唐揚げをもらった。勤めている会社が製造したもので売れているとの事。まぁ殆ど休みなく仕事に行っているから、会社は順調なのだろう。

7月28日(火曜日)
雨は上がった、だが一直線では晴れてくれない。午前中定番の作業。シンガポール旅行記をまとめているが、ガーデンベイは珍種の花が多くネットで名前がヒットしない。行った時には気がつかなかったが、こうして写真を分析していると凄さがわかってくる。当時は未だカメラの事が十分に分かって無いこともあって、GH1は手ブレに弱いのに、F22なんかで撮影していた。写真を拡大すれば手振れがすぐ発覚する。昼から、母の寝室北側屋根の雨水の排水処理。母屋の樋を越す雨水を受ける2重トイの設置。蔵の壁剥がれにベニアで補修。母の寝室床下の空気窓に金網施設。少しずつではあるが母屋の補修ができている。一度では出来ないが何となる。明日、お寺のせっちゃんも誘い足摺岬へ行く事になった。

7月27日(月曜日)
晴れるかなと思いきや土砂降り、直ぐ後に太陽、今度こそは晴れるかなと気を持たせてくれるが、再び三度土砂降り。結局今日は農作業を諦めた。この土砂降りは樋を越して雨が流れ落ちていた。大工さんの想定外ですね。今度晴れたら、樋を二重に補強しなければならない。今回は二箇所発見。母の寝ていた家屋の樋の水もそのまま地上に流しっぱなし。家の下に逆流する可能性もある。放流用の樋の延長パイプを買ってきた。蔵の漆喰が剥げている。トタンで塞ぐしかないだろう。家の修繕をしながら百姓仕事を進めるしかない。そんな計画を練って、夕刻はプールへ。今月は10km泳ぎ累計42kmとなった。昨日から何度もショスタコの8番/ヤンソンスを聞く。耳に定着しないので何度聞いても新鮮だ。マーラー以降馴染みのフレーズが作中に無いから頭に定着しないのか?単なる記憶力の低下か?そう言えば今日のラジオ英会話は難解だった。こちらも頭の方に原因があるのか?

7月26日(日曜日)
随分と寝たので疲れは取れたと思ったが、午前中1回、午後に1回短時間だが仮眠。それでやっと疲れが飛んだようだ。過労だったのかな。一日中雨で、翻訳したり、BDのタイトルを印刷したりで午後4時まで部屋の中で過ごした。その後友人から1杯やろうとメール。6時から懇親会。高知のコロナは大阪から来た風俗の女性が移したと噂話を伝えてくれた。この感染した男性は在宅勤務で接触はそれ1回のみ。だから風俗嬢から受けたと判明したと証明出来ると言うのだ。高知ではその女性風俗感染者が行方不明になったと大騒動。イロイロ世の中はあるもんだ。今日は懇親時間が長かったのでビール2本、焼酎水割り2杯。一昨日ビール1本でしんどくて七転八倒したが、今日は全くしんどくない。どう言う訳か。僕の知人の殆どが晩酌しないと言う。きっと僕と同じではないかな?僕は一人酒だが、他の人も僕と同じで妻が居るにも関わらず、気持ちは一人酒ではないかな?だから晩酌してない。

7月25日(土曜日)
深夜大雨。1時。起きてネットで今までの雨量を確認。紫色3時間で危険。これを目処にしているが、どうやら1時間経過、後10分くらいで紫色の雨雲は抜けそう。横になる、今度は尿管結石の石が動き猛烈な痛み。再び起きて風呂に入る。風呂で尿管を温めれば、石が動きやすくなり痛みは治る。すっかり目がさめると、昨晩少食で寝たので空腹に気がつく。少し早めの朝食だと思いながら5時に頂く。そして7時ごろ就寝10時に起床。すっかり日常が狂ってしまった。午後3時雨が上がったので、風呂焚きと庭木の手入れ、竹垣の修繕。大した動きでないが汗だくになった。風呂を沸かして一風呂浴びる。今日は殆ど動いてないのに疲れて10時に就寝。

7月24日(金曜日)
雨だからゆっくりできる。動かないから、食事を減らしておこう。ところがどっこい伏兵が。9時にはそがさんがやってきて、居座った。師匠を呼び出し、山奥にポツンとある喫茶店へ行く事になった。テレビで一軒家の放送があるが、まさにそれに近い。その後。街(国道の事です)に出て弁当を買って師匠の家で頂く。その時に、今度は田野(ここから東に35km)にある古民家カフェに行く計画が出来上がってしまった、この老人会は結論が早く、行動も早い。パンパンの腹で帰った。家の中で過ごすにはあまりにも多くを食べすぎ、これじゃ今夜を越せない。仕方なく雨の中を草刈りに出かけた。幸い雨は小降りで作業は進んだ。ちょっと気を抜くと草が成長するので、サトウキビ畑以外にも目を光らすのだ。お百姓さんはこうして毎日を過ごしてきたんだなと分かった。つまり、速い話が一瞬たりとも自由な時間はありえない。あるとすれば、後ろに仕事が積み上がるだけの事だ。4TBのHDDが届き、今まで使っていた2TBのHDDから入れ替え作業を行いながらだ。USB3.0を使っても3時間くらいの時間が必要で、十分他の仕事の合間に出来る。夜はオックスフォードの事件簿(WOWOW録画)を見た。居間で半分見て、自分の部屋でお部屋ジャンプを使って半分見た。この映画は登場人物が多過ぎてストーリーが追えないが、最後に一つに収斂されてしまう。最後に事件は全部解決したのではなく、次への余韻を残す。ネットフィリックスが得意な手法。

7月23日(木曜日)
コロナの第二陣がやって来た。コロナ対策は、免疫力を向上さすしか方法がない。そのランキングは1位ヨーグルト。4位に生姜。という事で、息子は生姜の工場が忙しく、この連休も出勤している。正の連鎖。ガーナ(国名)がコロナで苦しんでいる。チョコレートの原料となるカカオ豆の需要が激減しているからだ。観光地でお土産不振。お土産はチョコレートが多いから。こちらは負の連鎖。今日は昨日切り倒した金木犀が焚き木になるようノコギリで裁断。結構時間がかかった。つくね芋も繁茂しているが、球根からの芽は2本だけの言付け通り、複数本を2本に揃えた。大きく成長している茎を切るのは気が引けたが、いい芋の為には仕方がない。後になるに従って影響が大きくなるから今しかない。今日はこれだけで農作業の5時間が過ぎてしまった。畔の草刈りなど他にも山積の仕事を抱えているが時間を超えての仕事はしない。半日だけでも負担が大きいのが実証されたから。夜はオペラベルディの「リゴレット」を見終える。LD。色が薄く、照明を落として鑑賞。マントバ伯爵にパバロッティ。指揮はリッカルド・シャーイ。演奏はウインフィル。音の鮮度が高く満足。オーディオやAVは昔の機器や録音でも現在でも立派に通用する。何も新品を買わなくても中古で十分なのだ。これでは、ハードやソフト業界が寂れるのも無理ない。どんなイノベーションが訪れても活性化してない。多分、昔に確立された技術で人間の感受性を満たしてしまったからだろう。

7月22日(水曜日)
腹の調子が良くなって、昼飯を食べるようになった。前のように昼飯を抜いたり、少量にすれば夕刻腹が減って動けなくなってしまう。それで昼飯もきちんと食べるようになったので、体重は増えているだろうと思っていた。ところが減っていたのだ体重が激減している。これはおかしい。それでかかりつけの医者へ。膵臓も定期検査で悪かったので検査、尿酸値も高く痛風気味だったので検査をお願いしたところ、無事だった。コロナ以降、農作業を毎日半日は行なって来たが、結局これが身体への負荷となったのだろう。僕の場合心配事があると風景の色が抜けるから、お墨付きは重要だ。半日を要したが、これで良い。風呂を焚きながら、庭にある金木犀を切った。大木になり手に負えなくなっていたからだ。庭木は僕の背の高さまでが原則だ。

7月21日(火曜日)
写真集ニューヨーク版が粗完成。明日文章を見直して最終とする予定。これで4つの旅行記ができた。次はシンガポール。また、ワーグナー/樋口祐一氏を読み終えた。ページ数は多くはないがしっかり内容の詰まった本。クラシック音楽全般と、ヨーロッパの思想と文学が関連づけられて書かれている。なかなかの良書。ご飯を食べながら読んだので本が汚れてしまった。午後ゆっくり準備して赤岡警察署に行った。免許証の更新。30分の講座がある。平成とか令和の年号で話すので一体何年前なのか分からず聞き流し、講師の方も、スライドに基づいてない話は西暦で話した。公の資料は西暦で願いたい。個人的なもの、芸術は本人の好みで良い。ワーグナーの生きた時代1800年前後、社会の勉強で日本の歴史を勉強したが元号で覚えたので全く使い物にならない。嘉永6年(1853年)は黒船襲来だ。「嘉永」は全く役に立たない教育だった。その足でヤマダ電機。4k対応18G bpsHDMIケーブル購入。さらにプールへ。2km。最近1500mくらいで飽きるようになった。未だ疲れはないのに面白みが消えて退屈になるのだ(たぶん、脳内モルヒネが出なくなったためだ)。帰りベートーベンバイオリン協奏曲/ブルーノワルター版を聞く、中々良い。帰って、PS3のHDMIケーブルを新規タイプに交換。音の広がり奥行きが出てきた(もっとも今まで使っていたのはPCのボードに付属のケーブルだった)それで、今晩はヤンソンス指揮のベートーベン交響曲9番を聴く。チョット違和感のある演奏。だが音が良いので満足。

7月20日(月曜日)
サトウキビ仲間にメールした。昼食会を開催するからお越しになりませんか?メンバーは師匠とそがさんご夫婦の4名。12時に来られると返信。ご招待の名目は「美味い素麺が手に入った」から。掃除らや、具の準備などに2時間を要し、12時丁度の時刻から開始。皆さん慣れたものだから、勝手に始める。これでいい。素麺は「揖保乃糸(兵庫)」木箱入り。椎茸は自家製の砂糖で煮込む。評判は良い。卵は同じお汁で焼くが色が悪く評判よくない。セイソウが無いと強い不満。ネギと、茗荷は用意したのだが。その上、そがさんの奥さんの不満は、主人が芸西村に出かけると中々帰って来ない、あの2人に捕まっているからだろうと推測をすると案の定だった事(いつも主人の首輪をつかんでいたいのだ)。そうは言うものの、この2軒の夫婦仲はすごく良い。延々5時間食って話した。老人の話は繰り返しが多いので理解しやすい。ニコンで記念写真を撮った。いつまでもこんな事が続かないのだろうと思ったから。我が家のサトウキビは葉が黒い。土地が肥えていると言う。もっと痩せると糖度が乗るのだが。無肥料で2年目だが、一向に勢力が衰えないので不思議がっていた。皆が帰った後、まずは風呂を沸かした。暗くなると難しいので。それから後片付け。そしたら息子がうなぎを持ってきてくれた。聞けば明日が土用だとか。飛行場の東に高知県1番の鰻屋がある。そこの品だ。ありがたい事だ。普段人と接して無いから、久しぶりに会うと嬉しくなる。まぁ農業をやっているとコロナに関係なく人との接触は少なくなるけど。夜の音楽は、オペラ「リゴレット」を一部とモーリス・ラベル/ラプソディ/ミンシュ。AVシステムの方で聞く。CDの再生をBDレコーダーで行っているが、僕は音が軽率にならず、繊細さをしっかり出している認識。よくCDにこれだけの音が入っているね的印象。


7月19日(日曜日)
午前中翻訳作業。長い文章でてこずった。文章の流れを阻害しないように、不要な単語を端折った。本来なら全てに意味があるはず。それゆえ、訳文が少し違うかもしれない。午後は集会所の清掃。紐の草刈機を持参していい仕事をした。帰って除草剤散布。特に崖崩れの畑は念入りにかけた。草が枯れる頃梅雨も上がり、崖修復の作業ができるだろう。妙に疲れ15分くらい休憩の後、家の裏の崖の草刈り。鬱陶しさが幾分和らいだ。風呂を沸かし土佐山田にある長岡温泉に出かけた。1500mを泳ぎ、温泉に浸かって疲れを癒した。そして体重計に乗れば50kg。僕の標準から5kgも減っている。ちょっとおかしい。病院へ行って検査が必要だ。体は調子が良く、膝が少し痛い以外は全く自覚症状が無い。あまり調子が良いので、「もう休暇は終わりですよ、明日からフルタイムの仕事に戻らなければダメですよ」そんな声が聞こえ来そうだし、もしそうなれば「わかりましたよ」と返事しそうな体調なのだ。気力も十分。だがそんな時に病魔が潜む。何があってもおかしくない年齢に差し掛かかっている。プールから帰ると身体が軽い。いつもこんなんだと良いが。夜の音楽はベルリオーズの幻想交響曲/ミンシュ。ネットで調べるも、誰も彼の演奏を名盤だと押さない。それはないじゃないのと思うほど良い。躍動感や各楽器の粒立ちが聞き取れる。ブラスも遠くから聞こえてくるし立体感がある。ただこの音楽は鐘がなる。鐘の音を聞くといつも良く無いことが起こる。体重の減量と相まって心配が増えた。

7月18日(土曜日)
昨日の薪割りが響いて今日はしんどい。よく寝たのに疲れが残っていて、動くのに掛け声が必要だ。今日からは大きな作業がないから、家の周りから整理し始めた。家屋は、幅30m奥行き40mの敷地に小屋まで含めると8棟の家屋がある。住居はいずれも100年越しだから、あちこちにガタが来ている。大工さんにお願いしたら、いくらかかるか不安なくらい治すところがある。それをひとつづつ自分で直してゆく。今日は風呂の屋根にペンキを塗った。何度塗っても雨漏りを止められないからだ。次に蔵の屋根の瓦がずり落ちてきているので、シリコンで固定した。この作業は全体の1/10くらいの進捗。屈んでの作業は腰が痛くなる。一度に出来ない。他にトタンの錆をペンキで止めなきゃならない。今まで放置してきたから、急ぐ事はない。他にもする事が山積している。①崖崩れの修復。②きまさごの水捌けのため土管を埋める。③読書済みの書籍のスキャナー。④BDディスクのラベル貼り、⑤LPのハイレゾ化ファイルにアットワークの追加。そうこうする間に冬が来てサトウキビの収穫作業が始まる。大阪に仕事に行ってないのにする事が山積だ。それに、夜は音楽を聴かにゃならんし。

7月17日(金曜日)
洗濯日和だが、もう洗うものがない。昨日は絨毯を洗った。これは気持ち良い。昨日注文したチェーンソーのノコギリ歯も届き、薪割りはスルスル進み、5時には伝承館に運び終えた。これで、一連の大きな作業が終了する。普段ならここで一杯飲むわけだが、7/15「ためしてがってん」を見てからやめた。この番組は、夜のトイレ問題だった。対策として、寝る前に足を上げて15分を実行すれば夜のトイレは無くなる。と言う。それで実行したら朝の6時まで一直線だった。元々夜のトイレは無いのだが、3時過ぎくらい(多分)から我慢して寝ているので、自ずと眠りが浅いのだ。僕はそれに加え、寝る前の入浴(食事前と合わせて2回目)を組み合わせた。これでたっぷり汗をかく。そうすると、6時起床(村の鐘が鳴る)時、トイレにはまだ余裕があった。朝まで一直線が3日続くとどうなるか?元気が戻ってくる、何でも楽しい、「娘18、箸が落ちてもよく笑う」ことわざがあるがあれと同じ状況になる。気をつけねばならないのは、筋肉や敏捷性が落ちているので怪我への配慮。音楽もよく聞こえる。1940年代のシャルルミンシュのCDなんかも、針先で絵を書いたような解像感を持って聴こえてくるのが不思議だ。そんな延長線上でローリングストーンズのMax20アルバムLPを再生した。「黒く濡れ、ジャンピングジャックフラッシュ、テルミー」。当時彼らを聞き始めたのは高校生時代。この音がどんなにしても「ダンゴ」になって聞こえ、対策を真剣に取り組んだが解決できなかった。それが今同じ状態で流れてきて、この音源は元々こんなだったんだと「がてんがいった」50年ぶりの解決を見たのだ。

7月16日(木曜日)
洗濯日和。今日は車庫に積み上げた薪を裁断し割った。薪割りほど厳しい作業はない。大汗が流れる。未だ半分で今日の仕事を終えた。もう腰がついて行かない。ワーグナーの書籍も読み始めた(主に昼飯時)著者はワーグナーの周りを固めそして本筋に入ってゆく結構大袈裟な文章構成をしているが、こんな構造は大好きなので結構時間を忘れて読んでいる。15世紀ルネッサンスで開花した絵画、17世期〜18世期に始まった宗教音楽からクラシック音楽。思想ではマルクスやゲーテ、ニーチェについて綴ってある。これらのテーマを貫くポイントは神の存在についての話だ。要は「神を信じる気持ちが歴史とともに薄くなって来ている」と指摘。ところが、ワーグナーはその逆について、多くの歌劇を書き、ニーべリングの指環で一つの解を示したと書く。この作品は昔から関心があって、連続ではないがVHSに録画した。今はDVDに画質の悪いままダビングして残っている。当時は、S-VHSに3倍モードで録画すれば大丈夫と認識していた。今思えば浅はかな知恵だった。以降、いろんな機会に録画してある。でも、一度で良いから(と言っても全編で16時間くらいもかかる)ニーべリングの指環は是非とも本番ドイツで観たい。4部作で最低4日、順序が違えば場所も違い移動に1日挟むかもしれない。20日間は覚悟の旅になると思うが指環にはその価値があると思う。アメリカのメトロポリタンオペラ劇場が効率良いかもしれないが、ドイツ優先だ。2023年頃かな?

7月15日(水曜日)
次世代通信5Gは映画が2秒間でダウンロード出来る。僕は以前から嘘を書くなと指摘した。その理由は、①ダウンロードされる提供先にその送り出し能力があるか?②基地局から先は4Gも同じ光回線を使う、それがその能力を発揮できるか(我が家の夜の光回線速度は2Mbpsが出ない)そして、③今囁かれているのは、基地局の設置に遅れが生じるので4Gの電波帯域を使う案だ。これだと早急に全国の1/3くらいは網羅できると言うもの。電波の事を詳しく言えば、周波数が下がると送る情報量は減ると言う事だ。AMラジオよりもFM放送の音が良いのは、周波数が高いからです。つまり、次世代通信は4Gの電波帯域を使って行う案が有力で、それだと速度の優位性は今までと変わらないのです。いいとこ取の報道は辞めて欲しいと言っているのはこんな事もあるのです。僕は、5Gの基地局を数百メートル毎に設置出来るのは、街中のみで、日本の多くの地方はそれはあり得ないと思う。山で遭難しても4Gなら電波は届くが5Gなら届かない、結局は4Gの電波を使って5Gを運営するだろう。そうすると5Gの最大のメリットは何かな?日経新聞はIT雑誌も発行しているから、知識人は厚いはず、何故真実を書かない?まだある、有機ELテレビは液晶テレビより自発光なので消費電力が低い。これも嘘、有機ELテレビは、液晶テレビの約2倍位の消費電力だ。ついでにもう一つは、在宅勤務がコロナで可能になった、早まったと言うべきか。全世界同時にスタートした。在宅勤務度が企業や国の競争力になると、日本は困った事になる。なぜなら世界中から雇用が出来ないからだ、言葉の障壁で。こちらもコロナについての記事やニュースは日本の競争力を高めるチャンスとなると煽るが、僕は一段と競争力を削ぐ方向になると思う。何故その危機感を発信しないのだろう。

7月14日(火曜日)
お盆。父の兄のお盆。大雨となり車で出かける、帰りは晴れると思っていたから、車に自転車を乗せて行った。これは大正解。近所の若い氏が来てて話した。コロナで補助金が300万円ほど入ったらしい。勿論、生業の生花栽培での収入はそんな物ではないから焼石に水だが、ないよりはまし。色々と体の老化が始まったと嘆いていた。61歳。僕の場合は66歳からそれがやって来たので少し早い気もするが。午後2時半お開き。帰って音楽を聞くがいつのまにか眠っていた。中途半端な眠りと腹の満腹感。健康を慮って夕食なし。少し運動が必要だが、出かけると危ないから、部屋の掃除を丁寧に行って風呂を焚いた。これでも2時間は要したので十分な運動だろう。お酒も抜けたので、スパイダーマンを見る。MJにピーターがスパイダーマンとバレる内容。何度も見たが、見るたびに発見がある。という事は、翻って考えれば、日常の生活において抜かりなく行なっていると思いきや、抜けと人の話を十分に理解してないままやり過ごしているのだろうと気がついた。

7月13日(月曜日)
午前中は、ベルリン旅行記を仕上げることができた。この旅行では未だ、写真と旅行記の関連に目覚めてなく、写真数が少ないこともあって1ヶ月で仕上げた。残るはニューヨーク版だが、こちらは粗を書いているのだが、PCのどこに格納したのか見つからない。6月27日以降16日ぶりで、サトウキビ畑の草刈りを行った。途中から雨が本ぶりになって体が冷えてきたので作業を終えた。こんなに間が開くのは初めてだが、草にも勢いがない。この間は強烈な雨に祟られたからだろう。それで草の成長も1週間ぶりのような感じで手入れしやすかった。時刻は3時半、それから既に車庫に取り込んで1年寝かした生木を焚き木として伝承館に運んだ。丁度師匠もここに来られてビニールの覆いを手伝ってくれた。もう1車運べば我が倉庫は広いスペースが復活する。雨と草刈りの泥でベトベトになり風呂を沸かして入った。薪で焚くので直ぐという訳にいかず湯が沸くまで待ってからになる。田舎生活は全てのことを一手に引き受けて、生活が回っているので、手をぬけばそれだけだらしなくなるだけ。例えばテレビを見る座椅子の前の絨毯にネズミが糞をしたから洗濯した。だがこの雨で乾燥しない。その生乾きの絨毯をコインランドリーまで行って乾かす。その反面、夜になると秋の夜長を鳴き通す虫がもう聞こえるし、まだホトトギスは夜も鳴くなど風情は満点。夜の音楽はサンサーンスのピアノ協奏曲1番。僅か25分だが、眠くて眠くて我慢できず聞き通すことが出来なかった。

7月12日(日曜日)
降り続いた雨は上がったようだ。LPレコードのハイレゾ化は、その音楽を格納したNASを短いLANケーブルで結ぶと音の鮮度上がり十分いける確信を得た。もう一つは、ボルトン全補佐官の英書の翻訳(文章単位の細切れ翻訳)を一連の文章にして貼り付けた。6/23-6/30迄の文章と7/1〜の文章はだいぶ違っていて出来が良くなっている。578頁の内11頁まで来た。この人は実業家なので、変な表現はないし、意味の深い単語もない(と思う)ので訳しやすい面がある。しかし、政治的な駆け引きの心情を吐露したり、歴史的に尊敬できる政治家や経済学者などの氏名がポンポン出て来て、ファーストネームだけの場合もあり、僕は土地の名前?人の名前?などと色々悩まなければならないので、単なる訳ではなく、背景を飲み込むのに時間がかかっている。(商売用の翻訳家になるのは無理だとよくわかった)昼からお寺から引き上げて来た薪を伝承館に運んだ。直径の大きな薪は、割って行った。これを2回繰り返し2山出来た。丁度師匠が居て、これで10釜ぶん(2000kg)はあるね。ところで、「次はいつにする?女房が楽しみにしちゅうきに」「14にお盆があるので、その時に聞いちょく」と返答。「それに今は船が出てないきに、魚が手に入らん」として別れた。これ全て懇親会の話し。夜はブルックナー7番/ワルター。2枚あって両方聞くが、コロンビアシンフォニーが良かったかな?程度の差。音質差もあるので。ワルターはドイツ人。音楽が演奏される前に英語で話すが、日本人のように単語を一語一語区切って話すので割と聞きやすい。

7月11日(土曜日)
天気予報通り朝方強い雨。すっかり覚えた単語→「線状降水帯」が芸西村にかかる。レーダーをよく見ると雨雲は動いているようで切れ目があった。よしこのタイミングでトイレへ。しかし小便をする間に次の雨がやってきた。トイレの通路でしばし雨宿り。小降りになったタイミングで部屋に帰る(田舎のトイレは家の外にある)。しばくレーダーを見ていると、雨は安芸市に逸れた。芸西村は雨が上がった。それで起きることにした。毎朝足が痒い。大きくはないが小さなダニに噛まれているようだ。お寺の木の始末で地面に近づくから仕方ない。足をかきながら食事の支度。ここ3日間はかっぱ市場で買った瓜のジュース。太陽たっぷりだと甘いが、生憎とこの天候だから甘さは足りない。今月は未だ1冊も本を読み上げてない。理由は2つ。一つは豪雨で結構テレビニュースを見る時間が多かった事。2つ目は、ボルトン補佐官の書籍の英訳に時間を取られているから。(やっと11ページまで来た)。昼からPCM録音済のHDDから、アルバムにレコードジャケットを貼りつけて、Flacに変換する作業(ハイレゾ音源になる)。BDのタイトルをディスクに貼り付ける作業。その後プールへ。今日の2kmは結構キツかった。このまま推移すれば、100km/1年も夢じゃないと思ったから無理をしたのだ。もう2.5kmは遠い存在になってしまった。夜の音楽はシャルル・ミンシュのアルバムを聞いた。音質が悪いのに妙に惹きつけるのは、どうやら演奏の奔放さにあるようだ。現在の均質化されたクラシック音楽(多分これはカラヤンが敷いた路線ではなかろうか)はどうも詰まらんと思っていたから。ミンシュは意外と古い時代の人(1891-1968)で録音もモノラルが多い。しかもこの人は、メジャーな作曲家よりもフランスのあまり知られてない作曲家の楽譜が得意なような気がする。

7月10日(金曜日)
2つの事件。一つは現役時代、上司が言っていた「キャノンを怒らすと怖い」もう一つは、「スーツを着なくなった」一つ目の事件について。キャノンEOS-R5が発表された。フォーカス性能ではソニーを抜き、起動時間ではフジを、手ぶれ補正ではオリンパスを、顔認識ではソニー/パナを、動画撮影ではパナを凌駕。レンズ充実ではニコンを。暗いシーンのAF認識ではフジを、いずれも全面戦争を仕掛ける豪華内容で、今発売されているカメラが全て色褪せて見える。オリンパスはいい時にカメラ部門を手放し経営陣を評価しなければならない。オリンピックまでにパナのGH5の次期バージョンを期待したが無くて、G9PROでお茶を濁した苦い経験があって、マイクロフォーサーズに失望したが、それだけで終わらずキャノンの発売で死刑宣言を受けたようなもの。パナは結構頑張っていたPOS端末でさえ手放した(マクドのレジのとか)ので、ブランドにこだわらず早晩LUMIXブランドは消えるだろう。iPhoneXで撮影して12.9インチのiPad Proで見る写真は眼を見張る美しさがある。これじゃ、もうフルサイズしか生きる道は無いのではとイタリアから帰って思った。だからその決定打をキャノンが発売したともみるべき。もうどうしようもない一人勝ちのカメラ。それに、キャノンのカメラは誰が写してもそれなりに綺麗だから、写りについての心配はない。ただ、ニコンはヘコタレナイだろう。ニコンのシャッターボタンを押す感触は、何者にも変えがたい写真を撮影する楽しさと魅力がある。ニコンはZ7sでお茶を濁すのだろうか?赤字体質なので、本体手ブレの開発は無理だろう。僕は早速キャノンを買うためのレンズ選びを始めよう。2つ目の事件はブルックブラザーズの経営破綻だ。僕が営業の仕事に就いて苦戦をしている九州時代、慰めはダーバンのスーツを買う事だった。ネクタイもシャツも同時購入で10万円位の予算だった。それ以降ダーバンファンだった。営業職最後は大阪。ここでは友人の桑原さんと時々百貨店を訪問してブルックブラザーズのトラッドスタイルのスーツを買うようになった。それ以降東京に職場が移ってからスーツを着る機会が減って買わなくなった。そんな訳で「ダーバンとブルックブラザーズは僕の営業職とぴったり一致」していた。その2つが今年経営破綻した。偶然の一致では無く、コロナでもなく時代の変化だった。カメラと言い、スーツといい、僕の求めるものは衰退の傾向にあり、まさに僕は昭和にしがみついて生きている人だと思った。残念ながら。

7月9日(木曜日)
武田邦彦氏のセミナーを拝聴した。前の会社からDVDが送られてきた。これぞ先行きが見えない現代社会における一つの指標だと目から鱗。何が正しいのか明確だ。僕は、アメリカをトランプ時代になって馬鹿にしていたけど、周りのブレーンにはやっぱりそれなりの戦略家がいるとの紹介があっり、やっぱりアメリカを指標としなければ、この世は渡っていけないと思った次第。日経新聞ではダメなのだ。それにはやっぱり英語の文献が読めないとダメだ。今一生懸命翻訳をやっているがこんな速度じゃダメだ。そんな新しくも厳しい刺激を受けた。これは僕にとっていい事。断続的に降る雨予想も外れ、昼からお寺の木こり。今日で完了した。薪割りも行ったので、腕が痛くて湿布の手当て。風呂の焚き物ように集めた納屋の木材にシロアリがいる、早く手当てしなければならない。夜の音楽はフルトベングラーのベートーベン第九、シャルルミンシュのリストのピアノ協奏曲1番の2アルバム。いずれもモノラル。いい音とは言えないが、現代音楽にない奔放さが魅力の演奏をしている。寝る時間が来たので渋々電源を落としたがかなり楽しい演奏会だった。生のコンサートとは違い、終わればすぐに眠れるのが良い。

7月8日(水曜日)
やっぱり高知は晴れの土地ですね。今日は雨も上がり洗濯日和。湿度が高くパリっとには届かずコインランドリーで8分間の乾燥。昼からお寺の木こり、軽トラック一杯に薪を積んで伝承館に運び込む。木こりは後2日間位で終える。そしたら崩れた岸の修繕に取り掛かる。マムシの巣があると言われる場所なので怖い。除草剤を丁寧に撒いて始めよう。除草剤で蛇が死ぬらしい。今日は疲れたが、朝たっぷり寝たせいで夜9時でも眠気の耐性があって、テリー・ギブス/ジェリコの戦いを聞く。ダイナミックレンジが狭い録音だが、そこはホーン型スピーカーでうまくカバーする。毎夜ジャズとクラシックの間を行き来している。僕自身、生き方のスタイルに未だ迷いがあるのかもしれない。すなわち、アメリカンスタイルの大雑把派とヨーロッパスタイルの匠派。今の所、農作業はアメリカスタイルで趣味はヨーロッパスタイル。もういい年なので、どちらかに決めて自分流が出来上がると迷いがなく楽なのだが未だフラフラしている。NHK7時のニュースで中央大学山田教授が大雨に対し非常に明確な解説をされていた。これぞ専門家の話だ。山田教授によると、河川はその土地の雨事情に合った大きさだから、降水量が少ないから油断のないようにと東北地方のことに触れた。最近は専門家の話があまりにも普通の人レベルで(そんなこと言われなくても知っているわ的な話や記事が多い)うんざりしてた。マスコミに登場する専門家はレベルの低い人で、きちんとお金を払った講座でなければ本当のことは聞けないと思いましたね。だから今日は感激した。NHKはいい仕事をする。

7月7日(火曜日)
毎年梅雨の最中だが、この日に限って雨は上がる。今日もそうだ。先祖様の清掃作業をする間は雨が上がっていた。僕はこの日に向けて除草剤散布や、溝の管理をしていたので、清掃は短時間で終わって、先祖様を構成する長老は、「3時から宴会をするぞ」と言われた。「風呂を沸かさないかん」と言ったが3時決行となった。薪はビニールハウスの廃材を中心に使った。普段は半生木も使い、倉庫の片付けに一役買っているが、今日はそんな猶予なし。だが45分の薪焚きではぬるま湯、寒いが浸かった。大雨は九州の久留米方面に移った。宴会は、返盃あり、大声ありの昔のまま。伝統を温存していると言ったら良いか?コロナ無防備と言ったら良いか?僅か六人なのにビール缶がたちまち20本空く。僕は痛風でもあるから、ビールは出来るだけ控えた。それでも2本くらいは飲んだだろう。6時半解散。未だ明るく酔い覚ましに少し散歩しようかと思ったが、もし滑ったりしては取り返しがつかない。そうだ、家の掃除をしよう。かなり丁寧に磨いた。散歩と同じ労力と時間がかかった。鬱陶しい日には掃除をして気持ちよくなるのに限りますねぇ。明日未明から大雨だと言う。

7月6日(月曜日)
又、大雨だ。温暖化が影響しているかもしれないとタカをくくっている場合でない。武漢ウイルスと同様、気づいた頃には取り返しのつかない事になっているかも知れない。僕が最大限生き延びる25年間、地球は持ってくれれば良いが。今日はいっときの晴れ間もなく、従って運動も無く、午後プールに出かけた。超撥水のワイパーは高速に乗れば不要。雨水がウインドウ上に登って飛んでいく。今日の高知道はまさにこんな感じ。50mプールが使えたので2km。TVで福岡県の吉富町が危ない報道。そこに住んでいる友人に電話を入れ、山国川の水位確認サイトをメールした。危機が迫っているのに意外と明るい表情、まるでジュラシックパークのようだ。今夕は酒を飲んでないので、クラシック音楽。ショスタコの5番「革命」を聞く。僕は認識してなかったが、「夏はやっぱり5番だね。」と言う格言がある。夏はやっぱり郊外で聞くジャズだねと、ライブアンダーザスカイにしばらく通ったが、こう言う見方もあるのを知らなかった。5番は打楽器や管楽器の多様があり、ホーンスピーカー特有の音が出て、気持ちよかった。今日のトピックスは岸が新たに崩れて、大惨事となった事だ。

7月5日(日曜日)
小学生の修学旅行でサトウキビを作る体験学習をやりたいと申し込みがあって、今日は引率の先生たちに事前に実演して見せた。勿論サトウキビはないので、昨年に詰めていた蜜を原料に使う。さらに釜を焚くのは危険で、今回はコンロを使う。10時半に説明会は終わり、それからNPO法人の打ち合わせ。僕は監事に任命された。昼飯をいつもの三人で食べた。いつもつるんでいるともう話すことがない。帰って昨日大雨の中確認した雨漏りの箇所を修繕。笹が樋に詰まってそこで腐り、樋が破れていた。風呂の雨漏りはペンキを塗り直した。残った時間お寺の木こり。割った薪を足にぶつけて痛む。骨に影響がなければ良いが。風呂を沸かすときにも難儀した。そこへ息子が帰ってきてケーキと「乃がみ」の食パンを誕生日プレゼントにくれた。勿論ケーキは息子が半分食べた。息子の誕生日お祝いはしなかったのに(日付けが近い)申し訳ないなぁと言ったら、昨日の喫茶店でいいよと許してくれた。結構な雨が降っている。これ以上被害が広がらないでと願うしかない。今年は高知に住み着いた実感がある。そして毎日何かと戦っている。安心して気を許すことが出来ないのが森の中に住む掟のようなものか。未だ身体が動く間は戦えるが、その先どうなるのだろう。家屋と言っても、隣の山に続く道はかなり上まで管理しないと鉄砲水にやられてしまうから、かなり広範囲だ。そんな話を息子にしたが僕も父から聞かされた時にはあまり気にかけてなかった様に、息子も馬耳東風だ。まぁ僕は酒を飲みながらの話だったが。夜、毎日「ビレッジバンガード」からジャズライブのチケット購入案内が来る。そうだ、酒に酔った夜はジャズだ。と言う事で、LP「スピークロー」に針を落とした。いいね。アメリカはマンハッタン52ストリートに行かなくても、ここで同じように楽しめるぞ。

7月4日(土曜日)
自分は眠った後、何があっても目覚めないので地震や火事などの発生に対して不安があるが、昨晩は雨の音で目覚めた。かなり強い雨だった。その雨が波状攻撃するので、そのリズムに乗っていると再び眠りに落ちる。そして次回の大雨で目がさめる。これは結構強いなと国土交通省のレーダーを見れば、熊本県の南がやばい。球磨川が危険水位を超えている。最も、そちらは川が浅いので5m位でそのレベルに達する。芸西村の河川でさえ4mが危険水位で、こちらは雨の耐性が高い。それは置くとして、熊本にかかる帯状の雨雲は、次第に東に流れてくるが、その延長上に我が芸西村があって、朝の時間帯には既にその端が、豊後水道を超えて、土佐湾を横断し、安芸市と芸西村に伸びてきている結構やばい状態。数十年に一度の雨が降っていると九州の雨について報道し、3年前の九州豪雨によく似ている。???多分こう言うように理解すると良い。1967-2017の豪雨が九州の福岡で起きたもので数十年に一度。そして今回は2020--2070年に1度発生する豪雨。それで、数十年に一度の報道の辻妻が合う。僕としては、気象庁のこんな発表はやめてもらいたいのだが。もう一つ言わせて貰えばこの災害を平成など「年号」で呼ぶのもやめてもらいたい。平成21年の・・と言われても、さてなん年前の事だろうと分からなくなってしまうから。(警視庁の凶悪犯人の顔写真も同じく平成表示なのでさっぱり分からん)。それはさておき、近くに素晴らしい喫茶店があるのを知った。息子を誘って駆けつける。住吉の海沿いにあって、徒歩でも1時間で行ける距離。午後は太陽が出てきて、お寺の木こり。今朝の雨の後ろにはこんな強烈な太陽が隠れていたのか。今日は焼けるほどの強い光線だった。汗だくで終了。半分くらいは終えた感じ。明日からは太い丸太の裁断に入り、かなり厳しい。明日は他にも雨漏りの修繕や、サトウキビの体験会のお手伝いなど多様。誕生日もお祝いしなければならない。

7月3日(金曜日)
東京都のコロナ感染が増え続けている。それもホストクラブ。20-30歳代。私の疑問はホストクラブは年増のおばさんが若い男を求めて行くところの認識。だから感染するのはもっと高齢者のはず。しからば、高齢者は慎重だから、これほどホストクラブのコロナ汚染が報道されれば、行かないだろう。ではどうしてホストクラブの従業員ばかり感染するのだろう?20歳代の若い女の子がホストクラブに行くのだろうか?もう一つ、地球の人口77億限界説。新たなウイルスが見つかって、コロナだけでなく、他の感染もあって2重取得のような患者も現れているとか。いよいよ人口抑制の兆しです。一方で人類は危機を察してか、コロナによる外出禁止で出生率が新興国を中心に急上昇しているらしい。死ぬ数が多いのか、誕生するのが多いのか?せめぎ合いが続いているらしい。神の結論は人口抑制策に傾いてはいないか?それも、高齢者を標的にして抑制するのか?午前中は雨が来る前にと、西側の竹垣を刈り終える。午後はBDのラベル整理、WAVのFlac変換とアットワーク貼り付け。いずれも莫大な量があり、年内完成は難しい。午後遅くプール。今日は1000mを越してからぐっと疲れが出てきて1600mで断念。プールに出かける前から凄い空腹だったのが原因か?帰りは豪雨。4輪駆動だから走りは安定している(水たまりに入った時などの挙動は凄く良い)が慎重を極めた。夜はオペラ「ナブッコ」中盤の合唱部が凄く良くて拍手が鳴り止まない。指揮者のJames Levine氏はもう一度同じ所を演奏する。オペラ劇にはあり得ないが、そこはアメリカ、何でもありだ。顧客満足は嫌が応にも高まる。ナブッコの娘が生贄にされる所まで見てダウン。

7月2日(木曜日)
昼食をサザンクロスで師匠/曽我さんといただく。サザンクロスは満席。村営の食堂なのに、人気が高い。量がある程度ともない価格がこなれているのが基本的な理由。村の西部が見渡せる立地条件も付加し、女性に人気。5日に小学生対象の体験サトウキビを開催するうちあわせ。サトウキビはないから蜜で対応するとのこと。5日は僕の誕生日。先月は息子の誕生日を忘れていた。7日は先祖様のお祭り。19日は集会所の清掃。それまでの間に従兄弟の家でお盆の法要が営まれる。美智子ちゃんを呼んで飲会も開催しないといけない。2時に帰って家の周りの草刈り。サトウキビとは関係ない畑の草刈りだ。4時半に切り上げて家の西側の竹垣切り。1/3を仕上げて終えた。僕が家のまわりを闊歩すると燕の子供たちが騒ぐ。彼等が生まれてすぐ僕を見る機会があった、丁度この時は雨で親鳥も餌を運んで来れなかった。まじまじと子供たちは僕を見た。これがきっかけで、僕の足音がすると、子供たちは大きな声で鳴き騒ぐ。まるで親鳥が餌を運んできたかの様に。ちょっと罪作りなことをしたなと思った。例え言葉がわからなくても、燕の子が鳴くとほっとけない様な切実感がある。何と今回も5羽の誕生だ。

7月1日(月曜日)
近所のおばさんに捕まった。ちょっと朝の挨拶をしただけなのに。相手は暇、僕も暇だと思われているから、蜘蛛の巣に引っかかる昆虫のようなもの。木や竹の退治、集落活動センターの活動内容。田に稲を植えない理由。たっぷりと1時間。まだ身体がだるいのは、1昨日の水泳のせいだと思った。午前中はドイツ旅行記。丁度1年前の事だ。カメラの扱いに慣れてなく、時間設定にミスがあって、いつ撮影したのかが記録データからは読みにくいので、時間を要している。梅雨のない北欧の抜けるような晴天での撮影に文章を追記している。徘徊した場所の記憶が喪失していて、写真とネットで拾うデータを見比べて場所を特定しているから中々進まない。午後はお寺の木こり。半分くらい進んだかな?炎天下で、汗が流れた。久しぶりにズボン全体に汗が滲んだ。帰って風呂を焚き入浴後買い物。息子からベトナムのおせんべいをもらった。会社のベトナム人の同僚にもらったとの事。残念ながら美味しくない。夜は、オペラ「ナブッコ」の続き。Pドミンゴ以外の役者は肥えすぎ。歌は上手くともあれ程の肥満では観るのが憚れる。疲れで途中まで。

6月30日(火曜日)
朝から本格的な雨で、今日こそはゆっくりできる。趣味を楽しもうと朝起きた時に期待したが、生憎と気分が乗らない。身体がだるく何をするにも嫌気がさす無気力状態。取り敢えず、昨日気がついた、シアターシステムのフロント右チャンネルの中音のスピーカーから音が出てない問題だけは直しておこうと取り組んだ。原因はスピーカーコード外れと、スピーカーリレー接点が上手く動いてない事。このスピーカーリレーは古いアンプに付き物で、先日導入したSEA7000もこの問題に直面している。今回はボリュームを上げて電気を流す事で無事復活したが長くはないだろう。プライムのアンプに交換するか、AVアンプの余っているチャンネルを使うか対処が必要だ。音のチェックにズービンメーター指揮N響の震災復興コンサートを観た。曲目はベートーベン第九。これには感動しましたね。最後の合唱のシーンではメーターも一緒に歌っていた。バーンスタインもいくつか感動の嵐を呼ぶ演奏をしているが、メーターもそれができるんですね。メーターとは1972年小田急ショウルームで「ツァラトゥストラはかく語りき」のロンドン盤から始まったと記憶している。以来音の良い演奏家としての評価だった。東京ショウルームではハイレゾでマーラの2番が定番だった。昨年はベルリンで、R・シュトラウスの歌曲を振ったのを聞いた。メーターはお歳で縮んでしまい、一方で女だがソプラノ歌手が大きく、影に隠れて見えなかった。演奏は弱々しかった。ドイツでは190cmくらいの大女が闊歩していて、捻り潰されそうだなと思ったが、この歌手はまさにそれ。雨は強く、気分を萎えさせ、なんとはなく録画した番組を見ればロシアの映画でモノクロ、ドイツ軍と戦うものだった。小道具が貧弱でツッコミがあるものの、8人のソ連精鋭がドイツに渡った秘密兵器の奪還に奮闘する。内容は何とも浪花節的な人情のある映画で、しかもそれぞれが手柄を立てるが、順に死んでゆく希望のない映画だ。この映画には表層と裏面がありそうな感じもする。もう数回見れば単なるアクション映画ではないとわかるかもしれない余韻を残した。


6月29日(月曜日)
今年の梅雨は意外と晴れ間が多く、それで農作業の休みがない。草との戦いも当方有利で展開している。疲れはたまりしんどい。が、老人はここで息を抜きのんびり休憩すれば元に戻れない危険も潜む。どうしたものか思案のしどころ。午前中は定番の室内作業を済ませて、午後はお寺の木こり。後10日くらいの作業が残っている。今日は夕刻ギリギリまで作業はせず、ある程度片付いた段階で帰った。南国市のツタヤの注文してある書籍の購入がある。これが無いとラジオ英会話が聞けない。ついでにリハビリを兼ねてプールへ。このプールのおかげで、痛風も、腰痛もそこそこ持ちこたえ、肩こりは経験したことがない。今日のプールは30歳くらいの太ったニイちゃんに追い上げられ、久しぶりに本気を出して応えた。ここ最近は心臓がばくばくするので、本気の水泳は敬遠してたのだが、妙に今日は調子良さそうだったので、エンジン全開をやってみた。まぁ自粛続きで時には羽目を外したい気持ちと同じ。50mを1分位で泳ぐので、結構気持ちが良いし、そこのタイル目が読めないほど後方に流れてゆく。快感が続くが調子に乗ったらまずいだろうと500mくらいでニイちゃんにをぶっちぎりクールダウンに入った。待機してたおばさんがもう終わり?と声かけてきた。ええ終わりです。もっと頑張れば良いのに。いやこれが限界です。久しぶりに身体が軽かった。

6月28日(日曜日)
翻訳作業は軌道に乗ってきた。少し速度が出てきたのと、前後の話が繋がり始めた。それにボルトン氏の文章構成が少し分かってきた。午前中にはこれを当てて、午後からサトウキビ畑の草刈り。10日に一度、梅雨の合間にできている。昨年はドイツ旅行があって、しかも手で草を引いていたので、草の間にサトウキビがある状態だった。昨年の6月19日に草刈機を使う事を発見してからは、手作業をやめ、しかも畑一枚をその日のうちに完了させている。それまでは去年の農業日誌を見ると毎日草刈りに忙殺されていた。今年は大阪行きがなく4日間も加算されるので、草との関係では余裕があるのだ。その余裕で庭木の手入れも行なっている。それが終われば、東の蔵の2階とか、母屋の座敷うらの部屋とかの片付けも着手する時に来ている。体が動ける間に家の整理は終えてしまおうと思っている。古いが広い屋地なので未だ知らない事もあるのだ。肉が多い献立は簡単だが、野菜が多い献立は難しいな。今夕はまさにそれだ。今夕の音楽はオペラ「ナブッコ」幕間にプラシド・ドミンゴのインタビューなんかもあるが、未だこの英会話は理解できない。舞台は非常に綺麗。オペラはメトロポリタンがヨーロッパからお株を取り上げた感がある。今度はアメリカでオペラを見るぞと思うが、実現はずっと先だろう。それまでにWOWOWが4Kになって、自宅で4K100インチ5.1chの放送が楽しめるから、もう行かなくても良いのかなとさえ思えてくる。コロナの感染状況を見れば、アメリカとブラジルの差は120万人のまま推移。僕は差が縮まると思っていたが、アメリカは終息の兆しなし。これでは行けないじゃないか。

6月27日(土曜日)
8時まで就寝。昨日の疲れと酔いがすっかり抜けた。午前中、HPのアップと、翻訳。午後は草刈り、雨が降っていたが挙行。夕刻庭木の手入れ。夕食は買った物や頂いた野菜で調理。野菜ばかりで腹が膨れず飯を多く食べる。夜の音楽は中止、翻訳作業。僕は専門的な経済の勉強などは習得せず社会に出たので、イギリスの経済の大御所の名前(トマス・ホッブズ1588-1679)なんか知らないし、ましてや、その人の格言なんか(孤独、貧相、意地の悪い、粗野な、短気だった(本意は違っているかもしれないが))も、もちろん知らない。しかし、ボルトンはこんな文章を引用する。訳するにはその経済学者について知ることも必要で、遅々として進まない。さらにはアメリカの政治システムや、ホワイトハウスの構造なんかも知識としている。オバマ夫人の書籍でホワイトハウスについては少し知識があったが、それは裏の事で、政治の表舞台としてのホワイトハウスの知識が必要だ。Web検索では全てに日本語解説は有るわけなく、英文もあったりで、遅さに拍車がかかる。やっと3頁目で、辞書を引くのも朦朧として何を調べているのかな?と元に戻ったりし始めたのでここでダウン。かなり意気込んで取り組んだものの、3日間で、3/578頁。この本は僕には重いかなと思い始めた。

6月26日(金曜日)
今日は大忙し。最低限のラジオ英会話。それから買い出し。芸西村特有の、リュウキュウ、クロウリ、トウヤク、カチリ。リュウキュウとクロウリは、酢漬けとヌタの2種類を作った。台所を清掃して、今度はすき焼きの準備。三谷ミート(高知県では一番有名な肉屋さん)で買った土佐の赤牛の肩ロースですき焼きをするのだ。鍋がないので、焼肉用の鍋を使う。さとうはもちろん自家製の「蜜」を使う。味付けは師匠の奥さんにやってもらおうと計画した。全ての準備が終わった後、庭の手入れ。蜂が巣を作っていて、キンチョールで追い払おうとしていたら、その指をきっちりと刺された。ものすごく痛い。お客さんが来るまで、庭木の手入れを行なって、汗だくになって風呂に入った。懇親会用にきっちりと水気を抜いた感じに仕上がった。丁度そこに宅急便さんが来て、山形のさくらんぼのプレゼントが届いた。師匠が先に来られてサトウキビの生育を見てもらった。どうやら、「黒街道」の新種は、畑の奥側で日当たりが悪い為生育不足との判断。「今年はタネに取るだけにしいや」。との見立て。南側の畝をもう5mばかり西に伸ばして、北側の畝は潰す方向で解決を目指す。併せて、不足分は西段の上を使う事にした。その間に曽我さんは到着され、エアコンを入れてビールを飲んでいた。それから3時間。飲んで話を聞いて楽しく過ごした。「わしゃ死ぬ間際に気の合う人ができるとは思わなんだ」と言っておられた。飲み過ぎたが、後片付けが待っている、僕は片付けて台所が元の様にピカピカになるまで磨くのが好きだから苦痛に思わない。それにその間に酔いが収まる。多分他所の奥様方はそうは思わないだろうから、僕の体が動く限り自宅で開催するのだ。

6月25日(木曜日)
さすがに早く寝ると早く起きる。4時半から、ボルトンの本を訳した。序文からいきなりトランプ批判ですから、もう少し節度があっても良いかな。書籍は570頁にぎっしりと小さな文字が詰まっている。今日で2頁目。このぶんだと来年になってしまう。全ての余暇をこれに振り向けよう。音楽鑑賞も休止だ、そんな決意の矢先滋賀の知人からクラシック音楽のCDが届く。39歳で亡くなったイタリアの指揮者クイード・カンテッリ。SPレコードからの復刻版(だと思われる)。躍動感あふれる演奏かな。雨の予定が降らない、降るまでお寺の木の整理、結局昼までこの作業。昼に曽我さんからカボチャと玉ねぎをもらう。併せて明日の懇親会を案内。師匠にもメールを送る。風呂を焚いて、病院、プール、肉屋巡り。寸刻の猶予もなく、朝の翻訳の決意も霞んでしまった。


6月24日(水曜日)
今の歳になってやっとわかった事がある(最近はこのことが多い)。鳥の鳴き声だ。初夏はウグイス、コウジュケイ、ツバメのおしゃべり。これに加えて、よく耳にする鳴き声、それも四六時中。どんな検索にも引っかからない。ところが、今日は早く起きたのでまだ暗かったのに鳴いていたから、「夜鳴く鳥」で検索すれば一発で当たった。犯人は「ホトトギス」。織田信長で有名な鳥だった。「鳴かぬのなら、殺してしまえ、ホトトギス」。最近の若者はこう詠むそうです。「鳴かぬなら、どうでもいいや、ホトトギス」。コロナ禍で失業中の自営業者は「泣きたいのは、こっちだよ、ホトトギス」。この4羽が一堂に聞こえるのも田舎生活者の醍醐味です。鳥の撮影は800mmくらいの望遠が必要で、今の所範囲外。鳥の声を聞いて、農作業に勤しもう。朝、沖のハウス周りの田をトラクターで叩く。昼に役場でマイナンバーの更新。芋の柵は1時間で終わり、お寺の木こりの後始末に入った。木は重い、ダニがいる、蚊がいる、汗で目が見えなくなる。三重苦、四重苦。明日は雨だから今日は時間まで頑張ろう。それで8時半には就寝。

6月23日(火曜日)
今度はドイツ旅行記を書き始めた。Macでパワーポイントを使うのは、ウインドウズと些か違いがあって、ちょっとした事で先に進めない。芋の柵作りは、マルチを地面に固定する方法として、20cmくらいの枝が少し残った木を使う事にした。これなら地中深く差し込んで抜けない。一方でマルチの端は、木の小さな桟を使って端から丸め込みその上に先の木の枝の桟を使った。解決策が見つかったので、4時に終了。サトウキビ畑の草が伸びている部分のみ、除草剤散布。夕食の買い物に出かけ、6時から友人と懇親。このコロナ異変以降、僕の場合は懇親会の頻度が増え、サトウキビ仲間と友人とを順番に回している。1人でご飯の寂しさは飛んで行った感すらする。一大決心をして「The Room While It Happen/ボルトン」の書籍を買った。早速翻訳に入った。難しい単語はあるが、難しい言い回しがない(今の所)ので誤訳を前提にドンドンと進めている。ワードに転送し、英文の下に赤字で書き込んでいる。kindleでもワード上でも同じだが、単語にカーソルを当てると、簡単な意味は表示される。それに該当しないと電子辞書で例文などを見ながら単語の外堀を埋める。大体が政治用語なのでその辺が臭いぞと当たりをつける。ワードの紙面は無限大だから、改行は積極的に行う。プロの翻訳家ではないから、文章も読みやすくはないし、説明は後ろからのルールを無視した日本語訳にもなっている。が、今回はスピードだ。6/23に発刊された書籍を翻訳本が出るまでに訳するのに意味がある。原書はAmazonで¥1,800円。訳本がそれ以上の金額で発売されて、書籍の発売日より早ければ全て良しだ。


6月22日(月曜日)
まだまだ続くと晴天。シーツを洗い、作業服も全部洗った。仏壇に花を添え、神棚の榊を取りに山に登った。つくね芋の棚作りは難航して今日で2日目だが、まだ完成しない。こちらではマルチと呼ぶが、ビニールの遮光材を地面に張る作業で戸惑っている。このビニールを地面に固定できないのだ。今日は物量にモノ言わせて、重い木の桟を乗せた。ホームセンターで販売しているT字型の固定具は、我が土地のようのような柔らかな土には効かないのだ。芋のつるは小さくて柔らかいから草に負ける。だから周りに草を生やしてはならないのだ。今日は解決策が見当たらず明日に課題を引き継ぐ。暑い炎天下での作業で、とても疲れているのだろう。夜は音楽を聞く気にもなれず布団に潜り込む。

6月21日(日曜日)
イタリア旅行記をDIGAで再生できないか頑張るも無理だった。午前中ロスした。昼から、つくね芋の柵に取り掛かろうと思っていたら、曽我さんからコーヒータイムのお誘い。師匠が捕まらず自宅を訪問すれば寝ているとの事。奥さんに起こしてもらい、師匠の家で昼食を呼ばれることに。何というか厚かましいことか。でも流れ上仕方ない。そこでの話題は野良猫と池の鯉。この近辺の野良猫は3匹が限界でそれ以上は増えない。この上の池にいる鯉も何匹放流しようが、居つく鯉の数は一定。鶏の放飼も5羽で上限があるそうだ。つまり、ここ近辺で生息できる猫や鶏や鯉の数は限られているという事らしい。(師匠の家は僕と同じで森の中にある)。翻って考えれば75億のホモサピエンスもこれが限界で自然調整に入ったのがCOVID-19だったのではと言う話。2時間半の食事を終えて、帰って柵作り。昨日から始めたがもう今日は一部の柵に芋の蔓が巻き付いていた。丸で蔓の先に目がある様だ。竹を20本ほど切り出し柵にした。柵の高さは170cm。葉で芋を作るようだから、葉に出来るだけ太陽光線が当たるように背の高い柵が合うと思った。明日は溝にマルチシートを敷き詰めて、草が生えないように対策を施す。こちらは草刈機で草を飛ばす事が難しい為。風呂を焚いて、夕食は軽く済ませた。夜BS朝日の演歌を見たが、歌手達が結構動いて、手や足で歌を表現しようとしているのに、カメラは歌とは関係なく独自の動きをして、見ていて酔う。どちらかが動けばどちらかが止まらないと、その基本がわかってない。その上、フルHDの画質が得られているのに、昔の4:3のSD画質のような感覚で歌手の顔をアップする。瀬川瑛子なんかUPを見ていられない。ロングショットでカメラを固定すれば素晴らしい会場の作り全景も楽しめるのに残念。この様な番組は年齢層が高い人が見るだろう、それなのに、カメラのパンはロック番組程度の頻度の高い切り替えで若者向け。放送局は自ら番組を貶めている残念な話。欲を出して民放を見るからだと内なる非難の声が聞こえてきそうだ。

6月20日(土曜日)
朝から晴れ。洗濯。母屋の掃除。午前中はBDのタイトルをディスクに印刷。まだ2000枚ほど残っているので、今年いっぱいかかる。午後は、息子の住む家の棟の瓦の補修。この家を仕上げた左官さんは腕が悪いのか、瓦が次々と問題を起こす。母屋は昔の家なのにそんなに事は一度もない。それから、つくね芋の柵。もう20cmくらいに伸びて、蔓が何かを捕まえたいと模索しているのがわかる。それで思い出したのは、農業をやって3年。今迄僕は何にも知らなかった事だ。例えば水の挙動。これを知らないがために岸がいくつか潰れた。「水は低い方に流れる」。誰でも知っている事。だが実際にはその事実に基づいた対応をしているのかと言えば「否」。雨水のはけ口、少量だが降り続く雨が1ヶ所に何時間も続くと大概のものを流してしまう事。そして植物。これは人間関係と全く同じで、僕の行動に敏感に反応する。まるで対話ができるようだ。でもその気になって観察を怠らない事が肝要だが。でもその事に気付くには3年も要した。もちろんサトウキビ仲間との雑談やアドバイスも含まれているが、彼等は永年植物と会話をしているので、友人のような存在になるのだろう。こんな世界がここ芸西村に存在しているのに全く気がつかなかった。そして父は、僕が農業をしなくて食っていけるのを知っていたのに、僕が農業をして食って行く事を見越していた。今農業を営んでいる機材や資材は全て納屋にある。まぁ釘とかノコギリの歯とかは必要だが。これは、芸西村の自然の中にいれば自ずとその素晴らしさに気付き、いずれ作物を作るだろうと言う父の魂胆は当たったのだ。亡くなる前、この土地はなんとしてでも守らないかんと農家を続けてきたと言った父の言葉がよく理解できた。俯瞰すればよくわかるが、我が家はこの近辺での田畑の一等地を占めているのだ。しかも、サトウキビの出来はトップクラス。それは土地が良いからだ。他の人たちは色々と努力をするも僕のに敵わないは、全て土地のせい。3年生でわかる事実を50年生の父が知らない訳はないのだった。僕の農業への関心は、まさのりさんからサトウキビを引き継ぎ、伝承館の師匠の人格に触れて始めて開花した由来があるが、もし、そんな事が無くても何かのきっかけで発火したのかも知れない。ここの土地はそんな説得力を秘めている。

6月19日(金曜日)
今年の梅雨は雨が一度に降って、晴れ間がある。今日も午前中はどうしようもない雨。昼から上がり、門のサルビア(だと思う)が大きく成長して今度の大風では倒れるかもしれないので柵をした(サトウキビの柵と同じ様式)それから、お寺の木の処分。大きな木は縦に切れ目を入れて後で割れる様に細工を施した。途中で大雨が来て、車に避難。雨が通り過ぎると再び作業。お坊さんも出てきて草刈りをしてくれた。5時に引き上げて駐車場に木を積み上げた。65cmくらいに切り揃えた木だが、それでも重い。指が痛む。風呂を沸かしながら門灯の周りにある金木犀を切った。雨と汗に濡れた服でベトベト。服装に関して、履いているズボンは高校1年生の時に、実習で必要だから買って貰った緑の作業服。全く修正なくそのままぴったりとはまる。51年も昔の服がそのまま着れる。寂しい事だ。夕食は通風のために控えていた「米」を我慢できず食べる。久しぶりの満腹感。夜の音楽はベルディのオペラ「ナブッコ」トリノの劇場で掛かっていたオペラだ。録画はレバイン指揮メトロポリタン劇場の録画を観た。ストーリー展開はやや緩慢だが、音楽が凄い。約40分で睡魔がやってきて断念。

6月18日(木曜日)
6時15分に雨が来た。まだ間に合うと、草刈り機を持ち出して、前の畑2枚を刈った。近所の人には少しだけ時間が早かったが、申し訳ないと思いながら挙行した。雨は降り止まなかったが、未だ土はドロドロに至ってなくて何とか2時間で終えた。それから熱い風呂に入って(残り湯だが、熾が残っていて十分な温度)雨はそこから激しくなった。ラジオ英会話のいつもの定番作業に入った。前にも書いたが基礎英語3は日本語の使い方と言うかストーリーが僕の常識から外れていて、全く前後に関係の無い文章の羅列みたいに思えて身が入らなくなった。せっかく買った本だから今月だけは我慢と開いているが、どうも嫌悪感が先立ち時間の浪費の様に思えて来だした。以前はそうでなかったが、投野講師に変わってから日本語が変になった。それに、基礎英語2レベルとか1レベルとか、全く関係の無い話が多い。こちらも嫌な感じ。ラジオ英会話はこちらは好感。よく理解できる。来月よりこれ1本にするつもり。昼から、自分の顔写真を印刷して警察に行った。免許証の更新だ。15分程で完了。次は7/21の講習。それまでは有効期限を延長した穴の空いた免許証を使う。その足でプール。2km。やはり50mプールは気持ち良い。気持ち良いが上がる時は結構ガックリ来ている。500mごとに泳法を変えて4パターン。多分全身が少しづつ均等に疲れて動きが鈍るのだろう。夜の音楽は疲れで中止。道中車でベートーベンピアノ協奏曲4番を聴いた感想を。ブレンデルのピアノ。ピアノ協奏曲は5番(皇帝)が好きだったが、昨年ベルリンでバレンボエム指揮の同曲を聴いて、4番がもっと好きになった。ピアノはマリア・ジョアン・ピリス。若い頃は良かったとの評価もある名ピアニスト。今回は経験を踏んだ老ピアニストらしく、気負いがなく淡々と弾き始めたのが印象的。しかし、2楽章あたりで弾けるような若さ不足が露呈した印象を受けた。CDで聞くブレンデル版はきっちりと仕事をこなした「堅実」を感じた。

6月17日(水曜日)
今日中に何とか終いを付けんと、草退治が難しくなる。と空を見上げて今日の段取りを思った。ところが午前中に安芸市の工具屋さんから電話あり、チェーンソーの修理が完了したとの連絡。往復50分のロス。その上、息子の家にガス給湯器を設置する工事屋さんが来た。結局僕の作業は2時から。手作業の草引きと、機械で草を飛ばす作業のハイブリット。5時15分。きまさごと西の畑下段の2枚を刈り上げた。指が痛くて痛くて。それに左足指も痛む。こちらはどうも通風の様だ。身体を動かすのでついつい食べ過ぎ。それで最近の夕食は米抜きだが腹が膨れないから不満が残る。そこで炭酸水にみかんを絞って飲む。これは一時的に満腹感をもたらしてくれる。夜の音楽はレディガガの新曲。至る所にガガ風味が顔を出して良いのか良くないのかどうも判断つき難い。

6月16日(火曜日)
明日まで晴れ。だからそれまでに草刈りが必要。きまさごは今年が初なので草の勢いが凄いので、毎週金曜日に草刈りの日、だが先週はその日が雨で延期、そして今日昼から実施と計画した。この4日のブランクは草も急成長、草刈り機の紐で飛ばない程成長した草がある。それは手で引かねばならず、汗が滝の様に流れる。マスクはしないが、麦わら帽子に網の防虫ネットを被っている(サトウキビの葉で顔を切らない為)が、風が抜けないので暑いの何の。西の畑とか前とかの畑は2年目でサトウキビの勢いが強く草も遠慮がちで3週間に一度程度で十分。ところが、こんな時に限って仲間から呼び出し、昼飯を一緒に。11時半に集合と指示が来た。それにはまだ時間があったのでPCを開くと、もう下の駐車場に曽我さんがやってきた。少し話して、想定外のつくね芋を持ち帰ること、又玄関に咲くサルビアの苗も持ち帰ることを決めた。食事は「柿の木」。師匠に最近放置した畑にサトウキビが繁茂している写真を見てもらった。「こりゃどっさりほこって、おおきな藪になるぞ」と言われた。僕もどうしようもないので取り敢えず様子見。それと「かっぱ市場」の香代さんの死去で、来年から蜜の扱いは無くなると言われた。それで、「崩し」(製糖した砂糖を書籍大の大きさで固めるのではなく、角砂糖程度大きさで固める)の検討に入った。僕もベトナムで見たヤシの実のキャラメル製造工程で使われた型枠の写真を見せた。今年は1割ほど仲間の作付けが増えているので、蜜の事も併せて考えないかん。と課題を共有した。帰り際「みちこちゃんを呼んで一杯やろうと、おまんが段取りしいや」と師匠。その夕刻みちこちゃんちを訪問するが留守。

6月15日(月曜日)
不覚にも6:45まで寝てしまった。昨夜は8:46に寝たから10時間も寝た訳だ。寝た時間が確信できるのは、横になって大体2分くらいで夢の世界に行ってしまえるから。それにしても疲れが激しいのは少しおかしいかもしれない。前にはこんなことなかった。それで午前中の日課は読書時間をパスした。午後は、チェーンソーの歯を研ぎに安芸市に出向いたら、油が出てないので、チェーンの交換と、ポンプの交換が必要ですと言われた。もう一つの電動の方は動かないなら修理は不能と返された。安芸市に行ったついでに寺尾で刺身。値は高いが、あの新鮮さは如何ともしがたい。店の人も刺身用の札が貼ってあっても、僕には古ければダメだと言う。ややぶっきらぼうだが、慣れると信頼感が湧く。帰って除草剤の散布。庭と墓、大塚様の墓へ。次にサトウキビ畑の草刈り。日が陰って来たので5時を回ったと察知急いで帰った。多くの農家は日が伸びたから7時までは仕事が出来ると言うが、僕の場合は風呂や調理があるので冬の日が短い時とそんなに変わらない時間で仕事を終えている。やっぱり農家をするには家事をする人がいると言うことか。今夕はイサキとアジの刺身。今回は醤油が合った。付け合わせは野菜スープ。出汁を鯛のアラで取ったもので炊いたのでマズマズの味。夜の音楽はショスタコ交響曲1番、15番。何かをぶつけるような荒々しい演奏。眠くてウトウトしている身には丁度の覚醒音。目が覚めている時はしんどい音楽。だからマーラー程人気がないのかな。車ではベートーベンのレオノーレ序曲を聞いた。僕の頭にはそのうちの1曲しか記憶がない。全部で4つの編成の音楽だった。レオノーレ序曲は結構有名な曲だが、その真髄を知らなかった。ショスタコも今回がマジに聞くのが初めて、本当はもっと深いかもと疑念あり。

6月14日(日曜日)
降ったり止んだりの天候。草刈りは無理だから、お寺の木の処分に出かけた。直径10cmを超えると木も結構重く、持ち上げるのに指が痛む。さらにのこぎりで引くのにも指を使い痛みが激しい。特に小さな小指は痛みが激しい。とは言えこれを片付けなくては先に進めない。一方で、近所のまさのりさんから指摘されたが、昨年芋を種に取るために埋めた畑から「芋の芽が出ているよ」。見れば健気に成長しているではないか。それも2ヶ所から。いわゆる掘り忘れです。まだそんなに耄碌しているわけでないのに。だが事実は曲げられない。こちらも柵を作って育てよう。僕の管理下の作物は①サトウキビ②文旦③柿④つくね芋⑤びわ⑥柚子⑦橙⑧梅がある。それだけも手一杯なのに、趣味を全うする義務を負っている(それほどでもないか)。今年は海外旅行とカメラがお休み中。それと大阪の往復が消えたので時間の余裕があるはずなのに。毎日忙しくしている。

6月13日(土曜日)
今日のトピックスは、LANケーブル。ハイレゾの音に幻滅を感じていたので、もしやと思い、LANケーブルを最短の長さ(50cm、1m)に買い替え、しかもカテゴリー8.0の最高級版に変更(従来はカテゴリー7.0、部屋の端から端まで3mケーブル2本で構成)、WiFiルーターもネット接続せずクローズドで専用回線を設けてNASとネットワークプレーヤーだけに限定した。その音は如何に?鮮度の高い天上(天井ではありません)を抜ける様な音が広がった。どのハイレゾ音源もその様に反応した。NASはREC Podと言う一番安価なものだが、ここまで来るか?と感激した。農作業が一段落つけば、NASの入れ替えを検討していたが、これでは少し延期しても良さそうだ。檜和田さんからLPが届いた。クラシック音楽だと聞いていたのに、来たのはフランク永井とか青江美奈だった、スクリーンミュージックもあった。中古レコード店で百円で持って帰れ的な品。だがフランク永井に針を落とせば、自分の中にある彼の音楽とは全く違った声が流れてきた。一つには、記憶の音はテレビの音。二つ目には記憶のあやふやさ。三つ目にはかなり突き詰めた至高のオーディオで再生した事。これでは、駄作も一応針を通してみようかと思う。夕刻プール。50mプールが先週解禁され早く行かないとと思いながら1週間過ぎて今日になった。深い競泳用のプールは寒い、寒いが我慢して泳ぐとだんだん気持ち良くなってくる。時々飲み込んでしまう水も極上だ。これが出来なくなったら、僕は終わりだなと思った。ピッチを上げると心臓が躍り出すので、スピードをよく考えて泳いだ。今日は2.5kmも視野に入ったが、次回にとっておこうと2km。一日中雨だったが、いろいろあって腐らない一日だった。

6月12日(金曜日)
昼までかかってオーディオシステムの倒壊を修復させた。今回は、オーディオラックもプレーヤーラックも柱にビスで固定した。この際ついでに電源の極性を揃えたら、抜群に音の定位が良くなって、聴き始めると終われない中毒症状が出てきた。「昼間は時間が勿体ないので絶対に聴かないぞ」この自分との約束を破ってショスタコービッチの交響曲5番を全曲聴いてしまったのだ。後ろめたさを感じながらのリスニングはとても気持ちよく引き付けてくれる。同名曲はショルティ盤もあるがいくら何でもそれは無いだろうともう手を出すのをやめた。遅い昼飯を食べて、畑の溝掘り。素人なので溝が水平でなく、雨が降ると、中央部が高く水が流れてないのが1昨日見つかっていてその修復だ。今日は暑い上に蒸し風呂の様な湿度で、汗が噴き出した。そのあと、お寺の切った木を60cmの長さに整えて軽トラックで回収。多分7月中に終えるだろうとお坊さんに伝えた。この段階で服のまま水泳をしたのか?的な濡れよう。早速風呂を沸かし汗を流した。一旦身体を洗うと、この蒸し暑さはそれ程でもない事に気がついた。音楽を聴いていて分かったことは、このオーディオシステムの音は古い、昔の音だ。帯域が狭くて艶のある音だと言うこと。それで、Fm放送や海外で買ってきたMP3のCDを演奏しても結構楽しめるのだ。一方で、ショウルームなどで試聴に使っているハイレゾ録音の最新曲などは、輝ききれてない感じの音が出る。多分これは長年オーディオをやってきた人特有の共通した課題だと思う。そして、多分こう思うだろう。聴く音楽は「昔の録音が圧倒的に」多い。だから古い音で良いのだと結論づけてしまう。そして昨日聴いた音楽はすぐに忘れてしまい、同じアルバムが新鮮な気持ちで聴こえ、毎回新たな発見をして満足している。多分これが老人市場に於けるオーディオ業界が伸びない理由でもあるのだろう。

6月11日(木曜日)
死んでいたかもしれない大惨事。メインのオーディオシステムが倒壊した。寝ている深夜12時ごろの事だ。幸い寝ている部屋は隣だったので免れたが、ホンノ数時間前はその前で、寝転んで腰痛体操をして、オーディオを聴き、CDやLPを入換していた。タイミングがずれたから良かったものの、合えばオーディオに押しつぶされて死んでいた。オーディオは半端な重さではないからだ。いい音のために重量級の機器をせっせと集めて来たのだ。倒壊の原因は1昨日の地震、本日のアンプ修理のため取り出し入れ替え作業で、棚の一番下の棚が、支え切れなくなって抜けたからだ。キャスターを使っていたので、その高さ分だけ傾きその衝撃で倒れるに至ったのだ。その日の午前中、セブンにタワーレコードからの注文の品を引き取りにゆき、早速聴いた。ヤンソンス指揮のショスタコービッチ交響曲8番。第1楽章は眠い静かな演奏だったが、2楽章からは、巨大エンジンが息を吹き返した様なダイナミックかつスピードある演奏で、名盤では無いが随分と感動する演奏だった。次に、前回の注文の品であるジョンコルトレーンのジャイアントステップスSHCDも届いたので、初期のCD、K2テクノロジーを使ったCDと3枚を聴き比べた。今回のSHCDは飛ぶ抜けて別格。CDは狭い帯域で演奏される。K2はそれに少し磨きがかかったかな程度で指摘がなければ、差はない。多分CDと同じ音源で、SHCDは音源もいじっているリマスターだろう。さぁこうなると、SHCDの再発売は一応取り揃えなければならない様な気持ちになってくる。

6月10日(水曜日)
本格的な雨がやってきた。腐りそうだ。だがこの雨は身体の回復期間だと位置付けて休もう。もう指が腫れて曲がらなくなったり、モノを掴めなくなっているいるからだ。ペットボトルの栓さへ開けられなくなっている。タワーレコードでプチってしまったのは、ショスタコービッチ交響曲全曲10枚、アルゲリッチ20枚セットなどがワーナーから売り出され在庫な無くなり次第完了に抗えなかった為。それが明日届くという。コロナ禍で発送が遅れるとメール返信あったが1日の遅延だった。こうして家で過ごすマーケットは拡大しているのか。ショスタコービッチは一度全曲を聞いてみたいと思っていた所だ。ムラビンスキーかバーンスタインが名盤だと押す人が多いが、今回購入はヤンソンスだ。ハイレゾではアンドリス・ネルソンスが有名。大阪のショウルームでも8番が良いよと、アメリカ人のマニアが言っていた、あの青のジャケットだとも。私もそれは気になっている。ショスタコービッチは、僕が若いころにはやや前衛的な不協音があり、得意じゃなかったが、オーディオ装置が良くなってそれも許容出来るようになった。今のセットはFM放送でさえ艶があって楽しめるのだ。ヤンソンスは既に買った追悼盤にショスタコの7番が含まれていて、これは中々良かった。もう一つのアルゲリッチ盤は76歳になるピアニスト。美人だが気性が激しく指揮者泣かせ。しかし力強い奔放さが気持ち良いが、駄作も多いと言われている。LPレコードを物色するときはあれば購入していたアーティスト。演奏よりもジャケットに写る写真を眺めるだけでも意味がある為。多くの写真は「憂いの漂う写し方」で中々良いのだ。この人の娘が母が美人で有名なので母の半生を映画化している。それだけの美人度なのだ。ワーナーはアメリカの会社なので、多分、ライナーノーツも英語だろう。

6月9日(火曜日)
連日のように、アメリカとドイツからメールが来る。アメリカはブルーノートとビレッジバンガード。ドイツはベルリンフィル。いずれもライブ配信のチケットを買わないか?いいね。農業が一段落つけば買おう。ジャズライブは少し遠ざかっているし、もらい物だがジャズを聴くためのお酒もある。コロナはあらゆる所に影響をもたらし、今までの生活を変えている。もしかしたら言語も変わるかもしれない。先ずはタイ語。この言葉ほど破裂音の少ないものはない。つまり飛沫が飛びにくいので有力だ。医療の優秀なドイツが多くの感染者を出したのは、ドイツ語は一番破裂音が多いからだ。イタリアは大げさな表現で声が大きいし、抱擁する傾向が強い。英語圏の国もやはり破裂音があるから飛沫も飛びやすい。でも、同じように中国も大声と破裂音があるのに、感染者が広がらないのは不明だから、言語と感染拡大の根拠はないかな?話は変わるが、1851年はロンドンで国際万博が開催された年。イギリスを中心に最先端の工業機械が展示された。輝かしい未来がそこには見えた。この素晴らしい機械は人に代わってものを大量に飽きなく生産できるからだった。ところが、実際にはその結果、格差社会と、労働者の大量解雇が待ち受けていた。(「精密への果てなき道」著による)一転このコロナ禍の後の事。人と人との接触が敬遠され、自宅勤務が奨励され、業務の無駄が暴き出された。無駄が減れば効率が上がる。効率が上がれば、人はそれほど要らない。つまりは1851年のロンドン万博以降と同じ道を辿るのではないか?と思うのです。(こちらも無理やり結論づけている面がある)。

6月8日(月曜日)
延び延びになっていた本格的な梅雨が6月10日にやってくることが確実となった。今取り組み中の柵作りは今日を含めて2日の工程となった。後は、きまさごの水はけ用の水路工事。お寺の伐採した木の処理。こちらは晴れ間の隙にやろう。今日もコウジュケイと鶯の鳴き声を聞きながら作業を進めた。炎天下だが時々やってくる風が気持ち良い。朝ゴミ捨てのついでにカッパ市場でねいり(ハマチの小クラス)のアラを買った。150円。味噌汁の出汁に使うといい働きをする、食が決まったら仕事も捗る。高知はほんと定年後遊びで農業を営み過ごすには最適の場所だ。所が、このコロナ禍で在宅勤務が始まった。しばらく経つと、これが常態化しそうな空気に変わった。つまりどこに住んでも良い事に。そうなれば話は転じて、現役でもこの素晴らしい自然に恵まれた高知に生活し、都会の仕事ができるじゃないか。地方の知事さんはそれをかなり本気で狙うのではないかな。四国では徳島県が早いだろう。高知はのんびりと全国の活動が始まった最後に取り組むだろう。「最後のリゾート職場」として。それでも良い。夜はシャルル・ミンシュのアルバムを再生したが昔の録音で音に艶がない、ノイズも多い。暫く聞いたのち、入力セレクターがFMになっていた。結構耄碌している。セレクターを戻し、CDも1曲目にすると、艶は戻ったが聞きなれないフランス人の作曲家の音楽だった。
ついでにソニーBDプレーヤーからヤマハのAVアンプへの接続を付属の短いHDMIケーブルから、パナソニックの18Gbps仕様のRP-CHK10に変更した。あまり期待はしてなかったが、マーラー5番ヤンソンスで聞き比べれば、音域が下の方に少しの伸びたのと、楽器数が少し増えた感じの好成績だった。値段は4,100円だったのでCPが高い。HDMIケーブルの高級タイプは光ケーブルになっているが、短ければメタルで十分だと思った。疲れで8時半に就寝。





















6月7日(日曜日)
きっぱりと晴れ渡った。夏空。夏とは違うのはまだ鶯が近くで鳴いている事(夏はちゃっちゃと鳴く)。2時間もかかって昨日の仕事のレポートを仕上げた。業務用頭の回転が落ちているのをしっかりと感じる。昼にまさのりさんが来て、「おまん芋のシートをはがんと、芽が焼けよるぜよ」と注意された。それで一緒に作業をすると、芽が伸びているが、ビニールの下で新芽の先端が黒くなってそれ以上伸びなくなっていた。ビニールを破り新芽が太陽を拝めるように施した。「後2週間したら柵をつくらないと」アドバイスを貰った。その後、溝に除草剤を撒いて、ついでにサトウキビの溝にも除草剤を撒き、直近の草対策はすべて終えた。噴霧器を置いて柵作りの竹の切りだしを午後5時まで。ゆで上がるような太陽。休憩に家に帰って、レモンを絞って炭酸水で割れば本物のレモンスカッシュ(サトウキビ蜜で味付け)。一気に汗が引く。赤野の親戚から、アイリスの洗濯機はどうなんだ?と電話あり。洗濯機はパナソニックが良いぞと答えれば、パナソニックは毎年故障しもう我慢が出来なくなった。そういえば、高知の友人もパナソニックの洗濯機は故障すると言われ、日立に変えたと言った。パナは家電を止め、新しいビジネスを模索しているがまだ見つからず、株価も低迷している。しかも、手を抜いたその家電も評判が悪い。残念だな。夜は、アルバンベルの演奏でベートーベン弦楽四重奏14番を聴く。このCDは良くない自己評価で緑のシールを貼ってあった(以前、いいのは金のシール、普通は赤のシールで区分した)。それが、今日はぞくぞくと鳥肌が立つような好演で、あの時の評価はその時聞いた機器の音質によるものだろうと思った次第。

6月6日(土曜日)
5時起き、7時出発。仕事で徳島県、愛媛県に行って来た。軽トラックで。腰痛の問題もあったが、農作業で腰がしっかりして来たのか、問題なかった。以前は水泳でリハビリに頑張ったけど、それだけでは不足だったと言うこと。徳島道が拡張工事に入っている(脇町近辺、距離があるので期待)。高松徳島間は、今まで対面通行で、しかも速度制限が70kmだった。今回は2車線で100km制限(前の2車線の追い越しコースと同じ道のところもあるが制限が消えた、あの制限は何だった)それで1時間で香川県を抜けられた。軽トラックはもう17万kmを超す走行距離で、このままだと2回目のタイミングベルト交換となりそうだが快適に走った。雨の予想だったので出かけたが、一日中晴天で燃費は落ちるがエアコンを効かせた。道中ベートーベンの生誕250周年完全版20巻〜14巻迄を聞いた。①ベートーベンは多作だった。CDにして85枚分もの楽曲がある。②タワレコードの企画者のセンスが良いのか、有名どころの演奏家を起用せずとも素晴らしいアルバムに仕上がっている。③大家と言えどもこれだけ沢山作曲をするとかなり似通ってくる、室内楽はモーツァルトとよく似ているし、交響曲の一部にはそこからの転用もある。④1人の作曲家についてこれ程聴き込んだ事は未だ嘗てない。⑤軽トラックの中でもそこそこの音質でクラシックが楽しめる。帰りにプールで汗を流したが、流石に一日中運転した後では速度が出なかったが、体よりも頭がすっきりしたのにはびっくりした。明日は忙しいが、50mプールが再開されるので是非行こうと思う。

6月5日(金曜日)
午後から雨だと予測だったので、朝の7時半から草刈りを始めた。灼熱の太陽を覆う雲の救世主はなかなか現れず、汗がひたすら流れた。12時に後1列を残すところまで漕ぎ着けて、昼食。昼寝。1時半から3時までかかって草刈りを終えた。帰って風呂を焚き、食材調達に出かけ、明るい7時には寝る体制になった。映画「オスマン帝国」を見た。殺戮を繰り返すバイオレンス映画で、その奥には何があるのか見抜けなかった(ただのB級アクションの様な気もするが)。今回のストーリーではテーマにならなかったが、イスタンブールを滅ぼす秘密兵器が開発され、次回のお楽しみとなったが、その秘密兵器はズバリ「ペスト」。市民を撲滅できると、劇中進行したがこの物語では使われずに終わった。今まさにCOVID-19がそれに該当し、真相は不明だがもし中国がこの映画のシナリオのように動いたとすればかなりやばいかも。今回のコロナは一般的に中国が共産党政権で一気に抑え込んだというのが評価だが、それとも治療方法がある程度解明された為に軽症者が完治したのか不明。漢方で治った記事も出回った。その漢方が実は・・だった。とか。



6月4日(木曜日)
先日の事、左太腿に米粒程の血豆ができていた。バンドエイドで貼ってあったが、もう治ったかなとはがしてみれば、更にでっかくなって小豆大くらに。これは大変、もし皮膚がんだったらと、朝一番で病院へ。そして先生に診てもらったら、「ダニですね」薬を塗って1時間ほどすれば取れます、と言われた矢先に、ポロんと取れた。軟膏を塗って、飲み薬をもらったら、はい終わり。呆気なく杞憂が取れた。ネットで調べると拡大すれば足なんかが見えるそうです。一昨年も膝の裏に出来た、それはしばらくすると縮んで皺皺になった。それでも一円玉ほどの大きさだった。その時は皮膚病か、もしくは血管がはみ出たのかな?と思った。剥がれた後暫く痛かったし。だが、あれもダニだった。竹藪で竹を切るとどうしてもダニにやられる。殆どが痒みを伴うので、気づけばすぐに家に帰り、衣類を電子レンジで1分加熱。これで問題は解決していたが、今回は別種のダニだった。風呂でも身体を擦って洗っているんだが、今回のように大きくなると避けて洗うから免れていたんですね。皮膚科だったので着ていた服を、帰りにランドリーで8分間加熱し殺菌した。帰って昼寝の後、柿の下草刈り、親類の畑に除草剤。きまさごの畑の周りの草刈り。汗が吹き出る。夜は缶ビールを1本飲むとたちまち酔ってしまい、本を読む気になれず、映画「ドラゴンタトーの女」を観た。先日見た「アルキメデスの決戦」と同じように、資料を克明に調べて一個一個を積み兼ねてゆく。そうしてお城ができる(事件が解決する)。こう言う積み重ねねスタイルは好きだ。一滴の水が岩石に穴を開けるのって昔から好感が持てた。この歳になって、こんな気の長い話はもう合わないかも知れないが、好みは変えられない。

6月3日(水曜日)
夕刻から雨だと言うので、7時半から柵作りに取り組んだ。だが、10時過ぎ疲れてダウン。朝飯を5時に食ったから腹も減った。帰って食事をすれば今度は睡魔。窓を開けて風を通せば、曽我さんから昼食のお誘い。飯は食わないがコーヒーだけのお付き合い。なんと言いますか、傷の舐め合い的な集まり。サラリーマン時代の営業職、会社を出て営業マンは目立たないが美味しいコーヒーの飲める喫茶店に集まってだべっている販売会社セールスマンに同行した時、会社では見かけない人間の側面を見た気がしました。僕は全国区だったので、当時その様な気持ちになった事はなかったし、そんな仲間もいなかった。だが今は土着民でここから逃れることもない環境に染まると、そんな臭いが滲み出てきたのか仲間を募るのでしょうか、ズブズブと深みにハマっている。僕は後、2日あれば柵が完成する。雨が降ったら呼び出してや!と頼んだが、馬の耳に念仏ですね。疲れたらあつまろうやいか、と一蹴。数少ない芸西村のレストラン「サザンクロス」にて。帰って柵作り、半分まで仕上げた。早めに仕事を置いて、1日の終いをつけて部屋に戻れば、大きな睡魔。今日はラジオ英会話を聞いてないのでページを開くも、全く文字が追えない。8時過ぎに寝てしまった。

6月2日(火曜日)
ゴッサムシティ。HIVI雑誌3月号は「ジョーカー」特集。そこで、思ったのは、バットマンの対抗馬としてのジョーカーは、悪役ながらそれなりの理由があって、社会の底辺層の生き方に共感できる表現をしている。社会が上級者層と底辺層に分断された街がゴッサムシティで、まさに現実のアメリカがそれを実現している。映画というのは婉曲に現実を表現するものなんですね。スペースXで話題を振りまくイーロンマスクの年収が750億円。芸西村(4000人住民)の予算の20倍。1人でこれだけ稼げる。去年サンタモニカを散策した時、ホームレスがHELPを描いた段ボール紙を掲げいていた。そうだ、ホームレスは日本で最近見てないなと思い出した程。ホームレスがいる国なんだアメリカは。でも多分、未曾有の混乱にあるアメリカの10年後は日本の社会だと来そうだが。いやいや、今回はそうはなりません。コロナで底辺層が死滅してしまいますから、分断とはならないかも知れない。今日はサトウキビ棚作り縦列を完成させて、第一陣の完成を見た。次は、横軸を通して50cmくらいの井形にする作業。従来は、1畝ごとに施したが、風に対する強度の点で弱かった。それで一本通しを採用。この通し棒はもちろん竹で、更に70本程度切り出せば完了する筈。期日はサトウキビが伸びる8月位までだが、これも一気にやってしまおうとその1/10まで進めた。明日は雨だと言うので少しがんばった。その関係で指が痛むし、風呂から上がると眠くて音楽どころじゃなかった。

6月1日(月曜日)
昨晩の暴飲が効き動きが鈍い。ラジオ英会話もよそよそしい。昼からの農作業はピッチを上げずゆっくりと柵作り。3列済ませた。4時に切り上げて、家の周りの処理に時間を割り当てた。柵作りはもうすぐ完成するので、梅雨期に入ったが心配なくなったので、伸びた草や、広げたままだったビニールの整理とかを行った。企業100社に聞きました(日経新聞アンケート)意外や日本の経営者はコロナ禍による顧客離れを心配してないですね。不思議なこともあると言うか、これじゃ置いてきぼりを食うかもしれない。昨晩の懇親会で昨年は近年にない程サトウキビの出来が良かった。今年はそうは行くまいと警告があった。天候がどうなるのか不明。COVID-19も先行きが見えない。政府も指導的立場になれない。僕らはじっと我慢して嵐の通り過ぎるのを待つしかない。今日から大阪/東京ショウルームも開店した。僕の勤務計画はなく、僕も芸西村から出たくはないから思惑は一致。今日なんか狭い部落からも出なかったほどだ。夜の音楽はNHKで放映したヤニック・ネゼ・セガン指揮フィラデルフィア管弦楽団のドボルザーク/新世界。管楽器の吹き方が解放的で如何にもアメリカの楽団的な明るさ。この音楽の定番はクーベリックで、聴き比べると、ティンパニーの扱いや、バイオリンやビオラの弦を引き切るような切れに違いがあり、ベルリンフィル独特の力強さが強調された厳格な音楽になっていた。Dvořákはアメリカでこの曲を作曲したわけで、果たしてクーベリックの方に軍配をあげたら良いのかチョット迷う感じであります。勿論PCMとAACの音の規格違いで力感も違うから一概には比較はできないが。

5月31日(日曜日)
雨。嬉しい休みと思いきや、午後から雨が上がり、柵作りに出かけた。更に2列済ませ計4列。全部で12列だから、30%完成。その後は霧雨が来て、電動工具が心配となって作業を終えた。帰ると曽我さんから電話。話の成り行きで一杯飲むことになった。会場は我が家。急いで買い物にでかけた。スーパーで同級生のみちこちゃんに会う。懇親会の事を話すと我が家に集まる人をみんな知っていた(芸西村に60年住んでいたら当たり前か)それで、次には誘うと案内した。急な出来事で料理の腕が振舞えない。師匠のご夫妻と曽我さんご夫妻が訪問された。主婦にとっては料理の心配なく、後片付けの手間がかからない食事からの解放は。嬉しいはずだ。師匠曰く、年とってから友人ができるなんて思っても見なかった、こんな縁もあるんやねや!普段は酒を飲まない人なのに、ビールとウイスキーをそれぞれ一杯呑まれた。僕と曽我さんは焼酎をしこたま飲んだ。23時過ぎまで大きな声で騒いだ。隣近所の問題は一切なし。

5月29日(土曜日)
6時半からトラクターで沖の田を耕す。終わったのは8時半。直ぐにきまさごに向かい、草刈り、昼飯を挟んで終わったのは2時半。そこから1時間ほど柵作り。もう疲れ果て肩で息をしだし動きにくくなって止めた。風呂を沸かして入ってさっぱりしたのが4時半。息子と安芸市魚屋「寺尾」に出かけ、黒鯛2kgとカツオを料ってもらい帰ったのが6時。それから夕飯。今日は親類の畑をいつもトラクターで叩いているのでお駄賃として五千円貰ったので、それで夕食を豪華にした次第。息子を伴ったのは、そこで買う魚は大きすぎて自分1人では食べきれないため。と言っても都会で食べる刺身とは違い圧倒的な量を食べるのだが、それでも余す程の量がある。今回の黒鯛は塩で食べるのが美味かった。お箸で大きな切り身を2つぐらい鷲掴みして岩塩に端を少しまぶし、ガバッと一口で頂く。身は甘く、塩がいい仕事をしてくれる。カツオはまずまずだった。先日ホームセンターで夕刻2割引のカツオを買って来た(余りにも色が良かったので)これが当たりでそこら当たりには無い極上の味だった。疲れた体には生肉が効く。もう一品にゴボウをサトウキビの蜜と、ゆの酢で炒めた。(ゴボウ以外は前の畑で収穫したもの)。食うのは力だとヒシヒシと感じた。夜の音楽はRobert Schuman交響曲2番。チェビリダッケ版を聞いたがしっくりこないので、クーベリック版に変え活き活きとして来た。メリハリが効いている。それに、マルチアンプのせいだと思うが、強く出る箇所の押し出しに馬力が感じられ、グッと来る瞬発力は聞いていて気持ちが良い。チャンデバをアキュフェーズに変えて3wayを実現すれば更にと言う欲望が持ち上がってくる。カメラへの投資が終息した後に実現か?

5月29日(金曜日)
サトウキビを作るメンバーが集まってNPO法人になる為の第1回目の打ち合わせを行った。年末までには何とか立ち上げたい意向。責任者も決まった。定款は次回の打ち合わせで決める。薪の整理も行った。年間4万トン近くのサトウキビを炊く薪だ。大きな山が10個程必要。僕の出荷分の場所も確保できた(僕もそのために薪を家に溜め込んでいて一杯だし、お寺の木を切ったがそれも持ち込まなくてはならない)。昼飯は三人揃って村のレストランで。村のレストランは村が一望できるのでなかなかの景観だし、料理も洋食で洒落ている。コーヒーとケーキも付いて950円。芸西村では希少価値のある「若い女の子」が給仕する。昼から草刈り。前の西側の畑と、柵作りをしているきまさご。きまさごは7列のうち2列のみ。後5列は明日。明日は朝一番は沖の田をトラクターで耕す仕事があるので、草刈りはその後、柵作りは更にその後。明日夕方の雨までに何とかしなきゃならない。夜は、風呂に行く前に演奏を始め、エージングしてから、ハイレゾでブルックナー交響曲2番/ズービンメーターを聞く。ブルックナーは壮大な曲で有名だが、気が小人だったらしく、批判があると都度曲を書き直した。その変更を整理した人の名前をとって、「ノヴァーク版」と言われる。今回はその楽譜を使った演奏だ。ズービンメーターはブルックナーチクルス(全曲録音)を3回行っていて、これは業界最多。と言う事で、ズービンメーターが大御所かと思いきや、マニアの世界ではそうでも無い評価。まぁいい、僕は彼のを基準としよう、とハイレゾを買った(2018年)。右から聞こえる弦の音が気持ち良い。

5月28日(木曜日)
サトウキビの柵作り終了予定は6月5日と書いたが、どうやら今週末の雨から文字通り、さみだれ(五月雨)的に梅雨に突入みたいな感じだ。それで予定を変更し、朝から柵作りに取り掛かった。夕刻までに横列は完成した。後1日を費やせば縦列を済ませられる。一日中仕事をしたのは久しぶりだ。しかも、SEA7000からノイズが出て気持ちを萎えさせる。慰めはハイレゾ。NASが良く無いので音的には諦めてたが、1時間ほど鳴らしこむとそれなりのまとまりとなって来た。いずれは買い換えるつもりだけど、手が回らないので中断している。











5月27日(水曜日)
ネジが不足している、皿ビスもないので買い物ついでに注文の書籍を取りに行った。そしたら何と!月間カメラマンが休刊していた、ネットで調べるとコロナウイルス関係では無いようだ。いわゆる発行部数の落ち込みですね。カメラが不振、結局雑誌も不振。僕の趣味はオーディオ&カメラいずれも不人気分野。更に書けば、読書。これも不振産業。(ジャレット・ダイヤモンド、ユヴァル・ノア・ハラリの著書は世界のビジネスパーソンが絶対に目を通しておくべきとして推奨するのだが)今日もサトウキビの柵作り、終わりが見えてきた。多分来週、6月3日。雨が2日あるから6月5日。平年だとこの日が梅雨入り。つまりギリギリでセーフ。夕刻息子が帰って来たので早速アンプを部屋に上げてもらう。食事を終えて接続。音の設定を終えて聞けば、エコーがかかっている。プリはヤマハのAVアンプなので、プリセットが入っているのか確かめたところノーマルだった。つまり、SEA7000vr4.0は解像度が高く、レコードに記録されている残響成分を表現したのだ。これって何?英語ではWhat is this?これが直訳だが、この場合だと、What Happen?が状況に合う。椅子に座っていたので腰は抜かさなかったが近年こんな驚きをしたのは初めて。アートペッパーはどうか?こちらはオンマイクで残響成分なし、だが、右後方で微かに捉えているウッドベースのうねりが聞こえてくる。何だこの克明さは?因みに入社した当時組合の売店で買った映画音楽特集LPから、「夕陽のガンマン」をかけると、チューバの音がやけに低く太く突然出て来て、映画音楽はイージーリスニング、そこらの演奏家を集めて簡単に制作したのだろう、と言う認識を完璧に覆した。しっかり演奏をし編曲も頑張っていたのだ。レコードの音溝から音を拾い上げるピックアップ(pic up)と呼ぶが、正しく今回のシステムはピックアップの仕事をこなしている。大型ホーンスピーカーで遠大な空間が表現できるから余計に感動が深くなる。CDやSACDも買っているが、知っているLPばかり聞いてそこまで手が回らない。

5月26日(火曜日)
今日は竹の切り出し。竹は密集して生え、鋸の歯が通りにくい。大汗をかいて2時間切り出した。午前10時に一旦休憩。休んでいる矢先に、そがさんから昼の休憩に行こうとお誘い。裏のびわを収穫して分けてあげ。もう1人の師匠も誘ったが電話に出られなかった。「柿の木」で食事。この三人は出目こそ違え、サラリーマンの後、百姓。百姓は余分な遊びの一部。遊びだが仕事に美学があり、研究は怠らない。そんなところに気があって、結構つるんでいる。誰が先に逝ってもおかしくない年齢であり、忙しい百姓仕事を抱えながらでも、呼び出しがあれば出向いている。午後から、切り出した竹を畝ごとに並べた。夕刻友人から懇親会の誘い。買い物に出かけ、お酒のアテを作った。里芋のハンバーグは不評。昨日に続き失敗で美味しくなかった。音楽談義。「井上陽水が蛍の光を歌うなんて落ちぶれたもんだ」。「それは違う、音楽は聴く人の心理、聞く機器と音楽の相性、部屋とのマッチング」この3つで随分と印象が違うと僕は反論。意見は食い違ったまま。僕は音楽を聴くのも音を聞くのも混在しているので意見の出発点が違うからか。懇親会が終わった後、喜歌劇「コウモリ」クライバー&ウインフィルLPを演奏した。オペラはホーン型スコーカに限るね。この音楽が例え理解できなくとも、この音を聞けば誰でも気持ちよくなるはずと持論を裏付けたが、多分マスターべション。此の所は自分の世界に閉じこもれば良い。檜和田さんからSEA7000vr4.0が届いた。息子が休みの土曜日に入れ替えよう(もう自分の手では重くて無理だ)。

5月25日(月曜日)
朝は指が腫れて、どっと体重が増したように感じて起き上がるのが大変。1日の休養が必要なのは分かるが、今休むと、休み癖がついてしまいそうで、立ち止まるわけにはいかない。このしんどい作業は感情を殺して淡々とやるのが一番だ。太陽は天上で燃えている。動けば汗が吹き出る。作業が中々進まないのには理由があって、切り出した竹がまっすぐではなく、無理に真っ直ぐ矯正すると、竹の支柱が浮いてしまったり、垂直から斜めに立つようになってしまったりするからで、作業の後にその余分な力を抜くように、ネジを締め直すことが求められるからだ。一方で昨年の柵よりも進化したのは、①高さを160cm以上にしてサトウキビをより高い位置で縛ることができるようにした②使用している木ネジを45mm(一昨年)→50mm(去年)→60mm以上にして強度を高め、しかも座金を入れて、ネジの頭が竹の中に食い込むのを避けたことで、締め付け強度が上がった。③横の柵を一本通し(今までは隣の列と2連結)にして、サトウキビの締め付けと同時に、柵全体の強度を増した④横棒の他に斜めを通し、三角形の原理で、柵が歪まないようにした。と言う事で最強の柵ができつつあるのだ。他の畑の柵も来年の補修から順次この構造に変更して行くつもり。僕的には壮大な構造物が出来上がりつつあり、一種の感動ものです。

5月24日(日曜日)
8時半まで寝てしまった。実に10時間。疲れがたまっている。毎日4時間の農作業だけなのに。それも柵を取り付ける単純作業。ビスを取りにしゃがんだり、ネジを締めるのに伸び上がったりの大した運動ではないにも関わらず、どっと疲れている。それで、今日は農作業に出る時間を遅らせて、イタリア旅行記を完成させた。僕としては170ページを超える大作で2/16から毎日1時間を充てた。つまらんことも書いたし、本音もかけたかな。何よりも、絵の作者と絵にまつわる解説を調べるのに時間がかかった。ルネサンスの絵画なので、ネットで当たってもイタリア語の書き込みが多く、意味を理解できない。購入書籍や、絵の端に写り込んだ解説のパネルを拡大して検索もした。PDFに仕上げて先輩に送るつもり。農作業は午後2時から始めた。太陽が強く、動かなくても汗が湧いてくる。昨年取り掛かった柵は1つの畑に1ヶ月を要している。今の畑はその倍あるので、1ヶ月半くらいを要するだろう。毎週金曜日は草刈りが入るから作業は中断する。それでも続けているといつかは終わる。1日で5mくらい進むかな。夜は風呂に入る前に点けたTVで「ローマの休日」の一部を見た、ちょっと見るだけだったのに、だらだらと見てしまった(こんなのは自分に対して許せないが、妙にテレビを切るのがおっくうだった)。疲れも手伝っていたかもしれない。

5月23日(土曜日)
和牛が困惑の状態にある。外国人観光客が食しない、輸出も止まった。しかも、適齢期の牛は出荷を遅らせると死亡の危険がある。一方で原油タンク同様に冷蔵庫は満杯状況らしい。一般的な日本人は外国からの輸入肉を食うし。じゃ、国産肉を安くしたら?そう思った。昼間暑かったが、きまさごのサトウキビ柵作りを行い大汗をかいた。疲れはてて帰って風呂焚き、庭の掃除(風が吹けば、木の葉が飛んで来て庭が一杯になり、だらしない家になる)そんな矢先に、師匠ご夫婦が訪ねて来られ、檮原(高知県西部の高原地帯)のお土産を持って来てくれた。なんと高知の高原、檮原で飼育された「和牛」だった。霜降りの見事な肉。赤よりも白の多い配色。にんにく、キノコ、モヤシ、ニラを買って炒めて肉に添えた。友人からの頂き物「バレンタイン17年もの」を注いで頂くと極上の味が広がった。でもこんな美味しいものはきっと身体に毒だろうなぁ。赤身の硬い肉しか知らない貧乏性の私はそう思った。実は身体もそう思ったのか、夜中2時にお腹が痛くなってトイレに駆け込んだ。まずいもの、塩気のないもの、固いものが僕の身体が求めているのだろうか。やれやれだ。

5月22日(金曜日)
黒川検事は賭け麻雀を本当に暴露されたのだろうか?(相手は同業のマスコミ関係者)以外と真意は別の所にあるかもしれないと、映画なんかを見ていると思う所がある。これ以上、定年延長で物議を醸したくないと思っても、自分で引けば政府の顔が立たんし。放置すれば、益々混乱を引き起こし、国会が揉める。どうしたら良いかなと思った矢先に、この事実を垂れ込めば自分の責任で降りることができると踏んだ節がある。まぁ本当かどうかは不明だけど。今朝は電気毛布の電源を再び入れて寝直した。朝方寒かったのだ。地球温暖化はコロナ禍に隠れているが、もう後先ない状態に来ているかもしれない。温暖化とは、じわじわ温度が上昇するのではなくて、寒気団の移動が従来コースを外れるので、寒くなったり暑くなったりで、平均すれば上昇している事になるらしい。現場からチョット離れて俯瞰すれば、地球人口75億は余りにも多い。どこかで何かが起こり自然淘汰は起こり得ると言うは自然の摂理だと思うのだ。ニワトリとか豚は定期的に感染で死滅している(彼らは、人口よりも多く100億位)、高層化した都市に密集した人が住み死滅しないのは如何にも不自然だ。コロナは必然の結果だ。だが幾ら人口が減っても、基礎数の多い中国はこれからも他所よりも発展するだろう。1人あたりのGNP13000ドルで未だ未だ低い。これがトルコ並みの28000ドル近辺に上昇しようとすれば、たちまち石油はおろか、水、穀物、牛豚鳥が不足するし、温暖化が加速すれば、地表の氷が溶けてメタンガスの発生で温暖化に拍車がかかるだろう。誰も止められない。だがコロナ禍で不十分な間引の場合、政治的混乱に乗じた戦争に発展し経済を混乱させ、人類の増加あるいはエネルギーの増加に歯止めがかかる仕組みのボタンが押されるかも知れない。


5月21日(木曜日)
少しだけ不満がもたげて来たラジオ基礎英語3。少しだけ英語が見渡せるようになって、この番組構成の欠点と言うか、不備が見えて来たのだ。それは主に、主たる受講者が中学生を対象としているからであり、僕のような老人は対象でないためである。例えば、僕の勉強法は訳の日本語から英語に変換して、本文と比べ、間違っている点を理解して行く方法だが、この訳された日本語に問題があるのだ。つまり、中学生の日本語会話であり、それを十分僕が理解できず、違う表現方法に英訳してしまう事だ。又、木曜日は英文理解のためのチェックポイントで、日本語の質問が理解できない。例えば「お母さんに怒られたこと」この右に空欄があり、僕はこの質問に足して怒られたから「yes」としか答えられないが、質問の真意は、「お母さんにどんなふうにに怒られたのかを書きなさい」と理解しなければ、解答欄に正しい記述ができないのだ。このテキストで、おじいさんは英語よりもむしろ日本語の理解に心を砕いているのです。編集者はきちんとした大学教授。僕としては、ここらあたりで、10年間も頑張って来た基礎英語3は卒業しようかと思っている。今更中学生の感性で日本語を理解することなんか出来やしないし、正しい日本語のみで十分だと思っているからだ。その時間があれば辞書を開く方がもっといいと思っている。

5月20日(水曜日)
イタリア旅行記も終盤を迎えた。書籍「危機と人類/ジャレド・ダイヤモンド」ももうすぐ読み終える。我が家で唯一明るい話題と賑やかな鳴き声を振りまいているツバメももうすぐ巣立ちだ。(子供が巣に合わなくなって、1羽は反対方向で過ごしている。)きまさごのサトウキビ柵作りは未だ完成に程遠いけど、作業手順は単調になって来た。(縦の柵を7列分進めて、2つの支柱毎に横棒を渡す、この繰り返し)いろんなものに終わりが見えてきた。さて次の挑戦は、大阪の解除も間近だそうで、ショウルームも解禁されるだろうが、僕の場合は経費削減でイベント対応のみだから、イベントが活発になって手が足りなくなる秋頃まではフリー。手を広げすぎたサトウキビの拡販に、いよいよ本格的にマスコミや役場に企画書提供の折衝仕事に着手すべき時だろうと、なんとなくそんな気がする。あまり楽しい内容ではないが、この企画を外国人の88箇所詣りの呼び込みにくっつけて提案すれば、少し僕の趣味性が活かせるかな。宿泊を無料にすれば民泊申請は不要だしかなり実現性は高い。村興しに役場を噛ませることが重要だが、師匠は元役場職員だから話が進めやすい。砂糖作りはもうすぐ法人化されそうだし、期待が持てる。こちらでの活動に重点を移すべき時かも知れない。

5月19日(火曜日)
世の中が変わろうとしている渦中にある。日本では明治維新と太平洋戦争末期の2回この機会があった。今度のは、それに匹敵する機会に遭遇したわけだからしっかりと見ておくべきだ。映画「アルキメデスの戦争」を見た、邦画は滅多に見ないが、タイトルが面白かったから。この中で感銘したことを主人公の甲斐少佐が言った。「数字は嘘をつかない」。新聞記事を読んでも推測とか、専門家の意見には余りにも当たり前すぎて、「どうもこれはと」思ってた矢先だけに、コロナ禍については数字で追っていこうと思う。西村大臣の言う総合的な判断とやらもあやふやだ。イギリスのように数字で明確にすべきだ。生産性やデジタル化を本来なら政府が率先して行うべきだが、政府本体がアナログだ。例えばコロナ禍で債務残高が増えるとあったので財務省のHPを覗くと、令和2年5月16日現在の資料があって、「24年までにコロナ禍が落ち着く・・・」この文章で触れる24年とは2024年だ。日本人でもこれは困惑する。その上、債務残高はGNPの2倍強、じゃGNPは?どこを探してもGNPの数値はなく、2倍強じゃなくて具体的に何兆円なんだ(1293兆円)?それもない。一事が万事これだ。この危機で弱い部分が急に露出するようになりました。しっかりと数値を掴んで見て行きたい。中国に関しては。世界で不評を買っているが、中国の代わりになる国がないのも事実。結局は中国依存となるしかないと思う。一時期インドに注目が集まったが、それは人口数と英語メインだけで、平均的な識字率(73%)や勤勉さでは中国の比じゃないし、勤勉さでは引けを取らないベトナムでも1億弱の人口では歯が立たない。どうしようもない現実がある。



5月18日(月曜日)
願いが通じて、朝食時から雨になった。今日は休憩できる。風呂を叮嚀に洗って、廊下台所トイレを清掃した。1時間ほどを使った。午前中はルーティン作業。午後は、LPレコードのハイレゾファイルに曲タイトルを入れアットワークを追加した。今回は、小田急ショウルーム時代、懇意にしていたフィリプスの営業の方から借りた2トラ38テープより19cm-2/4トラックにダビングしたテープ「アニタカー・シンガース」をWAV化してあったのを、flackの96-24bitに変換。音質はあの頃の雰囲気がまだ漂っている。残りの1時間はBDのタイトル印刷。午後3時が来たので室内作業を終えて、風呂を沸かしプールに出かけた。今日は1800m。前回ほどの疲れはなく2kmも視野に入ったが、トイレを我慢できなくなりこれで終えた。累計23km。1月、4月は完全に休み、2月は2回、5月もこれまで2回。これでは年間100kmは少し難しいだろう。その上サトウキビは今年4000kg(昨年2000kg)の見込みで、単純計算で昨年比の2倍の手間が必要となる。海外旅行は無いとは言え、カメラと音楽の時間も必要で、家も手を入れないとこのままでは持たない。夜の音楽はLPロミオとジュリエットのオペラ。歌詞カードがイタリア語で歌を追って行けないので、熱唱しているのを聴くだけ。ロミオの声が聞こえている限り、まだ毒を飲んでないなと想像する。映像を伴わないオペラは全くダメかと思いきや、意外と声の柔らかさで持ちこたえられるのを発見した。

5月17日(日曜日)
もっと休ませてくれ!雨が降っているかな?朝起きると期待外れで太陽が出ていた。昨日のプールの影響もあるだろう、怠い。それに朝は寒い。電気毛布は未だ手放せないし、朝食時はエアコンの暖房を点けた。温かくして冷たいジュースを飲む、これ最高。プールの影響か血圧が116まで戻った。プールを出た時の血圧は109-67で若い頃と殆ど同じだった。食事量も制限して、脚親指の痛みも治まった。その代わり食事は味気ない献立となって生姜や胡椒などの香辛料の助けを借りているものの美味くはない。まあ身体の軽快さは最近にない程だが。夕刻5時半に買い物に出かける時、空腹でフラフラだった。いつ迄続ける?こちらはコロナに関係ないから、基本的には死ぬまで節制だろう。幸いなことに農作業の時は空腹感がなく作業を続けられる。夜の音楽はチェビリダッケ/Giuseppe VerdiのRequiem。よく知られている交響曲は比較できる、この音楽は先入観が無いのか結構良い、CDのDレンジ一杯の演奏で、聞いていて気持ちが良い。この指揮者も只者ではない気がしてきた。

5月16日(土曜日)
雨。やっと休みが取れると思いきやそうは問屋が卸さない。師匠から電話があって、砂糖を崩すから来てくれと、伝承館に駆け付けて12時過ぎまで作業。帰って軽い食事。気になっていたLPレコードのハイレゾ化。PCMをきちんとFlackに変更しアットワークを付加し、曲間を切って曲名を入れる。ざっとこんな作業を施すと、NASにオーディオデーターとして追加できる。それを今日は少しだけ試みた。思った通りの作業ができると確認し、少しづつだが作業を進めようと思った。午後3時、少し早いが風呂を焚きプールに出かけた。久しぶりなので頑張ってみたが1kmを超すと疲れはじめ1.7kmで切り上げた。2カ月間の空白、使ってない筋肉があったのだろう、プールから上がるのさえ厳しかった。熱いシャワーを少しだけ長く浴びたらなんとか回復。帰り道ヤマダ電機に寄って6TBのHDDを買おうとしたら、ありません。ついでに8Kテレビを観れば60型が最低のサイズ(我が家に合わない)。3階のリビングフロアに行けばマスクが販売されていた。2月頃息子と賭けをして、何時になったらマスクは潤沢になるか?彼は8月、僕は5月。僕の勝ちだ。(次の賭けはいつになったら50枚せっとが598円になるか)コロナ関係では死亡者数が30万人を超すのが5月26日前後だと見てたが、もう少し早いようだ。久しぶりの外食と言っても飯屋さん。外食は準備と後片付けの無いのがいい。夜の音楽はチェビリダッケ。フルトべングラーの後釜になれなかった寂しい男。とてもこの人には興味があって全集50枚を買った。録音がフルトべングラー程古くはないので音質もなんとか。底辺にある暗さは免れない。今晩はガブリエルファウアーのレクイエムと言う知らない音楽を聞いたので善し悪しは不明だったが、音質はなかなか良かった。10時前どうしようもない睡魔でダウン。

5月15日(金曜日)
疲れが激しいのか7時に目が覚めた。10時間も寝た。それでも疲れは取れず、体がけ怠るい。今日こそは休む日だと思った。それで昨日やり残した所に少しだけ手をかけたら、どうもそのままでは終わりにくい感じ。百姓仕事は半分を終われば結構目処がつきやすい。柵の竹が未だ半分も立って無いので、取り敢えず半分までやろう。と取り組んだら5時前。明日は大雨だと言うから西側の山道に積もった落ち葉を取り除く。今年は昨年に比べて落ち葉が異様に多い。これに30分。何のことはない結局昨日よりも頑張ってしまった。いい加減にしとかな身体を壊すぞ。疲れも関係するし、食事も影響があるかもしれないが、血圧を測れば170もあった。これは大変だ。それで、塩分を全く使用しない献立に変更している。併せて昨夜は左親指が痛かった。痛風だ。食事は塩と量の両面で制限を始めた。わずか半日の農作業でも腹が減る、それで余り制限せず食べていたが、これで疲れの割り合いに対しエネルギーを使ってないのが判明した。自炊は80%成功しているから結構うまいから拍車がかかった。反省。忙しいがもっと体からエネルギーを絞り出す水泳の復活も必要。(プールはこの月曜日から開館した)。農作業はだらだらと体を長時間動かすが、有酸素運動ではないので、エネルギーが抜けきらないかも知れない。

5月14日(木曜日)
先日ホームセンターに買い物に出かけたら、ガソリン価格が又下がって133円となっていた。車のガソリンを入れるタイミングの間に2回ほどの価格ダウンがある。それもそのはず、日量2000-3000万バレルの需要減少(幅が大きいと思うが)に対し、協調減産は970万バレル。アラブの皇太子の作戦は完全に裏目。強権で政界に口出しすると火傷をする良い事例。今は原油を買えばお金がもらえる時代。本来ならこれを契機に各国は脱石油に舵取りを決めれば良いが、原油が安いので中断するだろうな。今日もきまさごの畑。草退治。長い列が7列もあって最後の3列を一気に仕上げた。5日間も要している。ついでにやった西畑下のサトウキビ草取りは30分で仕上げた。きまさごは「力草」が密集して生えているので、紐では中々飛んでくれないから時間を食っているのだ。4月29日以来だから、草も文字通り根を張ったのだ。これからは1週間頻度の草取り対応が必要だ。これだと数時間で済ませるはず。草刈機を降るだけの作業なので疲れてないと思ったら、何と午後9時には目が開かなくなった。

5月13日(水曜日)
もう疲労が溜まって体が重い。朝食の後、3時間だけ畑へ、朝のうちは陰っていて楽なのだ。石拾い。3往復したがまだ十分ではない。しかしもう腰が耐えられない。帰ると睡魔。椅子で15分寝るともう昼食の時間。インスタントラーメンに親類で貰った大根の葉っぱを入れた。チョット少ない気もしたが。午後は再び眠くて今度は布団に潜り込んで寝た。やっと起き上がれた。コーヒーを買って、ラジオ英会話。本を1時間ほど読んでイタリア旅行記をまとめた。最後のトリノ王宮の訪問時をまとめている。中々進まない。3時から再び畑へ。つまり太陽が一番強い時に自宅にこもる作戦だ。それでも疲れて寝てしまっているが、身体には良いかも。隣で近所の人が田を作っている。腰が痛くて、時々休まないと動けないと言っていた。僕と同じ年齢。毎日違う献立も結構疲れる。外食に出たい。でも我慢。今日はカボチャのグラタンと、小松菜のソテイ。料理ブックそのものだったが、出来上がりは生煮え。オーブン200度10分追加で何とか完成。シャープのヘルシオ電子レンジはこのように量の加減によって調理がコントロールされないのが欠点。そのため、出来上がり後に追加時間が設定できるように操作が変更されている(アップデイトで)。それと、完全自炊では味がだんだんと濃くなる危険がある。血圧が高くなっているのだ。ここらで一度リセットし、塩分0の食事に切り替えなければと思っている。夜の音楽は、アルゲリッチのショパン交響曲1番と、チックコリアとグルダのモーツアルトピアノデュオ。いずれも弦がピンと張っているのをハンマーで叩いているピアノ感をはっきりと認識できる、土台のしっかり感の音。台形型の音と言うのだろうか。LPながら、そこそこの解像度があって楽しめる。解像度から連想しフルトベングラーのベートーベン第九を再生するが、妙にしっくり感がない。ショウルームテクニクスR1で聞くフルトベングラーはここまでオーケストラを引っ張るか的な彼の指揮を感じるのだが、このシステムにはその能力はない。一つの原因は、スピーカーの間にAVシステムを置いてあるためだろう。多分、部屋に何もない状態のシンプルな構成で組めば良いかも。母屋にまだオーディオを設置してない部屋が2つあるので、要検討だ。

5月12日(火曜日)
朝からだるい。6時まで寝てしまった。昨日の疲れが残っている。高知の友人からの急襲は無かったが、サトウキビ仲間からの呼び出しはあったので気分転換がてら丁度良かったかも知れない。昼飯を芸西村の海に突き出たレストランSEA HOUSEでご一緒する。最近はこちらも定番化。僕が芸西村に土着するというのはこう言うことなのか未来形が見えた。ついでに草刈りの歯の購入に野市へ。前に見かけた草の根切りの歯がどこを探しても見当たらない。帰って燕の糞の始末。巣に3つの唇が並び餌を待っている。時折その巣から反対の外に腰を向けて糞をする。親は一生懸命餌を運んでいるが、見ていると、3匹が運んでいる。多分去年の子。相手がいない独身者。それで親の手伝い。時折何方かの親が休んでいる。いい家族だ。サトウキビは畝作りをしている。草刈機で草を飛ばしやすいように畝を平らにならす作業。今日もサトウキビのメンバーと話していると、サトウキビ畑の草刈りは恐怖。大きくなると手に負えなくなるため。それを僕は克服したと伝えたら、「おまんを雇わないかんなるねや」と冗談でも飛び出して来る程、草はサトウキビ栽培家には厳しい。今年は徹底的に退治してやるぞと決意している。コロナで動けない5月中にきちんとメドをつける。

5月11日(月曜日)
きっぱりと晴れ渡った。昼からサトウキビの畝に密集する草の根切り。これをしないと紐の回転で草を飛ばすのが難しい。古い草刈り用円盤を装着し、土の中に歯を入れて切った。最初は良かったが石で歯が摩耗し丸くなった。それで今度は石拾い。これは時間がかかり7列のうち、3列で時間切れ。夕食に焼きそばと野菜蒸しを同時セット出来るヘルシオコース58番で挑戦したが、水蒸気で焼きそばがグチャグチャになって大失敗。メニュー通りだがこの有様。これでも良しとするコックさんの良識が理解できない。夜の音楽はベートーベン6番「田園」サイモン・ラトルとワルターを聞いた。勿論名作はワルター盤。確かにツボを押さえているし、緩急の使い方が巧み。ラトルは新解釈かもしれないが、曲のイメージが中心路線から外れているように思える。しかしである。ラトル盤は最新のデジタル録音でメディアがSACD。ワルター盤はアナログ録音でメディアがCD。ソロはともかく合奏では音が団子となり、3楽章では弦の怖さが出てこない。一方ラトル盤は、目の前に楽器の一つ一つが克明に広がる。「おぉこう来たか」と演奏に刮目。ゾクゾクとする。オンキョウのアンプM507でも意外と表現出来るではないか?アンプは買い換えなくても良かったかも知れないと反省の声が聞こえて来る。

5月10日(日曜日)
雨だったので普段よりも多くの時間をかけてイタリア旅行記を書いた。もう直ぐ終わりそうだ。150ページ。掲載写真は600カット。特に絵画については作者やタイトルを調べたから時間を要した。失敗したのはA4縦書きで製本化しようと目論んだ事だ。だが今では、印刷代が高くてチョット難しい、それで大型のテレビで閲覧するのが良いと考えを変更。それなら、16:9の横書きが最適サイズだ。だが、今回はここまで来たら引き返せないのでそのまま続けることにした。他にBDディスクのタイトルをプリンターで付けた。保存枚数は3000枚を越しているので、一日10枚程度進めても完成には程遠い。特に日付はメモってあるが、録画年度をメモってない。いったい何年の録画だ。だが、DIGAには記録した曜日もタイトルに記述されているので、ネット検索で日付と曜日の一致する年度を調べれば候補から年を特定できる。時間を要するが、メモは、同じ色の用紙や文字インクの色などで、同年代だとおおよその判別も出来る。運動がないので昼を控えめにしたが、それでも午後3時になっても満腹状態。雨も上がったので、湿っているがサトウキビの畝をあげに行く。最初畝上げは機械で行ったが、垂直に切り立っているので草刈機で草を飛ばすのが難しい。それで、鍬を使って、畝の尖った先の土を中央部にならす作業。ところが、僅か3cmくらいの草が密集して生えているところは、鍬が入らなく跳ね返される。鍬に力を込めると左の指が痛む。だましだまし作業を進め汗だくで5時に終えた。腹の調子も完璧に空腹。風呂を沸かし、風呂に入ってから買い物に出かけた。夜の音楽はハイレゾ中心だったが音の鮮度が低く妙にしっくりこない。サーバーが悪いのか、ケーブルが長くて悪いのか。いずれにせよ、サーバーは買い換える必要に迫られているのに先にアンプ購入を決意したのだ。困ったことだ。

5月9日(土曜日)
雲行きがあやしい。午前中は定番の行事を終え、明日の雨に備え掃除を行なった。掃除について思うのだけど、部屋を掃除すれば気分が良い。それに結構な運動にもなる。コロナで外出禁止が叫ばれ、運動不足でストレスが溜まると言う。それで外に出て運動でもしたい。さもなければ部屋の中でストレッチとオンラインでのストレッチ教室などが取り上げられる。僕はどうして掃除をしないの?ものがいっぱいで埃だらけの部屋では、それこそストレスは溜まるわ。だが清掃のTV番組は見たことがない。現役時代も含めて他人の家にお邪魔する機会は多かったが、総じて掃除がなされてなくいっぱいだった。現在近所の家もいっぱいだ。僕の家庭(があった頃)も衣類を跨いで歩いた。友人のおばさんが言った。元の場所に戻せば部屋は片付く。TV番組が無いのは、みんな掃除が嫌いなのだ。その掃除のついでに高音用のアンプをSE-A100に入れ替えた。ピンと張った弦の音が印象的で、DENONPMA-2500NEとは違った艶です。やっぱり重量が物言うかと思った次第。ところが「パン」と大きな音がして沈黙の世界が訪れました。SE-A100が臨終を迎えたと思いました。今度はオンキョウのアンプM507に入れ替え鳴らしました。幾分艶は落ちたが、30分を過ぎると何とか雰囲気が出てくるようになりこれで当分は我慢しようかな。とりあえず檜和田さんには言っておこう。すると氏曰くSE-A7000があるぜ。それもvr4.0だと言うから、えぃ思い切って買おう。と決断したのでした。それで農作業は、2時過ぎの開始。3時間弱ですのであまり進捗はなかった。そうして家に帰り夕食の買い物をと部屋に入ると友人から一杯やろうとのメールが届いていた。懇親会でわかった事は友人は新しい仕事に就いて、継続できそうだと言う。しかも集活も就き、月に4回。合計8万円の収入の道が出来たと言う。併せて貝教室が始まれば、10万円コースが見えてきたと言う。これは一緒に喜んだ。彼が困窮すればいずれは援助しなければならないと思っていたからだ。良い酒を呑んだ、送る時外に出るとシトシトだが大雨だった。

5月8日(金曜日)
コロナで普及したのは、テレワーク。消費が拡大したのは、通信量。ゲーム。配信の映画。これらを繋ぐと、テレビ会話がいよいよ現実感を伴ったバーチャル表示になりそうだ。そして、背後に控える技術が、高精細の8K、立体感のあるVR、遅延の少ない5G。これらが出揃う2021年後半には、コミュニケーションはかなりのテレビ会話が一般化されるのではないだろうか?僕も写真を見るテレビを4K液晶と心算をしていたが、8Kに変更した方が良さそうだ。さて、今日ほど予定の狂った日はない。バイアスが最近ちょくちょく顔を出していたから少しは免疫があったが。上手く行ったのは朝一番でゴミを捨てに行ったついでに野菜を買って、海岸で海の写真を撮影し、船が出ているので今晩は刺身だと思ったことだけ。帰って洗濯をしていると友人が突然。やっと帰ったと思ったら、今度は師匠から砂糖を崩すから手伝ってくれ。砂糖の塊は硬くて調理に使いにくい、それで細かくして袋詰めして販売するのだ。昼までかかって、それから、安芸市のそがさんを呼び出して、食事会。帰りに近くの親戚によれば筍を食べたいと言う。それじゃ帰って掘ってくるわ。帰ると会社から電話とメールで貸し出しのプレーヤーを大至急返却するようにと催促。タケノコを届ける足で急いで高知市に出かけ回収し、クロネコヤマトで発送した。帰ると7時だった。風呂も沸かすことはできずシャワー。結局今日はラジオ英会話でさえ聞くことができなかった。運命の路線が変わったと見るべきか?それは東南海地震が近いと言うことか?

5月7日(木曜日)
スズメに関する誤解。今日燕の巣を見たら3羽の可愛いひなが顔を出していた。あの卵の殻は、雛が孵ったの残がいだった。スズメはとバッチリを受けた訳だ。今日は西畑の柵を終えて、きまさごの柵づくりに移った。一列に25本の杭竹が必要で、合計350本もの竹が必要。今日はその杭の切り出しで70本終えた。明日は残り280本揃えるつもり。ここから500mくらい離れた村道にパトカーが隠れて取り締まり。何度もサイレンが鳴ったのでその数だけ捕まった訳。畑の南に繁殖した竹や木を切ったので、ここから海が見えるようになって、取締りのサイレンもすぐ近くに聞こえるようになったのだ。今日は作業をしながら新緑の緑を味わった。多分今が一番綺麗。どこにも出かけなくてもこの毎日接している風景を撮影するのが一番だと残念ながら1日を終えて思った訳。明日も晴天なら挑戦してみよう。力仕事をしていると、たまにはビッグボーイでハンバーグなどを食してみたい気になる。高知県は本日から色んなところが解禁された。だがここは誘惑に負けずじっと我慢の自炊だろう。クックパッドでアスパラ+もやしの味噌炒めを検索し挑戦。好結果。ゴボウに牛肉は前に取り組んだメニュー。野菜多めの料理だから外食したくなるのかな?

5月6日(水曜日)
鳥にまつわる話。先ず我が家に来てくれて卵を温めている燕をスズメが襲い、2つの卵の殻が床に落ちていた。1昨年もこのような不幸が起きた。残された卵を燕夫婦は未だ温めている。その健気な姿には感動を覚える。そのスズメが、窓を開けていたら迷い込んで僕の部屋に入ってきた。憎き雀を退治するぞと、ハエ叩きを持ってきて叩き落とした。虫の息になったスズメを窓から下の駐車場に捨てておいたら、1時間もしない間に、他の動物が持っていってしまった。午後から西畑の柵づくり。あと少しで完成だ。そうしたら、明日から1ヶ月を使ってきまさごの柵づくりを行える。5月中に完成すれば最高だと思う。去年は、台風がくる前に柵作りを行ったから、大きく成長したサトウキビの葉でいく箇所も顔を切った。今日はもう一つニュースがある。行動半径を芸西村に絞っているので、夕食の食材も小さなスーパーで買い求めるしか無いが、今夜はブイヤベースに挑戦した。貝類はほとんど手に入らないので、冷凍食品の「ミックス魚介類」で代用。セロリも無いのでピーマン。白身魚は無くてパス。そんな制約がある中、出来上がりは結構上手く仕上がって美味しかった。息子にも分けてあげた。料理に関しては、最近富に腕を上げたのではないかと思う。

5月5日(火曜日)
昨晩は疲れで眠いのを我慢して音楽を聴くのが苦しく、残念だが中断し布団に倒れこんでしまった。農作業を終え風呂を沸かし食事を終えると直ぐに睡魔が襲ってくる最も1日が短いパターンだ。それでも8時間眠ると朝は爽やかで今日は何か良いことが起きそうな気配がする。午後からは、西畑下のサトウキビ柵作り。太陽が強く風もなく汗が吹き出た。柵作りは早く仕上げないと、この夏の炎天下ではとても無理だろうと思った。西畑の柵は昨年のを流用するが、ここはサトウキビが大きく育った場所で、あまりにも大きなサトウキビで柵が歪んでしまっているし、東側半分は壊れてしまっている。1本のサトウキビの高さが4m重さが3kgになる群生が10本位束になっている。それが吹き付ける風でバランスを崩すと一気に柵が壊れるのだ。柵は僕の身長の関係で高さが1.6m付近にあるから、半分以上が支えなしに天空に突き出していたのだ。修復用の竹を探しに山にいれば、筍が猛威を振るっている。大日様と先祖様の敷地をノコギリで切り倒した、今年は特に直径20cmクラスの大型の筍が多い。家に帰り車庫の水道から2度ほど水を飲んだ。4時を過ぎると太陽は雲に隠れ暑さは収まった。夜、オペラ「ナブッコ」を見ようと探すも、整理が悪く見つからない。それではと言うので録画した盤に、タイトルをつけようと整理を始めた、しかしナブッコはまだ見つからない。

5月4日(月曜日)
1月末からのイタリア旅行は、今まさにウイルスが猛繁殖している時期に行ってたようだ。マスクをしてたし、できるだけモノには触れなかったが大丈夫だっただろうか?少しだるく熱っぽくもあったが寝たら回復していたので、ガンガン飛ばした。帰ってからも異常はなく、そのまま現在に至る。もしかして患っていたが、気がつかずに回復していたのかもしれない。今イタリア旅行記を纏めていて、楽しかった写真を見ていると、5Gがウイルスを運んでくるデマに便乗するわけではないが、写真(デジタルデータだが)にウイルスが付着しているような錯覚さえ起こしかねない。嵐の映画は好きで良く見るが、意外と直前まで人々が平然としているのを見て、「それはないだろう」と思ったりもするが、現実にこの病気のまん延を見て人々は意外とノンビリし、ホームセンターやスーパーで買い物をしているし、政府は規制を地区別に外すと、その地区に隣の県から人が殺到すると懸念される程無防備でいられる。5年後今の状況を映画にしたら、きっとみんな「それはないだろう」と思うに違いない。一度映画で見たことがある、ガラスドームで隔離された建物に人々は住み、外界は空気が汚染されているので住むことも出かけることもできない。そんな世界が今後あり得るかも知れない。

5月3日(日曜日)
雨の日には気持ちの良いことをしようと決めている。それは掃除だ。普段より気持ち丁寧に行う。窓やレールも拭く。すると本当に気分が良くなる。パジャマを毎日洗うのも少し贅沢だけどきもちが良い、しかし、雨の日には難しい。昼飯は1時間半ほどかけて食った。大量に食ったわけでなく、本を読みながら食った。雨だったので文字を飲み込みながら食ったらこれだけ時間がかかった。塩野七生の「ギリシャ人の物語」だ。ペルシャとギリシャの海戦の部分だ。iPhone6でグーグルマップを開き、地名を確認しながら、あるいはストリービューを見ながら土地勘を頭に入れて読む。塩野氏に戦争を書かしたらこれほど上手く引きつける人は居ないだろう。ある意味、司馬遼太郎氏よりも上手だと思う。紀元前500年の物語を昨日の如く表現出来る。この人の筆力はチョット真似できない。映画「300(スリーハンドレッド)」はこの頃の戦いがモデル。午後2時雨上がる。早速前のサトウキビ畑に出る。自宅から職場まで40秒。細かな世話が出来る距離。棚は2列完了。草刈りも終える。夜は「セビリアの理髪師」、3面(最終)。伯爵とマドンナがめでたく結ばれる。音が良くて歌が上手くて自分では歴史に残る名盤だと思っている。ネットではクラウディオ・アバド盤が有名でLPジャケットはこのオペラを代表している。僕も確かCDは買っているはずだが、探しても見つからない。今日は誰とも会わず、会話もなかった。うがいも手洗いもしなくて良い。

5月2日(土曜日)
サトウキビの師匠からコーヒータイムのお誘いが来たが、どうしても畑仕事を仕上げたくてお断りした。明日は雨で作業は中断するからだ。前の畑はサトウキビの転倒防止柵を張り巡らしているが、よく見れば、あちこちで随分とねじれがあるのが判明した。サトウキビが大きく育ってからの柵だったので、倒れているのを無理に引っ張ったりして柵に負担をかけたのだろう。よじ曲がっているところもある。これらを一つ一つ修復してゆくのだが結構時間を要する。しかし今しかない。5時の時報が鳴るまで作業した。風呂を沸かし、香南市のスーパーまで買い出しに行った。芸西村にもスーパーはあるが価格が高い。多少でも多く買うときは燃費代くらいの差が出る。コロナで外食を控えて、毎日同じ献立をしない。ある時はクックブックで、ある時はヘルシオメニューで、こちらは時間があるのでそれが可能なのだ。そして料理の成功率は80%位。そして今日は米茄子に味噌と肉を詰めて、ウォーターオーブンで焼いた創作料理。これは大成功。商売が出来るんじゃないかと錯覚する。成功した暁はこうして有頂天で、失敗時には息子にあげる。いつもメールで美味しかったと返信が来るから、息子は余程不味いものを食っているのだろう。今日はLPで「カウントベイシー/映画音楽」片面聞くだけでダウン。

5月1日(金曜日)
自己資本比率。コロナ後は確実にこの見直しに動くと思う。借入金の返済に苦しむ企業があったから。銀行も然り、教訓としてROEよりも優先すべき指標になるかも。僕の予測だ。現金が大事。定年後の生活も多分これが重要。お金を持ってないと、面白い仕事も、愉快な仲間とも付き合えない。使うお金はそんなに多くはないが、使えるお金があるのとないのとでは、行動が変わる。気持ちの立ち位置が違う、多分。昼からは、サトウキビの転倒防止柵の修繕。作業中に、農業日誌の重要性を感じた。畑の区割りで8箇所。草刈りも同じ、柵の管理で5箇所。つまり横に21項目の管理が必要だ、縦に日付。明日作成しよう。近所のお百姓さんは、口には出さぬが人の作業をきちんと見ている。雑にならないように、放ったらかしに見られないように。収穫よりもその評判はきっと大事。ここに住む以上は。夜はLD「セリビアの理髪師」中巻。マドンナの歌はうまいが、顔が馬面(マリア・ユーイング)。在りし日のサラ・ボーンのように、息の長い高い音程を全く不安なくというか、余裕で歌い切る。その歌声には感動する。だがLDなら不鮮明な映像でなんとかなるが、DVDやBDなどの映像系ではしんどい。旅行記はポルディ・ベッツォーリ美術館に差しかかっているが、期待してなかったのに、貴重な作品が目白押しで、取り敢えずの撮影でも凄いことになっている。一方でこの美術館は情報発信が少なく、日本人の訪問が少ないのか、Web書き込みが見つからない。外国人も同じようで、これとて中々ヒットしない。頼りになるのは、絵画の片隅に写った美術館が用意した制作者カードを拡大して検索する事だ。それでも、お目当ての絵画に当たらない。物凄く時間を費やしている。

4月30日(木曜日)
日常生活にバイアスが入ることが普通になって来た。朝方はお寺さんが筍掘りがてら、げんきょう様の木こりの費用賃を持って来た。勿論お断りしたが。午後はサトウキビの育成に村役場から取材が入り全員集合となった。芸西村も、「田野の塩次郎」のように砂糖を売り出そうと考えているようだ。高知県で纏めれば塩と砂糖のセットができるからだ。4時に終えて沖の田に行き、柿の木の下草を刈った。今日の作業はこれだけ。身体を動かしてないぶん腹の減り具合も良くなく夕食は野菜中心。新聞を見れば在宅勤務で事務のペーパーレス化が進むとあった。僕は1998年ごろからこれを仕事のサブテーマとしてやって来て、定年後は、全ての日記と、書籍、記念の品、写真をPDF、JPEGに変更し、VHSとβをDVDに、カセットテープをMP3に置き換えた。64歳まで4年間かかった。そして、先行したぶんだけ、電子化した情報の整理の方法も学んだ。まぁこのノウハウは、それらの思い出とともに、そっとして墓に持って行こうと思っている。今夕の音楽は一杯呑んだので、すぐ寝てしまいそうでパスをして、雑誌をめくった。まだ少ない情報だが、キャノンEOSR5の記事を目を皿のようにして読んだ。次期カメラの購入候補はそれまでフジのTX4に傾いていたが、やっぱりフルサイズが欲しいと思い始めた。ソニーαR7は確かに最有力だが、どうも名前が良くない、そこへこのニュースだ。ただレンズ1本が30万だから大三元3本を揃えるとかなりの出費と、かなりの重量になる。旅行に持って歩けるかな?NY訪問時EOS5DIIIと、レンズ1本でも往生していたのだが。

4月29(水曜日)
いつもの定番、6時前に目覚め、布団の中で本を読み(EXIT WESTを1-2ページ程)、6時が来たら朝食の準備。午前中は家で過ごし、午後は畑に出る。昔、お世話になった友人のおばさん「慶やん」が今頃の時期が来たらいつもこう言っていた。「今の時期が一番良いねぇ、暑くも寒くもない。こんなえい時が(他に)あるかね」と。太陽はサンサンと降り注ぎ、ウグイスは近くで鳴き、新緑が太陽に透けて目に優しい。夕刻が来れば、風呂をたいて夕食の準備。田舎の百姓の夕暮れだ。今日はよしかずさんが「ピーマンを持って行きや」と声をかけてくれ、昨晩あく抜きした筍に刻んで戴いた。息子が早く帰宅し、少し話をした。何と会社は近年稀なほどの忙しさで、5月の連休も4,5日のみの休暇。昇給あり、残業ありの状況だとか。一時帰休となり家でゴロゴロされるよりは遥かにマシな状態。お土産に炊き込みご飯と筍の煮たのをあげた。夜は、オペラ「セビリアの理髪師」を半分見た。半分は寝てしまった。貴族の主人が一目惚れの娘を射止めようと田舎にやって来た、そこから記憶がない。LDの画質はイマイチだが、音はPCMで実に素晴らしいパイオニアサウンド(昔は敵視して鼻から除外視してたが、今は呪縛が外れ冷静に聴くと、物凄く好きな音、高校生の時、始めて買ってもらったコンポも、パイオニアのプレーヤとスピーカーだった)。聞き惚れてしまう。好きなAV機器に取り囲まれた夕べは田舎のおっさんから一転し、都会の趣味人を営む人に変身。それに音楽もよく聴き込み蓄積してないと勤務に差し支えるからだ(嘘です)。

4月28日(火曜日)
もう4月も終わり、今月は5冊の読書。チョット少ない。それに本を開くと途端に睡魔が襲ってくる。夜の睡眠時間は7時間〜8時間、昼寝もするがその効果無しだ。午前中イタリア旅行のまとめと、数字の本。計算式は3次元に展開すれば、合わないジグソーパズルも合わせることができると言うやや概念めいた話。πやΘが出てくるが気にしないでと書くが、気にするもしないもさっぱり理解不能だ。昼からサトウキビ畑の中断になっていた整地で、今日完成。更には、きまさごのサトウキビ畑の草引き。草とサトウキビの新芽の区別がつきにくく、ずいぶんと新芽を摘み取った。夕食にビールを飲みたかったがぐっとガマンし、野菜カレーでガマン。じっちゃん(きび仲間の90歳)から教えて貰った竹の子の食べ方。背の高さぐらいの筍を節を外して縦に細かく切ると美味しい。それを試したらなかなかいける。しかしこれを知人に送るのは厄介だ、大きくて長い。結局先日食べた甘い完熟トマトと同じく現地消費しかないのかな。夜は先日NHKで放送のドダメル指揮ミュンヘンオーケストラのマーラ2番「復活」を見た。その前にLAのディズニーシンフォニーホールでの記念イベントを見た後だから、会場の貧弱さが気になったが、演奏そのものは素晴らしい。若い指揮者は躍動感がある。ハープの音もしっかりと捉えていた。しかもカメラマンが良い。楽譜を見てカメラ操作してる感じだ。実に的確な楽器のクローズアップが来る。ベルリンフィルのコンサートライブも同じようなカメラワーク。でも、高精細な画面だから、カメラは固定したままで良い。

4月27日(月曜日)
5時からプレゼンの復讐。ギリギリ迄やって出発したら、マスクを忘れていた。引き返し再出発。素晴らしい天候に恵まれて気持ちよく業務を終える。荷物を片付けた後、LPレコードを漁り、ラドールプーのベートーベンピアノ協奏曲5番を購入。久しぶりの高知だが長居は無用、コンビニでサンドイッチを買ってかじりながら帰宅。そがさんから電話があって、ジョロを持ってきてくれ。先週の土曜日から中断していていた僕の作業は、午後3時から開始。先ずは、同級生の理恵ちゃんか言われた、貴江さんちの家の前の土地の草刈り。色んなものを捨ててあるから、真剣になると喧嘩になるから、草刈りもいい加減に刈った。友人にメールをすれば懇親会OKだと言う。牛肉とゴボウの卵とじと、ニンニクたっぷりの餃子。ガマンの結婚生活か、自由を選ぶ離婚かの議論。それといつ終わるとは予測がつかないコロナについて。彼は、貝教室がコロナの影響で開けなくなって、生活のために園芸組合に働きに出ることにしたとの事。茄子の選別作業だと言う。時給800円。寡黙な仕事はあなたには合わないから早晩辞めるだろうと、僕のアドバイス。僕も仕事はないが、完全自炊で出金を抑えている。節約には「入る」と「出る」何方かに傾注するのだが、何方が楽なのかな?

4月26日(日曜日)
今日は朝早くから、そがさんの畑にサトウキビの植え付け作業応援。5列。800kg相当。すると、手伝っていた、じっちゃんも、「わしも植えたい」と言い始め、こちらも結局5列800kg相当を植えた。「こんなに植えるなんて年甲斐もなく」と、少し反省されたのは90歳のおじいさんの話。昼飯はそがさんの奥さんが持ってきてくれた弁当。一緒にトマトがあった。スイカのような甘いトマトは初めて食べた。僕が昨年皆んなを凌駕する量を供出したので、彼らお百姓魂に火がついたのだ。切磋琢磨はいい事だが、その増量分が売れるとの保証はない。仲間内でいいのが出来たのかどうかの競争で、お客様には関係のない話。しかも仲間内でないとあの微妙な差は分からない。だから、皆んな遊びでサトウキビを作っているようなものだ。2時半に全ての作業を終えて、その足でセブンイレブンへ。注文してあったサイモンラトルベートーベン交響曲全集を引き取る。ピアノコンチェルトも全曲のおまけ付き。これで9100円は安い。帰って早速ピアノ協奏曲5番「皇帝」聴く。演奏そのものよりも、音の粒立ちが明確で流石SACD。音質に感動。ついでに先に買ったバーンスタインを聴けば、演奏はやはりこちらが良い。明日は商品勉強会に行く。予習をしておきたいが、連日の作業でお疲れ。9時に寝てしまった。明日の朝に持ち越そう。疲れなのか時々自分の大きないびきで目が覚める。

4月25日(土曜日)
朝から、芸西村の憩いの丘の木こりの応援。小さな木の枝は問題ないが、最後に大きな木を切り倒したが、思うような方向に倒れず、テニスコートのフェンスを壊した。トラクターで引っ張ったが、あまりにも木が大きすぎて、効力が無かった。しかし今回勉強したのは倒れる方向に2/3くらいは切って置いて、トラクターで引っ張る。そして、裏から本格的に切る、少しふらついたら今度はトラクターで思い切って引っ張る。もしくは倒れかけたら、全速力で引っ張る事。お寺のげんきょう様の時はうまく行ったが、その基本を守っていたからだ。よく分かりました。一緒に作業した大学生は、県外の大学に通っているが、今は自宅待機中。そして授業はTV会議方式だとか。専門は国際情勢。外国視察が一番勉強になるだろうが、当分行けないのが辛いとこぼしていました。トラクターの帰りに、沖の畑に寄って、西側のやや草が生えている方の田を叩いた。帰ると、まさのりさんの奥様(多分)がうすいの実を袋に包んで置いてくださっていたので、電話をすると、やっぱりそうだった。3合のご飯に炊いたら良いと言われたので、まずそれをセットして風呂を沸かし買い物に出かけたら、美味しい炊き込みご飯が出来上がっていた。収穫から3-4時間後に炊き上げたうすいは未だ実の繊維が呼吸しているうちの調理だったから味も格別のだろう。ここの所、夕食は旬の食材で調理もまずまず成功しているから充実だ。

4月24日(金曜日)
ここのところ、妙にいろんなバイアスが入って、僕の作業が中断されている。一体どんな巡り合わせだろう、どんなふうにして噛み合う歯車が違ったのだろう。今日は、砂糖仲間から呼び出しがあって、畝を上げる機械が壊れたから、お前の機械を持ってきて来くれと。僕は、先日プレゼントをいただいた滋賀の知人に、お礼としてイタリア旅行記を返礼の品としようと執筆を急いでいたのだ。結局午前中はこれで潰れた。午後は、文旦の下草刈り。せっかく大きな畑を貸してもらっている(100本の木、上手く育てば1本から100kgくらいの文旦が収穫できる)その畑はただ実をもらうだけでは申し訳ないのでキチンとしようと思っている。ところが春先からサトウキビで動けなかった。でも昨日で一段落ついたから、これから数日はこちらに取り掛かるつもり。今日は2段(10本分)。そこへオーナーのていこさんがやってきて、座り込んだので、暫く話。もちろん病気の事。田舎の共通話題はこれしかない。まだ木に実をつけているのがあるが、時間なくて草刈りのみ。不思議な現象は、1月にサトウキビの搾りかすを木の根元に積み上げてあったのに、見事にそれがなくなっている。犯人は誰?夕食は鯛の姿焼き。友人に声かけるも別の飲み会で断られた。チョット大きすぎる(でも550円だった)ウォーターグリルで焼いた。マニュアルでは20分だが、大きかったので25分。塩を薄くまぶしただけだが、美味しかった。さすが腐っても鯛、如何様に調理しても美味い。サブにゴウヤと茄子の炒め物。こちらもまずまず。夜はDENONカートリッジDL103とSL1500Cの付属カートリッジの聴き比べ、付属の方がシャリ感強い。暴れん坊のDL103が大人しく聞こえる。

4月23日(木曜日)
指は益々痛み、今日も畝の整地は休んだ。代わりに、きまさごの草刈り。紐の草刈りで、草の芽を飛ばす作業。結構時間がかかる。小さくても草はしっかりと根を張り、しかも、つるは横に伸びて、節々で根を下ろすタイプ。手でも引きにくいが、紐でも中々飛びにくい強者だ。5時に終えて、今日の夕食は、息子の買ってきてもらった、土佐山田の鳥の挽肉を使ったドリア。今回は3度目で、マニュアルもチラッと見ながらテキパキとこなしたら、ちょっと作法が間違っていた。が、材料のうまさの助けられて何とか物になった。やっぱりうまい材料は7難隠すですね。半分食べて、半分は息子にあげた。イタリア気分だったのでワインを飲んだら、昼間の作業が効いて9時半を待たずに寝てしまった。最近は7時間半〜8時間の睡眠時間で1日が短くなっている。

4月22日(水曜日)
最後の畝の整地を目論んでいたが、昼にカボチャをスライスして炒める献立で、指もスライスした。スライスした皮膚はそのまま炒めた。始めて人肉を食った。それで、指が使えなくなり、畝の整地は中断。除草剤の散布と、草刈りの徹した。激しい動きは伴わないから、腰の痛みも無かった。時間が余ったので長谷寄の親類へ行ったら、ナスをくれた。このおばさんは、綺麗な人で90歳が近いのに、かくしゃくとしている。エンドウ豆が上手く収穫できなかったので、収入が減ったと嘆いたが10万円で救われるとも(変な形での政府支援だが)その茄子を使って夕食の献立。こちらは成功。もう一つは、昆布とイカリングのマヨネーズ炒め。こちらは大失敗(失敗作は大概息子にあげていたが、これはナンボなんでも申し訳ないだろうとやめた)夜は、SC-C70の試聴。中々音が良い。コンパクトだが、音に卑屈感がなく、チェロやビオラ、オーボエなんかがキチンと立って聞こえる。チラッと聞いて後は研修用のパワーポイントでも作成しなければならないが、どうも指が動かず聴き続ける。もうこれで2晩目。いい加減にしないと間に合わなくなる。サトウキビの師匠から、木こりを土曜日に。サトウキビの植え付けを日曜日に依頼された。問題ないが、パワーポイントを早くしなければと気を揉むのだ。

4月21日(火曜日)
昨日思った貨幣の切り下げがあるのではないかの懸念が頭から離れない。日本の国家予算は今年102兆円。そこに70兆円ものお金をばらまく。アメリカは300兆円だ。しかも、これは後数ヶ月間でコロナ終息を前提としている。それが年末まで猛威をふるったら?企業が破綻するだけでなく世界の国が破綻する。破綻しても僕は大丈夫。今は動けるし、少ないお金で献立し、食っていける。かなり低予算の生活が実現できている。預金を没収されても生きて行ける自信はある。しかし、身体の健康が保たれるのを前提としているから10〜15年先は見えない。ブラジルはコロナ対策に反する政策をとっている。大丈夫かい?調べてみれば、致死率は6%でそんなに高く無い。だが2週間後を注目して見よう。これは自然発生したウィルスでないかも知れない。人工的に作ったウィルスだから止めようがない。人々の抗体も出来たり出来なかったり不安定。今の統計から推測すると30万人目の死亡は5月25日ごろに迎える計算になる。これは経済対策どころの話じゃない。今すぐ金を買え、買ってこの経済危機の嵐が治る10年間保管しろ。これが一番正しいコロナ対策かもしれない。畑の整地は後1日を残すのみとなった。研修会用にテクニクスST-G30を借りている。これをDENON2500NEのUSB端子に直結してハイレゾを聴くと、鮮度の高い音楽が流れる。(普通の結線はLAN回線で2500NEに信号を送る)やっぱりハイレゾはいいぞ。弦の音がそれぞれ分離して聞こえる、この解像度にハマるとだんご状態の音楽が聴けなくなるから危険でもあるのだが。それと普段耳にしない楽器が見えて来る。こんな音も入っていたんだ的な発見。音楽再生はここまで来ているのを発見。生を超える再現力。それが毎夜聴けるとなれば、海外に出かけて聴きに行く必要は全くなし。旅行の魅力は飲食もあるが、それも東京や大阪に行けば多少高いが食べられる。それでは写真?これもネットに満載。かくして海外旅行の意味合いは全く薄れました。となれば元も子もないが。

4月20日(月曜日)
コロナ禍は多分終息までに2年。全世界の死者は300万人。スペイン風邪時代よりも衛生面での改善は図られているが、感染力が強く、しかも自分だけは大丈夫精神を持った人が、政治や宗教人種を超えて存在するからだ。僕はアジアを担当した時、人種による好奇心の違いはないのをひしひしと感じ、人種優劣、宗教優劣はあり得ないと思っていた。今でも何とか派とか、○〇人だからをよく言うが、そんなのは本当はあり得ないと思っている。その証明がこのウィルスだ。均等に伝染している。だからどこの国の人間でも同じ行動をとる。だから国は法律で縛ったり、監視技術で縛ったりしなきゃならない。閉鎖した商店に窃盗に入るなども全世界同時多発で、これぞ正にパンデミック現象でしょう。だから、終息までに薬の検証も含めて2年はかかると見る。そして各国はお金を増刷している、しばらくの間増刷りするだろう。それでインフレが起きないわけがない。結局2年後通貨切り下げが起こり現在の通貨が、例えば預金は1000万円を限度として使えなくなる。そんな危険がコロナの背後に控えている。先進国7ヵ国は経済が繋がっているから、日本だけが無償で居られるわけがない。何故識者は本当の事を言わない。GNPの10%対策をどこまで続けられる体力がある?1人10万円なら可愛いが50万円ともなれば、ありがたいよりも危険が迫っていると見るべきだろう。世界が同じ趨勢下にある。この先何があると模索していたが、ズバリ激震の通貨切り下げ。大パニックが起きる。新興国は確実に破綻する。海外旅行は危険で難しくなる。

4月19日(日曜日)
結局昨晩は8時間も寝てしまった。午前中英会話時間にも途中で眠ったから、1日のうちに目を閉じている時間は結構長い。農作業は4時間くらいなんだが、それでも相当疲れているということなんだろう。滋賀の知人に手紙の下書き。旅行記のまとめ。午後は、息子の家にガス給湯器の取り付け。サトウキビ畑の整地。ここは余りにも雑然としているので、粗の整地をこの2日間行ってやっと、前の畑と同じように畝ごとの整地ができる様になった(今年始め整地をしようとしたが、師匠にこのまま放置する様に指導されたから、収穫後そのままだった)。僕の能力では1日2畝。4日間で完成の予定だ。4時半に切り上げて風呂を焚き、息子と安芸市の「寺尾」に魚を買いに行った。カツオとアジで2100円。帰って、パパイヤ料理と一緒に刺身をいただく。刺身は驚きの味。息子もびっくり。この味は他所では味わえない。脂身がなく素直な味だった。それにあまりに新鮮過ぎて臭味がない。道中は息子の車に乗せてもらったが、やっぱり軽自動車とは違うゆったりとした乗り心地。天井のガラス扉も開き開放感がある。でも僕には新しい大きな車は不要だな。車で出かけなきゃならないところがあまりないから。

4月18日(土曜日)
本来なら、母の従姉妹のまぁやんの1回忌の日。でも今回はコロナの関係で近所だけで営むとの事。それでいい。僕は、日記をサイトアップした後、サトウキビ畑の整地を行なった。今度の畑は広く、写真判定では、進化が見えない。農家の仕事はそれが見えるから励みになるのだが。それほど整地には時間がかかるし、面積も広くなると進み具合が芳しくない。必死に頑張ったから多分夜はダウンだろうな。今日の良かった点は夕食の料理が大成功だった事。朝のうちにパパイヤを買ってきた。これを卵料理と、ベーコン料理に分けて作った。卵の方はクックパッドのメニューから、ベーコンの方はカッパ市場のおばさんのアドバイスからの情報。夜は知人からいただいた隠岐の島の旅行DVDを見た。隠岐の島はいくつかの島の連合だと今まで知らなかった。そしてローソク島と言う観光地のある事も知らなかった。知人はこの写真に音楽を付けてDVDを作成してた(僕は4Kで作成するぞと思ってiMacムービーで試したら意外と簡単だった)。それを見終わると案の定9時半にダウンした。一刻の猶予もなくダウンだった。

4月17日(金曜日)
夕刻から雨予報だったので、午後は芋の作付け。芋は結構腐っていたが、2列植えた。今年は、マルチシートと呼ぶ黒のビニールを張って草の進出を抑える。シートの上手い使い方が分からないが取り敢えず自分なりに施工。今夕からの暴風雨に耐える様にした。次に残土の整理。制限時間(活動の)の5時を過ぎても終わらなかった。夕食はサラダ菜で包むベーコンと、ヒジキと簡単なもので献立の時間を短縮した。新聞ではテレワークが思った以上に効率が良いのを、かなりの人がわかってきたと書いてあった。僕も前の会社で大変なテレワークを行なったが、確かに2人前の仕事をこなした自信はある。セレロンCPUでPCの速度が遅くその待ち時間さえも勿体無いと思ったほど打ち込めるのだ(大きなファイルの結合では10分位必要だった)。しかも鶯の声を聞きながらと言うおまけ付きで。財界はオリンピック後にこのテーマに取り組む意向だったらしいが有無を言わさず流れ込んで思わぬ拾い物をしたらしい。コロナ禍の後世の中はどう変わるか?最も興味ある課題だが、このテレワークは定着するだろうかな。通勤ラッシュというのが死後になるのでは。いや、災禍が終われば元に戻るだろうと言う企業は、多分だがこの後の世界では淘汰される可能性が高いと思う。生産性と海外人材の活用にも出遅れるからだと推測する。ベルリンの壁が崩れてグローバル化が進み、ビジネスの舞台で活躍する人口が増えた、その結果スキルの少ない人のチャンスが失われた。当時はスキルを磨けば対応できたが、現在ではスキルを磨いていも数年史か通用しないかも知れない。当時は自分の余禄でスキルを磨くことが出来たが、今では、仕事を離れてかなり専門的な学校で、かなりの時間をかけないと磨けないと思う。当然40才以降は保守的になるからそれをしないだろうから、多分国際競争の中で淘汰される。格差是正は掛け声ばかりが響き、もっと極端な格差が実現するだろうな。この事に関しては確信がある。

4月16日(木曜日)
今週はまだ終わってないが、妙に僕の生活圏に入って来る人が多かった。ラジオ英語は時間を確保できたが、本を読む事、英訳する事は頓挫している。他の人は、何にもしてないんだから時間が余っているでしょ的な感覚だと思う。確かにその通りだが。自分の中ではスケジュールがみっちりと詰まっている。サトウキビ畑の整地は後に回し、芋の作付けも後に回し、今日は息子の家に湯沸かし器を取り付ける作業を行なった。湯沸かし器が結構重量あり、外壁にパネルを取り付け、それにさんを打ち、そのさんは地面に直接当たる様にして、重量を壁ではなく、下に分散させて支えるものとした。又、この場所を雨風から防ぐビニールのトタンも貼った(大工さんに注文すると数万円ではきかないかもしれない)。少し時間が余ったので、道路拡張で出た残土を東の端の畑に振りまいた(これは結構体力のいる作業で、大量の汗をかく程)。こうして僕の予定がどんどんと後回しになっていく。サトウキビ畑の草が待った無しの状態なので、本当は僕は焦っている。夕刻の食事時息子が先に風呂に入ってからしばらく話し込んだ。コロナに生姜は効くのか不明だが、会社は忙しいとの事。さらに子守に会社を休んでいるパートさんの代わりに、昼間は事務だが残業は工場で働いているという。僕は、自宅待機となったら少しやばいかなと思っていた。逆に姉は、閉鎖される店舗が出てきて、そこの社員と仕事を分け合うので、有給が取れる様になったと言う。こっちは休んでもしっかりしているので安心だが。僕が風呂から上がると10時で、眠くてフラフラだった。

4月15日(水曜日)
知人の檜和田さんから砂糖の注文を頂いた。伝承館を開けて頂いて、師匠と奥さんに砂糖の包装を手伝ってもらい発送した。今回に限らず師匠とも随分と話したが、この人の人柄で伝承館が運営されている要素が多いし、皆のサトウキビを作るモチベーションとなっている。彼の残り人生、何年現役でいてくれるだろうか。それまでが、僕のサトウキビ作りで、それ以降は無しだと思う。僕は伝承館の跡を継ぐことができない。コロナ禍で海外旅行の夢は途絶えた。折しもマイルが5万マイルを越して海外旅行の飛行機代が浮くチャンスが巡ってきたのが皮肉。後3年は鎮静に時間がかかるかな。その間、サトウキビの収量を増やす。その後、旅行で僕の身体が耐えれるか。特にトイレの問題。間隔が短くなっている。呑まなきゃいいが、僕の行くところは酒が美味い処。都市だがトイレ設置は国によって事情が違うので探すのが大変。特に最近は、催したら直ぐに対応しないと我慢ができない。歳とやる事の関係が結構重要な位置を占める様になってきている。そのサトウキビは前の畑2枚は整地が終わった。もう一枚の畑に取り組む前に、芋の作付けがある。畑を叩いて畝を作った。夕刻風呂を焚く時思った。ドイツの感染者死者数が少ないのは、親子の同居が少ないのもその要因の一つ。我が家は僕が芸西村から出ずにいくら努力しても、息子があちこち出かけるから、病気を貰って来る可能性が高い事、それに若くパワーが余っているので症状が出ない事がある。もし僕が罹災すれば命が危ない。そこで、風呂も別にし、母屋にある僕の生活ゾーンに入って来ない様に伝えた。コロナは人ごとではなく、自分の生存にすごく影響するし、新聞やマスコミはいずれ収まると書くが、収まらないかも知れない。人口の1/3とまでは行かない(スペインカゼ)だろうが3年間位の間で1/10位は覚悟しなければならないかも知れない。インフルエンザよりも被害は少ないと言ったWHOは全く信用できない。トランプ氏が怒るのも無理ない。

4月14日(火曜日)
またもや友人来襲。今日は高知のオーディオ店に商談に出かけるから、昨晩の内に英会話の予習をして、今朝は短時間で済ませた。そして出かけるまで読書に当てようとしてた矢先。この読書は結構集中力が必要な数学の本。ピタゴラスの定理から入って、今は素数の不思議についての解説だ。素数とは割り切れない数字の事。30以上を因数分解すると、素数が急に大きくなったり小さくなったりするのは何故か?などを、予想を中心に説明する。物凄く難しい山が控えているのに、優しい数学の理論から読者に外堀を埋める様解説する本だ。でも、仕方なく中断し、暇つぶしに付き合った。僕は思うのだが、彼も仕事を請け負っていて、こうして仕事時間中お茶を濁すのは、会社側はともかく、そんな自分を許せるのだろうか?そんな時間の空費があって、1日を終えるとその日の終わりには虚しくならないのだろうか。僕なら惨めで打ちひしがれた気持ちになる。東北で仕事をした時、断られるのが当たり前の仕事だったので物凄く落ち込んだが、終了の時間になるまで訪問し、自分はできる事をやり遂げたとその地区の地図を塗りつぶした。訪問してもしなくても結果は同じと見えていたのだが、ただ自己満足だけの為に時間の空費はしなかった。この友人はその時の僕と同じ様な仕事をしているので、彼の心中を推し量ったのだ。かと言って突き詰めもしないが。午後裏にある筍を掘って高知の店訪問。商談のついでに筍の話。みんな喜んで筍を貰ってくれた。帰る途中飛行場の辺りで遠くの山を見ると雪を被っていた。4月に雪が降るなんて。やっぱり温暖化が止まった為かな。帰ってサトウキビ畑の整地。今度はお寺さん夫婦が来られ夕飯のおかずを持って来られた。出歩きが出来ないから、妙に窮屈になったので、散歩のついでとのこと。22:00が来ると起きていられなくなりダウン。

4月13日(月曜日)
雨は上がった。けど、ものすごく寒い。COVID-19の影響で石油需要が最大日量3000万バレル減ると言われている。それと関係しているかわからないが、急に来たこの寒さは影響ではないかと疑ってもみたい。昨年から異様な暖かさで、2月ミラノに行った時も、ダウンを羽織ると暑かった。日が落ちると流石に北国特有の底冷えがあったが、大体において日没時にはホテルに帰っていたから問題なかった。午後からサトウキビ畑の整地。明日までには何とかと意気込んだら腰が痛くなった。痛みは続き休憩しても治らなかった。16時半から風呂を焚き買い物を済ませば、電話で仕事の要請。高知のオーディオ店で商品勉強会をするようにと。夜はその時演奏する音楽の選定。LPはすぐに決まったが、CDは少し迷う。CDはクラシック音楽、それも古いのばかりしか買ってないのだ。ロックやジャズも買ってない。ジャズで買うのはもっぱらハイレゾばかりになった。仕方ない、ムターのシューベルトとバーンスタインのベートーベンの2枚にしよう。その後アメリカの原野で暮らす本を読んだ。字がちいさく、ハズキルーペ1.32を使った。まだ大丈夫だと思っていたが、この大きさじゃ無理。先日サボテンのトゲが刺さって抜く時も使った。温暖化というか地球環境の変化が忍び寄るのと歩調を合わせた様に、僕にも老人化が忍び寄ってきている。

4月12日(日曜日)
朝6時の時報でも起きられず、7時まで寝てしまった。熱っぽく頭が重い。疲れもあるだろう。まさかコロナじゃないだろう。天気予報通り雨、少々の雨なら農作業だが、熱っぽいので取りやめ。ラジオ英会話はお休み、代わりにジャズの歴史の翻訳。自分なりに少しづつ誤訳が少なっているのを感じるが確かではない。気の滅入るような雨で、流石に息子も一歩も家を出ずにいる。午後はハードボイルド小説「時限爆弾/ロジャー・ホッブス」を読んだ。5年前の銀行強盗と現在の銀行強盗が交互に語られる。小説の中の主人公=ゴーストマンは余り強くはないが、頭が切れる男。作者は僅か22歳でこの小説を書き上げたと言うから、天才。映画化の版権をこれまでに幾つか取っているという。16時が来て風呂を焚き、友人に電話して懇親会を始めた。いつでも声をかけたら来てくれるのが嬉しい。特にこの雨で気持ちが塞いでいる時には有難い。買い物に行かなかったので料理は少ない。餃子を焼いたらパリッとして美味しいと喜んでくれた。どこのブランド?そうじゃなくて、餃子はどこでも美味しいよ、説明書の通りに作ればこんなにできると伝えてあげた。油とか、水とか?それも説明書の通りにやれば良い。コロナのこともあって閉鎖した生活をしているが、時間が静かに過ぎて、音楽や読書や写真、など自分の描いていた生活路線をひたすら走っている感じだ。これでよかのかなぁ?と時々思うが、そんな時は今日みたいに友人と飲むのがいい。

4月11日(土曜日)
この災禍は終わるのかどうかわからないが、もし終わったとすればどんな世界が待っているのか?僕なりにわかって来たのは、日本はさらに世界から置いてきぼりを食うと言う事だろう。外出規制を強固にした国がいち早く復帰するスペイン風邪の事例や、人工呼吸器の増産を認可した世界各国など(日本は規制のため10ヶ月以上の時間が必要で参入障壁として着手出来ないでいる)とか、オンライン診療の規制とか、日本はこの危機に際しても何も変わっていない。「世界は変わる、日本は変わらない。」これはどう見たって競争上不利。ホモ・サピエンスの歴史から見ても、人種による優劣が認められない(翼は何故進化したのか/マット・ウイルキンソン)らしいから、その差は環境によって変わる。まぁ後、僕の人生は長くても20年だから、日本がどうなっても良いけど。日本だから、日本独自とか、日本人でなければと言う文字が、新聞やテレビで踊るのを見るのは虚しいねぇ。昼から、サトウキビの上に枯葉を積んであったのを取り除く作業。積むのにも時間がかかったが、取り除くにも同じ時間を食っている。夕食の買い物でサワちゃんにあって近況を聞くと息子がプー太郎、三男がゲームオタクらしい。夜須から東はコロナいないから学校も閉鎖になってない。と言う。やっぱり薬屋は情報が早い。買い物から帰ると、お寺から豆腐があるから取りに来いと電話。高知市の山奥で教え子が豆腐屋をやっている。そこの産。夕食は里芋とキャベツのバター炒めにヤッコ(本来はぎょうざの予定)となった。お酒を飲みたいが、夜のコンサートや読みたい本があるから、断腸の思いで炭酸水(ビーに似た食感)でごまかす。そのコンサートはカラヤン/ベートーベン6番。名演。アンプが温もってないので弦の艶が今一だったが2楽章から本領発揮。やっぱりカラヤン先生はテンポよくまとめている。3楽章以降はいつの間にか眠りに落ちて知らない。今日の農作業は13:15-17:00。もっと早く切り上げてプールへ行く予定だったが、プールも閉館となり、普段より1時間だけ農作業が多かった。その影響で夜は何にも出来ず、9時には寝てしまった。

4月10日(金曜日)
どうでもいい事だが。非常事態宣言が出て、小池知事はどこに営業を自粛させるのか、国の理解を得たと言う。理解を得るのは国じゃなくて都民の皆様だろう。どっち向いているのだろうと思った。一方で住民数と感染者との対比では、東京都、大阪府に次ぐ感染者率になった高知県の浜田知事は非常事態宣言を政府に宣言してもらう働きかけはない。もっと率の少ない愛知県知事は、積極的だ。別に認めてもらったからと言って僕には関係ないけど。浜田氏はどこか抜けたような顔をしているが、それがこの事かと合点が行った次第。僕は、大阪出張がなくなって実質的には退職したような感じだ。それに、外出もままならぬから、全面的に自炊に切り替えると、食費が月額で3万円ほど落ちた。つまり仕事をしている場合と比べると実質5万円くらいの減となる。その5万円の収入減は主に英語の勉強代としていいかなと思っている。結構な時間を英語に費やすことができたのは仕事の移動時間が無くなった為だ、これはチャンスだ。この際だから徹底的にやろう。昼からは、サトウキビの畑の整備、草引きも兼ねて。夕刻風呂を焚く時、その横に突然大きな筍が芽を出したのを発見。余りにも大きい。今日を逃すと化物になりそうなので掘った。買い物ついでに米糠を精米機から少量取り出し、筍を茹でた(圧力釜を使ったので短時間)。こん夕は他にもフキの葉っぱを油揚げで炒めた。主食とサブは、全て裏から調達。今夜の食事は安上がりだ。夜は、テオドーラ・クレンティスのベートーベン第五(アップルミュージックで案内があった)を聴く。スピード感十分で、チェロの美味しい音の部分がクローズアップされ、気持ちの良い音が流れてくる。超高速の演奏で、彼得意のチャイコフスキー6番にも似たフレーズが顔を出す。演奏者の予備知識なしでも、テオドーラと直ぐに判る。ハイレゾ購入候補だ。これに比べるとフルトベングラーは暗くて重い。

4月9日(木曜日)
今年の桜の開花は遅れている。筍も遅れている。桃の花は終わってしまったのだが。ところが、昨年の日記を見ると、4月9日にやはり同じ開花の桜を写しているから、例年通りという事なのだ。如何に人間の思い込みがいい加減なのかよくわかる。今週から数学の本を読み始めた。まだ導入部で如何にこの理論が大変なのかを周りの外堀を埋めるようにして話が進んでいく。そして、少しだけ、本論に触れたところがあった。そしてそれは全く理解できない内容だった。旅行記はブレア美術館の絵画について書いているが、こちらは参考になるネット書き込みがなく、時折英語版のウキにヒットするものの、ほとんどウキもイタリア語。ブレア美術館のサイトに英語表記の解説が見つかったのはありがたいし、掲載の写真は僕が写した写真よりも綺麗だった。こちらは何とかなるものの、数学の方は日本語なのに全くだった。午後はきまさごのうねあげ。前回のはまだ浅く、山から滲み出た水が溝に残っているからだ。サトウキビはそんなに水を必要としないので、水切りが肝要だと思っている。きまさごから上空を見れば、樫の木が墓に倒れ込んでいるのが目についた。それで、こちらも伐採に着手した。今日は門の西側に広がるサトウキビにかぶさる葉っぱを取り除くつもりだったが、明日に延期だ。やっぱり1日1件くらいしか片付かない。夜はLDでマーラ4番バーンスタインを見た。こちらも熱演。ついでにBDでパーボヤーボ/フランクフルトシンフォニーで同じく4番を見たが、現代風な演奏のイメージを受けた。画面が明るく、音域も広いので、そう感じたかも知れない。

4月8日(水曜日)
午前中、旅行記をまとめようとPCを開くと友人がやって来た。いつもの如く格別な用事はない。手で顔を覆わず大きなくしゃみをする。もう友人だから遠慮会釈も不要と言うわけだ。お互いに年をとるとタガの緩みが出て来て境界線が甘くなるとゆうことか、僕も気をつけねば。ついでに筍を掘って帰った。安芸市の「そがさん」からは、筍が美味かったと電話。我が家の筍はキーコが多く美味いのだ。午後はゲンキョウ様の木こり。木がゲンキョウ様のお堂向いて傾いていたので最後の1本だけを残していた。早く仕上げないと、サトウキビの方に手がとられるようになって着手出来なくなる。家の周りで木こりのノウハウを積んだのでトラクターを引き出し、ロープをかけて引きながら切り進んだ。上手く空き地の方に倒れた。これで今日の仕事は終わり。夕食に里芋を中心とするハンバーグと、うすいの煮込みを作ったがどうもどちらも加熱不足か?食後腹がゴロゴロし落ち着かなかった。1昨日はお腹を壊した。ここのところ創作料理が失敗している。今夕はLDでマーラー交響曲1番「巨人」をバーンスタインの演奏で聞く。この盤は録音が今一だった。確認の為に、メインのステレオでLPで、クーベリック盤を聴くと、弦の音や空間がしっかりと出ていて、やっぱりそうか、さきのLD盤は音が今一だったんだなと確信した。旅行記のまとめでは不明な点をネット検索していると、絵画専門のサイトが見つかった。特にミラノ市のブレア美術館はイタリア語の書籍しかなく、作者とタイトルしかわからないので、写真にコメントを添えられなかったのだ。午前中友人に中断されて、その間何かのヒントを思いついたのかも知れない。今まで3つの美術館の絵画を検索して当たらなかったサイトだったのだから。

4月7日(火曜日)
これだけCOVID-19感染が広がっていて、医療崩壊が起きていると報道され、しかも致死率は5%くらいあると報道されている。これを受けてもやっぱり自分の命は自分で守れないと言う事だろうか?政府は非常事態宣言を発令して、それに対する「見識者?」の評価をマスコミは報道する。遅いとか、生ぬるいとか、スピード決済だとか。でも、一歩下がって見れば、自分の命に関わる問題を何故国の判断に委ねる必要があるのだろう?「危険と思えばさっさと避難すれば良いではないか。」これで感染が防げなかったら、やっぱり政府は?と批判する。それもおかしいでしょうね。まぁ台風の豪雨とか、津波警報とか、国が注意を施しても反応しない輩が多いから、やっぱり自分の命は誰かに強制されるのが一番だと思っている人が多いでしょうね。そのために税金を払っていると思っている。自己のアイデンティティを持たない人は、先の戦争でも、戦後の意見とは全く違った見識で、戦争賛美を謳っていたのでしょう。「21Lessones」でユヴァリ氏は、自己の物語がその人の幹にある。と書く。その為に、色んな物を見、聞き、触れ、食べる。全ての行為がそこに向かう、意識するとかシナイとかに関わらず。それから判断すれば、この災禍に対する人々の反応は、色んな物を見、読み聞きした結果だと言え、識字率がほぼ100%の国民の結果だとも言える。まぁ確かに、テレビではお笑い、新聞は読まない、本はアニメだったらそんな人達が多くなると思った。東北で1年間だが商売をした。中々硬い土地柄だったが、感染数を見ていると、確かにそうかもと思える。そして名古屋、こちらは10年間も商売したが堅実だった。ここは一気に広がった感染数が落ち着いていて宣言は発令されてない。高知は開放的で、飲み会でも返杯があったりして、爆発している。鹿児島は言葉が明らかに違うのでよそ者が一瞬にして判明されるので警戒され広がらない。お国柄別で感染を想像出来る気がする。家前の道路拡張の工事は完成し、夕刻プール。今月は、作業の為にプールが遅れている。

4月6日(月曜日)
午前中は、滋賀の知人に手紙。近況報告。1時間半くらいかかった。年がゆくと何でも面倒臭いと思うようになるから、出来るだけ面倒な事、手間のかかる事、頭を悩ます事を避けずに取り組むのを前提として生活するようにしている。やがてできなくなるようになるからだ。その出来ないと言うか、今日はやめとこうと思うのを老人度として測ることにしようと決めた(まだめんどくさい気持ちは起きてない)。昼前にサトウキビの師匠から電話。再び懇親会。芸西村憩の広場のレストにて。家に保管してある薪を持ち込んで良いと許可が下りたので、色々片付き次第持ち込む予定。そがさんは我が家に筍を掘りにきた。今年は「キーコ」と言って頭が黄色いのが多く、きっと味が良いはずだ。まだ1個1000円くらいしているから価値あるだろう。今日で掘り尽くしたから、次はあと2-3日待たなければならない。結局これで時間を食ってしまい、プールは中止。スケジュールに邪魔が入る事はきっといい事だろうと思うようにしている。人から、ちょっかいを出してくれなくなったら終わりだ。夜、手持のプレイステーション3をオーディオルームのサブシステムにHDMIで繋ぎSACDを聴く(今までは母屋の居間にあった)。DSD信号は174khzのPCMで出力されるがいい音。パナのBDレコーダーとパイオニアのLDプレーヤーと3つ揃ったのでDVD(クラウディオアバドのベートーベン序曲エグモント)で聴き比べ、見比べを行った。解像度はPS3の圧勝。音は、LDプレーヤーから出るPCM信号が良い(同軸でPCM送信)。パナのBDレコーダーはDVDの画質が一番悪かった。音質は中間だった。何を見るか、何を聴くかによって3つの選択が出来るようになった。余りにも楽しすぎて困っている。

4月5日(日曜日)
カウントされない時間について。僕が定年を迎え帰省するかどうかを友人と話していた2011年の年末、高知は東南海地震があるからなぁ、後30年以内に来てもおかしくないと言っているよ。そんな話をしてあれから9年経つが未だにNHKは今後30年に東南海地震云々と言っている。トランプ大統領がここ二週間が正念場と言って一週間が経って未だ、ここ2週間が・・。と言っている。コロナワクチンは1年から1年半程かかると言って、もう1ヶ月経過した。刑務所に服役した人は指折り数えて出所日を待つだろうが、それが待てど暮らせど先延ばしになるのは、どんな心境だろうか?記事を書く人は、単語登録しているみたいに、ここに来ればこの登録文章を使おうと安易に呼び出す。チェックする上司は文章の表現が適切(誹謗中傷はないか)かどうかに気が集中し、数字の信ぴょう性を自らがチェックしてないように思える(特に最近)。それは自らの仕事ではなく、書く人の責任として転化させているのだろうか。昼から息子と再び道の拡張。途中で息子は出かけてしまい、僕一人。まぁこれは自分でやろうと思っていたから、息子の手伝いは余分だと思えば問題なし。夜はドボルザーク交響曲9番新世界を再生したが、半分寝てしまった。やはり石積みの作業は疲れるのだろう。

4月4日(土曜日)
近隣の桃、桜の撮影。LUMIXとNIKONのガチンコ勝負。LUMIXは背景のボケが余り綺麗でなく、レンズの問題。空に向かって花一輪の撮影では、それぞれ露出補正を行ったが、NIKONの解像度がモノを言った。ただ、NIKON70-200mmのレンズは重く、今回のように車で移動を前提とするのに適する。フジとソニーの勝負(両方共AOS-Cサイズセンサー)。ソニーがやや白っぽい映像に仕上がる。フジは菜の花の撮影時、黄色が全体に影響を及ぼしている。太陽に向かっての撮影では、NIKON以外の機種は全てフレアが出て、画面の半分が白っぽくなってしまった。今回どのシーンも満遍なく綺麗な発色をえられたのがフジのf31と言う、コンパクトデジカメだった。ただ600万画素しかなく、拡大画面では解像度不足となる。その後は道の拡張の続き、息子も手伝うと言った。二人でやれば結構早い。明日にはメドが付く。別に僕が強要したわけはないから、どっちでも良かったが、やっぱり若い人が加わると、ことが早い。僕なんか如何に力の配分を考えているが、彼は力任せにやってしまう。効率が悪いがその分早いので回転で同じことをしてしまう。もう一つは休みなしで頑張れる事。僕も大概はノンストップだが息子の速度に合わせると、息が切れてつい休憩してしまう。近所のおばさんが口を挟みにきた。工事を見ながらお手並み拝見らしい。完成した暁には、出来上がりの酷評が待ってるのだが。でもこんな作業ができる人がいなくなった。(お金をとるから土建屋さんは別)

4月3日(金曜日)
日本の医療は最高だと信じていたが、今回のCOVID-19災を見ると、世界的には劣勢が明らかだ。致死率ではドイツや韓国に及ばない。オンライン診断には懐疑的なのは、むしろ患者のためでなく、自分たちの生存権が脅かされるためだ。これを厚生労働省と医師会が一緒になって自分たちを温存させようとしている。何故なら、平均的には医療技術が低くオンライン診療になるとさらにレベルの低い医者/医院が発覚、口コミで公開されるからだ、要は淘汰されるからだ。日本医師会の横倉会長はこう言う、「聞く、見るだけでは不十分だ」(他の国ではそれが出来て、致死率も低いが日本の医師はそのレベルにないので)。それに、何?一世帯にマスク2枚かよ。ワテは昨日と今日除草剤を散布して2枚のマスクを使っちまったよ。政府は先ず厚労省の動きをチェックして「はっぱをかける事」だろう。危機に際してはその人の人格が浮き彫りになると言うが、この災禍にもいろんな所への不満が続出した。先ずはWHOのテドロス会長だ。中国におべっかを使い、感染を広げてしまった。中国への恨みもあるが、テドロス氏への恨みも深いはず。厚労省もその一つだし、野党も低レベルが露見した。日本にはリーダーが居ないかよ!午後は息子の車両保険の名義切り替え、沖の田に除草剤、帰って我が家の畑を削り、道の拡張。息子の車が安全に出入りする為。5時に終えて、友人に懇親会の案内。豪華なメニューじゃ無い、ポテトサラダ+ホッケ開き焼き、これにたっぷりの大根生姜おろし。別に話題はない。現在の音楽が寂しくなっている嘆き。僕はもう現在の人たちに音楽面での期待はないから問題なし。増してや、日本のPOPSは聞かない事にしているから、尚更問題無い。友人は国内しか関心がないので影響が大きい。ビールは腹張るから焼酎に切り替えた。友人としては初めてのこと。歳とったと言うこと。

4月2日(木曜日)
やっと晴れた。洗濯日和。仕事を離れてもう一月経った。毎日の生活は決まり、午前中は机の前、午後は畑の中。毎日する事が山ほどある。机の前ではイタリア旅行記を書き始めた。一枚の写真には思い出がいっぱい詰まっていて、書き出すのも大変だが、絵については、ネットで調べなきゃウンチクが書けないのもある。しかし、絵は良く写っていて、大きく拡大しても破綻が無い。勿論高価なプリントなどは計画外で、65型のテレビに映そうと思っている。動きが無いのと、明るい映像が欲しいのとを併せて液晶テレビで行こうと思っている。実現は年末か。午後の畑仕事も毎日となると身体が慣れて来て調子が良くなった。ここ10年で一番よい。それで腹が減って仕方ないから食べ過ぎの問題があるのと、ずっと昔の体質に戻ったのか、お酒がよく効くようになって、ビールはコップ1杯で酔ってしまう。500mlの缶ビールなんか飲むとその夜は台無しになる程だ。これはいい事か悪い事か。最近とみにこの傾向が強く毎日飲みたい、飲みたいが効きすぎるので飲めないジレンマと戦っている。もう一つ規則正しい生活で、農作業の時間が増えているのと体を休めることがないのとで、指に支障が出てきた。小指の関節が腫れて痛くて堪らない。押さえて揉むと痛みが走る。ドアなんかに軽くぶつけても痛む。強く握る作業、特にノコギリがこの傾向を強めたと思っている。農業は体を酷使するから、程々がいいのだけど、中途半端では終われないのだ。

4月1日(火曜日)
本来なら今日は晴れる予定で、今日作付けを行おうと思っていた。しかし今日は雨、それも本降りで激しい。昨日、思い切ってやっておいて良かった。話は変わるが中年の恋程厄介なものはないが、老人の火遊びもちょっと危ない。今日はその話。遊びのつもりでフジのTX100をAmazonで買った。46,600円だったのでまぁいいかな程度。ホームページなどに掲載できれば良いなぁと思っていたが、何んども指摘しているように、これがNikonといい勝負をするのだ。結局火遊びが本格的な火事となり、新製品TX4とレンズを買う羽目になってしまった。それが1つ目の話。もう一つは、ウグイス。農作業の時綺麗な鳴き声が聴こえてくる、今年は鳴き始めから美声だった。それで口笛でからかっていた。所が昨年もそうだったが、今年もこの鶯にどう言う訳か気に入れれて、農作業をする近くの木にとまり、鳴いてくれる。僕が風呂を焚きに自宅に帰ると、又その近くで鳴いてくれる。しっかりストーカーされているのだ。邪魔にはならない、むしろ癒されるのだが、あの真剣度には応えられないがどうしよう。雨の中草刈りをしたが、途中から余りにも雨が激しくなり作業を止めた、家に帰ると雨は止み太陽が出てきた、変な天気だ。Wの虹も出てきた。そこへしっかりとウグイスもやってきて又鳴き始めた。17:00だったのでもう作業をやめて風呂を焚いた。結局夜息子が帰ってくるまで鶯以外、誰とも話さなかった。

3月31日(火曜日)
COVID-19の災禍に関しても、トランプ氏は何の解決にもならないのに中国を非難している。この病はいずれ終息の時が来ると楽観した記事が多いが、もしかしたら、人類が絶滅の危機に瀕する可能性だってなきにしもあらずだ。でもそんな時でさえ、国際協調などあり得ない事をトランプ氏だけでなく、ロシアもアラブも態度で示した。この危機にタイミングを合わせた様に、世界がナショナリズムに目覚めた。多分きっかけとなったのは中国の台頭だろうが、イラクやアフガンなどにちょっかいを出したアメリカにもきっかけを作った事は歪めない。結局かなりやばい状態が来ても手が打てないのではないかと。それにも増して地球温暖化の問題はかなり瀬戸際まで来ているのではと思うのだ。COVID-19でさえ、国際協調が取れないのに、増してや温暖化など、すぐ目に見えないことなど、糞食らえ的な理解をされている国もある。僕自信としては、今年の梅雨時は果たして乗り切れるのか?豪雨が多い高知県民としては不安である。裏山の畑にはビニールシートをかぶせるなど対策が必要かもしれない。しこうさんからサトウキビをとりに来いとの電話で、「黒街道」6束をもらってきた。これをきまさごの畑に作付けした。3列植えた。昼前に、再び電話で村の食堂に来いとの連絡。そがさんが来ているから一緒に飯を食おうと言う。急いで駆けつけて、そがさんに、畑の管理のお礼を述べた。一杯飲もうやと誘うが、今年は決起大会もままならぬと渋い顔だ。奥さんとも電話で話すことができ、入院してた割には声に元気があった。楽しいひと時があったが、それに浸る訳にもいかず僕は帰って再び作付けをおこなった。一緒に畑に転がっている小石も拾っているので腰が痛む。終えたのは3時半。朝からよく頑張った。夕食を終えて風呂に浸かるととたんに睡魔がやってきて、22時を待たずにしてダウン。

3月30日(月曜日)
朝から雨模様。懸案の読書日和だと思った矢先、高知の友人が訪ねてきた。得意先訪問が年度末なので出来ないから暇つぶしらしい。10:30まで居て帰った。そこからエンジンをかけて昼まで読書。21lessons/ユバル・ノア・ハラリ。あのサピエンス全史を書いた人だ。今度は哲学に重きを置く内容。と言うのは、AIと脳科学の進歩で人間の思考が解明されるのは時間の問題。その時に、AIにどのようなプログラムが考えられるのかを思考する。今のページではアルゴリズムは思考を持てないと断言する。最近の読書はハズレがないので、結構こちらも感化されている。昼から、Leonard BernsteinのLudwing van Beethoven全集SACDが届いた連絡があって、セブンイレブンへ受け取りに出かけた。帰って3番を聴く。伸びやかで楽しい。フルトベングラーはどうか?こちらはツボを抑えた演奏で天才の解釈だと思った。ブルーノワルターは重厚。ラファエルクーベリックは異端の解釈、ここまで広げて解釈するのか的演奏。Claudio Abbadoは軽くて話にならない。こうして一つの曲目を手持の音元全てで比較すると、面白い現実にぶつかった。プールで1600m。帰った後、第九で SACDとLPの比較。Leonard Bernstein/Wiener Philharmonikerの組み合わせ。LPが意外な健闘をして決してSACDに引けを取らない。このLPは大阪東通り商店街にあった名曲堂で購入したもの。この部屋は床が薄いので、十分な低音が出てない為、SACDの良さが発揮されてないかも知れない。ついでにこの曲もフルトベングラーで聴くと、やはり勘所を押さえた演奏。モノラル録音で音質も悪いが、それでも芸術が凝縮されている。

3月29日(日曜日)
対岸の火事の事。ニューヨークのクオモ知事は連日最新の情報をマスコミに公表している。呼吸器がなんぼ足りないとか、肺炎の症状に有効だから必要だとか。それが、何と、爆発的な感染が予想されると言いながらも、東京都はその呼吸器の数さえも把握してない、不足しているのかしてないのか不明だ。小池さん何をしているの?突然の外出規制に憤慨する野党やマスコミももっと基本を押さて指摘しろ。消費税を元に戻せなんかも気軽に言う。この経費たるや、財政支援に近い費用が発生するのを知っているのだろうか?昨晩も大雨が降った。COVID-19の陰に隠れて地球温暖化による環境変化が飛んでも無いことになっている(と思う)。3月にこれ程の大量の雨に祟られるとは、僕の経験上無い。洪水の被害が無いからマスコミも政府も関心の他だ。僕は毎日農業をしているからヒシヒシと感じている。雨は早朝に上がり太陽が出てきた。従兄弟の奥さんに紹介された西川山公園の桃の花、近所のまさのりさんに紹介された芸西村のツツジ、これを太陽の下撮影しない理由はない。急いで出かけた。何と西川山公園は警察が出動するなど大変な賑わい。外出自粛令などどこ吹く風。そして、何とここにも中国人が居たのだ、マスクもしてない。やめてくれよ!そっと離れた。ヤクザに眼をつけられるよりやばい。兼ねてから思っていた、フジTX100、ニコンD850、パナG9Proの撮り比べだ。ファインダーは圧倒的にD850が見やすい。G9は暗くて風景が死んだよう。人混みが激しく撮影は上向きで行うのが多く、順光にもかかわらず赤い花の撮影ではD850、G9は背景の空を認識して写真が暗い。TX100のみ正常。白い花の撮影ではG9のみ写真が暗く、TX100は更に空が青かった。太陽が強く当たった赤い花の撮影では、G9とD850が色飽和せず、TX100は所々花の一部が白く飛んでいた。全てがパーフェクトでは無いが、D850は60万円位、G9は20万円位、TX100は5万円。写真が何れかが飛び抜けて良いと言うことはない。フジに脱帽だ。一方芸西村のツツジは、私道を登って行く。四輪駆動でないと無理。なんと、登山のおばさん達もいた。標高は高くはないが、坂は歩くにもきつい角度だった。自然の群生としては結構な量感で、芸西村と太平洋が一望できる。おばさん達も追いついてきて、僕の裏山のタコの山も登坂して、2連だと言う。タコの山は僕の家の横を通るのが最短距離だと言うと、知っているが今は通れない。と返してきた。僕は近所からは道を拓くように言われている、と切り返すと、私も手伝うからやりましょうと言われた。帰って、草刈り。今月は懸案だったプールは一先ず目処がたったが、一方で大阪出張が無くなって、本を読まなくなった。10冊目標に対し4冊。単行本ばかりで幾分速度は落ちるのだが。

3月28日(土曜日)
5Gはそんなに早く無い?と日経新聞がサービスの始まった東京で試験を行った。所が、そうだろう、僕の指摘した通りだった。4Gの4倍くらい。映画が数秒でダウンロードは嘘だった。日経の傘下にはコンピュータ関連の雑誌もありそんな事は当たり前の事実だったのだろうがなぜだか報道しなかった。今度は遠隔操作で例えば手術とかのライブ指導ができると書く。遅延のない事のメリットを活かす提案だが、相手は携帯電話です。いつ途切れるかも知れないのに命を託すのか?屋外は電波があるが波長の短い5Gは屋内には新たな配線が必要だろう。だったら、5Gで無くても光回線でもいいではないか。何れにしても5Gで受けた電波は電柱で光回線に流すから。おじさんが田舎で立腹しても仕方ないのだが。pandimicパンデミックなんかの表現もやめて欲しい。世界的流行の方がわかりやすい。なんでこんな言葉を使うのだろう、人が知らない事を言うとカッコ良いのか?そのくせCOVID-19のような世界共通の一般名詞を使わず新コロナウイルスなど全くの造語を使う。マスコミ、特にテレビ関係はこの惨禍が終息する頃新たな経営に直面するのだろうと思う。テレビを見る人がかなり減ると思う。それは、多分5Gによってもたらされるのか、新たな共有サイトによってもたらされるのかはわかならないが、かなり変化があるのだろうと思われる。その時、少しは報道について単なる視聴率取りでなんでもありからはラジオ放送のように少しは知性を回復できるだろうか。今日は雨。昼間少し止んだので草刈り。未だ草は優しいので作業は楽だ。猛威を奮う迄には至って無い。早めの手当てが勝利を獲得できる。夕刻友人を呼んで懇親会。「どうなるだろうね」と何回繰り返したか。

3月27日(金曜日)
昨日畝立てを行ったが、最後の溝切りの作業が終わってないことに気がつき、早朝雨の中、鍬を持って出かけた。丁度作業の間は雨が止んでいて余り濡れずに済んだ。昨晩から降り出した雨の為、溝の水が堰き止められていたので、作業を思い出して良かった。帰って風呂に入り、49日の法要に出かけた。精進落としの料理が美味く飲むよりは食べた。1時過ぎに失礼した。又食い過ぎ。夜は抜こうと思った。帰ってシアタールームで映画「ワイルド・ストーム」主演のマギー・グレイスがいい。特に横顔、さらに野球帽を被った時の横顔が最高。母屋のシアタールームは夜でなければ全暗にならないから、少しだけ興醒めするが、スーパーウーハーもきちんといい仕事をしてくれて、中々の臨場感。やっぱり大きなスクリーンで見る映画は楽しい。今日は朝一の畝上げしか運動してないので、少々食い過ぎと相まって身体が重い。それで、風呂焚きの1時間に追加して、母屋と自分の部屋の掃除。庭木の剪定。これらで更に1時間。そこそこの運動があってやっと昼間の腹が収まった。今までは腹との相談で散歩とか、自転車で少し遠乗りをするとかしていたが、今日は雨だし、酒がまだ残っている状態での運動は妙にしんどさを覚えるようになった。東京にいた頃は、新橋でベロベロに酔っても、2時間自転車を漕いだら酔いが抜けて鎌ヶ谷に帰り着いていた。あの元気はもうない。それに雨の鬱陶しい時は、丁寧に掃除に時間をかけると、ずいぶんと気持ちが良くなるのだ。散歩よりも余程気持ちが良い。それに、男やもめの家はむさ苦しいので、余程気をつけて無ければ近所から要らん事を噂されそうだし。

3月26日(木曜日)
せめて6Gを体験したい。時次世代の携帯通信規格。光通信もある。飛行機や電車の中では小さなケーブルをつないで通信できるそうな。それがどうした?まぁ兎に角体験だけはしたい。夕刻まで天気が保つとの予報で、午前中のラジオ英会話を後回しして、きまさごの畝上げを行った。5列分100m。帰って汚れた管理機を水洗いすると昼だった。午後は木こりの残りと、切れない分は、ドリルで穴を掘って、除草剤の注入。来年の木こりに回す。終えたのが午後3時。それからラジオ講座、風呂焚き。5時前に焚き上がり、プールへ。今年累計17km。月末目標30kmに対し5割を越した。今までの不足分を5月には解消するつもりでがんばろう。そして、足の指先がジンジンする痛風は消えたようだし、お通じも完全に復活した。19時にプールから上がった。遅いので今日は外食だ。ひじきときんぴらごぼうに野菜天ぷら味の塩焼き合計1024円。少し食べ過ぎだが、朝からの労働の対価としては良いではないか。少し頑張りすぎだが、体の調子が凄く良い。

3月25日(水曜日)
オリンピックが延期された。良い事だ。さて1年後はどんなになっているのだろう。先ずは自動運転の車がかなり進化するし、数が増える、会場付近の交通渋滞にとっては良いことかも知れない。2番目には、在宅勤務が普通になる。今回は全世界が否が応でも仕事の仕方を矯正させられた。これは進化やトレンドが止めようもなく同時に起こるはず。そして、国境が無くなる。正にスキルを持った人でないと、今の仕事をやっていくことができなくなる。一旦退社してスキルを磨く事も必要かも知れない、それに公用語が英語に変わる可能性も見逃せない。他社が採用すれば、そうしないと会社経営が成り立たなくなる。雇用延長とか65歳定年の問題の解決の糸口にも繋がりそうだが、振るい落とされる方が多いかな?3番目には医者が減る傾向が明確になるかも。高知県なんか医者や病院が全国平均で多過ぎると指摘されている。在宅診療の糸口ができたので医療業界は淘汰の世界に足を踏み入れた。4番目には5Gが普及する。現段階では、取り敢えず8000円も払えばギガ放題。2021年には地方都市の県庁所在地迄には普及する。この通信量の増大によって得られるメリットは、音声でなく、データでもなく映像だろうな。映画が短時間でダウンロードできるなどはニッチな世界で、違った利用形態が主軸になる、LINEなんかが、形を変えてその方向にあるかも知れない。工場のロボット化が一気に進む元年かも知れない。僕のような凡人が考えるだけでもこれだけの激震がやってくると予想できる。非凡な起業家はもっと奇抜な策を講じるかも知れない。何れにしても今日の延長で明日は無いと思っとかなきゃ、ビジネス業界では生き残れないかも知れない。今日も木こり。墓の周りの木を切り終えた。これできまさごの畑は日当たりが良くなるはずだ。サトウキビの師匠にメールして、この雨までに畝上げし、雨が上がるとサトウキビを植えるからタネをもらいに行くと伝えた。もし、これが全部育つと今年の収穫は5トンになる。中学生の同級生で農協に勤めているトシ君に会って、サトウキビの皮剥ぎ機械の購入を考えている事を伝えた。夜は、GRPオールスターズのLDを観た。イバン・リンスの歌が良い。耳に残る。ポルトガル語で歌う。そして何よりも、音が良く気持ちが良い。その後盲目の歌手ダイアン・シュアーへと続く。バックはリー・リトナー、デイブ・グルーシンなどそうそうたるメンバーで、別にボーカルを招待しなくても、魅せることができる人達が勤める。

3月24日(火曜日)
今日は絶対にプールに行くぞと朝起きた時から決めていた(別にそんなに決意するものではないのですが)。昨日の肉で元気が出てきた。午前中はラジオ英会話、午後は、少しだけ木こり。写真で見てもあまり変化がない気がするが、木1本を解体するにはそれなりの時間を要する。そして木が無くなると、風景が変わって来る。百姓の仕事はこうして目に見えるからやりがいがありますね。それと、手を抜けばそれなりの景色になり、手を加えればやっぱり見た目が違う。どちらでもご自由にだが、僕はどうしても違いが見えるので、あんまり必要ない事でもついやってしまって時間を無駄にするのもある。そんなことで、3時過ぎに終えて風呂を焚き、プールに出かけた。一人住まいの時は風呂に入って来るので、風呂はたかないが、息子の為に風呂を焚いているみたいなもの。今日は1700m。定番を1500mと決めていたが、それでは1-2月のさぼりを挽回できないので、定番にほんの少し追加して(10回で1kmなればよいかな)足しにしたらどうかとセコイ考え方を取っている。

3月23日(月曜日)
今日は親類の庭やお墓に除草剤散布。友人のおばさんの墓もみたが草茫々だったので、少し散布した。草と木との「闘いの幕は上がった」。我が方の木は、隣の墓に倒れ被害を出してはいけないので、トラクターで引っ張りながら切り倒した。鋸で切っているので、メリメリの音が聞こえると退避し、自然に木の自重で倒れるのを待つ。離れて待つので安全だ。この後プールの予定だったが、妙に疲れていてその元気が失せてしまった。原因は不明。風呂を焚き、夕食は元気回復の為肉を食うぞと献立た。焼き上がった肉をレタスに巻いて食べるのだが、他にもゴボウとニラとパセリの炒め物と、玉ねぎのピクルスを準備した。これはなかなかハマった料理だった。しかし両手を使って食べるので、iPadで新聞を見ながらと言うわけには行かない。息子の車はかなり大きく、家に入って来れないから、何か方法はないかと聞かれたので、竹を立てて、安全な範囲を知るとか、道を広げる方法を教えてあげたが、想像力の働かない人なのかピンと来なかった様だ。問題解決のプロセスをあまり考えたことがない気がする。

3月22日(日曜日)
この頃コーヒーを飲む暇がなかったので、近くの自動販売機へ買いに行った。帰りに友人の家にも寄った。留守だった。この700mくらいの距離を移動するのに誰にも会わない。ちょっと寂しいですが、コロナの心配はないのがいいところかな。息子も徳島へ車の引き取りに出かけ留守。僕の方は前から気になっていた、AVアンプのバイアンプ+バイワイヤリングについて実験を行った。それまではDENONの2500NEでバイワイヤリングのみで楽しんでいた。AVアンプはパイオニアLX81で相当古い機種。さて結果は如何に。やっぱり古いアンプとも言えども、低音と高音にそれぞれ専用にアンプを分けてあげるとやっぱり音が安定しますね。LDプレーヤーからのPCM信号でもその良さはいかんなく発揮され、カルロス・クライバーのNEW YEAR CONCERTなんかも聞き惚れてしまう。BDの再生ではチェコフィルのチャイコフスキー/バイオリン協奏曲1番を聴いたが、(AAC→PCM変換)こちらは楽器の粒が一つ一つ鮮明で、ファゴットなど管楽器系が如何にバイオリン独奏をサポートするのが見ものだった。チャイコフスキーでこんなハラハラドキドキしたのは初めて。そして購入して30年以上経過するビクターのSX500が始めていい音でなった。高級プリメインで、力に物言わせてスピーカーをねじ伏せる一つだが、AVアンプのバイワイヤリングで鳴らすのも一考だと思いましたね。それで、外したDENONのアンプは、メインシステムの高域に持っていった。パワー的には不足だが、600hz以上の負担だから問題ないはず。その見込みは当たっていました。伏兵は凄い解像度が得られるようになったメインのオーディオは30分ばかりエージングをしないとさっぱりダメなこと。特にクラシック系は全くダメ。しかし温まると、CDの録音でさえ、「入魂」の一滴が感じられる鬼が現れる。例えば、今まで余り評価してなかった、アルフレッド・ブレンデルのベートーベンピアノ協奏曲第5番なんか、ブレンデルを見なおしましたね。彼は有名だが、どうも足腰が弱い感じだったのが、いやいやとんでもない怪物だったと思わざるを得ないピアノだった。評論家は伊達に推挙なんかしてないと反省しました。音の良いシステムで聴くと浮かび上がって来るんですね、魂が。と言うことで、もう一度全CDを聴きなおそう機運が高まって来たのです。オーディオ道の深さを勉強しました。

3月21日(土曜日)
朝は寒かったが、午後は気温が上がり春の陽気となった。家の納屋に燕が来ていた。ウグイスは僕を追っかけて来て、完璧な声で鳴くし、近所のよしかずさんは、竹の子を下げて山から降りて来た。春については文句が付けられないほど完璧だ。後はCOVID-19の終息だけだ。毎日統計をエクセルに打ち込んでいて気がついたのは、朝日と日経では公表している数字に違いがある。一定の数字の差なら、カウントの範囲に差異があるだろうと思うが、差異数に変動があるので不思議に見ている。日を遡っても同じ傾向がある。それとクルーズ船の患者が微妙に増えている。新たな感染者なのか?クルーズ船は高齢者が多いが700人の感染者に対し死者8人の比率でも旨く処置したとみるべきだろう。彼らは自国に帰ればこんな手当ては出来てない筈だ。日本の至れり尽せりの治療の成果だと胸張れる。夕食は友人から頂いたお酒を飲むことにした。お酒にあう料理はチーズを使った物だろう。と、「ドリア」を作ってみた。炭水化物にマカロニを少々茹でた。黄色いのは山芋と沢庵の摺り下ろしだ、少し日本風の塩味も欲しいので。少し酔って、部屋に帰ると、お酒の勢いを借りてコンサートを見ることにした。MADONNA/Who that girl Live in Japan。これがなかなか良い。LDのVGA画質だが、音の方はPCMでDENON アンプでD/A変換して聞くのでクォリティーが高い。ドラムスのシンバルが実に気持ちよく響き堪らない。夜はなんといっても30cmの円盤を漁り気分が合ったディスクをターンテーブルに置く。この儀式が1日の締めくくりとしては理想ですね。

3月20日(金曜日)
今日から本格的に、墓の周りにある木の伐採だ。前回の竹同様に、さとうきび畑への日照に影響を及ぼす。鋸の歯が切れ味悪くなっているが、コーナンにも在庫なく、問い合わせると取り付けができない歯を紹介してくれた(この人は機械音痴だった)。田舎の社員はダメだなあ。Amazonで注文した。結局はこうして小売店は客を失うのですね。息子は庭に机を置いて本を読んでいた。沖の田んぼを耕してあるから、生姜を栽培するのだったら見てきてはどうか?と投げかけたが、反応なし。僕に期待を持たせただけのだろう。もう今を除いては栽培のチャンスはないから、僕もすごすご諦めようとするか。今回の木の伐採は、大木だったので、切断した後、木が倒れる際に少し危なかった。しかしこれで大事は終わり、後は小物ばかりとなった。僕の家の入り口から見ても、この木の伐採で山の風景が変わった程。後、別の畑にかかる木を伐採すると終了。次はお寺のげんきょう様。今日はプールの日。行く時は元気があったが、1000mを超したあたりで腕に疲れが出てきて、「もう船を漕ぐ事が出来ないよう」と船頭さんの声が聞こえたようだ。クロールで500m流し、100mだけクールダウンに使った。今年累計13km。やはり帰ると疲れが出てきて、少しだけ本を開いたのみでダウン。同じ年齢の他の人の夜は知らないが、「そろそろ寝ようか」と言うのは僕にはない。21〜22時の間に急に襲ってくる睡魔で布団に倒れ込むような夜だ(お酒も飲まないで)。関係ないけど高知市の友人は午後7時ごろ電話をするとろれつが回らない酔っ払いで、もう寝る所だと言った。彼は毎日この様な感じで眠るらしい。

3月19日(木曜日)
今日は特別な日。大阪での仕事は当分見合わせる事になったと通知届く。COVID-19の影響を受けて、わが社も経営が厳しくなった為。思えば1年強、高知から通わせて頂いて仕事をさせて貰うのは相当な贅沢だった。大変お世話になった。多分今回をもってこの仕事も終わりかなと思う。次の収入の道を探さねばならぬ。一つはサトウキビの作付け面積の拡大だ。きまさごは、まだ増やせる余地がある。水はけの処理を行えば、問題が解決する。近所の土木屋さんに頼もう。もう一つは、芸西村の農家の仕事を手伝う方法だが、かなりきついだろうと思うし、時間拘束が長い。多分これはダメだろう。沖の田にオクラ栽培。7-9月は終日忙しいが50万円位は見込めるかな?こちらは1反栽培すると1人では無理かも。更に、安芸市の高校が図書館の管理者を募集している。僕の会社生活中、趣味と実益を兼ねて4700冊の本を読んだ。まだまだ未知の分野はあるが、これらの書籍を全てPDF化した成果として、整理する仕事もある程度は経験がある。また、新刊に関しては感想文も書けるし、学生に推薦もできる。僕自身今でも読書とは全く手を切ってないわけだし。そんな思いでハローワークを訪ねると、もう打ち切ったとすげない話。残念。自信があったのだが。しかたない、でも今日はお祝いだ。新しい自分発見の門出だ。鮮魚店「寺尾」で「いさき」の刺身。照り焼き用のブリの切り身。味噌汁用のシジミを買って帰った。帰ればもう5時半。今日は墓参り、それに続く沖の田んぼをトラクターで叩く(去年は4月3日に叩いているから2週間も早い)。何事も動作が遅くなっているから、これだけの事をするのに大忙しだった。それで、昨日も今日もコーヒーを飲む時間も無く動き回ったのだ。

3月18日(水曜日)
朝食時、友人来たる。僕の除草剤と噴霧器と車を持って、墓掃除に出かけた。その間ラジオ英会話。英語は進歩ないが後退は出来ないから寸暇を惜しんで取組だ。昼から、昨日の竹刈りの後始末として、竹の切り株に粉末の除草剤散布や、切り倒した木にはドリルで穴を掘り、除草剤の注入。意外と早く終えたので、墓周りの木の伐採に着手。こちらは大がかりなので、後、数日必要。今日は軽く行こうと思っていたが、昨日と同じく、切り始めると意固地になって頑張り過ぎた。夕刻おばさん所に行き、規格落ちのスターティス(花卉)を貰った。明日は彼岸だから、墓まいりの為。しきびはみかん畑の物を使い、ついでに、神棚の榊も取り替えよう。こちらも裏山の大塚様の近くにある。一般的には墓掃除はある程度の移動時間が必要だし、お花もそれ相当に費用がかかるが、我が家は裏山で、経済的な負担もなく、年間しきびを切らした事がないようにメンテしている。仏壇もお墓も同時対処している。大阪へ行く週は毎回お供えしていたが、COIVD-19により大阪に出かけなくなって、週刊行事のリズムが狂ってしまって間延びしている。夜、音楽でもとアンプの電源を入れたが、大きな睡魔で布団の中に倒れた。昨日の水泳の影響か?今日の作業の重さか?不明。

3月17日(火曜日)
食事を摂るとき新聞を見るiPadは古いタイプで食堂に限定することに決め、書斎のiPad Proはここでしか使わない事にすると、バッテリー交換後のiPadProは使用時間が減ったことも相まって、3日くらいは優に保つようになった。データーの格納をマイクロソフトのOne drive にすれば、エクセルやワードは食堂と書斎で共有化できるので便利だし、PagesはiCloudで共有化されている。今はこんなに便利になってきている。経済のグローバル化が進み、どこかの国が欠けると、障害が生じるが、我が家の共有化も同じように脆弱性を抱えているのは同じだ。問題がなければこれほど便利なことはない(僕の場合、昔の紙に手書きにもどれば脆弱性は回避できるが)。今日は竹刈りをいい加減にしてプールに行こうと企んでいたが、思いの外作業が進み仕上げてしまった。そして余裕でプールに行く時間もあったのだ。やっと今年累計12km。1ヶ月平均4km。このまま推移すれば今月中に平均5kmまでは回復できる。目標は月10km。年間100kmだ。中1日置きの水泳では身体がついていかないことがわかり、かといって1回2kmに上げると夜が保たない(早い時間に睡魔が襲ってきて、翌日怠い)。18:30帰宅し、食事を献立ていいると睡魔が襲ってきた。農作業と水泳の2つの運動がエネルギーを奪ってしまったのだろうか。最新の注意を払ってコントロールしているけど。そして、この日に限って、夜中の1時半つまり18日の事です。庭の駐車場で大きな鳴き声で動物同士の喧嘩。外は暗くガラス越しに覗くが見えない。しかし、黒い物体は結構大きいようだった。一つは猪。一つは狸?猫?でも猫は木に登れるから、追い詰められないと思うが。いずれにしても、その後ちょっと怖くてトイレに行けなかった。

3月16日(月曜日)
午前中旅行記。午後竹刈り。合い間に読む本は、宮尾登美子の「蔵」これは水上勉の書籍といい勝負をする暗さ。あまり長くは読めない、精神が参ってしまう。それと不安なのが、天候。昨晩の急な雨と風、まるで嵐の様相。それに雨の多い天気が多い。温暖化でシベリアの凍土が溶けて燃えると世界全体が排出する1年分の二酸化炭素の量らしい。僕が死ぬまでの間は、地球はまだ大丈夫だと思っていたが急速に現実化されるかも知れない不安。決して絵空事では無くなっている様な気がする。そんな中で、酸素を供給してくれる竹伐採は矛盾しているのだが、決行している。もしかしたら、前例の無い何かが、知らない所で進んでいるのではないか。もしそれが現実だとしたら、一体何をすれば良いのだろう。何も考えず昨日の延長に今日がある過ごし方をすれば良いのかな?それとも趣味の時間を増やして遊び尽せばそれで納得行くのかな?それともこれは杞憂かな?一人で森と話しているとろくな事を考えない。それはそれとして、森の中にいると、カラスの会話が聞こえてきた。意味はわからないが、数羽のカラスが会話している。どうやら意思が通じないらしく、一人(羽)は何度も同じことを言っていた。都度同じ返事を返していたようだが。人間にもこう言うのっていますから。コウジュケイも鳴き始めた。

3月15日(日曜日)
固有名詞のない生活が続くようになった。旅行の時も、寺院や駅とかで、きちんとした名前を覚えないままだった。今旅行記を書いているが、美術書やグーグルマップなど色んな手立てを使ってその「名前」を書き出そうとしている。普段からこの事に疎かったのが、年齢を重ねるのに従って加速し始めた様だ。そして一面では、写真を見ながら時間をかけてその名詞を探し出すのも、この歳になってこうした時間があっての事だ。つまり、今しかないと言うこと。昼飯に昨日息子が買ってきてくれた讃岐うどんを調理した。大変上手く、現地でもこんな麺は食べたことがない美味だった。息子にお礼を言った。今週末は徳島に行くらしい。千葉の会社の同僚が車を譲ってくれるので引き取りに行くとの事。僕が譲り渡した軽バンは不要になるから、廃車だ。32年間乗ってきた。未だ130kmくらい出るから手放したくはないが、そもそも車には乗らないから不要なのだ。昼から竹刈り。作業の割には写真で比較すると余り進んだようには見えないのが残念だ。この畑は「きまさご」で僕は知っている限り、父や祖父がトマトやきゅうりを栽培していた。ここから海が見えた。ところがここを放置し、下の畑も転売(私の畑じゃ無いが)で荒れ放題となって海は見えなくなっていた。それを僕がきこりや竹刈りで何とか見えるようになったのが最近の事だ。「海が見えるようになった」と言っても、今では誰も喜んでくれる人はいないのが辛い。きまさごとか、しめだにとか小さい頃祖父母が呼んでいた地名はきっちりと頭の中に残っている。

3月14日(土曜日)
石油交渉のサウジのムハマンド皇太子の事だ。今回ばかりは、ロシアのプーチンは彼の性格を読んで交渉についているから、いわば手玉に取られた訳だ。「やるならやってみろ」とムハマンドは啖呵を切ったのはプーチンの思う壺。だが、混乱した世界経済の中でどうやってロシアを存続させたいのだろう。流れによってはロシアも被害を被るかも知れない。プーチンは乗り切る覚悟と言うか、才覚に自信があるかも知れない。COVID-19をきっかけに原油価格暴落が拍車をかけ、先ずは株価にその矛先が行ったが、次の混乱は不明。今度は中国からの情報で、コロナウィルスを仕掛けたのはアメリカ陸軍だと来た。これは想像力を掻き立てられる。しかしアメリカ自身にも火の粉が飛んできている。これが事実だとすれば、ロシアとアメリカがいい勝負かな。間に立つ経済力の弱い国が被害を被るのだが。イタリアは高齢者が多いから死者が多いとまたいい加減な記事。もっと多い日本はどうなんだろう。ここに来て、クルーズ船の感染者や死者のカウントが消えた。ネットで探ってもヒットしなくなった。日本の数字は全てクルーズ船を除くとなった。どこにカウントされているのだろう?ジョンホプキンスの大学は、この病気のデーターを公開している。探っていると、既に完治した人数も公表している。感染者数は、完治者を引かないといけないのでは。だから雪だるま式に実態を伴わない感染者が増えることになる。世間では急な学校閉鎖を非難するが、ではそれを1ヶ月後に実施するとしたらどうだろう。その間急速に感染が広がる。早い決断こそ正義だと何故マスコミは報道しない。昨夜から雨で、今日は作業休みの日。母屋と、自分の部屋の掃除も済ませた。やっぱり拭き掃除をすると気持ち的に綺麗になった印象を受けます。雨は昼から上がったが、竹刈はやっぱり止めとこう。そのかわりプールに行った。


3月13日(金曜日)
新聞を逆の日付で読んでいくと面白い。誰がどれだけいい加減なことを言っているのかが分かる。日経新聞電子版は過去1ヶ月に渡って遡れる。COVID-19に関する記事よりもそれに関連した株価の予測が実にいい加減だ。日本のマーケットを代表する面々が如何にいい加減な事を言っているかがわかる。そして、新聞は、あなたは前にこう言いましたねとは、一切言及したことがない。つまり仲良しクラブで楽しんでいるのだ。その様な評論記事はもう読まないようにして、数字に注目しよう。
野菜を食べよう。僕の半生を貫いてきたテーマ。これは記事の様にブレていない。特にここ最近は、大阪に出かけることもないので時間がタップリとあり、食事の献立には時間をかけている。野菜は熱を加えるとビタミンが壊れてしまう。それで、最近はピクルスに挑戦している。芸西村にはかっぱ市場があって、殆どの野菜が百円で販売されている。スーパーに並んでない物だけを買って来るようにしている。それを適当に切って、「らっきょう酢」に漬ける。数日後が楽しみだ。肉か魚かどちらかと、海藻かキノコかの一品、そしてピクルスとご飯だ。仕事がなくなった分だけ収入も減るので、毎日自炊で済ますと1日1500円位で過ごせる。そして、人に会わない事。丁度サトウキビの新しい畑に覆う様にして、木や竹が生えているのを伐採中でもあるからでかけられないのだ。量が半端でなく、1週間単位で仕上げているような感じ。又、その間に雨もある。ノコギリ一本で仕上げる作業なので、指が痛くなる頃に、雨が降り丁度の休憩となる。その、竹刈り。今日は一つの群生を片付けた。次の群生はちょっと厄介だから、5日くらいかかるかも知れない。一つの群生に大体500本くらいの竹が生えている。鋸の替え歯を1本だめにするだけの量だ。

3月12日(木曜日)
鈴木俊一氏は、オリンピックがもし延期になったら、安倍さんの政治問題に発展すると語った。なんで?と首を傾げたくなる。理由は、コロナウイルスの蔓延を食い止められなかったから。馬鹿じゃないか!アメリカの選手(もちろんちゅうごくもが中国も)がオリンピックに行きたくないと言ったら中止になるのに、それを日本の首相がどう手を打つと言うのだ。世界がこの病気を克服できない限りオリンピックは延期だろう。そんな馬鹿なことを発言するよりも、早くワクチンを開発できるような国内の法的整備に精を出すのが今の時期政治家にとって重要な事ではないでしょうかね。いつまでも永田町に居座って重箱の隅を突っつくようじゃ世界の広さは見えて来ませんで。



3月11日(水曜日)
昨晩もダニ襲撃で寝られず、今朝は7時半に気が付いた。部屋の中はすっかり明るかった。食事を終えたら8時半を回っていて、友人が訪ねて来た。CDプレーヤーが欲しいと言う。シャープのBDレコーダーを渡した。CDの再生は可能なはずだ。昼一に税の申告。その後農協で健康保険の振り込み。夕刻まで木こり。木こりは目処がつき、竹刈りに突入した。どっちもダニの巣に頭を突っ込むので厳しい。夜は前回の旅行記をまとめていて、やっと初日のベネチュアを終えた。写真ファイルが50枚。カメラの性能が良くなったので失敗が少ないから、たくさん語れるのだ。バッテリーの充電コードが抜けていて、2つのバッテリーにそれぞれ半分しか電池残量がなく、この時は思い切って撮影出来なかった。(それでも650枚から厳選出来た)。音楽はアートペッパーの名盤リズム・セクションを聴いた。大昔の録音だが、現在の録音にも匹敵する音だ。多重録音で音の精彩感を無くしても演奏の完璧性を求める日本のデレクターに勉強して欲しい素材だ。もちろん奏者も取り直しが不要な程のパワーで凌駕しているのだが。寝る前に布団乾燥機、パジャマのダニ対策を行い布団に潜り込んだ。ダニの棲む布団とは明らかに感触が違う。

3月10日(火曜日)
コロナウイルスについての考察。先ずは発生元の中国はどんな状況か。WHOのデーターから死亡者数は減って来ているのがわかる。では日本の感染者数と死者の推移は、死者は低位安定。感染者数は日を追うごとに増えている。国別の死者率は、イタリア→アメリカ→中国と続く、ドイツが最も低い。なんとなく納得出来るようなランキングではないか。
次に不思議は、感染者数を累計で表示するのは如何なものか?毎日数が増えるのが不思議。1月14日に患った人はまだ患者のままか?回復し社会に復帰しているはずだが、いまだにカウントされている。その人を感染者から差し引かないと正確な感染者数が見えないではないかな。「咳や発熱が止まり、抗体が出来ると検査により完治とする。と厚生労働省のホームページにあるし」。マスコミはどんどん広がると告知してますが、正確な数値を公表することが使命ではないかなぁ。
その次の不思議は、感染者数の公表値です。WHOでは3/6日本は1155人となっています。なぜクルーズ船の患者を排除した数値で公表するのだろうか?昨日の新聞にアメリカが日本の感染者数を抜いて500名を越したと書いてありました。アメリカはもちろんクルーズ船の患者を含み、日本は含んでいません。世界共通のデーターの上に立たないと比較は出来ないと思うのですがね。
次にコロナウイルスの総称ですがCOVID-19が世界的な名称。なんで日本だけ特殊な呼び方をするのでしょうね。話は変わりますが、アメリカのブルーノートからメールが届いた。いつもはイベント紹介ですが、今回はこの写真を撮影者は感染を疑って下さいとあった。つまり3/1からのライブ演奏の写真です。この中に感染者がいたかもしれない。結構親切ではないか。高知県で感染者が見つかった時は、「大阪のとあるライブ会場」としか公表されてなかった。3日くらい後で公表された。それで感染者の友達の友達で芸西村住む親子にに感染者がでた。こちらはマスコミの責任ですな。


3月9日(月曜日)
この頃天候が冴えない。今日晴れたかと思ったが昼から曇り、夜雨だ。その雨も結構激しい。午後再び木こり。木こりの問題はダニを拾ってくることだ。今日は両手首が多くの被害に遭った。ダニに噛まれると酷いのでは一週間、弱いのでも3日間の痒みが続く。問題は夜だ。布団の中にまで付着したままやってくるので閉口だ。そこで、今日は今迄の対策を全部試みた、そして新手も一つ加えた。先ず布団乾燥機でダニ退治をセットする。その後、レイコップで布団を掃除、内蔵の紫外線に期待して。そしてパジャマは電子レンジで2分間調理する。血を吸って水分を持っているダニは全滅だ。(このレンジ作戦はもっと効果を上げようと3分セットしたら焦げてしまい、パジャマを1組ダメにした)これが新手。しかしそれでも夜中に噛む奴がいる、そうすると起きて、もう一度布団乾燥機をセットし、パジャマをアイロンがけする。夜中の1時ごろだ、痒いところにムヒを塗り、この作業をするので、寝不足だ。洗濯は全く効果がないので、洗いだてのシーツや敷布も高温で処理しなければダニは消えないことがわかった。農作業の辛さよりもこちらがもっと辛い。

3月8日(日曜日)
この歳になっても「縁」は広がるもので、滋賀県にお住いのH氏から頻繁に手紙を頂く(僕も返信をしてるけど)この方は会社の同僚E氏の友人で、大阪のショウルームへ来られて以来の付き合いだ。音楽の基本は中南米の音楽。サブにクラシック。ソースはNHK-FM。それをデジタルで録音し、自分なりのCDアルバムに編集する。その一部を送って下さる交信が続いていたが、最近では健康法についてのアドバイスが増えて来た。今回は「クエン酸」療法についてだった。確かに安価で効果があるみたい。試す価値はありそうだ。尿酸値が高い件については、数値の診方のアドバイスを送ってくださった。こちら水泳の回数を増やし、左足の「ジンジン」は止まった。今回頂いたCDは「Schubertの4つの協奏曲」で音が歪んでいるもののズゴイ熱のこもった演奏だった。こう言う「音質の悪い好演奏」はどう評価したら良いのか?また、今日布団の中で読み終えた「脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか」も凄い本だった。特にこの本の構成が凄い。生物の誕生(菌)から動きをテーマとして生物の進化に迫る。細胞ができ、筋肉ができ、意思ができ、脊髄ができて、左右対称の骨格が決まる。それが陸上へと拠点を移し、歩行ができるようになると、頭脳が一気に進化した。つまり、動き=生物の進化だと述べる。そして、人類はその進化の源である動きを止める方向に進んでいる。それは自動車である。出来るだけ自動車を使わない生活への回帰を迫るとして結ぶ。途中半分くらいは、DNAや塩基など知らない世界の紹介が占め、文章で図解をするからちんぷんかんぷんだった。これも凄いと同時に半分を占める難解なページをどう評価すれば良いのだろう。40億年の歴史をを8時間半くらいで読めるので、もっとマクロ生物を勉強すれば、より深い理解につながるだろうか?いや、骨子は変わらないので無駄だろうか?

3月7日(土曜日)
株価が急落し、円が上昇している。今こそ海外旅行に行くといい買い物が出来る美味しいものも食べられる。特にトルコやアルゼンチン。航空会社の株価も下落。これから伸びる業界だから買いなんだけど。それで、東証一部の企業を見てたら、自分の頭にある業界におけるその企業の位置付けが株価と食い違っていることに気がつく。多分株価はその業界での勢力ランキングだから、マイ頭のブランドイメージで評価してはいけない。イメージはあくまでもアナログで株価はデジタルだ。そこで、その食い違った株価メーカのホームページに飛ぶと、これまた自分の知らない世界があるのに気がつく。そんな流れで、日経新聞のマーケット紙面を眺めると卸売市場や、先物市場の数値が細かく並んでいる。直ぐには理解できない数値だけれど眺めていると相場みたいなものが見えてきて結構時間つぶしになる。実際今の僕にはそんな余裕はないけど、行動範囲を踏み出すとこんな事が起きるんだと好奇心を煽った。今日は仕事日だがコロナウイルスの影響で内勤。ライフマスター時を思い出した。明るい陽光の下、鶯の声(仕事では音楽を聞くのだが)を聞きながらパソコンに向かいレポート作成する。それが内勤=在宅勤務だ。夕刻6時に仕事を置き、風呂を沸かす。食材は昨日買い込んであるから外に出る必要はない。準備していると、ヤマト宅急便屋さんがiPad Proの回収に来た。iPadは新聞を読んだり、本を見たり、音楽を聞いたり、僕の日常そのもので、別れるのは本当に寂しい。しかし、東京に住んでいた頃買った中古のiPad(4代目で相当古い)があるから、それを設定し直し、エクセルも入れて使用できるようにした。画面は小さく(13→10インチ)動きも遅いが何とか友の代わりを果たしている。


3月6日(金曜日)
コロナウイルスについて。統計的にこの数字を追わないと拡散なのか、終息なのか方向性が見出せないと思っている。それも感染者数ではなく、死者数だ。それで中国の数字を拾っている。ところが、けさチェックすると総数と、1日の死者数がマイナスになった(本日の累計死者数を入力すると)2月末までは日経新聞の一貫したデータを拾ってきたので問題は3月からの日報記事だと思った。それで当たって行くと大きな齟齬は出ない。今度は、一貫したデータをもう一度2月末より遡って見直すと、何と!既に発表した数字が2/12まで遡って修正されているではないか。これが中国だとはっきり自覚しましたね。なぜ日経新聞はこの信用出来ない数字について言わない。自社で公表した数字に齟齬があると。新聞記事はその日のみの数値しか公表しないので、購読者はおかしいと分からないと馬鹿にしているのだろうか。中国の死亡者数の傾向としては終息に向かっている。一方芸西村では感染者が4人となり村の人口4000人に対し0.1%の感染率。中国の武漢と並んだ。高知県の感染者7名は医療センターに入院中。全て大阪ライブからの影響だ。
iPad Proの電池が末期を迎えている。アップルサービスの診断ではまだ99%で良品だと言う。4年間の酷使で3時間位しか持たないと言っても彼らは分からない。リリチュームイオンバッテリーは300回の充放電が基本的な寿命。やっぱり基礎を知らないとダメですね。それで、強引に修理をお願いした。11880円。裸でヤマト運輸に渡し1週間で完了すると言う。
更に、もう一つ、こんな事を掲載してはいけない。日経新聞のオペラ「椿姫」の宣伝だ。「若き日のズービンメーター」の写真が掲載されている。彼の名声は高いから、行ってみようかな?となるかもしれない。でもベルリンで指揮した姿は、腰が曲がり歩く事さえ難しいおじいちゃんだった。それで価格も7列目の中央で9200円だった。彼が演奏する訳ではないが、リヒャルトストラウスの演奏は力強さを欠いていた。若き氏はダイナミックな演奏で、ショルティと並ぶ大御所だったから、そのイメージでチケットを買うと大変なことになる。そんな誤解を生む写真を使っている。

3月5日(木曜日)
雨も上がったし、今日は木こりだ。しかし寒い。ジャンパーを着ると汗が出て脱ぐと風が身体を抜けるから寒い。今日の木こりは一昨日倒した大木の解体作業。幹から枝を切り出しお箸くらいの大きさまで葉を取り、後は捨てる。手間がかかる割に見た目の達成感がない。4時半に終えた。友人からメールで芸西村にコロナ患者発生。例の大阪ライブから帰った看護師の友人から、移された。大阪ライブはかなりの規模で拡大しているようだ。僕は木が相手なので問題は無い。寒くて鼻水を垂らしながらの作業だったが。ポッカリと時間が空いてから、夕食の準備には時間をかける様になって(先日まではイタリア料理に挑戦し、ラザニアでうちどめ)。今日は蕎麦を打った。生憎と蕎麦はスーパーで買った安価なものだが、まずまずの味。蕎麦には、たっぷりと大根おろしをかけていただく。副食はエンリギの卵炒め。野菜多めのメニューだ。コロナに関してさすがアメリカは打つ手が早い。国を挙げてのワクチン開発体制。日本は休業手当てについて政党間で調整中とか、リスク管理の専門委員会を立ち上げるとか何か門外漢の事ばかり。安部さんの指導力とは一体なに?残念だ。対策は専門家でなくても打てる。病気がはやれば、まずは治療の開発だろう。次に伝染を防ぐ対策、それから休業対策。今必要なのは議論でなく実行力とスピードだと思うのだが。

3月4日(水曜日)
終日雨。息子にもコロナ影響。工場のパートおばさんが子供の面倒を見るために休み、その補欠として息子は人事から工場へ駆り出された。工場の人数も減り、残業となった。僕の方は、自宅待機で土日は書類作成の予定。イタリア旅行をまとめているまだ2日目で22ページ。写真を見ながら思い出す事と、そこから派生して考えることがある。午後は読書後、風呂を焚き「ながおか温泉へ」。併設する市場で、牛乳とコンニャクと鳥挽肉を買った。プールはゆっくりと1500m。ゆっくりなら2kmも軽いが、明日もあるので今日はこの辺で。この挽肉で雑炊お作った。肉は硬く挽肉でも歯に引っかかる。でも脂が乗って美味い。今度はこの挽肉を自分のクッキングカッターでもっと小さく切り刻もう。今日の雑炊はにんじん、大根、高菜、生姜、かぼちゃを入れた。野菜に脂身が染みて、白だしを少ししか投入してないが良い味が出た。ここのところ、ひるめしを極端に少なくして夕飯時はかなり空腹状態で、食べ物がうまい。この昼飯の問題を解決出来て調子が良くなった。体重も51kgで安定してきている。ここで購入した牛乳470円/1ℓパック、それと今使っている牛乳を比較した。一方は牛の匂いが微かに残る。一方日常の分は、濃いが牛乳とは違う感じがする。でも比較しないと分からないレベル。売れ数は決まっているみたいだが、どうしてもこれじゃなきゃダメと言うのはない。

ミラノスカラ座日本公演が9/19東京文化会館で開催される、演目は「トスカ」「椿姫」。見たい気もするが、2つ見ると138000円。大阪から東京までの旅費と宿泊を入れると、18万円位。先日の9日泊のミラノ旅費宿泊費が28万円だったので、ちょっと考える。価格は分からんでもないが。あれだけの俳優と、演奏家。舞台背景を持ってくるのだから(舞台背景はメトロとスカラ座の使い回しかも知れないが)僕はやっぱり、スカラ座はミラノで観るのが正しいと思う。あの豪華絢爛たる会場。チャオで挨拶をする常連客達、強い香水、休憩場所での賑やかなワインの乾杯。事前に食ったピザの味。これらが一体となってオペラの雰囲気を作るのだと思う。つまりオペラの前後はイタリア語しか耳にしてはいけないのだ。それが武士道を崇拝する岡村さんの姿勢だ。

3月3日(火曜日)
経済格差、所得格差、とにかく世界の富を少数の人が握る貧富の差が拡大している事。今年のダボスは持続可能な成長がテーマだったらしいが、貧富の差については、ダボスも何度か取り上げているはず。だがこの傾向は拡大している(と思う)。この先どうなる?比較的緩やかな日本でさえ、侵食されて来ている。コンパクトシティなど一つのあり方だと政府も認めるが、これすなわち、富める者の集合地域となる。イタリアを見て結構集合住宅が多いな、それも道路に面して壁で囲い、壁の内側に窓や通路がある構造。これすなわち、ミニミニコンパクトシティだ。このコミュニティに入れば安全で仲間を作れるが、下界とは壁で守られている。インドやジャカルタのホテルもこの構造。敷地内に公園があり安全に散歩できる。かくなる上は、隔離された居住地ができる(多分アメリカでは中州とか小島などで実現されていると思う)次世代の人種差別だ。

民主主義は機会均等だから、適合した頭脳の持ち主は富を得られる。世界の市場が舞台だから、生半可な知識では、頭脳では太刀打ちできない。人間力も必要だがコミュニケーション力も必要。兎に角、勉強してスキルを高めない限り、塀の外で暮らすことになる。学歴は必ずしも必要ではないが、知識や体系だって考える、物が言える人材ではなくては。と思うのだ。僕はもうその歳を越してしまったが、マレーシアのマテハール氏を見ていると、まだまだかも知れない。

3月2日(月曜日)
余りにも自分の反応が鈍いのに気がついたのは、先日牧野植物園に行って蘭の花を撮影した時のことを思い出したからだ。グレーのパネル前に蘭の花を置き、背景が抜けるのを防いだ。これはそれで評価していた。東京の「世界のラン展東京大賞」は背景が汚く写真写りがイマイチだった。蘭の展示は難しいのだ。この日はそれで終えたが、今日写真の整理をしているときに気がついた。「何故、グレーの背景パネルを用意したのか」と言う疑問。ホワイトバランスを取るためだったのだ。カメラマンは家に帰ってこのグレーのパネルにホワイトバランスの設定を併せると、結果として、「蘭の花が太陽光の下で撮影されたのと同じ」になる。そんな配慮がここに仕掛けてあった。牧野植物園恐るべし。阿久悠氏/企の仕事術の書籍を読んでいて、この書籍の背景には「男の姿」を物凄く意識しているのが伝わってくる。それも物言わぬ男、背中で聞いている男達。いわゆる武士道の男。今はもうすっかり「消滅してしまった男」。所が、そうは言うものの、キチンとこの牧野植物園には見えない男の姿が感じられましたよ。午後はサトウキビ畑の整地。夕刻サトウキビの師匠に来てもらい、この整地方法で良いか尋ねたら、「良くない」評価。今年は寒くないので、上にカバー(サトウキビの葉や、芯の残る上の使われなかった部分)をしない方が良い。3月終わりには全部取り払うようにとの指示。最後の一枚の畑も見てもらい、このまま放置する様に。こちらも3月の終わりに、取り除くようにとの指示だった。それで、明日から時間が急に空いた。コロナの関係で時間がポッカリ空き、サトウキビの整地で再びポッカリ。では次の作戦は?新規のサトウキビ畑を日照時間で邪魔する大木の伐採(近所の人の畑)。ここは藪だから、遅くなれば蛇が出てくる危険があるのだ。切り倒しても良い了解は取り付けている。

3月1日(日曜日)
朝は晴れていた。洗濯をした。2日間も降り込められると気持ちが腐ってしまうので良かった。午前中はジャズの歴史翻訳、やっと1時間で1ページの翻訳ができた。書籍を読むときは、文字にしないからおおよその把握で次に進めるから早いが、文字に起こすとどうしても齟齬ができてしまい、単語解釈に時間がかかるのだ。それに、著者の癖もある。「Crane」などはさっぱりだったが、前後を解析して、これはJohn Coltrane(コルトレーン)だと至った訳。5分ほども費やした。午後はさとうきび畑の整地。後溝掘りを残すのみだが、未だぬかるんで機械が使えない。草むしりも終えた。風呂を沸かし高知のプールへ。同じレーンに僕と同じレベル(速度です)の人が来て、遅れてはならじと頑張ったら、胸が痛い。雨が再び本格的になって来た。南国市のサニーマートで食材購入。レジは自身で行う方式。ディスプレイで選択するが反応が遅く、パックの食材キーを誤って押してしまった。そこからは抜け出ることができず店員を呼ぶボタンしかない。そこで店員が来て、自身のバーコードをかざすと、画面は元の入力画面に戻り「どうかされました?」と来た。「お爺さんが操作が分からなくて呼んだとみなされてしまった」僕としては、物凄くプライドを傷つけられてしまった訳。反応が鈍いのはメモリーをケチったのではないか?と言いたくなったが、何も知らないおばさんに犬の遠吠えはしたくないと思い矛を収めた。ちなみにここは、エディのカードをスロットに入れて取り出し、次にエディのカードをリーダーにかざし、お金の引き落としを行う2段方式で、この点からも機器のソフトウェア開発者のレベルの低さが窺える。つまり、ITの生産性が低い訳だ。この店は、他のスーパーにないものがあり(他のスーパーにあるものがないのだが)珍しい食べ物を中心に買い物ができるので気に入っているのだが。今回は玉ねぎドレッシングと、生コンニャク。帰って家事を済ませて写真の整理を始めると頭が朦朧として来た。水泳1kmではその後の日常生活に支障はないはずだが、1.5kmでは部屋で寛ぐや否や、突然大きな疲労がやって来くる時が多い。千葉にいた時は、それが3.5kmだったのが、大阪時代は2.5kmになり、定年後、仙台時代は2kmだった。あくまで平均ですが。抗えるどんな手段も方策もない。

2月29日(土曜日)
冷たい雨が一日中降り込めた。友人は暇でCD貸してと言うが、彼に向くCDは無い。午前中郵便物の整理と、税金の申告書類の整理。パナソニックのキャッシュバックの通知もあった。LUMIXカメラを買うと20000円のキャッシュバックだ。昼から、読みかけの「病原菌・銃・鉄」を読み、終えた。この壮大な人類の歴史を書いた作者は何と医者だった。そして、筋の根底には、現在でもその痕跡が残っている人相や言語など、動かせない事実から引用がある。つまり、専門外でも体系だって研究すれば一つの道筋を示すことができる事を示された。だが凡人の僕には、この「体系だった仮説」が組めず、単にこの本を「凄いな、勉強になった」として閉じるより仕方ない。最近強い刺激を受けて感化され続けている。そしてそれが整理できぬまに更に新たな刺激がやってきて、僕の足が地についてない気がするのだ。と言うか、怠惰でこの刺激を踏み台にして前に進めてないような気がする。その上、次から次へと訪れる事件がその時間を奪いとる。夕刻近所の友人と懇親。夜大阪の友人とPC設定の長時間電話。

2月28日(金曜日)
ポッカリと空いた時間。ふと気がつけば、プラズマ・クラスターやナノイーはすっかり影を潜めている感じ。今こそ、大々的に訴求すべき時なのに、邪推すれば効果を保証できないと言うことだろうか。平時にはウィルスに効果、危機にはナリヲヒソメルそれが未成熟の日本の家電かな。まだシャープはマスクを生産すると言うから、社会貢献の姿は見えるかも。もう一つ、日経新聞しか見てないが、中国人の死亡者数を掲載したりしなかったり報道が不安定。ネットで調べても推移が見えるグラフはない。場当たり的なニュース報道の様な感じしか受けない。今はジャーナリズム論など持つ人はいないだろうから仕方ない。テレビは見識よりも美形を打ち出し、責任のない報道に終始する。大学教授など引っ張り出して討論をさせる。TV局の主張はない。まぁ悲観はここまで(僕の意見は悲観的だが、生き方は積極的です)昼からみかん畑の整理と収穫。その後さとうきび畑の整地。風呂を焚き、夕刻プールに出かけた。コロナウィルスの影響だろうか?プールの水は澄み、午前中の利用者がいなかった事を証明する。千葉県でスポーツジムからの感染が報道されたからか。水の中は最も危険となるだろうか?空気中の飛沫よりももっと濃厚な唾液が水の中に溶け込む。そんな事を思いながら泳いだ。しかし今日は妙に疲れている。農作業を4時間ほど行った後かも知れない。それでスピードが上がらず、身体が冷えて寒い。残念だが今日は1kmで上がった。熱いシャワーを浴びてもこの寒さから逃れず、車の中の暖房でやっと人心地着いた。夜は何もできず、シューベルト9番/レバイン/シカゴで聞く。アンプが温まってないのに結構いい音が広がる。リスナー評価ではフルト・ベングラーとブルーノ・ワルターが高い。一歩下がってベーム。朦朧としてきて床につくと雨が来た。

2月27日(木曜日)
新橋にある汐留パナソニックビルでは、自宅待機のニュースが流れた。僕の仕事と関係あるので早速メールを入れた。一方明日は7:35分の東京行き飛行機なので起きるとすぐに出かけられるように自転車に鞄をくくりつけ準備を行った。娘と友人に文旦を送る箱詰めをして、冷蔵庫を空にする昼食を摂った。そしてSNSが飛んできて東京ショウルームの閉鎖の連絡が来た。東京行きは消えた。娘との夕食会、元上司との懇親会、ブタペスト絵画展、BSジャズライブと東京での行事を計画してたが、消えた。しかし消えて良かったかも知れない。どんなに防備しても感染は防げない。しかもこちらは老人だ。今日、田舎の道を歩くマスクをした老人を見かけた。田舎では誰も歩かない。人との接触がない。マスクはいらないのだが、まぁ人それぞれかもしれない。時間が急に空いたので、友人を呼んで懇親会。友人は呼べばいつもきてくれるのはありがたい。僕の料理にもあまり不作はないので安心してきてくれるだろうと思う。開口一番イタリアのウィルスの件。北イタリアは閉鎖となった全ての観光地に行った。「アテヅゥ・・・」ミラノ駅ではいつも聞いた言葉。英語のA Tenstion Pleaseだと思う。いい時に帰ってきた。僕が帰る頃中国人がドバッと来たのだ。ヨーロッパに伝播したのはイタリアからだ。時間が空いたので、さとうきびの世話も、みかんの収穫と剪定もなんでもやれるが、他にもあれこれ手掛けていて興味が尽きないからToDoリストが必要だ。

2月26日(水曜日)
みかんの収穫と枝の剪定。帰り道、お寺に寄って、切り倒した大木を短く切り揃えた(住職も家人も居なかったが、勝手にチェーンソーを借りた)。後で、お坊さんも葬式で忙しく手伝いは出来ないと横でタバコを吸いながら言っていた。帰って、さとうきび畑2枚目の後始末。風呂を沸かし、ぬるま湯をサッと浴びて、集合の谷岡新聞前に5:30に行った。今日は村の財産区の会議懇親会。ゴルフ場からの土地借用代返済金の年間200万円のカットの報告を村役場の総務課長から受ける。その後は懇親会。コロナウィルスの関係で返盃なしの飲み方。高知では異例。話題はナスと花卉栽培、地震、僕のさとうきびにも話題は及んだ。彼らは細かく砕いた砂糖が使いやすいと言う。あれは塊が出来にくい不良品ですよ(裏方では)。砂糖を作る人達(僕も含め)は塊に出来る砂糖に精魂傾ける。そうやら、ここに矛盾がありそうだ。しかし、その先の液体はどうだろう?と思った。液体で販売する最初の機会「高知のお客(イベント)」は中止となった。今日は、普段接しない人達と話す機会を得て面白かった。このメンバーの会員の一人に、小学生の時、クラスのマドンナだった白石和に弟がいる事が分かった。ちなみに、もう一人のマドンナ、小松幸は、僕の隣で飲んでいたブルースターの栽培大手のおじさんのマドンナでもあったと今日わかった。彼は僕よりも2歳下。皆んな美人を狙っていたのだと思った次第。面白いな。

2月25日(火曜日)
ジョン・ウェインの西部劇。アクション映画の定番として有名である西部劇だが、アメリカインディアンつまり、土着の人は、歴史によると耕作可能な大型動物を持っていなかった。それで、多くは、ヨーロッパ人による細菌性ウィルスで死滅してしまった。勿論殺戮などはあっただろうが、行く先々で、死に絶えたインディアンを見かけたとある。つまり、映画のような戦いなどはあまり存在しなかったと言う事だろう。それは早くからヨーロッパ人は家畜と暮らし、色んなウィルスを家畜から受け、何千年も死ぬか抗体を持つかの危機に晒されてきた結果であり、アメリカインディアンにはそうのような体験(抗体)がなかったと書く(だから死滅)。何故なかったのか?それは1万4000年位前に、シベリア経由で渡ってきた人々が、家畜になりそうな大型動物を食って絶滅させたからだと言う。動物の子孫温存はこうして人間への生命にも直結しているのを知った訳。今日は、さとうきびを収穫した後始末の作業。散らばっていた、葉や茎を芽の出てくる畝の上に束ねて置き、溝を機械でより深く掘った。溝が浅いと、水捌けが悪い。昔はこんなに深く溝を掘るのは大変だったろうが、今は機械で2-3回行き来すれば簡単に溝が掘れてしまう。昨年よりも深く掘ったから、今年はもっと甘い糖度の乗った砂糖ができるはずだ。1枚目の畑は終えた。後2枚残っている。夜寝る前に、ベームのチャイコフスキーを聴いた。書評にあったように無骨で力強い演奏だ。もっともチャイコフスキーは繊細な演奏が本物だというかもしれないが、これもなかなか捨てがたい。LPとは言え、結構力強い弦が広がる。眠いが中々演奏をやめて寝る気にはなれない名盤だった。1978年にこんな素敵な音楽が存在していた。しかも、僕の使用機器はそれ以前のもの。その気になれば、当時でも楽しめた筈だった。

2月24日(月曜日)
電車の中や、レストランで大声を出す若者に限って「まじで、まじかよ」「やばい」を連発する。そして耳を済ませていると、語彙が大変少ないのに気がつく。漫画を読むのは仕方ないとしても、それ以外の本を読まない文化が彼らの語彙不足に拍車をかける。ちなみに、「まじ」と同じような語感では、英語圏でReally?がよく使われる。それを日本語に(変換)持ち込んだのが、元で流行った。語彙のない中で、さらに語彙のなさを露呈する哀しさ。本を読めば色んな事がわかる。病原菌の歴史は、元々中国発だった。今から700年くらい前中国からヨーロッパへ渡り、人口拡大に中止をかけた。インフルエンザも中国発である。コロナは中国発としても決して可笑しくない。今年も東京ラン展を見る事ができなかった。2018年はシンガポールで対面したが、2019年もダメだった。それで諦めかけてたら、JR後免駅で牧野植物園のラン展ポスターが目に入った。今日までだと書いてある。すぐ近くのプールに行く予定だったので、早速出かけた。日差しが強く、木漏れ日が蘭に当たって露出のコントロールで素晴らしい作品が出来上がったと思う。カメラはCanon5Dmk3。これしかバッテリー残量が無かった。プールは今年初めて、農作業で身体を酷使していたのが効き、久しぶりなのに1時間で2km。平泳ぎ500mが無ければ55分を切るだろうから、50歳時の記録は未だ確保できていた。身体の流線型は幾分崩れ気味で、不摂生が祟っている。帰り道ツタヤで注文の書籍購入、レンタルCD。隣のディスカウント「ダイレックス」で夕食の材料。何と、この店の正面に「乃がみ」の食パンがあった。帰って、先日買い込んだベームのチャイコフスキーを聞く。ウインフィルでなく、ロンドンフィルだが、やっぱり切れ込みは凄い、音の谷が深い。日経新聞ではチャイコフスキーの繊細さは微塵もなく、ドイツ風のゴツゴツ感で押しまくるとある。4、5、6番を買ったが5番のみ日本版。ジャケット裏のラナーノートは主に楽曲についての解説(独、英語併記)。例によって難しい形容詞を飛ばして読んだ。6番の解説は最後にかける想いを(チャイコフスキーになり代って)綴ってある。

2月23日(日曜日)
テクニクスの音は悪い、高級アンプなどで鳴らすから耳が悪くなるのだ。ピアノがキンキンして耳につく。ご指摘はごもっともですですと応えたが、同じ話を4回も繰り返されたのには閉口した。それぞれにそれぞれの好みがあるのは当然だ。でも、音楽を聞く場数を踏むとおおよその音の輪郭は出て来る。テクニクスの音はその範疇に入っていると思うのだ。経験が少ないと視野が狭くなるのは致し方ない。だから、あまり過激な発言は、反面自分の経験を話していることになり、こちらからはそれが見えるのだから可哀想だなと思う。別のお客さん対応ではマーラー9番/ヤンソンス/バイエルン/SACDを聴いた。感動した。バイエルンは先日乗り換えに降り立ったミュンヘンの事だ。ライナノーツにはSimon Rattleの寄せ書きもあった。このお客様は知識豊富な方で、Karl Böhmについて少し教わった。大人しいようで、厳しい演奏だと指摘する。そう言われば、タクトの振りは大きくないのに、ウインフィルは深い切れ込みをして追随する。その事を言っているんだろうか。それで帰りにディスクユニオンへ寄って、LPでベームのチャイコフスキー4/5/6番を買った(日経新聞2/16版絶賛)。この店はお客さんで一杯だった。レコードブームが来ているのを如実に感じる。

2月22日(土曜日)
今日は友人が救急車で運ばれたメールを頂いた。又、別の友人には頼まれてヨドバシカメラにパソコンを買いに行った。高知の友人からはゴルフの無料観戦の申し込みに住所と名前を貸してやと頼まれて、それが届いたメールが息子からやってきた。のほほんと生活しているようで、いろいろとニュースがある。。中国のコロナはPC購入にも影響があり、HPは3-4ヶ月待ち、レノボは1ヶ月待ちが当たり前と説明していた。書籍「FACT FULNES」「オリジンストーリー」を買った。
本も音楽も殆ど消化出来てないが、今買っとかなきゃ廃盤や、その魅力(欲する情熱)を忘れてしまうかも知れない危機感がある。(危機があったって何も変化しないが)。又、茨木のマンションの廊下ですべって転んだ。フローリングの床で、裸足なのに、足の裏が乾いているので滑るのだ。老化との戦い負けるのが怖いから無理して頑張っているつもりなのに、敵はそこかしこに潜んでいて容赦ない攻撃を仕掛けてくる。時間が前後するが、パソコンの物色の後、大丸で食事をした。豆腐料理なのに、結構腹が膨れて、天六まで歩いて帰った。昔は豆腐は角が立たんと侮っていたが、今は怪物のように僕の前にカロリー攻撃で立ちはだかった。

2月21日(金曜日)
朝一番に、家の周りに除草剤散布。今年は春が早く、庭の片隅の生い茂った草は20cmもあった。出発前の儀式として、部屋の掃除と、墓参り。余った時間は、クリストファー・クロスの「南から来た男」フラミンゴの絵のある名盤を聴いた。アンプが温まってくる頃、後ろ髪を引かれる思いで電源を切った。JRは眠い、着座するなり大きな睡魔、まるで条件反射。琴平迄夢の中。全くの奇遇を前にも書いたがもう一度、日経新聞の書評で買った、「レオナルドダビンチ」と「風神雷神」(今日読んだ)はイタリアのフレンチェでウフィツィ宮殿で物語が交差する。そして、僕はその宮殿(今は美術館)へ行って、ダビンチの絵をしかと見て来たのだ。書籍はかなり注意して買わないと、このような交叉は難しい。この奇遇は何かの縁だと思っている。僕の中では未だにこのイタリア旅行の旋律がこだましている。こんなつもりでイタリアに行ったわけではないが、強烈な刺激を存分に浴びて帰ってきた。貯金は寂しくなったが価値はあった。もう一つ外国の話題。茶屋町に「アリラン・ホットドック」の店があり、ここが若い女の子を中心に行列ができる。たまたま今日は早かったので、行列はなく頂いた。「韓国式」ホットドックだ。ソースは全てを掛けてくださいとあったので7種全部掛けた。大体に於いて若い女の子の好む店は美味しくないのが相場だが、ここはまずまずだった。隣のタワーレコード店で、Bill Evans/Waltz for DebbyのLPとヤンソンスのSACD(いずれも注文の品)を受け取った。

2月20日(木曜日)
頭の隅にこびりついていた、きまさごの溝掘りをやっと終えた。ここは新しくサトウキビを植えた所だが、溝を掘ってなきので、雨水がそのまま畑の中に溜まるようになっていた。多分ここを見た曽我さんがやばいと思ったのか、端のところは溝を切ってくれていた。お礼をせねば。そこを、今日は機械の「管理機」で3回すき、深い溝を掘ったのだ。これで、雨は溝に流れ落ちる筈だ。一方で、もう草があちこちに見え隠れしているし、今日から「鶯が鳴き始めた」。割とまとまった鳴き方。7月ごろまでこの美声を楽しめる。もう春なのだ。また、僕の留守中の大風で梅の木が倒れるとか、大日様の沿道に竹が倒れるとか、山の風景が一変しているのがわかった。山は呼吸しているのだ。そこから人間は恵を貰って生活しているのだとわかった次第。ラジオ英会話の書籍をスキャンして出張に備え、東京での勤務のためにハイレゾを整理など、やっと自分の事に専念できた。農作業は1月23日以来の事だから、一月弱のお休みだったのだ。そのせいか、疲れて9時過ぎには朦朧として何もできなくなり倒れ込んだ。

2月19日(水曜日)
お寺さんのゲンキョウサマ木こりは、本日第一弾の終了を見た。お寺さんも、僕にここまで処理能力があるとは思っていなかっただろう。とにかく大きな木の伐採は難しいし、昨日は電線を切る事故を起こしている。実は今日も電線に気が倒れかかる直前まで行ってしまった。ロープをかけて引っ張ったが、人間の手でどうすることもできず、アイデアはないかと思案。そうだトラクターがある。早速家に帰りトラクターを引き出して、ロープで引っ張ると電線に向かって傾いた木が、こちらに向かって角度を変えた。ギリギリ迄張力をかけたままトラクターを止めて、木にのこぎりを当てると、目的の方向に巨木が倒れた。お寺さんと安堵の胸を撫で下ろした。僕らは木こりが本職でないから、木の倒れる方向をコントロールできないし、気がねじ曲がっているとさらに難しい。事故も起きやすい。勿論、擦り傷や軽い打身はあるが無事終えたのだ。自分でもここまでできるとは思っていなかった。夕刻買い物に行っている時、お寺さんが、文旦を持って来てくれた。「汗をかいたから、ビタミンでも補給してや」。それで思い出したのは、昨年は今までになく汗をかいた。そして今年は1月早々から砂糖絞りの竈焚きで大汗をかいているし、木こり作業もベトベトの大汗で、毎日帰ると下着を取り替えていた。檀家の仕事とはいえ、奉仕の仕事だが、全くの不満がないのは、この大汗が実に体の調子を整えて、残念ながら食べ過ぎは厳禁だと医者に言われているのを無視して食べすぎるのだ。それが爽快で、しかもすぐに空腹がやってくる。こんな好調な日々は近年僕の記憶にはない。いわば自分のために困難な作業を引き受けたみたいなものだ。

2月18日(火曜日)
人間の立場で考えたらいかん、ウイルスの立場で考えよう。人間も死活問題だが、ウイルスも生き物、繁殖には生死がかかっている。要は子孫温存だ。コロナウイルスも最初の目標から、ターゲットを変えた。数の少ないコウモリよりも、圧倒的に数で勝る人間を媒介として生き延びようと。それで、特性を少し変えて、人間からの伝播に変更した。最初の菌は偉い。大成功だ。ノーベル賞モノだ。彼によって今や多くの仲間を世界中に拡散できるようになった。「銃・病原菌・鉄/シャレド・ダイヤモンド」を読むと、事例はコロナウイルスじゃないけど、人類が経て来た試練にやはり似たような事例がある。人類は色んな経験を経て来ているのだと改めて感じる。それも文字でその記録が残されているからだ。文字の記録で最近経験したのはレオナルド・ダビンチ。彼は15世紀にノートを約7000ページ現在に残している。だから、今彼を正しく評価できるのだ。当時はもっと素晴らしい、芸術家とか、戦略家がいたかもしれないが、レオナルドだけが大量のメモを残した。実は、郷土を代表する士、坂本龍馬も莫大な手紙が残っている。もしかしてこれらがなければ、いくら志が高くても、坂本龍馬は今ほど評価されてないだろう。それがあったが故に、司馬遼太郎は文章を膨らます事ができたのだ。今日もゲンキョウサマの木こり。何と頑張りすぎて、電線迄切ってしまった。ゲンキョウサマのお堂に照明用の引き込み線があるが、それに大木が倒れかかってしまったのだ。でも費用は発生しなかった。工事者曰く、電線に引っかかりそうな木を切ってくれたのだから、感謝していますとの事だった。昨年の千葉の被害が無ければどうなっていたのかは不明だが。

2月17日(月曜日)
昨晩は疲れで、9時過ぎに寝たら、2時半に目が覚めてしまった。布団の中で「ひれ・翼はなぜ進化したのか」を読んだ。もう半分ぐらい読んでいる。最初は脊髄がなぜできたか?から始まる。基本食べる為だが、食べるには動かなければならない。その動きの為に脊髄が発達したと解く。今は、その動きだが、なぜ左右対象なのか?について考察する。特に節足動物(ムカデ)など、スムーズに動くには、右側の脚は、同時に同じ動きをしない、それは何故か?に文章は差し掛かる。結構興味を惹かれる小難しい本だが、同時に眠気も誘ってくれるから、こうした時には凄く良い。再び眠り6時起床。飯とラジオ英会話。途中で高知の友人が来て中断。農協から保険の契約変更の電話。結局それで昼。昼から、ゲンキョウサマの木こり。お寺さんが、「チェーンソーが使えるきに」それと、「今日はお砂ふみぜよ、はようしまいして来てや」お砂ふみとは、四国88カ所のお寺さんの土を袋に詰めて、88個の簡易お寺を境内の中に設置し、その袋を踏みながら、念仏を唱える行事。88枚のお札に名前を書いて拝む訳だが、今日は時間がないので、PCで名前を印刷し、お札に貼って時間を短縮した。お坊さんの奥さんから、五目寿司があるから持って帰れとお土産をもらう。17:30。急いで洗濯物を取り込み、風呂を焚きつけて、石油ストーブに油を入れて、明日の寒さに備えた。夕刻U君からPC操作の問い合わせ。20:00からお互いPCを開いて操作確認。結局、今日やろうと思った事には色んなバイアスがあって終えた。普段は大概目標一直線の一日だが、まぁゆっくりせよと言う事だろうとうけとめている。

2月16日(日曜日)
雨。6時起き、6時45分出発。今日は高知龍馬マラソンが開催され、市内の至る所が通行止めとなるため、マラソンの始まる前に市内を抜け出そうと、チョット早く大阪の連中を迎えに行った。無事脱出できて、スタバで時間を過ごした。待ち時間に昨日日経新聞で紹介された書籍、「西への出口」を買った。翻訳版は1800円。英文は560円。安い方を買って読んだ。未だスラスラとは行かない。小説の舞台はシリアか、イラクのような感じ。辞書を引くと読める。時間がある時に読み進めよう。一方朝を過ぎると、ランナーは海岸線に出て、店のロケーションはこのマラソンの真っ只中にある。お客様が来たくても交通規制で来れないのだ。だが、来たのだ。高知の人はダメだと言うと余計それをしたくなるからだろう。テクニクス試聴会は主にLPレコードを演奏する。スタイルとしては昔に戻った。LPを再生する機器は300万円ほどする。一方CDを再生する方は30万円。やっぱりLPがいいねと言っても、それには相応の理由もあるのだ。逆にはそこまでしないと、LPは良く鳴らないということかも知れない。僕もみんなも、LPの良さに酔いほだされた。5000枚のLP保有者も来られた。SP盤も持たれているとか。夕刻、WIN-WINで催事は終わり、空港までみんなを送り、僕は道中CoCo壱でカレーを食べて帰った。この3日間大した運動もなく食べてばっかりだったので、左足先がジンジンしているのは痛風かな。

2月15日(土曜日)
テクニクス試聴会は満員御礼の好評。関係者一同喜んだ。店で販売のLP、Sir Georg SoltiのIgor Stravinsky、「春の祭典」も購入できた。夕刻、お店の方と懇親会。9時半解散。寝たのは23時。かなり厳しい。

2月14日(金曜日)
日経新聞で内田日産CEOに対するインタビュー「業績下方修正の最大の要因は何ですか。」
 「販売台数が想定を下回ったことに尽きる。今まで販売の質の向上を進めてきて1台あたりのパフォーマンスは良くなっているが、全体の台数の回復までには至っていない。正直言って、それが想定を超えるレベルになっていた」
主事職の面談練習ではないから、もうちっとマシな受け答えをしたら。こんな回答なら、部外者の私だって出来る。聞きたいのは、「なんで販売が下回るのか?じゃないかな」。わかっている事だけれど、「明かに商品力が落ちている」とCEOだから言わなきゃダメだろう。もう一歩踏み込んだ発言は、「車の設計が古いからだ」。そう世間に公表して、自分の立場を瀬戸際に置く。そこから這い上がるのだ。CEOならそんな回答が必要じゃないのかな!イタリアはミラノ駅前。客を乗せて走り去る車の半数がプリウスだった。トヨタはここまで浸透しているのか?とびっくりした。

もう一つ、武漢の眼科医、李文亮氏(33歳)が死亡した。彼は、奇妙な病気が見られると公表し、政府によって拘束された。これがコロナウイルスの最初の発見だった。過去を紐解くと、中国はこうした些細なことの発端で政権が転覆した歴史を持つらしい、免疫性をもった新たな中国人による世界覇権よりも先に、群雄割拠の中国崩壊が先になるかも知れないのだ。

今日は、そんな事とは関係なく出勤日で、オーディオ専門店シキデンでキャラバン試聴会をするための準備。大阪、東京からのメンバーと合流して、準備した。彼らは石川さゆりの「朝花」をデモに使った、僕は朝比奈隆のチャイコフスキー6番とBill Evansを使った。スピーカーの位置を変えるだけで、音の定位がゴロゴロ変わるのに驚いた。5時半終了し、彼らを市内へ送り届け、僕は帰り道食事をして明日の朝飯の買い物をして帰った。帰るときFMでドナルドフェイゲンの音楽が流れていた。1982年の作品。いい音なので、車のラジオでも十分に楽しめた。

2月13日(木曜日)
午前中は、日記のサイトアップや、ラジオ英会話に費やして、午後は再びゲンキョウサマの木を切り倒しに行った。お寺さんの息子はどうもこの切った木は必要らしく、僕が持って帰るためにこの木を切り出していると誤解されているみたい。僕は木の処分が大変なので「伝承館」に引き取ってもらおうかと思っていた。何もそこまで僕が気を揉む必要は無かったのだ。頼まれた事のみやってあげれば良かった訳だ。もう半分は切ったから、来週頑張れば目処がつく。その次は植えたサトウキビの溝掘りだ。その次は、サトウキビの切り株を覆う作業。そこまでを2月中に終えれば、安心して東京に向かえる。色々あるが、英語に3時間費やすのは最優先事項。

2月12日(水曜日)
昨日の疲れで、7時半まで寝過ごしてしまった。約12時間あまり寝ている事になる。旅の疲れの加算されているのだろう。そして食事の後、再び木こり。電動チェーンソーが動かなくなった。丁度昼時、簡単に昼食を済ませて今度は「山の神様の清掃」に行く。よしかずさんから、「文旦取ってきたかえ?おまんのがは、一番上の畑で一番旨いきにはよう取ってきいや」。雨が降ってきた。山の神様は背の高い木に囲まれているので少々の雨では濡れない。30分ほどで終わり、僕はそれから、再びゲンキョウサマの木こり。かなり切った時、鋸の歯が無くなっているのに気がついた。今朝のチェーンソーの事と言い、妙な感じ。雨も強くなってきたので、後片付けをして終えようとしたところへお寺さんが帰って来た。この奇妙な事を話して、「おはらいをもう一度しておいて下さい。気持ちが悪いから」。「わかったやっとく」。という事で、帰ってきた。体が濡れている、雨ではなく、汗。100円ショップの下着で、ナイロン98%だから、乾かず貼りつくのだ。旅行する時脱ぎ捨てする為に買ったが、いくつかは下着の中に紛れ込んでいる。風呂を沸かして熱い湯に入った。買いものがてら、サトウキビ師匠の家へ、お土産を届けた。逆に色んなお返しを貰って帰ってきた。昨日の英夫さんの家と言い、師匠の家と言い、結構散らかっている。まぁこれが百姓の家だ。男やもめの家は一杯だとはずかしいから、丁寧に片付けと清掃を心がけてはいるが、多分荒いだろうな、それで、疲れてはいたが、少し片付けた。今晩の山の神様懇親会は遠慮して、写真の整理に当たった。LUMIX G9-Proの時間設定が間違っていて、2019年の撮影となり、それに1日日付が早い。混乱しながらHDDに取り込んだ。

2月11日(火曜日)
お葬式。適齢期だろうか?高知に帰ってきて以来、葬儀ばっかり。骨を拾って終えたのは午後3時。急いで帰り、ゲンキョウサマの木こり。今さっき葬儀を挙行してくれたお寺さんも駆けつける。葬儀では、かなり遠い存在の人だったが、今はご近所の人のような関係。5時まで切って解散。

2月10日(日曜日)
せっかく聞く耳を養ったが、今日も英語に接する機会なくこのままじゃ錆びつくだろうなぁ。イタリア行きは28万円で旅費と宿泊費が賄える。安いなぁと言われる。僕もそう思う。でも、現地人と同じように公共機関を利用し、飛行場から市内へはバスを探して乗り込む(10?)。タクシーだと98?(一律)と、ある程度の言語力がないと、安価には済ませられない。だから、とっさに出てくる言葉、突然聞く言葉は準備しておく必要があり、僕の場合だと1日3時間弱の訓練で維持できるようだ。しかし、昨日は寝過ぎてしまい、実は今日も寝過ぎてしまい、早朝の英語の勉強は頓挫。併せて、朝のスターバックスで「ジャズの歴史」翻訳も、先週で持参のページを終えてしまい不可。それで、今日は書籍のThe Water Dancerに着手した。紙ベースなので字が小さく往生した。もはや、私の視力は一旦iPadに取り込み拡大表示するしか手段がなくなっている。日々色々することが多いが、3時間は死守だ。次回はマンハッタンが待っている。夕刻お客様を送り出した後、報告書を書いていると親類のおばさんから、父の兄、死去の連絡。明日お通夜。明日の予定は観音様の清掃と、懇親会だった。清掃のみ行こう。その翌日は葬儀。また、その翌日は山の神様の清掃と懇親会。全ての懇親会は農家の豊作を祈願するお祭りだが、僕を外さないように幹事に伝えてあるため、案内があるのだ。参加してどうなるわけでもない、地元の情報を知ってどうなるわけでもないが、道であった時、きちんと挨拶を返してくれる(参加しなければ返さないわけではないが、僕が近視でよく相手を判別できない時でも向こうから挨拶の合図がくる)まぁそんな事で、父の跡を継いで、席を確保しているのだ。年に12回は多すぎると思うが。今日はNUANCE(4人組女の子歌手)の追っかけをしているお父さんがCDを持って来られた。音楽はパフュームに似ているが、かなり構成がしっかりとしていて、今後人気を博するかもしれない。スケジューを見れば3日に1回のライブ活動だ。主に東京が多い。バンコックも入っている。多分中国もターゲットだろうが、今はやばい。お父さんは横浜から駆けつけた。もしもの話だが自分の娘がどんなに有名になっても、僕は駆けつける事はしないだろうなぁと思っているが、実際の立場にならないと確信的な事は言えない。トランプさんを僕も含めて皆批判するが、僕も同じように、その場かぎりの感情に任せた判断をするのである。

2月9日(土曜日)
5時半のめざましで目が覚めた。ぐっすり寝こんでいた。これで2晩ぐっすりだ。多分今日は大丈夫なはずだ。職場は戒厳令の発令された戦時の如く、全員マスクで防備。マスクは支給もある。ただし、仕事を終えた後そのマスクは着用して帰ってはならぬ!指示もある。取手、椅子の手すりなど人が触れる部分を殺菌シートで拭き、タブレットも洗浄。こうなると、何でもバイキンがいっぱい感覚の神経質になって、トイレでは石鹸で手洗いするから、手が荒れてきた。田舎での炊事の手荒れがやっと治ったと思っていたが、ぶり返しだ。今日はバレンタインが近いので全館上げての対応だ。その為か、普段土曜日午前中は少ない来客が今日は多くて繁盛した。「愛」に関する音楽を演奏する。僕のお勧めはマイルス・ディビスの緊張した出足とビルエバンスの溜めたピアノのスタート=「マイ・ファニー・バレンタイン」だが、そこを理解してくれるお客様は来られず、ビートルズやホイットニーヒューストンに終始した。昼間眠くて食後20分机にぶっ倒れて眠るとスッキリした。やっぱりまだ時差ぼけ?普段は天六まで歩き阪急電車に乗るが、今日はいきなり梅田帰り、散髪、食事、レポート作成、就寝。

2月7日(金曜日)
昨夜は8時ごろ寝て、12時に起きた。イタリアでの時間は午前4時過ぎ(いつも起きている時間)時差ぼけのようだ。仕方ない、本を読んでいたらまた眠くなって、今度は7時半に起きた。これで時差ぼけ解消(と思う)。食事をして日経新聞を読んでゆっくりと出発。先ずはグランフラントの職場に寄って荷物を預ける。ここで意外な事実を聞かされる。「マスクがない」「売り切れ」。「ナイブズ・アウト」を見る為に難波行った。時間まで付近をうろつき、ドラッグストアを物色。やっと地元の店「ダイコク」に高価なマスク3枚450円があって求める。昼飯は丸亀製麺。入って後悔した。中国人で一杯だった、咳をしている人もいた(うどんで咳き込んだかもしれないが)。友人からマスクは効果ない、手洗いが効果。手から移る可能性が高いとの事。それ以降手袋をはめた。映画は、「ナイブズ・アウト」は年老いた人気作家ハーラン(役名)が85歳の誕生日パーティの夜殺される。遺書は看護婦のアナ・デ・アルマス(芸名)に全額(6000万ドル)。事件解決の為に、私立探偵ダニエル・グレイグ(芸名)が雇われる。人気探偵小説家「コナン・ドイル」の手法に準拠している。勿論解決はこの探偵ダニエルが担う。この誕生日に集まったのは家族総員10名くらい。シャーロック・ホームズ宜しく、事情を探っていると、本音と裏事情の違いが浮き出てくる。事件の鍵は看護婦と末っ子のクリス・エバンスが握る。このクリス・エバンス(芸名)は犯人だが、どうも悪役が似合わない。何故なら、正義の味方「キャプテン・アメリカ」の主人公でこちらのイメージが強すぎる。ついでに言えば、ダニエル・グレイグも007のイメージが強く、妙にしっくりこない。最後のどんでん返しは、看護婦がハーランに間違えてモルヒネを投与したと自分で思い込んだことに便乗して、クリス・エバンスが実際殺しを行ったことが明らかにされる事。それまでは看護婦のアナ・デ・アルマスが犯人だと思わせて物語を展開させる事だった。登場人物が少ないので、最後のクレジットがスターウォーズなんかに比べて圧倒的に短かった。昨年に比べて今年はよく映画を見ている。職場のガードマンの女の子に教えてもらって以来だ。犠牲になっているのは音楽を聞く事。

2月6日(木曜日)
今日は日の出を2回見て帰国し宿泊予定の東横インへ向った。そこで洗濯をし、明日からの着替えを確保。荷物を預けて梅田に向かった。旅の疲れを癒そう。街を歩くと、途端にコロナ・ウイルスの脅威に晒される感じを受ける。ほとんどの人がマスク着用し、中には頑丈そうなマスクも見かける。「鉄銃細菌/ジャレド・ダイヤモンド」を読んでいて気づいたのは、歴史を辿れば難病のウィルスは家畜からのウィルスが変形し、人間に感染した経緯をたどるのが過去に見られると書かれている。今回の中国発も同じようだ。そして人間は世代を経て耐性を持つようになると言う。9000年位前から西暦1500年位まで家畜を持たなかった中南米の国々の人々は、耐性を持ったヨーロッパ人との接触だけで、次々と死滅していったとある。15世記の話。その話を延長すれば、今回のウィルスは拡散し、変形し、中国人はもちろん病に倒れるが、生き残った次の世代では耐性を持つかもしれない。そうして、いち早く立ち直った中国人は海外に出かけ、耐性のない現地人を死滅させる。周氏の中国共産党覇権計画よりももっと早く中国世界制覇が実現するかも知れない。今日の癒しは、映画を見ることにした。「バッド・ボーイズ・フォー・ライフ」最新作。(今朝飛行機で見た「チャーリーズ・エンジェル」は2/21からだった。イタリアの映画館でかかっていた「1917」は2/27から。日本封切りは少しだけ遅れるようだな)この映画は、マイアミ警察とマフィアの攻防がテーマ。警察側が正義でウイル・スミス。悪にジェイコブ・スキピオ。ストーリーは出尽くした感があるが、寸刻をおかずアクションがあって、2時間たっぷり楽しめる。映画に何か求めようとすると批判ばかりとなるから時間潰しと割り切る事にしよう。心に残る名作にそう簡単に当たるわけなどないのだ。自分的には随分と身体が臭くなったと思うから、今日から日本食で臭いを抜こうとスーパー「ライフ」のお惣菜で野菜中心の夕食を済ました。夜は眠いながら、Amazonプライムで「レオナルドダビンチ迷宮と謎」を見る。Amazonファイヤーで、ダビンチの書籍を読んだから見てはどうかと案内があったからだ。僕の事を覗かれている恐ろしさと、数万本の映画の中からぴったりの物を案内してくれるのはありがたい気もする。その他に「ダビンチ・コード」も候補としてリストされたが、これは見ている。映画は、たった今、訪問してきた街の建物や、頭に刻んだ絵画が出てきて嬉しい。


2月5日(水曜日)
帰国には何も起きないで欲しいと祈りながら5時半にホテルを出発した。マルペンサ行きのバスを見つけ、既に買ってあるチケットを見せた。その兄ちゃんは「コップンカー」と言った。Not Thailand。I’m Japanes。空港で登場手続き、免税品の払い戻し。荷物検査。無事通過。出国審査?荷物検査の後は土産物屋ばかりだったのだ。パスポートコントロールを見つけ行ったら、ここじゃ無い、Aゾーンへ行け。Aゾーンは乗り換えカウンターのある場所だったのだ。ルフトハンザのミュンヘン行きはA07だった。そこへ急ぎ出国手続きをと思ったが、「無いのだ」単なる、チケットゲートだった。これはおかしいと引き返し、インフォメーションを探すと、インフォメーションと書いた一つのディスプレイがあって、その中に、案内のおばさんがこちらに向かって座っていた。尋ねたら、やっぱりダイレクトにA07に行けと言う。ここでは出国審査はしないんだ。そこで時間まで待つと、今度は飛行機が故障して飛ばない。50分待ちだと言う。嫌な予感だ。取り敢えず飛行機は1時間20分後に飛んだ。スッチにKIX行きに乗れるのか尋ねると地上で聞けと言う。ミュンヘンで出国審査をして乗り換えるには時間が足りないかも知れない。12:20出発予定で11:20着。ここでメールを開くと、ルフトハンザからメールが入っていて。ゲートはK38と案内があった。そこに向かうと、出国審査があった。なんとイタリアはドイツにそれを任せている。いかにもイタリアらしいではないか。出国審査は5分で通過。40分の余り。20分で赤ワインとポテトフライ(英語ではフレンチフライ)13.8?。高いが国際空なのでそんなもんか。毎日5?でおつまみ付きを呑んでいたからこの差額に少し怒りもある。H38に20分前に着くともう搭乗が始まっていた。帰りもエアバスA350、羽の先がちょこんと曲がっている。帰りは「銃病原菌鉄」この本は人類が活動し始めた氷河期以降13000年前から、1500年(「ルネッサンス」の時です)までの間に、人類が住む地区によって、文字や、狩猟生活、農耕生活などに大きな差ができたのはなぜかを紐解く書籍。知識を蓄えたかと言って何の役にも立つわけでないが覗いてみたい興味がある。大阪までの飛行時間は10時間で他にすることがないので、ホントゆっくり読書に没頭できる。高知ではあれもこれもと次次にすることが湧いてくるので30分が限界だし、夜は気持ちが緩むので直ぐに寝てしまう。読書の他に映画「ジョーカー」「チャーリーズ・エンジェル」を観た。ジョーカーは最後に自分が言った「わけわからん」と言うセリフ。僕も同じ、この映画を理解できなかった。バットマンのブルースについてはいろいろと描かれているが、ジョーカーの生い立ちは紹介がなく、ここらで1本作っておこうとしたのか。それでジョーカーがなぜ、悪の世界に落ちていったのかのストーリーになったと言うことか?もう一本は、最近のアメリカ映画の例に倣って、裏切りと、そうでないのが渾然一体となって、正義が勝つ。女の子が主役で、芝居が臭いが(エラ・バリンズカが特に)、アクションが連続するし、美人揃いだから許してあげよう。

2月4日(火曜日)
今日は早起きして、食事も簡単に済ませ、トリノ行き電車のチケットを買った。今度はオープンチケットで、どの列車に乗って良いのか不明。それに刻印を打つ事も知らなかった。駅員を探しまくってフリー席だとやっとわかって、2等の列車に座った。でも、こうして長い旅をしていて、一番充実している時間は、やっぱり、好きな本を開く事だったと気がついた。だから、無意味にお金を使って遠くへ行く必要などないのだ。ホテルで本を読んで過ごせば良いのだ。それはそうだが、天気も良いし、せっかく来たから勿体ないし、訪問をさっさと済まし早く帰ってきて本を読めば良いじゃないか!と言う事で、トリノについたのが9時半位。観光地の「モーレ・アントネリアーナ」を目指す。徒歩でも可能だが、膝を労ろうとバスを選択した。チケット屋で二枚買って、56番のバスを待った。バスは結構混んでいたのでスリに合わないように用心した。前に座っているお婆さんが、「私は次で降りるから、ここに座れ」とイタリア語で話しかけてくる(と推測)そしてそのように行動されたから、着座した。Google マップを入れっぱなしにして、降りる駅まで凝視した。バスはベンツで、オートマチックの割に切り替えショックがほとんどなく流石と思った。しかし、トリノの街並みは石畳なので、突き上げは凄い。問題なくバス停で降りて、ポー川をもと来た道に引き返し「モーレ・・」に向った。このポー川はミラノを流れ地中海に注ぐから、カヌーが有ればミラノに戻れるわけだ。「モーレ・・」は閉まっていたが、外から撮影しただけで十分だった。バスに乗っている途中ここが中心地だと気がついたのは「カステッロ」だったので、そこまで徒歩で戻った。トイレも兼ねて、高級そうなレストランに入った。ワインを注文したら、おつまみも一緒に32のレシートを持ってきた。普通ワインは5?だが、結構するな。まぁこれも勉強だ。ワインは結構コクがある。何処で飲んでも美味い。精算に向かったら、32はテーブル番号だった。料金は10?だった。何だ!驚かすなよって感じ。地図を見ると、トリノ王宮博物館があり、観光地の一つなので行ってみよう。その右手にはオペラ劇場があって講演予定のポスターが(リゴレット)掲載され、音楽が流れていた。博物館は15?。貴族と言うか王様の所持品を展示したもの。その豪勢な建物に度肝を抜かれた。エントランスの天井高は、多分50m位の吹き抜けで、大きな絵や彫刻が配置されてある。そしてチケットをもぎるゲートを抜けると、王様の間とかが続く、何も天井高は10m位かな。広間の絵画もそれに近い。他の観覧者に写真を撮ってもらったが、生憎と絵と僕だけとはならず失敗だった。天井の絵や彫刻、彫り物がすごくて、係員に聞いた(Google翻訳機のイタリア語で)天井の材質はなんですかと指で示した。そうすると、赤色の木を使っていると。僕はてっきり銅では無いかと思ったが。別の部屋では、絵の額縁は本物の金ですか?その人はイタリア語がわからないと言われたので、英語で聞いた。本物だと言う。凄い量だ。金閣寺並みだ。でも、ロウソクをこんなに多く使うと金色が汚れるのではないか?当時はどう処理した?召使いが拭いたと言う。あんなに高いところまで拭くのか?多分(自信無さそうだった)ダイニングルーム、謁見の間。まぁ凄いの一言で片付けられない豪華さ。日本のお殿様もそうだったろうから甲乙つけがたいが、セレブの世界を見せてもらえた。後は、絵画が連綿と続く、宗教画。17世記まで。全てをカメラに収めたが、外光があり、光って見えない絵も多かった(次回はPLフィルターが必須)。全部見るには5時間くらいは必要だろう。僕もノンストップで3時間。帰りの電車の事もあるので、ここら辺で終えることにする。トリノはとても良い街だ。北にはアルプスが直視できる。ここの町はもう一度来たい。ゆっくり歩いてワインを呑んで、毎晩オペラを見て過ごしたい。駅には徒歩で向った。何と家と家の間をくり抜いて電車が走る。天井のある歩道は(日本のアーケード様)、何処で撮影しても絵になる。マンションの屋根にはいくつも煙突が出ている。多分各部屋に暖炉があるのだろう。駅手前でワイン。ここは爺さん婆さんがやっていた、その割に、店名は「ノストラダムス」と凄い名前がついている。ホワイトワインがなかなか通じない(ワイトワインでやっと)。小さなワイングラスになみなみ注いだものと、しょっぱいピーナツ。これは絶妙の組み合わせ。調子に乗ってもういっぱい行きそうだったが、ここは自制。2.5?。帰りの電車は来たのに飛び乗った。果たしてこれで良いのか不明だが、検札の車掌が回ってきてOKだった。ミラノまでほとんど左手にアルプスを眺めながらの列車の旅。1/3から上が真っ白だった。ミラノ駅のスーパーでお惣菜を買ってホテルで食べる。このお惣菜は全て野菜。野菜に飢えていたからだ。

2月3日(月曜日)
時差の関係で、朝起きて食事時新聞を見ていると、夕刊も届く(日経新聞電子版)。朝夕を読み進める。コロナ肺炎がものすごいことになっている。がここではマスク着用はいない。今日から急に中国人が増えたような気がする(ニュースではローマに中国船が到着)。昨日は結構ハードだったので、今日は体を休める為に12時までホテル。それから、City Lifeショッピングセンターに出かけた。そこにはカルフール(フランス系のスーパー)があった。スパゲティでも買って帰ろうかと思うがちょっと荷物になりそうで中止。巨大なフードコートがあったので覗く。イタリア人に人気の繁盛店は、メニューが読めず、翻訳機での交渉も忙しそうなので難しいそう、結局このあたりが個人旅行の限界かなと思った。地下鉄切符の有効時間内(90分)に再び帰りの電車に乗って、Garibaldi FS下車(ほぼ中心地)。ブレラ植物園まで徒歩(ここは屋外のみ、甚大寺植物園と同じ)。マンハッタンもよく歩いたが、ミラノもよく歩いた。そこから、ドモウに再び歩いて帰ろうとする途中の事。「ボルディ・ベッツォーリ美術館」が目に前に現れた。ダビンチの絵があったので、入場。ここではっきりと自分の中に火がついたのがわかった。「絵画に目覚めた」のだ。今の趣味範囲は広いが、さらにここに1つ加わった。この好奇心はどうしようも抑えがたい。とりあえず写真に収め、解説は書籍で間に合わそう(幸運にも英語版があった、美術の解説は割と安易な解説で読めるのだ)。24?。今朝は本屋でブレラ美術館の書籍を買った。こちらのみイタリア語だが年代と作者タイトルが分かれば何とかなる。写真を4K16:9に編集し、55型の有機ELで鑑賞。コメントも入れると岡村美術館が完成する。ちょっと時間がかかるが完成させる自信はある。でも次次に湧いてくる好奇心が抑えられず、ダビンチのように、途中で放り出して次の興味に行ってしまう可能性もありだ。絵画については今日の2冊を含め4冊の書籍を買った。早めに切り上げて帰宅。スーパーで買ったお惣菜で祝杯。沢木耕太郎「藤圭子インタビュー記事」を読みながら頂く。今回の旅行用にいくつか趣味の書籍を持ってきて、一番この場に合う本を開いて読むことにしている。それが「流星一つ」(先の本)だ。ずっと昔のこと、高松に住んでいる時、大分へ友人と旅行に行った。僕は高松から車で、友人は飛行機で、別府で落ち合った。その時も気分によって読む本がなくては不自由すると、車の後部座席を結構埋める書籍を積んで行った記憶がある。メインは宮本武蔵だった。今回は10冊位持参したが、電子版なので重量に変化はない。旅行はおいしいものばかり食べている気がするから、帰って仕事が大変かも。(食べ物じゃなくて好きな事の意味)

2月2日(日曜日)
ダビンチの「最後の晩餐」は確かにこの目で見て感銘を受けたし、壮大さも理解した。しかし、前にも書いたように頭にこびりついた「絵」のイメージが違うのだ。ミラノですることが無いから、ネットサーフィンをしていると、他にも最後の晩餐があることが判明した。しかも、第一日曜日は入場が無料との事。ブレラ博物館だ。地下鉄はお手の物だが、今日初めてイタリア人から、ドモウに行くにはこれで良いのか?聞かれた。路線図を示してOKだと答えてあげた。開場の15分前8:15に到着した。まだ並んで無かった。一番乗りで入場した。最初に目指したのは、その絵。そして、確かにありました。イエスが中央で周りにいっぱいの人(12人の弟子)がくっついている絵。しかもテーブルは縦方向。僕の記憶に間違いない事が判明した。アイザックソンのダビンチを読み始めて以降、妙に違和感があったのが、ここでスッキリした。人が一杯にならないうちに写真に収めた。作品点数が多く、後で書籍でも買おうかと思っていたが、土産物屋は無かった。書店で探すしか無いのかな。ここで見たルネッサンスの絵画を総括すると、やはりキリストの生誕と死だった。つまり、この時代に花咲いた文化は、キリストへのより深い思い込みみたいなものだろう。それに需要があって供給がなされたのだろう。2つ目は、イエスの顔はダビンチに代表されるように、結構穏やかなふっくらとした顔つきが多い(中には鋭い締まった顔もあるが少数)3つ目にはマリアの顔つきはほぼ似通っている。4つ目には、赤子のイエスの目は笑ってない。退館したのは10時だった。何をしようか?そうだジェノバにゆこう。時刻表を見れば11:10がある。急いでチェントラーレフランチェスカ(ミラノ中央駅、最後のフランチェスカのみの案内もある)に行った。切符を買ったが、一枚目の切符の意味が不明。列車番号はわかるが、何号車か不明、駅員に聞くが車両号数を誰も教えてくれない。そして、電光掲示板にも列車番号の表示がない、再び駅員に「最初の2桁は省略だね」。そうだ。日本は生産性が低いが海外は総じて高いと言うものの、非常に分かりにくいのだ。ジェノバでも、地下鉄に乗ろうとするが、切符を売っているところがない。諦めて旧市街を歩くことに、行き先は水族館。27?。高い。4階層で展示と言うか展開されているが、その割に見にくく種類もそれなり。別府で見た水族館より格下。暑かって喉が猛烈に乾いたがコーラー450mlが1000円だったので、この水族館を見限った。外に出ると、豪華ヨットがあった。100億円はするだろう豪華版。ジェノバは金持ちが多いのだ。丘に連なるコンドミアムを見ても、それ相当な建物だし、そこを散歩する人も相応。丘に登れば街が一望できると頑張ったが、建物が高くてなかなか見渡せない。諦めて帰りがけに急に展望が開けた場所があったが、曇りの夕刻で、絵葉書のような写真は望むべくも無かった。駅前のスタンドで水とホットドック(ピザ風)を食べた。6日間毎日ピザを食べているが飽きないなぁ。ミラノ駅に着いたのが8時。急いでM3の地下鉄でザラ駅に行く、そこから徒歩でブルーノート ミラノへ。自由席だった。チキンサラダとビールは美味かった。演奏は、Jeff Parkerクインテット。シカゴで録音してきたばかりと言っていた。最初は音がバラバラでこれはと思っていたが、2曲目からは纏まってきた。演奏は総じて、スロースタートでだんだん燃え上がり、最初に戻って終わるスタイル。ギターはウエスモンゴメリほど流暢ではないが、リーリトナーに近いキレがある。褒めてあげなければならないのは、サックスのJoshua Johnsonでキーボードと併せて、ソニーロリンズほどではないが、少しだけ渋みを出していた。1時間半、結構観客を引っ張った演奏をしていた。僕の方も、スコッチウイスキーに切り替えて、やや頭を混濁化して音楽を聞き入った。テクニクスの高級機で素晴らしい演奏を聴き慣れているので、生はいいねと単純にはならない耳になっている。繊細さや息遣いはもうハイレゾが上回り、ダイナミックレンジの大きさだけが生の良さになっている印象だった。最後に握手をしていい演奏をありがとうと握手した。50歳を超えるおっさんなのに手は湿っていた。

2月1日(土曜日)
雨?曇り。僕は晴れ男だから、あまり雨に合わない筈だが今回は異様。それに疲れてもいたので、朝食の後、11時半まで寝てしまった。初日から興奮していたので疲れが出にくく、それに列車の移動もあってそこで寝ていたのもあるから、いつのまにか時差が消えていた。しかし今日はすっかりこちらの時間に身体がリンクした。それで午後の中途半端な時間にあうぴったりな出先は、レオナルドダビンチ記念国立科学博物館へ行くことにした。だんだんとミラノの地理感覚がわかってきて、地下鉄で近くまでゆきそこから徒歩の選択ができるようになった。(今までは兎に角ドウモまで行き、そこから長い時間歩いていた)この博物館はイタリアの科学とダビンチの科学の併設のようなモノ。ダビンチはだいぶ知識を充填したので、展示物も大体が判明つく。織物機まで発明してたとは今回が初めて。飛行機に関しては、ドウモにある、レオナード3と言う展示館に作品例が多い2つで完成するような感じ。残りの展示品は、船、飛行機、潜水艦、蒸気機関車、発電機などイタリアの科学が詰まっている(見るべきものはない)。そこで総括すれば、歴史に残る科学物と言えば、ドイツやアメリカ、日本が先導してきたと思うから、イタリアがあえてこんな展示館を併設する意味が不明。でも、15世期にどうしてイタリアでダビンチのような世界最先端の科学者が現れたのだろう。それがここを訪れての1番の疑問となった。又、アメリカもイタリアも、ドイツも、民家は多くが集合住宅で、道路の際まで外壁があり、反対側に共有の庭があって、そこは、住人でないと見ること、入ることができないのだ。つまり、リビングは庭に面している。□型住居だ。日本だと入り口は道路に面しているし、道路からやや距離を置いて庭や木の小さなスペースの後ろに建物が立ち、リビングの窓は道路に面している。どうしてなのか?を常々考えていたが、フィレンツェの15世期の大きな見取り図をここで眺めていて気づいた。それは、ヨーロッパの町は、町単位で城壁があって、その城壁の中に生活の拠点があったからだ。その精神が連綿と現在に続き、集合住宅の場合は、近隣の住宅と併せて、この城壁を構成するようになってたのだ。それと、この街も、フィレンツェも、高知と同じで、昔の遺臣、つまりダビンチや龍馬で食っている。そして現在のCGを駆使して、偉業を分かりやすくタッチ式スクリーンで解説する。子供たちは、内容よりもタッチスクリーンの仕組みに興味を奪われる。街に未来志向が見えないのが寂しいですね。その後、Cairoi Castello駅まで歩き、有名なスフォルツェスコ城を撮影し、その前にあるパン屋でピザ2切れとワインを注文した。14?。相変わらず美味い。困ったのは、もうほとんどミラノですることがない。

1月31日(金曜日)
朝起きて今日は何をしようかな?7時まだ外は暗い。日記を書き上げ8時。何と今日は晴天ではないか!そうだフレンチェに行ってルネッサンスを見よう。朝食を多めにかき込み、切符売り場に向った。前回はHISで切符を手配してもらい、電車の乗り方とかも教わったので、今回は一人で買う。往復切符を買った。2等車で良いか?OK。これは前回の教訓が生きている。日本人か?Yes。「ありがとう」と言われた。フランチェスカ号(多分日本の新幹線の意味)でフレンチェに向かう。何とこちらは雨だった。ようわからん天気だ。サンタマリア・デル・フィオーレに向った。高い天井に絵が描かれている。G9proを買って良かった。暗くても手ブレが効ききちんと撮影できる。もっと荘厳なものかと期待するがちょっと外れ(音楽は重厚感のあるものが流れていた)。でも建物の外観は凄い。次にウッフィッィティ美術館へ、これは失敗。本物はウフィツィ美術館だった。30分の損失。だがここで、自分の旅に対する分析が出来た。と言うのは、この道は両側に一杯の小売店が立ち並ぶ、中には旧聖堂を利用した店もある、こうした店を一つづつではないが覗くと、面白いし、店の人と話せる。店の人も、どうしても売りつけてやろうと気構えるが、暇だしちょっと話でもしてやろうと言う気になるらしく、結構話せる。実はこれが自分にとって一番面白い事だと感じた。特に、アジア的な市場のような店の集合は尚更楽しい。英語が通じなければ、翻訳機で会話できる。「半額」だと店のおっさんがイタリア語。翻訳機で会話。やっとわかった自分発見に時間を割いた。さて、ウフィツィ美術館は壮大でメトロポリタン美術館に並ぶ大きさで、とても半日では無理。感動は記憶できないからカメラで撮影し、足早に回った。天井の絵も凄いが、最初だけで後はパス。ツアー客はポイントの絵の前でガイドが長々と話すので写真が撮れない。僕と同じ意図で撮影しているおっさんがいた。キャノンX1mark2だった。長いレンズを使っていたが、至近距離で撮影していた。ダビンチとミケランジェロは飛び抜けて精緻。ここでダビンチの作品3つとミケランジェロの作品1個を見る(撮る)。現物は意外と大きい。後一人評価に加えなければならないのは、サンドロ・ポッティチェッリ。知らない人だが多作で精細感がある。ダビンチのように遠くをぼかすテクニックはないが。端おったので、パンフレットと言うか解説の書籍(英語、イタリア、フランス、ドイツ、そして日本語)があって、日本語版を買う。29?3500円。どう考えても安い。日本では中古本で入手可能。帰り際、ピザをコーラで流し込んで、電車の中で本を読む。読むと言うよりも眺めた。記憶にない絵画もあった。見落としだ。書籍よりもカメラで撮影した方が綺麗だった。電車は眠くて目が開かず、何度か居眠り。向かいのイタリア人も結構居眠りしてたので服装や靴を見て判断し、僕も本格的な居眠りに突入。ミラノ駅前のバーでサラダとビール。何でこんなにビールがうまい?

1月30日(木曜日)
旅の疲れも出てきて朝がだるい。11までホテルに居た。その間に、ネットでブルノートミラノを予約した。シアター系は殆どが劇で、イタリア語の分からない僕が見ても楽しくはないだろうと判断。ここでの音楽関係は2つだけにしよう。ホテルを出て目指すはダビンチの「最後の晩餐」ドモウ駅から歩いたので12時半に着いた。チケットを買うと15:30のツアー。一旦ドモウ駅に帰り、あの背の高いドームのある商店街で買い物。グッチを覗いたが、関空で見た良い品は見当たらない。並びのBric'sに娘の要望に近いものがあり購入。免税の手続きをしてもらったが、空港での作業が大変だ。それから、ホテルに帰り荷物を置いて、サンタマリアdelle grazieへ出かけた。今度は地下鉄を乗り継いだ。「ダビンチ/アイザックソン」を読んでいたので、ガイドの英語は殆ど10%以下の理解だったが、まぁ意図はわかった。第二次大戦で崩れた時とか、それ以前にフランス軍、トルコ軍の襲来で無残な姿になったものを、一個一個修復したと言う事をそれぞれの事例を踏まえて話をしてた様だ。書籍のアイザックソンの解説で見る角度によって動きが感じられるとあったので、時間の許す限り、移動して見た。当時こんなにも大きな絵を、しかもコンセプトは、イエスが言った、「この中に私を裏切った人がいる」その衝撃を受けて周りの弟子たちが騒ぎ出した瞬間を絵に留めた事だ。何とそれが、大きくてもきちんと表現されているのだ。よく観察するとイエスの顔はちょっと気が利かない風の容貌だ。鋭い視線を持つと、「許してあげる」神の御心の内にある包容力と矛盾するのだろうか?そこが妙に引っ掛かった。カメラ撮影禁止の立て札があるが、ガイドはフラッシュを焚かないでと注意しただけ。みんな撮影している、さすがイタリアだ。僕の中で、最後の晩餐はミケランジェロ作の記憶だったし、同タイトルの絵は楕円型のテーブルで縦方向だった記憶があるから、全然違う。でも、内容はイエスを見送る夕食会だったので、タイトルとはそんなに遠くないのだ。一体記憶の中にある絵は誰の絵だろう。併設の本屋さんでダビンチの本を買った。多分こんな写真集だったら3000円は下らないだろう的なすごい本が12?。やはり広い市場に売ると単価が下がるのか。アイザックソンの書籍では、ダビンチの得意とする精緻を極めた巻き髪の意味がよく分からなかったが、この本では圧倒される筆使いが伝わってくる。例えカメラがあったとしても、背景の処理がどうにもならず(背景は創造が強い)これは何としても絵画しか表現できないと思った。凄いモノに触れたと思った。それからホテルに帰って仮眠。7時にスカラ座に向った。流石に夜は冷えて厚着が成功。席は7列目のやや右側。始まる前に手を叩き反響チェック。1秒以上の時間がある。それにしてもこの5層となる客席の荘厳さはどうだ?舞台に立つとそれに圧倒される。オケのピットは浅く奥行きが長い。ロミオはビットリオ・グリゴロ。ジュリエットはダイアナ・ダンロウで、2013年のメトロポリタンのBDと同じだった。舞台演出もほぼ同じ。それで、ストーリーとシーンの記憶に差異がなく、頭の混乱はない。しかも、前の席の背に字幕があるシートだった。英語訳を見ながらだったので、2重の意味で混乱はなかった。オケの音が大きすぎるのは、平面の席の影響か?それと、音像が右に集中しているのは(もはやと思うが)PAが入っている為?バイオリンも右側だった。舞台はこの上なく綺麗で、大きくて広い。大仰な手足の振りはイタリア人でなければできないし、何度もキスをするその当たり前さもイタリア人ならではのもの。一般庶民も電車の中でも頻繁に練習している様だらか練度は高い。それと、当たり前ですがシーンと音楽がよくあっているのに感動した、感情の起伏に音楽がピタリと寄り添うのだ。今まで、ビデオで何本もオペラを見てきたが、こんな見方は出来なかった。何という発見。例えばロミオとジュリエットの別れのシーンでロミオがひばりが鳴くからもう朝だと歌うシーンでは、楽器によるビバリ(擬音)が微かに流れて来るのだ。極上の芸術に触れました。休憩時間に背の高い着飾った紳士淑女に挟まれて、ワインでなくオレンジジュース5?を飲んだ。僕も一応ブルックブラザースのジャケットにユニクロのシャツでネクタイを着用していた。パンツはユニクロの風を通さないジャケットと同じ色1980円で仕様は気にかけた。隣の席のご婦人は常連で、あちこちに挨拶(チャオの親しい挨拶)をしてた。大満足で極寒の屋外にでた。ドモウの広場で躓き、顔から落ちる怪我をした。12時前の深夜だったが、人通りが多く何とか帰れた。


1月29日(水曜日)
深夜12時半に目が覚めた。それでも4時間くらいは寝ている。起きて、昨日の事を書いていたら、腹痛。何度もトイレに走った。どうやら昨夜食べたスパゲティの短いやつに大量のオリーブオイルを使っていたが、それが悪さをしたのかな。次に目覚めたのは5時半。ゆっくり着替えて、6時半に朝食を取ってミラノ駅に出かけた。列車番号を確認し20分前に乗り込んだ。出発してから7分くらいは線路を跨ぐため時速20kmくらいの走行。それから30分経つと時速270km迄速度を増したが直ぐ100km代に落ちる。座席は2列目だったので揺れるかと思いきや、非常に安定している。7:45地平線から太陽昇るが窓が汚れていて写真にはならない。途中ベローナで停車、音もなく出発する。この辺り牽引車方式のメリットかな。列車に関してはともかく大きい。東北新幹線のMAXクラス。空力抵抗が大きく速度的には厳しいはず。一方で室内幅が狭いのか4列座席。ベローナを過ぎるといつの間にか霧の中を走る様になっていた。この霧はベネチュア迄続き、13時まで晴れなかった。30分遅れでベネチュア着。新幹線では考えられない。一方で、運行計画も大きく狂うからむしろそちらの方が大変だろうと心配してあげる。勿論遅れた理由などは放送しないし、詫びもしない。駅の真前に運河、霧の向こうに薄らとサン・シメオン・ピッコロ寺院。これを左手周りに行動開始(スーパーでの買い物と同じ)。狭い道に多勢の人。それなりに雰囲気はあるが、少し歩けばもう飽きた。霧で太陽がなく寒い。住民のおばさんに出会って会釈。観光客に対してこの態度の根源は何だ?裕福なのかな?家は壁が剥げ落ちる様な集合住宅ばかり。だが、内装は綺麗だろうなと想像できる雰囲気がある。運河に面した1階の住居は湿っぽくないか?心配するが、改装工事で1階の床を剥ぐった所を見れば、そうでもなさそうだ。運河を行く運搬船の運転はうまく、辻では一旦停止し、大きな船は蛇行を前提にカーブの舵を切る。又背の低いアーチ型の橋をくぐる時は、頭をかがめて通り過ぎるのは、慣れた仕草。昼飯は抜こうと思っていたが、あまりにも食欲をくすぐるパン屋さんがあって、勿論お客様も多く、安心して入った。こちらは、どうやらスモークベーコンが主。それとチーズ。キノコ。海藻類は無い。野菜は相変わらず新鮮だが虫食いはない。外国に行くと全く日本食には感心が無くなるのが利点で、全く問題がない。そして、イタリアの味はよく合う。まだハズレがない。大阪と同じ。もう一つ共通点は、愛想が良過ぎる点。サンドイッチにするパンはフランスパン風の焼き方。長い歴史なのか焼き方がこなれていて、冷めても美味しく食べられる。例えば石畳さえも、はるか昔のローマ時代から続く石のような気がする。そんな歴史を何もかにものに感じる。建物は流石に多分15世紀からのものだろう、ローマ帝国におけるキリスト教公認は5世紀位からの歴史なのに、壁に塗られている絵は、キリストの生誕にまつわるもので、建物外壁にはローマ帝国時代の偉人の胸像が多用され、しかもそれはギリシャ文化の血を引く感じで、「借り物文化」だと思う(間違っているかも知れないが)でも歴史の中で収斂されたかなとも、この雄大な建物を見ていると感じさせてくれる。まぁそう言われば、日本の文化だって中国渡来だから許してあげよう。サン・マルコ寺院に着いた所で霧が晴れる。圧倒される巨大建築で、ベネチュアの富が詰まっている。昔は商業都市として10世紀から15世紀の間繁栄を謳歌した。あの頃はどんな風景があったのだろう?高知の土佐清水の友人宅に泊まりに行った事があるが、やはりそこは密集住宅で、裏木戸が隣の台所にくっついていたような漁師町だった。ベネチュアの家の密集度もほぼ同じ。人一人が通れる路地が延々とある。世界の観光客を集めるが新規性は無い。ただ昔を忍ぶだけ。だから、喫茶、軽食、バーなどでゆっくりと時間を楽しむのがここの流儀だろう。岐阜の友人にこの街は面白くないとメールしたら、喫茶店で人の動きを見ろと返信が来た。唯一あった生鮮食品の店に寄った。スモークの肉がメインだった。りんごやバナナは日本と値段が変わらない。チーズは雪印の丸いパックの様な物2つ分で1200円位だから、結構高い。オリーブオイルが安い(500mlが600円位)。オリーブのピクルスを1瓶買った。ここは複雑な迷路だがグーグルマップで間違いなく目的地に行ける。昔だとこうは行かず良い時代を迎えたと思う。その代わりスマホ多用でバッテリー切れ。20000mAのモバイルを接続充電開始。道で売っている「絵」は見事な構図。でも絵自体は、ニューヨークのメトロポリタン美術館前で屯している絵描きが上手いかなと思った。NO PHOTOと書いてあるが、その価値はない。運河を跨ぐ橋が随所にあり老人には厳しい。そこに黒人のニイちゃんが帽子を抱えてお金を要求している。ずっと見ていると、自転車でやってきた老人がこのニイちゃんを呼び止め、自転車向こう岸まで運べと言った(アフリカン マンと呼びかけた)そうか、2つの意味で彼らは稼いでいるんだな。でも、なぜこんな不便なしかも観光地に住むのだろう。日本の観光地と違って、家には外に対して庭はなく壁でシャットアウトし、内側に(つまり見えない側に)、各家々が空間を共有しているから、あまり気にならないと言えばそうかも知れない。まだ時間はあったが、1時間半前に駅前に着き(30分前にはホームで待たなければやばいこともある)近くの居酒屋。とても雰囲気のある居酒屋で一杯飲む事にした。結構外で飲んでいる人がいたが、僕は室内の暖かいのを所望した。先ずは、ビール。ビールだけならメニューを下げると言われたが、後で注文するから置いといてくれ言うと、いかにもイタリア的、大仰な仕草で了解された。これを日本ですると、「あいつは軽いやつだ」とみなされる。しかし、女は「愛があると誤解するかも知れない」次はワイン。やっぱり美味いぞ。仕上げにサラダ(イタリアのサラダはパンがつくので結構これだけで行ける)トイレを借りた後退出。外はまた霧だった。電車は既にホームにあり乗り込んだ。シートが上手く身体に合わない(身体が小さい為)。到着は5分遅れだった。

1月28日(火曜日)
ホテルには朝飯が付いていた。食事の後、本を読んで少し寝た。一人旅はこうして時差ぼけを克服できる。霧雨が降っていたが11時に出かけた。先ずは駅でSIM交換。30?で15G。普通2G/月も使ってないので問題はなかろう。そしてミラノ散策の本。英語版を買った。優しい英語で読める。地下鉄の路線図も付いていた。先ずは、明後日のオペラ鑑賞に際し地下鉄の帰り方を学ぶ。約40分の徒歩距離だが、深夜は危ないとの事。それで逆方向だがミラノ駅からドウモ(あの有名な建物のある)駅まで乗ることにした。切符の買い方がわからない。人のするのを見てやっと習得。だが乗った電車は、別の方向に走ってしまった。グリーンのラインの電車だった。カドラナ駅で降りて、赤ラインの電車に乗ってドウモで降りた。この建物は圧倒する様な異様な大きさ。16mmレンズを持ってきて正解。それに続くアーケード街。有名ブランドが並んでいる。有名ブランドはみんなイタリア人の名前だったのに気がついた。確かに、このアーケードも他では見られない芸術性を備えている。ラスベガスの天井の照明が刻々と変化するアメリカ方式と比べて、品格と歴史と文化を感じさせる。そこを抜けると、レオナルドダビンチ展があった。早速入るとなんと、書籍の挿絵で見た彼考案の道具、兵器から、人力飛行機、有名な今は存在しない馬の鋳造方法など、彼のメモから再現した現物が実現されていた。それは実に納得する構造で、人力飛行機なんか、古人の戯れだと一笑してたが、現物は現在の友人カイトとほぼ変わらない大きさで、羽の形状は鳥の羽を模して後方が波型に切れ上がっていた。もしかしたら飛べたんでは?と思わせる説得力がある。人体の解剖図も精緻で現代科学を持ってしても甲乙付けられない。背骨の終端が尖っているがその先の保護はどうなっているの?と常々思っていたが、これを見て納得(骨板の間で自由になっていた、その先に尻尾があってもおかしくない構造だった)500年前の出来事。凄い人だったんだ。行き交う人々を見ていると、グラビアから抜け出してきた美人が多い。モデルさんの撮影にも遭遇したが、別にプロのモデルさんでなくても匹敵する美形がゴロゴロしている。そして当然ながら男もすごい美形だ。これではゲイがいても仕方ないと思わせるような美形で、ダビンチもホモだった。この展示会場の向こうにスカラ座があった。そこから路面電車に沿って散歩。この電車はサンフランシスコのお下がり。路面は石畳。歴史は不明だが、かなり長い間利用された石畳だ。タクシーは圧倒的な数字でプリウス。随分離れて、ベンツ、VW、フランスのクルマと続く。娘のお土産を買った。Stradivarius(バイオリンの名機)のブランドがあって、店員が綺麗だったので買った。サイズと告げたのに購入すると数字と間違えた様だった。補足して納得。4時がきたので昼食と夕食。スパゲティとサラダと赤ワイン32?。赤ワインは少し渋みがあり、噛み締めるとコクがあり、時間が経つとまろやかになって、実にいい感じ。パスタは大量のレモンがかかって隠し味ではなく、味の流れを変えていたほど。日本ではこれに匹敵するのは柚子の酢でしょう。サラダには結構多くの味のない丸いチーズが使われていた。野菜は新鮮だが、殆どに虫食いの跡がない。農薬漬けだろうと推測。出ると4時半。青空も見えてきた。明日はベネチュアへ行く予定だから天気回復で安心。サンモリッツはスキー場だから、面白くないらしい。帰って本でも読もうかと思ったが物凄い睡魔でそのまま就寝。

1月27日(月曜日)
目覚まし時計で起こされた。いつも起きる時間なのに寝込んでしまった。天下茶屋の南海電車ホームで待っていると僕の後ろに中国人が並んだ。彼らは大きな透明の袋を一人づづ持っていた。中身は「純日本性のマスク」だった。それを指差してにっこり笑うと、相手も同じように返してきた。コロナウィルスは大変な状況なのだと言うことを知った。関空ではまたもや出発時間までゆっくりと過ごしてしまい(と言うのは理由があって、娘から頼まれたお土産の鞄を見てた、国内価格よりも20%安くしかも今はバーゲン時だったのだ)、悲痛な声で僕の名前を連呼していた。まだ出発時間までには20分もあった。さすがドイツ流だ。今回はルフトハンザ航空。エアバスA350。この機体には初めて乗る。ボーイングの787の対抗馬。羽の先がやんわりと上に湾曲している。787は羽の先が鋭角に後ろに追加されている。滑走時間は30秒。787の40秒よりも短い。座席は4000円も払った割に後ろの方だった。緊急脱出路だから英語かドイツ語が話せるか?と聞かれたがYesだ。機内ではエルトン・ジョンの「ロケットマン」英語字幕版を見た。弛まず歌と共に過ごす生き方が描かれている。クイーンの映画と同様、ゲイの場面が多く気持ちが悪い。早い会話は耳でも字幕でも追えなかった。シーンの中で感動するのは、モーツァルトのトルコ行進曲を先生が弾き、次に君が弾けと言われ途中まで弾いて止めるシーンがあった。何故?と先生。(譜面がないので)先生の弾いたところまでしか弾けないと答えた所は、割とはっきり理解できた。持参した書籍は「かつての超大国アメリカ」で僕の持論をもっと的確に事例を踏まえて紹介しているのが嬉しい。それは、ベルリンの壁崩壊後、世界の天才やビジネスに飢えた多くの人々が、競争の舞台に上がってきたからだ。と指摘している。そして、結果として格差拡大に結びついた。ではどうする?教育だ。誰もが出来ないスキルを身につけるのか、誰もが思いつかない発想が仕組みとして実現できるのか?と書く。視点は同じなのに文筆力がない分僕の不利。12時間かけてミュンヘン。空港の仕組みがわからず、先ずは税関に向かうのだろうと思いきや、乗り換えの方向へ、そこで手荷物チェックの後、税関だ。それも乗り換えの案内に従って行って初めて分かった。僕の頭はタイとシンガポールの乗り換え頭に毒されているから、戸惑うのだ。「ミュンヘン、サッポロ、ミルウォーキー世界ビールの合言葉」。小さいころラジオでよく流れていたフレーズ。だから早速ビールを飲んだ。生ぬるく泡が盛大に立つ。コクが凄い。これは肥えるだろうと思わせるほど。乗り換えは4時間待ち。空港内を散策した。ターミナルは2つあって電車で繋いでいる。レストランやお土産屋が多く、税関を抜けたのに免税店があった。出発ゲートの表示がなく、とりあえず待合フロアで寝た(日本時間はもう深夜)。レストンでは顎髭を短く刈り込んだコックさんがなかなかカッコ良かった。17:30にやっと案内があって出発ゲートに向かった。ここで待っていると、イタリア人の話し声が聞こえてきて、まぁよく喋る人だった。多分これがイタリア人だ。そうすると僕の名前を呼ぶではないか、ここも出発20分前にみんなを乗せ切って出発しようとしていた。ドイツ人をひしひしと感じる。そして1時間後、ミラノに着いた。だが、待っても暮らしてもなかなか下車出来ない。イタリアに着いたのをここから実感。市内に向かうには、バスが安いとここで開いたネットに書き込みがあり、バスを探したら意外と簡単に見つかり、切符も社内で買えた。もう日本時間では朝の4時を回っている。ミラノ駅についてGoogleマップでホテルを探すと、簡単に見つかった。駅を横切るように歩いて移動。ホテルはまぁまぁ綺麗。でも日本人の巣窟だった。水を飲みたいがホテルになく、ビールで間に合わせた。やっぱりここのも濃い。24時間の移動でやっと就寝。

1月26日(日曜日)
「Clouded Heart/Sinne Ege」 2014年秋、東京でテクニクスのショウルーム発足時、デモを行ったジャズボーカル。高知で仕事をしてたが、どうしても東京で仕事を!との要請に応えて父に相談すると、「こっちは何とかするから行ってきいや」。と静かに応援してくれた。結局それが仇となって父は病気を進め、東京の仕事の退職と共に逝ってしまった。その当時の音楽(上のタイトル)をお客様が要望されて再生。あの頃の父がまざまざと蘇ってきていたたまれなくなった。誰もこの悲しみは分かち合うことはない。自分の中に秘めたまま。だから、刺激の強い都会に憧れる。都会の中にいれば、何とか耐えられる。旅行をするのは都会に限ると直感的に捕まえていたが、そんな事がこの背景にあるのではないかと思うようになった。自分の中に仕舞い込むには余りにも大きくて重く、都会の刺激と雑踏が緩衝材ではないかと。音楽を聞きに行くのは付録だろう。今まで僕はそれがメインだと思っていたが、どうやら違うみたい。名古屋の友人に、母の死で大きな衝撃を受け、しばらくモーツァルト(音楽)の影に隠遁したのを覚えている。何故そこまで?その時は、僕はまだ若く、わからなかった。さぁ気分を取り直して鞄のチェックをして早めに寝よう。

1月25日(土曜日)
娘に、お土産買って来てあげるとメールしたら、候補がたくさん来た。特に洋服はよく分からないから、職場の同じ年頃の女性に聞く。さすが的確なアドバイス、女の目線は違う。カバンがいっぱいにならない程度のモノを買おう。本来は連れて行ってあげたいが休暇なく無理みたい。でも僕自身も、さて行って何をするのか明確な目標はコンサート以外にはない。関空の待ち時間で調べるつもり。こんな場当たりで良いのか?と思うが、行くと何かがある、絶対に。それが旅だ。行先が都会だと、本当にリラックスできる。今日は朝から頭が鈍い。ジャズの歴史翻訳も、なかなか進まない。よく寝たし、朝の起床は快適だったし、原因は何だろう。先日読んだ最強の食事によると、栄養のバランスが悪いようだが。僕的な分析では生活の中に空隙が無いように詰めすぎだと思う。ホンの少しの空隙が在れば英単語を少しでも頭に入れようと辞書を開いている。結果寝る時以外は何かしている。精神が疲れているのではないかと思う。これはまずい。と言う事で、マンション下の居酒屋に駆け込めば、「本日は予約客のみ」の表示。隣の「天狗」へ。でもここには野菜がない。人生は思ったようにいかない。一方僕の詰め込み過ぎは問題だが、日経新聞で38歳の男性が帰りの電車でスマホを使い、テレビをチェックして、帰ってから大型テレビでじっくり見るとテレビの視聴スタイルを紹介していた。この歳ならもっと勉強せんかい!バリバリと仕事せんかい!と激を飛ばしたい程だ。日本人はともかく、世界のビジネス界はもっと頑張っているぞ。落ちこぼれていいんかい?こんな記事を見ると寂しくなる。

1月24日(金曜日)
今日は出勤日。仕事の帰りにユニクロに寄って紺色のパンツと、ヒートテックのタイツを買った。精算は、ICタグ読み取りの箱の中に入れて読見とる最新式。柳井さんの経営が透けて見える店舗。ICタグは知っていたが、これがそうなのか?田舎のおじさんは戸惑う。省力化の最先端だ。そこまでは良い話。しかし、ここからは柳井さんが聞いたらがっかりするだろうな。その読み取る箱はもう何日も掃除がされてなく、取り出した時には埃が濃紺のパンツに結構付着していた。「器作れど魂がない」最悪の事例。「省力化で浮いた時間は応対を重視しなさい」意図が全くなされてない。梅田の一等地(ヨドバシリンクス店)なのでかなり優秀な店長を派遣しているのだろうが。そして、続きはまだある。それを指摘したら、女の従業員はすみませんと言ったが、「その埃を払おうともせず」、裾繕いの通い箱の中に放り込んだ後、次回はサービスカウンターで受け取って下さいと言った。柳井さんの事だからいずれこのような綻びは修正するだろうが、サラリーマン社長となる後継ぎはそうはできないだろうなぁ。「既に起こった未来/ドラッカー」の書籍は結構大切に読んだ本だが、正にこれがそれ。今日は感動よりも失望に視点が行った。

1月23日(木曜日)
仲間のS氏のご家族の病気で、上京を1日早めた。しかも、今日は健康診断の日。5時起床。「ロミオ・・」の途中から最後まで見終えた。本来ならもう一度見ておくべきだがどうしようも無い。8時前に健康診断に出かけた。こちらは任意なので費用が3万円。血圧が70-40しかなく、もう一度挑戦で80-60に上がった。血圧の高い人は深呼吸で下がるが、低い人も深呼吸で上がる。深呼吸は偉い奴じゃ。検査の結果、慢性胃炎の症状がいつものようにあって、食道の入り口に血管が浮き出ているところもいつものようで、取り敢えず問題なしとの事。ピロリ菌の検査を申込んだ。帰りにダイソーで旅行用の下着、靴下を買った(現地脱ぎ捨て)。自宅に帰り、余り物で食事。墓参り、神棚にお供え、部屋の掃除。2時に仕上げてバタバタで飛び出た。まぁこんな事をすれば必ず忘れ物があるのだが、大阪に遅く到着するのは好きじゃ無い。JR四国の車中では眠くて、本が殆ど読めなかった。岡山駅で新幹線が遅れ、来た電車に乗ったら、いつもよりも早く着いた。茨木のインド料理の店(タジマハール・エベレスト)、はいつかは行ってみたいと思っていたが、今日は空いていて、パーフェクト・ランチ(1840円)を注文した。経営はインド人だが、味は日本風カレーでインドの風味はなかった。まぁ逆に言えば美味かったと言うこと。ナンもバター風味で美味しい。インドではこんな大きなナンは無いし、カレーの味はもっと素っ気ない。そこではハエが飛び、甘い熱帯の花の香りがし喧騒と熱気の中で、バナナの皮に乗せた、パサパサのご飯に水のようなカレーをつけて食べるのがインド風。みんなは手で食べるが、試すととても熱くて掴めない。プラスチィックのスプーンで頂くのが外国人(僕も含む)。でも、こんな汚い店でもカレーを食べると安全。僕はそんな所が好きだ。当時は150円位。腹一杯になる。インドの思い出と共に美味しいカレーを食った。

1月22日(水曜日)
いろいろとすることはあるが、ラジオ英会話は切り離せない。サトウキビで中断してたから余計に巻き返さなければならない。結局11時まで拘束されて、それから友人の名刺作成。近所に砂糖の配布。書籍のスキャン、スキャン後iPadにインストール。旅行中に何が一番困るかといえば、読むの物がない飢餓感。これだけはなんとしても避けたい。旅行先では現地調達が出来ないし、つまらない本を読みたくはないからだ。かと言って持参の本が崇高かと言えば、それ程高尚でも無いが僕の興味を満たしてくれる。旅行用の荷物は出来た。留守中の録画設定は、都度息子にメールする事にした。雑事は早く済ませて「ロミオとジュリエット」を見ることだ。残りのサトウキビを配った。父の兄が危篤状態。昨晩も病院詰めとのこと。しかし、再び意識が戻ったと言う。顔色が悪いので、先長くはないのではとの見立て。一方大阪の同僚の娘さんの容態が悪く、一日早め出勤することにしたので、バタバタに拍車がかかりそうだ。

1月21日(火曜日)
最後の竈焚き。3時半起床。全部で6釜だった。5時前に空腹で餅を焼いて食べる。7時前に本格的な朝食。身体がきつい仕事は、サトウキビをしぼっった後、搾りかすを束ねて括り、車に積み込む作業。一番釜から、不純物沈殿のために、大きな桶に柄杓で汲み取る作業。最後の仕上げにドロドロになった砂糖が焦げ付かないようにかき混ぜる作業。何も、重くて時間的に長い作業。同時ではないが、そのうちの一つは必ず回ってくる。時々、濃い液状の砂糖をコップに注いで飲む。極上。もし可能なら、この液体をスタバのコーヒーに入れて飲んだら最高だろうな。辛いが腹が減る。これは快感だ。と言うことで、2時まで作業があり、そこから曽我さんと連れ立って師匠のサトウキビの種をもらいに行った。同じ村内。僕の栽培している「タイワンカンショ」よりも、糖度が高い「黒海道」だ。40株程をもらい、我が畑に埋めた。これで品種は3種になる。今年は種にするが、来年は、全面展開する。来年の収量予定は6トン。つまり、販売が可能なら100万円コースだ。身体との相談が必要だ。帰宅したのが5時。もう風呂を洗い沸かすのは時間的に無理、昨日の残り湯に湯を足して追い焚き。煙突掃除を怠っているので、なかなか燃えない。食事の後近所の友人が来て一人酒盛り。僕は健康診断が近いので飲まない。そこへ息子が風呂から上がり雑談に参加。一頻り喫茶店の話。寝る前に「ロミオとジュリエット」を見る。なかなか歌が耳に定着しない。40分で朦朧となりダウン。明日しか準備の時間はない。切羽詰まった状況。

1月20日(月曜日)
大阪から移動。道中眠くて3度の居眠り。帰ると、洗濯と次回出張の準備。今回は18泊だから、百円ショップで下着や靴下を買って、向こうで履き捨ての予定。スーツケースは大阪に行く時の3泊用の小さなモノを使う。カメラ2個、Yシャツとネクタイ(これはコンサートに来てゆく為のもの仕事用はマンションに置いてある)。iPadに書籍をため込むのは別の日。撮りためたBD6000枚の中から、「ロミオとジュリエット」をもう一枚見つけた。これは、指揮にプラシド・ドミンゴ、ジュリエットにアンナ・レトルプコの超豪華版。今週必須。粗方準備のできたところで風呂焚き。薪をくべるのを待っていると、曽我さんがやってきて明日4時から釜を焚くので集合との事。この日が焚き終わりらしい。2釜なので午前中に終わるだろう。この歳になって、非常に気のあった友人を見つける事が出来るる僥倖に恵まれた。多分、曽我さんも同じ感覚だろう。今回シーズンのサトウキビ搾りはエネルギーを使い果たし、このまま弱っていくのでは無いかと危惧した程。確かに歳はとっていると実思ってはいたが。一方で帰りの列車で読んだ「シリコンバレー式最強の食事」では、食事療法で頭活性化、体シェイプアップとなるらしい。基本は野菜中心の食事だが、絶食が時々必要な事。でも試して少しでも若返れば、農作業も苦で無くなるのだ。今月は忙しく、本に時間を割けれなかった。それでも、後半の旅行期間中に読めるかも。月10冊が目標。昨年は7冊だった。原書も仲間入りしているから10冊は危ういかな。

1月19日(日曜日)
昨日買った洋書。今日は阪急電車で辞書を片手にじっくりと読んだ。主人公が頭に乗せたのは陶器の器だった。この本は知らない単語の連続だ。ついでに新聞掲載のセンター試験の英語のページを読むと何とかなる部分もある。単語のどこにアクセントがあるか?などは皆目検討がつかないところもあった。でも、実際にはそんなの必要ないし、英語は必ずしも英国で使われているわけでないから、アクセントも違う位置にある国もあるのだ。例えば、結構必要なのは、someとany の使い分け。theとaの使い分けなど、慣用句の使い方だった。試験はふるい落としが目的だから仕方ないけど、実用性の無い英語のテストを今でも行っているのか、大学入試に公的試験も採用を見送るなど更に国際社会に出遅れを来そうとしている日本の姿を垣間見た。話が逸れたが、今日の感動は台湾で余生を送る日本人のおじさん。友人の中村さんに風貌が似ている。話ぶりに決め付けが多く閉口するが、自分の範疇を離れると聞く耳を持っている不思議な人。62歳。台湾は良い。アジアの中で一番良い。親切で人を妬むことがない。台湾ゾッコンの人。中国でビジネスをして疲れ果て、台湾で英気を養うのが昨今のビジネスパーソンとの事。台湾人は自炊をしないので、街中に食べるところが沢山ある。シンガポールと同じ感じだ。住居のある高雄の話をお聞きすると、台所は狭いのも共通。朝食が二百円くらい、夕食でもトンテキ定食にビール付きで八百円くらい。夫婦共働きで、しかも女が強いので、自ずと外食になるらしい。仕事を終えて、家族全員でレストランへ繰り出す。シンガポールでレーマスの家族と一緒に食事をしたが、同じ印象を受けた。53階建マンションの13階で港が一望できるとの事。多くの日本人がここへ老後のために来ているという。酒の主はビールらしいが、冷たくないので、彼はウィスキーにするそうだ。台湾の人も同じようだとか。オーディオが盛んでフェアでは結構売れているとか。街は日本の40年前の洋装らしい。百貨店にエレベーターガールがいて、上階に食堂、屋上に遊園地。懐かしいと思えるだろうと言われた。来年はこの人を訪ねて高雄に行ってみるかと思える出合いだった。

1月18日(土曜日)
大阪にて。物凄い疲れで、昨晩は9時就寝今朝は5時半起床。やっと疲れが取れたかな?昨日の電車での睡眠と合わせて丸一日寝ると何とかなる。今日の感動は「書籍の購入時」で、仕事でのお客様との接触ではない。僕がお客様の立場だ。「アップルTV +」で少し見た作家のインタビュー。アフリカ系のアメリカ人が今でも差別を受けている事実を小説にした本がテーマ。うる覚えでメモを取った。それを持ってジュンク堂梅田支店6階洋書売り場に行った。うる覚えの内容とは、「TA-NEHISI COATES」。すると、洋書専門の担当者が現れて、この人はタナハシという名前で、エッセイを書く人だが、今回初めて小説を書いた人だ。と説明された。AppleTV +と同じ事を言った。そして、タイトルは「The water danser」だ、お持ちしますね。するとテレビで見かけた本の表紙と同じものを持ってこられたのには参った。この作家がどれだけ有名なのか、僕は知る由もないが、断片の情報からネット検索なしでズバリ言い当てたのには参った。ちなみに彼の有名な書籍はここにありますからと棚を紹介してくださった。帰り阪急電車で1ページほど読んだ。この本は知らない単語を多用し、スラスラとは行かず辞書が必要だと思ったが、取り敢えず読み進めた。主人公の少女が回ったり跳ねたりしても、頭に乗せた帽子が止まったまま落ちようとしない表現を1ページで紹介し、本論に入ろうとしている。構成に工夫がある。忙しい上にこの本に取り掛かったらますます時間がなくなるのだが。岡村さんは一体どこに行くつもりなのだろうか?


1月17日(金曜日)
息子に10個のサンプルを渡した。窓口は芸西村役場の製糖組合と告げた。代表のシコウさんにその旨連絡した。話は変わるが、精糖組合関係者は名前だけ聞くと歳がわからない場所だ。隣で竹傘を編んで伝統を守っているのは「なおちゃん」(82歳)、砂糖作りの名人は「じっちゃん」(90歳)、かっぱ市場で砂糖を販売する人は「かよっち」(おそらく50歳前)。午前中ラジオ英会話と自分の部屋の掃除を済ませて、大阪に向けて傘をさして自転車で出発。ブレーキが効かず焦る。冷たい雨だった。列車の中は暑くむせ返るような熱気。この列車は適度な温度管理が出来ない。ある時は寒くてコートを羽織っていても芯から冷えたりしたこともある。大阪の住友銀行で残高を調べたら、この1年で280万円の目減りだった。色々買ったし、旅行も出かけた。買ってはみたものの使ってない機器の最大はMacproとNikonD850。EPSONプロジェクター。主にサトウキビで忙しいのが原因。時間が無いのに何故買う?「所有している事に安心感があるから」2020年も買い続けるだろうな。このままだと70歳までに枯渇する。収入を増やすか支出を減らすか?当然収入を増やすと時間が減りますますね。しかも買った機器の使用も減る。さてどうする?

1月16日(木曜日)
3時半起き。一番釜で僕のサトウキビを絞る。糖度18.4度。これを煮詰めて「白した」状態に仕上げ、瓶詰めする。普通瓶詰めはその手前の糖度75%位で行うが、今回は実験的要素大。誰も、自分の作った砂糖が惜しくて実験などは出来ない。300gの瓶に72個作った。砂糖を生活の足しにしているならかなりやばい。砂糖を焚くには11000円もの固定費用が発生し、瓶代に5000円必要なのだ。しかも売れるアテはないから、冷蔵庫に寝かしておくだけだ(夏のかき氷の需要があるかもしれないほのかな期待のみ)。趣味でなければ出来ない。12時に終わり、搾りかすをみかん畑に捨てて帰れば1時。ご飯を食べて、出来上がった砂糖を配った。3時から風呂を洗い、薪を割って風呂焚き。夕食は冷蔵庫の余り物(先日の宴会残り)。夜息子からメール。会社で砂糖を使ってみたい。とりあえずサンプル持ってきてと依頼があった。だがプル10個とはちょっと首を傾げる。業者泣かせの会社みたいな印象を持った。価格交渉には応じるつもりはないので、その旨息子に告げた。僕らは品質を最高に高める集団で、それを仲間内で評価し合うのが楽しみ。商売はその次の段階。しかし、企業から見る僕たちの姿は違うだろうなぁ、量を買ってあげるから安くしなさい、と来るだろう。そもそもそこの食い違いは避けようがない。もし採用になるとしてもだ。今回の総収穫は2トンあった。そして今植えた苗が全部今秋成長すれば4トンになる。さらに再来年、農林8号種が全面展開できれば、5トンは下らないだろう。だが一体それをどうする?というのもあるが、遊んでいる畑を放っておくと岸が崩れ、土地が荒れる。作れば、処分に困る。しからば言われるままの価格で売るか?釈然としませんね。本来の人生目標である「音楽と読書と映画に旅行」で暮らしていくのに回帰か?えい年こいて、まだ人生に迷っている。

1月15日(水曜日)
今朝は冷え込んだし、二日酔い。家の中でじっとしている事に決めた。遠ざかっていたラジオ英会話。グッとレベルが落ちていて訳文から、なかなか英文が作れないし、スペルも忘れている。2時間ほど挑戦したが戻らない。諦めて、昼寝ならぬ朝寝。再び起き出して、イタリアの知人にメール。オーストリアで2/18まで帰らないとの事。美味しいところに連れて行って貰おうと思っていたが残念。
LUMIXのキャッシュバックキャンペーンの応募を準備していたら、曽我さんがやってきた。別に用事はない。伝承館に来たついでとの事。しばらくだべって、僕が農作業をしないか見るつもりだったらしい。だが今日は寒いから、家の中で暮らすと伝えたら、やっと重い腰を上げて帰られた。明日も4時に会うのだ。早い話、暇なので立ち寄ったのだろう。午後4時がやってきたので、風呂を沸かし、明日の朝食を買いにスーパーに出かけた。夕食を献立るとき熱湯を足に誤ってかけてしまい大火傷。痛むがオロナインを塗って様子を見る事にした。ネットで調べると子供の手のひらより大きな火傷は病院へとあったので、今回はまぁいいかと思った。連日のサトウキビの仕事で、手や指に力が入らなくなっているため、鍋のとってを強く握れなかったのだ。

1月14日(火曜日)
曽我さんは同じ製糖組合の仲間。すごく馬が合う人。奥さんは、僕の同級生で憧れのマドンナ「さっちゃん」のいとこ。この人に、残りのサトウキビの収穫をお願いした。サトウキビも全て差し上げると提案したら乗ってきて、今日我が屋に来てくれた。僕も未だ200kg弱残っていて、午前中をかけて作業した。午後2時に全て終わり、師匠に電話をして懇親会を提案したら了解の返事。曽我さん夫妻と師匠夫妻の五人の懇親会。僕の手料理。悪くはない評価だが、曽我さんは辛いものがダメで意外な反応。見た目には豪快に見えるのだが。師匠は酒がダメだが、今日は少し飲まれた。人の縁とは不思議だ。芸西村でこんな人脈が出来るとは思いもしなかった。これも両親が恵まれた土地と農機具、資材小屋を完璧な形で残してくれたおかげだ。他の人よりも立派な砂糖も出来たのは、師匠のご指導のお陰だ。他の人の意見を聞かず、師匠のみの指導を聞いたら、最高級が出来上がった。料理も同じ。生半可な独創は失敗する。今日はその事をお伝えした。多いに呑んで、4時間も懇親して解散した。


1月13日(月曜日)
3時半起き。朝一番の作業は僕のサトウキビ絞り。自分が中心になって動く。僕のサトウキビは他の人が供出するものと比べて、2倍近くの長さがあるので、絞り機に投入する場所も、ずっと後ろとなり、立ったままの作業。絞り汁が多くて出来がものすごくよく、しかも後味が素晴らしいとの評価で極上品。どこに出しても恥ずかしくない砂糖が完成した。と、師匠の弁。多分、全国の品評会があるとすれば上位入賞は間違い無いだろう。作業を行ったおばさんが「美味しいきに食べてきみいや」と声をかけてくれた。破片をかじると確かにうまい。製糖組合に新しい空気を吹き込んんだ事には間違いない。それが契機となって今年の製糖は「蜜」を作る事が増えた。蜜とは、砂糖をブロックにする前のドロドロの状態で取り出すもの。今回は蜜の瓶詰めを72個作った。夕刻4時に終わったので、搾りかすを、てい子さんのみかんばたけに捨てにゆくと、よしかずさんから、もうみかんはちぎり期ぜよと教えられた。後日収穫に来なければならない。帰宅して息子にメールすると乗ってきた。焼肉に行かないか?砂糖の販売で収入があったからご馳走してあげた。仕事が変わり人事課になったと言う。

1月12日(日曜日)
3時半起き。砂糖販売で11千円の入金。しんどい割には実入りは少ない。いいではないか。実入りが目的でない。9時半、絞る作業は終わったので、慌ただしさが解消。このタイミングで帰宅。サトウキビの収穫。100kg。昨日の分も併せて、とりあえず伝承館には370kgを納めた。そして帰って再び収穫。45kg。僕の収穫作業はサトウキビの皮を手で取り除くので時間を要する(他の仲間は機械で葉を取り除いている)。疲れ果てたので銭湯に行きたかったが、息子の風呂なしは忍びないので、残りのエネルギーを振り絞って風呂焚き。僕のエネルギーは使い果たし、8時半に就寝。息子が帰宅したのもわからない。

1月11日(土曜日)
海外旅行の時差ボケと同じで、3時半に目が覚める。少し本を読んでから再び寝る。6時起床。食事の後、サトウキビの収穫に取り掛かる。夕刻までに200kg。昨日の分と合わせて260kg。車庫にブルーシートをかけて保存。疲れで、8時過ぎに就寝。9時頃だと思うが息子の帰りも知らなかった(階下の大きな扉(車庫の扉)が開くのも気づかなかった)。

1月10日(金曜日)
3時半起き。疲れ溜まる。サトウキビの搾りかすを車の荷台に上げる作業に息を切らす。じっちゃんが再び寝込み、今日はこの作業を延々と続ける事になる。そのじっちゃん(90歳)だが、今日届いたBepalに特集で4ページ掲載された。テレビ出演や、新聞掲載はもう何度も。でもこれ程の雑誌掲載は始めて。高知弁と言うか、芸西村の昔の言葉でタイトルが書かれていた。芸西村砂糖「白玉糖」はいよいよ全国メディアに登場した訳だ。田村のおばさんからも10個欲しいと電話。檜和田さんも10個欲しいと電話が来た。今日はかっぱ市場の製糖で蜜炊きだったので12時に上がり、高知に注文したレンズの引き取りに行った。車中寒くてガンガン照りの太陽の下、暖房を最大に効かせた。8-18mmのLUMIX用レンズ。イタリアの建物を撮影するつもり。もう一台のLUMIXに標準ズームを装着して撮りまくる予定だ。3時過ぎ帰り着いて、サトウキビの収穫。50kg。明日の伝承館はお休みで、日曜日再び3時半。

1月9日(木曜日)
3時半起き。今日のサトウキビは粘度が低く、砂糖になりにくいため、最終工程に10分程余計に混ぜを行った。ドロドロの液体を余計な時間混ぜるのは結構厳しいものがあります。しかも今日は気温が高く暑い。暑い上に火の近くで重労働だから、汗が噴き出る。夏と同じとは言わないまでも、結構な水分補給。伝承館を出ると寒い、暑い所にいて汗穴がひらっきぱなしなのか?5時帰宅。外食と銭湯を考えていたが、インスタント食品2食なので、野菜不足。それで自炊をすると、もう車に乗って銭湯に行く気になれず、シャワーで済ます。

1月8日(水曜日)
3時半起き。サトウキビの製糖。朝飯、昼飯をもって伝承館に駆けつける。いつものメンバー。サトウキビの栽培は時間がかかり、製糖は体がキツく、拘束時間が長い。服もベトベトに汚れる。靴も期間中に1足だめにする。それでも、魅力はなんだと言われれば、「仲間と戯れる時間がある」事に尽きる。お金はおそらく4-5万円の実入りでカメラのレンズ代にもならない。大阪の生活はきちんとした仕事もあり、私生活も含め束縛されている。しかし、高知に帰ると拘束するものがないので弛緩するに決まっている。それを矯正するのがサトウキビだ。これによって助けられている。しかも、延々とも言える1日の長い時間、冗談を言いながら時間を過ごせる。帰れば時間との戦いで床に着く。寂しさを感じる間がない。これが辛くとも厳しいサトウキビの魅力なのだ。これ以上サトウキビに望むものは無い。途中で抜け出し、歯医者。

1月7日(火曜日)
今日は友人と、お寺さんご夫妻がサトウキの収穫の応援に来てくれた。午前中で200kgを収穫した。合計700kg。夕刻2回にわけて伝承館に運び込んだ。腕も膝も痛くなった。風呂を沸かしてゆっくりと浸かりたかったが、丁度ネットで購入したカメラが届き、蓋を開けると保証書に印鑑がない、その対応に追われた。クレームのメールを入れると電話がかかってきた。話ぶりから中国人。ネットで安物を買うとこう言うことなんだと言うのがよくわかる。こう言う怪しいサイトは流動的なのだろう、もう一度ネットで検索すれば、その店はランキングを落とし掲載されてなかった、別の店が台頭、価格は2万円ほど上がっていた。なんだかんだで、ゆっくり度は失せ、このカメラを触り出して眠気が飛んでしまった。10年くらい前に買ったカメラGH1と暗い場面で比較すれば、明るいレンズを使う限り、結構いい勝負をする。(ピントを手動で合わせないといけないとか、ホワイトバランスも取らないといけないとか、しっかり持たないと手振れするとか条件が付くものの)。三脚を使い、落ち着いて撮影することが出来るなら、新しいカメラでもなくても良いのが分かった。逆に言えば、10年のカメラの進化とはこんなものだった。ちなみに、私の持つ最高級のカメラNikon D850で撮影すると、手振れ補正がなく、ブレブレだし、シャッター速度を上げて撮影すると、レンズによる色のにじみが出てきて最悪。では中間グレードのCanon5Dmk3は?古いがこれが一番結果が良い。そうなのだ。Canonは失敗しないと巷で言われているが本当なんだ。ふつふつと湧く好奇心を閉じ込めて床に就いたが、興奮でなかなか寝付けなかった。


1月6日(月曜日)
仕事始めの今日は、イラン軍事指導者ソレイマニ氏殺害のニュースで始まった。お正月の事件と言い、今年は穏やかな年だと思っていたが、暗にはからず急転直下の事態が発生しそうである。今日はサトウキビの収穫開始を8時半過ぎに始めた。普段より1時間遅い。何故なら疲れと腕の痛みで身体が動かなかったからだ。サトウキビの収穫の作業の一つ一つは苦ではない。ただその繰り返しが延々と続くために、疲労が積み上がるのだろう。そして、師匠(サトウキビの)から電話。全員インフルに罹り、7日の絞りは8日に延期する。よかった。今日はゆっくりできるぞと思ったが、その後の電話で、延期した分獲れるだけ持ってきてや。やっぱり楽はできない。せっせと刈り始めた。西の畑に刈り取る場所を変えたら、こちらは小粒で作業の割に収量が増えない。結局午前中に35kg。今日は全部で100kg行けば最良と思っていたが、昼から友人の応援、お寺さんが薪を持ってくる。何やら騒がしい。でも、4時45分。200kgを収獲した。6時からお寺さん、友人を踏まえた懇親会開催(父はいつも応援があった時、この懇親会を開いていた、母は料理が美味かったので、割と皆気軽に参加していたのを覚えている)。今日の話は主に、お寺さんと奥さんの馴れ初めの話だった。昭和50年頃の事。僕が四国のショウルーム勤務の時だ。自分が話すのは色んな物事を忘れて、話が進まないから苦痛だが、人が話をするのを時々質問を入れて聞くのは楽だ。いつも飲むと話す方に関心が高かったが、少しづつ聞く側に焦点が移りつつある。いい事だろか、それとも悪い事だろうか。

1月5日(日曜日)
朝からサトウキビの収穫。今日はただそれのみ。200kg。昨日計算した通りだ。無理して頑張ったこともある。5時半。少し暗くなって作業を終了。安芸市の風呂に行く。暗くなると運転は不安だが。そして速度が落ちる。でも、前の車との車間距離が開くともっと危ない。急な飛び出しの可能性がある。前にこれで事故を起こし車を大破させている。北海道でエゾシカを跳ねた時だ。200kgくらいある鹿も5mくらい吹っ飛んだ。この時も前をゆく車が80kmくらいの速度で、とてもついて行けず、車間距離が開いていた。それで今日は目を凝らして前の車について行った。70kmくらいだ。若い反射神経の凄い若者でも、この狭い道でこの速度では即座の対処は無理だろうに。今日の疲れに対しこの大きな風呂はぴったりの憩いの場だった。あまりゆっくり入ったので疲れが出てしまい帰り道は眠くて仕方なかった。ラジオ英会話を少し開いたが、全く意味不明で頓挫した。

1月4日(土曜日)
昨晩は4時間しか寝てないが、大阪から高知へ帰る電車の中は眠くなかかった。12時15分着。ローソンで昼飯。それから帰宅して、少し荷物の整理の後、サトウキビの収穫。3時間半で97kg。これはいい傾向だ。このままの計算だと、後2日間で400kg。目標は達成出来そう。ただし風呂を沸かす暇はない。食事の準備もない。車で15分の所にある中華料理の福将さんで食事。夏は900円だった定食が、値上げされていた。それは分かるが、量が極端に減った。そこは解せない。まぁ滅多に行かないから許してあげよう。それと、帰りの電車の中と、到着してから自転車置場の所でカメラの注文をネットで行った。LUMIXG9 pro。8-18mmのレンズも一緒に注文した。ミラノ行きの為。値段は航空運賃に匹敵する。大きく重いキャノン5Dmk3は安全上やばいと判断したため。キャッシュバックのあるうちに購入を決めた。前に狙っていたセブンカメラは在庫切れで2番目に安い店で買った。寝る前にロミオとジュリエットをLPレコードで聞く。この音質なら歌詞が分からなくても気持ちが良いわ。BDでのメトロオペラのチェックと併せて全体を理解する必要あり。布団の中でWoody Pronを読んだ(ポルノ雑誌とは違います)森で暮らすアウトドアの本。英文。写真が多用されている。何とこの本はわかりやすい英語で、比喩も嫌味もなくストレートで素直な為、結構読める。勿論分からない単語もあるが飛ばして読んでも概要は理解できる。昨年の今頃は、不思議の国のアリスに七転八倒してたのとは雲泥の差だ。そういえば一昨日のスターウォーズもよくわかる部分があった。カイロがダースに会いに行った時、ダースがいみじくも言った。”At last”字幕はついに「ついに来たな」。グランドコンサイス辞典では「とうとう」の意味。こうして字幕と言うのは翻訳者が会話を繋いでいると理解したわけ。とか、映画の冒頭で、レイが座禅を組んで呟いている”Force with me”の様に聞こえた。本当は”May the force be with me”だったかもしれない。などと思ったりもした。先輩からは海外旅行など止めて農業法人に専念しろとアドバイスを頂くが、こんな面白い世界が広がっているのを垣間見れば、英語と旅行はセットで死ぬまで(と言うかボケるまで)離れることができないと思ったわけ。英語の書籍から話が逸れたが読み始めて5ページくらいでダウンでした。

1月3日(金曜日)
Star Wars を見た。これが最後のバージョン。新作から40年以上も経過している。イオンシネマ茨木で21:20THXバージョン。この映画は不作とのアメリカ評判通り、努力不足が露呈していると思う。それを少しづつピックアップしたい。ストーリーは帝国のドン、ダース・シディアス(黒のフードをかぶったおじいさん)を孫娘のレイ・スカイウォーカーが倒す物語。そこに至るには、カイロ・レン(ダース・ベイダー)からの誘い(二人は兄弟)のバイアスがかかるが、結局元の道に戻る。それをレイア姫は見込んでいたと作中で語られていた。先ずの突っ込みは、いつものことだが、宇宙なのに空気があり、ドンパチの音がするし、登場人物は無重力の筈の宇宙で、飛行船が傾けば落ちる。勿論、惑星を滅ぼす強烈なキャノン砲も爆撃で落下する。宇宙船のドアは開きっぱなしで、飛行船が自由に出入りできるし、プラットフォームには空気がある(はず)から、いちいち出入りのための、加圧減圧もない。2つ目の努力不足と書いたのは、戦闘シーン。戦い方にテクノロジーや技が無いのだ。そんな面では昔のチャンバラだ。今はゲーム時代だから何かをゲットして戦いを有利に進めるなどの工夫も欲しいし、銃もただ弾が出るだけではなく、命中率が高いとかのハイテク銃があるとか観客を惹きつける工夫がほしい。そして大作の割に、人が動き頑張っているシーンはレイとカイロの戦いの部分だけで、後は役者が喋るだけでCGまかせ。とてもSFアクション映画とは思えない。3つ目にはレイやカイロは仲間と外れて何の説明もなく、身勝手な動きをする。勿論霊感による導きだろうが、この監督はリーダーシップとは無縁の人だろう。それ故に、この様な行動が罷り通る、ストーリーが続かず違和感がある。多分、スタッフからの映画作りへの参画的な提案も監督は聞く耳を持たず、俺の言う通りにしろと進行したので単調になったのではと邪推する。4つ目には、カイロは乗り物無しで、惑星間を自由に移動しているが、時々TIEファイター(戦闘機)でやってくる。なぜ乗り物を使う?5つ目にはカイロレンは、レイとの戦いに敗れて、普通の人間に戻ろうとする時、父であるハンソロが登場、「帰っておいで」と優しい言葉をかける。だが、ハンソロはカイロに既に殺されている。その時はもっと若かった。所が、今回登場するハンソロ(ハリソンフォード)はすっかり年老いてお爺さんの風貌。あれぇ、死んだ後でも老いるのかな?まぁ突っ込みはハリウッドの決まり事なのでいいのだが、細部に詰めの甘さが目立つ。最初の頃感動したテクノロジーはどこに行ったと思える映画だった。

今日は長年ご無沙汰の友人が訪ねて来てくれた。JACAに勤めてアンゴラから帰国したばかり。3ヶ月の休暇の後、モザンビークへ赴任との事。1年半後その仕事は終わるので、インド行きはそれからとなると言う。この友人はインドでの仕事仲間だった。彼と、ほぼインドを隈なく回った。あの思い出が忘れられず、もう一度インドの地を踏みたいと思っていたが、同行に賛同してくれた。その前にモザンビークにくる様にと言う。治安の他に蚊などが媒介する病気が恐ろしい。僕の海外旅行は観光でないから、あまり意味ないかな?ドーハ経由で行くらしい。30時間。体力もいるぞ。思案のしどころだ。

1月2日(木曜日)
初仕事。妙に今日は英語が理解できた。ルーマニアとシカゴのお客様はかなり長いこと話せたし、ジャズの歴史翻訳は結構スムーズで考え込むことがなかった。まぁこんなムラがあってもいいではないか。どうやら、ラジオ英語講座を聞く前に、日本語訳から英作を作成し、本文と照らし合わせる作業をしているのが効いているようだ。ただこれは結構時間がかかり、余裕がなければ出来ない作業。もう一つの出会いは、「シーア」を紹介してくれた若い男性。まったく知らないアーティストだが、レディガガ風でもあり、ジャズ風でもある。こんな仕事をしてない限りこんな情報に触れることはないだろう。早速iTunesでダウンロードしたので暇があれば聞くつもりだ。(こんなダウンロードが余りにも多くて困っているのでもあるが)夕食に阪急東通商店街に向かった、梅田の地下街がこの商店街まで開通してストレートに行けるようになっている。「さかえ」でお寿司を頬張った、隣で僕と同じ年齢の方が刺身で一杯やっていた、ちょっと場違いな感じ(店は若者と中国人で一杯だったので)、それにバッテラが流れてきた時、その名前を知らず、店員に聞いていた、この年になるまで知らなかったとは?帰り道DiskUnionに寄れば、ジャズ館は多勢の客でごった返していた。それでクラシック館で物色すればヨナス・カウフマンがあってGet。もう一つはグノーのオペラ。「ロミオとジュリエット」。何とこれはイタリア語と英語の解説で日本語訳がない。1月出発までに約するには時間が不足。取り敢えず一通り聞くしかないか。高知では農業に身体を使って、大阪では英語と音楽に頭を使って非常にバランスの良い栄養を身体に与えているようだ。

1月1日(水曜日)
5時に目覚め、6時まで布団の中で本を読んだ。6時から新聞を睨みながらの朝飯。飛び込んできたニュースは「さもしい」ゴーン氏の逃亡のニュース。何と楽器箱に隠れての遁走だっとか。gone(ゴーン)。go の過去分子。英語の会話では「死んだ」と言う意味もある。ニューヨークタイムズも同じ様な意味深の表現だった。誰でも考えることは同じか?レバノンでの隠遁生活。もう世間体はなく死んだも同然。彼は生まれた時からこの運命を背負っていたのだった。もう日産とは関係ないけど、日産のイメージを汚した事には変わりない。いくら世間に対して正義を訴えたとしても、自分だけは知っているだろう「恥辱に塗れた自分の人生を」。新聞でのもう一つのニュースは5G元年。明るいニュースだろうか。5Gにより、より便利に生まれ変わる。それは事実だろうな。でも反面では、きっと5G長者が頭角を現し、今以上に経済格差は広がるだろう。5Gの心は「スピード」。スピードが経済を加速する訳で、スピードに乗れない負の局面をどうして書かない。スピードに乗れない日本は確実に置いてきぼりを食うのに。現実には世界の情報の90%近くが英語だ。英語がネイティブでない日本で、どうして世界の中で頭角を表せるだろう?朝飯の後、キマサゴのカンショ畑の畝上げに出かけた、寒いがクワの作業は汗をかくほどきつい。1畝半。次に年賀状作成。11:30の電車で大阪に移動。電車の中では目が開かなかった。酷い睡魔だった。大阪はヨドバシカメラを散策。何処を歩くよりも、年の初めは楽しいことをしよう。iPadの充電器。MacBook proのC→AのUSB変換器を購入。CoCo壱で夕食。茨木のマンションで年賀状にコメント書き発送。

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