2019年 |
2020はここに移動しました 12月31日(火曜日) 朝飯にホットケーキを焼いた。勿論、蜜に自分の作ったサトウキビの蜜を使う。噛むと12月の冬の記憶が蘇ってくる。小さい頃は冬休みに入ると急に寒くなって、ゲンキョウサマの近くで缶蹴りをして遊ぶと寒くて、北風の当たらない、サトウキビの搾かすを積んであるひだまりで隠れたものだった。その時の匂いがこの蜜には込められている。この2日間忙しさで新聞を読んでいなかった。久しぶりに開くと、宇宙のブラックホールに触れた文献が掲載されていた。折しも、布団の中では生物の移動の根源についての文献を読んでいて、脊髄が動物の動きを制する内容に差し掛かり、それ以前とそれ以後を分析している。地球の生命誕生には歴史の痕跡があり次第に解明されて来つつあるが、宇宙にも億年単位で歴史があるのがわかっている。そこで思うのだが、星の生まれる前は一体何があったのか。それこそ1000億年前は、この宇宙というか空間には何もなかったのか?それに関して、いや質量を持たないブラックホールが存在し、それが250億年前のある時1瞬にして爆発して今の宇宙が出来上がったとも言われている。もしもだが、その歴史を2時間くらいの映画にして見れば面白いのかな。恐竜誕生とその謳歌の時代が一瞬にして通り過ぎてしまうのだ。その映画を見ればワクワク感と共に自分の人生なんてホンの屑みたいなもんだなと思えるだろうな。お墓に花を添えて神棚を祭り、コンビニでPCソフト代金を払い込んでソーネクストの筆まめ30を買った。これまで使って来た筆まめ14はWindowsXPで稼働するが、プリンターが故障し、接続できるものがないため、Windows10に接続したOSが降るので古いプリンター(故障中)を使わざるを得ないのだ。インストールが終わると、きまさごのカンショ畑(候補地)に出かけ、畝を掘って伐採するカンショの種を埋める準備を日暮れまで行った。風呂を沸かしながら暗くなるまで庭や井戸の掃除を行った。明日は出かけるので、冷蔵庫にある残り物が豪華であるはずの大晦日の食べ物。明日は日清焼そばUFOの予定だ。夜は「オペラロミオとジュリエット」。一人で自由に過ごせる週末の様な感じだ。 12月30日(月曜日) 雨音で目覚めた。午前2時だった。このまま起きては身体が参るので3時までは眠れないけど、横たわって居た。伝承館に着くともう、じっちゃん(90歳)は来ていて、僕のサトウキビを絞っていた。今回はさらに1節分前回比で短く切ったので、直径が大きく絞るにも苦労されていた。今回は短かい未成長分を収穫してないので(味を損ねるのではと、師匠の提言)、糖度は19%。出来は極上。師匠の奥さん(最終工程を担当)もこれは見ただけで品質がわかるわ。と言ってくれた。師匠は勿論極上品との太鼓判。仲間も良い品だと褒めてくれた。僕も自信があった。そして帰る段になってみんな呼び止められて、暫定で給与に支給があった。あれぇ、あるの?僕はいらないよと伝えたが、まぁもらえるものはもろうちょき。と。この2日間のみ。他は記録してないので無給(勿論それで文句はないのだが)僅かながらも、冬のボーナスを貰った感じだ。近所の友人は、親戚のおばさんからおせちをもらったと持ってきてくれた。彼は、貝教室で今晩も明日も明後日も近くの2つのホテル掛け持ちで励んでいる。だから、今日も挨拶のみ。多分彼も、僕もこんなに年末年始を仕事で奔走するのは初めてじゃないかなぁ(現役時代を含めて)。今夕はゆっくり風呂に入って、TOIEC攻略の本を開いたが、1ページ半で目蓋が開かなくなって断念。2012年仙台時代、訪問活動で成果なく萎れて帰り、狭い風呂に入って英語の本を開いた記憶が戻って来た。あの頃は仕事とは別のことに集中出来るのが唯一の慰めだった。そして、僕の自覚ではこの時に1ステップ英語力が上がった様に思う。 12月29日(日曜日) 今日は高知大学で試験的に栽培しているサトウキビの製糖のお手伝い。大学生三人が来ていて、素直でキビキビしているので気持ちが良いので、僕の作業分担を沢山分けてあげた。理由を説明して作業見本を見せる。そしてやってもらう。再び見本。そうして修得する。女の子も興味を持っているので、分け隔てなく与える。この辺りは、昔、新入生を長年預かった事があったのでスムーズだった。そして10時過ぎ、再びネイト君登場。実は彼も好奇心の塊で、今日の作業を是非体験したいと言うので来てもらった。しこうさんもOKで、彼を引っ張り回してくれた。仲間には彼に頼むときは英語で言ってねと伝えたら(冗談だが)、おかしな日本語で話しかけていた。作業は午後4時半に終わり帰って風呂を沸かし買い物をして8時には床に着いた。9時の時報で目覚めたが、再び熟睡。疲れ果てた。まだ帰ってこない息子には、蜜のお土産があるとメールしておいた。単なる親父の押し売りだろと理解されるだろうな。それでもいいのだ。これはキチンと消費者から700円のお金を頂ける商品なのだから。僕はアマチュアだが、商品はプロなのだ。そして今の時期、引く手数多だ。自己満足かもしれないがそれでいいのだ。 12月28日(土曜日) 朝7時からサトウキビの収穫にかかった。今朝は冷え込んでいて、手足がかじかんだ。でも、ここは高知。太陽と共にぐんぐん気温が上がり、9時にはうっすらと汗まで出てきた。20kgを仕上げて、新しい畑に取り掛かった。ここで友人登場。何と、娘婿まで連れてきての応援だ。ネイト君。アメリカ人。Nice to meet you.日本語検定1級なので、日本語が通じる。彼の早口の英語は聞き取れない。三人でサトウキビの収穫に取り掛かった。早い。12時には122kgまで行った。昼飯に、近くの料亭「フジ」で一杯盛り海鮮丼を食べた。箸の使い方、生物全然平気だった。外人さんに話を聞くのは面白い(日本語で)。もう手伝いは結構だと言ったが、最後まで応援すると言われた、結局210kgまでを午後3時に終えた。ありがたい。彼はITの技術者。その方面は凄いのだが、農作業はチット首を捻る。サトウキビを10本づつ紐で縛るのだが、ゆるゆるだし、根と穂先がばらばらで縛っているなど、いろいろと齟齬もあった。でも助かった。僕は余裕を持って夕食の買い物に出かけた。息子にもメールして明日は3時に出かけるから見送りできない旨伝えた。 12月27日(金曜日) 今日も疲れが残っている。取り敢えず洗濯を済まし、知人に手紙を書き、年賀はがきを買うついでにプールに出かけた。せめて今年は自宅から高知までの距離くらいは泳ごうと1500mを泳いで年間累計32km。取り敢えずここからはりまや橋まで泳ぎ切った(継ぎ足しだけど)。今年ほど水泳の距離が出なかった年はない。膝の故障と、サトウキビの草引き、柵作りの影響だ。近所の人も慣れない百姓仕事なのによう出来るね。と言葉をかけてくれる。家庭菜園程度ではここのお百姓さんは甘くないので歯牙にも掛けてくれなかっただろう。かなり本格的でないと。でも僕は百姓に向いてないと思う、何故ならきちんとしないと嫌なので、トコトンやる、時間も体の健康も投げ打ってやる。適度なバランス感覚がない。それで犠牲が大きい。多分父もそんな感じで、体を壊し、それが原因で逝ってしまった。だがやり出すと止められない。やめときゃいいのに、始めてしまった。そんな中、しこうさん(サトウキビの師匠)から電話。「30日釜の余裕ができたから持ってきいや」。この意味は、明日200kgの収穫をして持って来て下さい。29日30日と焚きますから、その間に貴方の分を入れましよう。と言う事だ。さぁ困った。僕だけ朝7時から夜8時まで頑張っても、150kgが限界。それで、高知の友人に応援を求めた。 12月26日(木曜日) 12時間寝た。老人になってもこれだけ眠れるのか?息子が車を出す為に車庫の扉を開けた音で気がついた。それがなければもっと寝ていたかも知れない。食事の後、清掃してなかった一昨日前の風呂掃除。今日は時間があるので徹底的に磨いた。その後頓挫していた英会話。wishの使い方。過去形を使うが、I(私が主語)の場合was でなくて、were。ちょっと覚えきれないと言うか、とっさに使いきれないなぁ。多分通じる筈だが。英語の極意は深い。時間の許す範囲で英語に時間配分しよう。午後は再び布団で睡眠。午後3時財産区会議。黒潮カントリーの会長から経営状況の話。それを受けて、土地の賃貸料を西分部落としてどうするのかの話し合い。要望は年500万円の減額。正式回答をしてない中なので、この会議のことは書けない。帰って風呂焚き、買い物に行くには車に積んだサトウキビの搾りかすを処分しなければならず、小雨の中それを行っていると、買い物も面倒臭くなり、冷凍庫にあるものを集めて炒め食べた。ここ最近家では取り敢えず食べる癖が付いた。8時過ぎにはまた睡魔がやってきて床についた。 12月25日(水曜日) クリスマスも関係なし。昨夜はうまく眠られず、1時45分に腕が痛く目が覚めて結局3時間くらいしか寝てない。3時に伝承館に駆けつけて、作業を手伝った。僕のは最後で、9時過ぎにしぼり始めた。師匠のしこうさんに腕が痛く眠れず、27日の200kgは延期すると伝えた。誰でも最初は眠れないが、もっと疲れるとスコンと行くと返答。何だか若者のやり取りみたい。お互い老人の身体なんだだが。今回は石灰で沈殿を合わすのから、火加減、かき回す作業まで殆どを一人の責任で行った。200kgを絞って砂糖にするには1/10くらいに凝縮する作業。薪で水分を蒸発さすには、1m3の薪を焚く。所要時間は絞る時を含めると5時間半。しかし、後の工程は先(前)の工程が終わるまで待つ時間があり、さらに30分から1時間程が追加される。出来上がりの確認は僕では出来ず、数人がチェックする。メンバーは皆ベテランだが、僕は新たな手法を持ち込んだ。一つは短く使う(穂先まで使用しない)。一つは皆が育成した品種「黒海道」(南国でしか出来なかったサトウキビを、それよりも寒い四国や中国地方で栽培できるように改良した品種)とは違うもの。黒海道よりも圧倒的に太く長い。糖度は低い。(平均19度のところ、僕のは18度)。それでみんなは興味深々だった。他より、アクの沈殿が圧倒的に少なく(多分穂先を短くしたためだろうと言うが、僕は丁寧に皮を剥いたためだと思う。他の人は皮を機械で剥ぐから綺麗に皮が取れてない)出来上がった砂糖は色が濃かったが、冷却するとだんだん普通の砂糖色になって、砂糖のザラザラ感が強く、容器から剥がすのにもしつこさがなかった。じっちゃん(90歳のサトウキビ作りの名人で芸西村1番、と言うことは多分四国1だと推測です)の砂糖と対極をなす砂糖だと、師匠のしこうさんは言う。僕も自信がある。まずは草が一切生えてないほど草引きを行ったし、まっすぐ伸びるように柵を施した。今年は台風がなく、何処もまっすぐに成長したからアドバンテージは1つだけだったが。こうして厳しかったサトウキビ収穫1段が終わった。近所には蜜の状態で配った。英明くんは早速ハウスに行ってトマトを持ってきてくれた。それはまだ少し暖かった。息子には2個渡した。蜜はサンプルなので12個しかない。まだ収穫は始まったばかりで、1300kgくらい残っている。 12月24日(火曜日) 400kgのサトウキビ収穫だが、正午の状態で15束。1束12kgとして180kg。1日半で200kgに満たない。結構やばい状態。3時に伝承館に持ち込み計測すれば、250kg。今回は、切りそろえたものを高圧洗浄を行ったなど、余計な時間も含まれる。後100kgないと釜を焚けない。風呂を焚きつけ、照明器具を準備して、まずは伐採。伐採したものを集めた。そして茎から葉っぱを切り離す作業を行う所で暗くなった。陽が沈むと寒くなった。日中は暑かったので、薄着だし、蚊が出てきて蚊取り線香を腰に巻いていたのだが。凍えながら続行。19:30終了。息子も帰ってきて、こんなに遅くまでやっているのを見て驚いていた。(彼が出かける時にはもう作業を開始していたから)。明日の朝飯(伝承館で食べるもの)を買い出しに出かけ、帰って食事の準備。寝る時刻が9時を回った。明日は3時出発の予定。 12月23日(月曜日) 朝息子がやってきて、電気代を払ってくれた。その時、東京勤務の話をすると、今時そんなオファーがあるのは凄い、失うものがないから行ってきたら。僕の親父と同じような事を言った。夜は友人が訪ねてきて、そうか行けるなら行ったほうが良い。俺は田舎が好きだけど、オマンは街が好きやきにね。と環境は支援する。後、親類の意見だ。さて、サトウキビ切りだが、結構時間がかかり、本日は多分150kgくらい。今回は穂先まで使わず短く切った。その裏付けの為に、何処まで甘いのか実際にかじってみたりもした。判断は正しく、皮を剥くところまで行けば甘くない。一方で出来るだけ根本から切った。穂先が甘くないと言うことは根本ほど甘いと判断した。しかし、根元は根があり、土が付着する。今回は土は高圧洗浄水で流し、根は鎌で削いだ。ここまで手を入れれば良い砂糖ができるはずだ。穂先は車に積んできまさごに持ってゆき土の中に埋めた。帰りに車を脱輪させて、1時間ほど立ち往生。タイヤの下に枕木を敷いてやっと這い出た。4駆で助かった。暗くなる直前にお寺に行ってお漬物とおこわをいただく。「出来たから取りにきいや」と奥さんから電話があったから。家庭の味はしばらく味わって無いからありがたくいただく。忙しい時にはいろんなものが重なる時だ。こう言う時こそ英語が離れるから、寸暇を惜しんで接しよう。 12月22日(日曜日) クラシックの凄い通の方で、手ほどきをいただけたお客様F氏が久しぶりで来館された。病気でもされているのかな?と思っていたが、執筆仕事が舞い込んできて、身動きが取れなかったとの事。彼の基本は3Bとフルトベングラー、Wiener Philharmoniker。ここさえ抑えておけば、大体話は通じるが、何年の録音かまで察知しておく必要がある。そして、究極は客、演奏者、指揮者の突き詰めた瞬間の連続が名演奏となるわけで、それが生演奏や、CDの中にやたらと転がっているわけでは無いと主張される。私も同感だ。それに私は加えると、試聴環境も一躍買っていると技術面で補足する。そんな話をするものだから、1時間があっと言う間に過ぎて、F氏も多分今日は短く感じるだろうなと予測されて来館されたとの感想。次にはベルリンからのドイツ人。奥さんはスペイン人。御自身のオーディオシステムを披露された。スピーカーはインフィニティだった。アンプは自作。真空管の品番を聞くのを忘れた。MT管のようだったが6CA7クラスかもしれない。僕がご主人と話す間奥様は僕のiPhoneでサンタナを聞かれた。ラジオ英会話は結構意地悪なクイズがある。work(働く)walk(歩く)、僕は聞き分けできない発音だ。前後の文脈がわかれば全く問題無いが、この紛らわしいところで混乱するから、全部を放棄せざるを得ないのだ。実際の会話は目を見て、身体を見ているからそんな間違いはないから、ラジオの番組は鍛える面で一役買っていると思う。今日は午後6時10分に退社し、新幹線に乗ってからレポートを仕上げ、トンネルを抜けたあたりで送信した。11時45分帰宅。明日からのサトウキビ収穫に備えた。 12月21日(土曜日) 仕事は出会いの機会だ。今日は前に訪ねてくださったまま消息をたっていたお客様が来てくれた。と言っても元を正せば元松下の社員でエアコン事業の方だからつきあっても安心感がある。大のクラシックファンで、1年の内2ヶ月ぐらいはヨーロッパを行脚している。前回のベルリンフィルに行った時は、彼は違う日程で同じ演奏を聞いている。他にも、バイロイトで、ワーグナー指輪3部作を聴いたとか、垂涎のような体験をなさっている。来年はベルリンフィルの常任指揮者でキリル・ペトロンコの追っかけような聴き方をするらしい。僕も70歳過ぎればこのパターンかな。彼も言った。(エアコン時代は奇人扱いになるから、話すのを避けていたと言われる)この話が通じる人が居ないので寂しい。今日までに何度かここに逢いに来て下さったが、私が休日の時だったらしい。僕も音楽を一杯聴いて眼力を高めたいが、これから農業作業のピークを迎えるので厳しい。夜はU君、A氏と北新地で懇親。今年もクリスマスは寂しく過ごすのかなぁ?と思っていたが、こうして楽しく過ごせたのはありがたい。席上、東京勤務の話が持ち上がった。健康さへ許せばまた行きたいと思っている。東京は面白い。 12月20日(金曜日) 5時半に起きて英会話1本を聞き終えた。それから食事。再び英会話。これにはたっぷり2時間はかけている。それでもヒアリングはまだまだ。イタリアに行くまでにはもう一段のシフトアップが必要。NHKの番組は聞き流せばそれで事足りるが、深読みすれば結構難解だ。その部分は書き取りだ。写経の感じ。それで一体効果があるのか不明。不明だが、書けば何となく安心感が湧いてくる。単語の綴りは少し上達したのかな、辞書を引くときに心持ち早くなった。何度も同じ単語を引くのでと言う理由もある。例によってJR四国沿線は寝てばかり。過日の疲れなのか、目が開けられない状態がしばらく続く。大阪でカメラを物色するつもりだったが、茨木に直行し身体を休める事にした。 12月19日(木曜日) 昨日と同じく2:45起床。辛い。いつものメンバーといつもの作業。もうあんまり指示はない。手が空けば、必要な仕事を見つけて行うだけ。僕は昨日と同じ作業に加えて竈焚きを行った。毎日風呂を沸かしているので結構うまいが、もう一人の竈焚きマンのメンツを潰してもいけないので、あまり長くはやらない、それにそこは灼熱地獄。30分くらいで汗で服がぼったりになる。ここの老人たち(僕もそうだが)と話していると、昔、僕のお爺さんが使っていた高知の方言が時々出てくる。What are you mean?時々聞き直して、あぁそうだったと記憶の底から、意味が浮かび上がってくる。午前9時に退散した。それでもたっぷり6時間の仕事量。帰って洗濯。台所、風呂の清掃。ハイレゾ整理。書籍のスキャナー。これでほぼ4時。それから風呂焚き。40分程度で切り上げ、洗濯物を持ってランドリーで乾燥。(今日は曇りや小雨で洗濯物が乾かない、後一押しの乾きがない、パリッとしたシーツで寝たいため)帰って食事。ラジオ英会話は夜。2本のうち1本のみ。9時就寝。 12月18日(水曜日) どんなに早く寝ても2時45分起きは辛い。幸な事に寒くない。伝承館(製糖工場)に到着すると、いつものメンバーはもう始めていた。今日は7釜1400kgを焚く。休憩なしの連続作業で水分補給は立って飲む。昼飯は10分。食べるだけ。飲み物は作業の合間。トイレは1分以内。3つの窯で最大熱量を出す様に薪を燃やすから、汗だく。その上、今回は焚いているサトウキビが吹きこぼれない様にかき混ぜる担当。直径120cmの窯をかき混ぜるのは相当辛い。でも吹きこぼれそうになるとそうは言っておられない。よく体力が持ったものだと感心する。何故だか、きつい作業と汗だくは身体の調子を良くさせる。いつものメンバーは一人を除き70歳以上で、一人は90歳。それでも皆んな元気で重たいものを持ち上げて、屈み腰で作業をして笑っている。この作業から元気をもらっている様だ。その健康に僕もあやかりたいと、この辛い作業に参加している。僕は臨時の突発的な参加だから賃金はない。特典は、まぁ自分のサトウキビを無料で焚けるのがメリットかな。同級生のトシ君が来て、車を買わないか?当面は予定がないが、困ったら相談すると伝えた。(来年の海外旅行を全部中止すれば買えるのだがとは言わない)疲れて5時に解散。90歳の「じっちゃん」を家まで送った後、僕は安芸市の銭湯に行った。いつものおばさんとにいちゃんに一言挨拶をして、熱い風呂に入った。ここの風呂は水風呂が特徴で、サウナもしくは長湯の後、凍えそうな水風呂に飛び込むのがいい。僕は自信がなく出来ないけど。帰りに弁当と明日の朝食を買って帰宅。寝るまでの残り時間に英語に取り掛かったが、大きな睡魔で9時前に就寝。明朝も2時45分起きだ。 12月17日(火曜日) 日経新聞でパナソニック特集が始まった。成長戦略がない社長に対する指摘だ。この特集がどの様に結論づけるのかは見ものだ。収益の柱だった家電でからBtoBに舵を切った。だが、企業相手のビジネスはうまく行ってない指摘だ。その筆頭がテスラとの電池事業展開だ。イーロンマスク氏の評価を書いた書籍を読んだが、中々多彩でありしかも捕まえどころのない感じ。ロケットに走ったり、中国に投資したり、その全容を理化した上での提携だったろうと信じたい。イーロンマスクはGAFAの経営者の様ではないのだ。今日は病気が心配だったので、高知のかかり付けの病院に行った。膵臓の検査をしてもらうつもりだったが、心配ないと一蹴され、何時も処方してくれる胃酸過多の飲み薬だけだった。その上、体重が増えていると指摘。調子の悪い一時期を脱したので、元の体重に戻したいと一生懸命に食べていたのだ。膵臓も食べ過ぎは厳禁と聞き、僕には厳しい忠告だった。(病気よりはマシだが)明日は3時からサトウキビの竈焚き。いつもは朝食に大量のパンと果物、昼飯に特大のカップ麺と乳酸飲料を用意するのだが、今回は少なめに抑えた。夕刻早めに終えたら、8時前に眠くなりそのまま就寝。 12月16日(月曜日) 毎週月曜日、帰省時、朝飯を新大阪のマクドナルドで食っている。所がいつも態度が横柄だと思いながら注文していたが、今日は6:47に山本さんと言う名前のご年配の女性から、決定的に非常に嫌な接客を受けた。一つは並んでいると、大声でどうぞと何度も呼ぶ、こちらが難聴者のような呼び方で、イライラしている(僕は財布から丁度の小銭を用意していたのだ)。注文するのが当たり前だと考えているのだろうか?そしてお金を払った時ポイントカードを出そうとすれば、もうレジは終わりましたのでできません。なぜ、他の従業員と同じようにこの人は聞かないのだろうか?そして、紅茶を注文したら、ミルクかストレートかトゲのある声で聞く。ミルクのみと答えて、出てきた品物は砂糖も付いていた。それじゃ何で聞くの?と言いたいのだが。兎に角、売ってやっている人で、当方のまごつきは彼女をイライラさせたのだ。カサノバ氏のマクド全体は日本全体では伸びている。でも影に隠れてこんな邪悪も潜んでいるのだ。いつも行く店なので残念だ。次回は山本さんを避けて注文しよう。今朝の新聞で世界のロボットの6割は日本製。やっぱりすり合わせの必要な機械は日本製が1番なのだと思った。ロボットの大のお得意さんは、自動車と電機業界らしいが、先日SL-1200でDJをロボットがやっているのを見た、勿論プログラム演奏だが、実に正確な動作だった。お寿司も握るロボットもある。いずれ接客にロボットが現れてもおかしくない。山本さんのような人は即刻ロボットに置き換えるべきだ。AIを採用したロボットはもっと親切に話してくれるだろう。ロボットが職場を奪うと危機を訴える論文もあるが、このように人間自ら職場を放棄させる様な事をしている事例もある。M.YMAMOTOさんの様に。高知に降り立つと「暑い」。大阪は寒くてコート必要だが、高知は汗をかく。帰って洗濯、風呂沸かし、そしてプール。2kmを1時間。普通の記録。へそ周りの肉の周辺部がやや下に垂れて来た以外に目立った弛みはなし。胸も張ったまま。いつまで若い頃の身体を維持できるのだろう。帰ると息子にあった。今日は休みだったと言う。少し話してお正月は高知に居ないと判明。千葉に帰ると言う。僕も1月1日は12:45の電車で大阪に移動する計画だったので、お正月料理をどうしようかと思っていたのだ。友人は貝教室で朝から留守だし。一人だと簡単な料理で済ませられるので全てが上手く収まった。英語と、音楽と映画の年末年始かな。 12月15日(日曜日) 街は人出で賑わう。ビルの中も外壁もクリスマスツリーでデコレートしている。今日は久しぶりにジャズの詳しい話をお客様と意見交換した。お客様も言っていた。身近にジャズの話ができる人はいないから寂しい。ジャズも系統立てて演奏者を知らなきゃならないし、その人は誰と組んだのかのかも必要。そうして、ジャズの系譜が出来上がるとともに、音楽談議ができる。でもマイナーなアーティストはどうしても一方的になる。特に僕にとっては日本人アーティストがそれ。定時に終えてJRで帰途。茨木駅下車、イオンの映画館に行った。「アナ雪2」を見るため。切符を買って丸亀製麺でうどんを食べる。アナ雪のツッコミは、秘密の森の住民が勢力争いをして、この森が外部と遮断された。ここから雪の女王に声が届く。この解明にアナとエルザ(雪の女王)が向かい、声の主はダム完成が囮りであり、森の一方の勢力が相手を潰したことが原因であった。エルザが奮闘して、二つの勢力は手を組んだ。ここまでは、何とも矛盾がない。所が、アナが、このダムを潰すことによって、平和が訪れると言う、つまり2つの勢力が和解する。ところが、もうすでに、講和は結ばれているのだ。だから何でダムを壊すのか理解に苦しむ。感動の場面は、アナのセリフから、「とにかく最量のできる事をしよう」。心に響くなぁ。 12月14日(土曜日) 出勤はコートなしのスーツのみ。寒い。高知を出る時はポカポカ陽気でコートは邪魔だった。今日は、サンタフェ(アメリカ)からの若い兄ちゃん接客。明瞭な英語。すごくよく理解出来た。サンタフェには有名な画家がいると紹介された。ちょっと名前を聞き取ることができなかった。The art of communication (簡単な英語で書かれている書籍)を原語で読んでいて、この本によると、分からない単語は聞き返すのが人間関係を築く元と書いてある。それを帰りがけの電車で読んで「しまった」。と思った次第。いつもそうだが外人さんは積極的に捕まえて練習だ。相手は異国で話し相手が出来るから僕以上に嬉しいはず。それと今日はスカラ座のオペラ席を購入した。約3万円。「ロメオとジュリエット」はかなり前の席。ドイツでの経験では、オペラは前席に近い程ピットの音がよく聞こえると経験した。オペラはイタリア語なので英語字幕のサービスがあるのか?不安。でも、あると前席なので首が痛む。本場のオペラと言えばミラノスカラ座だから、ここのいい席で聴けば箔がつくはず。オペラは午後8時から始まり11時半くらいの終了なので、帰りが不安。途中休憩でワインを嗜むのが気取った過ごし方(ドイツではそうだった)、だが僕は飲むと寝てしまうだろうからできない。ホテルはミラノ駅前なので電車で移動か?電車は終日動いているはず。帰りに隣のヨドバシ・リンクスの1階にあるユニクロでジャンパーを買った。16000円。暖かすぎて、電車や建物の中では暑い。XLサイズだが女性用だった。前のジッパーが男性と逆。多分バレないから大丈夫。男性用は大きすぎた。 12月13日(金曜日) 昨日はきまさごで山から湧く水を流す溝掘りを行った。この溝はイノシシが来て随分埋められて被害にあっている所。それで、汗をかくほどの激務だったので、午後7時過ぎには床に着き、キチンと3時前にスッキリ起床出来た訳。用意してあった朝飯(パンと、果物)を鞄に詰め込んで伝承館に駆けつけた。昨年もここで頑張ったが、それはボランティアだった。まぁお金をもらっても、税金に消えるだけだから、どっちでも良いのだ。ボランティアだから自由だ。結構きつい仕事を受け持ったのも、休憩にたっぷり時間を取るのも自由。6時間働いて9時に帰宅した。シャワーを浴びながら風呂を清掃し、日記をアップデイトすれば、もう出発の時間。車中は岡山まで睡眠タイムだった。早起きと6時間の労働のせいだ。大阪に出てHISでミラノ行きチケットを購入した。イスタンブール経由の便を検討したが、割高だったので、断念。ミュンヘン経由で行くことにした(ルフトハンザ航空)。ミラノはスカラ座。本場のオペラを見るのが目的。予定表ではシェイクスピア悲劇「ロミオとジュリエット」だ。地図を見ていると、このスカラ座の近くにダビンチの博物館がある。折しも、ウォルター・アイザックソンの「レオナルド・ダビンチ上下合体本(電子本)」を読んでいる所。ダビンチは如何に図形で物事を考えたのかが克明に記されている。500年前なのに、現存する資料だけでも5000ページは下らないと言うメモ魔だった。多分その現物がここで見られるはずだ。ホントなんか取ってつけたようなタイミングだ。旅行でいつも悩むのはどのカメラを持っていこうか?ということ。ニコンだともしの時は失望するかも。キャノンだと暗い所、近接に難がある。近接は食事の撮影だ。ヨドバシで粘ったが結論出ず。目的から逸れるがシグマの135mmを覗いてみれば、噂にたがわず素晴らしいものだった。当面悩み1月10日迄には結論を出そう。 12月12日(木曜日) ![]() 12月11日(水曜日) この日歴史は動いた。まぁ言うほどのことでもないが、シコウさん(この人はご年配(76歳)にもかかわらず下の名前で呼ばれている)が来られて、「カンショのあじ見てみんかよ」と言われた。つまり、仮に絞って、糖度計で調べたらどうかと言う意味。早速1年ものと、2年ものを切った。それに、先まで残して切ったのと、岡村流の先端は収穫に使わないのと、全部で4本準備した。2年ものの糖度は19度と18.5度。1年ものは17.6度と16.3度。先端を使わない方が1度位糖度は高い。早速年内の収穫が決まった。12/25。逆算すれば、12/24日に伐採して収穫するから、伐採した先端部を種用に埋めなければならず、その作業も含めて24日なのだ。それで、今日は急いでその畑をトラクターで耕し溝を掘り、畝を作った。そして、22日の出勤後は、無理して帰省し、その日のうちに帰らなければならない。結構一人で大変だ。13日は練習のために罐焚きに行く。午前3時から9時までだ。それ以降は大阪に移動するために断った。師匠迄が走ると言われる師走。本当に忙しくなる。今日は、山の神様のお客様で、お祭りのお供え用のカシラ付きのイトヨリ鯛を買ってきた。家を掃除し、庭を掃き、トイレを洗う。お酒はメインにビール30本。焼酎は魔王(5、400円)、ハイボール用にサントリー角。皿鉢料理3枚。〆て5万円。収入は7500円。これがお祭りの「棟」の役目。お祭りした魚とかは、明日山に登り下げなければならない。まぁ山と言っても我が家が山の中にあり、裏に回って50mだけど。 12月10日(火曜日) 12月8日を過ぎると、段々と夕暮れが伸びる。今は、4時から風呂を焚き始めないと、焚き上がる5時には暗くなってしまう。風呂を炊く間本を読んでいる。「ホルズム海峡の南」オマーンに赴任した大使のエッセイだ。この本の中で度々触れるのはイランについて。アラブ紛争の元はイランにあるような書き方。しかし、節度ある紛争を演じるとある。1988年の話だ。翻って現在はどうか?今でもイランは核開発の問題で物議を醸し出している、内容は変われどパターンは同じ。Google MAPでこの地方の航空写真を見れば、パキスタン西から、エジプトまで砂漠だ。緑がない。そんな所で育まれた精神はどうなるのだろうか?先ずは忍耐力がない、激昂しやすい、妬む。古代ローマ帝国の発足当時から中東は紛争の元だったから、きっとこの地方の環境がそのような人物を育てたのだろうと思う。中東でまぁまぁな穏健なのは、小国で国全体を緑で覆っているバーレーンやアラブ首長国連邦やクェートのような所。人類はアフリカの草原で他の動物から進展して、アフリカを脱出したが、脱出する契機となったのが砂漠化(緑無し)だった。そこにDNAとして何かが埋め込まれて、人間は緑がないとろでは住めないのに、無理して住むと変調をきたす可能性があると僕は見る。 12月9日(月曜日) 今日もいろんなことがあった。僕に取ってはという意味で、世間的には些細なことだけど。一つはオーディバナ(ハイレゾ再生ソフト)でハイレゾを再生、聴き比べはNASからのネットワーク再生。オーディバナの方が鮮度高く軍配があがる。新たなNASの購入は延期して、HDDとオーディオ用USBケーブルの購入で楽しめそうだ。ヨドバシカメラでもUSB-Cの扱いはごく限られていたから、変換ケーブルの御世話になって少し難民状態が続くかな。午後は沖の畑をトラクターで叩いた、ついでに親類の畑、我が地の西谷の畑。西谷の畑は来年よしかずさんに貸すことが決まった。近所だから口約束。面倒ない。家に帰り、小一坂の櫨の木切り。まさのりさんから依頼を受けていた。梯子を使って切っていると、近所のしげおさんが「そりゃ怖い、梯子が滑ったら大怪我するぞね」と言われ、梯子をやめて岸の上から切った。別の近所のおじさんも出てきて、チェーンソウを持ってきた。僕は「かまんぞね、のこぎりでやる気に」直径10cmくらいの木はのこぎりで十分早く切れるのだ。まぁみんなありがたいお節介だけど嬉しいね。その後買い物して夕食。買い物では大きなキスが売られていた。目が輝いていたのでそのまま姿焼きにした。やっぱり新鮮が1番をひしひしと感じたのは、調味料なし、素のまま食べてほんわかと味があるのだ。バターで炒めた水菜を併せて食べたら極上の味だった。そして夜はシューベルトの弦楽四重奏をハイレゾで聴く。生々しい弦の音で鳥肌が立つほどだ。娘から休みが取れそうにもないメール届き、来春のイタリアは一人旅の予定。小さな自分の世界の出来事だけど多彩だった。 12月8日(日曜日) 日曜日の列車は空いていた。阪急電車もJRも新幹線も。金土の仕事もありだな。道中は雑誌「カメラマン」を読んだ。未読は後10冊ばかりを残す。これを完読すれば、ほぼ毎月の定期刊行物の読書となり、普通の書籍を読む時間が増えるようになるから嬉しい。今年は昨日までに104冊読んだ。書籍を読むのはiPadで、本を手に取って読む事はない。いや、もう本を手に取って読むことが難しくなっているというか、読めなくなっている。文字が小さすぎるのだ。電子書籍は文字を拡大して読めるから良いが、普通の本はハズキが必要だ。そこでiPad Pro(12インチ)のお世話になる。この画面一杯に1ページを拡大すると大概の本は読める。日経新聞もiPadだ。日経新聞は文字をテキストベースで切り取ることができ、保存ができるから、こちらは紙面よりも利益が大きい。iPad Proは少々重いが、何冊も本が貯まっているのでそれを考えると妥当な重さだ。問題は酷使しすぎて、電池がへたった事。交換には1週間程必要で、これがないと僕は生きてゆけなくなっているから、修理に出せないでいるのだ。高知の天候は晴れ。洗濯と風呂焚き。その後はプールへ。水泳も膝の怪我や草取りで頓挫して未だ26km。こんな記録は初めてだ。せめて芸西村から高知までの距離32kmは泳がなければ面目が立たない(自分に対して)という事で、一回あたり1、5kmだったルーティンを2kmに上げた。2、5kmはちょっとしんどくなっている。2010年、大阪に住んでいた頃は1回平均3、5kmで2kmは軟弱に思えたのだが。 12月7日(土曜日) 昨晩は遅かったが茨木駅周辺の居酒屋や飯屋は一杯で大変だった。それで飯屋で焼き肉定食1000円をたべたら、量が少なく失敗したと思った。でもここが昔と違うところで、まぁいいや、このまま寝ようとなるのが老いたところかな。それで朝飯は吉野家の朝定食をしっかり食った。今日はタカラトミーさんとの協賛で全館がおもちゃデー。子供さんで賑わった。その中に混じって、僕が新入社員を預かり始めた1期生が子供を連れて来館していた。もう39歳になっていた。そして、僕が歩いたアジアASOMの地域を担当していると言う。なる程。夕刻はお寺で何とか言う直筆の言葉を帳面に記載してもらうのを収集している方で、その記帳したノートが45冊になると言われた貴徳な方とか、松下イズムを講演するボランティアの方とかがお越しになり、僕の知らない世界を広げてくれた。僕は、音楽、カメラ、英語、映画、書籍(主に生態系)と生きる範囲を絞っているので、仕事を外せば門外漢となる事が多い。中途半端は嫌だと言う性格は高知の天気と関係する。高知は雨か晴れかの天候だ。曇りは極めて少ないのだ。女でははちきんと呼ばれ、男はいごっそと言う。また、それをよしとする風潮があり、関西経済ブロック、中国地方経済ブロックから四国山脈で隔離されている為、現在でも色濃く残っているのだ。ヨドバシカメラにUSBタイプCとAのケーブルを購入のため立ち寄った。同じフロアにテレビコーナーがあり、しばらく彷徨ったら、LGとソニー、東芝に売り場は占拠されパナを見つける事が難しかった。そしてやっと見つけたと思ったら、最上級のZ2000を安売りしていた。悲しくなった。あれだけ精魂込めたパネルを安売りするとは、結局儲からないし、機種展開が難しくなりジリ貧だ。そして、パナの液晶テレビ横にソニーの有機TVが鎮座し、画質の圧倒的な差を示されていた。パナは女性のSEが安売りを連呼していた。ああこの人では、このような展示に対しても気がつかんだろうなと思った。もう僕はパナじゃ無いから販社の誰かに言うすべはないが、このような事がベルリンの量販店でも展開されていて、いい餌食となっているのを見た。パナは家電が儲からないと、ビジネスモデルを変えようともがいているが、自ら儲からない仕組みをばら撒いているようにも見えた。多分儲かる仕組みは川上にあると思っておられるだろうが、トータルで満遍なく強みを発揮しなければならない。吉本興業が個人のキャラを全て使って面白みを発揮させているのと同じマネジメントが必要なのだ。 12月6日(金曜日) 試験的に始めた金曜日の18:30-19:30営業枠。この為大阪のショウルームでの仕事終了は8時ごろとなる。普段は土日対応なので問題ないが、今回は金曜日勤務だった。そしてこの企画初のお客様がみえられた。外国人だが日本語ペラペラの方。伺うとインド人。綺麗な英語も喋るし、日本語は関東弁だ。最初はジャズを聞かれたが、後半はオペラ。インドといえば僕がハマっている国。少しその事に触れると、なんとパナの代理店の仕事をしていてパナソニック・インドをよくご存じだった。僕らがお世話になったA氏もご存知だった。ゴアの魚取りの話とか懐かしかった。僕は何とかしてインドをもう一度縦断したいと言うと、その方はインドには帰りたくないと言われた。ユーミンがいたから日本に居たいのだと言う。インド人は優秀でピーチャイがCEOになった事を指摘したら、かなり誇りに思うと言われた。指揮者のズービン・メーターもすごいと伝えた。白鳥恵美子のアメージンググレース(僕は完璧な英語だと思っていたが)を演奏すれば、直ぐ日本人だと見破ったのはさすがネイティブ英語を話す人。昼間時間帯には、相当なお年を召した方が、タンノイを持っているがアンプやプレーヤーは手放したと言われた。ベートーベン7番をリクエスト頂いたが、カルロスクライバー盤を直ぐに取り出せず、クレンペラーで対応した。クレンペラーも5番以降は秀逸なので問題は無いのだが。歴史的名盤を出せば僕も鼻が高かったのだが。中国人も対応した、Google翻訳で覚えた挨拶を言うと反応が無かった。後で中国人の通訳に聞くと、そんな言葉は今はもう使ってないと言われた。 12月5日(木曜日) 人類の歴史の本を再び読み始めた。タイトルは「脚ヒレはなぜ進化したのか?」かなり面白い。例えば動物が動くためには、左右対象になっているが、これは何故か?などだ。かなり分厚本なので、ゆっくりと行こう。この前は哲学の本だった。いずれも生き方にまつわる本で、本当は青春時代に読んでおきたかった。少し話はズレるが、生き方に於いては自分の意思で自己実現を図るのが正しいと思って来たが、どうやらこれはごく一部の考え方で、生き方を強制された方が寧ろ生きやすい人(国民)もいるようだ。その代表例がロシアと中国。あるいはシンガポールかも知れない。超優秀な人が導いてくれれば良いと言うのだ。先頭車両に駆動車を置き、後続を牽引する欧州の高速列車もその一例。日本の新幹線のように2両に1つの駆動力が備わっている方式とは違う。果たして何方が幸せか。インドのように各人が自由であるがために中々経済が浮上できないのは幸せかどうか?矯正(強制)することは出来ない。それも自由だから。所が自由であるアメリカは中国の内蒙古に対する人権問題に口出しするし、イラクに介入しぐちゃぐちゃにしたのもアメリカ。ほっといてくれ。と言いたいのだが、ほっとくと、誰かが別の事をやりだすから厄介だ。つまりは、力関係の微妙なバランスの上に幸せが維持されているのが最良なのか。それも自然環境に恵まれて。その環境についてだが、グレタ・トゥーンベリ氏は、この訴えの為に飛行機を使わず、自らのボートでスペインまで移動すると言う。しかしそれは、見張りの船とか、船の建造にまつわる資源の使用とかをトータルで併せると、飛行機など集団を移動させる乗り物が1番地球環境に優しい事になるのだが。四国八十八箇所詣りも、徒歩が1番環境に悪く、集団でバスと言うのが1番良い。今日は移動日。昨日に全てを済ませ、出発まで音楽を聴くのみ。列車の中は相変わらず眠ってばかり。今朝も朝の英語勉強の時、少しばかり横になって朝寝をしたばかりなのだが。 12月4日(水曜日) ![]() 12月3日(火曜日) ![]() 12月2日(月曜日) ![]() 12月1日(日曜日) 腕や腰が痛むのは、昨日無理やり完成させた石積みの影響。家の西の畑は僕が帰省した2012年にはもう一部で崩れていたが、2018年の大雨で本格的に崩れた(僕が熱心に除草剤を振りかけたせいでもあるが)。すぐに修復に取り掛かったが、さとうきびの世話で中断し、やっとこの時期に着手する事が出来た。写真で見てもかなり大掛かりな工事だと思う。土建屋さんに注文すれば如何程か?勿論しっかり具合は違うけど。僕の場合は無料だが、崩れたら再びやり直せば良い安心感がある。現に、昨年はいい所までは修復していたが、今年の大雨で再び元の木阿弥になった。今回はその反省を踏まえて、表面の石に対し、3倍位背後に石の支えを行なっている。大量の石が必要だが、お城を築く方法をテレビで見て、これならシロウトでも出来るわと、工法を真似た訳。先月は書籍を13冊読んだ。映画も3本見た。音楽はクラシックを中心に数えられないくらい聞いた。そう言えばクラシックの話題で新聞によると11月世界の3大オーケストラが来日したとある。Berliner Philhamoniker、Wiener Philharmoniker、Concertgebouw。残念だが東京に行けてなく聴けてない。負け惜しみではないが、ベルリンフィルの指揮はズービンメータだった。この夏にベルリンで彼の指揮を聴いたが痛々しいほど弱かった。大枚は払う必要はないだろうと思った訳。ウインフィルは本当に残念だと思う。コンセルトヘボウはパーボヤルビー指揮で彼はNHKで良く見ているので今さら感があった。しかし、これらは是非とも現地で見たいと思っている。再来年はぜひともウインフィルとコンセルトヘボウへ行きたい。一方ジャズについては、アメリカのブルーノートから毎週メールが来る。最近はクリスボッティの案内が多い。アメリカでは55ドル、日本にも2月に来て13000円だ。でもアメリカは旅費がかかり音も悪い。雰囲気は最高だけど。日本は音が良い、トイレがきれい、肉とバーボン・ウイスキーで1万円は飛ぶなど食事の値段が高い。痛し痒しだ。これには関係しないが、音楽の件に関して誰も共有する知人はいない。一人で思い出を墓の中に持っていくのみだ。夕刻プール。2km。1時間1分。平泳ぎ500mを含むので、クロールなら1時間を切る筈だ。 11月30日(土曜日) ![]() 11月29日(金曜日) 歳を取ると出来ない事だが、現状譲れない事がある。まずは毎朝、低速ジューサーで絞るジュース。使った人は分かるがお手入れ大変。越し網に付く搾りかすを除くのが大変。もう一つに「煙らん亭(魚焼き器)」で魚を焼く。魚を載せる網に皮がくっつく、洗って取り除くがうまく出来ない。しかし、高知の美味しい魚を食べるには必須の魚焼き器だ。何日かに一度はお世話になる。最後に薪で焚く風呂。200ℓの満水を焚くので大体3回位約40分薪を焚べなければならないし、薪の調達や釜の清掃など時間がかかるし、身体を曲げるのに痛みが走る。でも風呂は極上。尻からお湯が登って来て、上から水が降ってくる。高知にいる時は日課。こだわりが時間を消費するのはわかっているのだが、定年後の余る時間を使っているのだろう。今朝は肩が寒くて目が覚めた。6時、エアコンを点けて食事の準備にかかった。身体はシャキッとしている。水泳の疲れはない。いつもと同じ。前回は起き上がれなかった。この辺の体調のムラが把握できない。午前中ハイレゾ整理。午後石積み。昨日の雨でぬかるんでいるかと思ったが、もう乾いていた。この分では明日完成するだろう。厚生年金保険から、未払いの手紙が来た。200万人の中に含まれていたのだ。まぁ振り込まれる金額は数千円程度だろうだから、手続き無しでも良いのだが。この申請と、JR四国がキャンペーンを行なっていて、大阪行きの切符を買うときにいつも応募用紙をくれるのでその申し込みを行った。これが今日の全て。夜は、ブルーノ・ワルターのブラームス2番を聴く。ベートーベンの時もそうだったが、彼の演奏には躍動感みたいなものがかんじられる。Macを買ったので、Apple TV+が1年間無料でついているとメール。開けると魅力的なのがない。有名なのは有料だ。 11月28日(木曜日) 月曜日からぐずっていた空から、やっと雨が落ちて来た。岸の石積みはお休み。写真の整理と他のハードディスクへバックアップ。昼飯に友人から貰った芋を焼いて食べた。甘くて美味しい。満腹にはならないが今日は歯医者に行ってついでにプールの予定だから夕食を早めに取る事ができそう。勿論外食。雨の日は何だか落ち着く。何もしなくても良い安心感がある。(晴れていると、じっとしている事が出来ず、何かせなあかん焦燥感に駆られるから)こんな日には風呂も沸かさず温泉でも行って帰るのが最良だが、息子のために風呂を沸かさねばならないのが辛い所。今回の歯医者での治療は歯垢取り。施して下さったのはケア専門の人の様で、痛くないし、的確。こんな事なら、2300円は高くない。歯ブラシの使い方では完璧な評価を得た。大体300回くらい磨いているし、歯茎も160回位だ。そのせいかプールは身体が軽く気持ちよく泳いでいたら、大学生娘がレーンに3人飛び込んできて、泳いでくれれば問題ないのだが、終端で横に広がっておしゃべりをするからターンができない。彼女らの魂胆は遅いおじさんの所へ押し寄せればやがて引くだろうと思ったに違いない。天邪鬼の僕は1500mで上がろうとしてたが、速度を落としてそれ以上行こうと決意した。そうしたら諦めて彼女等は立ち退いた。再びレーンを独占する様になったので、速度を上げたら、久しぶりに脳内麻薬が現れて気持ち良くなった。結局1800m行った。毎回不思議だが、これが来ると距離には関係なく疲れが出ないし、夜も遅くまで起きていられる。帰りにヤマダ電機でフォトショップ購入。ここでもMac Proは販売していた。車移動時はベートーベンのメサイヤ。意味不明だが中々聞かせる(ベートーベン250周年記念アルバム)夜はブルーノワルターのベートーベン第5。随分と特色のある演奏でフルトベングラーの対極。中心はカラヤンかなぁ、と思ったりする。こんな事をしていては、みんなと集まって酒を飲んだ時、スポーツや芸能界の話題についていけない筈だ。 11月27日(水曜日) 午前中マイクロソフトへチャットでの問い合わせを行った。判明したのはアカウントが違っている。どうやら2つのアカウントを持っているようだ。記憶の底を辿って行くとアカウントが開けた。そこからダウンロードしてOK。次にPDFソフトがやたら高くどうしようかと思っていたら、MacBookに付属のビュアーで少しの編集もできることが分かった。これで行こう。次に写真加工ソフトは明日購入しよう。ハイレゾ再生ソフト「オーディオデバーナ」を買うと、一応の設定が終わる筈だ。後外付けのHDDが必要、今持っているのはUSB2規格だから、Macには接続できない。いずれにしてもMacはお金の掛かるお姫様の様だ。午後農協へ行って保険の説明を聞かされた。「無敵」の保険から変更しろと言う。よくはわからないがそちらの方が支払いは安くなる。だから変更しようかなと思っている。推測だが、災害の見積もりがより厳しくなって保証が降りにくくなる可能性があるような気がする。それから、岸の石積み。かなり完成に近づいて来た。明日は雨。晴天が2日続けば作業は開始できるので、来週中に完成か。夕刻買い物に出かける時Appleからお知らせが届き今年のベスト写真を編集した映像があった。見ると全てを網羅してくれている。凄いと言うことで、夜は放って置いたiPhoneに入っている写真を整理した。2017年6月まで遡ったが、まだ完成してない。 11月26日(火曜日) ![]() 11月25日(月曜日) 朝6時15分に茨木のマンションを出た。駅までの徒歩の間に今年の出来事を思い出した。なんと言っても筆頭は海外へ行った事。自分の中にこんなに冒険心があると思っていなかった。人の事は中々分からないが、自分のことも中々分からないものだ。2つ目には音楽を聴くことがより一層充実してきた事だ。特にクラシック音楽は本格的にのめり込んだ。本場の音楽も聴いた。長年使ってきたスピーカーも変えた。タンノイまでとは行かないが、艶のある弦楽器の再生に成功した。3つ目には農業が本格化した事。近所の農家の人も、サトウキビに関しては一目置く言葉を掛けてくれるようになった。赤芋も成長し、来年に向けて種が取れるようになった。草のコントールも出来る様になった(今年はサトウキビの世話で出来なかったが)4つ目には息子が帰って来た。都会の生活を捨てて田舎に引き篭もった。僕の想像の範囲を超えた行動だから、その辺りは理解できない。5つ目には、英語の勉強法を変えたら、理解が進んで、読むことに関してはかなり行った。原書も2冊目にとりかっかった。翻訳も半分ほど進んだ。1時間半で1ページが可能となった。6つ目には、膝や耳や内臓などあらゆる器官が劣化し、今まで通りと言うわけには行かなくなり老境への境目の年となった。こうしたことを踏まえて、親類のおじさん所へ行き酒を飲んだ。もう年金暮らしをしいや。と言われた。そうなんか。 11月24日(日曜日) 4時に目覚め睡眠不足。今日からiPhone Xが無いので、少々不便だ。特にカメラ系。当面は一眼レフを持ち歩こう。今日の接客は少なかったが、一人当たりの滞在時間が長かったので、暇な時間がなかった。ガードマンの映画の先生(若い女性)にアラジンの吹き替え版を見たが歌が良くなかったと報告。すると彼女は両方見たが英語版が良いと言う。何回見たの?4回。そうか、これくらい見なきゃ映画ファンと言えないのか。恐れ入谷の・・・。一頻り昔の真空管の品番について会話を交わしたお客様も来られた。どちらかと言えば聞いてあげた。少し反応はしたけど。タワーレコードからSSNが届きブルーノ・ワルターCDが入荷した。早速行けば、何とポイント15%。オンラインと何方が得?店舗。足を運んでくれるから。このセットは77枚組。兎に角重い。這々の体で持ち帰った。早速代表のベートーベン第6番「田園」を聴く。目の前に田園風景が広がる。カラヤン版も良いが、これは格別。先般購入したチェリビ・ダッケが意外と良くなかった。なんだか卑屈の演奏なのだ。フルトベングラーの後釜を狙ったのに外されたと聞いているからよけいにそう思えるかもしれない。フルトベングラー、カラヤン、カールベーム、アバドと揃えたので、ブルーノワルターがあれば一休み。多分一生かけても聞ききれないだろう。この中で、フルト・ベングラーとカールベームはSACDだ。先日江本さんと懇親した時、彼は今でもDVDオーディオが1番だと信じ込んでいる(DVDオーディオ推進の松下代表だった)。でも今はSACDに駆逐された。一方SACDの推進社だったソニーも撤退している。残存勢力が草の根運動で盛り返したのだ。このブルーノ・ワルターのBOX版は分厚い解説書付き。輸入品なのでドイツ語と英語のみ。文章表現は幸いにそんなに難しく無い。難しい単語を飛ばし読みでも何とかなる。凄い写真集でもあるので、良い買い物をしたと思う。でも27000円。今週はお金を良く使った。 11月23日(土曜日) ショウルームに日本を代表するラグビー選手が来るとなり、一目見ようと整理券をもらう人が入り口に並んでいる。早い人は午前7時から並んだそうだ。むさ苦しい男を見てどこが良い?女性、ご婦人で溢れかえっていたが。夕刻閉店してからドイツ人のお客様が飛び込み対応した。ベルリンから来たと言う。僕も行ったよとコミュニケーション。ドイツ語が話せるか?Noですよと答えた。クラシックが聞きたいと言ったが、リストを見せるとロックを聞かれた。そうだ、今日はMichael Jacksonのグループも来られた。こちらも女ばかり。マイケルジャクソンの歌を練習する、小物を作る、踊りをまねる。年々大きくなって今は70人くらいと言う。世の中は多様性が進みますね。終わって、心斎橋のAppleストアに行った。MacBook Proが発売になったと言うので。iPhonexを引き取ってもらうサービスがあったので乗った。差額を払ったが31万円。故障が多いのでAppleCareに入らされた、35000円。これだけで中古のPCが買える。もうMacはステイタス以外に価値はないですね。だからスターバックスなんかで使っているとカッコ良い。マイクロソフトのサーフェイスも物としては良いが、スターバックスでは似合わないのだHPと同じように見られる。Macは重いので送って貰った。帰りに長崎ちゃんぽん(お金を使い過ぎた反省で、意味ないが)。マンションに帰ると檜和田さんから電話。ラックスのアンプを買わないか?ソニーのチャンデバ買わないか?これで元テクニクスの人と話すのは3日連続だ。色々ありまんね。 11月22日(金曜日) ![]() 11月21日(木曜日) 仏壇に花、庭の清掃、外のトイレの掃除、台所の床拭き。やる事は多いが全ては無理。雑誌の取り込みを行う直前に大阪連中から電話。もう南国インターを出たで。渡辺さんと植野さんがやって来る。懇親と翌日のゴルフが目的だ。我が家に案内し、早速安芸市の「寺尾」に向かう。キンメ、グレ、鯵、イカ、シジミを購入。帰って早速風呂を沸かすつもりが、なべさんはもう飲むと言う。少しアテを作って風呂沸かしに取り掛かる。今日は湯沸かし器を使ったし、竹で焚いたから、風呂が満水になる頃には沸きあがった。友人に開始時刻が早まったと電話して、5時半懇親会開始。40分位で次次と料理は出来上がり、僕も参戦。話題はゴルフだから、参戦と言ってもただ聞くだけ。一通りゴルフの話題が尽きると、野球、芸能界に行き、続いて僕は聞くだけ。これでいいのだ。酒は植野さんがバレンタイン17年持参。これも2口飲んだだけ。(ナベさんがほとんど飲んだ)日本酒は「安芸虎」。これは僕のオススメだが甘いと酷評だった。その後、人のうわさ話(悪口)になった。ここに居ないメンバーもいる人も対象で、まぁただの酔っ払いが脈略もなく話し続け酒を飲む風景になった。この辺あたりで片付け始め、僕の今日の仕事にメドを付けた。自分の部屋に帰ろうとするなべさんは敷居(50cm)から落ちて大変な事に。でも何とも無いと言うから僕らは安心。後4年で僕もそうなる可能性がある可能性があるから肝を冷やした。こうして、たわいもない話題で酒を呑み大いに騒いだ。いいねぇ。準備は大変、接待も大変。でもこうした騒ぎが出来る楽しさは金では買えない。 11月20日(水曜日) 高揚した「宴」。国際的な企業はほとんどが減益との報道。その中で、まだ楽観視できない中国との貿易問題を抱えながらも、アメリカは株価の高値圏が続いいている。根底にトランプがいる限り株価を維持するだろうと言う安易な見方がこの市場を支えていると僕は思う。アメリカでは機会損失恐怖症と言うのがあるそうだ。早い話、株を買うのを躊躇うと損をすると言った意味だ。知的なアメリカ人ではあるが、この楽観はどうにも理解できない。それですこし遅れて日本人が追随するのだが、果たしてどうかな。この2月マンハッタンのブルーノートで演奏者が立って踊れと言う曲があった。日本人だけが座って見てた。この日本人達は2曲目からは立った。3曲目アメリカ人は座った、日本人は立ったまま。こう言う現象が経済面でも起きないとも言えない感じだ、おそらく。午前中ハイレゾ整理。夕刻沖の田の草刈り2/3まで完了。夕食にナスのタタキ(友人たちに振る舞う予定)を試し成功。廊下の清掃、布団の準備。お客様を迎えるのは準備が大変だ。でも、あちこちを清掃し、壊れているところは修理すると、ぼろ家でも清々しくなる。それ以降は自分が気持ちよく過ごせるようになる。そんな面で、お客様を迎えるのは自分に喝を入れる面でも大変いいことだと思う。大阪に持って行くハイレゾ整理は完了。 11月19日(火曜日) 案の定、水泳の影響で朝から身体が怠く、朝一眠り、午後も一眠り。それでも、一日中怠かった。起きるとハイレゾ整理。もうそろそろ新規のNASAを買わないと2Tではパンパンだ。6TがIoから発売されそうなので、これだ。午後3時やっと元気が戻り、沖の田へ草刈り。草の茎が長くトラクターが入れないため。1/3仕上げた。その足でスーパーで買い物。献立は、明後日友人たちを迎えるから、その料理の予行演習。上手く行ったので息子にお裾分け(量が多くできた時と、失敗した料理はお裾分けしている)。失敗は酒。ダイダイ(柑橘類)を炭酸と焼酎で割ったのを拵えたが美味くない。日本酒一本で行くか?夕食後は急激に眠気が襲って来て9時に就寝。 11月18日(月曜日) 随分と寒くなった。晩秋もあっというまに過ぎてゆく。岡山駅でトラブル。宇野線の安全点検でまたもや運航停止。前回もあった。これは地方の設備老朽化が進み、その上に作業員も高齢化が進み退職してゆき、ノウハウが伝授されないまま、政府の仕事改革に従って無能な人が更に働かなくなる罠に落たのと関係がある。特に社会インフラは老人と同じで、いついかなる故障が起きてもおかしくない不安定の上に立っている、それが地方の現状だと思う。僕だって、いつも元気と言うわけには行かなくなった。突然朝から痛むと言うのがある。父はお正月に突然動けなくなったのが度々あった。これと同じだ。この対策に岡山駅で下車、レンタカーを探した。オリックス、日産、トヨタ、全てダメだった。面白いのは左記の順に規模が大きくなり、そして態度も順に横柄になった。オリックスは「申し訳ない、他社は向こうのあの看板です」と案内があった。トヨタはクレジットカードでなければダメと最初に条件提示から始まった。結局再び駅に戻り、松山行きの列車に乗って先ずは四国に渡った。松山行きの列車は8両編成で着座できた。この経済力の差の差もあるが、臨機応変度も違う。いずれも赤字路線だが。丸亀で40分待って高知行き3両編成に乗った。満員。立ったまま阿波池田で着席。まだ立ったままの人もいる。1本列車が運休したので、1両でも追加すればこの混雑は防げるが、土讃線には配慮は無い。そのような仕組みもないのだろう。高知下車大雨。最寄駅の和食でも大雨。降雨レーダーを見ると後30分くらいでこの雨雲が抜けそうだった。駅のガード下で過ごした。結局朝6時半に出発して帰宅したのが午後1時半。実質海外に行くのよりも遠いのが高知なのだ。これでは経済の発展しようがない。高知県は知事選挙の真っ只中。二人の候補が共通の事を言っている。「経済発展」。一人は国の行政が悪いのでこうなった。一人は、国から補助を得て発展させると。どっちも無理だろう。港、空港、列車。高速道路。もしくは通信の高速化。このように開けた県を推進しなければ高知の発展はないのだが・・・。畑仕事もできずプールへ行った。今日は調子が良くて1500mを40分。2kmも問題無さそうだったが念のために控えた。 11月17日(日曜日) 案の定食べ過ぎで朝の食欲はない。起きてから梅田まで行って、梅田で立ち食いうどんを頂く。それからスターバックス。ここで昨日の報告書作成。ジャズの歴史翻訳。ジャズのLP裏面に書かれた英語解説はだんだんと読めだしたが、この書籍の英訳は難しく辞書が必要。今年の完読は難しい(111/194頁57%)。今日は外国人のお客様との接触はなく、通路で電気製品を買うにはどこにけば良いか?ドイツ人のご年配に尋ねられただけ。教えてあげると、Fantastic Thank Youだった。May the force be with you.今、使うべきタイミングだったのにとっさに出てこなかった。毎回、朝の朝礼の時間。ドアを閉めてSB-G90を最大音量で鳴らしていると、だんだん音が馴染んできて、心持ち良くなった感触がある。もう一つ、SL-G700でディスク再生専用モードを使うと音のベールが一枚取れたような感じ。操作後復帰に時間がかかるので、頻繁には使えないが凄い機能。閉店してから、酔っ払いの客が入ってきた。紳士だったので対応。自作のCD持参。凄い演奏だ。ギターは2000万円の時価と言う。演奏も録音の音質も良好。やっと終わったかと思うと、今度はなじみの客。また暫く歓談。結局7時過ぎ閉店。空腹で空腹で、茨木駅を下車すぐの串カツ店で夕食。本来はもう少し先にあるインド料理の予定だったが、本当に我慢できなかったのだ。その店では野球を上映していた、韓国と日本。日本が優勢だった。ここで負ければ色んな面で面目が立たない。逆に勝てばブンジエンのメンツが潰れる。昨日の夕食から食事量の増減が激しいが、野菜中心で結構健全と言うか、僕の考える最良の状態で食している。まぁそれ故に多少の食べ過ぎでも空腹になり易い面もあるのだが。 11月16日(土曜日) ヨドバシ・リンクス開店。いよいよヨドバシカメラが、百貨店経営に舵を切った。梅田の一等地にある梅田ヨドバシカメラは、裏の広場にどでかいショッピングセンターを併設し、家電以外の販売に手を染めたのだ。ここにそれだけの商業施設が必要か?グランフロント北館、南館も新たな商業施設。でも見てみなきゃ分からない。開店早々と言うことだけあって、客足は凄いが、8階のニトリや7階のダイソー、石井スポーツはそれなりの人。でも、この店で買い物をしなければならない必然性はありませんね。住居の近くにあるだろうから。つまり開店気分が落ち着くと厳しいのでは無いかと思うのだが。1階のユニクロは馬鹿でかい面積で展開。しかしここから500歩でルクアの地下にあるこちらもでかいユニクロとGUがある。食い合いはしないだろうか?南側の駅前には阪神百貨店がやはり高層階のビルを建てている。3年後には結論が出る。早ければオリンピック後に粗方分かる。夜はマンション下の居酒屋で飯を食って、隣のベトナム人と懇親した。ホーチミンの人はハノイから人が来て、街が荒れたと言う。こちらのベトナム人はハノイからの人で、このことを伝えると、ハノイの人が人情豊かだと言う。ベトナムは昔3つの国から出来ていて、上、中、下に分かれていたから、一つの国と言っても我々が考える一つじゃ無いと思う。しかし、中のダナンの辺りは、今、中国人が一杯でハノイの人も、ホーチミンの人も嫌っているのは共通だった。中国人はどこでも現地の人に好かれない。例えばインド人がかつての領主であるイギリスを慕う関係とは違うようだ。ここで少し飲み過ぎ食べすぎ帰ってすぐ寝た。すぐ寝るのは良くないと知っているが。 11月15日(金曜日) 昨晩は8時ごろから寝て、朝7時前に起きた。それでもまだ寝足りない感が残るものの、今日は移動日。食事の後、ラジオ英会話を聞くともう11時だった。急いで日記をサイトアップして出発の準備を整えた。新幹線では席を譲った人に僕は大阪で降りますと言っておきながら、新神戸で降りようとするので不思議がっていた。間違えたと元の席に戻ると、やっぱりそうですよねと言った。この頃は酒も飲まない日々が続くのに、酒を飲んだ翌日と同じような不思議な行動をする。母屋に物をとりに行ったのに母屋に入ると何しに来たのだろうか?とか、冷蔵庫を開けたのに、何を取り出そうとしていたのかとか。ポカが多いのだ。それで、席を立つ時、動く時は必ず後を確認し忘れ物が無いのかチェックしている。そうしないと忘れた物さへ忘れているからだ。最近は高価なダイナミックモーションのヘッドフォン(19,000円)を紛失したが、いつ紛失したのかさえも不明なまま、最近気がついた。高知の朝は寒かったが、大阪の夜はそれほどでも無い。「王将」で中華料理を食べてマンションに直行。何にもしない1日なのに、9時には猛烈な睡魔に見舞われる。 11月14日(木曜日) 4つのグループで活動している。現役の頃よりも幅が広いかもしれない。一つはショウルームできちんとした月給8万円弱の仕事、大体10名近くのメンバー。もう一つは村の財産区の仕事で年収4万円、こちらも15名くらい。ここまでが収入のグループ。一つは部落の年14回に及ぶ飲み会、こちらは最大で15名、最小で6名。多い時で年15万円の持ち出し。一つは今日の製糖組合での釜焚き、収入はないが、時間の持ち出し。6名のグループ。それぞれ職種が違い話題も違う。うまくやっているかと言えばそうでも無いが、何とか持ち堪えている。この最後のグループはNPOに移行する予定。今日は村役場の代表とも話した。僕らはその後砂糖を作りながら、夏場の収入について考えた。そこで得た結論は、太陽光を生かして塩を作ろう。NPO法人の名前は「ソルト・アンド・シュガー」塩は、結構な有名人が、高知の西と東で活躍中で期待できそう。その事は別に、僕の夢であった炭を作ろうというのも実現しそうな感じ。この製糖組合のある伝承館の隣に大きな炭窯があるだ。整備すれば使えるし、1日の使用料が5000円と言う。ここで炭を焼きたいが良いかといえば、棟梁の「しこう」さんが人を紹介してあげると言われた。いごっそじゃきに、うまく行くかどうかわかけんど。と言う条件付き。趣味の自転車は心臓に悪く医者は止めろと言うので、遠ざかっていた。その代わりに登壇するのが炭だ。この炭を使って大きな自作のオーブン釜で料理を作ってパーティーをするのが次の目的だ。特に炭は竹炭で一流品に仕上げ、そして村の力を借りて販売できれば最高だが。村では月明かりのイベントを毎年9月に開催して大量の竹を使う。その処分に困っているのだ。それを炭にする構想だから、ムラは動きやすい筈だ。 11月13日(水曜日) トラック一杯に積んだのは食器。中古店に持ち込めば売れる物もあるだろうが、時間がない。家の食器を選別して廃品として出した。まだまだ整理しなければならないが今日はここまで。昨日のプールが効き朝7時起床となった。実に9時間も寝た。クラシック音楽の弦楽器の気持ちよさに中毒症状が出てきて、ちょっと時間があれば聞いている。それで持ち時間がドンドン削られてゆく。いろんな準備が整ったのは午後4時。それから、沖の田の草刈りを1時間だけ。残っていた柿を少し取った。夕食のためにスーパーに行けば、親類のひとし君が、今度貰う嫁を連れて買い物に来てた。少し話した。農業をするのは初めてだそうだ、ナスのトゲが手に刺さり痛いと言っていた。この嫁の事は親類中で話題だが誰も見た事はないとの事で、この情報は早速、浜のてる子おばさんに伝えた。丈夫な人とは聞いていたが、との事だった。この日は9時に寝た。 11月12日(火曜日) 今週は気忙しい。14日は製糖組合で初釜の日。朝から夜までの拘束で何もできない。それで、13日に掃除や出張の準備を行うため、休日は今日と明日の2日しかない。しかも、今日は、歯に穴が空いたから、夕刻3時に予約を取った。ついでにプールに行くから、結局今日は朝から、午後2時までの時間しか自由に使えない。ラジオ英会話は文章作成を中心に変更した事から、約2時間必要となった。実りも大きいのだが。それに、洗濯物の取り込み。先々週(旅行で洗濯できず)の分と先週の分と一緒に洗ったからアイロンをかけるにも時間がかかった。結局雑用に追われ、余った時間15分。クラシック音楽を聴いただけ。プールは空いていたが、息が苦しく、しかも口が麻酔で痺れたままで、1500mを1時間15分かけて泳いだ。農作業で使う筋肉は水泳と違い、ドォ〜ンと筋力が落ちていた。腹筋も弱っていて、ターンのときに足が上がらない。帰りにワークマンに寄った。日経新聞でこの企業の注目すべき点を掲載。株価も高い、社長のインタビューもあった。確かにこの店はワクワク感がある。作業用の長靴を買った。この日は、スーパー・フジで重量の軽い靴を買い、セカンド・ストリートで中古の赤いスェードの靴を買い合計3足も買ったが、ワークマンでの買い物が1番楽しかった。 11月11日(月曜日) 帰りの新幹線で挨拶した人、どこからきたの?との質問に対し、オーストラリアなのか、オーストリアなの聞き取る事ができなかった。やっぱり僕の英語は生兵法だ。途中雨だったが高知は晴れ。お寺さんから電話、帰りに寄ってお漬物を貰う。帰ると滋賀の羽根田さんから小包み。CDが入っている。手紙には、江本さんとの懇親会日程案が記載されている。早速電話し、ショウルームの営業時間が伸びて開催困難で、日程変更を申し出た。それから、草刈り。盗人と呼ぶ草が花を付けている。これが開くと、洋服に付き痛いから、実が弾ける前に刈らなければならない。先週の金曜日に大きな株は切った。所が映画ターミネーターの様に、この草は切ると残りのエネルギーで花を開かせ実を付けるのだ。結局先週の刈り取りは半分近く実を付けさせてしまった。今回は切った後細かく裁断し、茎からの栄養が花に行かない様にした。そのため時間がかかり、2回も燃料補給をしてしまった。夕刻友人を招いて懇親会。僕は夜須にあるセブンイレブンでレコードの受け取りがあり、そのついでに地元のスーパーで買い物をした。このスーパーは魚が美味い。シイラとさわらを買ってきたが、どれも絶品。一流寿司やさんでも高値で扱えるレベル。これと牛肉の鍋。自宅のミカンばたけでダイダイを捥いで、これに麺つゆをかけると最高のポン酢が出来上がる。風味、香り、程よい酸味三拍子揃ったドレッシングだ。刺身、鍋、シイラとナスのカルパッチョ。デザートは熟しがき。これは産地でなければ食べられないデリケートな果物。触ると皮が剥げこぼれるからだ。その後は息子とターミネータ論議。寝る前に今回買ったCDを聞く。ベートーベン交響曲5番。ブロムシュテット。右チャネルのチェロのユニゾンが素晴らしい。ゾクゾクする。ホーン型スピーカーの影響かなぁ。今回85枚セットなので全部聞くことはないだろう。7000円だった。一枚100円以下。こんな価格でこんな演奏では申し訳ない。ベートーベン生誕250周年で、古い音源を集めたものだが、それでも感動。CDプレーヤーをマランツに変更すればもっと良いだろうな。 11月10日(日曜日) 今日は30代の女性アメリカ人2人の接客。大体理解できた。そして、今夕、イオン茨木のシネマでターミネータを見る。長い会話や複雑な会話(特に心理、気持ち)は理解できないが、他の部分ではもうはっきりと英語を日本語に訳さないままで意味がわかる。少し前までは、英語の意味の理解と、字幕との2つの情報で混乱していたが、今は、字幕はこの様に訳しているのか?的な余裕があるし、スペイン語での会話に英語の字幕が付くが、その英語も読んで理解できた。この歳になっても頭は進化するんですね。さて映画についてだが、梅田で見てもその日の最終回の上映、茨木に帰って見ても同様で、やっぱり歩いて帰れる映画館が良いやと地元イオンの映画館で見た。地元と言っても、高知のイオンよりも大きな設備で、馬鹿に出来ない。ターミネータは突っ込みたくさんあるが、1番のツッコミは、正義と悪の戦いだが、悪い方のターミネータは今回も破壊されても液状から、元通りに復帰する(ターミネータ2からの流れを引き継いでいる)、不死の強さを持っている。僕は思う。善の方は戦い方に武器を選ぶのでは無く、その溶けた液状の物をホンの一部でも容器に入れて逃げるときに携行すれば、悪の方は部品が足りなくなるわけで、元通りに復帰出来ないのでは。何故、そこを突かないのだ。ジェームス・キャメロンは台本を書くときにもう少し捻っては如何だろうかと思うのである。もう一つ、これは突っ込みでは無く、あり得る話として、グレース演じる強い白人大女が登場するが、ベルリンに行った時、確かにこの人は男を超えている(ような感じのする)強い女を何人も見かけたし、スキンヘッドの女も見た。腕に入れ墨もしてたし。ドイツには内面的に強いメンケルの様な人もいるが、外面的にも強い女は存在するのだ。23:30に終えて12:15ごろ帰り着いた。 11月9日(土曜日) 昨夜寒かったら、電気毛布を中くらいにして寝たら、暑くて布団を蹴倒して寝ていた。これじゃ風邪が振り返すぞ、メモリを最低限に下げた。それでも朝起きると結構汗をかいていた。吉野家で朝飯を掻き込んんで通勤電車。梅田のインターナショナルホテルにあるスターバックスでジャズの歴史を読む。今年中に翻訳を仕上げるのは無理。今日のお客様ではフィリピン人の家族対応。少し分かりにくかったが会話できた。ラジオ英会話の様に綺麗な英語で話してくれないのは当然。慣れれば問題ないだろうが適当な練習台は無い。実践あるのみだ。他のリスナーの相談では、都会に住む人たちは、音量が上げられずに困っている。僕はヘッドホンを薦めるが嫌だと言う。テクニカの30万円や、パイオニアの28万のヘッドフォンはここまで精密に音を出すか?と言う所まで再現してくれる。なんでそんな体験なしでHPは嫌だと言うのだろうか?梅田のヨドバシカメラ北側が完成したのか、完成間近か不明だが、出来上がった。大阪駅北側の再開発に一応のメドが立ったと思う。人口減少や大阪のGNPは細り、商業施設だけが大きくなっている。どこにしわ寄せがいくのだ? 11月8日(金曜日) 製糖組合の呼び出しで釜の修理と準備。午前8時から、着くとみんなはもう作業を開始していた。漆喰を捏ねたが、これが重労働、汗を流した。風呂で、体を動かさず汗を流すのは風邪に直結するが、労働の汗はそうでもないのを期待して病み上がりの身体を酷使した。その後、棚の修復。370cmの竹の棚が必要ということで、家に帰り、裏藪から、孟宗竹を4本切り倒し現場で4つに割った。よく、「竹を割ったような性格」として、良い意味で真っすぐなさっぱりした人の例えがありますね。所が、実際、竹は真っ直ぐに割れるわけではなく、だんだん先細りになったり、幅広になったりするんですね。つまり繊維(性格)は僕のように結構ねじ曲がっているのです。だから、本当は僕の事を竹を割った性格と呼ぶのが正しいのですけど。竹4本で12本の棚板になる竹の桟をこしらえて、11時半に失礼した。帰ってシャワーを浴びて、荷造りして13時大阪向けて出発した。大阪に着くと少し具合が悪くなっていたから、無理をせずマンションに直行。お寺のせっちゃんから電話。漬物ができたけんど、何処にいる?月曜日に持ってきてくれる事になった。夜は、東京ジャズ 2019 Vol3を録画DVDを見る。 11月7日(木曜日) 1700年中頃、アメリカをはじめとして多くの国が独立をした。それまでは国家と言う概念がなったんですね。部族だったんですね。独立の契機はいろいろとあるようで、思想や哲学も大きな要素だろう。僕はそれにも増して、それを支えた裕福な経済。つまり産業革命がもっと大きかったんではないかと、「哲学と思想」を読むに至って思った。人類の歴史を見ると、裕福な時代に変革がある。これを縮めて人生に当てはめれば、時間や経済にゆとりのある時に、その人は何かを成し得るのではないかと思うのだが、僕の人生にそれは無かったなぁ。今日は病み上がりでも起き上がった。友人が車を使うと言うから、朝一番に車を使って、人類の墓掃除、我が家の畑草刈りを強行したら、又頭痛がぶり返して来た。もう作業は止めておこう。昼飯を兼ねて農協に行き、修理依頼中のトラクター回収。お寺にお土産を持参、年末にゲンキョウサマの木を切ってくれと頼まれた。ゲンキョウサマを通り抜けるとまさのりさんが畑仕事をしてた。彼からも、櫨(はぜ、漆の一種)の木を切ってくれとたのまれた。僕は万屋か。12月にならないと櫨の木は切れないが、この時期は製糖組合の仕事が忙しくなる。ゆっくりする暇もなく、年末を迎えそうだ。寝る前にアルゲリッチとシーノポリのベートーベンピアノ1番を聞いた。二人は夫婦だが、アルゲリッチの奔放さに旦那さんが苦慮しているシーンが浮かぶ。演奏が乖離しているのだ。 11月6日(水曜日) 昨夜はねつかれなかった、昼間寝たせいだ。でも今朝は7時に目が覚めてよく寝た方だ。頭が痛く今日も起き上がれない。寝ている間に「哲学と宗教」の本を開いた。難解なテーマだが、文章が素晴らしくわかりやすいので、読める。その上、僕の興味のあるゾロアスター教とか、バクトリア王国とかが登場する。もし機会があればそこを流れるアムダリア川を下ってみたいと思っていたから、その情報に触れることができてよかった。世界3大宗教はキリスト、イスラム、仏教ではないんですね。仏教は5億人位で、その前に10億人のヒンズー教が入る。ヒンズー教の前身であるゾロアスター教は牛を虐待したので人気が衰えた、それで心機一転牛を大事にするというのがルーツらしい。キリスト教はマリアは人間か、イエスは神か人間かについてずいぶんと長く争ったとか。結局主張が受け入れられず、派閥を作って遠くへ移転したとか(それがゾロアスター教の先祖)。そしてこの論争から三位一体の意味をはじめて知りました。出かけることがないので、眠るか本を開くかしている間に、株価が近々の内では最高値に達した。トランプ氏がいる間は、賭けても良いなと思っている人が多いと言うことでしょう。もう一つは、安心できる材料が根底にあると思う。「哲学と宗教」の中で、思想家が現れたり、世の中が変わるもっとも大きな要素は、農業革命と温暖化だったとある。そして現代は自然のサイクルとは違うが、地球温暖化の影響を受けて、農作物が豊富である。これは言い換えれば、紛争の原因となる不満が押さえ込まれる大きな要素であると思うと結びつけることもできる。この前訪問したベトナムは全人口の70%が農業従事者と言うから、地球温暖化の影響を享受しているわけだ。勿論こんな事が長く続く訳はないので、最後の饗宴として僕の存命する間は、温暖化が続いて欲しいのであります。 11月5日(火曜日) 昨日は頑張りすぎたのか、夜になって風邪を引き、夜中苦しんだ。電気毛布のメモリを上げて10時間寝たら、少し回復。猪野さんからサトウキビの製糖をする窯を試験的に焚くから来てとメール。(8日金曜日)大阪勤務はこの土日で金曜日移動。ぎっしりとスケジュールが詰まって来てからの風邪で困惑。今日は無理をせず寝て過ごそう。毎日自然相手の生活だから、人から病気をもらうインフルエンザの心配はないのだが。ここ数日肉類は食してないから、エネルギー枯渇も問題かも知れない。それにベトナムではどうしても食べ過ぎで腹が出ていたが、高知では少食に激しい作業でエネルギー収支が狂ったかも知れない。結局この日は寝たまま過ごした。冷蔵庫の中にある残りもので雑炊を炊いた。夜中にひどく寒くなり、電気毛布のメモリを上げるが追いつかず、もう一枚布団をかぶった。 11月4日(月曜日) 世の中の流れはイギリスが作る!それがなんだがはっきりしてきたのが、今頃ではないか。当時、EU離脱の動きは妙にしっくり来なかったが、今になると、トランプさんが登場するなどして世界が混沌としてきたのは、まさにイギリスから始まったと言っても過言でない。どうして、イギリス人は先取りについてこうも敏感なのか。そして、イギリスは離脱の総選挙をしようとしている。ここで治れば、アメリカ他の異様な動きも又収束するかも知れない。僕は、よう頑張って後20年の余命だから、あんまり左右に振れないでいて欲しいのだが。畑の整備を進めている。きまさごの草は全部刈り終えた。覆いかぶさっている竹も100本くらいは取り除いた。少し日が傾いて来たので、作業をやめた。4時15分だった。今日は、母屋の掃除から始めたので、よう頑張った。佐藤しのぶのNHK特番があった。僕のアンテナに彼女は引っかかって来なかったのでよくは知らなかった。ジェイシー・ノーマン、キリテ・カナワなどは、当時専門をJAZZとしてたが、情報は入って来て、レコードも数枚持っている。そこで、この番組を見てわかったのは、海外で評価を受けた後は帰国している。多分問題はここなのだろう。一流芸術を目指すなら、帰国してはダメだ。日本にいると鈍る。だから僕のアンテナにキャッチされなかったのだろう。番組では「椿姫」を少しだけ上映したが、少し余裕がないかなぁと思った。オペラは感情のこもった表情や動作、もちろん余裕のある声量、安定した音程など、総合得点で評価されるからハードルが高い。それ故に、休憩時間など現地語が話せてリラックスできる時間が取れる方が有利だと思う。住み込みで無い日本人はこの面で不利。小澤征爾が晩年日本に帰国したのはやっぱり正しい選択だったと僕は思う。佐藤しのぶ真実は不明だが、やっぱり外国で活動しててハードルが高い。国内はNHK紅白歌合戦で出場できるなどハードルは低い、ここら辺りで方向を切り替えて国内に落ち着くか。と結論を出してもおかしくはない。世界二位のGNPの市場があるのだから(当時はGNP2位、今でも芸術の世界では2位だと思う)。 11月3日(日曜日) 昨晩早く寝たこともあり、5時に起床。風呂の残り湯に浸かって雑誌を読む。少し明るくなったかな?時分に風呂から上がり朝食。旅行から帰って何か僕の中で弾けた感じ。それがなにかは妙にわからないが妙に気分が軽い。午前中に母屋の片付け。母が貯めた食器の片付け、前の婆さんが貯めた食器の片付け。それに伴う粗大ゴミの廃棄。午後2時まで要した。そして、再びきまさごに行き、イノシシが埋めた溝を掘る。北海道ではイノシシが人を襲ったニュース。今まで住み分けていた領域が崩れようとしている。きまさごは、人気はないから、サトウキビはともかく、来年植えようとしているつくね芋の栽培は危ないかも知れない。野菜をたっぷり使った簡単な夕食。「メカニック」の映画を見る。以前見て2回目だが安心して見られる物語。ジェイソン・スティサムは圧倒的に強いから気持ちが良い。寝る前にフルト・ベングラーでベートーベン4番をSACDで聴く。ノイズにまみれてはいる(古い録音だから仕方ないし、一度ソ連に渡っていて音質劣化した経緯もある)が、弱音の扱い方が大変上手い。しかし全般的に、この曲はカルロス・クライバー盤が一番良いと思う。 11月2日(土曜日) 晴。気持ちの良い秋晴れ。午前中英語とホームページアップと手紙一本。アフリカにいる友人からメールあり。アンゴラの仕事が終わり、今度モザンビークに移動するらしい。「どうぞお越しになって」との案内。彼がアンゴラで終わり、時期を見計らってインドに連れて行ってもらうのがベストだったが。インド行きはもう少し延期。そして、来年はモロッコの砂漠を計画していたが、モザンビークに変更だ。親類の求くんがアメリカに連れてってというから、農閑期の夏にマンハッタンに行く。それでモザンビークは秋。このため冬はイタリア。これで来年の計画は出来た。昼から、草刈りと、溝上げ。イノシシがこの8月に山から滲み出る水を逃す溝を全部平らにしてしまったのだ。耕運機で3往復した深い溝なのに。一晩で平に。耕運機の5馬力と同じくらいの力があるのだろう。水を含んだ土は重い。鍬を使った作業で大汗をかく。台風で被害にあった人達のご苦労が忍ばれる。4時半に切り上げる。汗だくで風呂を沸かして先ずは軽く浴びて、食事の準備に入る。今日は昼寝をしたせいか、夜はまだ力が残っている。それに激しい鍬作業だったが肩こりなし。LPでレイ・ブラウン/エルビーン・ジョーンズのハーレム・ブルースを聴く。レイ・ブラウンといえばピアノはオスカー・ピータソンだが、これは、ピアノにフィニアス・ニューボーン・ジュニアを起用している。所が、フィニアスさんはよく弾く。気持ちが良いほど弾む、しかも力強い。転がるピアノのオスカー・ピータソンと大きく違う。スイングジャーナルの選定賞マークが付いているだけある。かなりリアルな演奏で、ジャズライブで聴いていると言ってもおかしく無い音。ベースがもう少し弾けたらもう言うことなし。 11月1日(金曜日) チリが騒がしくなっている。日経新聞は中南米の国が不安定になっている総括記事も関連で報じた。これぞマスコミの使命だ、よくぞ書いた。私が思うのに米中の貿易摩擦の影響が、経済の弱い国から影響し始めている証拠。直接の国民の不満は地下鉄の運賃値上げかもしれないが、国の経済が行き詰まって、不満が噴出したと見るべきだろう。経済発展国はGNP換算で3%以上の成長、できれば6%が達成でき無いと国民を抑えられないと言う事だろう。それが可能なうちは、独裁でも、賄賂横溢政権でも何でもOKだと言う事かも知れない。いずれこの不満分子はアフリカにも飛び火する。こうなればアジア以外は全部おかしくなる。アジアがなぜ最後かと言えば、コメ文化に関係しているかも知れないとベトナムに行って分かった。つまり、自給自足が可能なんですね。それに適度な気温。これは無いと思うが大きな戦争があって、国がなくなっても土地と国民は残る。そこで生きて行けるのは、衣食住が揃っているアジアの人々。日本はややこれと離れているがまぁ何とかの範疇だと思う。ニュースでは他にもあって、大学入試に英語のテストが外れた。それに対してのコメントが全くお門違いだったと思われる。「せっかく準備したのに」。まぁこれは許せる。「国の政策がなってない」とか、「時期尚早」と言うのもあった。所が、何で英語の試験が必要かという根本に帰って、このグローバル化に対して危機を発して無い。試験そのものにモノ申しているだけなのだ。ベトナムのバイク運転手でさえ、片言の英語は喋るし、日本語も喋る。そんな時代だ。海外でバリバリ働くには、先ずは英語、そして論理的な組み立てが会話でできること。この先生方はどこを向いて使命感を持っているのだろうか?と思いましたね。今日やった野良作業は親類の墓掃除。でも、過日の草刈りと併せて2万円貰った。無税で良いよとも。 10月31日(木曜日) もうお金が殆どないので、ホテルに相談して、カードでタクシーに乗りたいが、グリーンのタクシーしかダメだと伝えると、いとも簡単に前に止まっているタクシーを呼んでくれ、しかもカード決済を伝えてくれた。800円くらいだった。空港からは1200円取られたから、この差がぼられた費だ。空港でお餅をくれた近所の方にお土産を買った。今回持参のカメラ(EOS5Dmk3)は余りにも重い。しかしながら、ある程度は暗さに強いからチャンスを逃さないためにも捨てがたい魅力がある。写真は全てRAWで撮影し、家に帰ってPCで現像する方式。腕がよくないし、光を読めず、後で調整できる方法がRAW撮影だ。今回は1400枚位の撮影なので、チョット時間がかかるかもしれない。ま、その分、思い出を含めてじっくりと向き合う事もできる訳だ。そして仕上げは16:9で、今度買うテレビに画角を合わせる。搭乗ゲートでは殆ど案内もなく搭乗を開始し、いきなり出発した。だが、機長の案内の長い事。よく喋る機長だ。又、隣のベトナム人の爺さんは始終ソワシワして腕が僕の体に当たる。眠りかけた時を狙って当たる。デリカシーのない爺さんだ。まぁ音楽を聞くような文化は育ってないから、そんな人がいてもおかしく無い。その割には、オーディオショップが結構あったぞ。どう言う事だろう。帰りの飛行機は5時間10分で着いた。そこから6時間以上かけて高知に帰る。高知は秋空。百舌の声が一段と高くなっている。お餅をくれたよしかずさんの奥さんにお土産を渡し、洗濯、風呂焚きつけとルーチンワーク。友人に電話し今夕の懇親会を開く。友人は桂浜で貝教室ができることとなり、忙しさが増したとの事。遅く帰って来た息子にもお土産を渡し旅の終いをつけた。 10月30日(水曜日) ![]() 10月29日(火曜日) ![]() 10月28日(月曜日) ![]() 10月27日(日曜日) 心斎橋でオーディオセッション。途中に「土方さん」の講演がある。HiViの評論家。本で読むと、なかなかの文章。しかし前で話すと少し引き込み力は弱いかな?でも音楽情報は詳しい。小川隆雄氏(僕の尊敬するジャズ評論家)とも面識があるらしい。立ちっぱなしだけが辛いが、設計者と話せて、評論家とも話せて、僕のオーディオライフに充実の一助となる。他のメーカーは、オンキョウの辻さんと久しぶりの挨拶。元ハーマンの、名前は思い出せないが、彼と近況交換。みんなオーディオが好きな人達。大阪はえいなぁ。会場で演奏されていた音楽は60年〜80年に発売された楽曲のみ。選択する人も年老いているが、それを聞くお客様も年老いているから完全にマッチ。後、20年経つとこの人達は死に絶えてしまうから、音楽も変わるだろうな。後片付けを終えたのが8時。飲みに行くメンバーのお誘いを断って堺筋本町から阪急電電車に乗った。友人が好きなことしているのが一番の幸せだといっていたが、好きな事してお金が貰えて尚幸せだ。ここに来ているメーカーの人も、お客様さんもおんなじだ。 10月26日(土曜日) イギリスからのお客様さん。奥さんは日本人。奥さんの通訳なしに直接話しかけてくるせっかちな旦那さん。僕も対応には分からん単語は奥さんに助けてもらって会話。なかなかエキサイティングなひととき。でも最後に旦那さん握手を求めて来てかなり満足された様子。イギリスは離脱問題が落ち着くと行こうと思っている所。それと先週会話したアメリカ人?だったと思う外国人。ポートランドだったと聞いたが、ポーランドだったかもしれないと後で思っていたら、今思い直すとオランダだと確信するに至った。オランダはホーランドと呼ぶのだ、オーディオ商品の価格をドルとユーローで伝えたら、ユーローのページで見入ったから、確信した。夕刻80歳前のおじさんが来て、レゲエとゴスペルをリクエストされ、聞き入った。いずれも僕も知らないアーティストだった。別のお客様さんが、ここにいるといろいろ知らない音楽を覚えるだろう?と聞かれたが確かにその通りだ。閉館間際、檜和田氏が訪ねて来て、天満で一献。酔うに従ってお互い同じ話の繰り返しなのは仕方ない。最後には言うたかもしれんがと、断りを言ってから始めることに。 10月25日(金曜日) 今日は大勢のお客様と接触し充実した日でした。疲れがどっと出たのも付録である。ペルーのお客さん、テレビリポーターが一緒でなかなかの男前。彼らはスペイン語だが、僕たちには英語で話す。こんな姿を見ていると、後数十年後には世界は英語に集約されるかも知れない。天皇陛下も。我がテクニクスのトップも英語を話す。一方今日接客した中国人の単独旅行者は綺麗な日本語を話す。近所の奥さんから電話、「おまんどこにおるが?」「餅ができたので持っていってやろうと思うがやに」こちらもここから見れば海外の人。もう一本、サトウキビの先生から、「おまん、いつ空いちゅうが、釜の掃除をしたいがやに」木枯らしが吹き始めるとサトウキビの時期。睡眠不足と先輩からの叱責の日々がやってくる。世の中は動いているのを実感。昨日散髪したら、アテンドさんが頭スッキリしたねと言ってくれる。僕は髪の毛はスッキリしたかも知れないが頭は混濁したままだと答えたら、シュールだねと言う。その時意味はわからんかったので後で牽くと超現実主義。夕刻行きつけだった中津の中華料理で八宝菜定食を食べると、蝿が入っていた。食べ終わってから、食物の下から出てきた。店主に言うと40円引いてくれた。これぞ本当にシュールだね。 10月22日(火曜日) 一面藪と化した親類の畑。私に贈与してくれるというが、登記の処理がある。それはともかく、この藪の為、我が家の西の上段の畑には朝日が当たらないくらい藪化している。今年の12月にはここにサトウキビを植えるつもりで、この藪を切り開かなくてはならない。今日は手始めに倒れ込んできた竹と今後倒れ込んできそうな竹を切り倒したが、とても時間がかかる上に、炎天下ので暑い。2時間くらいで悲鳴を上げた。余った時間で、この上段の畑の草刈り。トラクターで叩けない程草が伸びている。少し早めに切り上げて、秋の夜長を楽しもう。まずはLPレコード。今回導入のスピーカーは面白い音が出る。やはりホーン型スピーカーの魅力とはこのことを言うのだろうか。次にただいま放映されている東京ジャズの再生。東京ジャズには松田聖子などが出て、地に落ちたと思っていたが、今回はミーシャ。さすがにそれなりには聞かす。しかし所詮日本のPOPの延長。チックコリアの演奏と拍手の量が違う。ディスプレイは42PX10で、井桁構造でないパネルだが、漆黒のいい映像で再生できている。4Kにする理由が思いつかない。次は映画、スカイライン。突っ込みだらけの映画だが物語の進展が早く意外でそれなりに惹きつける。いい夜更かしだ。 10月21日(月曜日) 雨が降りそうな天候。早めに駅に着いて駅で朝飯食おうと、新大阪のマクドで腰を落ち着ける(よくそんな早い時間にマクドが食えるねと自分でも不思議)。新幹線で新聞を読み、JR四国はただただ寝るばかりの移動。車掌がうるさく車内放送する。そのたびに目が覚める。なんとかならんか?不快だ。土佐くろしお鉄道車中で雨が来た。今日は農作業も出来ず、高知市のプールへ出かけた。今まで肩こりと無縁の生活をして来たが、この土日の出勤は肩が凝った、慣れないネクタイを締めたからだ。それで久しぶりのプール。農作業を続けていたせいか、クロールの水かきの力は弱っていなかった。安心して1500m。バタフライも大丈夫だった。サトウキビへの時間配分が無くなったので、これからちょくちょく泳げる。問題は、続けて2km泳げない点、途中でいったん切り上げ、トイレに行かなくては持たないのだ。(着実に身体が老化している)帰りにお惣菜とお寿司を買った。今晩は、お寺で、「23夜」のお祭り。これは、「祈願してもらったお札を部落の四隅に立てて、悪魔が入ってこない境界を作る儀式」。そこに暮らす住民全員が対象なのだが、個人の都合で抜けて、今は15軒ばかりの有志が司っている。ま、それはそれで良いではないか。参加者は集まって酒を飲んで情報交換。最後に、「謳い」がある。意味不明だが、厳かな儀式だ。それぞれのお祀りには、それぞれに目的があるが、2週間に4回ですから、頻度は多い。まぁ良いけど。僕のサトウキビも何度か話題に上がった。大工さんの栽培するパイナップルも話題。かれのは完熟栽培でなかなか美味い。いずれにしても2人以外は専業農家であるが、植物に対して一家言があり話は面白い。 10月20日(日曜日) ![]() 10月19日(土曜日) ポーランド、オーストラリア、フィリピンのお客様が入って来た。この時間帯は日本人よりも外国人が多い。生の英語がきける。やっぱり聞き取りにくい。ラジオ英会話の先生とは違う(当たり前だ)。その現実にぶつかり困惑、受け入れるしかない。テクニクスのプレーヤーを最近購入された方もやってきた。なぜこの機器を買うに至ったかを詳しく説明された。僕なんか買った後で理由を付けるが、そうでも無い方もいらっしゃるのだ。今日は来館者が少ない割にお客さんが途切れずずっと接客。他のコーナーに勤めている同僚は暇だしモチベーションの維持がむつかしいと嘆く。レンジや掃除機など多種の商品担当で、スキルが求められない職種が原因だろうか。僕はお客様と知恵比べみたいなものだから、常に新情報で武装し、ハードもソフトも負けないように体を張っているからモチベーションについての問題はない。まぁそれは自分がいい音で聴くための道でもあるのですが。それで、帰る頃は空腹だが呑む元気もなく、もちろん街を散策する勇気もない。ここに勤めるガードマンの若い女性は、仕事を8時に終えて映画に行くと言う。若いからできる事。帰りに王将で野菜炒めを食って茨木のマンションに着くとぐったり。10時半にダウン。 10月18日(金曜日) 頭がボワ〜ンとした状態で、風呂や台所の清掃。出発の準備。移動中に読む本のスキャナー。たちまち12時だ。慌てて出たので、アンプの電源を切るのを忘れた。列車は旧車両。今まで新車両のA2700に乗っていたから少し勝手が違う。それに満席。飛び石連休のせいかな。JR四国は全線で赤字。瀬戸内海を渡る橋だけが黒字。そして赤字だからこそ、新幹線を呼び込み、連携で在来線を黒字化しようと計画する。どうすればそんな計算が成り立つの?ますます高齢化が進み、養老院に入りたい候補者ばかりの地方で。その上、2024年には車の自動運転が進化してますます道路交通は便利になるのに、1時間に1本の列車にどうして活路が見出せるのか?豪華列車を走らせるにも、地元の支援が成り立たない。駅に止まった列車に爺さん婆さんがどんな歓迎をするの?子供はいないよ。ただ自分たちの権益を拡大したいだけだ。そこにマネジメントはない。まぁそれは僕の問題じゃないからいいか。ヨドバシで、カメラセンサーのクリーニングキットを購入。タワーレコードに寄って取り寄せのCDを確認すれば延期だとの事。茨木のマンションにたどり着き、持ちここんだポータブルDVDでセビリアの理髪師を見る。 10月17日(木曜日) 今日は、山神様のお祭り。取り敢えず稼働し始めた新オーディオを聴くのが楽しい。どんな音楽をかけてもそれなりに頑張ってなっている。だが時間が来て渋々電源を切って、皆より早く山神様への道を上る。新しく生えた竹、倒れた竹、鳥の糞から運ばれて来、芽の出た木。これらが道を塞ぐ。併せて茅、蔓草。ノコギリと草刈機で道を払った。大汗。後から上がってきた来た人たちは、苦もなく山神様へ到着する。まっこれでいいのだ。僕は、百姓仲間じゃないから。清掃を終えたのち、集合時間を確認する。6時だ。それまでに家の西の上段の草を刈り、風呂を沸かし、懇親会に持っていく手弁当を準備する。6時から郷西部落集会所で懇親会。いつものメンバー。面白い話は、無農薬、有機肥料なんて糞食らえという話。農薬をガン使って化学肥料を使って、我が親父もお袋も農業を営み94歳で亡くなった。農薬を使って美味い米や野菜を食った方が余程良い。実に納得いく話だ。問題は差しつ差されつのビールの応酬。ベロベロになった。みんな平気だったが。(ちなみに高知では飲み放題がない、赤字になるからだ。だれも5000円の飲み放題プランは採用しないだろうし、よしんば5000円で運営しても赤字になるらしい) 10月16日(水曜日) ![]() 10月15日(火曜日) 9時に電話があり、もう近くにいるという。とりあえず家下のカーブのところまでゆくと、檜和田氏のデリカが止まっていた。我が家の駐車場まで誘導し、スピーカー導入の準備にとりかかった。現行のスピーカーも46cmウーハーで、ボックスも相当大きくて重いが、今回導入するSB10000はさらに大きく重く140kgである。とても二人で扱えるレベルでなく、檜和田氏はリフト付きのキャスターを持参されたし、私の方はトラクターが乗る2mのアルミ橋脚を用意した。こちらは、キャスターのタイヤがはまらないように、上に15mmの合板を貼りビス留めしてあるもの。要は、キャスターで運び、橋脚の上に落として引っ張って部屋に入れようとするものだ。1本を入れて昼飯。「藤」さんで名物「一杯海鮮丼」を食べて頂き満足された様子。そのままタコの山へ。今日は村の金比羅山清掃日で12時半に集合の為。標高300m。眼下に土佐カン、黒潮カントリーが眺められる絶景ポイントの道をゆく。「考える村」の建物で別の4駆の車にみんなで便乗して急な坂道を下る。そこから徒歩で山の背を10分ばかり歩く。ミニ登山です。檜和田氏は空気が美味いと盛んに言っていた。部落には関係ない人だけど掃除も手伝ってもらった。帰りにはその足で、安芸市の「寺尾」に行った。「どれが刺身に合うぞね」「イサキとワカナ」を刺身に。檜和田氏曰く、魚の目が違う。確かに新鮮だわ。帰って、もう片チャンネルのスピーカー導入。元のスピーカー搬出。スコーカーやツイーターは明日という事で今日の作業は終わり。夜は熱々の風呂に水を薄めっぱなしで入って貰い、刺身に舌鼓。 10月14日(月曜日) お客の後片付けと皿鉢料理代の支払い。お祭りの片付け。午後は、自分の部屋の音響装置の片付け。46cmウーハーを含むスピーカーは今日を最後に解体されるからだ。とにかくサイズがデカく重たいから一人で行うのが大変。午後は、分散しているカメラの置き場所を一箇所に集結。上の棚に置くから、地震が来ても倒れないように、蓋をした(この作業の為、蝶番を買ったり、蓋用に板を加工したりもして時間が費やされた)。併わせて、風呂が雨漏りをしているので、油性のペンキを買って屋根を部分的に塗りつぶし。サトウキビ畑の道に面して見える側は、近所の百姓さんに見られると、世話ができてないと指摘されるので、紐のついた草刈りで大雑把だが草刈り。一時も休む暇なく1日を終える。疲れで10時まで持たない。 10月13日(日曜日) 台風18号の被害は甚大だった。風よりも雨だった。1000mm降ったところもあるが、多くは500mmだった。高知では1000mmの雨では何とか持ちこたえられるが、台風の来ない関東東北では無理だった。被害に遭った人達は「こんな雨が降るとは思わなかった」、テレビでは「記録が始まって以来の甚大な災害がでる」と繰り返していた。台風のテレビ放映も見たいが、今日は先祖様のお祭り日。我が家が当番なので、「お祭りの準備一式と、「お客」を開催しなければならない。併わせて今日は晴れ。もう直ぐ檜和田さんがスピーカーを運んでくる。その受け入れ準備(布団を干したり、宿泊用の部屋を片付けるとか)。そして今日から3日間晴れるので除草剤の散布。こうして朝からてんてこ舞いだ。5時に風呂に入り準備を終えた。大変な1日だった。しかし、被災者はもっと大変だろう。家がなくなっているから。お客の話題は先ずは台風関係。この微風の風でビニールハウスが飛んだという。そんなに風吹いたかなぁ。サトウキビには全く影響がない。次に猪の話。今年はイノシシが豊作で、しかも、鹿も豊作。彼らは仲間で150万円稼いでいるらしい。そのお金で25万円のマグロを買ったとか、なかなか威勢の良い話。9時に解散し片付けてから就寝。 10月12日(土曜日) 台風がやってきたが、風は微風程度。薄曇りで時々太陽が見える。時折パラパラと雨が落ちてきだが、傘をさすほどではない。今日は部屋の片付けを目論んでいたので、雨も降らずすらすらと進んだ。息子は留守で、ゆっくりと風呂にも入れる。風呂でゆっくりと本を読むこともできた。未だ、2年分のカメラ雑誌が未読で残っているから、年内読破を目処に頑張ろう。雨雲レーダーで埼玉(実際は長野群馬付近)近辺にずっと赤色の雨雲がかかっていたので友人に教えてあげた(彼の息子が住んでいる)。そしたら友人は波が駐車場まで来ているとメールが返ってきた。急いで自転車(車は通行規制になっているかもしれないので)を引き出し駆けつける。だが何の事はない、波はずっと沖で打っている。普段と比べて少しだけ大きいかな。風は北風で、波の飛沫も飛んで来なかった。ところがTVを点けてビックリ。いつも心配のメールをくれる小林さんの住む栃木県も被害が出ている。急いでメール。メール返事ないので大雨で避難しているかもしれない。NHKの気象報道は垂直避難。自分の命は自分で守れ。早めの避難。を繰り返していたが、現地の人はどこふく風程度に聞き流していたのだろうし、レーダーで赤雲が4時間続けば被害が出るデータ分析も知らないだろうな。東北沖巨大地震の被害も多くは警報をなめていた人たちばかりだった。 10月11日(金曜日) ![]() 10月10日(木曜日) ![]() 10月9日(水曜日) ![]() 10月8日(火曜日) 朝は妙に食欲がなく、早めに出発して新大阪のマクドでビッグエッグマフィン590円。確か前の価格は490円ではなかった?接客したのは金髪の外人。日本語も何とかこなせる人だった。グローバル化は進む。高知に着くと晴天。友人宅に寄り芸西村の近況を尋ねると何と台風がやってくると言う。土日が照準だと言う。それで長老のヨシカズさん宅を訪問するも留守。次の識者ヨシミチさん宅で相談。先祖様のお祭りは日を延期すると、観音様やら二十三夜やら行事が目白押しで難しいから、決行したらと言うのが結論。この13日は旧暦の9月15日に当たり、岡村家の先祖様のお祭りを行う日、持ち回りで「お客」を開催するが、今年は私の家の番。家の片づけとか、庭の手入れとかそれなりの準備が大変。料理は、「まるまさ」さんに注文してきた。注文名は私の名前はこの店に認識なく、親父の名前。NHKは母の名前だし、電力に貸してある電柱の土地名義はおじいさんだ。とにかく、サトウキビの柵は完成したが、地面に杭を打って固定してないので、この作業が残っている。それに、家の前の畑だけは、横横連携が不十分で脆弱だから、この連結に5本ばかりの横ぐしを刺さなければならないだろう。今日はその準備で終わった。 10月7日(月曜日) 出生数が減った記事が掲載された。新聞やテレビでは政府は子育てを支援する策が求められるとある。果たしてそれが正しい策であるか考える必要があるのではないかと思う。なぜ、子供を産まなくなったのかその原因を探るほうが先決だ。というのは、子育て支援のない国の方が出生率は高いし、子育て支援を行なっている先進国はいずれも成功してない。俯瞰すると、未来が開ていると感じる国は出生率が高く、未来悲観の国は低いように見える。(あくまでも感だが)。それ故に、経済成長と出生率が関係しているとみた方が良いのではないかと思うのだ。その経済成長だが、人口減少でも生産性を上げることができるロボット化。これが鍵を握るのではないかと思う。こんな見識眼を持った人が政治の中枢にいると日本も安泰なんだが。今日は僕とよく似た事をしているお客さんにあった。LPのデジタル化だ。同じコレグのADコンバータを使っている。DSD5.6Mhzで録音しているのも同じだ。だがアルバムタイトルの写真を貼り付ける方法をご存知なかったので教えてあげた。デジタル化の背景には、エラフィッツジェラルドのアルバムに感動し、これは独り占めしてはいけない。と考えたという。崇高な考え方だ。(僕は地震対策で次元が低いが)もう1組はドイツからのお客さんだ。この人は部屋を出るときにこう言った。毎日素晴らしい音楽を聴いて幸せだろう!答はYes。ベトナムの友から返信。18:00ホテルに迎えに来てくれる。つまり食事に連れ出してくれる意味。観光化されてないレストランでベトナム料理が食えると見て良い。ただ、彼と一緒に大阪で飯を食ったとき、食べ物が偏っていて、味覚に疑問があったのだ。大阪だから、それでも何とかなった(大阪は何でも美味いから) 10月6日(日曜日) 消費税の関係なのか?梅田への人出が極端に少なく、ショウルームでは急遽イベントを開催して盛り上げをはかった。僕の持ち込んだシンガポールの写真は、LGのモニターで色調整を行った関係で、パナのテレビで映すと色がどぎつい。PCで色補正するときはパナのテレビで行う事が必要かと思った。それで有機ELテレビの物色だが、2000番のテレビが断然いいとの元テレビ事業部商品企画の人の声。1000番とはまったく違うという。55型で10万円の差。年末商戦を終えてからの購入で良いかな?と思っている。帰り中崎町商店街を通って撮影しながらの帰宅時、「五島うどん」の店が開いていて、珍しさのために入った。さすがに美味い。日本3大うどん。讃岐うどん。稲庭うどん。そしてこの五島うどんだ。美味い順もこの通り。他に、伊勢神宮にある伊勢うどん。名古屋の山本屋の味噌煮込みうどん。徳島のたらいうどん。などあるが、味は先の3つと比べると数段下だと思う。ここで炭水化物を入れ、次にタケルのステーキを食べた。こちらはステーキだけ。ご飯が百円で提供されるが断った。今夕は野菜がなく少し偏り過ぎているが、これにサラダを追加すれば明かに食い過ぎだ。帰って、常連のお客さんから紹介された、ベロニカ・スイフトを聞く。東京のJBLショウルームで紹介されたCDだとの事。新人だが凄く上手い。アメリカはポット出でもこんな人がいるので恐ろしい。 10月5日(土曜日) 今日のトピックはなんといってもベトナムだ。迷いにマヨッテ決めた。2泊4日の行程。気持ちが動いたきっかけは、シンガポールへ行った時の写真を整理していた時の事。頭の中に浮かぶシンガポールの風景が写真として残ってないのだ。まぁ仕事をしながらの写真撮影なので十分風景と向かい合う時間がなかったのだが、それにしても寂しい。且つて行ったベトナムの写真は開く気がしなかった。今度はきちんと撮影してこよう。それが理由だ。2つ目には、ベトナムからの帰り、フィリピンに寄って、ジョイスさんと逢えないか?Facebookに再加入して探したものの、同姓同名はいたが、顔が違っていて判然出来なかった。あれから6年。おばさんになると猛烈に顔が変わるから、意中の人かも知れんと思ったが、連絡を取るのをやめた。と同時に、Facebookでは懐かしの顔がずらりと並んで、しかも、大阪ショウルームの面々もリストにあった。昔の記憶を引っ張り出して通信するつもりもないので、これは蓋を閉じようと思った事だ。3つ目には、このマンションの下で営業している居酒屋さん、野菜料理が多いので気に入っていたが、よくよく見ると、韓国料理の店だった。韓国人は嫌いだが、料理は許そうと思った事だ。 10月4日(金曜日) ![]() 10月3日(木曜日) 夜中から断続的な雨。台風は遠くだが、松山市辺りを中心とする円弧に沿って進み、台風は動けど、高知から台風までの距離に変化なく、雨が高知に降り続いた。レーダーでは真っ赤な豪雨が4時間ほど続き、高知市には警戒レベル4が発令された。午前中は室内でPC操作、取り込んだDSDの添付映像について調べて、やっとオーディオゲート4で実現できた。これまではジャケット写真が添付できるFLAC規格で録音していた。ユーミンのVOYAGERを5.6MhzDSDで録音し、アルバムジャケットを付加し、再生ずれば、これまでのFlACよりも、音が克明で楽器数が増えたような感じ。これに先日買ったワイヤーワールドの高価なUSDケーブルを使うと、楽器の数が増えたような気がした。これは今日イチのNewsに匹敵する出来事。大雨も昼から上がり、早速サトウキビ畑の柵作り。その前に、前の柵は昨夜の風で折れた部分もあり修繕。前の畑の柵が一番手抜きが多く脆弱だったこともある(修繕はこれで2度目)。西の畑は、1本通しの横串が効き頑丈に仕上がりそうだ。2列完成。明日は朝から取り組むと7月末から始めた柵作りが完成する。 10月2日(水曜日) ![]() 10月1日(火曜日) トランプ氏の場当たり的中国パッシング。今までそう思ってきたが、実はそうでも無い記事に接した。一党独裁70年説だ。ソビエト、メキシコに例がある。それぞれ70年/71年。中国共産党は今年70周年を迎える。まだ6%の経済成長は可能だろうが、経済成長が鈍化し1ー2%に落ち着いた時は危ない時だと言う。中国の地方は未だ未だ未開発国であり、猶予はあるだろうが後10年くらいが限界かもしれない(僕も中国の歴史では統一されたことがないから、今のままではありえないと思っている)。そんな情報をアメリカは密かに分析し計画に沿って動いているかもしれない。気の長い戦略はアングロサクソン人にとって得意らしいから。帰りの岡山駅からはまた新規の車両だった。しかし、新規は胡散臭い。振動が前のままだからだ。台車が変わってないのだ。ごめんでホームに降り立つと、ムーンと湿気。この暑さは何だ。和食駅から自転車で帰るだけなのに汗だく。急いで洗濯し、竹を切り出す。明日から本格的にサトウキビの柵作りの為。後4列残っている。こちらの畑は畝が長く、竹も大量に必要だが、ここに使用する竹は別の藪からの切り出しで、1本の竹の長さが長い。それで、これまでは横串となる桟は一畝事に仕切っていたが、4畝全体をい1本の竹で間に合わせる構造をとった。 9月30日(月曜日) さすが熱意あるラグビー観戦者。UKからのお客様が来館。英語が通じる。生の英語に接して勉強になる。Have a nice day.と送り出した。May the force be with you.(神の御加護あれ=映画スターウォーズの名セリフ)を言いたかったがとっさに出ず、先の言葉を使った。ジャズの歴史を本訳しているが、なにぶん古い英語で朝喫茶店でのこの作業が日常に生きてないようだ。題材を変更する必要があるかなぁ。久しぶりにタワーレコードに寄ったら、欲しいもの一杯で困った。マイルスがワーナーに残した音源。ビートルズのアビーロードの別テイク。心を鬼にして目的のブルーノワルターBox盤(74枚)を注文。カラヤン、フルトベングラー、チェビリダッケは揃えた。カールベームはモーツァルト交響曲全集で揃えた。もう打ち止めでも良いだろう。残すはショルティかな。Boxは有名な音楽以外、未知の楽曲が中に含まれているから見聞を広める面で良い。僕にあった名曲の発掘が出来るからだ。話題曲を追ってCDを集めると偏ってしまう。もう死ぬまで聞く音楽は揃えた。と言いながら、帰りツタヤによって、ユーミンと中島みゆきの未録音を10枚1週間レンタル。台風で返却出来ない可能性があるので、郵便返却を申し込むと、追加160円で可能となった。 9月29日(日曜日) 今日試聴に来られたある年配のご婦人がこう言った「素敵な音楽をありがとう、でも仕事なると別の感情が湧くでしょうね」。そうなのだ、誰でも好きなことを職業にすると嫌になる。で僕は、そうですねと肯定はしてみたものの、本心は全く逆だ。ONでもOFFで音楽に浸っていられる。宿泊先のマンションでもハイレゾを聞いている。まぁそんな事を言っても拉致が開かないから言わないけど。でも、この業界に従事する人たちは、大概僕のような印象を持っているに違いない。昔の多くの賢人が語った。人生に必要なのは「本と音楽と友人」先日読んだ藤原正彦氏も「国家と教養」でそう述べている。共感だ。だから飽きない。夕刻約束していた友人のU氏が訪ねて来た。呑みに行くため。K氏がいなくなって、僕の不満も溜まっていた。友人の奥さんとも話すが、代わりにはならないので丁度良かった。僕は体調が今までの自分と大きく今年になって変化した事を話題にすると、同じだと言う。本人も初めて入院する羽目になったと言う。酒を飲みながら、人の名前が出てこないのも同じ。同じ傷を舐め合いながら飲み交わす。人生の晩年はこれで良いのかもしれない。 9月27日(金曜日) ![]() 9月26日(木曜日) 注文してあったCDが届いた。クルトアズアのメンデルスゾーン交響曲全曲。チェリビダッケのボックス盤。シャルルミンシュのボックス盤。全部で78枚、約6000円。買いすぎ。前回購入のマリア・グリーンバークのアルバムもまだ半分しか聴いてないし。取り敢えずシャルルミンシュのベルリオーズ/幻想交響曲4楽章を聴く、さすがこれは名盤だ。ドダメルの幻想も意表を突く面では良いが、重量感が足りない。このように素晴らしい演奏が買ったアルバムに潜んでいる。じっくりと掘り出ししなければならない。それにはとてつもなく時間がかかる。前の畑のサトウキビの台風対策は完璧に出来た。明日からは西の畑だ。こちらも酷いことになっているが、明日は終日雨だとの予想だ。しかも夜7時過ぎには雨が降り始めた。だが、これだと、明日の午後は晴れるなと踏んだ。洗濯物にアイロンをかける時、モントルージャズのLDを見た。ベニーカーター(サックス)がレイブライアント(ピアノ)を従えての演奏。悪い訳がない。裏面はオスカーピーターソンだ。こちら映像関係も見切れない程のディスクがある。来年のサトウキビは柵の問題を解決しなければ、音楽からは永遠に遠ざかる。 9月25日(水曜日) サトウキビ畑は、残りの2列に着手。もうすぐ完成する。ここが終われば、もう一枚の畑の4列を行う。それで最後だ。夕刻、友人を招いて大阪出張の反省会。貝殻教室はほぼ満員で盛況。余興に手品とウクレレを披露すると沸いたと言う。むしろこちらが良かったとも言った。次回も企画します(先方)とお墨付きを頂いた。彼も大阪でやって箔がついた。それに芸西村役場もPRができるので観光課が大いに乗る気で、今回も芸西村の砂浜の写真や、大きな地図をパネルにして貸してくれたと言う。次回はもっと大きなパネルを作ると言うらしい。公共の支援があると仕事はやりやすい。僕のサトウキビは同じく村役場と関係しているから、2人揃って芸西村を盛り上げる大使になれそうだ。外国人も宿泊できる村営の宿泊設備も運営すればよい、応援できるぞ。 9月24日(火曜日) 今日は昨日のメンバー全員が高知に移動。高知で商談会だ。僕の軽バンで移動。もう30年前の車で17万キロを走行している。まだ十分エアコンは効くし音が大きいだけで支障がない。いずれ人間のように寿命がやってくるだろうが、よく持ち堪えていると思う。まずは、西村商店さんで昼食。多分、驚きの食事だったと思う。昼から、活き造り定食だから。それから商談までの時間に桂浜を観光した。再び龍馬の横に支柱を建てている。僕にしてみれば、この間撤去したと思ったのに、またかよとなる。商談は上手く行った。この下地を作ってくれたのは、農業で御世話になっている「まさのり」さん。彼はこの店のOBだから、お膳立てを頼んだが、とても上手く行った。僕も初対面でこれだけ上手く行った商談会は初めて。その後市内で懇親会。僕も許可が出て市内で宿泊という事で、一緒に酒を飲む事ができた。何を食べてもうまいと社長のオススメ通り、本当に美味かった。椅子やテーブルが居酒屋風なので高級感はないが、内容は高級割烹。LPとCDとどちらが音が良い?議論が白熱。みんなLP支持。僕だけCD。ジャズはともかく、クラシック音楽、特に声楽が入るとLPは歪っぽく、定位が曖昧で破綻する。CDは高域をカットしているのでとよく言われるが、低域はカットしてないと誰も言わないなぁ。まぁ趣味の話だから問題はない。宿泊はリーガロイヤルホテル。コンビニで水を買って爆睡した。 9月23日(月曜日) ![]() 9月22日(日曜日) ![]() 9月21日(土曜日) ![]() 9月20日(金曜日) 昼から雨予報。それで、今日は朝から農作業。時折雨がパラつくものの結局夜まで農作業。7時から18時まで、前の畑の半分は柵が完成。明日に疲れを持ち越さないかどうかが問題。夕刻レンタルのドリルを返却に行った。継続して借りようとすると、本日返却で本日借用となり、今日はダブって料金が取られる。300円だから目くじら立てるほどのことでもないが、文句を言うと、そうですねとなって、一日日程を伸ばしてくれた。それはありがたいがチェーン店で融通を利かすのは仕組みとしておかしいぞ。このホームセンターは「ダイキ」。貸し出しの品物が見つからなかったり、くどくどと、返却遅れに対し費用のことを説明したりして、毎回訪問するたびに不快な感じを得るのだ。まぁ従業員が高知県人なので、無愛想は当たり前としても、この会社のマネジメントは全くおかしい。親類の草刈りもある、息子は自分の部屋でテレビが見られるようにしてほしいと言う。これに輪をかけたのはお寺のお坊さんのお母さんが亡くなったからだ。お坊さんもお世話が大変で、「殺したろうか」と思ったことが何度もあったと吐露する。10年以上ものお世話では結局そうなるわなぁ。近所に聞き回って日曜日にお通夜が決まったとの事。 9月19日(木曜日) いつもこの時期思うのは、ツクツクボウシは彼岸花を見ることができるのか?答えはYESで、鳴き咲いている。今日は殊の外熱く汗が滴り落ち落ちる。靴の中までぼったりだ。台風が来ると言う。今まで仮止めしてあった三角の支柱の多くは、サトウキビの成長で緩むか、外れるかで役に立たなくなっている。全行程が終わるのは後10日くらいかかる。今回の台風は甘んじて被害を受けようと思っている。そのかわり、柵を施した部分は後悔がないようにしっかりと地面に杭を打って固定しようと思っている。ネズミのようにホンノ少しの隙間があれば忍び込んで切るように、風は強弱を繰り返し、緩いところを確実に破壊して全体に広げるからだ。毎日がこうして、サトウキビに食われていく。森山良子が「サトウキビの歌」を作っている。歌詞に、「ザワワ、ザワワと風が吹く♪」があるが、まさにそれで、暑い中、一服の清涼の風が吹く。自然の中の一瞬の寛ぎですね。このために、春から秋までほとんどの時間をこの畑で過ごしてきたような感じがする。 9月18日(水曜日) ![]() 9月17日(火曜日) 高知に帰るや否や、親類の老夫婦が草を刈ってくれと言う。僕は計画で一杯だが、その家の惨状を見て仕方ないと判断して、先ずはそちらを優先。お願いする割には、アレコレと注文がある。元々芸西村の人でないから、その辺りの常識は違う。とりあえず半分で終了。帰って風呂を沸かし、買い物。暗くなったので車で行った。食事もかなりいい加減な料理。大阪から帰る電車での移動は疲れるし、その上の草刈りだ。ベートーベンピアノ協奏曲4番/ブレンデル/レバインを聴くのがやっと。この初夏ベルリンで同曲を聴いた思い出が蘇った。雰囲気は最高だったが、ピアノはブレンデルが良い。弦はベルリンフィルだ。サトウキビがなければ他にも演奏を聴ける機会はあるのに、なんでこんな事してるのだろう? 9月16日(月曜日) 再び大阪、朝から大忙し。客待ち時間はホンノ数十分だけ。フランス人、ブラジル人も対応。日本人はやはりAVの相談が多い。目を閉じて音楽だけ聞き想像力を発揮させるには今流ではないし、じっと聴く時間もないだろう。ホントはこんな時代だからこそ、そういう座禅のような時間が必要なんだけれど、この考えは共有するのが難しい。読書も同じ、大阪に行ったついでに紀伊国屋書店に寄るが、漫画のコーナーが結構な面積を占めている。要は現在は安直になったのだろう。今日接したアメリカで生活してきた日本人はこう言った。アメリカの文化はは薄い。トランプさんが軽薄なのは、別に今始まった訳ではない。アメリカ人が全部トランプさんを内包しているのだと。解るなぁ。日本もアメリカナイズか。ナチスが幅を利かせた1920年頃以降1945年まで、ドイツには多民族排除で独裁の空気が蔓延していた。ヒットラーは確かに天才的に人を扇動する能力があったかもしれないが、彼の登場が無くても、ドイツの歴史は変わらなかっただろうと、敬愛する著者「藤原新也」氏が書いている。つまり、誰が音頭を取っても、同じ結果に終わるということ。職場にはジャズが好きな人がいて、今晩は一緒に食事に行った。僕はライブ会場を予約したが、ジャズ喫茶が良いというので、梅田の「真湯」さんへ行った。ここのマスターが大の高知好きなのは奇遇。7時から9時まで呑んだ。向かいのホワイトホースのクラブは綾戸智恵だった。こちらは多分うるさく話もできないだろうな。それに英語の歌はきちんとネイティブの英語を聞きたい。カタカナを読むような歌を聴くのは僕の趣味ではない。 9月15日(日曜日) 合展会場は、屋内テニスコート。白いビニールのドーム形状屋根。太陽光線が拡散して眩く、炎天下でも根を上げない私だが、この明るさは目が痛く負けた。それに暑い。じわじわと下着が濡れる。ポタポタとは来ないが。それで、ズボンのシワが一気に取れた。古い洋服なので、汗の蒸気でヨレヨレになる。隣は調理コーナー。レンジの実演で焼きそばを見た。シャープは粉末も、肉も前もって盛り付けてセットするだけで仕上がるが、パナのは、そばだけ蒸して、そのあと粉を振りかけて混ぜる一つ手間がかかる方法。シャープに一日の長ありだ。今日は大阪から落語家が来て3回講演。謎解きをやったが掃除機が難しいとこぼしていた。そこで僕は掃除機の担当だから、一つだけ教えてあげた。「掃除機と掛けて何と解く」「素直な人と解く」「その心は、正直」少しダジャレが入っている。そしたら、彼は採用という事で、次の高座で使わしてもらいましたと挨拶に来た。僕のジョークは行けるぞ。夕刻バスの中、檜和田氏から電話。SB-10000を30万円で購入しろと言う。山形から、自分が8万円で運んであげるとも言う。僕は最後の買い物としてモニターオーディオPL300を購入する予定だったが、これに落ち着きそうだ。このスピーカーはご主人が亡くなり、奥様から檜和田氏に相談があったとの事。現46㎝ウーハーのスピーカーも知多の知人からの下取り、SL1200LTDも友人の奥様から頂く代物。この部屋にあるオーディオはまともに新品で購入したものが少ない。亡霊渦巻く機器だらけ。でも大事に使って、故人の意志は引き継いでいるから供養になっているのではないかと勝手に思っている。 9月14日(土曜日) 掃除機も色々と質問を受けると結構知らないことがある。知ったかぶりで間違いを答えることもあった。その上、事前に勉強しておきなさいと渡された資料から展示商品は逸脱して、なんと今回は床拭きロボットの展示があり、説明を何度も求められた。全く未知の分野だったので、申し訳ない事をした。僕自身としても完璧でなければ接客は怖いし、いい加減な岡村さんでは仕事に行った気がしない。午後4時客足が途絶えた。疲れがどっと出てきて、後1時間どないして持ちこたえようか?ちょっと自信が無い時間があった。少しして接客があり、それに気を取られてこの疲れがいつのまにか飛んで行った。豊橋は足掛け6年近くの担当して、顔見知りも数人いた。販売店さんも知っていた。三河弁とは少し違う豊橋弁も懐かしい思いで聞いた。「そう〜だら〜」が「そう〜じゃん」になるのだ。ここは車会社の社員さんが多いせいか、メカの事を聞く男性が多い。ロボット掃除機のバッテリーの電圧は?どれくらいの落下衝撃に足のスプリングは耐えられるのか?I don’t know.だった。それでも嫌な顔をしないのがここの土地柄。岡崎N販売のH氏とも昔話をした。定年後Pana Homeの販売に従事。多少のリフォーム知識があったのでこの業界に飛び込んだと言う。一緒にベリーズで仕事をしたS氏の行方も聞いた。彼はそこを退職し給食の配送運転手だとの事。S氏はプライドが高く、なかなか懐に入るのが難しい人だったが、一線を越えればあとの懐柔は割と楽だった。ベリーズでは同じ仲間だったから初めから予防線は引かなかった。 9月13日(金曜日) 夜中に雨の音で目が覚めた。昨日は主だった運動はしてないから、当然ながらエネルギーの消費は少ない。ということで睡眠は浅く目が覚めたわけだ。朝6時半に吉野家の牛丼店で朝飯。390円。朝早くからよくそんなもん食べられるね?と言われるけど、夜食ってなければ大丈夫。ツルツルと入っていく。そして朝の時間帯は来客も少なく、リスニングルームの前を行き来していると、自ずと腹が減る。夜は移動だからあまり食べてはいけないと思うと余計に食欲が増して、阪急の社員食堂の定食を完食。今日の問題は、閉館間際にルーターの調子がおかしくなり、明日の担当者に迷惑かけるから、修復に時間を食った。それで、出発時間が遅くなり、7時半の新幹線にギリギリ間に合った。駆け込み乗車で、行きすがりの駅ナカ店で弁当を購入したら、稲荷2個、穴子きゅうり巻きが3個で1080円。あまりにもぼったくりではいか。新幹線で報告書を仕上げ送信。ルーターの不具合も引き継ぎメールを送信。便利な時代になったが、拘束時間も増えている。ハラリの「サピエンス全史」によれば人類の幸福な時は、狩猟採取時代にあったと言われる。まぁそこまで言わなくとも、僕のおじいさんの時代には、畑の畦で、近所の人と長い間話し込んで、そのあと、草刈りをしてその日を終えていた記憶がある。時代とともに人類はより仕事に費やす時間が増えることになったのだろう。 9月12日(木曜日) 掃除をして、荷造りをして、ラジオ英会話を聞けばもう昼。簡単な昼食を作り出かける。夏に強いはずの自分だが、部屋から下の駐車場に荷物を持って出るだけで汗でびっしょり。普段自転車に乗れば汗をかかないのだが、今日は吹き出ている。気温がおかしいのか、体調がおかしいのか。太陽がきつく感じる。そういえば、先日自分が死んだ夢を見た。死んだ後霊になってお寺のせっちゃんと話したら、折角世話したサトウキビが食べれなくなったねぇと、ただそれだけ。そして昨日は金縛りにあって、幽霊が出てきて大きな声を上げて目が覚めた。今まで経験のない夢だ。英語の勉強法を変えて脳の違う部分を使っているせいだろうか?それとも、頭がおかしくなりかけてる最初の兆候だろうか。新幹線までは空腹だったのに、梅田から歩いて天六に向かう途中から空腹感が消えた。夕食は茨木のマンションの下にある居酒屋さんで頂く。あまり流行ってない店だが、結構美味しいのと、野菜料理が豊富なのだ(多分この為人気がないかも) 9月11日(水曜日) 体調も変化しているが、精神も変化しているかもしれない。と言うのは、最近、息子も友人もドカドカと土足で僕のエリアに上がり込んでくるようになったと感じるからだ。どうして、僕の縄張りはそっとしておいてくれないのか?所が、それは僕の被害妄想で周りの人たちはそんなに変わった行動をしているわけじゃない。確信がない。でも最近それが増えたように感じるようになった。と言うことで、仕事をするため高知を離れるのは、一面でホッとすることなのだ。出張先ではそう言う場面には遭遇しないのだ。何か変だ。出かけると言えばベトナムから返事が届き、日程はOKとの事。さて、サイゴンに行って一体何をするのかな?普通は逆だが。どうしようもないので買い替えを検討しているAVシステムのスピーカー。現行はビクタードルチェ。所が、今日、メトロポリタンガラコンサートをLDで聞くと、なかなかまとまった音がするではないか。つまり、頭の中でこのシステムは悪い悪いと言う声がいつも響き、悪いと思い込んでしまう。実際はそうじゃない。どうやら、前のこともこの事も僕の頭がおかしくなりかけているのではないか?iPhone11が発表になった。買い替えだ。こちらもサイゴン行きと同じで、その理由は後付けになる。何もかにもおかしな事が起きている。iPadの電池が寿命を迎えているので、アマゾンで20000mAのバッテリーを買った。あまりにも安い。何かが起きなければ良いのだが。 9月10日(火曜日) 本格的に家前東のサトウキビ畑の柵作り。2日間で全てを終えるつもりで取り組んだ。風呂の裏にある竹を切り出して柵に使う。竹の中には枯れて使えないのも混じっていて、これは上の畑から落とし、風呂の焚き付けに使う。後1列で定刻の6時が来た。汗ドロドロで風呂を沸かし、入ろうとすると息子が帰宅し風呂に入る。僕はといえば、車庫の水道蛇口にホースをつなぎ水浴び(まだ水はぬるく何とかなった)。それから買い物だ。今まで一人住まいだったから困惑。耳の治療でホルモンの注射や薬の投与の影響だろうか、夏の最盛期よりも暑い。汗が吹き出ている。それとも台風一過の南から湿った空気の影響だろうか、兎に角、体感は夏よりも暑い。夏よりも暑い証拠もある。朝方エアコンが回っているのだ。(8月の一番暑い時でさえ、朝はエアコンは止まったままだった)いずれにしても回答はない。風呂から上がると途端に睡魔で、食事後2時間以内の就寝だ。 9月9日(月曜日) 眠いが風呂に入ってしゃっきりとし、帰省。新大阪は大混雑。東京行きの運行が未定な上、東京からの列車は来ない。名古屋からの列車は定刻通り。わかりやすく案内しないと混乱する。私は余裕を見て、名古屋からのヒカリで帰った。岡山からの列車は満員になった。ごめん駅に着くと、藁の臭いに、抜けるような青空。もうお彼岸が近づいている。秋の気配だが、気温は高く汗が吹き出る。病院に行って血液検査の結果は、相変わらず膵臓が悪いまま。このまま放置は良くないだろう。甘いものと、酒を控えるようにしよう。帰って1時間だけサトウキビの柵作り、午後6時に切り上げて、安芸市のうどん屋さんへ、食事の後銭湯。今日はギリギリまで作業をしたので、風呂も食事も無しの為。息子の世話を放棄したから、自由に自分の時間をコントロールできる。いいことなのかどうかわからないが、子供の為に自分の時間を投げ打って疲れ果てるのは、忙しい自分に好都合だ。一方息子は6時には帰宅するので、僕よりも時間が十分にあるのだ。 9月8日(日曜日) 今日はアメリカ人の作曲家と奥様の来館(2名)。会社関係のお客様なので、パナの取り巻きが5名も随行。当館の窓口も1名。部屋がいっぱい。随行が通訳してくれるが、追いつかない。言っていることはわかったので、直接答える。まぁここに来て話すことといえば決まっているので、僕も話がわかるのだが。それに専門用語だから通訳もしんどい。この3日間でフランス人家族、昨日のトルコ人家族、と併せて3組の家族の対応をおこなった。音楽を聞けて楽しい仕事の上に、生の英語を実践できて、この仕事を頂いて大変申し訳ない。そこへ、ここに勤務している女性(いろんな趣味の人がいるのがわかって来た)からジェーン・モンハイトの全アルバムを貸して下さった。高知で録音する為に中島みゆき13枚を借りたが、さらにここに7枚も加わって、高知では大作業が待っていることになる。帰りにヨドバシカメラ。スピーカーのKEF407を聞かせてもらい、これはなかなか良い。東芝の4Kは地デジが綺麗というので見せてもらったら、DVDを見ているようだった。HIVIで執筆する評論家は何を持って綺麗と言うのだろうか?お金のためかな?iロボットの掃除機。自動で吸い込んだゴミを取り出してくれる機能つき。それでもパナの掃除機と値段は同じ。ダイソンのスティック掃除機。やっぱりパナより軽い。毎朝ショウルームでパナのスティック掃除機で掃除をしているが、重い。ずっしりと来る。これじゃ老人は無理。静かだが、合展のイベントでデモすると注意された(うるさいのでMCが聞こえないため)パナの、コード付き軽量タイプは他を寄せ付けない。それぞれのメーカーにはそれぞれの良さがある。ソニーの6100万画素のカメラ。シャッターを押すと、中で変形したゴルフボールが転がる感じがする。ちょっと変。パナとオリンパスは衝撃が少ない。ニコンは明快でガシャ。 9月7日(土曜日) 今日は忙しや。ほとんどが接客の時間だった。今日の感動は、トルコ人の家族と接した話。親父が大のオーディオ好き。ヤマハのプレーヤーを売ってテクニクスのSL-1200G(33万円)を買った。もちろんテクニクスはトルコで販売してないので、ドイツの店で買ったと言う。まぁ好きな人の感覚は世界の人共通。キーポイントは「自慢したい+共有して欲しい」アカイのテープデッキを持っていたのでGXヘッドを採用しているだろうと誘いをかけると、ギャップにガラスを使っていると乗ってきた。まぁ30年くらい前の事なので、彼の周りにも、そんなことを知る人はいないだろうと思う、彼も気を良くして色々と自慢が始まった。だが、感動はそれじゃない。一緒に来ていた奥さんや子供達がそういう父を容認しているのだ。(普通はそんな父を馬鹿にするのだが)息子も娘も美形で知的で見ててもウツクシイ。娘のリクエストはQUEENだ。Amazingを連発していた。全員が英語を喋る。昨日は清華大学の生徒が来たが、案内は英語だったが、僕とは日本の会話。ここだけの話かわからないが、外国人は良く勉強している。話は戻るが、そのトルコ人たちは暖かそうな家族だった。父は4回も日本に来る親日家。今回はついでに家族を連れて来たのだろう。わかりやすい英語を話してくれた。家族も英語だった。夕食は茨木駅前の王将。忙しく喉が渇いていたのでビール。久しぶりに美味いビールだった。 9月6日(金曜日) この頃は基礎英語3の日本語訳を先に読んで、それを英文化し、テキストの英文と比較して英作能力を比較する勉強法を新たに加えた。これが効いたのか、朝の喫茶店でジャズの歴史を翻訳するのが、更に一歩本当の意味に近づいたような気がする。(今までは少し文章の流れが淀んでいた)AIが発達していずれ翻訳機が出るだろう(かなりいいのが出ている)。実質的に勉強は不要となる時が近い。でも、とっさに必要とする時があるはず。その時に活かせば良いかと、これは投げないでおこう。実際の所、英語の勉強時間がなくなれば、一月15冊の読書も可能になるし、もっと映画が見える。それも選択肢の一つだ。でも、この歳になってから色々判断を下す事が多くなったし、この感覚や気持ちは人に伝えようがないから、自分一人で結論を下すようになるだろう。父のように、色んな思い出を全部自分の中にしまい込んで逝ってしまったように。だから、無駄だと思われる英語の勉強は違う頭を使うから、頭脳活性化の為にも必要かな。今日の出会いは、オルゴールに感動した人の話。大雨に降られて、ふと開いていた建物に飛び込んだのがオルゴールの館。京都での話。その人は最初5000円くらいの物を買えば良いかなと思っていたが、案内されるままに数百万円の機械を買う羽目に。そこでの感動は深く、気がつくと涙が頬を伝わっていたと言う。結構怖そうなにいちゃんの話だけに迫力がある。テクニクスの音も感動したが、そのオルゴール程ではないと言う。多分それは本当の事だろう。夕食はイオンの値引き弁当をイートインで千円で済ます。その足で中島みゆきのCDレンタル13枚、2500円。これで、ほぼ全てのアルバムを揃える事になる。7日レンタル契約で、高知に持ち帰ってダビングの予定。 9月5日(木曜日) 何を勘違いしたのか、電車を1本遅らして乗車。当然到着が1時間遅くなる。今日は、大阪で打ち合わせ会議の日だ。JR四国館内では阿波池田まで爆睡。朝起きた時から、右の股関節につながる筋肉若しくは筋が痛み、まともに歩けない。一方で、左膝の痛みはほぼ取れてきているのだが。それで自転車に乗るとサドルがこの筋肉にあたりものすごく痛い。耳の事と言い、突然の足の痛みと言い、身体が急速に弱ってきている。どこかで、若い頃の身体と決別する時が来るだろうと思っていたが、少々早くきたようだ。サトウキビを植えず、ゆっくり過ごし水泳で鍛えていると、もう少し劣化が伸びたかもしれない。爆睡の後目覚めるとやっぱり痛みは残ったままだったが、気持ち楽になったかな。打ち合わせは僕のせいで、午後7時まで長引いた。11月までのスケジュールが決まったので、ベトナム行きを連絡しよう。 9月4日(水曜日) ![]() 9月3日(火曜日) 出発の準備。持参する音楽の準備と、そのリスト。楽曲名をネットから取り出すのに、今までテキストベースで行なっていた。エクセルに貼り付けると行削除の作業が余計だった。disccomのサイトはそれが無く便利だが、指定するアルバムのヒットの確率が低い。ところが、Amazonの曲目リストをHTMLで貼り付けると、行削除が少なくなるのが判明、作業は一気に進んだが、午後2時まで要した。それから柵作り。西の畑は3畝完成、前の東の畑に着手。ここは風当たりが強いし、つっかい棒を隈なく施してない。裏の竹を使わずに、ビニールハウスの廃材を使ったら、木ネジが思い具合にねじ込めなく、ネジ頭からドライバーの先端が外れ、指を損傷、なかなか血が止まらない大怪我。しばらく休憩して今度は東の畑の1畝のみ完成。畑下のおばさんが、すっかりお百姓さんになったねぇ。4月以降、畑に出ない時はなかったからね。「稼いで蔵を建てるぞね」近所の人は、僕が遊んで暮らしているとみなしていた。ところが、頻繁に畑で見かけるから、「おや」と思ったことだろう。2リットルの水を流し込むと、発熱で蒸発してしまう人間濾過器。それでも水は不足して、夕食時に水分を過剰に摂取。それでバランスが取れる感じ。水を激しく飲むと、風呂上がりに目やにが沢山出て、視界が不鮮明。本も読めず疲れは激しく、9時前には就寝。 9月2日(月曜日) 今日も点滴、点滴中に考えたことは、サトウキビの井形柵を何とか早く出来ないものか?今のままでは、1日1畝が最高のペースだ。台風襲来までに間に合わない。そこで、電動ドリルをもう一つ購入することに決めた。一つは穴あけ、一つは木ネジ用のドライバー(今までは、都度取り替えて使っていた)。ところが、訪問したホームセンター「ダイキ」で尋ねると、欲しい商品がない。しかし店員はもっと親切な提案をしてくれた。レンタルすれば良い。「1日250円で使えますよ」。僕は1万円の出費を覚悟してたから渡りに船。こんな幸運もあるんだな。帰って、音楽の整理。3時からサトウキビの柵に取り掛かったがすごく早い。瞬く間に1畝ができてしまった。約2時間。これなら、全畑の柵作りも夢じゃないな。と思い込んだ矢先、台風13号のニュース。一方で、テクニクスの舞台が高知にやってくるので、その営業的根回し。忙しく汗だく。これだけ汗を流したら、点滴の薬も流れるだろうな。でも、点滴は効く。秋の虫の音が心地よい(以前は不快)。こんな爽快な気分は久しぶり。回復は無くても、点滴をやめてもこのままの状態で維持できないかな。 9月1日(日曜日) 朝一番、自宅の松の廃材を切って、伝承館に持ち込んだ。さとうきび畑の草刈り、自宅の粗大ゴミを息子と片付け、都筑さんのビニールハウスの廃材を回収した。良く頑張ったので4時に仕事を置いた。風呂を焚き、食事の準備をすれば、少しだけ早く今日は終いがつけるかなと思っていたが、献立が残り物を多用したこともあり、多くなりすぎ息子に食べさせると、スローペースで、結局は普段と同じ8時に終いが付いた。先日、ハードオフでパイオニアのAVアンプLX81を買った。メインアンプのみ使う予定。だが結局設定もせずただ接続しただけなので、今晩こそはと意気込んでいたが、疲れと遅くなったので断念。チラッと聞きでは、このアンプはデジタルアンプで高域が綺麗。低域は、パナの方が良いようだ。マルチチャンネルにすれば、どのアンプでもそれなりに鳴ってくれると言うことか?電源ケーブルとかいりいろ追い込む事がありそうなのでしばらくは静観。 8月31日(土曜日) 点滴が終わり、急いで帰り食事の支度をして伝承館に出かけた。約半年ぶりに製糖組合の面々と顔を合わす。さすがに松本さん(89歳)は動きが鈍くなっていた。とは言うものの、廃材に絡んだ針金や、釘を抜く作業を一手に引き受けてくれるなど、普通のお爺さんレベルではない。師匠が、「岡村とおったら殺される」とぼやく。僕は休憩無しの連続作業だから、どうしても周りのメンバーは気を使ってゆっくりと休憩できない。それで、再び仕事に駆り出される事になるからだ。僕が、この面々に色々と注意されながら行ってきた作業を今振り返ると、具体的な作業よりも、その作業の先にある物を見つめる重要さについて教わった感が強い。この半年、一つの作業に付帯する諸々の事に順番をつけ、最小の動きで、最短の距離で行うことが多くなった。例えば、夕食の買い物も、クリーニングや、灯油や、農協によって依頼することなど、一度出かけると全部一度に行うようになった。正に長老の知恵を授かっていたという事だ。こんな目で息子を見るから、余計に目が厳しくなっていたのだろうとも思う。ともあれ、サトウキビの仕事はこの春以降僕の日常を全て食い尽くしたが、それだけの素晴らしい人生の知恵を得られ価値ある出来事だと思う。 8月30日(金曜日) 読書感想文は、実際の紙の本でなければ受け付けないと言う新聞記事が掲載された。つまり電子書籍はダメという訳だ。その理由が奮っている。紙の本なら、余白に感想などを書き込みできて、深く浸ることができる。電子書籍はそれが出来ない、入手する手続きが面倒だと来た。「白百合女子大学の河野順子氏はこう行った」。オイオイそれで大学の先生かよ!と疑った。電子書籍は欄外のメモ書きもできるのをご存じないらしい。当然他の読者がハイライト(マーカーで塗る)のが何人かの共感を呼んだのかも表示されるのも多分ご存知でないだろう。ほんと呆れてモノが言えんわ。(自炊した書籍でも、マーカは出来るし、書き込みもできる)メニエルを想定して治療を受けているが、多分ホルモン剤の影響だと思われるが、妙に気分が良くなった。と言うよりも、今までは鬱であったのが、一転躁になった感じだ。随分と昔の事のように思えるが、昨年位まではコーヒーを飲むと、気分が良くなって、何でもできるような錯覚を起こしていたのだが、それが近年消えていた。その感覚が蘇ったと言う感じ。サトウキビの先生に電話して、一つは伝承館に松の廃材を持ち込んで良いかの確認。一つは、僕の施した台風対策で凌げるのか見てほしい依頼。結果、台風にはまず大丈夫だろうとのことで、余った時間を伝承館の廃材持ち込み済みを整理する仕事を約束させられた。期日は明日昼から。 8月29日(木曜日) この人と話をしても拉致があかない、と切り捨てる。そんな人間関係や商談が日常には多々あります。気長い性格の人は特にこの決断をした後の態度は厳格だ。韓国との関係は正にこの通りで、文大統領はそれなりの人物だと判断したのだろう。きっかけは戦後の後処理の理解に誤差がある事だが、これはいまに始まった事じゃないからきっと他の理由だろう。日本は外国に対しかなり鷹揚な態度で接して来たのに、今回が厳しいのは、文氏の評価だろう。取るに足らないレベル、切っても国内に影響が広がらない、いずれ交代要員が出てくる。まぁ本音はこんな所だろう。僕自身にも問題が発生した。耳が詰まったようになって、息抜きをしても治らない。酒を飲む機会が増えたので、膵臓も心配だ。という事で、病院に行った。耳鼻科は1時間半の待ち時間。そこで、先に内科に行って診てもらう。採血し次回に結果を聞くことに。耳鼻科は2時間遅れて着いたが診てくれた。右の耳が低域で-50db低下。飲みぐすりか点滴か?様子見か?僕は点滴を選択。これから毎日医者通いが始まる。帰りに「天気の子」CDをレンタル。帰り着いて、農協に預金、クリーニング、内科の薬の調剤を薬局に依頼してから、残り時間わずかだが、草刈りと、昨日の続きで松の木の回収。よくやる、しかしこのよくやると言うのが、結局体内バランスを崩し、弱いポイントにいらぬ症状が出ると言うのが、原因ではなかろうか。 8月28日(水曜日) 友人から電話。今日の昼食会案内。久しぶりに飲む機会。僕だけ飲まず運転。友人の貝教室は順調で10万円の収入を得たとの事。まずまずだ。今日は妙に気だるく朝も少しだけ寝たが午後も少しだけ寝た、それでも本を読むとウトウトする。連続4日勤務の疲れだろうか?定年後すぐに働いていた会社のOB仲間から電話があり、活動レポーを提出するように要請があった。会報に掲載するためだ。定年後就職した会社は3つ。そのうち、2つは2度就職している。残る一つはOB会で今も繋がっている。どの会社も全部パナの人間関係だから、身元が割れているし、旧知の仲だ。だから、僕に活動報告を直ぐ出せと言ってきた人も、僕の事をよく解っているから直ぐに出すだろうと踏んだ上のこと。午後4時くらいにはすっかり雨も上がり、大工さんの家の前に置いてある松の木を取りに行った。誰もいなく留守だったので、帰りに大工さんの友人の家に寄って、大工さんに電話をしてもらって持ち帰る事を伝えた。(田舎は話が早い)重い。帰って60cmに切り刻んで、やっと持てるようになった。もう息子は帰っていた。風呂に入って風呂を汚して自分の部屋に引き上げていた。僕は、暗くなるまで作業を続けて食事の準備をし、風呂に入った。息子との関係はこんなのでは駄目だろうと思いながらも、どっぷりとのしかかってくる息子の日常生活を支える勇気もない。身障者ならともかく健常者で仕事もしているのだから。悩ましい所だ。 8月27日(火曜日) もう少し勉強したら?JRではどこもそうだが、車掌が次の駅のドアが開くのは、左か、右か英語で案内している。聞いていると、カタカナ原稿を読んでいるので、外国人にとってはわからないのでは?と思う。美空ひばりのように、英語の発音を日本語で理解して喋る方がよっぽどわかりやすいと思うのだが。いらぬお節介か。JR四国は再び、耳をつんざくような車内放送に耐えて帰ってきた。和食駅に着くと雨は止んでいた。幸運だと思いきや、自転車に乗った途端に雨来たる、家に帰り着く頃にはボタボタ状態。これで、天気の子はすっかり遠ざかり、普通の人になったと喜んだ。着替えて直ぐ、裏の大日様の清掃。部落の有志が集まっていた。大日様は部落の全員が関わるものだけれど、部落の他の人は放棄して見向きもしない。有志だけ。道を塞ぐ竹やお堂にかかる竹を切り払ってあったので、30分くらいで終わった。「今年は竹が少ないなぁ」と言っていた人がいた。そのあと、風呂、夕食の準備。6時に集会所に出かけた。手製の弁当を食べながら懇親会。だいたいが聞くだけだが、僕のサトウキビ栽培を見て、大工さんが松の木の廃材使用を申し出てくれた。車庫にはもう入りきらないほどの薪が準備できている。しかし、こんなもんでは全く足りないから、まだまだ頑張りが要求される。 8月26日(月曜日) 新聞の社説は、日中の貿易交渉を終結してはどうか?ではなく(実現しないことを他人事のように書くよりも)、なぜ、トランプやアメリカが、頑なに中国のハイテクを叩こうとするのか?その真意を書いたらどうか。一般人である僕らだって、その理由はうっすらとわかっているから、マスコミなどその分野により詳しい専門家には明確に分かっているはずだ。それこそマスコミの役割だろう。今日は一般客でベルリンから来た家族の接客。好みはジャズだった(?)ハービーハンコック/ヒューチャーショック。フュージョン系の音楽。クラシックではないのか?そういうと笑っていた。部屋を出るとき、ものすごく背の高い娘さん(中学生くらい)からHave a Nice Dayと、ご親切なお言葉。Your welcome.シアターの相談もあった。機材はヤマハかデノンになるので、深くは相談に乗れないが、HDRやドルビーアトムスについて概要を紹介した。施工業者さんもかなりの知識を持たないと対応できない課題が浮き彫りに。映画館を超える音響が家庭で楽しめる時代、客も期待度が高くなるから業者さんも対応が大変だ。ニッチ市場だが、そこには深い感動のある世界がある。パナの今度のテレビが余りにも良いので、これからシアター相談が増える傾向になるだろう。と、今日も忙しい一日だった。電車を間違えて乗り、天神橋6丁目で降りるなど朝から慌ただしかった、このように僕の方の頭の動きが弱っているから忙しく感じたかもしれない。 8月25日(日曜日) 朝はスーツを着てても大丈夫だった。昼間はともかくとして朝夕はもう秋が来ている。今日は元岐阜NのH氏に会った。僕が岐阜に駐在していた頃の新人だ。僕の友人のO氏やI氏の事を告げると、そうそうつるんでいたねとの反応。今日は2日目、掃除機のスペシャリストでは無いが、取説を片手に大概の相談に応じられるようになった。時々隣の洗濯機の接客も行った。僕は持ち場に張り付いているから、時々離れる社員さんの担当商品接客も行うのだ。現在はネット販売、大手量販店との戦いの時代、生き残ったパナの店はなかなか手強い。品物を買った客から「ありがとう」と感謝されている。知識は少ない人が多いが、人あしらいは極上。割と勝気な販社の女性を見かけたら、私の担当している店でロボット掃除機が売れたよと報告あり、何と女性のセールスパーソンか。今はそう言う時代なのか?展示品の後片付けをして退散。静岡駅で40分の待ち時間。うまそうなカレー店があったので食べた。でも、もっとうまかったのは、そこで買ったカレーパン(250円)これは絶品だった、中にチーズがとろりと入っていた。そういえば、ベルリンで食べたサラダの中に入っていたチーズも美味かったなぁ。電車は疲れで名古屋まで眠りこけた。最近、乗り物がゆりかごになっている。体質が変わったのかな?京都駅下車。東海道線、摂津富田下車。徒歩で阪急富田駅。この駅が2つの路線が一番くっついている。今日も着いたのが9時前。よくやるよ、と自分でも思う。 8月24日(土曜日) ホテルの朝食は1200円。松屋の朝食は490円。量、中身とも松屋に軍配あり。仕事はメッセでの展示会。ここで、旧知の人、支社長にあった。静岡から三重、長野までの責任を一手に引き受けているから偉いものだ。昔、豊橋Nではあまりお世話になっていなかった新人だが、彼が偉くなってから親交が始まった。今は、若手の育成に苦慮されているとのこと。そうだな、パナの家電は先細り方針だし、ましてや系列店は高齢化で先細りだし、現実を見ると厳しいな。パナの太陽光発電と蓄電池のビジネスに期待されてはどうか?(パナの強い分野だがあまり積極的ではないようだ)モリックのH氏にも挨拶された。その昔、守口ステレオ事業部の時代、夜10時ごろに明日発表のリリース原稿に間違いがあるのを発見。モリックの社長を叩き起こして翌日の8時に間に合わせたというメチャメチャ無理をお願いした会社。今は印刷では食っていけないから、ノボリ旗やPOPやら、イベントに人の派遣を企画していると言う。今日の驚きは高齢者にロボット掃除機がとても人気あると言うこと。パナの掃除機は軽いのが特徴で、高齢者に合わせた企画だと言うのだが、この会場に来るお客さんは、それでも重いので、持つ必要のないロボットがいいと言う。軽い掃除機は、もっと若い50歳くらいの人に人気。そのロボットはスマホでないと動かないから、高齢者には向かない、なんともはや。久しぶりの接客で疲れ、仲間と駅前の大上水産(居酒屋)へビール。店長オススメのボタンエビが極上。殻はテーブル上のコンロで焼いて全部食べた。自宅では500mlのビールで酔うのに、今日は生ビール4杯でも酔わなかった。なんでかな。 8月23日(金曜日) 大きな荷物を抱えてホテルから職場に移動。今日は館内で正しい接客が行われているかチェックがあった。他のコーナーの人が✓を行う仕組み。新しい出会いは、年配者の友達グループ達、高校、大学と友達、8名のグループだが今回は3名。もういつまで仲良しで居られるかわからないとぼやいていた。僕ら高知3人の友人もやがてこうなる時が来るだろう。(大阪仲良し4人組は一人欠けたし)そんなに先のことではない。お金と相談して現世を如何に楽しむかだ。そのお金のこと、先日農協の口座明細書が届いた。1年に60万円程の目減り。何かな?原因は地震保険だった(毎年の事なのに忘れている)。次に車の車検。僕としては東南海地震が一刻も早く来て貰わないと困る。これで、家が崩壊するのが一番の理想。そして、保険で新築するのがシナリオ。人生とお金は先の予測ができないから慎重に行こう。仕事を終えて18:30、静岡行きの新幹線は新大阪を19:06。その間、新大阪のガンコでお寿司。この店しか直ぐに食事できる店がない。高いけど、満足。名古屋でこだまに乗り換え静岡まで。列車は遅れて到着。結局着いたのが21:30。(先に乗ったのぞみが東京に着くよりも遅い)若い頃はここまで無理しなかったなぁ。しかもホテルは場末の旅館のような古い建物。すぐ近くに東横インがあるのだが。備え付けのスリッパは水虫が住み着いているようなビニールのベトベトのもの。上敷きの紙のシートの準備もない。なによりも冷房の温度調節が効かない。でも受付のフロントは金髪の外人だった。どうなっているのだろう。外国人観光客が多いのだろうか?夜中に寒くて起きて冷房を切った。 8月22日(木曜日) 久しぶりの都会。昆虫、雑草、雑木、ネズミ、イノシシ、毎日毎日が戦い。痛かった膝も、この戦いの最中に忘れてしまうほどの軽さとなって、医者には3週間行ってない。もういいかな。今回は土日が静岡での合展応援、金月が大阪。合展は掃除機の販売。それで、取説をダウンロードしようとするが、品番を打ち込んでもヒットせず、元の画面に戻ろうとすると、再び全品番を再び打ち込まなければならない。チョット使いづらいと言うか、ITには弱い会社なのだ。株価が800円で低迷するパナソニックにはいろんな理由があろうが、こんなところにもその一旦が滲み出ている。炎天下の中列車で移動。相変わらず四国JRはマネジメント不足、車内放送が耳をつんざくような異様に高い音量、切符拝見は切符をひったくるような所作。車掌は若いにいちゃんだった。日本特有の教育システムOJTが実施されてないのが手に取るようにわかる。土佐山田からの山間部は駅間が長く、車内放送がないのでここで爆睡。大阪着は17:30。駅で散髪し、靴屋に向かう。今回はホテル泊。茨木のマンションに仕事用の靴を置いたままなので靴の新調が必要なのだ。STEPの感じ良い定員に靴を出してもらった。要望を伝え座っていると、候補を次々と持ってきてくれる、自分のセンスに自信がなくなって以降こんな買い方に下落した。次に、ディスク・ユニオン・クラシック館。ズービンメーター/ツァラトゥストラはかく語りき、スメタナの演奏でモーツァルト4番9番(朝日新聞推奨、レコード大賞受賞)を購入。いつもの中華料理店で夕食。昼飯抜きで空腹なのに、全部食べきれない老人の悲しさを味わい、ホテルでは疲れで眠くてそれ以上起きていられず就寝は9時。一年が早いが、一日も早い、起きている時間が短いから。 8月21日(水曜日) ![]() 8月20日(火曜日) アメリカは中国に白羽の矢をたてて対抗(身構える)するが、中国は馬耳東風。北風と太陽の如く、アメリカはこの経済戦争でかなり失うものが多いかもしれない。(アメリカは)願わくば、香港の火種がウルグイやチベットに飛び火し、中国が混迷するのが一番の理想のシナリオだろう。これに台湾が乗っかれば、中国は分裂する(間違いなく)。アメリカのシンクタンクは(ひっそりと)その計画を練っているのかもしれない。そして再びアメリカNo1が戻ってくるように。果たして上手くいくかな。それよりも深刻なのは地球温暖化で、我々(人類)が深刻に受け止めるようになる頃には取り返しのつかない状態になっている事だろう。こちらはマクロンが旗手だ。だが、国力弱いので、アメリカを飼いならせない。昨年からの梅雨と台風は常識を逸している。秋の台風はどんなになるだろう。普通の気候がなくなった。セミは、ヒグラシ、ミンミンが鳴いている。ここでは聞かなかったセミの種類だ。一方でアブラゼミが減った。死骸はよく見るからまだまだいるかもしれないが。天候不順でも、何時もの風物詩は秋の虫の声が聞こえ始めた。暑いとは言え季節は変わっている、もっともこの雨で天候がぐずつき少し気温が下がったのもあるが。我が事は、サトウキビが台風で倒れ、その修復がやっと出来た事だ。かなり無理して遅くまで(17:30)頑張ったので、風呂を焚くと食事が遅くなる。息子も帰り腹を空かせているだろうから、外食に南国市の食堂へ出かけた。毎日定刻に帰ってくる(今まで一日も遅くなったことがない)。それはないじゃないの? 8月19日(月曜日) 雨、それも先日の台風を上回るような雨。短時間に大粒の雨が落ちてくる。雨が上がったのは午後2時。今朝は身体が怠く動けなかったから丁度の「恵みの雨」。だが、喜びも束の間、サトウキビの修正用の竹の伐採に山に上がると、道中(と言っても、たかが100mくらいだが)山道に笹が倒れこんできて道を塞いでいる。この大きな雨粒を竹は支えられなかったのだ。2つルートを塞ぐ竹の伐採に1時間くらいを要してやっと開通。そして、夕刻風呂を炊く時間がやってきて、煙突を見れば、その上にやはり笹竹が覆いかぶさっている。こちらも危ないので伐採。その時、首筋を真横に刃物が走ったような痛み。これはやばい、急いで服を脱ぎ、手で触ると、噛み付く蟻だった。噛まれながらも一個づつ取り除いていって解決。上半身くまなくチェックできたのは5分後。シャツの隙間から腹に落ちてこなくてよかった。蟻一匹程なら即対応できるが、蟻が十(とう)なら、かなり危険。感謝ではないのだ。今日も定刻に息子は帰宅。僕は作業が遅れたのでそれから買い物。7時過ぎに食事ができて、待っている息子を呼んで一緒に食事。息子の食べ終わるのを待って、食器を洗い一日を終える。寮の賄いおばさんみたいだ。 8月18日(日曜日) 流石に作業3日目となれば身体が怠く眠く動かない、しかし息子の食事のためには起きなければならない。老体に鞭打つとはこの事だなと思いましたね。食事を作っても僕は食欲が湧かず、完全に夏バテ現象。先ずは、風呂の掃除、台所と廊下の拭き掃除を終えて、やっと空腹を覚え食事。本当にしんどくて、食事を終えると再び布団の中へ。10時過ぎ起き出して、ビタミンが不足しているからだろうと(アリナミンAを買うのではなく)、スーパーで果物、かっぱ市場で野菜を購入。野菜果物中心の少し早めの昼食を取った。ほんの少し元気が出てきた。27日は大日様(裏のお堂)の大掃除。当日僕は遅れるから、大きな難物である竹がお堂に倒れかかっているのを全部で6本切り出した。これだけで大作業だが、この後、サトウキビの櫓組み立て2枚目の畑を行った。あともう少しで力尽き、5時の時報で終了。風呂を焚き、水で身体を流し買い物。帰ると息子は畑の畔に座り本を読んでいた。風呂が沸いているので先に入るように言ったが、そのまま居座り、食事時、夜の花火(飛行機の関係でこの辺りの花火は午後9時に開催される)に行くと言った。では先に僕が風呂を浴び、息子の食事の後始末をしてから、寝についた。サトウキビ畑は後1枚残っているが、明日は雨だと言う。カッパを着ての作業だな。 8月17日(土曜日) ![]() 8月16日(金曜日) ![]() 8月15日(木曜日) ずっと雨風は続いて、台風が去った後もそれは変わらなかった。前回同様で、高知県東部は雨が集中した。でもこの強い雨で幾分風は速度を落としたのだろうと思う。水は重くいくら強い風でも、大量の水を思い通りに動かせはしない。そんな慰めを思いながら、倒れたサトウキビをどう修復しようか考えた。大雨は隣の溝の排水溝を落ち葉で詰まらせ、溢れた水が庭に流れ込んでくる。庭の排水パイプはパンク寸前。雨の中傘をさして、排水溝に詰まって落ち葉を取り除いた。この中に蛇がいたらどうしようと思ったが、怯まず進んだ。次は雨樋。見ると溢れているではないか。今年新調したばかりだぞ。雨の中危ないが塀の上に登って雨樋の中に手を入れると、薮から飛んできた笹で一杯だっだ。大雨にならないとわからない現象が次々と発覚する。夕刻少し雨風が収まったかな?時を狙って買い物に出かけた。熱々の風呂も焚いた。 8月14日(水曜日) マスコミは嘘を言ったらあかんと思う。台風10号はたしかに凄い威力を発揮するだろう。しかも、凄い雨量だと言う。だが冷静に見ると24時間で四国地方は1000mmの雨が降ると言う。これはあり得ない。1時間に100mmの雨が10時間も続くのはあり得ない。100mmの雨はせいぜい長くても2時間だ。未だ嘗て10時間はあり得ない。降り始めからの累計雨量は1000mmに達する、これなら話はわかる。報道の責任者はこういう普通の常識を備えた人がいないのかな。気象庁の発表資料そのものを読み上げているだけで責任はないとでも思っているのだろうか。100年に一度の降雨報道は止んだ。「毎年100年・・」では、流石におかしいと思ったのだろう。今日はお盆で「お客」。法要の後飲み会。その席上で、昭和の人は今の若者についていけないとなった。色々な背景を含んでそれぞれの人が話しているのだが、僕は感情はともかく原理や、数字は世代を経ても判断は不変だと思っている。だから時代が変わっても数字が変わらなきゃ判断は同じだと思う、昭和生まれが基準を自分に合わすから、矛盾が生じるのだと思う。まぁ酒の上でのことで、ある程度で話を放棄。台風については停電が付き物。農家の人にとっては停電は死を意味するので、発電機の確保が必須。発電機といえば、よさこい祭はすべての地方車(じかたしゃ)に拡声器用の発電機を搭載するので、高知県には大きな市場がある。そして、よさこいは終わり発電機は需要のピークを過ぎたところでこの台風だ。業者は渡に船、濡れ手に粟で発電機が出て行く。農家も助かっている。もしこの台風がよさこい期間中だったら目も当てられない。 8月13日(火曜日) 雨の来ぬうちに、松葉を拾いに行こう。海岸沿いの松林に出かけた。まだ、太陽は生まれたばかりで弱々しかったが、俯いての作業はきつく、大汗。一旦部屋に戻り、ラジオ英会話を1時間。LPのハイレゾ化に午前中を使い、昼からサトウキビの柵作り、今回の台風は高知の西側を通過するため、東からの風が強いはず。柵は東風に対して抵抗力があるように施した。レーダーを見ると、台風も東側に雨雲があるし、分散している。今回の雨は数十ミリ程度だろうと踏む。風の強さだけが不明。友人はホテルで貝殻の販売が可能になったから、訴求の盾を作ってくれと。僕はデザインしてきてから持ってきてくれと頼んだ。デザインは半日以上のパワーを要するので、いくら友人でもやすやすと受け入れられない。息子の乗る車のマフラーが外れたので修理を頼むと3万円。僕の年金と給与から、僕の生活費と息子の生活費が出てゆく、出費の方が多いから、預金がみるみる間に減っている。何とかしないと、金銭の面でも趣味が成り立たなくなってしまう危機を感じた。世に言われる親の年金で生活する息子版だ。 8月12日(月曜日) 台風が来ている。台風に備えてサトウキビが倒れないように柵を施すのだが、手間がかかりなかなか進まない。一方で、週に1度草刈りをしているが、それが今日で9日目となり、草が勢いづいてきた。わずか2〜3日の事だが、草取り機の円盤で簡単に飛ぶ状態から、2分くらいそこで粘らないと根の部分が切れない。しかも炎天下。喉がカラカラになり水。1回に1リットル飲む。柵作りは、体を大きく動かす作業ではないが、あまりの暑さに息が上がる。その上、サトウキビの葉は端の部分にギザギザがあって、簡単に手や顔を切ってしまう。それで、顔全体を覆う網の布を被っている。これも暑くて鬱陶しい。どんなにしても、作業は遅々として進まない仕組みになっている。 8月11日(日曜日) 墓掃除。2度に渡って除草剤を散布したから、今回は楽。かっぱ市場でしきびを買って添えた。それでも1時間経過。お墓が遠い人たちは、こうちょくちょく参ることができないから大変だろうな。墓の隣には大日様(お堂)があって、8月27日は部落の人たちで大掃除。それで、僕は少しだけ墓の延長線にある道を掃除した。続いてサトウキビの台風対策と、草刈り。又、イノシシによる被害が増えている。罠に頼るだけでなく、僕としても対策が必要。一つはウインナーの中に除草剤を入れる毒餌。一つはウインナーの中に釘を入れる。2way対策。明日から試そう。納屋に出没するネズミもわが世の春を謳歌しているし、その毒餌はタヌキが食べている。こちらも対策が必要。こうして都会とは違う問題を抱えて暮らしているのであります。夕刻親類のおじさん宅を訪ねると、関節炎で伏せっていた。老人は急にどこかが悪くなるから厄介だ。夜は眠いのに頑張って「アリス・イン・ワンダーランド」を読み上げた。1年半くらいを要したが完読。これで原書を読み上げたのは2冊目。 8月10日(土曜日) ![]() 8月9日(金曜日) 毎日同じ作業の繰り返し。午前中はLPレコードのハイレゾ化。棚から引き出して整理すれば、結構名盤がある。ネットで15000円するLPもある。音が歪むLPもある。こちらは針圧を高めると止まった。このアームは別途針圧計で測らなければならないので、適当がよくなかったのだ。LPでも音楽のニュアンスがよく出る。何でCDを作ったのだろう。ジャケットの裏に書いてあるライナーノートを読む楽しみもある。(ジャズのライナーノートは少し辞書の力を借りれば大概が結構読めるようになった)。大阪ショウルームで録音した音源もあるので、所有のプレーヤーSL-1015と比べてみれば、やっぱり、SL-1000Rで再生した音の録音は、揺るぎなく、大地にしっかりと根を張った大木のような信頼できる音だと今更ながら再認識した。WAV録音だがコレグのオーディオ・ゲートで読んで、メタデータを付加し、flacに変換、MP3タグでアートワークを書き込み保存している。これで、ハイレゾファイルと同じような扱いが出来る。 8月8日(木曜日) また、息子に嫌なことを言った。余りにも反応が鈍いからだ。少しは父の背中を見ろ、と思うが注意を払って見ることが出来ないのだ。自分のフィルターを通すから、見えない。見えないから、いつまでたっても進化はない。僕の人生の中に始めて登場した人物。僕の物言いも歯に絹を着せぬから、キツイ。早晩諍いに発展する。ぞれはまずい。という事で、生活を分けることを提案した。無駄があるが、精神はお互い楽だ。家屋は広く、前の家に住めば、息子は自活できる。僕も母屋で自活。自分のペースで生活できる。僕には再び英語の勉強と日経新聞を読む日々が帰ってくる。これしかない。又台風のニュース。サトウキビが倒れないように囲いをしなければならない。畑に行くと、サトウキビがイノシシに食い荒らされている。近所のイノシシの専門家に駆除を頼む。サトウキビの対処は竹を切って材料にするが、その竹は十分以上にある。取り敢えず20本程度切り出す。ついでに雑木も切る。余計なことをするから、作業が遅れる。台風は14日頃だと言うから、大きく成長した2列は優先して仕上げる必要がある。併せて、草取りも。炎天下3時間の作業だが水2リットルが身体の中を通過する。靴の中まで汗が溜まる。身体がよく冷えるので熱中症の方は問題ない。 8月7日(水曜日) マリア・グリーンバーグのアルバムがセブンイレブンに届いた。タワーレコードで注文しておいた分だ。マリアはソビエトで迫害を受けたユダヤ人。夫と父は処刑されている。演奏があまりにも上手いので、彼女の処分はされなかったようだ。しかし、名誉の復活は死ぬまで無いとの事。今回、ソ連時代の録音全部が一挙に発売された。34枚CD。評価記事を見ると、魂を揺すぶられるとある。特にベートーベンのピアノソナタは秀逸で、これを生涯の名盤とする人も多いそうだ。そんな先入観年越しに聴くと、やはり良い。訴えるものがある。先入観なしでも、おゃと思う所多々。ピアノが語っているのだ。パワー・アンプを修理したモノに変えるともっと艶が出るはず。しかし、DCの影響が怖くて、安易なAVアンプ6ch入力を使っている。このAVアンプをもうすこしマシなモノに変える手もある。シマノ鈴木さんに相談だ。午後は、友人が物部川の河川敷に生える雑木の廃木の回収に付き合ってくれて、車いっぱい貰って来た。帰って、長さ60cmに切り刻んだ。年末に向かってサトウキビを煮詰める為の木が10トン必要な為。今は生木でもこの灼熱の太陽ですぐに乾く、しかし、頑張ると膝が痛む。寝る前に再びマリアのレコード。実にいい。古い録音だが音楽に魂がある。 8月6日(火曜日) 怪しい天気。ウェブ検索では四国内のJRは運行しているらしい。少し早めの新幹線で岡山に向かった。車内放送も四国内の運行遅れの情報はないとの事だった。JR四国の列車は冷房がきつく寒かった。ごめん駅下車。大雨。「土佐くろしお鉄道」も雨の中を進んだが、和食駅に到着すると、小ぶりになって、自転車に荷物をくくりつける数分の間に太陽が出てきた。やっぱり僕も「天気の子」全く濡れずに自宅着。しばらくしてから再び本降りの雨がやって来た。PCでハイレゾの整理。午後3時にプールに向かった。今日はどうしたわけか疲れて1500mが限界。それに、となりのレーンで練習する小学生の波の影響を受けて、僕の体が木の葉のように揺れる。僕自身に力やスピードがないためにこうなるのだ。いよいよ歳の影響が出始めた。残念だけど。いいことは、今週ずっと腹筋の練習をしてきたので、クロールでのターンが楽にできた事。前回は、頭が沈みこみ上手く回転できなかった。弁当と野菜を買って帰り、野菜たっぷりの副食を併せて息子と弁当を食った。8時半に強い睡魔でダウン。 8月5日(月曜日) フランス人が家族でやって来た。レディガガの「ラビアンローズ」を演奏すると、指を立てた。綺麗な英語を喋る。フランスに行っても、こうであって欲しい。ワイン街道について聞きたかったが、他のお客さんがいたので控えた。パリから、リヨンに向かう道はワイン街道と呼ばれているようだ。バスで南下しながらワインを飲む旅を密かに狙っている。問題は英語がどこまで通じるか?だ。最新のiPadで風景を描きながらの旅も魅力的だ。身体の自由が効くうち、つまりここ数年の間が勝負だ。外は、台風の影響でカラッとした晴天と、鬱陶しい曇天が繰り返されている。レーダーでは芸西村が土砂降り。そして、時間が経過しても、芸西村の上の雲は残ったまま。それ以外の高知県には雨なし。多分僕が帰る頃は晴れるだろう。僕も実は「天気の子」だからなかなか雨に降られないのだ。人柱になるのは嫌だから、人のために祈ったりしない、なすがままの姿勢。お客様が途絶えている間は、ジャズのレコードを演奏している。普段演奏しないB級盤を中心に。英文ライナーノートを読むと美辞麗句ばかりで歯が浮きそう、日本語版は結構怜悧な文章が多い。遠い関連のない話からじわじわと主題に近づく文体は結構な文章力だ。日本人のジャズ評論家は文学的表現が多いし、時刻や前後の経緯が克明で真面目。だが僕は読むだけで内容はほとんど記憶に残らない。(そんな映画あったなぁ)適当に引っぱり出す音楽の選択だが、この適当のつもりが、無意識でもある傾向に基づき引っ張り出しているのだろう、結構ダブってしまうのだ。夕食はイオンで割引シールのついた弁当を買って店で済ます。余り美味しくないが、野菜たっぷりのメニューだ。 8月4日(日曜日) 新海誠氏に聞こう「天気の子」についてだ。5つの質問がある。①なぜ帆高はスマホ情報時代に食住のあてなしに東京を目指した。②なぜ帆高の発砲した銃の身元がわかるのか、残された薬莢だけで(銃弾なら条痕のため判明可能だが)、③なぜ東京に温暖化で雨が降り続くと港区が水没するのか?豪雨と港区の水没は関係ない、北極海とか南極の氷解がないと海水の上昇はないはずだが、④天国に召された陽菜(はるな)はなぜ現世に戻れたのか納得できる裏付けがないのでは?人柱までは何となく受け入れられるのだが。⑤神社に向かう帆高よりも須賀が早く現場到着出来る理由?音楽はRadwimps。映画と直結した歌詞。もうすこし距離があってもいいのだが、音楽そのものは出来が良い。ということで、東宝シネマ梅田で昨晩「天気の子」を鑑賞。空腹のため、ショウルームから映画館への移動中はパンとおにぎりをかじりながら移動。それは果たしておじさんのすることか?そんな面では、この映画は高校生以下が対象でとてもおじさんが見るべき映画では無さそうだった。それにディズニーと比べて上記5点のように詰めが甘いのだ。「君の名は」でヒットしたから、柳の下を狙っているが、所詮レベルの低い話。スクリーン1で見たが、ここはスクリーンが大きく、この映画の解像度が低く(多分2k)て、スクリーンの周り1/5くらいは白い部分を残したままの上演。昔は、黒幕が移動して、白い部分を覆っていたがそんな手間もなく、すこしバカにしている。黒浮きは激しく、家庭の映画劇場以下。大阪は万博記念公園のIMAX以外映画には恵まれていない。早く魅力を整えないと、ネットフリックスにやられちゃうよ。彼らは映画館にフィルムを供給しないから。しかもハリウッド以上のたっぷり予算を持っている。 8月3日(土曜日) 朝5時に目が覚めて、ラジオ英会話を聞く。頭が回らず会話内容が理解できない。時々こんな事が起きるのは、脳の働きにムラがある証拠。歳を重ねると、全身にクマ無く劣化が行き渡るからだろう。食事の後は慌ただしく、サトウキビ畑の草刈りの残りを仕上げ、風呂から台所まで掃除をし、出張中に読む本をスキャン。日記のアップデイト。着替えの準備、洗濯物の取り込み、しきび、榊の購入し両親の仏前と神棚の差し替え。12:30全てが片付き、13:00までの間LPロキシーミュージック「アバロン」を聴く。この音楽は久しぶりでこんな楽器が記録されてたのか驚く。ジャケットのデザインが良く、眺めながら。歌詞カードを読むと単純な言葉で綴られていて、深読みしないと本当の意味が理解できない、僕のレベルでは翻訳を見るしかない。今週は、ブルックナーの4番、7番とたったの3曲のみ。NHK BSプレミアムでウィーンフィルの夏のイベント、シェーンブルンとBerliner Philhamonikerの同じく夏のイベント、ヴァルトビューネが放映された。もしかして、ショウルームで話題に登れば見てないと恥ずかしいのだが、録画するも見てない。シェーンブルンはドダメル指揮で必見の映像だが。今日もJR土讃線は爆睡状態。大歩危で目覚めるが、とても本を再読できる状態で無く、琴平まで寝てしまう。普段昼寝は長くても30分程度なのだが、この列車は居心地が良いのか1時間半までOKだ。大阪ではヨドバシカメラに寄って掃除機の自己研鑽。今月末に販売応援がある。掃除機といえば今や人気商品はダイソン。充電タイプのスティック掃除機を比較した。パナは重量が軽いが重くダイソンは重くて軽く感じる。そして何よりも、ノズルの先の挙動が実に素直だ。パナも挙動に関しては素直だが、いかんせん重い。日立や他の家電メーカーはノズルがスッと先走りしてしまう。もう一つは紙パック式の軽量タイプ、これはパナが他を寄せ付けない圧倒的存在を誇る。これぞパナの電化製品だ。ヘルパーさんがいたが、あまり商売熱心で無く、価格もうる覚えだった。激戦区の店にはふさわしくない感じ。一方テレビの有機ELでのパナの新製品は分かりやすい展示と説明で彼は優秀。8Kテレビでは青森のねぶた祭りを放映。圧倒的な精彩感で腰を抜かしそうになった。でも実際の祭りを見たがあんなに綺麗で無く、しかもあんなに明るくない。テレビで情報を蓄えて現地に行くと「ちょっと違う」というのが起きそう。 8月2日(金曜日) 午前中ハイレゾの整理と居眠り。午後、サトウキビ畑の草刈り。中断し、病院で膝の注射。注射後1週間は調子が良いが、それ以降はだめだ。今回は2週間ぶりに訪問。帰って再び草刈り。大量の水をがぶ飲みして仕上げる。いつ見ても草が全く見当たらない畑は、サトウキビの手入れはしているの?と息子が聞くほどだ。台風が来ると言うので、つくね芋の芽を、竹で編んだ台座に止めた。数日で巻き付きしっかり固定されるはず。出かけるための仕上げの儀式を済ませた。夜も8時前には部屋に帰り、ゆっくりとした。夏の夜に思い出すのは「トトロ」で久しぶりにLDを引き出し見た。BDと比べると発色も原色に近い色使いで時代を感じる。お父さんが、家の中で書き物をしている。外でメイが遊んでいるシーンが一番好きだ。 8月1日(木曜日) 理恵ちゃんの仕事はやっと7時半に終えた。アルバイト代を払うと言うので断った。お金をもらうと結局は税金になる。どうしてもと言うので、草刈りの歯をくれたら良いと答えた。返す刀で、家の周りにある畑をトラクターで叩いた。梅雨の間作業がのびのびになっていた。畔は除草剤。昼間居眠りをして、夕刻に貞ちゃんのミカンばたけの草刈り。夕食の買い出し、風呂焚き、食事の準備。息つく暇もなく布団に直行。英語も読書も頓挫。 7月31日(水曜日) クリーニングに出してあるワイシャツが無い。控えの伝票には渡し済みとなっている。なんでこうトラブル続くの。理恵ちゃんの仕事は朝7時から始めた。暑いので、30分の作業で水を大量に飲み、車の中で冷房を効かせて身体を冷ます。この繰り返しで、10時まで。一緒に手伝っている同級生の修一君は、「熱い」からとうに引き上げた。僕もヤシガラを袋から取り出すだけを目処とした。この時間帯、ほかのビニールハウスにも人影は途絶えた。気温は50度には達してないが、その手間だ。注意報が出るくらいの灼熱の外気の方がまだ涼しく感じるのだ。一旦帰り、畑の周りに除草剤散布。灼熱でも屋外の作業は大丈夫。シャワーを浴びて一眠り。午後3時、再びビニールハウス。開いたヤシガラを熊手で広げる。5つのハウスの内、2つのハウスを仕上げるのが限界。約1時間、水は1リットル。買い物、風呂沸かし、夕食の準備。一人だと、こんな時は安芸市の銭湯に行ってゆっくりし、帰りは店で食事をして帰るのだが、息子のためにその自由が効かなく制限がある。風呂から出ると8時。身体が冷える30分も経つ頃には睡魔。8時半就寝。健康に良くないが食事後1時間半で寝ている。 7月30日(火曜日) 芸西村財産区の会議だ。ゴルフ場に賃貸してある土地の代金を5年間値下げするゴルフ場からの要請に回答するのが、会議の主旨。今回は前のOBも招き、参考意見として聴取。やはり、現行メンバーの出した結論と同じ。費用算出の根拠がないのが理由その1。また、要請のあった土管の腐食に対しては、メンバーが調査し、適切な処置を怠った為で、塩害による自然災害ものではないと結論がその2。それに噂を聞きあつめていると、なんだか経営がおかしいぞ(胡散臭い)となった。つまり、この案件は、氷山の一角ではないかと疑心暗鬼がその3。今まで、この会議は年3回程度で報酬があり良かったのに、僕に変わると頻繁に呼び出されるようになった。忙しい中にもう一つ忙しさが加わった感じだ。そして、理恵ちゃんの要請で、ハウスの作業を手伝ってや。軽く請け合ったものの、何をすれば良いのかさっぱり掴めない。とりあえず、ハウスに行った。言っていることと現物を付き合わせると大体こうでないかと想像した。普通はシロウトに頼むには現場で指図をするのだが、こちらは田舎のおばさんの言うことだ。それが常識だから仕方ない。それにしても暑い(50度近い高音)。夕刻になったら作業に入ろう。今週は、サトウキビの草引きもこなれてきたので、楽なった。貞ちゃんの文旦の草刈りでもしようか?と考えていたのだが、全然だめ。忙しさが倍加した。なんで僕の人生にはこうして体を酷使しなければならない案件が次々に飛び込んでくるのだろう。帰って風呂を焚こうとすれば、お湯を溜めたまま洗ってない風呂水があった。水面には黄色い脂が浮いていた。時間がない、水を継ぎ足して風呂を洗いながら焚いた。薪を多めに突っ込んで、高い湯温にして、水で薄める量を増やせばなんとかなると踏んだ。(実際、沢山の水を入れて掛け流し状態としたが、水の臭いは取れなかった)こうして、帰ると、てんてこ舞いがつぎから次へ。 7月29日(月曜日) 亡くなった友人といつかは行こうと話していた京都の川床。それがこんな形で実現するとは思ってもいなかった。詳細はこうだ。我々の仕事は、パナの依頼を受けてテクニクスを消費者に直接訴求する販売促進が主で、ショウルーム勤務と販売店巡回と2つのチームがある。合計7名。このメンバー集めて慰労会をすると言われたのが雇い主のTop。今や出世されて、家電製品を統括する部門の副社長。現役時代は、事業部長(理事クラス)と話すのが上限だったのに、退職した今は、取締役と酒を飲むのだ。我々メンバーも元部長クラスが4名いるから、まぁいいかな。さてこの店、「豆屋源蔵」さんは、三条より少し川上にある間口2間ばかりの店。しかし、奥行きは長く、庭も奥行き方向に長さはたっぷりとある。座敷を抜けると、河原に面して張り出した川床が20畳広がる。ここに御膳を並べて会食となる。5時に宴会は始まった。まだ太陽は天中にあり暑いし、無風。座敷からはエアコンの冷風が漏れてくる。全然エコでないですね。僕はトップのとなりに座ったので、普段から気になっていたことを質問した。彼女は会社の仕事もこなすが、プロミュージシャンであり、仕事の事はさておき音楽感について質問した。「ミスタッチと高揚した入魂の演奏の評価」だ。僕はオーディオマニアとして、「ミスタッチはプロの音楽家にありえないがどう思うか?」回答は、「もちろんそうだが、入魂は時々一線を超える時がある。その時のミスはプロとしても認めるのでは、少なくとも私はそうだ。機械じゃないから。」そうか、アンネ・ソフィームターがミスタッチが多いのに人気があるのはそのせいか?などと思った。他にも音楽論議をぶつけた。みんながもうやめろと言うまで。他にはお酒について、何と高知の「南」をご存知だった。高知には親友がいるらしく、高知の事は結構詳しかった。そこで、冷酒に切り替えたが、氏も結構呑んだ。もうこのような機会はもうないだろうから楽しいお酒を頂いたのが記念になった。友人の奥さんにメールを送ると、その時間この近くで仕事をしていたと言う。一方的だが友人との約束を果たした事を報告した。 7月28日(日曜日) 10時から5時まで寝た。酒を飲んでないとよく眠れる。今朝の朝ごはんは吉野家で納豆定食。脳が麻痺したかのように口の周りに沢山の米粒が付着。チッシュで一口ごと拭き取る。恥ずかしいが、米粒をくっつけない食べ方はできない。今日は来館者多く身動き取れない、じっくり聞く人も少なく、ただただ客が通過して行くだけ。これが本来の姿何かな?深い音楽でなくJPOPを流す。最近ジャズの話をするお客様と接してないなぁ。一方で僕はジャズの歴史を読んでいるから、こちらとしては結構詳しくなっている。Sonny Rollinsのセントトーマスなんか名盤でありふれているが、聞くたびに違う印象を持つ。その心は?そんな話ができれば嬉しいのだが。まぁオーディオ市場は小さく、更にしぼむし、アメリカでは、もはやCDショップがない。デジカメの市場と同じでシュリンクだ。映画もその傾向でアメリカでは興行収入が配信を下回ったとの事。一般の人は、FBやツィターで文字を打つのに忙しく、スマホで写真や動画を撮影するのが精一杯の生活。パッケージにこだわりの世代は脳梗塞なんかで死ぬのを待つばかりか?勤務時間中動きなかったので、天神橋商店街まで歩いた。ホルモンと焼肉定食の店があり、脂ギトギト、床も脂で滑る店で濃厚定食を頂いた。美味いが寿命を1年だけ早めた感じがしましたね。 7月27日(土曜日) 雨が降っている。予報では今日から晴れるんではなかったか?台風のせいかな。イベントは、小学生のお子様とお母さんが一緒になって、4コマ絵コンテに物語を書き込み、お子さんがそれに効果音を入れ、ナレーションをお母さんが喋るもの。結構高度な内容を「べべチオ」さんが強引に教えリードして行く。1時間半で完成するからすごい。そしてそれが結構物語になっていて、その物語は参加者全員が違うからすごいし面白い。僕は短時間で、お子さんに教え込んで、ここまで作品に仕上げるようなリードはできない。きっと子供さんたちも、すごいインパクトを受けたのではないだろうか?もう一つは、テクニクスの新製品が届いた。SL-G700(28万円)。SACDプレーヤーだ。今までマランツを使っていたので、交代させた。MQAのCDも再生できてなかなか面白い。しかも、USB接続はメモリーではなく、HDDまで対応だから実に使い勝手が良い。これまで選曲を容易にするため、USBに入れて持参していたが、これが不要になる。今日はいいことづくめ。褒美にディスクユニオンを覗き、クライバーのLP「こうもり」を購入。品質はBレベルで600円。ついでにレコードジャケット用のビニールホルダーを購入。自宅では、ビニールがボロボロになり、全部捨てたが、棚から取り出しの時、帯が邪魔で破れそうになるから、スムーズな出し入れのために、ビニールを購入するのだ。あとの短い人生を考えると、そこまでレコードを大事にしなくても良いのだが。妙に気になる。 7月26日(金曜日) 朝はバタバタだった。どんなに用事がたまっていても、息子の食事を作らなければならい。そして、後片付けも。それから風呂の掃除、廊下と台所の清掃。部屋に帰り二日分のラジオ英会話を聞く。出先のマンションにはネット回線がなく、携帯で聞くには容量が大きすぎる。だから、高知の環境でリスニングを仕上げてゆくのだ。今までのホテル住まいからマンション住まいに変わり、食事やら、自由時間やら、ネット回線やら、シーツの洗濯やらいろんな負担が増えてしまい僕的には厳しくなっている。今日は初の事件があった。英語のかなり本格的な本を道中で1冊読み上げた。これは辞書を引かなかったが、電子書籍なので、難しい単語は単語をなぞると意味が表示されるから、全く辞書がゼロではないのだが。やや強引にこの本を読み始めて、ジャズの歴史翻訳や、ラジオ英会話が一段と楽になった。英語は少し階段を上がった感じ。結局階段を降りないためには、少し空いた時間にホンの数ページでも英文を読めばやっぱりそれが身になるという事だった。幸いにも月に6日は、往復の通勤時間があって、家事から解放されて、かなり本格的に読書に使える。この積み重ねでしょうね。今日は3時間ばかり搬入の仕事。明日のイベントの為。待ち時間、ショウルーム内にある喫茶店でお茶。810円もする。高い!阪急のカードないですか?ありますと申し出ると、従業員割引で600円に。助かった。イベントは、大阪のべべチオさんの効果音についてのセミナーでそのPAにテクニクスを使うため。業務用PAとの接続はやばい面があって、やっぱり今回も齟齬を起こしたが、プリをかませる事で解決した。 7月25日(木曜日) いろんなところで作業をするから、再び右手がダニの被害にあい、痒いの何の。しかしそんなことは言っておられない。明日は出かけるから、さとうきび畑の草刈り。毎週1回欠かさずやる。1mmの草の芽がびっしりと生えているところもある。この草は、草刈り機の欠点を知っているのか、横に伸びる。紐で刈る草刈り機も、土の凹凸や石ころの陰に隠れてこの1mmの草の絨毯は上手く刈れない。大きく成長した草も難儀だが、小さいのも苦闘。結局午後3時まで要し終えた。風呂を炊いて、息子の為の夕食の準備をして6時前に高知市のプールに出かけた。昼間の農作業で疲れている上での1500mは結構な負担で、帰る8時前の車で大きな睡魔がやって来た。疲れは歳にも関係あるが、今日のエネルギー支出量を計算しても致し方ない面もある。寝る前の儀式である1曲もなく床へ。 7月24日(水曜日) きまさごに通じる道の竹と木を切った。気を抜いていると、道が塞がれるからだ。僕が高知に帰ってきた2014年頃は、この道が半分塞がっていた。こうしてマメに切っていると、大げさな伐採なく道が開ける。6月と7月は毎日ノコギリや草刈機を持たなかった日はない。その成果もあって、僕の田畑の周りの木や竹はだんだんと少なくなっている。8月は、台風に備えてサトウキビが倒れないように竹を組んで大きな井桁を作るので、この辺の竹はかなり切り倒し使うつもりだから、もう少し開けるかな。天気予報が梅雨明けを発表したので、草刈りは、除草剤を使わない部分のみにしてので幾分作業は楽だ。とはいうものの、炎天下で、水分補給がポカリスエットでは効かなく、水道から水をがぶ飲みする。靴の中に汗が溜まるほどだから。今日は新たに、我が家の畑にかぶさってくる、道端の竹群。これに覆いかぶさる蔓草。このつる草が重いので竹がお辞儀をして、更に畑に覆いかぶさっている。このつる草の根の断裁を行った。蔓草と言っても、根元は手首くらいの木の幹に育っている。曲がりくねって見るもおぞましい姿。これが5本ばかり。その他、電線のような蔓が数百。それを電気のコードを切るように一個一個切る。ミッションインポシブルのように切ってはいけない線はないので手当たり次第。来週この一群を見るのが楽しみだ。 7月23日(火曜日) ![]() 7月22日(月曜日) 全国最下位の投票率が徳島県。高知県の人が立候補したからだ。徳島県人はそんな人達だ。昨年から徳島と高知は選挙区が合同になった。四国の人は徳島人が嫌いだが、こんなところからもきているも知れない。ホルズム海峡がきな臭い。きな臭い原因がイランにあるように世論が動いている。実際は、アメリカやアラブの国がこの危なさを演出してイランのせいにしている筈。イランは中東の国の中でも人口が多く教育レベルも高く、ビジネス的に魅力がある。言葉も文字も文化も人を惹きつける歴史を持っている。だがアラブの趨勢からは、先の四国の例ではないが、なんとなく嫌われている。それが、現状のきな臭さに繋がって来ていると思う。蜘蛛の巣にかかったイランはもがけばもがくほど窮地に陥る。そして、誰も助けようとしない。この問題は行くところまで行かなきゃ結論が出ない。出る杭は打たれるのだ。中国もおんなじだが、経済母体が大きく人口も多いのでなんとか持ちこたえている。香港に火をつけて、チベット、モンゴルへ飛び火し、内乱と言うか撹乱に持ち込みたいのが西側の狙いではないか。日本はその中で泳ぐのだが、長期政権はある程度他所の国から見れば力を感じるので、何とか行けるだろう。そういう面でこの選挙は日本人にとって結構重要だった。 7月21日(日曜日) どうやら、今のマンションはダニがいるようだ。畳に座ると後で痒くなる。火災報知器がありバルサンを焚くわけにもいかず、困ったもんだ。田舎に帰ってもダニ。大阪に出てきてもダニ。手首と足首が腫れてかゆい。今日は昨日とうって変わってまともに正視できないような美人がやって来た。非の打ち所がない完璧な美人だった。それも2人も。プロコフィエフのロミオとジュリエットを聞くのが目的らしく、真剣に聞かれていた。美人のオーラが出ていて、近づきがたい出来るだけ離れて待機。今回新たに準備したaiko4枚組、嵐4枚組は見向きもされなかった。ジャズの歴史翻訳は何とか誤訳のない状態までレベルアップしたような感じ。一つは時代が1940年まで進み知っているアーティストが登場し知識の下地があった事。さらには、著者の筆使いのクセがなんとなくわかってきたことが認知できた事。ショウルームではモロッコの写真が流れている。撮影者に詳細を聞き、ポイントを掴んだ。来年の2月はミラノを諦めてモロッコに変更だ。できればロンドン経由で、ロンドンフィルを聞いた後訪問したい。ロンドンからはモロッコ直通便がある。それまでに英語力をもう一段シフトアップする必要がある。 7月20日(土曜日) ちょっと怖かった。京都アニメでは気の触れた男がガソリンを撒いて火を付けた。ここショウルームでも、40歳くらいの女性がジャニーズの音楽ばかりを指名して聞かれる時間があった。目つきが少しおかしい感じをうけた。その間どなたも入室されず2人きりに。僕は出来るだけ距離を取って対応するも、変な自己出演をされて訴えられたら、それで一貫の終わりだ。そんな雰囲気のある目をした人の対応時間だった。幸いにも、20分くらいでほかのお客様が入ってこられ、何事もなく過ぎた。今日は朝に伏線があった。いつも行く喫茶プロントで、いつも僕の近くに座る陰気な青年がいるが、今日は真ん前にドーンと座ったのだ。席は十分に余裕があるのに、何故?物語はそこから始まった(ような気がする)物語関係では、帰りに紀伊国屋書店で、Bookshop と言う「書店の店主が人との出会いの物語を綴った」洋書を買った。作者は60歳くらいから物語を書き始め80歳で受賞しているイギリスの作家と言うか主婦。辞書なしの半分くらいの理解だが、帰りの阪急電車の中で読んだ。この本に限っては辞書なしで読み通してみようと思う。梅田は浴衣祭りで、綺麗な女の人もそうでない人も華やいで見えた。 7月19日(金曜日) 今日も雨に濡れないで和食に駅に行けるかな?と思っていたが、11時ごろから雨が降り出した。出かける13時ごろは小雨となり、傘をさして自転車に乗ってもあんまり濡れるような事はなかった。ホントついている。ところが「ごめん駅」に着くと列車は止まっているという。駅員に確認し、高知駅から振替のバスがあるのでそれに乗るように。次の列車は1時間後。そして高知駅へ着いた。高知駅では振替のバスは見合わせていると言う。列車を再開するかも知れないと言うのだ。再び「ごめん駅」に帰り、列車の再開いかんでは、飛行機に切り替えようかと待っていると、16時半再開するとの事。当初の列車の2時間遅れ。その再開した列車は10分も遅れながら運転。僕は岡山で10分後に発車する新幹線を予約した。一体どうしてくれる。瀬戸大橋を少し早い速で運転し、岡山県内も少し急いで4分だけ遅れを取り戻して到着。一方新幹線は2分待って発車、この6分の間に無事当初の新幹線に乗れた。結局9時半に茨木のマンションに到着。自宅を出て8時間半要して着いた。今日は送別会だったが、パスをした。 7月18日(木曜日) 雨は夜から降った。午前中、雨の合間に草刈りをおこなった。土地が濡れているので、ズボンも泥でベトベトになった。洗濯機に放り込んで風呂に入る。昨晩の残り湯がまだ熱いままで、水で薄めて入った。それからガンガンに効かしたエアコンの中でラジオ英会話の受信。上達はしないが落ちもしない状況。息子に勉強しろと催促していたら、エコ検定の試験を受けるという。仕事に関係ないが、ともかく勉強する気になったのは良しとしよう。大阪に持って行く音源の整理をした後、プールに出かけた。50mプールが使え2km泳ぐ。25mプールで2kmはターンが多くしんどいが50mプールはそれがなく結構楽だ。しかしタイムは変わらない(今でも1時間)。久しぶりの水泳。血管に血が流れにくくなっているのを感じ息がつまる。プールはもうすこし頻度を上げねばならない。6時に帰って夕食の準備と風呂焚き。風呂は短時間に仕上げるため、竹を主に使った。火力が高いので早くお湯になる。夕食も終えて部屋に帰り音楽を聴いていると、友人の奥さんからお礼の電話。遺品のオーディオをもらったので、お返しの品を送ったため。ついでによもや話をすると、実家の祖母は原爆の被害者でケロイドがあるとの事。母もガスを吸ったため、手帳を持っているとの事。今でも、広島の人たちは原爆と向き合って生きている。ベルリンへ行った時、アウシュビッツの遺影をあちこちで目にして、第2次世界大戦は多くの禍根を残しているのを目にしたが、日本でも同じという事。北朝鮮は核を持ったからアメリカと話ができて、イランは持たないが故に交渉が出来ない。トップと庶民は違う常識で生きているのは当然として、何も起こさなければ、庶民は無関心でいられる。 7月17日(水曜日) 結局、昨日も今日も雨は降らず天気が持った。さとうきび畑の草刈りができた。午前中は音楽の整理をして、午後、草刈りの作業に取り掛かった。その合間に親類のあゆちゃんが短距離競争で高知県で1位となり、東京に向かうから奉納長にサインをしてと依頼があり千円を寄付した。芸西村の役場にも大きな垂れ幕がかかっている。今日中に仕上げてしまいたい草刈りだが、息子の食事の準備がある。2/3くらいで終了、自由が効かない。毎日違う献立。ネット検索、レンジの献立表、ヘルシオ無水調理器のメニュー表と情報の仕入れ先は豊富だから、「今晩何にしよう?」などと思ったことはないが、毎日の事なので結構負担。メニューについての課題は食事後満腹の時に今夕の料理メニューが考えられないのが問題。LPは調子が良く鳴ってくれて夜は楽しい時間が待っている。音楽を聴きながらライナーノートを読むのが極上の時だ。今回のLP購入で棚が一杯になり合わなくなった。いつ聞くねん?と言われるほどのレコードがある。 7月16日(火曜日) 明日は雨だと予測があり、沖の田の草刈りを行った。トラクターが入るには湿りすぎで、かといって放置すれば草が成長しすぎ、トラクターの爪で切れなくなる。2時間半草刈機をブン回した。手が痺れ自由が効かなくなった。お寺のせっちゃんにお礼の食パンを届ける。いつもいつも、お漬物をもらい、息子の弁当が助かっているからだ。夜、シンガポールで買ったソニーBDプレイヤーを引っ張り出して、アンプにHDMI接続し、デジタル伝送でSACDを聴く。今あるソニーのCDプレイヤーでCD層の音を聞くよりかはるかに響きが良く、音の鮮度も高い。そして、今日の極め付けは、パナのポータブルCDプレーヤーCT800をアンプに光接続して聞く。こちらもソニーのCDプレーヤーより空間の広がりが良く室内楽ではびっくりするような音が出る。今回の実験はソニーの据え置きCDプレーヤーの面子を潰したような格好だった。サエックのピンコードに交換も音の純度が上がった。アートペッパーのLPがあまり面白くなかったが、ケーブル交換で演奏の奥行きが見えてきてやっとSJ選定の意味を理解した。残る課題はハイレゾの再生だけ。 7月15日(月曜日) エキサイティングな日々が続く。今日はサンフランシスコからのお客様。言葉の障壁はあるものの、オーディオ情報は最先端で、日本のオーディオ評論家先生と話す感じ。雑誌を読んで勉強していて良かったと思える時。演奏する楽曲も、評論家先生の演奏する楽曲。それをUSBにまとめてあったので、なぜHDDサーバに格納しないのか?、何度も質問があった。そのために音楽(音質)に対する話題も雑誌記事レベルで、ここに来て初めて対等なオーディオ談義ができるお客様にお会いできた感じだった。持参のCDはYuja Wang(中国人ピアニスト)で昨年Simon Rattleと日本に来たよと伝えると、彼はそのピアニストを10歳の頃から知っている。もう立派な女になったと、はにかんでいた。もう一枚のCDが低域の豊富な音楽で、何で多くのアメリカ人はこんな低い音が好きなのか?すると、多くのアメリカ人が好きなわけじゃないと展開して、詳細があり(Because 以降、この部分不明)低域の解像度が無いと(最低でも2段階)ブーミーになり、そんな低音をアメリカ人は好きじゃないと言われた。そうか。話しは変わるが、アメリカの音楽はどこがエキサイティングか(日本語で言うホット)?シカゴ!シカゴは危なくないか?危ない!ニューオリンズとシカゴどちらでジャズが聞けるか?シカゴ、でもニューオリンズは休暇として良い。これは旧友にあったように共有の話題がありたのしかったね。もう一人は、70歳くらいの女性で父から子供の頃、リムスキーコルサコフのシエラザードを聞かされて育ち、今でも好きだ。その頃はSP盤でしょう?そう手でネジを回して聞いていたと言われた。僕の母もそうだったが、何歳になっても父のことが好きだった。この方もきっと、シエラザードよりも父の匂いが好きで、それが音楽にすり替わっていたのかも知れない。しあわせな人だ。会ったお客様が僕の色んな引き出しをノックしてくれる。その都度、引っ張り出して、ありネタで風呂敷を広げる。引き出しに何が詰まっているのかわからないので都度探す、その工程がいいですね。 7月14日(日曜日) ここ大阪の職場はいろんな出会いがあって楽しい仕事がある。今日は、SLCT720について大いに勉強になった。これはパナソニックのポータブルCDプレーヤーの品番。その方に言わせると、エソテリックのCDよりも音が良いと言う。エソテリックのCDといえば100万円クラス。一方のCT720は1万円。しかしながら、CT720を光出力でテクニクスに接続すると、確かに空気感までが再現されている。この不思議を発見したお客様は次々とポータブルCDを購入し、CT720に行き着いたそうだ。出来れば、販売を復活して欲しいと要望されていたが、無理なようだとご自身で納得。ちなみにCT720はオークションで7万円位する価格が付いているそうだ。今調べると7千円ぐらいだった。何れにしても、単なるポータブルではなく、一丁前のオーディオコンポーネントだった。次には、ドラゴンクエスト3交響組曲。たかがアニメソングと侮るなかれ。幕の内弁当のようにクラシック音楽やスターウォーズなど色んな音楽要素が独自に散りばめられている。そして音がすごい。CDなのにこの音質は何だ?4も発売されていて、こちらはハイレゾがある。4の評価をお客様に聞くと、3とは方向が違うがこちらも良いと言われる。困ったなぁ。聞く音楽が増えて。その日の夜、ディスク・ユニオンへ行って、JazzのLPを5枚も買ってしまった。アルバムをめくっていると次々といいのが発掘されてどうしようもなくて。原因は、自宅での音質向上があったため。 7月13日(土曜日) 大阪へ行く。自転車で和食駅に出て、そこから「ごめん奈半利線」の列車に乗る。和食駅に行く時、あるいは和食駅から帰るときとかに雨に降られたことが今まで一度もない。今日も雨予報だったが、傘をさすほどの雨でなく、無事電車に乗れた。いつものことだが、JRの列車内は寝て過ごすことが多くなっている。疲れで目を開けていられないのだ。確かに昨日は久し振りに黄色のおしっこが出た。激しい運動を長く続けているとこうなる。そのための過労が今日現れているのか、それとも連日の息子の世話疲れか?いずれにしても大阪出張は僕の休息日だ。今日から茨木のマンションでの寝泊まりの為、梅田界隈をぶらつくのも出来ず、打ち合わせ終了後帰宅した。米株価が高値を更新。完全にバブル様相。最後の宴だろう。これが暴落すると大変なことになる。日本も無傷ではいられず、倒産もあるだろうが、企業の緊縮予算が経済の縮小を引き起こし、僕らも影響を被るかもしれない。昨日テクニクスのNASを購入決意したが、やがてやって来るその経済下で大丈夫か? 7月12日(金曜日) 朝一番に集会所の清掃。本当は日曜日だが、参加できないので自分だけ単独の作業で応分の処理と言うか半分くらい処理を終える。天候は晴天で猛暑。作業は草刈り、2時間の行程で終えた。返す刀で自宅周りの田畑に植わるサトウキビ畑の草刈り。昼食をはさんで作業を続け3時に終了。この10日間で混合油4リットルを使い、多分草は2トンくらい切った、引いたのではなかろうか。まぁ大変な作業だった。次に役場で後期高齢者の保険金114000円を支払い、香典袋を買って日曜日のお盆に控える。風呂を沸かした後買い物、今日は夜須のスーパーミツワ。ここはシイラが旨いと言われるので、それを購入。僕もここまで旨いシイラは初めて食べた。塩で食べても行ける。水揚げ後数時間で食卓に上る。この魚は痛みが激しく地元消費しかないが、ここまで新鮮なのはこの店だけ。味の解らない息子も旨いと言う。風呂に入って音楽でも、その矢先お寺の奥さんから電話。かぼちゃの漬物が出来たから取りに来いや。酒を飲んでいたが、息子と車で出かけた。なるほど言うだけの事はあって、なかなかの美味。代り映えしない息子の弁当に色彩が乗ることになる。 7月11日(木曜日) 財産区の会議が招集されてた。普通年3回の開催で終わるこの組織は課題が持ち込まれ、もう3回も開催している。今回もゴルフ場からの支払い金額の免除の要請だ。ゴルフ場の排水を処理する直径2mのパイプの腐食が激しくこの手当に多額の費用を要するので、土地借用量の免除を要請してきたのだ。この腐食は地区独特の塩害と昨年の大雨に関係していると言うのが主張。しかし僕らの見立ては単なる経年変化だ。自然災害なのか経営責任か、それによって対応は変わるのだろうと思った。取り敢えず、前担当者の意見も参考にしようと、月末の会議に召集をかけることで今回は保留した。お客の残り物を息子と食べているが、やっとこの日食べ終えた。息子からは文句が出ないのが不思議と言うかありがたい。この日はほとんど農作業が出来なかった。夜はLPを聴き感動して締めくくっている。 7月10日(水曜日) 友人に買ってもらった井上陽水のアルバムをiTunesにaiffでリッピングしたが、友人の車はこれを受け付けず、もう少し低い転送レートの規格に落とさなければならない。しかし、一方でiTunesの音楽が格納されたファイル名を変更したため、iTunesが録音した楽曲を認識しなくなった。まずは井上陽水のアルバム26枚の1曲1曲を認識させる作業をして、その後MP3に変更した。これは時間を要し午前中をほぼ全部つぶしてしまった。午後には友人の奥さんからオーディオの処分を依頼された品物が届く、僕としては遺品として頂くつもり。どんなものが届くのか少し期待があったが、メインのスピーカーはAV用で少し期待外れ、アンプは絶品だ。プレーヤーもあってSL1200LTDが含まれていた。このプレーヤーはPSIでY氏が多くの注文数を置き、期日までにその数字をみんなで手分けして売り切るのに四苦八苦した記憶があった。同梱のピックアップカートリッジにも絶品があり、これをセットして演奏すると、さすがにトルク不足で力はないもののいい音質だ。LTDだけに工場の人たちは、音作りに結構腐心されたのが伝わって来る。メインのSL1015にもMCカートリッジを取り付け、アナログレコードの再生に万全を来すと、今度はハイレゾの音に不満が出てきた。アナログを極めるとハイレゾのレベルの低さが際立ってきたのだ。問題ははっきりしている。NASが良くないのだ。買い替えとNASからネットワークプレーヤーにUSB直結で鳴らさなければならない。いろいろあるが、音は着実に進化している。 7月9日(火曜日) 僕が薄々感じていた、世界3極体制を日経新聞コラムに記載がしてあった。僕の直感が世界を代表する人々の意見と一致したのだ。その3極とは、アメリカ、中国、プラットホーム企業GAFAだ。他にもウーバーやネットフィリックスエアビーアンドビーを加える国際企業群だ。多分、ヨーロッパの小さな国に匹敵する規模を持っていると思う。国の政治がどうであれ、これら企業のビジネスが世の中を大きく変える可能性が高い。特にフェイスブックの持ち出したデジタル通貨決済機能は銀行破壊につながる。折しもドイツ銀行が危機の最先端にあると報じられているが、ネット経済がやって来る前にこの銀行は破綻するかもしれない。もう狭い国単位で論じる時期ではないかもしれない。それはそれとして、今日も草の猛威に立ち向かっている。サトウキビ畑の草取りに囚われたこの2ヶ月に他の畑では草が猛威を誇り、昨日から立ち向かっている。しかし昔のように草刈機を振り回して息が切れることはない。手に力が付いたのと、振り回す要領を覚えたからで、苦痛はない。大雨が降り、レーダーを見ながら雨の隙間を縫って草刈り終えた。雨には濡れないが全身が汗でぼったりと濡れた。風呂を焚いた。風呂の水が連日の大雨と、水を休みなく使ったため、透明な水になった(今まではお茶色)。濡れた後で、まっさらなお湯に入るのは気持ちが良い。夕食は、「お客」の残り物。息子は文句を言わず食べている。この点では有難い。眠くなるまで音楽データの整理、iTunesの楽曲はほぼ完成した。 7月8日(月曜日) よく寝たがまだ寝たりない。昨日は大いに酔った。7時ぐらいから寝て6時に起床。今日も天気が良い。午前中は音楽の整理。午後から、きまさごから先の草刈りだ。まだぬかるみがあり歩くに難儀するが、今日を逃すと、ずっと間が飛ぶかもしれない。貞子さんのみかん畑の草刈りもそのうちの一つ。昨日の懇親会で、みかん畑の土地はもっとあると言う。年末の美味しいみかんのため、今の草刈りは必須だ。草刈りは、背の高い草だけをまず刈る。低いところまで刈ろうとすると一緒に土や石を叩いてしまう。昔の歯は鋸の歯だったが、今の歯は硬いチップが先端に埋め込まれていて(よく切れる)、石を叩くとこのチップがとれてしまう。1個ぐらいは切れ具合に影響しないが、高速で回転する歯だけに、振動が発生し、ひどくなれば手が痺れてしまう。上部は円盤で刈り、地面はヒモでぶち切るのが正しい。午後4時半がやってきたので作業は終了。風呂焚き。5時過ぎに買い物に出かけようとすると、息子が帰宅。4:45に会社は終わるから、まっすぐに帰るとこの時間になると言う。僕は現役を含め、今も太陽があるうちに仕事を終えることは無かったので、ちょっと面食らう。これでいいのかな?しかし、昨日は息子に言い過ぎてしまい気まずい思いをしたので、一緒に買い物に行く時謝った手前、このことはもう言うのは止そうと思った。僕の現役時代はあまり人に負けたくなかったので、時間の許す限り専門書を読んだ。最初は工場の設備のためにシーケンス制御やNCマシーンの本だ。その後ショウルーム勤務となると、初歩のラジオと無線と実験だった。その他にも朝日新聞と電波新聞。だから怠惰な息子を見ているとこれでいいのか?と余計に思うのだ。 7月7日(日曜日) 7月はイベントが目白押しだ。まずは息子を連れて、親類のお盆がある赤野に向かった。今回は息子に代理出席を依頼するのだ。場所を覚えてもらうために案内した。帰りに両親のお墓に添える「しきび」を購入した。今日は先祖様。皿鉢料理の他に、卵の料理と、リュウキュウの酢揉みを作って冷蔵庫に入れた。12時から先祖様の掃除。落ち葉が多く難儀する。大塚様のお妾さんの祠に竹を巻いて2時半完了。全員で6名。「当」が夕食の懇親会を主催する。今年は私の担当だ。丁度その時刻に、横田の仕出し屋さんから皿鉢料理が届く。懇親会は3時半から。息子がしきりに懇親会にどうしても出なきゃ行けないか?と聞く。人との交わりが苦手な様で、それが向こうで仕事を辞める理由になったかもしれない。しかし、高知では、ここでは近所との付き合いが第一優先。これを外すことは不可能。どうしても嫌なら、このウチを出て高知市にでも住むのが一番の解決だと伝えた。きついようだが仕方ない。近所から仲間外をされてここで生きることはできないのだ。飲み始めは厳かにスタートしたが、飲むに従って声も大きくなった。頃合いを見て、友人に頂いたお酒を出した。濃い。19度。これはちびりちびり呑むのが良いと言ったモウチさんが、早速おちょこの返杯。次によしみち君からも、一気に飲みあげた。何がチビリチビリだ。皆が帰った後、よしみち君がこの儀式の継続も考え物だと庭の石に腰掛けて話し始めた。蚊がいたので息子に蚊取り線香に火を点けて持って来るように伝えたら、なんと、丸いまま火を点けて持って来た、2つに分離することを知らなかった。何ともはや。後片付けをして、食器洗い機にかけて終えたのが7時前。酔っていたのでそのまま寝た。 7月6日(土曜日) 今週は大阪から帰って以降、7月7日(先祖様)に向かって少しづつ家の周りの整備や整頓を進めて来た。山に上がる道を塞ぐ竹垣も切ったし、大雨で雨漏りがする廊下の屋根も葺き替えたし、庭木も剪定したし、庭の草むしりもしたし、おおかた気のつくところは手当てした。今週はこの先祖様の清掃と言うか、懇親会にずっと囚われて過ごしたが、これで自分の計画していたことは全てやり終えた。最後の最後に、台所の戸棚が油で汚れていたのを、扉を外し清掃してドアノブは外して薬品に浸けピカピカにし、扉そのものはペンキで塗った。この細工は我ながら上出来で、ボロ家を少しづつ修繕しながら生活するのも悪くないと思いましたね。ついでに関係ないことだが風呂の煙突周りも煤を取り除き、竃の前口で点火した火が奥に引き込まれるようになった。と言うわけでプロの仕事ではないが、80点くらいの手当てができて満足だ。今夕は息子の夕食を作った後、近所の娘さんが入籍をしたと言うので、お祝いに駆けつけた。宴会は芸西村の唯一の割烹と言うか海鮮の居酒屋「藤」だった。集められた人は近所と、その家の主人の飲み仲間。知らない人が多いものの、飲み仲間だけに、女の人も男の人もみんな呑む飲む。この人たちの一部が明日我が家で懇親会を行うから、この店で皿鉢料理を注文するのはやめにした。 7月5日(金曜日) 6月30日は息子の誕生日で、僕は大阪にいてお祝いをしなかった。そして今日は僕の誕生日で、息子に悪いから誕生日祝いをしないつもり。草取りの呪縛から解放されたので、午前中は家で過ごす。今週からハイレゾ以外の音楽ファイルも整理を始めた。作曲家別だったり、演奏家別だったり無茶苦茶な状態でHDDに残っているので、フォルダー名を変更して整理している。一朝一夕にやりあげるつもりはないので、出来るところまでやって、やめている。これもしばらく時間をかければできるだろう。昔のように、全部やりあげる事をしなくなったと言うか、出来なくなったと言うか、時間があるのでしなくてもよくなった。日曜日の先祖様の儀式を迎える準備はぼぼ完成したので、我が家の事を、一つは再び崩れた畑に溝を掘って、畑に溜まる水はけを処置し、更に追加のがけ崩れが無いようにしたつもり。水はけの出口にU字溝が必要なので、昔村が施設して使わなくなった溝を壊して持ってきた。僕の百姓スタイルは、目の前にあるものは全て私物化するとても無茶なものだ。一つは人がやってこないのでそんな事をしても誰も気がつかない事だ。もう一つは、村が元気な時に色んな施工を行い、全て無駄になっていて、我が土地を侵食している事。まぁこんな田舎ならではの事情もあるわけです。次に雨漏り対策、トタンを買ってきて前の上に覆い被せた。みかん畑の下草刈り。今年は「盗っ人」とこの辺りで呼ぶ、秋になると実が洋服にくっつく雑草の繁殖が凄い。去年はちらほらだったが、今年はみっちり隙間なく生えている。夕食の買い出し。膝が痛くてもうすこし先のコンビニまで行って簡単なケーキを買うことが出来なかった。夕食時息子はケーキを買ってきた。独り住まいではこんな事はないのでありがたかった。しかし、食事時息子は電話でしばらくテーブルを離れ、僕が風呂から出て、眠りに着くまで席を離れたままだったので、結局はケーキは明日食べる事に。今日の作業は辛くはなかったが、疲れで8時半の就寝。 7月4日(木曜日) 近所の友人が修学旅行生を受け入れる(5名女中学生)準備をしていたが、雨で中止となり、その材料を使ってパーティを開くからと、お誘いがあった。それまでに、高知の友人の為、iTunesで録音したaiffのファイルをMP3に変換する作業を行ったが、先に録音したファイルをiTunesが認識しなくて、1個1個手動認識をしなくてはならず、凄く手間がかかる。結局2アルバムを変換できただけ。(友人のロードスターはaiffが認識しない為の変換、この友人に高価なアルバムを買わせたので、僕は御礼にアルバムをUSBに入れて渡すことになっている)息子を連れてお招きに預かった。知らない人が2人いて、ゴルフ仲間との事。友人のパーティはいつも量が少ないので、自宅で夕食をとり、行ってビールだけ呑むようなつもりで参加した。話題はゴルフのスコアの話で、聞くだけだった。雨も上がっていたから、庭先でのパーティだった。少し蚊に食われたが、少し見聞が広がったかな?帰って、アートペッパーのLPを再生したら、そんなに酔ってないつもりなのに、寝てしまっていた。 7月3日(水曜日) 本格的な雨が来た。西の畑の岸は石積みをきちんと終えてなかったので、再び土砂崩れが来て、元の木阿弥。やり直しが必要。とりあえず草取りの作業に目処がついたので、雨が上がるとこちらに専念できるだろう。先祖様のお祭りにお客さんを迎えるので、台所の清掃。「ゲキ落ちくん」で擦った。僅か5人だが、ビールを呑むので、500mlカンを48個準備した。雨だが洗濯をして少し乾いた所で買い物先のコインランドリーで乾燥。オーディオはチャンデバからDCが流れる危険があるので、安全なAVプリメインのSA-AX920の4チャンネル分入力を使って帯域分割して鳴らすと、それまで、パワーアンプにSEA3mk2とSEA100を使っていた時とあんまり変わらない音が出て、びっくりとがっかり。一体この高級アンプはどんな働きをしているのだと思いましたね。当面はこのAX920で行くつもり。 7月2日(火曜日) 5時起床草取り、今回は先週に一応終えているので、1週間に生えた分だけを取り除くから、草の芽も短くグイグイと進む。西の畑だけは、まだ先週に取り除き切れてない分があり少し時間を要したが、3枚の畑を10時半までに済ますことができた。少し雨が来たが、庭に生えている金木犀の枝を刈り取り、西の垣根の竹の刈り取り、庭の梅の木の剪定を済ませた。随分と濡れたが、大きな行事は終えた。風呂の残り湯に浸かると本格的な雨がやって来た。食事を終えると疲れで、動けなくなり、午後は布団の中で過ごした。夕刻は息子のための食事の買い出し。自分一人なら、なんとかあり合わせで済ませるがそうもいかず、老体に鞭打った。 7月1日(月曜日) 昨日見たスパイダーマンは筋のしっかりさは無く、ツッコミも多いが、大きな力でグイグイと押して行くような力強さを感じた。世の中は日米の安保や通商、韓国との慰安婦、米朝の核、イランの核色んな問題があって一筋縄では行かないと思えるが、実は正しい「解」などは存在せず、アメリカ式に一気に押し流すような方式が今の時点での「解」ではなかろうか。悶々と考え、最良の結末を模索するのは、正しいが「解」としてありえないのではないかと思う。長老が院政を敷く東洋の古式はこの世には取り残されて行くのだろう。それが正しいとか間違っているとかはもはや問題ではない(しかし長い目で見れば間違いだと人類は気づくはず)。それがデジタル経済なのかもしれない。帰宅して、多分明日の朝まで限界かもしれない(雨が来るまで)急いで草取りを行った。 6月30日(日曜日) 息子に負けないように僕もスパイダーマンを見る。「ブルク7」で3D Dolbyアトムス、4kレーザー光源、HDR。3Dだから、解像度は2K。しかしながら黒が沈む。始めに暗黒が訪れる。普通の映画館は白浮きで灰色の画面。始まりからして違う。ストーリーはアベンジャーズを見てないと付いて行けないと言うか、物語の背景がわからない。ピーター(スパイダーマン)の学校のクラスがイタリアに修学旅行する。そこに突如現れた巨大「水」で出来た異星怪物。これを、退治したミステリオから、ピーターは他にやってくる異星怪物の話を打ち明けられる。二人で協力してベルリン(空撮があり、テレビ塔が映っていて懐かしかった。僕はベルリンで過ごしたほぼ毎日を、このテレビ塔を中心に散策した)で退治したのち、ピーターが持っている魔法のメガネをミステリオに渡す。実は、これまでの怪物退治のシーンは、ミステリオがこのメガネを入手する為に仕組んだ芝居をピーターに見せただけだった。そのシーンがドローンとプロジェクターによって演じられたものだった。そして後半は、ピーターがこのメガネを取り返すドタバタ。基本は昔からある「指輪物語」の変形。ツッコミは、ドローンが最初はコンピュータによって操られるが、後半はメガネによってコントロールされている。いつの間に切り替わった?もう一つはドローンは機関銃を装備し、ピーターを襲うが、力学の「作用と反作用」の基本を無視して、銃弾を発射してもドローンの姿勢が安定しているのはなぜ?ピーターが繰り出す「糸」の後始末は誰がいつするの?アメリカ人はそんな事気にしない。元首が韓国に行ったついでに北朝鮮にでも行ってみるか?的軽さがある。凄いのはDolbyアトムス。戦いのシーンでは3Dと相まって完全に自分が主人公になり身体が揺れる。これは、家庭用よりも映画館の方に部がある。映画は終わり配役のクレジットが延々と続く、それを見ていると、企業の持つ一種の怖さを感じた。というのは、これらに記載されている人達の全員が一つ方向に向かって作品を作りあげた訳だが、昔のような「えいやぁ」ではなく、綿密なプロジェクトの下組み上げられている(と思う程の人が関わっている)。3000年前に多くの人を動員し、何年もかかって完成させたピラミッドのような政治力も感じる。この業界はもはや排他的な力を獲得したんじゃないかとも思ったし、ソニーがその一画を占拠したと言うのも、驚きだった。終わったのは21時。阪急梅田駅を歩くとソニーのエックスペリアの広告があった。ソニーは携帯業界でのシェアは低いが、3レンズカメラとか、縦長レイアウトとか、まだ訴求するポイントがあって、なにがしの頑張りを感じた。食堂も無く、飲み屋では1人客は歓迎されず、結局11時まで開いているイオンに行ってビールとおつまみを買ってホテルに帰り、映画「インターセプター」を見ながら呑む。 6月29日(土曜日) 戒厳下、梅田の中心部に徒歩で向かった。職場の隣はインターコンチネンタルホテルで「習近平」の宿泊との事、警官が取り巻いていて、交通は遮断、歩行者天国だった。車はベンツだったと聞いた。トランプさんのエアフォースワンは3機来日。小さな1機が車の輸送用との事。カナダのトルドー氏の飛行機はまさかのボンバルディアではなかったと言う。B737?。メルケル氏はベンツだった。メイはロールスロイスかな?プーチンはなんで来た?カメラコーナーではこのような会話が飛び交っている。カメラマニアは絶好の撮影機会だから関心も高いだろう。今日は婦人のパワーに参った。2組4人の対応をしたが、それぞれが、ROCKを聞かれた。主に80年代の(つまり自分が若かった頃の音楽)。ご主人は家でゴロゴロしているのに、奥さんは友達と散策し、激しいロックを聞いてうさを晴らす。これじゃご主人はますます遅れて死を待つしかないだろうな。僕のように相当毒のある人間は周りに悪影響を振りまきながらも独立独歩をなんとか保てるのだが。G20の記事や新聞を見れば国境が低くなったなぁと感じる。僕らが現役の頃懇親会があれば、担当地区の特徴を語り、販売の不振、うまく行った自慢を合ったものだが、G20もなんだがそんな様相を呈して来たと感じた。長期政権の担当者は、その雰囲気をもっと感じたんだろうな。同行した元首の奥さんもパワフルな人だったらいいけれど、枯れた人は大変だろうな。 6月28日(金曜日) 息子はスパイダーマンの映画に行った。僕は雑誌のスキャナーを行いiPadに収めた。膝の注射に行き、クリーニングを回収して洗濯してあったシーツを乾燥させた。加齢臭の為、週一度の洗濯は欠かせない。ある人は、主人の加齢臭が嫌で、その部屋に入るには息を止めると言った。自分の部屋でもそんな時はあるし、ホテルの部屋だってそんな時がある(自分が宿泊するだけで臭いが漂う)。岡山の駅はゴミ箱に封があったが、新大阪のゴミ箱には封がなく、意図が読めない。新大阪のQBで散髪し、投宿。ORIGINで弁当買うと、全てが塩辛いのに参った。夏場に迎塩分を増やしているのだろう。父が夏の干物は塩分が多く美味しくないと言っていたのを思い出した。友人の奥さんが主人の形見であるオーディオを送ってくれることになった。確かにゴミとして処分されるのは、悲しいことだと思う。 6月27日(木曜日) 昨日は、かなり無理したためか膝が痛むが、今日は何にもしなかったら少しましになった。大雨がやってきた。芸西村中心に降った。バケツをひっくり返すように降った。ハイレゾの整理をして、午後になると、法事に出かけた。ところが、法事のお寺さんは鍵がかかっていて留守。おかしいな、電話機を見ればたくさんの着信。かけなおすと、何と法事は11:00からだった。僕は15:00のつもりだった。精進落としの席に向かいみんなと合流。皆さんから非難ごうごうの声。「あれほど言うちゃったろがよ」「いかなぁ、前と一緒と聞いちょったきに、時間も一緒だと思ったがよ」ということで、拝みを省いて飯だけ食って帰ってきた。酔っていたので、風呂焚きは息子に任せ、廊下と台所の掃除をして、3時間もまどろんだ。起き出して風呂に行こうとすると、風呂が沸かせなかったと言う。残念だが、このことではもう息子を叱ることはできない。もともと応用力がないからこのような結果になるのだ。火の始末だけを教えて、懐中電灯片手にふろを焚いた。10分で完了して、熱い風呂に浸かった。 6月26日(水曜日) 5時起床、空はどんより。草取りを行う。早朝から草刈機を回して近所迷惑かもしれないが、距離があるので何とかなるだろう。溝は管理機の耕運機を使った。家の前の草取りをした畑も、小さな草が伸びてきている。手で引くのと違って、ぶった切っているわけだから、草も伸びやすいから仕方ない。それでも小さな草の芽は簡単に飛ぶから、畑1枚も30分で終えられる。10:30に終了した。もう雨がぽろぽろ来たが、この間了解してもらった、ビニールハウスの廃材を貰いに行かねばならぬ。息子を駆り出し12時に終了した。風呂を浴びて食事に出かけた。ついでに夕食の食材を購入するところで、大雨となった。いいタイミングで仕事を終えた。午後は、ハイレゾの整理をしながら転寝。 6月25日(火曜日) いつも列車で帰る。JR四国では、岡山県の児島までが岡山管区、それ以降が四国管区。切符の拝見に2度来る。おかしい。マネジメントが機能してないことを何度も書いてみたが、本当に無茶苦茶な状態である。多分これより酷いのが北海道管区だっただろうが、今は沈静化している。JR四国では重大な事故が発生する可能性がある。帰って食事もせずに、いきなり草取りに取り掛かった。猶予は夜まで。明日からは雨予報。大まかな目途をつけて終了。風呂焚き、食事の準備等を考えると4時半が限界だ。息子は食事ができるころ、四万十市に遊びに行ってて帰ってきた。行動は遊びだ。まぁ人生100年だから、僕の時計よりゆっくりと過ごしても良い筈だろうと、自分に言い聞かす。天気予報ではどうやら、雨はもう一日持つような気配がした。早く寝て明日に控えよう。 6月24日(月曜日) どう言えば良いか分からないが、ゴジラの映画はかなりの不作だった。本来はエキスポランドにあるIMAX劇場でこの映画を見たかったが、仕事を終えての鑑賞では帰りの足がないことで、梅田のTOHOシネマズ(ドルビーアトムスなし2KDLP方式)で見ることになった。画面は黒浮き激しく、音は少しだけ迫力があるだけで、重低音がない。雑誌で言われているように、今や家庭用映画館は業務用映画館を超えている。さて内容だが、恐竜を生き返らせて世界を浄化しようと企む母子が次々と捉えた巨大怪獣を眠りから目覚ませる。そこへ、正義の味方、渡辺謙が乗り込み、ゴジラの力を借りて、これらの人類を襲う怪獣を退治ようと提案。提案される側は主に米軍だ。渡辺謙の提案には同意できず、軍と怪獣研究者達が一体となってこれら怪獣抹殺に動くがそうは問屋が卸さない。やっぱり最後はゴジラが出てきて、怪獣の雄である、キングキドラを倒す。めでたしめでたし。ゴジラの映画やウルトラマンの基本ストーリーはこれ一本だが、まつわる話がいろいろあって、登場する怪獣がいろいろあって回を重ねてきている。この映画はツッコミばかりで科学的な合理性が不足だった。例えば、怪獣の言語を解読する機械が映画の鍵だが、普通に考えると、怪獣の声①検索②同調③分析④命令となるはずだ。だが、この映画では同調=命令となり、シーンによって命令内容に差異がある。僕はどうもこのプロセスが理解できず混乱する。さらには、米軍戦闘機の持つミサイルが余りにも迫力不足だ。戦闘機の大きさと怪獣の大きさの比率からしてミサイルの効果が少ないし、そもそも生物相手だから、対処には火器を使うより劇薬だろう。など全編を通じてアンチな意見が僕の中で渦巻くし、英語を理解しようと集中するので字幕が読めず、英語が分からない時はストーリーが中断してしまう。踏んだり蹴ったりだった。最後のクレジットを見れば、デジタルアートの人がいかに多いことかその数びっくりだ。そして配役の部分で感心するのはGOZIRA=himselfと表記して、ゴジラは彼自身が登場しているとあった。なるほど。当初はもう一度4kのIMAXで見直そうと思っていたが、煮詰めが甘い映画をこれ以上見る必要がないかなと思った。 6月23日(日曜日) 僕の精神的支えであるメインのオーディオシステムは、どうもチャンネル・デバイダーに問題があり、パワー・アンプを破壊する可能性が高いことがわかり、電源スイッチを入れることが怖くなっていた。中古物件で良いチャンデバもなく、46cmのウーハーを生かすこの方法は諦め、普通のスピーカーシステムを購入するしかないかと諦めていた。スピーカー候補はソーナス・ファーベルの「ソネット8」かな?「JBLエベレストの中古」か。そんな事を考えていたが、取り敢えず、今所有のスピーカーとスーパーウーハーで当面は我慢できないか?と第2ステップに考えが及んだ。これなら、使ってない廃材を利用するみたいなもので費用の発生はない。すると、第3の考え方が浮かんだ。46cmをヤマハのAVアンプからサブウーハー出力として100Hzで取り出せば、今のチャンネル・デバイダーを使った方法となんら変わりない事になるではないか?(今のチャンデバはカットオフを100Hzに設定してある)結線もピンコードの配置替え、アンプも設定変更だけで行ける。しかも結線がシンプルになり且つデジタルの帯域分割方式だ。ここまで考えが及んでやっぱりとことん考える事は本当に重要な事だと思いましたね。このついでにウーハーのバスレポートを塞ぎ低域を改善してみようと意欲も湧いてきました。もう一つは、お客様の持ち込んだKandace Springsのプロフィールをwikiで調べると英語表示にぶつかった。ちょっと長い文章だったが、これが辞書を使用せず全文読めた事だった。まるで通常の文章を読むみたいに。びっくりした。そのあと、香港のお客様が、自分のオーディオ機器をスマホで自慢されたが、これもはっきりと分かった。報告書にも記載できるほどの情報があった。きっとこの日は、頭が調子良かったんだろうなと思いましたね。滅多にないが。 6月22日(土曜日) 今日は社宅の下見。茨木駅で待ち合わせて、1LKのマンションを訪問。今宿泊中の東横インと変わらない広さ。駅から徒歩5分。阪急電車。ここでの問題は朝飯をどう確保するか?その残飯の処理。喫茶店でパンとコーヒーではあまりにも寂しすぎるから。下見の後同僚と近くの焼肉屋で懇親会。定年後いくつかの問題を抱えて生きる与えられた性についての話題。帰りがけ、井戸掘りについて思った。僕の掘る井戸の深さがどんどん深くなっている気がする。最初は友達もこの井戸に降りてこられた。「結構深いね!」程度だった。しかし、妙な寂寥感と田舎の孤独感とが一層深掘りを催促して、今は、上を見ると大きな青い空がコインの大きさまで小さくなっている。もう誰もここまで降りてこられないし、降りようとしても、道順が複雑でどう説明しても理解できそうにないことだ。今では横穴も掘って、井戸は全部で3つくらい出来た。どれもとても深い。地中深くに暮らし、いつの間にか朽ちていくのが僕の人生かなぁと思った。地中の温度で少し暖かく、これでも良いかなとも思った。 6月21日(金曜日) 悩みは尽きないが、檜和田氏に依頼したアンプが帰ってきた。またもや、原因はDC漏れ。僕のマルチ・アンプシステムはもうそろそろ終止符を打たなければならない。いいチャンデバが手に入らない。テクニクスの46cmウーハーシステムを止めて、普通のスピーカーに変更が必要となる。JBLか?ソーナスファーベル?いずれも大金が動く。この問題を解決しないとどうにもならない。午後に残っていた草取りを仕上げ高知のプールに出かけた。週に1度は血液を循環ささないと血管が詰まる。6月から50mプールが使えるようになった。幾分水温が低く、いきなり50mでは気分が悪くなるので、水温の高い25mで500m泳ぎ体を冷やした後、50mに移る。そのレーンには誰も人が居ないから真ん中の青い線に沿って泳ぐと実に気分が良い。泳ぐときは日々の問題を棚上げに出来る。1500mで上がった。今日のエネルギーは全て使ったような気がした。息子の食事をCoCo壱番屋で買って帰った。風呂から出て気だるい疲労を感じながら購入したAV雑誌に目を通す。過去本を月に3冊くらい読んでいるので、このまま行けば年内に読み上げられるだろう。 6月20日(木曜日) 朝起目を覚ますと、身体のあちこちに疲労が残っていて動く気になれない。かと言って、布団にいたままでは息子の食事の支度が出来ない。重い身体を持ち上げて母屋に向かい食事の準備。息子も起き出してきたが、早速テレビを点け芸能界のニュースを真剣に見ている。今まで朝のパターンは食事中に新聞を読み、ラジオ英会話へと続くが、テンションの高い声でテレビが唸れば、新聞も頭に入らず、食事に専念して、終われば自分の部屋に引き上げる事にしている。どうも良くない関係だが、もう走り出した汽車は止まらないような気がする。新聞も読まず、漫画の本を読んで、ゴジラのDVDを借りて映画を見ているので、「生姜の勉強でもしたらどうか?とか、高知の生姜農家が集中している事を知っているか?とか」だが、どうもこれには関心がないらしく、勤めればなんとかなると思っている。それまでは休暇のつもり。僕の頭の中ではこの意思決定がどうも理解できない。「GAFA」を書いたスコット・キャロウエィは、22-32才まで思い出す事が出来るのは仕事のことばかりだ。と綴る。Me tooだ。草ぼうぼうのもう一枚の畑は午後から取り組みほぼ刈り上げた。明日は、小さな草を飛ばすだけになった。 6月19日(水曜日) ラジオ英会話を聞いていたら、もう友人が鍬を持ってやってきた。さとうきび畑の草取りのお手伝いだ。僕も、まだ歯を磨いてないながらも、合流して作業を行なった。しかし、今回は草刈機を使って草取りができないか試してみれば、結構はかどるではないか。そこで、本格的に取り組むのに当たり、友人にはさとうきびの芽の付近だけ草取りをお願いした。その後僕は、円盤の鋸で大きな草を刈り、次に紐のついた草刈機で、小さな草を飛ばす作業とした。これはぐんぐんと作業が進み、瞬く間に、この畑一面の草退治が出来た。昼に乾杯の祝杯を上げた。一枚の畑を端から端まで完璧に草のない状態に出来たのは始めてだ(最初の草取りの畝から、3週間位経ってもまだ、この畑は終了せず、最初の畝はもう立派に草が成長しているのだった)ここで問題は、息子は家の中にいて一切の応援をしなかった事。父が一人で作業しているなら息子はそれでも構わないが、他人の応援がある時ぐらいは家の中にじっとしているのは、まずいではないかと思わないだろうか、だが、そんな気はさらさらないらしい。就職先が事務職ならまぁそれでも良いが、農家に就職するのだから、気がつかねばならないと思うのだが。これから先の気遣いが心配のネタである、親の年金で息子が暮らす構図とならなければ良いが、見ているとどうもその路線を走っているようだ。 6月18日(火曜日) 友よりお帰りの電話。「良くやったと」。そうだな、こんなことが出来ると思ってなかった。チケットも現地調達できたし、まずまずの旅行が出来た。いつまで出来るかわからないが、他にもイタリアオペラ、ロンドンフィル、アムステルダムコンセルトヘボウ(オランダ)、ウインフィル(オーストリア)、モントルージャズフェス(スイス)など、まだまだ押さえなければならない音楽があるので頑張りたい。大体1回あたり30万円もあれば十分。仕事をやめればもっと安く行けるはずだが、一方で仕事をしているゆえに海外情報もあり、自宅以外での宿泊に慣れがある。選択は当然ながら後者。現地人の情報が得られるのを優先して、行き先を決めよう。今日は朝から草退治。畑をトラクターで叩き、トラクターの行けない先は草刈機で刈った。今年は柿を収穫しよう。この柿を1番楽しみに待っている友人は亡くなったが、まだまだ送る人は多くいる。と言うことで、柿の下を草刈機でしあげる。あまりの大汗でシャツが臭くなった、久しぶりだ。それだけの重労働。最後に貞子さん所のミカン畑をやりあげて、風呂焚き。そのタイミングで、息子が室戸岬にある廃校水族館から帰ってきた。今日は友人を招いて夕食会。息子は昼飯用に用意した炒飯を食べた後(昼に帰ると思って昼食を用意した)、我々と一緒の食事を行った。食が細く待っている我が 身としては驚き。まぁ食事の献立が油を使わない、肉を避ける、野菜が多いなど、若者向けではなくカロリーが少ない面もあるが。 6月17日(月曜日) 吹田の犯人は捕まったから、正夢は無さそう。重い荷物を抱えて新大阪に向かった。中津の駅の階段を降りた時、膝の痛みがぶり返してきた。忘れている時もあった膝の故障はしっかりと定着したままだ。新幹線の中、久しぶりにジャズの歴史を開いた。たまに難解な文章にも当たるが、英単語辞書で訳を拾うだけでなんとか文章を紡ぐことができた。英語は配置の言葉だから、この辺りにはおおよそこのような意味が詰まっているぞと当たるので、辞書を引いて、どの言葉が該当するのか選択できるようになり、訳の速度が上がった。ここまで来るのに結構時間を要した。ただ、僕の英語は勉強のための英語ではなく、今回のようにかなり実践的で利益も大きいから続いているのだろう。そして読む方は先に進んだ。聞く方や話す方はずっとレベルが低いままだ。家に着くと台所の洗い物をしてから、除草剤の散布を行った。この3日間雨が降らなさそうだから。そのあと、貞子さん所のミカン畑の下草刈り。2段終えて帰り風呂焚き。食事の準備。息子は部屋に居座ったまま。食事の後、自分の部屋に引き上げた。色々と話す時はまたあるだろう。忙しい中だが、HDDのハイレゾ整理を仰せつかった。音楽を聴きこむ時間も必要だし、息子の世話も、草管理も。そしてこの追加。 6月16日(日曜日) 今朝3時ごろ空腹で目が覚めた。昨晩はイオンの弁当とサラダで済まし、少し不満が残る程度だった。それが確実に効き空腹で我慢できない状態となっていた、ドイツに行った時も食べるところが見つからなくて同じような空腹を抱えた。再び寝つこうにもどうにもならず5時に我慢の限界が来て近くの「なか卯」にうどんを食べに出かけた。ここまでの空腹は久しぶり。戦時は飢えていたが、現在はとんでもない事が起こらない限りこうした事態には陥らない。戦争で思い出したが、ドイツに行って戦争について考えた。一人ヒットラーが悪いわけでなく、時代が彼を押し上げたと理解すべきで、ドイツ国民が望んでいた事だ。一方、中東でタンカーが爆撃されたのは、明らかにサウジアラビアの嫌がらせで、イランの反乱分子ではないと思う。どちらにしても一部の人間しか加担してない。国を挙げての暴挙と言うか戦争はやっぱり凄いことだと思う。夕刻同僚がショウルームに来て作業を始めた。彼曰く、吹田で拳銃強奪の事件があった。こちらは全くの個人的なもので、G20とは関係がないだろう。動機は痴情だろう。ホモ・サピエンスの600万年の歴史を辿ると、人類が生き延びてきた理由は「嘘」につきる。損得ではなく、深い思慮を持つ「心」のDNAが元凶。これは良くも働き悪くも働くからややこしい。今朝目が覚めた直接の原因は、何者かに追われてホテルのロビーで鉢合わせた事で目が覚めたのだ。明日は、これが正夢でない事を祈る。 6月15日(土曜日) 「モツレクかけて」とおじさんがやってきた。?。モーツァルトのレクイエムの事。大阪人は略するので一般人はついていけません。という事で、今日は久しぶりの仕事日。生の音が耳に残っている状態でテクニクスを聞けば、生はこんなに解像度がなかったぞ。フィルハーモニーホールの2階席ではこの音は聴けない。1階席のかなり前に近い状態では可能かもしれない。A rechersの3列目で19やB rechets20ですね。前に話を聞いたことのあるベルリンフィルのチェロリストであるマニガー氏は収録のマイク位置はオーケストラの上にあるものを多く使うと言っていた。スレレオは生を超えることはないが、ある面でレコードがいい時もありえる能力を持ってきたと思う。時差ボケもなく普通の勤務だったのは、やっぱり向こうで昼寝ていたからだろう。ちょうどこちらの午後9時に相当する時間に布団に潜り込んでいたのだ。これからの旅も同じ事。午後3時には切り上げて寝る。そうすればなんとかなる。KLMからの荷物は12時半無事回収できた。購入したLPをお客様に聴かせてあげたら、やっぱりLPも音は独特の柔らかさがありますね。(160万円のプレーヤーに60万円のカートリッジ、フォノアンプは33万円これだけ投下すれば出るでしょうとは言わない)田舎では息子が友人に海鮮丼ぶりをご馳走になったメールが来た。自分のことだけで回っていた田舎生活が騒がしくなった。 6月14日(金曜日) アムステルダムから関空まで10時間33分のCLD表示で、一方案内は10時間35分と言う。そして到着は30分遅れた。無茶苦茶だ。挙げ句の果て、荷物はアムステルダムにあります。泣きっ面に蜂。明日の仕事の為に、ワイシャツや下着などを日本橋5階百貨店に行って中古服を漁ろうとしたら、もう店は潰れていた。シマムセンに行って中古のエベレストに感動し、ビクターのDLAV9Rを見せてもらい黒沈みに感動。でも200万円は出せないぞ。兎に角中古服を売っている次の候補地、心斎橋の「2thストリート」へ行こう。歩いていると、オープン間もないEDIONがあった。覗くと、「岡村さん」と声がかかる。やっぱり、元日本橋のオーディオのヘルパーさんがいた。喜多商店?パイオニアかサンスイだった。と思う。担当中は毎週日曜日様子を聞きに行った、当社のヘルパーさんに会えない時は他社の人に聞いていたから、その時の名残が今でも残っている。彼は今、三菱のテレビ担当で9月までだろうと言う。エディオンはゲームコーナーが充実、アキバでもこんな充実度はない。E-SOPRTの到来を予測させます。この店のオープンでヤマダ電機が割りを食うだろう。となりのビックは決行対抗するだろうなぁ。心斎橋で900円のワイシャツと下着一式400円、まあこれくらいの出費は仕方ないだろう。ヨドバシカメラでテレビコーナーへ行くとパナが自社開発の有機ELテレビを開発したと予約販売をしていた。おかしいな、パナが有機ELを作れずはずがないのに、よく調べると、「有機ELパネルを購入して組み立てた」。元はLG製だ。それにしても55型で20万円高の60万円は買わないぞ。通路でLG、パナ、東芝の有機ELを比較してあったが、東芝製が白飛びをする以外、差はなく、これ以上どこを差別化するのだろう?とても値段競争から脱皮できるとは思えない。ましてや、海外でサムスンのQOELテレビに対抗できるだろうか疑問(こちらは明るい)。8Kの映像録画を見た、コンサートシーンだったが、8Kになってもカメラをドンドン振る、カメラマンは新技術への意識の欠如だと思う。相手が動くライブなら、カメラは動かさないで、目線は客に任せてほしい。4:3のブラウン管テレビ時代と同じ意識でカメラを振ってたんじゃ、解像度が高いだけに見る方もつらい。カメラコーナーに寄ってニコンのヘルパーさんの話を聞くと、300mmの単焦点の軽量レンズが好評、500mmは未だ店頭に置けないと言う。僕としては、鳥や蝶を追いかける時レンズは、一旦ターゲットを決めるとずっとそれを追従するAIが欲しいと言うと、ヘルパー氏はファインダーに入ればかなり追いかけてくれますと言う。うちわわせ会議の後、ホテルに帰り、買った下着を洗濯乾燥。その間に弁当を買いに出かけた。 6月13日(木曜日) 5時に目が覚めた。日経新聞を見て、ラジオ英会話を聞いて、朝食を漁りに出かけた。少し雨がパラついてきたし天上では雷が鳴っている。昨日の事もあるので、食事に出かけず出発した方が良いかな?少し迷ったが決行。サンドイッチを食べながら帰った。部屋で歯磨きしてチェックアウト。歯磨きのあと口をゆすいでもなんとなく残像感が残るのは水のせい、最後にミネラルで口をゆすぐとスッキリする。重い荷物を転がしながら、ポツダム駅に向かった。ここからは昨日のシナリオ通り。9時半に着きチケットの発行に並んだが、KLMカウンターは昨日も長い行列があり、今日もそうだ。見ていると要領が悪い。殆ど行列が進んでない。1時間並んでやっとたどり着くと、今度は次の便の対応はしてないと跳ねられた。そして、時間が来るまで受付は行われなかった。酷い扱いだ。やっとチケット発行してもらうと、今度は手荷物検査。これも30分並んだ。関空では15分のところを1時間半要する。ここはドイツでも異国のような気がする。可愛い日本の女の子に尋ねられ、日本の方ですね。ポーランド行きはここではないですか?チケットとカウンターを見れば確かにA11と書いてあり同じゲートだ。僕はもう一度尋ねるように勧めた。代わりに僕が行ったら良かったのかな?そしてディスプレイをよく見ると、チェックカウンターはA08でゲートがA11と書いてあった。ややこしい。これもドイツ的ではない。ゲートを通過して3.4€のコーラーを飲んだ。アムステルダム行きとポーランド行きはゲートが隣同士だった。ポーランド行きは定刻に発ったのに、アムステルダム行きは、定刻になってもまだ客をさばいている、要領が悪い。結局20分も遅れての出発だが滑走路でも10分待った。そして、おまけに、アムステルダムでは、なかなか飛行機は降りず、端の滑走路に着陸し、出発ゲートはその反対側だった。オランダ航空でオランダ国なのだから、融通は効かせられないのかな。ベルリンから65分の飛行に対し、35分間地上を走った。飛行機は飛ぶものだと思うのだが。出国審査は特別なラインに割り込ませてもらい、空港のロビーを端から端まで走りましたね。そして極め付きは、飛び乗った飛行機は45分も待機して飛び立った。KLMは要領が悪いし、客目線ではない。 6月12日(水曜日) 腹を満たしてから出かけることにした。いつも通る道筋で一番賑わっている店。DELI。サンドイッチとマフィンとコーヒー。マフィンは温めるかどうか聞かれたけどその場では意味が理解できず首を振っただけ。後の会話は分かった。パンはフランスパンで硬いがしっかりと美味かった。中身のチーズや生ハムがしっかり効いている。太陽が照りつけるが、屋外のテーブルで食べた。それから、電車に乗ってアレキサンダー駅を目指したが、地下鉄表を見ていると、空港まで伸びている路線があった。これは試してみるべきだろう。U6線のKurt Schumache駅が近そうだ、ここから歩けばいいだろう。バスは10分後にくるけど今日は何にもしないからと、歩き始めるとおばさんがドイツ語でどこに行くんだ?タクシーを拾いたいのか?聞かれたので、空港まで歩くと答えるとブス(バスに乗れということ)だと言う。空港は高い壁があるし大変だ的な話し方だ。ドイツ語と英語のチャンポン。そのおばさんの目つきはきついし、言い方に剣がある。(多分こちらの習慣だろう)。それで仕方なくバスを待つことにした。10分以上遅れてきたバスは、直線道路に出ると100kmくらいのスピードを出した。さすがアウトバーンのドイツですね。でもこっちは立ってつり革を持ったままだぞ。無事に着いて良かったけどね。KLMの空港カウンターも確認したかから街に帰ることした。アレキサンダー駅で下車。前回探索できなかったアレクサのモールを覗く。まずはメディア・センター。先のSATURNよりも高級な家電店。プレーヤーを見ていると、これはオーディオテクニカ製だ。テクニクスに似ているけど。もっといいのがあるから紹介しよう。エラック製。2245€。25万円くらい。ベルトドライブ。ターンテーブルが正規の回転に達するまでにしばらくかかった。アームとカートリッジが良いので自慢していた。プラッターの重量は知らなかった。今日は見ているだけですまない、ビニールを買いに来たと伝えた。テレビは相変わらずサムスンが一等地、2番がLG、3番からはソニー、パナ、フィリップスが団子。各種同じようなコンセプトで、どうか価格の安い物を選んでくださいと言っているような展示訴求。洗濯機やシェーバーも同じ。掃除機は唯一ダイソンの展示が付加価値を売っていた。パナは電子レンジの安価なモデルを数機種展開。パナは価格訴求の山積みで売るべきメーカーではないのに何故だかこんな事をしている。コーヒーメーカーの種類の多さには参った。こちらのコーヒーが格別美味いわけではないが。家電業界は世界中で価格競争から抜け出す必要があるがまだその解を見つけられてない。LPはイーグルスの「ヘル・フリーゼズ・オーバー」と「ダイアナクラール&トミーベネット」を買った。ビートルズのホワイトアルバムもあったが、今回は断念した。袋がないのでそのまま持ち歩きとなった。このビルは、洋服関係の店が多く、綺麗なドイツ人がいっぱいいたが、顔は化粧で取り繕っても、身体の線は隠しようがない。腹が少し出かけの美人がボーイフレンドと一緒に甘いアイスクリームを嬉しそうに頬張っていた。100円ショップでないが1€ショップで息子にお土産を買った。バレるかな?3時に帰り取り敢えずベッドに潜り込んだが眠られず5時半起床。明日の地下鉄乗車口を確認して食事。ソニーセンター広場を囲むレストランではスタバを除き全部食べた事になる。今回は、ハンバーガーとサラダ。注文を繰り返したので僕も一つはこれ2つ目にはこれといったのが間違いでは、ビールが2杯来た。まぁそれくらいは飲めるから問題ないが、要は食事に時間がかかるだけ。そして、突風が吹き出して空が真っ黒になった。慌てて帰れば間に合うかな、ところが途中で歩けなくなるほどの豪雨と雷が来た。木の下は危ないので、トタン屋根の軒下で過ごしたがこちらも後で思えば危なかった。雨が止みそうにもないので雨の中走って帰った。ホテルに着きシャワーを浴びると、空は明るくなっていた。バカなことをしたもんだ。あの広場で15分も過ごせば、逆に言えばもう一杯飲めばこの問題は回避できていた。今日はコンサートもないので8時過ぎに寝た。 6月11日(火曜日) 芸西村は雷が鳴り、嵐の模様との事。こちらは毎日晴天が続く。でも夜は雨が降っている事もある。今朝は妙に体がだるい、昨日の疲れがたまっているような感じ、いつものように、日経新聞を読み、NHKのラジオ英会話を聞き、再び布団に潜るが、興奮しているから寝付かれず出かける。最寄駅のU2路線のBulowstreet駅の近辺にある喫茶店みたいなところでサンドイッチ2個とコーヒー。ドイツのパンは塩辛い。反動で甘いデザートを食べるのだろうか?動物園駅で下車、乗り換えのついでにトイレに行き、お代1€を払い利用。環状線のような列車に乗ってドイツ駅へ。正確にはHauptbahnof(読み方不明)。ここで駅の規模を見学(ここが一番大きい)。列車は縦横に線路が走り、構造は3層。全部で21ホーム。駅そのものがモールで、レストランやショッピングが楽しめる。どこにも改札口がないので、実に開放感があるが、東京駅や大阪駅のように利用しやすくはない。列車に乗った感想は運転が下手。特にブレーキのかけ方が不味い。駅間の列車速度が遅い。連結車両が少ない(10両編成以下、長距離除く)。列車運行に関して日本は世界一でしょうね。ここで両替。レートは147円。ドイツに関しては日本で必要なお金を換金した方がお得。同じ列車で動物園に帰るつもりが逆方向の列車に乗り引き返す。ベルリンは大きな建物が少なく、放送タワーがどこからでも見えるので、自分の居場所がすぐにわかるため間違いに気がついた。列車は何々線ではなく、U2とかS5とか数字で呼び、ドイツ駅なんかは、これとは別にホーム番号があり、この数字は路線番号と一致してないのでややこしい。再び動物園駅。ここで動物園に入場2000円を払う。ちと高すぎです。ライオンとトラがいないから。一方でパンダ、鳥、猿は充実。餌やりのパフォーマンスで客を集めるのは上手い。日本も同じだが、時間が短い。市内にある動物園にしては結構広く、4時間くらいを費やした。ここまで来て始めてパンダを見る。装甲車のようなサイを見たのも始めて。喉が渇いたのでコーラ625円。やりすぎ。動物も良かったが、人形のような金髪幼稚園児を休憩しながら見るのも一考の風情がある。あまりにも可愛いすぎるため。人間も動物ですから丁度良いかも。3時すぎに退散しホテルへ。シャワーを浴び睡眠。夕食はいつものソニーセンター(ハーモニーホールの向かい)スパゲティ・カルボナーラとサラダと水。30€。少し贅沢しすぎたか。昼飯食ってないのでペコペコだった。7時すぎにハーモニーホールへ到着。しかし7:30にならないと部屋には入れない。ビルのテラスに出て涼んだ。演奏はカメーラ・アカデミー・ポツダム、指揮者なし。フルート:エマニエル・パウド。クラリネット:アンドレス・オッテン・サマー。オーボエ:アルバート・メイヤー。総評から言えば、この管楽器3名はオーケストラのまえで演奏して、実に邪魔な存在だった(パンフレットはそれが売りだが)。この3人が登場しないモーツァルト交響曲35番は非常に新鮮で躍動感があり良かった。では詳細に移ろう。まず音質。この会場で3日聞いたが、1階席は解像度があって良いが2階席は団子となる。レコードやCDで聞く方が余程ましで演奏の善し悪しが判断しにくい事がわかった。ただし熱意は理解できる。今回もベースが開演前に練習している。2曲目から、最前のフルート+クラリネットが入るが、この2人が演奏の「華」を摘んでしまった。なんだか分別くさいおじさんの音楽になった。3曲目、クラリネット引っ込みオーボエ登場。少し華やいだ。不思議に思うが、この2人、ジャズじゃないから、演奏しながら振りをつけなくても良いのに(非常に目障り)でも演奏後ブラボーがあちこちにから、オーボエの兄ちゃんは大衆に向かって頷いた。(僕が彼らの立場なら納得はしないのだが)ファゴットが実に気持ち良い音を出している。僕も皆に見習って休憩でコーラ4.5€。重複するがMozart35は秀逸。再び3人組のおじさん登場。3人の演奏がバラバラでなんとかならないのか?この時はブラボーなし(当然だ)。結局呼び物は不作で、それ以外は非常に健闘、特に第一バイオリンの姐さんが、楽団を仕切り、皆にわかりやすい振りで指示を与えていたし、舞台後ろに向かっても頭を下げた。ホールを出ると空が光っていた。ホテルに帰ると土砂降り、その後大風。快適な部屋の中から下界を見下ろして眠ることにする。 6月10日(月曜日) 街歩きもだいぶん疲れてきた。今日も目的無し、コンサートも無し、ジャズライブハウスを物色中。取り敢えず歴史博物館へ行ってみよう。博物館巡りはニューヨークで気がついた楽しみの一つ、写真撮影が自由な事だ。自分の感じた事をメモして、作品を撮影する。日本はメモさへも許されない程厳しいので、博物館嫌いになる。先ずは朝飯。ケバブの店があった。おばさんが玄関の椅子に腰掛けていた。こういう感じは好きだ。「何にするねん」と、思った通りドイツ語だが親切に聞いてくる。鶏肉をベースにしたケバブを大きなパンで包んであるのにした。写真を見て「No1」を伝える(その料理の番号)。野菜も聞かれたので全てと伝える。スパイスは少し(bitと言ったがLittleねとおばさん)。それがこの写真。食いきれないほどの量。そこへ、となりのお客さんからこの店のおばんより伝言。フライドポテトに何をかけるか?そうなのだ、まだあったのだ。マクドのLサイズの量のポテトが出てきた(いわゆるジャーマンポテトですね、凄く旨い)。わたしにはディナーに相当する量。ゆっくり噛んで全部を食った。ここから徒歩で博物館に向かう。ベルリンにも通りの街全体を設計する人がいるようだ。デザインされたステンレスの看板に書いてあった。始めてモールに出会った。店のブランドが建物の外壁に掲載してあり、それは綺麗でないし、商業施設のようなワクワク感を想起させない。この面ではアメリカや日本が上手なようだ。通りを歩くと違和感を感じるのは、建物と建物の間に隙間がない事だ。違うデザインの建物がぴったりとくっついている。地震のない国だから可能な設計だと思う。ヘドヴィッヒ大聖堂の前でパッハ・ベルンのカノンを演奏している2人がいた。バイオリンは時々音程を外すが、その頑張りに125円寄付した。ベルリン国立歌劇場に入ると、チケット販売コーナーがあって尋ねると今夜コンサートのチケットがまだあると言う。表示がドイツ語だったので英語に切り替えてもらうと、ズービン・メーター指揮でリヒャルト・ストラウスだ。演奏者は、ここの専属の人たち、会場はホテルの近くにあるフィルハーモニーホールだと言う。7列目の席を買った。75€。そこの看板を見ていると15日にオテロが開催され、指揮はダニエル・バレンボエム。なんだ、彼らはベルリンに来るといろんなところで間をおかず頑張って振っているのだった。クラシック界を支配する大物が、ゴロゴロしていて、マンハッタンのジャズクラブと同じ様相だ。こんな経験を学生時代に例え1度でもしていると、全く違った目で現世を見ることができたのではないかと思うが、老人の身となっては後の祭り。そして今夜のジャズは不要となった。旧国立博物館に入った。ギリシャ展。紀元前500年位前からのギリシャの彫刻が並べられている。ヒットラーは罪悪だが、この作品の蒐集に関しては相当一役買っているはずだ。一方、それが為に貴重な作品は先の大戦で焼けてしまい消失や黒焦げになったのもあるとのこと。悲喜こもごもだ。作品に目を光らせているガードマンに聞くと半分がコピーだと言うが、オリジナルも手で触れられるようなむき出し。写真は撮り放題。作品の多くは神に絡んだものだが、神と人間は協力しあうような関係で、その後の西洋文化にある(神を)崇める姿はない。紀元前の通貨や装飾品もあり手の込んだもので、東京で見た16世紀の「トルコ秘宝展」のような未熟さがない。大聖堂の近くを流れる運河に屋台の掘り出し店があり覗くが魅力的なものはない。その対岸にテントを張り出したパブがありジャズを演奏していたので、ビールを飲みながら聞く5.5€。電車で帰り仮眠。6時半にソニーセンターで夕食。今日はとなりの人が食べていた肉料理(シュバイネハクセ)を注文。ワインは店員のおススメChardonnay。肉は豚の脚のローストだった。ワインは酸っぱく、きりりとした味で、肉と抜群の相性。地元料理と地元酒の名コンビだ。高知で言えば、カツオと土佐鶴の熱燗の組み合わせに似ている。給仕してくださったのはドウウェイ・ジョンソンによく似た大男(もちろん坊主刈り)。僕が日本人だと見抜き秋田犬を飼っている、と話しかけてきた。チップを払うと(カードで)「ありがとう」。7列目のシートでコンサートはすぐ前で演奏された。ズービンメーターはおじいさんになっていて、腰掛けての指揮。ソプラノは、カラミラ・ストヤノバ。声が大きく会場を揺るがした、僕はコンサートの終了後、その場所に立って手を叩くが、残響が少ない。お客様がいるともっと少ないだろうと、彼女の実力に降参。でも180cmはありそうな巨体だった。2番目はリヒャルト・ストラウスの「家庭交響詩」ベースは8人(前回の時と同じ左奥の場所)だが音の混迷はなく、多分先日の場所が悪かったんだろうと思う。ハープと瞬間に引くハープシコードの音が他の楽器に埋もれず鮮明に聞こえた。大人数の編成だったがキレもある。ただ昔のズービンメーターのような躍動感はない。楽団に緊張感がないのは、相当練習を積んだ成果だろうと見受けた。全員からその雰囲気が伝わってきた。(そんな目でベルリンフィルのメンバーを思い返すと彼らは傲慢なようにも思える)お客さんは杖をついた80歳くらいの人を多く見かけた。もし隣に来たらフルトベングラーも聞いたのか?質問したかった。そんなクラシック好きそうな人が沢山いた。これで3日3晩クラシックの大物を聞く。かかった費用は45千円。高いと言えばそれまでだが全て特等席でしかも大物ばかりだ。僕としては納得の価格。飯代は27千円で仕上げている。これは僕の夢だった。しかし、一人でくるには不安があった。最初は団体旅行で雰囲気を知ってから一人で来る、そんな計画を思い描いていた。でも、思い切ってマンハッタンへ行ってジャズを聴いた。それですっかり自信がつき今回の運びとなった。やっぱり「飛び込まないとドアは開かれん」と思いました。 6月9日(日曜日) 静かな朝だ。空腹の朝だ。アジアの国と比べて、ベルリンは人口密度が低いのかな?群れている人が少ない。それでか朝飯の店がない。僕の旅は極めてシンプル。毎晩コンサートに行く以外は目的を持たないので、時間がゆっくりとすぎる。腹が減ったら食事をして、バスが来たら乗ってみる、行き当たりばったりだ。でも、その前に飯。今日の探索も昨日の続き、アレキサンドリアの駅から始める。何もないなぁ。9時半を過ぎているのに食べるところがない。駅ナカに唯一行列のできている店があって、フルーツ、サンドイッチ、コーヒーを買って駅前広場のベンチで食べる。6.6€。陽光は厳しいが風が爽やかで暑くない。ドイツの放送タワー見学に並ぶ人たち見ながら食べる。駅を背にポツダマー・プラッツ(ポツダム駅)方向に歩いて行くと、人の塊。何かな?グリーンのシャツを着た人が勧誘しているぞ、悪そうには見えないぞ。近づいて話を聞くと市内観光20€の案内。2時間程だと言う、トイレは?。自由に降りてくださいとの事。バスの名前がHOP on HOP off.で合点、乗り降りが自由なバスなのだ。乗るとイヤフォンを渡されたが、ドイツ語では?と思ってとりあえず差し込むと、フランス語、スペイン語、他に多分ドイツの近隣語。そして16番目に日本語もあった。市内の大きな公園ティーア・ガーデンを周回するようなコース。適当に降りて撮影した。大使館巡りのような感じも受けた。ヒットラーから送られた敷地に立つ日本大使館もあった。結構建物には工夫があって、奥様がパーティで衣装を競うとか、おじさんが撮影会で持参のカメラを競うとかの見せびらかす様相だった。他はキリスト教に絡んだ建物が多いが、主に16世紀からの歴史からの紹介となる。とりわけ第2次世界大戦前後が多く、ホロコーストに関する場所や建物は説明に多くの時間を割いた。日本の原爆も同じで人々が大量に殺戮された場所は、多くの記念碑を残している。最後はベルリンの壁で下車。今となっては想像すべきことができず、写真で当時の面影を説明している。英語もあったが、辞書を引き引きとなるので、壁の端から端まで散歩するにとどめた。感じの良いアイリッシュパブで食事。フィッシュ&ポテトは探したけどメニューになかった。ビールはWarsteinerがおススメと店員が言う。強いか?どうかも確認。強いビールはアメリカでえらい目にあったから。届いたビールはオリオンビールのように薄かった。ホテルの前の美術館で古代の絵画展を行なっている。とりあえず偵察してホテルに帰り寝る。3時に寝て5時に起きる。地下鉄番号U2に乗ってドイツオペラ会館前で下車。チケットにパスポートが必要と書いてあったのを見落とした。受付のニイちゃんにIDを持ってないと謝ると、日本人だね、OKとの事で、チケットを発行してくれた。オペラは気取った人ばかり。ベルリンフィルよりも客質は高く、年を召したご婦人が多い。と言うか、男性よりも女性客が多いようだ。席は満席だった。僕の席は何と、前から5番目の中央に近い。最高の席と思われるかもしれないけど、字幕を見るのに大きく首を振らなければならない(舞台の上に字幕)。肩と首がこる。そして字幕が小さくさっと見て舞台に視線を落とすには、理解の速度が足りず、長時間首を上げたまま。これはきつい。それで、休憩時にもう一度あらすじを見直し、記憶に頼って、字幕無しに挑戦した。休息時間は、みんな外に出て、ワインを飲む人が多い。後半からは、あまり字幕に目線を送らず、歌に集中した。マノン役はタチアナ・サージャン。デ・グリュ役は、ブリアン・ジャグデ。持参のメトロポリタンオペラのマノン・レスコー役の女優も年を取りすぎで嫌だなと思っていたが、今回も同様な感想。でも、舞台が進むうちに、この歌唱力は彼女でなければこなせないと思うようになり、ストーリーと彼女が段々と一体化してきた。写真で見れば綺麗な人だが実物はただ肥えた傲慢なおばさん風。ロシア人は若いと綺麗だが、年取るとただのおばさんになりがちだが、彼女もそれを超えられずか。けど、この2000人は入る会場を震わすほどの声だ、恐れ入りやの鬼子母神。ボックスに詰め込まれた音が結構良いし、キレがあるし、聴かせどころもツボを押さえている。オペラのオケは、シンフォニー程有名でない付け足しの感なので、それにしてもなかなか結構いけてるぞ、おかしいなと聞いていた。最後に幕の隙間から俳優たちが挨拶に出るが、そこに黒服のサイモン・ラトルがいてびっくり。「何だ、あんたが振ってたんか」と声が出そうになった。まぁ、彼の耳にしてこの音ならありえると思いましたね。舞台の装飾は、メトロポリタンと比べるとやっぱり簡素で、予算の大きさの違いが感じられた。やっぱりオペラは今やアメリカか?イタリアでも良いぞ!イタリアで思い出したが、オペラの始まる前に腹に入れておくため近くのレストランへ行った。(ドイツオペラ会館に併設したレストランもあるが高そうで気取っていて敬遠したが、開演近くなると、入り口でパンや飲み物を売っているスタンドがあり、これは僕でもOKだったがその時には無い)名前は「ドン・ジョバンニ」。店名からしてオペラだ。ラムの乗ったサラダとビール。美味かった。すごく美味かったが全部たべれなかったので店主に謝ると、問題ない。と手を差し出してくれた。僕は今からオペラだと握手して別れた。中心地から離れると価格は落ちる。16€。帰りは23時真っ暗。でもある程度の人通りがあって良かった。最後にもう一つ、荷物はクロークに預けるが、何と何と自転車を預けている人もいた。ドイツの電車は自転車持ち込みOKだが、ママチャリそのまま持ち込んでくる人もいる程の自転車文化が徹底している。歩道は自転車道が明確だし。これでドイツが一層好きになりました。次回は当然自転車持参で来ます。 6月8日(土曜日) 昨夜は興奮であまりよく眠られなくて朝早く起きた。それに腹が減っている。近くのコンビニはなく、レストランが開くまで待たなければならない。外出は寒かったので、ジャケットを羽織り8時に出かけた。目指すはフレデリックスター(いろんな路線が交差しているので何かあると踏んだ)途中に大きな森があった。ニューヨークのセントラルパークよりも大きいかな?こちらは広場が少なく、鬱蒼たる木で覆われている。ここを抜けるとブランデンブルク門。この街を貫通する道に建っている。バッハのブランデンブルク協奏曲に出てくるあれですね。門の向こうにかすかに、戦勝記念塔が見える。フレデリックスターにはあまり飲食店がなく、マクドで「ビッグ・ブレック・ファースト」を注文したが、日本のメガマックに比べて貧弱、お客さんも貧相な人ばかり。ここを出たら食べ直しだ。目指すは隣駅のハッケーシャー・マーケット駅。電車に乗る前に地下鉄のガードマンに尋ねたら、すると、この列車ではない。上のS路線だと答えてくれた。よく意味がわからなかったので、地図を見ていると、さらに詳しくS2路線に乗りなさいと。(この会話は全て推測です、というのは、相手はドイツ語でしか話してくれません)どこにあるのかは?指で上を指すのです。地上に出ると、それとは違う路面電車があり、方向から可能性が高そうでしたが、今回はS2路線を探して乗った。ところが、着いた先には先程の路面電車が走っていて、これでもよかったんだ。ハッケーシャー・マーケット駅は、沢山のレストランが店を出していてよりどりみどりだったが、しばらくはこの路面電車に沿って歩くことにした。別に深い理由はないのですが。ところが、前を行く数人の若い男女がある建物の中庭に入っていったので着いて行くと何と行列のできる喫茶店で、もちろん日本人の女性もいた。金髪のものすごい美人だが、3分刈りの坊主頭が案内してくれた。Rorridgeを注文(メニューの一番上)西洋お粥だった。多くはトーストの上に餅のようなチーズと野菜が乗ったのを食べていた。店の名前は、Father Carpenter。とても雰囲気の良い店です。そこからアレキサンダー・プラッツを目指し歩く。ガレリアという百貨店があった。食材はチーズ、それに沢山のソーセージ、赤身しかない肉。野菜は種類が豊富で、果物は特にすごい。飛行機から見た一面の農地から来るのだろうと思った。その隣は手焼きのドーナツで通路を挟んで、カルバンクラインのファッション、シャネルの化粧品。ブランドが死ぬよと言ってあげたいが、地下食品売り場が無いので仕方ないかもしれない。それに結構人が入っている。テレビタワーのある広場にも行った。近くのビルに入りトイレに行くと、お金を徴収するおじさんがいる。まぁいいでは無いか。2ユーロ払ったら、お釣りがきた。普通はチップなので「全額いただき」というのがインドの常識だったのでそのつもりだったが、そこは律儀なドイツ人ですね。駅のガード下でまだ予定の詰まってない11日の夜のコンサートチケットを買った。8800円。今度は小編成でモーツァルト。場所は同じくシンフォニーホール。これで10日、12日の夜が空いているのみとなった。あとは、ジャズかな。ボスニアヘルツェゴビナの母子にお金をくれと言われてつきまとわれた。シリア人だったら援助してあげようと思うが、今更ボスニアではね。家電量販店SATURNがあったので入った。どこに行っても家電は楽しいですね。テレビはサムスンとLGの一騎打ち。ソニー・パナはサイドに引っ込んでいる。サムスンはQLED、LGはOLED。なんだかわかりにくいが、サムスンは液晶テレビでバックライトに豊かな光源のLEDを使っている。LGは有機テレビ。LGに軍配が上がりそうだが、そこは抜け目のないサムスン。とにかく明るい。有機テレビがくすんで見える。映像はゆっくり動き動画ブレが見えないなど、サムスンのやり方はうまい。一方でソニーやパナははっきりしない映像を流し目立たないのは、僕がアジアを担当していた頃と同じ。オーディオコーナーはカントンと言う名のスピーカーが大量に並び、ベア100万円まであった。音質は高域が強調されたきつい音。B&Wの800D3も無造作に、しかも2ペアあった。LPはvinylと呼び、アメリカと同じなんだと思った。冷蔵庫の高級機はコップに氷と水を入れる給水機能付きが左扉に付いていた。これもサムスンとLGしかない。洗濯機は操作つまみが大きな丸いダイヤルで、非常にわかりやすいが、不細工です。ここで時間切れで探索中止、ホテルに帰る時間。地下鉄は迷い迷いやっと近くのポストダマー・プリッツに帰り着く。これも、やっぱり一人で探索しないと覚えないのだなと。地下鉄はもう明日からは迷わない。ホテルに帰り3時から5時まで仮眠。それからフィルハーモニア会館へ出かける。入り口は当日券を買う人でいっぱいだった。ソニーセンター(大賀さんが買った)のJOSTYでピザのCapricciosa(マシュマロ、生ハムの載ったピザ)をたべた。ビールが合いそうだがコンサートで寝てしまう可能性があるのでやめた。このコンサート会場は何度も何度もビデオで見て知っている。指揮はダニエル・バレンボエム。演奏曲目はハイドン交響曲95番。少し硬い。それにキレがない。思い切って振り切れてない印象。多分それを指揮者は目指してないだろうが、僕はどちらかといえばそっちが好き。3楽章でチェロ独奏者が音程を外した。それが気になり演奏がすごくぎこちなく聞こえ始めた。次はベートーベンピアノ協奏曲4番。こっちは気負いが取れスムーズ。それにピアノがまったく違和感なくオケに溶け込んでいる。ピアノとオケは対峙するものだと思っていたので、このスムーズさは一体何なのだ?ところが1楽章の終わりから、少し見えてきたのは、ピアノに力がない、それゆえ躍動感にかける。もう一つは、指が今ひとつ追いついてない。つまり、違和感のないのは、埋没型の演奏だったのではないか。ピアノ奏者は、後のクラシックが好きそうなおじさんに聴くと、ラドールプーから急遽マリア・ピリスに変更になったと言われた。後で調べると74歳だった。どうりで力が無いわけだ。それに、72歳で一旦引退を決意している。この僕の酷評にもかかわらず、聴衆は最高の拍手アンコールをさせた。一方ファッゴットとホルン、ベースの解像感は生ならではのもので、流石一流だなと感じた。美人ホルン奏者のサラ・ウィリスさんも見られ堪能した。休憩を挟んでシューマン交響曲4番、ダニエルバレンボエムは相当な意気込みで振った。熱演。キレも凄みもある。これは聴衆も共感を呼び拍手が鳴り止まなかった。僕としての評価は、演奏は○だが音が良くない。休憩まではベースが中央にいて分解能があったのに、シューマンは編成が大きくなり、ベースが左奥に引っ込み、人数が1名増えた。どれが原因かは不明だが、全体の音が不鮮明になった。こんな音のはずはないのだが。帰りがけサイモン・ラトル指揮ベルリンフィルのシューマンをiPodで聴くと、やはり低音鮮明。つまり、席はいい場所だったが、この場所はちょうど低域の谷になったかもしれないと思った。採点数は85点。今はレコードや音楽配信で、歴史に残る名演を簡単に聞けるので、耳が肥え、単なる演奏では満足が得られなくなっているかも知れない。右隣のおじさんは一人で来て、拍手も少ししかしなかった。この人に話を聞きたかったが直ぐに演奏が始まりできなかった。21時30分、まだ明るい夕暮れの中、徒歩で帰る。全然危なくない。 6月7日(金曜日) セブンイレブンで食べたサンドイッチが悪かったのか、朝から下痢。出発間際までトイレで唸った。ユーロの変換はレート125円。2万円分の交換。関空で待っていると、高知行きの飛行機は天候待ちとのアナウンス。気象レーダーで確認すれば、紫のマーク。大丈夫かな?関空にも10時ごろその雨がやって来た。飛行機はKLMのボーイング777。アルミ機体で案の定、寒い(787はカーボン機体で寒くない)。冬用のセーターを持ってきたのが正解。Tシャツの人もいたが毛布をかぶっていた。道中、村上春樹のアフターダークを読んだ、村上春樹節全開で楽しいはずだが、同じ姿勢で身体がきついのでなかなか本に没頭できず。音楽も同じ。機内サービスの映画も今回は楽しめない。エコノミー席だが、前方通路を指定して、+8000円、なんだか、足の置き場が広い(気のせい)。11時間の飛行で、食事が2度。量は少ないが丁度。飛行機は地球の自転よりも速い速度なので、時間の経過を追い越してしまった。眠いが寝られず、もうどうしようもない状態が続く。身体が痛くてどうしようもないが11時間でやっと到着した。乗り換えに1時間10分しかない。入国審査で時間がかかり、ギリギリのセーフ。でも、アムステルダムの空港の構造はよくわかったから、次回はスラスラいけるだろう。オランダからベルリンまでは1時間。地上を見ていると、山がなく畑がずっと続く。森もあるが、畑に囲まれた平地の森。これじゃ野生の動物(4つ足)の生態はないだろう。ドイツに入り高度が落ちると、ドイツの民家が見えた。グリーンの庭に大木が数本。どこの家も、マンションも全くこの構造は変わらず、ここで暮らすのは大変だろう(庭の手入れに時間を要するため)と思った。空港でSIMを探すが見当たらず。配車アプリは断念。タクシーに乗る。タクシーはいたるところにあるが、タクシー乗り場まで歩いて行って乗った。(多分地元の人はそこまで必要ないだろうが、はじめての人は多分重要なはず)ベンツに乗りたかったがLEXUSだった。どっちが良い。LEXUS。ドイツ人が言うから間違いないだろう。街の車はVW、たまにBMW、アウディはポルシェよりも見かけない。日本車はトヨタのみ。ホンダ、マツダは見かけない。タクシーに乗ると決まった用語がある。「どこから来た?ベルリンは始めてか?」はっきり聞き取れなくても、もう感じでわかる。これは慣れですね。音楽を聞きに来た、と伝えるとフィルハーモニア会館を案内してくれた。ホテルから近いよ。ここで日本時間は午前3時。現地時間夕刻7時。太陽は未だ天上にある。地図をもらい、フードコートを教えて貰う。道路には通りの名前が書いてあるので、グーグルマップがなくても大丈夫。コンサートホールも確認できたし、ベルリンの壁跡も確認できた。食事は公共広場に面したテーブルで採った。ビールとサラダ。ビールは美味いが生ぬるい。でも異国の地で、通行人を眺めながらビールを飲むのは僕の夢。実にいいね!店員がどうだ?と聞く。親指を立てるだけで良い。僕は、この為に来たのだといっても差し支えないほどの満足感。ついでに音楽がある。ビールは小ジョッキだったので店員は不思議がっていた。それでいいの?次にワインを注文した。どれがオススメ。キリッとしたのが好きか(ドライと言ったような感じ)?的な質問されたので、Yes。するときました。Grauburgundel 5.8€。こちらはたしかにキッチリと締まって程よい冷たさで中々良い。最後に水を注文したが、注文が悪くて小瓶が来た。この辺りは未だ英語がうまく使えてない。午後9時、夕暮れの中ホテルへ歩いて帰った。何故だか、この付近では日本人を含めアジア人をほとんど見かけない。 6月6日(木曜日) 掃除洗濯を済ませて、病院で膝の注射。かなり良くなり、時には忘れている時がある。仏壇のしきびを交換し、お茶とお酒をお供えし、すっかり準備の整った状態で草引きを始めた。今週は友人の応援もあったが、やっと1畝完成した。つくね芋が伝う柵棚も完成した。少々の台風ではビクともしないと思う。これが今週の成果だ。お陰で音楽が遠のいたので、道中での埋め合わせとなるだろう。2時半の電車で出発した。四国内の電車では眠くて眠くて、本読めず、音楽聞けず。岡山から新幹線に乗ってやっと目覚めた感じだ。ホテルは泉佐野駅。前泊しないと、明日の出発には間に合わないためだ。今日の草引きでダニを拾って足から血が出ていた。旅行には最善の注意を払っているが、なかなか上手く行かない。午後8時着。近くの王将で食事。食事は軽めに取って明日に備えたが少し空腹でもう少し欲しい感じ。だがここが肝心、用心しよう。宿泊は粗末なエアポートプリンスホテルだが6000円もする。当然ながらインターネット接続はできず。椅子はクッションが抜けて右の桟が折れて座面は傾いている。昔は4000円の木賃宿だっただろう。インドではもっと酷い所でエレベーターは今にも壊れそうだったが、20000円もした。チャンディガールと言う所だった。軍がやって来て、そのエレベーターも使えなかった。このすぐ先はカシミア地区で、パキスタンと曖昧な国境がある所だった。まぁそれとも比べると極楽と言うべきだろう。お湯もでるし。 6月5日(水曜日) 旅行の準備は至って簡単。普段大阪出張に出かける日数を少し増やせば良いだけ。これにカメラを加えれば出来上がり。つまり、改まった準備がない。これでなくちゃ外国旅行も気楽に行けないだろう。以前シンガポール空港のラウンジで、穴の空いた靴下を履いた婦人を見かけた。そこまで節約して旅行に出たいのか?当時はこう思っていたが、今は違った見方。ラウンジを利用するくらいだから、かなり乗っている。と言うことはかなり裕福。それでなぜ穴の空いた靴下?行った先で、脱ぎ捨てて来るためだろうと推測した。僕も今回はそれに気がついて、靴下と下着は破れたのか、ほころびが在るものばかりを準備した。そして、ハンカチは準備しなかった。ホテルにフェイスタオルがあるはずだ。と言うことで、荷物が軽くなった。本は読みきれないくらい持った(PDFなので、重量は増えない)。念のために、もう一度オペラ「マノン・レスコー」をおさらいする。最後のシーンは、マノンが上と絶望で死ぬシーンだがおそらくここは現地の字幕では理解できないだろう。許光俊氏が、海外でオペラを見て深い理解のコラムを書いているが、果たしてあのような見方ができるかどうか?挑戦だ。友人のT氏は、この夏民泊をするらしい。大阪の女子高校生4人を受け入れるとの事。貝教室の関係で、役場から依頼があったと言う。僕にもやれ!。僕はタダでも良いから、英語を話す人を泊めて音楽の話が出来れば良いと言うと、条件を書いて役場に持っていけば良いという。芸西村は、この前を通り過ぎるお遍路さんを何とか引き止められないか思案していると言う。タダは良くないから草引きを手伝って貰ったら?それはいい考えだ。 6月4日(火曜日) がっかりだ。健康診断で血管の測定をしてもらったら、年齢の上限に値があった。つまり、同じ年の人と比べて幾分高い、つまり血管がつまり気味だという事。相当な運動をこなしてきたが、これではまだ不足という事なのだ。脂っこいものを食べない方が良いと言われるので、それは極力避けていた。今考えられるのは、牛乳。1週間に1本くらい飲むから、これを減らす方向に舵をとるしか改善の方法が見つからない。運動は膝の痛みを含め限界にある。息子は千葉に帰った。退職をして休暇に入ったような考え方だ。僕は退職しても、翌月からは、別の会社に就職するタイトな仕事意識だったが、彼はそうではない。夜遅く朝遅く。今世間では「80-50」が問題となっている。80歳が50代の引きこもりの面倒を見る問題だ。いずれ息子はこうなるに違いない。今度就職する職種の農業に全く関心を持ってないから、いずれこの会社も辞めるだろう。そして、アルバイトを始める。雨の日にはアルバイトに行かなくなる。そして引きこもりだ。残念ながら悲観的な見方しかできない。午後友人が草を引きにきてくれた。夜は懇親会。巨人軍の原監督のマネジメントと、広島の緒方監督との話になった。プロの選手としての自覚を求める原監督、チームで走る緒方監督。アメリカ式経営と日本式経営の違い。映画アベンジャーズなんかは、やはりアメリカ式だろう、最後にチームで戦う日本式になるのだが。いや、待てよ、黒澤明監督の「7人の侍」なんか、完璧にアメリカ式の経営手法だった。アメリカ式とか日本式とかの区分は間違っているぞ。話が見えなくなったが、我が息子は広島式でみんなに引っ張ってもらわないと立ち行かないぞ。さぁ大変(僕が大変だと思うだけで、本人はお気楽だが) 6月3日(月曜日) 台所が荒れているので片づけをして、それからの食事だ。これから先が思いやられるが、僕の思いに沿わない面もある息子は一面では、旨く会社生活ができなかった可哀想な青年でもある。観察するといろんな面で配慮が欠けているし、生活に対する知恵がない、知識がない。これでは、会社としても使い物にならなかったのだろうと思う。それまでは、何でこうなんだ?と息子を叱りまくっていたが、やっと気がついて、もう言わないことにした。かれは、僕の思う能力がないのだ。色々教えてあげなければも不要だ。なぜなら、全てに指導が必要なほどだから。僕にはそんな指導の能力も気力もない。そこで方針転換。聞いてあげるしかないな?自分で気づくのを待つしかないな!そう決意した。友人は僕の草引きのしんどさをおもんばかって草引き手伝ってあげようかと言うが、断ったのは、肝心の息子が部屋の中でゲームをしてたんじゃまずいと思ったのだ。新しい仕事に就くまで1カ月の空白期間がある。この期間を彼は休み、ホリデーと考えているのだ。君の友達はは働いているぞ!そんなことをしてて良いのかと口に出そうだったが、止めた。それは理解できないからだ。そして、明日は千葉に帰り東京で遊んでくると言う。僕の未来予想図は次の仕事も辞めるだろうと思う、なぜなら今度行く会社の仕事はキツイし、株式会社と言え、素は農家だ。農作業は退屈なのだ。植物の毎日成長する少しの変化だけがやりがいなのだ。その変化の楽しみには気がつかないだろうから。僕はかれが気づくのを待つ気の長い労働を請け負ったということだ。定年後描いていたバラ色の人生は、いろんな要素でドンドンと黒く塗りつぶされて行っている。なんとか立ち直りかけても次々に災難が振って来る。亡くなった友人は、それがお前の選んだ人生だと言うのが口癖だった。その人の奥さんからメールが来て本日無事お墓に収めましたとの事。京都だ。 6月2日(日曜日) 「貴方を待てば雨が降る」の有楽町で、レコードコンサート。コンサートのテーマは野外音楽堂で活躍したかつてのメンバーということで、萩原健太氏がLPレコードを持参しての解説付きのコンサートだ。一気に昭和の昔に戻りました。テクニクスだけのコンサートで席は満席。屋外では、キャンピングカーにテクニクスを設置して、こちらもレコードコンサートで満員。いずれも、僕が昔行ってきた販促だったが、それは一地方における販促であったのだが、今では会社を代表する販促になっている。市場規模が縮んだということでしょうね。そして、取材のカメラマンが2名程来て撮りまくっていた。これが記事になるのです。時代は変わった。撮影に使ったカメラはキャノンだった。5時に無事終了し、コインロッカーに入れた荷物を取りだしても最終便の飛行機には余裕があった。羽田空港で昼食を食べたと言うか夕食ですが、1つのプレートにご飯とハンバーグとサラダが乗っている1680円のメニュー。タイやフィリピンでの食事スタイルだが、値段が大いに違う。そして、肝心なことだが、ここは旨くなかった。飛行機は767に変更になっていた。僕の席の隣には外国人。これはチャンスだ。ショウルームでいつも聞く定番を使う。どこから来たのですか?その人は少し考えてUSと答えた。でも、今は高知に住んでいる!香美市!えぇ!それって僕の住む隣じゃんか。そこから話は弾んだが、何と彼の趣味は「自転車と水泳」水泳はヤッシーパークで泳ぐ。タダだから。僕と同じじゃんか。高知を愛し、定年後にはここに住むと言う。母がアメリカに居て一年に1度帰っている。アメリカはニューヨークから2時間くらいのところと言う。えぇ!そこ2月に行きましたよ、ジャズを聴きに。iPadを取りだして写真で説明した。名刺交換。嬉しかった。英語の練習ができて。しかも1時間も、しかも無料。英語の上達には絶対にネイティブスピーカーと話すことと書籍は書くが、なかなか機会がないのだ。この先生はもう20年も昔に日本に来て教えているとのことで、結構日本語を話すらしいが、僕は一切日本語を話さなかった。折角の機会だから。でも、先生(高知にある工科大学の先生だった)も久しぶりに英語での会話でうれしかったとの事。この日は興奮で、寝付くには酒が必要だった。 6月1日(土曜日) ここは、オーディオショウルームであるがシアターの相談が多い。その気持ちは良くわかる。音楽だけで一人イメージの中に閉じこもるのは今流でないし、気持ちの良い音を出すには最適200万円くらいの投資が必要だ。一方シアターは50万円も投資すれば楽しく大勢で過ごせる。本日のニューヨーク・タイムズに画面に向かい合う時間が長すぎるぞ、とコラムがあった。一方で、画面を見るのは、非常に楽ちんで楽しい。易きに流れる人間の心情を映していると書いてあった。僕はHIVIで知識を鍛え、100インチの4Kで研鑽と趣味を進めているからこのような相談も問題ないが、この部屋のコンセプトには合致してないから微妙な扱いになる。宇和島から作曲家がやってきた。自作の音楽を録音したCDを再生されたが、これが実に見事な出来栄えで、音楽の傾向が幕内弁当のように多彩だ。細野晴臣や坂本龍一顔負けの音楽。ウインフィルの楽器をサンプリングして、ロンドン郊外のスタジオに楽員を配置して演奏を行い、それをハイレゾで収録するのだ。しかも、楽員の給与は不要、スタジオのレンタル代も不要、自宅の電気代だけが必要で、いつ何時でも誰も文句は言わないとのこと。音楽が見事なのは、宝塚で仕事をしていた関係らしい。音楽の他に、譜面まで頂き、楽器の配置まで書いた書類もいただくが、僕には猫に小判。しかし、予期せぬ触れ合いというのはなかなかエキサイトでした。疲れますが。大阪駅の切符売り場で指定を取って新大阪に向かった。東京に行くのだ。新大阪駅で20分くらい時間が余ったので、がんこ寿司でお寿司5皿を掻きこんで、急いでホームに向かえば、遅延の案内。僕の向かう先には必ずこうしたトラブルがある。指定の切符ではグッと遅くなるので、来た電車に飛び乗った。自由席は満杯だったが、幸運にも座れた。当初の指定した電車よりも心持ち早く着いた。ビールを買ってホテルに入り、大坂なおみの試合を見た。残念ながら負けたが、勝った方のシニアコバのインタビューが始まっているのに、日本の解説者があれやこれやと話す事ばかり放映して、勝者の話が聞けなかった。オリンピックもおんなじで、金メダルが日本人なら放映があるが、外国選手だと放映がない時もある。これが不満だ。僕は世界で一番に接したい。日本で一番なんて今更全く価値がないと思っている変わり者だ。ところが芸西村に帰れば、四国で一番だとか、高知で一番だとか、高知の東部で一番だとかがニュースになり、酒のネタになる。興味のない話。でもここに住みつけば染まってしまい、友人なんかもそれをネタにする。 5月31日(金曜日) 結局、いろんな事を解決するには寝る時間を惜しむしかないのか?今までも随分自分の時間を削って対処して来た。それが僕の生き方に染み付いてしまったかもしれない。5時から家計簿、ハイレゾ編集、企画書印刷。6時になると息子が起き出して来た。母屋の清掃を済ませ食事の支度。息子曰く、「清掃が好きやね」古い汚い家でも、清掃が行き届いている家だと心休まると説明。食事の後出発の準備。残った時間で草引き。結局今週は1畝も完成出来なかった。一番酷く草が繁茂している畝だった事もある。又、赤芋が芽を吹いて来た。こちらは蔓が這うような柵を作らなければならない。今度帰省してからの作業をしよう。息子の昼飯を作って、風呂の清掃をして出かけた。普段なら、音楽を聞く時間があるのだが。誤って部屋の鍵を持って来た。息子はネット接続ができないが仕方ない。今日彼の引越しの荷物が届く予定。母屋の2部屋を使うように指示。荷物が溢れば、もう一部屋。後に、もう一部屋残っているし、蔵の2階にも2部屋ある。こちらはネズミが片付けば自由に使える筈だ。ネズミは餌付け出来て毒薬を食べてくれている。もうすぐだ。13時半の電車で移動。移動中息子には言い過ぎたかな?と反省すべきところもある。まぁ僕も相当痛んでいるし、間隔を取る時間がもう少し必要。中津の駅から徒歩でホテルへ、この道中に2軒居酒屋さんが店じまいをした。いつ見ても客がいなかった。NE誌を読んでいると経済のピークは2017年、2018年はその余勢があって、2019年に落ち込んだ印象だ。この店じまいの居酒屋さんはまさにこの誌面と歩調を合わせているようだった。 5月30日(木曜日) 息子は自動車の練習をしたいみたいだが、付き合う訳にはいかない。日記のサイトアップを済ませ、高知の病院へ。旅行に出かけるので、内科先生の診察を受け胃酸過多対応の薬を60日分出してもらった。症状は、火曜日から金曜日まで薬なしで過ごせるが、金曜夜から月曜日、つまり大阪に行っている時に調子を崩す。先生は、列車の揺れで疲れたのだろうと言う。昔から移動中の疲れに自覚症状は無いが、本当は疲れているかも知れないと答えた。昼飯をビッグボーイで脂っこいもの中心に食べ、プールで1500m泳いで帰った。普段の生活に草引きが侵入して来て身動きが取れない状態の中に、息子の世話が加わって、僕の時間が圧迫されつつある。英語の時間と、新聞を読む時間、本を読む時間だ。音楽は仕事で聴いて間に合わせている。時間配分の調整が必要だ。一面で、真っ暗な夜も寂しくは無くなったが。夕刻、近所に挨拶にまわり。酒の飲み方を教えてや!と頼んだ。 5月29日(水曜日) 朝飯を食って後、友人のT氏と貝殻教室について企画書の打ち合わせ。大阪のショウルームに提案するため。iPadの調子が悪く、思うように文章が書けないが、一応盛り込むことは全部記載して、僕は病院へ出かけ、膝の注射。先週はすごく良くなった旨を伝えた。帰って草引き。夕刻飛行場に息子を迎えに行こうとしたら、もう着いているとSNS。僕がいないからバスで高知に向かったと返事。そのまま草引き。5時半、高知からの電車が和食駅に着く時刻。和食駅に迎えに出かけたら、もう家に帰り着いたとメール。行き違いばかり。夕刻寺尾で買っておいた刺身を持っておじさん所へ行って挨拶と懇親。とても豪華な料理ばっかりで堪能。息子は飲まないと言いながらも、ほろ酔いのサワーを飲んだ。自転車で帰った。息子も疲れただろう、僕も疲れた。 5月28日(火曜日) 大阪は朝から大雨なのに傘がない。中津駅まで高速道路の高架下を走って雨をやり過ごす。朝イチの新幹線で帰省。高知も雨、最寄駅から、タクシー乗り場までこれまた走って雨をしのぐ。タクシーから降りて三たび自宅まで走った。家に荷物を入れると、雨は止んだ。荷物を片付けて、風呂を焚き、まぁやんの法事に出かける。雨は小降り、カッパを着て自転車で出かけた。3時開催の案内だったがもう2時45分に読経を始めた。納骨を済まし、懇談会。飲んでいると哲夫さんから意外な人を紹介された。カズオさんの妹の旦那で、競輪の人。定年まで競輪で食ってきた筋金入りの自転車マン。話を伺うと、もっぱら競技の為の練習はあちこち行くものの、僕のようなツーリングの経験はないが、一日150kmくらいを目処としているとの事。僕も一日150kmをめどとしたツーリングだった。アマだが話は噛み合う。手のグリップ力が心臓に悪いなど共通事項は多い。彼は心不全で定年後の過激な自転車はやめたとのこと。僕は、心臓の血流逆流で過激な自転車を止めた。話が盛り上がる。それで、別の運動に切り替えたのが水泳。何と、僕も水泳を40年間やってきた。やはり距離は年間100km超え。年は同じ。自分は変わり者だと自認してたが、親類にも変わりもんがいたのである。 5月27日(月曜日) 宇野功芳に貰ったLPを持って老夫婦が訪れた。宇野氏はクラシック音楽の評論大家だと思っていたが、指揮も行うそうだ。日本女子合奏団を指揮して沢山のレコード残していた。録音はオーディオ評論家大家の菅野沖彦だった。まぁオーディオに馴染みのある人ばかりだ。昔の録音なのに、人の声が鮮明に解像している。この再生はちょっと普通のレコードプレーヤーでは難しいだろう。持参された方は、聞くことが出来て本当に良かったと言われたが、僕も本当にそう思った。歴史的な名盤だった。新聞ではトランプさんが肉好きで、炉端でも肉をと書かれてあったので、僕も無性に肉を食べたくなり梅田第2ビルに向かった。実際は第3、第4と歩き最終のビルで肉を食べた。そういえば、心斎橋で毎晩飲んだ時も結構肉を食べていたぞ。明日から断肉とし、魚方面、もしくは豆方面にシフトしよう。息子からはメールでお宮も落成式のお客に一人でも参加すると言う強い意思表示があって父は心から喜んだ。 5月26日(日曜日) イタリア人のお客様、半分日本語、半分英語。プッチニーのオペラ「誰も寝てはならぬ/パバロッティ」を演奏すると一緒に歌い出した。そうなのだ、彼らにとってオペラは母国語で歌謡曲なのだ。僕が三波春夫を歌えるのと同じ感覚で歌えるのだ。参った参った。その夜、心斎橋のクラブ(女の人が接待するクラブで無く、お皿を回すクラブ)へ、DJ機器の搬出応援に行った。トライアングル。ここで関西予選が開催されている。僕が行った時は最終で、世界1位と2位のデモ演奏があった。レコードを楽器演奏ににしてしまう恐ろしいテクニックの持ち主。その後コンテストの発表。優勝者はリオ君12歳。僕は聞いてないが、一緒に搬出に行ったこの種の音楽について門外漢のI氏がこれは皆と違うと思ったほどのテクニックだと言った。その会場は小学生が10名以上はいたが、リオ君の友人だった。深夜ですよ。今やクラブは、アイススケートと同じように小学生のプレーヤーに乗っ取られようとしているのだ。聴取者は踊らなくてただただ聞くだけ。スマホで撮るだけ。大音量でレコードを聞く。ただそれだけなのに、ライブ演奏と同じような価値がある。初めての体験でした。しかしこの大音量は確実に難聴への道しるべで、2度と経験したくはありませんね。聴力はバイオリンの艶のある音を聞くために残しときたい。 5月25日(土曜日) 京阪ホテルでステレオの搬入。テクニクスは益々重くなっている。膝の痛みに直結する重さだ。時間内に終える必要があり無理をする。今日は松下で海外赴任してた人達の定年後の集まり。知人は居ない。ここに、我がクライアントの小川氏が参加。彼女の人気で、この会は満席。講演の後、ピアノ演奏と歌。レコードを15枚発売しただけはある。アマの傍らの演奏ではない。ピアノをバックに歌うのは、ジャズ。綾戸智恵ほどのお笑いはとらないが、英語の発音はこちらが格上。毎日英語でビジネスのやりとりを行なっているからネイティブ並みだ。余りに声量が大きいのでマイクがサチってしまった。声は太い。この演奏ならホントお金が取れる。そんな印象を受けた。その後CD販売で完売。勿論、サイン会があった。氏は僕たち庶民が直接話せる唯一のタレントさんでもある。又重い機材を運び出し、5時前に解散。A氏と僕は京橋の丸徳へ飲みに行った。この店は友人のK氏と何度も行った店。K氏の図太い声が聞こえてきそうだった。「お姉さん、ビール入ってないで」 5月24日(金曜日) 午前7時まで西の畑の草引き。これで、西の畑は終了(終了と言っても、最初の取り掛かった畝には、うっすらと緑のベールが一面に覆いかぶさっている)今度帰るときは雨だから、一斉に伸びるだろうな。食事の後、掃除、洗濯、ゴミ捨て(ここはゴミ捨てといっても村道に出すには車で行かねばならぬ)iPadに月刊HIVIを取り込み、洗濯物にアイロンを当て、出発の準備を整えた。昨日のプールでの疲れで、朝食後少しウトウトしたが、列車で爆睡した。それでも、ホテルで本を読んでいると9時過ぎにはウトウトし出した。累計で昨晩から今まで10時間くらい寝たのだがそれでも不足のようだ。 5月23日(木曜日) 僕の誤解で当てが外れたのは健康診断。とりあえず、検便だけは届けてこよう。トランプさんはやりたい放題。G20で日本に来ても、各国首脳は相手しないから安倍さんの取り持ちは大変だろう。まぁ各国がそれを望めばの話だが。でも、やりた放題では収まらないのが人間の常。ホモ・サピエンスの本能。誰かが鉄槌を下す日が来るだろう。それは大統領選の再選できない事か?はたまた現役時テロでか?僕らの目には触れない優秀なスナイパーの存在があるかもしれない。あるいは、トランプさんが大統領を離れた後の事かも知れない。言えることは、He has never good life till die.日経新聞の橋田壽賀子氏の私の履歴書が面白い。ひさびさにこの紙面を楽しみにしている。今日はおしんに関する記述。文章はやはり脚本のようにすらすらと流れて行く。読みやすい文章、短い文章の中に喜怒哀楽がある。この文章にはまいります。高知市のアイホン屋に行ってiPadの電池交換をお願いしたら、できません。帰りにプールで1500m。通常の2000kmからの残分は、帰ってからの草引きに当てるため。帰りに沖の田に行けば草ぼうぼう。まずはトラクターを引き出し、2枚の田を叩く。そのあと草引き。明日早く起きて、もう一畝を済まし、西の畑を終える予定。天満宮の鳥居完成でお客があるとの案内。6/9。僕はこの日留守。息子に出席をメールで依頼したが、さて返事はどうかな。土佐のお客デビューとなれば良いのだが。このおばさんについでにお願いしたのは、お宮の裏の土砂崩れで不要になった流木の引き取り。僕はこれをサトウキビを炊く材料にしたいのだ。おばさん曰く、聞いちょいちゃるきに。 5月22日(水曜日) 昨日の草引きはなぜか疲れが残っていて、7時起床。食事の後ラジオ英会話、そのあとまた居眠りで、自分のいびきで目が覚めた。ハイレゾの整理を中断して膝の注射。調子はどうかね?先週と変わらずです。最初と比べるとどうかね?そりゃすごく良い。来週も来ましょうね。ところが今日の注射は凄く良い。帰って草取り。枇杷が熟れているが、今年の収穫は少し無理みたい。草取りに忙殺されているからだ。午後4時、風呂を沸かして、余った時間にハイレゾ整理。6時から財産区の会議。会計報告の後懇親会。村長も、副村長も、部落長も出席の大所帯。僕は、一滴も呑まず。明日の健康診断の為だった(実は日を間違えて今日だった。それで、調整の結果6月4日変更)。この組織は裕福で、すごい食事とお土産付き。役場の課長さんは、真面目なようだが、すごい酒飲み。担当の課長補佐も凄い飲みっぷり。もちろん参加者は農業従事者で、昼間の汗をビールで補填するようなものだから、当然飲む飲む。僕はお茶を飲みながら、話を聞いた。どうやら落花生が次のターゲットに決まりそうだ。7時半過ぎに退散したが、まだ外は明るかった。酒を飲んでない、しかし、人と話しして興奮している、この時間をどう使うか?が問題だった。 5月21日(火曜日) 昨日の台風のような天候から一転快晴。洗濯とラジオ英会話。昼から、友人の名刺作り。名刺に写真を入れてくれとの要望なので、EOS5Dmk3で撮影、フォトショップエレメントで背景を抜いて作った。これが結構難しく時間を要した。20枚印刷した。友人はその間積極的な貝教室の開催の売り込みを電話で行い、夏休みに開催が決まった。これで、山梨行きは無くなった。良かった。その後、畑の草引き。友人も手伝うと言う。口だけだろうと思っていたが、本等に手伝ってくれた。そして、今夕も一緒に飯を食う。風呂を沸かし、買い物をして調理。これを1時間半で行ったのは日頃の慣れの成果だと思う。馬面はなぜ歌が上手いが今日のテーマだった。 5月20日(月曜日) 若い女性に「トルコ下さい」、すると女性は「はい、こちらがトルコ券です」30年前だったら、かなり赤面する話。今日は、乃木坂にある国際美術館で「トルコ秘宝展」の見学だ。オスマン帝国(1299-1922)の内、15世紀16世紀の珍物を取り揃えた展示会。総じて、緻密さに欠けるが、このデザインは他所では見られない。例えば、絨毯や風呂敷などの織物は左右対称の模様が多い。でもよく見れば、花の色が違っていたり、花房が一つ足りなかったとか、「間違い絵を探せ」じゃないが、よく似ているが、絶対ではない、少し雑である。それを探すのが楽しみだ。又、縁取りの線は真っ直ぐでない。模様は独自。勿論色使いも。少し離れてみれば見事だ。もう一つ突っ込みたいのは、食器。なんでも宝石を付ければ気品の高いものになる思考についての指摘だ、食器に突起のある宝石を付ければ洗うのが大変だろう(昔の炊事場にはママレモンはなかった筈だ)。このいい加減さが気になる。たまに鳥の羽が繊細に描かれている壺などもある。解説をよく見れば、有田焼だったりする。やっぱり、この中に日本製が混じれば一等地抜ける。多分電気製品や、車などがそれに繋がっているのではないかと思われる。突っ込みはあるが中東の文化を見てよかった。その後、千代田線で御茶ノ水のディスク・ユニオンでレコードを漁った。ここまで計画通り。 旅に出れば何か悪いことが起きるのが普通になってきた。今回は、飛行機が飛ばずに高知に帰れない通知だ。空港の掲示板に書いてある、15:20の天候調査で決定しますと。一方で14:51のANAのメールは10分前に59番ゲートに来てくださいとある。一体どっちだ?係員はご迷惑をおかけします(天候の為の不可抗力だが、ここはお詫びの態度を示そうとの気持ち、僕はANAの不手際を指摘したのだが)そして飛行機は、A321から787へ変更。僕に見立ては、A321は航続距離が2700km、787は14000kmに理由があると思う。友人に迎えに来てもらうことにした。降りられたら飯を奢るから迎えに来て!、17:30を過ぎて電話がなければ自分で食べてと。A787は軽く飛び立ち、いとも簡単に高知に降り立った。さすが最新の飛行機だ。そこで、友人と晩飯の焼肉。友人にはビールを飲んでもらい運転は僕が行った。 5月19日(日曜日) オーディオの接客はどんな出会いがあるかわからないので楽しい。今日は中国人の夫婦が見えられた。もう日本に住んで20年。普通に日本語を話す。僕はなぜ経済発展の中国で仕事をしない?と聞いた。日本の安定した仕事がいい。歴戦錬磨の中国では息つく暇もないからだ。随分頭のよさそうな方で、日本人社会でも頭角を現せるからこちらで仕事をしても良いということだろう。日本語と英語と中国語が話せるから、鬼に金棒だ。今回の米中の戦争は中国が負けると見ている。僕は中国が勝つ。なぜなら孫氏の兵法を学んでいるからだ。戦争では中国の方が大人の対応だから。てな、話から中国の起業の話しになった。外国人が中国で起業する、もしくは海外で学んだ中国人が帰って起業する場合、資金の半分は国が出してくれる。誰でも挑戦ができる。中国の政府は東大や京大で人を漁っていると言う。一方で、首都圏の湾岸の建物物件を漁って購入もしている。ここなら投資に見合うリターンがあると言う。オーディオを聞きながらそんな話。30畳のリビングにステレオとシアターを設置している。この近くだからチョクチョク来るわ。来ても僕は居ないよ、大阪に来て。中国は行ったことがない。北京と上海は英語が通じるので安心。それに文字(漢字)が読めるらしい。空気悪く人ごみの中だが、食べ物旨い。中国は嫌いだが、個々の中国人は好感が持てる。日曜日はレポート提出があるので、寄り道をせずイオンで弁当を買って帰る。そのイオンの場所は元東京ステレオの場所。守口のステレオ事業部の時、仕事で訪問したことがある。玄関から工場まで随分と歩いた。だからイオンもそれだけデカい。 5月18日(土曜日) 日経NE5月号はクラウドゲームついて記載があった。グーグルが提供するクラウドゲームは、ソニーのPS4の4.2に対し10.7のCPU速度を叩き出す記事だ。エッジでいくら頑張っても所詮クラウドの元で提供するスーパーコンピュータとは差がつくと言うことなのだろう。そこで、クラウドの2番手のマイクロソフトと連携となったのは、当然の帰結かも知れない。敵の敵は味方だ。そこへ、5Gがやってくる。遅延がないので対戦型ゲームに向いていると言う。いつも5Gについて突っ込みを感じる。遅延が無いと言っても、①アメリカと日本の間では、光の速度で繋いでも5442マイル8707km間の距離を、光の速度は時速30万キロ計算でも、0.3秒の遅延が発生する。これはゲームをする上で致命的では無いのか?②5Gは遅延無いと言うが、5Gで接続された後の登り回線は遅延ゼロか?国内の対戦ゲームならまだしも、海外となればまどろっこしいのではないかと思う。なぜ言わない?夕刻は、国際展示場から渋谷まで一本の電車でいけるから南青山のジャズに決めた。本当はブルーノートへ行きたいのだが、なんと出演は大江千里。日本のジャズファンをバカにしている。まだ、2流どころのジャズを行うB&Sが良い。でも日本人の演奏はどうしても淡白になる。技術はある。音も良い。ミキシングも良い。それでも、燃えない。80年代のジャズにも匹敵する熱いものがない。ケニー・ドリューのようだ。いわゆるヨーロピアンジャズだ。綺麗な音だった。それに目の前で作るカクテルがあまりにも綺麗だった。きっと演奏にも合うのだろう、よく売れていた。僕もそれを注文した。「モヒート」。ハーブの濃い味。ジャズによく合う。高知で育てよう。歌手はチャリート、フィリピン人。歌の合間に少し日本語と英語を交えて話す。「今度は渋い曲を演奏する」。「渋いは英語でなんと言う?」誰も答えられなかった。演奏の終わった後、僕は伝えた、Like Takakura Ken.(高倉健の様な感じ)チャリートはとても喜んだ。多分次回彼女はこのギャグを使うだろう。料金1万円。ニューヨークのビレッジバンガードやブルーノートと同じ値段。あそこではステーキを食ったが、こちらでは、アサリのスパゲティなのに。 5月17日(金曜日) 定年で仕事をする身としては、会社の動きがあまり見えなくなっている。東京に来て、ビックリだ。今日は新製品の取材。その前にはドイツでハイエンドオーディオショウでの発表会とイベント。この土日には秋葉原でアナログプレヤーフェア。僕は、何とそう言う名前のイベントさえ知らなかった。今日の取材では、評論家の吉田伊織さんが、結線について少しアドバイスをしてくれて、それを実行すると、見違える音になった。それも簡単なアドバイスなのだ。電源ケーブルは下へ、アナログケーブルは上に配置。これだけで音が変わった。さすが。でも、今まで聞いて来た東京の音のイメージが違った。低域の帯域が狭くなっているし、中高域にツヤがなくなっている。これでは、我が自宅の音が優れているぞと、思った。いつの間に設置を変えた?ショウルームの女性は2名だけ顔見知りが残っていたが、偉い綺麗になっていた。いわゆる東京の水に洗われたと言うのでしょうね。ビックリして、つい口に出てしまった。まぁセクハラじゃないからいいだろう。東京のショウルームのLPはオーディオ用ばかりの特殊なレコード。ほとんどが180gの重いタイプだ。マイルスも2枚あり録音した。仕事が終わってもまだ太陽があり、余りの陽気の良さに、参ってしまった。それに空腹だったので、先ずは腹を満たした。満たすと、眠くなりホテルに帰った。明日は頑張って六本木に行こう。 5月16日(木曜日) 食事を摂り、シーツを洗濯し、家の掃除。慌ただしく午前中を過ごし、12時から30分間だけ音楽。マイルス・ディビスの「in ベルリン」での演奏。So Whatや枯葉は演奏が早く、ちょっとこれは。それに、マイクの設定が悪いのか、最初大きな音で録音され、急にミキサーがボリュームを絞るなど慌てた所も散見。だが、B面になると本領発揮、ビバップ時代のマイルスの凄さが浮上してくる。丁度アンプも温まって、実に気持ちが良い。時間が来て泣く泣く電源を切る。ヤッシーパークで食事。食事中に割と肥えた若い女性が傍を通り海辺に向かった。後ろ姿を見続けていると、波打ち際に荷物を置いて服を脱ぎ、水着で海に入った。日差しのある木陰で弁当を開いている身としては、いささか涼し過ぎる気温だった。海に入った彼女はためらいもなく、まっすぐ沖に進んで行った。偉いぞ。ホテルは青物横丁で駅の上だった。夜が大変そうなので電車の聞こえない部屋をお願いしたら7階だと十分でしょうと言う割と簡単な返事。午後7時船橋駅で子供達と待ち合わせ。息子は遅れるそうで、先に中華料理店に入った。娘は相変わらず忙しそうだが給料は変わらないとのことだった。でも、忙しいわりには旅行に行っいて、長崎の話をしてくれた。(あちこち行くのは好きらしく、どうやら僕の血を引いたようだ)船橋のレストランも料理も詳しく、今時の女の子だった。息子は9時に到着。こちらはいずれたっぷりと話す時間があるから、今回は時間が無くても大丈夫。犬を飼う事で合意。息子は5/29に帰省する。母屋に住むことにも了解した。10時の列車で都心に向かった。 5月15日(水曜日) 出勤体制が変更。月初に再び東京。息子帰り、父都会へ出かける機会が多くなる。膝の注射。痛みは一進一退だ。昼食後、廃材を65cmに切り刻み、伝承館のカマドに合うサイズに揃える。のこぎりで切っていたら、お寺さんが来て、電気のこぎりを貸しちゃうきに、取りに来いや。確かに、のこぎりよりか作業は早い。一気に片付いた。息子の荷物受の一時保管の為、倉庫を片付ける。大阪でLPを録音したのを編集しようとするとハムが乗っている。とりあえず今回は、そのままHDDに格納。夜、お寺の奥さんが筍とホシカ芋の冷凍がしを持ってきてくれる。友人の貯金の件を相談。絶対にやめささないといかん。と言う。人の財布の件で越権だが、識者の話を聞かせる必要がある事で一致。農作業の時間が長く、ジャズの歴史翻訳が頓挫している。かなり速度が上がってきているので、時間が開くと頭が退化するのでもったいない。 5月14日(火曜日) 雨模様だというので朝から草引き。だが、雨は降ったりやんだりで、作業は続けた。役場から財産区の委員会会議招集の手紙届く。この会は常に懇親会が付き回るので、懇親会だけ欠席する旨を電話。というのは、翌日健康診断だ。診断にプレミアムをつけたら6万円程が発生し、真剣に受けようと思っているのだ。友人から依頼の件があるので夕刻来ると言う。僕は夕食に鶏のモモ肉焼きおろし大根付、ナスとレンコンの味噌焼きを準備した。友人の要件は名刺の作成、チラシの作成だった。貝教室を色んな行政機関に売り込むために必要だとの事。名刺は容易いがチラシはきちんとした原稿がないとできない。チラシを作る技術はあるが、デザインするセンスはない事を伝えた。この件は保留。友人は仕事を辞めたので貯金を解約すると言う。それは、絶対に止めろと強く説得したが、聞いてもらえず。彼は非常に先を楽観視しているので怖い。お母さんが存命なら、僕は言いつけるぞと脅すが、もうお母さんは亡くなっている。これは、僕にとってはかなり深刻な問題だ。近所の農家に頼んであった、ビニールハウスの廃材をもらいにいった。冬にサトウキビを炊くために必要なもの。10トンクラスの木材が必要で集めている。酒を飲んだので、マノン・レスコーは半分寝てしまった。 5月13日(月曜日) 深夜の食事は胃もたれした。いつもの列車で帰宅。来週は取材に立ち会うので、カタログを読み込んだ。深読みすれば、ブルーツゥースのオーディオコーディックの種類とか、NASのサーバーコーディックの種類とか、理解し難いところも結構な表記がある。相変わらずJR四国の車内は寒く、僕は股引や、長袖シャツを着込んでいたので何とか免れた。それに今回は、車内放送がうるさかった。マイクを持ったら離さないカラオケマニアの状態。車掌によって、この車内放送の音量や内容、温度が違うのでマネジメントの問題。この路線は赤字だとニュースであった。赤字だからこそ、キチンと!ではなく、赤字だからこそ、そこまで気がつかない。何故なら、幹部は報告書に追われているからだ。こういうことはその組織に従属してなくてもわかる。帰って洗濯、除草剤、草引き。葬儀屋に花代の支払いで安芸市へ、お悔やみに行ったが留守。別の親類に香典建て替えの支払いに訪問。再びお悔やみに行くが留守、近くの親類へ「どうなっちゅうが?」「多分女」との事。亡くなったおばさんは、息子の女が嫌いで家に入れなかったとか。息子はこのタイミングで内縁の妻のところに駆け込んだのだろうとの推測。僕は、両親を亡くした一人息子(僕と同じ境遇なので)の話を聞いてあげようと思ったが、必要なかったらしい。帰って、風呂焚き、Janine JansenのブルーレイオーディオでVivaldi四季。96/24で極上の音。一切の煩悩を吹き飛ばしてくれる爽快さだ。さらに、買ってきたマイルスを聞く。ジャズに深みの必要があるのか?と聞けば「ある」と答えざるを得ないのが、マイルスの音楽。クラシックと同じようにただダラダラと聞くのではなく、姿勢を正して向かうのが正しい接し方。そんな気にさせてくれる。また、それはLPでなければならない。 5月12日(日曜日) 意外にも、今日はジャズの歴史を1ページ完了に最も少ない1時間30分で翻訳できた。悩む事なく、難しい英語の辞書を引くだけで訳が文章になった。数日前から、妙に前後の文章がつながっているなぁと感じていたのだ(それまでは、コンマごとの区切りの文章に、辻褄が前後で合わなかった)少し力がついているのかな?今日はボストンから来たお客様とも話した。よく分かった。分かりやすい英語を話してくれたのは、彼らはパナの社員だったのだ(プライベートで来ていた)。日本人の扱い方を心得ていたのだ。まぁそれはそれとしていいではないか。そして夜の事。報告書を書き終えて、急いで東宝シネマ梅田に行った。アベンジャーズを見るためだ。歴代2位の興行収入を上げた映画(1位はアバター)前回の映画を見てないと、この映画は面白くない。まぁそれはそれとして、この映画で話されている英語が解りかけてきた。ややこしいところは全然ダメだが、一部では喋っている内容を文字に書き起こせるし、字幕とは違う意味で流れを理解も出来た。この事に途中で気がつき会話を意識して聞くようにした。し、一方で、短い会話でも聞き取れない言葉がある。それは、日常にどっぷりと浸かってないとわからない生活の言葉。でも今回は、凄く自信を持てた。しかもシニア料金で。後、ドルビーアトムスを始めて体験した。自宅でも対応可能だが、強いて設置しなければならないところまでは行かない感想。映画の画質は黒浮きが激しく、音とともに自宅のシステムの方に軍配が上がる。帰りのエレベーターを待っていると、女の子2人が「音はテクニクスで聞く方がよっぽどいいねと話してた」。(テクニクスとは梅田のショウルームのリファレンスで聞く音楽の事だろう)若い子でもそんな審美眼をもっているんだと感心。23時15分だった。なか卯で蕎麦を食べて徒歩で帰宅。 5月11日(土曜日) 連休中のショウルームはごった返していたとの事。築き上げた自宅の音との比較では、低域の厚さが違う(もちろんテクニクスの方が良い)。自宅のシステムはバスレフを見直すべきかも。ベトナムで仕事をしているお客様がみえた。ハノイからサイゴンまでのバス旅行の事情をお聞きした。英語が通じないのでそれを覚悟の事。バスでは3日程を覚悟。道は悪くバスの選び方次第ではとんでもない旅になると言う。NHKのテレビ番組のニュアンスは未だ残っているようだ。盗みはあるが、切った張ったは無い。昼食用に梅田ルクアで買った弁当に当たり、午後3時から腹を下したとしても都会はいいなぁ何でもある。地下街は「アベンジャーズ」の柱巻きの広告。明日行こう。高知では映画館の設備が古く、しかもアクセスは1時間の工程だ。ここでは歩いていける。ヨドバシカメラでbelkinのライトニングケーブル2880円を購入。購入に迷ったのは、ケーブルのキャッチコピーが断線に強いのみ。ノイズ対策や、音への配慮を書いた項目がなかったので、一番高いのを選んだら(¥3550)実際は上記だった。もっと良いケーブルがあったかもしれない。早速試すと、更に解像度が上がった。少し甲高い音はエージングで消えるはずだ。 5月10日(金曜日) 5時半から7時まで草引き。食事後風呂に入って(残り湯はまだ熱い)出発の準備。準備ができた段階で、マイルスのLPを引張り出して「マイルストーン」を再生。楠葉の喫茶店でいい音楽だと感動したのがこのアルバム。いつかは買わなきゃと思っていたが、何と買ってあった。すっかり忘れていた。出発の時間まで聴いていた。列車の中でiPodから、DENONのポタアンDA10に接続してドボルザーク交響曲9番を再生するも妙に感動が薄い。それで、USBケーブルをロジテックから、アップル付属の白いケーブルに変更すると、途端に弦の艶が出てきて、こんなデジタルケーブルでも音が変わるんだと改めて気がついた次第。大阪に着きディスクユニオンで、ハイドンの交響曲95番を探した。LPは無く、CDでカラヤンの演奏のみだったが、購入。ジャズはマイルスのLPの「スケッチオブスペイン、ウォーキン、イン・ベルリン、ラウンド・アバウト・ミッドナイト」と全てAクラス、若しくは未開封品を購入。〆て1万円。母の従兄弟の奥さんが亡くなったと電話があった。大阪に来たので対応ができない。先日、まぁやんのお葬式であったばかり。元気はつらつだったのに。近い親類でこの人だけが美人だった。寝る前に亡くなった友人の奥様より電話。4月は体調崩して大変だっととの事。僕の場合も両親が亡くなった時、胃潰瘍、心不全等、自分で意識しない病気が突然やってきて対応に往生した。あの不健康は一体何だったんだと思い出した。その他では、今日の新聞で心配事が増えた事。一つはアメリカの中国いじめ、これで中国はさらに国策でITを自分たちで磨き始めるぞ。2-3年後はもうアメリカが太刀打ちできなくなる可能性だってある。二つ目はパナの経営が相当痛んでいる、このまま仕事が続けられるのか不安だ。三つ目は日経電子版のコラムで、地球温暖化の警告。じわりじわりの環境変化が、ある時点で一気に転ぶ。その時には手を下せなくなる。 5月9日(木曜日) 午後から雨になると言うので、朝5時半から起きて草引き、7時ごろに雨がやってきた。小ぶりなので続けていると、やがて雨は上がり、太陽が出てきた。洗濯物にアイロンを当て、家を掃除して、風呂を焚きプールに出かけた。2km/1時間。帰ると疲れで、そのまま就寝。 5月8日(水曜日) 友帰る。山梨に出稼ぎに行った友帰り、晩飯を我が家で囲んだ。詳細はこうだ。施設の総合運営は、どこかの企業が行い、そのうち、カフェと、キャン場の管理を友人たちが行う。この施設の管理人は、村と横浜市の折半。そのカフェで、貝殻ペンダント作りを行う。給与は、その教室で稼いだものだけ。今回の出稼ぎでは、旅費の半分も出なかったとの事。つまり生計が立たない。もう一つは、寝る場所。スタッフ全員10名が借りた古民家で雑魚寝。それでも、都会の空気に触れ、セレブの人たちとの会話は、芸西村で味わえない気分の高揚があるとの事だった。僕としては、寝る場所が十分確保できない条件下ではとても無理だ。友人は、今年いっぱい頑張ってみるようだ。と言っても、平日はお客さんが望めそうもないので、次の出稼ぎは8月の1ヶ月くらいになりそうだとの事。夕食はカレー。今までで一番美味かったとの評価。風呂も我が家で入って帰った。(ガスを止めているとのことで)その夜、LPレコードを漁っていたら、マイルスのLPが数枚出てきた。さらに探すと、歴史に残る名盤ばかり出てきた。その中から、A HEADを再生。ギルエバンスの編曲で、オーケストラと共演のアルバム。少し甲高い録音で今までは評価してなかったが、今日は良い音で鳴っている。 5月7日(火曜日) 来る日も来る日も草引き。慰めは、僕の動きを鶯が見つけてくれて、すぐ近くで鳴いてくれる。「わかったよう」と言うと、しばらくは休憩してくれる。しばらくすると、今度は小綬鶏が甲高く鳴く。この鳥には縄張りがないのか、少し先でも同じ鳴き声が始まる。結構賑やかな草取りタイムであります。腰と膝の痛みを抱え、休み休みの作業。西の畑の上段は大事な畑。大雨で土砂崩れでも起こすと、ちょっと自分では治せない規模の高さがある。それで、草引きの間を縫って、畑に深い水はけ用の溝を掘ることにした。今年1年持たせば、来年はサトウキビを植えるので、きちんと水はけができる筈だ。サトウキビの作付け面積が倍になれば、これだけで100万円の収入となる計算。今年のサトウキビの出荷を半分に抑えればその計算が成り立つ。あわせて、赤芋も今年の収穫分を全て種に残して来年の作付けに回し、もう一年種を取って、西谷の畑に全面展開すれば、2-30万円になる。つまり、道楽の農業で生計を立てられるようになる。農家の人と違って田畑の効率的な利用ができてないが、まぁなんとかなる。 5月6日(月曜日) ここのところ誰とも話さない日が続いている。朝は新聞、日経NE、ジャズの歴史翻訳。昼から草取り。夕刻買い物。この時の少しだけ会話。まぁ絶海の孤島に住む決意をしたから、これで良いかな。空白の時間があれば本を読んだり、録画したビデオを見たり。そう言えば先日「犬と暮らす/NHK」を見た。人類の初期から犬は人間と共存していた。寂しさを紛らわすために犬を飼ったらどうか?と人によく言われる。旅行の時世話ができないからが理由だったが、旅行嫌いの息子が帰ってくるので、この案件は要相談だ。オーディオの不思議が起きている。少しの間にすっかり馴染んでしまったのだ。フィッシャー・ディスカウの歌うSchubert冬の旅/LPレコードをかける。ピアノが凄くいい演奏をしている。こんなにピアノに注意を払えるなんて、再生音の質が上がっている証拠。つまりアンプもエージングが必要だったという事か。針を落とすとその場を離れなくなり、他の用事ができなくなるので困っている。 5月5日(日曜日) 色々とする事は山積、今日は蔵の片付け。蔵と言っても、母が雑多なものを詰め込んだだけの倉庫。タッパウエアが一番多い。結局母もタッパーを持て余し(ガラスの食器が便利で綺麗だから)お蔵入りとなったのだろう。それをコンテナのカゴに詰めて20個程度、軽トラックに山のごとく積んで粗大ゴミとして捨てに行った。粗大ゴミは月の第1、3が収集日でいつも仕事日だったからチャンスがなかった。まだ、おばあさんが住んでいた家にもゴミが山とあり、ここを片付けなければ、CDやLPの保管場所がない。CDやLPはHDDに取り込んで、来たる地震に備えようと目論んでいる。余った時間は草引き。引いても引いても次の草が伸びてくるので際限がない。ここを片付けてしまおうと考えるのではなく、時間が余ったら草を引く。この考え方があっているように思う。 今月になって3冊読み上げた。HIVIはやっと2017年1月号までたどり着いた。月刊カメラマンを合わせると未だ47冊残っているから、当分は新刊に手がつけられない。2016年1月〜2月頃は、新刊ばかり自由に読むことができた至福の時で、それから2018年8月まで2年半未読の時代が来る。だが古い記事を読むのは面白い。日進月歩のデジタルの世界で、今の情報で昔の評価を読めば、堂々と嘘ばっかり書いてある記事もあるからだ。夜に雨。 5月4日(土曜日) The last girl/ナディアムラドを読んでいる。もう終盤だ。ナディアはイラクの少数民族ヤズィディでISISに囚われ、性奴隷として売られ、逃げ出してきた人。本人が綴った本。目も当てられぬ惨状が殆どを占める。ホラーの小説に近い状況が展開する。アメリカの本屋さんでもトップに扱っていた。ノーベル賞を受賞したからでもある。この本を読んで思ったのは、結局はアメリカが秩序を壊して、アラブの人たちの平和をめちゃめちゃにした事だ。一番最初にブッシュが動かなければこうはならなかった。人権蹂躙でも、賄賂があふれていても、アラブの人たちはそれなりに平和で質素な生活ができていた。それには、酷いが強い政権を張り巡らせていたから秩序があった。その重しが取れると群雄割拠の時代が訪れた。(アラブの人々には独裁政治とか共産主義の国のような重しが必要なのかも知れない、そんな戦略や深い考えはアメリカにはない)。ナディアはサダムフセインの酷い政権時代、貧乏でも服は1年に一度買える暮らしに満足していたし、大家族で平和に楽しく暮らせていたのだ。それがISISにより、男や高齢者の女は全て虐殺された。ナディアの家族もだ。今アメリカはトランプ氏が戦略のない無茶苦茶をやっているように見えるが、ケネディのベトナム戦争を含め当時から世界秩序を乱し続けた国がアメリカだったというのがこの本から読み取れる。西側から見るアメリカしか知らない私だが、反対方向から見たアメリカはとんでもない国であっただろう。国際社会では、なんとなく煮え切らない中庸の日本だが、これで良いのかも知れない。 5月3日(金曜日) 良いものを作れば売れる時代は終わった。経済連の中西さんも日経で述べる。これは違うと思う。そんな言葉で日本人は慰められてきたから世界から置いてきぼりを食った。良いものはみんなから支持される、古今東西、今昔不変の摂理だと言うのが持論。カラシニコフは世界標準の機関銃。性能が良くて分解しやすく重宝されている、ゲリラの定番だ。なんでイスラム過激派のクルマはトヨタ?トヨタでなければいざという時に動かないから。日本のテレビ受像機産業はなぜ負けた?画質が悪く高い為。この時丁度、海外でテレビの促進をしたので良くわかるが、当時日本はLEDテレビと言う造語さえも作れなかった。日本製は重い、画質も悪く、その上ぶ厚く、画面の縁取りも広く不細工だった、さらに価格が高かった、その上画質が悪いのが致命的だった。当時、日本のマスコミは日本製には過剰な機能が付いているから高いんだと言ったが、サムスンのテレビはUSBで見られる動画の規格数が圧倒的に多く、こういった機能面でも負けていた。決して日本のテレビが過剰ではなかった。もちろん円高が競争を歪めていたが、肝心の先進の技術がなかった。その当時、日本のテレビメーカーはやれ液晶やプラズマだ、IPSだVAなどと言っていた。サムスンとLGがバックライト技術で競争基軸を変え、一気に競争の舞台を塗り替えてしまったのだ。良いものは売れることは間違いない。後日、「日経新聞の令和を歩む」を読むと、中西さんだけがトンチンカンな記事を寄稿していた。あれでよく日立を復活させたものだと感心する。草引きは中断して、筍退治。裏山、先祖様、湿谷の筍をノコギリと足で数十本倒した。その夜、チンジャオロースを作ろうとしたら、筍が必要ではないか、筍は急に言われても食べられないし、準備したものもない。結局買うしかない?それはないだろう。そこで、食感のよく似たごぼうを千切りにして対応。これが実にぴったりで、むしろたけのこよりも上手だった。僕自身結構料理の感も冴えてきている。 5月2日(木曜日) 打って変わって晴天。高知のあちこちでイベントあるも、畑の草引き、日経NE読書、英語の勉強等決まった作業でスケジュールは一杯。その上理恵ちゃんから再び電話。今は調子が良い時機らしい(調子が悪いと1ヶ月くらい音信不通)家の中でゴロゴロしててはいけないとの忠告。それに従って草引き。腰痛、1畝で終了。風呂を沸かして、高知のプールに出かける。距離は少し伸ばして1250m。次回から2kmに戻すつもり。泳いでいるときはなんともないが、翌日の疲れが酷い。ドイツオペラの予約ができないので原因を探ると、僕のVISAが限度額をオーバーしていると判明。5月10日以降の予約となる。PCソフトの整理がついたので、結構心は晴れやかだ。ドイツ旅行に一つ心配事項が発生。読書のためのiPad proの電池寿命が来て2時間ほどしか持たなくなっている。7-8時間くらいは飛行機の中で本を読むつもりだから、対応必要。飛行機は777なのでUSB充電端子はあるはずだが、航空機会社のオプション扱いになっていると装備してない可能性もある。 5月1日(水曜日) 昨日よりもひどい雨、家のあちこちが湿っぽく濡れそぼっている。外の作業は望むべくもなく、PCソフトの整理。というか、今までの怠慢のツケが回ってきたことの修復。と言うのは、同じものは一箇所にまとめて置く。これが整理の鉄則(父がいつも言っていた)なのに、PCソフトは3つの家の棚に分散されて保管している。これを一箇所にまとめ、まだインストールされていないソフトをPCに入れた。アプリの会社のパスワードがもう収拾のつかない混乱で、こちらもまとめを行った。とにかく、その時使った場所に置く習慣から纏めるのが大変だった。Windows10,MAC OS10.8は一応完了。Acrobatのみまだ見つからず探索中。どこにも出かけず、誰とも話さず自分の世界に閉じこもった。唯一のコミュニケーションはメールで、娘と息子と5月16日東京で会うことが決まった。東京コットンクラブでライブを予定していたが、息子遅くなるとの事で、船橋に変更。コットンクラブも野口五郎などの出演で質低下。行かなくてなくて良かった。今日は本当にゴロゴロしていたのに、疲れで9時半に就寝。 4月30日(火曜日) 午前中、昨日の疲れで朝起き上がれなかった。カラヤンとワイセンベルクのベートーベンピアノ協奏曲4番には参った。ピアノ、弱く弾けるのでピアノと呼ぶ。この程度を加減したピアノに寄り添うオケがぴったり。天皇に寄り添う皇后さまのような感じ。雨模様で間隙をついて草引き。カッパ市場で小夏を売っていたので購入。宝焼酎の小瓶25度を買って昼食時カクテルにして飲んだらうまいの何の。酔いが覚めると再び草引き。一枚の畑を仕上げ、次の畑。1畝終えたところで再び雨。異常気象は地球を滅ぼすのではなく、人類を先に滅ぼすだろう。それに自然災害以上に、病害虫もしくは、疫病の可能性が高いと言う。トランプさんは、地球温暖化への取り組みに対し、政府から援助金を引き出す理由をつけていると一蹴する。2075年(NHKで特集番組が放映された時代が2075年だった)から見たトランプ氏は地球を滅ぼした張本人だとレッテルを貼られた男となるかも知れない(未来があれば)。 4月29日(月曜日) 昼から雨になる予報。朝起きるとそのまま草引き。途中で空腹となり朝食、続けて草引き。結局11時に雨がやってきて仕事を終えた。この畑はまだ1畝残っている。昼食後、マノン・レスコーを見る。マノン役のカリタ・マッチェラが少し年を取りすぎかな?と思ったが、演技はなかなかどうして感動モノ。メトロで有名なのは、クリスティーヌ・オポライスとロベルト・アラーニャ。歌うには歌唱力とか演技力とか色々あるが、男は女をたぶらかせる演技と容貌のイタリア人がピッタリしていると思う。女は、ずばり媚態・妖艶の演技力があるかだと思う。これから、何度も見てストーリーを頭に叩き込む必要がある。PCのアップデートはアプリのディスクが見つからず断念。昼の食事が効き空腹来ないのでプールへ。足をかばいながら1km。久しぶりなのでこれでもずいぶん疲れた。夜も久しぶりの強烈な睡魔に襲われる。1分で夢の中へ。 4月28日(日曜日) 本来なら草取りの仕事が待っているが、今日だけは休んだ。ゆっくり本を読もうとしたのだが、理恵ちゃんからの長電話。要は、旦那がなくなって30年。それまでの苦労話が山のごとくあって、それを聞かされたわけだが。ただ聞くだけだ。たしかになかなか口に出せない家族の諍いもあって苦労されている。じっと自分の胸にしまって墓場まで持っていくには忍びないと言う心境。それに手伝いに来てくれている修ちゃん(中学の同級生)がもう帰ったから、話し相手がいないため。僕のように「絶海の孤島」に住む決意はないらしい。そんな解決策も求めてない。ただ聞くだけ。やっと倉庫のネズミの餌付けに成功したと思ったら、2食目で来なくなった。危険を感じたのだろうか?それとも具合が悪くなったのだろうか? ドイツでのコンサートは①ベートーベンピアノ協奏曲4番。②シューマン交響曲4番。③プッチニーオペラ、マノン・レスコー。自宅にある音源は①’ベートーベンはカラヤン版CD、②’シューマンはラトル版CDでいずれもベルリンフィル。③’マノンは、メトロポリタンオペラで、レバイン版がBDであったので、いずれも針を通した。問題は、オペラ。現地の字幕は英語とドイツ語。連休の間にBDの日本語字幕でしっかりとストーリーを押さえて字幕なしで楽しめるようにしておかなければならない。先日ドイツによく行く人の話によると、オペラは田舎の方がものすごく楽しいとの事、ブーイングや拍手は常軌を逸しているという。ミュンヘンやライプツィヒの事だろう。次回の楽しみだ。ステサン誌ではホロビッツ特集があり70枚のボックス版が紹介されていた。ディスクユニオンでLPを物色するのか、値引きのある今購入するか思案のしどころ。オーディオシステムの弦楽はそこそこ再生できるものの、ピアノがイマイチ。 4月27日(土曜日) 別に僕が心配しなくても良いようなものだが、興味はある。各国の財政が赤字。どの国も、お札を刷って使っている。地方自治体なども財政は赤字。もし、これが個人だったらどうなるか?働いて収入のあり、お金が回っていく間は、貸した方も回収の見込みがあるのでまぁなんとかなる。ところが、返済能力を超えた借金はどうなるだろうか?もしくは病気で倒れた時は?破産。破産すれば持ち物を取り上げられる。持ち物がなければ生きていられるだけのことは可能。昔から言われたように裸一貫だ。でも、裕福な暮らしをしてきた我々に裸一貫の暮らしがができるかどうか?ナディア・ムラド(ISに囚われた娘の実話、ノーベル平和賞受賞)の書籍を読むと、命と引き換えだったらなんでも出来ると言う。今日はまぁやんの告別式。3ヶ月前は元気だったが、誤飲肺炎で急速に逝った。96歳。死に顔を見ていると満足したような様子。3年くらい前まではナスの手伝いをしていた。この辺の爺さん、婆さんの生き方は、動ける間は働く、動けなくなったら逝く。これなら、世界の経済危機は怖くない。骨を拾って解散したのは4時半。寺尾でグレの刺身。余りにも大きな魚だったし、まだ太陽があったので、友人を誘った。彼とは最後の晩餐。大阪の友人は逝ってしまい、高知の友人は行ってしまう。友人はこの歳になっても夢を追いかけるには凄いこと。祝福で送り出してあげたい。と言うことでの晩餐会。食事の準備は刺身だけだがお互いこんな食事の時もあっただろうから文句はない。これから寂しくなる。「人との関わり合いで自分の楽しみを見出そう」と言う生き方は金輪際捨てようと思う。絶海の孤島に住む暮らしを中心にすべきだと決意した。チャンデバのクロスオーバー周波数を100hz→160hzに変更しオーディオが生き返った事も背中を押してくれる。その上、カーステレオも詰まっていたCDの取り出しができて、僕のすべてのオーディオが完璧に機能するようになった。 4月26日(金曜日) はや4月も終わる。スリランカの爆発事件は、どうも経済格差による不満分子ではないらしい。昨日の文章は誤りかもしれない。犯人の中には富裕層の高学歴のメンバーがいるそうだ。こうなると、思想だ。シリアのISの感化か。それにしても高学歴だったら、それを活かす仕事に携わっているから、関心がビジネスであるはず。さては高学歴の落ちこぼれか。 今年になって積読状態だった図書を読み始めた。まずは日経NEから。2016年版からだが(今は18年10月まで来た)、全編通じて主題はIoT とAIだが、先のIoTはその後3年が経過してもまだ我々の身の回りに具体的なものが見えてこない。世界中で、優秀な人々が知を競っているがまだだ。これはいったい我々の生活に、仕事にどんな影響を及ぼすのだろうか?不安でもあり期待でもある。もはや年金改革は早急の事だし、経済の仕組みが変わり、日本が世界から置いていかれると、年金が途絶える可能性だってある。それが今すぐ起こるなら、体が動ける間は対処しようもあるが、動けなくなった段階で厳しい試練を迎えるとなれば、難民にならざるを得ない。 今日はまぁやん(正枝)の通夜。親族の筆頭であるから、花輪も手配した。母に恥はかかされない。坊さんは飲むとからかいの的だが、今日は厳かに勤めた。その後お客。僕は風呂を焚いてないので(今日は風が強くもしものことがあってはいけないので火は使わないため)安芸の銭湯にゆくため少し早く席を立った。ギリギリでセーフ。カーラジオは盛んに平成最後の云々を言っている。今までは西暦で紹介していた音楽も、今日は平成で紹介している。こう言う軽いノリは僕の軽蔑対象だ。地に足のつかないのは、まぁやんを始め、赤野の親類も長谷寄の親類も皆んな好きでない。 4月25日(木曜日) スリランカの自爆テロはイスラムの犯行と報道された。世界の不満分子を養分として成長するテロ組織。アジアでは随分とイスラムの人と接したが、イスラムの人は概ね勤勉ではない。マレーシアではイスラムをある一定の歩合で雇用しなければならない法律があり、雇用はするが、勤勉さからどうしても中華系の人と差がつき、駐車場のチケット切りなど、単純な仕事を与えざるを得ない。と当時聞いたことがある。お祈りの時間も仕事を抜ける事になり、他の人たちと生産性が違う。それが収入の差となり不満につながる。どんなに政権が経済を運営しても、勤勉さが戻らない以上、経済格差は開き不満は募るばかり。中国なんか、夜も寝ずに仕事をしている人が億単位でゴロゴロしているから、これからはますます差がつき不満が溜まるだろう。イスラムの人が皆んな怠惰と言うわけではないが、国際社会の中で十分に仕事面で戦えるかと問わればNOの確率が高い。ただ、イスラムの規律がゆるいインドネシアは殆どがイスラムだが、勤勉だ。断食のダマラン時でも地下街は太陽がないので、日没を待たずに食事をしても良いとかの解釈がある、微笑ましい光景を見たことがある。今日はスピーカーの足であるコンクリートブロックを外しオーディオインシュレーターに変更した。低音の量感は増えたが、抜けが悪くなった。全体の音質は向上するものの、ハイレゾがまだ復活しない。高域がシャリーンと抜けてくれない。CX-A5200の限界か?午後から草引き。夜はNASのハイレゾソフトの整理。今夕は、本来、財産区の総会だったが、おばさんの通夜があると思い断った。 4月24日(水曜日) 雨。昨晩の残り湯に入って本を読み終えた。11冊。過去の記録では、月間19冊が最高。午前中膝の注射。注射は痛くて痛くて、でも、完治するまでは必要。昼飯に友人の送別を兼ねて、海の見えるレストランで食事。彼は、こう言うお洒落なレストランが好きだ。(僕は、高い、量が少ない、あまり美味しくないので嫌いだ)就職先はあまり何も決まってないのに行くらしい。何度も話を聞くが、いつも同じ内容なので、多分最初のオファーから話し合いをしてないのじゃないかと推測した。まぁそれによって生計を立てるわけじゃなくて、趣味が活かせるかどうかの問題で、合致しなければ戻れば良いだけの話だから、真剣味がないと言えばそれまで。ベルリンフィルのチケットは会社の人にお願いをした。帰りに親類のおばさん所によれば、母の従姉妹が無くなったと、そこでよもや話をしている間に電話があった。帰って、ステレオの電源の極性を全て一致させ、「定位が明確」になった点だけを確認し、赤野にある亡くなったおばさんの家に行った。顔色はよく何だが息をしているような風切り音が聞こえた。結構声が大きく煩いおばさんだったが、今は静かだった。赤野の親類は皆んな揃っていた。96歳だったから皆んなに悲壮感はない。飲み始めたので、僕は退散。南国市の本屋に行って注文の本を受け取る。帰って、シャワーを浴び調整したステレオを聴く。インバルのショスタコ5番「革命」インバルはマーラーのチクルスを終え、今度はショスタコに挑戦した最初の録音。音質は低い方にやや問題があるものの、広がり、弦の艶、各楽器の定位、解像度は充分。明日は、スピーカーの台をコンクリートブロックから、オーディオインシュレーターに変更して低域の改造を図るつもり。 4月23日(火曜日) 午前中に健康診断の申し込みとか(何と6万円もかかる)、手紙の確認とか、ホームページの更新とかを行なっていると、高知の友人が訪ねてきた。いつも不意の来襲だ。今夕、都築さんの送別会をするつもりか?聞けば、そうではなく、昼から家でビールを飲むと言う。その方が、僕も胃を休められるから有難い。25日には村の飲み会があるからだ。アンプの更新でLPレコードの再生が全滅した事を書いたが、それはテクニクスのヘッドアンプ305MCを使ったため。これを外しアンプに直結し、MMカートリッジ(205CX)に変更して、やっと元の状態に戻った。余った、オヤイデのケーブルを、プリ(ヤマハA5200)とチャンデバ(パイオニアD70)間に使えば、少しだけ鮮度が上がり、ロストロポーヴィチのチェロが息づいて来た。もう少しだけ鮮度が上がればなんとかなるところまで来た。昼から再び草引き。明日は雨だから、膝が痛くても我慢して先に進めた。夜見た、バスでベトナム縦断(ハノイ→ホーチミン)の旅NHK放送は、大変好奇心を掻き立てられた。僕は9月ごろベトナムに行く予定をしているから、チャレンジしてみるのも悪くない。ところが、今日は後半を見て、番組の最後にこれは2003年の取材。今は高速道路ができて様変わりしていると案内。酷くうんざりするバスの旅はできなくなっているようだった。とりあえず現地に行って確認。それから決めよう。 4月22日(月曜日) ![]() スリランカの自爆テロ。僕はスリランカに何度も行って、しかも国が解放された直後から行ったので、軍人が警戒している中での旅も経験した。また、洪水で空港までバスが行けず、途中から軍用トラックで運ばれたこともある。宿泊したホテルはシナモングランド。地下にあるレストランは崖にあり、そこは地表だ。入り口で部屋の番号を告げ、テーブルを決める。そうするとウエイターがコーヒーか紅茶か聞いてくる。(僕は断然コーヒーがうまいと思った)それから、ビュフェ方式だから自分でチョイスしてくれと言う。いいホテルは大体どこもこんな感じだ。アジアの出張はいいホテルに宿泊するので、食事が豪華だし、何よりも果物が豊富。覚えきれないのでいつも聞いていた。スリランカのメインはカレー。となりのインドから来たタミール人が多いから必然的にそうなる。窓の外は、熱帯のブーゲンビリアが咲きほこり(一年を通して)強烈な太陽光線を遮っている。そんな光景の中で、爆発が起きたと言う。レストランのすぐ向こうは真っ青なプールがあり、毎朝管理人が飛んでくる落ち葉を網ですくっていた。この人はカメラの画質比較の為モデルになってもらった経緯から、すごく親しくなった。日本から、とらや羊羹のお土産を持っていたこともある。爆発があったとすれば、この管理人の所にもガラスの破片が飛んできたかもしれない。もっぱら僕は6時半から食事をしてたから、自爆犯が狙う時間帯はその場にいないはずだが。 4月21日(日曜日) 天気良好、お客さん少なし。こんな天気の良い時、建物の中よりも外へ行きたいものです。その気持ちわかります。何人か集まったところで、僕の選定する音楽ばかりを演奏した。大概の場合、お客様の足は止まる。再生する音楽にはストーリーがあるのでこの作業は結構疲れる。このストーリーをいつもは解説するが、今日は解説無しの手抜き工事。それでも出て行かれる時は丁寧なお礼。イタリア人も来た。彼らは英語と日本語を話した。ドイツ行きにつき、バレンボエム研究が必要だ。クラシック音楽は長時間のリスニングが必須で、時間がなく苦しんでいる身に拍車がかかる。東京行きの日程が決まった。映画館(川崎)、ライブハウス(青山)、秋葉原、美術館(上野)、行くところは限られている。 4月20日(土曜日) 奇遇です。LPレコード13000枚、CD8000枚を持っているお客様来館。話を聞けばクラシックファンでドイツによく行くと言う。なんと、僕の行く2日前にドイツに行って同じバレンボエムの演奏を聞くと言う。後で、感想を話し合おうと言われた。もっと話を聞けば、元松下の社員。理事クラス。僕の最後の上司M本部長もご存知だった。チケットは早く買わないとなくなるよと言われたが、日本でEチケットを申し込めなかった。なんとか方法を見つけなければならない。今日来られた女性のお客様はビートルズを聞かれて涙を流していた。ハイレゾで聞くレットイットビーはかなり感動です。今日の日経新聞に「全ロック史」の書評があり渋谷陽一史の書籍でロックの系譜に目覚めたから、一応目を通すべきものだろうと購入。ついでに小川陵夫/ジャズ名盤研究が隣にあったので購入。先週N氏からJAZZの本2冊いただき、少し積ん読気味。平日の午前中1時間を読書に割り当てが必要。英語の時間割り込みもあって自由時間がなくなってきている。 4月19日(金曜日) 出かける日。アマゾンから、IECのプラグ(Viborg社VF-511(R))が届いたので、PC用の電源ケーブルを外し交換したら、すごく音が良くなって、LP演奏がこのシステムで使い物になる様になった。クラシックもいける。時間がないので、一応チェックだけ。おそらく今がピークだと思うので、蓮華ばたけをEOS5Dで撮影に出かけた。ここでお寺のせっちゃんと会って、今後のサトウキビ、赤つくね芋の事を相談する。余った30分で草引き。K氏の奥様から丁寧なお礼状をいただく。出発。道中、書籍「恐怖の男トランプ」を読み終える。作家はボブ・ウッドワード。氏はウォータ・ゲート事件を取材してニクソンを辞任に追い込んだ記者。トランプ氏は、もうめちゃくちゃ。司法長官のコミー外しも、中国への貿易制裁もトランプ氏にとってはストレス度に差はない。思いつきでテキパキとやっている。その様な感じを受けた。テキパキとやってない時はテレビにかじりついているそうだ。大阪へ来て、HISで切符を手配。これでドイツ行きが決まった。クラシック音楽、ビール、ソーセージ。今回は以前にも増して英語のレベルを上げておかないと困ったことになるかも。 4月18日(木曜日) 今日は忙しい。晴天なのでシーツの洗濯。家の清掃。草取り、ここで友人が来て手伝ってもらう。昼には蕎麦を打ち、友人は喜んでくれた。昼一に役場へ。財産区の会議。芸西村が貸し付けてあるゴルフ場への土地が昨年の大雨で流失。修復に1400万円必要との事だったが、最近になって工費の追加が避けられない、それも1800万円も追加で必要と言うので、緊急招集がかかったわけだ。結論は、決まった予算を覆すのは出来ないと、交渉の窓口を閉じた。その後思うのに、実際見積もりをした業者が工事を行おうとすると、1400万円ではどうにもならないので、理由をつけて泣きついてきたのだろうと推測した。急いで帰り、懇親会の準備。友人の送別会だ。目出度い「鯛」を塩で包んでオーブンにかける料理を振る舞った。肉は牛乳とマイタケで予め漬け込んであったので、柔らかい肉を食べられた。料理は手早くさっさとできるようになったので、3人くらいの懇親会は全く滞りなく料理の提供ができた。息子が帰ってくるとこうは行かなくなるのでこれが最後と割り切った。 4月17日(水曜日) 嫌なことはさっさと済ます。最近の信条だ。朝一番に医者に行き、膝の注射。ついでに、右足の向こう脛が腫れて痛くなったので見てもらう。骨には異常なしとの事。親類のおばさんは、静脈瘤ではないか?もしそうだと、血管には自信があったが、この1ヶ月あまり、水泳など過度な運動を控えていたので、血管内部にゴミが付着したのではないか?いやなことだ。昨日着手したオーディオの正体がだんだんと判明してきた。CDでジャズを聴くにはすごく良いが、CDやLPでクラシックを聴くには冴えない音。また、ジャズもクラシックも、ハイレゾは全く良くない。そこで、SU-C2000に復活してもらい、まずハイレゾはデノンDNP-N2500EとSL-1015を接続、CX-A5200とつなぎ変えて聞くこと。クラシックのCDは別システムでデノンPMA-2500NEとビクターSX500で聴く事に決めた。残っている作業は、①電源の極性の未チェック。②オヤイデの電源ボックスに接続するIECインレットプラグを新調(今はPCの付属ケーブルで代用)③SB-M01のスピーカー端子にバナナプラグを使用。予備で、ヤマハのCX-A5200の電源コードをサエック製に変更。今のところこれしかオプションがない。CX-A5200にWiFi接続し、NASからハイレゾ再生。最初はモニター画面が必要だったが、fidataのアプリをiPadで使えることが判明。DSD11.2Mhzも難なく再生(しかし音質はデノンに比べるべくもないほど悪い)まぁ、悩みが一段と増えたわけであります。午後は、さとうきび畑の草引き。2つの畝が精一杯。腰が痛くなり断念。明日友人の送別会なので、明日の献立を購入し、一度試食。失敗もあり、反省材料に。寝る前にアルバンベルクのベートーヴェンをPMA-2500NEで聞く。なんとも言えない艶にのめり込んでしまった。こちらをクリプトンに変える手もあるなぁ。 4月16日(火曜日) シマムセンで鈴木さんに相談して買った品物が届いた。30万円位買ったかな?まずは評価。スピーカーケーブル。これは、高域が沈んでしまった。今まで使っていたのが良い。取り敢えず馴染む事もあろうかと低域に回しエージング中、評価ゼロ。平衡ケーブル(Wire world社Oassis7)、これはソニーのCDプレーヤーES7XとSU -C2000の接続。定位がビシッと決まり、びっくり。1万円以上の効果。評価=5。AVプリアンプCX-A5200。今まで聞こえてなかった音が出てくる部分もあるが、LPの分解能が下がり、超低域がなくなった。CDのジャズは良く鳴った。YPOは効果なく、デフォルトが一番良かった感じ。やっぱり、ステレオはステレオ専用のプリが良いという事か。チューナー内蔵なので、ST-S8を外した。FM放送にヤマハ独自のサラウンドを入れると面白い音になったが、だがこれは亜流。結局こちらの評価=3。オヤイデの電源ボックス(MTS-6)、ホームセンターで買った電源タップと入れ替えたが、評価=0。フォノ入力をテクニクス503MCに変更しトランスからのケーブルをオヤイデ(Across750RRV2)を使ったが、前述のようにLPは全滅。半日オーディオ導入に費やし、スッキリしない面持ちで、畑の草取り。隣の畑の手入れに来たまさのりさんが、芋を分けてくれると言うので、畑を耕して植え付けした。1芋700円くらいで販売できるらしい。今年は大きく太らして、株分けし、来年沢山の植え付けをして、販売しよう。まだ田畑は沢山残っている。まさのりさん曰く、「おまん砂糖で儲けて御殿を建てると噂が出ちゅうぜよ」 4月15日(月曜日) 高知は強い日差しが照りつけていた。これで風さえ無ければ正に夏だ。友人の家に寄ったら、山梨へ転勤の準備をしていた。ますます寂しくなるねぇ。心から語れる人が身近にいなくなるねぇ。自分をしっかり持って本と音楽にかじりつき、息抜きに外国へ行って音楽を聴きカメラをいじり倒す。自己完結の精神が必要な「時」を迎えたという事だろうか。今月は既に6冊の本を読んでいる。この調子かな?洗濯をして、タケノコ掘り。風呂を沸かし、サトウキビ畑の1枚だけ草引き。背丈2cmの草がびっしりと生えて来ている。今回は5cm以上の目立つ分だけ抜いた。来週からはこんなもんじゃないだろう。夕食を終え、マドンナの宝石/サバリッシュ/バイエルン放送交響楽団をポータブルCDプレーヤーCT800にデノンDC10のポタアンを接続し、ビクターのヘッドフォンMX100で聞く。非常に繊細で気持ちの良い音。ゼンハイザーやB&Wのヘッドフォンに変えてもこの繊細さは出なかった。いつまでも聞いていたい音。これなら、大金を使ってステレオシステムを改造する必要はサラサラないではないか?と反省の声も内から湧いてくるが、買ってしまったものは仕方ないとトランプ流に前向き姿勢で抑え込む。 4月14日(日曜日) 昨日のつづきの話、N氏に本をもらった。寺島靖国氏の著書。氏の本は面白い。それに、推奨する音楽は僕の好みにも合う。澤野楽器の音楽は好き、嫌いこもごもだが、寺島氏のはいい。N氏はAmazonで間違えて2冊注文したとの事。人ごとでは無い。僕もあるから。今日は来客が少ない(雨の為)が、相談事が多く、1件あたりの時間長く、一日中忙しかった。ドイツ人からもメール返信が届き、ハーモニアホールから近いホテルに決めた。おススメもあったが少し遠い(森の中を抜けて徒歩30分、夜の森はちょっとねぇ)ので敬遠した。選択したホテルは、ベルリンの壁の隣にあるし、ショッピングモールの中にレストラン街もあるようだ。久しぶりに英語のメールを書いた。昔は結構日常的な事だったが、すっかりと筆が鈍っていた。その他にノルウェーのお客様にも接したが、シベリウスに興味はなかったようだ(シベリウスはフィンランド)僕にとっては、ノルウェーもフィンランドも同じ、四国に対する九州のような感じだが、きっと彼らは違うのだろうな?その辺の事情をまだ聞く能力がない。アメリカから来たサンフランシスコの科学者(同行の日本人が紹介した)はクィーンを聞いて、首を前後に振っていた。このように、外国人の訪問も多彩だが、外国人の目で見たショウルームもグランフロントも、もっぱら日本専用って感じだ。HISで切符の見積もりを取ると22万円。JTBのホテルパックと同じ。ただし、ホテルの場所が随分と違う。来週購入予定。息子からメールが届き5月30日に帰るとの事。男二人の生活はギスギスするだろうなぁ。 4月13日(土曜日) 今日もいろんな人に接したが、特筆はドイツ人。ベルリンから来たと言う。なんたる奇遇。ホテルを紹介してもらう事にした。あんまり、英語ができなくてすみませんとこぼしていたが。前回のアメリカ行きの時も、アメリカ人のご夫婦にマンハッタン事情を教えてもらい、大変参考になった。今回もお世話になるつもり。ホテルに帰って調べてから送りますとの事でした。その夜、大阪にいる友人の一人であるN氏と心斎橋に行った。ジャズライブだ。その建物に入るとその店は記憶の底から浮かび上がってきた。ここは前に来たことがあるぞ。ジャズマンは日本人で、ボーカルが一人女性。僕としての音楽選択基準は人から評価された有名人であることだ(自分が正しい評価できないから)だから、今回は酒を飲むのが目的で音楽は次の位置付けだった。話はこの1-2年前から遡ってスタートするのは、会って飲むのはそのくらいの音信不通の時間があったからだ。話は飛ぶが、その後帰ってTVをつけると、極道の宿泊するホテルの支配人の特集番組があって、肝の座った女支配人が登場していた。実は、N氏も同じような雰囲気の持ち主で、小賢しいことは嫌いな人だ。(僕は小賢しいが)いつもとは違った雰囲気で会話を楽しんだ。と言っても、話題の範疇は、車、音楽、カメラに限られるけど。ドラムスは良い、実に良かった。名前は記憶できてないが。 4月12日(金曜日) やっぱりと言うか、当然と言うか、セブンイレブンの成長が止まった。井坂氏にバトンタッチした結果イノベーションが途絶え、先が見えなくなった。社内では鈴木敏文氏は確かに煙たい存在だったろうが、経営者としての嗅覚があった。「店舗なんか見なくても良い、数値さえ見ていれば解る」と言った。“いさかしはいささか”不適格だ。取り締まり役の経営陣は反省しなければならないだろう。数値を読むのは今をときめくIoTの考え方の元となるもの。逆に言えば、数字を読む力がなければ、いくらIoTを導入しても何にも生かせないと言う事。多分設備費用のかけ過ぎでIoT倒産などが出てくるはず。昔POSレジ倒産もあった。僕が日本橋を担当している時90年代、POSレジをいれた店があった。その店はそれがために大変苦しんだ。相変わらず手書きの伝票でやっている共電社など最後まで残った。小池社長は「売ることに、売れ筋を仕入れる事に頭を使わんかいな」と言った。その時は、浪速の商売人の根源を見たような気がしていたが、当たり前の経営者の判断、難しいことではないと今は思っている。しかし、当たり前の経営は難しい。物議を醸し出すトランプ氏は結構当たり前の主張が多いのがなんとも不思議だ。シマムセンで、AVのリスニングルーム補正の効果を確認しに行った所、S氏にいい値段を出してもらって結局ヤマハのAVプリCX-A5200を買う羽目に。予定外の出費。社長に挨拶したら、5月ドイツに行くらしい。僕も行くぞ。 4月11日(木曜日) 明日の出発のため、風呂、廊下、台所、トイレ、自分の部屋、離れのAVルームの清掃。昨日の風雨による笹の飛来に庭、裏庭も掃き掃除。やっぱり家が片付くと気持ちが良い。何よりも落ち着く。結婚して後、東京から単身赴任する2008年までは整理のない家で落ち着かなかった。一人で生活するのはなにかと効率が悪く大変だが、事、清掃に関しては、自分の納得行くまで清められるから落ち着きようが違う。これこそが僕の目指す癒しの一つだ。その後、畑や庭など草が猛威をふるい始めたので、除草剤を散布した。来週帰ってきた時には、かなり見通しが良くなっているはずだ。車で買い物に出た時、アルバム「マンドンナの宝石」サバリッシュ指揮、バイエルン放送楽団のCDを演奏した。中々の好演だが、解説書を読むと、第一家庭電器の記念品だ。その頃は東京の広域量販店はこの店が筆頭だった。その後に、ラオックスとか、石丸が続く。なんとこの店は独自規格でCDまで製作してたのかとビックリした(150タイトル)。しかも、そのCDは金メッキで光の反射率が良く音も良いとされている特別版だった。先にあげた家電量販店は今では全て無くなってしまった、こうした現実を考えると昔はまだ競争に余裕があり、ゆっくりと構えていられたんだなぁと思う。ローマの時代の建物と同じ事か。今のビジネスは全く糊しろが無く、店と客の関係も希薄になっている。一方でアマゾンから購入したCDが届いた。Woogn Sanのアルバム。夕食の後聴いた。素晴らしい。ハイレゾでなくてもここまで出るか?的な音質。あっと言う間に54分が過ぎる。ウーハーなんかもう50年は経過しているにもかかわらず、この音かよ。オーディオをやっていて良かった。 4月10日(水曜日) 夜中に目がさめると雨が降っていた。天気予報通り。昨日の作業は疲れたので、9時間の睡眠。軽めの朝食で病院。未だ未だ完治には時間がかかりそう。今日の注射は痛くて、しばらく歩けなかった。雨も上がり、家に続く道(私道ではないが、我が家専用の道みたいなもの)をびっこを引きながら清掃した。僕が除草剤で蔦を一掃したから、もうすぐこの道は大雨でがけ崩れの災害が発生するだろう。昼までにはヤフオクのアンプが届くはずなので、それまでジョンアダムス+ベルリンフィルのなんとも意味不明な音楽を聞く。CD4枚組の大作だが、癒しにも、高音質も何にも期待できない音楽。16000円は高すぎた。そして、オンキョーのM509が届いた。運送屋さんは軽そうに持っていたので、僕も同じ調子で持つと、とてつもなく重いアンプだった。早速高域用にセットした。第一印象はキツイ。前のSU-AX920が結構健闘してたので、がっかりだ。気を取り直して、このアンプを低域に回し、SE-A3mk2を高域に変更したらきつさが収まった。しかし、低音とのつながりの違和感は残る。ここは、AVプリの導入でマイクによる音場補正が必要だと思ったわけ。結構オーディオ評論家もAVプリの活用は多い(ヤマハやパイオニアを使っている)今日は何にもしない予定だったので腹も減らず、午後5時には終いをつけて、シアターで「アベンジャーズ」(続き)を見た。やっぱり理解できなかった。要は、3組の正義の面々が3箇所で別々の負け戦をするが、最後に1箇所に集まりなんとか互角に持っていけたストーリー。宇宙でマスク無しに生きて会話ができるなど突っ込み多く大雑把な仕上げだ。その後、コブクロのライブを少し見た。目の前にいっぱい広がるコンサート会場はまさにライブ会場そのもの。あの気難しいSB-MX200DをパイオニアのアンプLX89の補正は完璧に支配下に置いて素晴らしい音質に仕上げている。この人たちを理解できる友人と見ればもっと楽しいかも(いないけど) 4月9日(火曜日) ![]() 4月8日(月曜日) JRで帰りの指定を取って葬儀場へ向かった。時刻が早く樟葉のガード下にある喫茶店でジャズの歴史の翻訳の時間調整。ところが、何と何と、この喫茶店ではJAZZが流れ、それも60年代の隠れた名演が次々に流れるのだ。有線との事だがこのプレイリストを組んだのは相当の強者。アップル・ミュージックのプレイリスターでも及ばないものだった。何曲かは書き出しスマホに留めた。式場ではK氏のもう一人の友人O氏も揃って、僕ら仲良し4人組が完成したのだが、一人はもう物言わぬ人となった。2011年頃、京橋の安居酒屋で何回か懇親したのがもの言う4人組が揃った時だった。祭壇は幅5m近くある立派な設えで、お見送りをするにはご家族としてこれ以上はないものを企画された。氏は家電量販店との商談窓口の仕事をされていたので、その関係者のお名前が分からず放置していたが、数名の方がご出席くださり上手く収まったような気がした。最後の喪主の話がとてもよく父の特徴をうまく表現していた。涙を頂いた。終了後電車を乗り継ぎ3分の余裕を持って新幹線に乗った。夕刻5時半に到着した。その直後、K氏奥様から丁寧なお礼の電話を頂いた。その夜、Dvořákの新世界を聞いた。Claudio Abbado、Herbert von Karajan、Rafael Jeronym Kubelikいずれも演奏はベリリンフィルハーモニーだが、演奏は全く違う。Rafael Jeronym Kubelikが一等地抜けた演奏だった。氏は新しい世界に旅立った記念の音楽だ。 4月7日(日曜日) 昨晩は臨時応援の調整で、代理を頼むことになり、お通夜の為午後3時から職場を抜けた。場所は樟葉。京阪電車は僕の人生の中にしっかりと染み付いていて、記憶の底にある風景が、車窓に広がる映像に一致した。K氏のご家族とも面会し、亡くなった友人に対面した。痩せ衰えた顔で眠っていた。彼は、1番の友人である僕のことをしっかりと考えてくれていて、大阪に来たタイミングで逝った。全ての対応が出来るような計らいの日程で。僕は、物言わぬ意識と言うものについて、今回大いに考えさせられた。U氏と一緒に受付に立った。800名を越す弔問客でこんな受付をしたのは初めてだ。野球関係の方が多かった。K氏は少年野球に40年近くも関わっていたのだ。その卒業生が次々と訪問された。通夜の6時開始に対して、5時半から7時半まで途切れなく続いた。彼が渾身をかけた野球人生を垣間見た。晩年は生きる望みを失っていたようだと僕は思う。全ての行動が緩慢になっていたのだ。初孫が生まれやや生気を取り戻した感もあったが、転換点にはならなかった。毎週1回は30分ほどの電話通信で、定年後はこれがずっと続いていたのでよくわかった。でも、病気による体力の減退がそもそもの原因かもしれない。意識よりもまずそれを支える体力が気力を落とすのは理解できる。結局K氏はこの日を目指して邁進してきたわけで、今思えばその道のりが手に取るようにわかる。受付で疲れていたが、このまま帰るにはやるせなく、U氏の家に行って酒を飲んだ。(車を運転しているため)生駒の高台にある豪邸で(周りの家も)庶民とは違う所に住んでいた。ウィスキーでバレンタイン17年(18年?)の封を切って飲まして頂いた。K氏を偲ぶ話をするのではなかったが、だらだらととりとめのない話をして終電近くまで滞在しホテルに帰った。どうしても必要な酒だった。 4月6日(土曜日) ホテルから職場までの徒歩もこなせるようになった。今まで万歩計は、1日の運動量を測るものとして、使い、足りなければ、ホテルの周りを何周かし、数字のつじつまを合わせた(12000-13000歩になるように)ところが今は、万歩計が10000歩を超えないように、足をいたわるつもりでチェックしている。もうエスカレーターの上は歩かない。それで、食事も減らした。朝も昼も。食べたいのに食べないのはしんどい。そうやって自分なりにはコントロールしているつもり。ところが、あまり節制しない友人が2人いて、その一人の訃報が届いた。残念である。手折れた時から覚悟はしていたが、少し病状が回復した知らせを受けていたので、後2年くらいはこのまま続くのかと思っていた。実に残念である。しかし、管を体の中に通した人生も考えようで、早く楽をさせてあげたいとも思う事もあった。父の時も無意識に嫌がっていたからだ。寿命はコントロールできない。神様が決める。毎日破裂しそうな爆弾を抱えて暮らしているようなものだ。出来るだけ動ける間にやりたい事をやっておこう。そう考えるしかない。外国行きもその一つだが、なかなか言語の習得が付いていかない。今日、1年間のラジオ英語の最終回を聞き終えたが、内容はかなり遠い存在だった。もうちょっと時間を割り振らなければというのが結論。でも、どうやって時間を割り振るのだ? 4月5日(金曜日) 坂口安吾の107000ページをやっと読み終えた。俯瞰して、彼はこう言う傾向だと評価するのはできるかもしれないが、ある1冊を捕まえると、今までの言い草とちょっと違ってはないか?と思えるところもある。終始一貫してないのだ。それが、「ホモ・ディウス」によれば、人間は分割不能の個人ではなく、いくつかの、不安定要素を持った意識だと言う。まぁそれも結局はアルゴリズムの中に収斂されてしまうとなるのだが。とにかく坂口氏の著書は良書悪書が混濁で、読むのに骨が折れた。もう二度と読むことはないだろう。並行して読んだ、もう一冊の書籍は衝撃的。アルゴリズムとは多くのデーターを集約してまとめたもので、全てのものにアルゴリズムがあり、それはすべてのもので共有化されると述べる。そして、人間もアルゴリズムにより置き換えられる。もしそうなった場合、人間の存在価値はあるのか。今まで、サピエンスが他の動物たちに行ってきたような施しを、アルゴリズムが行なっても不思議ではないと締めくくる。一度読むだけでは本書の真意は理解できない。近年これ程の衝撃を与えた本はないから、もう一度読む価値はある。僕の生き方を変えた良書だ。 4月4日(木曜日) 山の杉林で倒木を切断し、切り出した。重い上に、下りの坂道で膝に負担が来る。花粉も凄く、鼻水が出る。膝に痛みが出てきて休憩。無理はいかんが、なんとかここだけは仕上げたい。サトウキビの釜焚きに使う木材は、200kgで1立方メートルの薪が必要。この計算で行けば、10立方メートルの薪が必要で、未だ目標の1/10しか集められてない。今急いでいる理由は生木を乾燥させるため時間を要するから、11月に使おうとすれば今切り倒すしかしかないのだ。しかも、森の中は蚊が発生する前までに始末をつけないと飛んでもないことになるからだ。今日は午後4時に切り上げ、風呂を焚きながら、台所の拭き掃除。これは毎週金曜日の作業だが、明日は移動日で、朝ゆっくりしたい為。夕食の買い物は行かず、冷蔵庫の残り物で済ます。今週はずっと晴れで、作業も進んだ。まだまだやるべき作業が残っているから良いようなものの、それを終えてしまうと趣味だけの世界に走るのだろうか?もっともこの先、膝が悪いままだとそんなこともありかな? 4月3日(水曜日) 父の命日。花としきび。ついでに神様の榊もお供えした。フルト・ベングラー、ベルリンフィルのSACDセット22枚組が届いた。35000円。録音は古く、音が悪いのに聴かせる演奏。ベートーベンの交響曲は、作曲家の意図が見える演奏だ。他の指揮者の演奏は、作曲家は作曲家の意図があり、指揮者は指揮者の意図があるのを分けて聴くが、フルトベングラーは違った。生憎とSACDはプレイステーション3しか再生機器がなく、離れの家で、SUA200とヤマハのCA1000で聴く。それでも感動する。併せて、この日、ショウルームのお客様さんが自分で焼いたCDを送ってくれた。FM放送からのダビングだ。こちらも音質はそこそこだが聴かせる厳選された音楽だ。僕は普通の人と違う生活を送っているので、当然ながら時間が不足する。それで頑張るからかえって疲れる、疲れるから寝ている時間が長い。それで忙しいのに拍車がかかる。抜け出せない。 4月2日(火曜日) 天気が良い間にすべきことは沢山あるが、膝に問題を抱えてからは、余裕があるのに思うように動けないもどかしさがある。今日は膝をいたわり、沖の田に倒れかけた梅の木の回収に行った。この梅の木は、隣の畑のものだが、我が地に覆いかぶさるように密生してきていたので、除草剤を注入して枯らしてしまった。そしたら、その持ち主が口では言わないが、その木を全部我が畑に放り投げたと言うわけ。僕は、これで良かったと思っている。その木を切り刻んで風呂に焚けるし、大きな枝はサトウキビの煮込みに使えるからだ。夕刻、友人3人が集まった。我が家で送別会を挙行する。メインは鶏肉で、牛乳に浸し、オーブンで焼くと柔らかい肉が完成した。我ながらよくやった。ニラと豚との炒め物、鳥の砂ずりとニンニクの圧力鍋での塩煮、など結構美味かった。これで約3000円の総費用、外で食べる分と比べると大節約だ。それに野菜が多い。気になるのは、高知の友人K君で、朝ビールを2-3本、昼1-2本、夜もビールとウイスキーと、酒が切れてない生活をしていると言う。肝臓が検査では白く光っていると言う。どこかで酒を断たなきゃと思っているがと言う。勿論友人の忠告や奥さんのアドバイスを聞く耳は持たない。その彼の従兄弟にアルゼンチンタンゴの歌手がいると言う。4月20日に高知でリサイタル。 4月1日(月曜日) 横並びが好きな日本人は、その特質を農耕文化より受け継いでいる、いわば本能だ。それを、働き改革では悪の根源のように扱う。先輩が後輩をいたぶるのはパワハラだと決めつける。超えてはいけない一線はあるがある程度の許容は必要だろう。それがないために、ノイローゼで第一線を退く輩が増えたと聞く。その数が結構多く、産業医の仕事は健康管理よりも、精神治療窓口としての役割が多いのではないだろうか。職場には「和」が必要だが、働き方改革はそれを否定するかのような個人の自立を求めている。新元号と相反する動きだ。OJTはもはや不要。自立したプロが必要。もっとも、ビジネスはグローバルで戦いが繰り広げられるので、どの国もある程度の落ちこぼれは仕方がない。貧富の差も拡大するのもやむを得ない。その覚悟が今を生きる人には必要という事だろう。今、日本人の新入社員にはその覚悟はあるかな?新興国の落ちこぼれ組にトルコとアルゼンチンがある。一つは政治が招いたものだが、一つは国民の生き方そのものでもあるはずだ。6月のドイツ行きは延期して、まずはトルコを見て、その国民がいかにして戦いの舞台から降りざるを得なかったのか感じてみたいような気もする、治安が良ければの話しだが。 3月31日(日曜日) ひとりの親友を失った。親友が欠ける寂しさは徐々に衝撃が強くなる。そして、もう一人、近所の親友がここを離れる。山梨県でオートキャンプを運営する仕事に就くのだ。この件は、失うわけではないが、日々気の向いた時に話せる機会の喪失だ。もう高知には、一人しか友人が残ってない。いや、一人でもいれば十分だとも言えるが。そして、親類の求君から、まあやんの危篤を知らされた。96歳。写真を拝見すると痩せていた顔はむくみ腫れていた。一度逢いに行かないかんと思っていた矢先だった。今年の春は僕の故障と言い辛い事が多くなりそうだ。今日は芸西村の花見。友人を誘って行った。昨年は花も終わり、すっかり葉だけになっていたが、今年は、殆どの桜が蕾のままだった。時期的には1週間以上の差がありそうだ。夕刻、芝の山に、サトウキビで焚く薪を取りに行った。ついでに、おていちゃんの文旦を貰おうとすると、本人が居て、この木の世話をしても良いのか尋ねるとどうぞという話。草刈りや剪定など手を入れて、今年は美味しい文旦を山ほど食うぞ、と決意した。薪は重く、カゴに4杯で断念。蚊の出てくる今月中旬までが勝負だ。夜は、坂口安吾の小説。107000ページの103000まで読み進んだから、一気に勝負と頑張っている。一人の作家の本を全部(444冊分)読んだのは今までかつて初めて。村上春樹もおおよそは読んでいるが全てではない。五木寛之もよく読んだが、1980年以降は読まなくなった。こうして、読んだ本を作家別にまとめてみれば、自分の嗜好が見えてくるというか、自分の嗜好がその作家によって形付けられたのか見えてくる。ちなみに、音楽はマーラー、バッハ、モーツァルト、ベートーベンの順。本と音楽は第2の友でこちらはまだまだ長く付き合えそうで安心していられる。 3月30日(土曜日) さらに衝撃的な事実。「アルゴリズム」について。例えば、マクドナルドに行ってハンバーグを注文しますね。サイドメニューは?ドリンクは?マニュアルに基づいた対応。これを単純なアルゴリズムと呼ぶ。人間の多くの活動がほぼこのアルゴリズムに基づいて行われている(外科の手術も包含される)これはロボットに置き換えられないとは誰が明言できる?と著書「ホモディウス」は書く。おおよそ人間の仕事の90%以上がロボットに置き換えられるという。日本政府はAIの教育に取り組み事を表明した。AIとは、すなわちアルゴリズムに置き換える事。日本は人手不足でロボットに置き換えて解消しようと、まずはレジに投入する、と新聞報道。こうしたところから、徐々に人の仕事がなくなってゆく。心のこもったおもてなしなど、AIの得意とする事らしい。農業などはもう一部ロボット化されてきている。外国人の受け入れも、そんな事もあったねとなるだろう。一部の富裕層と、多くの貧困層の比率がますます乖離した数字となる。息子が高知で過ごす20年後には、殆どの仕事がロボットに置き換えられているだろう。その時もしかしたら、僕はまだ生きているかもしれない。失業の息子を僕が面倒見るのだろうか?高齢の親が引きこもりの息子の面倒を見る実態が明らかになった。親は子の面倒を見るためににますます長生きしなければならない。それが皮肉にも人生100年の意味だろうか? 3月29日(金曜日) ![]() 3月28日(木曜日) 非常にリアルな夢を見て目が覚めた。夢のパターンはいつも同じで、大きな波が来る。その後、海岸へ波を見に行く。ここまでは同じ。所が今回は、見知らぬ夫人が僕の後をついてきた、これは大変、早く引き返してきて!と叫んだ。ところが、引き返すのに戸惑っていた、その夫人は足が悪く砂浜を早く歩けないのだ。しかもハイヒールを履いていた。僕は、早くこっちの高台に来てくれないかとやきもきした所で目が覚めた。もし波が来るのが早ければ、僕は人殺しとなる所だったので、目が覚めた時にはドキドキしていた。昨晩のお酒は抜けていたが、だるいので昨晩の残り湯に入って汗が流れるまで本を読んだ。朝飯の準備はなく、野市のマクドへ出かけた。高規格道路を使っても20分必要なところ。そこで日経新聞を読んで、ジャズの歴史を翻訳した。訳が正しいのかどうかは不明だが、だんだんと文章の程を成してきている。帰りに食材を買った。今夕はリンゴの豚肉巻き、パブリカのオーブンオモレツ。ロールパンキッシュ。パーティメニューで、量が多めだが、味見のために挑戦とした。午後は、車庫と併設する小屋の片付け。農薬や肥料を全部捨てた(自分の敷地へ、1年くらいで雨が溶かしてくれる事を期待)今年のサトウキビのために薪が必要で、親類の畑に自生した、直径が50cmもある栴檀の木の伐採に着手した。鋸では歯が立たないので、明日、チェーンソウを引っ張り出す必要がある。天候が不順だ。今までの天候とは違う様相。天候は老後の生活に対し、意外でもないリスクになりえるかも。ローマ帝国もメソポタミア文明もマヤ文明も衰退の原因は天候からだった。天候不順→王の軽視→権力分散→内乱→崩壊。結局は人が滅ぼしたんだけど。 3月27日(水曜日) ![]() 3月26日(火曜日) ![]() 3月25日(月曜日) 相変わらず膝の鈍痛はあるものの、動けない状態ではないし、動き始めると痛みは軽減される。病院で診断の結果、痛風でもなく、バイキンのせいでもなく、軟骨が減って来ている時に炎症を起こしたためだろう。という見立て。ニューヨークでは腹の調子が悪く、出来るだけ動いて腹を減らす様に努力したのが仇となった。帰ってきて、内科の問診を受ければ、運動はしていますか?と来たので、プールで連続泳いだ。そこへ週3日の勤務がやって来た。丈夫ではない体に無理が来て、破綻を起こしたのではないかと思う。若しくは、そんなこととは関係なく、下り坂の体調がこの気候の変化でより勾配がきつくなったという事か。父が季節の変わり目に気を付けるように言っていたのを思い出した。僕はまだ数年は水泳のバタフライも、自転車で100km走行も大丈夫だと思っていた。誠に残念である。しかも、せっかく録音したハイレゾを誤って消してしまったとか、風呂の水をだしっぱなしで寝てしまったとか、ミスが増えている。体と頭が同時進行というか、競争して劣化を競っているようだ。その上、未だ手を出すべき時ではないと思いながらも、ステレオサウンド誌を買ってしまった。(20時間くらい時間を食ってしまう)このように予期せぬ行動をしてしまう。午後は、サトウキビの植え付け。種が欲しい人がいるので自分の作付けを早急に済ませて、残りを伝える必要があるのだ。急いでいたから、もう芽が出ているのに荒い作業で折ってしまった。これが他人のお手伝いなら大変な事だが、自分の分だから問題ない。植え付けには水が必要だが、膝が痛むのでパス。樋屋さんが作業を終えて帰った。高知の雨はとんでもない量になって来ているので、家の周りの水はけを一度きちんとせなあかんと思っていたので、今回の休暇でできてよかった。夜中、予期せぬ大雨が降った。これで、問題解決。 3月24日(日曜日) この1週間仕事を休んでいる分余裕があって、午前中はPCや英語で過ごし、午後は農作業で、午後は3時半に終えて、風呂を焚き、夕刻5時に食材を買いにスーパーへ。1時間かけて調理し(主にオーブン料理)焼きあがるまでにお風呂に入る。野菜たっぷりの健全な食事を摂って、10時までに寝て6時に起床する非常に健全な生活が続いている。金曜日の午前中は家屋の清掃を徹底し、これまたスッキリと気持ちが良い。他所の人から見れば、実に細々と動き「じっとしときや」となるのだ。だんだんと分かってきた自分解析で、落ち着く場所は都会の喧騒の中と、こうして整理整頓ができて清掃が行き届いた自分の部屋。この両横綱がどんと居座っていれば、かなりおおらかな人柄でいられると思うのだ。家の近所では、僕の行くところに付かず離れず、鶯がいて、鳴いている。それが、実に下手。まぁ都会ではかなり贅沢な環境だが、鶯は余り慰めにはならないのが最近わかった。むしろ膝の痛い時は邪魔な存在だった。多分父も母も晩年の病んでいる時の鶯は、何の助けにもならなかったのではと推測する。最高の気分の時には、助長をしてくれるが。夕食はCoCo壱番屋よりも美味い(ホント)、無水カレーを作った。カボチャ、レンコン、干し大根をトッピングとして追加。ルーだけでビールが進む君だ。 3月23日(土曜日) 午前中はハイレゾの整理と、簡単なスキャン作業。午後は、家の前の畑をサトウキビ植え付けのための耕した。膝はやっぱり痛むので、畝上げは明日に回した。昨日も感じてたが、アンプを入れ替えて右チャンネルから、時々ガリ音が出ていたのが気になっていた。ところが、今夕LPレコードをかけると右チャンネルの音が出なくなった。EPA500の故障かな?ところが、CDでもチューナーでも出ない。それで右チャンネルのスピーカーを確認すればコードが外れかていた。そろそろスピーカーコードや電源コードにもメンテが必要な時が来ている。少し安心して、ジャッキー・マクレーンのLPを少しだけ聞いた。艶のなさは、アンプのせい。気になると益々気になる。それで、一旦はメインのシステムを切って、サブのデノンPMA2500+ビクターSX500に切り替えた。シェリーマンの245を再生。低域の寸詰まり感はあるものの、ゴムまりの跳ねる様な気持ちの良い低音が出る。ビクター得意の高域スッキリと相まって、聴かせる音がある。昼間のサトウキビの植え付け作業で、右肘全体がダニに噛まれ酷い事になっているが、寝る前身体が暖かくなると無性に痒くなって来て、音の良さと相殺されてしまう。 3月22日(金曜日) ![]() 3月21日(木曜日) 雨。雨音で目が覚めた。自然と親しむには理想のパターン。昨晩の残り湯に浸かりながら、雨音を聞いた。午前中、これから読むべき書籍をスキャンした。もう文庫本なんかこの目では読めなくなっている。電子本は文字を拡大できるので良いが、紙の本は文字は拡大できない。そこで、iPad-Proの12インチに拡大して読むことにしている。ここまで拡大すれば、眼鏡なしでも読める。まずは、日経NEの過去本を読んだ後、HIVIの過去本を読み、カメラマンの順に仕上げるつもり。書籍にとりかかるのはもう少し後になるが、本棚がいっぱいなので、整理も兼ねてのスキャンだ。午後、近くのイート・インのあるローソンへ。芸西村には洒落た喫茶店がなく、ここが一番の喫茶店だ。都会のスタバのようには行かないのだ。そういえばパリの有名な喫茶店は先日の暴動で焼き討ちにあったらしい。ヨーロッパの怠惰な人々は出来るだけ働かないで生活をしたいらしい。昨日も日経新聞の評価について書いたが、マネジメントは出来ているかな?と疑いたくなる掲載があった。連休中の円高のことだ。経済界にとってはあまりよろしくない事だがそのことだけに終始し、たとえば、この期間に多くの人たちが海外に出かけるが、円高は彼らにとっては朗報だ。経済一点張りではなく、こうした視線も含めて僅か1行ぐらいでも触れたらどうかな?年取ると愚痴が多くなるが、あまりにも情けないので一言。 3月20日(水曜日) 国土交通省はタクシーの運賃をあらかじめ表示する方法に変更する。と日経新聞の一面に書いてあった。僕自身シンガポールとアメリカしか行って無いが、配車アプリでこれ当たり前の事。それを日経新聞は記載してない。アメリカでは、競合する2つの価格表示もあって、どちらを選ぶのか選択できる。マスコミとしては、政府の言うことを伝えると同時に、俯瞰する情報も併記するのが使命だろうに。昔の朝日新聞は知的な文章表現が好きで読んでいたが、今は地に落ちたし、日経新聞は経済紙なのにデーターの扱いに信憑性がない。例えばこんなこともあった。5Gは20Gbpsの通信速度をまだ掲載している。現在の4Gも理論上100M bpsでるが、誰もその恩恵を受けてないと言うのに。しかも、これは下り回線の話で、上り回線は、5Gと言えども、この数値は掲載しない。その上、よしんば、高速通信が基地局まで届いたとしても、基地局からの速度は、10Gbpsがいいところだ。その心はキャバレーの客引きと同じで、いいとこ採りの掲載なのだ。日本を代表する経済紙がこれでは如何ともしがたい。膝は回復するかに見えて、自転車の回収に和食駅まで50分歩くと、やはり痛み出した。スネに何かがあり、それが化膿して痛みに転じた様な気がしてきた。痛みを抱えてパワーアンプSEA100を荷造りした。修理に出すため。これで3度目。もう寿命かな。取り敢えず代理のAVアンプでしのいでいるが、艶が再現できないので、聴いても楽しくない。音楽の深みというか、演奏家の心意気が感じられない。帯域が狭くても、録音が悪くても、音色には艶っぽさが必要。夕刻、樋屋さんが来てくれた。昨年の11月にお願いしてあった。なかなか来てくれないので、自分でできる部分は修理を行った。でも高所は無理だ。明日雨でなければ来ると言うが、夜中から降り出した。 3月19日(火曜日) 朝起きると膝はすっかり良くなっていた。24時間経過し、薬も切れてくる頃だが痛くない。昨日の「1歩」の運動がいかに大変だったか嘘のようだ。昨晩から大雨が降っているし、今日はゆっくりしよう。映画、読書、音楽、写真のまとめ等々候補がある。まずは映画。ハングオーバー!。ブラッド・リークーパーがカッコいい。映画アリーで彼の大ファンになった。何をしても様になり嫌味がない。ストーリーよりも、画面を通じた彼の生き方みたいなものに興味を惹かれながら見た。次の1本もハングオーバー!!映画はボケ役のアラン(ザック・ガナアラキス)が登場しストーリーをかき混ぜる。もう一人、スチュー(ヘド・ヘルムズ)がいて、彼ら3人は小さい頃からの友人だ。この3人の在り方も、僕の高知の友人3人組とよく似てて、友人のために自分を殺しても我慢している部分などもそっくりで、単なる娯楽の映画だが、意味深だなと思った。パート1のシーンはタイでのロケだが、チェンマイで結婚式を挙げる、そのセレモニーの最後に熱気球(火のついた上部の閉じた提灯の様なもの)を揚げるが、これは、僕も2011年夏にアジアのLUMIXの発表会に参加して、体験した。暗い夜空に、ロウソクの灯が一杯広がるのは結構感動的だった。浜松医療センターから診療費の請求が届き、振り込みに行く。結局今回の騒動で医療費、交通費を含めた総額は28、920円。あの痛さにしては結構安くついたと思う。A氏から運動は控えた方が良いアドバイス。その時は雨も上がったしプールへ行こうとしていたが、よく考えるとあの痛みから30時間しか経過してない。忠告通りこれは流石にまずいと思って取りやめ、大義ながら風呂を焚いて(プールは風呂が併設でそちらの魅力もあったが)食事を作った。大した動きがないのに、眠くなった。 3月18日(月曜日) 朝起きると足はとんでもない痛さになっていた。ホテルでは浴室への段差が越えられず、手で体を持ち上げた。これはやばい。考えた挙句、①衣類は宅急便で送る事。②食事を少しでもとって、痛み止めの薬を飲む事。③新大阪へはタクシーを予約する事。④会社には今月いっぱい休暇届けを出す事(生前の父と同じで考えをまとめないと行動できなくなっている)。そうして新幹線に乗り込んだ。段々と薬が効き始め、岡山駅では、なんとか歩行が可能になった。和食駅の階段も何とか降りられた。タクシーで自宅に帰り食事。車に乗って病院へ(脚は痛くても運転はできる)。先生は僕の心配した膝の手術は必要ないと言う。痛みは、石灰が付着したものか、痛風だと言うが、膝の水を検査に出して見ないとなんとも言えないらしい。同じ注射針でステロイドを注入。薬で痛みをごまかしていたが、それでも更に楽になったようだ。親類のおばさんに、入院は不要だと伝えた。次に今日の仕事、会社のO氏と待ち合わせて、H氏とお菓子の商談。1時間半くらいの時間。多分当社にとっても、何か実入りになっただろうと思う。暗くなったがびっこを引きながらも、スーパーで買い物。夜は胃が荒れているので雑炊。風呂は禁止との事で足と顔を洗うのみ。僕は、入院の可能性が消えたのでホッとした。IPSで作った人工軟骨を使い、膝の手術する目標を描いていたので(後10年後には実用になっていると思う)もしかしたら期待できるのではと希望を持った。今回の注射で復活できるかもしれない兆しがある。さて、ここで考えられることは、肩の障害、膝の障害とも石灰の話が出てきた。ピンときたのは、精製している砂糖に石灰を使って沈殿させている事だ(天然の砂糖だと触れ込みだが、天然の石灰だけは使用する)。この砂糖を昨年末から、今までに1kgくらい食っている。これと関係あるだろうか?と言う疑問が湧いてきた。 3月17日(日曜日) 昨日の痛さはなんだったんだ?痛み止めの薬は1回のみ。今朝は、曲げると痛むが、歩行には影響がない。ほぼ普段通りに戻った。土曜日に診てもらったあの整形の先生は、何だったんだ。藪?新大阪駅近くの、こおりたひろクリニック。そういえば、老人患者がいなかった(患者の話を聞かないので老人が寄り付かない)、極端に患者数が少ない(処置が下手)こんな感じを受けた。僕が初診を告げると受付の女性がとてもいい笑顔を見せたのは、多分患者が減っている事に対する反応だったのではないか?医師もレントゲンを3枚撮影したのに、1枚だけ説明してハイ終わりだった。今思えば藁にも縋りたい気持ちで訪問したのに素気無い対応でムカついてきた。ところがだ、昼を過ぎると段々と痛みが増してきて、夜になると金曜日の夜と同じになった。困った、明日は何としてでも高知に帰らなければならない。今朝のいたみの無さは、昨日飲んだ薬が効いていたという事だろう。僕には1粒で、24時間効果があるようだ。でもこれに頼るわけには行かないだろう。それで、出来るだけ座って過ごした。イギリス人がやってきた。本物の英語だ。僕の表現には間違いもあるが通じるし、彼らの言うことも分かる。とにかく毎日耳を慣らしておけば、聞き取りはできると思いましたね。アメリカに住む中国人もやってきた。と言うことで、今日は耳の訓練は十分だった。万歩計は3200歩。 3月16日(土曜日) まんじりともせず夜が明けた。猛烈に足が痛む。起き上がるのも苦しい。椅子に座るのも、何もかもが痛みに通じる。運動量はもう期待できず、食事制限に入るしかない。朝飯を減らし、ホテルの車で大阪駅に送って貰った。2週間続けて事故が起きるのは単なる偶然ではなく、何か僕の中に巣食うってるものがあるかもしれない。痛み止めの薬はあるが、午前中一杯は我慢。こんな時に限って訪れる客は座ってくれない。客が立っているのに僕が座るわけにはいかない。苦しい。やっと1時が来た。ファミリーマートで、パスタサラダ360円1個。昼飯はこれだけ。万歩計は2000歩。普段の半分以下。動かない人=食うべからずだ。薬を大量の水で流し込んだ。午後3時頃ふわぁと痛みが引いて行った。曲げると痛むが、座っていると消えた。今朝の痛みはなんだったんだ?用心して、大阪駅下の惣菜屋でお弁当。ホテルの迎えの車で帰宅。万歩計は3200歩。食事も肉を少量に、野菜中心で制限。食欲はあるのに、食べられない辛さがある。もう自制しかない。苦しい。 3月15日(金曜日) 寝返りも打てないほどの痛み。昨晩沸かしたお風呂は未だ熱いお湯が残っていたので、身体を温めるためにも、しばらく浸かった。少しは楽になったが、冷えてくると元の木阿弥。今日は会議があるので、7時の電車で大阪に向かう。新大阪で整形外科に診てもらうと、膝の軟骨がすり減っていて、その痛みだろうと言う。父と同じ症状。父はこのために心臓病を患い命を縮めた。そして、僕は10年も早くその病気を患う事になった。元気な間に海外旅行を楽しもうとしてるが、どうもそうは行かなくなった。高知でMRI検査をするつもりだが、場合によってはこの仕事を断念しなければならなくなる。悲しい話だ。がっかりだ。痛む足を引きずって、ホテルに荷物を預け、天王寺にあるフィルメール絵画を見に行った。東京に比べて出品数は少なく、代表的な「とりもち女」のみが光っていた。一番有名な「青衣の女」はなかった。入口のビデオ解説で、構図は単なる切り取りではなく、綿密な計算が施されていていると言う。同じシーンを実際につくり、カメラに収めたのだが、カメラポジションはなかなか決まらなかったと言う。模倣でさえ苦心惨憺だ。いかに切り取りの技術の巧みさが要求されたか、そして視線が意味をなすと言う。この絵には当時の宗教が絡んでいるようで、そこまで降りていけない。勿論、社会風習も想像すらできない。それでも、この人の絵は、何かを言っているのが伝わる。同時出展他者作品物では、「嵐の海」と「ゴシック建築の内部」が良かった。足が痛くなければ心が豊かになった筈だが。 3月14日(木曜日) 昨日はプールまで行ったが、水着を忘れて泳げなかった。でも、それは良かったもしれない。というのは、左足がすごく痛むようになって、歩けなくなったからだ。お風呂の薪を割るのに必死だったし、そもそもお風呂に入ることそのものが大義になっていた。先週の肩の痛みと言い、週末の酷い痛みは一体なんだろう?明日は早いので、夜の間に出発の準備をして寝た。 3月13日(水曜日) ![]() 3月12日(火曜日) 贅沢だとは思わないが、ホテルには朝飯が付いている。でも毎日同じようなメニューじゃ飽きてしまう、今日はマクドを猛烈に食べたくなり、早めに出て、奮発して新大阪のマクドでメガマフィン(570円)を注文した。その際対応された店員が中国人で分かりにくい日本語だった。これなら英語の方がまだ解るわ。と思いましたね。ホント非常に聞き取りにくかったのだ。何時もの本屋さんでJapanTimesを買って新幹線さくら号へ。エチオピアの航空機墜落事故が報道されていた。母が、息子に向かってWhere are you?と出ない電話に向かって話しかけているシーを見たとあった。オスプレイと同じように正しく操作すれば何の問題もない飛行機だが、少し規格から外れた操作だと途端に落ちる余裕のない機体設計ではなかろうか?多分、ボーイング設計士のOBたちは、酒を飲んだ時仲間内で次のように語り合っているだろう。「あれじゃ、落ちてもおかしくないね。〇〇の値が少な過ぎるもの」そのシーンが手に取るようにわかる。オリジナルの737の事故は少ない。エアバスA320に水を開けられているので、焦った開発陣は無理な設計を強いたのだろうと部外者でも推測できる。帰ると、友人から部落会の資料のタイプ追加依頼。近所のまとめ役から部落会の集金。洗濯、病院、精算書提出、別の近所の奥さんから、神仏に関するお札の処分を行うので持参してほしいとの連絡。こちらはカゴにまとめてあったので、ビニール袋に入れて、奉納代として2000円添えて持っていった。今夕は久しぶりにシアターの電源を入れた。昨日放映された、Princess Princessの岸谷薫のライブを見た。相変わらず下手だけれど少し円熟の重みがあってよかったかな。招待された歌手の一人に、大黒摩季がいた。大柄で粗雑な外見とは裏腹に、大正時代か明治時代に生きた日本女性のいじらしさを歌詞にしたためる特技がある(本人の性格はどうかわからないが)ので、ZARDと共に1990年の後半を代表する歌手として注目して聞いた。舞台で彼女は50歳だと言ってた、CDのように声が伸びず、少々肥満気味で寂しい印象を受けたが、それも人生だろうと溜飲した。その後、クィーン。フレディマーキュリーの部分のみ新人で、あとはオリジナルメンバーのコンサート。クィーンのオリジナル映像はカメラワークが酷く目が疲れるが、このコンサートは落ち着いたカメラワークで見ることができた。 3月11日(月曜日) 出稼ぎの日が続く。日野美歌が歌う氷雨「誰が待つというの、この部屋に、そうよ、誰もいないわ、今では・・」今月になって自宅にいたのは3日間だけ。家に帰るも張りは無いが、サトウキビの植え付けが待っている。腰を痛め、回復にプールに行ったら、胸鎖骨を痛め、農業をするにもほどほどにに!これが教訓だ。今年2000kgの砂糖に挑戦するのは如何なものかと思い始めた。これは趣味の範疇を超えるからだ。まぁそれは置いといて、今日は音楽とオーディオの仕事だ。頭を切り替えるのにジャズを。喫茶ベイシーのスガナミさんは、その時の気分に合わせて、カウントベイシーのアルバムが選曲できるとの事だが、ぼくは出来ず、棚から適当なカウントベイシーを取り上げた。彼のピークは1930年後半から始まるので、録音にいいものがない。楽団のジャズは録音の悪さも手伝って「うるさい」のが定番であるけれども、SL-1000Rでピックアップすればそれなりに聞けるのが不思議。ソウサ・カレンの新アルバムを紹介してくれたお客さんがいた。アップルミュージックで再生すれば、割と良い音。ハイレゾ購入リストに入れよう。何時もの常連のお客様だが、この人のお陰で、最新の音楽状況を入手できて、好みの物だけぼくのアルバムが増える事になる。対応の仕方でこうした情報が引き出せる。もちろんこっちも共有できるだけの知識や、気の合うフィーリングが必要だろう。電気屋さんの合展を見てて、同じ事をぼくもしているのだと思った。著書「ホモディウス」によると、我が人類は最大500人くらいをマネージできるそうだ。僕の場合、親しく年賀状をやり取りする人が50人くらい、親類が20人くらい、部落の住民で10名くらい、職業上での付き合いが30名くらい合計110名位の中で生活している。まぁいわゆるフィーリングが合う人ですね。そのほかに、出会いで何とかこなせる人がいるが、時間とともに消えるから数えられない。それは、顔付きと話しぶりと、態度でおおよそ判断がつくが、外国人もその基準は同じ(本当は違うかもしれないが見抜けないため)だろう。IoTがこれからのビジネスの基本だと結構紙面で煩いが、単なる情報は意味がなく、個人のフィーリングでも良いから、本音の情報が必要だろうと思う。 3月10日(日曜日) 朝はやっぱり肩は痛むが、目が醒めるまでは痛みを知らなかった。今日はしんどくても薬はやめとこうと我慢した、午後3時ごろにやっと楽になった。暇だったので、電子レンジの説明にも手を出して、販売できた。けむらん亭やコーヒーメーカーなど、いろいろ説明。ある販売店さんと懇談、個人の余生過ごし方の話になって(販売店さんはほとんど高齢者ばかりなので、それに雨が降り出し暇になったので)、すごい話を聞いた。今度趣味に船をやろうかと思っていると。それまではBMWのバイクだった。1500万ほどつぎ込んだ。おいおいだ。食べ物の話でも、ホテルオークラとか、庶民のレベルでは無いところが出てきてびっくり。浜松はお金持ちが多いのだ。息子は店の跡取り、次男は横浜で銀行の支店長。しかし、余り奥さんとはうまくいってないらしい。別居じゃ無いが、別に生活をしていると言う。人生順風満帆とはなかなか行かないらしい。友人から浜松駅でお土産を頼まれたが、探しても見つからない。今の駅ビルはファッションビルだから、昔のお土産屋とは違うコンセプトなのだ。イロイロと見聞は広まる。浜松から大阪までは殆ど寝て過ごした。大阪は台風のような大雨。大阪駅まで行って、そこからホテルの送迎車に乗り込んだ。 3月9日(土曜日) 結局3時間病院にいて、午前3時帰宅、7時まで寝た。しかし点滴の水分排出で、おしっこに2回起きる。起きるのは辛い。本日は展示即売会の応援。肩が痛む。しかし昨晩ほどでは無いが、寒いので身体が固まり余計に痛む。お客様を招待するのにこの寒さは無いだろうと思う。昼飯の後、貰った痛み止め薬を飲んだ。丁度この頃から、暖房が効き始め、身体が柔らかくなって、薬の影響も手伝って3時間ほどで楽になった。夕刻帰る頃は更に楽になって、一緒に来たメンバーと居酒屋へ。又もや、このうちの一人が、餃子にニンニクが含まれていると文句を言い始めた。ぼくたち2人はなだめて、まぁ明日は何とかなると説明し、注文した。ところが、それが余りにも上手くて、文句を言った本人が一番食べていた。もちろんぼくは、烏龍茶で、ピザとか、焼き飯を食べた。ホテルに帰り、風呂にいる頃にはすっかり治っていたが、昼間の薬の影響だと思い、用心を重ねた。 3月8日(金曜日) 浜松に来た。明日の仕事に控えるためだ。妙に左肩が痛いなと思いながら。早めに休養を取って明日に控えることにした。ところが、痛みは増すばかりで、とうとう0時目が覚めた。寝方を変えても一向に楽な姿勢がない。0時15分。フロントに行って救急車を呼んだ。救急隊員は、痛みの場所から判断して心臓に問題ありと判断したのだろう、心電図、血圧を取り始め、血圧が170近くまで上がっていたので、最上級の医療センターに向かうことにした。僕としては整形外科の判断だが、口を利くのも面倒な程の痛み。途中で血圧が78に下がった。その事も病院に通話する。到着すると、いきなり集中治療室へ入れられて、血管に管が差し込まれ、胸に心電図のシールが貼られ、足の付け根の動脈からも血を抜かれた。だらりと伸ばした手が何か柔らかいものに何度も触れる、でも手は動かない。とにかく、痛くてそんなんじゃないよとも言えず、CT検査、エコー検査へと矢継ぎ早に流れて行く。そのエコー検査の所で異常が発見されたのだ。「万歳して」と言われたが出来ない、左手が上がらないのだ。先生が無理に上げようとすると、目から火花が飛び散った。下着のシャツもめくりあげ、胸の骨格を見る。それまでの検査で異常がないものだから、先生達5人も困っていたのだが、ひょっとして整形の問題では?と疑い始め、協議の結果、結論づけられた。既に腕には血管注射針が刺してあったので点滴袋から血管のチューブに入れると、数分で痛みが消えていった。30分で点滴が終わる頃には、もう大丈夫的に回復してた。救急隊は僕の息子や娘に電話をして、父の状況を伝えていたので、外来の薬を貰う所で彼らにはSNSを送った。先生は心不全では無いかと心配して、多くの検査をしたらしいが、余りにも狭い範囲の痛みだったので、疑問もあったと言われた。右肩ならこうはならなかっただろうが、左肩なので、心臓と間違ってもおかしくは無い。仮払いの5000円の他、月曜日は残額の振込をしなければならない。 3月7日(木曜日) 世界中が低インフレだ。いい局面もあるが、従来型経済政策を遂行するには問題が多いと評価されている。賃金の上昇も無いが物価も上がらないので問題なしとするには、いささか人間心理を無視した考え方だ。人間の気持ちとしては成長あってこその明日への希望だ。では、何故物価が上がらないだろう。日本はいち早い金融緩和でインフレを助長したにも関わらず目標の2%がなかなか達成できないでいる。僕は、多分これは中国からの輸入が原因だと思っている。100円ショップなど、インフレを抑えるのにいかに100金が貢献したか。これらの視点を発展さすと、世界のインフレ問題の原因は、やはり、新興国の市場への参入に尽きると思う。未だ行ったことはないが、今やどの国に行っても英語が通じる。中国人も海外に行く人は英語を話すと中国人が言っていた。バングラやベトナムの安価な衣類店がマンハッタンでも闊歩していた。インフレがないから、賃金が上がらない。この逆ではない。と思う。税金の申告に行った。昨年の年収は430万円。まぁ日本の平均だ。これでは買い物も渋ちんにならざるを得ない。そう言えば、臨時収入があった。財産区委員で給料が出た。12000円。半年分。この間やったことと言えば、「藤」で飲み会に参画しただけ。いわば飲ましてもらってお金を貰った。役場は無税のお金だと言う。でも生活費に消えるから、デフレには影響しない。 3月6日(水曜日) 雨模様の天候。しきびや榊を買って、お供えを済ませて、畑の溝掘に向かった。先日の雨で多少はぬかるんでいたが、なんとか掘り終えると雨が本格的にやってきた。この溝堀は、サトウキビ用だ。続いて、友人がやってきて、次の部落会の議事録の原稿をタイプしてくれとの依頼。名簿もあり、人の氏名を間違えて打ち込んでは大変と2回見直しをする。友人のことだから原稿のミスがあると睨んだらその通りでその修正も含めて3時間ほど要した。お陰で、風呂を焚く時間がなくて、プールを兼ねたナガオカ温泉に行った。道中はラファエル・クーベリックのオペラ演奏を聴きながら。雨によく合う演奏だった。1500m。水泳は2日連続だが、今日はたっぷり昼寝したこともあり、体力は充分だった。惣菜を買って帰り家で食事。雨の日は活動範囲が狭くなるが、落ち着くのでいいかな、そのせいかすごく眠い。休養にはぴったりだ。 3月5日(火曜日) ぬるま湯と厳しい試練について思うことがある。日本の農業は手厚い保護政策によって守られて、特に米はその恩恵が格別だった為に、全く国際的な競争力を失ってしまった。電気や車は保護なしで国際的にも戦えた。今、電気は失速しているが、競争力を磨くポイントは分かっているからいずれ復活するだろう。転じて、アメリカが中国をテクノロジー面の締め付けを行なっている。締め付ければ締め付けるほど頑張るのが中華系民族だ。その事を分かってやっているのか不明だが、既にアップルでも厳しいとされる5Gの携帯を、既にファーウェイは自社開発のICで発表した。他社はクアルコムのICを使う。この事からしても、ファーウェイは驚異。アメリカはこの会社に焦点を当てて締め出しにかかる。厳しければ厳しいほど中国のハイテクの開発力が高まる。2025年を待たずして中国から輸入しないとハイテク製品が出来なくなる懸念が残る。トランプさんは、開けなくても良いパンドラの箱を開けた馬鹿な男として歴史に名を刻むであろう。と僕の推測。腰痛が収まらないので、帰ってからの予定は、腰痛対策。洗濯、精算を早々に済ませ、腰の痛みを抱えてノコギリを引き、風呂を沸かした。そして、プールに行った。トンボターンが出来たのは最初の500mだけ。あとは手をついてターン。とてもこれ以上は無理と1700mで切り上げた。帰りの運転は随分と楽になった。熱い風呂にしばらく浸かると、骨と骨の間が伸びるのか、痛みが薄らいでいった。今回の出張は5日間。ほとんど運動がなかったので回復しようがなかったのでは?もう老人の体。ドンドンとストライクゾーンが狭くなっている。 3月4日(月曜日) 雨。春の雨。傘がないので、ホテルの車で大阪駅に送ってもらう。駅のスタバでジャズの歴史翻訳。となりに若い女性の集団。この土日の売り出しの反省会、前年を2割上回る成果。しかし、在庫一掃は出来ず300万円の残。リーダーの女性はかなり綺麗だ、数字から読み取れるものを報告している。しかし、公の場で行なっているのに気がつかないだろうか?僕の主眼は翻訳にあるが、耳もついているのだ。翻訳をせず、メモを取ると全容をここに書き出すことができる。9時がきたので、引き上げたが、飲み物を捨てるところでも別の集団が打ち合わせと言うか、反省会。こちらも筒抜け。指向性のマイクを向ければ、両方の内容が把握できる。今日は月曜日の雨、お客様が極端に少ない。出かけたくない理由もわかる。夕刻ご婦人2人を接客したが、歳を言われてびっくり。55歳くらいかそれ以下と思っていたが、60歳を過ぎていた。若くみえる。人生100年と言うのは着実に進んでいる。お客様を呼び込むには邦楽の人気曲を流しておくのがコツだと、館内の接客に立っている派遣の女性たちの意見。帰りにグランフロントの北館探索。ワイン専門の店。世界のワインが飲めるとある。ここでフランスワインを勉強し、フランスに行く手もあるなぁ。ただし、食事はつまみ程度だった。N氏よりメールで大阪のジャズライブへ行くことが決まった。明日町田の寿司屋さんが高知に来る件は遠慮した。飲み過ぎで胃の薬を飲んでいる身としては自重が必要な為。O氏とのお菓子の打ち合わせが決まった。3つ目のわらじ仕事だ。断片的に綴っても色々ある。死に向かって走っているのにまとまった取り組みをしなくて良いか?疑問もあるが。 3月3日(日曜日) 結構親しくしていた商談担当の女性が合展に来た。(名古屋時代から、途中は飛ぶがPM本部時代まで長きにわたって)何故ここにいるの?やっと大阪から名古屋に帰ってきて1年半前からLE社で仕事をしていると言う。でも来月より東京に移り又古巣のCEの商談担当だと言う。すると又単身赴任?そうだと言う。この人の半生は単身赴任で生きてきた。言ってみれば犠牲者かな(本人は離れているほうが旨くゆくと言う)。今日は雨でもそこそこの来客があり、そして又よく売れた。見込みも取れた。まずまずの成果では?と思う。かと言ってフルに忙しかったわけではない。そこで調査。上手いコメと安価な炊飯器VS不味い米と高価な炊飯器。どっちが上手い?答えは明確で、圧倒的に高価な炊飯器が上手い。では高価な炊飯器とIHクッキングヒーターで炊くご飯とどっちが上手い?高価な炊飯器。IHクッキングヒーターで炊くご飯と、ガス炊飯器で炊くご飯とは?ガス炊飯器。でもIHクッキングヒーターの料理メニューは豊富だし、オーブンも付いている。約30万円。次はこれだな。特に天ぷらモノに真価を発揮するようだ。電子レンジも研究した。パナソニックの電子レンジは、レンジで使える鉄板が付いている。このメニューが実に多いことが特徴だ。水オーブンはSHに分がありだなと睨んだ。腰痛は激しく、普段は休憩を取らないが、今日は5分ばかり休んだ。でも休憩は食事の時間を合わせても20分位だ。頑張っているぞ。5時11分のこだまで大阪に移動。大阪も雨が降り出した。 3月2日(土曜日) 合展。久しぶりの合同展示会へ販売応援だ。その昔、販売金額が足りない時、この合展に全生命を賭けて、土日出勤した。本当に神頼みだったこともある。又、3月の入進学のシーズンの合展では、これ以上売れて、品不足に対し、言い訳をするのは嫌だなぁ。もう売れないで欲しいと願った事もあった。商品確保に販売会社幹部を本社にご案内して何とか商品分捕り合戦を展開した事もある。そんな意味で、合展は思い出深い。さて、今回は食洗機担当で、AVとは勝手違い、アドリブの余裕が無い。ご案内も一通り行えば10分だ。時計の針はなかなか進まない。オーディオの場合だといつに間か1時間が過ぎている事もしばしば。まぁそれだけ培ってきたものが違うだろうと言うこと。名古屋で15年間住んだから少しは知人が残っていてもおかしくないと思ったが、2人いた。その内の一人は本部長だった。しかも、共通の友人が岐阜のO氏だった。変なところで繋がっていたのだ。当日の成果はまずまず。見込みもあり、責任は果たせたかな?でも腰痛が酷い。一緒に来たメンバーと食事。居酒屋チェーン店で、ところが注文したメニュー写真と、現物に大きな差。桜えびがあまりにも少ないのだ。一緒に行ったメンバーが店長を呼んで文句を言うと、作り直して出て来た。当方はそこまで求める気はなかったが、直ぐに応じたのは、先例があったのかもしれない。食事の後ホテルに帰ると着物を着た美人で溢れていた。その内の一人に聞くと明日踊りの披露会があるとの事だった。夜寝る前、電話でこの合展も含めて安城の友人と会話。話は逸れて、彼もアメリカのニューヨークに行ってぶったまげたと言った。ドイツもいいぞと教えてくれた。BMWのミュージアムに行くと良い。バイエルンとベルリンは大分離れているが頑張るべきか?その後奥様と会話、大病を乗り越えて今は落ち着いたとの事。それでも明るい声。その明るさが病気を追い出したのだろう。本人もそうだと思うと言われた。美味しいものが無いけど来てくださいと言われた。僕は美味しい弁当があるじゃ無いかと返答。「三河弁」。笑っていた。 3月1日(金曜日) ハノイの会談は不調だった。トランプさんは20時間くらいでワシントンに戻れ、金さんは70時間くらいでピョンヤンに帰る。イギリスはEU離脱の延期、米中の交渉は3月に期限延期、ベネズエラは民意分断、ロシア極東開発で日本に触手。2019年は国際情勢が大荒れだ。昔ならとっくに戦争。今はそれに至らないのは、どこかに人間を拘束する「芯」があると書籍「ホモディウス」は述べる。宗教でも天意でもなく、「経済」だそうだ。つまり、戦争は得にならない。平和が一番金になる。と言う。それが世界の暗黙だから、株価が変動するだけでみんな平然と見ていられる。アフリカはそれがわからないから、まだドンパチやっているがね。世界から見ればあれは瑣末だから気にしない。明日からの仕事のため新富士に来た。自宅を10時に出発、到着は午後5時。駅の真ん前にホテルはある。これは堪らんと、駅とは反対の部屋をお願いして解決。さて次は食事、JR在来線の駅に行けばあるだろうと歩くこと30分。コンビニも他の商店も何にもありません。ネットと大型商業施設に食われ、小売店も飲食店も全滅。やっと見つけた中華の店。メニュー写真は美味しそうだったが、食べるとまずい。胃薬のせいで、味覚が鈍っているのかどうかは不明。 2月28日(木曜日) 5G通信に関する記事がやたらと多い。バラ色の規格だと絶賛。4Gの時もそうだった。4Gは今の規格だ。理論値は100Mbps。これで映画もすぐにダウンロードできると言われた。実際は20M bpsがいいところ。シンガポールが比較的良いと言われ40Mbpsと言われるが、実際シンガポールで使って日本と遜色はなかった。まぁ実速度は1/5。東京駅なんかでは、検索も思うように出来ない位だから、速度は知れたもの。ではバラ色の5Gは実際どうなるのかな?理論値は20Gbps。映画が3秒でダウンロード。これ嘘。20GbpsはHDD直付けでもこの速度は出ない(HDD直付けで最大でも70Mbps)。これで、実際動くわけがないのに、この数値で利便性を言うのはよしてほしいと僕は思う。新聞はもっと庶民の味方になれよとも思う。週末は、食器洗い機の販売応援。カタログを見ると、ガス料金を含めた手洗いの方が出費コストは高くなると掲載している。それでお客様相談センターに聞いた。それによると、夏でも、ガス給湯器を使って食器を洗う計算をしていたのだ。普通の家庭では、4月から10月まで(おそらく、3月から11月までが多いと思うが)は手洗いでもお湯は使わないだろうと思うのだ。食器洗い機を使ったコスト差を大きく見せるための表示と勘繰りたくもある。さらに、カタログをよく読むと、洗った食器が臭いから、24時間ナノイーで臭いを取るのだとセールスポイント。一方で綺麗に汚れが落とせる。それなら臭いなどは残らないと思うのだが如何なものか?むしろ庫内に食器を放置しておく方が、庫内の臭いが食器に着くのではと思うのは邪推だろうか。重箱の隅の話だが、昔の良心的な松下電器とは違う世代に変わったんだなと思った。夕刻プール。2000m。胃の調子が良くて1時間内に楽勝。帰って、お寺で四国88ヶ所巡りの供養(お砂踏み)。これはお寺の境内に、88ヶ所の砂を入れた袋を用意して、そこに自分の名前を書いたお札を奉納する仕組み。名前を書くのが大変だ。お坊さんが後半手伝ってくれた。坊さんの奥さんは、拝み方のコツなどを紹介してくれた。サトウキビが効いているのかな?お土産に僕だけお弁当を頂いた。 2月27日(水曜日) ハノイ。米朝会談が開催される場所。サイゴンは半袖で過ごせたが、ハノイはスーツの上着が必要なほど気温差が大きい。当時(2011年頃)ハノイはアズマ・レイクサイド・ホテルに宿泊し、その前の湖(汚い)の周りを散歩した、50分くらいかかった。道路は広く、共産国で無ければ出来ないまっすぐな強制的な道だった。多くの国民はカラフルなマスクをしてバイクに2人4以上乗っていたが(そんなマスクは最近日本でもしている人を見かける)、街全体が陰気な気がした。サイゴンは陽気なアジアの街的な雰囲気だった。そのベトナムに行く計画を立てている。前回シンガポールも米朝会談の後だった。流石に娘は行くのを拒否。あの美味しい春巻きとコーヒー、フランスパンはどうあがいても現地でしか食べられないのだが。夜は、友人がいるとして、昼間は言葉が通じないので、英語のツアーに参加するしかなく、現地で組むのは画一的なものになるのが残念。病院へ行って、腹の調子の悪さを訴える。ウィルスによるもの、整腸剤といつもの胃酸過多対策の薬。いつもの事ながら、先生の診断を受けると途端に回復。帰る頃には久しぶりの空腹感が戻って来た。今朝の腹の重たさは一体なんだったんだ?食事後、きまさごの畑の水はけ用の溝を掘る作業。昨年掘った溝のとなりに、管理機で掘った。山からの湧き水はこの2重の溝で塞きとめるつもり。今日はその水はけまでは至らず。今日の作業は泥だらけになった。明日は事務処理と読書。明後日は静岡に行く。農業と事務この大きな落差が実にいいのだ。現役の頃はとても望むべくことは出来ず、定年を迎えてやっと実現した。息子から、退職届が受理された旨メール。いよいよ帰ってくるのだ。 2月26日(火曜日) 疲れていたのだろう。朝6時までぐっすり寝たが、朝食後、もう一度布団に潜り込み10時に起床。今度は田畑への除草剤散布。11時過ぎ終了。昼食、今度はトラクターに乗って沖の田を叩く。その後西谷、きまさご、主な田畑は叩いた。明日は、雨水の処理のための溝堀り、多分大変な作業だと思う。しかし、乾季の今やらずして何時やるのだ。まだ体の章氏は本調子ではないが、頑張らないと。最近自宅で音楽を聴く時間が少なくなっているが、その中でもクラシックが極端に減った。その理由を考えて見るに、ライフマスターで仕事をしていた時は常に頭の中にエクセルとパワーポイントがあって計算をしていた。その余暇に聞く音楽はクラシック音楽で心の奥底に沁みとおるようだった。ところが仕事を離れ半年、どうもクラシック音楽がぴんと来なくなった。頭は英会話に使っている。エクセルは左脳を使い、英会話は右脳を使う。余暇にはこの反対がたぶん合うはずだから、クラシック音楽が遠ざかったと言うのは必然的なものかもしれない。その代り読書時間が戻ってきた。読書は左脳だ。多分この分析は正しいと思う。 2月25日(月曜日) 昨日はおまけ付きだった。昨日の寿司屋、お土産までくれていた。午前0時。激しい吐き気で目覚めた。思い切り吐いて、寝たが午前4時腹痛で目覚めた。以降ずっと腹痛は続く。O157の弱いのを食ったのだろう。昨日何となくおかしいなと思ったのは、午後7時前、今から書き入れ時だと言う時間に、はや、ネタが切れていた。客が少なく、回転がないので、材料をギリギリのところで回していたのだろう。僕も疲れていたので、やられてしまったのだ。弱り目に祟り目。そして、JR四国の寒い列車。大阪の地下鉄や新幹線では脱いでいた防寒のコートを着た。車掌曰く、温室のようになっている。嘘やろう。帰り着く直前の駅、土佐山田駅で近所の方から電話。今から観音様の打ち合わせをする気に来てよ。12:30に行けると電話を切った。観音様のお堂を改築する打ち合わせだ。3月13日に決定。腹痛は相変わらずだが空腹で、お粥を作って少しいただく。風呂を沸かし早々の早仕舞い、そう思っていたが、明日も晴天なので、余った時間で、除草剤の散布。今年は暖かく、草が異様な成長を遂げている。今年は無事に雨季をやり過ごせるのかなぁ。と言うことでいつもの時間に終いをつけて、8時に就寝。 2月24日(日曜日) よく寝たのに寝たりない。今日も睡魔との戦いは激戦だった。夕食に焼き鳥屋へ入ったつもりが寿司屋さん。まずいなと思いながら、シメサバ、熱燗、寿司4貫合計で7200円。その寿司もコメの部分が親指程度。どんな計算をしているのかなぁ。スシロウの新鮮なネタ、ネタの豊富さ、明朗会計すべてに渡って優劣が明確だ。もう、個人の寿司屋へは2度とは行くまい。魚料理の店も同様だ。都ソバで天ぷらうどんを食べてエネルギー補給370円。今日はあまり良い日ではなかった。早く高知に帰って休みたい。今月は、24日中20日間留守をしている。 2月23日(土曜日) 今日は昨日の22000歩が効きしんどく眠たい。接客中に眠くて往生した。団体客の場合は前に立って話すので、割と緊張し、眠さは吹っ飛んでいるが、個人の場合は僕も座るので、ついこっくりとなるのだ。それにすごく喉が乾くのは、僕がワイシャツで居られるために室温を25度に設定してあるので、温室の揺かごに居るみたいで余計に拍車がかかる。出来るだけ、お客さんと話し、眠さを追い出した。今日からパヒュームを持参したが、反応なし。昼食はパスタサラダだけに抑えて、夕食長崎ちゃんぽんと餃子。帰って即寝ることにした。 2月22日(金曜日) 今日は移動日になっているが、もう既に移動済み。喫茶店でジャズの歴史を翻訳。時間たっぷりで1ページ済ませた。翻訳は確かに読む力はつくが聞く力には関係ないようだ。一番必要なのは聞くほうだから、作戦を変えなければならないかも。もう一つラジオ講座を取るか?テレビ番組で間に合わすか?秋頃のドイツ行きに階段を上らなければならない。その後ヨドバシカメラに行って食器洗い機を勉強。タッチパネルで家電に強い僕でさえ、使い方がわからない。パナの社員さんを呼んでもらって説明を聞くが、彼も出来ない。ここに電話をして聞くようにとカタログの後のページを紹介くださった。家庭の主婦と言っても、多くは、ばあさんにこの商品を売るのは、果たして正しいのか?少し気がひける。それは僕らの考える事じゃないと言えばそれまで。この機能の複雑さは、オプションボタン長押しで、隠しキーが現れて、設定を変更できることだ。そうしないと、この食器洗い機は24時間いつでもスイッチが切れないデフォルト設定になっているのだ。結構罪な商品を作るぜ。(もちろん電気代は1日で2円だから問題なしと言えばそれまでだが)夜は懇親会。僕は、ここ最近「事件」が多くてそっちの方に気が回っていたせいか、メンバーと少し距離ができてしまった感じがある。その一番の要素は、1日に最低2時間は英語に当てて、普通の人が接するであろう、普通の情報や体験をしてないことにあり、一方で僕の関心が英語しかないことである。おじさんが英語を勉強するということはそれだけ僕の心を縛っているという事。そして僕の場合は克服するのではなく、常に注入し、それと同じ量を忘却しているので、維持のための勉強であるのだ。だから休むのは出来ない相談だ。これは体力の続く3年くらいが限度かな。 2月21日(木曜日) 3時半に目覚めた。昨晩寝るのが早かったから、これでも6時間寝ている。本を読んで過ごした。また眠くなり今度起きると6時10分。散歩に出かけ、「大江戸」の朝食。今日の会議は、コスモスベリーズの参加店に対する異業種懇親会。午前中、参加店の成功事例。長野のグループ活動。地域の銀行がバックアップするかなり本格的なもの。もう一つは、風変わりな参加店で、テレビでしょっちゅう放映されているという、「潰れない電気店」。昔の城西電気のような感じ。マスコミが取り上げると大概店は左毎になって潰れるのだが。その後、「人生100年」についての講演。大塚典子氏。社会の変化を見事に捉えた内容で、これで2回目だが話の内容が充実してきた。しかし、僕としては少し片手落ちのような気がする。というのも、「ホモディウス」を読んで、人類はここ100年の間に経済成長が宗教よりも優先される現実に直面し後戻りできない。今までは他の絶滅種はあるものの何とかやり過ごしてきたが、これからも成長が続くと地球の資源が枯渇する。その時、経済成長できるか?又は、人類が絶滅危惧種になるのではないか?という恐れは多分にあると指摘する。大塚氏の話にはこの地球環境の視点が欠け従来からの延長線上に話が展開したのは画竜点睛を欠くようだったのだ。もう一名は武田邦彦氏の講演。日本だけが神と人間が平等で、政権管理者はそのお手伝いができる立場だと新しい視点での日本分析。中国も欧米諸国も国民をヒエラルキーとして管理していると言うし、国民も納得している。やっぱり日本は一番だ!という、元気の出る話。ここで食事。この会社の昼食懇親は素晴らしい料理(前回)だが、バイキング方式で僕らが食にありつくのはずっと後で、しかも十分な量がなかった。今回はこれを想定して、ここで切り上げた。外に出て今日の会場のパレスホテルを撮影していると外国人に話しかけられた。スタチューを知らないか?知らない。それならOKだ。東京は綺麗だ。ニューヨークはセントラルパークのみ綺麗だ。というので、そうだ、僕も今月行った。周りの高いビルで1/3くらいが影だったと言ったら、その通りだと。イギリスから来た人だった。後でスタチューを考えると「像」のことではなく、「象徴とする天皇の事」では無いかと気づいた。スタチューの意味はモニュメントとか?聞くと大きな像だと答えたので、僕も気がつかなかった。そういえば開けた空間の事を言っていたから、天皇の為に高い建物が無いのか?の質問でYesと答えればそれでOKだったのだろう。大失敗。でもあの人たちの英語はインド訛り。インド人の帰化かもしれない。聞き取りにくかった。その後ニコン、キャノン、ソニーのギャラリーへ写真を見に銀座へ、その後、千代田区のカメラ博物館へ。ここで山岳写真家に出会い掲載した写真の会話。オリンパスのDシリーズで撮影(フルサイズは山に持って行けない、レンズも1本だけ、何故なら重いから)。素晴らしい写真がフルサイズカメラでなかったのに愕然とする。山の花も昨年の1年で全て撮影したという(そんなにタイミングよく撮影できるものか?)。浅間山の写真は通い詰めないと撮れない写真だと指摘するとよくぞ言ってくれたと、話に火がついた。今日は大変良い話といい絵を見せてもらい幸せだった。 2月20日(水曜日) 朝5時に目が覚めて、今日の行き先を確認した。いつも行った先で確認をしてたから、バタバタのないように今回は事前に。それから散歩に出た。満月のような月がまだ西の空に残っていて、景色は明るかった。家に帰る頃には今度は東の空が明るくなり、結局懐中電灯は使わなかった。今日は会議だから歩くことはないだろうとあらかじめ万歩計を進めた。東京も暑く、コートは不要だったが仕方ない。会場は早稲田大学のキャンパスで、案内状では徒歩7分。グーグルマップでは14分。懐かしい顔ぶれが並んでいた。元居た会社の仕組みも聞いたし、会長の話も参考になった。これからは「事」消費だと言われるが、その先の「時間」に焦点を当ててビジネスを展開する話は新鮮だった。コスモスベリーズは、あの大トヨタが話を聞きにくる程のノウハウを持った会社になっていた。大井町のホテルに宿泊し、6時から懇親会。不思議な事だが、いくら懐かしいと言っても、こんな場所に自分の時間を割いて出かける好奇心が妙に自分らしくないような気がしているが、毎年参加希望を出している。一人暮らしで寂しさが募っているから、こんな機会を逃す手はないと感じているのだろうか。自分のことながら真意は不明。 2月19日(火曜日) 天気予報どおりに雨。ここの所、夜10時前に寝て、5時過ぎに目が醒めるパターンが続き、7時間はきっちり寝ているので調子が良い。適度な運動が功をそうしているわけだが、今日は運動が出来ない程の雨。PerfumeのCDを録音し、USBに収めた。音楽リストも書き直し、結局午前中いっぱいかけて整理した。昼食の後、風呂を炊き、プールに出かけた。体調の加減か2kmは難なくこなした。今月に入って久しぶりの水泳だったのか、左足親指が妙な水を掻いていると思い、泳ぎながら見ると 、痛みはないが吊っていた。プールの真ん中だったが、そのまま呼吸を止め土踏まずを思い切り押して直していると、監視員が飛んできた。溺れているのではないか?と。僕は足の吊りが戻ると何でも無いと手を振って力強く泳いだ。こんなことは始めてだ。歳をとるというのは、今までにないことが普通に起こるから、最新の注意が必要だと言うことだ。CoCo壱番屋でカレーを買って帰り、家で野菜サラダを作って頂いた。プールの疲れが出てきて、出発の準備を終えると9時過ぎに寝た。 2月18日(月曜日) 今まで日経新聞や日経NEは鬼の首を取ったよう用に囃し立てている(2017年頃)NVIDIA社。今日ではゲーム機器用の需要が上がらず、期待された自動運転のチップに陰りが差して株価暴落、ソフトバンクも資本撤退に至った。節操のない日経だが、僕のように、昔の記事を読んでいる(NE 2017年7月)身としては、ただあきれるばかり。ここは上っ面の新聞社だ。もう一つの記事、今朝買ったNYタイムズ。ほんのこの前行ったマンハッタンの記事。ブルーノートの向かいのブロックが、昔のニューヨークがそのまま残っているとして、映画になった記事だ。マクドもそのブロックにあって、時間潰しの散歩から帰るときの目印にしたし、すぐ近くのワシントンスクエアの公園のことも書いてある。あの情景が目に浮かぶ。同じくその新聞の記事で、インドのゴアを取材した記事。ここも行った。インドでは豊かな街で、外国人も多いが、その事に触れてある。世界は日本中心に回っている(NHKはそのようだが)わけでもなく、アメリカ中心でもない。本当は自分中心だが、僕にはその自信はなく、ニューヨーク、ロンドン、パリ、東京、モスクワ、北京、ムンバイなどを押さえておく必要があるだろうなぁ。そしてこの目で街の雰囲気を確かめておきたい好奇心がムラムラと湧き上がってきている。その為にはお金が必要で、もう一つ仕事を受注して軍資金を得たい気持ちと、そうすれば、体力のあるうちに外国を回れないジレンマとが交差する。オーディオの投資をやめれば軍資金は出来るが、日々の快楽に事欠く。悩ましい所だ。浮かれた気分で高知に帰り、刺身を食べたくて安芸市の寺尾に出かけた。ついでにツタヤに寄って、パヒュームと井上陽水の「明星」を借りようとしたら、何と、井上陽水のCDは3枚しかなかった。店の人に聞くと、CDの売り場も1/3に縮小した所だ、レンタルも縮小しようかと思っていると話された。もうCDは需要がないのです。と言う。そうか、アマゾンや音楽配信の影響もあるが、音楽への関心が急速に薄れてきている(多分これは全国的だろう)のと、高齢化が急速に進みつつあり、CDを購入するとかレンタルするとかの人口が減っている高知独自の事情が拍車をかけたのだろう。もうすぐ外国人労働者が大量にやってくるのだが、音楽が復興する可能性は少ない。 2月17日(日曜日) ホテルの朝食が満杯。時間をずらしたので、予定が狂い、朝の喫茶店はプロントではなく、スタバ。ここは圧倒的に客数が多く、また、MacのPCが多い。そう、よく似合っている。僕もiPadを開きジャズの歴史翻訳。そう、ここでスポーツ新聞を読むのもダサイし、文庫本を読むのもダサイ。英語の本しかダメだ。まぁそんなつもりはなかったが、僕の場合はたまたま。ビッグバンド風の演奏から、フロントラインが逸脱して、R&Bに転向したくだりを読んでいる。当時はそのような名前は無かったと書いてある。翻訳は殆ど速度が上がらず、土日の朝の喫茶店の滞在中に一ページを超えることがない。長編ものでは、坂口安吾が25000ページ残っているのと、日経NEが1年7ヶ月分(2300ページ)残っている。これら4つが4月末に同時に完成するだろうと見ている。いつも行きつけの従業員食堂が計画停電で使えず、事務所でパンを齧った。そして5分だけうたた寝した。熊本の販売店がやってきた。販社の随行者2名は僕を覚えていた。1984年の事だ。僕がここを担当したのは。2人は僕が全く変わってないので一発で分かったと言う。僕は大阪に出るときは鏡を見て整髪し、随分と年老いた顔に変わったなぁと嘆いているのだが。でも覚えてくれてて嬉しかったし、この仕事は貴方に合っていると言ってくれた。そうなのだ、僕は当時でもオーディオマニアを仕事でも吹聴していた。終了後、「いきなりステーキ」へ行った。長蛇の列だったが、一人、立ち食い席を了承すると、10分くらいの待ち時間ですんなり入れた。200gサーロイン。マンハッタンで食べた厚さ3cmのステーキとは比べるべきも無い大きさ。推奨がレアだった。NYはミディアムが推奨だった。肉の品質は日本のがいいのかなと推測(アメリカの肉だと思うが)。肉の味はどっこいどっこいかな。芸西村のスーパーで買った1000円の肉も僕の調理で互角の戦いをしていると睨んだ。 2月16日(土曜日) 風邪は回復の方向だが、大きな声で連続して話せない。フランス人風のお客様も見えたが、今日は思い切って声をかける勇気が湧いてこなかった。隣のカメラコーナーに新製品のS1Rが展示されていたので、隙を見つけて触ってみた。非常に良い感触。シャッターの反動も少なく、キャノンEOS5Dmk4よりもずっと出来が良い。ただし、重さは驚異的で、レンズ3本持って海外に出るには体力の勇気か、若しくは航空会社への重量の追加支払いが発生しそう。やっぱり海外旅行はフォーサーズだな。今日は井上陽水の50周年記念アルバムをご紹介したが、お客様はあまり関心を示されなかった。ユーミンも、中島みゆきも同じだろうと推測した。午後から急に寒くなった。昼食はいつも従業員食堂でコンビニ弁当だから外に出ることが無く寒さとは縁がないのが良い。30分使い食べて、15分だけ机に俯いて寝る。5分で歯を磨き5分で職場に復帰する。ホント、時計どおりに動ける。この昼寝の器用さは自慢できる。夕刻、前の職場の大阪担当N君が訪ねて来て、状況を教えてくれた。T氏へ電話するように伝言を貰った。就業後、電話をするとT氏は仕事が厳しいと嘆いていた。腰掛けだから真剣になるなんておかしいよとたしなめたが、電話を切った後、これは人に言える柄じゃないなぁ。僕の友人たちには散々、同じ悩みをぶつけたからだ。 2月15日(金曜日) 昨晩も10時に寝て、今朝の6時に起きるなど、十分寝ているのに、朝食の後、ラジオ英会話を聞いていると眠くて、うたた寝してしまう。まだ、旅行の疲れが残っているのだろうか。頭痛と喉の痛みがまだ取れない。母屋の掃除、自分の部屋の掃除。出発の準備。いつもの金曜日のセレモニー。古い家だが清掃すると落ち着く。帰って来た時、掃除した家だと旅の疲れがこの安心感で吹っ飛ぶ。JRで上京。土讃線の列車は寒い。暑い時もある。規定がなく、その時の車掌の気分(そのような気がする)で温度が決まるようだ。後ろの車両が少し暖かかったので移ったが、瀬戸大橋近辺で暖房は切られた。寒さの原因は自分が風邪気味からと思ったが、新幹線に乗ると暖かかった。やっぱり車掌の気分なのだ。車掌は動いているので寒さはあまり感じない。あの体感温度からすれば、15度は切っていると思う。何ちゅうこっちゃ。大阪はホテルの近くの中華料理店で八宝菜と餃子。奥さんの愛想がものすごく良いが、料理はそこそこ。風邪気味だから味覚がない事にしておこう。 2月14日(木曜日) ![]() 2月13日(水曜日) 友人は今日も仕事をサボり、ゆっくりと起きた。僕は食事を作り友人を起こして一緒にご飯を食べた。友人は食卓テーブルの上で書類を開き、仕事を吟味した。もちろん紙の書類だ。もう僕の世界ではあり得ない事だと思った。友人は8時過ぎ自宅に帰った。そのあとラジオ英会話を聞いた。思えば、このあいだの旅行の間、コンビニで朝食を買ってホテルで食べながら、日経新聞を読み(電子版)ラジオ英会話をiPadに取り込んだPDFを読みながら聞き、これは芸西村の朝の風景となんら変わらない日常だった。外国への障壁が一段と低くなったとその時思った。日記をサイトアップし、旅行写真をHDDに取り込んだ。EOS5Dmk3で撮影したISO12800の写真は24型ディスプレイに表示してもあまり破綻はなく、カメラのモニターよりもずっと出来が良かった。当面、海外はこのカメラでいいかな?と思った。昼から竹刈りをし、本日で終了宣言。明日からは石積み。これを早期完成させて、その上の畑を耕しサトウキビの植え付けが出来るように、整地しなければならない。食事を済ませて入浴を終えるともう睡魔の時間で、9時前には布団に入った。不思議の国のアリス(原書)を久しぶりにひらけば、結構読めるではないか。難しい単語は細かな字で、英語で解説してあるが、これも割と解って、一頃前と比べると、階段を一歩上がったような感じを受けた。思いがけない人からバレンタインのプレゼントを貰ったような気分だ。 2月12日(火曜日) 朝8時に友人がやってきた。井上陽水のアルバムを抱えて。この50周年アルバムは、余りにも高価で僕では購入できないため、金持ちの友人に購入を依頼してたのだ。CD26枚組。彼は今日仕事をさぼるつもりで来た。それで、朝から飲み始めた。また、ウィスキー1本空けた。あまりにも天気が良かったので竹切りを手伝ってもらった。山に入ると、彼は坂道で転び、坂の勾配に根を上げてしまった。僕はまだ大丈夫だが、66才はもうこんなに老いる年なのか?と思った。僕は順調に竹を切ったが、彼は1本の竹を切るのに四苦八苦。要領が分からないのだ。僕は自分の年齢をまだまだ行けると過信してた面がある。彼の老いを自分のものとして、多少は体をいたわり、健康に注意する必要があると思った。家に帰ってCDのリッピング。風呂焚き、もう一人の友人を呼び、高知の友人3人で懇親会を始めた。3人が集まるのは久しぶり。同じ話の繰り返しが多い。食事は鍋を囲んだ。僕の家で収穫できた橙を川竹が絞り、それを瓶詰したものがある。これに麺つゆをたらして鍋のタレとする。ところが僕は妙に熱っぽくなり、皆には悪いが、もう解散だと8時に終了宣言を出した。まぁそれでも3時間半は飲んでいるわけだ。折角沸かした風呂は身体を流すだけにして、布団にもぐりこんだ。旅の疲れがまだ癒せてない。もちろん高知の友人は泊まることになった。 2月11日(月曜日) いつものように起床して、大阪駅に向かいスターバックスでジャズの歴史翻訳。10時前に関空に移動。ジェットスターは、搭乗前の締め切りが昔の飛行機のように30分前で随分と早い。結局高知空港には予定の15分前に到着した。この飛行機は格安で、客を集中して着席させ、3列空席、3列満席のような感じだ。南海電車のラピートも同じで、一つの車両に一杯詰め込み、がら空きの車両がある。込んでないなら客としてはゆったりと座らせてほしい。関空は雨だったが、高知は雨が上がり晴れて来た。洗濯を終えて、風呂を沸かせばもう夕刻。友人を招いて食事会。近所の人から、園芸組合が共同出資していた市場の費用の配当金があるので、受け取ってと連絡があった。38千円あった。息子が帰って来ると決まったので、車は廃車せず車検に出すことに。その費用に充てる。先祖の祖父や父の霊が、この土地を守ってくれるのをどうやら息子に託したようだ。今回もみんな忘れていた費用が突然湧いてきたのも、そのせいだろうと思った。ニューヨークの思い出を友人に聞かせた。しかし、表現力は乏しくあの空気を吸ってないとやっぱり伝わらないだろうなと思った。旅行中に読んでいた坂口安吾の世界とニューヨークの体験が僕の中ではミックスしているので、やはり表現がボケてしまうこともあるだろうとも思う。人に話すことで自分の気持ちが整理されたことが大きいかな。 2月10日(日曜日) 小学生に、今流行っている音楽を教えてもらった。すかさずプレイリストに取り込んだ。曲目は「USA」という曲だ。今日は忙しい。ものすごい数の接客をこなした。一度に複数のお客様の対応をする。一時、香港人と他は日本人、日本語で紹介して、英語で紹介した。先月より英語は話しやすい。旅行体験が生きているのだろう。これからの生活の中で、余った時間はすべて英語に回す。そんな覚悟が身を助けるだろう。四川からきた中国人とも話した。今は直行便があるから楽だとのこと。グローバル化の功罪が各国で議論されるが、現実はますます進化しているように思われる。その証拠に、世界各国の企業決算が同じように悪くなっている。米中貿易に関する要素と、スマホの普及限界の2点が共通事項。これをグローバル化と呼ばずなんと呼ぶ。四川の中国人もこう言った、中国人も海外に行く人はみんな英語を話す。話は飛ぶが、iPodのワイヤレスヘッドフォンセットのようなもので、相手が同じような機器を持っていると、相手が翻訳機に話しかけると、ワイヤレヘッドフォンに通訳した母国の言葉が流れる機器が開発されているようだ。ますます、グローバル化は進む。この流れを日本の子供たちは受け取っているのかな。 2月9日(土曜日) 時差ボケはないと書いたが、疲れがあって、昨晩は9時に寝たが、朝起きたのは8時だった。危うく遅刻するところだった。今日は身体が軽い。でも寒いのにかかわらず喉が乾く。今日のお客さんはレベルが高く、僕の全身全霊を持って対処しなければならなかった。古い記憶も掘りださなければならなかった。なんだか持っている知識を全部使い切ったような接客だった(3件)。これに触発されて、新聞や書籍はもっと真剣に読もう。音楽はただ漫然と聞くのではなく、体系だって聞こうなど、反省する事しきり。全ては格好いい接客のためだ。しいては自分が大きくなるためだ。そんな事を思わせる1日でした。帰り、1階の出口から出ると、ソウルズの路上ライブがあった。これはなかなか良い。少しヨドバシ側に歩くと亀田ユカのライブもあった。こちらはキーボードのみ。客が一人もいない。仕方なく立ち止まる。その義理はないのに。でも誰も立ち止まってくれない。どうして?そんなに悪くないのに。次の人が来るまで待ったが誰もこないので、持っている小銭を全部あげた(といっても、アメリカの硬貨)会話しなかったので、日本人だとみられなかった可能性もある。帰りは天六のORIGINでお弁当。野菜中心。それでも、マヨネーズなどがあり、結構カロリー高そう。ホテルのロビーを借りて食べた。侘しいかな?今週は豪華な食事を毎晩してきたので、許そう。息子から6月に帰省するメール。最後の月は有休を使うとあったので、だめだと窘めた。最後の最後まで奉仕して帰って来るようにと言った。父でさえ、退社前に有休を使ったことは一度もない。気が緩むからだと。どこまで聞いてくれるかなぁ?農業をするなら、休みがない生活になる事を伝えなければならない。これは帰ってからの事になるだろう。仕事への真剣勝負の覚悟を教えなきゃならない。と僕の方が意気込んでいる。(そういう僕は6月に姉とベトナムに遊びに行く計画を立てている) 2月8日(金曜日) ショウルームに寄ると今月は猫月間。正面のレコードたてには、ジミースミスのCATが飾ってあった。京都に移動。友人はチューブに繋がれ眠っていた。僕らが大きな声で話をすると身体が反応している。聞こえているのとちゃう?先生はなんとも言えないとつれない話。僕らがいなくなるといなくなると、普通に戻るようだ。3時間ほど滞在して、友人には戻って欲しいことを大きな声で伝えた。回復には時間を過ごすしかない。奥さんとは長い待ち時間に随分話した。今まで自分の思いもしなかった事も浮かんできて意見交換した(多分先方もそうだったと思う)。電車の中ではつい眠ってしまった。気がつけば目を開けて眠るのを我慢した。夜はきちんと睡魔君が来るだろうが、もし来なかったら困ると思い用心をした。今日からはお酒を抜こう。天六の阪急オアシスに寄ってお寿司と、野菜サラダ、野菜の煮付け1350円購入。ホテルで頂く、普通の生活に戻った。今回耳寄りな話を聞く。東京のショウルームに数日間仕事で行けるそうだ。この時は、ブルーノートと、ビルボードでJAZZを聞こう。上野の美術館も寄ってこよう。時は5月らしい。もう一つは息子が帰る決定をした。健気なメール文章に心を打たれた。今日は時差ボケ修正日のつもりだったが、いろんなことがあった。 2月7日(木曜日) 日記の日付と行動に差ができたのは、時差ボケではなく、行動が途切れるためです。NYからロスまで6時間。多分車だと1週間。スタインベックの怒りの葡萄の頃だと1月間くらいの距離。出来るだけ寝た。起きている時は書籍。飯は簡単なもの。飲み物は僕には声をかけてくれないので、持参の水。椅子は倒れず最悪。でも飛行機に備え付けのマップは感動。通路側で外が見えないが、このマップは、左右、前後が3Dで表示。下の風景や、土地の名前も表示。これには感動しました。ロスから関空の飛行時間は12時間。合計でこの日は18時間も飛行機に乗った。関空-NYの直行便だと12時間30分。次回はこれだな。今夕はお寿司を食べたかったが、降りる直前の機内食で、スパゲティをいやしくもつまみ、あまり腹が減ってなかった。いつもの東横インへ、今日は自腹。思えば、毎週旅をしていて、たまたま今回は外国だっただけで、旅には違いがなく、生活に大きな変化がなかった。いわゆる旅慣れですね。だから、NYでも何となく生活ができたのではないかと思う。普段自宅でしか生活したことが無い人では、こうは行かないだろう。もう一つの僥倖はロスでロスタイム発生。8時間の飛行機待ちにサンタマリアに行ったこと。始めてのウーバーを使い問題なく観光と食事が出来たこと。サンタマリアの観光よりも、ここに一人で来れた事に自分でも驚いた(外国を旅慣れた人だったら当たり前の事ですが)。大阪の夜はホテルの近くのパスタの店で夕食。店の人は話したそうだったが、今はアメリカのことしか頭になく、店の人に通じる話題が思い浮かばなかったので、iBooksに没頭した。10:30。いつものように就寝。時差ボケはない。 2月6日(水曜日) ![]() 2月5日(火曜日) ![]() 2月4日(月曜日) ![]() 2月3日(日曜日) ![]() 2月2日(土曜日) ![]() 2月1日(金曜日) エライコッチャ。ニューヨークが寒波で空港閉鎖になっているらしい。ロス経由だから、ここで足止めを食らうのかな?それならそれで仕方ない。ロブスターとカルフォルニアワインを頂くかなぁ。今日の新聞記事で日本人は外国人をマネジメントできないことが判明した。欧米人は日本人をマネジメントできるのに、なぜかなぁ。野村証券が大赤字を計上した。リーマンショックの時に、無傷だった野村はリーマンの社員の大半を雇用した。社長は高々に業績拡大を宣言した。頭の良いリーマンの社員をどうやって使うのだろうと、当時思ったが、案の定使えずに毎年切り売りして、とうとう今回思い切ってのれんの焼却をした。そうして、みんな思っただろう。「やっぱりね」。午前中はタイヤ交換と墓参り。午後は母屋の清掃。荷物の準備。今回は大阪で仕事があるので、その分も含めて9泊分。役場より電話、財産区の会議案内。2/20。この日はコスモスベリーズの年次大会で出張。会議内容は後で聞く事になった。風呂を焚いて3:30にプールへ出発。寝違えて左肩が動かないので、2kmを1時間15分かけて泳いだ。今回の旅行にはプールの用意はない。 1月31日(木曜日) 朝から大雨。渇水で水道の制限だった日々が、これで終わるだろう。遠い親類だが、両親の葬儀に対し、香典をもらっていたので、通夜に出席した方が良いと浜のおじさんに連絡を貰った。香典関係はエクセルにまとめ、PCのディスクトップにおいてあるからすぐに確認できる。葬儀は2月2日で無理だから通夜には来る様にとのこと。午前中は、勤怠提出と、旅行に持っていく音楽と、ウーバーとApple Payをセットした。向こうでは多分現金の扱いはないだろうから、ちょっとした買い物も現金レスの対応が必要だろうと判断。ツアーでいくなら別だが、個人旅行はこういうことがあるから僕にとっては楽しいが、ご老体にはしんどいかな。そのかわりあちこち効率よく回れない。それは仕方ない。マンハッタンで終日ぶらぶらするつもり。I’m mast looking(ただ見ているだけ)を頻発しようと思っている。向こうの書店でチェックした本は、日本で購入するつもり。音楽はクラシック中心にiPodに入れた。向こうではジャズしか聞かないからだ。ニューヨークタイムズを読むと、アメリカの飛行機の機内サービスはWiHiが充実しているが、備え付けの機器の方は全くダメと書いてあった。持ち込むモバイルに期待しているとのこと。それを見込んで、タブレットは2台持って行くつもり。早めにお風呂を焚いて風呂に入ろうとしたが、風呂への廊下の雨樋から大量の水があふれている。笹が詰まっているのだ。服が濡れるので、裸になって修繕。寒かったが、すぐに熱い湯に浸かった。(昨日は風邪気味だと言うのをすっかり忘れていた) 1月30日(水曜日) ![]() 1月29日(火曜日) サウジアラビアのムハムンド皇太子が大規模なサウジ事業の骨格を表明した。未来を憂い新しい事に挑戦するのは2代目息子として結構な事だが、よく現実を見極める必要がある。その計画を誰が実行するのか?と言う当たり前の現実があるのを知らないわけではあるまいが。アラブの人は怠惰だ。酒を飲まない割に怠惰だ。インドの南の西側に割とこぎれいなコチと言う都市がある。ここの住人はアラブに出稼ぎをして外貨を稼ぎ裕福な人が多いので小ぎれいだ。僕が訪問していた2010年ごろは、人口の1/3ぐらいが出稼ぎで、現地でも数十万人規模の出稼ぎ社会を形成していたらしい。結局アラブの開発は、この様な外国の出稼ぎの人たちが携わり入魂の無いカタチが出来上がる。そして生産性の上がらない器だけが残って何も稼働しない。そんな未来が僕には見える。そして仕事にあぶれたアラブの人は先進国を妬みテロを起こす。ペロブスカイトと命名された素子がある。これを使った太陽光発電は効率40%も夢じゃ無いと言う、車の屋根に貼って一日中放置すれば25kmくらいは走れると言う。いよいよガソリンのいらない車が出来るかもしれない。中東の石油が不要になるのだ。太陽電池の方は石油枯渇の問題よりも早いかもしれない。 1月28日(月曜日) 会社を挙げての臨戦態勢で3月は望むことになった。めちゃくちゃ忙しくなって、僕らも販売応援に出る事になった。展示会に出るのは昨年末もあったが、今度はオーディオとは関係のない家電品の応援で、今回は食洗機。これは、2016年に買った酷使している家電品だから、ありがたみを伝える事ができる。特に、僕は洗剤を使ってお皿を洗うと親指の爪の根元が割れる。これは痛い。だから、普段油を使わない料理には水で食器を洗い、洗剤を使う油料理の時には、食洗機を使っている。それと、焼き魚など、網を使った料理はどうしてもスポンジで洗いきれない。79800円と高価だが、洗濯機と同様に効果がある。このことを伝えよう。遅くなって5時の新幹線で帰る。新大阪のガンコで寿司。ここはやや高価で何時も空いているのが良い。今日の新聞では病気を治すDNA改ざん記事に触れていた。今回の現実はエイズに感染した主人から、DNAの病原を取り除き子供を出産した件だが、男前とか、走るに早いDNA操作ももしかしたら可能かもと。そして、日本がこれに関しては一番先端端的な位置にいるとのことだった。ディープラーニングも行くところまで行けば、アルゴリズムに置き換えられる的な電子工業会の話も面白いが、先端医療の世界を覗くのも面白そうだ。時間がいくらあっても足りない程、面白い話題が転がっている。当面は目の前にぶら下がっている食洗機の知識習得だが、できるかどうか不明だが次の勉強テーマが見えてきた。10時に帰りオーディオのスイッチを入れるとパワーアンプの右チャンネルのリレーが接触不良で音が出ない。又修理だ。これを機に入れ替も視野に入れる必要があるのかな。 1月27日(日曜日) いろんな事が地に足が着かず1日過ぎてしまった様な感じがする。そういえば、昨日の朝、梅田の交差点で信号機待ちをしていると、ゆっくりであるが歩道に車が突っ込んできた。街路灯に当たって車は止まったが、運転手は意識のない状態だった。この近くでは同じような事故があり、そちらは亡くなった人が出た。高齢者は何があってもおかしくはない。僕を含めてだ。今日はハービーハンコックのLP「処女航海」の音が素晴らしく、感動。元上司のM氏に連絡がつき東京で再開の約束。近況を伝えた。女性のお客様(40歳くらい)にジャズの手ほどきを行った。ジャズの歴史を英訳しているので、初期のジャズについてはかなり知識を蓄えていたのだ。英訳はもうすぐ60ページに達する。朝の喫茶店での英訳は2/3ページくらい進むようになった。もうちょっとで1ページに達する。ショウルームでのレコードジャケット裏面の英語は時々サーと流し読みが出来る時がある。読むことに関してはもう少しだ。急にヤフーのメールが使えなくなった。他人がパスワードを盗んだような警告があった。梅田からの帰りに阪急オアシスによって夕食の買い物をした。グランフロント社員用に配布されたポイントカードが有効だった。梅田は阪急が牛耳っている。 1月26日(土曜日) 小人な私はオロオロしている。いつも不安な時に電話をかけていた人がいないのだ。どうしたら良い?60歳以降、自分で結論を出さざるを得ない事が何度も発生した。結局は人間は一人だと分かってはいても、誰か話し相手がないと不安だ。話してどうにもなる話ではないが。僕は一人で生きられる精神力の強い人だと思っていたが、実はそうでなかった事に気がついた。いや、薄々前からそうではないかと思っていたが、今回はっきりした。嬉しいニュースは、僕の上司であり、飲み友達であった方が、ショウルームを訪ねてきてくれて、伝言が残っていた。東京に出た折は一度呑まなきゃと思っている。万歩計を買った。昨年秋失ってから、そのままだった。今日計測したら、13500歩で、大阪に来てもそこそこ運動していたと確認ができた。15000が今までの平均だが、膝の事もあり、今の歩数ぐらいが適度かなと思っている。ヨドバシでSDカードとCFカードを買った。ニューヨークでの撮影の為。堪え切れない不安を抱いて、近くの中華料理屋さんで酒も飲まず夕食。 1月25日(金曜日) 悪い話。一つはサトウキビを材料にしてお菓子を作る件。友人が菓子の製造を始めたので、サンプルを送っておいたが、この結論は、サトウキビを使うのも、白砂糖を使うのも変わらない味と風味。これでは高価な砂糖を使う値打ちがないと断られた。もう一つは、大事な友人が倒れた。さらに、近所の友人はインフルエンザで昼飯にマクドナルドを買って持っていった(彼は食欲は変わらずある様だ)ついでに僕もマクドの昼飯、付いていたコーヒーを飲んだら胃の調子を崩してしまった。コーヒーだけは合わない身体なのに、今日は気分が良かったので飲んでのだ。以上3点セットの凶事。友人だけは回復をして欲しい。あとは僕自身の問題だ。老人は無理をしたらいかん。 1月24日(木曜日) 昨日大事なことを書き忘れた。朝8時ごろだったが、今年初めてのウグイスが啼いた。弱々しく、これでいいかな?的だった。もう春だ。この強い太陽と若干の冷たさは、何度も通ったインドを思い出させる。インドの旅は2月が良い。乾いた大地に沈む夕日をみると何とも言えない、遠い国に来たんだ感がする。それがたまらなく良い。インドを旅すると必ず聞かれるのが「ノンベジかベジタリアンか?」インド人はベジタリアンが多い。野菜の食事だ。そのため満腹感がないので、大量の米を食べる、これに加えて、質の悪い植物脂と豆。そうすると立派な太鼓腹ができる。男も女も。ヒンズーの神様も。僕も昨日と今日はベジタリアンだ。近所のひであき君から貰った大量の野菜の処分のためベジタリアンになっている。明日大阪に行くので、明日の晩は肉だけ食べよう。肉に飢えている。郵便物の整理をしてたら、野村證券の株の金額が出て来てた。わずか半年で100万円も目減りしている。母の預金通知もあった。全て解約したつもりだったが、通帳の後ろに定期預金のページがあって、そこに若干だがお金が残っていた。NTTからは電柱の施設料の支払いが父の口座になっていた。疑問を感じたので電話をすると、別の人に支払っているとのこと。父の遺産は全て私であり、他の人はあり得ないのだ。もう一つNTTからdポイントプレゼント通知があったのに、手続きをすると貰えない不具合があった。こちらは未処理。友人がインフルエンザにかかったとメール。カツ丼とカレーを食べたいとの事。プールの帰りに買って渡す。独り者は病気になると辛い。 1月23日(水曜日) 夜中に腹痛で目覚める。昨晩は、雑炊。煮込み料理しか食ってないぞ。何が原因や?一つは、昨晩は疲れが激しく、9時に寝た。身体が弱っていたのかもしれない。そして今朝は猛烈な空腹で目覚める。ジュースを作るのももどかしく、まず食パンを少しかじってから、ジュースを作った。ジュースの中に牛乳を一杯入れて、1、5リットルくらいの水分を取った。やっと落ち着いた。すると、ひであきくんから電話があり、「野菜を持って行く気にまっちょって」と、いただく野菜は山のごとく。冷蔵庫に入らない。今夜は必然的に野菜中心の料理。竹切りは2時間に抑え、郵便物の片付け当てた。クイーンの人気が止まらないので、アマゾンでサントラCDを買った。やや音が硬めだが、ノリは良い。車で運転するときに聞くのが最適。ただし危険な運転になりそう。大将からSSNが届き、1月29日21:54 BS朝日で、芸西村のサトウキビの精糖が放映される。彼らは、午前3時に来て、午後3時まで取材した。でも放映時間は10分くらいらしい。NHKも放送されたし、NHKのラジオでも、高知新聞もあった。「おとうさんもまだ頑張っているんだ」と娘からのメール。範となるかな? 1月22日(火曜日) ![]() 1月21日(月曜日) 朝の電車で帰宅。JRの職員が岡山乗り継ぎで1時間後の列車を予約してくれて、これは自由席に座った。ご免駅で買った切符だが、トロトロしている、年配者を押しのけて、若いにいちゃんが手配したのだ。で、この結果だ。バカがしゃしゃり出るとこうなる。帰って洗濯。来週くらいから寒波が来ると聞いたので、さとうきび畑に行って、切り株に土を被せた。暖かい日が続いたので、もう新芽が出ていた。キャノンEOS5Dとニコン850Dで70-200mmf2.8を装着して撮り比べをした。EOSはタムロンのレンズだったので、ピントの合う時間に差がある。ニコンは、シャッターボタンを押す瞬間にピントが合い、ピピと合焦の音が出る。この差が余りにもあるので、びっくりする。シャッターを押した感触もニコンが良い(EOSはぐにゃって感じ)。この後モニターで確認すれば、解像度が違った。4000万画素と2000万画素の差。しかし、外国にはニコンを持って行けない(窃盗の恐れ)。それに、現在最高のカメラと比較しての差だから、比較しなければ、EOSも良い写りだ。風呂を沸かして、食材の買い物。今日は暖かく、夕食時は暖房なしで過ごした。疲れて、9時には就寝。最近9時に寝ることが多くなったぞ。 1月20日(日曜日) 早いもので今月はもう半分を過ぎてしまった。日の出も先週に比べて3分も早くなっている。1日30秒位だが、これからは1分ぐらいになるだろう。今日はフランス人と接客、フランスといえば「ドビュッシー」(クラシック音楽の作曲家)ですねと知識を広げたら、「彼はイタリア人、フランスで育った」と訂正された。まぁそれでも30分くらいは英語の勉強となった、同時に入ってきた台湾人、日経新聞の統計が正しいのか尋ねてみた。「何回日本に来ている?」9回。やっぱりね。人口の割に日本への渡航人口が多いので複数回あると踏んでいたがまさにその通りだった。でも今思えば、フランス人は綺麗な英語を喋ったぞ!どうしてだ?wong sanのCDを紹介してくれた人は常連客。直ぐにでも買いたいが、ハイレゾが出るのを待ってからでも遅くはないと断念。ということで、今日の接客も楽しかった。ABCマートで、スーツに合う運動靴を買った。アメリカ旅行にリーガルの靴を下げて行くわけには行かず購入した次第。帰り道イオンで弁当を購入。ホテルで弁当を食べながら日経NEを読む。蓄電池の記事が多いが、パナが他社と違う円筒形の蓄電池を製造(他社は角型電池)少し気になる部分である。昨日の日経新聞にはトヨタとパナの電池合弁会社の記事あり。僕は電池の性能が単三電池のように一律であれば、連合や生産台数規模の事が重要だが、電池の性能が相当違うのではないかと推測している。そうでなければ、生産台数が世界1の中国メーカーは本当に凄いと思わざるを得ない。日経新聞はもっと頑張ってその辺りも取材し、規模×性能=の評価を示していただきたいものだ。それでこそマスコミだ。 1月19日(土曜日) 妙に暖かすぎる。地震でも起きやしないかと心配。今日は忙しく、友人からも2通のメールが届き(一人はベトナム派遣員、一人はBD設計者)、世の中が動いているのを実感。今日はサウンド・マネージャーがお客様として来館し、お話を伺った。イスラエル出身のアメリカ人で日本滞在10年。日本語ペラペラ。英語の勉強にならない。神戸の酒場で録音したジャズを聞かせてくれたが、すごいいい音。もちろん販売できるだけのレベルを備えている。普通外で録音するのは、44、1khz24ビット。スタジオは96-24との事。マイクはノイマンを使い、サックスはホーンの先にピン留めするテクニカ製との事。機器より耳のバランスの問題だと思った。彼は耳が良い。特筆は連れてきた5-6歳の息子が、マイルスのSo Whatの演奏を終えた後に、もうフレーズを口ずさんでいた事だ。今日は息つく暇もない忙しさで時間の経過が早かった。ホリの深い博多美人もきた。博多は美人が多いですねと聞くと、「えっ、そう」と意外な返事だった。ヨドバシでEOS5Dのバッテリー購入。ついでに100-400のレンズ装着して手持ちしたが、これは旅行に行けないな!的な重さ。やはり旅行にはマイクロフォーサーズがいい。早く暗さに強いカメラが出ないかと期待。 1月18日(金曜日) 大阪へ移動の日。余った時間で音楽でも聞けば良いと行動を前倒しにしたが、結局時間ギリギリの出発となった。というのも、前回出張した時の領収証が見当たらない。それを探すのに思わぬ時間を食ってしまった。結局見つからなかった。車中は日経NEを読んだ。いよいよ個体電池の時代がやって来そうだ。容量が現在の2倍程度になり、車の航続距離が伸びるとある。僕は寧ろ、この電池によって、自然エネルギーの蓄積が可能となり、①現在の電力会社が倒産の憂き目にあう。②石油系メジャーも含めてエネルギー会社の経営が揺らぐ。③中東の重要性がなくなり、中東だけではなく、世界が不安定化する。この3つが2030年までには台頭するのではないかと懸念している。この時78歳。僕は未だ活動期にある筈。結果が確認できそうだ。この本は主に部品レベルの話が多いので理解は難しいが、技術のトレンドを把握するにはぴったりだ。年間16500円。年とともに、書籍を切ってはどうかとマスコミでは進めるが、どうかな?と思う。打ち合わせがあり、2時間ほどショウルームで過ごし、梅田のカメラのなにわに寄ってEOS5Dmk2を買った。旅行用。型は古いがフルサイズセンサーでカメラを楽しめる。これなら、ある程度暗い場所でも撮影できるから旅行でも大丈夫だ。ネパールに行った時、薄暗い居酒屋風の室内で、民族舞踊を踊ったのを、持参のカメラ(LX5)では撮影が出来なくて憂き目を見た。もう一つはインドの貧民街の撮影を走る車からは撮影出来なかった(シャッター速度を上げられなかった、この時はEOS20D)。いずれフォーサーズの明るいカメラが発売される筈。EOS5Dはその時までの代用だ。 1月17日(木曜日) 両親の死のダメージは至る所に僕の中に傷を残していた。その一つが、書斎机の後ろにあるカゴの中にもう崩れそうなほどの郵便物が積んであり、その整理に手がつけられてなかった(そんな気が起こらなかった)が、やっと今日着手した。芸西村の金券が出てきたが、もう期限切れだった。1日で終わるわけはなく、これから何日もかけて処理しなければならない。心機一転、色々と手を広げては見たものの、今まで行ってきた日常的なもの、それが妙に鬱陶しくて手が出せなかった。その気分的な嫌気感が両親を看取って2年後に回復してきた。3周忌(2年後)とはよくよく考えられた期日であり、それ以降は自立できるための法要を営む。無論、昔の人と同じで、誰もいない田舎で、山を見、畑の草を呪って自問自答する日常だから、心の中に仕舞い込むにはそれだけの時間がかかったかもしれない。まだ他にも、蔵や物置の2階など、目をそむけているところがある。口永良部で火山が噴火した。いよいよ連鎖による南海地震も近い、この地震が来るのを待っているのも心の奥底にはあって、この地震で先程の蔵や物置が全壊すれば、有無を言わさず片付けられるのにと、ほのかに期待する向きもある。そんなこともあって、今日の竹刈りは休憩日だった。運動は高知のプールへ行った。2km。1時間。計算間違いもあって、本当は2、2kmくらい行っているかもしれない。と言うのは予約されたレーンで泳いでいたので、上がるように注意を受けたが、時間ギリギリまでは可能はずだと交渉して、すっかり距離のカウントを忘れてしまったのだ。帰りに南国市で買い物。駐車場から、店舗の建屋までの僅かな距離の何と言う風の冷たさ。それが我が家に帰るとこの風が妙に生温い。何だこれ?寝る前に少しだけ「プレイボーイ・ジャズ・フェスティバル1984年」をLDで見た。ノイズだらけのモノラル音声。でも演奏はピカイチ。目が離せない、これがジャズの真髄だ。現在では滅多にお目にかかれない熱い演奏。 1月16日(水曜日) 相変わらず竹切りをしている。おやつにと、小学生がサトウキビで作ったまんじゅうを代表の猪野さんが持ってきてくれた。店で買うものより皮が硬いが、自分たちが作った砂糖が使われているのが、後押しして美味しかった。生の竹は、3時間で15本くらいの伐採が限度だ。ここの孟宗竹は直径が25cmくらいの重量級で、切り方によっては、破片が跳ねて大変危険だが、今日は始めて、この破片に腕を叩かれて唸った。しばらく休むも回復せず効率が落ちた。それは竹が余りにも密集して生え、切っても倒れないから、真っ直ぐに立った竹を切るのだが、最後のところで、上部がどちらかに倒れる、その倒れ方によって、切断された方の竹の端に乗ってしまうのだ。そうすると、切断された竹は片方に重しが来たので、片方は反対に上にポンと上がる。それが腕を叩いたのだ。注意しても瞬間的なことなので、なかなか逃げ切れない。この竹は、昨日100本くらいの伐採と計画したが、200本くらいに上方修正が必要で、あと15日くらい通わなければならないだろう。2月は留守が多く、3月は大阪での仕事が多く、蚊の出てくる3月一杯かかるかもしれない。一方で、石積みを早く終えないと、サトウキビの植え付けができない。サトウキビは3月中頃には植えろ!と大将のアドバイス。2月の旅行を終えると、英語勉強の時間を緩めて、1日4時間(今は最大3時間)の作業時間とすれば間に合うかもしれない。それと、日没が遅くなっているので、30分くらいは、終了の時間を遅らせることができるだろう。 1月15日(火曜日) 気のせいかもしれないが、毎夜母屋から、自分の部屋に行く時、妙に少し離れたところに何かが存在する気がする。一度はタヌキと鉢合わせをしたが、そんなものじゃなくて、妖気が感じられるのだ。山で、木や竹を切っているので、何かの逆鱗に触れたのかな?兎に角薄気味悪い。僕的には、放置された山林を片付けているという自負があり、山にとってはいいことではないかと思うのだが。どうだか。今朝から台所でインターネットが使えなくなった。僕の部屋から母屋に引いたイーサーネットケーブルが断線したようだ。ケーブルむき出しだから雨や太陽に焼かれ、破断したのだろうと思うが、なぜこのタイミングで?と言うのもある。午前中、ハイレゾの整理をして、午後は再び竹切り。今日の作業で、下草の処理や、倒木の整理や、上から倒れてきている竹など全てを取り除いた。明日から、純に生きている竹を切っていく。恐らく、100本くらいの竹を切らないと、鬱蒼と茂った空は開かないだろう。切った竹は地面に転がすので、上は開くが、下が一杯となりかねない。夕食に、エンリギと長いもを豚肉で巻いたもの、レンコン、芋、ナスの焼き野菜。これをオーブンで作ったが、焼き野菜の方がイマイチ。もう一方はまずまず。毎回毎回初挑戦のメニューで出来不出来があるが、野菜が取れるのが利点と言うところか。家で、音楽を聴く時間は英語に当てて無くなっているが、山に竹を切りに行く時と買い物など、車の中でクラウディオ・アバドのマーラー1番を継ぎ足しだが聴き終えた。これは素晴らしい。かつてこんなに感動する1番を聞いたことがない。ゲルギエフやRoyal Scottish National Orchestraもハイレゾであるが、ダイナミックさでは比較にならないし、独奏部では演奏に不安がないのは、さすがBPO。 1月14日(月曜日) 昨晩は眠くて9時に就寝。それで今朝の4時前に目が覚めた。布団の中で本を読んでいたら再び眠くなり寝てしまった。6時に起きて風呂の追い炊きをして入浴。風呂の中でHiViを読み終えた。窓を開けて冷気で満たした浴室で熱い風呂に入るのは極上だ。専門雑誌は父が亡くなってから約2年半読む気が湧いてこなかった。昨年8月ごろから読み始めて、やっと2016年12月号までたどり着いた。風呂から上がる頃外は明るくなっていた。食事、ジャズの歴史翻訳、(ラジオ英会話はお休み)ホームページのUpデイト。これで午前中を費やし、午後は荷物の発送とUSB購入で午後2時半。それから再び竹刈りだ。斜めになっているものから、朽ちた木が覆いかぶさっているものまで、手を入れれば入れるほど処理することが見えてきて遅々として前に進めない。重みのかかった竹や木は、のこぎりで切っている時に急に弾けたり、倒れかかってくる。手で避けながら難を防いでいるが、足を滑らしたりしたら、きっと下敷きになるだろう的な状況に何度も遭遇する。この作業は今回限りなので、割り切っているが、これを職業にするとなれば、いくつかの教えを守らなければならないと思いましたね。アメリカ旅行(2月2日)まで心理的には秒読みになってきた。竹切りに目処をつけて日常を英語漬けにしなければ、向こうに行って役に立たないかも知れない。 1月13日(日曜日) ![]() 1月12日(土曜日) 食事後妙に胃の中に食べ物が残ったままだ。それに食べている時に便意を催す。これは良くない現象だ。病院へ行こう。見立てでは、腸の動きが良くないようですね。処方しましょう。と言うことで、今までの胃酸過多と、腸の薬を貰った。丁度昼時、前の天ぷら屋さんへ行った。格式の高い天ぷら屋さん。定食2700円を注文した。出てくるのも遅いし、天ぷらを揚げて給仕するは良いのだが、その間隔が長い。お箸を持った手の置き場所が無い。その上、海老の天ぷらが、山手線の駅そばの天ぷら位の細さ。新宿の「ふな八」の手際の良さ、海老の大きさが脳裏にあって、高知と比べるのは良くないと思いながらも、つい、これじゃダメだと烙印を押す!せめて、愛想でも良ければだが、それもダメ。デザートはどうしましょう?何にもいらないと退出。その足でプール。2km。1時間。51歳から56歳まで通った船橋のプールでの記録となんらそん色はない。しかし、あの頃は、土曜日に3、5km泳ぎ、翌日の日曜日も同じ距離を泳いだ。今の私は、翌日がとんでもないことになっている。 1月11日(金曜日) 暖かい朝。サトウキビ絞りに出かけた。今日の量を見て腰を抜かしそうになったが、2日分だと聞き、納得。慣れたとはいえ、この作業は辛い。釜から釜へ絞り汁を移す作業は1回に200kg、今日はこれを4回担当した。連続ではないが、腕が上がらなくなる。しかし、意外にも筋肉痛はない。普段の水泳の成果だろうか?ただただ疲れるだけ。最終工程の製糖の部分も、焦げ付かないように、絞り汁を搔きまわす。だんだん重くなる、そラァそうでしょう、粘度が高くなるのですから。やっと大将のOKが出て、陶器に移す。柄杓を持つ手が上がらない。やっと明るくなった7時ごろの話。まぁこんな作業を6回続けたわけです。終わったのは午後4時。12時間勤務です。連続です。休憩は立って食べる時間の15分くらい。終了後ふやけた身体で安芸市に向かう。ウドンを食べて銭湯へ。ここでやっと生き返った。前日に明日の食料を買うのが日課だが、この時ばかりは、車から降りて何かをする気持ちにはならなかった。帰り着いて午後7時に寝た。午後2時に目が覚めると雨が降っていた。トイレに行ってまた寝た。 1月10日(木曜日) 昼前星野さんから電話。「まぁちゃん元気?」恵子さんの声だ。名古屋の焼肉屋のおかみさん。名古屋に駐在してた頃は晩飯に毎日通った店。すっかり仲良くなって、その後の出張では泊まりにも行ったし、守山近辺を飲み歩いた友人。娘には縁談も提供した。そんな、昔の知り合いからの電話。嬉しかったし、相変わらずだったのか、お互いに安心した。いつか生きている間に再会の必要ありだ。夕食は外食としたい所だが、竹切りに熱中しすぎて、終えたのが午後16:00前。急いで風呂を焚き、夕食の支度。メニューはカシューナッツと鶏肉の炒め物だが、生憎と芸西村のスーパーにはカシューナッツは無く、バターピーナッツで代用するが失敗。もう一品は、ブリの刺身。こちらは天然物で脂の乗り方が適度で美味かった。醤油をたらふくかけたが、今日の汗を考えるとまぁいいかなぁ。でも寒くなり、塩分は控えないと、血圧が120代に上がっている。普通の人では正常値だが、僕はいつも100〜105を維持していたので上がっていることになる。血管が細くなると血圧が上がるので、塩分コントロールは重要だ。見たい映画も、聞きたい音楽も目をつぶって布団に潜り込んだ。睡魔は早くやってきて、9時前には眠れた。 1月9日(水曜日) 芝の山に杉を植えている。僕が小さい頃、祖父が言った。「おまんが、あてらぁの歳になったら、この木を切って家が建てられる」その杉林は、竹に埋もれて、未だ直径が30cmにも満たない、虚弱児だ。その上、後ろの山手は近所の英明くんが「竹を切ってくれんと、うちの杉も育たん」と言われ、1年は待ってもらった。2018年は残業100時間オーバーの激務で山にいることができなかったのだ。やっとその時が来て、先ずは低木と、枯れた竹を切り倒しているが、今日で半分終えた感じだ。太陽が頂上にある3時間くらいしか山に入りたくない。それ以降は怖い。15:20作業を終えて帰る途中に、サトウキビの大将に会って、11〜12日は絞るから来てよ、と言われた。午前4時からでいい。さぁ臨戦態勢だ。先ずは、余計な趣味はさて置き、生活の必要事項のみを優先して、早めに床に着く。8時半から寝始めて、9時には熟睡に持っていく。それを今日から行えば、明日もきっと9時までには眠っているはずだ。そうすれば、午前3時半起床も辛くはない。竹切りの作業は結構辛く、汗も流すので、疲れていてうまく眠ることができた。 1月8日(火曜日) 東京のショウルームに勤めていた2015年の頃、ニューヨークタイムズの旅行記事(全面)を1週間要して読み上げた。その頃はかなり難解で、単語を一つづつ引いていた。今日、新大阪で買った同じ新聞の旅行記事を帰りの電車で読み始めて、2時間弱で読み上げた。今回はラオスカンボジア編だった。主にラオスは好意的、カンボジアは中国資本が観光地を乱開発して壊している批判的な記事だった。余り誤訳するような文章はなく、平易な文章だと思った。あの頃、何故これにそんなに時間を要したのだろうと思えるような感じを受けた。でも、今回も、辞書を引きながらなので、もうすこし頑張り辞書なしまでこぎつけなければと思っている。帰って洗濯、サトウキビ配り。近所や親戚のことを計算すると、余り余裕はなかった。お寺さんにも少し数を減らさしてもらった。夜は早めに終い、映画「レッド・スパロウ」を見た。アメリカとロシアのスパイ映画。騙し騙され、偶然が重なり結末を迎えた感じ。見終えた感想は「困惑」。ツッコミは、バレー・ダンサーが舞台の上でぶつかるアクシデントが起こった。足がねじれて倒れていた。それなのに、手術は向こう脛の骨を削るものだった。常識だと膝の手術となるはず。さらには、アメリカとロシアのスパイは相手の正体があまりにも早く、お互いの陣営に判明してしまうこと。それはないだろう。これが2つ目。最後に、アメリカ側のスパイ名はネイトさん。かれは毎日プールで泳いでいる設定で、そのシーンが2回ほど映されるが、彼の体型は水泳している体じゃなかった。ボテボテの腹だった。 1月7日(月曜日) いよいよ来たか。日経新聞1面に再生医療の記事。ひざ関節の軟骨再生に着手。日本人の難病解決可能性。朗報だ。父が病んだのはまさにこれで、これによって心臓病が悪化した。しかしだ、書籍「ホモ・ディウス」に記載されている通り、人間はこれだけに終わらないと言う。この技術を健康な人に施すとどうなる?スーパー人間が登場する可能背だってありだ。100mを9秒で走れるかも知れない。昨年が地球環境悪化の初年度だとすれば、今年は人間改造の初年度となるかも知れない。既にうつ病の対策は進み、人間の本来持っている心と違う人間を作りこの病気の退治を目論んでいる。病人はこれで良いが健常者にこの対策を施すとどうなるのか?犯罪者に適応すると。杞憂に終われば良いのだがと指摘する。今日はお客様が少なく、ちょっと気が狂いそうだった。夕刻、フロアに立っているスタッフさんに応援を頂き、お客様を集めてもらった。外国人も今日はいなくて声のかけようがなかったのだ。本来なら、今日は個人的には旅行に使用するカメラを1台調達するつもりだったが、今日のような仕事では気乗りせず、購入は断念。帰り道の散歩は方向を変えて、グランフロント大阪の店を探索することにした。年間1000万人で賑わう施設に、勤めているのに、そこを見てないのは余りにも寂しい話ではないか?と言うことで3階から8階までつぶさに見た。どの店共客が入っている。特に女性服は組み合わせの色が上手い。見ていると店員が寄ってきた。あんまり綺麗だから見ているだけと応えた。ここの店は勉強になる。スポーツ用品のフロアもあった。現代人は「スポーツを始める前にまずはファションを決めなければ」そんな人達にぴったりの店だ。僕に言わせば、「アホくさ」帰りにいつもの中華の店。今日は黒のチャイナ服を着た若い女性が給仕をしていた。顔も綺麗だが、何となく粗雑さを感じるのは日本人と違うからか?たらふく食って飲んだが1820円だった。食いすぎた。 1月6日(日曜日) 早いもので、もう1週間が経過。なし得たことといえば、年賀状を発送、石積み、山の竹切り、1本のみ映画鑑賞、友人とやっとお酒を飲んだこと。出来てない事は紅白歌合戦、ウィンフィルのニューイヤーコンサートを見てない、HDDのハイレゾ整理、郵便物の整理、沢山買い置いた書籍を1冊でも読破。出来ないことは仕方ない。仕事を終えての帰り道(散歩を兼ねて天神橋6丁目を経由した)、ふと思ったのは、身体は未だ前と変わらずパワーがあり、何でも出来そう。しかし容姿は随分とくたびれて老人そのもの。いつガタがきてもおかしくはない。何処かで終末への区切りをつけなければ、もうそろそろだと思った時には、日々の忙しさに紛れて、積み残しをして逝ってしまうことになりかねない。その時はいつか?知るのは恐ろしいが、目処は欲しい。常連のお客さんが藤田恵美のCDを持ってきた。この人は1週間に1枚から2枚のCDを買っている。そして熱心に聞き込み、音量が必要な時のみ、ここを利用している63歳のおじさん。この人は完全に自分の終末への道を計画して歩んでいる。迷いがない。それで益々好々爺に見えてくる。羨ましい。僕には出来ない。そのCDですが、カモミールカラー。僕は同じタイトルの楽曲をハイレゾで持っているから、こちらで聴いた。感動で涙が出そうになった。お客様も同じだった。 1月5日(土曜日) 3時半起床、出かけた。もうみんなは作業をしていた。早速釜洗い。この作業は厳しい。直径1、5m深さ1mの底まで屈んで電動サンダーをかけ、布で拭き、水を入れて洗い、最後に紙で拭き上げる。2釜の作業。これだけで、今日1日の仕事をした様な疲れを感じる。今日は4名の作業で、火加減など多様な作業で6時過ぎにやっと朝飯にありつけた。食パンに、ここで取れた砂糖を挟んで食べるもので、食パンがもっちりしていると、なかなか美味い朝食となる。食後は文旦。僕としてはかなり豪華だと思う。10時に出来上がっていた砂糖をもらって帰宅、掃除。昼食。近所の2軒に砂糖を配った。随分と喜んでもらった。農家の人に、農産物を渡すのだ。返す刀で急いで電車に乗って大阪に向かった。電車は眠り半分。岡山駅からは指定席なく立ったまま。新大阪で、友人のN氏と懇親。この人は飲み助で、何処でもセンスの良い最適の店を見つけてくれる。その能力は尋常ではない。僕の友人の半分以上はこの種の能力を持っている。生憎と僕にはその能力がない。センスがない。どんなものでもうまく食えるから、センスの磨きようがない。でも、岡村の選ぶ店は酷いとは言われない。なぜなら、友人が選んだ最良の店に行くからだ。そんな事で、暖かい地下の店で、個室で、飲み放題で3500円。大阪は安い。高知でこの内容だと5000円オーバーだと思う。高知は客の酒量が違うので(一人中ジョッキ10杯は確実)大阪とは比較できないかも知れないが。 1月4日(金曜日) 年賀状を書き終え、午後は山に向かった。一人で山に入るのは結構怖いので、音についてはかなり敏感にならざるを得ない。視界が効かない山の中は音だけが全て。あちこちで、木や竹が鳴っている。枝の折れる音や、竹が太陽の熱で破裂する音。これは聞き慣れているので違和感はない。これに異音が入れば、構える必要がある。幻覚か、比との声がするときがある。木のこすれる音だ。これには怖い。先ずは倒れた竹を集めて積んだ。次に低木を切った。最後に、倒れて腐りかけた杉を集めて丈を揃えた。竹の上部にあたる部分は、倒れていても、枝が張って、積み上げるにはいささか邪魔になり、枝を落とさなければならない。今回は、竹用の鋸の歯を使ったので、この枝落としは割と簡単に進んだ。竹と杉で太陽光線が入らない為、椿の木なんかも真っ直ぐに伸びて枝を張っている。椿の木は硬いので、何かに使えそうな気がするが、今はわからない。暗くなる3時半に終えて山から降りてくると、よしかずさんが、文旦を収穫していた。必要なだけちぎって持って帰りや。と言うことでコンテナ2籠分持って帰った。多分これだけで2万円分くらいはあるだろう。田舎に暮らすとこんなところが良いですね。カッパ市場なんかで販売している小さなものは全て捨てた。これを拾っても数万円になる。次回大阪から帰ると拾いに行こうかと思っている。夕飯の後、文旦試食、まだ熟しておらず、もう少し保管が必要。藁で囲って埋めておく必要があるとのこと。その晩大将からメールが届き、4時から釜を焚くので出てくるようにと。その晩は、久しぶりに映画でも見ようかと思っていたが。 1月3日(木曜日) やっと落ち着いたと思えばすでに3日目。午前中にHDDのハイレゾ整理して、午後は石積みの再開。春が来るまでに、どうしても後2箇所修復しなければならない。そのうちの1箇所は難工事だ。足元がぬかるんでいる為。そしてもう一つ春が来るまでに仕上げる仕事は、湿谷(シメダニ)の竹の伐採だ。近所のひであき君が、自分の所の山の日当たりに邪魔している為。我が地の杉の生育にも影響している。お正月には英会話の猛特訓の予定が頓挫している。本も開いてない。さて、その石積みだが、今日の作業で、崩れていた土砂は全て取り除いた。これから石を積んでいく作業に入る。石積みは3点設置など理論があるが、重い石を持ち上げて、ああでも無い、こうでも無いと錯誤するのは至難の技。それで、行き当たりばったりの石を只々積んでいくだけとなる。雨が降り、石の背後の土が固まるとなんとかなるかなと思っている。3時間で切り上げた。夕食の後、年賀状に着手した。こちらも3時間を要して、半分を仕上げた。深夜離れの家のパソコンでの作業で、身体が冷えたので、2度目の入浴。釜でたく風呂は長時間入れるから、こういう時に良い。 1月2日(水曜日) 今日もHDDのハイレゾ整理。少しだけ目処がたった。明日はNASに保管できそうだ。風呂を焚いて夕刻4時に出発。まず、郵便局で年賀状を買った。それからイオンのTOHOシネマズへ。イオンモールの駐車場は満杯だった。やっとスペースを見つけ入館。60歳以上で1100円。18:05開始の「スター誕生」を見た。先日、63歳のお客さんに紹介されて、これは見とかなきゃ恥だと。この映画はリメイク版で4度目となるそうだ。相当な力量の歌手でなければ務まらないから、レディガガで正解だった。前作はバーブラストライサンド。CDの音質も凄かったが、劇場の音も良かった。叩きつけるような低音が実に気持ち良い。あの低音はJBLでなければ出ない音。BOSEでも、B&Wでもダメだ。勿論我が家のマルチチャンネルでも難しい。泣ける映画と前評判だが、ちょっとそこまでは?と僕の感想。それは、アリーを見出してくれたジャクソンは後にアリーと結婚し、そして、アリーがスターに上がる邪魔をした非難にジャクソンは自殺をする。そのアリーの悲しみに涙が出るという訳だ。所が、①何でジャクソンは結婚と共に人気を誇っていたバンドから急に脱落しアル中になったのか理由が不明②アリーがもう2度と起こしに来ないと言ったその後で、直ぐに結婚に応じたのか動機が不明③妻の出世を邪魔したと非難されたので自己嫌悪に陥ったら、先ずは何故そこから逃げないのか、一直線に自殺に進むには同期が不明④そしてこれが一番大きいのだが、アリーはそんなに愛情を注げる(男に対して)様な女じゃ無いってこと。だからホントは悲しくは無いのではと邪推する。それでも、この映画は凄い音響で見る価値はあったし、作中でこんなセリフがあった。ジャクソンに仲間が言う。「船は港を目指して進んでいるが、途中で休憩に寄港した港で気に入れば、休息を長くしても良いし、もう目的地を目指さなくても良いのでは、とわしは思う」僕はここに凄く感動を覚えた。更には、ジャクソンがプロに向かうアリーに言う。「長く続けるには、魂の根底からこの仕事を見つめなければ、ファンは気づいてしまい去って行く」ここは、プロの心構えとして、共感できる部分。誰かが元の脚本にこのセリフを付け加えたとしか言えない重みがある。 1月1日(火曜日) 結局1年間新聞記事で騒がした、AIとIoTは身近には恩恵が感じられなかった。「帰宅中にエアコンのスイッチを入れられる」こんな謳い文句に誰も踊らされないのと同じで、現実味がない。日経新聞は毎年、元旦号に先端技術の特集を組むが、現実味の無いのが傷だ。それはさておき、今年のお正月は前日のバタバタから抜け出せず、朝から洗濯。出張の清算。LPを録音したのを整理。ハイレゾをダビングしたHDDの整理。朝食のパンだけで夕刻まで持たせ、夕刻に出かけた。プールで1500m。フジのスーパーで半額になった弁当を買って自宅で頂くと言う、かなり悲惨な正月。スター誕生のCDを再生すると、凄い音質に圧倒される。喫茶「メグ」のマスター寺島靖国氏じゃ無いが、「1日一回、チャリーンを聴かないと寝られない」のに共感している僕は、正にこの夜それを聴き床についた。 |