1月2日(水曜日) 今日もHDDのハイレゾ整理。少しだけ目処がたった。明日はNASに保管できそうだ。風呂を焚いて夕刻4時に出発。まず、郵便局で年賀状を買った。それからイオンのTOHOシネマズへ。イオンモールの駐車場は満杯だった。やっとスペースを見つけ入館。60歳以上で1100円。18:05開始の「スター誕生」を見た。先日、63歳のお客さんに紹介されて、これは見とかなきゃ恥だと。この映画はリメイク版で4度目となるそうだ。相当な力量の歌手でなければ務まらないから、レディガガで正解だった。前作はバーブラストライサンド。CDの音質も凄かったが、劇場の音も良かった。叩きつけるような低音が実に気持ち良い。あの低音はJBLでなければ出ない音。BOSEでも、B&Wでもダメだ。勿論我が家のマルチチャンネルでも難しい。泣ける映画と前評判だが、ちょっとそこまでは?と僕の感想。それは、アリーを見出してくれたジャクソンは後にアリーと結婚し、そして、アリーがスターに上がる邪魔をした非難にジャクソンは自殺をする。そのアリーの悲しみに涙が出るという訳だ。所が、①何でジャクソンは結婚と共に人気を誇っていたバンドから急に脱落しアル中になったのか理由が不明②アリーがもう2度と起こしに来ないと言ったその後で、直ぐに結婚に応じたのか動機が不明③妻の出世を邪魔したと非難されたので自己嫌悪に陥ったら、先ずは何故そこから逃げないのか、一直線に自殺に進むには同期が不明④そしてこれが一番大きいのだが、アリーはそんなに愛情を注げる(男に対して)様な女じゃ無いってこと。だからホントは悲しくは無いのではと邪推する。それでも、この映画は凄い音響で見る価値はあったし、作中でこんなセリフがあった。ジャクソンに仲間が言う。「船は港を目指して進んでいるが、途中で休憩に寄港した港で気に入れば、休息を長くしても良いし、もう目的地を目指さなくても良いのでは、とわしは思う」僕はここに凄く感動を覚えた。更には、ジャクソンがプロに向かうアリーに言う。「長く続けるには、魂の根底からこの仕事を見つめなければ、ファンは気づいてしまい去って行く」ここは、プロの心構えとして、共感できる部分。誰かが元の脚本にこのセリフを付け加えたとしか言えない重みがある。 1月1日(火曜日) 結局1年間新聞記事で騒がした、AIとIoTは身近には恩恵が感じられなかった。「帰宅中にエアコンのスイッチを入れられる」こんな謳い文句に誰も踊らされないのと同じで、現実味がない。日経新聞は毎年、元旦号に先端技術の特集を組むが、現実味の無いのが傷だ。それはさておき、今年のお正月は前日のバタバタから抜け出せず、朝から洗濯。出張の清算。LPを録音したのを整理。ハイレゾをダビングしたHDDの整理。朝食のパンだけで夕刻まで持たせ、夕刻に出かけた。プールで1500m。フジのスーパーで半額になった弁当を買って自宅で頂くと言う、かなり悲惨な正月。スター誕生のCDを再生すると、凄い音質に圧倒される。喫茶「メグ」のマスター寺島靖国氏じゃ無いが、「1日一回、チャリーンを聴かないと寝られない」のに共感している僕は、正にこの夜それを聴き床についた。 12月31日(月曜日) ニューヨークのジャズクラブから、深夜ホテルに帰る方法が不安だと前に書いたが、今日ロスから来たアメリカ人夫妻に、その辺りの危険度について尋ねたら、歩いて帰れると言う。地下鉄でもOKだと。何故なら、東京のように人人人で混雑しているから大丈夫と言う。本当か?大丈夫。ブルックリンへ足を踏み入れ無ければ大丈夫。歩け!。それよりも、ジャズが聞きたいならニューオリンズへ行け、ここなら路上で昼から無料で楽しめる。撮影したビデオも見せてくれた。そうか、もう少しサンプルを得よう。アメリカ人は多いので、可能性は高い。次に来たのがシンガポール人。あの大きなガラスハウスには参った、と伝えたら、彼らは自慢げに語った。そうだろうと一緒に来てた子供達にも言われた。奥さんが、でも国が小さいので、、。次にベトナム人が来た、芸西村にはベトナム人がたくさん来ていると伝えた。どうやって帰る?電車で今日中には帰れると伝えた。他にも香港人もいて、拙いながらも英語で楽しく情報交換。とにかく生きた素材を活用しなければ僕の成長はない、頑張るぞ。芸西村の都筑さんより電話、供物の支払いどうすれば良い?都筑さんは農家の奥さんで、我が家の土地を使ってコメを作っている人。近所のよしみちさんからも電話。夕刻の電話は良い話でないから怖かったが、内容は僕の餅好きを知っていて、「餅はいらんかよ」とのご案内だった。安堵のため息を、新大阪駅のガンコでお寿司をほうばりながらの事。夕刻19:05の新幹線で帰宅。23:50無事自宅に着。 12月30日(日曜日) 全く知らない人と話すのは苦痛の人もいるが、「事」ショウルームで接客するときは、今日はどんな人と話せるのかなぁ?と毎日出かけるのが楽しみである。知識に自信があるので物怖じしなくなったとかではなく、純粋に、どんな音楽ライフを楽しんでいるのかに興味があるようになった。これは多分に坂口安吾の書籍から来た影響だと思っている。彼の小説全編を通じて、「人間しか面白いものはない」的思想に感化されたせいかもしれない。そして今日の醍醐味は、クイーンの「グレイテスト・ヒッツ」を3組のお客様が持ってきて、全員が全曲を聴かれた事だ。しかも、ハイレゾ、LP、CDと違うメディアだった。その感想が其々違っていて面白い。もう一つは、映画「スター誕生」のCDを持ってこられた61歳の男性。僕はこの映画の存在を全く知らなかった。一方で「レディ・ガガ」を最近耳にしないなぁと感じていた。それが今月封切りの映画に出演していると知ったのだ。映画は専らレンタルと決め込んでいたら、浦島になっていた。帰りに早速「タワー・レコード」に寄って購入(この辺りが都会の良さです)。最近マイケル・ブーレとか、ダイアナ・クラールとか、イル・ディーボとか、サラ・ブライトマンとか結構騒がしい。僕のアンテナ感度が高まったのか業界の動きなのかは不明だが、素晴らしい音楽がいっぱい発売された。サラは紅白に出る? 12月29日(土曜日) 冷え込んだ空気も、午後からは少し緩んだようだ。というのはリスニングルームは強烈に加湿しているのに、どう言うわけか喉がすごく乾き、午後外のコンビニに出かけた時、あまり寒くは無いな?と思った次第。お客様持参の宇多田ヒカル「初恋」を始めてLPで聴いた。後、私持参の同曲のハイレゾを再生。ハイレゾはボーカルが少しだけ甲高いのと、低域の豊かさがあった。全体のまとまりはLPに軍配。ただし、ハイレゾはUSBからで少しだけハンディがあった。ASOMの近藤さんが訪ねてきてくれた。今はカンボジアに派遣でなく、貿易振興の仕事でベトナムにいるとか。アメリカの次はベトナムに行こう。ベトナムは食べ物が美味しい。芸西村にはベトナム人が沢山いるので、事前に彼らに情報を聞いておくこともできる。夜は友人のKさんと懇親、天満の酒屋さん。満員盛況。2時間の限定で出るときにもまだ並んでいた。すごい繁盛店。腹の調子がすぐれなく、熱燗で2合飲んだだけ。でも5千円。 12月28日(金曜日) やっぱり高知に帰りたいと言う息子。それはそれで仕方ない。もしそうなれば、この土地の管理は息子に任せられるから、逆に僕は都会に出られる。70歳まで都会で働きたい。もしそうなれば、音響機器を購入する楽しみは少しお預けだが、ポータブルで間に合わせられそうだ。家屋の清掃を行い、洗濯物にアイロンを掛けて、出発。土讃線は、大歩危の手前から雪が激しくなった。今冬初めてだ。高知では太陽が眩しく、窓を開けても部屋の中は暖かかったから、この寒気は高知まで届いて無いんだと思った。大阪で旅行の手配を行った。まず、ドイツ行きはベルリンフィルのコンサート予定がない事、アムステルダムはコンサートはあるが、阪急交通社にプランがない。それで、飛行機とホテルのプランのあるニューヨーク行きにした。ビレッジバンガードでジャズを聞こう。旅費は30万円。昼間どうしよう?それがもっぱらの課題。ESTAは自分で書くことにした。ドイツは先に伸ばす。株価が戻り一安心。今回は心理的なものよりも、コンピュータの仕業ですネ。 12月27日(木曜日) 年内これで農作業業は仕事納めとなり、サトウキビの種を土中に埋めた。湿気を嫌うと聞いたので、溝は管理機を使って深掘りした。溝と畝は曲がり百姓さんから見ればいささか恥ずかしい仕上がり。母の命日をうっかり過ごしてしまい、今日花を替えた。ハウスの借り賃としてあきひら君が供物代として持参された。今年の花はあまり出来が良くなく、トラクターの購入は翌々年になるとの事。来年も貸してとの事だった。トラクターを借りると、供物代くらいの費用が発生するが、それは無しだ。5時からプールに出かけた。プールも今年最後。農作業が忙しくて後半はあまり泳いでない。帰りに書籍の買い物や、雑貨品の買い物で帰宅は9時。熱い風呂に入って早々に寝たが、なかなか寝付けなかったのは何故? 12月26日(水曜日) What kind of music do you like? 夜中の雨音で目覚めた。又雨か、12月にこんなにも雨が降るなんて珍しい。次に目覚めたのは6時。友人は帰った後だった。お風呂に入って(昨夕沸かしたお湯がまだ熱いまま残っている)アルコールを飛ばした。食事の後ラジオ英会話。何と、僕がショウルームで使う最初の英語、造語だと思って自信はなかったが、タイトルの英語、これが今日聞くラジオ英会話でそっくり流れた。何だ!合ってたんだ。と一安心。少し嬉しくなって、その後、ジャズの歴史の翻訳も一気に1ページ進めた。これは独自の訳文になっている筈だ。英語の辞書の例文を時々読みながら訳し方を修正している。熟語はウエブサイトで調べるが、掲載されてない場合もある。例えば、“black-oriented”何処を探しても訳が見当たらない。この単語が掲載されている文章がいくつかヒットした。それで、その文献を読みながら、おおよそこんな意味ではないか?と推測を立てる。そんなこんなで、今日は随分と時間を要した。要したが、英語に触れる時間が増えて良かったのかな?それに雨が結構強いし。映画の英文字幕が理解できるまでにならないと、外国旅行は無理だと思う。午後雨が小ぶりとなり、カッパを着て、種用のサトウキビを伐採し、土中に埋めた。今日の作業は未だ完璧ではないので明日仕上げよう。買い物に行かず、誰とも話さず。 12月25日(火曜日) 先生も忙しい師走なのに、思わぬ伏兵が登場 息子が帰って、やっと自分の時間がやってきた。ラジオ英会話を聞き、ジャズの歴史を少し翻訳し、洗濯物にアイロンを掛けて一息ついた頃に友人がやってきた。少し会話をしていると、もう一人の友人もやってきて昼飯に行くことになった。近くの居酒屋「藤」で寿司定食とビール4本。すっかり酔って、浜辺で石割りと、飲んだコーヒーの空き缶に、石を投げて当てる競争。強い日差しですっかり汗ばみ酔いが抜けたところで、晩飯の宴会をすると言う。僕だけ速く帰り風呂を沸かし準備ができたところで、みんなが集まり宴会。まだ明るい5時から始めた。大阪の友人からウィスキーが届いたばっかりだった。これを封切り飲み始めた。18年ものの酒は流石に美味いしし、酔いが適度と言うか、変に酔っ払わない。結局二人で空けてしまった。勿体ない気もしたが、これが本来プレゼント頂いたお酒の使命だったのではないかと思った。感謝。息子の再就職の事も俎上に載せて大いに懇親をはかり、息子が帰った後掃除と洗濯を済ませた部屋に友人を寝かして僕も就寝。本来の予定である、サトウキビの種を埋める作業を計画が頓挫、翻訳も1ページに及ばず、今日は久しぶりに何もしない1日だった。こんな日を過ごすのは1年半ぶりのような気がする。世界の株価も久しぶりの低迷で何もかもが久しぶりにだ。これで良かったのかな。 12月24日(月曜日) ぐっすり寝たので今日は元気がある。映画の評価は置いておいて、先日訪問の生姜の事。結構気に入っている風。仕事で命を賭けるには、働き盛りの年代には、世界を相手に戦うのが僕の職業観。そのチャンスを棒にふっても良いか、もう一度考えろと伝え、この話は打ち切り、墓参り。墓から太平洋が望めるようになった経緯を話した。牧野植物園に行った。鬱蒼たる緑の王国に変容していた。改装後10年ばかり行ってなかったのでこの変化、植物の成長には驚いた。敷地内のレストランで食事。午後2時過ぎに飛行場に送り届けた。この数日は僕も行事が立て込み大いに疲れた。大量に酒も飲んだので、頭も回転してなかった。サトウキビの大将に電話して砂糖の引き取りは来年とした。近所の奥さんが、野菜と、僕の好物であるモチを一升持ってきてくれた。旦那さんの配慮だ。旦那は口は悪いが熱きを秘めた人で「信頼」の塊の様な人。部落に関する事で指摘があれば、僕は翌日には実行している。僕もお返しが必要だが、肝心のお返しとなる砂糖は来年の受け取りだ。口約束でお礼を返した。お風呂をチンチンに沸かし、夕食。疲れで、音楽を聴く間も無く寝た。 12月23日(日曜日) いよいよ、岡村さんののサトウキビ絞り。糖度は18、5度。まずまずだ。僕の持ち込んだ、まっすぐなサトウキビを見て、仲間は、火で炙って真っ直ぐしたのか?と冗談(多くのサトウキビは曲がっている)。出来具合は、大将に言わせると、なかなか良い。奥さんに、2個だけ特別持ち帰りをお願いして受け取った。午後5時に少し先に失礼させてもらった。15時間働いた。急いで帰り、着替えの荷物を持って安芸市の元気風呂に行った。長風呂の息子だが、今回は私の速度に従った。その後、得々うどんで夕食。今回は忙しくて、構ってやれなかった。朝飯の買い物時、クリスマスケーキを買ってお祝いをしようと言われた。男同士でつまらないが同意と応えると、速く嫁を貰えと言われた。なかなか拓けている。眠く、寒気がしてたが、息子が楽しみしてた映画を見ることにした。元妻のいい所は映画の選択眼だったが、なんとこれが息子に引き継がれていて、今回も素晴らしい映画を紹介してくれた。「レオン」イタリア人の殺し屋と、一家惨殺で生き残った少女(ナタリー・ポートマン演じる)の演じる恋の物語だ(ウワベは殺戮のアクション)。眠たいのを我慢した甲斐あり。父に見せたいと持ち帰った厳選の映画だった。僕ではこれは探せない。見終わった後、少し興奮してたが、疲れには勝てず、そのままダウン。先日の面談の事を聞いてあげなければならないが、余裕なし。 12月22日(土曜日) 昨日半分、今日半分。サトウキビの収穫。220kg。お寺のせっちゃんにも応援をもらったが、後半はお坊さんまで手伝いに来た。これが部落の良いところ。お陰で午前中に片付いた。息子は、土佐山田に企業訪問。今度は生姜の栽培について。30kmもない所だから、自転車で行かせた。時間制約もなく、これだと自由に動き回れる。普通の家庭ではあり得ない話だが、僕的には普通。息子もスーツを来て自転車に乗った。先日娘と旅行に行ったが、この娘、旅行中を通じて、疲れたからどこかでお茶を飲もうとか一切言わず、次から次へと行動した。つまり、結構活動的な血を引き継いてもらっているのかなと思っている。今日は速く店じまいして、明日2時に起床砂糖絞りだ。親類一同待ち構えているとの事。ところがこの息子帰ってきたのは6時前。急いで食事をさせて、僕は就寝。朝飯はパンと果物を準備したのを伝えた。 12月21日(金曜日) 昨晩は、息子と話し込んだが、結局は自分の事が整理できてないところに帰結する。夏も同じ状況だった。今回は、親父との対話にメモを取り出した。まるで大学卒の新入社員にプレゼンするようなものだ。息子からもこの夏以降の報告があった、相当熱心に仕事に取り組み自分発見に努めたそうだ。それで仕事の評価が上がりボーナス査定が一つ上がったという。でも見えてこないと言う。僕は頑張るだけではダメだ。目標設定があって頑張るのではないと。もう一つ、映画、読書、講演会、これらから参考とするものはないか?仕事と私生活両方に網を張る事だろう。とアドバイス。今日は、林業の企業説明に行ったとの事。(高知県は、林業に従事する人の育成に着手していて、秋田県から女性が研修に来ているニュースが報じられた事もあった)林業に従事して2年くらいしたら、又疑問を持ち出すだろう!なぜなら、それが自分にとって一番大事なものであるか確信出来ないからと、今度は本人もそう言った。息子がいろんなものに関心を示せないのは、彼が子供の頃いろんなところに連れて行かなかった為かと少し反省している。その晩は先祖様で、汀子さんの家で懇親会(せっかく帰省した息子には外で食べてきてと頼んだ、息子が飲めば連れて行くのだけれども)。ここは姉妹が料理を作るので、メンバーの中で一番美味しくいただける。所が、よしかずさんが前に座ると、ビールの返杯が何度も繰り返されて、ビール腹で食べ物の入る余地がなくなるのが問題だ。そのよしかずさんから、一言叱責、「おまん、漆の木を切ってたまるかよ」「よしかずさんが切れって言ったから切ったがぜよ」と僕。「椎木を切って、漆は、のこいておかんかよ、鳥が来て餌になって、その鳥を取ると美味いがよね」そしたら、他の人も、どの木を切って、どれを残せといわん、おまんが悪いとなった。 12月20日(木曜日) 優先順位 朝3時からサトウキビ。早い人は2時から来ている。厳しい仕事。皆さん僕が仕事を覚えるように支援してくれるが、僕の記憶力が追いつかないのと、それをデーター化する時間がなくて、教えてもらった事が抜けていっている。取り敢えず写真に残して、時間管理の証拠が残るようにしている。みんなは、僕がいつまで経っても覚えないと映っているだろう。もっぱら僕の第一優先は英語だ。来年2月ドイツにいくまでにヒアリングをなんとかしなければ。公の文章とか表示を読むのは、なんとかなりだした。しかし、映画の英語字幕は速度が速く未だ読めない。ヒアリングは分かっている単語でも、理解できないし、優しい単語ほど理解できない。例えば「is」が文末に来る時はどうすれば良い。逆に難しい単語ほど理解しやすい。例えば、immediately(至急) なんか空港でもよく使われているが、ヒアリングも文章理解もできる。ラジオ英会話は文法を中心に教えてくれるが、未だ、頭の中に定着しない。アマゾンに注文した、カシオの電子辞書が届いた。これで、英語の辞書はかなり充実。翻訳方面は強化されたはずだ。つまり、お金も英語に特化しているのだ。そして時間を費やしているのが、クラシック音楽だ。ベルリン・フィルを聞きにいっても、演奏するプログラムが頭に入ってないとつまらない。音楽を聴くのは1:1だから、結構時間を食う。当面の優先順位がこれだ。そして、こんな心の状況に息子の帰省が割り込んで来た。これも頭の痛い問題。という事で、サトウキビは少し後回しにあるのです。 12月19日(水曜日) 少し気ぜわしい アマゾンに注文した品物が届くというメール。サトウキビの刈り取り準備。刈り取り日はせっちゃんの応援があるので、畑への道を整備(道が流れて幅の狭い傾斜の道を通らなければならいし、サトウキビ畑への坂道は滑りやすい)。サトウキビを焚くのに燃料の木を準備しなければならないし、息子が帰省するので布団など日干ししなければならない。一方でラジオ英会話が中断するので1日分の余裕のヒアリングが必要だし、ジャズの歴史は1日1ページの翻訳を日課としているし、明日は3時に釜炊きなので早く終いをつけたいし、明日の朝飯も買い出しも必要だ。そんなこんなで、落ち着かない1日だった。若い頃はこんないろんな要件をこなすのは普通の事だったが、今となれば、一つ一つが結構(気が)重たい負担になっている。出来るだけ厄介なことを背負わないで過ごしたい。そんな思いが日毎強くなっていく。毎日決まった事を決まった時間に淡々と済ます。それが老後の生き方ではないかと思うようになった。人生100年は確かに可能な人もいるだろうが、この精神の衰えにどう立ち向かうかが問題でしょうね。 12月18日(火曜日) まるで転勤 外国人の労働者受け入れ法が成立した。アジアの国々の人々に日本に働きにきなさい!。技能がないとダメですよ。言葉の問題もチェックしますよ。都会ばかりはダメですよ。多く来すぎたら制限しますよ。間違いなく日本的な発想。これを聞いた外国の人はどう思う?やっと門戸がひらけたから日本に行くか!そうはならない4つくらいの理由があると思う①経済成長のない国行っても面白くない②言語。技能があれば、近隣ではシンガポール。遠くはアメリカ、いずれも先々に役立つ英語を勉強すれば良いだけ。(フィリピン人は覚えなくても良い)日本に行くメリットはない。③どこに住めるのか不明。(できれば東京に住みたい)。④色々と規制がある(あるはず)ので息苦しい。そんな不満が(多分)渦巻くのに、まるで社員を扱うように、働く場所を決めるという。もはや、外国で働きたい人は国を選ぶ時代になっていると言うのに、この狭さ。どうか来てくだい。介護の得意なフィリピン人には、こういう待遇をしますよ、期限は設けませんよ。今はもうこの状況ではないか。相手だって人間、選ぶ権利がある。芸西村のベトナム人は道で会うと挨拶をする。スーパのレジで並んでいても挨拶をする。とても感じが良い。でも、ビニールハウスに通うのは自転車だ。彼らだって若いから車に乗りたいが誰も乗ってない。(多分規制の問題)。ベトナム人同士で集まって騒いでいるのを見たことがない。(若いから、遊び、飲みたいはずなのに)彼らは窮屈を感じてないだろうか?余計なお世話かもしれないが。 12月17日(月曜日) ドイツのベンツにいつも載せてもらって会社か帰った。時は1993年ごろ。日本橋を担当していて、そこの仕入れ担当者I部長がベンツを買ったので帰る方向が同じだから載せてもらったのだ。そのシートの硬さは妙にしっとり来るものだった。今朝東京行きの新幹線に乗るとミドリ色の車両で最新型だった。そのシートは、ベンツを思わせる硬さがあったし、身体を包み込むような湾曲もしていた。山陽新幹線しか知らない私は、浦島太郎だった。東京は雨で駅から出られず、浜松町の地下のサンマルクで、ジャズの歴史翻訳で時間を潰し、羽田から高知へ帰ってきた。高知は晴れで暖かく、シャツで過ごせる陽気。これが南国だ。郡山で日経新聞に掲載された和菓子を買っていたので、サトウキビを絞っている大将にお土産として持っていったその和菓子は、黒糖を原料として薄皮に使用しているのだ。ここに売り込みができるよう頑張りましょうと渡した。大将曰く、今年ような出来だったら、自信を持って売り込みできると胸を張った。帰って、せっちゃん(お寺の奥さん)にサトウキビの収穫も手伝いをお願いした。この日は頑張って早めに終わり、夕刻先祖様に参加しなければならない。息子にも外食をお願いしよう。昼飯にラーメン定食を食べたので、腹が減らず、夕食は冷凍庫に保管した前の余り物と食パンで軽く済ませた。 12月16日(日曜日) 寒さは抜け、東北に普通の冬がやって来た。今日も割と暇な1日。とにかく客を捕まえない限り時間の過ぎるのが遅い。その結果SC-C701台ほぼ確実。他の人は成果なし。アバンギャルド、フォーカル、ソーナスファーベルと聞いたが、フォーカルが一番まともな音、でもアンプがラックスで、高域の不足を感じた。いわゆるシャリーンが無いのだ。原因はアンプなのかスピーカーなのか不明。NOAHのソーナスファーベルは音質はともかく、選曲がよく人を多く集めていた。お客様と一緒に後ろの方で意見交換、「知っている曲をかけなきゃダメだよ」そういえば、ハイレゾを楽しんでいる客は接客しなかったからきっと保守的なんだろう。その他のお客さんでは、親類一同オーディオマニア1族の人とか、封を切ってないレコードを順番に聞き始めていて、やっと7年前の購入ディスクにたどり着いたとか色々な人がいた。日本のジャズ喫茶ベスト2を教えてもらった。その中にはメグもベイシーも入ってなかった。夕食はイタ飯。4、000円。楽しい東北の旅でありました。 12月15日(土曜日) 又しても失態か?と思いきや 展示即売会の応援に来ている。割と暇な応援だが、午後、店の人が血相変えて来た。「足の悪い人の接客をしたか?」かなりぶっきらぼうな言い方。客が怒って店に文句を言ったのか?一瞬身構える。「あまり記憶にないが、足が悪そうには見えなかったが、接客をした。それがどうかしましたか?」「多分SL-1000Rを買うだろう」それなら、もっと楽しそうに来たらどうか。僕は店に迷惑をかけたのではないかと大いに心配をしてしまった。応援に来て良かった。と後で安堵の胸をなでおろした。他に、ST-G30のほぼ購入の接客で、この日は僕だけが成果。雪がちらつき、おお寒い。パイオニアのTADの新製品E1は、やや音が甲高いし、アキュフェーズで鳴らす、B&W800D3は低域、中域、高域のベクトルがバラバラ。僕はこのスピーカーの完璧な音をきいたことがない。JBLS9800は低域がコツンと鳴り、大型スピーカーを手なづけるのは難しいなと感じた。テクニクスのR1はまともな音。目隠しをすれば必ず1位の音だった。他社の有名ブランドをお客さんが真剣に聞いていたが、この音を良いと思っているんだろうか?と訝しんだ。夜は、昨日と同じ愛ちゃんの店。中のカウンターから、「熱燗の人手を上げてと聞く」それほど客と店の関係が近い。いい雰囲気。 12月14日(金曜日) 掃除をして出かけた。今日の移動は福島県まで。飛行機で東京まで、そこから新幹線。間に秋葉原。仕事を離れてもこの電気街の魅力に惹かれっぱなし。まずは、スナップドラゴンを使ったPCを探すが、日本での発売はないとの事。マザーボードの変容にビックリし、前後を調査。USBメモリーを購入(サンディスク32Gが760円)。テレオンとダイナで小型スピーカー物色。B&W805をどこも進める。80万円を切る価格で提供。確かに音の解像度は高い。デザインも良い。しかし時間が来た。オヤイデの店で電源ボックスの傷つき特化を14800円で購入。重いが持ち帰る。ケーブルは後日としよう。郡山で下車。ホテルの勧めで近くの居酒屋さんへ。座ると、地元の人が話しかけて来て、同じ話を何度も繰り返すが、本を読みながら食べるよりかマシだと話に乗った。一杯奢られ、僕も一杯返し少し量が過ぎた。北風が冷たい中を30分散策しホテルに帰った。明日に残らなければ良いが。 12月13日(木曜日) 石積みは疲れる 早く仕上げないと春が来る。崩れた崖は、雨が降るたびに、水が流れ込んで傷口を広げる。高さ2m幅5mに渡って崩れた崖の修復に再び取り掛かっている。この畑を使えるものにして、サトウキビを植えるつもり。そうすると、畝と溝ができ、水ははけができ、崖崩れは防止できる。石積みに入る前に大量に流れ込んだ土砂を取り除いているが、これが結構辛い。1時間を過ぎると肩で息をするようになる。気温は低く風が吹き寒いが、汗が流れる。腰が痛い。凸型にカーブした道に寝て腰を伸ばす。こんな繰り返しで、夕暮れを迎えた。秋の夕はつるべ落としと言われるように、日が傾いたと思えば急に沈む。急いで買い物に行って風呂を沸かした。風呂から上がり、テオドールクレンチィスのマーラー6番を聴いていると、急に眠気が襲って来た。評判の演奏でかなりエキサイティングだが、睡魔には勝てず、9時半に就寝。石積みは疲れる。 12月12日(水曜日) 怠惰な人達 米中貿易戦争。米国が中国に負けるのではないかと懸念が根底にある。アメリカの低所得者から上位60%までの人口と上位1%の富の比率は2:40だそうだ。フランスは、マクロン氏の政策に対する課税に不信感ありで、低所得者層中心に混乱、イギリスはEU離脱に関して分裂。ドイツは移民の大量受け入れでメルケル氏の信任低下(何で、税金で移民を養うのだ)。イタリアは財政難(脱税による)。こうしていまの世界を見渡すと中国と日本は割と平穏だ。やがて中国も日本も、欧米各国と同じような状況に収斂されて行くだろうと思うが、少し時間がかかると思う。僕なりの見解は、中華系の人は勤勉だと言うこと。日産自動車はゴーンさんに反旗を翻したが、根底には、ルノーになにもかも搾取される構造に嫌気がさしたのでは?と推測する。ルノーの人びとはいかにして楽をするか?こればかりは考えているのでは?その証拠に、ルノーから、世界を代表する車が生れてないし、日本にも輸入されてない(しても買わないため)。フランス人が働かないのは、ナポレオン時代から同じだ。マクロン氏がいくら財政改革に足掻こうとも、イタリアのように財政難になるかもしれない。インドが大量の国民を抱え何故、世界が注目するように大きく成長しないのか?それはインド人が働かないからだ。このように怠惰な面で各国をフィルターにかけると、アメリカの苦境が、非白人系の人口増と関係しているのが見えてくる。ドイツもしかり、中東の人々を受け入れたは良いが、彼らは戦力にならない。現場では仕事を教えても覚えないし、そんな事もわからないのか?と言う混乱があるのではないかと思える。マレーシアで経済を動かしているのが中華系の人だと聞き、この分析に気がついた。中国政府に戦略的な意図がある無しに関わらず、中国は伸びる。アジアの国で華僑が頭角を表す。何故なら彼らは留まらないから。どうして怠惰な人は自分でそこに落ちてゆくのか?落ちたくて落ちているのではないと思う。ものの道理がわからないから、どうすれば最適なのか思いもつかない。そんな人種だと思う。(最近日本人でもそんな人を見かける)そしてそんな人に限って不平と不満が渦巻き、人を妬む。 12月11日(火曜日) ホモ・サピエンスは何をしでかすのか分からない 本庶氏がノーベル賞を貰った。ガンの克服だ。これはこれで嬉しい立派な事だが、、、。人類は永遠の寿命を取り入れようと研究に研究を重ねている。2000年前の聖典が今でも、我々に意味深く映るのは、これだけの時間では自然現象としての人類の変化は無かったと言うことになる。そこで、人工的に人間を改造してしまえと、DNAや脳科学などが活発化していて、ほんの少しづつだが、人間改造が進みつつある。その一つが本庶さんの受賞であるし、中国の賀さんの人工授精である。まだまだいい面での人間改造だが、当然ながら悪い方向の開発だとは知らずに出来上がったものが、悪用されることも人類にはあることだと考えなければならない。その結果、近い将来には全く価値観の違う人類が誕生してしまうこともあり得る。それは、予測のつかない事であると、著書「ホモ・デウス」はページの最初の編で述べている。僕はさもありなん。とこの本を興味深く読んでいるが、昨晩プールに行った帰りに寄ったTSUTAYAで、「ジュラシック・ワールド」をレンタルした。ところが、この映画も冒頭と最終項に同じような趣旨を述べていて、人類の先行きは全く読めないと実感した次第。具体的には未来の映画、例えば「スターウォーズ」や、「電気羊はアンドロイドの夢を見るか」とか、「1984」とかのSFは全部未来の人間が今の人間と同じ価値感を持って描かれている。それが、将来いまの価値では測れない人間が誕生してくるという事だ。それもどうも遠い世界のことではなく、人生100年時代を迎える50年位先の事らしい。人生100年については、息子、娘達に結構語ったが、それは全く当てにならない事(勿論彼らは聞く耳を持たないが)だったかもしれない。 12月10日(月曜日) 朝移動。岡山までジャズの歴史翻訳。ジャズマンの苦悩が始まった。それは、レコードが普及して、大衆も、ジャズマンもレコードを聞く習慣が現れた事だ。大衆は楽しむために、ジャズマンは他の演奏家の技術を盗むために。ところが、3分30秒がレコードの記録限界だった(25cm78回転のSP盤の事)その中で、1925年頃には、ジャズはラグタイムを卒業し、ビッグバンドの時代を迎え、一人の即興演奏者を目立たせる演奏法になっていたから、独自の熱のこもった独自のソロをその中に埋め込む事は大変難しかったと記載されている。ジャズは黒人の哀歌、奴隷搾取の結果生まれたと一般には言われているが、どうもこの本によると、彼らは、どうやら、「楽器を演奏すると飯が食える」と言うんで、我も我もと参入し、互いに音楽を磨いて発展していった、のが真相のようだ。そして、「楽譜の不要な即興演奏法」を見出した。これなら「誰でも独自のスタイルが創造できる」高知に帰ると、風呂を焚き、食事の用意をして、仏壇に花を添え、夕刻出かけた。サトウキビ絞り。23時50分まで。竈焚きは汗が流れるほど暑い作業。窯の沸騰具合を見て、火加減を調整するから、かまどの中と、窯の中身を交互に見なければならない。これ、行ったり来たり休む暇がない。車のNHKラジオが0時を放送した時、車庫のドアを開いた。大変な作業。「来年は、おまんが取材に応じてよ」と言われた、本日放送のあったNHKニュース四国版の事。まぁ大変。 12月9日(日曜日) 少し腐っていたが、「悲喜こもごも。禍福は糾える縄の如し。」で、今日は、上海からの中国人がやって来た。昨日強引にWebで予約を入れてもらった人。(この施設は外国人の対応をしないと発足時に決定したため)奥さんは英語堪能。ご主人も少し。そしてなんと持ち物のカメラがライカ、二人とも持参。接客の間にすごいオーディオマニアであることが分かった。スピーカーにB&Wの800D3を持っている。2つで520万。プリはCHプレジョンおそらく500万円、パワーはアキュフェーズA250ペアで250万円。すごい金持ち。当然目当てはSL-1000R。多分買うだろう。この人には興味があったので色々と質問。彼らが中古のLPを買いに行きたいというので、ディスク・ユニオンの場所を教え、この店独自の買い方を案内した。奥さんは僕の拙い英語を少しカバーするようにご主人に伝え会話は滞りなく進んだ。世の中には色んな人がいる。そんな人たちと会話ができるのは素晴らしいことではないか。その後、フィリピンの財務省課長?肩書きはオフィサーだった。フィリピン大学の教授とロック歌手クイーンについて話を聞いた。ホント、色んな人がいる。トランプさんではないが、「今日は良い日だった」と締めくくれる1日となった。そのトランプさんの書籍が発売されたので、早速電子本を買った。タイトルは、「恐怖の男」冒頭の部分を読むと、まぁ何というか、スタッフがコロコロと変わっている。就任以来の人材はほんの少しだった。相当な人物でないと対等に話ができない人ですね。そして、今日のニュースでも交代劇が報じられた。中国の習近平さんとトランプさんは、政権から退いた後が大変でしょう。習さんは命を狙われ、トランプさんは四面楚歌の中で生きなきゃならないでしょうから。 12月8日(土曜日) 設計のY氏がSACDをDSDに取り出して、BDに焼いてくれた。お礼と共に、彼が携わったBDプレーヤーを購入することを伝えた。パイオニアのBDは断念する事にした。夕刻、僕の接客が悪いと指摘を頂いた。一つは若い人の好む音楽を演奏してない事。一つは僕の選択する音楽が暗いとの事。一つは、部屋のコンセプトを説明してない事。一つは演奏時間が短い事。大反省で次回には改善しなければならない。TVをほとんど見ない私としては、若い人が好む音楽や、CMに使われている音楽を知らない事だ。むしろじっくりと聞くお客様のために60-70年代の音楽を時間の許す限り聞き込んでいたのだ。指摘の対応には、音質なんて関係のない配信の音源で対応すれば良いとの事で、自宅で情報を得るには手段が残されているのが救いだった。もう一つは、全くの誤解だが、僕が東京のショウルームで1年半ほど勤めていたので、僕のやり方は東京風だと代弁者がいい意味でカバーしてくれた事。これを聞いたクライアントは大阪人で、しかもこれはカチンとくる言葉で、ここは大阪。大阪風にやってほしいと来た。カチンに拍車をかけたわけだ。それはそうだ、と僕は思う。僕は東京風を持ち込んだと言う思いはこれっぽっちもないのだが。海外に仕事で行った時でさえ、これは日本のやり方だと言った事は一度もなかった。まぁこれはこれで仕方ない。組織の歯車になると、人はセグメンテーションしないではいられないから。夜行きつけの中華料理店で芋のお湯割りを呑んだら、40年前初めて営業に出た夜、西尾課長が、白波のお湯割りを飲ませてくれたのを思い出した。ちょうど今頃の時期で、不安な夜を思い出した。 12月7日(金曜日) 朝8時から幼稚園が作付けするサトウキビの刈り取り。切るのは草刈機で一気になぎ倒す。サトウキビを覆っている皮は、トラクターの後部にある2つの回転数が違うゴムローラーに差し込んで、皮を剥ぐ。これを、4人で400kgの収穫を行った。約2時間。急いで帰り、風呂に入って昼飯を食べて、駅に向かった。連日の疲れで、JRでは開いた坂口安吾のページがほとんど進まず寝てばかりだった。列車は満席で、岡山からの新幹線も満席だった。アメリカも長期、短期金利が逆転するなど、リセッションの兆しが見え始めているが、日本も経済成長はほとんどない。とは言うものの、一部の地域(都会)は活性化しており、高知のような田舎は沈んでいる反動で、街に出ると景気が良いのだ。いつものことだが、外食はどうしても野菜不足になるので、新大阪駅の天ぷら屋さんで野菜ばかり食べた。人があまりいってない店だったので、大阪にしては珍しく美味しくなかった。 12月6日(木曜日) サトウキビ絞り。終日だから、もう自分の生活はない様なもんだ。4時に事情を言って帰宅させてもらった。明日も午前中の応援要請があり、出張の準備ができない為。今日の砂糖絞りは、小学生の見学体験があった。小学生は圧倒的に女子が多い。綺麗な子は皆無。一人だけ目立つ人がいたが、それは若い先生だった。背の高さは、小学生の方が高いので、並んでいると最初は見分けがつかなかった。伝承館の由来を館長の猪野氏が説明する。僕も初めて聞く話。サトウキビは約400年前に日本に由来し、250年くらい前から芸西村で栽培、ピークは昭和25年。50丁の作付け面積。現在のビニールハウスが130丁だから、1/3位の栽培があった。僕の家にもサトウキビを絞る機会があった。大きな釜もあった。夏場はキュウリなどを作るが、冬場は野菜が作れないので、サトウキビを作った様だ。我が家は、僕が物心つく頃には、障子で作ったハウスで芋などを作っていて、サトウキビは卒業していた。サトウキビからは10%の砂糖が得られる。僕も初めて聞く話だし、小学生も関心を持って聞いていた。最後に出来上がった砂糖を貰って大喜びだった。だが、僕らが子供の頃に喜んだのとは異質。僕らは甘いものに喜びがあって、今子供は貰うことそのものに喜びがある。伝承館の意義も話した。この砂糖を作る工程は複雑で、しかも、マニュアル化出来ないので、技術を後世に残す為に、芸西村が運営していると言う。君たちが定年を迎える頃、一人でもここに帰って来てくれたら嬉しいと館長は締めた。伝統は重要ではあるが、ビジネスにならないと捨てることも重要だと僕は思う。芸西村の農家は作る事に本当に熱心。でも、販路に関しては誰もが手を出してない。村も、JAも。ここを頑張らないと伝統が消える。と思う。 12月5日(水曜日) 今日は、出張の後始末で1日終わった様なもんだ。洗濯や、先週できなかった母屋の清掃など。音楽の整理など。PCのHDDを買い増したので取り付けようと目論んでいたが、ここまで到達しなかった。やっぱり、処理できる速度が落ちているのだろう。JRの切符を安芸市に買いに行った。先日帰宅時、後免駅で買うつもりだったが、列車が30分も遅れ、くろしお鉄道への乗り換え時間が1分しか無かった為だ。この駅での切符購入は30分も要した。高知県全体が高齢化し、処理が落ちているのだろう。帰りに、寺尾で刺身購入。ここで(高知で)刺身を買っていると、街で刺身を食べる気がしないと聞かれるが、これは本当だ。帰って風呂を炊き8時過ぎには就寝。日中2度ほど昼寝をしたので、あまり眠くはないが。明日3時起床の為。 12月4日(火曜日) 今日の訪問活動は相棒の忙しさで延期(多分気乗りしないのが原因だと思われるが)昼から帰省。新幹線に乗るのにホームの端を歩いていると注意された。「危険ですから黄色い点字ブロックの内側を歩いてください。」その時、僕は黄色い点字ブロックの上を歩いていた。??「すると、何かえ!盲目の人は危険な所を歩けということかい」駅員沈黙。前にも書いたが、女性専用車両をwoman onlyと書いたりJR西日本はめちゃくちゃ。話は飛ぶが、アマゾンジャパンに行って商談する時、私のような年配の人(僕に話をしてくれた人)でも、若造が顎でこき使う。これっておかしくないと、G20で温暖化が一層退却した。ひとえにトランプさんの決定に原因がある。原油の消費カーブは右肩上がりだ。今さえ良ければそれで良いポピュリズムが蔓延している。ガンの早期発見は回復するが、後期になると復帰しない。そこには分水嶺がある、地球環境にも気温の上昇を懸念するだけでなく、分水嶺があり、超えると怒涛の環境変化が発生する恐れがある。フランスのマクロさんは、正しい政治家だろうが、大衆人気からは遠い。フランス大衆も今が良ければそれで良いと思っているのだろう。国と国の戦争が勃発する可能性は少ないが、人間が戦う相手が影を潜めている可能性がある。社会に正義が通り、恩義が感じられ、遠くを見られる人が世界をリードしてほしいと思っている。 12月3日(月曜日) なぜ本質に触れない。ブエノスアイレスでのG20。米中の貿易摩擦がクローズアップ。アメリカで自転車の価格が上がったとか、上海の商談会は閑散としていたとか、表面的だ。なぜ、アメリカは知的財産権の保護にどうしてこうも頑なになるのか?中国のハイテク2025とは何を目指しているのか?安易な表面の部分だけの報道ではなく、そこを報道しないとこれが見えて来ない。坂口安吾流に言わせると、彼らはジャーナリストではない、受け売りだ。今日は懐かしい人に2名会った。一人はコスタリカのお客様を連れたASOM時代の女性。初めて、日本人に英語で挨拶した。(お客様に失礼にならないように)昔彼女はインドネシアとか、トンガとか日本より東の方のアジアを担当されていた。英語のメールの書き方でお世話になった。お客さとは英語(スペイン語でなく)の会話をされていた。もう一人はスレテオ事業部時代の同僚で、懇親会。奥様が病気で面倒見られている。大変な人生を送られている。僕の厳しさも噂で知っていて、お互いの傷を舐めあった。健康で酒が飲める内は、「それが最高としなければならない」。昔からの強引さはあまり変わりがなく、来年の若狭湾へ鯛とイカ釣りに行く事を約束させられた。午後2時に船に乗って22時に下船、午前2時に帰宅、仮眠をとって朝帰省しろと言う。次は日本酒の美味しい店を探しておくとの事。「(お前に)真心がなければ、俺もこうして出てこない」と言われたのにはジンときた。 12月2日(日曜日) 今日は忙しかった。常時2組くらいの客を抱えていた。EP盤の録音を行いながら、レコードを解説していった。ラジオのトップ10みたいだと言われた。サラ・ブライトマンのCDを持参された方も来られた。ネット検索で、サラは宇宙に行くと断言したが、家族の都合で行けなくなり、落ち込んでいたと書いてあった。理由は明らかにしてない。世界中で売り出す歌手なので、編曲陣営は豊富で、音楽に工夫があるが、多重録音の為か、以前のアルバムと同じように酷い音。声の帯域も幅をカットしているように受け取った。年末に向かって昔ほどではないが、気になる音楽が出始めた。レコ芸からは、今年の大賞が発表された。久しぶりに全曲を購入しようか躊躇?帰りの散歩コースは阪急東通書店街を抜けて、城北通りに出て中津に帰った。1時間。やよい軒での夕食時、酒も飲まずに眠くなった。これから帰って週報を書き上げて発送しなければならないのに、眠くなるとは何事だ。要は今までの疲れ(徐々に回復している)の残りと、今日の疲れの重複で睡魔がやって来たのだろう。高知を立って今日で3日目だが随分と離れた気がする。そう言えば、田村のおばさんから、家を貸さんかねと打診があった。副収入になるが、税金が増えるだけでメリットなしなので断った。 12月1日(土曜日) 暖房無しで寝たら寒くて目が覚めた。暖房をつければ喉が危ないし、微妙な時期だ。芸西村で仕事を始めたと、書いたが、この仕事の1番の難しさは職人技の秘儀だとも書いた。慣れるに従って、ややこしいのは人間関係の他と言うか、それに関する内容で言葉の問題だと思うようになった。それは芸西村の言葉で話さなければいけないこと。大阪弁を芸西村の言葉に翻訳して、芸西村の敬語に言い換えるのは結構難しい。言葉選びが難しい。大阪弁で話せば楽だが、年配の方で、芸西村で生まれ育った人には、他国の言葉は疎外感を産み、最も嫌われる方法だ。これは気を使う。一方で今日はアメリカのお客さんと話した。名刺をいただくとパナの方だったので(CTOで結構偉い人)、こちらも大阪弁を英語に変換して話した。難易度は勿論英語の方だが、翻訳をしながらの会話は疲れますね。この人は一度会社を解雇され再び採用されたなど、リーマンショックの模様や、ドイツでの展示会の苦労などを教えてくれた気さくな人。不思議なことに今日はよく会話が弾んだ。社交辞令で是非だがカルフォルニアに来たら寄ってくれと言われた。頭の変換回路が上手く機能しているからだろう。芸西村弁変換も役に立っているかもしれない。と言うことで、俄然前に計画したドイツ行きに燃え、ジャズの歴史翻訳にも力がこもった。 11月30日(金曜日) 午前3時起床。厳しい仕事。又人間関係も辛いものがある。しかし、ここは体を動かす仕事で、以前のように、長時間勤務の運動不足を補うために、更に水泳に出かけるような余分な事は無しだ。ただ、仕事が終われば眠るだけ。この単純さが何とか耐えられそうな感じにつながる。昼に自宅に帰った。急いでシャワーを浴び出張の荷物を持って出かけた。おじさんところに寄って赤芋を渡した。「お寺のせっちゃんが、カンショと赤芋に燃えちゅうぞねと」、近所の消息を伝えてくれた。これは僕との協業の事、来年は大きくなりそうだ。JRに乗ると、睡眠不足で一気に眠った。目が冷めれば、坂口安吾を読書。新幹線はジャズの歴史翻訳。新大阪のQVCで散髪。やよい軒で生姜鍋定食980円。ホテルでクレルンティスのチャイコフスキー6番、ハイレゾを聴く。DAPはDENON DA10。ヘッドフォンはオルトフォンEQ5。プレヤーはオンキョウHFプレーヤー。ダイナミックレンジが余りにも広すぎでヘッドフォンには厳しい音楽だった。 11月29日(木曜日) 昨日の課題はあっさりと片付いた。要はCA1000IIのプリ部が脆弱だったのだ。テクニクスSUA200に変更することで、一気に音が蘇った。ただ、スピーカーのエージング不足は残る。音楽リストの修正を午前中。午後は、出張準備、崖の石積み(木こりはハゼの木が残るが、もう少し乾かせてから処置のつもり、なぜならかぶれるかもしれないから)この作業は疲れる。少し肌寒いのに大汗をかいた。早めに終いをつけて寝ようとするが、昨日のBDが気になり少し見る。バルトークの演奏は中国での録画、クラシックを聴く中国人の服装が演奏者に対し失礼な服装だった。でも演奏は躍動感あふれるものだった。 11月28日(水曜日) 午前3時起き、午後5時半終了。これサトウキビの仕事。まだ初心者で、習うことが多いが、それぞれに指示が違う、混迷。それゆえ、なかなか事実が掴めない。とりあえずは、時間の管理。次に火加減だが、これも、人によって更に違う。多分時間とのセットで解決するはずだが、両方一度にできないので、追い追いデーターに追記の方法で事実の判明となるだろう。絞り汁のアクを沈殿させるのに石灰を使うが、これは、サトウキビの出来具合、畑によって加減が違い、一元化出来ない。あの人の畑はこうだったなど、昔の記憶がモノを言うようだ。取り敢えず、入念に写真撮影して、データーを集めるしかない。このデータを公開すると彼らは勘でやってきたのでみんな反発するだろう。田舎の農家の習性だからよくわかる。僕がこの事業を引き継ぐのかどうかは不明だが、その時の為に胸に秘めておこう。もう一つ、クタクタだったが、先日注文したサイモンラトル、ベルリンフィルのBDが届いた。早速ラベル作曲のピアノコンチェルトから見て行く。ピアノの妙技みたいなものが感じられる。同梱のSACDで確認もしてみたい。BDは96khz24ビット信号だが、BDレコーダーからは、48khz16ビット信号しか取り出せ出来ない。アンプはハイレゾ対応で最新型だが、HDMI入力を持ってないからだ。一方HDMI入力のあるAVアンプはステレオのクォリティが低い。どうにかなりませんかね。 11月27日(火曜日) 気になっていた前の家の(職場だった)後片付け。8月10日、ここでの仕事は終えたが、机や椅子を放置したままだった。今日、それを片付けて、オーディオをセットして、机には新たにパソコンを持ち込んだ。CDでシャルル・デュトワの「シエララード」を聞くが、どうも音に新鮮味やスピード感がない。スピーカーの音が荒れているのは、エージング不十分だろうか?妙にバランスが悪い。アンプはヤマハCA1000II、スピーカーはパナPF800。スピーカーの足場を解決すれば何とかなるか?明日は再びサトウキビの仕事。取り敢えず手持ちのプリ(SU-A200)をつかい、CA1000はパワーのみ使用に変更して再度挑戦だ。 11月26日(月曜日) よく寝てやっと元どおりになった。けど、体への負担は大きいだろうな。午前中クリスマスの音楽整理。アップルミュージックからダンロード出来るソフトを発見。ベルリンフィルのアジア公演のBDをタワーレコードで注文。12000円だったがポイントが貯まっていて6500円。クラシックの魅力が詰まっていると山本浩二さん絶賛。昼飯時、ジャズの歴史翻訳、やっと30ページまで来た。最初のページを読み直すと随分と違う意味を書いている(ような気がする)。でもいい、このまま兎に角190ページを終えると次が見えてくる筈。会社の勤怠は6日/月とだんだん少なくなってきている。それが決まりならそれで良いのだ。休みを使って旅行に行けるから。今度はドイツだ。ベルリンフィルを毎日聞きに行くつもり。だから行先はベルリンだけ。毎日街を散策し、プールに行って、レコード店を覗き、ビールを飲む。これを4日程度繰り返す。ベルリンフィルが休みだったら、ライプツィヒか、ドレスデン。どちらも有名な楽団があるから足を伸ばしたいが、慣れない土地だから行くのは難しいかもしれない。航空券だけだと10万円くらい。ホテルは1万円くらいである。コンサートチケットは日本で買うと割高みたいだし、ホテルの予約サイトが付いてくるので敬遠したほうが良いだろう。これらを含めて、英語のヒアリングは必須。今の段階よりももう一段とギアを上げなければならない。夕刻体のバランスの為プール1500m。 11月25日(日曜日) 昨晩はなかなか寝付けず、目を開けると2時59分だった。車に乗って伝承館へ行く。もう作業は始まっていた。頭は未だ朦朧としている。他のメンバーも黙々と作業。無駄口はない。6時になると、メンバーが増えて、小学生も2人来た。大将の孫だろう。メイメイが作業をしている。窯が1つ全開となり、室温は上がる。太陽が出て2窯目に火がつくと、汗が出てくる。作業の合間に、朝食にパンと果物を食べる。休憩時間なんてものはないし、連続の15時間勤務だ。体力を消耗するのは竈焚き。3つの窯の火加減を見ながら、薪をくべる作業。熱くて汗が流れる。次に、炊き上がる頃、溶けた砂糖をかき回す作業。最初は軽いが、ドロドロになってくるとかき回す棒が非常に重くなる。一方で、搔きまわす速度が落ちると焦げる。10分もやると、汗が胸の前をタラタラと流れる。何度も給水に行く。これが6行程。比較的若い僕でさえクタクタだ。89歳のじっちゃん(最年長でじいさんを略してじっちゃんと呼んでいると理解していたが、本当は実夫さんの略だった)にも同じ作業を代わってもらう。彼に聞く、「長生きの秘訣は何かよ?」「あては、餅が好きじゃきに、この砂糖で餅を包んで食べよるがよ。もち米も作っちゅうきに、両方が自前じゃ」。成る程、やっぱり好きな事をせな、長生きはできんという事か。けど、定年後取り組んだ仕事は、多くが長時間労働だった。仙台では45日も休みなしだったし、前職は月に120時間ほどの残業だった。それもやめ、やっと解放されたと思ったら、また15時間勤務がやってきた。生きる為の金には困ってないが、遊ぶ為の金には困っている、貧乏している。そんな下心が長時間勤務を呼ぶのかな?僕には嫌なことを我慢する徳川家康の精神が必要かな。 11月24日(土曜日) 快晴。母屋の清掃。午前中勤怠を作成、1本手紙を書いたらそれで終わり。午後は相変わらず、木こり。大量に伐採したので、まだ終了しない。そこへ電話が来る。「明日3時に来てくれんかよ」これサトウキビを絞る話。午前3時の事だ。木こりは急遽終了し、風呂を沸かして、食事を作った。午後7時には食事を終えた。食事の時ウィスキーを飲んだ。自分一人では進んで酒は飲まない方だが、どうしても早く寝なきゃならない時は仕方ない。所が、慣れないとはこの事で、風呂から上がり、湯冷ましに少しゆったりとしたら、そこで寝込んでしまい、肝心の寝る時間9時に目はぱっちり覚醒した。急いで布団の中に潜り、睡眠薬がわりに本を読み始めるが、なかなか睡魔は襲ってこなかった。 11月23日(金曜日) あっという間に11月も終わろうとしている。午前中、井上陽水の「もどり道ライブ」と藤田恵美の「カモミールカラー」のハイレゾ・データを買った。¥7600。ハイレゾはクラシックの充実を基本に置いているのだが、いいのがない。音源のバックアップと整理をすれば、もうお昼の時間。午後から、切りかけの墓の南にある椎木と櫨の木を切った。ハゼは負ける人もいるが、今回は大丈夫だった。切り刻んで葉っぱは谷に捨て、幹は敷地に保管する。1/3くらいで本日終了。自宅からこの山を見ると景色が変わった。それほど切ったのだ。風呂を沸かし買い物。風呂は3回くらい薪を投入しないと湧かなくなった。それに竹のみだとオキが残らず、翌朝までもたないので、木も混ぜている。木を混ぜると燃焼が遅いので、カマドの中の焚き木がなくなるまで待たねばならい。その間、庭の草引きをする。毎日引いているのに、毎日新たな草が成長している。寒くなってきたのでもうそろそろと思うが、未だトンボを見かけて、蚊がいるので草も元気と言う事だろう。夜は買ったハイレゾを聴く。部屋がデッドなので、輝きに欠けるがハイファイには違いない。 11月22日(木曜日) 現在3つの違う仕事をすることになった。一つは、大阪のショウルームで接客。一つは、芸西村の伝承館で、カンショを絞り、砂糖を精製する仕事。そして、今日から稼働の、大阪でお菓子(パウンドケーキ)を販売する仕事。朝9時に、担当の方と天満駅前のマクドで打ち合わせをと言うか、計画書を作成した。実行は12月4日から。愛媛でケーキを製造し、大阪で販売するかなり大げさな活動の一環だ。それで販売先を開発するのだ。飛び込みで売り込みを行う。以前、東北で1年間に800軒くらいの訪問活動を行い、契約を取った事を思い出した。あれと基本的に同じ事をする。ダメ元の仕事。精神的にきつい。2人でこの仕事を行う予定だ。午前中に打ち合わせは終わり、午後3時の便で帰宅予定だったが、早めて自由席で帰宅した。それでも帰宅は4時。風呂を焚き、洗濯をし、夕食を準備すればもう外は真っ暗。映画「ジオストーム」を居間に置いたブラウン管テレビで見た。壮大な宇宙が21型の画面に凝縮されている。音はそれなりに出るから食後の腹こなしには最適かな。隣の部屋にある100インチスクリーンを立ち上げて、暖房を入れ、メガネを変えるため、自分の部屋に帰るのは何となく億劫だった。これでいいか、これから先、こんな妥協がどんどん増えてくるのかな。 11月21日(水曜日) 8年ぶりに逢う昔の職場仲間。態度は大きいし、身体もでかい。夕刻懇親を図ったが、店選びは適当でも、彼の後をついて行くほうが安心だ。馴染みのない店では僕は舐められる。彼だと心配ない。話は8年前から今までのブランクを埋める事になった。僕の腹心の仲間であるM君は早期退社して、別会社へ。話をしているI君はT君の部下。お互い合わないと嘆く。趣味に始めたバイクはハーレー・ダビッドソン。2台買い換えて、サブの125CCのバイクは2台盗難に遭い、革ジャンも揃えた出資金は400万は下らないと言う。スロットを辞めて、こちらに転向したと言うから良いことだ。でも、老後の資金は必要だと僕は戒める。まぁ元気だから、高齢者になっても働けるから、心配しなくて良いかもしれない。僕が見ている高齢者は仕事ができなくなって寝込んで3ヶ月で逝ってしまうから、一生仕事の人生でも良いかもしれない。今日は思わず飲んでしまった。また逢おうね。「岡村さん、俺と飲むと楽しいやろう」と竹内力(あるいはスティーブン・セネガル)に似たこの人は言った。 11月20日(火曜日) 久しぶりの仕事、2つの違う仕事を抱えている。大きくスイッチを入れ替えて、接客対応だ。趣味の延長にあるオーディオだが、ネットワーク環境が入り、PCの言うDLNAが結構幅を利かせて、高齢者に対して参入障壁を高くしている。しかも、データーのバックアップなど正にPCそのもので、アプリ操作は深層に埋め込まれている。オーディオファンとPCお宅は相性があまり良くないので、2つを自由に行き来できる人は稀。やっぱり昔ながらのLPでいいや。ジャズもクラシックも名演は1950年〜60年代に出尽くしている。業界が拡大しないのは、こうした使い勝手面にも課題がある。こうして希少なオーディオファンは年老いて人口を減らして行く。だが時代に竿を指すように抵抗している人も少し入る。その一人が今日は訪ねてきてくれて新譜のCDを紹介下さった。一つは、マイケル・ブーレで、この人を取り巻く編曲陣は凄いと思わせる編成内容。もう一つはシーネ・エイで少しだけだが聴くことができた。何もハイレゾ音源でもう一度聴きたくなる演奏。一方で、井上陽水の50周年ボックス盤が25枚セットで発売されるニュースが飛び込んできた。ハイレゾも解禁された。どちらを買おうか迷ってしまう。今日はそんな事で目まぐるしく情報が飛び込んできて、一気にオーディオ頭に切り替った。 11月19日(月曜日) 夜中に雨が降り出した。昨日は雨の土曜日の翌日で晴れ渡り、うまい具合に芸西村フェスタが事を運んだ。今朝は、食事の後、雨音を聞きながら朝風呂を楽しんだ。それから、音楽リストの整理をして出張。電車の中では坂口安吾、まだ半分も読み終えてないが今日は1000ページほど読んだ。「部屋の電灯を点けると夜が窓外に逃げた」表現は、ユーミンの歌の中にもあった。5万ページほど読んで彼の貫く精神性みたいになものが少しわかってきた。一言で言えば、「人間の基本は昔から変わらなくて、堕ちてゆくだけだ。時代によってその仕草が変わるがそれは纏う着物が違っているから」と言う事だそうだ。一人の作家を集中してかくも長時間に渡り読んだのは始めて。(まだ読み終えてないが)自分は奇人変人の類だと思っていたが、一枚皮をめくれば他の人と同じ。少し着物の柄が違っているだけと言うこと。午前中お客さんからもらったCDを全部聴いた。録音は古いが、名演奏だ。コツコツ集めた音楽を1枚のCDに凝縮した宝物でした。僕の半生はレコードは小田急ショウルームの時代からお客さんにもらっている。パナレディの家に押しかけてアルフィーフのレコードを貰ったりもした。僕から、レコードをあげた事は一度もない。ホテルにチェックインすると職場の同僚から電話。クライアントのTopから忘年会のお誘いがあったとの事。この為、勤務体系を変更する準備に入ったとのこと。以前送別会を計画頂いたが、父の状況が二進も三進も行かない時だったのでお断りをしたことがある。食事の後、腹ごなしに梅田方面へ散策、JAZZレコード専門店があった。覗いてケニー・ドリューとデイブ・ブルーベックを購入。シンガポールでネットをどんどん使ったら、Webが英語バージョンを優先的に出すようになった、賢いグーグル検索だが、こんなこともあるんだと思った。ちなみに、日本語で引く日本語の検索結果と同じ内容が英語バージョンで随分と掲載されていることにびっくり。この分野では、もう日本は全くグローバルになっていることに気がついた。 11月18日(日曜日) 船頭多く船山に登る サトウキビの作業は代表のシコウさんが務める。彼の指示に沿って作業をしているが、一人若手で、よく出来る番頭さんがいて、彼からも指示が来る。そして、言うことが違う。そして、それを行うと、嫌味が来る。小さな所帯でのよくある事。この問題の原因は作業手順がマニュアル化されてないこと。理由は、サトウキビの出来不出来によって手加減をしなければならない為。と言う。でも、見ていて時間を測るとそんなに誤差がない。つまり、精神は昔の家内工業何ですね。芸西村から出た事が無い人は(世の中の事を分かっていても)結局はこうなるのだろうか。まぁ僕としては紹介してくれた、お寺のせっちゃんに悪いから、当分の間参加するつもりですが、どっぷりと浸かるのは少し考えた方が良いと思いますね。ましてや、ここの後継者はやめた方が良い。英語の勉強も、外国旅行も頓挫する可能性があるからです。以上が内幕。今日は芸西村フェスタで、NHKの取材が入り、サトウキビから砂糖を作る工程をつぶさに撮影された。放映は少し後になるらしい。理由は放映と同時に注文が殺到して対応できない為。少し在庫に余裕を持ってからの放映となるとの事。フェスタでは、屋台が出て、農作物のコンテストが開催され、サトウキビの試食があった。この試食時間に間に合わすため、僕らは必死で働いた。汗もかいた。掃除、清掃を終えたのが3時半。帰って木こり。風呂を沸かして、フェスタで買った弁当を食べて今日を終えた。S氏からハガキがきて、12月3日忘年会を決めた。 11月17日(土曜日) 音楽リストを作っている。今まで外国人が来られた時、どんな種類の音楽を聴きたいですか?と聞いていた。余りにも頻度が高いので、音楽リストを作った。全て英語で書いてある。アルバムの表紙はアイコンにするためかなり大きく印刷してあるので、日本人でも何とかなるはずだが、殆どの日本人はページをめくるが、これ聴きたいとは言わない。外国人には、アルバムの概要を簡単に英語で書いてあるので読めば、参考になるはずだが、こちらも余り読まれない。つまり、リストは、僕の自己満足のためのものだった。これではいけないと、アルバムの中に収録されている、楽曲名を記入したのが、今日の午前中。アルバム数が多いので、完成はしてない。午後は、木こり。木こりはまだ当分の間続く。そして出張の準備。明日は一日中何もできない日。つまり、伝承館で早朝からサトウキビの作業。夜は8時半に床に付く。明朝4時には起床の為。 11月16日(金曜日) 睡眠不足を取り返したので、何も出来なかった。LPから録音したWAVをHDDに移しただけ。目が覚醒している時間は、ジャズの歴史翻訳。日経NEのAI雑誌をペラペラとめくる。気力は充実しているが、体だるくあまり動きたくない。運動の無い日は、夜プールに行って泳ぐのが今までの習慣だっっが、それさえも気持ちが動かない。疲労なのか、年取ったのか不明。21日かつてNTCで一緒だったI君と飲みに行く約束をした。夕食は胃に優しい雑炊。 11月15日(木曜日) 目覚ましのベルが鳴っても頭は覚醒するが、眠りの淵からまだ浮上せず中々目が開かない。手で瞼を上げてやっと起き上がった。午前3時30分、車で伝承館へ出かけた。自転車でも難なく行ける距離だが、暗くて寒いので車とした。(ここら辺りが、昔の元気と違っている所。)タイムカードを押して作業始めた。一通りの作業を覚えてもらうためにと、責任者の判断で、いろんな作業の工程を経験させてくれた。まずは、サトウキビを機械に挿入し、汁を絞る事。絞ったカスを箱詰めする事。窯に火を炊くこと。これは、毎日風呂沸かしをやっているので、全く問題がない。湧き上がった絞り汁に石灰を加えて灰汁を沈殿する方法は職人技。経験のある5人が意見を述べて、責任者のしこうさんが決定する。言い忘れたが、ここの構成メンバーは男5人、僕が加わって6人。その内一人は89歳でじっちゃんと呼ばれているが、あとで述べるがこの人が凄い。この年まで生きるのだけでも凄い事だが、皆んなと同じ様に作業をするし、先ほどの職人技にも重要な意見を述べる。石灰の配合を決めたあと、タンクに移し、沈殿を待つ。空になった窯には、次の絞り汁を入れる。2番目の窯に火をつけて、沈殿し、澄み切った絞り汁を移す。少し沸騰したところで、灰汁を掬い、本格的に水分を飛ばす。沸騰して泡がこぼれそうになる。泡を竹でかき回し、溢れるのを抑える。僕のやり方だと溢れそうになるので、じっちゃんが飛んできて、作業を代わる。その間じっちゃんは壊れた道具を修理している。手先の器用な人だ。伺うと、家には、据付の電動ノコや糸鋸があり、大工さんの様な工場があるとの事。そうです、かれは道具を直したり、作ったりするのが趣味であります。2番釜で煮詰めた汁は、3番釜に移し、ここで完全に水分を飛ばす、ドロドロになった状態で、又、火を止めるタイミングをみんなで協議して、茶碗に汲んだ水に出来た砂糖を垂らし、固まり具合で時を決める。決めたあとは、竃からオキを取り出す。窯から、大きな陶器の器に砂糖のドロドロをいれて、裏の加工場に移動する。ここでは女性が3名ほど待ち構えていて、ドロドロを小さな折に流し込む。この一連の作業の一部をそれぞれやらせてもらった。全部で5回行程。終わったのは4時半。大変な作業だし、どれもが熟練を要する作業だった。マニュアルはない。体で覚えろと言うわけだが、一部始終を撮影したので、マニュアルが出来る。後継者のためにも、作ってあげようと思う。村の宝になるはずだ。聞くところによると、この製法は、他の地区と(沖縄も含めて)違い、味の良さはこれに有ると自負している。本当に三越で売れるかもしれないと錯覚した次第。でも体が大変。次の集合は18日。村のフェスティバルの日。この日は来場者に試食させる為、窯出しの逆算から、午前4時に集合となった。よく頑張った、もう太陽が沈みかけている。夕食を安芸の寺尾で豪華刺身にするに時間がない。村の魚屋「横田」でサワラの刺身。これが、意外とモチモチで行けた。そう言えば季節は冬場。脂が乗って美味くなる季節を迎えていたのに今気がついた。 11月14日(水曜日) 忙しい時期を迎えた 午前中は写真の整理。12月は4日間追加で仕事に駆り出されることが決まった。行先は福島県郡山市。15日は、サトウキビの初釜に駆り出される。朝3時半の集合だ。更に、来年2月は東京でコスモスベリーズの新年会がある。今年は、積雪の影響で往生したが、さて来年はどうかな。午後は、残っていた西側の竹垣借りと、東側の納屋に覆いかぶさる木を切った。ここは、木の繁殖でがけ崩れが発生している。これで今年になって7箇所目。モグラ叩きの様相で追っつかない。夕刻は友人と懇親会。近況を交換した。彼は来年、町田市で、貝細工のイベントに駆り出されるそうで、お互いに忙しい時を迎える。How old are you?一目見て65歳以上と見えること。確認のために年齢を聞く。65歳以上なら割引がある。シンガポールのUSSで経験したショックな事。だが、「兄弟船」じゃないが、「見かけは古いが時化には強い」、様に、翌日の疲れの事を問わなければ、まだまだ昔の活動ができる。明日の朝早いので、懇親会は7時半に終えた。 11月13日(火曜日) 高知に帰るのは11日ぶり、土讃線沿線はすっかり紅葉が始まっていた。でも高知に着くと結構暖かく、Yシャツで過ごせるレベルだった。荷物が重く、自転車がふらふらした。家の方は無事だった。夕食に友人を誘ったが先約ありと断られてた。明日に延期。親類のおばさんにお土産を持っていき、帰りにスターチス(花卉)をもらった。その足で前田種店へ行き「葉にんにく」を聞くが売り切れとの事。スーパーで夕食の食材を購入し帰宅。風呂を沸かした。裏の大日様に行けば、ここは先日の台風以来、竹の倒木が四方からあり、僕の責任ではないが、近所のよしみで、全て切り刻んだ。明日回収するつもり。まだ近辺のチェックを行ってないから他にも変化があるかもしれない。風呂を焚く、食材を買いに行く、食事を作る、田舎ではこの基本的なことにすごく体力も時間も使う。昨日までは、仕事から帰る途中で食事を済まし、ホテルではコックを捻って10分でお風呂に入れた。こちらでの不便な生活を選んだのだから仕方ない。その代り、大音量で音楽が聴ける。 11月12日(月曜日) 嬉しいな 今日は会社のVIPを向ける日。スペインのお得意で会長様ご一行。世界60カ国に支店を持つグローバル企業。所が、僕は以前東京のショウルームでお会いしている。それを会長様は覚えていらして、抱擁の挨拶。当社幹部はVIPの案内でかなり神経質であったのでかなり助かったみたい。タイのお客様も来られた。両手を合わせてご挨拶をした。若い女の子ばかり6名だったが、全員同じ挙動で挨拶。タイは何度も仕事で行ったから常識を知っていて良かった。オーストリアのお客様にはウィーンフィルのレコードをかけた。こちらは、Karl Bohm版とロリンマゼール版を紹介したが、マゼール版を選択された。僕の中で?信号が灯った。クラシック音楽は止めよう。アメリカのロックに切り替えよう。シンガポールから戻り、僕の周りは一気に英語バージョンに染まった。英語は使わなければ錆びる。ここで面白い話を一つ。娘と密着の旅行をしたが、娘は父以外とは誰とも話さず、たまに買い物をするときに英語を話しているようだった。まぁ慣れない事だから仕方ないかと思っていた。しかし3日目の帰る頃には、僕に対しOKとかサンキュウとか自然に言っていた。少しは感化されたみたいだった。 11月11日(日曜日) まだ旅行の疲れが取れなくて、朝も起きるのは遅かったし、仕事の合間も眠かった。やっぱり年でしょうね、昨日までは元気でだったのに今日はからっきしダメ。疲れは後で出てくる。幸いに午前中は客が少なく、エンジンをかけるのに十分な時間があった。テクニクスルールの隣にセミナールームがあり、今日はペットの犬の撮影会の講座。結構な費用が発生するにも関わらず満杯。参加者は自慢の犬を連れてきた。装備を見れば、素人の私でもその金銭的な価値がわかるほどの物。それとは違うが、おじさんが撮影会に行ってモデルを撮影するのですが、それよりも、いいカメラを持っているのを人に見せびらかしたい気持ちが強く、誰かに聞かれるのを待っている。これと同じ心理で世のお姉さん、おばさん達が集まっていた。趣味の世界で慰められるのは大いに結構な事だ。今地球人全体で、紛争や戦争で死ぬ人は、自殺者よりも少ない統計値がある。どっちにしろ、これから益々人は働かなくても良くなってくる。労働時間の短縮が叫ばれているが、いずれ過去のものとなる。その証拠に、テーマパークは一杯だ。シンガポールでもそれを感じた。人工的な趣味でも、自然的な趣味でもどっちでも良いし、仕事が趣味も良いと思う。僕の様にいっぱいありすぎて二進も三進も行かないのは問題だけれども。今日は空き時間を利用して、SU-G700と、SB-G90の音をかなり真剣に聴いた。録音の良くない音源が特に良い。狭い帯域で艶っぽく鳴る。かなり見直した。 11月10日(土曜日) 7時半に目が覚めた。ずいぶん寝た。朝食を食べて、10時に出かけた。いつもの喫茶店で11時半までジャズの歴史を翻訳。最初の3行につまずき時間を要したが、あとは何とか進めた。人名はアメリカ版ウキで補完。ウキは辞書なしで読めると言うか、読みやすい言葉で書かれている。NHK基礎英語3のレベルみたい。それから咲くやこの花館。今週は植物園を3つ訪問することになる。6年前この近くに住んでいた。早期定年の勧告、離婚、両親の健康不安を抱え、しかも2人の大学生活を支える為求職活動。受けども受けども不採用の辛さ。そんな時に支えてくれたのが「咲くやこの花館」の花。まさか、いろんな難題が一巡した後ここに来る事が出来るとは思わなかった。結局、カメラをぶら下げて一人で花と対話しながら撮影する静かな時間がやってきて、目指していた「シンガポールでのんびり」をここで実現してしまった。まぁそれはそれで良かった事だ。地図アプリを開くと中津の東横インまで1時間半の行程。地下鉄だと280円。これを歩いた。途中バーミアンで食事。天神橋6丁目の2ndストリートでネクタイ購入300円。何もしない久しぶりの休日を楽しんだ。 11月9日(金曜日) 変な自信が身を滅ぼす あっという間だったが、何とか帰国した。パック旅行じゃないから、感動はひとしおですね。入国に関しては、スタンプはありません。欲しい人は押しますよ的な対応。手続きも、自分で買い物のレジを打つ感じ。まずは、会社を訪ねて、少し資料を作成した。昼時、F氏が会社を訪問した。一緒に食事。彼は実に顔色が良い。酒飲みの割には、酒の影響が顔に出てなく健康そのもの。孫の為、結構出金と引き換えに賑やかさをもらっているとのこと。幸せな老後を送っているようだ。農作物の上りは月に1万円程度との事。住友銀行で残金記帳し、ショウルームで保管してあった洗濯物やスーツを回収して、ホテルに向かう道中で洗濯機を回す。こうして、週末からの仕事の準備が完成した。夕食は、O氏を懇親。理路整然と話すO氏からは、少し重い課題をもらった。断るのが何よりも不得意の私としては、受けざるを得なく、そして、残された人生を削ることになる。やって出来ないことはない、大概のことはできる。そんなほのかな自身が「受けてしまう」のだ。食事は早めに終わったので、ジュンク堂に行った。森の生活。森の中に家を建てて住む本があったので買った。写真付きの洋書。文章が短いのでなんとかなる。もう当分買わなくても良いだけの良書がある。本も音楽もありすぎ。手を広げすぎて自滅するのは僕の摂理。恐らく。 11月8日(木曜日) アメリカナイズ 朝飯はマック。行先は、ユニバーサル・スタジオ・シンガポール。何のこちゃ!アメリカやないか?。でも、ココしかないアトラクションがあると言うので、娘に従った。交通は地下鉄。もうタクシーは使わない。タクシーは土地感覚が掴めないから。今日も晴天。太陽がきつい。人生始まって以来テーマパークでアトラクションに参加するのはこれが始めてだ。マダガスカルはイマイチだった。後ろの高校生が騒いでいたが、アトラクションに参加する儀式そのものに酔っていたようだ。もちろん日本人だ。次にシュレック。これは4D。3D+椅子が動くので4D。風が来る、雨が降る。3D映像は奥行きよりも飛び出し重視で、映像を掴みたくなる。目の前で粉々になった岩石が落下するとき、足元に砕けた岩が飛び散る感覚がある(娘によると風らしい)。満足。ジュラシックパークは1時間半の待ち時間。最後のボートの落下が圧巻。でも、ロッカーは時間超過で更に4ドル(合計8ドル)を払った。アトラクションが5分で後は行列の時間だったのでその行列に金を払えと言う魂胆が気にくわない。もう一つ割り込みがあって、50ドルを払えば可能。それもおかしい。待ち時間が1時間を超える客の気持ちを考えて欲しい。アトラクションの建物よりも、お土産売り場、レストランの面積が多いのも不満。結局、僕はこの中で散財するのが嫌になって、入場料の他には一切使わなかった。ローラコースターの初級版に乗ったが、頭が狂ってしまい、降りた時真っ直ぐに歩けなかった。もっと酷いのが2つあったが、ごめん蒙った(娘は乗りたがっていた)。トランスフォーマーの4Dはすごかった。動く車と目の前に展開される3Dは本当に恐怖を味わえる。映画の主人公になれる。途中で3Dメガネを外しどんな錯覚をしているのか試したのは言うまでもない。それにしても、あれだけ激しく戦ったロボットは、折りたたむと、外装は傷のない車に変身するのが突っ込みどころか。この後はUSSを出て、マーライオン。セントーサにもあるが、やはり一番有名どころの方が良いのではと、地下鉄を乗り継いだ。晴天で大汗を流した。今夜深夜便で帰るので、ホテルは午後7時まで延長しておいた。5時にホテルに帰りゆっくりと汗を流した。娘曰く、頭も洗ったので爽快だとか。重い荷物を押して、地下鉄の駅まで行った。タクシーの40ドルを地下鉄の5ドルに節約。まぁ節約よりも、この土地と触れ合うのがいいからだ。乗換駅で、おばさんの方から、空港はこちらに来て乗れ。そこに座れ、どこから来た、彼女は娘か?僕の方も、貴方達は空港に住んでいるのか?(冗談のつもりで言ったが真剣に答えた)ターミナルは何番か?(シンガポールでは何時も聞かれる定番)。そして、チャンギ空港駅で下車したあと、ターミナル1まで送ってくれた。親切なおばさん達だった。娘のJAL便はカウンターがまだ開いて無く、合同受付カウンターに行って手続き。この辺あたりは、何回か経験をしないと分からない事。勿論出発の2時間前だと問題はないが。ここで、別れて、僕は別のターミナル3から出国。中で落ち合った。出発までの4時間、飯を食って、ショッピングをして、娘の出発ゲートまで送って行って別れた。僕は広い空港を何度も行き来した。午前1時半飛行機は出発した。それ以降肩を叩かれるまで、眠った。 11月7日(水曜日) 昨日は、何とか無事にスケジュールをこなした。娘の検索で朝食は、近くの喫茶店のようなレストラン。食パンにタラのふりかけをまぶしたようなもの。それと、紅茶。これはインド風。ミルクと砂糖がいっぱい入っている。タクシーをアプリ(Grob)で呼んだが、僕たちのいる場所に来てくれなかった。2度ほど問い合わせがあって、場所を伝えたが、 結局来てくれずキャンセルした。タクシーは病院の前にいくらでも止まっていたので、そちらに乗った。まずはボタニック・ガーデン。ランの花がこれでもかというほど、路地に咲いている(日本は温室の中に咲く)。ゴルフ場のような緑の芝では、犬の散歩や、家族が座っていた。晴天で汗が吹き出てくる。喉の乾いた段階でタイガービール。水のような感じで流し込んだ。定年後は一度ここでのんびりしたかったのだ。望み叶って嬉しい。以前記憶にあった、ランの集中栽培は工事中で2019年に再開すると表示があった。12時過ぎに出発。行き先はリトル・インディア。街の一口で降りたら、もうそこはインドの匂いでプンプン。先ずは、インド音楽を買った。CD2枚。小さな店だったので、店の人と話しながら選曲出来た。これがいい。インドでも同じような感じで買い物ができていたので、同じ感覚だ。両替をして、食事。食欲旺盛な娘でもこちらは少し残した。食べきれんと降参。お土産に娘はTシャツ。僕は明日の洋服のシャツを買った。娘の提案で、次はガーデン・バイ・ベイに行った。一人28ドルの入場料。高いなぁ。まずはクラウド・フォーレスト。所が入ると、度肝を抜かれた。冷風が吹き寄せ、高いところから滝が落下し、その背後には、垂直に見事な熱帯植物が植わっている。28mmのワイドレンズには収まらないスケール。2人とも絶句。この巨大なガラスハウスは、冷房の建物だったのだ。そして冷房に適した植物が植わっている。これは見事としか言いようがない。最後に頂上から下界を見下ろすと怖い。まぁそれほど高いと言う事です。ここでの撮影は残念ながらスケールがでかすぎて、どの場所でもいい撮影ができなかった。次に、乾いた地区に植わっている庭を模した建物。フラワー・ドームへ行った。これも柱のない広大な建物。こちらは、大阪の咲くやこの花館の乾燥地帯のゾーンとよく似た大規模風って感じ。28ドルの入場料はこの暑い熱帯に於いて、キンキンに冷えたこの大規模空間は意味ある事だと思った。所が、出口に地球環境を訴えるビデオやパネル、さらには200インチの大スクリーンで全体をまとめ、人類に対する警告があった。もちろんそれは悪くない話だが、熱帯にこんな大きな冷房をキンキンに効かせたガラスのドーム2個を作ることは、地球環境を悪化させるそのもの、どう思っているんだ?とツッコミを入れたくなる。兎に角、熱帯に来てコチコチに凍えた僕たちは、暫く湿度の高い熱帯の夕刻を散歩した。夕涼みじゃなく、夕温もりですね。その先にフードコートがあり、ここで夕食。そしてクライマックスの大きな円柱の構造「巨大ツリー」がライトアップされ、このライトが音楽に合わせて点滅し始めた。その音楽が、5チャンネルくらい分割されており、音も良かった。僕らは始まる直前に到着した。計算したわけでもなく偶然だった。(娘が計算してたかも知れないが)終わると、大勢の人が帰り始めたので、タクシーは無理だと判断、グーグルマップを片手に地下鉄の駅に向かった。地図は間違っていたけど、何とか辿りついた。地下鉄の切符の買い方がすごく難しく、日本の切符販売システムがいかに優れているのか見直した。電車は結構満員で、ものすごく肥えたおばさんが目の前に来たので席を代わってあげたら、付近の人からジロジロと見られた。立ったついでに、隣の小学生に、目の前にある文字表記について聞いた、中国語、英語、ヒンズー語これは別るが、一つだけ不明。「何語?」小学生皆んなが声を揃えて「マレシア」。今日は色んなモノを食って、色んな所に行って、面白い体験をした。娘の感想は、3ヶ月に一度くらいは外国に行きたい。トホトホ。 11月6日(火曜日) 封印を解け 旅行でワクワクするのではない。昨晩食べた何かが悪かったのだ。昨晩は「ダルマ」で串カツ。揚げ物だから、食品の傷みは問題ないだろう。可能性は2度漬け禁止のソースか、全品油物に僕の胃が耐えきれなかったのか不明。夜中の2時腹痛で目が覚めてトイレに行った。2度行って痛みは取れたが、覚醒してしまった。飛行機の中で眠れれば良いと判断した。飛行機はなんとエアバスA380。巨大。30番ゲートを塞ぎ31番ゲートでの搭乗。高校生の修学旅行生がいる。嫌な感じ。そして的中。僕の隣はその高校生だった。うるさい。でも、彼の席はTVの操作ボタンが取り外しできないことが発覚し、スチの案内で席を変わった(僕が通訳した)。お陰で、少し睡眠不足を取り返した。もう一つの懸念は、チャンギ空港入国後、ターミナル間移動できるか?交通手段はあるか?関空のシンガポールエアラインで聞いても要領を得ない。職員はシンガポールに行ったことがないのだろうか?飛行機の中でスチに聞いた。電車があるとの回答。OK、OK。それで現地に着いてから、ポリスみたいな人に聞くと2階にスカイツリーがある。2階のインフォメーションでもう一度尋ねる。真っ直ぐに行って、左に行くと良い。丸でラジオ基礎英語のような表現で、よくわかった。正式名はskytrain ターミナル1に行くと大きく明記してあった。娘は僕より早く入国し、椅子で待っていた。会えて良かった。次にSIM購入。SIMはお金の交換所で売っていると言う。そこで購入12ドル。店の人が交換をしてくれたのだが、上手く行かず、娘が操作すると一発(そりゃそうだ、携帯電話の売り子だから)。娘とタクシー乗り場に並んだ。僕一人だと電車で行くのだが、娘にはシンガポールの高速道路を見せてあげたいと奮発。それでも3、200円。夕食はガイドブックで探した徒歩15分のフードコート。地下4階がどうしても見つからず、IONの地上4階のフードコートへ行った。中華料理(シンガポール料理)2人前で1、500円。明日も雨予想、雨季に入ったそうだ。今日は色々と人に尋ね尋ねして、何とか通じて目的が果たせたのは僥倖と言うべきか。仕事で使う英語力を自分で評価して、まだ、少し足らないながらもこれなら、なんとかなるだろうと外国行きを決断した。しかもある程度の土地勘が有る国ならなんとかなるだろうと。 全く言葉がわからないまま海外に出て貧乏旅行ができるのは若い20歳代まで。沢木耕太郎の「深夜特急」がこれだ。僕はそこまで勇気がなくて、20歳代、会社の人事に海外に行かせてくれと頼んだが歯牙にもかけてくれなかった。それ以降、海外とカメラは僕の中で封印していた。そして年齢とともに冒険心が衰えてきたし、分別もついた。が、英語の勉強は嫌でなかったから細々と続けていた。定年後仙台で厳しい仕事の拒否にあった時は、風呂の中で英語の童謡を読むのが何よりの逃避であった。東京/大阪のショウルームで英語必須となり少しずつ上達すると共に、時間の余裕ができた。今だ、封印を解け。NIKONのD850を買ってシンガポールに行った。 11月5日(月曜日)晴れ 奇人変人 世の中には変わった人がいる。僕も変わっているが、今日接した人ほどではないと思う。何が変わっているか?趣味が電源とLEDだと言う。家に電源トランスを集めているとの事。どうするのか?いじる、時々子供達にスマホの充電器を作ってあげる。何が楽しい?集めるのが楽しい。一方LEDは100円ショップのを購入して、昇圧回路と、消費電力を調べ、カタログと齟齬がないかチェックする。それをFBにあげる。仲間が評価記事を書くらしい。結構複雑な計算も行なっているとの事。僕には楽しさが共感できない部分でありましたね。最近500個のLEDシートを三百円で入札したのが嬉しいとの事。そんなものかねぇ。確かに、音楽をあまり聞かない人にクラシック音楽を聞かせてどうなのか?評価を聞くのと同じ事だろうと、自分を戒めた。久しぶりにクラシックの先生が見えて、歓談した。僕が、音質中心に音楽を集めているのを見かねて、クラシックの王道を歩きなさいとご指導を頂いた。ベートーベン、モーツァルト、シューベルト、ブラームスをベルリン、ウインフィル、少し外れてコンセルトヘボウでそうしないと、クラシックを理解できなくなってしまいますよと、柔らかくアドバイス。僕としては、オペラも極めたし、本場アメリカのメトロで見たい欲望もある。ストラビンスキーの春の祭典は気持ちが良いので聴き続けたいし、バッハの無伴奏チェロは次々といいのが出てくる。一向にまとまりがなく、混乱を極めている。その道の人から見れば、おかしな人だろうとなるだろうなぁ。 11月4日(日曜日)曇り ジャズとクラシック 自分の趣味はクラシックに傾きつつある。前にも書いたが、クラシックファンは根暗で、持論を振りかざす。ジャズは明るいね。僕が根暗になりつつあり、クラシックが好きになったのか、ありはその逆なのか?とんと見当がつかない。僕としては芯はしっかりとして、付帯事項が変化しているだけだとタカをくくっていたが、どうやら、地軸がずれているみたいだ。誰とも話さない時間が長すぎたのかもしれない。それがブレーキのかからない状態になり趣向が変わったと、気がついた。と言うのは、仕事が終わって、隣のヨドバシ5階にあるダイソーに靴下を買いに行った。その降りる道すがら、意図しないのにオーディオコーナーに寄ってB&W705と703をクラシックソースで真剣に聴いているのだった。そんなつもはなかったのだが。そしてうるさい中で聞き分けているのだった、ああでもないこうでもないと店員と話す。のめり込んだ自分を発見したのだ。まぁ毒を食らわば皿まではないが、ヤマハのAVプリでもクラシックをかけてもらった。期待した音には程遠く、AV機器の限界を見てしまった。そういえば、今日来られた観音寺市からのお客さんも、同じことを考えているようだった。その人は、主にジャズを聞くとのことでで明るかった。でも、同じスピーカーにクラシック派とジャズ派が狙いをつけているのは、おかしな話。どちらかが購入後失望するはずだ。 11月3日(土曜日)曇り時々晴れ 泣き面に蜂、あるはダイハード 大人数の受け入れ仕事が朝から。しかもだ、予約客が同じ時間にダブって登録されて、一緒に聞いてもらうよう、やんわりとお願いした。いつものことだけど、僕のジンクスに「弱り目に、祟り目」「傷に塩を塗る」のがある。僕の場合は「良いことも悪いことも糾える縄のごとし」とは行かないのである。そして夜を迎えた。念の為に、ネットで調べ物をした。娘の飛行機がチャンギ空港に着くのはどのターミナルか?そして、僕の場合は?これが別のターミナルだったのだ。世界のハブ空港(ロンドン、ドバイ、シンガポールなど)と言うのは、馬鹿でかく、ターミナル1個で一つの飛行場に匹敵するのだ。結局娘には一人で入国をするように勧めた。さぞひとり旅は不安だろうなぁ。昨日までの疲労が溜まり、今日も普段と同じように10時が来れば目は半分閉じている。 11月2日(金曜日)晴れ 何かしら焦っている やっぱり、旅行の事に気が行って焦っている。カッパ市場に出かけしきびと榊を買ってきた。しきびは仏様、榊は神様向け。所が、神棚にしきびをさしている。オイオイ。神様にごめんをして挿し直す。次に風呂と台所の清掃。この時点でもう10時半。自分の部屋に帰り、部屋の清掃、荷造り。ここで11時半。戸締り、洗濯物の取り込み鍵。出発ギリギリの時間。出発も日に色々と詰め込むと忘れ物が多い。解っているがやってしまった。駅について待ち時間30分(誤算)ここで今日初めてゆっくりして、ローソンで買ったおにぎりを食べた。海抜25m。太平洋と松林が一望できる。たかがローカル線の無人駅だが、されど絶景の展望台でもある。夕刻ショウルームに行き、みんなと合流。今日は僕の歓迎会。パナのOB10名が参加してくれた。梅田ガンコ寿司。ここは凄い。何が凄いって、4000円飲み放題。冷酒一升差し入れ。これに絶景の庭園が付く。京都のお寺の庭を凝縮した様な庭だ。梅田の一等地の3階にこの庭園はある。びっくりだ。解散後ディスク・ユニオンへ寄ってLPを買った。Rafael Kubelikのオルフェオレーベルのレコードが未開封であった(¥2800)。買うのは今しかない。間違った買い方の典型ですが。 11月1日(木曜日)晴れ 出発の準備 先ずは、家の清掃、庭掃除など。持ち物点検。仕事の準備(今回は2回分の仕事)。ラジオ英会話とジャズの歴史翻訳は気が急いて身が入らず。坂口安吾の著書は41%まで読破したが、そこからなかなか進まず。(坂口安吾の本は、444冊全部で10万ページだった。1%が1000ページに相当する)楽しみにしていた旅行だが、家の片付けをしていると、「やっぱり旅行など行かず家で過ごすのが一番良い」と思えてくる。変な感情だ。家の清掃で思いだした、「武士の一分」という映画がある。木村拓哉主演。そこで、妻役の檀れいが拭き掃除をしているシーンが冒頭にある。雑巾を裏返すことなく、一面ばかりで、そこここを拭いている。山田洋次監督も気がつかなければ、もちろん若い檀れいはそんな躾を受けてきてないから雑巾の使い方を知らないだろう。家の拭き掃除をすると気分がものすごく良くなるものだが、今流ではないのだろう。そんなことを感じた。作業をしながら、Rafael KubelikのCDを流しっぱなしにしておいた。演奏が終わると、別のCDをかけた。どのCDも、おやと思わせるシーンがある。スピーカーの前でじっくり聞いたわけではないから、何とも言えないが、結構楽しい。今回の旅行でも数枚は持っていく(勿論AIFF だが)飛行機の中でじっくり聞いてみようと楽しみにしている。 10月31日(水曜日)曇り時々晴れ 23夜 昨晩は大きな音で太鼓が鳴っていた。もしやと思い、車を見に行った。(車のラジオをつけっぱなしの可能性もあるので)。その音は「馬の上」から聞こえて来た事が、今日判明。今、村は「虫追い」の行事が各部落で行われているのだ。これがいわゆる「23夜」と呼ばれる行事。五穀豊穣を祈願するものだ。先日のお湯気様も同じ趣旨だがこちらは神様。23夜は仏事。つまり、お寺で開催。全国的には神事だそうだ。西分はいつ間にか仏事に変更。浄土真宗だから、どちらでも受け入れるとの事だった。会費1000円。12名の参加。だんだんと人が抜けてこれだけになったと、峰雄さんが嘆いていた。峰雄さんが隣に座ったので、色々と話した。僕にとってこの人だけが興味が合いそうな人。昔はラジコンの飛行機を飛ばし、ヘリコプターもやって、趣味に生きた人。お湯気様の社も自分で建てた人。全て独学。そんな生き方憧れるなぁ。伺うところによれば、飛行機の本体は自作。木を買って来て作り上げたそうだ。お金のあるときは、羽根に絹を貼ったそうだが、もっぱら障子紙で代用とのこと。目が悪くなり、今はPC作り。ジャンク部品から稼働品を作り出すそうだ。僕の5インチフロッピーディスクとMOのデータ取り出しを相談したら、何とかなると、僕の隣に座ったまさあき君が話に加わった。彼はもっとPCに詳しい。と言うことで今晩は、酒をあまり飲まず、趣味の話に終始したが、ケン坊(1歳年下)が飲みに行こうとなんども何度も誘いに来た。いつかは実現しなければならない。宴会の最後は「謡」が催された。「来年はおまんでよ(僕の事)」とよしかずさん。僕は上手な人をハイレゾで録音し再生しますと言った。それ以降今日の解散まで僕のことをアイチィと言っていた。 10月30日(火曜日)曇りのち晴れ いやぁ時間がない 旅行には音楽と書物は欠かしてはならない必須の持ち物。入れ物はiPhoneであり、iPadだ。ところが、肝心のiTunesがサクサクと動かない。午前中修復やら何かで時間を投入し、やっと完成した。音楽は、主にラファエル・クーベリックのベートーヴェン。書物は読みかけの坂口安吾と、日経エレクトロニクス(2年分)。NHKラジオを録音した「心を読む」「カルチャーラジオ」(2ヶ月分)これだけあれば、一月は退屈しないで過ごせる(4日間の旅だけど)それが終わると、昨日に続き竹の柵刈り。そんなにきつい仕事ではないが、毎日8時間くらい寝ていることからすれば、身体は疲れているのかなぁ?と思ったりする。作業をしていると、他のことにも気がついて、あれもやらんといかん、これもやらんといかんと、次々と課題が出てきて、昨年全く手付かずのだったツケが来ていると思った次第。近所のおばさんが、何もしてないようだったら、何か作った方が良いねぇ(作物の事)と言ってくれるが、そんな暇ありませんというわけにも行かず、「身体が動かんきに」と応えている。 10月29日(月曜日)晴れ お宮や神社など、この1週間けっこう掃除をした。しからば我が家はどうか?庭木が伸び放題、垣根の竹は天を衝く勢い。ある程度片が付いたので墓周りの伐採は置いといて、我が庭の清掃をしよう。石積み>墓周りに木の伐採>庭の清掃と、優先順位を変えて来た。まぁ最初の計画性の無さがこの事態を招いたのです。思い立ったらすぐに動く悪い癖が災いしています。やる事が多いと言うか、管理する範囲が広すぎる面もあるのは確か。まだ全く手付かずの山林もあり、その東の谷には、これも未着の竹切り作業が待っている。近所のひであき君に指摘されて2年目を迎えてはいるが。8月から3ヶ月頑張ったが、全体量からすれば、1%くらいの進捗があったくらいかな。一方で草木は成長をやめないから、モグラ叩きの様相もある。そこへもって、とうとう購入して6年目を迎えるノートパソコンVAIOが反旗を翻した。やれやれ、取り敢えず、昨年組み立てたディスクトップに設定を動かす作業が待っている。大雨が降らない、草が生えない時期に突入したようなので、救われれている。今夕は外食。定期購読の書籍の購入や、旅行に必要な下着(海外旅行中は使った下着を捨てるため)の買い物などがあり、出かけざるを得なかった。 10月28日(日曜日)晴れ 竹切り 昨日は、午前中洗濯や、英語の勉強をして、午後から竹切りに専念した。直径3cmくらいの竹を200本くらい切った。普段通れていた小道が竹で通れなくなっていたが、これで開通した。竹の一本一本は小さく、鋸でスゥーと切れるが、数が多くなると疲れる。水1リットル分の作業でありました。夏場ならこの倍は飲んだでしょう。よしかずさんに言われた墓の周りの竹、木切りは概ねこれで型がついた。後は、我が家の畑に覆いかぶさる木の切断だ。鋸に慣れてきたので、この際一気に進めてみよう。今日の作業中、モズの鳴き声と、台風の及ぼす潮騒が聞こえてきた。午後4時に作業を終え、70-200mmの望遠を持って矢流れの海岸へ撮影に行った。遠くから波のうねりがやってきて、上陸する台風の時ほどの荒さはないが、大波の貫禄は十分だった。帰りにスーパーで夕食の買い物。「買い物袋は不要です」と言ったのが今日初めて喋った言葉。それ以降誰とも喋らなかった。野菜中心の食事を作り、風呂で英語の辞書を読んで、8時半に寝た。まことに健康で計画的な生活です。 10月27日(土曜日) 山の神様、お湯気様、土砂加地 村の行事と言うか、部落の行事と言うか、有志の行事。仲間外れにならないように加わっている。大量の酒を飲み、寿命も縮めている。2つは神様の行事、1つはお寺の行事。2者択一。今回は神様の行事へ参加。1時にお湯気様前に集合し2000円払う(飲み代)。その後、半分に分かれて、僕たちは山の神様に向かった。先祖様のある所からは幾分か山を登る。昔は、この山の神様から海が見えたが、今は、杉や檜で鬱蒼たる森の中に潜んだ形になっている。今回の台風で倒木が多く、切り倒して進んだ。お堂の清掃は短時間で終わった。次は、午後6時に集会所に集まってお酒を飲むだけ。その間に、再び木こり、安芸の寺尾に行って刺身購入。今晩の集まりは手弁当のため。風呂に入って出かけた。先祖様とは違うメンバーで、話題も違う。でも一貫しているには、人のことをよく見て、ここにいない人が槍玉に挙げられて酒の肴になっている。「何で人の財産や夫婦の営みのことまで知っちゅうが?」「本人が言うもの」との回答。一度酒の先上で漏らせば、尾ひれ足ヒレが付いて、噂が伝播する。田舎の怖さだ。「ここだけの話は」ないのである。幸いに、僕は仕事が違い普段は逢わないから提供する情報に限度がある。仔細に見られていることだけは確かですが。後、31日の「二十三夜」が終われば、この部落での一連の飲み会は一先ず終了だ。 10月26日(金曜日) 急げば、イライラ、休めば、寂しさ 近所のよしかずさんに言われてから以降、せっせと木こりに励んでいる。1日3時間前後(それ以上は身体がもたないし、日常の生活もあるため)だが、日々山の景色が変わって行く。一面恐ろしさも感じる。山の霊の怒りに触れてないだろうかと、ホームセンターで買った780円の鋸の歯は、たかがこれくらいの価格だが、されど、日本の切磋琢磨の改善が加わり切れ味抜群。1cmくらいの小枝は、一回引けばスパッと切断。直径10cmクラスも1分以内。瞬く間に大枝が小さく解体されて行く。実際作業は楽しい。時間を忘れる。作業の成果が目に見えるからだ。大枝は山に積んで乾燥させ来年のサトウキビを焚く燃料にする。小枝や葉っぱは道脇の谷に捨てる。もう両親の眠る墓は、西日が燦々と降り注ぐようになった。昔は、この辺りにはこのような木はなく、海が見える畑だった。今は南にも木や竹が生い茂り海は見えない。西がひらけば次は南だ。その前に、両親の墓の雨覆いを風で飛ばないように固定する必要があるだろう。これからは風が吹き抜けるからだ。夕刻から雨だと予報があり、結構早めに終い、買い物に行った。帰って荷物を降ろせば、ざぁーと雨が来た。間一髪だった(燃料高騰で、買い物はいつも自転車)。寝る前に昨日懇親したクボタも中谷さんの言われた事を思い出した。「定年後は自分の時計で進んだら良い」と。出来高払い、出来なきゃ明日だ。ホンの3ヶ月前までの40数年間は、日々完結でやってきた。体に染み込んだ癖はなかなか払拭できない。でも、ゆっくりすると、もう一つの亡霊が姿をあらわす。寂しくなる。 10月25日(木曜日) 目まぐるしい1日 朝、お寺のセッちゃんが訪ねて来て、県民ホールで写真展の話、かんしょの話など。ところで、今日は暇か?じつはシコウさんが見にきたいと言っていたとの事。シコウさんとは、この村で、村の特産品であるかんしょを絞めて、黒砂糖として売り出す半民半官の仕事をしている。村の運動場や、村の宿泊施設のある桜ヶ丘に、伝承館があり、経営を任されている人。僕は、せっちゃんに、今日は観音様の掃除で2時過ぎに帰ってくると伝えた。観音様の掃除は年に2回あり部落の9軒がそれに当たる。今年の秋は台風が多く、山の食べ物が少なかったのか、イノシシが参道を掘り返し、酷い惨状だった。掃除は1時間ほどを要した。帰ると、友人の川竹さんが来ていて、シコウさんが来るまで、山の椎木を切るのを手伝って貰った。そしてシコウさん登場。初めてお会いする人。温和なしかも、職人風の方。まずは僕のかんしょうの評価。手入れが良い事。栄養が良すぎる事、12月まで生育し、糖度を上げることなどなど指導してくれた。それから、村の伝承館の引き継ぎをしないかとのお誘い。実は、大阪で仕事をしているので、全部は無理だができることならやらせてもらう。とした。11月3日高知農大の先生に紹介するから、えいかよ?その日は大阪や、11月11日釜を開けるが来てもらえんかよ?その日は大阪や。僕の予定表を出し、日程調整を行った。どうやら、12月は、伝承館に泊まり込みの日が続きそうだ。お帰りになると、急いで風呂を沸かし、観音様の懇親会に駆けつけた。9軒16人が「藤」で懇親会。ここで、久保田の社員さんである中谷さんが、山登りの話を始めた。ここから見える山は全部登った。大体が2時間以内だと言う。冬でも山の西斜面で昼寝をすると汗ばむと言われた。一緒に行かんかよ?山本さんの奥さんは、半ボランティアで村のしきびを育てている(組織の名前は忘れた)。他にも要望があれば、竹林を伐採したり、時間給250円から800円まで変動するが、村の役に立つ仕事があるきに、せんかよ?まぁ兎に角、色んなことがあり、ゆっくり音楽三昧して居れなくなった。HISは航空券を未だに送って来ず(3週間経過)、催促すると今すぐ送りますとか、書類の不備がありますとか言ってきて、仕事が非常にずさんな事が発覚した。今回はパック旅行じゃないからいいようなものの、この会社に旅行を任せると飛んでもないことになりそう。 10月24日(水曜日) 昨日の先祖様の話の続き。近所の人は、よく人を観察をしている。としあきくんの奥さんなんか、昨日はいっぱい洗濯してたね。とか、よしかずさんは、墓の前にある椎木は切らんといかんぜよ。とか、僕の勝手でしょうが!でも、まぁそんなこともあって、今日は、その椎木を切ることにした。直径30cmもある木が5、6本覆い茂っている。15cmくらいの枝が、10本ばかりその周りを囲っている。4時間頑張って、その枝を5本ばかり取り除いた。そして大きな幹にはドリルで穴を開けて、除草剤の原液を流し込んだ。石積みの作業はしばし中断だ。他にも竹を切れとかの指摘もあった。全て我が土地内の事で、放置も伐採に何にも問題はないが、やっておかないと、重要なことも言ってくれなくなるので、近所の声は重要だ。(この人は、イノシシを家の周りで2頭捕獲してくれて、身の危険を減らしてくれた)だが、木の伐採は大変だ。かなりの重量物が落下するので、木こりの立ち位置は要注意だ。枝が張っていると、直ぐに落下しないものもある。その枝を除くと、急に荷重が別の枝に移り、ピンと跳ねるから危険。又枝の落下は、墓石を叩く可能性も有り、墓石が倒れると、僕一人の力じゃ戻せない。夕刻、ズボンまで汗だくになり終えた。夕食にビールで乾杯と行きたいが、今日は自制。と言うのは、明日は観音様の清掃で、夕刻は部落揃って「藤」で懇親会だ。兎に角裕福な部落で、何かあれば飲むからだ。因みに耳に挟んだ情報だと、財産区の委員は、退職金まであるとのこと。部落長も手当がある。こちらは村公認の税金対象外。夜、理恵ちゃんから電話。要件はないが、自分の近況を話してくれた。こちらは聞くだけの1時間。 10月23日(火曜日) 雨、音楽の整理。記憶力が薄れて来ているので、PCに録音したアルバムタイトルが何だったか思い出せなく、また、そのアルバムの何曲目まで録音したのか忘れてしまっている。東南海沖地震は確実にやって来るから、それまでに、LPレコードはデジタル化を急ぐ必要がある。音楽は、命の次に必要な潤滑剤。だが、頭がこれで、遅々として進まないのだ。もう一つ頭の事で問題があるのは、名前が直ぐに出てこなくなり、通常の会話に少々困ることがある。それは人の名前であったり、地名であったり、品物の名前であったり。スマホを持って引きながら話している自分に気がつく。午前中はこうして過ごし、午後は、雨が小ぶりになったので、岸の石積みに着手した。どうしても今日なのか?いや、今日はどうしてもと言うわけではありません。ただ、夕刻、近所の岡村家のお祭り(お客)があって、呑まないかん行事があるからだ。少しでも体の中の水を絞っておかないと、お酒の付き合いが出来ないための運動の代わりだ。彼らは、1日暑いビニールハウスで、汗を絞っているから、スタート地点を合わす意味合いがあるのです。今年の担当は、お宮の東のテイコさんち。ここは唯一の女主人だから、妹も手伝って料理が豪華。どこの家も一緒ですが、座敷で座って飲む。これが、結構きつい。来年は我が家の担当だが、台所で行い、椅子に座る形式にしようかと考えている。刺しす刺されつの「お客」だが、ビールのコップで来るから、きつい。昔は、お猪口に日本酒だったので、量が少なかったの良かったのだが。立て続けに、コップ3杯も飲めば、ホンの数分の内に500ml。休む暇もなく次々ビールはやって来る。議題は、土地(地域性と土壌)、作物、野生の動物だが、話の繰り返しが多い。大体2回半くらいは繰り返す。中には5回ほどの強者も。だからどんな話も大概理解できるのだ。テイコさんちは歩いて10分くらいのところだが、帰りはみんなでタクシーで帰った。田舎の人は歩かない。 10月22日(月曜日) 帰ると待っている作業 いつものように朝1番の電車で大阪を発った。一つ早い列車(鹿児島行き)に乗った、岡山からの乗り換えに自由席を確保するためだ。今日の列車は指定席が満席で取れなかった。この頃、南風号は指定席が取れず自由席になんとか駆け込む場合が多いのだ。何で高知に人が来るのかは不明だが。家に帰ると早速洗濯、石積みに取り掛かった。明日は雨だから、今日はしっかりと作業を進めておく必要があるのだ。この崖崩れは、幅が広く、全体が1m程崖と土地とが一緒に崩れたので、土の量が膨大だ。それを、小さなスコップですくい、小さなバケツに入れる。これを数百回繰り返す事で、解決する筈だ。恐らく2トントラック2回分の土砂だ。工事期間を2ヶ月。土木屋サンにお願いすると50万円では済まない金額だと思う。大汗をかいて今日を終えた。風呂を沸かし、買い物に出かけた。井戸水は益々冷たくなり、釜に2回分の焚き木を詰め込まないと沸かなくなっている。裏の大日様の竹が未だ未だ残っていて、自宅に溜め込んだ木の燃料は手付かずである。燃料に心配はない。夕食は、生姜と鳥のムシ料理。いつも初めての料理なので、さじ加減が不明。(レシピと分量が違うので)。夜は、録音した音源の整理。だが朦朧として来て何をやっているのかわからなくなり、思い出している間にこっくり、再び考える繰り返しで今日の作業は断念した。 10月21日(日曜日) 私的には結構頑張った 今日はフランスのビジネス客あり。日曜日だから、ショウルームの英語ができるアテンダントさんも休み。いきなり僕との直接対決。「岡村さん頼むね」と1ヶ月前に聞かされた。それで、朝から、外人客を見つけてはご案内して練習を行った。オランダ人は、よく心得た方で、何処から来たと聞くとオランダと言った。普通は「ザ・ネイラーザンド」が正しい呼び方だが、日本人はご存じない配慮が先方にあった。頭下がります。次は、ブラジル人だった。「アスト・ラットジルベルト」を知っているか?首を傾げたので演奏すれば、うなずいて、正しい発音を教えてくれた。俺たちはブラジルから来たと別の人が言って喜んだのは言うまでもない。外国の発音は難しい。そして本番。概要説明と実演を交えた試聴を行って楽しく50分。概ね喜んだろう、握手して退散された。最初の男性グリップは弱かったので、最後の女性の手は力を抜いて掴んだ。メルシーと言って送り出したが、先方はサンキュウでした??趣味の延長でオーディオも英語もこなしてしまった。思うに、やっぱりコミュニケーションはとにかく強く自分を押し出すことですね。そうすれば相手が引っかかってくる。わからなければ聞く、それでもわからなければ書く。終了後、阪急百貨店の地下アンデルセンに行って注文してあった食パンを買って帰宅、ホテル隣の一杯飲み屋で祝盃を上げる。 10月20日(土曜日) 芸術としての工業品 朝出かける時晴れていて、喫茶店でお茶を飲み出てきたら大雨だった。幸いにして梅田だったので、大回りして職場に届いた。仕事を終えて、今日は阪急百貨店を散策した。先ずは女性の化粧品売り場。7時過ぎの時間で、店員が、お客様に向かって化粧を施している人のみ数えても、56人いて、先日の近鉄阿倍野とは全く様相が違う。レジ待ちを含めると100人以上だろう。さて、この上の靴売り場、デザイナーブランドの店がテナントで入っている。運動靴に、宝石を散りばめたような靴が人気で、接客中も見かけたが、このケバケバしい靴のどこに魅力があるのか、おじさんには不明でしかも価格の拠り所が分からない。しかし店舗が存在すると言うことは市場形成しているわけでしょうね。ますます混乱をきたしたのは、その上の婦人服ブランドです。たしかに、ブランドごとに店舗仕切りの内側は、全く独自の色彩とレイアウトで展開し、これは見事な工業芸術だと思った。しかし、服がいけません。どうしてこんな色の組み合わせ、どうしてこんな形、僕には結論が導き出せません。唯一Max Maraのみ色使いに共感できました。おそらく、ニューヨーク、東京、ロンドン、パリの店舗に同じ服が置かれているだろう。僕の頭にはこれを受け入れる包容力がありません。美的感覚を習うにも何処を根拠にすれば良いかも不明です。ここは若い女を誘って聞いてみるべしかもしれません。次に7階の食器売り場、ドイツなど海外の鍋があり、使い方とレシピがありました。総じて厚い鍋底や重い蓋で、短時間調理を訴えていました。3万円も出せば購入できる。次回の検討だと名前を控えました。ホテルに帰って、アマゾンで、「ストーブ 食器」で検索すれば、送料無料で5、000円程安かった。数日前にシアーズ破産申告記事。百貨店で、ヨドバで調べ、アマゾンで買う。 10月19日(金曜日) ルーブル博物館 大阪市立博物館でルーブル美術の展示品がいくつか紹介されている。僕は写真の構図を勉強する為にも、是非一度世界の一流品には触れておきたかった。それで、今朝は早起き(いつもですが)して、9:30の列車で出かけた。博物館は阿倍野にあり、ホテルに荷物を置いて駆けつけたが、午後3時に入館となった。ローマ時代の有名人の石膏で作った頭部の像が結構あった。塩野七生氏の「ローマ人の物語全15巻」はすでに読んでいて、皇帝のおおよその評価は分かっていたが、ではこの人が何代目だったのかは失念、スマホで検索しながら拝見した。総じて言えば、「非常に聡明な顔つき」である。ローマ帝国と言えば、広大な土地を支配したCEOであるから、やはりそれなりの人物だったのを顔つきが証明していた。さて肝心な絵画は肖像画だった。特にフランスのルイ家の人が多い。ルイ14世などは最も有名であるが、この国では、1から順番に番号をふる習慣がないのか、名前だけが先行するものあって、よくわかない系譜である。フランスがビシネス界で中々頭角を表せない理由はこうした系統だって構築し、それをヨコヨコ展開する術の思想がないのかもしれない。反面、発想の豊かさがあって、芸術面やファッション面では真価を発揮するのかもしれないと独り合点。構図の点では、写真撮影でご法度とされる、日の丸構図が基本。だが、ホンノ少しだけ左寄り、右寄りを厳密に採点すれば、全18 展のうち、頭部がやや左寄りは16展で89%。影の使い方は目立った使用はない、色の扱いはものの見事に絶妙、非の打ち所がない。更に言えば、当たり前かもしれないが、意味のないものは描いてない。逆に何でそれが描かれているのか?考えるのが重要だが、短時間では到底無理(写真は、不要なものを排除するのができないので、いかに不要なものを排除する写し方をするのか、こちらが動いて設定するが行き過ぎると、構図を変えてしまう恐れがあるから難しい。)今回の絵画、強いて言えば、モデルは男女問わず高揚しており、表情は生気に満ちており、女の描画はそれでも許せるが、男の描画はやや行き過ぎでオカマの化粧を連想させる面がありますね。いずれにしても、ポートレートとは、この事を言う!一つの手本ですね。 10月18日(木曜日) 高知は今日まで。それで、午前中出発の準備。買ったエプソンのプリンターが調子悪い。今まで使っていたキャノンに切り替えると、インク切れ。午後は、この豪雨で被害を受けた6つの岸崩れの内、2つは完成したので、3つ目に取り掛かった。こちらも、2番目と同じく規模が大きい。先ずは石を取り除く作業。土砂崩れは単純だ。石と土しかない。ただ、その量が多く、取り除くのが大変で、又積むのも大変。根気よく作業を続ければ完成する。その根気を続けられるかどうかだ。連日作業を進めると、2日目までは何とかなるが、3日目の午前中体が動かなくなる。それで、朝食後は居眠りで過ごすと、何とか元気を回復できる。まぁそれだけであるが。しかも、僕のエネルギーがだんだん減ってきている事の2つだ。今夕食には元気回復の為鳥のモツを塩煮した。野菜は、ヘルシオで冷蔵庫に残っていた野菜を「焼き野菜」セットした(ウォーターオーブン)。早めにスタートしたので、部屋に帰って寛いだのは、未だ8時を回ってなかった。出発の荷造りをして、セロニアスモンクのトリオを聴いた。彼のアルバムはソロの評価高いが僕には敬遠もの。しかし、トリオは結構まともな演奏で、一日の締めくくりとしてはいい仕事をしてくれていた。昼に天満宮の掃除ご苦労さん会が開催されたが、忙しくていけなかった。 10月17日(水曜日) 郷西部落の天満宮の掃除。8時集合だが、7時半に行かないとみんな来ているから。終わったあと、理恵ちゃんに一人紹介された。この人は修二君と同じ所に住んでいる中山君(同級生)全く記憶がありません。定年までは大阪に居たとの事。お宮の清掃に来たメンバーに同級生が僕を含め五人。ここで同窓会ができるがやない?家に帰り、レンタルCDの取り込み。午後は、石積み。家の東はこの日完成。豪雨以来3ヶ月目。引き続き西の岸に取り掛かった。4時に強制終了し、お風呂を焚いた。焚きながらぬるま湯に入り45分に出た。少し寒かったが服を着てローソンへ。レンタルの返却。5時15分、家の下の新聞屋さんへ。5時半に藤のバスが迎えに来た。今日は、西分の財産区の懇親会。新旧の交代の懇親会。始めは第3区と思っていたが、間違い。これは、ゴルフ場に貸した、村の土地に年間700万近くのお金が入ってくる。その管理の為の委員会だそうだ。西分は裕福な村だ。この会を主催するのは役場。社員と課長が担当。何と、村長も、副村長も出席すると言う村の大きな行事だったのだ。このメンバーは二人知った人が居た。一人は近所。一人は、日本生命を辞めて、大規模農家を営んでいる人(この人は興味があって僕から近づいて行った人)いつも、ポスターでしか見たことのない、村長とも飲み交わした。「尾崎さん(高知県知事)は酒を断ったことがないいうけんどホント?」と聞いた。「そうながよ!」と村長。「あてらぁ、それを心配しゆうがよ!」との事だった。高知は何を言っても酒文化。役場の担当者N君なんかは、飲み足らないのか、自分で酒を注いで飲んでいた程。2時間程度の懇親会だったが、転がったビール瓶や徳利は数え切れない。料理も食べ切れない豪華さと量。余った料理は折に詰めて持ち帰る。いやぁ凄いのを見ました。 10月16日(火曜日) 天気予報は雨。でも晴れ間があったので洗濯。でも結局天気はすぐれず、僕も、デモに使う音楽を一覧にする作業もあって一日中部屋の中で過ごした。夕刻プールに出かけた。もう加温がしてあり、水の中に飛び込む勇気は不要。500mごとにパターンを変えて合計2km。上がった時は実に爽快。疲れもないし、眠くもない。食堂で食べた後、レンタルを借りた。Southern All Stars、安室奈美恵。9:30帰り着いてさぁ聴くぞ。元気はそこでまで。すぐ寝てしまった。明らかに体力の低下が見られます。 10月15日(月曜日) ![]() 10月14日(日曜日) 今日はフランス人、アメリカ人の家族と話した。一日に英語の勉強時間を3時間としているが、中々届かない。しかし、細切れでも毎日英語と接していると、外国人と話す最初の一歩の垣根が結構低くて、するっと言葉が出てくるのが気に入っている。聞き取る能力が欠けているので、ややぎこちない部分があるが、怯んではいない。誤解でもいいと思っている。相手は、会話したがっているからだ。今週から音楽リストを充実して、これから選んでくれと言っている。リストは全て英語で表記。アルバムのコメントはアメリカのアマゾンのサイトを参考にした。アルバムジャケットの写真も準備したので、日本人にも使える。機器の紹介は図表化が必要だが、こちらはまだ手付かず。兎に角、長いこと引っ張り込む努力をして英語力を磨きたいと思っている。もう一つの朗報は、設計者の方が僕に会うために寄ってくれた事。先日来られた、カートリッジの設計者が伝えてくれた。彼も定年しているが、音質決定にはまだ重鎮だ。残念ながら、彼とは音楽の趣向は一致しないがウマが合う。話しているといろんな裏話が聞ける。いや、彼にとっては普通の話だが、表に出てないので裏話となるのだ。EP盤を集めているとの事で、僕はプレゼントする事にした。仕事が終わって、目の前にある(大阪駅)ルクアの地下に足を運んだ。ここは、昨日も書いたように、バブル景気の様相が濃厚。ワインバーが多く、結構若い女性が居た。若い女の子が着飾って都会に来てワインを飲む!確かにファッションとしては良いのだが、僕は無理していると思った。だが、これだけの大規模な飲食街に、若い人がいっぱい詰め掛けて行列を作っているのを見ると、やはりこれは流行だと思わざるを得ない。僕のようなおじさんには向かない。僕は京橋に向かい、駅前の立ち飲みで、ドテと生を注文した。おでんも追加した。パリパリのキャベツを摘みながら(2度漬けはしないでの書き置くあり)、ここが僕の居場所だと思った。900円。少し歩いて410円の都うどんのスタミナウドンを食べて帰った。多分語学を習得して外国に行った時でも、京橋のような店を探して食べ飲む事だろう思う。 10月13日(土曜日) 妙に大阪は地に足がついてない様な気がする。1980年に経験したバブル景気のムードが感じられる。というのも、すごい商業施設が次々と出来ている。大阪の消費はそんなに凄かったのか?と思わざるを得ない。それで先週気になっていた、あべのハルカスへ行った。近鉄百貨店は、2棟の百貨店を立て、7階までは繋がっている。その端から端まで歩いた。10分弱かかった。無印は巨大な店舗を借りていて、なんと食事まで可能だ。靴下が860円。こだわりがあるとはいえ、高すぎじゃないか?14階で酷い食事をした。先ず、御膳ですか、シャブですか?御膳ですと答え席に着こうとすると、こちらへ来てくださいと一人席を案内された。そこはIH設備があり、シャブの席だった。メニューを見て注文すると、それはありません。ではどれがあるの?これ以外は有ります。それで出て来た料理はご飯がベトベト。モズクはタレを使ってと案内があったが、使うともっと酷い味。結局味噌汁と、さつまいもの飴煮だけがまともな味。それ以外は酷いものだった。しかし、見た目は綺麗で、店も綺麗。雰囲気だけは十分。これが、1980年を思い出させるのです。エスカレーターで下がりながらチェックした11階は五人。7階は九人、2階の化粧品は三十五人。これ全て客数。勿論、従業員の数は倍以上居ました。土曜日の午後7時半。2階で連結された店はもっと客が少なかった。これが平日なら仕方ない、土曜日の書き入れ時の姿なのだ。阿倍野にはそんなに大きな需要がない。ましてや、アメリカのシアーズは倒産の危機にある。アメリカは人口減がまだないにもかかわらず。日本はそんなに景気は良くないし、ましてや人口減と高齢化だ。正しい経営とは、縮小で利便性を追求するものに振らなきゃ。この商業区域は数年のうちに必ず家主が変わりますね。間違いございません。 10月12日(金曜日) 階下の駐車場には落ち葉が吹き寄せられて、カラカラと音を立てている。もう冬のから風がやって来てもおかしくない時となった。まだ薄い5時に目が覚めて、6時までうつらうつらしていた時だ。今日は大阪に移動日。あまりゆっくりはできない。兎に角食事、ラジオ英会話今週分を仕上げて荷造り。出来上がると、きまさごの水路掘り。2回分の台風の後手をつけてないから溝が浅くなっているはず。鍬とツルハシを持ってあげれば、手前の畑に大きな竹が1本倒れ込んでいる。先ずはこちらの作業。コンテナとノコギリを持って引き返し、2個のコンテナに収める。1週間乾かせば、風呂で燃える。再び水路掘り。太陽が出て、じりじりと照りつけ、重い泥を掻き出せば滂沱の汗が滴り落ちる。2時過ぎまで作業を続けて終える。時間表をめくれば、15:51分発の列車がある。自転車に荷物を括り付けて、出発までパソコンを開く。YO-YO-MAのバッハ無伴奏チェロ組曲を買った。前から狙っていた。iPhoneに入れたが、認識せず失敗。道中は「坂口安吾」何せ、444冊もの大書だからどんなに読みつづけてもページは減らない。大阪には8時に着いた。やよい軒でカキフライ定食を食べた。牡蠣が大きくて良心的。道中何度かうたた寝をしたが、ホテルに入ると眠くて眠くて。この頃、この8時過ぎの眠り病を患っている。 10月11日(木曜日) 晴れるとの予想だったが、雨で、遅れていたラジオ英会話を一気に進めた。聞き流しでは、絶対にものにならない事がわかり、テキストをノートに書き取りしている。何だかんだ中学生時代に戻ったような感じ。昼まで続けて、午後は洗濯物にアイロンを掛けながら、Sarah VaughanのLPをハイレゾで取り込んだ。その後、コレグのADコンバータで再生した音と、NASに保存した同じ音源をデノンDNP2500で再生したのと比較した。コレグの方がやや丸く、デノンが尖っているかな。よく聞かないと分からないレベル。地震がやって来る前までにLPのハイレゾ化を終えなければならない。今日は一日部屋の中にこもったので、運動不足。風呂を焚いてからプール。2km。明日から出かけるので、夕食は自宅で、冷蔵庫にある残り物をさらえた。寝る前の音楽は、ドボルザークチェロ協奏曲。ロストボービッチとジュリー二ロンドンフィルの組み合わせ。映像を見る限り、あの動作で、あの弾き方で?と目を疑う部分もあるが、目を閉じると荘厳な響きが奏でられる。この差は何?プールで疲れ、聞くのか居眠りするのか曖昧になった所でダウン。 10月10日(水曜日) 台風の影響は甚大で、またもやサトウキビが倒れている。東西を杭で固定したが、背丈が2mを超すサトウキビは風に煽られて強い力で倒れようとしたのだろう。呆気なく、固定用の桟は折れ、折れてない所は、ビスが吹っ飛んでいる。来年はもっとしっかりと枠を作ろう。まずは枠ありきだ。庭も、階下の駐車場も飛んできた枯葉で一杯だ。これは、次週に回そう。一番優先するのは、除草剤の散布。前回の散布をくぐり抜けてきた猛者がいるので、じっくりとかけてあげた。これで今日は終わり。昨晩は遅く生活関連が何もできなかったので、多くの作業はできないのだ。疲れもあって、映画「マスク」を見た。実にくだらない。スパイダーマンやバットマンの様な真面目な取り組みでなく、半分はジョークだ。英語も早く、全く理解の外。この日、アメリカのニュースを字幕で読むアプリを見つけ、耳慣らしの為、ポンペイオ氏の発言をA-B間リピートで聞いた。最初は文章を訳し、文字を見ながら聞き、最後に文字を見ないで聞く。こんなことを繰り返していると、身につくなぁ。と思いましたね。だだ、結構時間を要するから、他に何もできなくなってしまう。 10月9日(火曜日) 切符の事で ![]() 10月8日(月曜日) What should I do? 朝梅田のプロンプトでコーヒーを飲む。今日は外人さんがモーニングメニューを注文するのだが、店員さんは、メニューを指差してこれで「Ok」?などと聞いている。外人さんはエスプレッソとパンを注文したい。店員は、普通のコーヒーとパンにすれば安いとセットメニューを推奨している。外人さんには「セット(set)」の意味がわからないのだ。この結末は、店員さんがパンとコーヒーで押し切った。僕の番に回って来た時、汗をかいていた店員さんに、setは通じないから、”all in one price”だとわかってもらえるよ、とアドバイスしてあげた。観光立国も視野に入れるなら、和製英語はマスコミが音頭をとって国民を教育したらどうかね!この喫茶店を出ると梅田駅の北側の交差点。ご年配のガードマンさんが交差点の4隅に立って拡声器片手に通行人を牽制している。「ここはスクランブル交差点だからご注意してください」。スクランブル交差点は”diagonal crossing”が正しい。”crossing” だけでも何とか。今日の困りごとは、天王寺動物園だ。夜の動物園開園。受付、切符売り場でどこがオススメですか?こんな答えが返ってくる「わかりません」。夜行性だから、ハイエナとか、ライオンと答えれば通じるのに。全く気持ちがこもってない。それはさておき、まずは、カバが大きな口を開けて餌をもらっていたが、辺りは全くの暗闇。ISO12800で撮影するも、歯が立たない。ライオン、虎もおんなじ。フルサイズセンサーでしかもF2.8、最新のエンジンを搭載したカメラ。コレでもダメだった。豹のみ、少し明るい場所があって、ISO25600で撮影し何とかものにできた。D850は最後のカメラとして買ったが、ダメだった。あと5年後位にもう一度買いなおす必要がある。興味があればの話しだが。 10月7日(日曜日) 見学ツアー 今日は岡村さん12:00からいっぱいの予約ですよ。そうですか。では早めに食事に行きますね。蓋を開けてびっくり。一切の余裕なく次から次へとお客様がやってきて、3時過ぎ「おしっこの我慢」ができなくなり、トイレに駆け込んだ。女性のアテンドさんだが、お構いなく、ペットボトルにおしっこは出来ないぜと窮状を訴えた。まさかセクハラの訴えはないだろう。一日に120人のお客様を裁いた。足が棒になった。いつもホテルへの帰りは少し遠回りして運動を兼ねるのだが、今日はまっすぐ食堂の「やよい軒」へ、そしてホテル。畑仕事は、カラッとした疲労困憊。今日の立ち仕事は、重い疲れ。 10月6日(土曜日) またもや台風 大阪に行かねばならぬ。どうするか迷ったが、早めに出ることにした。列車は問題なく大阪に到着した。新幹線の遅れはあるものの、遅れた列車がタイミングよく滑り込んで来たので、乗っただけ。アナウンスは42分の遅れと詫びていたが、僕にとっては2分の遅れだった。N君と待ち合わせて天満で懇親会。ここは落ち着かず、京橋へ移動。ここへM君も呼んで酒盛り。F君も呼ぼうか?まぁ今日はこの辺で、M君は幼稚園の運動会を撮影に行って来たとこの事。お孫さんではなく、子だ。偉い。年収600万円で生活しているとのこと。僕も一時仕事へのモチベーション低下で苦しんだが、70才以降も働くM君には脱帽。彼らとは久しぶりの懇親だった。少々疲れて宿泊。 10月4日(木曜日) 残念ながら大雨。しかし、サトウキビの手当はもうひと畝残している。雨で電動ドライバーが使えないから、時間を要する。今度もまた台風がやって来るので、天候に関係なくこの作業は終えなければならない。この畝のサトウキビは根元から折れていたのが1本あり、もう無理だろう。頑張って午後1時終了、泥の畑でトラクターを動かしたので、高圧洗浄機でトラクターを洗い収納。手間がかかる。でもやりっぱなしはこの仕事にはありえない。全ての作業を終えて、風呂に入り、昼飯を食べると疲れで体が動かなくなり、しばらく横になった。少し早いが買い物に行って早く寝ることにしよう。台風は当初予定よりも早くなり、明日は早く出発しなければならない。半日休みが減るので、やり残していることがあるも、今日は無理に進めない。寝寝る前に「沈黙の戦艦」(アマゾンプライムビデオ)を点ければ目が離せなくなり最後まで見てしまった。圧倒的なパワーで悪を押しまくるストーリーに癒されます。 10月3日(水曜日) 今回のサトウキビの被害は大きく、大阪のHさんが見舞いの電話をかけてくれたので、サトウキビの被害状況を伝えた。今回の修復は、井桁の高さも上げた。前回のものは僕の胸位だった。サトウキビの高さもこれで十分だと思わせるものだったが、今回は目の高さに上げた。サトウキビが成長し、支えきれなくなっているのだと判断した。それで、随分と時間を要したし、肝心の電動ドライバーの電池切れで、途中手動で作業を行ったので余計時間を食った。今日は一日農作業に充てた。しかし午後4時半、もう1畝を残した。暗くなる6時までかんばればなんとかなると思ったが、夕食も風呂も外で済ますことになりかねないので、思い切って切り上げた。汗でドロドロだったので、風呂に入って夕食の買い物に行った。途中理恵ちゃんとあって近況を話した。「もうたいそうて、ようやらん」とこぼしていた。27年も寡婦で農業をして、一家を支えてきた苦労人だ。「髪も白髪が出てきた」染めてわかくしちょりや!と僕が言うと、もう女やないきにと寂しそうだった。僕も前の仕事をしているときにふとそんな気持ちに襲われることがあった。仕事が変わって興味がありすぎて困っている。理恵ちゃんにも、休憩が必要なことを伝えてあげないといけないが、農家は来年の6月まで一日の休みもない。 10月2日(火曜日) いつもの時間の新幹線で帰宅、四国の列車は南風3号。揺れが激しいので10列目のシートを所望し横揺れだけは何とか免れて酔いはなかった。家に帰るとサトウキビが大きな被害を受けている。しかし今日の優先事項は、3時までに安芸の総合庁舎へ行ってパスポートの受理。帰りに寺尾でフグ購入。さぁサトウキビの対策を始めるぞと手を付けたのが午後4時。倒れたサトウキビを手作業で起こすのは無理。それで、トラクターを持ち出して、一斉に引っ張る。引っ張ったまま、杭に固定する。僕の計算では、風は南か北から吹くはずだから、その対策を行っていた。東西は20m程が井桁で連結されているので強いのだろうと踏んでいたが、何と、今回は東風にあおられて、全てのサトウキビは西に向いて倒れていたのだ。3つの畝があるので明日中には何とかなると踏んだ。夕刻友人を呼んで夕食懇親会。フグ鍋。友人は最近材料が無駄になるのでコンビニで買い物をして食事を済ましているとの事。久しぶりにきちんとした食事をしたと喜んでいた。どうしても一人住まいは食事がいい加減になる。僕はそのために電子レンジを買った。150種の料理の紹介があり、覚えたオーブン料理も加えて手間をかけて食事を作っている。食事は簡素化しないぞと強い思いでいる。今日のテーマにロックおじさんはなぜ若い?を取り上げた。友人曰く、ロックおじさんは若い人と付き合うからだと理由を述べた。老人と付き合えば早く老けると言う。僕はロックの歌詞が象徴するように、少し自分を枠に閉じ込めて生き方を規制しているとの持論を展開した。これは、もう少し議論を進める必要があると思う。 10月1日(月曜日) 台風一過 今度の台風はお兄さん程度だったね(台風一家)と間違い解釈をしている人の為の笑い話。もう一つの笑い話は、失業保険が来ると喜んでいたが、今回の旅行費用と全く同額だった。前回の見積もり時は少しお小遣いが有るかな?と思っていたが、なんだか僕も財布を見透かしているようだ。石川さゆり45回転LP、「天城越え」とハイレゾの比較。僕の耳では、SL-1000Rを持ってしても、ハイレゾの再現力のたかさは揺るがなかった。最初の三味線の音色まで違っていた。じっくり聞かないと分からないレベルだが。旅行切符の購入に2時間要して夜10時にホテル帰着。そこへ昔一緒に仕事をしていたY君が宿泊にやってきた。NTCのその後の動きを教えてもらった。いろんな人が出入りし、病気になり、冷や飯食って、また復帰して、あるいは弾かれて、人生いろいろ。口を挟むことなく聞いていた。又会おうと言えば先輩風が吹くので言わなかったが、彼は僕の定年退職のお祝いを持っているとのこと。えぇ!それって6年前の話?「そうだ」ありがたいやら、のんびりしているやら、僕では到底務まらない課題。いかにも台風一過に相応しい話ではないか? 9月30日(日曜日) 休館日 ニュースで台風を大げさに伝えるものだから、交通機関が萎縮して止まり、ショウルームは閉鎖することになった。せっかく来たのだが、仕事がない。梅田に出れば、ほとんどの店は閉店。雨もなく、穏やかな日。街は死んでしまった。天満まで歩くと、やはりそこは大阪商人の街、しっかりと店を開いてまんがな。チェーン店のドトールも開いていた。(梅田ではスターバックスやプロンプトも閉店してた)取り敢えずここで1時間、「ジャズの歴史」翻訳で時間を潰す。ラグタイムから、ブルースへ話が移ってきた。一方の訳の進化は、単語の接続文から、一節が文章になりかけてきた。困惑は楽譜の専門用語の訳が難しい。辞書にはなく、グーグルで検索しなければならない。blues (ブルース=音楽の種類、こんな単純な用語も英語の辞書には掲載がない)天神橋商店街をどんどん南下、天満橋にでて京橋へ。京橋はほとんど閉店。こんな状態で休むなんてもう京橋は立ち直れないなぁ。そこから北上し、天神橋8丁目辺りのはま寿司で昼飯。雲行き怪しいが、西の空は明るい。道を北へ1ブロック、西へ1ブロックと攻めて、中津のホテルに帰り着く。途中で買い込んだスーパーの惣菜で夕食。やっと雨が激しくなってきたが、これとて、梅雨時の雨と変わらず、情報がなければ単なる雨。坂口安吾の全集を眠くなるまで読んだ。難解もの、共感もの、駄文混じり人間を見つめて行く。衣を剥ぐのが坂口氏の人間観察で、どんな人も、事件も見事にさばいてしまう。アメリカの刑事もので、よく使われる「プロファイル」。あれに似た分析です。仕事に向き合う姿勢なんか真髄は今も変わらないと思うが、それは僕が古い人間だからかもしれない。一方携帯で読んでいる、iBookの「イーロンマスク」から見れば、「だから効率が悪いんだよ、全貌をデザインしろ」と言いかねない視点の違いもある。 9月29日(土曜日) 台風接近 まだ波は高くはない。土佐くろしお鉄道から見る波は、普段の場所で多少大きく打っているようだった。大きな台風が来ると、ずっと手前で打つので迫力がある。電車は結構混んでいた。岡山から来た、賑やかなおばさん五人組。パワーに溢れているのは良いのだが、写真を撮ってくれだの、席を代わってくれだの、結構僕に被害があったが、2つお菓子をくれたので許してあげよう。また何かの縁があればと別れたが、ごめんこうむりたい。ホテルに荷物を置いて、シマムセンへ。オーディオに囲まれていると安心する。店員さんは、「世間では自然災害にあった人たちがいるのに、こうしてどうしても必要なものでないのを生業としているのは、後ろめたいと、こぼされていた」音楽は医者の薬以上に、あるいは、リポビタンD以上に力を与えてくれると思う。ヤマハのCXA5200が果たしてUDPLX800の音を引き出してくれるのか?そればかりが不安で今日も通って来た。もう少し情報を集める必要がある。雨風とも強くなって来た。いよいよかなと思っていると、しばらくすると止んだ。レーダーを見れば、雨雲が少ない。雨は一時的かな。家はきちんとして来たつもり。 9月28日(金曜日) 台風、最後の仕上げ ハローワークへ行った。失業保険の申請。なんと、今回の旅行分の費用が入ってくる。ラッキー。その足で、auへ寄ってSIMのロック解除を処理してもらった。シンガポールでは配車アプリが便利だと言う。スマホは必須なので、現地で安価なSIMを短期間分購入するつもり。SIM交換は娘の得意とするところだから、問題ないだろう。帰って、今週、雨対策を行ったトイの暴風対策を2箇所と新たにトイの交換(これで、ほぼトイの修繕は完了する)。ついでに屋根の点検をすれば、狸が糞を山積みして、排水が出来ない所を発見(井戸の小屋の上)、清掃作業。田舎では草、昆虫、ネズミ、これに狸が加わる。明日から出かけるが取り敢えず、対処は行った。雨戸を閉めての出発なので、土日のラジオ放送が録音できない(英会話と、文化講演会)。嵐の前の静けさで、今日は晴天だった。寝る前の音楽は、バーンスタイン指揮、マーラー1番。これが意外と聴かせる演奏で釘付けになった。 9月27日(木曜日) 台風の備え 今日はサトウキビに対する風対策。前回も対策を施したが、今回はさらに井桁を増やし、1升が50cm以内になる様に細分化した。しかも、3畝の井桁を3箇所で連結した。風で吹き飛ばされる危険は随分と減ったはず。ちなみに手で揺すってもビクともしない堅牢さだ。まぁトラックがひっくり返る風が吹けば見る影もなく倒れるでしょうが。その他には、32GのUSBにジャンル別にハイレゾをダビングした。クラシック2個。ジャズ2個、ロック1個、日本の歌1個。タイトルも印刷したので、来週からの接客は瞬時に希望の音楽を演奏できると思う。大したことはしてないのに、今日も1日が終わってしまった。雨だったから、少し動きが鈍ったかも知れない。それでも、9時が来ると眠くて眠くて。 9月26日(水曜日) 台風 またもや大きな台風が高知県に向かっている。晴れている午前中、先ずは、水の対策で、きまさごの畑の北側に水路を掘ったが、その深掘りで、この水路に流れ込んだ水が、きちんと排水されるように、溝の深さを調整した。併せて、この田に被さっている竹、木、カズラ等々をノコギリで切り刻み捨てた。大汗をかいて終了した。息つく暇もなく、ご飯を食べた後、自分の写真を撮影。バックは100インチのスクリーン。ストロボを使用したが、自分の影がスクリーンに写るので、ストロボを上向きに調整しやっとモノにできた。これをフォトショップエレメントで所定のサイズに切り出し、いくつかの大きさをパワーポイントに貼り付けてパスポート用とした。県庁の受付の職員に気に入ったサイズを使ってや、と伝えた。昨日は難癖をつけられたが、今日は問題なくパス。16、000円。帰って風呂を沸かし食事の準備。もし仕事を継続していたら、この様な余計なことはないかもしれないが、きまさごの畑は復帰が出来ない無残な状態になったかもしれない。今回が最後のチャンスだったと思う。疲れて8時に就寝。 9月25日(火曜日) 困った 災難は次々と降りかかってくる。まずは、LUMIX問題。NIKONを買ったばかりなのに、LUMIXからフルサイズのミラーレスが発表された。これは買わざるを得ないでしょう。40万円近い出費が予想される。どんなに頑張っても手が届かないのだが。何とかしないと。(年末にオーディオの購入もあるし)先週金曜日に役場から電話があった。今日帰って来たついでに寄ったら、第3区委員会へ欠席したが、議事は進めたと言うのだった。僕は第3区委員会の役員になっているとの事。えぇ!。第3区委員会と言えば、僕の土砂崩れに一切の応援を拒んだ組織だ。なんたる皮肉。年3回の会合がある。既にこの部落では年12回。岡村家系では年3回。お寺で年1回。これ全部飲み会で、これに3回が加算されるのだ。兎に角また一つ組織に属してしまった。パスポートの申請に行ったら、写真に縦筋があると却下。ASOMでキャノンのプリンターを酷使したが、それが祟ってはねられたのだ。パスポートの有効期限は明日まで。安芸のヤマダ電機に寄ってプリンターとインク購入。どうしてこんなに出費が続くの?帰って、田畑の見回りすれば、今は細竹のシーズン。ものすごい竹の子が成長し、道を塞いでいる。ノコギリで切り分ける事30分。やれやれだ。5日ぶりに帰って来たので、新鮮な刺身が食べたくなり、安芸の寺尾で購入。ビンチョウマグロ。今までこの魚に対する僕のイメージは柔らかい身だった。今日料ってくれたのは捕れたてで、身が締まり、カツオの刺身と変わらない身持ちの良さ、硬さ加減(多分都会の人がこれを食べると、びっくりするはず)。一人で食べては申し訳ない美味しさだった。味噌汁用に買ったシジミも、都会で頂くアサリクラスの大きさで、味噌汁の具として有り余る嵩でしたよ。色々と災難はあったが、夕食で挽回した。 9月24日(月曜日) 浮気性 僕は、「あなた一筋」には決してなれないと観念した。いや、「貴方一筋」の人達に接して、鏡に写る自分を発見したと言うのが正しいのだろう。実は、今日、「元」ピックアップカートリッジ設計者と接した。彼らは、LP愛好家で「ハイレゾ、それ何」って方達。薬師丸ひろ子「Wの悲劇」井上陽水「断絶」ポールモーリア「エーゲ海の真珠」など持参された。音楽も一つのアルバムをしゃぶりつくすような聞き方。もちろん自分の設計したカートリッジを持参。今日は「カンチレバーの材質と加工に関する音質への影響」彼らのアナログレコードに対する思いは到底及びません。今日の結論は、ボロンのパイプがやっぱり音が良い。おもしろいではないか。この情熱が世界を動かすのですね。僕の及ばない世界。ここまで没入するか!そんな面で僕の性格を表現すれば「いいとこ取り」つまり、ずるい浮気性。ハイレゾあり〜の、SACDあり〜の、BDオーディオありでつまみ食いだ。しかも、音だけではなく、映像も含めてのつまみ食い。かと言って、年も年だし、ここまで来た以上引き返せないし、書籍も、カメラも、英語も捨てられない。僕を集約すれば、中途半端な男となる。夕食は天満橋。今日散策してわかったのは、駅前は昔の立ち飲み、駅から離れると新しいコンセプトの飲み屋。いずれもそこそこの賑わい。おじさんはその事情を知らず、駅前で済ませた。梅田のホテルまで徒歩で帰宅。 9月23日(日曜日) 猛特訓 英語を猛特訓している。シンガポールへ遊びに行く事を決定した。HISで大体の予算も聞いた。あとは、言葉の問題だ。特にお金の支払いと、タクシーで行き先を告げる方法。英語は単語を切って話してくれると理解しやすいが、前後の単語を繋げて言うから聞き取れない。もうこれには慣れるしかない。ショウルームで欧米からの人には積極的に声かけしている。今日は英国から来た人。1曲だけで退出。もう少し長くいてくれたら僕のためになるのだが。語彙は「ジャズの歴史」を翻訳中。この書籍は古い本で、古い言葉を使っているのがキズ。翻訳の速度は上がらず、2日で1ページ。辞書があっても英語は読めません。どの意味を使って訳せば良いのかわかないのです。それで、次のようなやり方を採用しています。まずは書籍をスマホのカメラで撮影する。文章の部分のみ切り出す編集を行う。次に、その部分のみOCR(写真を文字に変換するソフト)にかけて文字を取り出します。その文字をコピーして、iPadの「ワード」に複写します。最後にそれぞれの単語の後に、辞書で調べた約を複数記入します。翻訳は、この単語の組み合わせで、適当な文章が成立できるかどうかです。単語は、副詞や接続詞、形容詞なのか副詞なのか不明です(本当は明確だが僕にとってと言う意味です)、これらは全体の中から推測するしかありません。辞書にthat節に使用とあればそれを採択。ある程度日本語で基礎知識があるジャズやエレクトロニクスは筋が読めるので、この方法が通用します。まずはここを糸口にするしかないと思ってます。1日の中で英語に使える時間が限られているし、出発までの時間も限られている。ここまで追い込まないと、いくらマメな私でも動きません。ハイ。 9月22日(土曜日) 社会現象 定年後65歳までは何らかの仕事をして、さぁ余生を好きなことして過ごそう。そんな熟年夫妻が増えている。このショウルームでは40程の想定コンセプトを形にして提案している。蔵書に囲まれた生活、海の見える家、シアターで楽しむ家、音楽を楽しむ家、自転車をいじる家。(僕はこの何れもが芸西村で実現している、奇人が考える事は普通にはあり得ないと思っていたが、意外と多くの人が考える事だった)、もう一つカメラを楽しむ家があれば参考になるのだがが。そして、今日訪れたお客さんも、正にそのような生き方を選択した人たちで、ロックおじさんや同級生のオーディオ仲間達だった。これは新聞に報道されずとも社会現象だと思っている(定年後音楽三昧の人)。これらの人の特徴は「、ロックおじさんは若い。格好も若いし、肌も若い。」なぜだろう?特殊な生き方を積み重ねてきた人達だから?友人と夕刻合流。2週間くらい寝かした魚で握る寿司屋さんへ行った。普通の寿司屋さんは新鮮さを競うが、この店は古さを売りにしていた。ビジネスにはこの発想が大事。価格は寝らす時間だけ嵩上げされるので、4倍位も覚悟が必要かな。場所は福島。今朝は大雨でホテルから職場までバスで移動。徒歩少なく、肥満メーターが上がったので、帰りは徒歩1時間。エネルギー収支はその日のうちに精算。これは奇人だとできない技で社会現象とは程遠い。 9月21日(金曜日) 異様な暑さ 今日は移動日なので動き少なく、エネルギー収支のため、きまさごの溝掘を午前中1時間ほど行った。スコップ1杯の泥がどうしても持ち上げられず、鍬の作業で進行は遅かった。湿った空気に太陽が出てきて、滂沱の汗を流した。腰にぶら下げた蚊取り線香が無くなったタイミングで作業を終えた。問題はここからだ。気温が高い上に、物凄い作業だったので汗が止まらない。出発時間は迫ってくるし、作業をやめて30分も経つが汗は滝のように流れるし、まぁ見切りをつけて出発。シャツが濡れたまま電車に乗った。結局作業終了後1時間ほどで汗が止まった。それ程蒸し暑かったのと、今日に限って体温が下がらなかった。大阪に向かう電車の中は坂口安吾全集。新幹線ではジャズの歴史翻訳。いつもの定番で楽しんだ。新大阪で30分迷い三井住友銀行を見つけお金を下ろした。30分もウロウロしたので6時を回り、108円余計に払った。セブンイレブンで健康保険の支払いに当てた。高知の事なので、先ず「これは扱えるか?」聞いたが、店員は作業を進めた。「質問に答えるのが順当だろう」と一言、言った。嫌味なおじさんだ。(どうして老人は早く切れるのだろう)日本もやがてこのような人が多くを占め、海外と同じように低位平準化が進みますね。それに合わせて、賃金の格差拡大。出来る人はマネジメント、気のつかない人は低賃金。G20の国は正にそれが現実。フィリピンやインドネシアでよく見た風景だ。「日本人は勤勉で巨幾レベルが高いから」そんなのありません。 9月20日(木曜日) 復活 どうも、NASをタブレットが認識しない。それで、今朝寝ているときに神からの啓示があったので、眠い目をこすり、ルーターを接続変更すると旨く行った。それじゃぁということで、仕事場に置いてあったPCを自分の部屋に持ち込んで、HDDを2基増設し、冷却ファンを1台取り付けて改造した。昔のPCシャーシーなので放熱の問題があり、ファンで対応となったのだが、凄い音がする。ついでにPA7を机の前に設置して、NUFORCEのDAコンバーターを取り付けハイレゾの再生したら、結構よい音で楽しめる。CDやテープの音は眠いが、広帯域のハイレゾだと蘇る。今日は雨だから外の作業もできず、環境整備に費やした。Yプロの仕事はきつかったが、その為なのか、理由は不明だが、この1年半に僕は枯れてしまった。興味が薄れ、カメラも音楽も、音響どころか生活のすべてに深く関与しなくなりつつあった。いくら環境を変えて自分を鼓舞してみてもどうにもならなかった。やっぱり年齢が興味を色あせさせるもんだと思っていた。しかし、その仕事を辞めて、大好きなオーディオの仕事に変わると、興味が一変し手を付けられない程あれもこれもへと拡大し、予算計画が頓挫する羽目になった。寂しくはあるが、紛らわす興味の範囲は復活した。この興味こそ僕の生きる源泉なんだと思った。 9月19日(水曜日) 山と田畑の手入れ 天候は今日まで持った。午前中PCでデーター整理。午後きまさごの畑の草退治と排水処理。まずはトラクターで畑を叩き、草を退治して、溝を掘る機械で溝堀。ぬかるみは全て鍬の作業。今日は鍬の作業時間が長く、まさしく肩で息をする感じ。泥まみれで座って休憩もままならず、息が収まるまで立ったままの休憩。しかも、今回の作業で終わりで無い。畑を横切る形で溝を掘っているので、草退治のトラクターが入るとまたやり直しである。最終的には北側に東西を貫く溝を掘る作業が必要。今は急場しのぎ。それは、山からの湧水が余りにも多く、ぬかるんで大作業ができないためだ。冬になって雨が少なくなった時に行うことに決めている。ということで、毎日毎日草、水、との闘いに明け暮れている。もし、僕がいなくて放置したままだったら、この田畑は数年で崩れ、大敵の竹が生えて来る。僕が、この山(共有部分が大半)と田畑を全部守っているのだ。おじいさんの頃はここが主だったから、必然的に手入れがあった。お父さんの頃は、稲つくりのため、年に数回の手入れがあった。僕は、日中の午後の数時間、ほぼ毎日手を入れているがアマなので、基本がわかってないから無駄が多い。それでも、まだ東の畑と山は手がついておらず、することは山積している。 9月18日(火曜日) 8時就寝 何と10時間も寝てしまった。朝食の後ラジオ英会話を聞いているときに再び睡魔がやってきて15分ばかり爆睡して、その後、書籍ジャズの歴史を翻訳しているときに、2度目の睡魔がやってきて30分爆睡。両方とも目覚めた時、自分がどこに居るのか、今朝なのか夜なのかわからなかった程だ。午後になってやっと元気が出て来て、サトウキビ畑に排水の溝を本格的に掘った。溝を掘る機械を使って掘ったので深い均一な溝ができた。まだぬかるみの残る部分は、鍬で作業した。午前中の爆睡で元気を取り戻していたが、午後の作業で全てを使い果たしてしまった。明日があるからこの辺で終えようとはしてなく、風呂を焚き、食事の買い出しができるだけのエネルギーだけを残している感じ。それで、今夜も同じく8時就寝。「本を読んで、音楽を聴く、たまには映画も見る」これが夜の正しい過ごし方と思っていたが、風呂から上がると急に朦朧としてくる。よく、健康の為には、寝る前の2時間前には食事を終えなさいと、言われるが、とてもとても、お酒も飲んでないのに1時間で寝てしまっている。 9月17日(月曜日) いつもの戦い 朝一に起きて、報告書を送付。7:59の新幹線で帰る。道中は、LPをハイレゾ化した録音の編集。編集は不要な部分をカットするだけだが、録音はとぎれとぎれだから、1枚のアルバム単位に編集には結構時間がかかる。土讃線に乗り換えても編集は続き、琴平もしくは善通寺辺りで終了する。そこから坂口安吾を読む。この本は全集なので1万2千ページもあり、読み終えるには今年いっぱいかかりそうだ。和食に帰り着くと夏が待っていた。大汗をかいて自宅に帰り、急いで洗濯をして除草剤の散布にかかった。晴天は今日を含めて2日間。僕の使用する除草剤はラウンドアップの半額で、添着材が入ってない。その為、晴天の時にしっかりと葉から吸収してくれないと枯れないのだ。ラウンドアップは一度葉に付着すると、添着材のためその後の雨でもしっかりと効いてくれる。今日は田畑や家の周り全てに散布した。併せて、トイの排水の仕上げを行った。たったこれだけの作業なのに疲れてしまい、夜は音楽を聴かず8時に寝てしまった。 9月16日(日曜日) 刺激のある日だった 今日は予約客で一杯だ。多くの方がCD持参、もしくはLP持参。これが勉強になります。大概の人はマイフェバリットディスクを持ってくる。これは誰かに聞いてもらいたいため(自分は何度も聞いているので)。それで、結構解説してくれる。この解説が非常にいいのだ。音の出方についての解説や、録音日時、歌手の気持ちなど、結構よく調べられていて、しかも僕の情報網に全く引っかからない歌手もいる。Dream Theater(アメリカのロックアーティスト)はその一例。すごく演奏が良い、音も良い。アップルミュージックで検索すれば、必聴ディスクとわざわざ明記してあるほど。岡山から来られた方で、前の職場で岡山在住のT氏から葡萄が送られてきた話をすると、そうなんです、岡山では今このサンシャインマスカットが凄く有名ですと言う。そうか!岡山は桃だけではなかったのだ。最後の予約の方は常連さんで、前にお願いしてあった松田聖子のハイレゾを持参してくれて、聞かせてくれた。アナログ音源からのハイレゾ(パイナップル)は凄く良かったが、デジタル音源からのハイレゾがいまいちだった。夕刻、テクニクスのメンバーと懇親。テクニクスのマーケティングは、全国のオーディオ専門店を訪問して、試聴会を開催しユーザーを発掘する活動とのこと。他のオーディオメーカーと同じになりました。一人で動くには大変な労力がいる。この懇親会には大阪の専門店も飛び込み参加。昔では考えられなかったことが現実に起きています。 9月15日(土曜日) 忙しく過ごす パナOBの歓迎会が決まる。13名もここに勤めている。どんな会話があるのか楽しみだ。今日は大きなシステムの試聴ばかりでなく、コンポシステムの安価なモデルを試聴し、購入の参考としたい方が複数見えた。安価なシステムもこの部屋ではすごく良い音で鳴るので、満足度が高い。天井が高い事が決め手。チンプンカンプンの若い二人連れは非常に単純な質問が来る。例えば黒いぼっちは何ですか?何をするのですか?それがないと困りますか?ウーハーの事を示しているのだが、回答は非常に難しい。美人で背の高い若女性2名が来た。本質的には興味がないはず。でも、社員さんで見聞を広めるためかも知れないし、油断は禁物。高知から来た販売店さんもあった。高知弁丸出し。大概地方の人は、標準語で話すが、高知の人は高知弁だ。気取らないのか、高知の言葉が標準だと思い込んでいるのか(多分こちら)?それが高知人の魅力。終了後、ジュンク堂へ。日経新聞書評欄で紹介(土曜日)された本を求めた。コーナーにない、問い合わせると、月曜日に入れ替えるとの言い訳(遅いと違いますか?)。でも、紹介されたその日に買えるなんて、やっぱり都会ですね。帰りに中華料理の店。2品注文したが、1品しか来なかった。汚い店だったので、味は信頼出来たが、対応がイマイチ。 9月14日(金曜日) お金がいる 安芸市の建設センターへドリルの返却。急いで片付けて出発。10:29の電車にギリギリで間に合った。道中「坂口安吾」を読む。家康の見方が面白い(英雄扱いをせず、人間の本性から人物を評価しているので、説得力がある、特に関ヶ原の場面での小人さが面白い)。岡山から新幹線。Disco に関するニューヨークタイムズの記事を読む(電車揺れないので、辞書を開いても酔わないから)ショウルームで1時間新製品の研修を受ける。その後、日本橋シマムセン。アキュフェーズのアンプE650から、ヤマハのAVプリ5200に変更を相談。パワーはアキュフェーズの中古品を専務にお願いして、入荷すれば購入と進める。BDはパイオニアだが、いつ発表するのか不明との事。HDMI接続なら、下位機種でも問題なしの筈だが、もし、上位機種に平衡出力端子があれば、買いです。それでもう少し様子見。スピーカーはB&W703S2の予定。パナのBDでSACDが再生できれば最高なんだが、これは不可能で、一方テクニクスのSACDはBDが再生できない、ということでどっちみちパナは選択外。EOS20DとNIKON D850の間をつなぐカメラにEOS7Dを物色、梅田ナニワで36、800円。こちらはもっと先に考えよう。 9月13日(木曜日) 一人になれば 午前中はPCに溜まっている写真の整理。午後一はハローワークで失業保険の申請。夕刻は、土砂崩れで、迷惑をかけた近所に大きな石だけ残していたので、石割と、その撤去。トイからの水が垂れ落ちて土砂崩れの原因となっていたので、トイからパイプで水を水路に流す作業。雨の中の作業でうるさかったが、今日をおいて他の日はなく頑張った。風呂に入ると早速の睡魔。8時半就寝。娘が帰り、またぽっかりと空間が空いた。この寂しさは山の中に暮らしていると結構きつい。しかし、嘆いてばかりいては解決しない。この先もこの状態が続くのだ。今できる事は立ち止って考える時間を無くそう。時間いっぱい動こうと詰めこんだのが今日の事。娘にも3時間は英語を勉強しないと落ちてゆくばかりと自分の決意を語ったので実行しなくては。娘は、龍馬研究をもう少し進めると決意していたから、僕の問題解決はこれだなと思いましたね。 9月12日(水曜日) 水族館 少しおかしいのは、息子も娘も帰省すると仕事のことや、今、思っている事などをそのまま話している。ショウルームで同じくらいの年齢の人と接するのと同じような会話がある。同じ映画を見て感想を述べるなんておかしいと思う(第一同じ映画を見るというのが不思議だ)。友人じゃないのだ。それってありなの?少なくとも僕は、友人や先輩には色々と相談したが、親に向かっては心の内を話すような事はなかった。むず痒い、恥ずかしい感じがあった。僕は奇人だと自認しているが、子供達もそういった面では奇人ではないだろうか?それに息子が持ち帰ったBDも、娘が持ち帰ったBDも「ミニオン」僕もこの映画に注目してBDを持っている。3名は別々に暮らしているのに奇しくも一致。おかしいぞ。たまに帰省するから、話さないかんと思っているのだろうか?そんな思いを持ちながら、娘と水族館に行った。水族館は室戸岬にある小学校一棟全部を水族館に鞍替えしたもの。椎名漁港の近くの住民のための学校だが、生徒減少で廃校。プールにはサメとウミガメが泳ぐかなりダイナミックな風景。だが今日は台風のような天候で、傘をさすのもためらわれる程の強風。カメラが濡れるのも嫌で教室に戻る。ここの魚たちは妙に人懐っこい。例えば、ウミガメは僕を見かけて、泳ぐのを止めて、ガラスに張り付いた。それで物凄い枚数の写真を撮影できた。カメラはEOS20D+100mmマクロ+ストロボ。水族館は暗くピントが合わないため、マニュアルフォーカス。NIKON D850+60mmマクロにすれば良かったと反省。室戸岬はキンメ丼が有名。だがこの天候、船が出ないので諦めるしかない。その足で高知市へ。新築の図書館を見て、甘いコッペパンを食べ、空港へ送った。今日はどちらかといえばドライブだった。道中、娘の龍馬研究を聞いた。 9月11日(火曜日) 娘帰省 何か用事があるかと思ったが、単なる帰省。龍馬記念館へ行きたいとのことで、空港から直で行った。入場料は700円。坂本龍馬は筆まめな人で、いろんな人に手紙を書き送っている。しかし姉さんが多かった。文面は直訳と、現代文章に変換したものとがあり、じっくり読むと、龍馬の人となりが伝わって来る。娘は大の龍馬ファンでTシャツまでが龍馬仕様。高知城前にある、記念館も行ったことがあり、もちろん野市の蝋人形館へも足を運んでいる。確か学生時代には司馬遼太郎と、竜門冬二を読んだと言っていた。この記念館でも熱心に見ていた。何度見ても、同じテーマでしか切口が無く「またか」の感はあるが、それでも成し遂げたことが大きく、許してあげよう的な感じがある。娘の仕事は相変わらず忙しくらしく、骨休みとのこと。昼を過ぎたので、少し距離があるが、萩ノ茶屋まで足を延ばした。少々高価だが、貝のグルメセットを注文した。貝飯も、焼き肉も注文し、相変わらず食べることは大好きなようだ。目の前でペロリですね。それでも1kgは痩せたとのことで、もっと食べて良いと先生に言われたそうだ。食後再び桂浜を訪れて龍馬の写真と浜を散策。娘の携帯電話はファーウエイで写真撮影すると、記憶色が強調されて目茶目茶綺麗。あり得ないような写真となる。まぁそれも良しとするか。堪能したところで、安芸の寺尾へ魚の購入。グレと赤ムロとウナギ。帰って風呂を沸かし、1時間かけて入浴、その間僕は料理。量は完成したのにまだ出てこないので庭の草引き。やっと風呂から上がり食事。あの昼飯はどこに消えたと思わせる喰いっぷり。バレンタインのウイスキーもごっくん。お見事です。食後デザートのハウスミカンも飲むように食べてしまった。それから映画。怪盗グルーの月泥棒。 9月9日(土曜日) 芸西村を集中して攻める こんなに雨に降られると、やっぱり神はあるのだろうか?と思う。北海道で被災された方々も、神の懲らしめではないかと思った方もいるだろう。「何でここだけ?」今、芸西村もそんな窮地に立たされている。全国ニュースでは報道されないが、西日本豪雨以上の雨がもう降ったし(芸西村と安芸市)、まだ続いている。午前中は本を読んだがあんまり頭に入らない、この雨の所為だ。午後一このままでは西の畑がやられると思い、鍬とスコップを持って出かけた。畑の中に水の逃げ道を作るのだ。スコップいっぱいの泥はとてもじゃないが持てない。土は重い、ましてや泥はもっと重い。大汗をかいて5時半に取り敢えず完成。しんどさは昨日の水泳の比じゃない。今日は誰とも話してないが、夕刻買い物に出かけると、親類の求君が来ていて立ち話。彼は、我が親類の中では異例とも思われるほど人が良い。彼の人間性をしたって友人が多いが、知恵遅れの妹の面倒を見るために、多分であるが幸せを感じたことが無いだろう。豪雨の中を帰った。食事をして風呂に入るとものすごい睡魔。8時過ぎに倒れるようにして就寝。寝込みを土砂崩れで襲われたらどうしよう?の不安もあったが。 9月7日(金曜日) やばい天候 ![]() 9月6日(木曜日) 随分と流されるなぁ 年を取ると気になる健康問題。岡村病院へ行って、胃カメラCTの検査をお願いして、状況を確認しようと思った。ところが、先生は不要だと言う。胃酸過多の薬を飲むことで解決しますと言う。何だか肩透かし。でもこれでいいのかな。帰りに朝食用に果物購入。マクドナルドで昼飯。帰って大日様清掃。巨大なハチの巣を発見。そっとすることでその周りの清掃はパス。沿道に先日の台風で竹が覆いかぶさりその取り除きに大汗。終了後、お寺の前に集合。本日の宴会の打ち合わせ。6時から集会所でと決定。僕はその足で(トラクターで行った)沖の田圃に行き叩いた。草が50㎝ばかり伸びていて、虫が湧いていた。貸してあるビニールハウスの窓を閉め作業。終わると再び開ける。次は東側、同じ作業。時間が無くなって来たので東側は速度を落として1回のみ。帰ると4時半。風呂を沸かし、スーパーに買い物に出かけ、飲むための「アテ」を作る。今回の飲み会は食べ物持参。早く来たものから飲み始める。話題はピーマンとナスとビニールハウス。いつもの事。お酒に「南」が出てきた。お酒は各自1000円出しあって購入してきたもの。今回大酒飲みの佳一さん欠席で、コップの回し飲みが無くて、助かった。それでも飲み過ぎたのか、台所で眠り気がつけば1時だった。風呂を浴びて布団に入るも3時間くらいの転寝は随分と効き、なかなか寝付けなかった。結局今日も流されてしまった。 9月5日(水曜日) 流されている 退職してひと月、思うような生活になっていない。計画では、午前中趣味、午後農作業。雨の時は一日読書、夕刻プール。だった。 所がである、一日にできる事は1個なのだ。特に農作業に課題がある。あまりも疲れる。中でも疲れを取るのに、8時間くらいの睡眠と、1時間くらいの朝寝もしくは昼寝をすると、一日の活動時間が大いに狭まる。これではいかん。もっと計画的を立てて過ごせねばと鞭うつ。そんな矢先へ、16日集会所の清掃のメモ。16日は留守。それで、今日の午後は集会所の清掃に充てた。部屋の中は出来ないから、周りの草刈り。3時間ほど要した。帰って1時間ほどサトウキビの井桁対策。まだ十分ではないが、おおよそ完成に近づいた。風呂を沸かす時間が無く、赤野の親類へ寄ったついでに安芸市の風呂へ。 夕食も安芸市のうどん屋で。こうして時間をお金で買って8時にはフリーの時間ができた。バーンスタインのLD、ブラームスのピアノ協奏曲1番を演奏すれば1楽章で大きな睡魔。朦朧となって布団に倒れ込む。時は8時半。明日は大日様の清掃。と、なかなかうまく過ごせなく流されるのである。 9月4日(火曜日) 台風被害 ![]() 野外劇場はこの波の先端から50㎝程高く(標高15m)余裕がある。車は更に50㎝位高いところ。台風は室戸岬寄りで、ここは左側にあたり、波にとっては向かい風となるためか、幾分抑えられている。その後友人は波を見にゆき、駐車場まで波が来ていると連絡があった。台風が通り過ぎた後の追い風の時だ。まぁ何も被害が無くてよかった。とはならず、サトウキビ畑は、対策の杭が数本抜けていて、井桁がずれていた。杭の打ち直し、井桁の追加、補強用の桟の所に縦棒を追加し、桟と縦棒で三角形を構成した。構造的に三角形は強いですね。補強した部分はぐらつきが無くなった。サトウキビはまだまだ成長するので、井桁はもう少し密度を上げなければならないだろう。思わぬ伏兵に今日の午後はすべて潰れてしまった。 9月3日(月曜日) 夕刻から雨 ![]() 9月2日(日曜日) 睡眠不足と便秘 ホテルでは睡眠不足。眠い目をこすりながらの帰宅。家に到着、二分後に便意を催す。一体これは何?帰るとまぁ、とにかくする事山積。洗濯、サトウキビの強風対策の仕上げ。大日様の清掃があるので、家の西側の竹垣を刈る(竹が生い茂り道の半分が通れなくなっている)睡眠不足で体力が失われている中での作業で随分と疲れた。大阪へは疲れに行っているようなものだ。前の仕事を辞めたのが果たして正解だったのか?疑問が湧いてくる。だが、家の周りの片付け作業や草対策、豪雨対策など、多くの時間を要するのは結局フルタイムの仕事を持ったままでは出来ない。それに、8月以降自分のための休暇を取った事がないくらい活動している。そんなことを考えると、辞めて正解だったのだろうと思い事にしている。もう一つは、ショウルームで常連のお客さんにクラシックの聴き方手ほどきを受けている。これは、普通ではありえない凄い価値ある経験だ。全ては前向きに考えよう。夕食の買い出しの帰りに近所の同級生淳子ちゃんにあった。飼い猫の話を散々聞かされた。その話から進展して、近所の貴江さんのだらし無さについてくどくどと。ためになる話は、不要の食器は売れるとの事。下らんクラシックの音楽も全曲聴けば光るところもあるのと同様、おばさんの話の中にも一光(ひとひかり)はあると言うこと。 9月1日(土曜日) ツッコミ ニュースで大阪では久しぶりの雷。新聞にも、職場では何人から同じ話。ところが僕は全く知らない。昨夜は早く寝て1時に夢の中で熊に出会って目が覚め、トイレへ。それから眠れず朝まで悶々としていたと思ったが、実際には深く寝込んでいて雷に気がつかなかったのだろう。午前中はこのビル全体に通行人が少なく、LPレコードを録音した。午後は、このビルの管理会社のセミナーで、最後にテストがあり、満点を取らないと、次回の研修にも参加してもらうと脅しがあった。1時間半のDVDと講義。その後テスト、所がそのテストの設問に、「鍵の返却云々についての記述」があった。DVDの映像では「鍵」ではなく、「セキュリティータグ」と言っていた。それで、この質問には間違いの「X」を付けたら、回答は「○」との事だった。この為90点だった。後で僕は事務局にねじ込んだ。「X」が正しいのではないか。DVDでは鍵とは言ってないぞ!(ニュアンスはわかりますが)そうすると、事務局は鉄砲食らった鳩みたいに目を白黒させていた。若いにいちゃんねえちゃん対象にマンネリの説明会を何回もやってきて、無事こなしてきたのでよもやそんな事で突っ込まれると思ってはなかったのだろう。僕のような奇人は突っ込みを探すのを生きがいとしている人種。と言うことで、90点だったが合格とした。職場に帰ると、石田さんが来ていた。石田さんは元上新電機1番館のオーディオフロア長。僕はこの法人を直接担当したことはないが、ヘルパーさんを派遣していたので、管理の為よく訪問し顔なじみなのだ。彼は、所有のオーディオ(マッキン、JBL)を売ってその金でキャンピングカーを買って北海道を旅行して来たと、真っ黒な顔で話した。僕もキャンピングカーの構想は持ってはいたが、風呂の問題があって構想は止まっていた。石田さんは、無料の温泉を利用したとのこと。ただし、熊のことがあるので用心をしながらだったと。帰りにロフトに寄った。靴クリームの売り場があったので、茶色のリーガルの靴にあったクリームはどれかと尋ねたら目算で近い色を選んでくださいとのアドバイス。それはないだろう、マドラスとか一般に流通しているブランド靴には指定の色見本があるはずだ(クリームメーカーとして当然提案している筈だ、もしからしたら一覧表もあるはず)。「ありません」との回答。そうか、結局「アマゾン」に頼るしかないのか。こんな大きなビルで全部が雑貨なのに、事、一部の専門性を問うと、全く専門性もなく知識もそれなりだ。日経でもロフトが好調とは最近聞かない。一事が万事ってことか。 8月31日(金曜日) 街はいいな 街に住んでいると良さがわからないだろうが、田舎に住んでいると、ヒシヒシとその魅力を感じる。かといって、田舎を放り出すわけにはいかない。この土地で爺さんや両親が僕を育ててくれた恩義がある。どの畑にも、小さい頃の思い出がある。「いも」を担ぐ「ふご」(稲穂で編んだカゴ)にすっぽり入る大きさだった頃は、いつも畑の隅に置かれたこのカゴの中で、農作業を見ていた。これらの土地を手放して都会にくれば良いと友は言うが、そう割り切れない感情が残る。地区の長老も名前で呼べる年齢となったし、田舎の住みにくさはない。今日はすっかり昼飯を食べそびれて、3時に食った。と言うか、この時間に食べると夜が食べられなくなるので、サラダとパンを齧った。夕刻は空が真っ黒くなり、やばいのでホテルまで走ったが、及ばず丁度真ん中あたりで豪雨。コンビニに飛び込んだ(街には数歩でコンビニがある、田舎は車で行かないとコンビニが無い)そこで、傘と、親子丼とサラダを買って雨の隙間を縫ってホテルに帰った。結局この日きちんとした食事はホテルの朝食のみ。まるでインドに行ったときみたいだ。(インドでは夜食がない時もあった)。今日の運動は少ないはずなのに、9時半に眠くてダウン。 8月30日(木曜日) 大阪へ 少しは動かないと、街に着けば運動量が減る、と言うことで、さとうきび畑の端にある草むしりを行った。早朝より1時間半。起きて以降水を飲んでないので少々やばいかなと思いながらも、無事作業を終えた。食事、風呂の片付け、出発準備。そうそう、9月1日にはFM放送で、東京JAZZのライブ放送があります。ラジオのタイマーで、MP3の128kbpsの録音をセットした。昨年は映像さへも逃したから、今年は情報のアンテナを張っている。おそらく来年は東京でたっぷりと見る予定だ。昼過ぎの電車で大阪に出かけた。何と指定席は満員になった。南風号はいつも3両編成なのに、今日は4両だ。都会の15両とかと比べると物の比較にならないけど田舎では、大編成になる。(お盆なんかの混雑時は5両の超編成で、1号車はホームから外れるので下車できない駅がある)大阪には5時半に着いた。「やよい軒」で夕食をとってホテルへ。すぐにディスク・ユニオンへ。Karl Bohmのベートーヴェンとリヒャルトシュトラウスを買う。ショウルーム常連のお客さんが名盤だと教えてくれた。合計4,100円。ホテルに帰ると、疲れでぐったり。坂口安吾を道中読み続けて来たので、少し開くが、いつのまにか目を閉じている。再び読み始めるが、、の繰り返しで諦めて寝た。 8月29日(水曜日) 何だか燃えきらない 日経の5Gに関する記事に信憑性がない事に腹を立てながらも、今日はさとうきび畑の仕上げ。友来襲でしばし頓挫。ピーカンの晴天で、汗だくの作業。作業はきつくはないが、汗が吹き出る。半袖の作業だったので、サトウキビの葉で、腕を切りまくった。農業とはこんなもんだ。新聞で報道するきれいごとでは済まない。いろんな事に、現実を報道する取材力が欠けているような気がする。午後南国市のツタヤで雑誌購入。帰って風呂焚き。風呂から出ると疲れで動けない。録画してあった「ルパン3世」を見る。ブラウン管テレビで見たので黒つぶれが激しい。今の有機ELと同じ。元気回復して部屋に帰るればもう睡魔。テクニクスのアルバイトは収入が少ないので、何か副業が必要だが、農業は疲れ激しく向いてないし、不要なことまでカッチリやりすぎるので、効率が悪く、然も疲れが激しい。 8月28日(火曜日) サトウキビ処置完了 ![]() 8月27日(月曜日) サトウキビ処置に進めない ![]() 8月26日(日曜日) 忙しくさせている10項目 前の仕事を辞めたのでひまになるかと思えば、もっと忙しくなった。何が僕を忙しくさせているか?1)さとうきび畑を引き継いだので、草や、台風や、大雨対策が必要となった。2)崖崩れが6箇所もあり、未だ1つも完成してない。3)崖崩れの原因となった田畑の水はけを完成しないと、大雨のたびに崖崩れが頻発する。4)月に一度の対策で旨く回っていた草退治が後手に回り、トラクターだけでなく、草刈り作業が追加された。5)2016年4月から購入だけになっているHiVi誌、カメラマン、日経エレクトロニクス誌が積読状態で目を通す必要がある。6)LPレコード300枚、CD3000枚を早急にデジタルアーカイブして、倉庫に保管して地震に備える必要がある。7)DVD、BD3000枚にインデックスを付与して、特に映画、音楽は管理ノートを作成し、見たいものがすぐに探せるようにするのが必須。8)クラウディオアバド(60枚)、ベーム(10枚)、クーベリック(60枚)とボックスCDを立て続けに買ったが未だ全曲聴いてない。9)LDを28枚、前回分も含めると60枚近く目を通してない。9)興味のある書籍を買った(20冊くらい)が読んでないままスピーカーの前に積まれている。10)英語勉強をするための時間が確保できてない(毎日2時間午前中)。以上。 高知に帰ると早速、サトウキビの風対策の仕上げ、未対策部分は倒れていたし、対策部分は針金やネジが緩んでいた。道半ばで断念。夕刻、お寺でお盆の火あげ儀式。帰って、食事、風呂を済ませ、ショウルームでLPを録音したデーターをNASとバックアップのハードディスクに保存。その後音質チェック。悩ましいのは、CDに24ビットリマスターしたものと、LPからのハイレゾ録音ものを比較すると、甲乙つけがたいのだ。初期のCDは確かに酷かったが、リマスター版は凄い進化を遂げているのだった。自宅ではLPのハイレゾ保存をDSDに変換しているが、これをFLACにするとパンチ力ある音に変わり、どっちが良いのか悩ましい。オーディオは色々と解のない悩みを抱えて進んでいるのであります。この悩みの時間も相当要しているのであります。 8月25日(土曜日) 懇親会 友人のU氏から強引に申し込みあり懇親会。丸ビル地下。話している間に、昔の仲間が亡くなっている事や、先輩の難病とか暗い話題ばかり。友人のK氏は「これから先いい話はない」と。正しくその通り。次はお酒の話。ワインと日本酒がその代表を務めてくれますね。結論は、ワインは外国で飲むのが一番うまい。そらそうでしょうとも、食べ物に合わせた酒ですもの。だから、日本酒もどんなに頑張っても、珍しさでは輸出できるのでしょうがメインとはなりません。に行き着いた。次に高知の話。11月ゴルフのプレイにやって来る事で話がまとまった。息子を接待したレベルでメニューを考えよう。何せ一人だから、いつでも歓迎だし、来客も気兼ねがないし、家屋は古いが広い。売り物の薪で焚くお風呂もある。100インチのシアターもある。両親の世話の話は、聞くのみとなった。孫の話も同様。僕は家族が少なく、テレビも見ないし、新聞も社会面は見ない、日本の音楽は聞かない。それに少々変人奇人の傾向があるので、話題が少ないから、お酒を飲みにいてもつまらない人間の一人だと思っているが、誘ってくれるのでありがたい。 8月24日(金曜日) 〇と×とが混在 この接客業は面白い。自分の趣味が仕事に通じている。昨日買ったトリスタンとイゾルデも、お客様と一緒に聴き、評価しあった。何せ、バーンスタイン指揮だからね。同時に買ったブラームスの1番は、ベームの最高傑作の一つだと教えられた。 ベームはモーツァルトだとばかり信じていた。だが、こんなに楽しい仕事にも落とし穴がある。予約いっぱいで昼飯が30分しかない。食事場所は同ビルの9階なので、往復に10分要するから、掻きこむような食べ方だ。それでも、合間を縫って、John ColtraneとバドパウエルのLPはハイレゾでICレコーダーに録音した。高知に帰ってから編集だ。お客さん持参の歌舞伎LP「勧進帳」を聞かせてもらったし、解説も頂いた。ホステスさんじゃ無いが、指名もあった。一つは、貴方はいついるの?いる時に来るわ。もうひとつは、この日には、英語で対応して欲しいと事務局から。フランス人らしい。フランス人に英語は無理だよと答えたが、日本に来るフランス人は大丈夫と言う?もう一つの問題は、ホテルでよく眠れないこと。田舎でのエネルギーを少しづつ減らして対応。高知ついたときはフラフラだ。 8月23日(木曜日) 台風接近に伴い早めの移動 今回の台風は報道ほど被害がないと見た。しかし、電車は止まるので9時半の電車で出かけた。和食の海岸は普段より50mほど手前で波がうち、防波堤に波の先端が届いていた。盛大な潮霧がが発生していたから、帰ると窓拭きをしなければならない。海岸から1km以上離れていてもこれだから、海岸淵の住民は多分ガラスがベトベトのはず。(よく、定年後海の見える家に住んで、云々があるが、瀬戸内以外は大変だぞ)以下、潮のはなしで、芸西村が保有するブルトーザーが海岸の松林の中に停めてあるが、何とキャタピラのカバーが、この潮霧で錆びて、半分くらいが無くなっていた。それ程の力のある潮霧。扇風機も冷蔵庫もエアコンも錆びてしまう。それ程すごい。塩害防止のエアコンはあるが、冷蔵庫やテレビやアイロンはない。列車は問題なく岡山に到着。23分の待ち合わせがあり、レストランでカレー。これが、予想に反して結構美味いのに驚いた。ホテルに投宿ののち、ディスクユニオンへ行った。新宿や御茶ノ水でしか買えないLPがここ大阪でも買える。Karl Böhmのブラームス全曲。Martha ArgerichのChopin。ワーグナーのトリスタンとイゾルデ。何も新品だった。中古の書籍Brian PriestlyのJazz on Record a Histryを買った。音楽はもう十分あるが、どうしても店に入ると買ってしまう悪い病気が出た。でも〆て3、900円。しばらく歩き、ウイン企画本社へ。セキュリティが施されて、一般人は簡単に入れない事務所だった。その後堂島のジュンク堂。Amazon、イーロンマスク、MUJI、交雑する人類をメモに控えた。電子書籍があるものはそちらで対応。無い物は、アマゾンで注文し高知で受け取るとした。余暇は、二進も三進もならないガチガチのスケジュールとなるだろう。 8月22日(水曜日) 正しい報道 ![]() 8月21日(火曜日) 物忘れ 残念ながら、逃れようのない税金。住民税の請求書が届き20万円を払った。併せて健康保険の請求書が届きこちらも5万円振り込んだ。さらに、親戚の3回忌にお包みを持っていった。貯金が、前職を始める頃に戻った。仕事を辞めるということはこういう事か?もう少し収入を増やさないと70歳まで持たないなぁ。でも、仕事をした関係で時間を食われ、英語力も随分と低下している。当初の計画通り、午前中は英語の勉強。午後は農作業を順守。する事は山積しているが、午前中は部屋にこもった。午後、まずは、台風接近に、田畑の水回りの整理。降った雨を逃す作業。鍬で土を掘り、溝を作る。これは大変な作業。肩で息をする事しばし、喉が渇き僅か5分ばかりの山道を辿り家で水分補給。この道中の長いこと然り。取り敢えず西の田畑全部に処置をしたのが午後4時。15分くらいその場でへたり込んでエネルギーを復活させて、風呂を焚く。水が風呂桶にいっぱいになる頃、お湯が沸いて、早速浸かる。気持ちの良い風呂だ。減った水を補給するため水道の蛇口を捻った。買い物。帰ると風呂の水は出しっ放しで、お湯は元の水に戻っていた。もう一度風呂を焚く。水道は井戸水をくみ上げるので少々の電気代だし、薪はそこら辺に転がっているから、おそらく経済的な損失は10円以下で被害はないが、昨日といい物忘れの度合いが激しくなっている。つらい作業で、食事を終えた夜は、音楽に接することもできずダウン。 8月20日(月曜日) 高知へ いつものように7時半の列車で岡山に向かう。新幹線口を出て在来線の構内にあるセブンイレブンでコーヒーをお願いすると、「売ってません」。新幹線構内のセブンならあります。それとも、一旦外に出てセブンに行けばあります(当たり前)。高圧的だ(結局売れているので横柄になるのか)、それで付近を見ると何のことはない、向かい側に「ドトール」があった。こちらは客が少なく親切だった。人間は、職業によって性格を歪められるのでやばい局面を見たわけだ。列車の中では、ヤンソンの記事を読み終え、坂口安吾の全集に移行した。1万ページを超える大作で、書籍を持ち運ぶと10kgは優に超えるが、kindleのホワイトペーパーでは片手で持てる簡易さだ。著者は人間観察の切り込みが深く、本質を突く。戦後直後の事だが、根本は今と全く変わらない核心で驚き。クラシック界ではフルトベングラー絶賛が多いが、戦争体験が人に与えた影響の一つに、芸術の面で人間に深みを与えたのだろうか?とにかく「昔は今もある」と言うのが結論。和食駅下車、芸西村の中心地のローソンで弁当。その前で3台の交通事故。明らかに車間距離が短いための追突。運転マナーは無茶苦茶になっているから、鉄槌が降ったのだろう。帰って、iPhoneにハイレゾをインストール。USBにデレクトリを切るとテクニクスの機器で認識しなかったため。次にアマゾンから今しがた届いたオリンパスのICレコーダーにハイレゾでLPを録音。LPとの比較試聴。高域が少し甘いかな?でも、安易だし、ショウルームのLPはこれにそっくり記録するつもり。石積み作業2時間。夜須のセブンにクラディオアバドのCD引き取り。今年いっぱい聴きまくっても、聴きれない量となった。帰って、エルビスプレスリーの映画2本と、ジェフベックのライブをBDのに落とし見ようとしたところで、iPad Proを帰りの列車の中に忘れたことが発覚、JRに電話をして中村駅にある事を確認。本日22時に高知駅に帰ってくると言う。明日6時に伺いますと返事。 8月19日(日曜日) ガンガン読める 列車の移動、風呂の中、出勤前の喫茶店。昼飯。この時に本を読んでいる。2016年3月以降殆ど読書ができてなかったので、復活。年100冊オーバーが目標。読めば読むほど悲しくなるのは、日本が世界の中から相当遅れをとっている事。例えば、日本には配車アプリのウーバーがない。民泊のエアB&Wが表立って活動できてない。Eスポーツもない。太陽光発電は18円で売買している(世界最安は2.3円)。働き方改革で生産性を上げる事に固執している(もっとイノベーターが必要なんだけど)。などなど、かなり致命的な状況にある。安倍さんは、既得権益にからまれて改革スピードがおそい。それに温暖化に対しても、火力、特に石炭などを燃やすには、原子力発電の地震対策よりもリスクが高い事を何故、見識のある知事さんはわからないのだろう?ま、そんなことはさて置いて、今日もクラシック談義。トスカニーニ、フルトベングラー、バーンスタイン、について。音楽への見識をお客さんは述べて、僕は録音技術が再生音響に及ぼした影響を述べた。いやぁこれが仕事?とは申し訳ない。明日の帰りはニューヨークタイムズに掲載していた、指揮者ヤンソン氏についての記事を読もう。読む速度は随分と落ちるが、新鮮な話題だ。知っておくのに越したことはない。 8月18日(土曜日) あのヨドバシが危ない 今日から仕事。クラシックについては、ジグソウパズルの間を埋めるように情報が飛び込んでくる。それでいてお給料をくれるから、こんなに良い仕事はない。同じ年齢の人たちから生き方について学ぶこともできる。僕より幸せな人がたくさんいるので羨ましいが、僕には孤独と静寂と自由がある。これ以上何を望む?先週は、引き継ぎで、自由に出来なかったが、今週からは、僕が主人だから、疲れはぐっと少ないと言うか、全くない。欧米の人たちが来るから話しかけたいのだが、あいにくと僕には日本人の客が付いていて英語の勉強は出来てない。この仕事は、音楽と英語の2つ目的があり、その一つが進みにくい。そして、もう一つ、音楽に関しては、ここにはお宝のLPレコードが山のようにある。これを何とかしないでどうする。と言うことで、ヨドバシカメラにICレコーダーを買いに行った。タスカムのレコーダー。こちらは光入力があるので狙い目だったが、在庫をしてないとの事。また、オリンパスは取り扱いがない。アマゾンを開くと両機種とも明日発送。あのヨドバシでもこんな事が現実起きている。地方では当然ながら、こう言った特殊な機器の販売はないからアマゾンに頼るしかない。となれば、一般的な家電品でビジネスを展開するはめになる。それは、アマゾンも、ヤマダ電機も、上新電機も気持ちは同じ。混戦は利益が減る。となればブルオーシャン戦力しか生き残る方法はない。丁度同じ場所にハズキルーペがあった。展示は荒れていた。そう言えば、小梶さんが今朝会いにきてくれたのを思い出した。誰から情報を得たのだろう。 8月16日(木曜日) 嵐は去った 日本中に大雨をもたらした嵐も去ったが、岡村家にもたらした嵐も千葉に帰った。雨の中、ご先祖様にお参りをさせてから、車で空港に送った。空港で息子を降ろしてから、ホットした。やっと自分の時間がやって来る。帰ってラジオ英会話を聞いているといつの間にか居眠りをしていた。お疲れだ。自分の部屋に帰り布団でまどろんだ。でも目が覚めてもなんとなく眠いが、寝てばかりではいけない。今日中に済ます要件がある。まずは、USBにオーディオファイルを入れる事だ。フォーマットはFAT32.もうWindows10ではサポートしてない。無料ソフトを取り寄せてUSBをフォーマットする。ついでに、デレクトリも2つに分解した。これで、午後の時間は終わり、お風呂、買い物といつもの定番行事。明日は出かけるので、今晩食べるものだけのお買い物。ところが、新ものの青森りんごが並んでいたのでつい手が出た。この手は避けられない理由がある。それは、青森担当をした2012年。ねぶた祭を終えると秋がやってきて、リンゴを農家が出荷しはじめた。高知で買うリンゴは小さいが、青森の農家で買い求めるリンゴは大きく、高知の新高梨程度(ソフトボール)の大きさがある。車に積んであった果物ナイフでさっそくかぶりつくと、口の端から果汁がこぼれ落ちた。何たるジューシーさだ。そんな思い出があって、頭の奥では北原レミイの石狩挽歌が流れていた。僕にとって、この組み合わせは強烈な想い出だった。話は逸れたが、やっと平和な時が戻ってきて、身の回りに手が回り始めたということ。息子からメールが届き、もう暫くは今の会社で頑張ってみるとのこと。 8月15日(水曜日) 信じられないような雨 ![]() 8月14日(火曜日) のいち動物園 ![]() 8月13日(月曜日) 息子は街へ ![]() 8月12日(日曜日) 懇親会 朝方、物凄い雨が降った。僕は疲れていて、遠くで雨音を聞きながら眠りの淵にいた。7時前に目覚めた。息子は起きて母屋でテレビを見ていた。この雨では「よさいこい」を見に行くわけにも行かず、本を読みに息子は図書館に向かった。僕は、家の清掃を済ませて、庭木の剪定、その後、サトウキビの草引きを行った。草は力強く成長して力比べの様相、1m進むのに10分要する。当然今日中に終わるわけなく、息子は図書館から帰ってきたタイミングで切り上げて、風呂を沸かし、ヒト浴びして(温まるのではなければ、水が風呂桶いっぱいに溜まる時までにひと肌温度になっている)、牛肉を買いに街に出た。土佐赤牛は高価だが美味い。こん夕は友人と、その兄さんを迎えて懇親会。僕の料理は味付けが不味く十分ではなかったが、素材の旨さに助けられて、皆さん納得。サブに、クロウリとアジの酢和え、トマトとチリメンジャコのサラダ。芸西ならではのメニュー。野菜不足にならない献立でこれはGood。8時過ぎに解散。今日は僕が先に風呂に入り息子は後、自分の部屋に帰りクーベリックのスメタナ、「我が祖国」を演奏したのが9時。Web「ハルくんの音楽日誌」がもっぱらクラシック音楽の先導役。結構参考になる。酔いもあって、音楽は半分程度聴いただろうか、限界がやってきてダウン。 8月11日(土曜日) ![]() 8月10日(金曜日) ウィンフィルとベルリンフィル ウィンフィルは指揮者を選ぶ。ベルリンフィルは指揮者の言うがままになる。そんな言い伝えがある。僕はウィンフィルはしなやかで、ベルリンフィルは力強い。クラシック音楽は約1時間の長編物語。じっくりと演奏に対峙しないと、指揮者の意図が分からない。半面、その膨大な時間は頭にとって空白時間。これが、仕事や私生活にいい影響を及ぼさない訳がないのだが。都会のビジネスマンは忙しすぎるので、入って来る情報を整理する間もなく次から次へと情報を食っていく。牛の反芻のように、差し戻しが必要な気がする。僕のビジネス生活40年間は、それなしで生きてきた。今こそ、実践。それでクラシック。だが、クラシックを聴く機会がない。やっと最後に、本格的なクラシックファンが訪れて、談義となった。僕の抱く思いと差異はない。もっと早い段階からクラシックにのめり込んでいたら、別の人生を送れたかもしれない。外国人相手に何回か話す機会もあった。そうこうしている間に、日本人も来て、ミニイベントみたいな形になった。人様の前で話すにはネタが必要。ネタは、音楽演奏の5分間で考える。そして、演奏の繰り返し、1時間何とか乗り切った。エキサイトな時間を過ごした。友人も訪ねて来てくれた。ユニクロで販売していたTシャツを持ってきてくれて感謝。夕食にベジタリアンのレストランへ行った。焼き野菜とライスのチーズリゾット。どちらともおいしくなかった。でも、体に良い事をしていると満足した。¥2500。次回はデパ地下で野菜サラダ数種を買って挑戦。 8月9日(木曜日) アルバイトだが仕事を始めた。前職はエクセルのスキルを問う仕事。今度は、音楽談義の聞き役になる仕事。インタビューの基本は理解してあげる事。「はいそうですね」、「それは凄いですね」、では共感を得られない。どんなに凄いのか察してあげることが肝要。言い換えれば、同じ視点に立つ事。でも、今日接した人は、1000万円程の設備投資をしているかた。その視点になれって言われても無理がある。そんな場合は、一番自分が理解できるポイントだけを拡張する。まぁそんな具合で大体が収まる。だが、20才の女性だけとか、男性だけの場合は、ちょっと事情が違う。文化が違うし、価値観が違うし、経験が違う。そこに共通のパイプを敷くのは至難の業。手がない。今日は引継ぎだから、その手の内を勉強させてもらった。徐々に僕も経験を積んで対応力を身に付けることが求められている。その間に1時間程度会社のオリエンテーションがあった。相変わらずきれいごとを並べた方針ばかりが続き、誰が、いつ、どのような方法で、どれだけの成果を出すのか不明確。あぁこれは実現しないなぁ。と思った次第。通り魔への危機対応マニュアルもない。しかし、クライアントさんに対しては、もうご意見を述べる必要もあるまい。なぜなら社員で無いから。今日は妙に疲れて、7時に終了したが、ご飯を食べてホテルに直行。 8月8日(水曜日) 久しぶりに四国を離れる。JRの南風2号はこれでもかと冷房を効かせて、私はスーツの上着を着てもまだ寒い感じだった。岡山駅で乗り換え、人の多さにビックする。芸西村で、せいぜい多くても20人くらいしか人の塊を見たことがない生活を送って来たので浦島太郎だ。大阪梅田に降り立った時は、それこそ、目が回るような人、人。完全な田舎のおっさん状態。今回の上京はここで仕事をするためだ。会社の仕組みやビルの仕組みを教えてもらう。大阪人の親切さに戸惑う。高知では考えられないような親しさがある。高知はそれだけぶっきらぼうなんだと今わかる。四国八十八カ所巡りの人びとが、高知を支持しない理由に納得。荷物は多くなるが出張に音楽と書物は必須用具。音楽は、iPodを空にして、クーベリックのマーラ、メンデルスゾーン、モーツァルトの3枚を持ってきた。ダイナミックモーションのヘッドフォンのパッドが壊れていたので、ヨドバシで補填した。このパッドは収縮率が大きく、耳へのフィット感は抜群だ。低音が少なめと思っていたこのヘッドフォンは実は相当な量が出ていた。書籍は時間が無かったのでアマゾンで「口笛上手な白雪姫/小川洋子」とiPhone用にアップルから「2022年の次世代自動車産業」の2冊をインストールしてきた。2冊も読まないけど、気分が乗らなかったら、片方の本を読むためだ。ところが、今晩は疲れで、Mahlerの9番途中でダウン。 8月7日(火曜日) 今日もきっぱりと迷いなく晴れ上がった。午前中は昨日の疲れで体が動かず、併せて買い物があったので野市まで出かけた。石を割るにはセリ矢が最適だが、セリ矢の為のドリルが必要。そのドリルの歯を買いに行った。ここで判ったことは、インパクト付きのドリルでないと回転だけで穴をあけるのはかなりむつかしいということ。そのドリルは4万円強の価格なので、少し手が出ない。今回は少し小さな径の回転用の歯と、セリ矢と同じサイズのインパクト用の16㎜の歯を購入した。昼から石積みと併せて石に穴をあける作業に着手したが、指摘されたようにこれはなかなか難しいことが分かった。なかなか穴が進まない。少し気長にするのか、もしくはインパクト用のドリルを借りるか?こちらは後回しにして、石積みに取り掛かった。今まで2次元だったのが、今日からの作業は3次元(縦方向と横方向と奥行き方向)となり、難しいし、強度の事も考えなければならない。途中でセメントを流し込んでどうにかならないか試みるも、風呂桶の小さな器でセメントを練るのでは全く歯が立たない事が判明。こちらも、完成後にセメントを流し込もうと先送り。石積みは適度な大きさの石と、隣り合う石の形状を合わさなければならず、結構むつかしい。今までのように汗はかかないが作業の進みが遅くなった。切りの良い所で仕事を終えて、風呂、食事。早めに終えて音楽でも聴きながらゆっくりしようと思ったが、友人から電話がありいつもの時刻となった。今夕はカラヤン指揮ベートーベン6番。LPレコードでもこの曲はあり、こちらがゆったり感では上。疲れで頭が朦朧としていることもあり、正しく判断できたわけではない。 8月6日(月曜日) 風呂について ![]() 8月5日(日曜日) 取り敢えずは石積みを完成させること ![]() 8月4日(土曜日) いよいよ始まった、定年後の生活 ![]() 8月3日(金曜日) いよいよ今日で仕事を終えた。最後のレポートを検証していると、随分と間違いがある。エクセルの行を一行間違って計算しているのが多い。エクセルの大きなパレットの中で、ディスプレイに表示させるのはごく一部で、全容を見渡すことができないから、このようなミスが発生する。42型の4Kくらいを使えば問題解決だ(実現しないけど)。でも、仕事を終えたからと言って大きな喜びが湧くわけ無い。昨日から今日への延長があるだけ。年取って感激が薄れたのだろう。夕刻スーパーに行って、食材を買って調理した。老人の一人暮らしはそんなもんだろう。新聞でジムニーの新製品を知った。家電以外の情報察知も遅くなっている。新人のマネージャーが業務について電話して来た。午後8時半、メールで返信した。退職の挨拶文面を送ったら、数名の方から返信。これが人間味のフィルターをかける意味か?お風呂に浸かって、自分の部屋に引き上げ、カラヤンのLDを見た。カラヤンが登場する最後の映像。チャイコフスキーピアノ協奏曲1番。ピアノはキーシン。厳しい顔つきのカラヤンが、キーシンのピアノに聞き耳を立てている。一方キーシンは、まるでカラヤンの指揮みたいに、胸をそらして目を閉じピアノを弾く。17歳なのに動じてない。LDの様な昔のメディアでも、ベルリンフィルの力強い弦が確認できる。まるで軍隊が足並みをそろえて行進しているような強引さがある。ドイツ人はこれが好きだろうなと想像する。後12日間毎晩LDを見続けて、やっとオークションの買い物を見終えることになる。今回は14枚で1,100円だった。 8月2日(木曜日) 朝晩は結構涼しく、7月のような燃えるような夏は去った感じがする。もちろん日中の暑さに変わりないが。お風呂に入る前に、部屋の冷房を入れるが、お風呂から出た時は30度を切っている。7月の猛暑時は、32度に張り付いたままだった。台風12号の後から気候は変わった。それに、虫の音が高くなったし、種類も増えた。都会ではわからないだろうが、小さい秋見つけた感じ。母屋に向かう時、空を見上げれば火星が輝いていた。報道されるように結構明るい。黄色く輝いている。今日は注文したLDがもう届いてしまった。14枚のうち既に持っているのとダブったのは2枚。今日は、そのうちのSir Georg Soltiを取り出した。チャイコフスキー交響曲4番。名演。氏(師)の演奏はメリハリがあって、オーディオ向きだ。指揮も非常にわかりやすい。カラヤン、バーンスタインの時代に、この二大巨匠に振られない独自の地位があった。この人の対局はカールベームだろうと思う。何れにしても。LDは昔の指揮者がイメージ通りの若さで登場してくれるからうれしい。年取った昔の人を見るのは辛いものがある。今日は、友人からコスモスベリーズで四国担当として仕事をしないかとお誘いがあった。週2日のアルバイトがあるので、動けないと応えたが、ゆっくり考えたら良いと言う。それに、この膨大な音楽資産に目を通す時間はどうする?睡魔のため夜の音楽は毎晩全曲を聴き終える事なく終わっているし。 8月1日(水曜日) またもやお宝 Valery Gergievは世界で最も脂の乗っている指揮者だろう。ベルリンフィルを指揮したSimon Rattleよりも評価が高いかもしれない。(少なくともCDレコード業界では、確実に高い評価)先日NHK-BSでシェーンブルン夏の夜のコンサートの指揮者として登場した。ウイン・フィルを振った。ベルリン・フィルよりも「しなやか」かも知れない。これに、今最も注目されているオペラ歌手、アンナ・レトルプコが登場し、トスカの一部を熱唱した。オペラ歌手とも言えど、美人で無くてはまずは世界に通用しない。その上での歌唱力だ。それだけに、こんなライブな会場でも音程は全く外れない、さすが(夏のロックコンサートなんか、わざと音程をはずしているんか!と思われるプロのバンドがいる)。若い女の観客は結構冷ややかに見ていのがおかしく、おばさんになると、好意的だ(その心理はわかります)。後半は、オペラ「アイーダ全幕」。こちらは、リカルド・ムーティが指揮する。ムーティはクライディオ・アバードの名声に隠れていたような感じだが、彼の死後、結構露出が増えたような気がする。アイーダ役にネトルプコ。今日は見る事ができない。昼間スマホをいじっていたら、オペラのLDが売りに出されていたので、申し込むと当たった。14枚やってくる。見る時間がない。どうしましょう。最近クラシックに傾倒しているのは、エクセルの計算式と妙にマッチするからだ。結構複雑に連結した計算式を紐解く頭の部分と、クラシック音楽を理解する脳の部分が対局にあるのか、それとも同分野なのか不明だが、相性が良いと思っている。 7月31日(火曜日) 昨日は芸西村から出たついでに、届いていたカールベームのCDを引き取った。(田舎に引きこもると用事がないと出かけないので、こんなことが起こる)眠いのを我慢してモーツァルト交響曲40番を演奏した。付属のブルーレイオーディオがあったので、こちらで演奏。なんて事だ。DMR-BW680。相当古いBDレコーダーだが、ここから出る音は鮮烈極まりない音だった。まさに、眼が覚める音だ。普段聞かない楽器が聞こえたりもする。どう理解すれば良いのだろう。ずっと昔の録音なのに、今に蘇った。こんな事が有るから、オーディオは止められない。かと言って、CDが不味いわけでもない。じっくり聞き込めば、きちんと音は出ている。モーツァルト交響曲全集なので、今晩から順番に聴いて行く。夕刻友人を呼んで焼きそばパーティを開催した。180円の焼きそばでも結構喜んでくれた。友人はビールを飲んだが、僕は水。夜に聴く音楽の為だ。カールベームの演奏は、空間を上手く再現しているような感じ。剣道でも上手くなると、段々と年齢が上がってくる。その人たちは、動かず試合を行う。つまり将棋のように先読みをするわけですね。そして隙があるかどうかを見極める。そんな、極地の緊張の中にこの人の演奏はあると思う。若い演奏家のほとばしるようなエネルギーのある演奏もいいが、断然こちらが良い。※後日タワーレコードからメールが届き、40番、CDはウインフィルだが、BDオーディオはベルリンフィルだとのこと。別途ウインフィル版を送りますとの事でした。(私にはこの違いが判らなかった) 7月30日(月曜日) 白タクが捕まった。成田や羽田で、中国人のドライバーが外国人観光客を相手に営業をしているとのこと。決済は香港でネット処理。金額は4倍くらい高い。それでも、言語が通じるので便利とか。日本タクシー協会は警察に取り締まりを依頼している。何とも寂しい話ではないか。日本が開かれてない証拠だし、日本のタクシーは安いのに客がつかないと言う、何とも頼りない話。アフリカの国で子供の教育を行うNPOは現地語のフランス語ではなく、英語で教育をしている記事を読んだ。英語だと世界で仕事ができるから、がその理由。日本は変化のスピードが遅すぎるように思われるし、戦略もない。政治が大衆人気(ポピュリズム)に移行してきているが、安倍さんは違う範疇らしいが、彼には先に対する戦略がない。人口減少に対し、移民の問題や、言語の対応など早く手を打たないと、解放はするが誰も来てくれなくなる。外国人に日本語の適正能力を要求するのではなく、日本人が外国語への適正能力をつけるべき時代になったのでは。肩こりがひどく、プールで1、000m。憑き物が落ちたようにスッキリした。石積みで体を動かしているから、運動は控えてもいいかなと思っていたが、カラダ全体から見れば凄く狭い範囲の運動でしかなく、視野が狭まっていた。このように日本も凝り固まっているから、一度リセットする必要がある。石破さんはできるかな? 7月29日(日曜日) 台風 昨日の過労がたたり、朝朦朧として目が醒める。台所の椅子に座り、これから何をすれば良いのかしばらく考えた。そうだ、先ずは、国土交通省の雨量レーダーを見よう。チェックすると、奈良あたりの雨量が多いかなという感じ。ついで、NHKのテレビ。被害はないが、やはり、奈良県では相当な雨量が記録されていた。高知は、梅雨のシトシト雨程度。iPadでニュースや新聞を見て9時までダラダラと過ごす。そう、日曜日はこうしたダラダラの時間が必要なのだ。食事の後、風呂に入って歯磨き。昨晩の残り湯がきっちりと熱いまままで残っていた。HiViを読み汗をかいた。しばし休憩の後、拭き掃除。この拭き掃除のお陰で1週間穏やかな気分で過ごせる。10時からホームページのサイトアップ。途中で昼食と、昼寝を挟んで4時完成。晴れ上がったので、土砂崩れの対処。大きな石は持ち上げられずパス。ドリルで穴を開けて割るつもり。6時一旦終了。買い出し。夕食は昨日作りきれなかった、かぼちゃのそぼろ煮。シイタケとネギをオリジナルとして追加。鉄板の余ったスペースに、じゃがいもを載せた(ポテトフライのつもり)。今日の発汗は少なく、塩を少し控えたので、味の不満が残る。調理に料理酒がなく、甲府のワインを使った。色が綺麗で少し試飲するとなかなかのフルーティ味。つい飲み過ぎてしまい、料理は食べ切れなかった。台風一過の抜けるような青空がやって来たが、夕食時には雨が来た。寝る前は星が出てた。 7月28日(土曜日) いつもとは違う土曜日 ![]() 7月27日(金曜日) オームの死刑囚が死刑。 死刑は早すぎた。こんな記事がある。じゃ、批判する人たちは一体25年も何をやって来たんだ。何も語らずに済んだと言う。じゃ、語ったら対策はできるのか?できっこなんかないと思う。別の新たな殺戮が起きるだけだ。神奈川県で身障者を殺害した少年は、事件の前、精神異常で通院か、入院してた。が、退院できた。犯行はその直後、ではその担当医に責任があるのか?ありません。老人ホームで、点滴に消毒液を混入させた看護師を誰が察知出来た?採用した医師か、人事担当に責任はあるのか?ありません。犯罪は社会の反映であるから、社会が変化する限り、犯罪の性質も変わる。過去の事件を紐解いて犯罪が無くなるなら、とっくの昔に、住み良い社会が実現できている。紀元前3000年くらい前から、メソポタミアでは、旱魃によって農作物の収穫がなくなり、王国が滅び、略奪が蔓延する社会になったとあるが、昔から人類は殺害を繰り返して来たのだ。今更、何が変わる。夕食はカレイのあんかけ、もやしの和え物。電子レンジに付属の鉄板2段を使って仕上げる。準備に時間がかかるが、セットして18分で完成する。カレイの方はうまく上手くいかなかった。もやしの方は絶妙な味。でも、野菜を多めに献立できるから、外食でバランスに気を使って食べるよりは随分良い。価格は、酒を飲まなかったら、同じくらい。1,400〜1,700円くらい。友人を呼んで来てもこの範囲だから、1人前と2人前ではほぼ価格は同じ。夜の音楽はカラヤンのヨハンストラウス。お正月の雰囲気。厳しい顔つきで振るカラヤンはこの音楽には向かない。笑顔の良い、カルロスクライバーが似合っている(ようなきがする)。彼は、指揮に手を使わず、身体を振って指揮している時がある。それがこの曲に見事合っている。芸術だと思った。明日は午前中に仕事が片付き、午後は崖の修復にとりくもうと思うが、台風の関係から雨らしい。逆は出来ないから困った。 7月26日(木曜日) 不覚をとる ![]() 7月25日(水曜日) 今日も引き継ぎ 嬉しいメールが届いた。毎週末頭を悩ます商談書のまとめは、引き継ぎの方が引き受けてくれると言う。土曜日は週報のまとめだけで良い。頑張って金曜日に済ませば、土曜日は休める。この土曜日の代休は8月1日で、退社後だから、理屈では土曜日休んで当然なのだ。今更、休みが足りないと駄々をこねるつもりもなく、僕としては、少し拍子抜けの感ありだ。須崎〜佐川へ回り、暑さは極度に高まった。山越えではエンジンの回転が上がり、よく冷えた。25年前のエアコンはよく働く。フロンを使っているからかな。安芸市での仕事を終えたのが、午後5時。急いで帰り、報告のあった資料に目を通し修正を加えたのが午後7時。これで本日の仕事は全て終了した。再び安芸市へ行って、元気風呂。熱い風呂と、冷たい水に交互に浸かると、足先がピリピリして来た。血管が切れているような感触。ここの水風呂は信じられないくらい冷たい。痛いと言って良い。お湯と、冷水を繰り返すと元気が出てくる。店の看板に偽りなし。(でも、後で、綿のようにだるくなる)食事を終えて帰ると午後9時。エアコンを点けて暫くするという、もう眠くて我慢できない。歯を磨くのも、しんどいって感じ。最近の毎日が、こんな感じ。以前は水泳とかで理由があったが、最近は理由が見つからない。退職して自由になれば、ただ寝るだけの生活に突入するのではないかと心配。 7月24日(火曜日) 今日と明日は引き継ぎ。 リーダーは香川県からやって来た。高知道は新宮から大豊まで片側通行。だが、あまり混雑はないらしい。猛暑だったが、駐車は建物の下に停めて暑さを免れ、得意先の店舗の中で仕事をしたから、酷暑には至らなかった。流石にまだエアコン客は大勢いた、8月の半ばにならないと据付は出来ないのだが。これは業界の常識だが、暑い時に買うエアコンは安価なものばかり。それで、この店も、コロナやアイリスオオヤマのエアコンを階段に溢れるまで在庫してあった。引き継ぎの挨拶は忙しい店内の状況でかなわず、パスすることもあったが、それはそれで仕方ない。夕刻に終えて帰宅。お風呂をたいて、再び自転車に乗って高知市へ出かけた。リーダーとその友人達との懇親会。会場は「はっけ酔い」だ。帯屋町の外れを北に一本筋を違えるとこの店はある。他に客があったことはない。いつも貸切。味は普通で、値段は高い。僕は電車代を入れると8、000円くらいかかる。月に一度の事だから、いいかな。ここでは高知県の食べ物と家電量販店の状況が隈なく解る。と、言うのも、彼らは現役の家電メーカーのセールスだから。女子社員から店長の病気まで。9時になると失礼する。9:27の電車で爆睡すると、和食駅に到着。10:17。これから自転車を漕いで15分。37mの高低差のある坂道を上るのがしんどい。 7月23日(月曜日) 最高の温度 今日は妙に気温が高い。仕事部屋で温度計を見れば、29、7度を示している。扇風機をつけて部屋の風を回せば、29、2度に落ち着いた。暫くはこの近辺を漂っていたが、昼食の時間扇風機を切ると30度を超えていた。夕刻まで仕事を続けた。30、4度が上限だった。この程度だと、まだ、エアコン不要だ。ヤマト運輸さんが、日経エレクトロニクスを配送してくれた。今日が一番暑いね。「そう、仕事は夜まで続き大変、日が落ちると気温が下がるので楽」との事だった。この天候が続く間に、大日様の広場に積み重ねてある、腐った竹を取り出し炎天下で乾かそうと少しだけ作業。汗が吹き出る、メガネに滴り落ちて視界が曇る。風呂を焚いた後は、夕凪の時刻となり、窓を閉めてエアコンを入れた。汗に濡れた体は少しの風でグイグイと冷えるから5分もたたないうちに、快適になった。今月の纏めを作成していたら、次々と新しいアイディアが湧いてきて、結構忙しくギリギリの時間まで仕事をした。夕食は買い置きの材料があったので、HEALSIOに問いかけた。このレンジはWiFi接続ができ、材料名を喋れば、シャープのクラウド上にあるデーターベースに問い合わせをして、レシピを表示してくれる。そのうちの一つを選んで調理すればよく、面白い。今夕は椎茸のオイル煮。ピリ辛で美味かった。もう一品はゴーヤと玉ねぎと、クリームチーズ。これは前回挑戦したが上手くいかなかった物件。今回わかったのは、クリームチーズは切るのではなく、料理に絡ませるのが基本。今まではサイコロのように切り刻んで料理の縁に添える感じ。チーズがあまりにも柔らかいので、切るのが大変だった。 7月22日(日曜日) エアコンつけっぱなし ![]() 7月21日(土曜日) 朝から職場にこもり、書類の作成。9時ごろは、山からの風が海からの風に切り替わる頃で、凪の時間帯。少し暑くなるが、扇風機で対応。しばらくすると、南風が吹き出した。太陽は段々と南に移動し、北の窓から朝日が差し込むのも減ってきた。この異常気象でも、まだCO2排出による温暖化とは言えないと書いてあった。最悪でも後20年くらいはこのままだろうから、将来のことについて考えなくて良い僕は、目くじら立てない。自分が死んだ後も、夏はこうして蝉が鳴き、キリギリスが盛夏を楽しむだろうか?自然の音以外は何にも聞こえない中で黙々と作業を行う。頭を悩ますこの書類も後2回で終了だ。この書類のある限り、僕には休暇がない(ように感じた)。書類作成で学んだことは多いが、それが今後の人生でどう生きる?生きない!(だろう)。午後4時に完成。お風呂を焚き、再び月末提出の書類の準備を行う。レイアウトはめちゃくちゃでも、大まかな構築は出来た。数字を当て込み、色を変更して大きさを整えれば完成するだろう。これは30日から8月2日までに完成させれば良い。個人のためにもこれは死守しなければならない。夕食は、自炊だ。前から考えていた事の一つに、退職すれば、電子レンジを買おうと。レンジはシャープのヘルシオ。154,000円。機種選定では名古屋のヨドバシカメラで説明を受け決めた事だ。簡単に言えばオーブンが良いのは日立、付属の鉄板が良いのはパナ。満遍なく調理できるのはSh。だった。そのShは先月末に新製品に切り替わり、僕の狙っていた機種は処分となった。ヤマダ電機の石川さんにお願いして、安値を出してもらい先日購入した。この一年の自炊で、レシピ通りに調理をすれば、どんな料理も90%近くはできることがわかった。料理は熱と、塩加減で決まるからだ(昔から塩梅と言うではないか)。そこで、熱をプログラムでコントロールできる電気調理器は凄いことだと思う。世の中の主婦の料理は多くが「感」だ。何故なら、この機器に付いている180ページにも及ぶマニュアルを読んで調理なんかしない(出来ない)。ところが、僕はこの感がない代わりに、電子機器ならどんなマニュアルだって読めるし理解できる。電気調理機器と書いたが、実は今や電子調理機器なのだ。そこで、本題に戻るが、今夕作ったのは、「まるちゃんの焼きそば」粉末付きで3食分178円。これをシャープのヘルシオで調理する。鉄板にクッキングシートを敷き、ほぐしたそば、野菜、粉末ソース、肉を並べて、メニューを選んで16分のタイマーをセットするだけ。この材料を並べる順を間違えると上手くできないと注意書き。さて、出来上がりはどうか?まずフライパンで作った時のように、焦げたり硬くなったりして食べられない部分がなく出来上がったものが全部食べられる。次に、鉄板の端の麺も柔らかい。肉と、キャベツは適度に焦げている。フライパンのように混ぜてないので、仕上がりが綺麗。と言うことで、縁日の焼きそばには及ばなかったものの、家庭料理としてはかなりの得点を稼いだ。今回は、豚肉の代わりにハムを使ったので、ジューシーさに欠けたが、それでもこの味。ディナーとしていささか品位に欠けるが、サブにゴーヤのクリームチーズ和え(キッコーマン提供レシピより)を付けてバランスを保った。 7月18日(水曜日) 朝起きると蝉しぐれ、今までは家の上の森で鳴いていたが、今朝からは庭の木でも鳴いている。耳をつんざく音量だ。オーディオはボリュームを絞れば適度な音量になるが、蝉はそうはいかない。常にフルボリュームだ。その蝉の声を聴きながら、近所に及んだ土砂災害の復旧工事を今日から始めた。この近所は土建屋さんで、その従業員も虎視眈々と僕の作業成果を眺めるだろうと思う。ゆえに、批判を受けないような工事が必要だ。それで、先日の岸の修復よりも、余計に崖を削り、石の部分を増やそうとしている、石の調達が大変だが、こちらを増やすと、岸が安定する(先日の工事で判っている)それと、新規と従来から崩れずに残っている接合部分はセメントを使用するつもり。それで今日は土砂の撤去だ。先日は肩で息をするほど疲れたのに、今日は連続2時間でも大丈夫。この重労働に身体が馴染んできているということか?頻繁に水とスポーツドリンクを飲みながら午後3時に作業を終える。次回はもう一削り。今回の石積みは左右と前後の3次元石積みで少しテクニックを要する。しかも、高さが2.5m位あり、土台を堅牢にしておかないと、危ない。色々とある。 7月17日(火曜日) 掃除洗濯、英会話。ここで10:30。先ずはインフラ整備。それから、草刈りだ。今日は休暇を取って岸の修復の予定だったが、優先順位として草が来た。草は地面からではなく、5cmばかり残す。そうすることで、草刈りの歯が地面に当たる事がなく、いつまでも切れ味が続く。12時まで要した。ローソンへ行って弁当。ローソンでは水を販売してない。高いお茶しかない。やり方が汚いぞ。帰って、除草剤の散布。その後トラクターで畑を叩く。5時終了。お風呂を沸かし、少し汗を流した後、海鮮丼を食べに出たら、満席。あきらめて、自炊。脚が棒のようになっていたが、自転車を漕いでスーパーへ。草刈機の影響で、iPadを操作する指が震える。疲れているが、体の調子は良いみたい。そんなに冷房を効かさなくても、水風呂で凍えた後は、結構涼しい。 7月16日(月曜日) 先週ぶんのデータをまとめ配信した後は、退職後の手続きを進めた。色々返却しなければならいものがある。何もやってくれないと文句もあるが、この場所に事務所を構えるだけの支援はあったのだ。大企業でも日本で47か所もの事務所を構えているところは少ない。いや、ないだろう。だが、今の会社はその倍の事務所を運営している。それでも利益は出ている。それは通信世代が4Gとなったのが大きい。テレビ会議は当たり前だし、サーバーでのデーター共有も当然だ。それがこのようなちっちゃな会社でも可能になったと言うことだ。昔、人類は、農園を開き定着できた。動物の力を借りて広く耕し、収穫物の重い荷物を運ばせ、大量生産で職業として専門家が登場した。印刷を発明し、人々に知識を広めた。蒸気機関で移動が早くなり、電話機で情報が飛び交い、今インターネットとスマホで世界が一つに繋がった。昔は良かったと懐古主義の方がいらっしゃるが、じゃ昔に行ったらいい。不便で不快でたぶん死ぬ。今日は結局夜遅くまで整理をして、冷蔵庫の残り物で夕食。300mlのビール一本が冷えていた。梅酒がペットボトルに2cmくらい残っていた。粉々になったかつおぶしが袋の底に溜まっていた。ヨレヨレのネギがあり、半分腐った人参があった。全ては8月から時間の余裕ができるまでの我慢ときめこんで今をしのぐ。 7月15日(日曜日) 先ずは沖の田から 5時半からトラクターで叩いた。草が50cm位に育っていて、一回だけでは草が切れない。逆方向からもう一度叩いてやっと切れる。飲まず食わずで11時。さすがの私もフラフラです。トラクターの燃料補給時に飲料水を自動販売機で3本。昼食後、少しまどろんだら午後2時だった。急いで、岸の修復に取り掛かった。こちらは体を動かすので大量の汗が。結局この日は、3リットルばかりの水を飲んで、食事の後、眠りにつく9時半までずっと水を飲み続けた。昨年に比べ草を放置した期間が長かった。一つは、雨が続いたのと、大阪の地震で、早くLPをデジタル化し、地震に備えようとの危機感で、休日をそれに当てた事が原因だ。休日にはゆっくり本を読んで、音楽を聴く。当分叶わぬイベントだ。芸西村の図書館のお姉さんとも疎遠で、スーパーで買い物をするときに挨拶をする程度だ。定年後のんびりと田舎暮らしは夢だったのだろうか。友人はホテルで貝殻加工の教室を子供向けに始めた。土佐ロイヤルホテルの夏のイベントにも掲載されている。昼間は、ホテルの運転手。夜は子供教室の先生。これも、定年後の正しい生き方だ。人様の役に立っている。翻って僕は自分のことばかりだ。これでいいのか?と言うより、他にどうしようもない? 7月14日(土曜日) 半分が過ぎた ![]() 7月13日(金曜日) 先週は先祖様の関係から、金曜日から根を詰めて頑張った。そうすると土曜日が楽だった。その味をしめて、今朝から結構高いテンションで書類作成をこなしている。気持ちは高いが、今日は体がついて来てくれない。眼の調子が良くない。ディスプレイが見にくい。目の度が進みメガネが合ってないような気がする。近視の目に老眼が進み、中和ができてメガネなしでも良く見えるようになっていたが、ここ2ヶ月の忙しさで、又元の近視になった感じだ。近頃、身体の調子を克明に記すると日ごと変化が現れるようになって来た感がある。それだけ、身体が弱って来ているのか、それとも毎日の生活に変化がつきすぎなのか?よくわからない。若いころは、どんな体調時でもえいやぁで乗り越えていたのに。それに夜がだらしなくなって来ている。音楽を聴き始める9時半ごろには、眠くて仕方ない、せいぜい頑張っても10時が限界で、昼寝を十分にとってもあまり関係ないのだ。それで、音楽もCD半分くらい。クラシックから始めるので、とてもJAZZに届かない。夏はJAZZだが、昔読んだ五味 康祐氏のクラシック音楽への批評文は、夏の暑い盛りに針を下ろす雰囲気が良いようで、夏のクラシックも悪くはない。と思う。このように気持ちが傾いていたタイミングに、タワーレコードから、クラウディオ・アバド・グラムフォン全曲集が飛び込んで来た。何で、僕の気持ちが読めるのだろうか?聴く時間は無いけど取り敢えず買おうか。 7月12日(木曜日) ちょっとおかしいが ![]() 7月11日(水曜日) もう一つの被害 ![]() 7月10日(火曜日) 土木作業に着手 友人の土木専門家(国土交通省で定年まで勤めた男)は岸のつき方について教えてくれと聞くと、近所のくっさんに聞けと言う返事。でも、多分出来上がった暁には批評はするだろうな。まぁいいや許そう。そこで、自分の立てた作業手順はこうだ。土砂を取り除き、石と土を分離する。次に、大きな石は表面に、小さな石は奥に敷き、奥の小さな石は、土を水で練って隙間を埋める。実に単純な方法だ。そうして、土砂を取り除き、崩れた崖を削ると、この岸を築いた人の手法が見えて来た。つまり、岸の奥からは大量の小石が出て来たのだ。考え方は悪くないことが証明された。でも、実際に作業を始めると大変だ。土は重い。石は手で掴めるが、土は鍬で掻きださねばならぬ。鍬の一振りは汗の一粒だ。年齢のせいもあるが、たったこれだけの作業を2時間続けることができない。「熱中症対策にこまめに水を飲むように、喉の渇きは自分ではわからないものだ」とテレビは言う。それは、汗をかいてない人の話だ。実際喉は渇き、30分に一回大量に飲む。今日は2リットルのペットボトルを1本と、水道の水を相当飲んだ。その水で身体中が汗に濡れ体温を下げてくれるが、それでも鍬を振ると熱がこもる。軽トラに乗って全開のエアコンを回し服を乾燥させる。凍えるような寒さを10分間我慢し作業に戻る。こんなに頑張っても、今日は1段の石積み成果。 7月10日(月曜日) 芸西村の夏 暑い。暑いが、正しい夏は南から風が吹き込んで、部屋の温度は30度を越えない。ビルの中で仕事をしていてた頃、28度の温度設定でも不満を漏らしていたが、それよりもずっと高い気温でも、涼しく感じるのは何故か。我が家は昔から風が抜ける所だった。僕が小さいころ郵便配達のおじさんが来て、冷たい井戸の水を飲み、涼台に座って暫く話して行くのだった。富山の薬売りのおじさんも話していった。洋服の訪問販売のひでちゃん(この人は先日103歳で亡くなった)もそうだった。夏休みの宿題に疲れた僕はここで昼寝をした。本を開くには吹き抜ける風が強くページを押さえるのが大変だった。それでも、夕刻は難儀する。芸西村の多くの家は、西日が当たるのだ。西と北には村を囲む山があり、多くの家屋は少しだけ南東向きに家を建てる。早く朝日を受け入れ、どうせ夕日は、早く山に沈むからと言うのがその理由。所がどっこい、夏の夕日は北に移動して、5時くらいは未だ天中にある。この太陽が、「北の窓」から差し込んで来る。これは暑い。風も弱まっているし、蚊も大量に出て来るから、どうしても、夕刻はエアコンのお世話になる。でも、日が沈むと、網戸で過ごせるのだ。これが、正しい芸西村の夏だ。しかし、今夕は盛大に夕陽が北の窓から差し込むおじさん宅に出かけビールを飲んだ。ビールを誰かと飲まないと今日は終われないぞと、放送があったように感じた。今の時期、殆どの農家は、仕事をしないで、家にいてゴロゴロしている。だから予定もなく出かけても殆ど文句は出ない。これも、正しい芸西村の夏の一面である。 7月9日(日曜日) 土砂災害 昨日は、非常に忙しく過ごしたのでゆっくりしたいし、疲れで身体が動かなかった。食事の後、掃除洗濯を済ませば午後もだいぶんと回っていた。お風呂を沸かし、買い物に出かけた。出かける時、近所の土木建設会社の社長さんに、岸のつき方について少しだけ聞こうと声をかけた。すると、手招きでこっちへ来てと呼ばれた。行くと、僕の小屋の隅から、大量の土砂が、この方の家に崩れ落ちていた。今回の災害の中で一番大きな被害だ。役場と相談すれば良いとアドバイスを受けたので明日伺うことにした。もしこれがダメな場合は、自力でやるにしても、相当な日数を要する作業となる。来月は仕事を辞め大量の時間が出来るとはいえ、かなり過酷な作業である。しかも気温は相当高いと予測されている。僕は「一生がむしゃらに働けと言う運命にある」と観念するしかないようだ。それなら、せめて音楽だけでも優雅に聞く時間だけは持とう。と、今日は先日放送された、アンドリス・ネルソンス指揮ケバントハウス管弦楽団のモーツァルト40番とチャイコフスキー6番を聴いた。今までは結構年配者の枯れた演奏を聴いて来たが、彼の演奏を聴くと、「若い!エネルギーがあるな」と感じる。同じ日の録音で、NHK交響楽団を振ったブロムシュテット(アンドリスの師匠)のベートーベン5番も深みがあって良かったが、ほとばしる情熱のようなものは、彼の演奏にはなかった。これから、モーツァルトに向かおうと思って、Karl BöhmのCDを注文しているが、待てよ、若手はどうなんだ?と踏み止まるきっかけになった。 7月7日(土曜日) 大変な1日だった ![]() 7月6日(金曜日) 1:00、あんまり降るので起きた。レーダーで過去を振り返ると、0:00から降り始めていた。香南市、安芸市がもっとひどい。その間に挟まれた芸西村は、雨雲が左右に触れるときに強く降っている感じだ。それでも紫の表示。この雨は4:00まで続いた。後1時間続けば避難しようと思ったが、和食川の水位も4mで警戒水位を超えてないし、このまま寝ていようと判断した。朝6時に宮崎の仲間から電話を皮切りに、多くの人からメールや電話をもらった。懐かしい所では栃木県の昔の仲間から、酷い訛りで電話もあった。ありがたいことだ。被害は、家のすぐ西に山道があり、その横に幅20cmくらいの溝がある。ここに山水がどぁっと集中し、木の葉っぱで詰まり、道を伝わって我が家の庭に流れ込んだ。庭の駐車場は排水能力が不足し、水が溜まり、その水は汲み取り式のトイレに流れ込み、4m四方の大きな肥溜めをいっぱいにして溢れさせた。その肥溜めの横からは湧き水が吹き出して、汚物は新鮮な水で流した。だがよく考えると、この湧き水は、いわば我が家の母屋の下を流れているわけで、母屋はいわば地下水脈の上に建っている事になる。地滑りが発生すればひとたまりもなく流される構造にあるわけだ。500mm程度の降雨は難なく過ごせるが、1000mmは危ないと思う。だが、今日は引き継ぎの電話で2時間ほど忙殺され、そちら方面の事は後回しにしよう。今日は自身の活動報告書や、明日午前中に仕上げるレポートの準備に専念だ。夕食と入浴は安芸市へ。ここの豪雨は半端じゃないから、風呂の中でその被害状況の会話が聞こえてきた。犬小屋が流されて、3匹死んだ。預かっていた犬は、逃げて、主人のもとに帰ったとか、美談もあった。 7月5日(木曜日) 矢来風雨の声を聞く 休日は、何やかやとすることが多く、疲れで早く寝た。夜中に大雨が降った。その音を聴きながら眠った。結構長く降ったようだったが、疲れで起き上がれなかった。今日は外勤日。所が、気色悪いほど天候が急変する。僕が車を降りると、雨が急に止み、店内に入ると大雨、退店時に雨が止み、次の訪問でも同じことが起きる。食事時でも同じ。あまりの急変にちょっと気持ちが悪い。今日は66回目の誕生日で、天が味方してくれていると考えた方が良いかな?それで、たくさん抱えていた仕事も時間内に終わり、プールで1500m。(疲れているから1000mで切り上げようと思うが、50mプールが空いているとついこちらに入り、気持ちが良いから、ついつい行ってしまう)気持ちの良い仕上がり。帰りにネリウスで豪華幕の内弁当。息子から誕生日おめでとうとメール。今度帰省したら、この弁当を食べらせてあげると返信した。家に到着すると、又もや雨が止んだ。 7月4日(水曜日) オーディオクラブ LPレコードの録音を本格化する。手持ちのKarl Böhm氏のモーツァルトは全てハイレゾ化した。一枚のみ、DSD5.4Mhz録音を試したところ、びっくりする音が出てきた。モーツァルトのセレナーデだったが、当時でもこれだけ奥深い演奏と録音をおこなっていたとはびっくりだ。世に言われる「ドイツグラムフォンがうまく再生出来ないとオーディオシステムではない」とはこのことだったんだ。と一人で納得した。そうしたら、ヤマト運輸さんが、会社の助成物を持ってきてくれて受け取りをした後、その方曰く、私もオーディオが好きなんです。ヤフオクでLPを集めています。と言う。今度聞かしてください。ニシノカの団地にも一人好きな方がいて、その人も聞きたがっています。という。一人で納得なんてやっぱりする事じゃない。仲間と分かち合ってこそオーディオだ。と、いう事で、近々にオーディオ談義の会を催す事になった。 7月3日(火曜日) 雨の中を散歩 傘をさして散歩した。食事が腹の中に残り、動かないとどうしようもないから。高校生の頃、高松在住の頃と症状が似ている。もともと胃腸が弱いのだろう。そんな人が、よく、アジアの劣食に耐えれたものだと、今思えば感心している。今週は気にかかることを抱えている。7月7日(土曜日)はレポート3本を提出する仕事と、大塚様と岡村家先祖様の清掃と2大イベントを控えているのだ。清掃の所要時間は2時間位だが、5時くらいから、懇親会がある。大酒飲みの高知人だから、チョコチョコと済ますわけには行かないのだ。それで、金曜日から翌土曜日の昼までが勝負だと考えていて、結構重い気持ちで過ごしている。夕刻スーパーへ買い物に徒歩で出かけ、やっと13000歩を歩いた。 7月2日(月曜日) 雨が予想されるので、朝早く散歩に出かけた。この頃、水泳の運動は適度に入れているものの運動不足で体の調子が良くない。膝をかばって毎日1万歩に制限したが、体の調子は13000歩くらいを要求しているようだ。今日の仕事はやっと通常レベルに戻り、時間のコントロールが効くようになった。 7月1日(日曜日) 760円のシャツ 昨晩も友人と懇親を重ね朝は怠いし食欲がない。昨日午後、修理の終わったMacを起動するが、やっぱり先に進まず、再びMacの相談センターに電話した。今度対応してくれた人は女性で管理職の様な雰囲気がある人。最後に、これでも解決しなかったらと、問い合わせ番号をくれた。そのメールには、個人の休暇日程が7月いっぱい記載されていて、随分と感心させられた。が、個人プレーはともかく、高い修理費を払って戻った商品が、またも動かないのでは、信頼性の問題だ。そのアドバイスに基づき、今朝、頭が戻るまでMacをいじろうと、OSを再びインストールし直した。それでなんとか元に戻り、最新のOS「Yosemite」に入れ替える。そしてハイレゾ録音ソフトAudio Gate4をダウンロードでインストール。やっと実用化になったところで、Karl Böhm指揮Berliner Philhamonikerのモーツァルト交響曲28、31、33、35番をFlacで録音した。今年中には、主なLPをハイレゾ化するつもり。頭が戻ったところで、食事、掃除、洗濯と日常の作業。風呂を沸かしてプールへ。1500m。今日は空いていて50mコース1本を独占できた。気負いすぎてしんどくなった。運動もいい加減にしておかないと体へのダメージが残る様になるかも。帰りに、高知県でチェーン展開するBJでシャツ購入。2枚で760円。袖が長いが気に入ったシャツが見つかり購入。袖は切って短く修正しよう。裁縫も出来るのだ。これだけ器用であるのに、生き方は器用でないのが惜しまれる。 6月30日(土曜日) 何故かわかった! ユリウス・カエサルの生きた紀元前100年の頃には、もう既に、アラブの血を血で洗う紛争の地だった。と、塩野七生のローマ史に記述してある。以降現在に至るまで、中東は紛争とは切ってもきれない間柄になっている。何故?「アラブ人はそんな人だから」では解答にならない。荒涼とした砂漠が人の気持ちをそうさせるから。それが今までの僕の認識だった。だが、「古代文明と気候変動」を読むと、それは、人類が築き上げてきた歴史に他ならないと気づいた。紀元前5000年ごろ、やっと氷河期が終焉し、チグリス・ユーフラテス川の間に、狩猟採集社会では食っていけなくなった人が、農耕により、穀物を得る方法へと移行した。人は土地に縛られるが、多くの人口を養うことができるようになった(メソポタミア文明の始まり)。しかし1000年ぐらい経つと、地球の気温は再び変動して(地球の傾きが変化したとされている)旱魃になった。そうすると、ますます、人々は、この地に集まるようになった。そして、政治が機能し始め、統率者が存在し、盗賊も出来た。有力な地主は調停にも乗り出したとある。つまり、人類が動物とは違う生き方を始めた頃から、争って略奪する考えがこの地には根付いたのだ。それは、荒涼とした地に旱魃がもたらす所以でもあった。ここを離れ奥地に向かった人たちは(ヨーロッパへ)、別の方法で生き抜き、考え方も変わったが、ここに土着した人は、常に他人の富を狙う生き方を片隅に置いて生きてきた。これが、イスラムの言う聖戦のルーツだったのだ。 6月29日(木曜日) 時代の申し子 歴史にはもしもはあり得ないが、鄧小平が中国の解放を進めなかったら、トランプ政権は誕生してなかった。と私は思う。今や、世界の鼻つまみ者に成り果てた、「トランプ氏」だが、彼の誕生には、必然の理由があり、もし彼でなくても、彼のような人物が生まれる構造にあるのが現在だからだ。そもそものきっかけは、ゴルバチョフのソ連崩壊、ベルリンの壁突破の1989年にある。ここから、グローバル化が始まった。それ以前にもグローバル化はちらほらと炎が見えていた。例えばドルのグローバル化だ。東西はいがみ合っていても、ドルは崇拝された。そして、人々の考え方や行動にグローバル化が燃え移り、1995年辺りからのインターネットで情報のグローバル化が進み始め、2008年頃からスマホの登場で、一気に燃え広がった。こうして現在から遡って歴史を見ると、まるでターミネーターの映画を見ているようで、世界を救うに至るであろう(つまり帝国側がたおされる)若き少年を邪悪な殺人マシーンから守ったらどうかと言うストーリーは現実味を帯びてくる。話を戻すと、人々が自由に考え自由に行動する時代では、多くの負け組と数少ない勝ち組に分類される。それは国と国の対立の中でとか、その国の中でとかで。その結果、取り敢えず自分だけは、自分の会社だけは、自分の国だけは守ろうとどうしても考えてしまう。インドへ行くとわかるが、周りに貧困が広がっているが、塀で囲まれたホテルや施設などは、日本やシンガポールとなんら変わらない緑豊かなのんびりとした楽園が存在する。まさにそれの、国版が今のトランプ氏であり、いずれどの国も大は国単位で、中は企業単位で、小は個人の単位でそうなるだろうなぁ。多分東京あたりでは、既に起こった未来が見えているはずだ(と思う)。 6月26日(水曜日) 美人の恋人 スナックの姉さんと付き合ってもそんなにお金がかかるわけじゃないが、クラブの美人ママさんとの付き合いは大金が消えてゆく。京都で芸者さんを囲うのもおなじようなもの。もしかして、ロボットは、介護の方向ではなく、美人ママさんのようなものを作るのが早いんじゃないかと思うほどだ。話は戻るが、端正な顔をしたマッキントッシュも同じようなもの。先日から故障で困って結局修理に出したが、なんとケーブル1本の交換が42、000円也。ウインドウズなら自分でできるし、この費用を払うのなら、CPUやGPUの交換だってできる。電源トランスだって交換できてお釣りがくる。だが、自作マシーンは田舎の飲み屋の姉さんのように、見栄えが悪い。洗練されてないのだ。結局クレジットカードで決済し、帰って来るのを楽しみにしている。でも、僕には美人のママさんは手に負えない感じですね。 6月25日(火曜日) 無事、作業は完了した。午前中は晴れていたが、午後は急な雨。水を飲みに母屋に行く途中で、轟音が追いかけて来た。母屋のドアを開けると雨がドンと来た。職場に帰って(10m先の離れですが)雨雲レーダーを見ると、豪雨は芸西村だけだった。昨年の夏の日中は風が吹き抜けるのでエアコンは不要だった。しかし、今日のように、暑い中で雨の蒸し蒸しが加わると、ちょっと我慢できない。エアコンのお出ましだ。定年後田舎に帰ってエアコンを全部で5台買った。パナ、富士通、ダイキン。富士通だけにルーバーなく、イマイチだった。ともかく、タイやフィリピンのように、高知もエアコンがないと過ごせません。ネパールはエアコンがなくても良い時期があった(昼間は太陽が強くてダメだけど)。高知の昔はどうしてたのだろう?蚊帳を吊って寝ていた。家の前も田んぼだったから、夜はよく冷えたし、風が通った。昔の殿様は、エアコンがなく不幸では?と考えるのは早合点で、昔の城は夏でもそれなりに涼しかったのではと推測する。夕食は、さやなしエンドウを焼肉のタレで炒めたもの。こんにゃくのステーキ。小アジの唐揚げ。クロ瓜の酢物。今晩の夕食は豪華。時間があると、新しい物に挑戦できる。 6月24日(月曜日) 新たな資料の作成に取り掛かる。明日中には共用ファイルにアップデイトする仕事だ。作業量は多くないが、前後左右に齟齬のない連結をチェックしなければならない。休憩を挟んで、見方を変えて間違いを探す作業だ。まだ天候は良く窓を開けて南風を取り込んだ。太陽は強く刺すような感じ。今年の夏は、出歩くのに帽子や傘が必要だろう。今までは、全く気にならなかったから、身体が弱って来ているのだろう。夕刻プールに出かける時、先日に続き理恵ちゃんに呼び止められた。ナスも終わり、ハウスに水を溜めて土を休ませている時だから、結構暇らしく、それに家は谷の中にあるので訪ねる人もいなく、誰とも話す機会がなく寂しいらしい。僕も同じ境遇だが、僕宅は山の中腹で、見晴らしが良く風景を見て過ごせるアドバンテージがある。今日の50mプールは空いていたので、25mプールで500m泳ぎ、体を水温に慣らしから1000mに挑んだ。水温が低いぶん結構真剣に泳がないと凍えてしまう。オリンピック選手など、いきなり飛び込んでいるが、僕はキツイと思う。(老人の感覚で言っては申し訳ないが)泳いだ後食欲がなく、スーパーで木ノ実やトコロテンを買って食べた。人類の歴史を見ていると、肉が殆ど手に入らない時、人類は木ノ実と食べられる葉で過ごしたようだから、理屈には合っている。それに人類が不安なく食にありつけ出したのは、2-3世代前からだから、問題なかろう。新聞をiPad Proで読みながら、これらをつまんでいると、喉が渇き、お茶を大量に飲んだ。そしたら、妙に寝つかれなくなく、1時間ばかり悶々とした。普段は倒れこむようにして布団に入るので、1-2分で夢の中にまっしぐらなんですが。 6月23日(日曜日) 昨日は、相当精神的な負担があって、友人を呼んで懇親会を催したが、飲み過ぎてしまって、午前中は身体が怠く、頭も動かず、只々怠惰に過ごしただけ。お風呂に続く廊下も完璧にパテで穴をふさいだにもかかわらず、まだ、ネズミが出没して、フンを撒き散らしている。僕は、どう考えても、もう穴がなく対応のしようがなく、打ちのめされている。友人が「定年を過ぎると1個も良いことはない、悪いことが多い。」と言う。これは当たっていると、やっとこの頃思えるようになって来た。Macは送り返すことに決定。最大78,000円の費用が発生する可能性がある。Macは格好が良いが品質は良くない。ソニーと同じ。PCは潰しの効くWindowsしか無いのかな?そんな感じ。動いている時に、LPレコードをハイレゾ化したが、FLACに変換する速度の速いこと。そんなメリットもあるが、動かないんじゃダメだ。結局この日は直ぐに夜がやって来て、夕食はキノコのスペシャル料理を堪能し終えた。カラヤンのCDは半分聴き終えて、今晩はハイドンのオラトリオ四季。滅多に耳にすることのない音楽だが、なかなか行ける。良いも悪いも全ての演奏を聴いているので、未知の音楽発見もあるメリットを喜びたい。 6月21日(土曜日) 今日は3本のレポート。普段金曜日に1本のめどをつけておくのだが、あいにくと外勤日で敵わず。しかも、月曜日から舞い込んでくる仕事にできるだけ応援を頂こうと電話をしまくった関係から、金曜の夜も完全に別物に時間を割いてしまった。それで今日は1からのスタートとなった。後、5回でこの仕事も終わる。それを夢見て頑張った。文書の一字一句が結構重い。行数は限られていて、短い文章の表現が必要だし、簡単な1-2-3の商品ポイントも書いている。触ったことの無い商品のポイントを書くのは結構むつかしいですぞ。前モデルとの比較も触れる。僕的には頑張っているほう。午後6時に終えた。こんなに緊張した後では日常に戻りにくいので、先週は安芸市に飲みに出かけた。しかし今日は雨が降っているのでそれもできず、友人を呼んで飲まないか誘うとOKだと言う。早速スーパーへ買い物に出かけた。帰って30分で3品作り、友人と懇親。夏休み期間中ホテルで子供教室を開催する話。手が足りないらしい。丁度息子が帰省するので、それに充てては?てな話で盛り上がった。3年経過の梅酒を飲んだ。 6月22日(金曜日) やっぱりプロにはかなわんわ 今日は展示会。現役の頃よく合展に出た。何十回と出た。九州の時が多かった。その頃は、まだ酒を飲むことを知らなかったから、合展の前日に販売会社の人と懇親はなかった。今のようにわかっていると、あの頃の仕事はもっと楽になったんだろうなと思う。そんな懐かしい思い出と共に今日は一日中展示会場に立った。この中に、一人女性で、客を捕まえるのが抜群に旨い人がいた。僕も、気軽に声をかけるのだが、彼女は食い下がっていく違いがある。僕が説明をして、彼女がクロージングする場面もあった。他の男性社員さんで勉強になる人は居なかったが、彼女だけは非常に勉強になった。夕刻責任者が来たので、その話をすると、案の定、店も彼女を育てようとしている事が分かった。まぁ僕の場合やっぱりメーカーの人間だったので、その辺のノウハウを磨くチャンスはなかったということで許してあげよう。 6月21日(木曜日) 今日は外勤日。昨日悪い事があった反動か、今日は訪問先で旨く仕事をこなすことが出来た。毎回こんなにスムーズに仕事が進むのだったらいいのになぁ。活動時間が少ないので、午後7時過ぎまで安芸市の店舗で仕事をして終了。それから、急いで近くの銭湯へ。あまりにも疲れたので、長い間湯につかると気持ちが良かったが、脱力感があって、這う這うの体で風呂から上がりしばし休憩。(この辺辺りが昔と違うところ)帰りに「得々うどん」で夕食。帰ると10時前。横になったが、妙に目が冴えて眠れない。その時である、足首がかゆい。ムヒを塗る。今度は反対の足が痒い。ノミかダニがいたんですね。1時過ぎまで格闘。解決は布団掃除機で布団を吸って、パジャマと下着全部にアイロンをかけて収まった。やっぱり酷い一日だった。 6月20日(水曜日) ![]() 6月19日(火曜日) ニュースを見ると、大阪の地震は次から次へ被害が広がり、大変なことになっているのがわかった。高槻の友人には疎開の話をしたが、ガスは来ないが、電気と水はあるので持ちこたえている。とのこと。四国を取り巻く地区で頻繁に地震が起こり、21日は東南海の地震が発生する予測すら出ている。僕は、少し気を引き締めて、地震対策を進めなければと思いました。上げると、①LPレコードのハイレゾ化。②CDのデジタルアーカイブ。③プロジェクターの梱包。④水を西ノ谷から、風呂場まで引いてくる事。⑤米1表の精米。⑥ノコギリの歯5枚購入。⑦水購入。⑧ブラウン管モニター撤去。⑨ミッドレンジホーンスピーカー撤去。⑩パスタ、カンズメ、ホウキの購入。取り敢えずこんなもんだろう。一方で明日の大雨に対しては、雨どいの清掃。家の周りの溝の深掘り。など、やることが山積している。早速今夕から、LPの作業に取り掛かったが、iMacが故障。まずはPCの修理から始まる事になる。 6月18日(月曜日) 明日仕上げるレポートに必死に取り組んだ。姿勢が悪いのもあるが、右肩が凝ってパンパンに腫れた。少し休憩方々、サトウキビ畑の草をむしった。草には目があるらしく、僕が頻繁に引くものだから、草の方も考えたのだろう、2つの作戦に出たようだ。一つは、上に伸びない草がどんどん生えるようになった。上に伸びると引き抜かれると見たのでしょう。二つ目には、僅か1cmにも満たない草でも花が咲き受粉を試みている。昔、江戸時代。人の寿命が短かった時、女は14歳くらいで嫁に行った。あれとおんなじです。むしられる前に子孫を残そうと。休憩のはずが汗だくになってむしったので、返って疲れたが、肩こりは引いていた。6時に目処がついたので、プールに出かけた。1kmで早く返ってこようと急いで飛び出したが、直ぐにりえちゃんに捕まってしまいお盆の話をした。30分ロスってプール。未だ腹のたるみはなく昔の体型を維持しているのはこの水泳のおかげ。しかし、1kmでは更に引き締まるという訳には行かず、かと言って1500mでは翌朝が不安。今までは関係なかったのに、時々影響があるのだ。食事を終えて、帰宅する途中、セブン・イレブンで、タワーレコードからの荷物受け取り。朝比奈隆のブルックナー全集SACD版だ。ブルックナーといえば朝比奈さんでしょう!。他にも名指揮者はいらっしゃでしょうが、これは必須アイテムと思って購入した。シングルレイヤーで、我がシステムでは残念ながらプレイステーション3でしか再生できない。エソテリックのCDプレーヤーとシャープの1ビットアンプはデジタルi-Linkケーブルで直結でるらしいが、今の自分からは遠い存在。 6月17日(日曜日) いろんなことが山積みとなっていて、台所の掃除を終えたのは11時半。すぐに昼飯となった。小学生の頃から「グズ」じゃなかったはずなのに、今では動きも緩慢になり、新聞を読んでいても、わからないことを調べたりしていると、時間はあっという間に過ぎて行く。それに、加えて、朝6時過ぎに村内の放送があり、今日は道路など道の清掃に参加してくださいと言う。村民の一人として、また散歩をしているとゴミの場所がわかっているだけに無視するわけにはいかず、1時間ほど参加した。近所で、道路の一部を車の修理工場に転用している山川氏はこの行事に参加してなかったのを、シカト見届けた。(この人はつるし上げなければならないと思っている)こうして、鈍いのは、やる事が多いのと老化による妙なこだわりが合わさって時間を食っていると思う。日記をサイトアップするともう3時。裏の大日様の竹を切り刻んで風呂に焚いた。夜は、NHKでの録画、ブラームスピアノ協奏曲を見る。ペライア・マレイのピアノ、ベルナルト・ハイティンク指揮。ペライア氏は以前バッハのピアノを買って(CD)、どえらい丁寧に弾く人だと感心した。そして今日はその顔を見て、確かにそんな雰囲気のある顔をしていると見た。ハイティンク氏も誠実そうな顔つきで、この2人は気の会う仲間じゃないかと推測した。メジャーでは、サイモン・ラトルとか、ズービン・メーターとかの主流派もあるが、サブとしても決して侮れない流れがあるのを今日実感。このディスクはたまたまディスク・ホルダーを整理していて発見した。隠れた名盤がゴロゴロしているから、一度データーベース化しなければと思っている。 6月16日(土曜日) 飲みたい気分 ![]() 6月15日(金曜日) ハイテクおじさん 今日と明日は、気分が重い日。レポートをまとめるのは、荷が重い。自分のレポートなら、準備段階から方向性が決められるし、データーも揃えられる。まぁ仕事とは往々にしてそうは問屋が卸さない物です。そこを、個人のパワーで頭をひねりして成し遂げるのが、サラリーマンです。そんな時、勇気付けられたのが「琥珀の夢/伊集院静氏」で、下巻を今日読み上げた。サントリーの鳥井信治郎氏の伝記。百田尚樹氏と傾向は似ているが、感情の起伏は幾分低いような感じ。ツッコミは松下幸之助氏が登場し、終戦直後しっかりと支援をしてもらった文章も散りばめられ、信治郎氏の母コマから教わった施しを鼻にかけてはいかん、と言う教えが、彼の行動はともかくとして、本文ではしっかりとPRされている。しかしこの本は僕の中でかなり上位ランクに位置する良書で、カラヤンのベートーベン交響曲全集の77年度前後の最終バージョンと互角の戦いをする。本書は、iBooksで読み、後者はハイレゾで聴く。 6月14日(木曜日) エネルギーバランス 今日は外勤日、遠く宿毛市に出かける。往復370km。緊縮財政で宿泊はご法度だから、7時過ぎに出発。ところが老人の体は思ったようにはうまくいかない。物凄い睡魔に襲われて、途中二回爆睡。やっとたどりついた。トランプさんは、世界を西に東に動いているが、上手く疲れは取れているのだろうか?休息時間があっても身体は休めてないのが老人の体。気が張っているから大丈夫だとは言えない。つけは後からくるのだ。仕事を終えたのは四万十市で午後3時半。これから帰宅。だがもう一度爆睡の時間があって、やっと午後6時南国インターにたどり着いた。ながおか温泉でプールと入浴。ガストで食事をして帰宅したのが午後9時。エネルギーバランスは朝からマイナスだったが、爆睡で収支トントン。時間を惜しみ車でサンドイッチをかじりながら運転し、これでエネルギーバランスはマイナスに転落。最後のプールでさらにマイナス。ガストの脂っこい食事で取り返した感じ。 6月13日(水曜日) ついつい没頭して 今日は読書の日。食事を終えると本に向かおうと思っていたが、昨日のトランプさんの共同声明が原語で発表されたので、時間を忘れて翻訳した。4項目目の、拉致についての訳文が全くトンチンカンだった以外は、概ね筋に沿っていた。少し時間をオーバーしたが、午後からステレオサウンド誌を読み始める。今のハイレゾ再生の主流は、NASからUSBで直接DACに挿入し、ダイレクトに聞く方法。この特集記事を読んでいると、DSD11.2Mhzのソフトがあまりにも多く絶賛されていると感化された。僕も購入したまま、ネットワークで再生できずそのままになっていたソフトがある。チョット試してみようではないか!foober2000にプラグインソフトを2つ挿入して、設定するのだが、何度やっても、ドライバーのーfoo_dsd_asioが認識されない。旧タイプをインストールするも全くダメ。気がつけば午後4時。お風呂を沸かす時間だ。取り敢えず来週までお預け。 6月12日(火曜日) 晴天 ![]() 6月10日(日曜日) 梅雨 2016年までは梅雨の雨は気にならなかったが、昨年あたりから雨が煩くなってきた。子供の頃は梅雨の雨の中、外を駆けたくて仕方なかった。しかし祖母がしっかりと押さえていた記憶がある。仕方なく家の窓から外の雨風景を眺めるだけだった。就職してから自由になったが、寮生活が長かったので、まだ押さえていた。1985年念願の一人暮らしが名古屋で始まった。それ以降2016年まで梅雨の中、自転車で走り回った。しかし昨年からは妙に雨に濡れるのが嫌になってきた。(関係ないけど昨年から電気毛布のお世話になるのが6月初旬まで伸びた。それまでは5月の連休までだった。)気候の変動も影響しているかも。雨粒が太くなり濡れ方も尋常でないのもある。もう一つは、高知に帰り、家間の移動に傘を刺さないで頻繁に濡れているのもある。このようにいくつかの要因はあるが、雨をはじく能力が落ちていると思う。車のワイパーを超撥水に変えると、大雨でも間欠ワイパーで結構間に合っているが、交換してない左側の窓の視界は雨粒がひしゃげて視界不良だ。あれと同じで老人の肌は、雨粒がひしゃげて張り付く、若者の肌は雨粒をはじく。 6月9日(土曜日) 土曜日の終わりは、酒で締めくくらないと 今日はレポート3枚作成する日。それで、朝8時前から始めた。提出時限の5時半までに間に合わせるため。天候は晴れて気分が良かった。途中から雲が出て来てやっぱり梅雨かと思わせる。雨が来る前に裏の大日様沿道から竹を切り出し風呂を焚く。この沿道を整理する意味で倒れた竹を切り出しているが、整理を終えるにはまだ二カ月ほどはかかる見込み。今年のお祀りに間に合うかどうかだ。仕事は6時半に終えた。重い仕事を終えると、その回復にお酒が必要。そのお酒を飲むためには今日の気分に応じた献立が必要。今日の気分は、「重くはない」だったので、スーパーに買い出しに。テーマはかぼちゃ。「かぼちゃとピーマンの炒め」と、「かぼちゃと豚バラ」のメニューに挑戦(サイトはキッコーマン)。前菜は「ナスの塩もみに雑魚あえ」。作りながら、酒を飲んだ。作り終えた時には酔っぱらっていてしばしの休憩。海の遊園地だったどうかの、地球スペシャルNHK番組を見た。一方今、読んでいる本は地球の温度と歴史。前世の人類と季候の関係について書かれている。今後の気候変化は、人類にどのような影響を及ぼすのか解らないとある。このテレビ番組は生態系の連鎖について取材してあり、先ほどの書籍と併せると、我々は妙に危ういバランスの上に立っているのが伺える。僕らの世代に人類の滅亡が来るのではないか?などと思えてしまう。 6月8日(金曜日) 淡々と仕事 引き継ぎ書を作成し(と言っても、膨大な量になるので、そのとっかかりの部分)夕刻プールに出かけた。今日はなんだか調子のよい予感がして、泳いでみてもそんな感じ。ターンも頭が深く沈まず、すいすいと行く。胸の痛みが無い分ターンが軽くなってきている。今回の神経痛は長くかかったが、やっと引いているような感じだ。それで1500m泳いで上がった。普段と変わらず、体力が元に戻った感じだ。夕食の後、閉店間際のサーティワンに寄ってアイスクリーム「キッズ」バージョンを買った。車の中でベートーベン・バイオリン協奏曲全曲組をアマディウス弦楽4重奏団で聴く。新聞でも評価されていたが初期の作品よりも後期の作品に演奏が冴えると。確かに4枚目くらいからは演奏が生き生きしてきた感じがする。まるで今までの水泳の不調が、回復したのとよく似ている。後、4枚ほど後期の版が残っている。次に車を乗るのが楽しみだ。 6月7日(木曜日) 豪華客船がやってきた ![]() 6月6日(水曜日) 興覚め 楽しかった昨晩とは一転した。昨日届いていた健康診断の結果を開くと、すい臓がんの疑いがあると書いてある。これはやばい。この病気は死に直結する。高知の岡村病院へ行った。先生は、この前CTで調べてあるので、問題ないですよという。そうか、それなら安心したと帰途についた。途中でブックオフに寄って中国語の辞書を買った。明日は中国人と接触するのだ。帰って、オペラドン・カルロを観た。LD4面あるから、相当な時間がかかる。素晴らしい音質のディスクで、映像を盛り上げる。ストーリは妙に把握できない部分がある。タブレットを開きストーリーを補完する。エリザベッタが年配で、役に合ってないような気がしていたが、後半には王妃の貫禄が出て来て、やっぱりこれはこれで凄いオペラだと思いましたね。ドン・カルロはプラシドゴミンゴで、こちらはもっとすごい歌いっぷりだった。指揮はカラヤン。ビッシっと決めた演奏。残念ながらBDでの発売はない。歴史に残る名演だが。 6月5日(火曜日) 懇親会 夕食は友人を招いて、夕食会。先日作ったナスの味噌炒めと、エビマヨの2種。ご飯類は、韓国のインスタント麺。麺のみでスープはないもの。(腰があってなかなか旨い)デザートは、夏ミカンと、プラム。フルコースで、しかも酒には3年物の梅酒。田舎ならではの豪華目メニューとなった。友人はこの夏からホテルで、新しい仕事を請け負った。貝殻にチェーンを通し、ブローチにしたり、キーホルダーにしたりする教室を子供たち対象に開催する。ホテルの支配人が乗り気で、きっと成功するだろうと思う。このキーホルダーは僕もあちこちで配ったが、結構女性には人気だった。貝殻はこの海岸にいくらでも転がっている。その貝を持ち帰り煮沸消毒して、穴をあけて、ニスを塗ると、白っぽかった貝殻が鮮やかな色を発色するようになる。土産物屋さんで売ってもいい程の出来具合だ。関東弁をしゃべる友人にはぴったりの仕事だ。忙しくなって、僕にも応援要請が回ってくるかもしれない。今日はこんなことで、酒を飲んだ。 6月4日(月曜日) 退社を決めた日 元上司に退社を伝えた。退社の件は、現上司に伝えれば良いとのことだった。採用の人が元上司だったので、仁義を切る必要があった。相談には乗ってくれなかったが、喜んでいたような節がある。前回の様に揉めるかなと心配してたが、すんなりと決まった。良かった。これで7月末退社が決まった。後は退社のプログラムを実行するだけとなった。つまり、日常のルーチンと、その合間を縫って引き継ぎ書を書き、最終日にする仕事を明確化することだ。一方、退社後のやることは山積している。当面は、家の修理(特に東側の納屋の瓦にシリコンで補修すること)。雨どいの修理は、赤野のトタン屋さんに頼んだ。家の周りの排水の見直し。崩れた石垣の修繕。きまさごの畑の排水。最後の2つは、相当骨が折れる仕事で、今年中の完成は無理。1~2年位の時間が必要だし、技術を磨かなければならない。石積みはどこかに一カ月ほど研修に行かねばならないかもしれない。まぁそれ程することが山積しているわけだ。しかももう時間的な猶予が無い。自分は自由の身で何をしても良いから、東京で生活するのも可能だ。でも、この家と土地に縛られているからそれはできない。夕刻プール。ココ壱番屋でカレー。夜、クーベリックのモーツァルトを聞く。これは1990年10月11日スメタナホールでの録画。まだ寝屋川に住んでいた頃、VHSに録画したテープを、2年前DVDに焼き直したもの。クーベリックの指揮は、名指しだ。確かにわかりやすいと言えばそうだが、受け手はプロの演奏家だから、何もそこまで言わなくても分かっていますよ!と憤慨するでは?と思う程、結構細かい指摘がある。僕だったら嫌だ。でも、全体には結構まとまっている。それが世界で通用する指揮者ということか?僕は、やっぱりこの人について行こうかと反省するかもしれない。こんなのが、300枚ほどあるから、全部鑑賞するにも時間がかかる。退社後のやることは山積している。 6月3日(日曜日) 貰いものの日 朝の5時半、目を覚ますと、トラクターに乗り、沖の田へ。草が伸びているので叩いた。前回は4月29日だから、一ヶ月ぶり。ところどころ背の高い草があるのは、前回から残り。それで今回は爪の深さ調整で7の目盛りに合わせ、かなり深い耕しを行った。次回は、あきひら君(ビニールハウスを貸している人)が叩く予定で、7月末頃までここは安泰のはず。帰路に西谷の畑を叩く。途中であけみちゃんに挨拶。きゅうりを貰う。タネから育てた(ホームセンターなどの店頭で売っているきゅうりの株は接ぎ木、もちろんスーパーに並んでいるのも)ので美味いらしい。「おまんくの畑を叩くときは言うてよ」と伝えた。寡婦のおばあさんなので、機械は誰かに頼んでいるはずだから。10時半に終了。部屋に帰ると、りえちゃんから電話。「明日ナスを上げる(木を切断し今年の作業を止める)きに、いるがやったら取りに来いや」それで、箱にいっぱい剪定バサミで切って持ち帰った。途中にまさのりさん夫妻にあって、そのナスをあげた。代わりに、プラム(毛のない桃)を貰った。夕食は、ナスの味噌、チーズ炒めだ。帰ると、またもや、りえちゃんから「やっこネギとバジル」が届けられていた。土佐山田の友達にナスをあげたら、これをもらったので、そすそわけとのこと。夕食のナス料理に、これらの野菜を加えて頂く。料理の腕よりも、新鮮な野菜に軍配があがる。今日は眠くて、レコードも聞けず9時就寝。 6月2日(土曜日) とうとう終えた 昨晩完成した資料を見直した。計算式と参照セルに間違いがないかもう一度確認した。今まで4回くらい確認しているが念には念をだ。これが終わったのが午前10時。それから週報を纏め13時。業務内容をまとめたのが午後6時。もう一本のまとめは午後7時に中断して、安芸市の銭湯へ、中華料理を食べて帰宅したのが午後8時半。ここから、再開し、午後9時半完成。更に、今朝見なおした資料をもう一度確認してメールしたのが午後10時半。これで一連の作業を終えた。お疲れ様。作業内容量と質を併せると、一日8,000円の仕事じゃないと自負する。退役軍人のアルバイトとしては重すぎますなぁ。 6月1日(金曜日) 取り敢えず完成 いよいよ、作業開始。朝6時から始めた。自宅勤務だからできる話。だが、この日に限って、Windowsのアップデイトや、その後の動作不安定で1時間は確実にロスった。自作のアンプはInteli5で、SSD搭載だから、作業は早く、主にこちらに振り替えて作業を進める。ただし、夏場の温度上昇でパンクするのが怖い(10年位前に買った筐体を使っているので、冷却が弱い)ので、蓋を外したまま。それで、ファンの音がめちゃ大きいのが傷。NASでデーター共有し、動きの悪い方は数値の参照用とした。午後10時完成。明日は日常のレポート作成に没頭できる。興奮して眠れないので、ウイスキーをお猪口に1杯。 5月31日(木曜日) 大変だ 今日は外勤の日。安芸市から高知市へと行った。だんだん外勤の仕事も高い密度を要求され、訪問しても2時間くらい滞在することになる。昼飯は寺尾でお弁当を買って、海を眺めながら食べた。そして、しばらく走ると眠くなり、赤野の坂で熟睡した。「ようやるわ」って感じだ。高知では3店訪問した。普通外勤者は報告書作成があるので、5時には家に帰り、作成するのだが、僕の場合は外勤日数が限られているので、目一杯外勤して、夜の7時に帰り、食事をした後報告書作成で10時。こんなパターンだ。いろんな会社の要求に耐えてこなしている。寝る前にCD一枚聞くのが楽しみ。ささやかな楽しみ。今日の気づきは、デノンのアンプはエージングに1時間くらいかかる事。つまり、CD1枚を聴きおえ、寝ようかなというときに、凄い音になっている。もう一枚というところを、鬼になって電源を切る。 5月30日(水曜日) こころここにあらず 今週末には、報告書を5本上げる計画だ。普段より2本多いのは、月末の為。通常これは、6日かけて作成しているが、今回はクライアントからの要求があり、半分の3日後に仕上げるのだ。しかも、この3日の内、1日は、通常の報告書作成に丸一日割かれるので、実質は2日で仕上げることになる。エクセルでリンクを張りめぐらした。この準備に2週間ほど費やし、2回ほど練習を行った。そんなことで、頭が一杯で、今日は休日なのに、妙に心ここにない感じだ。映画「グレイテスト・ショーマン」をレンタルで借りて観た。冒頭から、ウーハーの底を打つ低音で始まり、期待するものがあった。しかし、アカデミー受賞の「ラ・ラ・ランド」と比べると見劣りした。僕の心が映画向きでなかったからかもしれないので、何とも言えない。仕事は大変で、プラス思考で対処しないとやっていけない。その思考とは、この仕事で得た収入は、ラックスのプリメインアンプとB&Wのスピーカー。合計で150万円。これに費やすぞと夢見ている。今度大阪に行く機会にまずはヒアリングしよう。 5月29日(火曜日) マーラーにはまる ここのところ、マーラーを立て続けに買った。BDで、SACDでギルギエフ。CDでカラヤンとクーベリック。現役の頃はインバルで集めていた。1から7番までは結構聴いた。それで今日は9番に挑戦。9番は記念碑的な存在で、指揮者の〇〇周年、楽団の〇〇周年には必ず演奏される品目という。今夕はSACDのギルギエフ盤を取り出した。聴きながら、かったるいなと思っていたら、2楽章から急に元気になった。慌てて、「ハルくんの日記」(クラシック評価サイト)を読むと、そんな曲構成だと指摘があった。そしてそのサイトには、名盤が紹介されてあった。何とバーンスタインがベルリンフィルを指揮したのが大評価。カラヤンはそれが癇に障って、2度とバーンスタインにベルリンフィルを渡さなかったとかのゴシップもあった。それでは、って言うんで、今度はバーンスタインがコセルトヘボウ(オランダの)を振った。これが、世界の最高傑作となった。と書いてあった。早速手持ちを調べると、3番、5番があったが9番はない。タワーレコードに注文すれば、何と上手いタイミングでHQCDが7月4日に発売されると書いてあった。ベルリンフィル盤とコンセルトヘボウ盤を注文した。待ちきれないのでApple Musicで検索すれば、どちらともない。Apple Musicのクラシックは世の名盤を上手く外してあった。このサイトの強みは世界のロックとポップス。弱みはクラシックとJPOPS。 5月28日(月曜日) グレとアジと、カツオ 久しぶりにおじさん宅を訪ねる。ビールと、刺身3種を持参。刺身は安芸の「寺尾」で調理してもらう。プラスティックのお皿だが、盛り付けた刺身は芸術品。カツオは脂がありますと立て札にあったが、ホント、口の中で滑った。グレのコリコリ感は少々噛み締めても消えず、噛めば噛むほど甘みが広がる隠し味付き。アジはバーの美人ママさんが男をはねつけるように、醤油を寄せ付けなく、気高くて硬い。おじさんも年が行って声にハリが無くなってきた。年金が少ないので、来年も生花を出荷すると言う。止めれば僕が引き取り面倒をみる事になるだろうな。その花はスターチス。時々貰ってくるが、この花は、土佐の女のように強い。お墓に活けても一ヶ月位は持つ。おじさんの出荷する生花の箱には、「はちきんフラワー」と名が付いている。名は体を表すと言うではないか。 5月27日(日曜日) 物忘れ 最近、何だか、おなしな感じだ。いつもだったら、忘れてしまう事。例えば、車の中に置いた携帯電話。何処へ置いたのか探し回っていた。それで、もう一つの携帯電話から電話をして探す。所が、最近このような事が起きないとは言えないが、減っている。忘れ物が少なくなっているのだ。パソコンのエクセル計算に気を張っているからだろうか?それとも、酒を飲む機会が減ったからだろうか?自分にとってはいい事だが、原因不明なのが怖い。この期間の老化が、恨みのようにたまって、一気に噴き出すのではないかと心配だ。そう言ったことがある反面、今日はプールのトイレで見ず知らずのおじさんに話しかけられた。水着が裏表反対ですよ。「アレェ」て思いましたね。普段下着のシャツを前後ろ、裏表あまり関係なく着ているので、無頓着になっていたのだ。決して物忘れではないと自分の中で収めたが、一人で生活していると死角が発生して、それが常識に昇華し、自分にとっては何でもないことで、他人から見れば異常な事になるかも。これが起きる可能性は多々ある。「日大の常識」と言うのも世間から糾弾されている所。大学も閉鎖社会。閉鎖社会にどっぷりと浸かると、見えなくなるものがある、反面見えてくるものもある。今日は、クラシック音楽の世界にどっぷりと首を突っ込み半年。クーベリックがDvořákの大御所とは今の今まで知らなかった。ドボルザーク交響曲第1番。名曲なのに世の中には演奏したレコードが無い。だが、そこはクーベリック。キチンとありまんがな。全集を買った価値はあった。もしかしたら、クラシック音楽を聴くことが、物忘れに効いているのかな? 5月26日(土曜日) 毎日疲れている なんぼ気を張っても、人様の文章を読んで理解をするのには骨が折れる。人様の文章とは言え、僕が発行するからには、裏付けも必要で、ネットで調べる。納得のいく内容なら記載する。そんなこんなで、ノロノロ運転も良いところだ。タイピングは、少々の間違いも許すなら、iPadのキーボードでも、会話速度で記録できる自信がある。にもかかわらず、今日は一行60文字に10分はかけている。11時、16時、19時に終えた。作業開始は8時半。先週は8時。朝の散歩とラジオ英会話を断って、僕としては毎回、非常事態宣言発令中だ。終えると、三谷ブルースが耳の奥に聞こえてくる。「今日の仕事は辛かった、後は焼酎を煽るだけ」。という事で、フランスワインをお猪口に2杯。冷凍の焼き飯と、芸西村のナスの煮付けで夕食。音楽はSonny Rollinsの日本ライブ。LD。彼はまだ若く、吹きまくっている。デジタル音声記録で、気持ちよく聞こえる。 5月25日(金曜日) 一日のエネルギーが減っているのでは ここ数ヶ月を振り返れば、倒れこむ様にして寝るのは久しぶりではない。布団の枕元にはKindleを置いてあるが、寝る前の読書は、ホンの数ページで終えているから一行に進まない事実がそれを証明している。それでも、朝はすっきりしているから、結局エネルギーが減って、毎日それを使い果たしているからではないか?と思う。そうでなきゃ、8時間や7時間も寝たその日の晩は、眠れないのが普通だからだ。今日は黄砂。窓を閉めて過ごそう。黄砂が怖いなと思ったのは、昨晩懐中電灯を空に向かって照らした時だ。光の束の中に無数の埃が漂っていた。其れが半端じゃ無いからビックリしたのだ。こんなものを吸い込んじゃ、病気になるわ。明日報告する資料は、今夕9時ごろ到着するので、プールに出かけ食事をして帰った。運転中にカラヤン指揮のロッシーニ、オーバーチュアを聴いた。あの有名なウイリアムテル序曲もこの中にあり、すごい演奏だった。もちろんセビリアの理髪師もある。カラヤンの初期の頃の演奏はどれも秀逸だと言われるが、確かに惹きつけるものがある。其れに、ハイビットマスタリングで、音以外にも、惹きつける様な音作りをしている。軽トラのカーCDでさえこれだから。疲れた体で、9時からPCを開く。目が霞む。今日の作業は型枠に文章を落とし込むだけなので、考える事はしない。淡々と作業する。ここまでが限界とPCの電源を切り布団に倒れる。 5月24日(木曜日) 疲れた日 ![]() 5月23日(水曜日) 回復 朝6時に目が覚めた。すっきりの目覚め。4時間しか寝てないのに深い眠りだったのだろう。洗面をして、車に乗った。雨が降って来た。昨日オートバックスで、ワイパーを超撥水に交換。窓に当たる雨粒が丸く止まる。(ノーマルワイパーは、雨粒がつぶれ、べたっと広がり、視界を歪める)完結ワイパーで十分事足りる。朝の空いた道を普通に走ったら、3時間で帰り着いた。シャワーを浴びて兎も角睡眠。目が覚めたのは午後2時。またもやすっきりの目覚め。風呂を沸かす4時まで、クーベリック指揮のベートベン6番。「田園」。ブルーノワルター盤が最上だと思っていたが、こちらも結構緻密で楽しい。Sonny Rollins曰く、レコードは一瞬の切り取りだ。できれば、生の自分達を何度も聴いて音楽を理解して欲しいと言う。その気持ちは解るよ。でも高知の田舎では事情が許さないし、故人の音楽は聴きようがないのですよ。今日は6番を聴くのが精一杯で、夜9時には倒れこむようにして寝た。 5月22日(火曜日) 飲みました 今夜は松山だ。久しぶりに、昔付き合っていた仲間が集まる。この集まりは、現役で仕事をしているメンバーばかりで、昔の思い出話が一切出て来ないから良い。レコード(記憶)を聞くのは音楽だけにしたいと思う気持ちにぴったりだ。始まりは、「そらともり」だった。道後温泉で大きな規模のお風呂を有する。浴槽の前には湯温がデジタルで表示されて、入る前からあらかじめ肌感覚が分かる。空には月が浮かんでいて何とも言えない雰囲気。40度のぬるま湯に長時間浸かる露天風呂は、妙に生気を抜かれそうでやばかった。150リットルの壺に掛け流しのお湯がたっぷりで、入った一人風呂は、自宅のお風呂と感覚が似ていた。危ないのは、時間の感覚を無くしてしまい、たっぷりと汗を流しビタミン不足に落ちって風邪を引くことだ。長いは禁物。そうした後、この場で夕食。話題は僕の知らない人を評価するもので、どうも全体像が掴めない。掴んだからどうって事もなさそうだったし、飲む事に専念。この会合には新人のT君が加わった。彼のお父さんと大阪で仕事をした事があるらしいが、名前を聞いても記憶がない。大阪で仕事をする事に決めた。その後、フィリピンバー。みんなは溶け込むが僕は浮いたまま。今ひとつ乗れない。酔えば乗れるかと水割りを何杯も飲んだが、気分は変わらないし、酔いは回らない。カラオケも気がすすまない。「音楽は聞くもので、演じるものではない」、「スポーツは演じるもので、見るものではない」との哲学が僕の頭を占めている。「郷にいれば剛に従え!」後で、仲間から注意を受けたが、僕には、ガリレオの言葉が浮かんできた。「それでも地球は回っている」午前2時まで飲んでラーメンを食って解散。僕はラーメンも遠慮した。70歳前のおじさん達が、酒を飲んだ後、寝る前にラーメンかよ!それはないぜよ!そんなに若くはないと言うよりか、体に対して無防備すぎるのではないか?僕は定年以降一線を引いたのに、延長線上で生きている人達との乖離を見た松山だった。 5月21日(月曜日) 更にもう一つのニュース ![]() 5月20日(日曜日) 日曜日は忙しい 起きてすぐに草引き。2時間。食事。ネズミ侵入対策にパテを塗る。これで4度目の挑戦。彼らも意地になって侵入の挑戦をする。その後、セブンイレブンに「ラファエル・クーベリック」のCDを購入に行く。帰って田畑と大塚様に除草剤。友人たちにびわを発送。洗濯物にアイロン。HPのアップロード。ここまでに午後2時。2時間だけ、購入したCDを聞く。今回は46枚組み。前回のカラヤンのCDも未だ15枚程度の聞き込み。それは置くとしても、クーベリックの演奏は重い。カラヤンが厳格なら、クーベリックは重層。この人は、こだわりを持った人(こだわりがないと指揮者になれないが)で、マーラー交響曲全曲を全部違うオーケストラで演奏している。それも、ウィーンフィルやベルリンフィルは当然として、アムステルダムやロンドンフィルなど、世界にその名を轟かす有名楽団ばかり。こんな状況だから、空き時間があれば、CDを聞き、飽きると本を読み、とにかく忙しくせっせと趣味に高じている。その為か、夜7時ごろには入浴も終えると、もう睡魔が襲ってくる。興奮と感動の演奏を聴くもの睡魔に勝てずダウンしてしまう。 5月19日(土曜日) 今日はへとへとだった 今日はレポートを3本仕上げる。時間的にも厳しい(先週から2本から3本になった)。そんな中、PCの操作ができない相談の電話が3件あって、2時間くらいを失った。僕の仕事は、レポートのまとめもあるが、PCで報告書を仕上げるための各人のサポートもあるのだ。そんなこんなで昼食も簡単に済ませて再び取り掛かった。5時に2本、7時に1本メール送信して仕事を終えた。何処かに食事に行きたい気分だったが、疲れていて、動きたくない。しばらく休憩してスーパーに行って鍋の材料を買ってきた。先日購入した、韓国の麺があったので、ミックスした。味付けをしなかったので、あまり美味しくなかった。ワインを1杯。9時前に仕事の電話。寝る前の音楽はシューベルトのマス。目がさめるようなムターの熱演。こんなCDがある限り、下手にコンサートチケットを買って出向くのは腰が重くなるなぁ。 5月18日(金曜日) 不調 来週、友人が愛媛に来ないかと言う。その日、何人かがこちらに集結するのがその理由。僕は仕事だが、早退の届けを出して、駆けつけることにした。とは言っても、3時間半はかかる。まとめのメールが来ないので、早めに仕事を終えてプールへ。血管の中が年と共に詰まってくるが、激しい運動をしていると、少しは緩和されるらしいから、水泳はもっと少し真剣になろう。先日蚊に刺され、掻いたら皮膚が破れ血が出ていた。バンドエイドで応急措置をするもの、プールに浸かると沁みる。でも我慢して泳いだ。それとは関係なく1kmあたりで息が上がった。おかしいな?こんなはずじゃなかった。と思いつつ、平泳ぎに切り替えて、超スローペースで500m追加。上がるとヘトヘトだった。その割に腹は減ってない。この日は疲れている割に、なかなか寝付けなかった。診断では問題ないのに不調だ。なんなんだろう? 5月17日(木曜日) 健康診断。 前回に比べて、骨粗しょう症と頭のMRIが簡略化された。結果、食道にガンに発展する可能性のある、血管の模様が見つかった。来年広がってないか確認しよう。僕としては、そんな悠長な事でいいの?的な感想だ。昼前に終えたので、高知市内(検査は高知市だった)に駐車して、帯屋町を散策し、本屋さんでステレオサウンドと、生物はなぜ誕生したのか?を購入。コックドールで昼食。東京にあるコックドールは、小田急ショウルーム勤務時、所長秘書の森ひとみと何度か行ったので、名前が懐かしく入った。森さんは英語が話せるので、尊敬するお姉さんだった。高知に連れてきた事もある。高松に転勤して以来連絡してない。その後どうなったんだろう?高知のコックドールは東京と比べると、料理の幅は少ないが、落ち着きがある静かな店。味は良いが量は少ない。とりあえず、健康問題では安心できるので、帰っていきなり酒を飲んだ。この日のために少し控えていたからだ。 5月16日(水曜日) 休日だが忙しい 完全に忘れていたのは、母の火揚げの行事。お盆の一月前から玄関に提灯を吊るし、夜の間点けておく。それで、今日、テクニクスのプログラマブルタイマーSH-9038Pを設定し、提灯に繋いだ。出しっぱなしにしておいた3周期の祭壇も片付けた。それにルーチンワークの掃除を行えば、何と12時を回った。サトウキビ畑の草を2時間半かけて抜きもした。今日を逃すと、もう手作業では対処できないギリギリの日程だった。全国ではどう呼ぶかわからないが、「力草」が密集しては生えていた。1cmくらいだと簡単に抜けるが、5cmになれば、小さな鍬で根を掘らなければならない。太陽もあって苦闘の末に大汗をかいて終了した。もう風呂を沸かす時間が来た。今夜は早くしまい、明日に備えようと、夕刻には全ての行事を終えた。あとは、音楽を聞くだけ。カラヤンのCD100枚セットを聴いていると、厳格という言葉がぴったり。それに対して、ライバルのバーンスタインは、ラフな楽しさがある。どちらが先にそのような個性を打ち立てたかは不明だが、2大巨匠をライブラリーとして揃えて置くのは悪くない。今日は、バーンスタインのマーラー3番をLDで聴いた。素晴らしい熱演で、その場にいると涙が出たかも。そんな演奏だった。でも本当のマーラー3番とは少し違うよね、との感想も出てくるのだが。何処とは言えないが。 5月15日(火曜日) やりすぎだと思う 会社は販売コンテストを始めた。その途中経過が届いたが、なんと僕はベスト3位に付けていた。ラウンダーに販売を委託するのは、自分の描くラウンダー活動とは違う様な気がするので、当初このコンテストには乗れない気がしていた。あくまでも基本業務を淡々とこなす。これがラウンダー道と思っていた。しかし、ベスト3位だと、どうしても欲が出てきて、負けたくない。となる。それで、今日の外勤活動は主にこれに注力するする活動となった。得意じゃなかった営業も20年間の経験があり、まぁそれなりに動くことができるからやっかいだ。そうすると時間のたつのも忘れる、腹も減る。結局最後の店は閉店までコーナーの飾り付けをしてしまった。新潟の小林容疑者じゃないが、今日は善悪の基準がなくなってしまった。魂を悪魔に売ってしまったようだ。食べ物屋さんが次々と閉まり、ジョイフル24時間営業でハンバーグを食べた。今更夜中に、高カロリーも無いじゃないか!と思うが、店がないのと、無性に肉系が欲しいのとたまたま悪条件が重なった。 5月14日(月曜日) 新たな研究テーマ 一転して晴れ。洗濯をしながら、PC作業。大方の目処をつけて、明日出かける準備をする。毎木曜日は出かける日だが、今週の木曜日は健康診断。それで、日程を繰り上げて、火曜日に出かける。その準備も終えて夕刻買い物に出かけた。スーパーで近所のおばさんが、野菜のコーナーで迷っていたので、アドバイスをしてあげた。「ピーマンでもどうかね?」「そうやね、たまには食べんといかんね」。そのおばさん一家はピーマン専門の農家。その後、そのご主人が、ピーマンを山の如く持ってきて来てれた。緑の濃い硬いピーマン。スライスして、塩昆布を混ぜると大変うまい。古いピーマンだとスライサーで薄く輪切りにできないが、これは違う。周りは皆な農家で、少しからかうと、新鮮な野菜がやってくる。田舎暮らしの良さだ。その美味しいピーマンを食った後、NHKの人類誕生の第二回目を見た。ネアンデルタール人はなぜ滅びたか?納得のいく説明があったんので良かった。一方、先日読み上げた「ホモ・サピエンス」の書籍では、現在の人間には、ネアンデルタール人のDNAが2%程度残っているという。それを取り出して、(ジュラシック・パークでは琥珀に閉じ込められた昆虫の中から、恐竜のDNAを取り出して、恐竜を復活させたように)、ネアンデルタール人を復活させる技術があるそうだ。勿論倫理と政治の世界で許可は難しいとの事だが。エレクトロニクスのテクノロジー文献を読むのも面白いが、生物学の世界も隅には置けない楽しさがある。もっと研究を深めたい。 5月13日(日曜日) 発見 なぜ、土曜日のレポートが大変なのか?なぜ時間を要するかわかったような気がする。それは報告書であったり、商談書であったりするが、いずれも集約して読みやすい文章に変換する作業だ。ジェフ・ベソフ(アマゾンの創業者)やチャーチル(イギリスの首相)がわかりやすい文章のメモに固執した記事を読んだ時、合点がいった。彼らの側近は大変だったらしい。決して自分がそうであるとは言えないが、少なくとも努力していることには変わりなく、それはとても集中と時間を要する事柄なのだ。ホント。実際、一行の文章にどれほどの時間を食っていることか?それに、休憩も多い。頭が飽和して休憩をしてしまうのだ。マウスを握る手が痛くならない代わり。いずれも苦痛を伴う。人はなぜ無駄な言葉と文字を書くのだろう。モーツァルトのように考えて書くのではなく、書きながら考えるからだろうか。まぁ天才と凡人を比較するのは不公平だが。聞くところによると、モーツァルトは楽譜の書き直しがないそうである。楽譜は、縦にいろんな楽器が並んでいて、右方向は時間軸、モーツァルトはそれを頭の中で音にして合成しているようだ。その修正がないという事。彼の一部でも持ち合わせていれば、このような苦しみは無いわけだが。もっとも、それだけの能力があれば、こんな仕事はしてないって事か。今日は、雨だったが、沖の畑の草刈りをして、ホモ・サピエンスを読み上げて、1000m泳ぎ充実した休日だった。 5月12日(土曜日) 地引網 前の家の、スミちゃんが「今日は地引網やきに、来ぃよ」と声をかけてくれていた。1時間くらい抜けるので、今日は7時半から仕事を開始した。結構根を詰めた為か、右手が腫れて、両肩がパンパンに凝った。12時自転車にかめらをいれたリュックを背負って飛び乗った。琴ケ浜には大勢の子供連れの親子が来ていて、おにぎりや、おつゆや、唐揚げを頬張っていた。地引網はもう終わったとの事。残り物の手巻きやお汁を貰って砂浜で頂いた。地引網は11時に終わったとの事。どっちにしろ、その時間帯は商談書のまとめでカッカ来てた頃だったから、抜け出すことは出来なかった。少し食べたらず、カッパ市場で、黒ムツの干物とそら豆を買った。黒ムツは網で焼いて、酢につけて食べた。ソラマメは湯がいた。まぁ旬ならではの食べ物。レポートの合間に、裏にある琵琶を捥いで食べた。琵琶は両親の事を思い出すが、どうしたシーンなのかまで至らなく、直ぐ幻想が消えてしまう。琵琶はまだ早く、酸っぱい。6時にレポート3本送ってPCの電源を切った。買い物をしてお風呂に入り、食事をしたのち、コナンを見た。批評ばかりになるが、こちらは、犯人の動機に共感性が薄く、偶然の重なりが多すぎて、物語を深くさせている(ややこしくさせている)ので、そりゃないわと一人で喚く。 5月11日(金曜日) 一人で過ごす週末 今週の大きな仕事は終えていたので、今日は軽い仕事。昨日の外勤のまとめを行い、来月末に集中した仕事がやってくるので、その下準備。#N/Aを消す関数とかをいっぱい組み込んだ結構複雑な表を作ったが、昼の時報がなったので、保存をせずに画面を閉じた。(保存をしなくても良い画面を保存した)あれぇ、2時間の傑作が、またもや振り出しに。昼食後再び同じ作業。今度は関数を覚えているので、スラスラと。夕刻5時に仕事を終えた。これから買い出し、お風呂、夕食。夕食はパスタ。フランスのシャトーワインを1杯。一眠り。21時に起床して、PCを開き、夜に送られてくるメールを開き作業開始。後方支援の仕事は、当然のことながら、日中以外となるわけです。10時半まで粗い処理をして、明日の本格的な仕事に控える。自宅に帰り(と言っても、15mほど小道を歩くだけだが)、電気毛布で温まった布団に入り、Kindleを開く。軽い読み物と坂口安吾を開くと、5分後にははKindleが顔に向かって倒れてきた。 5月10日(木曜日) マレーシア マレーシアは思い出深い国だ。海外を担当して最初に訪問した。いきなり前日までにホテルまで入っておけと言われて、ネットで検索し、日航のHPにあったクアランプール空港の見取り図を頭に入れていった。それでも、タクシーチケットを空港の中で買うのは往生した。確か、「タクシーチケット」とは言わず、「クーポン」と発音したのではないか?色んな人に聞いても分からなかったわけだ。通関を出ると販売してないと注意書きがあったので、空港内をウロウロして発見した次第。旅行に慣れると、ホテルにタクシーの手配をさせて、空港で出迎えてくれる方法があるのだが、はじめての外国となると困惑が多いのだ。職場の仲間は当たり前のことなので、何のアドバイスも無かった。マレーシアは、かつて国のGNPの25%をパナソニックが稼ぎ、なかなか親日家が多い国。そして安全でもある。初日からホテルを抜け出して、食事に行った。この国は中国人とマレー人の国で、料理は中華系とマレー系(マレーシアとインドネシア)。その日はインドネシア料理のナシゴレンの上に目玉焼きが乗っているのを食べた。出来上がりの写真があったので、注文できたわけだ。この国はイスラム教が主だが、多くの人は頭に被りものがなく、美人もそのままである、それに結構陽気。そのマレーシアの元首相が又復活する。滞在に有利な条件が出れば、是非住みたい国だ。それには、経済が良くなる前提が必要。低賃金では中国がありバングラが続く、技術では日欧米があり、国の舵取りは難しい。目指すは外資だろう。国の開放で、外資を取り込み活性化させる。そうなると、国情が安定し、住むのも楽しくなるはずだ。期待してます。 5月9日(水曜日) 気分良好 今日は休みだが、朝からずっと電話。それも重い要件。だが、一頃のような悲壮感はない。一つには体の調子が良いこと。その処方箋は前から分かっていたことだがどうしても出来なかった。実に単純なこと。コーヒーをやめる。タバコを止めるより、お酒を止めるより、博打を止めるよりもいたって簡単。それでいて絶大な効果があった。もう一つ、前から患っていた膝の裏の傷が中々癒えない事。病院に行くともうすこし様子見だと言う。とりあえず安心。気持ちが軽いのだ。休暇には読書だと決めていた信念も、この調子じゃ、まぁいいかと思うこともできて、夕食に友人を招いて、懇親会。肉とみかんは友人が持参、僕は、ヒジキ、油揚げで包んだアスパラ巻きを提供。もし不足すれば、カニカマとキャベツのコールスローも考えいたが出番はなかった。明るいうちから飲み始め、明るいうちに終えた。その晩、カラヤンのCDを聴くも、ほとんど寝てしまった。この100枚セットは、リマスターとは言え音が悪いのだが、ものすごく引き込まれる演奏が収録されている。いったいどんな魔法を使ったのか?立派なオーディオ出なくても輝いた音が出る。気分のせいかも知れないが。 5月8日(火曜日) 億劫で 今週では、今日が一番重い。新しく調査を始めるので、そのフォームを作成し、サーバーに上げて、全国のみんなが使えるようにマニュアルを作成する。この一連の作業を行った。長編小説を描くのと同じで、前後関係に矛盾はないか都度チェックしながら進める。夕刻7時には完成して、メール発信。これから買い出しと夕食の支度。でも今日はエネルギーを使い果たし、暗い中自転車に乗って出かける勇気が湧いてこない。疲れた時ほどきちんとした物を食べないと、との信念は妥協して、冷蔵庫の余り物で夕食。清酒「南」をお猪口2杯。これで出来上がってしまった。酔い覚ましに「パイレーツオブカビリアン」をブラウン管テレビで見る。ちょっとこれは違うのでは?「100インチのプロジェクター」がぴったりではないの?とは思ったが、酔っていると動くのが億劫でそのまま21インチCRTで見終えた。この映画は、回を重ねるに従って、パロディと驚きに重点が移り、ファンタジー的なストーリーが軽んじられているような気がする。酔っていた為かなぁ。この日も運動はほとんど無いのに眠くて10時には就寝。 5月7日(月曜日) 睡眠時間 疲れが残っていたのか、11時間後の朝6時に目覚めた。若い頃は何でもない睡眠時間だったが、今では奇跡に近い。今日は先月の活動まとめを1本上げないと、水曜日の代休に影響するため、朝の7時半から取り掛かった。雨も酷く、外出しない仕事でよかった。根を詰めたPC作業で右手は腫れ、肩も凝って、夕刻6時に完成とともに仕事を止めた。今日は一切の運動がなかったので、高知のプールに出かけて1500m泳いだ。お惣菜を買って帰り、自宅で夕食。物凄い雨は依然として降り続いている。昨晩はよく寝たが、今日もまた眠く、10時には就寝。 5月6日(日曜日) のんびりと休日 静かな朝を迎えた。朝食は散歩先を伸ばし、国道沿いにあるローソンで、タマゴサンドと、一日分の野菜ジュースで済ませた。時間を気にせずのんびりできるのは久しぶり。今夕から雨だと言うので、畑の草むしりと、夕食材の買い出しに赤岡にあるディスカウントのスーパーへ自転車で出かけた(田舎の生活で困るのは、買い物、一軒のスーパーがあるが、小さい店なので品揃えが少なく、価格も高い。それで他の店に行こうとすれば、今回のように20km西に行かねばならない)。昼食がまだだったので、ビールとおつまみを買い、ヤッシーパークで一杯と計画してたが、雲行きが怪しくなり、ポロポロと来た。急いでビールだけ飲み干し、帰宅。自宅への坂道を自転車を押した頃には、雨が本降りとなった。急いでお風呂を沸かし、早めの夕食を終えると6時だった。今日は、「エアB&B」を読み上げるぞと勢い込んでいたが、7時にはどんなにあがいてもまぶたが上がらず床に伏した。 5月5日(土曜日) 今年も連休はない 朝は1時間早く仕事に取り掛かった。夕刻5時半迄にはレポートを送らなければならない。今日は全力疾走の日。普段はBGMも流すが、今日はそんな余裕もない。友人から、浜でバーベキューの案内があったが、今回は無理だと断る。昨年も連日のPC作業だった。ここまで頑張らなくても良いだろう。もう審判を下す時だ。別に報奨金は不要だが、滅私奉公の評価は一切ない。当たり前のことだろう。「会社経営が厳しいのでもっと頑張れ」がある程度だ。僕には、そこまでの義務もないだろう。高知の片田舎でPCを触っていてお金になるのは、定年を迎えた時夢のような話だったが、落とし穴もあったと言うことだ。今日は、なんとか定刻までに仕事を仕上げてメール発送。体は疲れてないが、エネルギーが欲しい。スーパーに出かけて肉とマグロを買った。あまりにも空腹だった。先ずはマグロで一杯やってほろ酔いになってから、肉の調理に取り掛かった。家の前の「しげお」さんが、鹿を食べるんだったら、いつでも言うて!とお誘いがあったが、僕は、「肉は牛の方が美味いと思うから、他の肉はいらん」と断った。今夕はその牛の肉。調味料が薄くても美味かった。寝る前の音楽は「アランパーソンプロジェクト」のLP。ジャケットが良いので買った。曲に馴染みはないが、CARSと同じで、良くも悪くもないメロディーに気持ちの良い高域が絡んで来て、引き込まれて行く。LPの持つ魔力みたいなものだろうか? 5月4日(金曜日) 田舎の散歩 我が家の隣、と言っても30m程離れているが、そこに「しげお」さんが住んでいる。僕より2つ上。この人の趣味はスケールがでかく、魚は自分の船で釣ったものしか食べないとか、鉄砲担いでシカやイノシシを取りに行くとか、ちょっとワイルド。どうせするなら好きなことをしたいと言うのが信条。僕と似ているが、規模が違う。いつも朝の散歩のとき、向こうは車だが逢う。今日は、たまたま家に居て、その前を通った時少し話し込んだ。今日は何をしようか迷っている。と言う。それは、「海水温が低く、黒潮まで行くには一日がかりの事となる」と悩みを相談された。分かりやすく言えば、船でカツオを釣りに行く話。「寺尾で買ったらどう?」と尋ねると、当たり外れがあるのでだめだと言う。これは味に関する最上級の話しで、「寺尾の刺身」は、普通都会では食べられない程の新鮮味(悪くても港で揚げて5時間くらい)がある。「高い魚をたべゆうね」「高いけんど、自分で釣るがは、うまいぜよ」。昼、松浦の「ひでお」さんに会った。先日救急車で運ばれた人。「どうぜよ?」と僕。「酒の飲めるうちが華ぜよ!」と父と同じことを言った。「あれだけ血を吐いたら死ぬかと思った」「ほいたら、もうたばこは、すいやぁせんろうね」「今のところは、止めちゅう」「今度は肥えるがに注意せなぁいかんろうね」「もう、弱っちゅうきに、肥えらぁせんろう」。この人はお年寄りだが、話好きなので、長くなってしまった。予定が詰まっている時、田舎では暗いうちに出歩くべきだろう。 5月3日(木曜日) 田舎生活 松の木に毛虫が湧いて、先日150匹程捕まえたが、今日は250匹程。今日は、鋏で切った。今まではラジオペンチで捕まえて下に放り投げていた。切り落とした毛虫は、地面が真っ黒になるまで転がっていたが、しばらく経つと一匹も残らず消えていた。アリが運ぶには多すぎるので、鳥が食べたのだろう。靴にまたもやムカデ。ラジオペンチで捕まえて、ポリ袋に入れて冷凍庫へ保存(この殺し方が一番、火であぶる人もいるが、もしムカデが暴れて飛んできては大変)。玄関道に蛇が出現。傘の先で真ん中位を突き刺して分割。前の畑に投げ捨てたが、夕刻時には消えていた。トンビがさらっていたのだろうか?朝起きると首筋や、足首にダニかノミに噛まれた後。痒いのなんの。それで、寝る前には、冬の間使わなかった布団乾燥機を取り出して、30分ほどダニ退治。その後、レイコップで掃除。汲み取り式のトイレには石油を撒いた。昨年は蚊の大群に遭遇したのだ。どれだけ大群かと言えば、息をするとき鼻から蚊が入って来る程だった。風呂に続く廊下に出没する鼠は、まだ阻止できず、シーリングパテを更に1本使い、隙間をつぶした。裏のミカン畑に進出してきたタケノコは知らぬ間に大きくなって鋸で切断。家の周りや庭に生えた草は、除草剤の散布。寒いと体が動かず住みにくく、暑くなると戦いが始まり暇がない。今日は土曜日の代休でゆっくりしたかったが、これだけの作業を行うと、一日がつぶれてしまった。早めに夕支度をしたが、8時が来ると眠くなってあえなくダウン。 5月2日(水曜日) 大雨 夜中に目が覚めると霧雨が降っていた。朝起きると体がだるい。昨日のお酒は確実に体にダメージを与えてくれた。4月24日に大酒を飲んでいるから、1週間ぶりの酒で、少し頻度が高いなぁって感じ。頭が呆然としていたから、まだ暖かいお湯がある、風呂を焚いて、朝ぶろに入った。朝ぶろに入ってTOIECの単語帳を開くと、既に記憶済みのページが全く新鮮に映り、お酒によって記憶が流れ去ったことが判明した。午後になると雨はひどくなり、午後4時、帰り着く頃がピークとなった。それから2時間報告書を仕上げて安芸市にある銭湯へ。玄関の自動ドアが開かず、しばらくうろうろしたら、やっと開いた。風呂屋のおかみさんは、「普段来んきに、ドアがあんたを忘れてちゅうがよ」と、皮肉たっぷり。夕食に福将の中華料理。帰りにツタヤで「オリエント急行殺人事件」のレンタル。映像甘く、プロジェクター向きではなかった。しかし音規格がdts-HDマスターオーディオであり、この規格対応はここしかないのだ。それはのっけから、列車の轟音が収録されていて、昔、デンスケを担いで録音をした音キチの音をはるかに凌駕するものだった。ジョニー・デップが殺される役の「ラチェット」を演じていた。海賊の化粧をしてないジョニー・デップは妙にすごみがあるのと、スクリーンに大写しになると、結構年食ったなぁの感想。大好きな美人女優ペネロペ・クルスもひところのような美貌がない。監督はこんなふうに俳優を素で映して果たしていいのだろうか?と少し疑問。登場人物みんなが犯人で、探偵のエキュール・ポアロは人情豊かに、誰も犯人はいないと宣言して幕を閉じる。これはわるくない。でも、リメイク版だが、どこに新鮮味を出したかったのだろう。確かに雪崩に巻き込まれる音響は凄いし、デイジー・リドリーの肌色の白さと口紅は特筆もの。でも内容の新鮮味はどこにあるのだろう?カメラは上からの俯瞰撮影を多用しているが、それがどうした?て感じ。 5月1日(火曜日) 上司が街にやって来る 今日は、僕の担当している得意先に上司がやって来る。僕の販売が低迷し、その原因を探るためだ。地元の企業との商談会もあった。そんなことで、来高の目的はしっかりとしていたので上司は喜んだ(宿泊出張が禁止されているため)。そして夜を迎えた。多分、今でも大都会の人たちは「高知の夜」はエキゾチックなイメージに塗り固められていて、機会があれば来てみたい地方の一つではないかと思う。実際、ここの住人でさえ、高知の街を飲み歩くのはなかなか楽しいものがある。ということで、今夜は「はっけ酔い」さんで、碇をおろした。彼の昔の仲間も合流し、大宴会となった。そこへ、今日商談に伺った法人さんも偶然にお越しになり、更に宴会は盛り上がった。高知の尾崎知事が、先日のドロメまつりで、高知は飲めばわかる。と挨拶をした通りの事が、この店で現実になった。僕も日本酒4合を飲んだ。何で覚えているかと言えば、ここから22:30の電車に乗って芸西まで帰り、そこから自転車で家にたどり着かなければならないからだ。昔、新橋で飲んで23時ごろの電車に乗って本八幡まで帰り、そこから自転車で40分漕いだのとよく似ている。少し違うのは、寝過ごすことがないので、行ったり来たりはしないだけだ。 4月30日(月曜日) 気力低下の問題 今日は内勤業務。今日はデータ集計。マウスを握る右手が痛くなる日。しかし、明日と明後日は外勤をする予定で、頑張って進めておかねば、ツケが回ってくる。5月からは新しいフォーマットの作成も待っており、とても通常勤務時間では回っていかない。世間一般の人より多く働いて、世間一般の人より幾分年齢を食っている。この仕事は継続が難しい。それに、最近気力が衰えて来ている。世間では人生100年。80歳までは仕事をするプランが必要とか。体力はその歳まで持つと言う。僕の事例で言えば、確かにそうかも知れないが、問題は気力が無くなる事。「もうややこしい仕事なんか、やりたく無いや」そんな気になる。これを高齢者はどう脱却するかですね。色んな事への興味が薄れて来ている中で、どんな事で気分転換をはかるかです。僕の場合、夜の水泳があった。1日の最後だから多少無理をしてでも体力の全てを使い切ってしまえと。高知まで40分車に乗ってプールに行き、20:15位まで泳ぎ、近くの食堂で9時まで夕食を食べる。帰り着くのは9時半。それから、ばんきゅうで、なかなかよかった。これがだんだんと減って来ているのです。色んな自己都合の理由をつけて腰が重い。 4月29日(日曜日) 番狂わせ 今日の散歩は控えて、朝から畑7枚をたたく予定をしてた。所が、朝のメールでは、昨晩送った資料が間違っている指摘があって訂正。何で間違ったのか?原因を探るとデータ元帳が、前回のものと今回は違っていたのだ。計算基礎を勝手に変更されたら、集計業務は当然違ってくるのは当然。少し憤りを感じたが、まぁいいや。気を取り直して修正しよう。と、言うことで、少し遅れ6時50分から沖の畑を叩いた。帰って今度は家の周りの畑。そこで、あけみちゃんに会った。あけみちゃんは、80前の寡婦。「おめかしをして何処に行きゆうがぞね」「今日はどろめ祭りじゃきに、それを見に行きゆうが、あんたも畑を叩いたら、来たらどうぞね」ニコンのカメラのテストもあるから、行くことにした。山の畑は未だぬかるんでいて、4駆のデフロックでぬかるみを脱出するのに時間を要した。トラクターも汚れ、帰って高圧水で水洗いした。思い具合には進まない。終えたのが10時。急いで、自転車に飛び乗って赤岡(15km西方)迄出かけた。40分。特別桟敷席は2500円だった。勿体無いので、海岸で船を見ながら、ビールを飲んだ。どろめ祭りは、男は日本酒一升を一気飲みする速さを競うイベント。女は半分。出場者は放送で医師に検査を受けるように呼び出しされていた。色々と今日は予定が狂ったので、イベントは最後まで見ず帰宅。HPをアップして、洗濯物にアイロンをかけて、お風呂を沸かし買い物に出かけた。帰って、「スターシップトルーパーズ」を見た。宇宙まで出かけて戦争が出来るほどの高度な文明を持った未来の人類が、巨大昆虫に負けているのがどうも解せない。と言うのは、そもそも昆虫にマシンガンで戦っているのがおかしいのだ、昆虫には殺虫剤だろう。農薬の噴霧だろう。普通ならこう考えるのでは?朝靴の中にムカデがいて、松で繁殖した毛虫を取るなど、虫との戦いを行なっている身としては、殺虫剤が一番だと考える。キンチョールがあれば、大概の問題は解決する。 4月28日(土曜日) 振り絞って 今日は、通常の纏め作業2本。仲間からの電話が長引き30分のロス。仲間も、いろいろと自分の中で納まらない事があるのだろう。会社は結構厳しい状況にあり、要求も厳しくなっているから、どうしても視界の狭い立場にいると、一体どうなんだ?と聞きたくもなるのだろう。会社はヒエラルキーがものすごくしっかりとしているので、情報が降りてこないのだ。今日のまとめの仕事は計算よりか、理路整然とした文章作成が求められるもので、マウスを握る右手は痛くはならないが、今度は頭がパンク寸前となる。庭に出て松の木に取りついた毛虫を一個づつ取る。100匹と目標設定して、終われば仕事に取り掛かる。これの繰り返しで文字を埋めてゆく。今日はスタートが遅れたので、5時半に催促のメールが届いても、終われなかった。5時49分にやっと報告のメール発信。買い物にも行けず、お風呂を沸かしてあまりもので鍋をつくり夕食を頂いた。少しまどろんだ後、プラシド・ゴミンゴ(世界でもっとも有名なテノール歌手)が「指揮」するDVDを観た。実に丁寧な指揮ぶり。多くの指揮者は指揮をしながら小さく歌っているが、さすがにこの人は歌わない。歌は別の仕事だと心得ているのだろうか。 4月27日(金曜日) ゴールデンウイーク 今日は別件でまとめの仕事が飛んでくる、そして、夜までに仕上げなければならい。これは日々の仕事に追加の作業で、かなり集中力の必要な仕事。27型と24型のPCモニター2台でデーターを見比べて作成してゆく作業。新緑がまぶしく、鳥たちは愛をささやき、蛙の合唱が耳を覆う。のどかな初夏の午後、マウスを握る手が腫れて、これ以上の作業は難しくなり休憩。休憩と言っても、領収書を郵便局に投函に行き、お金を下ろして来る。61222円。これが先祖様社建立の費用。建て替えてくれた方に払うお金 。建て替えてくれた方は、農業の経費計上とするので、節税になる。僕らサラリーマンにはそんな恩恵はない。世の中を旨く渡る人もいる。世の中は休暇の始まり。だが、僕らの会社には土日しか休日設定はなく、GWとは何の話?となる。今日は結局3時ごろにデーターが飛んできたので、終えたのが22時頃となった。 4月26日(木曜日) 四万十市へ 4月23日からキャンペーンが始まるのに、案内出来てない得意先が2か所ある。事前に情報があればそれなりの対処があるが、助成物発送と同時に案内が来ると、どうしても後手に回ってしまう。今日は外勤活動の報告日なので、できれば早く家に帰り資料を作成したいのだが、こうした避けられない物理的な時間を一日の中に組み込むと、昼飯なんか食べている時間がもったいない。昨年までの活動状態に戻ったわけだ。マクドでビックマックベーコン750円(高い)を買って、食べながら運転。大方町を抜けた辺りで食べ終えた。仕事を片付けて帰り着いたのが午後4時。お風呂を沸かして報告書に取り掛かった。7時に終えて食事とお風呂。9時から再び資料の作成に入り、10時前に終えた。器用なはずの岡村さんだが、なかなか区切りの付かないエンドレスな仕事(ルーチンワーク)は、妙にすっきりとせず、ON-OFFとの切り替えができない毎日。昔と言っても昨年は、まだまだ気持ちの切り替えが出来たんだが、年の所為なのかどうもすっきりとしなくなった。だらだらとした生活は性に合わないのだが、どうしようもない。 4月25日(水曜日) サトウキビの植え付け 昨日降った雨は上がり、燦燦と降り注ぐ太陽でたちまち畑は渇いた。川からホースで水を引きタンクに貯めて、畝に掘った穴にバケツ半分ほど水で満たし、鍬で泥をこねる。そのドロドロの中に、10㎝位に切断したサトウキビを埋め込む。まさのりさんに手伝ってもらって、2畝程植え付けた。今年は肥料をやらないで欲しいとの注意があった。山から大量の木の葉が水路に流れ込み、水路を塞ぎ鉄砲水になるので、この分だけはサトウキビ畑に撒こうと思っている。午後1時までかかって終えた。水は、水源地の川まで行ってホースを引き上げることで止まる。もっとも原始的な方法。どこまでできるのか不安だが、旨く行けば各地に住む友人達への貴重な贈り物となるはずだ。5万円程の釜焚きの費用が発生し、それまでの経費が1万円。計6万円で50個のサトウキビパックが完成すると計算。一個1200円。買った方が安いのですが。自分で収穫したと言う喜び代が幾分か差し引かれるので、収支はトントンか。 4月24日(火曜日) 平家の落人 今日の懇親会。岡村家先祖様社落成式で、岡村家は「平家」だと言う。芸西村の高級割烹「フジ」での話。よしみちくんが、岡村家は平家の落人と言った。彼によると、「関ヶ原の戦いで、平家は、四国に逃げて来て、幡多で一条公と名乗った。その分家が岡村の由来との事」妙におかしいのでネットで調べると、一条家は戦国時代、京都で藤原氏のいざこざを避けて、中村市(現在の四万十市)に落ち着いた。。一条家は藤原家の一角(藤原氏は平家でも源氏でもない)。その一条家は高知で7つに分家して、その一つが安芸氏だった。つまり今の安芸郡ですね。(また、その一つに長宗我部があり、後に長宗我部が頭角を現し、山之内家が赴任するまで土佐の代表となる)その流れを汲むのが岡村家と言うわけだ。芸西村には「小松」が多いが、これは間違いなく平家。飲んだ席上での聞き覚えの話しで、混乱があったのだろう。まぁこんなような話をしたわけですが、一人でビール20本くらい飲む人が2名いらして、そこら辺にビール瓶が転がった。そこでのもう一つの話は、僕が仕事を引いた後は、タコの山に続く道を切り開かなければならなくなった。草刈機を回せば、熊もイノシシも寄り付かないから安心だと言う。今治市の刑務所から脱獄した人は、こんな山の中で一人自活しているのだろうか?機械を持っていても不安なのに。 4月23日(月曜日) 重要なノウハウ 今日は内勤日で、データを整理した。5月初めに提出するレポートのベース作成だ。リンクを張って、そこに数字がうまれば、表が完成するようにした。データーがないと#/NAが表示される。これを消すには結構複雑な関数が必要。もう少しなので、こちらはパス。雨が近づいていると予報があり、急いで洗濯をしたら、一日中晴れていた。夕刻お風呂を沸かし、買い物に出かけ、食事をして、もう一度仕事に戻り、9時半に終えた。お風呂は失敗して、ぬるいお湯だった。入れないことはないが、出ると寒かった。落ち葉だけを集めて焚いたので、釜の中がいっぱいになり、結構熱量がありそうだったので慢心をしてたら、やっぱりダメだった。ここでの教訓は重さで熱量が決まる事。通常、木や竹はコンテナカゴ3杯でOK。それは結構な重さとなる。落ち葉は、軽いので、コンテナカゴ4杯では不足だと悟った。これは初の米朝会談よりも重要な事なので記録しておこう。 4月22日(日曜日) 充実感がない休日を過ごす 次世代ハウス、パイプハウス、マンモス。これ全てビニールハウスの名称。芸西村で近所の人とお酒を飲む時に知っておかねばならない最低限の知識。農家の話によると、マンモスのピーマンが1番うまいとのこと。でも理由はわからないらしい。又違う人は、パイプの方が妙に加温の熱量が多くいるらしい。まぁお百姓さんは、数値で詰めていないので、「感」での話。僕は農家でないから聞くだけ。でもつきあいには、この他にも、いろんな知識を持ってないと入れない。サンサンと降り注ぐ太陽と、眩しい新緑に囲まれてのどかな田舎生活を想像しがちだが、村の変化、農作物とカッパ市場の値段など、頭に入れておかないと、のんびり散歩しても挨拶ができない。テレビの「田舎暮らし」とは行かないのだ。サトウキビの作付けは来週の水曜日と決まった。ホースのジョイントが来ないので、ビニールテープで代用した。川をせき止めて土管に水を流し込んだら、土管が詰まっていて、一滴の水も出てこない。先ずは土管の清掃。棒を突っ込んだだけでは難しい。今度の大雨で、土管に大量の水を長し、ごみをとるしかないだろう。今晩から、ちと!根性がいることに取り組む事になった。夕刻、夜須町のセブンに荷物が届いた。タワーレコードで買ったHerbert von Karajanのボックスものだ。1947年からの録音が収められている。全部で100枚のセットだから、7000分=120時間くらいかかる。毎日聞いても年内に聞き終わるのは難しいかも。先ずは1枚目バッハの代表する「ミサ曲ロ短調」。カトリックに無縁の私には内容は不明。だが音楽はバッハが晩年精魂込めて作ったためか、吸い込まれるような(表現が妥当ではないが)、穏やかさがある。音量を上げず静けさの中に楽器や、ソプラノの音を拾う聞き方が似合っている。坊さんが修行で精進料理を慈しむように頂くのに似ている。 4月21日(土曜日) ミカンの花が咲いている 芸西村はこの時期になると村中が柑橘系の匂いに包まれる。ツバメが舞い、蛙が鳴き、これ以上は幸せはいらない気分になる。洗濯をしながら資料作成を行った。商談資料が早く送られて来たので、午後4時半に終えてメールできた。お風呂を沸かし、再び月末に必要となるデーターの整理を行った。夕刻18:30にプールに出かけようと車に乗ったが、昨日の事故現場を通るので、妙に気分が沈み、自転車で香南市に向かった。夜須に中華料理の「福将」がオープンしたので、意志を曲げてここに寄った。本来はまだ10kmくらい先にある街まで出かけようとしていた。フットワークが悪くなっている。この店は、安芸市にもあってよく利用していた。店に入ると、安芸市にいた若い姉ちゃんが手を振ってくれた。覚えていたんだ。ビール一杯と八宝菜定食を食べて帰った。芸西村は、四方を山に囲まれて温暖な地区とHPで紹介されている通り、どこに行くにしろ、ひと山越えなければならないのだ。それで自転車でこの山を越えると、ビールが抜けてしまった。お風呂に入って、「ゴーストバスターズ2016」リメイクを見た。あまり綺麗じゃない女性4人の友情が中心で、お化けを退治する物語。筋の骨格は、退治する人とそれを支える技術者のコンビで、昔からある007や、バットマンと構成は同じ。単なる娯楽映画だが、オリジナル音楽は全米でかなり上位に食い込んだ優れもの。 4月20日(金曜日) 今度は、交通事故や 前を走る車が妙に車線をオーバーする車があると思っていた。プールでも1レーンを行きと帰りに分けて使うのが暗黙の了解事項なのに、真ん中を泳ぐ人がいるが、あれと同じ。信号待ちの交差点で止まっていて、青になると、僕の車線に割り込んできて接触事故。その人曰く、自分が止まっていたら、僕が当ててきた。警察が来て、事故証明を作った。どちらが悪と判断できないので、二人で話し合ってください。そのおじさん(当てて来た人は80歳前のお爺さん)はお互いの車は自分で治そうと言った。僕は家に帰って車をじっくりと眺めると、その傷は後ろから前に向かって付いていた。明らかに後ろから来て僕の車に当てたと分かる。でも、事故の後は、気が立っているから、その事に気がつかなかった。警察も、新米の女で、分析ができなかった。僕は後味が悪く現場を去った。事故証明は発行しますよとのこと。その時は自賠責保険を持ってなかったので後で農協にもらいに行くと、警察は交通安全週間で、得点を稼げない事故については、あんまり深く関わってくれない、との事だった。未だ3000kmくらいは走らなければならない。安全運転に気をつけよう。この日は、仕事山積で外勤とメール作業があり、夜21:30まで仕事をした。 4月19日(木曜日) エンジン不調 今朝は、また、プラグが湿っているのかエンジンがかからない。休み明けにエンジン不調が多い。早くCDIに変更しなければ。それで、熱々の風呂に入り(昨日の残り湯だが、オキが残っているため)熱いお湯に幸福感をもらう。やっとのことで一歩足を踏み出すことができた。県内唯一の喫茶店「コメダ」によって覚醒。踏み込めばレッドゾーンまで回るようになった。今回の症状は軽かった。これなら、少々問題があっても、やり過ごせるぞ。と言う事で、一気に午後5時まで仕事をした。夕食はケンタッキー。この数日間エネルギー不足を感じて肉を無性に食べたくなっていた。友人から頂いた、ウイスキーが念頭にあるためだろうか?元気は出てきたが、始めて粗相をした。トイレでおしっこをしているつもりなのに、便器に小便が届いてない。気がつけば、息子は俯き加減でズボンをめがけて頑張っていたのだ。先を急ごうと焦っていたこともある。父も晩年は小便臭かった。アジアの国では、小便の場合でも、大便の便器を使う人を見かけた。当時まだ60歳前で、その意味は分からなかったが、今やっと分かった。日立のヘルパーさんで頑張っている人と飲みに行く約束をした。この人は、逆境でも前向きだ。少しエキスを分けてもらい、生きる糧にしたいと思ったからだ。よく知らない高知の人と飲みに行くのは少し冒険だ。飲む量がハンパじゃないからだ。でも、今回は話に興味があるので、大丈夫だろう。 4月18日(水曜日) もう半分過ぎた 17日はAV雑誌HiViが発売される日だった。この雑誌が出ると、急速にその月は終焉を迎えてしまう慌ただしさがある。今日は休み。時間を細かく切って趣味を積み重ねた。朝、スティーブ・ジョブスの本を読み、昼間、ベルリンフィルのシェエラザードを見て、近所の花をLUMIX、CANON、NIKONのカメラで撮影比較した。今日の反省はもっとじっくり一つの事に取り組まないと、充実感がないと言うこと。あれもこれもはダメなのだ。そういえば、安倍さんがアメリカに行って、トランプさんに北朝鮮の拉致問題の事をお願いした。日本のマスコミはよくやったとなっている。でも、この北朝鮮との問題を俯瞰すれば、1番重要なのは何かがよく分かるはずだ。「非核か否か」だ。これは世界の関心ごとだ。トランプさんはその交渉に行く。あれもこれも交渉に行くわけではない。拉致は1パーセントの重みしかない。ましてや、トランプさんは、他にもシリアの問題を抱えているし、通商問題だって政権維持のために隅には置けない問題だ。そこに拉致?「安倍さん、悪いがちっと軽すぎるぜよ」とトランプさんが言ったかどうか?安倍さんも、「実はそうなんだが、今、日本は、カケ、セクハラ、自衛隊と重箱の角問題で混乱しているから、トランプさんに動いてもらわなくてはならないのだよ」と返したのかどうか。でも、ダメなものはダメだ。 4月17日(火曜日) 消化が難しい 今月もう一本のレポートがあり仕上げた。夜の10時半まで要した。しかし、これで、2日間の外勤が、確保できる。今は新製品の導入で忙しいのだ。結局今週は飛び込みの仕事を2本こなしても、従来と同じスケジュールを確保し、更にもう一日外勤日枠を増やさなければならない。つまり無理しないと会社ペースの仕事は難しいって事。昼間、まさのりさんが訪ねて来て、さとうきびを植える日程を決めた。明日は、ホースを接続し、畑まで水を引こう。昼飯はカップヌードルを海辺で食べた。少し寒かったが、味は良い。海辺でカラマーゾフの兄弟を読んだ。20歳くらいの時に読んだ記憶があるが、記憶は、ブリーチですっかり漂白されたワイシャツのようにまっさらだった。腹が減ってフラフラだったが夕刻プールにも行った。1500m。こんな事をしても、仕事時間の収支は1時間半位のオーバーだ。深夜に「機動警察パトレイバー」を見た。お化けのような巨大な怪獣を、警察と自衛隊が退治する物語。その怪獣は、科学者の娘のがん細胞を注入した人工物だった。それが、少し物語を捻る。細部の筋が見えない部分があるが、結論までの流れは大まかに把握できる。押井守氏らしいちょっと難しいアニメ。見終わった後ドスンとくるものがあるが、それが何なのか分からない。時間をかけて頭の中で結実するのを待つしかないのか。頭のいい大学生の「お宅」に聞けば解決するかも知れないが、ここでは大学生と話す機会が無い。 4月16日(月曜日) ついていけなくなっている 4月から新年度に入り、いろんなものが新しくなった。その中の一つに、ラジオ英語もある。今まで、基礎英語3とラジオ英会話、エンジョイシンプルイングリッシュ。この3つ受講してきたが、まず基礎英語3が昨年位から少しづつ離れていった。そして今年度は3つが急にそっぽを向くようになった。教材のレベルが上がった。と言うか、実戦で使えるように変化してきている。そして、僕の頭は劣化が進むと同時に、勉強する時間も減っていった。二つのベクトルはまるで反対方向。お台場で仕事をしていた時は、毎日3時間くらい勉強に費やしていた。通勤は英字新聞にあて、散歩時は単語帳で暗記をして、食事時はスマホの単語帳テストを受けていた。そうして、機会があればフリーの外国人を捕まえて音楽の試聴に誘った。この結果、進化は無くとも維持出来ていた。そこで一大奮起、これはいかんと、明るくなってきた事だし、朝の散歩は、単語帳を持って出かけるようにした。お風呂では、トイックの練習本を1ページだけ読む事にした。でもこんなのでは、とても維持出来ない。記憶力が物凄く低下して来ているからだ。対策には、一日中英語漬けで、記憶というよりか、習慣に持ち込まないといけない時期に来ている。これを逃すと、もう立ち上がれないような気がする。政府はいろんな隠蔽とか漏洩問題で危機感があるが、僕にもそれと同じくらいの危機感がある。 4月15日(日曜日) あっと言うまの休日 前日の大雨とは打って変わった上天気。粗大ゴミの廃棄や、昼飯、壁のシーリングパテ購入など用事があって、車で芸西村を回った。途中で、近所のよしみち君から電話があって、「何処におる?」地藏のカーブ。「ほいたら待ちゆうきに」。今日は先祖様の社の落成式。13:00と聞いていたが、イラレの近所は、30分も早く集まっていた。僕の庭に車を止めて、山に持ち運ぶ品を整理していた。神殿の場所に到着すると、先ずは周りのタケノコの切り倒し。街の人とってタケノコは価値ある春の味覚だが、田舎の人にとっては、墓を荒らす元凶。太夫さんが13:00に来て、お祓いの後ご祈祷が始まった。そして、次に落成日の段取り。宴会は夫婦で参加する大々的なもので、宴会場からはバスの送迎がある。何があっても飲みたい。岡村家の家系は、裕福じゃないが、それぞれに、芸西村村民として、恥ずかしくない程度の生活を営んでいる財政状況。だから、飲むことも、そう負担とならず儀式の重要性が高い。また、そう言う理由がないと、男は思い切り呑む機会が無い。サラリーマンは、帰りにちょっとどう?と声をかけられるが、農家は、作物の生育具合がそれぞれの家によって違うので、そう簡単には行かない。僕としても、急に声をかけられるのはないから、都合がつけやすいのだ。そのあと、居間から風呂に続く長い廊下にネズミが出没するので、何とか阻止したいと、昨年から取り組んでいるが、中々効き目はない。トタンの波の間から抜けてくる可能性もあるのでシーリングパテで潰した。すると、エアコンのホースを出すところに4cm×13cmくらいの穴があるのを発見した。電気工事屋さんは、穴を開けたまま工事を終えたようだ。ここを板で塞いで、パテを施した。これで大丈夫だろう。すっかり遅くなって、夕食の食材を買い献立たが今日は不味かった。夜の音楽は、ホルストの惑星。N響。演奏は放送波なのに音が緻密で素晴らしい。が、ベルリンフィルなんかと比べると、演奏者が中華顔(日本人なので当たり前です)で、妙に似合わない。映像無しなら問題ないが、画面付きなので、どうしても目が行く。N響にはそんなハンディがありますね。 4月14日(土曜日) 安堵感のある週末 昨日取り組んだデーターは又追加が送られてきて、翻弄される。データー処理は一括でなければ時間が倍、要する事をご理解ないらしい。僕としては、限られた範囲で仕事をして行くしかない。そして今日のメイン・イベントは、商談書をまとめる事。28ファイルを読み込んでまとめる。この作業は大変、頭に痛みを伴う。この山を越せば「楽」が待っていると分かっているが、その山がなかなか越せない(田原坂みたいなものだ、古いか?)。毎週、週末にこの作業がある。週末は怖いトラウマが出来上がった。今日は夕刻6時ギリギリに完成した。終わると、大雨が降っていたのに気がついた。いつもは、オペラや余り耳に馴染みのない作曲家の演奏を再生しながら作業を行うが、今日は難航しそうな気配で、無音のままの作業だった。でも、頭の中では、文字がうごめいて騒音のなかでの作業だった。メールを終えると、騒音は鳴り止んだ。こういう急談があるのが、週末を楽しいものに差せているのか不明。しばしホッとしたことは事実、その後プールに出かけた。大雨だったのか、プールは空いていて、2km行こうと頑張ったが、何も考えなくて良くなった安堵感か、スピードを上げすぎ、途中で胸が痛くなり、1700mで止めた。まぁ時刻も遅くこれでいいのかなと思った。9時前にいつもの食堂にたどり着き夕食。 4月13日(金曜日) 生き方 帰りに大方町の海岸に寄った。ここは、高知県の西のサーフィン・メッカ。東のメッカは東洋町。遠浅の広々とひらけた海岸で、砂浜も広い。写真を撮影していると、サーファーがやってきた。こんな波でどうやって波に乗るの?「今日は浮かんでいるだけ」。けど、せっかくきたなら、勿体無いのと違う?「家はここだから問題ない」。サーフィンのために引っ越してきたの?「そうだ」。それだったら、ハワイとかもっといい波の来るところがあるだろうに。「そうだ、それで学校を出てからハワイに住んだ。それでもうボチボチかなと言うところで、日本に帰ってきて、探し当てたのがここだ」。サーフィン一筋ですか?「そうだ」。仕事は?「ネットビジネス。でも食えるくらい働ければと思っている」。そう考えるには少し若すぎやしないか?「そうだが、これでもなんとかなっている」。ざっとこのような話をした。ゆっくりとのんびりと、穏やかな生活。ぼくには出来ない。先ず、生活の基盤の財政を築き、それから趣味の財政と2階建の設計だ。その構築が出来てないと、イライラし、穏やかになれそうにない。でもそんな人生もあると見せてもらった。強烈な個性の人だった(こんな人は大好き)。彼も、サーフィンを下ろして話し込んだ。帰路はこの事で頭がいっぱいだった。またこの海岸に足を運ぶこともあるだろう。今度会うときは呑む約束を取り付けたいものだ。帰ると膨大なデーターから、一覧表を作成する作業が待っていて、21時半まで取り組んで、疲れ果て、N響の惑星を聴いてからダウンした。 4月12日(木曜日) 臨店の日 宿毛、四万十市へ行く。会社の財政が厳しくなり、宿泊の許可を取るのも大変。しかし、今回の作業を考えると、7時出発21時帰宅は避けたい。もう気力が失せたし、週一度の外勤でOKと言われているので、今までのように、出来ることは全部して巡回を仕上げようとは思わなくなった事と2つある。もちろん成績にじわじわと影響があるだろうが、出来る範囲(時間)で仕事をする。これを方針とした。それは僕のやり方じゃないけど。まぁいいや。四万十市で午後6時に終えた。未だ太陽は高く(安芸と比べると、日の入りは更に遅く感じる)、これで終わって良いの?良心が咎めたが、この後レポートもあるから、これで良いのだと結論した。夕食には四国に詳しい仲間から聞いた「千里」を訪ねた。「つっけんどうな」もの言いで取り付く島がないママさんがいた。突き出しの料理は美味く、これでいいかな?とも思った。後ろの席で、女3人組が酒を飲んで息巻いていた。離婚をするとか、スピード違反とか、ヤマダ電機の店長の給料とか大きな声で話すので耳に入る。面白そうなので席を移って一緒に飲もうか?とも思ったが、今晩は、まだ帰ってからメールが来るはずで余り酔っ払うのはまずいと判断した。刺身に「清水サバ」を注文したら、身の柔らかいのが出てきた。味は甘かった。しかし、鯖の柔らかいのはちょっと心配だった。夜中の蕁麻疹はいやだなぁと思った。四万十市は四万十川の河口から10kmくらい内陸部にあるので、港から直行と言っても少し時間がかかるわけだ。安芸の寺尾で買う硬い身の鯖の刺身は、港から1kmくらいしか離れてないから、自ずと差が出るわけだ。それで、悪いけど、魚方面は遠慮して肉系に移った。こちらは美味しかった。しばらくすると、ママさんが話しかけてきた。一人で旅行するのは偉いと言う。僕が幾つに見えたのだろう? 4月11日(水曜日) 深読み 先週日曜日から始まったNHKスペシャル、「人類の誕生に迫る」。僕はかねてより人類についての興味があった。それは、新興国と呼ばれるアジアで仕事をした時、日本より経済レベルの低い国の人々は、頭も同じように程度が低いだろうと思っていたが、全然違っていた、日本の最先端機器を持って行くと、彼らは日本人と同じように反応した。人類は、言葉や、肌色が違っても、条件が合えば同じレベルではないかと気がついたのだ。退職してから、「人類600万年史」とか、「ネアンデルタール人と交わった」とか、「ホモ・サピエンス」とかいろんな本を読んだ。そして、今回は「猿の惑星」の映画だ。まずありえない事がいくつかある。人類は体毛がない。それは長距離の移動するためであり、体毛のある殆どの動物は長い距離の移動ができない(発汗で体温を調節できないから)。第2に動物は集団で暮らせない。ホモ・サピエンスのように宗教など信心する事が出来ないと、大勢では纏まらない、せいぜい30頭くらい。第3に排泄物の処理が出来ない猿は、集団だと感染に晒されやすい、つまり集団だと死滅する。ホモ・サピエンスが長い間に学んで来たこと(適応してきた事)を全くこの映画は無視をしている。昔のメンタリティで続編を作成しているように思うのだ。人類の研究が最近急速に進み、色んな事が新たになってきているのだ。これはツッコミではなく、脚本家の良識の問題だ。昼から、転がっているホースをサトウキビの作付けのため延々と引回すので、継手を探した、コーナンでは無理、知識不足で対応できなかった。農協の資材部に行ってやっと相談に乗ってくれた、農協はいろいろ言われるが、農家のためにある。つぎは、畑を耕し、畝を立てる。初めて使う機械もあり、お百姓さんがやったのとはだいぶん出来栄えが違う。夕刻は映画「スカイ・クロラ」を見た。退廃的で冷めた内容。単純なストーリーをどう理解して自分の事に置き換えるのか?忘れていたが、この映画は二回目。二回見ても、前回と同じ受け止めてしか出来てない。作品の底が浅いのか、深読みができないのか? 4月10日(火曜日) スケジュール一杯 昨日は丁寧なお礼状を2通頂いた。一つは、カメラ購入でお世話になった方。こちらは手書きのハガキだ、万年筆で書かれていた。もう一人は、タケノコの水彩画が来た。タケノコのお返しだ。その絵が実に見事。僕は、早速裏に行き、タケノコを1本調達して、道路の上で撮影し、アップルのsketchbookのソフトを使って、版画に変換して、お礼状を返した。その間10分くらい。ちょっとショートカットしすぎではあるが、今のソフトは良くできているから、出来栄えは良いので、我慢してもらおう。今日は報告書を1本上げ、次の報告書の為のデーターを整理した。今は日中こうしてできる訳だが、12月までは、この作業のほとんどを深夜にかけて行っていたので、楽になったと感謝している。(でも、これが当たり前のことだけど)それで、1時間早く仕事に取り掛かり、1時間早く仕事を終えた。注文してあったレンズのフィルターが届いた連絡を受けたので引き取りに行った。ついでにニコンF4に装着する35〜70mmf2.8の中古レンズはないか?探してもらったが、「該当なし」との事。それでは、50mmf1.4は無いか?こちらは「ある」と言われる。大阪時代、地下の倉庫にカメラを保管して、レンズの中にカビが生えたため、ニコンF4のレンズが全滅したのだ。デジタルを新調したので、フィルムカメラも、なんとか一台は現役を続けさせたい願望があって、注文した。この後、プールで1km。高須食堂で夕ご飯。その向かいのツタヤで、「猿の惑星」と、松たか子、JUJUをレンタル。1日に一杯詰め込みすぎたので、帰るとただ寝るだけとなった。 4月9日(月曜日) 静かな田舎だが 朝からエクセルと向かい合っている。表が大きいので、2台のパソコンで、一つは参照用に使っている。こう言うシーンにはオペラが良く合う。以前は、バッハの無伴奏だったが、今はオペラ。「羊たちの沈黙」でも、ハンニバル博士が好んで聴いたのがオペラだった。緻密な犯罪にぴったりだ。計算にも合うのだろう。イタリアではおばさんたちが日常の中で、オペラを口ずさむと言われるが、日本人にとってオペラは遠い存在。岡山の仲間から電話があった。奥さんと倉吉の皆既温泉へ出かけていたそうだ。海岸ブチの温泉。そこで、深夜の地震だ。けっこう焦ったそうだ。益田市にも仲間がいる。こちらは被害がなかったそうだ。そんな休憩の時間もあったが、沈黙の時間が延々と続くかのようだ。マウスを持つ手が腫れたので、手を休めれば、コウジュケイがしきりに鳴いているのを聞く。朝は鶯だが、昼間は別の主役が登場している。頭の中では、数字や、会話が飛び交い騒然としているが、実際の芸西村の昼間は、静閑な田舎だ。 4月8日(日曜日) 今朝は妙に疲れが残っていて、散歩は取りやめた。日経新聞のスタイル面に、フリッツ・ライナー指揮ツァラトゥストラはかく語りきを絶賛した記事があり、早速Apple Musicで検索し聞きながらの朝食となった。始めてのステレオ録音だそうだ。昔の指揮者は勝手な解釈が多く、意外と胸打つものが多く、これもその一つ。この音楽はカラヤン指揮が最も有名だが、カラヤンの時代になると、楽譜に忠実に、しかも高度な演奏技術を持ったベルリンフィルが演奏するので、精巧な工業製品を見るような完成度がある。どちらも楽しめるが、昔のは音質に難ありだ。日記をサイトアップして、洗濯物にアイロンをかけた後、友人が訪ねてきた。僕は出かける用事があって、あまり話を聞いて上げられなかった。彼は新しい仕事を始め、得意先周りをしているとの事だが、自分の車を使うとの事。その車がマツダのロードスターで、ちょっと訪問には向かないのでは?と言ったが、問題ないとの事。(問題あると思うのだが)。それから、僕はカメラを持って、芸西村の桜祭りのイベントに出かけた。桜は花びらのかけらも無く、葉が覆い茂っていた。焼きそばと、五目寿司計550円を買って食した。家の近所のおばさんが給仕してくれた。芸西村の「婦人部会」。と言うか、「婆ア部会」て感じ。けっこうな人出で(50人くらい)、シャトルバスが満席だった。ビールの販売もあった。「コンビニの響」が営業していた。芸西村総出でイベントを盛り上げている感じだった。こんな小さな村で、こんなイベントだが、出店の食べ物は美味い。これが高知の良さだろう。帰って「ポール・マッカートニー」を読んだ。ページは「サージェント・ペーパー・ロンリー・ハート・クラブ・バンド」の時代だった。ポールマッカートニーは公然とLSDを使っていると述べていた時代。そう言えば、ハイレゾでこのアルバムは配信されたはず。検索すればe-onkyoで発売されいた。5,800円。今週はよく頑張ったから思い切って買った。音は少し高域が荒いが帯域は広い。音量を上げすぎると、音が飽和するのであまり大きな音で聴けない。弦楽器が綺麗な音で入っている。丁寧に作られているアルバム。書籍によると8ヶ月を要して仕上げたそうだ。このアルバムから以降、アルバムにコンセプトをもたせたそうだ。確かに聴いてて一貫性がある。書籍は一時休憩してしばし没頭。気持ちの良いひと時を過ごした。今日は大事なことが控えている。西の畑に水を引く作業。父が言っていた。作物は肥料と水がいる。水の手当なしには作物は作れない。西谷の水をホースで引いてくる計画。あちこちに使ってないホースが散在していて、これらを全部集めると、300mの距離となり、距離は足りた。他人のホースも勝手に使ったので、断りに行った。今度の休日は、太さの違うホースをくっつける作業が残されている。5時の時報と共に作業を終え買い物。帰りに友人に会ったので、夕食の懇親で合意。あまり美味い料理はできなかったが、久しぶりなので、いろいろな情報交換でごまかせた。いやぁ今日もよく頑張った。 4月7日(土曜日) どっちから見る? 朝から凄い風が吹いた。風は一日中吹いた。その上寒かった。真冬とは言わずも、ダウン・ジャケットが必要だった。友人は冬物を終い、夏物に入れ替えしたと言ってたが、僕の場合は入れ替えなしで、同じタンスに夏も冬も混在しているから問題がない。どちらかといえば寒がりなので、汗を掻くまでは冬物を着る。今日は今週のレポート提出日。午後2時になっても商談結果が届かない。これが届かない限り作業は前に進めない。丁度、畑を貸してある、まさのりさんが来てたので、サトウキビの苗を僕が引き継ぐ約束をしてたから、越冬してある茎を一本掘り出して一緒に状況確認した。すると、もう芽が出始めていたので、「来週くらいは植え付けをせんといかん。畑をたたいチョキ」、と言われた。「叩くのはじきやし、畝も上げられるが、水を引いてくるのが厄介だ。水源からは遠く、ホースが足りるか心配がある」と伝えた。僕としては明日この作業が必要だろうな。農作業は極力避けたいが、近所の手前やらざるを得ない。まさのりさんは、引き継ぎができたのでうれしかったはず。お坊さんの奥さんも手伝いに来ると言う。そんな会話の後、やっとメールが届き作成に着手。発送者は土曜日も大変だと思ったことだろう。ワーグナーの「神々のたそがれ」をジェーム・スレバイン指揮で聴きながら進める。風がますます強くなり、お風呂を沸かすのは中止とした(火の粉が飛んで火事の危険があるため)。PCの連続作業は、マウスを掴む右手が腫れるし、目もピクピクするので休憩が必要だが他にすることもないので、作業を続け5時半に終えた。メールを送り、残務処理をして、作業を終えた。ご飯の支度もなく、風呂もないので、おじさんところに電話をして、取り敢えず晩飯だけでも食べらして貰う事に。とりとめのない話だが、こちらは人間関係が濃厚なので、人の裏の裏まで見えるから、腹の立つ事件が話題の中心。「僕の住んでいるところは、もっとネチネチした関係ぜよ。長谷寄や赤野はそれでもカラッとしている」と応えると、賛同を得た。僕の住んでいることろは、日本の中では、四国と一括りにされるし、四国の中では高知と一括りにされる。高知の中では東部とされる。こんなに細分化されても、人口4000人の村でさへ、西分、馬の上、長谷寄、和食と人種は違うみたいだ。そして近所の人と飲むと、西分でも、東と西では随分と違うらしい。都会の人に、西分の郷西と東の違いを話しても、訳がわからん、となるでしょうが、こちらでは結構切実な問題でもある(例えば、農業員会に西分郷西からは、一人だけでも、ピーマン農家を送り出さなきゃいかんとか、そうせんとナスばかりになってしまう危機感がある)。お酒を飲むための話題としては、と言う視点ですが。僕には関係ないけど。 4月6日(金曜日) 雨 朝から雨だったが、散歩に出かける時は上がっていた。雲も薄くなり、今日は晴れるかな?途中で雨に対する重装備の散歩するおじさんに会った。傘もさしていた。「おかしな人だな、顔は知識人風なのに」。7時の時報がなって、家路を急いだ。途中、顔見知りの娘さんに会った。犬の散歩で、傘は持ってなかった。この空模様なら不要だな。「今日は2匹かえ?」と声をかけた。そこから10分後、家の門をくぐると、大きな雨音が近づいて来て、あっという間に土砂降りになった。雨に対してはいつもこれだ。なかなかぬれない。あのおじさんといい、娘さんといい、この雨の話はきっと家族で話題になるだろうな。今日と明日は無い頭を絞らなければならない結構苦痛の日。雨の中、外で声がするので、おかしいなと出ると、車が二台。先祖様のお堂の瓦職人さんたちが来ていた。「この雨で作業をするが?」「今日しか日がないきに、やらしてもらおうと思うちゅうが」。高知の人なら十分知っていると思うが、「雨」の事。半端じゃない雨だ。まずは、粒が太い。粒と粒の間の隙間がない。まだ肌寒い時、この雨にやられると、芯まで冷える。靴の中に水が溜まる。多分大変な作業だったはず。夕刻薄暗くなって、雨が上がり、作業も終えた。彼らには皮肉だろう。PC作業は集中力。時々気を抜いて休憩。タワーレコードからメールが飛んでくる。見ていると、ドイツ・グラムフォンから、ラファエル・クーベリック全集が発売される。16、000円。CD64枚組。全部が名演奏じゃないと思うが、全集に魅かれ購入。5月末に発売されるとの事。この仕事をしていると、どうしてもよそ見をして、いらんことをしてしまう。 4月5日(木曜日) 田舎生活の基本 ![]() 4月4日(水曜日) 先祖様お堂新築 今朝は、先祖様のお堂が完成し、昔の祠を取り壊し、新しいお堂と入れ替えした。作業はそう簡単でない。先祖様は、僕の家から50mほど上の山の中にあり、急な山道を登らなければならない。農業用の、資材を運ぶキャタピラーのついた運搬車に乗せて運ぶも、竹や、倒木を切りながら進むので、結構大変で時間を要した。お堂の周りの清掃は、落ち葉や笹を取り除き、これもまた、大汗をかいた。全部で5軒の寄り合いで、次の建て替え時には、ここにいる人は全員死んで居ないから、どうなるんだろうねと話し合った。少なくとも、一人は後継がないし、我が家はここに住まないし、もう一軒は、まだ結婚しない娘2名をかかえている。最悪は跡取りがいる2軒しか残らないことになる。次回は瓦が来て落成式。その時は、我が家で(土佐の)「お客」をする。これまた準備が大変だ。今回は10時過ぎに終えて、僕はトラクターを引き出し、沖の田を耕した。先月たたいたが、また草が伸びている。お昼前に終えて、今度は車で、昨日の宴会を行った皿鉢料理の皿の返却に行った。帰って、再びマーラー6番に取り組む。PS3のSACDもまんざらでもない音を出していると、少し見直した(気持ちが落ち着いたからかな)。音楽を聴きながら、村上春樹の遠い太鼓の2度目を読み終えた。書籍の2度読みは、少しの深堀と、文体の癖がよく見えた。それから風呂を沸かし、買い物。よしみちゃんにあって、「おまんくの山のタケノコは頭を切っちゃうきに、けんど来年はおまんがせななぁいかんぜよ」と警告を受けた(笑いながらだけど)。「今年の寒うなる時までまっちょいて」と答えた。夜は、ベルディ「ファルスタット」を見た。結構テンポの速いオペラだった。それとも、こちらの頭が疲れで朦朧としているからかな。 4月3日(火曜日) 両親の3回忌 ![]() 4月2日(月曜日) インドの事情 インドの航空会社、エア・インディアが競売になった。国策の会社で、最大手。所が、度重なる遅延で顧客が離れているとの事。僕も何度か乗ったが、すぐにジェット・エアウェイズやインディコ・エアに切り替えた。一つは、スチが綺麗。エアインディアのスチはおばさんを過ぎてお婆さんだったし、食べ物を給仕するのが、横柄だった。ジェット・エアウェイズの方は、美人で、給仕もゆき届き、飛行機が揺れると、時々触れた(日本の飛行機の様に、少しの揺れが想定されても、サービスを中止しないため)。インディコは給仕が全くなかった。もう一つ、エア・インディアはプロペラ機が多かった。4発のエンジンで、別に速度は遅くはないし、ジェット機だと言ってボーディング・ブリッジが使える訳ではないので、プロペラのデメリットがあるわけじゃないが、古くて汚いのは嫌だった。バンガロールなどは最新の空港だったので、ジェット機が多かったが、デリーやチェンナイは、飛行機の周りを随分歩かされた。今は全然違っているかも知れないが、僕が通った2008年から11年はこんな状態だった。そして、とうとうエア・インディアに鉄槌が降った。もう、カレーの染み込んだシートにお目にかかることはなくなるだろう。(8日の新聞で、インディコは買収を断念した) 4月1日(日曜日) 今日は忙しかったが締めくくりが秀逸だった 一つは、4月3日に父母の3回忌の法要を営む。そのための準備。祭壇を作るとか、しきびや花の準備(特に花については、先日観た「椿姫」でビオレッタが「死んでも花さへも飾ってくれない」と嘆く場面があり、死者への花の意味を知った訳)。墓の掃除や、道の清掃やらでてんてこ舞い。年に4回もの法要を2年連続で行なって来た。慣れたとはいえ、作業量は多い。ハナガシやお返しの手配などは、野町葬祭へ行って手配。もう一つは、青森の友人からリンゴを送って来た、そのリンゴは、雪の中に閉じ込めてあって、雪が溶け始める頃になると、そこから取り出して食べると言う昔ながらの貯蔵方式で保管したもの。そのお礼の品を発送する。併せて、裏の竹藪に物凄いタケノコが生え始めたので、友人たちに送る。今日はこの2部作でエネルギーを使い果たした。夜は早めに終えて、マーラーに専念した。今日は交響曲6番に固執。アンプを買い換えて、俄然ビクターのSX500のシムテムが面白くなって、「パーボヤーボ」のマーラー交響曲全集BDを買った。どの曲も不作では無いが、いまひとつキレが欲しい。Apple Musicで「ギレギエフとロンドンシンフォニー」のマーラー全集を聴いたところ、キレが抜群だったので、SACDを買った。ただ、SACDはプレイステーション3でしか再生できず、見晴らしが今一つよく無い。昔購入した、「シャーイとロイヤルコンセルトベボゥ」の組み合わせは、随分と違うマーラーだ。「ドホナニーとクリーブランド」の組み合わせは、ゆったりの演奏で、メリハリが不足する。なんだが、不満ばっかり。それでネット検索し、Mahler6番の名盤は?「ジョンバルビロービとロンドンシンフォニー」が一番にあった。Apple Musicで再生すれば、なんと名演。色々回り道をしたが、いい音楽に巡り会うことができた。寝る時間を大幅に過ぎたが、今日の発見は、大きい。 3月31日(土曜日) 安眠までの過程 いつも直前にしか要件を言わないある取締役は、昨晩重要な要件を伝えてきて、今朝仕上げた。2時間ほど要した。今日は4本の報告書を提出する日。1本はすでに昨日完成している。3本目は先ほどの事があり、14時に完成した。エクセルフォーマットで、マクロを組んで、罫線とか、フォントとかを瞬間にショートカットできるようにして、肝心の内容に時間を費やせる様にしている。報告時、マクロを外す作業を忘れなければOKだ。最後に、4本目の商談書まとめに着手するが、商談者の気持ちにならないと、文章はまとめきれず、ここに苦悩の時が始まる。午後7時提出期限とすれば残り5時間。慌てると、抜かるし、重要度の配置を間違える。作業量は特に多くは無いが、中身が重たいですね。家の前の道に出て座りウグイスを聞く、観音様の桜を眺めるなど、休憩を挟み6時半の完成。送信する前にメールを開くと5時半に催促のメール。就業1時間早く仕事に着手したが、この有様。頭の回転は落ちているのだろうな。夕食は、まず、鍋に水のままイカを入れ、茹でる。茹で上がったものをザルに移し、ワイン片手にそのまま食べる。イカの内臓に塩気があって、調味料は不要。次に、わさび菜を天ぷらにする。衣がうまくできてないし、油の温度管理が適当なので、店で食べる様な天ぷらとは程遠い仕上がり。それでも「美味かった」。料理は下手だが、素材と調理の方法が最適だったのだろう。今日の疲れは、これで癒された。ずっと昔、新宿のピットインにジャズを聞きに行った。丁度今頃の時期。演奏が始まるまで、スティービーワンダーのキーオブライフがアルテックのA7で流れていた。帯域の狭い音で、BGMだったが、なんとなく味のある音だった。それ以来このアルバムを聞き続けてSACDまで買った。今日、そのアルバムを演奏した。あの頃よりもずっといい音で、しかも1970年代が蘇ってきた。これで満足を得て安眠。 3月30日(金曜日) 対話の重要性 先日カエル君との対話の事を書いた。田舎に暮らしていると、対話が大切だと実感する。特に人以外との。先ずは草。田畑を覆い尽くす草は、放置するととんでも無いことになる。草が繁殖するとすぐ後に竹が生える。竹が来ると元に戻すのが面倒だ。よく草の気持ちを忖度し、明快な解釈が必要となる。崖には独自の思いがあるらしいから、草の一掃はよくよくの相談が必要だ。親切が過ぎると、崖が崩れる。次に昆虫。蚊やハエ、蜘蛛は会話が少なくいつでも一方的だ。特に蜘蛛は、若い時に鍛えてあげないと、成長してからでは遅い。朝起きた時に、透明な糸が顔にまとわりつき、構って上げられない不満を態度で示す。庭木には毛虫君が湧く。襟首の広いシャツを着ていると、好んで背中から入って来るほど親密な関係だ。それで好物のキンチョールを振りかけてやると、喜んでダンスを始める。ダンスに酔って木から落ちる輩もいる。今の時期は精力の強い竹氏は、頻繁に子種を振りまくから、毎朝産み落とをチェックして、拾ってやらねばならぬ。特に雨後は大変だ。トイ嬢も結構わがままだ。大風の吹いた後、隣の竹のササが飛んで来て、掃除をしてあげないと駄々をこねる。放って置くと、機嫌を損ね、雨水が溢れ出し、思わぬところが水浸しになる。裏の森族は、毎年冬に衣替えし、道に大量の廃棄物を落とす。家畜見たいな存在。下の世話をしてあげないと、側溝に溜まりダムの様になり、鉄砲水で仕返しをされる。こうして、何人(ひとじゃないが)もの対話として、共生している。それでも、僕が寝静まると、狸や、ないか分からない動物たちがきて、僕のテリトリーで我が物顔に振舞っているようだ。それと、今日は、今年、初めてのツバメ夫婦を見た。例年は子供連れの一家6羽で来るが、この日は2羽。富山の薬売りと同じで、最近はどこの家庭も受け入れてくれなくなったから、お得意さんを見つけると、それにしがみつく様な感じ。納屋の扉を閉めようが、近くを通ろうが、彼らは気にしない。ツバメ返しで、さっと通り抜ける。 3月29日(木曜日) 結構いろんなことがある 切り刻んだ青柳は納屋の庇の下に保管する。あと半年寝かせれば、風呂で燃やせる。7時、お寺の時報で作業を止めた。朝食後、メールをチェック、さぁ出発と思いきや、坊さんが訪ねて来て、「タケノコが3つばかり出ちゅう」。鍬を持って山に上がると、よく目を凝らせば、確かに3つばかりある。一つは失敗、いきなり筍の核心をついてしまった。後の2つは成功。成功と言っても、こちらの人が掘るように、根元の赤い髭の生えたところから取り込むのは無理。かなり上の方からとなる。昨年の台風で懲りたから、今年は東の納屋の付近の筍はそのまま、竹にして家への風のダメージを軽減さそう。北側の筍は食べようと決めているが、どうもその気配がない。これは、そこで置いといて、今日は外勤の日で、安芸に向かった。安芸の店は土佐店長が転勤で来てた。店が見違えるように綺麗になっていた。昼飯は、魚屋の寺尾でお弁当を買って安芸の浜で頂く。ギラギラと太陽が肌を焼くが、未だ風は冷たく丁度の具合。買ったお弁当は、筍のお寿司。オカラ、金時豆の甘煮。ローソンのコーヒー。一旦家に帰り、風呂を沸かして出発。旭、朝倉、高須と周り、よく仕事をした。大阪の友人から電話があり、今日はヤングOBの飲み会とのこと。帰り道ブックオフで和英辞典と英英辞典を買った。休日に辞書を開いて読もうと考えている。プールで泳いだ後、西村食堂で夕食。同時に開いた本は、Airbnb。この企業のコンセプトがいい。それは「新しい体験」。絶対に英語をモノにしないと、このシステムを楽しめない。世の中にはそんなにお金をかけなくても、楽しいことがいっぱいある。と書いてある。遅まきながら、挑戦だ。 3月28日(水曜日) これからの社会 朝飯前とは、簡単にできる事を指す言葉だが、今日の朝飯前は、庭木を伐採する事だった。門に続く道に成長した、大きな木があって、街路灯の邪魔になるし、電線にも届くようになって、上の方は散髪しなければならないと、常々思っていたが、今日は旨く葉が散っていたタイミングなので、朝6時から7時半まで木の伐採を行った。大汗をかいて、自分では結構頑張ったつもり。とても朝飯前とは言いがたい作業だった。朝食の後、今日は代休日で、昨日連絡があったので、お金を下ろしてカメラやさんに駆け付けた。ニコンD850を中心とする大三元のレンズ一式を注文していたのだ。150万円と軽自動車が買える代物です。ここがニコンだと思ったのは、バッテリーがほとんど充電されてない状態だった。注文して5週間目に届いたから、いわば注文生産をしている状態だろう。それならば、充電なんか普通はしておくのですが、ここがニコンのおもてなしと思った次第。ちなみにiPhone X(¥146000)はほぼフル充電の状態だった。帰って撮り比べを行った。比較対象はCANON20D(2004年)SONY NEX5(2010年)iPhone X(2017年)、D850は24-70㎜/F2.8のレンズ装着で撮影。結果色目はCANON、解像度ではiPhoneX、その中間が850Dだった。でもこれは想定していた。こんなピーカンの天気で撮影すれば差が出ないだろうなと。これはこれで満足だった。このカメラを買うとき、実は、次のような仮定があった。大量生産工業化社会では物が優先された。日本はバブル経済を経験して30年間苦しんだ。そして国際社会もグローバルの時代を迎えて、G8の国はもはや、物ではない時代に突入して久しく、いずれG20の国も後20年位で追いつくだろう。その時の生き方は、どこの国においても衣食住については、差が無く、その中身、つまり精神的にどう豊かに生きるかになっている事だろうと思う。カメラもこれと同じで、新しいのや古いのは関係なく、いい写真はいかに腕を磨くということだろうと。そのことを思い知るために高価なカメラを買ったのだ。高い勉強代を払った訳だ。ある面それは僕に確信を与えたから良かった。 3月25日(日曜日) あまりにも良い天気で、花見に出かけた。桜ヶ丘公園。僕の家から見える、向かいの丘にある。おにぎりと、ビールを持って出かけた。村としては、いっぱいの人出だった(車にして20台)。人口の主な人は百姓なので、それ以外となれば、こんなもの。僕がビール一本を呑む間に、彼らはご飯を食べて帰った。気持ちが良いので、草むらに寝転んだ。少しまどろんだ。その間に、別の組みが来て、ご飯を食べて帰った。なんとも慌ただしい花見。もっとゆっくりすれば良いのに。この丘から、僕の家を撮影した。帰って、日向で本を読んだ。「スパイたちの遺産」登場人物が多彩で、主人公が作戦の度に名前を変えるので、さっぱりわけのわからん小説だ。1300ページの内、1200ページまで進んでもわからないまま。多分最後まで読んでも何が何だか?て所でしょう。お風呂を沸かし、軽く食事をして、風呂に浸かって、総会に出かけた。しゃんしゃんで終わると思いきや、部落長が独断でこの集会所を使わせなかった理由を皆んなで糾弾した。感情的に話し、起承転結が無いから、全容を理解するのが難しい。要約すると、住民が集会所を使いたい、しかし、そのうちの一人は、村外に出た人だった。それを理由に部落長は断った。この判断の是々非々を問う事だった。書けばこのていどだが、話は15分くらいやりとりが続いた。この結論は、次の部落長が対処することになった。次の部落長は僕の友人だ。何でもかんでもOKだろうな。飲み会は、そこそこで失礼し、帰ってベルディのマクベスを見た。これは傑作。マクベスの中でも秀逸ものだろう(と思う)。LDなので、画質はそこそこだが、音はPCMで結構いい感じ。オペラは東京でないと見えないが、ここでは、毎週傑作が見られる。 3月24日(土曜日) ひとごと(人事) 「おまん行くろうねや」同級生の修二君に言われて、思い出したのは、明日の総会の事だ。部落の総会があり、部落長が選出される。500円も出せば、その倍の様な弁当と、一人が5〜6本位の缶ビールが付く。部落の財政は裕福で何の問題もないので、総会=飲み会なのだ。だから、知った人がいると酒を飲む相手がいるので、出席するとなる。昼、缶コーヒーを買いに散歩に出たら、梅木の森さんが、油粕の事について奥さんと話しをしてたので聞かせてもらった。安価な油粕でもみかんは甘くなるらしい。この夫婦はサクランボに油粕をどのくらいやるのか話しをしてたようだ。家の周りはみんな農家。もしくは農家を辞めた人。農業をするのに先生はいっぱいいる。他のことは知らなくても植物や野菜のことについては、奥さんでも詳しく知っている。作り物にかけては身体が動かなくなっても「口はプロだ」。僕が見る芸西村の風景と、農家の人が見る風景は全く違った見え方をしている。利害がない限り、深く懐に入らない限り、多少当方負担が多い限りこの村の人たちは親切なのだ。40年のブランクはあるが、僕は土着民で、家がどこにあって、どんなに古いか、井戸はどこにあって、田畑はどのくらいあって、どれほどの財産があるのか、みんな知っている。西分だけでなく、馬の上の人も、和食の人も、長谷寄りの人も、赤野の人も、みんな知っている。僕だけが見えてないし、知らない。そして問題はそれを知ろうとする気持ちがない。OB会では、どこの人がどうした、どこの大学を出てきた事まで詳しく語れる人がいる。ステレオ事業部のOB会でも海外本部のOB会でも、コスモスベリーズのOB会でも、今の組織のメンバー会でも。もちろん我が部落の飲み会でも。そして我が組織は人事の変更で揺れている、上も下も。だがこの件に関しては、ホント。知人がプッチーニのオペラに関心が無いのと同じように僕は殆ど興味がわかない。 3月23日(金曜日) 膝の裏が痛い 膝の裏に血豆が出来て、それが自然に取れた。熟れて摘果した様な感じだった。バンドエイドに血が滲んでいた。一件落着かと思いきや、この傷口は塞がっても、痛みが消えない。それで、心配になり病院へ行くと、骨の異常はない。内部で化膿している可能性がある。との診断だった。1週間後同じ様なら切って膿を取り出しましょう。となった。血管が近いので、ここに溜まったものが吹き出たのではないかと心配だった。来週もう一度訪れて処置してもらった後、続く様だったら、大きな病院へ行こう。昨年の血管検査では、内壁に余計なものは溜まってないと言われた。老人の体はいつ変化してもおかしくないので気をつけよう。今日と明日はレポートのまとめだ。それぞれ責任ある立場の人達が書く文章なので、添削だけでは無理で、ある程度その人の気持ちになって風景を眺め、箇条書きに修正を施して行く。数字を集計するのならば、方法は一つで時間さえ気にしなければいつのまにか完成している気安さがあるが、文章は結構負担が重い。そして、前もってどうまとめようか予想もつかない。毎回違う山を道も分からないままに登るようなものだ。自分でも意識しないスキルをどう引き出して表現するか?みたいな賭けが毎週金土曜とやってくる。鶴が羽を紡いで布に仕上げている様な危うさがある。1時間ごとに休憩を取って、家の周りを散歩して、またPCに向かう。空白時間があるから、放っておけば治癒する傷でも気になってしまう心細さがあるし、最悪を想定したりもする。 3月22日(木曜日) エンジンがかからない 友人たちは息を抜いて淡々と仕事をすれば良いと言う。僕もそのつもりだった。でも、僕の場合は、それでは失速して墜落するのがわかってきた。全速力で駆け抜けないと、意気消沈してしまう。特に、今日の様に、昨日休みで、オペラ(トゥランドット)や、レッドツェッペリンBBCライブなど、趣味に浸った翌日は、どうにもならない。自分を励ますがなかなかエンジンがかからず、商談にも説得力がわかない。話に工夫がない。これじゃいかん。失敗をしないように、失言しないように全神経を張り詰めて、マイナス要因だけを無くする事に徹した。一仕事終えて、喫茶店でしばらくの間気分が戻ってこないか待機した。午後2時過ぎ何とかして立ち上がれる勇気が出てきて、仕事に戻った。この落ち込みはかつて経験したことがない深いものだった。朝6時から1時間散歩をしている。6000歩くらい。本当は1万歩行きたいんだけど、時間がない。そう思っていたが、ここ最近は、この1時間が限界だと思うようになった。季節の変わり目で弱っているのかな?しかし、1時間で膝が痛み出し、これ以上は無理しないほうが良いとも思えるのだ。このことからしても、自分はまだ大丈夫だ。との過信は崩れ去っているのかもしれない。そろそろ時間が来のかな?近所のあけみちゃんに今朝挨拶をすると、「葉ニンニク」の作り方を教えてくれた。この人の畑と、我が畑は50mくらいの距離で、同じ栽培方法で行けるはずだと踏んだ。決断の後のプランは「葉ニンニク栽培」を密かに描いている。 3月21日(水曜日) 既に事例はあった 23日はアメリカが各国に対して、鉄鋼などで関税を課す日。トランプさんが怒るのも無理ないと思う。今まで、日本とドイツがアメリカからドルを奪ってきた。そして、世界第二となった中国がこれに加わった。親父の妾が3人になったわけだ。本妻の米国は疲弊し、「何とかしてよと夫に駆け寄った」のが現状ではなかろうか。よし分かった。これからは、家族の面倒を見るわ。これによって、接待やチップで潤った近隣の飲み屋も影響を受ける。ここで思い出したのは大昔の書籍、「火宅の人/檀一雄」の小説と一緒じゃないか。もうアメリカは世界の経済を支えきれないと言うこと。それに、1番儲けの大きい職種である製造業が嫌いな人達がアメリカだ。額に汗して働くのは基本的に嫌いな国。それで、金融が栄え、一方でホワイトカラーは生産性を上げた。一方、世界の工場を標榜する中国がドンドン利益を蓄え、アメリカを凌ごうとしている。天秤のアメリカ側は、次第に軽くなっている(存在が)のに、中国側は、ドンドン重くなっている。人間の能力はそんなに変わらないから、どうあがいても、かつてのアメリカはありえない。今は、トランプさんが悪者になっているが、誰が政権取っても同じだろう。貿易戦争だといっているが、これから世界は一つになる(著書ホモ・サピエンスでこう述べられている)。すでに、世界は一つになっている部分もある。あれほどアメリカを嫌ったアラブ諸国も賛同している。そこには意見の不一致はない。それはお金。「ドル」。世界はこのお金に一本化されている。そして、今を遡る数千年前にも基軸通貨があったようだ。貝殻だったらしい。今すぐどうなる訳ではないが、中国だけが、あるいはアメリカだけが特出するような時代はなくなり、平準化されるのではないかと見ている(私は)、だがそれを見るのはもう少し先のことで、私は見届けることが出来ない。 3月20日(火曜日) 田舎生活 ![]() 3月19日(月曜日) 何故、経済のグローバル化は中間層の撲滅なのか? 何故って、皆んなが同じ舞台に上がり競争すると、努力する人が報われるのは当たり前の話。アリとキリギリスの話と一緒で、中間層はキリギリスだ。特に白人の中間層はタカをくくっていた。新興国が努力をしても、我々文明人に及ばないだろうと。所が、インターネットの普及で、新興国の努力する人は、先進国の教育を受ける事も、情報を得ることも可能だったのだ。何も、海外で起きた事ばかりでない。日本でも。「ヒカキン」さんに感動した。たまたまNHKの番組でみかけ、彼の生き様を拝見した。そしてYouTubeを見たら、結構惹きつけられる人間的魅力を放っている。企画、制作、出演をヒカキンさんは一人でこなしている。放送局だと同じ事を行うのに、年収1000万くらいの人が10人くらいは絡んでいる。YouTubeは普通の人で、0・01円×100万回=約1万円の収入。ヒカキンさんこの10倍位はあるだろう。彼によって、テレビ局の視聴率は落ち、収益は減る。結局中間層の撲滅がここでも起きている。でも、世の中はうまく出来ていて、下層の生活でもなんとかなるようになった。芸西村のごみを気にしているが、ビールの缶が極端に少ない。ほとんどが発泡酒だ。ひところ、キリンの支店長が、「たっすいがはいかん」と気勢を吐いたが、もう昔の事。「たっすうても安い方がえいきに」。結論、別に中間層にこだわらなくても良くなったということだろう。 3月18日(日曜日) いろいろあるわな 朝の散歩を中止して、粗大ゴミの処理の準備をした。裏のミカン畑には、母は日用品、父は農業資材を捨てていた。大きなものは昨年中に処分したと思っていたが、まだまだあった。準備が出来た所で、今度は沖の畑に行って、田に捨ててある花の芽を回収した。従兄の娘夫妻ビニールハウスを貸してあるのだが、その若い夫婦は断りもなく、空き地の我が畑に、花の芽を捨ててある。僕は、それを回収して、捨てても良い畑に持って行くのだ。何で俺がそこまでせなあかんのや?まぁ喧嘩はよそう。親類だから。もう一つ隣の畑には、梅の木が倒れて来たので回収。木は細かく切って風呂のたきものに。それから朝飯。ローソンの飲食できる所でモーニングコーヒー。芸西村では1番近い唯一の喫茶店だ。家に帰り日記のサイトアップ。昼寝。風呂の焚き物伐採。西の畑をトラクターで叩き、先週から開始した一連の草の備え第一陣を終えた。トラクターを洗った。先日トラクターを貸したら、ビニールなどが爪に巻きついたままだった。人にものを借りたら、元どおりにする常識がない。まぁいいわ。僕が人に迷惑をかけるのは気にやむが、受けるのは僕さえ我慢すれば良い話。ストレスがない。今日は朝も昼も大したものは食ってないので、夜だけは野菜たっぷりの食事とした。洋風に仕上げたので白ワインを煽った。魚料理 にワインは合わないが、肉料理にワインはピッタリだった。 3月17日(土曜日) 寂しい高齢者 月日の経つのは早いもので、寒い寒いと言っていた冬がいつのまにか過ぎてしまい、一昨日は、電気毛布の設定が高すぎたのか、暑くて目が覚めてしまった。朝の散歩も、明るなり、途中で太陽が出てくるようになった。1日で散歩コースの300mほど日の出が早くなっている。今日はレポートをまとめる日。読み込んで集約するのに時間がかかる。夕刻6時までに書き終えるのかいつも不安。そんな心配が付きまとう。が、それとは関係なしに、同級生の理恵ちゃんから電話。ナスの大きいのがあるきに、取りに来いや。こんな電話は断れない。理恵ちゃんからは数日前に相談を受けていた。「寂しいきに、犬を飼いたい。しかし本物の犬は世話が大変だから、ロボットの犬を飼いたい」「僕は、やめちょき、ネットに繋いで飼育をしないといけなくて、月々物凄いお金がかかる」「そんなに、言うがやったらやめちょく」と話をしたばかりだ。理恵ちゃんは姑さんを亡くしたばかりの後家さんだから、もう誰にも縛られない、それで、寂しさと、自由が手に入った。もちろん、お金もたんまりとある。農業のナスは、そんなに頑張らんかったら、自由な時間も取れる。それで、色々冒険したくなったと言うことだろう。おんなじ話を、いつも立ち話をする、よしえちゃんにも聞いた。彼女もお金も時間もある。 3月16日(金曜日) そりゃぁ、君間違っているよぅ! いつも2月の始めから聞こえ始める鶯は、今年は3月に入ってからとなった。森の中にある我が家は、よその森のウグイスも聞こえてくるが、今年は何処とも3月に入ってからだった。ウィーン・フィルハーモニーのオペラ座でさえ、練習用の大きなホールを持って、日夜プロ歌手が歌合わせを行なっているのに、今年のウグイスは2月の練習期間無しに、3月デビューでいきなり鳴き始めた。まぁ最初の下手さ加減は許そう。しかし、2週間が経過した今もなお、「ホー」までは良いが後がおかしな節回しなのだ。それは、我が家の森を縄張りとするウグイスばかりでなく、西隣のウグイスも、東のお宮のウグイスもおんなじ状況なのだ。確かに昨年12月から寒い日が続いた。それで、ウグイスも何処か遠くに行っていたのだろう。出張帰りで、時差ボケをしているかもしれない。時差ボケを英語では”jet lagged” と言うが、鳥の場合は”bird lagged” と呼ぶのか。そういえば、12月ごろ木枯らしが吹く頃、メジロが降りてくるが、今年は見かけなかった(若しくは、仕事が忙しくて気がつかなかったのか)。生態系が大きく変化していると言うことなのか?夜の蝙蝠はもう見る事はないし。例年、ウグイスは6月の梅雨の頃まで鳴く。それまでに上手くなってくれるだろうと祈ろう。 3月15日(木曜日) 天才モーツァルト 小澤征爾さんの案内でモーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」の解説を聞いた。2005年の録画BD。小澤さんはカラヤン先生に指摘されて、渋々ながらオペラの指揮に付いたそうだ。この機会を活かさなければ一生オペラの指揮とは無縁の生涯を送るぞと脅かされたため。小澤さんは曰く、「フィガロの結婚」はイタリア語で歌われるが、イタリア語と、演奏がぴったりと合った楽譜になっている。と指摘する。モーツァルトはイタリア語(母国語はドイツ語)が堪能だったと。作曲家だけではなく、語学でも天才だったと言う。そうした解説を聞いた後で、アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー演奏の「フィガロの結婚の第2幕」を見た。軽い話はチェンバロの伴奏、重い話にはオーケストラが寄り添う。言葉なしの楽器だけも物語が表現できていると言う。今は、DVDやBDがあり、オペラは聞くよりか見ることができるが、昔のオーディオマニアは、オペラをCDやLPで聞いて楽しんでいたのを思い出した。当時の僕は歯の立たないジャンルだった。食わず嫌いだったかもしれない。しかし、オペラは、ある程度人生の経験を踏まないと解らない音楽でもあったと今は勝手にそう思っている。夜の短い時間なので、堪能する迄に至らない。 3月14日(水曜日) 休日返上 大阪から来た幹部が臨店したいと言うので、休日返上で高松市内を案内。先週も午前中が潰れて、今週も午後2時まで潰れた。いいこともあった。我が社ではマッサージ器を扱っているので、臨店の際に、いろんな会社の機械を試してみた。相変わらずパナの機械は痛い。しかし痛いが効いたのか、先日来、風呂の焚き物を作るときに腰痛を引き起こしていたが、今日の午後、腰痛が消えていたことに気がついた。帰り着いて、再び風呂の薪を切ったが、腰痛知らず。今まで、バカにしてた、マッサージ器は真剣に購入を考えても良いと思った。沢田研二じゃないが、「悪いことばかりじゃ無いさ」だ。日のあるうちに買い物も済ませたが、別の会社幹部から、大きな仕事の要請が来て、数日で仕上げて欲しいと。僕は「頑張って22日」だと回答。過去のフォーマットが使えないので、時間を要すると説明。部署が変わっても、ハードな仕事の変化はなく自由な時間が少ない。 3月13日(火曜日) もも焼 ![]() 3月12日(月曜日) 内勤の日。いきなり、予期せぬメールが飛び込んできて、午後3時まで忙殺。ここから当初の予定を始めるが、ちょっとだけ難しい仕事で、報告には責任ある数字が掲載出来ず、残念ながら本日済ますことが出来なかった。6時からプール。1km泳いだ。疲れて帰り、REO SpeadwagonのLPを聴いた。CDやハイレゾと比べると、音が痩せているが、1982年の香りがする。裕福じゃ無いが、筋が通った田舎の頑固者のようだ。美味しい紙パックの日本酒にも似ているかな。なにわともあれ、幸せな1日終わりを迎えた。 3月11日(日曜日) 遠い太鼓 著者は村上春樹。この3ヶ月イライラしていた。その間、少し慰められたのは、「騎士団長殺し」の読書だった。記述に音楽を聞くシーンが多く、僕も違った意味で同じように、ゆっくりと音楽に接し、身の振り方を考えることができた。その本はやがて読み終え、いささか気の抜けたような3週間を過ごした後、昨年の夏読んだ氏の本をもう一度読んでみようとページを開いたのが上記のタイトル。僕は一度読んだ本は2度と開くことは今まで無かったが、この「遠い太鼓」は時間がゆっくりと過ぎていくのを楽しむ著者の生き方が綴ってあって、イライラ病の快復に些か効果があるような印象だったのだ。この至福の時間を過ごすために、僕は今日努力をした。朝5時半に起きて、トラクターを引き出し、沖の田、2反を耕して来た。既に20cm位の草がびっしりと生えていて、今週を逃すと、もうトラクターの手に負えなくなる寸前だった。来週は畦に草枯らしを散布する作業で、3週間ばかり農作業から遠ざかれる。11時から「ポールマッカートニー」を読み始めた。ビートルズはアメリカのビルボードチャート1位も獲得し、ラバーソウルのアルバムを出した頃まで。時間的には1964年から5年の頃。時間がもったいないから昼飯は外に出ず、冷蔵庫の中の有り合わせで済ました。これでもう何もなくなった。昼飯を掻き込みながら、「遠い太鼓」の再読を始めた。村上氏が小説を書くために、ヨーロッパに移り住んだ時のエッセイ本だ。この時書こうとしていた小説は「ノルウェーの森」。ビートルズが同名の音楽を発表したのは1965年だから、2本の小説が珍しくも一致した。但し、内容は関連性が無いけど。ギリシャでテレビもラジオも無い生活をしているシーンが書き連ねてある。そだね。のんびりするためにはテレビは不要に賛成。 3月9日(土曜日) 一線を越えた日 纏め作業に朝から取り組んだ。前回指摘があったので、今回はかなり真剣に取り組んだ。作業を軽減するために、エクセルで、フォントの統一を出すのと、セルの中に、縮小して表示と、セルの挿入のマクロを組み、ショートカットで作業を軽減したが、表現方法をめぐって深読みもしたので、思わず時間を食った。夕刻6時半に催促のメールが来て、7時前に送信を行った。そうすると、今度は、フォントがゴジックでなく、明瞭を使ってくださいと指摘が来た。誤字脱字、意味の解らない表現、それは提出者の恥だと思う。でも、わかりやすい表現に対してフォントの指摘を受けたのは初めて。友人の言うところの第一線は越えたということでしょうね。夕食の買い物にも行けず、冷蔵庫には、ほとんど何もない状態。先日友人がビールのつまみに持ってきてくれた、さきいかのツマミがあったので、玉ねぎと炒めて頂く貧しい夕食。ワインはアマゾンで買ったイタリアからのもの。少し濃厚。不満の残る夕食の後、「椿姫」を見る。リカルドムーティの若い姿を確認。2時間20分の大作の内2幕までで見た。アルフレード(椿姫の彼氏)の父親の演技が妙に気になるが、音楽や舞台は凄い(この一言で表現するのは余りにも貧弱すぎるが、言いようがない)。実際の舞台を見るときっと腰を抜かすだろうな。ベルディは、この長丁場に、基本のメロディーを少し織り込んだ幾多の編曲をして、セリフを支えている。料理で言えば隠し味のようなものが、いろんなシーンに潜んでいる。これはもう一つの一線を越えた驚愕だった。 3月9日(金曜日) 春が来た 風は冷たくなってきているが、コブシは満開。今日はまとめの仕事の筈だが、メールが飛んでこない。できる事を全部やっても時間が出来た。その時間を利用して、本来は担当ではないかもしれないが、新しい仕事が仲間に降りて来るので、その商品知識を習得するパワーポイントを作成した。AV商品じゃないが、サクサクと進んでいく。僕の一番得意とするところだから、楽しい。昔は一度作ったものを、英語に変換していた。エキサイトの翻訳ソフトを主に使っていた。(多分、発想が日本語だから、レイアウトや、ページ設定に違和感があったかもしれない)だが、今回は日本語。こんな仕事だったら、ルンルン気分で気に病むことはないのだが。裏の竹藪には、タケノコが生えている。早く、片付けないと、下草が生えてもう入れなくなる。蛇も出て来るし、蚊も湧いてくる。枯れた竹を掴んだら蛇だったんでは、心臓が止まる。サラリーマンにとって金曜日の夜は一番楽しい時間だが、それはない。風が強くお風呂を沸かすのは断念。安芸市の銭湯へ出かけた。このお風呂で500m歩く事と、帰りに福将で、中華料理を食べることがささやかな楽しみ。 3月8日(木曜日) 営業活動 雨が来ると言うが、まだまだ大丈夫。村を半周した散歩の後、宿毛市へ出かけた。往復370kmの行程だ。仲間では200kmが大変だと言っているが、比じゃない。僕はまだまだ体力があるので、昔の軽ライトバンですいすいと走り抜ける。宿毛市で雨がやって来た。超撥水のワイパーは雨をはじき、間欠ワイパーで十分。中村市に入ると、大雨となった。四万十川の水量を支える雨は半端じゃない。得意先の玄関は駐車場の雨が流れ込んで少し浸水している。雨が金属屋根を叩く音で会話が聞き取りづらい。多分これでも雨量計としては20㎜位だろう。お客様は少なく、普段話すことが出来ない従業員の方に話を伺うことが出来た。PCばかり見ていると、こうして外に出て話すことが如何に気休め(他の大勢の人は、これが仕事だが)となるか気がついた。外勤は楽だ。帰り道は大雨だった。ワイパーを止めた方が視界が効く程。いつもの事で煽り運転が気になる。僕は、4速にシフトダウンして、90kmと75kmをブレーキ無しで何度も繰り返す。後ろの人は結構大変だと思うのか、いつの間にか止んでいた。6時前、ながおか温泉着。プールで1km。山谷ブルースの替え歌じゃないが、「今日の仕事は楽だった、後は焼酎をあおるだけ」 3月7日(水曜日) 今日は代休だが、資料の訂正に3時間くらい費やす。やっぱしウィークデーの代休は休暇にならない。「ポールマッカートニー」の書籍を2時間ほど読んだだけ。今日は仕事の悩みを友人3人に相談した。一人は、5段階くらいのレベル設定をして、それを越えるようならば、辞める決断したら?一人は、そんな会社今すぐ辞めてしまえ、時間(人生)がもったいない。大阪に出てこい、仕事はなんぼでもある。一人は、お呼びがかかるならそっちに鞍替えしたらどうか?僕はいよいよ混迷を深めた。そもそも、一番の原因は何か?それが肝心だ。そのことを明確にせず、現状の嫌気を中心に相談していたみたいだ。今夕は、お風呂に入りながら、しっかりと突き詰めた。すると、こんな過程をたどった。今、凄く体の調子が良い。泳ぐことも、パソコンで文章を打つ速度も全く昔と変わらない(と、思っている)このままなら90才も夢じゃないと強気になっている事だ。だから、まだまだ元気なうちは仕事をすればよい。仕事をして、趣味(趣味はお預けで)の原資を蓄えればよい。これが前提だ。ところが、先月は背中が痛くて病院に行っている。ここがそもそもおかしいのではないか。冷静に考えて見よう。手相を見れば、生命線は、昔と比べて短くなっている(ような気がする)。もしかすると、80才を少し超えた辺りが実際の限界じゃないか。計算してみよう、今ある資産÷17年。この計算だと、回答は明確だ。早く仕事を辞めて趣味に没頭することだ。これが、今日一日の締めくくりだ。 3月6日(火曜日) 山の神様 昼の時間に山の神様の清掃に行った。先日とほぼメンバーは変わらず。一人でもできる作業量だが、皆が集まるのが良い。夜6時から手弁当で懇親会。皆、重箱を下げて来る。会費は1000円。酒代。僕は、作ってくれる人がいないから、スーパーで握りずしと、鳥の肝を圧力鍋で味つけたものと、大量の大根おろしをパックして持参。今回の話題は郷西部落の役員人事の件、僕の友人が部落長に選ばれた。他に会計とか監査役とかの人事が決まった。これらの人の人物評だ。酒の席上大きな声で叫ぶように話す。地元で生まれ育った私でさえ、彼らの話している言葉が分からない。いつも顔を見るが名前を知らない人がいた。顔つきで性格はある程度解ったが、今回酒を飲み交わして、「やっぱりね」。顔の通りの人物だったと納得。聞くだけでは詰まらんから、近所の疑問を聞いてみた。みんな知っているから直ぐに回答が帰って来る。一つは新築の家が建ったのに最近人を見ないのはなぜ?「離婚」。朝早くから車の室内灯を点けて運転する人がいるが誰?「変わり者」なるほど。馬ノ上の僕の同級生の消息も聞けた。この人は生活保護を受けているらしい。この飲み会は部落の飲み会だが、他に消防組合、園芸組合、ピーマン部会、ナス部会に参画している人ばかりなので、村の出来事で知らないことがないのである。当然ながら「私」も、きっと酒のつまみになっているだろうな。 3月5日(月曜日) 一生懸命 大阪の友人は、仕事をしているとその中では不都合な面もある、指摘もある。何で俺がそこまで言われなぁあかんのや!と辞めていく人もある。たんたんと仕事をして、行けるところまで行ったらよろしい。宮崎の同僚は、そんなこと言われる筋はない、わしだったら尻まくる。名古屋の友人は、じんわりとあやふやに過ごすのがあなたのいいところだ、俺にはできんけど。これくらいで、仕事に取り掛かった。ずっと昔、入社したての頃、先輩は天満のストリップ劇場に連れて行ってくれた。そこで感動したのは、一生懸命に演技する姿だった。以降、その感動する姿を観に何度も東洋ショーに通った。一生懸命は人を感動させるのだと思ったのはこの頃だ。自分の中には脈々と生きている。母も言っていた、一生懸命になると後でいいことがある。ところが、今、それが自分に欠けているのが良く分かる。理由は簡単だ、一生懸命になると、仕事が増え時間を際限なく食われるので嫌気がさしているのだ。 3月4日(日曜日) 観音様の清掃 今日は年に2度ある観音様の掃除。我が家の西を登ると約30分で到達出来る標高300mの山の頂上にある。しかし、今は道が雑木で塞がれ通れない。近所のよしかずさんが道を開けるよう、僕に誘いをかける。来年はフリーだから任しチョキと僕。17軒の傘下だが、今日は8軒。抜けたり、亡くなったりしている。次は秋にあり、この時は夫婦で飲み会に参加できる(この時は、今日掃除に来てない人も必ず来る)。そのお金は何処から出ている?黒潮カントリーから山の使用料として出ているとのこと。昔は、お金を出し合って、5軒の奥様の単位で、料理をこしらえ宴会を催していたとか。こういうのは母の得意分野だったから、さぞや采配を振るった事だろう。しかし今では、そんな事が出来る近所の奥さんは、僕が知る限り数人しかいない。その後は、「ポールマッカートニー」の本を読んだ。ハンブルクの2回目の公演を終わり、ブライアン・エプスタインがマネジャーに付き、リンゴスターがドラムスとして加わり、EMIから演奏を聞きたいとオファーが来たところまで読み進めた。オペラ「ドン・ジョバンニ」も見た。騎士団長が殺される場面はあっけない。村上春樹の騎士団長殺しは、このオペラから来ている。ルーツを探ろうと見たが、書籍とオペラには関連が無いような気がする(このオペラはドン・ジョバンニが次々と女に手を出して、別れた女から恨まれる物語で、小説の方は、「私」が妻と別れ、その後、よりを戻した程度で、複雑な男女関係は登場しない、読みが浅いかもしれないが)デノンのアンプは、硬いながらも、会場の雰囲気をキチッと出してGood。映像があれば文句ない音質。当初の目的は達せられた。 3月3日(土曜日) どうするのか。 前職と違って代休が水曜日と固定されている。土曜日は、家の掃除があるから、スタートは会社の規定通りの9時半過ぎ。昼過ぎに終えた。あとは、検証だ。頭の休息期間に、車と倉庫の整理を行った。いろんな助成物が渾然となっている。都会で仕事をしている人は、こんな広い倉庫もないだろうから大変だろう。日々整理しているだろうと推測。膨大な段ボール箱の始末はお風呂で焚く事に。もう一度チェックしてメール発送。プール、外食。帰宅後、メールチェック。送った資料は厳しい指摘。なるほど。嫌味も。「本社の人はこれくらいはできないと」どう見ても、この生意気そうな人とは合いそうもないと思っていたが、文章からでもその臭いが立ち上る。「浪速しぐれ」じゃないけど「なにもかにも銭のためや、なぁ、おはま」我慢すれば、メリットとして、スキルが身に付く、自分勝手な性格も矯正される。デメリットは、あと何年生きられるの?今しなければならない大事なことがあるのでは?(ここで、一言、僕の大事なとは、一般の人にとっては全く大事で無い事なので、ややこしい。例えば、撮りためたオペラを全曲聴くとか、父母の残した写真をデジタルアーカイブするとか、だから無視したら良いとアドバイスされれば言い返す言葉がないのだ) 3月2日(金曜日) PMA2500 LDを観るだけなのに、専用のアンプを買った。ヤマハのS801で音場補正機能付きを買うのか、デノンの力強い音を買うのか迷ったが、純度を保つアンプが良いとの鈴木さんのアドバイスでこちらに決めた。果たしてその音とは、今まで聞こえなかった音が聞こえる。純度の件では正しい回答が出た。でも音がカチカチなので、休息する余地がないのもある。部屋が倉庫の2階なので、低域が抜けてしまうからだ。そして、もう一つの関心ごとであった、デジタル入力とアナログ入力はどちらの音が良い?これは余り変わらなかった。もちろんピックアップの一つは、DIGAの古いレコーダーのCD再生であり、一つはLDのピックアップだ。ピックアップ能力は優れているとはいいがたいのだ。スピーカーコードの交換と、バイワイヤリングは未着手。まぁオーディオとは買ってから数年は落ち着くまでに工夫が必要なのは当たり前の事で、ここで結論を出すわけには行かない。ジョンアダムスのベルリンフィルとの共演(何と16 000円もした)のアルバムでは確かに弦の音が綺麗だし、一つ一つの弦の音が解るほどの解像度がある。テクニクスショウールームで対応したチェロリストのマニンガー氏の音も確認できた程(この人は、かなり経営者サイドの人かと思っていたが、見るとやっぱり音楽家だった)現状でもいい面は少なからずある。 3月1日(木曜日) 嵐も去った 昨晩は凄かったが、停電にもならず、何とかデノンのネットワークプレーヤーは電源を入れたままエラー表示のままで二晩過ごした。デノンに電話して解決方法を伺った。電源プラグを抜く方法だった。え!電源を切っても良いの?良いそうだ。それでだめならリセットがあるとのこと。こちらは少々難しい。だが、前者で解決。ともかく今日一番の重要なことは解決した。夕刻出かける時に近所の理恵ちゃんにあった。話を伺うと、義母が無くなった。正真正銘一人になったと言った(旦那はずっと前に他界)。理恵ちゃんは嫁だから、いろいろ相続の件でややこしいらしい。一人でナスを栽培しているから、それと併せて葬儀の段取りで疲れ果てたと言っていた。人が亡くなるのは本当に大きな事件だが、その後始末も大変。大変だから厳かに送っているということにもなるかなぁ。来月は僕の両親の3回忌。得意先の親しい岡村さん(52才女)は、母の事が片付いたら、どこでも行って新たな生活をしたいと話していた。(この人は高知市の人で、しがらみが少ないようだ)。田舎の人の背後にはいろいろと事情があって、みんなそれを抱えて時が刻まれているのだなぁと思った(もしくは、田舎に住んだので、いろんな人の背景を知るようになったのかな)。明かりのない自宅に戻るのは慣れてきた。1300ルーメンの懐中電灯を点けると、家の背後の森まで明るく照らし出されるので、寂しさが遠のいたのと、時間薬の効果。 2月28日(水曜日) ひやひやの一日だった 一昨日の夜、デノンのDMP2500のアップデイトを行っている最中に、ルーターの電源を落としてしまった。携帯電話は、一旦バッファーにデーターをため込んでから、アップデイトの案内があるが、通常の家電機器は、リアルタイムのダウンロードだ。そこで、アップデイト中の電源を切るのはご法度だから、どうしたら解決できるのかデノンにメールをしておいた。しかし、昨日中には返事は来ず、とうとう台風襲来の夜となった。この日は宿毛、四万十市訪問で電話する余裕などなく、解決は翌日に持ち越される。そこで、問題となったのは、DNP2500は電源を入れっぱなしで連絡待ちのこと。今夕の天候は雷を伴うものと報道があった。高知は雷を伴うといきなり停電だ。どうしようもなく、ただただ停電が来ないように祈るだけの夜を迎えた。この夜の風雨は凄く、母屋で夕食を取った後、離れの自分の部屋に帰るわずか5m距離が走れないほど。しばらく母屋で雨宿りした後、雨の間隙を縫ってたどり着いた次第。この晩は、モーツァルトの弦楽四重奏「狩」を聴いたが、繊細な演奏も風雨にかき消されてしまい、停電のことも気になり音楽どころじゃなかった。選曲の失敗。 2月27日(火曜日) 65歳になれば ずっと前に決意した事をすっかり忘れていた。忘れる程忙しかったし、それに両親の法要で昨年は息つく暇も無かった。それは、「この歳を越すと思い切って遊ぶぞ」だった。遊ぶぞというのは趣味を実践するぞと同意語だ。今、仕事が変わり、端境期の暇な時間が出来てやっと思い出した。1日の終わりには、音楽をじっくり聴くぞ。今までは少し遠慮して途中で切り上げ、寝る前にもメールをチェックしていた。もうそんなことを気にして1日を終えるのはよそう。どちらがメインだかはっきりしよう。ヴィオレッタ(ベルディ:椿姫)ではないが、「楽しく生きよう、それが私なのだ」。今日は佐川の店で嫌な事を聞いた。子供さん連れの若いお客さんで、親の商談中の子供がテレビのリモコンを持って帰る事があるようだ。車の中で気づいた親は、車からリモコンを駐車場へ放り投げて帰るそうだ。今の親はとんでもないよ。と。確かに。お葬式によく出席するが、そこでの子供振る舞いは目を覆いたくなる。レストランでもしかり。車の運転を見てもよくわかる。後ろにぴったりついては、煽るのだ。今日なんかもそれがあったのでわざとゆっくり走った。そしたらどうだ、追い越し禁止区域で追い抜いて行った(タクシーです)。世の中2極分化され、心が豊かな人と、貧しい人とに分かれる(懐具合に同期していると思うが)。中間はいない。これから後者がますます増えるだろう。幸いに僕はそんな人が多くなるのを見ないで死を迎えられそう。 2月26日(月曜日) 今日の出来事 今月は、アンプとカメラの購入を決断した。今の給与預金口座の残高が働き始めた昨年の状態に戻る。今までさんざん辞めたいなど身勝手な言動をほざいてきたが、もう少し頑張ってみようと思った。それに、仲間が血管の詰まる疾病に侵されて大変な状況を迎えている。この会社の健康診断は凄く、この血管の詰まり具合も調べてくれる。それでこの健康診断無しで一年は越せない、これも会社にとどまりたいと思った理由である。取り敢えず様子を見よう、不足する英語の勉強はどこかで割り込みを入れるしかないだろう。近所の方が集まって先祖様のお堂の立て替えのご祈祷を行った。森の中にお堂はあり、神主さんが祠の扉を開けると、江戸時代から守られている祠だったことが判明した。今はその謂れを知っている人は誰もいないが、我々岡村家はそれを大切にしたいと、お堂を建て替えたのだ。家の下には金毘羅様もあり、こちらもお堂が壊れかかっているので、建立をした。と言うので、来月はこのお堂の件で、一杯呑むことになる。お金の寄付金もあるが、どちらかと言えば、前者が大変。 2月25日(日曜日) 昨日のプールの影響で久し振りに疲れ激しく6時まで一直線。散歩も短縮コースで30分。今日は体をいたわる日としよう。9時半から10時半までPCの使い方の説明の電話。その後、レンタル映画「ザ ・ウォール」これは、イラクに派兵したスナイパーが、石油パイプの工事に来ていた人たちの救援に向かい、逆にイラクのスナイパーに狙撃される内容。話は単純だし、戦闘場面もないが筋が凝っている。内容はこうだ。狙撃され、遮蔽物のある壁の逃げ込むと、狙撃したスナイパーから、レシーバーで話しかけられる。既に殺害した米兵から盗んだものだ。話の内容は、個人的なもので、育った所とか、家族とか友人達だ。軍に関する事は聞かない。そんなやりとりが、30分くらい続く。そのうちに風が吹いて、砂埃が立ち、狙撃された米兵は、殺害された別の米兵から無線機を回収する。その電源を入れ今までの全容が明快になる。イラクのスナイパーは、同じ無線機を使って、米兵を呼び寄せ、殺害していたのだ。個人的な事を聞いたのは、アメリカ軍に通報する為に、その個人の情報が必要だったのだ。脚本家にあっぱれ賞。ツッコミは色々あるが、お金をかけず、90分間緊張を強いる映画作りは立派。雨の来る前に、浜で松葉を拾い、夕食の食材を買って、風呂の煙突を掃除して風呂を焚いた。沸いた所で雨が来た。野菜たっぷりのスープと、フグの炊き込みご飯に、ワイン。少々食べ過ぎたかな?という事で、50分の散歩。散歩をしながらシマムセンの鈴木さんに電話して、LDを見るためのアンプを紹介してもらい、DENONのプリメインPMA2500購入を決める。 2月24日(土曜日) お得意さんから電話が来て、ポスターを持って出かけた。こういう点、なんとも言えない負担ですが、ついでに電気店をブラブラするのも悪くはないと、出かける。高知の女ははちきんと言って相当強い。今日も電話をかけて来たのは、女性の担当者。ポスターを渡した後、ついでにBDのディスクを買った。いきなり10%引き。まぁ言う事もする事も、違う。高知の商売で失敗したくなければ、女の言うことに耳を傾ける事ですね。でも、日本の中じゃ営業で四国を担当する人は社内のなかでは、存在感が薄い人だし、四国は経済規模が小さく、本社からは注目されない地区。そんな中で、「高知で会得したって何にもならないじゃないか」。「全く、その通り」。映画などではこう言う“Absolutely”.帰りにプール1km。プールから上がった時のこの爽快感。オリンピックで選手の皆さんが頑張っているが、メダルのためでもあるが、この爽快感のためでもあると僕は思う。お金で買えないし、人からも貰えない。今朝、友人が足の血管が詰まっている症状が検査で発覚したと電話して来た。老人は、血流の流れが悪くなり、血管の内側に余計なものが付着する。父も心臓の血管が詰まった病気だった。日頃から、血流を早く流し、パイプが詰まらないようにと水泳をしているのだが。どうかな。帰りに「トランスフォーマ/「最後の騎士王」を借りた。早速100インチで見た。途中まで、フロントのスピーカーの左右が出てなかったのに気がついた(オーディオファンとしては失格)。この映画は、登場するキャラクターが多くて筋がつかめない難解もの。終わりの15分でやっとストーリーが理解できて、「みんなが力を合わせば勝つ」と単純明快な映画だった。トランスフォーマやガンダムを見ていると、車のフロントマスクのデザインが、これらと似て来たような感じ。車もある種のロボットだからでしょうかね。 2月23日(金曜日) そうは問屋がおろさない ラインの仕事から外れたので、一部ホットしていた面があった。対人交渉はあまり得意とする分野ではないからだ。でも持ち前の器用さでそこそここなしているので、岡村さんは営業もできる。と評価されている。お酒も一緒だ。飲めないのに、少しだけ飲んで、飲めるようなフリをしている。近所の大酒飲みの人は、「おまんとトコトンのまんといかんのう」と言われる。が、僕は毎日飲まずに生活できる人なのだ。話はそれたが、その週報の件、今度は、マネジャーの週報をまとめて、週報にする編纂業務が加わった。書くのは不得意じゃないから、簡単明瞭に書き直すことはできる。しかし、はしごを使って、屋根に登ったが、違うところから降りるような文章を書く人もいる。これは、困難だ。という事で、週報から逃れないと言うこと。もう一つは、最近時間の余裕ができたので、自炊ばかりとなったが、これにも限界がある事実。それは、手が荒れて、爪と指の境が割れて血が出る事だ。カサカサになった手はニベアで回復するが、どうも、本当の手当となってないようなのだ。出かけると手洗いは必須なので、日頃から酷使している指に、負担が集中して、1番弱い指先にダメージが来るのだろう。自炊は薄味と野菜が多いので望むところだが。 2月22日(木曜日) かねがね精神力が弱いと思っていたが 昨日岡山の仲間は、ご自身とオリンピックの選手の精神力を比較しても、負けてないと豪語していた。そんな人もいるが、僕の場合は、あっちにフラフラ、こっちにフラフラで、昨日言ったことも当てにならない程自分に確信が持てない。大阪には「がんこ寿司」があったが、自分はがんこの「が」の字も使えない程、芯がない。その最たるものが今日も現れて、自分でも驚いている。かねてより指摘されている膵臓が良くないので、薬治療をしてた。そして、その弊害で食欲がなくなり、しばらく止めていた。そしたらまた、背中が痛み出した。きっと膵臓が弱っているのだろう。このままじゃ長くはない。健康面から仕事も辞めてしまえ。などと思ってみたこともある。しかし、悶々と過ごすのは性に合わないので、今日は思い切って医者に行った。結果、膵臓は良くはないが、痛みを併発するほどの事でもないし、他の測定値に異常は見られないと言う。もしかしたら、逆流性食道炎(胃酸が食道を侵す)の影響かもしれないと言う。取り敢えず膵臓の問題は回避された。そうすると、何だが背中の痛みも消えたような感じだし、何よりも膵臓の所為で食欲が落ちていたと思っていたが、急に腹が減って来た。今までの胃の不快感や、背中の痛みは何だったんだ?自分で病を作ってしまう性格なんだと思いましたね。また、これじゃ長生きできないわとも思いましたね。そして、昨日まで患っていた燃え尽き症候群は霧消しましたね。途端に元気がでてきて、16000歩あるき、1500m泳いで腹いっぱい飯を食べて、デザートにアイスクリームを頂きました。家の周りに散在していた瓦の残がいの処分も行った。 2月21日(水曜日) 燃え尽き症候群発令中 先週の金曜日から急に業務負担が軽くなった。3月からは再び忙しい日々を送ることとなりそうだが、丁度今は前任に引継ぎを終え、新部門の説明を受けて来月からスタートすることになり、いわゆる今は端境期ってやつです。深夜まで縛られる仕事。処理あるいは読むことのできない程の大量のメール。報告書の作成、承認で必死だった日々から急に解放されたためか、深海魚が釣り上げられて膨張してしまったような感じ。今は、良くはないが、そこそこ回転していた頭が止まり、思考力が落ちているし、やる気も湧いてこない茫然自失の状態。何より、暖かい日差しの中、山鳥の鳴き声が寂さを誘う。あぁどうしたものか。退職をすると、こんな毎日がやって来る恐れが片方にあり、もうなんにもしたくないという気持ちが片方であって、併せて何もかも嫌になった。これが、この数日続いている。大阪の友人に電話をすると、「淡々とやれ」。静岡の先輩に相談すると、「フェードアウトを考えろ」。岡山の仲間は、「続けるのは(仕事を)心と体の健康の為だよ」。暖かいメッセージを頂いた。プールに行った。いつも合うおじさんが、どれくらい泳ぐのか?と聞く。プールではおばさんが、「あたしは遅いから先行って」耳をすませば、いろんな声が聞こえてくるのか、もしくは声をかけやすい顔をしていたのか。その訳はこちらの力が弱ってきているのか?それとも、何かとっかかりを探しているのか?いろいろとある。 2月20日(火曜日) 新しい仕事 今度の仕事はどうやら土、日曜日に集中するようだ。それで、代わりに平日水曜日に休めば良いとの事。僕の推測では、平日は電話やメールでのやり取りでおそらく、休みにならないだろうと思っている。それに、PCのスキルは必要なく、読解力が必要らしく、時間を結構食ってしまう可能性がある。つまり期日のある仕上げには、プライベートな時間に相当食い込みそうなのだ。前途多難な感じがする。もっと難しい問題は、このような課題をもって、車の運転をすることだ。週に一度その機会がある。考え事をしながらの運転は極めて危険。考えるなと言っても、つい、想いがよぎることがある。等々ですごく弱気になっている。今日の音楽は、マルウォルドロンのライブをLDで観た。ご存じだと思うが、彼のヒット曲はLeft Alone。あまりにも強烈な曲で、何度も聞きたくはないから、ついマルは敬遠してまう人。今日は、映像だから、新鮮味があったから、再生した。マルのピアノは暗い。それと、ソロを取れる演奏ではない。誰かを支える演奏だ。これらの為に、マルのアルバムは1枚で十分となってしまうのかも知れない。このLDはそのレフト・・無しでライブを収録。最後に、昔のアップライトピアノでレフトアローンをソロで演奏した。ディレクターの心憎いレイアウトだと思った。 2月19日(月曜日) サラリーマンに月曜日は付き物だ。サラリーマンを経験してない人は、この月曜日のつらさを知らない。誰が付けたか知らないけれど「ブルーな月曜日」とは言いえている。出かける用意をするが、妙に要領が良くない。日本は外国に比べて生産性が良くないと言われるが、何をもって良くないと言うのだ。まさか、測定をして比較しているんじゃないだろうね。月曜日なんかに測定されれば、日本は世界でも下位ランキングのトップを走るんじゃないかな?普通のサラリーマンに比べて僕が優位なのは通勤が無い事だ。それでも物憂い。季節が緩み、引き締まった気持ちも緩みが生じたのかもしれない。もう一つうれしくないトピックスがある。食費の件だ。千葉に住んでいた頃は、スーパーで1300円程の食材を買って、その日の夜と翌朝を賄っていた。高知での生活は、スーパーの価格が違うが(こちらは1割程高い)毎夕1700円程の食材を買って、今夕、翌朝、翌昼を済ませていた。ところが、今年に入って、1700円の食材が、1300円になったり、1000円を切ってしまったり、時々購入もしなくなった。これは有難いことなのか?悲しい事なのか?老いると消費が減る。消費はすなわち食費。週に最低2kmは泳ぐし、毎日10000歩以上は歩いている。にもかかわらず。 2月18日(日曜日) 昨日に続き趣味の日。騎士団長殺しは秋川まりえが失踪から帰って来た真意を「私」に語る。「私」も、地下室に転がり出た話をまりえに語る。2人は共通の秘密を持ったまま、誰にも語らないと約束する。それから、「私」は元妻のゆずと仲を取り戻し、自分の子ではない娘を授かり、昔の肖像画描きに戻って、本意ではないが収入を得る生活を選ぶ。あっけない終わり方だったので、続編があるような気がする。続いて、「ポールマッカートニー」を読み始めた。740ページの上下2段組みで、読み終えるには2ヶ月位かかるだろ。ポールがジョンレノンと友人の紹介で会った場面で中断。お風呂を沸かし、買い物に出かけ、明るいうちに自分の部屋に帰って来た。アルバンベルクのオペラ「ヴォツェック」をClaudio Abbadoの指揮で見た。浮気をした妻を旦那が殺してしまうストーリー。マリーを演じた「ヒルデガルト・ベーレンス」は、ノーブラで乳首が透き通って見える服で出演。容貌と乳の美形にイメージが合わない。もう一枚は、モントルー・ジャズ・フェスティバル1977年版。ベニー・カーター・バンド。ベニー・カーターが渡辺貞夫と同じわかりやすいメロディと甘い演奏の名手だと初めて知った。B面はエディ・デイビス。こちらは一転して、アメリカのジャズ。まだフュージョンのかけらもない。オスカー・ピータソンが弾きまくっている。レイブラウンと息の合った演奏で、彼らはこれから長い蜜月を迎える筈だ。この頃はピータソンンのコロコロと転がるピアノは片鱗が見出せない。今日は趣味三昧の休日だったので誰とも話してない。ヤバイ。 2月17日(土曜日) 昨日は15.000歩の万歩計と2kmの水泳。少しオーバーだと思ったので、今日は何もしない日と決めた。掃除・洗濯の後、報告書を仕上げて12時半。庭先にテーブルを置いて、玉ねぎとちりめんじゃこをつまみに、アマゾンで買った白ワインを飲んだ。風があり少し寒かったが、太陽は力強くまぁ何とか体温の均衡が保てた。呑みながら「渋谷陽一のロック大教典」を読んだ。iPhoneで取り上げられている音楽を再生した。最初のページはThe Beatles特集。太陽が強く少し目が痛いが気持ちの良い午後を過ごした。本来休日とはこのようなものだった筈だ。もう何年も忘れていた感触。PlayStation をオーディオにセットして、SACDを再生した。なかなか宜しい。中高域に敏感なVictor SX500は、古いとは言え、ハイレゾの持つ空気感を忠実に再現してくれる。お風呂を沸かし、夕食の食材を買いに出かけ、そこで芸西村のサンシャインはこの近辺で一番の売り上げがあるとクリーニングのおばさんに伺った。安芸市よりも、香南市よりも良いらしい。早めに夕食を終えて、ハイレゾ、LP、LDを聴きまくった。ビートルズのハイレゾが頂き物であったのでそれを再生。come together おや!こんな音が入っていると驚きの発見。思わず溢れる一人笑い。誰とも共有できない寂しい満足感。音楽三昧の夕べ。 2月16日(金曜日) マネージャー職を降りると週末が楽だ。夜は、自分の業務のみで終了。来週からは、本社の仕事に専念するから、こう言うわけには行かないが、今日だけは恩恵を受ける。今日の訪問ルートは高知市を横断するルートで、ハードオフにタオルを買いに寄った。すると、今日も微笑みかけているアルバムがあった。Deep PurpleのMachine head、あの有名なHighway starが収録されているアルバムだ。1680円。タオルと一緒に買った。帰り着いたのは8時。報告書を仕上げて、9時半、待ちに待った至福の時間の始まりだ、針を下ろした。気持ちの良いビートに乗ってイアンギランが叫ぶ。DENONのMCカートリッジでシンバルは繊細に響き、46cmのウーハーはガンガン(実際のバスドラム位の面積がある)と叩く。近所は50m離れにあり、音量の心配はない。これがある限りオーディオから離れられない。この村から出られない。今日は日立のヘルパーさんから、えらい前向きな話を伺った。コツコツと接客していると、いつかお客さんは帰って来てくれる。それを信じてここに毎日立っている。「お客さんが少ないと、腐らないか?」の質問に対しての答えだった。僕は愚痴ばかり。音楽に慰められながら生きて行くしかないだろう。 2月15日(木曜日) 僕は器用だった。 定年後幾つも仕事を変えてみたが、完璧ではなくも、何とか勤まった(飛び込み訪問でさえ)。台風の被害にも自分で修理できた。25年の昔の車でも、カーブの連続する四国の道では遅れることなくかなり速度を上げて走れる。英語も話は出来ないが、読める。エクセルで関数も扱える。PCの故障も治せる。ビデオ編集もできるし、それなりの写真も撮影もできるし、おそらく短編だったら映画も撮れるだろう。料理は毎日違うものを献立て食べている。今迄の自分はそのように思い込んできた。自信もあった。しかし、最近は、そんなのは小手先で些細なことでは無かったろうか?と思うようになったのは、僕は生き方に於いて極めて不器用だ。要領が悪い。と気がつき始めた事だ。周りの出来事を簡単に割り切ってしまうのも、器用に立ち回れない裏返しだ。尺度、基準が変わると、自分の価値がいとも簡単に下落してしまうと驚いた。ややもすると自分の根幹が崩れてしまいそう。プールで泳ぎ、途中で食事をして帰り、余った時間で、どうやって立ち直るか思案した。考えも纏まらないから、取り敢えずPCデータのアップデイト。(メンバーの方達に明日までに仕上げるとメールしている)深夜まで作業をして、体力の限界が来て布団に倒れた。 2月14日(水曜日) 帰ると山のようなメール。お風呂を沸かし、買い物をして食事の支度。それからメール処理。食事とお風呂。熱が冷めるまで、昨日買ったスティングのLPを聴く。バックのバンドは、みんな有名なジャズマン。日本公演はさっぱりだったが、このアルバムは、ノリの良いスティング本来の出来だと湯川れい子氏が書いてある。氏が凄いのは、本人と話した内容を掲載している事。普通レコードのライナーノーツは、コンサートを見たとか、アルバムを聴きこんだ感想などで占められる。このアルバムを買ってよかった。店に入ると、このアルバムが僕に向かって訴えかけていた。強い視線を感じたのだ。こう言う直感は大事にしなければならない。70年代のロックは間奏にギターなどが長い間入る。これをロックの世界はインプロビゼーションと呼んでいる。ジャズの世界では即興演奏と呼ぶが、このスティングのインプロビゼーションは凄い。全くJAZZだ。しかも演奏が長い。ミュージシャンの間でもスティングが一目置かれているのは、このように音楽の幅が広いからだろう。聴いていて気持ちよくなる。僕の荒っぽい音楽分類だと、60年代はJAZZで70年代はロックであり、80年代はJ-POPの時代では無かったろうか(実際90年代、00年代は仕事と家庭があって音楽から遠ざかった事もあるが、当たらずとも遠からずだと思う)。音楽の進化はそこで止まったまま。だから、僕のように、古い音楽をLPで買い集めても何ら音楽の世界に背を向けている訳でないのだ。 2月13日(火曜日) 徳島県に引き継ぎに行く。このタイミングしか取れない。だが、徳島は生憎の雪で高速道路は通行止め。室戸岬を回るルートで向かった。国道32号線の山越えでも可能だろうが、向こうから突っ込んでくる事故は避けようがない。一方室戸岬ルートは、距離は長いがスピードを上げられるので、乾燥の高速道路通行と比べて、40分位の差だから、我慢の範疇。阿南市から空は曇って、徳島市に入ると、雪がチラついた。休憩に徳島市のハードオフに入ると、スティングのBring on the nightのLPが200円で売られていた。中身は綺麗。レンタルのステッカーが貼られていたので安価だったのか。夕刻6時には仕事を終えた。報告書は引き継ぎ者が書くので、この日僕は大きな作業が無かった。同僚と夜の徳島に出かけた。冷たいのに彼はビール、その後焼酎の水割り。僕は熱燗。美馬のお酒。甘口。徳島の料理とマッチする。九州に行けば焼酎だろうが、日本の各地は絶対にお酒だと思いますが、如何だろう。熱燗で温まったままホテルに帰り、ジャズのCDを聞いていたら、いつの間にか寝ていた。気持ちの良いうたた寝だった。こんな伸びやかな気分になったのは久しぶりだ。 2月12日(月曜日) 散歩に出かけるといつも見かける電車が1両編成だった。そうか、世間は休みだ。とその時気がついた。国民の休日に休んで無いのは定年後の仕事では常識だった。もう一つ世間は寒波襲来で寒いが、高知は春の兆し。風は冷たいが、太陽光線は力強い。風の当たらないところで日向ぼっこするには丁度。人間がそう思うのと、動物がそう思うのはどうやら一致していて、今日は「山寺のおしょさん」を演じてしまった。「鞠はつきたし、鞠は無し、そこで狸をポンと蹴りゃ♪」。狸が家の陽だまりで寝ているところへ、僕が風呂の焚き木を取りに行き、足元に狸が日向ぼっこで転がっていて、狸を蹴ってしまったのだ。ボロきれのような古びた狸だった。僕もびっくり、タヌキもびっくり。お互い暖かく過ごしたいと思ってのことだ。寒いが、今が旬のものがある。文旦。高知名産のミカン。その収穫に近所の方が来てた。まさのりさんと呼ぶが、僕にサトウキビを作らないか?と持ちかけて来た。「手伝うちゃうきにやりや。農業に専念すると結構面白いぜよ」。その方は、高知のオーディオ専門店に勤めていた方。奥さんも一緒になって、僕に薦めた。そうか、いろいろと僕の周りで起きている現象は、どうやら僕が鍬を持つ時期が近づいている兆しなのだろうかと、空気を嗅いでみた。まだ何も匂わないが、そのうち空間にぽっこり、大きな穴が開くのでは。いわゆる、必然が起きるのではと。 2月11日(日曜日) 仕事のことで頭が一杯だったが、この間オーディオは少し進化させた。先日ヨドバシカメラでUSBケーブルaudio questを購入した。Macから、KORGのDSDAC10Rに接続する為のもの。9.800円。LpレコードをFLAC96-24で録音してみた。それをNASにいれて、DENON DNP2500で再生した。いわゆる、LPのハイレゾ化ですね。音は、低域のメリハリが効き、レコードの持つなよなよしさが消えてしまった。時間がなかったので、1bitは試さなかった。もう一つは、低域と高域を分けるチャンディバのカットオフ周波数を250hzから100hzまで下げた。中高域はテクニクスSB-M01。なんだか真剣に音楽に耳を傾ける気持ちにさせてくれる。佳境に入った、「騎士団長殺し/村上春樹」は、騎士団長とは観念の姿だが、実際に「私」に殺される。殺された後に「顔なし」が現れて、秋川まりえ探しの地下に入って行く。この地下道は、先般家の近くで見つけた深い穴に繋がっていて、そこに落ちるようにしてたどり着く。この辺りの現実離れの出来事は「ノルウェーの森」に近い。夜はタワーレコードで買った、ドラムスの特集アルバムを聴き込んだ。モノラルだが、深いジャズの森に入っていける。広い帯域ではないが、気持ちの良い音が出ている。あっと言う間に22:00が来て、寝る時間となった。 2月10日(土曜日) 目が覚めたのは7時15分。雨で散歩は無し。食事の準備をしようとした矢先電話があり、資料の修正。結局10時までかかった。朝めしは11時から。日本酒の熱燗で、ゆっくり頂いた。毎晩遅くまでの仕事で、酒を飲む時間がなかった。ヤフオクで注文したLDが届いた。先週の日曜日に注文したぶんだ。JAZZ10枚。蓋を開けるまで内容不明。内容を見ると、ジャズが好きで好きでたまらない、そんな人が買い集めたLDのようなアルバム群だった。今日は同時にオペラの16枚組もオークションで確定したので、コンビニで料金を払い込んだ。オリンピックもあるが、こちらは録画に任せて、まずはLDを見よう。まずは「セロニアスモンクをお祝いするセッション」で、大御所が彼の音楽を演奏する。ハービーハンコックやロンカーター、デイジーガレスピー、ウイントンマリサルス兄弟。30年以上昔の録画。みんな若くて力がある。吹きまくり、叩きまくる。ジャズの真意は理解できなくても、この勢いは見て聴いて気持ちが良い。一生懸命は美しい。力をもらえる。そんな生き方は、父もそうだった。僕の方は頑張る姿に文句ばっかり言っている。雨だったので、お風呂の煙突掃除をした。物凄い煤が出て来た。手が真っ黒になり、手のシワの中にしっかり煤が染み込んで汚い。汚いが、元は加熱したもので、不衛生でない。お風呂で洗っても取れない。これで文字を書けば1000年は持つ。 2月9日(金曜日) 今日は外勤の日。宿毛まで行った、作成中の資料に追われながら。3つの仕事があり、今日はその一つに時間を割く。中々割り切って仕事が出来ない。高速道路がないので、片道3時間半程を要する。食事の時間を入れると、勤務時間の8時間を移動だけで食ってしまう。だから、何時も、走りながらパンをかじる。マクドのビッグマックでさえ、片手で運転しながら綺麗に食べるコツを覚えた。自慢になる話ではないが。南国市まで帰り着いたのが午後6時。出発してから、10時間目。ながおか温泉で泳いだ後、CoCo壱番屋で食事をして帰り着いたのが8時。ここから頭を切り替えて、資料作成。結局終えたのが0:30。全てはサービス残業だ。我が社には残業の観念がない。この件では申し入れしたが、当たり前の事で議論の余地なし。しかも、これから、本社の仕事となり膨大な資料作成と、土日資料作成がのしかかって来る。2月は取り敢えず受け入れて、サービス残業時間を計算して、100時間を超えるようなら、退社だ。これは選択の余地なしだ。 2月8日(木曜日) 今日は上司がPCの勉強に自宅にやって来る。先月迄は僕が上司。今月から交代だ。クラウドの操作を説明する。自分でも案外ややこしいと思った。マニュアルがなければ、到底普通の人は覚えられない。今日のトピックスのもう一つは、我々の仕事は暇だと見られていること。それで、報告書をもう一枚増やすこととなった。今迄書いて来た通り、100時間を越す残業をサービスとして耐えて来たが、それでも少ないらしい。計算してみると、765円/1時間の給料。高知県の最低賃金並。友人がホテルの送迎バスに乗っているが、これが900円。もっと仕事をしろ言うのが方針らしい。つまり時間給700円を目指せといっているいるようなもの。ニコンのD850を目指していたが、オリンパスに格下げして、もうこの仕事を諦めようか?今日は午後11時に終わり、明日は7時出発だ。 2月7日(水曜日) 厳しい冷え込みの中、有志を募って高知城へ出かけた。心配していた通り、本丸は靴を脱いで木の廊下を歩く。足の裏から脳天へ寒さが直撃。寒さで、江戸時代の暮らしを偲ぶことが難しい。ただ晴天で見晴らしは最高。次はおひろめ市場。ここはお酒を飲まないと意味が無いと思うが、取り敢えずご案内。それから、高知駅、飛行場へ送り、残りの一人を桂浜へご案内。帰りに浜改田で、ちりめんじゃこを買って、もう一度空港へ戻る。午前中の僕の作業はこれで終り。昼飯にモスバーガー。920円。マクドの3割増し。モスは価格に似合う価値はないと思う。帰ってPC仕事。夕刻居残り組と夕食の予定だったが、本日完成予定の資料は、深夜となりそうで、出かけられず。断りの電話を入れた。お風呂を焚き、夕食の素材を買い物して、7時半に済ませ、再び仕事。9時半完成。本日はデータを整理した。数値の検証は明日。1月から忙しかった一連の行事はこれで終わった。本社の連中も少しゆっくりしたら良いと言ってくれた。今回の寒波で多分冬は終わるだろう。そしてなし崩しで春がやって来る。蜘蛛の巣、蚊、草、閉じ込められていたものが一気に出て来る。どっちが良いか分からない。 2月6日(火曜日) まだまだ上がいる 今日は会社の幹部が集まって昼から会議。夜懇親会。上には上がいるもんだ。僕は英語を何とかものにしたい。新聞や本が読めて、インド旅行に支障が無ければ良い。高望みはしないが、上昇気分はあると思っている。所が、今日の懇親会で、神戸大への入学を狙っている人がいた。毎年共通一次迄はパスしているとのこと。70歳までに入学を果たすと言うから凄い。仕事は学費を稼ぐ為と明確。息子は東大大学院卒で、本人は学歴で負けていると言う。巻き返しの意地があるとのこと。そうなのだ。人生には目標がいる。お酒お飲みながら熱く語り明かした。こうなったら、僕もマレーシアに言って語学を習得して来るぞ。と決意しましたね。一方で悪いこともあった。4月の人事が発表されて、僕は、会社の中枢部分に組み入れられた。とても嫌な予感がする。と、同時に、簡単には抜け出せない場所に入り込んだ様な気もする。もう一つ、クラウドの活用が発表された。おじさんが大半の会社で、クラウドの概念さえも分からない人がいる。全員が歩調を合わせて走るにはいささか重い。その負担が、どうもこちらにやって来そうな気配。少なくとも、社内の知人は僕を頼るだろう。無下に断れない。そうで無くても断るのが大変下手だ。杞憂だと良いが。寒波襲来で、懇親会の後出かけるには勇気がいった。コンビニでチーズ蒸しパンと水を買って引き上げた。ヘレンメレルwithクリフォードブラウンの有名なアルバムを聴いていたら、いつの間にか瞼が閉じていた。寝る前の大事な儀式を酒の為に欠かしてしまった。 2月5日(月曜日) 旧知の仲間 今日は仲間が高知にやって来る日。桂浜でも案内出来ればと思っていたが、朝一番の電話で、資料の抜本的修正が入り、土曜日に進めたぶんが全部不要となり、4時間ぐらいのロスタイムの発生。結果、家に釘付けとなった。本日中に仕上げるつもりだったが、明日に間に合うかどうか?今夜遅くまでのやれば間違いなく終えるが、もう無理をして間に合わす事はしないつもり。9時にPCの電源を切った。寒波到来だが、今年はそんなに寒さが見にしみることはない。この頃体の調子が良いのでそのせいかな?風呂から出て、LDの電源を入れた。今日は元気の為にクール&ザ・ギャング/Tonightを演奏した。当時は、LDの再生には27インチのソニープロフィールか、パイオニアのSeedを選ぶか、どちらかだった。どちらも鮮明さは不足していた記憶がある。今、パナソニックの42型PDPで4:3の画角で映しているが、映像はシャープで色のノリも良い。当時あの程度で、あの時の熱気は何だったんだろう。バブル経済の真っ只中、訳の分からないビルが出来て、前述の高価なモニターが店内に幾つも吊り下げられていた、そんなあとしもあったのだろう。さて、クール・ザギャングの演奏だが、舞台の演出は結構鈍臭い。歌と演奏は馴染みが無くてもついて行けるノリがある。旬のモータウンサウンドがある。これ以上の進化は不要。何時もそこにいて欲しい。久しぶりに会う友人が変わらない姿と性格でいて欲しいと同じ様な気持ち。 2月4日(日曜日) 騎士団長殺しは、いよいよ混迷を深めてきている。まず、僕の杞憂だったのは、「私」友人である、雨田正彦からの打ち明け話は、雨田の友人が「私」の妻を寝取ったことだった。もう一つは、その元妻は妊娠7か月と知らされた。「私」は妻と別れて8カ月経つから自分の子ではないとがく然とする。ところが、指折り数えて7カ月前にはこんなことがあったのを思い出した。「私」は夢の中で元妻を犯すのだ。まさにリアルな夢だったと。もう一つは、「私」が描いている中学生の秋川まりえが疾走したこと。秋川まりえの保護者である秋川笙子と、免色が短期間の間に大人の関係になった事。これらがほぼ同時に起こり、「私」は架空の存在である、「騎士団長」に秋川まりえの探索のヒントを貰う。「騎士団長」は明日の朝かかって来る電話に出て、出かける事と言って消える。今日はここまで。下巻も半分を読み終えた。気になっている本筋とリヒャルト・シュトラウスの「バラの騎士」の関係を解明するため、今日は2幕を見る。畑を貸してある、政則さんが来て、トラクターを貸してほしいと申し出た。別段問題ないからOKと伝える。雑談の中で北海道にスキーに行かないか?誘われた。政則さんは73才。来年は絶対に行くと答えた。夕刻水泳2.5km1時間5分。ほぼ自分のペース。明日から厳寒で高知でも雪が降るとニュースで脅す。取り合ず水道管に毛布を着せた。 2月3日(土曜日) 節分を祝う 独り住まいだと休日の予定は時間通りに過ぎる。精神は傷つかなく安定したままの1日が終わる。リタイヤ後はほぼこんな生活だろうと思う。仕事は午後1時に片付き、洗濯物にアイロンを当てて、「バラの騎士」の一幕を見て、全く日常の定型的な生活を済ませた。バラの騎士は村上作品に何度も登場するので、確認の為。(残念ながら「カルメン」や「椿姫」のように、覚えられるフレーズはなく、僕の頭はこの曲が飲み込めなかった)。今日は夜、寂しい友人と2人で節分を祝う催しを執り行った。午後4時、風呂を沸かして、買い物に出かけた。芸西村には由緒正しい主婦がいるらしく、かんぴょうと、サーモンの生は売り切れていた。そう、恵方巻きを自宅で作るんです。僕もその口で、かんぴょうの代わりに干し大根、サーモンの代わりにマグロを買った。イワシは、土佐特産の裸イワシを買いたかったが、ミマセまで行く時間なく、冷凍物を求めた。ノリは浅草は「青辰」のいいのがある。出かける前セットしておいた、2合のご飯でクックパッドの通りに酢飯を作り、干し大根と、油揚げをみりんとめんつゆで甘く仕上げ、ナショナルの煙らん亭にイワシを10分にセットした。友人到着でこれは美味いと舌鼓を打った。最近その言葉が多く出るようになっている。息子も娘も認め出したし。美味しい料理のコツは分かったので、自分一人の時は、出来るだけ味付けなしで不味く食べている。材料の素の味がわかるし、味の方向性が掴める。それに腹が減っていると、味付けなしで大概のものは食べられる。そういえば、福島県では蕎麦を水のお汁で食べる所がありました、箸は使わずネギの箸で。蕎麦の香りを楽しむためだとか。たくわん漬け(塩味好き)になっている東北の人が、よくこの味で我慢できたなと感心した。友人との会話は近所の火事、家の修繕。 2月2日(金曜日) 英語が不安 今日は統計業務。折衝は不要。どちらかといえば、エクセルの関数との折衝。一つの山に登るにいくつものルートがあると同じように、関数にも方法がいくつもある。実は、英語の勉強と同じで、そんな事知って一体何になるの?だが、無意味な事を覚えるのは昔から好きだったから苦にならない。むしろ興味が募る。その一方の英語だが、昨年9月から忙しくなって、ラジオ英会話だではどんどんとレベルが落ちて行っている。1日30分ではダメだ。3時間必要だ。最近風呂の中で英語の辞書を読むのをやめているし、トイレでも単語帳をめくってない。ここらでカツを入れないと、立ち直れなくなる。音楽を聴く時間は少しひねり出しているが、音楽のデータベースを作るときに、コメントを英語にするなど、何かと重複するような時間の使い方が必要。車の運転中に英会話を聞いたがこれは集中力が必要で身にならないし、集中すれば車の運転が危なかった。赤ちゃんから3歳の子供になるまでの僅か3年で、アメリカの子供は英語を喋る。僕は2008年から頑張って10年目。まだ赤ちゃんレベルではない。JAZZのLPレコードを聴くのも方法だ。ジャケットに英語で解説が書かれてある。これを読みながら音楽を聴く。それとも、いっそ4日間ほど休み、シンガポールへ行って遊んでくるのも手だ。勝手知った土地なので、パック旅行でなくてもいける。行っても電気屋さんとレコード店をめぐるだけだけど、話す目的は明確だ。 2月1日(木曜日) 職場探し 月末の報告を終えて、勤怠や経費の清算を行い1月が終わった。今月が1番のピークで、3800kmも走った。26年前のホンダストリートは15万キロを走った。天気予報では雪。高知に雪が降る訳がない。しかもこの気温。しかも天気予報は昨日に比べて2-3度高めと言う。矛盾してても、気象庁が予測するから予報官は言わざるを得ない。会社から早速電話。高知は雪降っている?来週はこちらで会議がある。そしてゴルフだ。ゴルフバックを送って良いかの確認だ。太平洋の海水温が15度、黒潮は20度近くある。雪さんも積もるには相当な覚悟が必要だ。と言う返事。そんなに寒くない雨の中、和食川堤を散歩した。電話以外は話すこともなく、雨音を聞きながら、ひたすらPC画面とにらめっこ。今月からこの時間が長くなる。どうする?夏は、机と椅子を海岸の松林に持ち出しここで作業。もう一つは、家が3つあるので、母屋に一つ机を置けば、取り敢えず3カ所でPCに向かい合える。試してないのは、車に机と椅子を積み込んで、風の吹く景色の良い場所で仕事をする。この3案を持って臨もうと思っている。もう一つ究極の作戦は、料理旅館に行って、滞在時間の限りPC作業を行う。これは昔、福岡駐在の時、仕事がたまってしまい、拡売費の申請書を書くために、阿蘇の山奥の温泉に泊まり込んで処理した思い出に基づく作戦だ。幸いにも家の近辺は、四国88カ所参りのお遍路さんの通り道で、民宿が国道55線沿いに一杯ある。畳の部屋でどの位長くPCが打てるか不安があるが、座布団の工夫でなんとかなるだろう。 1月31日(水曜日) 治安について ![]() 1月30日(火曜日) 今日は、徳島。 ![]() 1月29日(月曜日) 退屈 自分の時間ができた時、不安はあるが、僕は絶対に退屈しない(と思う)。もし仮に刑務所の独房に入れられたとしても、辞書1冊で1年過ごせる自信がある。マーラーの1番から7番までCDがあれば、多分1週間持つ。新聞1紙でも1日はいける。晴れていてノコギリさえあれば、1週は大丈夫。(ノコギリは、自宅から裏山の頂上(330m)までの道を開くのに使う)僕のよく知っている知性のある人でも、仕事がなくなったら、する事が無いと発言する。僕は興味がありすぎて困っている状態だ。むしろ、「泣いて馬謖を斬る」ではないが、興味の範囲を絞っている。お金と体力と時間が無いからだ。実は今日はその事で困った事が起きた。先日、名古屋へ行った折、タワーレコードでしこたまCDを仕入れてきた。その一つにピアノトリオの組みCDがあった。10枚組で3000円位だった。あまり期待はして無かった。今日は仕事があり、須崎へ向かった。このCDを演奏しながらだ。所がこのCDは只者では無かったのだ。JAZZが好きで好きで堪らない人が細心のの注意を払って選曲したCDだったのだ。アップルミュージックの「今日のプレイリスト」とは全然深さが違うのだ。それでこれは聞き逃してならずと車を停めてしまった。しかし今日は仕事だ。音楽を停めて車を動かした。今日は電気店で新入生が買う為のセット品(冷蔵庫、洗濯機、レンジ)の売れ行きを聞くと、高知では、それから外れたものをチョイスしたい人が多く、まとまり難いと嘆いておられた。そうなのだ、高知の人はこだわりを持つ人が多いのだ。こうして高知の人は、意外と退屈とは縁がないようだ。 1月28日(日曜日) より自分の世界へ 何もなければ、1日自由に使える日。先週1週間で万歩計は丸1日分の不足だったので朝の散歩を念入りにして、朝食とラジオ英会話。日記のサイトアップ。11時からいよいよ「騎士団長殺し/下巻」に突入。まりえを描くシーンが長く出てくる。主人公の「私」はまりえを理解するため沈黙の時間を多く取る。今回は深く考える事に重点がある。それと、リヒャルトストラウスの「薔薇の騎士」を聴く機会が多い。この二つに相関があるのだろうか?そして物語は、もう一人の登場人物が加わる。「私」が借りている家は画家の雨田具彦の持ち物だが、具彦は元々洋画家だったが、ウィーンの留学から帰ると、反旗をひるがえすように日本画家に転向した。その理由に弟の「継彦」(この人が加わった)の自殺が影響しているのでは無いかと、色免が調査報告を「私」に伝えた。「私」は、具彦の息子であり、友人である政彦と会いその事を確認したが、結論は得ていない。政彦は個人的な話があると「私」に電話で言っていたが、この時は話題に上らなかった。もしかしたら、「私」の離婚した奥さんは、この政彦と仲良くなっているのでは無いかと推測した。ここまでが今日の物語。お風呂をたいて、プールに出かけた。2.5kmを1時間23分。プールが一杯で、一番遅いおばさんのレーンに入り、平泳ぎで1400m泳いだ。これに53分食ってしまい、後の30分で1100m泳いだわけ。今日は調子が良くて3km行こうと思っていたが思わぬ伏兵登場だった。道中はクラーク・テリーのアルバムを聴いた。かれはトランペットの大御所でマイルスも彼を目指したと言うから、それなりの人物。また、成功した人で人生を狂わさなかった唯一の人としても尊敬を集め、ウイントンマルサリス(ジャズ界で有名なトランペッター)は彼の葬儀にジャズマンを集めて盛大に見送ったと書いてあった。タワーレコードで2200円4枚組が販売されていたアルバムだ。Miles DavisやJohn Coltrane、Bill Evans、Oscar Petersonは、だいたい分かった(と思う)。これからは歴史の舞台には登場しなかったクラーク・テリーのようなサイドメン達を集中的に聞き込んで、ジャズの全容を理解出来ないか研鑽を積もう。特に1960〜1970年代のJAZZは知りたい。 1月27日(土曜日) 近所の噂 遅れていた報告書は11時過ぎに入手できた。文面をチェックして12時過ぎ提出した。他にも、急ぎではないが書類があって、先週と同じく、15:00に終えた。そこへ近所の人から電話があって、部落の飲み会。「お弓削様」。父の入っていた部落の集まりは全部案内してよ。と頼んでおいたからだ。さて、この神様のお堂は何処に?小さい頃は西分のお堂のある所全てで「缶蹴り」をして遊んだ。年配の人も全てこの缶蹴りの時の名前で今も呼んでいる。でも、このお堂を知らない。峰坊君に教えてもらってやっとわかった。友人の寛坊の家の上方にあった。このお堂は峰坊君が自分の山にある檜を切って、製材して自分で建てたそうだ。大工さんに頼むと100万円ではきかない費用を、材料費のみの30万円で仕上げたと言う。昨年秋の台風で一部瓦を葺き直し、自分は意外と器用だと自負があった。でも、峰坊君と比べるとそんなの比じゃないと思えた。上には上がいる。さてこの集まりは、園芸組合の持ち物である倉庫の一画で開催された。食べ物持ち込み、酒代千円。暖房なし。12名くらいの参加。知らない人が多い。それだけ交わってない証拠。僕の前に座った人は、消防団長でもある岩宗氏だ。この人も飲める。1升ぐらいはいつでもと言う。その隣はよしかずさん。この人の娘さんは、未だ結婚してないが、それは、うちのお父さんより酒の飲めない人とは結婚しないと宣言しているからだろう。よしかずさんの酒量はビール瓶換算で1ケース。今日は田村のあばさん家族の不人気ぶりを聞かされた。娘も人気が悪い。その娘は、一回り年下の旦那さんがいるらしい。いわゆる禁断の恋で、高校生の先生と生徒の関係との事。人の口には門戸が建てられない通り、話は広がる。あまり交流のない、ひろすけさんの按配も聞いた。この人の息子は同級生だ。どうも最期が近いとか。2月は先祖様のお堂の建て替え飲み会。3月は山の神様のお祭り。それぞれ違った人たちが集まって来る。浮かないように、仲間外れにならないように。帰って、仲間から来た2月の予定表を一覧にして報告。 1月26日(金曜日) ホンのつかの間、休息 ![]() 1月25日(木曜日) Also good and bad ![]() 1月24日(水曜日) 今日は色々と事件があったなぁ 朝の散歩は栄の地下街。名古屋は冷え込んでいたから地下街だと暖かく散歩に適している。名鉄瀬戸線の横をくりぬいて大きな広場ができていたのが新発見。と言いたい所だが、後で考えてみると、前に来たことがある。と言うのは、この風景を夢で何度も見ているからだ。この不思議な脳現象はどこから来ている?さて、今日の会議はコスモスベリーズの新年会。会員の事例発表から始まったが、誠に凄い。感動で涙が出て来た。先生の様な流暢さはないが、実践して来た具体例が其処彼処に出てきて、こんなの今までに経験した事がない。現役の頃ナショナル店会に何度も出席したが、この足元にも及ばないものだった。どこが違っているか?助成がないから自分でやった。この違い。政府の農業政策と同じようなものだと思った。次に武田邦彦氏の講演。こちらは、面白い話が一杯で、最後にこれらを一本にまとめた。この構築は、さすが大学の先生。そのほかは、この会社の旧知のメンバーに会った。佐野氏も健在だった。きちんとした法人の社長さんから、壊れかけの店舗で細々と商売している奥様まで幅広い人に合わせられる話法の持ち主。この人にかかると、マーケティング理論が霞む。商売はフェイスツゥフェイスが基本だから。これ一本で市場をこじ開けられる。尊敬する。一緒に旅行して面白い。とにかく、交渉ごとで彼の前に立ち塞がる障害が無い。一緒にいて煩くてしょうがない人、離れると懐かしい人。関東の支店長は仙台に支店長の空きがあるので戻って来い!事務所設立で費用の負担をかけた人事部長ともお会いした。昼はバイキングの食事。名古屋で一二を争うホテルなのに不味い味。徳島と同じ。その後流れ解散。ヨドバシカメラへ行って、色々と相談。この店は客が少なく社員は知識豊富で親切。オーディオ用USBと2000ルーメンの懐中電灯を購入。時間が来たのでバスに乗って空港へ。その途中から大雪。ヤバイと思っていたら、案の定欠航。渋滞の中名古屋駅に帰り、新幹線で岡山へ。急いでいるのにとなりの中国人に大阪まで切符を買ってくれと頼まれる。そしたら、どうやって乗る?ついて来いと言った(手振り)。そして雪が吹き込むフォームへ行くと電車は来ない。僕一人なら諦めて、友人宅に泊まるが、隣に中国人がいる。ホームの駅員に、この中国人に列車は来るのか、来ないのか伝えなければならないと詰め寄れば、その駅員へメガネに雪を積もらせたまま、「来る!」。僕だけならば「分かりません」と言うだろう。中国人を連れて階下の風が吹かないところに避難。しばらくすると電車は来た。僕は指定席券、彼は自由席。仕方ないから、僕も自由席。満員電車、立ちっぱなし。英語が通じないし困っていたら、中国人は紙に字を書いた。そうか、漢字は通じるのだ。それから、紙のやり取りをしながら、尼崎に行く方法を教えた。山東省の出身。乗り換えは心もとないので、前のシートに座っている女性に声をかけて、切符の買い方を頼んだ。嫌そうな感じで引き受けてくれた。僕も一旦下車して博多行きの新幹線に乗り換えた。岡山には9時到着。岡山の安ホテルに投宿した。エアコンの音がうるさく、しかも効きが悪い。 1月23日(火曜日) 欠陥を抱えながら生きているようだ ![]() 1月22日(月曜日) 雨 早く起きだして、和食川の堤を散歩して来た。帰ると雨がやって来た。新聞を読んで食事を摂って、仕事に取りかかった。途中で郵便局へ行った、明日の名古屋行きの切符が簡易書留で郵便局留になっているためだ。だが調べてもらうと、発送先に返送されていると言う。旅行会社に電話してPDFで送って貰うことにした。一体あの郵便物は何だったんだ?午後遅く、調査に出かけた。近場の安芸市。自転車の距離だが、あいにくの雨で車を使った。「得々うどん」で夕食を摂って、その近くの銭湯でリフレッシュ。ここのご主人はハズキルーペを使っている。これ無しでは生きられないと言う。僕はこれを商売しているんですよ。そうですか、なかなか良いですとの評価。相当量の宣伝を投下しているので、こうして身ぢかなところにお客様が存在するわけだ。帰って報告書作成し、明日の準備を整えた。出来るだけシンプルにまとめたつもりだが、結構重たい。顔見知りの仲間に会うと、いつも荷物が多いとからかわれる。母も透析に行くのに旅行に出かけるほどの荷物を抱えて出かけていたのを思い出した。自然に身についた習慣だ。さぁ寝よう。その時、名古屋のA氏から電話。近況、愚痴、夢について長々と1時間の電話。すっかり興奮して中々寝付けなかった。A氏とは今回会えない。 1月21日(日曜日) 大半は趣味に没頭した 6時までぐっすりと寝た。簡単な散歩。食事とラジオ英会話。本文のサイトUP。ここまでで10時。今日は読書の日。読みかけの「騎士団長殺し/上巻」を読み始めた。免色(めんしき)からの食事に招待され、意外な事実を打ち明けられる。自分の子供かもしれない秋川まりえの肖像画を描いてほしいとお願いされる。秋川まりえは中学生で、私の絵画教室の生徒。免色は私が承諾しないうちに、背後から操ってとうとう、肖像画のモデルとして承諾させていた。そして、ある日曜日に私の家に秋川まりえがやって来た。登場人物が更に増えて複雑化して来る。主人公の私を中心に、①離婚した元妻、②浮気の年上の主婦、③免色、④宮城県のファミリーレストランで見かけたスバル フォレスターに乗った男性、⑤私にしか見えない騎士団長、⑥この家の元住人であった日本画家の雨田具彦。そして、⑦中学生の秋川まりえだ。※私の妹も重要だが、中学生の時に亡くなっているから、これから先の展開に影響を及ぼすとは思えない(甘い推測)ので省く。それでも7人が複雑に絡み合い下巻に続く。1時半あまりにも陽光が強く部屋の温度も25度を超し、汗ばむ陽気となったので、昨日断念した竹垣を刈った。榊を買って、家の周りにある祠に差した。それからお風呂を沸かして、水泳に出かけた。今日の水泳は、2kmで疲れが出て来て、だましだましで、2.5km泳いだ。所要時間は1時間15分。下腹のふくらみは取れたから良しとするか。今日の音楽は、キースジャレットスタンダードライブ。ジャック・ディジョネットのドラムスが実に気持ち良い。相変わらずキースはキィーキィーうなっているがそれを差し引いても、ドラムスの気持ちよさが勝る。もう一枚はLPでマイルスのディコイ。完全にエレクトロニクス化したマイルスで、多分5年間の沈黙から復活した後のアルバムだと思う。46㎝ウーハーに見合う低域が録音されていて、音楽の深さは良く分からないが、ビートの効いた重低音だけでも価値がある。 1月20日(土曜日) 今日の計画は頓挫 朝の散歩を済ませると掃除洗濯。それが終わるとメールと報告作業。1週間外勤だったので、事務処理が午後2時半までかかった。その間に得意先からクレームの電話。やれやれだ。そこからお風呂を沸かして買い物に出かけ、夕食の準備。今日は暖かいので垣根の竹を刈ろうと計画していたが頓挫。お風呂に入った後、Earth, Wind & FireのライブをLDで見た。1970年代の姿そのものが画面に飛び出した。自分たちが楽しんでいる。自分たちのみが仲間を理解しあいあっていると言った方が良いか。それを、何とか客に理解さそうとする努力が見て取れる感動もの。新宿時代が記憶に蘇る。もう一枚はシャカタク。こちらは1980年代で僕の名古屋時代だ。バブルに進む危ない時期だったが、音楽産業は健全に成長し、フュージョンから少し発展したこのようなバンドが新しい境地を開いた。スクエアとかカシオペアなどもこの範疇だと思う。音楽的に何か深みがあるかと言えばNoだと思う。しかし、気持ち良いサウンドに身を任せる的な聞き方で、あっという間に楽曲が終わる。AV時代の幕開けでもあった。今使用しているヤマハのCA1000のアンプは温まって来ると俄然音に艶が乗って来るから、楽しみも倍加するわけだ。もう一枚挑戦するところで、22時がやって来た。これ以上は明日の行動に差し支える(何もないのですが) 1月19日(金曜日) すんなりとはいかない定年後 今日は愛媛県での仕事。ついでにここには友人が住んでいる。一緒にお昼を食べる。この人は息子さんの病気で大変な年末を過ごし、しかも、自分も病気を抱えているとか。定年後、現役時代と同じように生きていくのは難しいのを感じましたね。僕自身も幾多の犠牲を払って、落ちつく場所で安住した。他の友人も同様だ。そのことをネタに傷を舐めあっている時もある。後悔する前に、それは神が決めたことだから甘んじて受け入れようとすべきだろうと、慰めあっている。それは分かっている事だが、めそめそ病を患っている私としてはなかなか受け入れがたく、もがいているのでもある。今の職場は、正面向かって取り組んだ人は精神がやられて休養した、僕は前述のように能力の限界を感じて自主退散した、ボケを通しているひともいるし、アンチでそっぽむいているひともいる。いずれもそれなりの対応を取っている。本音で話せば、お前もかと意思が通じるだろうが、そこまでは親しくないから傍観していると思う。自分もそうだから。この場合、結局は相談する人は自分の中に住む自分で在って、人じゃないことに気がついたと言うか、気がつくべきだろう。今週は1500kmを走破した。ホンダの軽ライトバンStreetは良く耐えてくれた。これから、内勤になるので頑張らなくていいんだよ、と洗車したが、今月の仕上げにまだひと踏ん張りあって、しかも寒波がやって来るらしいから、再び雪道を走り、ドロドロの状態で来週は終えることになりそうだ。25年も乗ったこの車もすんなりとはリタイアできそうにない状況だ。 1月18日(木曜日) ハードな一日 ![]() 1月17日(水曜日) ハードな一日 いつも書くことは仕事がしんどいと言うことばかり。でも、今日は特別だ。香川県の宇多津のホテルを出発して、岡山に渡った。岡山の調査の仕事だ。市内中心部は別の担当者が済ませてあるので、僕は東の端(つまり兵庫県との境)から津山に上り、ここから高速を使って、広島県との境の新見まで行き、更に瀬戸内海方面に降りて来て高梁で終了だ。280kmを走破する。だがこれで終わりではない。更に高速に乗って米子まで行って宿泊。累計380km。朝8時半から夜7時半。休憩は昼飯の20分。更にホテルでまとめの30分。これまでの2日間はホテルにレストランがあり、それなりの夕食が取れたが、今日は勝手知らない山陰の街。レストランが無い。結局安心できる「王将」さんで頂く。まずくはないが珍しくもない。ibooks「アメリカ太平洋軍・梶原みずほ」を読みながらチャーハンを掻きこんだ。今アメリカが最も軍事的な深い関係を結べるのは、日本である。そのアメリカの軍隊の半分以上を統括するのがハワイに駐留する太平洋艦隊の長官である「ハリス」。そのハリスはアメリカ人と日本人の混血だ。アメリカは日本との関係が深くなる中で、更にハリスは一歩踏み込んだ理解があると取材している。著者の梶原氏は男のような(女性蔑視ではないが)簡潔な文章を書く。まるで藤原新也氏のようだ。文章のぜい肉をそぎ落としてあるので、すらすらと、しかも鋭敏だ。これぞジャーナリストの鏡的な文章。僕も今回は取材の一種だ。氏のような明確な報告書にしたいものだと思いながら読んた。帰って風呂に浸かりながらも読んだ。 1月16日(火曜日) たまたま旨くゆく時もある ![]() 1月15日(月曜日) 線路は続くよの旋律で、残業は続くよ♪を歌う ![]() 1月14日(日曜日) 標高35m 高知県では至る所に標高の掲示がある。標識は主に10m以内が多い。来る東南海沖地震に備えての事だ。私の家は標高35mにある。地震の心配はないが山崩れには注意が必要である。今日は薄曇りで、太陽光だけでは部屋の暖房とはならず、エアコンのお世話になるつもり。読書に専念と計画していたが、既に朝飯の時に友人が訪ねて来て2時間ばかり居座ったので、少々計画が遅れた。まずは、昨年見て途中で断念していたワーグナーのオペラ「タンホイザー」の続きを見る。祈りが、神の呪いを断ち切ったハッピーエンドの物語。タンホイザーがずんぐりむっくりで、人物像とイメージが合わない。食事の後、やっと読書タイム。鳥の鳴き声とエアコンの音以外は聞こえるものはない。村上春樹の「騎士団長殺し」の続きを読み始める。ここまでは、タイトル名の騎士団長とは、この家の持ち主だった画家が、ひそかに描いていたドン・キホーテの中に出て来る「騎士団長」だったが、今日のページは、その「騎士団長が60㎝くらいの実際の姿」として表れて来て、主人公と話し始める。(この辺りの流れは「踊る小人」とよく似ている)そして、近所の面色氏(めんしき)に夕食に誘われるが、成り行きから、この騎士団長も同行することになる。刑事ものではなく、アクション系でもないが、気持ちとしては一気通読したくなる面白さを控えている。が、今日はここまで。お風呂を焚き夕食の支度をし、明日の出張の準備をしなければならない。炊飯器をセットして買い物に出かけた。今日はゆっくりベースだったが、暗くなるまでには帰り着きたいから、結構急いだ。最後の100mが標高35mだ。自転車に乗ったまま駆け上がるのは一寸しんどい。自転車を押して上がるのも息が切れる。エベレストでなくても、35mはしんどい。 1月13日(土曜日) 寒波去る 寒いとは言え、日差しは強くもう12月の比ではない。朝日が当たる前は5度だったが、ぐんぐんと室温が上がり、18度になった。陽の当たる南側で太陽を背に受けていたらカチカチ山になった。今日は久しぶりにメール作業から解放され土曜日から書籍を手にすることができた。日米で発禁となった「日本2600年史」日本人とは何かを歴史から紐解く本。思想の本なので、危険な存在だとは理解できる。だが、一歩引いて読むと日本人とは何か、人間とは何か?人間の陥るわなとは何か?外国の事例も含めて紹介してあり、非常に視野が広い。明治維新は起こるべくして起こった事に触れてあり、幕末の英雄も著者に言わせば、必然的に発生せざるを得なかったみたいな描き方だ。もちろん西郷さんの西南の役も、フランス革命を事例に、革命にはつきものの反乱と指摘する。非常に冷静に分析してあり、説得力が高い。若いころこの本に出合っていたら、人間変わっていたかもしれない。今日は調子が良かったので、自転車のツーリングを考えたが、寒さと時間の拘束が長いので断念、代わりにプールで3kmに挑戦した。2005年頃はクロールで1時間15分位だった。今日測ると、2kmで1時間7分(7分遅れ)3kmで1時間20分(5分遅れ)。昔は得意な右かき、左顔上げ呼吸で通したから速度が出たが、今は得意なパターンと反対のパターンを交互に取り入れているため、速度が上がらない理由もあり、昔のままの1パターンで泳げばそん色のないタイムが出せそうだと思った。まぁこれは今日のように調子のよい時であって、悪い時はここまで泳げないから、確実に体力は落ちている。そして、この水泳をしている間に寒波が去ってしまって、家に帰ると部屋の温度は10度もあった。 1月12日(金曜日) 寒波襲来 ![]() 昼から外回り。得意先もだんだんと顔見知りになって来ると、話が長くなり、すぐには帰られないので今日は2軒だけで終了した。自分はそうでもないと思っているが、話しかけられやすいおっさんタイプだから。さて夕刻5時半に帰宅はしたものの、もう暗く、お風呂をたくことが困難だ。それに今日は早朝の散歩もなく仕事をしたので、運動不足だった。まずは、家の周りを散歩し、安芸市の銭湯に行くことにした。何度も書くが、一日の仕事を終えて風呂に入る規則正しい生活を送っている人たちにとっては、ここは楽園だと思う。来ている人みんなが水風呂にはいるほど寛いでいる。僕の心境は複雑だ。これから帰ってレポート仕上げないかんし、果たして来月からの仕事の移動は、楽なものになるのかどうなのか不安だし、まずこなせる(処理できる)のかどうかの不安もある。そんなこんなで、一日の終わりの風呂となってないのだ。夕食は福将さんで中華料理、900円。帰宅するや石油ファンヒーターと電気カーペットとエアコンを点けた。合計で10,000カロリーはあるから、歯を磨いている間に部屋は暖かくなっている。レポートを仕上げたのが22時半。シャワーを浴びて、もう一度芯から温めて熱した布団にもぐりこんだ。 1月11日(木曜日) いくつになっても血が騒ぐ ![]() 1月10日(水曜日) どうなるこの先 勤労時間が長いので弱音を吐いて、一部仕事を辞退した。少しは楽をしたいと言うか、普通のサラリーマン並みの待遇を得たいだけだ。それでマネジャー職を辞退することを申し出て受理された。よかった、これで残業時間にして20時間くらいは軽減できるかな?とほほ笑んでいた。ところがだ、今日電話があって、今の仕事は全て用なしとなった。外勤もなし、高知の仕事もない。本社の内勤業務へ配属替えとなった。あれぇだ。ちょっと裏目に出てしまった。一寸どころでないかもしれない。高知に居て本社勤務だ。今度はきっと、そして、もっとつらい仕事がやってくるだろうな。今まで見たいな体力勝負で無く、考える深さ勝負みたいなもの。健康診断のCTスキャンのようにどの断層で物事を切るか?見るか?みたいな事が要求されるだろう。作業の時間は少ないが、方向を決める時間は膨大で、四六時中付きまとう。定年後の腰かけで少々の給与、高望みはしない。これが僕の選んだ道だったが、最初は支店長で大変だった。テクニクスの仕事は楽しかったが、断念せざるを得なかった。そしてまた大変なことがやってきそう。定年後6年間で楽できたのは3年間のみ。 1月9日(火曜日) インドと戦争映画で学んだこと 今日は会社でテレビ会議が開催された。当月の取り組みについて、意見交換があった。今月のテーマは重く、ベテラン社員は意のままに処理しているが、不慣れな人は不満多く取り組んでいるようだ。僕の場合は、人のパフォーマンスに依存する仕事の指示は出すべきでないと4年間のインドで学んでいたから、ちょっと全国とは違う方法で指示を出している。途中で方向転換もなしだ。そしてこれが肝心だが、誰でもが納得の上でできる簡単なことにすることだ。それが、果たしていいのかどうかはよくわからないが、もしこれが戦争だったら、メンバーの死亡率は確実に少ない筈だ。まぁ人それぞれにやり方があり、それを尊重する社風だからこれが可能なわけ。でも、マネジメント稼業とは、「昔の黙って俺についてこい」ではなくなっていると思うのだ。生産性において日本は諸外国の後塵を拝しているから、プロのマネジメント業種が発達してしてないかもしれない。だから、この分野で勉強するにしても素材が乏しいかもしれない。グローバル化は否が応でも進んでいるから、やがて、日本もその洗礼を受けて、欧米並みのマネジメント職能が発達するだろう。それは一体どんなものなのか見届けたい興味があるが、日本はここ2年は経済成長を謳歌するので、3年後以降となり、僕の頭が老化している頃だから、もし、身近な事例が出て来ても、そんな事があったのか?というかもしれない。 1月8日(月曜日) 少しづつ弱っているかもしれない 今日は、荷物の発送に香南市まで出かけた。高規格道路を通った。芸西村から通じている道路だ。これに乗るには、キツイ坂を上りそれから平坦な高速道路になる。そこでだ、僕の乗っている軽自動車は、結構頑張って坂を上っているつもりなのに、ぴったりと後ろについてくる。煽り運転ですね。というのも、頑張っているのは僕の自動車だけであって、よそから見れば、「何てのろま運転だろう」と映っているかも知れないと気がついた。実は、先般も同じようなことがあった。プールでは1レーンを半分に分けて、一方通行で右回りに利用するのが暗黙の了解だ。長年泳いできたから、泳ぐのには自信がある。ところが、最近はよく、足を掴まれることが多いのだ。つまり、まだ追いつけないだろうと泳いでいると、いつの間にか後から来る人が追い付いてきて、僕の足を掴んでしまうのだ。いつの間にか僕の泳ぐ速度は遅くなっていたのだ。つまり、自分の速度は速いので大丈夫だと言う常識が覆されている。いつの間に転換点(分水嶺と呼んだ方が良いかな)を越えたのだろう。老いは感じたくない。と抵抗してきたのに、抵抗の基準が落ちていた。マックィーンの「大脱走」の映画で、パスポート偽造役のコリンさんが、いざ脱出した時、細かな文字を書いていたせいで、いつの間にか近視になっていて、遠くが見えなく、つかまってしまうシーンを思い出した。今日は一段落ついたので、安芸の銭湯に行って、首まで浸かる風呂の中で400歩歩き大汗を流した。帰ると目がしょぼしょぼして就寝の時間だと告げている。少しだけ羽目を外すとこれだ。 1月7日(日曜日) Come away with me ちょっとここ最近忙しくて余裕を失っていた。Norah Jonesのスイス・ライブがwowowで放映されて、少し見たが、面白くなくて、HDDからBDに移して取り敢えず保管だけしておいた。昨晩遅くまでかかって仕事を仕上げていたので、今日は朝から休日体制だった。弱い太陽を背に受けて暖を取りながら、先週から読みかけの村上春樹/騎士団長殺しの続きを読み始めた。途中で休憩し、ヒラリー・ハーンのBachを聞いた。蝶々のような華麗なバイオリンだ。デノンンのDACとB&Wのヘッドフォンの組み合わせは水を得た魚のような相性で会場を盛り上げた感があった。あまりにも真剣に聞いたので休憩にならなかった。聴きながら再び本を開いた。気のせいか、物語の展開と音楽が同調したような動きで、はまってしまった。そんなこんなで、今日はすっかり休日気分を味わった。何年振りだろうという感覚だ。そこで、元に戻るが、早めの食事と風呂で、部屋に引き上げて来た私は、たまたまNorah JonesのBDに気がつき再生したわけだ。そうするとどうだろう、前回見た映像と全く違う印象が画面に映し出され、これは大変とPDPの映像設定をいじって、照明を落としてじっくり見れば、静かな歌の中に、「動」を見た的なライブだった。だからJAZZなのに、2000万枚もヒットしたのか?と改めて彼女を見直したとともに、自分の感覚が「忙しモード」からやっと解放されて「普通の音楽耳」に戻ったことを確認した次第。 1月6日(土曜日) 美観地区 ![]() 1月5日(金曜日) 冷たい雨 雨が降っていたが、本降りで無かったので散歩に出た。一日15,000歩を目指しているが、毎日少しずつ足りない。歩きはじめると、手がかじかんで、運動靴には、水が跳ね上げて浸透して来るし、這う這うの体で帰り着いた。昨晩のお風呂に浸かった。まだ熱いお湯が残っていた。体が柔らかくなったところで、食事を献立てた。今日の予定はレポートを仕上げ、出張に出る。昼の休憩もそこそこで午後4時15分に仕上げた。年賀状を一枚したため。5時8分に出発した。行く先は倉敷。明日はここと、今治で仕事がある。朝出発して夜帰る日帰りでも可能だが、500kmの行程だから、出来るだけ無理はしたくないので、私費の前泊だ。高速道路が全く様相を異にしていて、慣れているとはいえ、夜道はこわいなぁと思った。午後8時到着。ホテルの前にある、「ステーキのどん」さんでハンバーグ定食。噛めば噛むほど繊維が残るハンバーグだった。今日は、簡単な会話以外誰とも話してない事に気がついた。孤独というのは、ものすごい恐ろしい事だとも気がついた。だらけた生活ではこれに拍車がかかるとも思った。忙しさにかまけて、部屋が片付いてないのを良しとしていたが、これからは、もっとシャキッとして、なぁなぁで日々を送らないことにしなければ孤独は深まるだろうと反省。意固地な爺さんが完成しそうだが自衛策だから仕方ない。 1月4日(木曜日) 気になっていた背中の痛み お正月前から背中が痛む。鈍痛ってやつです。気にはなっていたが、忙しくて病院には行けなかった。ドンドンひどくなってくるので、午前中病院へ行ってCT検査を行った。やはり、膵臓の値が悪いとのこと。これは厄介だ。取り敢えず1カ月分の薬を貰った。先生曰く「忙しかったのか?」「9月から激務が続いている」。どうやら、この病気は仕事と関係ありそうだ。仕事は取り敢えず、一歩引く提案をしたが、今日来たメールには、僕たちの組織は、仲間の組織と比べて「楽をしている」とみられているので、もっと励むようにとのメッセージがあった。身を粉にして病気まで引き寄せたのに、まだ足りないのか。今日は病院で抜けた分だけ遅くまで仕事をした。午後10時。体力が持たなくなってやむなく就寝。 1月3日(水曜日) 今年もいろんなことがありそうだ 朝6時に起床。散歩に出る。普段はまだ暗いが、今日は月明かりで、夜明けのように明るい。坂を下りたところで同級生の理恵ちゃんに挨拶。はやいねぇ。「今日は園芸に出荷せんといかんきに、はやいがよ」ほいたら、手伝おうか?ということでビニールハウスまで乗せてもらい、ナスの出荷を手伝った。30箱あった。ビニールハウスのなかは、15度で湿度が高くもわぁとする。御礼にナスを貰った。ご存だと思うが、ナスは高い。いいお駄賃だ。そこから、散歩を始めた。出発地が違ったので、コースを変えて保育園を回って来た。7時半だった。今日はゆっくり本を読む計画だった。朝食の支度をしている時、かすかにサイレンが聞こえた。消防の訓練だろう。しばらくすると、チンチンと鐘を鳴らす消防自動車の音。火事かな、ちょっと見てみるか。と外に出た途端、もうもうと上がる煙が目の前に在った。こりゃ大変だ。慌てて現場に向かうと、我が部落ではない、隣の部落の火事だった。皆から教会と言われている天理教の家だ。火の勢いが強く、放水だけでは止められない。屋根に向かって放水するのは間違いで、窓から家屋の内側に放水するのが順当だろうと、近所のおばさんと話し合った。見ているといらいらするので退散して朝食を摂った。ホームページの更新をして、いよいよ佳境たる読書の時間がやって来た。買った本が50冊くらい溜まっているが、今日は村上春樹の「騎士団長殺し」を読むことにした。村上さんの本はほぼ読んでいる。2013年から2016年は、NHKラジオの「英語で読む村上春樹」も受講した。長い間氏の本を読んできて、僕の生き方にも少しだけ影響を及ぼしたのではないかと思う。そして、この騎士団長殺しを読み進めると、これからの人生はここに描写されている雨田具彦(あまだともひこ)のような意固地な生き方が僕にぴったりだと共感した。村上春樹の文体は誇張がない代わりに、深さがあってその深みを幾分か想像できると溶け込むことが出来る。音楽の話題も豊富だが音楽好きの私でも理解できない部分がある。今回はオペラのドンジョバンニの登場だ。多分明日からまた戦場のような忙しさに飛び込まねばならず、読書は当分お預けだ。今晩の余った時間は、その騎士団長殺しを読み進めるのではなく、オペラ=ドンジョバンニを見て物語の周辺知識を増やしておこう。 1月2日(火曜日) 急に静かになった ![]() 1月1日(月曜日) お正月は映画三昧 ![]() |