2022
12月31日土曜日)晴れ
慌ただしいのは悪だという
朝一番から滞っていた経済データの打ち込み。途中で息子くん帰省。AVシステムをヤマハCA2000に変更(今までパイオニアLX93)、お墓の掃除、神様に榊、瞬く間に時間が過ぎていく。母屋の掃除が終われば4時だった。親戚に砂糖を届け風呂を沸かすと5時。洗濯物を取り込みアイロンをかけると5時半。休みなく動いた。すると息子から1冊の本、「Die with ZERO」もっと遊ばなきゃいかん。「サトウキビは72歳で止めて遊びに専念することだ」という。
僕はわかった「それじゃニンニクを栽培し黒にんにくをつくるぞ」と返すと、「そんなことをするのが良くない」という。
はてさて、どんなことをすればよいかな。午前中英語、午後農作業はすごく体の調子が良い。そのパターンをどうやって維持持してサトウキビから離れられるのかがどうもぴんと来ない。
夕食を採りながら日本酒「南」を熱燗で飲んだら、まったくまずい酒になった。やはりこれは冷で飲む酒だった。お酒にも基本はある。
部屋に帰り、中高音をエラックからSB10000のホーンに戻した。ホーンを今まで内振りしていたが、正面に戻した。岡崎のO氏がスピーカーは素のままで使えと言われたのがずっと気になっていた。すると音の低位が戻り、低域が良くなった。低域の変化はホーンの重量物が中心に座ったためだろうか。時間は午後9時を過ぎていたが、ユーミンのアルバムを200Wくらいまでボリュームを上げて再生した。山奥の一軒家の得点だ。気持ちの良い音で満たされた。
アルバムをシベリウス交響曲1番/サイモンラトルに変更した。こちらも、遠くでファゴットが小さな音で演奏されているが聞こえる。設計者の石井氏はクラシックが好きだったので、こういう配慮がスピーカーに仕組まれていたのかなと感動した。
が、それをなげうって、B&Wに変更するというのはどうかな?暴挙かな?あわただしい中で決断を急ぎすぎたのかな?それとも新たな感動がやってくるのかな?
12月30日(金曜日)晴れ
疲れ山積
休みだからと言って気を抜けない。性分でもあるが実際TODOリストは一杯だ。駐車場に置いたサトウキビの搾りかすを捨てに行った。前のマルイチの叔母さんが来いと頻りに電話するので訪問するが出てこない。農協で通帳記帳し、かっぱ市場からの振込を確認。秋の柿の収入は6800円だった。街に出かけて書籍購入、「アジアの歴史7巻」が目を引き購入。どうせ読む時間ないだろうな。セブンイレブンでJAZZ BAR2022引き取り。寺島靖国氏も年老いたなぁ、選曲が保守的になっているぞ。「真田」でワカメうどん。麺にお汁が絡まない。麺だけではとても食べられない出来。僕の口が変になったのか?この店の味が落ちたのか?不明。12時だと言うのに行列がない。帰って洗濯、年賀状、文面に2時間ほど要して完了。風呂を焚きつけたが井戸の水が枯れて水道水を使用。この時期に水が枯れることはかつてなかった。地震が近いと思う。
夕食は料理の先生と。お正月の息子の料理について相談。
夜の音楽は、ニーベルング指輪3作目。ジークフリート。殆ど理解しないまま眠りこけた。年末年始のお楽しみの書籍もオペラも準備したが手付かずだろうな。疲れで寝てしまうだろう。
オペラ関連では、リカルドムーティが日経新聞で私の履歴書を投稿した。僕の中ではクラウディオ・アバドまでは評価してたが(イタリアの指揮者)、ムーティはランキングが低くリカルド・シャーイ/カマロ・ジュリー二よりは上かな程度だった。だが本文からは、もっと上位に評価しても良いかな?と認識を新たにした。ヴェルディのオペラに強そうなのだ。
オペラはLPレコードでプチプチ音も併せて本を読みながら聴くのが一番良い。だが手持ちのアルバムは少なく、ましてやムーティ盤は無い。
12月29日(木曜日)晴れ
こうして友人を失うのかな?
3時半起床。瞼が重い。午前1時47分大きな揺れで揺り起こされた。天の鉄槌が下された恐怖を感じた。寝付けないままの3時半だ。東南海地震も、もう来ても良い頃だ。
心配したじっちゃんのサトウキビだが、搾れば意外と量が少なく1300kg前後だと判明。この内今日は750kgを絞った。明日の班が残りを絞り完成する。じっちゃんの砂糖はお客が付き名前が通っていると、本人の自慢話を聞かされた。5年前僕がこの組合に参加した頃は確かに、彼の砂糖にそんな威厳があったようだ。しかし、近年は段々と収穫が落ち品質も落ちお客様が少しづつ離れて行ったようだ。それには、肥料のコントロールや異種ブレンドの技術など新しい流れを習得できてないからだ。農作業はこんな分野でも少しづつ進化している(僕の畑は肥料不要で例外)そして、じっちゃんの持論は、新しい土地では5年経過しないといい砂糖は出来ないと言う(今回刈り取ったのは3年目)。僕らはその溝については深く入らない。
もう一つは、仲間であり友人である一人の機嫌が悪い。彼の虎の尾を踏んだのだろうか?でも思い当たる節がない。思い切って師匠に電話をすれば、彼も同様に感じている。推測するに、自身の疾病に関すことで、気を病んでいるのではないか?意外と小人な人なので!との見解だった。「立ち直るまで温かく見てあげよう」と大人の対応方法を教えてくれた。カンショも人生も全部師匠に相談。その師匠も今朝はサトウキビ畑で気分悪くなり横になったと聞く、病魔が僕の友人を奪って行くかもしれない。
息子がお正月にやってくるとメール。急遽皿鉢料理を注文すると料理屋は受け入れてくれた、又、料理の先生に家庭料理をお願いするとか、明日は宿泊する部屋の掃除とか大変。自分の日常事でさえ無茶苦茶になっているのに。
夜の音楽はジャック・ディジョネット、ハービー・ハンコック、リーリトナーのLDを爆音で聴く。この頃は音楽を聴けば聴くほど滋養になる。豊かになる。お酒のように呑み込むと酔える。そんな思いがますます強くなって、「聞きたい」のではなく「聴かねばならぬ」ところまで昇華している。そして小川理子氏が何時も言っていた、「対等の時間がかかる」ので、貴重な存在だと。同感。分刻みの時間で過ごしているからよく分かるのだ。
12月28日(水曜日)曇後雨
逆算の法則
激務は続く。じっちゃんのサトウキビは結局1800kgあったようだった(軽トラック6回分)。なかなか進捗しないと思っていたら、量が多かったのだ。普通男性1人がサトウキビの葉を取り除くには1日200kg。それを、機械を使って葉を取り除くとしても2名でこの量は大変頑張ったことになる。じっちゃんも疲れ果て眩暈の薬を飲んできたと言われた。収穫作業は大変だ。多過ぎた収穫の解消に31日も稼働する可能性がある。
現役の頃、素晴らしい上司に恵まれ、「逆算の法則」を教わった。決行日から逆算し、いつ何をすべきか割り出す仕組みだ。僕はこれに、持論である「作業の平準化」を組み合わせた、雪で慌てたここと以外、12/26で5700kg製糖した。ベテランの先輩達は誰も到達してない。毎年同じ轍を踏んでいる。それで僕は時間の余裕があって、他人のお手伝いが出来きたという訳。ちなみに、一般の農家さんが持ち込む量は300kg前後。特別多い方で3000kg。1000kgを超える方は数人での共同供出。
シキデンの社長からご案内と言うか、強烈な売り込みを頂いた件も今日結論を出した。つまり「決行する」と。B&Wの805D4の購入だ。「いつかはクラウン」は人生最後の決断。今決断しないでいつする内部の声に急かされて。魔力の音は僕を惹きつけ「怠惰」にならないか一抹の不安もあるが。
今夕の音楽はニールセン交響曲3番/バーンスタイン。ビクターSX300がいい音を出している。だがもっといい音が出るのじゃないかと果てしない欲に囚われた。
12月27日(火曜日)晴れ
応援
今度は僕が応援をする。じっちゃんのサトウキビの収穫を。昨年は650kgだったが、今年は1200kg近くになるだろう。それだけ残したと言うことだ。8時半から17:00まで。僕は休憩なしの作業をしたいが、流石に93歳のご老人にそれを求めるのは不可能。僕も一緒に休んだ。休憩中にポロッと人物評が出る。じっちゃんは普段何も言わないが、しっかりと見ていた。
毎日怒涛のように時間が過ぎていく、先日持ち込まれた重いサトウキビを何束も何度も持つことがあって、腰を痛め、これはやばいな。と思っていたが、怒涛の日々にまぎれて腰痛も消えていた。時間も忘れる程激しく農作業をしている。昼飯には久しぶりのラーメンライスの店に行った。この店の定食を食べきるのはかなりの勇気がいるが、今日はペロリ。もっと静かに暮らすべきだろうか?命を削っているのだろうか?よくわからないが、じっちゃんが「畑の1枚でも年内に済ますと、ホッとするのう」の言葉を聞けば、やはり挙行してよかったと思う。息子さんの嫁がおやつを差し入れしてくれた。彼の息子は故人で嫁が家に残っているが、多分よくお世話をされている感じ。
帰って風呂焚き、食事の用意。夜の音楽へと傾れ込む。今日はチェロリスト、アンドレ・ナバラ。バッハの無伴奏以外は未知の音楽だが、チェロだけで実に多彩な音色を描き出す。
12月26日(月曜日)晴れ
応援者
先日、女性の応援者2名の事を記述したが、今日もその内の一人が来られた、目的は製糖技術を習得したい。習得して、日高村に持ち帰りたいと言う。大きな構想を持った人だ。僕のサトウキビは2工程もあったので、断片的だが、全てを体験して貰った。自慢話になるが、僕のお砂糖は中々出来が良くて、よく売れる。それで体験者には思い切って作業をしてもらって、例え失敗があってもサトウキビの素性が良く、影響が出にくいのだ。そして偶然にも最後の工程の製糖は今年いちばんの出来具合だった。オレンジ色の綺麗なお砂糖ができた。味も良かった。師匠も脱帽だと褒めてくれた。応援者には少ないが5個お持ち帰りいただいた。明日は餅つきをするそうだから、最良の組み合わせになるだろう。
夜、ロリンマゼールの特集CDを聞く、昔はLONDON盤で録音が良いイメージの指揮者だったと記憶しているが、演奏の良し悪しはわからなかった、今冷静に聴けば、中には名演奏もあると再評価。
12月25日(日曜日)晴れ
想定外
4時から製糖、大口のお客様の精糖は収量が少なく4釜が3釜に変更となって、急遽自分のサトウキビ200kgを追加することになった。これによって27日まで食い込む製糖予定が26日に完了、じっちゃんの応援が27日からできる事になった。これで2年連続の応援だ。収量予定は2000kgで2日間要すると思う。皆んなからじっちゃんを殺すなよと忠告されている。お年を召した老人と一緒にやる作業だが、どうしても無理をお願いする事になるからだ。出来るだけ配慮しよう。
急遽持ち込んだ200kgは崩しに加工。冷ます板から外れなかったので、本当の崩しになった。(この状況をうまく説明できない)
夕刻4時半に終了し、絞りかすを捨てるのを料理の先生に頼んで手伝って貰った。何もかもを全て
終えることができてくつろいだのが午後8時。想定外が想定内に終わった。
滋賀の友人から毎日の激務の解消にと送っていただいたCDから、グリークピアノ協奏曲をブラジルのピアノ名手(ネルソン・フレイレ)で聞く、指揮はルドルフ・ケンペだ。
友人は、かなり激しく演奏する曲が好きなようで(同感)、この有名な曲をハードロックのように演じているのを聴く。FM放送からの録音で帯域が狭く、音質は望めないが、音楽家の意図は十分に分かる。気に入ったら、アップルミュージックでダウンロードして楽しめば良いし、さらに望むならハイレゾのダウンロードに進むことができる。
疲れ果て、8時半に就寝。
12月24日(土曜日)晴れ
冷え込み
夜中寒くて電気毛布の温度をひとメモリ上げた。芸西村でも-3度。庭の甕には早々に氷が張っていた。早朝に砂糖の「くずし」を作った。昨晩の夜なべで白下糖の真空包装は終えていたので併せてかっぱ市場に出荷する。岡村さんの砂糖は品が良いので、結構売れ行きが良い。問題は、売れるだけの量を出荷できない事。収穫と製糖の時間に割かれている為。年末にはゆっくりしようと計画してたが、この寒波でとにかく収穫を急げ急げとなった。この日までに昨年よりも10%多い5700kgを収穫した。この寒さは温暖化の影響で大陸からの偏西風の蛇行が激しく南下したのだろう。石炭火力発電の影響は取り返しがつかなる前になんとかしなければ、地球環境が回復できないかも知れない。現代のEVは石炭火力の電力で走り、EV車完成のためにはCO2を、ガソリン車よりも大量に放出するのはもっと告知すべきだろう。
サトウキビ200kgを収穫し、今年植え付けしたサトウキビ畑以外は収穫した。併せて、農林8号を2畝植え付けした。来年は4畝追加して、収量低下を抑えるつもりだ。厳寒の中、今日のスケジュールを全部こなした。良くやったと思う。同年齢で実際これ程過酷な労働をしている人は少ないと思う。
弘前の友からSNSが届く。高知の大雪大丈夫か?車の運転注意!NHKで高知の雪が報道されたので周知となった。岐阜の友人からもメール。関市で18cmの積雪との事。まっ岐阜の雪は想定内ですけどね。
12月23日(金曜日)雪
今年は雪
5時過ぎ起床、部屋から出るとスリッパが濡れていた。見上げれば雪がちらついている。朝食を終えて、振り返って窓の外を見れば垣根の笹には雪がシンシンと降り積もっていた。大雪だ。雨雲レーダーで確認すれば高知県西部から東に向かって、大陸から筋状の雪雲が流れてきていた。
師匠にサトウキビ対処について相談すれば、対処は一つ、刈り取るしかない。そして年末の過密スケジュールに詰め込むしかない。
それで今日は一日中家の中にいるつもりだったが。作業に向かった、外は寒かったし、足元は更に寒かった(指先は霜焼けができた)。上からは葉っぱに積もった雪が落ちて来て首筋に入る。寒風に吹かれて午後5時半までに400kgを上げた。何もこんな日に無理して仕事をせなあかん人生設計はしてないけど、ゲームに参加するような感じ。もしくは、人気が無くなっても舞台に立ち続けたい俳優の気持ちかな。ひょっとして、じっとしているのに耐えられず、ただ身体を動かしていたいだけかな。大規模なサトウキビの育成(高知県では)でも儲かる筈もなく、生活の収支にも組み込んでない。
夜の音楽は、ネルソン・フレイレのピアノ、ミュンヘンフィル。指揮はケンペ。何と鮮烈なピアノを叩く演奏よ!気を衒った訳じゃないだろうが普通じゃない。フォルテは思い切り行く。
12月22日(木曜日)晴れ
早退き
伝承館4時出勤。疲れ果てての仕事。昨日の頑張りが効いた。疲れが取れぬままの重労働。流石に身体はギブアップして立ったまま居眠りしそうになった。コーヒーで誤魔化したが効かず、ユンケルか何かの力を借りないとこれ以上は前に進めないと思った。
今日は外部のお客様の持ち込みのサトウキビ1000kgの製糖。だが、お客様の応援があった。若い女性2名。先日と同じで、飲み込みが良いのと、力仕事を厭わない、疲れ知らずと言うか回復が早い。それで、午前中は力を借りて難を免れた。
が、昼食後は更に眠くどうにもならなくなった。師匠は帰れ!と言うので、申し訳ないがお言葉に甘えて早退き。昨晩焚いた風呂はまだ暖かく汗を流して直ぐに布団に直行。午後4時起床。元気を取り戻し、洗濯、風呂焚き、夕食。午後7時師匠にメールすれば作業が終わった所だと返信が来た。
夜の音楽は、滋賀の友人が本日送ってきたCD(8枚セット)の中から、チャイコフスキー交響曲5番を聴く。チャイコフスキーは爆演が定説だそうだ。そう言えば6番を振ったTeodor Currentzisは僕の中で名盤扱い。あれが爆演だったと言わればそうかな、この5番はリカルドムーティで秩序ある知的な演奏だった。5番の名盤はムラビンスキーを指摘する人が多い。僕はアンドレア・バッティストーニ版のCDを持っていて聴き比べると、現代流の躍動感のある演奏で円熟味のカケラもないが、チャイコフスキー本来の爆演に近い演奏だ。オーディオ的にはこちらが良いかな。体力が回復したので聴く余裕ができた。
昨年も同様に激しく労働した、そして激しくクラシック音楽を聴き込んでいる。主にKarl Böhm。つまりこう言うことかな。労働が激しい→頭を使いたくない→音楽を聴き気持ちよくなりたい。激しい労働にはもう一つ傾向があって、刺身を無性に食べたくなること。それも食事の前に食前酒のような感じで。
12月21日(水曜日)晴れ後雨
この歳で過酷な労働
伝承館4時出勤。今日はかなり過酷な絞りカスを四トントラックに積み込む(荷台が高いので、重い荷物を放り込むのは、骨が折れる)とか、混ぜる最終工程を6回こなすとか、粗灰汁取り釜からすまし桶へ柄杓で200リットルを3回汲み上げたとか。。僕より年配者が多いので必然的に率先垂範になる。ドロドロになって、5時にお客さんを最寄りの駅までお送りし、僕もセブンイレブンでタワーレコードからの品物を受け取った。ついでに夜須のおばさんの店でお惣菜を購入。
明日も出勤なので購入したCDやBDは触りだけしか楽しめなかった。先ずはCD、ユーミン50周年アルバム。この春、民放ラジオでユーミン50周年アルバムに収録する曲を募集していた。その結果として出来上がったCD。「ユーミン万歳」聴くと全曲リマスター2022版で、ビクターのスピーカーは聴感的には帯域が伸びた音楽に仕上がっていて、聴くのが楽しくなる。
もう一枚はニールべングの指輪全編。1幕の「マイスタシンガー序曲」を見た。LDのメトロオペラとは違う演出。勿論色彩や画角は全然こちらに軍配があがる。もう1組WOWOWで放映されたメトロの全編を持っているHD画質。まだまだ持っているぞ。昔VHSに録画したものをDVDに焼いたもの。こちらは断片しかない。とにかく、このオペラには昔から執着があって集めてきた。定年後に観ようと。忙しくて疲れて全く見れてないが。
12月20日(火曜日) 晴れ
喉の違和感
1ヶ月前に風邪をひき、その後咳が出る日々が続き、完治したと思ったら、喉に何か詰まった様な違和感が出来た。調子の良い時と悪い時がある。サトウキビの精糖が始まり拍車をかけた。やっと時間が取れたので病院に行くと、胃酸過多による逆流で喉の奥にただれがあるとの診断だった。サトウキビの精糖時はどうしても出来上がった砂糖を舐めるため、胃酸過多の促進剤を飲んでいた事になる。
僕は喉頭がんを心配したがそうではないとの事で、安心した。
先生はかなり真剣に対処して頂き、信頼できると思った。当初は近くの、ありさわさんを訪問したが、予約は出来ないと電話口で言われていた、訪問すると15:30~と17:30~の予約しか出来ないと言われる。なんだ、予約できるんだ、どうして電話対応で案内してくれなかったのかな?この病院は多くの患者で賑わっていて、横柄な対応も鼻についた。綺麗な病院で、若いお母さんが子供を連れてくるのに良い雰囲気が人気の秘密だろうか。
帰りスーパーのマルナカで買い物をし、伝承館に直行し、昨日作った「蜜」をポリ容器に移し替えた。白下糖に蓋をしてコンテナに詰めた。
サトウキビの収穫は休憩しているが、それでもやる事は多い。終えたのが午後6時。暗いので風呂を焚くこともできずシャワーで済まし、夜の音楽になだれ込んだ。
今夜の音楽はシベリウス5番/サイモンラトル。昨日と1昨日はバーンスタインで同名曲を聴く。妙になじめないので、意地になって聴く。ベルリンフィルが発売したアルバムで、BDオーディオ版とdts版があり選べる。再生にはBDプレーヤーを使う。同じ音源がBDの映像にも付随しているが、ドルビーデジタルの音とは柔らかさが違う。心配事が消えたので音の変化にも気がついたのだろうか。
12月19日(月曜日)晴れ
お母さんはそうは思わない
伝承館で砂糖焚き。今日もオレンジの綺麗な砂糖が完成した。仲間が僕の砂糖を盗んでゆく。勿論後で一声かかるが。仲間が知人にあげる砂糖として僕のを使いたがるのだ。3品種ブレンドの効果だと思っている。師匠からいただいた1本の日萎びたサトウキビから、増殖し今では僕のブレンド必須の作物に成長した。これは他のメンバーにはない3つ目の株。残り2つは皆んな持っている。
自分の砂糖が終わればあとは他の方のを焚くわけで、それが長い期間続く。3つの釜に火が入ると結構忙しく、熱い。竈を通じて遠赤外線が忍び込んで来て寒い時だが汗をかく。
今日は小学校5年生の体験見学があった。僕は絞る作業を担当した。絞り機モータのスイッチに手をかけて、いつでもOFF出来る体勢で臨んだ。最初は小さなサトウキビで担当してもらったが、何人かは何度も体験の行列に並ぶ。次第に小さなサトウキビはなくなり大きなものとなった。僕でさえ、これをローラに食わすのは難しいのに、小学生にできるわけがない。ところが、彼らは5人が1本のサトウキビを持って縦に並び、力を併せてローラに差し込むのだ。これは正解で、僕以上の仕事をしてくれた。小学生だって侮れない。完璧にこの作業に虜になった子は6人。服が汚れるのを指摘したが、ヘッチャラだと言う(お母さんはそうは思わないだろう)。楽しい時間を過ごした。引率の先生も実は作業をしたかったが、子供たちに独占されたようだった。
僕たちはしんどいと思っている作業。それが、参加した人は皆楽しく、われ先にやらしてと言う。(小学生に限らず)もしかしたら、現代の人たちは体を動かすスポーツや、体を酷使する労働が好きなのだろう。スポーツはともかく、労働作業の機会は少ないから。皆んなとは言えないが。
12月18日(日曜日)晴れ
すっきりとしないが、取り敢えず
朝、起きた時の部屋の温度は9度だった。ゆっくりと新聞を読みながら食事。ここ数日怠っていた経済データをエクセルに打ち込む。自分だけの経済指標を時系列に見れば、おおよその変化が理解できる筈だと信じ込んでいる。その見方が正しいのか?不明だが、評論家とかマスコミの評価よりもうわついたところがないのが良い。
懸案のパン屋さんへ、僕の砂糖を卸すのを断る商談に出かけた。中間で動いてくれる方と人間関係のもつれでこの先スムーズな運営が出来ないためだ。それで、当座の材料となる砂糖を進呈するつもりで持参し、残念だがこれで終わりとお伝えした。理解してもらえたかどうか不明だが、早く仲良くならんといかんね。と先方の感想。
明日の製糖作業の食糧をそのスーパーで購入し帰途に着いた。いつも買っている芸西村の同じ名前のスーパーと品揃えや価格が違う(今では当たり前のマーケティング手法ですが)。急いで帰り、かっぱ市場に砂糖を出品する、ブロック、くずし、白下を包装し、閉店ギリギリに持ち込んだ。その足で伝承館へ蜜を詰めに行ったら、釜は修理が完了し通常の作業ができていた。先日応援に来られた女性が再び来られていて、作業をパワフルに手伝ってくれていた。製糖作業のどこが彼女の琴線に触れたのだろうか?少し伺いたいけど、風呂も沸かさなあかんし、食事も作らなあかんし、挨拶して帰宅。
随分と忙しい一日だった。夜の音楽にシベリウス5番/バーンスタイン。「4番よりも幾分のんびりしていると総評」だが、3楽章あたりから結構激しい。いずれにしてもシベリウスは寒い国(フィンランド)の人なので、こんなに寒い夜には最高に落ち込める。
12月17日(土曜日)雨
1つの窯で炊き上げる砂糖は時間が物凄くかかる。頑張って3釜を上げた。それには、前日の作業者が釜を焦がしていてこれを取り除く超困難も加味される。大変な試練だ。そしてさらに悪夢は畳み掛ける。修理に出した釜は溶接で修復できないと、返品されて来た。それで手持ちのアルミ底の釜をくっつける作業に切り替えた。これがうまくいかなければ、明日以降の作業は今日のように半減する。持ち込み農家への連絡と調整、持久力の必要な1釜での焚き上げ作業が待っている。僕は新規釜の結果を待たずに帰宅した。
今日の作業で意外な男の執念を見た、じっちゃんだ。明日で94歳を迎える老人は長生きの一点で尊敬していたが、焦げた釜の焦げを取る作業で、ホンノ数ミリしか焦げ剥がしが進まない作業を窮屈な姿勢でコツコツと続ける。僕はなかなか焦げが取れないので半ば諦めたのを。ずっと擦り続けているとやがて焦げは取れた。あの執念には脱帽。困難な山が大きいとそれだけ闘志が燃えて少しづつ呑み込んでいく。現役中僕は大きな偉業を達成した人物に会う事はなかったが、ここにその片鱗を持った人物がいる事を発見して驚いた。偉業とは異様な執念に駆られた人物が成し得るものだと。
雨の降る寒い夜、風呂なしでは耐えられないから、疲れているが頑張って焚いた。風呂の中で本を開き汗の出るまで読もうとしたがいつの間にか眠ってしまい本を湯の中に落とした。お疲れなのだ。350mlのビールを開けると砂に撒いた水のように、身体に染み込んだ。今日の作業では随分と汗をかいたもんな。食事中再び眠くなって少し寝て、残りを食べた。(まるで、幼児)
うたた寝が効いて、少しだけ夜の音楽の時間が持てた。沢野工房が扱うTqnu Naissqq Trio。このJAZZが良いのかどうか分からないが、繊細に響くシンバルと、ゴムが弾けるようなベースのアタック音は中々気持ちがよく、ダラダラと続けてしまう。何度も聴きているうちに理解できるかも知れない。
12月16日(金曜日)晴れ
かなり寒かったが、作業を始めるとだんだんと緩んできた。今日はいいニュースと悪いニュースがそれぞれ1つづつある。
悪い方から先に、伝承館の釜が壊れた。修理に出したため、予定の4釜720kg(800kgを変更)は製糖出来ず、半分の360kgを明日製糖する事になった。残りは19日。収穫から3日以内だと良い砂糖が出来るがそれ以上は不可。困った事になった。
釜の底が抜けるのは理由がある。毎回、釜は誰かが焦がし、翌朝砥石やグラインダーで焦げを落とす作業を行う。これを30年間も続けてくれば、釜が薄くなるのは当たり前。
僕は取り敢えず短時間でできる「蜜」仕様が選択できるが、外部から持ち込みされる農家分は、時間のかかる「白玉糖」仕様だから、生き残った1釜では処理能力が半減する。冗談ではなく、お正月も返上して焚かなければならないかも知れない。
良いニュースはかっぱ市場で砂糖の販売に拍車がかかった事だ。2日前に出荷した砂糖がもうない。急遽、夜加工し明日出荷する事にした。
12月15日(木曜日)晴れ
忙し、あれこれ
忙しくてメールを見てなかったら、娘が友達と観光で高知に来てたようだ。僕の返信がなくそのまま東京に帰宅したようだ。残念。ま、急な連絡では当方も身動き取れず何にもして上げられなかっただろう。今日明日で720kgの収穫予定で、今日は460kg。大変良く頑張った。不慣れな頃は、200kgを収穫するのに朝から夕刻の暗くなる5時半まで頑張っていた。今年はもう累計4800kgも収穫している。腰痛はないが腕が痺れるように痛む。残り260gで今年の収穫は終え、来年に持ち越す。次はじっちゃんの応援だ。彼は自分の能力を超えた作付けをしている。だから彼だけでは年内処理できないから手伝う。誰も応援しないけど、去年もやったから、敬意を込めて。
もう月の半分を越した、夕刻5時の風呂を焚く時間は次第に明るくなっている。これから先、空いた時間で、放っていた家事とお正月の準備。冬支度をしよう。そして、しばらく遠ざかっていた「コンサート」を復活するぞ。タワーレコードから「ニュールベングの指輪」が届くメールが来たし、「ユーミンの50周年アルバム」もクリックした。100枚中まだ20枚くらい残っているレナードバーンスタインのCDを聞き通す時間も必要だ。そして来年早々、ハイテンクのCD100枚が届くので、夜の音楽タイムものんびりとしていられない。
12月14日(水曜日)晴れ
匠の技
午前3:30起床、伝承館で製糖。この日は、農林8号を混ぜるとどんな結果が起きるのか検証だった。そして結果は思惑どうりのオレンジ色の綺麗な砂糖が完成。
芸西村の砂糖は「白玉糖」の登録商標。沖縄の黒糖に対して、灰汁を抜き如何に白く仕上げるのか技術を磨いてきた結果黒がやや抜け、焦げ茶色になった。だから白玉糖。そして、そこから、伝承館の各自は努力を重ねる。先ずは肥料を極力使わない、使うと黒くなるので(僕はずっと使ってない)。灰汁を取るための石灰は出来るだけ少なく使用する。少なすぎると、灰汁が取れなく固まらない。仕上げの釜は温度を110度に保つ技術が必要と匠の技が求められる。
その匠こそ、伝承館の目的だ。
他の人たちには無用な競争だが、この白さ、綺麗さ、テカリ、固まり具合などを仲間は評価しあい、歓喜と挫折のアップダウンを繰り返す。挫折には師匠の慰めと分析がある。喜怒哀楽が1釜毎に繰り返される。
もう爺さんさたちばかりだから、甲子園の砂を拾う事はないし、感極まり涙もない。
そして繰り返すが、白玉糖の最高峰であるオレンジ色の砂糖が出来た。食べると「ジャリジャリ
」の歯ざわりがある。他の人では味わえないコクを感じるはずだ。
今日は部外者の持ち込みが計画を400kgも上回り、明日、明後日の計画を前倒しして、僕の釜の後に加わったので、終了が10時になった。
幸い、今のメンバーは2交代制で、次のメンバーが応援に駆けつけた。今年はかなり組織化して動き出した訳だ。そういう面では将来は明るいが、メンバーのほとんどはドンドンと死に邁進しているし、供出する農家も同じ事情で先は暗い。
僕も、今の作付けはドンドンと収穫量が減りつつあり、維持するため作付け面積を増やしている。その限界が来るのが多分5年後。その頃が撤退のタイミングか。
12月13日(火曜日)晴れ
色々と複雑
夜中遠くで雨音を聞いた覚えがあったが朝起きると本物だった。疲れてた割には聞こえていたらしい。激しい労働が続き睡眠は深いはずだったが、それともう一つは、米やパンなど炭水化物がやたら欲しくてたまらない不思議な現象に陥っている。昔、日本人の多くが農民だった頃、米の消費量が最大で、貨幣の代わりとして通用していたのもこのためだったえのかなぁ。
9時から白下糖と白玉糖の包装。昨日収穫したサトウキビの出荷とかっぱ市場へ出荷。今年は売れ行きが良くないとレジの方に話せば、奥に展示があるからだと言う、でも方針だから私たちは言えない、との事。現場は現場で事情もある。
もう一つの懸案事項は2年間続いた高知のパン屋さんでのサトウキビの販売に商品の出荷を断った事。これは間に立って動いてくれる方との感情的なもつれがあって、僕としてはこの問題に関わりたくないので、従って販路も失う事に。そしてもうそれは蓋をしようと思った事。しかし事情は伝えなければならないだろう。早速高知へ出かけたいが。
ところが、こんな時に限って車の調子が悪く農協で診てもらうとスパークプラグへ電気を供給するコイルが故障しかけていると言う。サトウキビを運ぶ大事な車だから、遠くへは行けない、訪問は後になるだろう。
12月12日(月曜日)晴れ
お疲れである
身体が動かない。日経新聞は休み、NYTは写真のみで朝の日課を終え、白下糖の包装を行いかっぱ市場に出荷。玉が売れて在庫4個。補充が必要だった。
帰って、サトウキビの収穫。屈むことができない程の疲れ。今度は屈むと立ち上がれない。「農林8号」(新品種)を混ぜるとオレンジ色の砂糖ができそうなので60本目処に刈る。主のサトウキビは在来種+黒街道。目標の800kgは難しく、仲間に200kgを応援してもらうよう電話。僕は600kgに目標変更。午後5時、作業を終えて計測すれば430kg収穫していた。しんどいわりには頑張った。明日は残り170kgで、これなら1時間半で「やっつけられる」(先日覚えた東京弁)
ヌルい風呂に浸かってAV誌「ディスク愛」を読む。(ポルノ作品のように聞こえるが、Audio Visual誌で12cmと30cmの音と映像の記録された円盤特集です)
LPレコードのハイレゾ化についての実施要領と、如何にLPが高域再生に優れモノかを扱っている。テクニクスSL1500Cのフォノイコライザー内臓は、もっと上のバージョンが欲しいとの慧眼は、僕的にもそうだそうだと拍手ものだった、それにリンに先を走られても困る。12cm円盤については、テクニクスSLG700mk2を購入予定で、やっとSACDを堪能できそう(オーディオマニアがPS3でしかSACDを聴けないのは恥だろう)。
12月11日(日曜日)晴れ
助っ人登場
午前4時から製糖、今日は3釜、3行程。他の持ち込みブン3釜。フル稼働の6釜。気合を入れるが、もうかなり疲れが溜まっている。ニッケル水素電池のように、充電してもしても、しても、それ以上は充電出来ず、半分しか充電されてないような感じ(この表現わからないだろうなぁ)
所が、午後になれば見学者の方々が次々に応援をしてくれるようになった。若い女性の方々なので力仕事は無理かな?と思っていたが、それは老人の杞憂。若いパワーに任せて力があるし、疲れ知らずのようだったと言うか、疲れてもすぐ回復するようだ、ホンノ数分で。ウルトラマンの警告パワーは沈黙したままだ。こちらは赤色が点滅状態。結局3釜全部の力仕事を彼女らはこなしてくれた。
最終工程での混ぜる所では、腰を振ってかき混ぜ棒を操作する新手も現れて、爆笑を誘った。特に、午後7時の釜清掃まで付き合って下さった2名の方には申し訳ない感じだった。フェイスブックアドレスを交換し、おかえり頂いた。高知県在住だが他府県からお越しの人たちで、僕らの偏った常識が暴露された面もあった(恥ずかしながら)。
12月10日(土曜日)晴れ
身体は徹夜
昨晩の深夜帰宅が効き午前中は頭が呆然として、動き緩慢で、いろんな事が出来なかった。取り敢えず、ブロックと蜜を袋詰めして、かっぱ市場に出荷すればそれだけで午前中は終えてしまった。午後は気を取り直して、サトウキビの収穫を頑張った。551kg、本来なら600kgだが限界を迎えたし、右腕がどうにもならない痛みを訴えている。551kgとは550本のサトウキビの皮を剥き、計測と車の積み下ろしで、累計2トンの上げ下げを行う。定年までサラリーマンをしてきた身としては筋肉がない為辛い作業。
風呂に入る前に、アンプやCDプレーヤーの電源を入れエージングし、夜の音楽に、先日購入したJAZZをかけるものの、10分でダウンし布団へ倒れる。
12月9日(金曜日)晴れ
老齢化の波
日中はサトウキビの収穫を行った。240kg。午後5時から今治から来られたお客様のサトウキビを焚く。サトウキビの汁に含まれる雑味を石灰を使って取り除くが、これがなかなかうまく行かず、前の班は往生していた。僕たちの班は師匠が居るので問題は回避できた。彼はこうしたトラブルを過去色々と経験して来ており、対処方法を知っているのだ。が、前の班の作業が余りにも遅れていたので、結局終了は午前1時半になってしまった。体力的にかなり厳しい世界に突入している。お客様のほうもお疲れだが、今年でサトウキビは止めるので、最後の力を振り絞っているようだった。止める理由は仲間が腰痛のため動けなくなったから。
12月8日(木曜日)晴れ
少しづつの匠
伝承館で670kg砂糖を焚く作業。僕のサトウキビは汁の量が多く、3釜で仕上げるには厳しく、4釜にするには少なすぎる。それで、急遽自宅に帰り70kg収穫し4釜に見合うよう帳尻を合わせた。今回じっちゃんから、灰汁の丁寧な取り方を教わったし、上げ釜の焚き方が何となく分かって来たような気がした。そして、僕の作る砂糖品質が安定して来た感じだ。砂糖に熱を加えると溶けるが、熱加減で固体が液体になる。そして熱加減で焦げる微妙な性質を持っている。だから匠の技が要求される。現在伝承館には匠の技を持った人は二人しかいない。僕ももう少しすれば加われそうだが、まだ他人様のサトウキビを上手く仕上げる経験が足りない。
12月7日(水曜日)晴れ
掘り出しもモノ
午前3時に目が覚めた。連日の早起きで体が馴染んでしまったのかも。熟睡後の後完璧な目覚めで4時には起きて日記をアップデイトし、ラジ英語を聞く。6時に夜須のセブンイレブンに出かけタワーレコードから届いたCDを受け取る。5枚組JAZZのCDが何と1.100円で購入できた。車で聴いても家のシステムで聴いても全く申し訳ない完成度の高さ。申し訳ない価格だった。
朝食後、製糖した「ブロック(砂糖の塊でレンガ状にしたもの」を真空パックしかっぱ市場に出荷した。9時半サトウキビの収穫開始。1時間で70kgくらいの進捗、400kgが危ぶまれたが結果は423kgの収穫。伝承館に2往復で納入。明日の朝食を購入、午後5時に夕食。
夜の音楽は、今朝購入したJAZZのCDを聴く、リマスター処理されて音にはメリハリがあるし、レーベルを超えての編集の筈だが、音調が一定している。特筆もの。このようにJAZZは1950~60年代の限られた音源の再利用で維持されている。
12月6日(火曜日)晴れ
午前3時半起床。4時前に伝承館に到着するともうみんな揃っていた。既に冗談が飛び交ってハイ状態。爺さんばっかりだがみんな元気。まっ!きつい作業なので、冗談なしでは作業が進行しないかも知れない。日本人に限らずアジアの国々では昔、田植えには歌を歌いながら作業した歴史もあるから、人間の習性だろうな。
話の中心は、釜に穴が空いて使えなくなった事件が昨日あった。何で穴が空いたのか?誰が空けたのか?だった。
とりあえず、溶接で応急処置、役場にも連絡して来年度予算を組んでもらうなど大変な事態だったらしい。今日は早く終わりそうだったので、私は自宅に帰り昨日収穫したサトウキビ200kgを持って来た。一番最後に僕の分を焚いた。蜜を焚く事にした。出来上がった蜜を瓶に詰める作業も行って今日の作業を終えた。126個、@500円、63.000円の販売分。普通は熱が冷めた翌日、作業をするが、「刈り取り」、「製糖」、「加工」の3工程を一人で行うのは、チット厳しい。それで、今日は仕舞いをつけることにした。
午後5時半に自宅に帰る。格別、疲れはないが何もしたくない気分(それが疲れかな)。昨晩の残り物を当てに赤ワインで流し込み、シャワーで済ます。寒く疲れている夜は熱い風呂でゆっくりしたいのだが。。
風呂から上がり昨日に続いてマーラー交響曲2番後半。ホールの響きがよく出ていて気持ちが良くなる。と、途端に睡魔でダウン。午後9時まで持たなかった。
12月5日(月曜日)雨
どんよりとした天候。今日は500kg収穫できればいいなぁと勢い込んでいたが、午後2時半に雨がやってきた。1時間雨の中で頑張ったが濡れて寒くなった、これ以上は危険と連絡が来た(本能さんより)ので断念。380kgの収穫だった。朝洗ったシーツは乾くはずもなくコインランドリーで乾燥、ついでに明朝の食事の買い物。明日はサトウキビを絞る出勤日で朝食はパンの立ち食い、昼はカップ麺のような立ち食いできる為の食材だ。
食生活はかなりまずい状況にあると思う(老人には危険でさえあると思う)。一人でサトウキビを頑張るには限界を超えているのだろうと思う。
雨で午後は早めに終えたので、5時には夕食、7時から音楽を聴く。マーラー交響曲2番/バーンスタイン。バーンスタインは「随分とこの楽譜には筆を入れたな」と感じた。全曲聴く体力なく午後8時前には就寝。
12月4日(日曜日)雨
9時間の睡眠で目覚めた。この歳で、極限まで労働して、倒れるように寝るのは命を削っているようなもの。40代~50代の壮健な身体と同じ事をするのが良いわけないだろうな。長く寝た後は、頭がぼんやりする時間が長かった。
どんよりする天候、昨日の砂糖の仕上げで肘を痛めたのか痛む、でも、じっとしてはいられない。伝承館に行って、昨日精製した砂糖の回収が必要だ。100kg。食事の後、これを加工し袋に詰めて出荷する。昨年迄はビニール袋だったが、品質管理のため、脱酸素剤を封入し、専用のビニール袋を使用する。費用が嵩むが仕方ない。
やっと終えたのが午後4時。柚子を取って風呂に浮かばせ入浴。
夜の音楽は、友人が送ってくれたリストのピアノを聞くが10分も経たないで居眠り。音楽は中断し結局この日も倒れるようにして寝ることに。
12月3日(土曜日)晴れ
皆と集うのが楽しみだ。1年間誰とも話さない日々が続いたが、毎年この時期になると、「毎日ワイガヤできる」その上サトウキビは小遣いにもなる。芸西村は部落ごとに「ふれあいセンター」が開設されていて、話し相手のいない老人たちがここに集まって、時間を潰している。それと比べると、僕らは「目的を持った老人の集団」で生き生きとしている。そんな面では「集落活動センター」も僕らと似ているが、集団としての一体感はない、だだ、小遣いは稼げる。この村は老人のためにかなり恵まれた支援があるがあるが、僕らの製糖組合が最高だと思う。
飛び入りの注文を受けたために、僕の製糖は時間が短縮できる、白下糖と蜜に変更した(本来は、煮詰めるのに時間のかかる「白玉糖」を予定していたが)。しかも、飛び込みの農家はサトウキビを収穫して時間があまりにも経過しすぎ(3日が限界で、1週間ほどのものを持って来た)で、いい砂糖は出来そうにない。そこを何とか、無理強い、そして最終工程の炊き上げは難義を極めた。僕の右肘は悲鳴を上げた。もし、いいのが出来なければ、組合が補償しなければならない。理不尽な話だ。午後7時半帰宅できた。15時間。朝飯も昼飯も作業しながら食って休憩時間なし。
重労働だったはずなのに、作業中は全く疲れは感じなかったが、帰って食事を始めるとどっと疲れが来てコックリ。これはいかんと食事は途中で止め、風呂に入った。疲れの身体に熱い風呂は実に気持ちがよく、ここでも夜の帳が下りて来た。慌てて出て、布団に駆け込み落ちた。
12月2日(金曜日)晴れ
寒い朝を迎えた。暖房の石油が切れていてエアコンに頼っている。ウクライナは頼みの綱である電気さへ無い。暖房シェルターを設置したとか。ロシアは無防備の民間施設を狙っているからタチが悪い。ともあれ、寒くては何もできないだろう。これ程の苦痛はないだろう。
高知は太陽が出て日中は暖かく、サトウキビの収穫は940kg出来た。車で3往復し伝承館に収めると、師匠が「1トンは重いやろう」じっちゃんは「おらぁ1日に180kgしか収穫でんぞ」。疲れはあったが取り上げた。よくやった。収量のスピードは昨年に追いついた。事前に葉っぱを取り除いた効果があった。今の体力が維持できれば来年はもう少し増やせるだろう。
伝承館では、ワガママな農家が明日焚いてくれと、サトウキビを持参した。明日は僕の作業で手一杯(1日1000kgが限界)の所、それを師匠は受けた。「とにかくやろうと!」81歳の爺さんなのに元気は僕らを超える。でも、嫌が言えない人であるから、いろんな人から無理難題を吹っかけてくる。そして、僕と曽我さんがそれを支える立場。何だか昔こんな経験をした事があったな(販売金額の積み上げで)
今日は滋賀の友人は手紙で高知に釣りに来たいと連絡してきた。名古屋の友人は「山本屋」のうどんを送ってくれた。されどうどん。日本3大うどん(讃岐うどん、稲庭うどん、五島うどん)は主食だ。名古屋の味噌煮込みうどんは、ご飯のおかずで、しかも「酒の当て」になる存在で重厚さと高貴さが漂っている。さて、店で頂いたような味が出せるかどうか?説明書をよく読んで調理しよう。明日は先述の通り、4時から21時くらいまでの長時間対応で、丁度買い物に行けないから帰ってから献立してみよう。
12月1日(木曜日)曇り
天候は一転し寒くなった。時々太陽が顔を出して暖かくなる、そこは流石に高知流。今日と明日の2日間で1000kgのサトウキビの収穫で気合いを入れた。未計測だが600kgは刈った。明日400kg。あらかじめ葉っぱを取り除く作業が功を奏して実現できた快挙。この間かっぱ市場には、砂糖の出荷もしてきた。12月が稼ぎ時、出荷は大事だが、刈り取りや製糖作業も大事で、本当に忙しい。でも昨年に比べて余裕があるのは、料理の先生にお惣菜を貰えるからだ。その時間分僕はギリギリ迄外で作業ができる。
その上、収穫作業は、サトウキビは重くかなり厳しい作業(かんがだり、持ち上げたり)だが、膝や腰の痛みが無いので、予定を少しだけ上回る進捗がある。
昨年と同じなのは、夜の音楽で、昨年はベームのCDをよく聴いていた。今年はJAZZが多い。そう言えば、ダイヤトーンDS 251を購入しJAZZが凄く良かったのに、離れに移してから聴いてないなぁ。手を広げすぎて収拾がつかない状態。
11月30日(水曜日)曇
ものすごく暖かい朝を迎えた。20度C。ワイシャツ1枚で作業を始める。今日もI氏との混合焚き。そして、完成品は芸術作品並みにきれいに仕上がった。This is PERFECT!
それは良かったが、連日の作業がたたり、右腕が痛む、親指が痛む、手が痺れる症状が出てきた。今日は何とかやり過ごしても、明日は収穫で重いものを持つ作業が控えている。
お寿司屋に行って熱燗で握りを食べたい。岐阜に住んでいたころはかなり頻繁に「初寿司」にでかけていた。このころは未だ酒を飲んで車に乗っても大丈夫だった(運転に自信があったし、田舎道での取り締まりはなかった)
しかし、ここはお寿司屋さんがない。南国市か高知市までゆかないとありつけない。しかも、お酒何てとんでもない話だ。大概の料理はできるが、お寿司だけは少量のお刺身を多品種となれば不可能に近い。都会の生活から遠ざかってしばらくたつが40年強の生活習慣はなかなか抜けきらない。
一方で何とかなっているのが、書籍以外の買い物で、今日はiPadスタンド、ワインボトルの栓、シンクパックシーラーなど、かなり専門的なものが格安で購入できるようになった。以前だったら街を訪ね歩くしかなかったし、それも在庫があるのか不明だった。
11月29日(火曜日)雨
朝から雨、予報は当たった。予定通り午前中は英会話。随分とヒアリングが落ち、単語は忘却の彼方へ。これが老人の実体か?午後は、友人2人に音信不通になる旨の手紙。サトウキビの製糖で返信できない為。雑誌をスキャナーにかけ自炊。洗濯物にアイロンをかけるともう夕刻の4時。急いで買い物に出かけ、早めの夕食を終えた。
嵐は確かにやって来たが、昨年ほどのことはなく、サトウキビ畑の柵の倒壊は免れた。その後の吹き替えしは安心は出来ないが。今日は一日中家の中にいて運動らしきものはなきに等しいのに、夜になるとものすごい睡魔がやってきて音楽には至らず、布団に直行した。
11月28日(月曜日)晴れ
アメリカの下院は共和党有利で選挙を終えて、バイデン政権にはねじれ国会となった。台湾は国民党が地方選挙で優位に立ち、中国寄りの政党が増え、西側諸国の心配をよそに、内部から中国に近づく様相だし、中国は習近平政権へ批判のデモが広がって思わぬ国政運営の躓きを呈した。世の中は絵に描いたようには行かない。ましてや、凡人の私がいくら足掻いても、予定とは裏腹な事が起きるのは当たり前。
昨年の11/30は大嵐がやって来て、サトウキビ畑の枠が倒壊したが、今年も11/29には大嵐が来ると言う。嵐さんとしては計画通りだろうが、当方は困惑が広がる。備えはしているけど。
午前中に200kg収穫し伝承館に収めると、I氏と会って、200kgを明日焚くので応援頼むと言われた。僕は帰って再び切り出した。疲れてもいたのだろうか、3時間も要してやっと納入。伝承館でI氏と再び合流し、手渡した。
昼間の作業中に同級生のJ子が鹿肉を持って来てくれた。5kgくらい。夕食に少し切ってレンジでチン、お醤油を垂らせば結構いけるではないか。明日は本格的に頂くとして、神様からの贈り物だから有り難く滋養にしようと思う。
夜は映画「GIジョー・リベンジ」を見る。ドウェイン・ジョンソンがチカラ強い。ブルース・ウイルスはもう殆ど喋らない役を演じていた。この頃から病状が進んだのかな?今日もものすごく疲れていたので安心して見ていられるドンパチを選んだ。
11月27日(日曜日)晴れ
汗ばむ季節がやって来た。10月までは汗でシャツが濡れていたが、さすがに11月の声を聞くと止まった。しかし、製糖作業が始まり、窯の前の作業が増えたのと、サトウキビの収穫に重量物を上げ下げする作業はエネルギーの消費も激しく、太陽が出ると汗を流し、シャツは濡れたり乾いたり。夏場の汗は、汗臭かったが、今の汗はサトウキビのほんのり甘い臭いがする。
午前中に200kg収穫し伝承館に納め、その場で仲間の奥方に保健所への申請方法を説明する。帰って300kgのサトウキビを切り出し、100kgぶんは結わえて車に積んだ。明日へ持ち越し。
夜の音楽はH氏から頂いたモーツァルトP協奏曲20番。フランス・ブリュッヘン指揮、ジョン・ギボンズピアノ。実に素晴らしい演奏。同じ楽曲を内田光子のピアノとジェフリーテイト指揮を持っているが、比べると悲しくなるほど貧弱な演奏と音質。このCDを買った時はかなり評価してたのだが。金輪際日本のアーティストのアルバムは買わないぞと決めた。
11月26日(土曜日)雨
今日は、仲間のI氏とサトウキビを混ぜて焚くミックスバージョン(在来型品種と黒街道)、昨年も仕上がりが良かったので今年も狙ったらそれが実によく出来た。僕の在来型品種は、ザラザラ感が強く、色目も良い、一方I氏の黒街道は糖度が高いが、固まりにくい特徴を持っている。良い品は、地元スーパーの大量注文に応じられる。サトウキビの原木1000kgを絞って398個の板状の砂糖が完成した。
後片付けをして伝承館を出たのが17:15。13時間勤務。重いサトウキビを累計で加工の為に1000kg持ち上げ、200リットルの絞り汁を2回、桶に柄杓で移し、砂糖が焦げないようにかき混ぜるのに、粘りがあって重い竹の竿を累計1時間混ぜた。1.7リットルの水分摂取。本来なら腰痛が出て当たり前の重労働なのに、今年は何故か?疲れだけが残る若い頃のような体調で、なんだか怖い気もする。
風呂に入って食事をすればグッタリ、肉体労働の倦怠感が身体に蔓延する。実に心地よい疲れだ。8時過ぎに布団に横たわり死んだように眠る。
11月25日(金曜日)晴れ
仲間のじっちゃんと連れ立って、安芸市保健所で食品販売の講習会届けを行った。来年1月19日に受講予定。HACCPに準じた衛生管理を全国、全員に徹底するための仕組みが施行される為。この登録がなければ加工食品は販売できない。申請に午前中を使った。せっかくだから、道中じっちゃんに芸西村の昔の事を尋ねた、僕の住む部落に映画館があったと聞くが本当か?あったと言う、そう言わればそうかな?程度の記憶だったが、確信になった。この映画館が廃止になって、じっちゃんの住む部落に映画館が3館出来たと言う。経緯は不明だが、その内の1館だけは記憶が鮮明だ。海辺の砂の上に建物は立っていた。台風の大波が来て、映画館の土台のコンクリートが削られたので覚えている。
帰って、サトウキビの切り出し150kg160本、伝承館に納入する。いよいよ製糖作業に突入だ。
料理の先生が友人に贈る為の柿の収穫80個を済ませて、本日の予定を全て終えた。
オーディオルームで夜の音楽時間。バーンスタイン指揮、ベートーベンピアノ協奏曲3番。弦のユニゾンが心地よい。ピアノのペダルを踏む音まで記録されている生々しい音。丁寧なリマスタリングングが想像できる。至福の時だが9時までには終えて就寝しなければならない。
Amazonのセールが始まった。セール対象品をじっくり見てクリックしたいがかなり難しい。
11月24日(木曜日)晴れ
昨日製糖した砂糖を回収して、かっぱ市場に出荷した。市場では一番乗りだった。帰って、サトウキビの切り出し。本日と明日とで500kgの計画。料理の先生に手伝ってもらって、350kgを収穫した。同じ畑で昨年比6%の本数UP、10%の重量UP。無肥料、温暖な気温が功を奏したのか?不明。
サトウキビの収穫は、切り出し、計量、トラック積み込み、倉庫へ下ろす工程があって、350kg✖️4回=14.000kgをこの日に持ちあげた事になる(1回あたりは10kg程度だが)。オリンピックの選手のトレーニング並みだ。腰や何処かに異常が出てもおかしくないが、不思議と今日は調子良い。(嵐の前の静けさなのかな?)
夜は正しい睡魔到来で、9:40就寝。もちろん音楽なし。
11月23日(水曜日)雨
3:20起床。流石にこの時間に起きるのは辛い。この時ばかりは、もう辞めようかと思う。でも伝承館に行きみんなの顔を見れば元気が出て来て頑張るぞとなる。今日はどんな砂糖ができるか興味しんしんだった。(21日の先行者の不作があるので)。そして師匠の砂糖は粘くて、あの温厚な師匠でさえ匙を投げ出した。僕が代わって、力任せに仕上げ工程を担当し、何とか砂糖になったのには、えらい感謝された。僕も自信がなかったが、水分が飛ばないなら、加熱された砂糖が多くの面積で空気に触れるようにすれば理屈の上では行ける筈だと思って強く混ぜた。結果、火加減を強くして焦げないように強くかき回す作業が今年の砂糖には有効かな?と見えてきた事もあった。
僕の砂糖は例年通り、いい色で粘くもなく仕上がって、良い結果は土地の所為だとみんなから指摘された。僕は一年間を通じて世話して来ただけあって、所定の仕上がりになったと思った。これで、今年の砂糖は岡村さんのが一番の品質を獲得したようだ。ただし、僕らのように砂糖ばかり見ている人間だけがわかる程度の誤差で、普通の人には関係のない話。
終えたのが午後4時半。12時間汗にまみれた。水1.5リットルに相当する労働だった。この時期貴重な汗だった。
11月22日(火曜日)晴れ
ラジオ英会話と、テレビ英会話定番レシピを聞く見る。10:30からサトウキビの収穫に取り掛かった。200kg。途中で計測すれば、1本が1kgだとわかり、予定通り200本収穫した。結果187kgだった。昨年よりも300g/1本多い。データは大事だと思い2020年から克明に記録している。100kgの収穫に1時間、計測積み込み、葉の後始末に1時間。200kgの収穫に4時間。葉を取り除いた分だけ昨年よりも早い。昨年は11/30に大嵐がやって来て、柵が倒壊し、12/1以降の収穫は難儀を極めた。今年は柵を頑丈にしたし、風の負荷を受ける葉が少なくなっているので多分大丈夫のはず。
11月21日(月曜日)晴れ
10:00から歯科医で、ラジオ英語のお休み、代わりにNYTを少し長く読んだ、電子辞書を3つくらい並べて単語を訳すると朧ながら「節」が見えてくる。面白い使い方じゃないかと自己満足。
歯医者さんではこの歳で全部自前の歯が残っているのは珍しく、歯間も詰まっているので、長く使えるようケアしましょうねと、告げられた。舞い上がった僕は食事の後歯磨きに力が入った。
街に出たついで書籍購入。「超約ヨーロッパの歴史」「地政学世界地図」「農家はもっと減って良い」。忙しいが工夫して読むつもりだ。当初は電子本の予定だったが、目が痛くなるので書籍に変更。こちらは字が細く目が痛くなるので、結果は同じか。
午後は製糖組合の打ち合わせ。製品の販売には保健所への届けが必要だとなった。今日、試験的に焚いたサトウキビは固まらず、今年の共通性質か?それとも、その生産者のみの事情か?不明。それで僕も予定を急遽変更して23日に200kg焚き様子を見る事に。この結果によって次の26日予定している800kgの収穫時期を10日位遅らせる判断をしなければならない。
それで家に帰り、明日収穫するサトウキビの葉取りを進めた。200本準備した。これで200kgあるはず。
久しぶりに鏡で自分の顔を見たら、随分と老けたなと思ったのと、眉が真っ白で、スズキ自動車鈴木修さんとそっくりでびっくりした。かなり個性派と言うことかな?
滋賀の友人からCDが届いた、奥様が病気で再起出来ないとの文面。いずれは来る事だが。今月2件目。
11月20日(日曜日)晴れ
静かだった僕の日常が急に慌ただしくなってきた。コロナ死亡者数も再び四国で高知県が1番となった。高知のマスコミはこれについて問題視してない。「オミクロンは重症化率が低い」のはとんでもない誤報で、高知県では今でもコロナ発生時の2020年2月の頃と同じように高い致死率で推移している。高知県ではコロナに罹ると高齢者は確実に死ぬと覚悟しなければならない。
どこにも行かない、誰とも会わないのが今流の生き方だったが、今日も2人の訪問があった。サトウキビの製糖が間もなく始まるからだ。製糖が昨年と同じように年末の風物詩と見えないのは、このオミクロンが原因だ。
人類は知性を持った動物だから、自己をコントロールでき、「他の動物と同じではない」。これも全くの誤報。感染に対して統一の行動が取れないし、地球温暖化にも対応できなく全国大会は宣言が出来てない、所詮は動物と同じ行動しか取れず集団で死への努力をしている。僕にはこの先時間がないのでまぁ良しとしようか。
今日もめいいっぱい体を動かし、汗をかいて、疲れ果てて晩飯を腹一杯食ったら眠くなったので寝た。田舎の正しい一日だった。
11月19日(土曜日)曇り
朝から料理の先生の応援を得て、サトウキビの葉を取り除く作業で夕刻16:50に終えた。多分収量1000kg分。その間曽我さんの訪問で1時間のお茶タイム。田村のおばさんからつくね芋を取りに来るよう電話。イロイロあったが目的を完遂した。
記念に一杯のところだが、英語が滞っているので我慢。入浴後取り掛かる。眠いのを我慢して11月8日分を聴き終えた。秋野ローザさんの発言するmountain(山)が何度繰り返しても聞き取れない。ずっと音響機器の試聴を続けて来て耳はいいはずなのに聞き取れない。口を中途半端に開き舌をどうにかしている音は、僕の頭の中に形として記憶されてない。もし、今失明したとしてもカレーやカンズメなどと聞けばカタチが想像できるが、全く知らない東北のタクワンの名前を言われたらどうにもならない。それと同じ。上達には限界があると分かっている。しかしこの難しさへの挑戦を放棄して安易にTVなどを見て時間を過ごすと、もう一生元に戻れないのではないかと恐れがあって、それは行く末、痴呆への道だろうと頭にちらつき、やや難解な事に意図的に寄り添っている。負荷がなくなるのが怖い。
11月18日(金曜日)晴れ
昨日の反省は何処へやら。今日は朝からサトウキビの葉取り。どれだけ僕のエネルギーを注ぎ込んでも遅々と進まない。日経新聞に私の履歴書で先月掲載された、西川きよしの信条の如く、「コツコツと」農作業にはこれしかないのだろう。高知の友人が柚子の収穫に来て、僕を見て、「一人でよくやるなぁと」、情けをかけた言葉を頂いた。夕刻まで作業、暗くなるまで倉庫で棚を作った。コンテナ籠を置く台。そして空いた場所に、ビニールハウスの廃材であるアビトンの角材を収納するつもり。その資材は軽トラック10台分位の物量で、かなりの場所が必要だ。期日は11/20。サトウキビの製糖迄に何もかも終了しなければならない。忙しさに拍車がかかる。
夕食は料理の先生宅で頂く。昨晩に続き2日連続で「外食」。
帰って、日課である英語に取り組むが日中の疲れが加算され、忍耐の限界を超えてダウン。「仕方ない」で済ましたくないけどどうにもならない。
11月17日(木曜日)曇
西谷の砂防ダム堰堤で我が家の農地が侵食されるので、その現場説明を聞いた。侵食(道路施設のため)は仕方ないとしても、道路の高さが気になっていたが1m位なので日照の問題は回避されるので安心した。川向こうの土地にトラクターが入れなくなる問題を指摘したが、検討事項として持ち帰りとなる。工事は2年後(土地の買収がスムーズに行かないと言う、芸西村にはごねる人はいないはずだが、登記者の死亡で持ち主不明なのが有れば難航すると言う)。その後お寺の奥様が柚子を取りにきた。
それやこれやで、昨日も今日も英語の勉強に支障が出ている。アメリカ議会選挙はNYTを読むと面白い。大局感的記事もあるが、個人事情を取り上げているから読み物として価値がある。そして単語の使い方に捻りがある(向こうの人たちにとっては当たり前かな?)「あっぱれ」と評価。だが全文読破にはとても時間が足りない。
午後サトウキビの葉取り。収穫のスピードを上げるため、今日からの作業は最終出荷状態まで葉を取り除くので、脚立に上っての作業となり、遅々として進まなくなった。夕刻4時に切り上げて風呂を焚き、師匠の家に出かける。製糖作業のシフト制の問題点検討のため。ついでに夕食をご馳走になる。お寿司、刺身、茄子のたたき。奥様の携帯に楽天ポイントのアプリ導入。登録がスムーズにできなかったので、時間切れで翌日に持ち越し。
今日も色々とあった。しっくり作業も勉強もできなくなっている。でも、よくよく考えれば、全部が出来なくても何ら問題はないのに、何に焦っているのだろう。問題はイロイロと出来ないことよりも、そのイライラだ。それがなければ風光明媚な田舎で素晴らしい人たちに囲まれて生活を送っているはずなのに。多分僕は取り掛かると、前後を忘れてのめり込むので、もっと先にゆきたい、もっと完璧を目指したくなるのだろう。この歳になっても俯瞰する目を持たないためだろう。
11月16日(水曜日)晴れ
少し寒くなってきた。肩がパンパンに腫れ、指が痺れ我慢できずに午前2時に目が覚めた。それでも5時間寝ていた。少しだけ本を読んで再び寝て目が覚めたら喉や肩は楽になっていた。
新聞を飛ばし読みして伝承館に急いだ。今日は薪を切って積み上げる作業。ビニールハウスの廃材を。午前10時に終えて、帰って英語に取り掛かったら、高知の友人がゆずを取りに来た。この作業には加わらなかった。英語に取り掛かったが半分の進捗だった。昼飯を挟んでもう一度本を開いた。午後2時に終えて、再び昨日続きのサトウキビの葉取り、今日は無理をせずに2時間だけの作業。病院で貰った強烈な湿布のおかげで肩の痛みはすっかり良くなった。明日は復帰できそうだ。夕食は夜須のお惣菜屋さんで野菜料理4品、サゴシの刺身。料理をしなくなったなぁ。でもそちらが安くていろんなものが食べられるからいいかな。
夜はハイレゾで「アートブレーキ/チュニジアの夜」1960年夏の録音。アートブレーキがメチャメチャドラムスを叩く、若かった頃の録音、今ではこんな情熱のドラムスはいない。名盤中の名盤。人は昔に生きるタイプと、未来に生きるタイプと2種類に分けられる。定年するとこれが非常にはっきりする。僕は後者だが、音楽に関してはどうやら前者のようだ。
11月15日(火曜日)晴れ
朝から料理の先生の応援をもらってサトウキビの葉を取り除いた。3列の作業に夕刻5時まで費やした。僕はヘトヘトだが先生は元気。この差はなんだ?夕食を作ってもらって頂いた。僕は座って待つ間にビールを飲んだ。もう料理をする元気はなかった。僕のエネルギーは半日の農作業分位しかなく、それを超えると能力が半減するみたい。肩が凝って喉が痛くなって、早々に寝ることにした。
訃報が届いた、高松のショウルームに勤務していた頃、販売会社の音響プロモータと大変親しくなって、図々しくもその人の家に泊まりにも行った。以降僕は転々とし、彼も離婚を経験して、関西に移り住んだ。ずっと交信は続いていたが、夏に一度電話が掛かってきた。間違ってボタンを押したと詫びていた。奥様のハガキによるとどうもその頃に亡くなったようだ。74歳。いよいよ僕の友人が一人二人と欠け出した。懇意にしてた仕事仲間は今年で年賀状を止めるとハガキが来た。生前整理と書いてあった。僕自身はまだまだ拡張中であって急にハシゴは外せないのだが。
11月14日(月曜日)晴れ
昨夜仕込んだパンは綺麗に焼けていて、パンとコーヒーの食事の後、野菜ジュースを作り僕としては正しい食事。7時半に伝承館で釜の据付工事と掃除。いよいよ2022年製糖作業が目前に控えている為。早い人は21日から製糖開始。僕は遅らせて26日頃を目処とするつもり。全員がきびきびと作業をこなした。みんなお年寄りなのによくやるなぁ。でも、しんどい事をしているから元気なのかな。じっちゃんも元気。来年は「元気のない畑」を何とかしたいと言うので、僕の畑に大風がなく柵が壊れなかったら、畑を作ってあげると伝えると、「それじゃ苗を沢山用意するかのう」目を輝かせた。93歳の意欲に頭が下がる。
昨晩NHKでブロムステッドの95歳のN響指揮を見た。椅子に座っての指揮だった。少し痛々しい感がし見ておられなかった。じっちゃんはそれよりも少し若いが痛々しさはない、知り合った頃と同じだ。出来れば僕も同じようにサトウキビを続けたい。密着取材で長生きの秘訣を教わりたい。
帰って午後2時半、サトウキビの葉を取り除く作業を5時まで。かなり思い切って葉を取り除いているのが、味にどう影響するか?不明。しかしこれで収穫作業は格段に楽になる。僕の作戦は、今年は暖かいから作付け時間を長くして調整出来れば良いと踏んでいる、さてどう出るか。
11月13日(日曜日)晴れ
天気予報通り朝から雨。不覚にも6時半まで寝過ごした。サトウキビの葉取り作業が中断されるが仕方ない。日経新聞でドイツのピアニスト「ラルス・フォークスト/ショパン」の紹介があった。早速Apple Musicで確認すれば甘美な演奏だった。ケンプ、バックハウスはバッハ寄りショパンを演奏し、ラルスはシューベルト派と紹介される。そこまでは聞き取れない。iPadを開いたついでに、radikoでNHK-FMの「ジャズ・トゥナイト」を開いた。今週はベースの特集でビバップ以前(1950年代)から、ジャズに於けるベースの立場を紹介されていた。解説は「大友良英」さん。非常にわかりやすい説明で聞き惚れてしまう。2時間の番組で全部はお付き合いできないが30分だけ聴いた。NHK-FMでは他にもピーター・バカランのロックを紹介する番組があって、こちらも逃せないほどの情報満載だ。映像関係ではアマゾンプライム、アップルテレビも逃せない、ベルリンフィルも放っておけない。
沢山いる2号さんを満遍なく愛さなければそっぽを向かれるのはカメラで経験済み。それで、今夜はベルリンフィルを選択。最近の演奏で、若手の指揮者マクシム・エメリァニチェフのモーツァルト。これは尋常ではなかった。母家の4Kで見るのは重く、自室のiPad Proで見た。DENONのポータブルアンプに接続、AKGのヘッドフォン。低域は弱いが弦の艶が再生できるタイプ。モーツァルト交響曲38番。どう言う訳か1楽章ごとに観客が拍手をする、マクシムも戸惑っていた。確かに拍手をしたくなる演奏でもあったが。ドイツにもこんな人がいるのだ。
11月12日(土曜日)晴れ
役職定年制度廃止の記事を読んだ。良いことだと評価記事。僕は反対にこの役職定年制度が無かったら、きっと楽しみの半分しか享受できず人生を終えたいたかもしれないと思った。良いことをしてくれたと思っている。アジアを歴訪できたことだ。岸田さんがカンボジアで日韓会議に参加し、G20の為にインドネシアに向かったニュースを聞いて、政治はともかく、移動についてだけなら、なんてことはない大阪から博多に行くようなものだと思った。
何度かシンガポールからジャカルタへの飛行機に乗ったことがあるが、上空に達する間もなく下降した、その間客室乗務員はパンと水の食事を提供したのに感動した(その間15分くらい、飛行機はB777)。東南アジアの国々は近い。その近隣についての感覚はどうしても僕の古い頭ではつかめなかった。もう一つはフルーツの豊潤な味覚と多様な種類。もしこれが日本のスーパーで買えるなら、朝食はもっと豊かになるだろうと思った。秋田県に行くとあっちにもこっちにも美人が居て目が定まらなかったが、アジアの露店を覗くと全く同じだった。半面CDのような音楽ソフトは申し訳ないほど僕の価値に合わなかった。少なくとも僕についてはバッハの築き上げた音階の世界の嗜好しか受け付けなかった。アジアは興味津々な国でブータン以外は全部行ったのが制度の恩典だった。
11月11日(金曜日)晴れ
今日は首の問題が解決でき、すごく調子が良い。なんでもできそうだ。かっぱ市場で「ヒメイチ」を買ってきた。今夕は唐揚げで三杯酢仕様。日本酒で回復祝いを予定してたが、2巡目のサトウキビの葉を取り除く作業は意外と時間がかかることが分かって、かなり真剣にやったが、11/20を期限(予定では製糖開始がこの日)とすればこのままじゃ日数が不足する。それで今日は遅くまで作業をした為、お酒を飲む時間が無くなった訳。暑くも寒くもない日が続いているのに感謝して、我慢しよう。更に、明日は英語をお休みして終日作業と決めた。
自作のPCを組み立てたが電源が入らない。スイッチの問題があるシャーシを使ったのが原因かどうか不明だが疑わしい。スイッチのみ注文しよう。年内完成が難しいかも。
夜はインド映画、何かと言えばすぐ踊るし、ヒンズー語と英語のチャンポンで、ストーリーは支離滅裂。でも歌の素晴らしさ、大勢が揃って踊る見事さは、ボリウッドの特徴。何十枚かインドでDVDを買い込んで見たが、全てがコピーで画質が悪かった。今日見たのはWOWOWの録画でHDだった。映画で何か楽しみたいと思った時は不向きだが、頭が何も考えたくないと呼びかけてくる時などは、最適の映画。
11月10日(木曜日)晴れ
今日は一段と首の調子が悪い。昼食後医者を訪問した。前回動かなかったマイナンバーカード受付を操作したら、今回は稼働して確認できた。診断結果首の骨は異常がない、注射するかね?電気治療するかね?前回の腰痛と同じ。電気治療を選択して、弱くかけてもらった。スッキリとはしなかったが幾分マシになった。帰って風呂を沸かし、プールに向かった。「前回の腰痛も今回も」水泳を当分止めていたのが原因と自己分析。コロナ感染が怖いけど今日は挙行した。いきなり2kmは心臓に悪いと、1500m。それでもスッキリした。間隔を5日と決めて継続しよう。水泳はバタフライを少し増やし、その分クロールを減らし、背泳は従来通り。息継ぎなしのバタ足は15mしか出来なかった。(25mは行けていたのに)今年は1月、6月の2ケ月しか泳げてない。前年同月は56km。今年は16km。
アメリカのニューヨークタイムズ紙が大変賑やか。電子配信の中間選挙の記事はライブで都度書き換えられる。ウクライナの記事もライブ。もう少し語学力があれば深読みできるが、写真を見るだだけでも面白い。
11月9日(水曜日)晴れ
今日は再び首の調子が良くない。一方で無理をすればもうすぐサトウキビの葉を取り除く1巡が終わる。それで今日は何とか5時までに終え、明日は病院と気合を入れていたら、「ちかちゃん」が声をかけてきた。近所に住む82歳の婆さんだ。4輪の手押し車を押して散歩の途中だ。気の強いおばさんで響いているが、僕には結構声を掛けてくれる。今日はその4輪車を止めてその上に座った(椅子になっている)ので話が長くなるなぁと覚悟した。元は農家の主婦でもあったので、僕の栽培するサトウキビについても造詣が深いので、その談義となった。結局15分ほど話し込み僕の方は仕上げを断念した。風呂を焚き付けて料理の先生宅にお惣菜を貰いに行った。婆さんが声をかけてきたら「聞いちゃらな行かんよ」と諭された。そうだなぁ。家族で大事にされていると言っても、昼間の家族は農業で出払っているからだ。結局村の「ふれあいセンター」に顔を出すしか話し相手はいない。そこは高齢者ばかりが集まっているので、同じ話を繰り返すのでうんざりだろう。
もうすぐサトウキビを絞るから、役場に提案してみよう、この婆さん達を「伝承館」に招待し、砂糖を舐めさてあげようと。
でも、何にもしない役場だから、多分実現しないだろうな、「ちかちゃん」だけ車に乗せて舐めさせてあげるのが手っ取り早いかな。
11月8日(火曜日)晴れ
昨晩肩に湿布を貼ったら、首の痛みは急速に引いていったから、大丈夫かと医者には行かなかった。それで今日は誰とも話さなかった。倉庫で不足していたSATAケーブルが見つかり、PCは電源を入れてOSをインストールする直前まできた。
月食だと言うので夕食の後、三脚を立て月を撮影し始めた。すると不気味なサイレン。その後村内放送で「火災発生、消防隊員は出動するように」と要請があった。寒さと恐怖に震えながら薄着で撮影した。この後、熱い風呂が待っているとわかっているから、何とか30分屋外で耐えた。
自分は寒さにとことん弱い。生きる信条なんか持たないが、この寒さに震える人生だけは避けたい。ウクライナの人々は電気が届かずこの冬は厳しく過ごさなければならない。キエフはもう朝の気温が3度(高知では真冬の気温に匹敵)これからが正念場だろう。大変だろう。
昨夜、イラクのドキュメンタリー映画2003年を見た。随分と昔だがこの時と今とイラクは何ら変わりないと思う。「わしらは戦いのない独裁政権でも良かった、石油の恩恵は前から受けてないからどうでも良いのだ」老齢の男性の話。
イラクの最低気温も、高知よりも低い。破壊された家屋に今でも住み続ける人々は多く寒さが厳しいだろうな。
だが何とかしてあげるにはもう歳を取り過ぎたように思う。ことを起こせば終いを付けられないかもしれないが、今はそれが無いとも言い切れない。
11月7日(月曜日)曇後雨後曇
数日前から気になっていたが、今日は完全に首が回らない(借金ではなく)うがいが出来ない程。首を曲げると激痛が走る。曲げなければ何ともないので、サトウキビの葉を取り除く作業を進めたが、これはかなり異常に近い。明日は病院だろう。
雲行きが怪しく冬が忍び寄ってくる気配もあるが、意外と気温が高く夜も朝も快適に過ごしている。
MacBook Proで今までずっと旅行記を書いてきた。直近の沖縄旅行を見直すと頑張って撮影している。が、10月の名古屋旅行はもう完全に素人撮影だった。この間に僕のカメラの腕は枯渇してしまったのだろうか。コロナ対策で何処にも行かず、農業に時間を投入しているためだろう。植物はこちらの手入れにビンビンに反応してくるので、こっちも燃えてくる楽しみに心を奪われ、結果カメラに皺寄せが行った。
iPhone13なら、そこそこの写真が残せると旧タイプから更新したが、そうでもなかった。やはり古いカメラでも、写真はカメラに分がある。結果、iPhoneでも撮影が遠のいた。老人の頭は完璧に二者択一だろう。
普段は夕刻の買い物に出る以外は人と接しないが、今日は知らない若い兄ちゃんの訪問があった。家屋の修繕のおススメだ。僕は「壁の塗り替えや瓦の葺き替えは自分でできる技術があるよと」答えた。何かあったら、○○に電話してくださいね、と、すごすごと帰った。【私は何番に電話をするのだろう?】これじゃ、営業はできないわな、地方に住む若い人は、都会でもまれた経験がないので、最低限のイロハも知らず市場に出ているのだろう。役場の職員でも同じ傾向がうかがえる。「一流をしらず老いる人生はさみしいなぁ。」
11月6日(日曜日)晴れ
1日の予定に支障が出ない程度にPCの組み立てを始めた。M2のSSDは小さくDDR5(とうにDDR4は終わっている)のメモリーよりも小さい。PCから遠ざかっていた訳ではない、この間iMac、MacBookproを購入し、iPadを新調していたからWindowsから離れていただけ。雰囲気で言えばMacは格好いいが、使い勝手や自由が効く点で言えばWindowsに部がある。落雷でiMacが壊れたのでその後継として、Windowsマシーンに乗り換えた。完成の暁にはLPのハイレゾ化を進めよう。もう一つのお楽しみCDのリッピング、そのためにパイオニアの高価なドライブを買ったから。
気になっていた書籍を行きつけの書店「金高堂のいち店」に電話で尋ねたら、一発でピンと来て在庫を調べてくれた。流石だ。高知にもこんな人材がいたんだと嬉しかったので、「超約・・」の書籍も注文した。惜しむらくは市場が小さいので氏が生かされる機会は少ないかな。
気になる本を見つけるには首都圏のジュンク堂とか紀伊國屋まで出かけなければならない地方の寂しさ(金光堂では山積みが少なく物色できない)それでも何とか回っているのは、僕の読む速度が遅くなったので一冊購入すればしばらく持つし、前読んだ本もすっかり忘れていて、新刊として読むことさえできる。
午後はサトウキビの葉を取り除く作業、今の進捗状況では1日分の遅れで着地しそう。
11月5日(土曜日)晴れ
朝一でAmazonを開きSSDを購入。マザボード直付け仕様は「M2」規格と呼ぶ。
新聞では「農業はもっと減って良い」面白い書籍が紹介されいた。書店で見かけた「超約ヨーロッパの歴史」とか「間違いだらけのレンズ選び」なんかがあってこちら方面が異様に賑やかで、PCなんかにうつつを抜かすわけには行かんぞと声がする。
一方で、ニールべングの指輪にもケリをつけないと、次が控えているし(先日アマゾンでクリック)。チェコに帰ったKさんより5月のスケジュールを詰めようと催促のメールも来た。師走は12月からなのに僕には「もう来ている」。どこで、いつ?高速ギアが噛み合ったのだろう。いや、「そうでない」かも知れない。歳とともに処理能力が落ちて、一つの事が終わらないとそれまで頭がいっぱいだ。
午後は、前西のサトウキビの葉を取り除いた、10月9日から始めた作業。この時は、地面から30cmぐらいの所までだった。先週は50cm位まで。それが今日は1mを越す所まで葉を取り除いている。(取り除くのは茶色に枯れた葉のみで、秋が深まると次第に上の穂先まで枯れた葉が上がっていく)それで少し作業が遅くなっているが、2巡目は相当楽なはずだ。
11月4日(金曜日)晴れ
昨晩は友人と懇親し、よく喋った。しかも一方的に。よくある他の人と同じように。それでよく飲んだので、二日酔いでは無いが頭の回転がすごく悪い。でもちょうど良かったのは、この朝は製糖組合のメンバーが集まって、伝承館の釜を移動し、伊藤製作所の人達が絞る機械を搬出するために周りを開ける作業があった。頭の体操は不要だった。サトウキビを絞る機械は大きなローラが3個回転し、その間にサトウキビを差し込むと汁が出てくる仕組みで、昔の洗濯機の右側(?)にハンドルが付いて洗濯物を絞ったのと同じ機構だ。この搬出作業は製作所の人が主にやったが、僕らも手伝った。そしてメンバーを眺めるとみんな70歳以上の元気な老人ばかりだった、その上、僕と伊藤製作所の社長以外はみんな力(持ち上げる)があった。80代にこのまま流れ込みそうな勢いのある人達だった。それが異常な光景なのか、普通なのかよくわからない。
午後は、「80歳まで20本」先輩の言いつけを守り、歯科医にケア。もう既に1本親知らずを抜かれている。左前の上歯は全身をカバーされているので、根元が折れるのは時間の問題で近々に累計2本のマイナスの予定。しかも今のケアは歯槽膿漏対策で全体が結構やばい。歯の寿命は生命の寿命と関係あるから80代現役には重要な要素。
その足で高知市のPC店「アプライド」、電源とSSDを買いに行ったが、いつもの如く結構横柄な店員の対応で頭にきた。買い物したくない店の筆頭で、主は名古屋の九十九で買い物をしたが、重いものは断念していた、「高知にはここしか無い」ので我慢した。
据え置き型のPCは初代のWIN98から全て自作(7台くらい)。よく作ってよく壊したなぁ。今はWIN XPとWIN10が稼働している。今回はWIN11を組み立てるため。
そしてガァ~ンと来たのは、現在の先端仕様のSSDはSATAケーブルで繋がないのだ、ボードに直付け仕様だった。そんなことも知らないのか?バカにしたように言われるが、確かに知らない「私が馬鹿でした」。それで自作全容が明らかになったので、間違いのない電源とファンのみ購入、残りはアマゾンでクリックしようと店を出た。
後で考えると店員は、「このおじいさんはお金がない」と見抜いていた対応かも知れない。農作業で着ていた草の染みが付いたよれよれのシャツに、袖口が擦り切れ色が褪せたジャンパー、磨り減った色の褪せた作業靴。年齢とともに、服装に無頓着となり、農作業の服を羽織ったまま気軽に外出するようになっていた。それなら帰って着替える必要もなく作業ができ夜洗えば良いと合理的に考えるからだ。人生現役で行こうと思えば、そんなことにもやや拘りを持って対処すべきだろうなと反省。
11月3日(木曜日)晴れ
久しぶりにNHKニュースを見た。円安を悲観的に報道していた。円安によってトヨタも減益が大きな引き金だった為か?このニュースでは円安は大変なことになっていると知らしめたい意図があったように思える。しかし実態は7-9月国内製造業は9%も増益なのだ。数字は嘘をつかないと信じていたが、数字の扱い方で全体の雰囲気は大いに変える事ができる。現役時代に気がつかなかった数字の罠の断片だ。
昔々、北九州でステレオ販売をしていた。北九州市は2つの販売会社に別れて運営されていた。さらに昔の北九州は八幡製鉄に代表される鉄の街だった。その八幡製作があるのが、北九州西販売、小倉駅から東が東販売。僕が就任した1978年はもう八幡製鉄の力は衰え、北九州市100万人の市場は小倉を中心に商業都市に変貌していた。所が過去の実績や人口から販売計画が策定されるので、衰亡する製鉄産業がステレオ販売計画に反映されてなかった(1991年以降バブル経済で日本は苦しむが、もうすでに八幡はその渦中にあった)。というのは、未だ人口は減ってなかった。そんな中、僕は普通の人より交渉力が無い上に、この市場を見抜けなかっておおいに苦戦した。会社も僕も自社の前年比しか見なかったし、他の家電分野の販売構成比から市場を分析する見識も能力もなかった。何故売れん?と聞かれば、「お客様がこうてくれない」としか答えられなかった。数字の持つ力の側面も理解し、自分の目で判断する事が大事だとは40年後に知った。
転じて独裁政権の国はこの数字の扱いに極めて卓越した人達が、自国民を国の運営に良いように誘導している。一方自由主義圏には欠陥を指摘できるような不都合な数字もふんだんにある。一人当たりのGDPが2万ドルを切る国では、もしかしたら独裁政権は必要不可欠な政策であるかも知れない。
だから、どうなるわけでも無いが、NHKもこれくらいの見識かと思った訳。
11月2日(水曜日)晴れ
晩秋と言うのに、夏のなごりを彷彿させる蒸し暑さ、午前中の英語の時間は、南と北の窓を全開して風を通した。さすがにセミは鳴いてないが。
音信不通になっていた娘からメールの返信が来た。僕は元々情に疎いタイプだが、歳を重ねて磨きがかかった。一方で教えはしないが、娘はきちんとそれを引き継いでいるのか、用事がなければ連絡は一切ない。今回は柿を食べたいのかどうか?問い合わせれば、返信が来たのは2週間後。もう最後の出荷をした後だったので、店から引き上げてきた。メールは「食べたい」だけだった。いいぞ、その調子だ、変化がないのは良いこと。
サトウキビ仲間の友人は80歳と78歳。料理の先生は76歳。懇意にしている近くの親類は84歳。先のことを考えるのは杞憂だが、後10年もすれば僕の話し相手が無くなってしまう。そんな時、娘と息子の位置付けはどこにあるのだろう。
慰めになればよいと参考程度に考えていた「メタバース」の存在は大きくなり、自動運転も頼りにしたいところだ。まぁそれもこれも、頭が重くなければの話で、先日のようにちょっとした風邪でも、何にもしたくなくなる。
考えるのは先の楽しみとしておこう。
午後は西下のサトウキビの葉取りで、西下の畑完成。いよいよ、家の前の左右の畑のみとなった。今週中に終えるつもり。少し休んで10日から2週目の葉取り。その休憩の間に、母家のAVシステムの変更。こちらのオーディオシステムのホーン型スピーカーの設置変更、PCの組み立てなどを行おう。(できるかどうか不明だが)
夜の音楽は ニールべングの指輪/ワルキューレ/2幕。神ボータンが娘のワルキューレにジークムント(息子)の殺害を命じる所から再生。話が難解な上、神と人間界が交雑し、呼称も「界」によって変わるので頭が混乱。でも、これはどうしても通り抜けておかねばならないオペラの登竜門としての位置付けだ。また、決して現役の頃見ることのできなかったオペラでもあるから価値が高い。
11月1日(火曜日)雨
昨夜も、のどの痛みで目が覚めてぐっすりと寝れなかった。久しぶり英語に着手。進捗速度が落ちている。午前中いっぱい喉の痛みは続き、午後から楽になる。楽になればToDoリストが持ち上がって来る。その矢先、師匠と曽我さんの訪問を受けた。サトウキビは11/25を目処に開始する情報を教えてくれた。それまでだったら、僕のサトウキビの葉っぱ取りの作業は2巡できるから、今年の収穫は上手くいきそうだ。師匠の話ではみかんに「糞」類の肥料は合わないとの事。僕は安価な鶏糞をまいたから、今年の文旦は失敗したのかも知れない。サトウキビの見通しは豊作で、収穫は来年に持ち越す可能性があると言われた。僕としては収穫速度を上げて年内完了を目指したい。師匠が甘いお菓子を大量に持って来てくれて、それを頂きながら会話したので、解散した後は胸やけで夕食が食べられなかった。
10月31日(月曜日)晴れ
夜通し喉は痛み、その時は31日の胃カメラは中止しようと思ったが、朝起きると何とか動けそうだった。日経新聞とNYTに目を通し大きな変化のないことを確認。水を少しだけ口に含んで、7:30に出かけた。和田病院は安田町にある。芸西村からすれば都会から外れる反対方向にあるが、この先生は胃カメラに麻酔を使って操作する技術を持っている。定期検診で高知市にある日赤やグリーンホスピタルに尋ねたができないとの返事だった。この処置を知ったのは東京にいる時、赤坂の病院でそれが出来ることを教わり、10000円余計な負担の検査だが楽だった。チームリーダとなって給与も上がった事だし、上司が自分への投資のつもり行ってきたらと背中を押してくれた。定期検診以外で今回のように問題が生じたときは、和田先生にお願いしている。そして検診結果は、当初の見立て通り、酔って戻した時、胃と食道のつなぎ目付近が裂けて血が流れたとの事だった。取り敢えず一安心。まだ麻酔が効いていたので、近くの道の駅に行って、パン、コーヒーを買って、遅い朝食を帰りの車の中で食べながら運転した。安堵の胸を撫で下ろしたような爽快感がないのは、扁桃腺の熱で混濁した頭のためか。
帰って昼食、家の清掃、エアコンの点検、石油ストーブに石油補充。かっぱ市場に柿出荷、田村のおばさんに柿の詰め合わせを提供。動き出せば際限なくする事がある。日常を取り戻したような感じで嬉しいが、夜中に扁桃線が腫れて痛みが襲ってくることを思えば、もうここらで止めようと思った。
夜、「ゲームオブスローン」シリーズ1の1番のみAmazonprimeのレンタルで観た。レンタル代は500円。全部で8シリーズ73話だと36500円も必要だ、約100時間も僕の時間が喰われる。その他に、筋の理解のためにWEB検索など余計な時間も。
人の名前を覚えるのが苦手な私は、机に置いたKindleでこの映画を再生し、人物をメモしながら観た。結論は後ろ髪を引かれるが断念、理由は膨大な時間が必要。
10月30日(日曜日)晴れ
少し症状が軽くなった。コロナにしては接触者がいないし、味覚にも変化がない。僕の一番苦手とする扁桃線が腫れたのではないかと思うが不明。昼間は収まっているが夕刻から猛威を奮う。僕も気力を落としては立ち上がれなくなると、老体に鞭打って風呂を沸かして入った。それが悪かったのか、喉は昨日よりもひどくなった。病気の時は頑張ってはいけない。教訓でした。
10月29日(土曜日)晴れ
起き上がれない。頭が重い。昨年は左足が上がらないので4日ダウンしたが、今年は別症状でダウンだ。予約の歯科医も変更し、寝て過ごした。午後から少し元気が出て、Amazonprimeで映画を見た。映画は大画面5.1ch前提だが、病人には布団の中でタブレットしか手が出せない。酷い1日だった。
10月28日(金曜日)晴れ
フルタイムと言っても、僕の農作業のフルタイムは13:30-17:00。それさえも毎日続けば結構しんどい。特に今はサトウキビの葉を取り除く作業で屈んで行うから大変だ。その影響何かどうか不明だが、夜は熱が出て喉が痛い、腰が痛むととんでもないことなった。HiVi誌を読んでチェックすべき映画が5本くらいあって、気合を入れてみないと寝てしまうな!などとほざいていたが、夜9時には我慢できない辛さがやって来てダウン。
10月27日(木曜日)晴れ
おゆげ様の清掃で12:30に集合。のぼりを立てお参りをした。農業の神様。終えると、出荷した柿の回収、5個300円では売れてないので、8個300円に変更した。これでどうか?明日様子を見る。少しやりすぎかな。今年は豊作で市場が縮小しているかもしれない。帰ってサトウキビの畑の葉取り。膝が痛む。腰掛けて作業すれば腰痛がする。大変な作業。他の仲間は収穫時に葉を取り除く、僕の今の作業は事前作業となる。だが、仲間は夫婦で刈り取りと葉の取り除きを分業でする。僕はその両方を一人でこなすため、どうしても収穫量が落ちる。それで、前もって出来る作業、つまり葉っぱの取り除きを済ませておけば収穫は一人でも十分やっていけると考えたわけ。昨年はその実行でとても良かった。それで、厳しいが11月15日の収穫が始まるまでに済まそうと忙しくしている。今朝は不覚にも6:20起床で睡眠が足りているのか、夕食の後も割と平気で音楽を正気で聴けている(普段の日は朦朧として聴いている)。だが音楽を聴くには、少し問題点を抱え込んでいる、先日岡崎の知人の音を聴いて以降音のスピード感に耳が馴染んでしまい、僕の装置のマイルドな音に我慢ができなくなっているのだ。せっかくの秋の夜長なのに残念。電源コードとかのアクセサリーで調整するしかない。
ソニーからカメラが発表された。α7RⅤ。被写体の認識力が上がった6100画素のフルサイズ機。各社新製品のカメラが目指す方向は綺麗な写真が撮影できるのは二の次で、いかに被写体をカメラが追っかけてくれるかに集約されている。イヌ、猫、鳥、昆虫、飛行機、列車、をファインダーの中で見つけ出し追いかけてくれる。暗い時の手ぶれ補正も被写体をカメラがロックしてくれるとので、数値はいよいよ8段。もう神業になった。車の自動運転の技術が一部流用されカメラに反映されているのかな?
10月26日(水曜日)晴れ
ウクライナの夜/マーシ・ショアを読んでいる。2014年マイダン革命が中心。もう既にこの時点で、ウクライナはロシアの侵攻を受けていた。それはほとんど知らなかったと言うか、日経新聞しか見てない私は、あまり報道されなかったような印象だ。ひょっとしたら、その頃ケーズデンキの仕事をしてたので、情報収穫力が落ちていたのだろうか。または、書籍のデジタル化を進めていた頃で情報収集能力が低下していたのかもしれない、これは約1年かけて4000冊を取り込む壮大な、僕的には始めての大きなプロジェクトだった。
ウクライナの話に戻ると、どうもこの国は複雑で、ロシアとの停戦が成立したとしても運営は一筋縄ではいかないような気がする。プーチンは一方的に東部を併合し(世界の半数以上の国で非難ごうごう)だが、ウクライナの微妙な核心を突いているから、西側にしては、してやられた感が残る。と、今更ながらこの戦争を理解、何処の線引きで、いつこの戦いの集結を見るのか分からない感じを受けた。2021年のGDPで算出すれば、西側の主な国の合計はロシアの20倍の経済力がある。どちらが先に疲弊するのか陽の目を見るよりも明らかだが。
夜の音楽は、寺井尚之トリオ。バップ(1960年以前のJAZZ)だと帯に記載があるが表層を撫でている感じ。魂が滲み出て無い、お洒落なバーで背景に流れている音楽としてはよく合うだろう。が、惹きつけるような匂いがない。テクニックはあるだろうが綺麗に纏められている。もしそれを狙っているなら上出来のCD、今の日本には戦争も飢餓も無いし、生き方は100万通りあって自由だし。魂に触れる演奏は不要かもしれない。満足しないのは昔からの老い先短いジャズファンだけ。
10月25日(火曜日)晴れ
かっぱ市場に出荷した柿は全く売れてないので100円値段を下げた。今年は豊作なので厳しい競争がある。帰って、サトウキビの葉を取る作業。4時に切り上げて風呂を焚き髭を剃って出かけた。今日は観音様の年1回の懇親会。近所のご夫婦が招待されるが、僕は一人。場所は「フジ」活漁レストラン藤 芸西店 - 西分/魚介料理・海鮮料理 | 食べログ (tabelog.com)。迎えのバスが来るまで寒風の中待った、風呂上がりなので少し寒気がした。開始前に写真撮影、光量不足で後ろが暗い。やはり2灯必要だった。後でフォトショップ修正しよう。男性陣は先日23夜で呑んだメンバーと殆ど同じ。今日は水耕栽培と地植えのメリットデメリットを聞いてみたら、みんなが燃えて面白かった。彼らの琴線に触れたみたい。感触はみんなやりたいが技術的に難しいので安全策をとって土耕栽培の感じだった。僕は耕作してないがこんな技術の論争は大好きだし的外れな質問もしない。反面、人情の話は情報がないし、機知もない。さらに青春時代40年間の不在は故郷とはいえ部落外の住民をよく知らないので不得意。話がそちら方向になれば黙って聞くしかない。
よく呑んだが、今日は吐くまで至ってない。帰って母家のDIGAから中井精也氏の「鉄ちゃん」の録画番組を見ようとしたが、おうちジャンプが上手く働かず断念。手持ちのDVDから「錬金術師」のアニメを見るが、ストーリーが入り組んでいるので酔っ払い頭には理解できず途中で寝てしまった。
10月24日(月曜日)晴れ
昨日から柿を収穫しているが、熟し柿が結構あって、これを剥いてジャムにしたらどうか?もともと甘いので、砂糖を少し加えるだけでいいのでは?それを実践してみた。ものすごく甘いので焦げ付かないようにかき混ぜが必要だ。これに、自家製の黒糖400gを混ぜて煮込んでいる。明日もう一度水分を飛ばせば完成する。純粋な砂糖がふんだんにあるのでジャムが無料でできる。柿はかっぱ市場に6個を400円で出荷した。明日売れ行きを確認して値段を修正しよう。又、試みに36個2000円の箱も用意した。市場の女性が面白いからSNSに掲載すると言う。出来れば2万円の収穫を見込んでいたが、今日、長バサミが壊れて購入したら1万円。それで収支はマイナス1万円からスタート。販売目標を3万円に修正したがうまくゆくかどうか。でも、青く澄んだ秋の空を見上げて柿を収穫するのは、何て平和で穏やかな事だろう。収支なんか関係ない、大事なのは晩年はこうして少しづつ幸せを獲得しながら老いて行くことだ。「新潟県上越市のカールさんの古民家再生」の番組を見て、こんな生き方も良いな。何か貢献する事はできないかなとも思ったりもするが、時間が減るので逆にストレスになるのかな。
夜の音楽は、ヴェルディ「椿姫」オペラ。先日名古屋で買ったLP。オペラは見るものだと思い込んでいたが、聴くのもまた宜しいと方針変更。ドライブで聴くのも不思議と良い。映画なんかでもたまに使われているし。
10月23日(日曜日)晴れ
5時に目が覚めて翻訳開始、6:00完読した。トランプ大統領の大統領としての資質のなさが根底にあって、アメリカが振り回された事を刻々と綴ってある。能力が無ければ人を使うのがマネジメントの基底だが、自分が表に出なきゃ治らない性格だったので、側近ではどうにもならない状態が、トランプ政権だった。僕には決して見えなかった事実。
もう一つは、「遺憾に思うとか、注視しているとか」、何もできないのか、しないのかはっきりしない日本の政治に比べて、世界情勢をきちんと判断し行動できるのがアメリカだと思った。ボルトンはブッシュ政権時代のお勤めと比べ不満タラタラだが、何でもできるアメリカは、例えトランプのように終始一貫性がない雇用者でも、やはり「面白かった」だろう。そうとは書いてないが、文脈に滲み出ている。
誤訳あり、微妙な表現をどっちに重きを置くのか迷うのもあって、英語文化で過ごしてないから、本意は不明なのもある。また、日本語文章に合うように、節の入れ替えをせず、英文のまま訳し、日本語としては不適切な文章になっている。これは僕にとっては重要な事で妥協できないもの。辞書は、英辞郎¥3600円を追加購入、これは大いに助かった。カシオの電子辞書では対応できない、オックスフォードの英英辞書も語彙の点では不足した。訳はワード英文の下に文章の区切り毎、赤字で日本語を挿入した。800ページの訳本となった。専用辞書をエクセルで作成した。2種あって、政府専用用語のファイルと、単なる熟語訳とあり、この2シートがあれば、辞書なしでこの本が読めるはず、とした。難しい単語の羅列だと思ったが、1200語彙だった。単語を記憶できないので重複検索があったからそう感じただけ。
もし、柚子の応援は不要で、冬のサトウキビの作業が無ければ、この本はいつ読み終えていたのだろう?エクセルで計算すれば2022年10月15日に「読み終えているはず」だったから、少し誤差があるとはいえ、近似値で予測できた範囲に収まった。勤勉に英訳した訳だ。
午後から料理の先生に手伝って貰って、柿の収穫。今年は豊作で、1日では半分にも満たなかった。
10月22日(土曜日)晴れ
2020年6月23日ボルトン補佐官の書籍をアメリカで発売初日購入し、毎日少しづつ訳してきた。そしてとうとう最後の494ページ目に差し掛かる。後、1時間半もあれば完読する。翻訳家が訳した、「ホンモノ本」は価格が2倍で、2020年10月に発売された(先を越された)。それに遅れる事2年(先を越されたと言えようか)。素人だから仕方ない。でも漕ぎ着けら、明日は焼き肉パーティーを挙行して祝おう。こんな分厚くて難解な本を訳せてことは大きな自信となって、どんな原書でも怖くない(だろう)し、おおよそのコツは掴めたと思う(ただし音楽の歌詞の訳は無理だ、もっと原典からの飛躍が必要なため)。たまたま取り出したJAZZのLPレコードの裏面の解説が読めるのは驚きだ(CDの解説は無理。字が細くて読めなくなった)これまで買ったクラシックCDの豪華ブックレットも読めるので、時々読んでみようと思う。
きまさごのサトウキビの葉を取り除く作業も明日で完成する。でもこの作業は昨年と比べると随分と遅れているが、今年は柚子の収穫作業のお手伝いがない分だけ挽回できる筈だと思っている。
名古屋の九十九電気で買ったPCパーツはサトウキビの収穫が始まる11月20日までに組み上げよう。雷で使えなくなったiMacの代わりでLPのハイレゾ化と、パイオニアの超豪華BDドライブを装着予定なので、CDのリッピングで、JAZZのアルバムを整理しようと思っている。CDプレーヤーは古いタイプなので、リッピングの方がいい音が出る筈だ。多分。
10月21日(金曜日)晴れ
ボルトンは後2ページに迫った。達成記念には焼肉かな?午後は分家の墓掃除に気が付いて、取りかかったが、蔓草が絡みつき草刈機でも切れない、剪定バサミで1本づつ丁寧に切って行くしかない。映画で爆弾の解除にコードを切る冷や汗はないが、重作業に大汗をかいて1時間後完了した。今年5月に除草剤を散布したきりだったので、随分と侵食されたのだ。コロナでほとんど外出せず、午後からは毎日草退治に勤しんで来てもこれだ。来年はいよいよ旅行に出かけるから、どうすれば良いのだろうか?かなりの課題が残る。
夕刻友人を招いて夕食会、最近はこんな約束をすると朝から気にかかって、何かと気忙しくなる。これが老害か。昔、父が高知の病院に行く時に、僕に今日の段取りはどうするのか何度か聞いていたが、あれと同じ事が僕にも起きている。現役の頃は重要な案件をいくつも抱えて乗り越えていた事を思い出すと、よくやったなと、当時は当たり前だったが。
懇親会は他の人たちとも同じで一方的に自分の事を披露するカタチで聞き役だだ。時々質問を挟み僕は息を継ぐ。新規の話も、もう何年も使い古された事に結局は帰結する。長年連れ添った女房との会話もトドのつまりは、この罠に嵌まり込むのだろうか?
みんなが帰った後、「東ローマ帝国の1000年の歴史」を見た。皇帝コンスタンティヌスが都市を建設した物語。現イスタンブールと呼ばれる前の、コンスタンティノープルが現場。その創世記を取材した番組。中央アジアの歴史は、ラジオNHK第二でカルチャーラジオの番組があって。計8回に渡って考古学者が講演をされたのを聞いてから俄然興味が湧いて来た。ゾロアスター教やアムダリア川流域の文化など、未だ一般化されていない情報が多い。もちろん危険地帯で行く事は不可能だが、「メタバース」が車の自動運転の普及よりも早く解決してくれると期待している。
10月20日(木曜日)晴れ
安田町の平田病院を訪問したが、先生から僕の診察のことを芸西村の病院から安田の病院の事務方に連絡しておらず、病院の受け入れ体制はなく、日程変更となった。前回も同様な事件があった。まぁ田舎の病院はこの程度。
コロナでドンドンと人が死に、死亡者数は他府県の追随を許さない独走体制がこれを裏付ける。安田町に来たついでに玉ノ井酒造に寄って「南」2本購入。病気がはっきりしないのに酒を買って飲もうとは不謹慎だが(たぶん問題ないと先生の見立てを信じて)。道の駅で「山北みかん」(高知での有名ブランド)と「服部農園」(東部の知る人ぞ知るブランド)のみかんを購入、食べ比べすれば服部農園が断然美味い。値段は2倍、でもそれ程の価値はあるかな?程度。帰って英語。今日は4000文字を超えた。後4ページで終わる。午後はきまさごのサトウキビの葉を取り除く作業。後2日で終わる。
岡崎に行って耳が変化したのか、スピーカーの休止期間があったからエッジが硬化したのか?音が面白くない。エージングが必要かな。
iPad新製品が発売された。自炊した本を読むにiPadが最適だが、今ある旧機種で十分、一回バッテリー交換しその時にパネルが良くなったので不満がない。そして僕の知識、操作能力ではM2チップに変更する理由が見つからない。残念だが。
10月19日(水曜日)晴れ
もう自分の熱源だけで寝るのは限界で電気毛布をセット。朝食を摂っていると分家から電話。お父さんが亡くなって葬儀を済ませたと。コロナ禍で誰にも声をかけず娘と2人で済ませたと言う。そりゃ寂し過ぎる。香典もお断りをすると言われたので、一番近くの花屋さんに行って大きな花束を作ってもらって持参した。49日はお参りしなければならないだろう。その足で地元の医者を訪問。先生曰く、呑んで「戻す時」食道が裂けての鮮血だろうと見立てだが、明日カメラを飲むので準備を頼んだ。この先生は内科の名医(らしく)で安田町で開業している。芸西村には週に一度来ている。明日の9時に来てくれという。芸西村から西の高知市に向かうよりも、東の安芸市に向かう道路が混雑している妙な道路事情があるので、30kmの工程だが早めの出発が望ましいだろう。
10月18日(火曜日)晴れ
少し寒くなった。今日は気忙しい、安芸市の曽我さんにお土産を届けて、きまさごで農作業をして、料理の先生に弁当を頼んでいるのでその回収にゆく。そして「23夜」が17:30開催で決まっている。今夜は手弁当で酒を飲むとの事。行事の参加者は有志だから120人近くの部落なのに12名ほどしか参加者がいない。僕は全ての行事に参加する。何のメリットもないが、都会から帰って田舎暮らしをする要諦はこれだと本能が知らせる。よしかずさんが近くに座ると悪夢。返杯が回ってくるが、そのピッチが早いのだ。ビールはギンギンに冷やしてある。僕以外は農家なので昼間ビニールハウスの中で汗を絞り切っている、今はその後の酒だ。どんなに飲んでもトイレに立たないのはそのせい。そしてよく飲み酔っ払った。風呂で温もると気持ち悪くなって戻した。そしたら大量に血を吐いた。酔いは一気に醒めてしまった。名古屋で毎日飲んだからやられてしまったのだろうか。明日は医者だ。
※調べると、地域によっては「15夜」のお祭りもあるようだ。
10月17日(月曜日)雨
日常から切り離して4日間、すっかり元の生活習慣は忘却の彼方へ去っていた。そして元の鞘に収まれば、何と新鮮な事この上無い。すっかり違う視点で見られる。染み付いた垢が削ぎ落とされて身軽になった感じ。これが旅行の特典。Re Freshとはこの事だと思いましたね。3泊の予定を1日繰り延べるようにH氏から強いお勧めに乗ったのが正解だった。
その日常生活の事。旅行期間新聞を読む暇がなかった。世の中、いろんな出来事があるなぁ。遡って読めば、今日のニュースは先日の速報より正確でブレが少ない、逆に言えばガセネタを読んでいたことになる。ニュースの信憑性は例え日経新聞だとしても30%くらいだろうと推測、「ジャック・アタリ氏のメディアの将来」を読んで、そう確信した。
ジュンク堂で物色した書籍は電子本で購入した。しかし、関正生氏/真英文法は紙の本が圧倒的に有利だと思った。(この本はすらすら読めると表題に会ったが、最後に近いページをめくったら僕でも読めた)申し訳ないがこちらもアマゾンでクリックした。それに家まで運んでくれる。今日は雨で、溜まっていた英語に着手する、すっかりヒアリングも落ち番組の中のクイズは1問落とした。ボルトン翻訳は1時間半で900文字、70%能力ダウン。NYTはColleen Hoover氏の小説を絶賛。日本のサイトでも取り上げられている。ボルトンの次か?検討中。
お風呂に入る間オーディオをエージングし、名古屋で買ったソニーロリンズを聴く、録音が下手で素人のマイクセッティングが透けて見える。1957年ビレッジバンガードでの録音。地下鉄の轟音があるので、ONマイクで録音したのかな?残響成分が殆ど記録されてない。ただし演奏は活気があってジャズの醍醐味は確かに記録されている。
10月16日(日曜日)晴れ
旅行中=ご飯の支度は不要、風呂焚きも、英語の勉強も、農作業もない。何て安穏な日々の経過だろう。それだけで天国。午前中ご主人は仕事に出かけ、奥さんから京都から嫁に来る前と新婚時代のご苦労話を聞いた。名古屋の家はつぎはぎだらけの掘立て小屋に、病気で仕事ができないご主人を抱え途方に暮れたと言う。初めての段ボール組み立て(1箱70銭)もやった。京都の財閥家から一刻も早く脱出したかったのが第一志望で、45回のお見合いを蹴ってきたのに、親同士が決めた路線に流されてしまったと言う。その時は嫌なら別れてどこかに行けば良いと前向きに考えた。(ご主人の話は昨日聞くが全く違う)小説に出来る程のストーリーがあった。映画にすれば面白そうなのが出来きそう。クリント・イーストウッドの「硫黄島の戦い」「父親達の星条旗」のように、同じ話を違う側から撮るのがいい。奥様側からと、ご主人側からと、全く違った話として2本立てで。このアイディアに気がついたのは友人K氏を亡くし、奥様とかなり親しくなって奥様から見たご主人像を伺った時の事だ。旦那さんからの話と違うではないか、どうなってんだ?通奏低音は「批判」だ。でも「らっきょう部」はお互いの信頼とか甘えとか依存とかがあるはずなのに、玉ねぎを見ての話ばかり。日本は平和が長く続き、経済もそこそこで豊かで1億総中流(昔ほどではないが、他の国からすれば圧倒的に)、らっきょう部が見える環境がないのかもしれない。じゃ僕の場合はどうだったか?振り返る、幸せの理由は少ないが不幸には百億の理由がある1例かな。それで、午前中は終わって、地下鉄一社駅に送ってもらう道中、昔、焼き肉屋さんでアルバイトしていた従業員のT子さんに会いに行った。少しふっくらされていた。膝が痛むと言われて出歩きをしてないと言う。みんな一生懸命老齢化の努力をされているのだ。その面では僕も人後に落ちない。名古屋駅でお土産の八丁味噌を買おうとしたが見つけられず、「福砂屋(福岡産)のカステラ」を買った。こちらは間違いなく喜ばれる筈だからいいか。ギリギリのタイミングで新幹線に飛び乗った。列車の中でこの原稿を書き続け、JR土讃線「阿波池田」で書き上げた。
帰って料理の先生宅で夕食を頂き送ってもらった。「どこに行っても家が一番」と言われたのは聖刻を得ている。彼女も僕の旅行と同じ日程で入院し退院したばかりだから、感慨は同じだろうと漏らしたかも。
夜の音楽はオペラのLP「ベルディ椿姫/ロリーンマゼール指揮ベルリン国立歌劇場」180g重量版。耳が岡崎邸で聴いた高域寄りの音にすっかり馴染んでしまい、このシステムがこもって聴こえるのは残念だ。
10月15日(土曜日)晴れ
7時起床。お父さんの給仕でピザトーストとコーヒーで朝食をしていると奥様が起きてこられ会話に花が咲く。息子さんの病気の事を話し始めると興奮して中々話が切れない。まぁ年寄りは病気、お墓、年金の3大要素のかすみを食って生きているから、話題は豊富だ。それでも8時前に切り上げてもらって、出発。目指すは名古屋動物植物公園へ。ここでT氏と再び合流。今日は付き合ってくれると言う。申し訳ないがありがたくお受けする、土地勘が薄いので回るのに非効率になりがちだ。まぁ広いの何の、併設の植物園はパスする事にした。T氏は住居の徒歩圏内にここがあって子供を連れてよく来たそうだ。第2ラウンドは僕の性格分析が多かった、辛口で痛いが核心を付いている。友人ならではの指摘。普通の人は面と向かっては誰も言わないし、他人のラッキョウはわからないだろう。ここでも動物は「おつまみ」で主人が「会話」となった。それで撮影した写真も少ないし、傑作も無い。LUMIX
G9Pro100~400のレンズを使った。それに柵越しとなって、G9の能力は、柵にピントがよく来たから、まぁいいか、キャノンR5なら問題ないが、歩く旅にはフルサイズカメラはもう無理。短い焦点距離はiPhone13に任せた。仕上げにタワーに登った。名古屋市が一望できた。何と名古屋城がビルの影に隠れてしまったと案内員との会話。名古屋市の経済力を象徴するのか、東洋人の本能をしっかりと実現しているのか。(ソウルなんか高層マンションと高層マンションの間が近接しているのを見て驚いたことがあるが、同様だ)千種迄同行してもらってJRの帰りの切符を今日を明日に変更。一安心して、「田中の串カツ」で昼間から酒盛り。T氏は揚げ物が大好きなのだ。多分昨日の刺身は我慢されたはず。ここではもっぱらT氏の九州~北海道時代(1981年~1986年位)の話。多くの人に共通する「昔は鮮明に覚えている」理由から目の前で風景が展開する。回りくどい話もない、床屋の髭剃りのようにスムース。2杯の予定が盃を重ね飲み放題コースに変更していただき400円も負けて貰って精算した。次の大須も付き合ってくれると言う。九十九電機を目指し、ボード、メモリー、CPU、BDドライブを買った。僕の使用法だとインテルi3で十分だと、ボードCPUセットで2万円を紹介された。それでは余りにもPCオタクとして可哀想ではないか(僕が)、i5で組んでほしいと頼んだ(6万円)。BDはパイオニア製、CDリッピングに凄く良いとの風評。39000円(普通のタイプは8000円位である)それから2tdストリートで古着のシャツ、ダイソーで下着、靴下を購入し(1泊予定を伸ばしたため)、何と天津甘栗のお土産(それも星野さん分も)頂き別れた。「気を落とさないで頑張ってや(何に対して?)」と励ましの言葉を頂く。再び焼き肉屋さんで、ご主人と合流して、「龍泉寺温泉」に向かった。途中で「米魚」の回転寿司で食事。この店のシャリは良質で、上のネタはデカイため、付近のお寿司屋さんが淘汰されるのを心配をした。温泉は芋の子を洗うような盛況ぶり。裸だから収容人数が計算しやすいのだろう。詰めれるだけ詰めるような印象。屋外のお風呂は名古屋市内が一望できる高台にあって壮観。冬も吹きさらしらしい。お湯の温度は高く、温もるには丁度良いが、長湯はできない匠な設計。お湯はマイルドで循環し尽くした水質。老人に優しいがシャキッ感はない。サウナの水は15℃、マニアは喜ぶが僕には厳しかった。都会の真ん中に洗練された娯楽の登場は、先程の回転寿司と併せて新たな時代を牽引する代表かも。しかし相当な運営ノウハウがなければ回せない仕組みで、かっぱ寿司の社長が情報を持ち出したのも理解できる。帰るとバタンキュだった。ご主人も同じ。
10月14日(金曜日)晴天
ホテルで朝の勤行であるラジオ英会話を聞き、金山から東岡崎に急行電車で向かった。10:58着。O氏を呼び出し迎えに来てもらった。元岡崎ナショナルの主任さん。それ以上にオーディオマニア。クラシック、ジャズ、少しだけJPOPとロック。ジャンルの嗜好は合う。しかし、音の傾向は昔から僕の好みと一致しない。前に出る音でやや高域側に傾いている。僕はもう少し下の帯域で弦のユニゾンが好きで、彼は管楽器が好き。細部に拘って作曲家の作品別に、好きな指揮者と演奏家の組み合わせの音楽を、主にLPレコード、少しだけCDで聴かせて頂く。アート・ブレーキのたたき放題のドラムスで「チュニジアの夜」LPを演奏した時は、ここまでやるか!そんな舞台が目の前に広がった。オルトフォンのモノーラルピックアップで音を拾っていた。(僕は出来るだけモノは音の迫力が欠けるので敬遠していたが、彼は反対でモノだからこそ、音の躍動感があると言う、事実、ここで聞く限りはその通り)マーラー6番はクナッパーツ・ブッシュが一押しだった。この装置では説得力がある。僕の装置ではこの古い録音では明暗が不鮮明。昼食は徒歩で僕のリクエスト「大正庵」の釜揚げ特製うどん¥2100。一言で言えば豪華絢爛の天麩羅盛合わせが付く。これを挟んで試聴はまだまだ続く。ダイアナ・クラークは、もう一つのシステムJBLランサー101で演奏。先程まではジェンセンG610(コアキシャルの中域構造)。JBLはエッジ硬化対策剤を塗布しないとこんな低域は出ないと言われた。粒だちよりも張り出しを求めた音で、ジャズはJBLの面目躍如。オーディオ談義の他に、カメラ談義。彼はフィルム派モノクロがメイン。こんな人居ますね。あっという間に午後4時、お暇した。金山で荷物回収、栄経由で喜多山。焼き肉のお店訪問。ここを経営するご夫妻とは30年程のお付き合い。そこで、箱根在住のみっちゃんが合流し、名古屋在住のさっさんも駆けつけてくれて、大宴会開催。この人たちは1985年当時喜多山界隈に住んでいた店の客。不思議な縁。会話のリードはみっちゃんの駄洒落ジョーク、やや置いてきぼりのさっさんを僕が拾う格好。そこへ、みっちゃんのお友達けいさん(唯一の女性)が滋賀から駆けつけてくれた(みっちゃんのため)、僕は初対面。背筋がピンと伸びたいかにも大人の女性を演じていていた(50代後半)。みっちゃんはホテルに宿泊する為11時半退出。僕はお父さんの車で氏のご自宅に向かった。布団が敷いてあってシャワーを浴びて寝た。奥様は、午前2時ごろ店を終えて帰宅したようだった。
10月13日(木曜日)晴れ、名古屋は曇
午前4:45起床、朝食を支度し1時間だけ早い時間帯で普段と同じように食事を準備した。名古屋着の時間を検索すれば、7:17の地元駅出発がいいようだと思い、少し慌てて風呂に入って出発した。電車は通学の学生で一杯だった。ごめん駅で乗り換え、jrの切符を購入するも自動販売機では自由が効かず、新幹線の指定席が設定出来なかった。駅員を呼び出したが、この方も要領を得なかった。つまり使いやすいオペレーションではなかった訳だ。自販機は操作画面の情報を絞り文字を大きく表示する意図は分かるが、まずは全体図を表示し、詳細はそこから入っていく手法を取るべきだろう。独自性が優先されているので、新大阪駅なんかで操作するのと少し違う。名古屋ではホテルに荷物を置き、栄まで徒歩。ディスク・ユニオンを目指し、LPレコード(椿姫/ロリンマゼール指揮、ソニー・ロリンズ)を買った。次にジュンク堂名古屋駅前店で書籍物色。4冊候補が見つかりメモ。Kindleで検索しなければ現物本を買う事にした(本屋さんには申し訳無いが、紙は重いのだ)T氏と待ち合わせの銀の鈴を目指した(銀の時計だった)。氏と合流。40年来の付き合い。スパッと竹を割った鮮やかな切り口の思考が彼の持ち味。学校で学ぶことのできない技術。勿論真似もできない。しかし、それは文章化して他に誇示し難い特技だ。得難い友人でもある。居酒屋であるが高級で器が凝っていたし、料理も洗練され一家言あるものだったと思う。だが、、、僕らは久しぶりで話に熱中し、何を呑んで何を食べたのかは二の次だったので、店には大変申し訳なかった。まぁ第一ラウンドはこんなものだろう。
10月12日(水曜日)曇
部落の人たちと金比羅さんの清掃日、併せて14日予定の山の神様の清掃日は欠席するので自分の分担だけ済ませた、自宅で仏壇と神棚にお供えのシキビと榊。出かけるので家の清掃。ほぼこれで夕刻の5時。近所の淳子ちゃんがイノシシの肉と一緒にスペアリブも食べてみいやと持って来てくれた。今夜はそれを頂く。軽く塩胡椒し、魚焼き器「けむらん亭」で12分。なかなか美味い。もっといるんだったら取りに来いやと言って帰られたから、今度貰いにこう。
旅行には必須の書籍、音楽、カメラが必須。その準備に3時間くらい要した。やっと終えたのが午後9時半。チヒロ・ヤマナカ・トリオをもう一度聴きながら日記を書く。この古いオーディオは中々良い音がする。
10月11日(火曜日)晴れ
昨晩も9時の時報を布団の中で聞きながら寝てしまった。午前3:45起床、ボルトンの翻訳開始。後7ページまで漕ぎ着けた。名古屋旅行で頓挫するが、今月中には読破出来そう。
午後は沖の田を叩く、45日放置し、草がローターリーの爪に絡みつく、巻き付いた草を除く時軸受けが熱を持っていた。今月内で晴天が5日続けばもう一度叩き年内最終としよう。この時平坦でなくなった地表を整頓しよう。今年は雨が多く、なかなか天候が長続きしないので整地のタイミングが掴めないままだった。併せて柿の木の下の草も刈った。柿の実が黄色く実っていたので齧るとまだ少し甘さが足りない。後、1週間か?鳥とどちらが早いのか勝負だ。夕食は夜須のお惣菜屋さんへ行った。先着が5名いて10分強待った。田舎で行列が出来る唯一の店だ。
夜の音楽は澤野商会のCD「チヒロ・ヤマナ・カトリオ」。大阪日本橋の入り口、通天閣に向かう商店街にある店が企画するCDだ。チヒロ・ヤマナカ・トリオは上原ひろみ・トリオのミニ版的存在でなかなか聴かせる。それにしても、昔の機器で揃えたシステムなのにしっくりといい音が出ている。毎年魅力的な新製品が発売されているが、故障でもしない限り買い替えようが無い。
10月10日(月曜日)曇
今日は晴れの予定だった、洗濯日和の日だった。急いでテレビ前の絨毯を洗濯すればたちまち曇ってしまった。これはやばいと、乾かすため、洗濯竿に掛けた絨毯を真ん中よりも、片方に重心をずらして干し、重なりを避けた。これは良い作戦だったが、午後から風が出てきて、気がついた時には落下していた。結局地表で風に吹かれて乾いていた。
ヤマダ電機でBDレコーダーの修理回収。38000円。僅かLAN端子の不良だが、基盤の交換でCPUも同時交換となった。無線LANは生きていたのであえて修理をしなくても良かったかも知れない。製造原価低減のため、機能を1個の素子に集約しているのでこのようになる。電気自動車も安価なタイプはこの傾向にあるのだろうと推測する。
帰ってサトウキビの下方の枯れた葉の取り除き作業。屈んでの作業は苦痛だった。2時間の作業なのに疲れた。昨日の疲れも拍車をかけたかもしれない。9時前に床につく。
10月9日(日曜日)曇
朝、吉崇くんからメール、手伝いに行けるとの事。9時からサトウキビの葉を取り除く作業。昼食を挟んで午後4時まで。若い男の子は疲れ知らずで力がある。農作業に慣れている私はタフにこなしているつもりだが、やっぱり動作は鈍くなってしまう。午後4時は僕の限界だった。雨が来るまでOKだと言ってたのだが。こうして若者と比較をすれば、やっぱり年老いているのかなぁ。
作業を終えて一風呂浴びれば腰痛も治り普通の体に戻った。
食事を終えて音楽の時間となり1曲演奏すればいきなり睡魔の世界に落ちた。起きて動いているうちは気が付かなかったが、ゆっくりすれば間髪入れず来るべき魔物は牙を剥いた。
10月8日(土曜日)晴れ
5時15分に目覚めたが起き上がれなかった。昨日は作業なく疲れはない筈なのに。結局6時まで布団の中で過ごした。そして、午前中、英語の為にPCを開くと目の玉が押されるような痛みで眼科に電話をすれば見てくれると言う。痛みは1ヶ月くらい前からあって、PCの画面から離れれば回復していたのに、この1週間は農作業でも痛みがある。そして今日は格別だ。このままの放置はまずい。それに定期検診では緑内障疑いも指摘があった。昨日久しぶりに夜運転すれば余りにも暗くて運転しづらかった。てな心配が溜まっていた。だが先生の見立ては、問題なし。目薬で様子を見ようなった。その足で眼鏡市場に行き眼鏡を新調した。眼鏡を外すと痛みは和らぐ時もあったから。測定の結果、近近レンズは不要で、一枚のレンズでPC画面と手元が見えると言われたので、今回はそれに決定。僕的には一安心して痛みも消えたような感じがする。(目薬の効果もあるのか)
帰って文旦の草刈り、鶏糞の肥料を散布とやや頑張ったのも、目に支障が無かった安心感がある。その辺はややミーハー的だが。
今朝起床時の気温は19度。風呂を沸かしたが、薪が少なかったのか、入浴時お湯の温度がやや足りなかった。
名古屋のT君から電話。13日の打ち合わせ。静岡のT氏からお菓子(懇親会不参加のお詫びの印として)
10月7日(金曜日)雨
午前4時半に目が覚めて翻訳、午前中も頑張って3000文字。それでも1ページに届かず。外は冷たい雨が降り続いた。午後は書籍のスキャナー。蔵書は5000冊近くになったが、小さなHDDボックスに収まっている。部屋が本で臭うこともないし、太陽光で背表紙が焼けることもない。ましてや置く場所もない。年代別のファイルと、著者別のファイルと、雑誌は同タイトルを一つのファイルにと、重複管理。屋上屋管理。スキャン書籍にはメモ、落書きは自由だし、一発で検索できる。僕としては広大な敷地に図書館が出来たと同じ意味を持つ。他の人には価値のない図書館でもあるが。
少し気忙しかったのは、夕刻の歯医者と料理の先生の誕生日のお祝いパーティーの2つのイベントがあるから。まず歯医者は歯槽膿漏が進化し、少し通い続ける必要がある。訪問は2年ぶりで歯石が溜まり取り除くのに1時間も要した。
その後買い物をし自宅で先生を迎え食事会。76本のローソクを立てるのは面積的に難しいので割愛。超高級肉でお祝いをした。喜んで頂きケーキの残りも持ち帰られた。お一人で侘しい夕食を食べて終える誕生日よりもずっとよかったとは口が裂けても言わない人。気丈夫さがまだ残っている。これでいいのだ。健康な証拠。
10月6日木曜日)晴れ
昨夜は寝入った矢先に2度起こされた。1度目は午前1時、庭の駐車場で狸の大げんか、2度目はイノシシが建物で匂いつけをしているのか、何かが家にぶつかる音「ビシビシ」と。午前3時頃。その後眠ったが、やはり眠りが浅く睡眠不足。ボルトンの翻訳は益々迷宮入り混迷を来した。後9ページなんだが。2日を費やして1ページを翻訳するペースになった。
午後は文旦の下草刈り、地下水が畑に湧き出でるが、その溝を掘らなきゃと思っていた矢先、イノシシが水先案内をして掘り返してくれた。僕は後をなぞるだけ。でも先に草刈りだ。畑の端に「リュウキュウ」が生えているので3本ばかり刈り取った、夕食の味噌汁用。
文旦は大きな実をつけている。冬が楽しみだ。
10月5日(水曜日)晴れ
ボルトン氏の回想録はいよいよ終盤を迎え、Epilogue(結びの言葉)の章に入った。補佐官としての仕事の要約と感想を述べる文章だ。心の中の表現に大きく立脚し、翻訳の速度が半分に落ちた(4500語→2300語/1日当たり)。今までの読書速度なら10月末迄に読み終える筈が、おおよそ11月15日迄延びる羽目に。一段と難解な言い回しと未知の単語の羅列。さらには、前の文章との整合性が無くなってしまうなど、立ち止まりが多い。先を急ぐ旅でもなくゆっくりと丁寧に。
午後は文旦の草刈り。サトウキビの方が片付くと今度はこちらとモグラ叩きの様相、手を広げすぎなのか百姓仕事に明け暮れる。誰とも話さない1日が又過ぎて行く。社会との繋がりは唯一Facebookのみ。「そんな時代もあったわね♫」と語る人もなく死に向かっている。
四国の鉄道旅のTV番組があって録画したのをだいぶ前に見た、こちらは「呑み鉄」六角精児。最初はダラダラと見てた、いわゆるレポーターとしての鋭さもなく、かつ歌っている歌も上手ではないし、食事も美味いと言うなんの変哲もないキャラ。ところが見終わった後思ったのは、彼は緩いキャラクターで癒してくれる。のんびりとさせてくれる。見てて安堵感がある。NHKもよく人物像を見抜いている。
これは大発見だと、TV番組表を血まなこになって探せば、北海道の呑み鉄が2本見つかった。函館本線と、石北本線が見つかり録画し、今夜は函館本線を見た。
これも人生の過ごし方かなと思った。一方で当方は酒に弱くなり「呑み鉄」を楽しめなくなっているのだが。
10月4日(火曜日)晴れ
終日伝承館で製糖組合員による倉庫の上に広がる木の伐採作業。何にでも口出しするH氏を避けての作業に努めた。途中で大きな木の根元伐採中に木が突然折れてH氏は下敷き、みんなで木を持ち上げるが何ともならず、少し上方の木を切り離す事で何とか救出。素人が巨木に手を出すとこんなことになる。伐採はなるべく先から順に落としていくのが基本だと思っているが、彼はその逆を行なった。この日の後、木こり50年のベテラン(セイさん)に来てもらい、切った木の裁断をお願いした。その時が言った。H氏はチェーンソウを持つと闇雲に切るので怖いから離れていなければならない。しかも注意しても聞かないから。つまり他のところでもH氏の性格は知られていた。職業のプロは盲目的に信じる私としては、チェーンソウのメンテ、使い方を教わった。全くデタラメな素人管理だったと気がついた。こんなちっぽけな人口の村なのに、その目で見れば厚い人材があるのを発見した。
帰って、今日伐採した木を少し持ち帰ったので、斧で割ってコンテナに収納した。小屋で乾燥させ風呂に焚くつもり。
物凄い疲れだが、こんなに疲れると返って眠れないので、ウズベキスタンを自転車で走破する2011年収録の番組を見た。ウズベキスタン人はソ連から独立して、何でも自由にできる様になって、こうして休日には魚釣りをしていると語っていた。これが今ウクライナ人が感じている根底だろう。ロシア兵とは士気が違うから奪還するかもしれないと思った。
10月3日(月曜日)晴れ
朝6時起床。9時間の睡眠。少し寝すぎ。毎日が日曜日だからと言って、怠惰は許されない。未だ暗い内に気がついていたが起き上がれず寝続けてしまった。疲れている。疲れが溜まっているのだろう。今日の英語は1ページに満たなかった。午後は草刈り、テーラー・スイフトのアルバムを聴きながら。ダウンロードをハイレゾで行ったら音が良いの、鮮度が高いの感動した。AirPodはハイレゾを再生できませんが、雰囲気は分かる。それで今夜の音楽は、昼間と同じでiPhoneからUSBケーブルを使ってDENONネットワークプレイヤーNE2500に繋ぎ聴く。CDと比較はしてないが、僕のメインの機器で立派に鳴ってくれる。音楽の傾向上どうしても低域が過剰に鳴るのは不満の対象外としなければならないだろう。調子に乗って、宇多田ヒカルの新作「BADモード」もハイレゾ再生を試みる。こちらは帯域が狭く明らかに過剰な編集の影響が聞き取れる。「First Love」のような完成度の高さはない。一人のアーティストにつき最上アルバムは1枚の壁を破れてない。
10月2日(日曜日)晴れ
ボルトン補佐官の書籍は500ページ中、あと15ページを残すのみ。1日1ページの速度を悪戦苦闘して仕上げている。ここまで読んでも翻訳速度は上がらず、平行線を辿っている。一つはボルトン氏の教養の深さ、語彙が豊富にある。フランス語は頻繁に、ポルトガル語も登場したし、英語は殆どが熟語の言い回しと恨み節が山積する。その上、単語は直ぐに忘れてしまうし、形容詞や動詞になれば意味が変わるのもある。まぁそんな事を通じてわかったのは、英語はとてもマスターできないなぁ。常に辞書を借りて意味を理解するしかないと思った。会得できると夢を見た私がバカだとわかったのが一番の気付きかな。昨日のバラとの格闘は今日になって尾を引き、バラが刺さったところは腫れあがり痛くてものがつかめない。棘を抜くも小さな染みの様な細いものだった。キット毒があるのだろう、みかんのバラは刺さっても腫れたりしない。それで、作業は草刈りに切り替えた。そして蛇とばったりであった。蛇も私も同じ動作、つまりびっくりして立ち竦んだ。そして蛇は逃げる事を決め、私は殺そうとエンジンを回す事を決めた。夕刻作業を止め風呂を焚く。もう薪の量を少し増やさないといけない。少しづつ冬が忍び寄ってきている。
夕食にサバの刺身を頂く。寺尾ならではの提供。サバの刺身は怖くて食べられない人が多い。でもこの甘くてコリコリ感のある身はサバならではの食感。ここならではの食卓でした。
夜の音楽は、ビクターがK2の最新技術を駆使して録音した「黒水仙/益田幹夫」で、ピアノの粒立ち、シンバルの繊細さなど、CDを超える(と思わせる)演奏が目の前に展開した。音は凄いな。だが、所詮は日本人のJAZZ。一生懸命真面目に演奏しているのは分かるが「全く面白くもなんともない淡白さが漂っていた」凄い音やな、でも2回聞く音楽じゃないと結論を下し布団に直行(この為に結論を急いだかも)20:30に寝るのが習慣付いてしまった。
10月1日(土曜日)快晴
この日、プロバイダーHiHoからNiftyに切り替わった。しかしルーターの設定を変えないままそのまま使えている。本来ならルーターに接続設定しなければならない筈なのに回線は通じたまま。Niftyに電話を入れなければならないが、何度電話しても電話が通じない。まぁ使えるならそれでいいではないか?と判断した。
今日は公園のフェンス外の雑木を処理した。バラの木が大きく成長し、細かく刻んで行くが、蔓と合体しているので、蔓を掴んだつもりがバラを掴み棘が何本も刺さるハメに。未だ残っているが2本の木を切り終えて定刻の17:00で作業終了。夏同様大汗をかくのは変わらない。酷い腰痛があって、湿布で回避。食事の後、John Coltrane TributeのCDが見つかって演奏するも3曲目で朦朧として20:30ダウン。不眠症も困りモノだが、直ぐ眠くなるのは、夜を芸術の時間と当て込んでいる私にとっては一切が遮断されるし、食事の後すぐ寝るのは健康面でも困りモノ。
9月30日(金曜日)快晴
今日からしばらく晴天が続きそうなので、除草剤の散布。公園と親類の庭先、文旦のところの生える笹、きまさごはイノシシ対策用として。これで一連の草対策完了。DIGAを持ってヤマダ電機へ修理依頼。有線LANのみ動作せず。帰って、台風14号で山の竹が折れて大変な事になっているのを発見。今日は第一弾として墓の周りと、大日様。これで大汗をかいた。毎日服が絞れるほどの汗をかいている。料理の先生の作る正しい食事を始めて2ヶ月。体調に変化があった。時々痛んでいた膝の故障が無くなった。腰痛もいつの間にか消えていた。正しい食事と健康は老いに従って影響があるのかも知れない。もう一つ、「プロジェクト・ヘイルメアリー/アンディー・ウィアー」を読み終えた。SF冒険物語で最後に物凄く感動する。後書きを読んで驚いたのは、前に読んだ「火星の人」を書いた著者と同じ。今年になってたまたま選んだ本が同じ作者だったのが2件重なった。偶然にしては僕の嗅覚が、一定方向にあるのが確認された(無意識で)。もし今回も映画化されるとしたら、マットデモンはやめて欲しい。原作にあるような知性が彼には見えないから。
夜の音楽は、ビクターのSX500の再生にハマってJAZZばかり聴いている。12cmの円盤の中に凝縮された音楽は過去賛否もあったが、世界共通の音楽メディアとして流通、今はアナログが復活して、HIFI面では肩身が狭いが、うまく再生出来れば立派な音楽メディアだと思う。一度セットすれば最後まで演奏してくれるし。特に低域の歯切れ良さはCDならではと思う。でも今は、多くの人がこれ以下の音質で楽しんでいるから、昔のCDの音質云々はかわいかった。
先日購入したAirPod pro の評価記事でさえ、キャンセリング機能についての解説は詳細だが、音質についての評価はたったの一行だった。クラシック、ジャズ、ボーカル、ロック、JPOPそれぞれの音楽について、どの部分が良いとか悪いとか、書くべきだろうが、彼には筆はあっても聴く耳がないようだった。
9月29日(木曜日)晴れ
午後から雨予想だったが、僕の農作業の間は降るのを持ってくれた。サトウキビ畑の周りの草刈り。1ヶ月ぶりなので手強い相手となっている。草刈りの紐を太くして対処した。耳栓に少し贅沢だがAirPod
Proを使ったら、草の飛来物などがフェイスマスクに当たると、物凄く刺激的な音がする。耳の保護用にと思っていたがうまく働いてくれない。空が真っ黒になったのでエンジンを止めて家に帰るとドバッと雨が来た。風呂を焚いて正しい食事をすれば20時半には強烈な睡魔に襲われ椅子で眠りこけ21時の時報で(村の時報の事)目が覚め、布団に入り正しい睡眠につく。撮影しようと思いながらもう旬が過ぎてしまった、緋桐(ひぎり)を撮影した。
9月28日(水曜日)晴れ
雨予想だったが朝から快晴で夕刻までもった。最近天気予報の確率が50%位に落ちたのではないかと疑っている。それで雨が降らず僕の農作業には休憩がない。それが良いのかどうか不明だが、元気でいられるからありがたいとすべきか。僕の感じでは昨年よりも元気度が高く、毎日作業を「予定通り終えている」。その代わり発汗がひどい状態と、めっきりお酒に弱くなってしまった、酔うと何も出来なくなる。老化の影響がこれだけの被害なら良いかな。
UHD Blu-rayディスクがどうやら、とんでもない映像と音を提供しているようだ。HIVIの3月号を読んでいるとその記事に刺激を受ける。早急にDIGAの修理依頼をしなければ。確かに先日購入したジョンコルトレーンのBDもチョット音が面白いぞと感じたりした。
一方でApple TV+の4Kはメディアで発売されてないものまで4K配信されているとあった。情報に関しては全身耳状態だが、コロナで家にこもって誰にも会わず、店にも出かけないからどうして欠落しがち、リアルな世界に接しないのは僕を狭くしているような気がする。もう老人だから良いではないか、「老人だからこそ置いてきぼりを食いたくない」。
隠居なんかとんでもない思っている私は、極めなければ死ねない闘志を燃やしている。10月の12-13のAmazonの特売にはどれ程ボタンを押すのだろうか?楽しみだが自分でも怖い。
9月27日(火曜日)晴れ後雨
朝一番に水道屋さんがきてくれた。昨日役場に水道管から水漏れしているが何処に電話すれば良いか?と尋ねたら、「部署と変わります」そして部署が出た、水道管から水漏れしているが何処に電話すれば良いか?、「担当と変わります」そして担当が出た、水道管から水漏れしているが何処に電話すれば良いか?役場の建物は大きくはない、普通に話せば端から端まで声が通るのだが、それさえ引き渡しをしてくれない。そして水道屋さんの工事が終わり、ついでに、離れに母屋から水道を引き回して、メーターを1個にしてくれないかとお願いすると、快く直ぐにできると返事してくれた。そしてその工事、むき出しのホースを引回すのだが、ホースは端から固定している。そして、少し長さが足りないと固定を緩めてホースを送り又固定する、それを何度か繰り返した。僕としては、ホースの固定は緩めに引き回して、最後に固定すると上手くいくと思った、工事の3人はもうベテランの年齢だしそんな事は分かるだろうと思ったが。
夕刻祐介君宅を訪問し、ゆず農家の手伝いをしてくれないかと確認。OKだったので、その場で柚子農家に電話し面談の日程を決めた。毎年行っていたが、今年はサトウキビに専念するので断念し、先方も困るだろうから、代理を紹介する事になった。いいアルバイトだったが。
その足で夜須のお惣菜屋さんで夕食を購入。
夜の音楽は疲れで中止。8時半に就寝。昨年の日記を見れば既にこの傾向が始まっていて9時半の就寝が多くなっている。1年で1時間進んだ事になる。
9月26日(月曜日)晴れ
昨晩は眠く8時半に寝たら、今朝は5時半に目が覚めた。途中何度も目が覚めたが、まだ暗い(気配でわかる)のでまた寝た。よほど疲れていた訳だ。かと言って昨日は柵の補修だけで、ほかの日と変わったことをしていない。今日は柵の補修も終わり、ビニールハウスの廃材の最後をもらいに行った。ただ時間が遅く、倉庫に片付けるのは明日に回した。作業中、Apple Musicの「通のためのクラシック」を聞いた。1970年代のアメリカロックのプレイリスト。ジャニス・ジョプリン/move overが流れてきた。当時小田急ショウルームでの印象、SU3600+SB 500の組み合わせでは音が団子で解像力がなく、メロディラインを聞いていた。ところがあれから50年。懐かしいよりもこんな音楽だったんかと認識を改めた。当時のアルバムを引っ張り出して、ターンテーブルに乗せて針を下ろすのが楽しいのか、スマホのアイコンを操作して聞くのが良かったのか妙に分からないが、後者でも意外と聴かせてくれるのが解った。特にロックは手持ちは少なく、一方Apple Musicはほぼ全曲揃っていてクリックでいかようにも再生してくれる。古い儀式に拘りたい気もするが。
9月25日(日曜日)晴れ
今年は彼岸花の咲くのが遅い様な気もするが、和食に出ると満開だった。西分だけが遅いのかな。西分は暖かいから、未だ秋がきてないのかもしれない。Apple
MusicをAir Pod pro で聞きながらの農作業。Apple Musicの中には2021replayのアイコンが出ている。ダウンロードして聞く。彼は、「よく僕の好みを知っているなぁ」。後でわかったのは、僕が昨年再生した音楽だった。他にも、岡村さんのステーションのアイコンがあって、こちらは、僕がダウンロードした音楽の中からプレイリストを自動生成して再生するものだ。既に75GBダウンロードしているからメニューは豊富だ。便利だと思う反面怖いなぁ、好みがApple
Musicに残る。お薬手帳のweb版もあるが、これは僕の病気が提供するサイトに筒抜けだろう。レシートの自動家計簿化のアプリも同様だ。結局ジョージ・オーウェルの小説1984は結構正しく今の社会を先取りしてたわけだ。今は音楽を聴くのに忙しいが来月から映画月間に移行する。当然見た映画は向こうに知らされる。まぁ向こうが映画のマーケティングだけに使えばいいが、他に波及されてはまずいな、ましてやアマゾンでは買い物もしているから連結されるとまずいだろうな(多分している)
9月24日(土曜日)晴れ
夏に戻った暑さ。サトウキビ畑の修復は思ったより時間がかかりそうで、今日中には完成しなかった。今回はビスを惜しみなく使って縦横に止めているので多分次回は大丈夫なはず。
作業中にair pod pro が届いた、早速装着すれば、音の鮮度が落ちたような印象。詳しく比較せねばならぬ。夜取り組んだ。チャールズ・ロイド/Dismal Swampで比較。音の鮮度は、ワイヤード→air pod→air pod pro (今回購入)で真剣に聴くならワイヤードとなる(当たり前ですが)ところが低音の出方になればair pod pro =air pod→ワイヤードとなって、補正されている。同様に高音の出方はair pod pro →air pod →ワイヤードでこうなればイコライジングも効いているのかな?proは草刈りのエンジン音の低減が目的なので、まぁ文句はありませんが。またワイヤードはポータブルアンプに接続して聴けば、一段と帯域が広がり、低域に力強さが出てくる。音源をハイレゾに切り替えるとびっくりする音がでる。ブルーツースは頑張っているけど所詮帯域制限があるのは仕方ないと思いましたね。今回の買い物がヘッドフォンの中で一番高価だった(4万円)、でもオーディオは金額ではないのも確か。
9月23日(金曜日)曇
家の前にあるサトウキビの柵が先日の台風で少し壊れているので修復を始めた。ところが南から北方向に進んでいくと、台風14号の南風で随分と北に柵がズレていて、北の端は畝一つ分が南から北にズレているのが分かった。つまり溝の上にサトウキビが倒れ込んでいるのだ。一株ごと紐で括り傾きを直して、捩れた柵を切断して畝の上に柵のラインを引き直す。この繰り返し、総面積の1/4くらいが対象だからもう1日くらいかかるかも知れない。最初は1時間くらいで終わると見込んでいたがとんでもない作業になった。やがて太陽が出てきて汗が噴き出した、何のことはない、夏に逆戻りだ。
ただ今度は、先日もらったハウスの廃材を使うから、今使っている竹よりも頑丈なので、次の嵐には大丈夫だろう(と思う)。
すっかり農作業で頑張ったので、夜の音楽を聞き始めた途端椅子で寝てしまった。どんなに頑張っても睡魔に落ちてしまうので、諦めて就寝。
9月22日(木曜日)雨
朝のうち晴れてたのに、アレヨアレヨと言う間に曇って雨となった。農作業は中止し、書籍のスキャナー。その後掃除。それで夕刻。日常の中にいろんなものを詰め込みすぎて、消化不良で積み残し、それを片付けると、又他のものが積み残しでモグラ叩きの様相。何かを捨てて少し余裕を持つのが必要だろう。未だ若い頃の習慣で大丈夫と思い込んでいたがもう70歳、そんなに色々なものが上手くこなせるはずがないと思われる年齢であるのに。でも折角溜め込んだものをみすみす逃すのは忍びない。そんなケチな性格が捨てる選択肢を狭めている。あれも大事、これも大事なのだ。
結局両親がいらないものを一杯残して亡くなったのと同じ轍を踏んでいる。
モノは違うが。
強欲な性格は雑誌や書籍を見るとつい手を出してしまうので、興味をひかれた書籍に手を出さず、目をつぶって書店から立ることを自分に言い聞かせる。だが、未練がましくずっとその事が心の中に残って、結局は街に出た時に買ってしまう。買うとー安心して穏やかに過ごせる。そして書籍が溜まる。しかしもうそれを手に取ることができないほど、他の書籍が出番はないかと待ち構えている。だから時間がない中でも読書は外せないとなる。一つの事例ですが。
9月21日(水曜日)晴れ
6時起床、車で香南市もセブンイレブンへ、タワーレコードの注文品を受け取りに。「ジョンコルトレーンを語る」BDと、「ベートーベン弦楽四重奏曲/ライプツィヒ・ケバントハウス」のSACD2枚組。まずはベートーベン。弦の切れ込みが凄い、安価なSACDプレーヤーだけど、凄さは十分出ている。気持ちの良い弦の音に耳が喜ぶ(事実です)。弱音部もきっちりと弾き切っているのは流石ケバントハウスと言うべきか。
英語の方は頑張ったけど、昨日の挽回はできず。と言うか、諦めていたらその通りになった。
今日はまさのりさんが、先日のつくね芋の修復に手を貸してくれたと言うんでビールを持ってきた。大変申し訳ないことをした。その後、きまさごのサトウキビを通路にはみ出している分だけ束ねた。作業をしながら、下の畑に測量の人が入っているのを見た。先日説明のあった砂防ダムを作るためだろう。今日から朝の気温が20℃、作業に汗をかかなくなった。台風一過の影響か。風呂も心持ち長く浸かった。もう季節は後戻りしないのだろうな!
9月20日(火曜日)晴れ
結局7時まで寝てしまった。最近週1くらいの頻度でこのようなことが起きる。午前中の英語の勉強時間が減るので、新聞も飛ばし読みして、時間の節約をしたが、友人がやってきて1時間頓挫。英語4600文字の目標が800文字で時間切れ。翻訳はかなり気合を入れて時間をかけないと難しく、昼飯時はKindleで別の本を読むのに当てていて、昼飯時に少し食い込むのも不可。結局この不足は明日に積み残しだ。それで何か問題が生じる訳ではないが。13:30、補植した未成長のサトウキビは1.8m柵の棚には届かず、台風でパッタリと倒れていた。これに添え木をして番線で括り穂先を天に向けた。この作業は素早く行わないと、倒れたサトウキビは倒れたまま太陽を目指すので曲がってしまうのだ。それを終えて帰ってくる時、家の前の畑のサトウキビは西側の柵のビスが折れ、支えの木も外れていたのを発見。この畑はやばいと思っていたので、台風が来る前4本支えを追加したのだが、それでもかなりのダメージを食った。分解して補強工事に入ったが夕刻迫り時間切れ。
夜の音楽は、ディスクユニオンの企画でジュリー・アレンピアノトリオ。SJ選定版。ジャケットを見ればグリーンのマークを貼ってあった。金=最良。赤=良。緑=最悪。と千葉に住んでいる頃分類していた。ところがどうだろう、ビクターのSX500(千葉時代も同じスピーカー)はベースの深みをきっちりと表現し、ピアノの音はころころと転がり中々良いではないか。このアルバムはベースのチャーリー・ヘイデンによって支えられている感じなので低域の再生は重要なのだ。密閉式スピーカーがいい働きをしている。あの頃の音楽評価は浅はかだったのか、それとも関心が散らばっていたのか。振り返ると、音楽に真正面から向き合ったのは定年後の2015年テクニクスの仕事で東京に行った時が初めてだったかも知れない。そして、もし東京がなかったとしたら、この音楽への深さは理解できないまま一生を終えていたかもしれない。
9月19日(月曜日)雨
昨晩は風が吹きまくり、車庫のドア、雨戸、倉庫のドア、トイレのトタンなどが不協和音の合奏演奏を始めて、よく眠れなかった。朝起きて点検に回ったがサトウキビは無事だった、と言うか柵が倒れてなかった。その代わり柵のところでサトウキビが何本か折れていた。師匠は「今年のサトウキビは折れやすい」と嘆いていたが本当だった。被害は近所のまさのりさんのつくね芋が倒壊、電話を入れて修復に来られたら?と提案すれば、台風の中にも関わらず来られたた。雨は強くないので作業を始めた。ビニールハウスの廃材で支えを施し2時間くらいで完成した。よしかずさんから2週間くらい前にハウスの廃材を貰っていたのが功を奏した。久しぶりに汗が出ない気温だったが、雨で服はボタボタで、頑張って風呂を焚いて入った。いつもは身体の熱を逃すのに水風呂(34℃)状態で浸かるが、今日は普通の40℃の暖かい風呂で温もった。もうこの時刻となれば風はおさまり、霧雨になった。
食事を早めに終えて音楽を聞く体制に入ったが、昨晩の睡眠不足で音楽は耳を素通り、結局8時半には寝てしまった。
9月18日(日曜日)雨
台風12号接近で雨。息子に手伝ってもらう畑作業も中止。昨日パスした英語を頑張るも、二日間を1日で仕上げるには負担が大きく、結局取りこぼした。午後は書籍のスキャナー。読むべき本が溜まった。昨日は日経新聞書評に良いのがあってクリックして購入した。新刊は全て電子本に変わりつつある。月刊誌も溜まっていて、少々の頑張りでは積読状態が増えるだけだが、冷蔵庫の野菜や肉と同じようにあるだけで安心する。
同じく安心するものとして、DVDやBDの録画済みディスクがある。最新の4Kものも収録が増えているが、昔βで録画した番組をDVDに焼き直したのも意外と見える。そんな中で、今夕はモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」を観た。オペラは似たり寄ったりの内容なので、観続けてないと内容をわすれてしまうので、今回見ても新鮮だった。一生こんな感じで繰り返すのかな。
夜はベルリンフィルの演奏で「囚われ人」を20:00からの配信だったので観たが、結構映像が止まる。通信速度の問題かと思ったが、この番組だけで他の収録番組は問題なく見られた。要は日本国内に於けるベルリンフィルのサーバーが弱いのだ。
台風14号は朝8:00撮影に行ったが、通常とあまり違わない所で波を打っていて、まだ大きくなってない印象だった。ただ、潮騒だけは、帰ってからも随分大きかった。
9月17日(土曜日)晴れ
朝8:30、近所のよしかずさんから、ビニールハウスの廃材を直ぐに取りに来るよう電話があった。食事は終えていたから駆けつけると(こちらの人はせっかちだから、直ぐと言われると10分以内が必須)、軽トラック2台分。つまり700kgのアビトンの角材があった。新規購入だと1本2000円。使えないような朽ちたのもあるし、端を切り取れば使えるのもある。午後2時までかかって取り込んだ。(先方は処理に困っているし、僕はサトウキビの柵に必要)せっかくなので、一部を使って一番脆弱なサトウキビ畑の補強を施した。明日の台風は何処まで被害が及ぶか分からないが。
それから、祖祖父母の墓にシキビをお供え。更に、近所のまさのりさんの畑と自分の畑の草刈り。こんなに働かなくてもいいのに。でもほっとけない。結構な疲れ。食事の後虫の鳴き声と同じ大きさになった潮騒を聞きながら8:30就寝。
9月16日(金曜日)晴れ
天は、昨日の雨の挽回なのか一転して晴れ。昼から草刈りだが、その前にお墓の草刈りと、シキビの交換。これに思わぬ時間を食った。お墓の前は余り草はないので草刈機を回すと、紐の損耗が激しく、一本をすぐに消費してしまう。お盆はもう少し後だが、台風を考えて早めた。終えたのが16:30、それからサトウキビ畑の草刈り。公園の中に生えているような茅は強力な紐を使うが、この畑のようなまだ成長しきってない草は、安価な細い紐がよく切れる。明日も多分晴れるだろうから、今日は定時で仕事を終えた。風呂を沸かし洗濯機を回して夕食を作り、NHKの台風状況を確認して行事を終えた。昨日と同じく今日も誰とも話さなかった。宇都宮の小林さんから台風心配のメールと返信。息子のアルバイト開催有無の確認メールに返信。頭の中では会話しているが口は動いてない。
9月15日(木曜日)雨
天気予報は外れて雨。草刈りはできず、撮り溜めたBDの整理を終えて、ドタメル指揮ベルリンフィルでマーラー交響曲3番を聴く。大編成のオーケストラをうまく操っている。「俺は動じないぞと言う」顔ぶれも見えるがきっちりと合してくるその腕前は彼らのプライドか。さすがだ。「流麗さより、兎に角馬力」。馬力のベルリンフィルだ。世界一の名声に違わない。ドタメルも譜面はなく、目線が全員に注がれているので指示が的確だ。そこのところは上手くやってねと言う感じのウインフィルとは指揮がちがうのだ。4日間通ったこのハーモニーホールは馴染み深い。ベルリンフィルハーモニーの演奏は、配信でも聴けるので、もうベルリンには行かなくてもいいかなとも思う。
夜は、LDでニュールベングの指輪、1話(実は2作目)のワルキューレの後半を見る。地獄の黙示録でヘリコプターの飛ぶシーンで流れる音楽「ワルキューレの騎行」が演奏されるあたりから、話の筋が見えなくなってくる。西欧の小説や文章によく採用される方式、つまり苗字で呼んだり、名前で呼んだり、あだ名で呼んだり、土地の名前で呼んだり、一人の「名前が」いくつもあって、はてさて、誰のことを言っているのかな?となる。しかも、神の世界と地上の世界と2層の物語で両層の理解が必要。解説書ではS(複数の意味)をつける場合と、つけない場合では人が違うらしい。
9月14日(水曜日)晴れ
猛暑、公園のフェンス外側を整理。今日は主に木の伐採、バラと蔓との戦い、これがなければ木の伐採は簡単だけど、それで随分と時間がかかっている。バラと蔓には法則があって、長いままだと持て余すが短くすれば問題がない。剪定鋏で細く刻む作業は時間を食うが、ずんずんとバラの中に入っていけるのは達成感があってなかなかよろしい。それで明日も予定をしていたが、台風14号の影響で明後日からは雨予報で、サトウキビの草刈りに変更する予定。
先日の前線の影響で雷が鳴っていたので、メインのオーディオは電源を切った。それにものすごい発熱なのでちょっと厳しいのもあって、別システムのLDプレーヤーでAVアンプに接続したシステムで聞いているが、30分もすると馴染んできてなかなか聴かせる音を出す。先日からそれにハマり、日記を書く間はJAZZ、終わればLDでオペラを観ている。AVアンプはパイオニアLX81(2008年製)、ハードオフで¥498で入手した。内部設定でバイアンプ、バイワイヤリングで、ビクターSX500に接続している。ビクターのスピーカーは大阪日本橋の柳家中央の酒元課長から買った。随分長く使っているが、不満がなくて困っている。密閉型でわずかながらも超低域の雰囲気だけ出るのも良い。本音は、テクニクスのG90M2に交換したいのだが。
9月13日(火曜日)晴れ
録画済みのDVD、BDを整理しているが、僕の理解不足で変なタイトルを付けたDVDがある。ワーグナーのニュールベング指輪だ。これは、①ラインの黄金序曲、②ワルキューレ、③シークリフト、④神々の黄昏の4部作だ。昔VHSに録画した時はこれを正しく理解してなく、ラインの黄金/ジークフリートと明記したのがある。一体どっちなんだ?結局ニュールベングの指輪は、LDとBDのメトロポリタンオペラが完全版として残っているだけ。VHSからのダビングは一部しかなく完結版が存在しない。もっとも1989年ごろは仕事に付き合いに忙しくて、録画は片手間だったので3倍モードで録画されていたし、パズルの空白を埋めるような考えはなかった。
今日は財産区管理の公園のフェンスの外側を刈った。全部切り倒すと川に切り屑が流れるので岸で枯れるような切り方をしたつもり。今日は暑くて水2リットル。汗でベトベトになって帰り風呂を沸かすと同時に洗濯した。それで今日は誰とも話さなかった。Facebookに投稿したり、書き込みをもらったりして頭の中では誰かと会話しているつもりだが。
夜の音楽は、ワーグナーのニュールベングの指輪/ワルキューレをLDで見る。
9月12日(月曜日)晴れ
今契約中のハイホーのブログページは100MBしかなく、満杯が近いので写真掲載を控えていたが、ハイホーは速度が出ず、プロバイダー契約をニフティに切り替える契約をした。こちらは2GBのブログが付いてくるので、今のサイトは今後写真も掲載し、一杯になった時点で、ニフティのブログに切り替えようと思う。今のハイホーは220円/月で継続するつもり。
しかしいつかは整理して畳む必要があるだろうな。2005年10月5日から掲載しているので、17年分の日記が今Web上にある。53歳の想いから綴られている貴重な記録だ。自分でもあの頃はどうしていたのか?と見直す時もある。
今日はビニールハウスの廃材を車に積んでいたら、「もーちさん」(本当の名前を知らない)がうちの廃材も取りに来てくれと言う。その廃材で風呂を焚ける。余分な薪は贅沢に燃やせるから、今年の冬はかなり贅沢して多めに沸かせる。熱い釜は部屋まで暖めるから、寒い冬には長湯して汗を流そう。
毎夜7時~8時迄の間に決まって鳴く虫がいる。こちらでは「赤口」(正式名称:クチキリギリス)と呼ぶが、スィーチョンから始まって、最後にはジーと来る。ツクツク法師の鳴き方のように手が込んでいる(いや羽か)。ここは近隣と離れた一軒家なので、夜でも昼でも私以外に音を出すものはない。台風の時以外はTVも点けないので、時たま冷蔵庫が働く音のみで、静かに暮らしている(実際虫の声は大きく、うるさいほどであるが)。偏屈ジジイが独り住まいを楽しんでいるとすれば、そう見えないこともない。
9月11日(日曜日)晴れ
またしても、9時間も寝てしまった。最近のパターンはこうだ。9時前後に寝てしまう。そして午前4時に目がさめる。トイレに行く、直ぐに寝付けず悶々として気がつけば明るくこのままじゃまずいぞと目を開けると7時だった。お疲れなのか、トイレ後に寝付けないのか不明。
今読んでいる本は「無形資産が経済を支配する/ジョナサン・ハスケル」経済統計上、旋盤や溶接機などは企業にとって有形資産で、人の知恵とか、ブランドなんかは無形資産。それをGNPに繰り入れて計算しないと、実体経済が見えなくなっている事を指摘している内容だ。FRBのパウエルが金利を上げて経済を冷やそうとしているがなかなか冷えないのは、この目に見えない経済の活況が理由ではないかと、この本を読んで思う。
実は僕も形のないものを最近買って随分と価値を見出している話が以下。先月NYタイムズの購読(配信)を契約して、世界の最新ニュースと見方を手に入れた。ところが単語辞書ではどうしても訳せきれないのが、熟語。ところが電子辞書で熟語が少ないし、検索に時間がかかるし、それが分からないと意味をなさないのが多い。例えば“nothing that”(なにもない+それ)は妙に意味が通らない、ところが熟語を調べると、「注意する」とある。”no longer”なんかは有名な熟語だから、辞書でも何とかなる。このように、よくわかっている単語同士の組み合わせは何ともならない。そこで英次郎をWeb上で使えるように契約した。電子辞書と、iPhoneで英次郎を立ち上げておけば、NYタイムズはそれ程苦なく読めるのだ。これは単なる個人消費だが、経済における形のない価値や消費は随分と増えてきているのではないかと思う。
息子が突然訪ねて来た、給料が少ないと嘆いていたので、僕の農作業を手伝うアルバイトを打診したら乗って来た。アルバイトとして破格の賃金を提示したのもあるが。来週から来てくれると言う。これなんかも、出費として表に出ない経済。彼が消費して初めて計上される。
夜の音楽は久しぶりに「ニューべリングの指輪」2弾「ジークリスト」メトロポリタンオペラ。演奏はジェームス・レバイン。音はPCM。パイオニア渾身の編集か、すごく音が良い、と言うか気持ちが良い。話は前作「ラインの黄金」を理解してないとしんどいが、哲学的な話なので、独立して見てもまぁなんとかなる。長編なので現地で見るにはかなり根性が入りそう。今夜は寝転がって見たけど。
9月10日(土曜日)晴れ、時々豪雨
朝起きると、くっきりとした虹。こんなに明確で明瞭なのは久しぶり。その時間ほんの3分くらい。Amazonから交換用のHDDケースが届き、メインのPCに接続した。本体には2Tを2個内蔵し、今回のケースには3Tを2個、2Tを2個。合計で14TBのHDDが接続できようになった(今までのPCにも本体にデーターを保存したことがほとんどない)。これらは、主記憶とバックアップが混在しているから、今はほぼ満杯状態。これを整理して、バックアップはBDへ。そんな計画。でも、そのデータを見直すことあるの?たぶん「ありません」ただ気持ちの整理としてだけだろうな。
文旦の草刈りを終えた。果実の選別をすれば、今年の収穫はかなり期待できそう。毎日しんどい思いをしたが、年末の販売が楽しみだ。一方で、今度はサトウキビ畑に草が大きく成長している。モグラ叩きの様相を呈している。ただ、今回は周りの畝に生えているのを取り除くだけ、内側はサトウキビの成長に草がまけて草の手当ては回避できそう。
今日もシャツは絞れるほど汗をかいて、風呂の焚き付けが終わると洗濯機へ入れ、僕は風呂に入る。入っているうちにお湯が沸いてくる。やや冷たいが積読状態の日経エレクトロニクスを広げ読み進む。最近の内容は太陽光発電パネルと、再生資源のエネルギーを貯める蓄電池特集が多い、それはウクライナ危機と地球環境が現在の主テーマで、エレクトロニクス技術としてどう核心に迫ることができるかに取り組んでいるように見える。
9月9日(金曜日)晴れ後、夜雨
よしかずさんのビニールハウスの廃材をせっせと取り込んでいる。倉庫の北側が一杯になったので南側を使おうと片付けた。それで半日を費やしてこの日は終わり、ラジオを聞きながら作業をしたので、エリザベス女王の訃報が飛び込んできた。在位70年、僕の生まれた年に戴冠された訳だ。ネットでは「・・・・知られざる」の文言が並ぶ。それは一度も報道されたことがないのか?そんな裏付けは取ってなく、筆者が知らなかっただけと言うのが多い筈(推測)。イギリスの話題は、英語圏で世界の目が行き届きやすい中、秘密なんてないだろう。もしあったとしてもごくごく個人的なものだろう。妙に世の中が軽薄になって行くみたいと思うのは僕だけか?もしくは年寄りの僻みか。
風呂を焚いてゆっくりしたら、もう午後7時過ぎに眠くなった。睡魔を我慢して食事を摂ったら午後8時半。我慢できず就寝。普段と違う片付けの作業は疲れを呼んだのかも知れない。夜の音楽は朝の音楽へと遅らせば良いと思ったが、翌朝起きたのは午前7時。
9月8日(木曜日)晴れ
晴れが続いている間に、昨日除草剤を散布したところに、今日はもっと強烈な濃度で再び散布した。多分これで蔓の草は枯れるだろうと思うが、次の雨が降った後に草を刈るつもりをしている。ただ覆いかぶさるような草をどう対処して良いかわからない。今あるプランは、一人だけが通れる範囲の草を刈った後、届かないところは再度除草剤を散布する。取り敢えず今回の除草剤でどこまで草群が萎んでくれるか?だ。その後は文旦の草刈り。文旦には大きな実が付いている。草刈りの後は肥料。今が丁度良いタイミングとの事。
再び「ファトマ・サイード」のLPを聴く。A面はオペラ/B面はポップス、LPならではの企画。僕的には、このアルバムの実力を出し切ったとは言えない再生音。
2019年6月4日ベルリンで、バレンボエム指揮ベルリンフィルの演奏でベートーベンピアノ協奏曲4番を聴いた。それが何と、「デジタルコンサートホール」(配信)に登録されていた。ドイツ人は律儀だ。当時会場でも思った事だが、3楽章でマリアのピアノが楽団の演奏について行かなかったのではないかな、語尾が曖昧なお喋りのように聞こえたが、それが今回も同じ感想を持った。あの違和感は錯覚ではなかったのだ。音楽はよく聴くので耳は肥えていたのだろうか。まぁ毎夜ハーモニーホールへ行って聴けるなんて贅沢ができるわけだ。しかもだらしない格好で、こんな幸せはない。
9月7日(水曜日)晴れ
分散していた音楽や写真などを集めたいとHDDBOXを買って、3TBを2個、2TBを2個入れようとしたが、3つのHDDが認識されない。それでAmazonに返品の手続きを取ったら、家に居ながらにしてヤマト運輸さんの集荷があって、伝票も持ってきてくれる手配ができた。僕は仕分けのバーコードを印刷するだけでOK。返品は至って簡単なのだ。その分納入業者は泣くわけだが、大きな販売力の前ではNOが言えないだろうなぁ。
お寺さんが家の前にある草木を財産区の費用で切ってもらえないか要請を受けたが、財産区議長はは拒否されたので、話の中継地になった僕としては、落とし前を付けなければならない、それで、僕がその作業をすると伝えた。今日は除草剤散布から始めたが、あまりにも草木が大きく成長し液が先まで届かない。今回の作戦は、手の届くところから刈り始めたら良いと。それで除草剤は数回に分けて散布するつもり。そして続けて散布すれば絶対に効く。それから刈れば良いと。結構除草剤が必要となるけど、仕方ない。今回の教訓としては人からの依頼は簡単に受けない事だ。
9月6日(火曜日)雨のち晴れ
結局台風11号は僕の予報通り、何の爪痕も残さず通り過ぎた。朝起きて波を見に行ったが大きな波ではなかった、他の人も来ており好奇心が騒ぐのだろう。
帰って英語を勉強していると、雨がやってきた。結局総雨量は24時間で30mmだった。ニュースでは300mmの予定だった。これくらいの事は雨量レーダーを見れば、僕でさえおおよその見当はつくのに、何をもって数値を割り出すのだろうか。この狂いを良しとせず猛省を頂きたい。というのは、これほど狂うと、逆もありで大きな被害が出るたびに想定外で誤魔化してきたが、今は判断データが増えているからそうは行かなくなっているのだ。
夜の音楽は、バーンスタインのBOXから、ベルリオーズを聴く。マスタリングが素晴らしく、結構いい音で楽しめる。
今日は、昼の音楽もあった。Appleミュージックでカルフォルニアで聞く音楽のプレイリストが配信されていたのでダウンロードして聞く。Appleのプレイリストを作成する人たちは、「よく知られている歌手のあまり知られていない音楽を厳選」(微妙にずれて、しかし悪はない)して組んである。つまり今回のは「カルフォルニアに住んでないとわからない選曲」のような感じがする。よく選んだぞ!激励と何でこの曲を選んだのかその人に聞きたい気もする。プレイリストを組んだ人はその辺りを文書化すれば、読みのもとして当たるかも知れないとひそかに思うのだが。
9月5日(月曜日)晴れ
ニュースで騒ぐので台風11号を待ち構えていたが、到来の前日になっても雨が降らず、サトウキビに水をやってない日々が続くのでちょっと心配。結局は、深夜風が思い出した様に吹くだろうが、格別日常と変わった事がなく過ぎてゆくだろう。
最近農作業がかるくなったので、有り余るパワーを持て余すようになっている。今日のエネルギーは夜までに放電し終えないと妙に落ち着かない。それで、今日の予定は16時に終えたが、1時間だけ草刈りに出かけた。重い機械を振り回すのでこちらはかなり負荷が大きい。汗がポタポタと滴る。よし、これでほぼ放電し尽くした。
帰って薪割りし、風呂を幾分強めに焚き、水で薄めながら入った。毎回の事だが、これで充分癒される。風呂焚きの儀式は作業で疲れた後に、何かの仕打ちみたいに疲労を積むが、結局気持ちよさと天秤にかけて、風呂を焚く。
LPレコードを買った。過去の名盤ではなく、新録音。「ファタマ・サイード」(オペラ歌手)。驚いたのは、LP特有の狭いダイナミックレンジではなく、CDと同じような広帯域の録音で、音質もLP離れしていた。僕がLPを買わなくなって久しく、こんな枯れた分野でも技術は進歩しているんだと感動しましたね。
9月4日(日曜日)晴れ
台風11号は騒いでいる割に、影響がなく天候も安定してきて、毎日農作業を続けている。明日はいよいよ文旦の草刈り。これが終われば、自分に関する仕事は休憩。近所のハウスのアビトン回収だけになる。ぼちぼちやれば目処がつく。六角さんの鉄道飲み旅を見て、徳島には食べにゆくところがあるなぁ。徳島はあまり好きじゃないけどテレビで放映されたら興味が湧いてきた。仕事が一段落ついたのでそろそろと気がはやる。
たまたま偶然だが、ブックオフで見つけた「ザリガニの泣くころ」は先般読んだ。たまたまKindleで見つけた「カラハリが呼んでいる」。どちらも優れた本で感動ものだが、書評を読むと、何と著者が同じだった。タイトルに引かれて適当に買ったのに。びっくりした。雑食の読書なのに、ある傾向値があるのだと思いましたね。もしもう一度人生を最初からやり直すと同じ奥さんをもらうのだろうか?と同じテーマですね。
9月3日(土曜日)晴れ
昨晩もバケツをひっくり返した様な雨。雷も鳴っていた様な記憶。眠り深く雷は推測(誰かが部屋の壁を叩くような音がしばらく続いたので)。昨日の支柱立ての影響か今朝は指が痛み、翻訳にキーボードを叩くのが辛かった。それを理由にして、しばらくベルリンフィルの録画映像でマーラー2番/ドダメルを見た。この指揮者が今私の1番のお気に入り。追っかけをしたいほど。その映像に、つい夢中になって翻訳は2300止まり。午後手紙などスキャナー保存している時、曽我さん登場。カンショの近況を報告しあった。結局農作業は午後3時からとなった。近所の農家から、ステンレスの針金の提供を受けたので外しに出かけた。未だ半分も回収できてない。ついでにアビトンの廃材も貰う。それで、ここ数日は忙しくなりそう。そして今日から汗の量が確実に減った。台風のせいもあるが、季節は着実に移っている。
年に1度、栃木県に住む小林さんからメールが届く。文面はいつも決まっている。「台風のが来る前に早めの避難を」との事。ありがたいメールだ。メールが届くのは元気な証拠。段々と農作業が楽になってゆとりを取り戻し始めている。
9月2日(金曜日)晴れ
昨晩もバケツをひっくり返した様な雨が降って途中で目が覚めた。とたん屋根の家はこれだから困る。夏は暑く、冬は寒い。一方で薄壁なのでステレオの低音がこもらない。昨晩は疲れで9時に寝て今朝は7時に目が覚めた。途中で目覚めたのもあるが、身体は休まった。それでも午前中の英語の時間に15分ほど居眠り。病人の様によく寝ている。ヤマダ電機から電話があってヤマハのアンプが修理できたので、引き取りに行った。無料だった。もう2年も経過しているが。基盤の交換など結構費用が発生する要素が絡んでいたが。修理報告書を見れば、19年4月に購入している。僕が報告したのかな?
その機種は帰ってきても元の居場所がない。旧のプリアンプ(SUC2000)に占領されているため。このアンプは母家のシアターのところに居場所を見つけるつもり。
円安が好決算を示しているが、ニュースは悲観的な話ばかり。山一證券や拓殖銀行が倒産したのを円安と関連したとして報道された(僕は関連性は薄いとみるが)。果たして主軸はどこにある。針小棒大はいくらでも報道できるから、僕の指標は数字だけを頼るしかないと思う。
台風11号は反転し日本へ向かっている。サトウキビ畑は多分大丈夫。というのは、一つは柵を頑丈にした、一つはまだ柵の背丈よりサトウキビが大きく成長し切ってない。果たしてどうなるか。
9月1日(木曜日)晴れ
今日は雨予想で、ゆっくり構えていたら、快晴になった。家の中でのんびりするのはまずいぞ、と昨日の続きで西上の支柱立てを完成させた。前東東の畑にも着手、こちらももう少しで完成する。肩の荷が急に軽くなっていく。そのためなのか翻訳に根気が続かず、途中でブルックナー7番4楽章を観た。昨日見たベルリンフィルの映像とは全く違い、かなり洗練されたカメラワーク。ブルックナー7番は、厳かで耳に馴染む様なフレーズがなくお近づきになるのが難しい。それに長いので全体を覚えきれない。モーツァルトやベートーベンに比べ人気が低いのもうなづける。昨夜の大雨で千日紅が倒れて支えの杭を立てた。
最近妙に吹っ切れた感じがする。それは70歳になったから、「余計な心配はしなくて良い」なのか、もっと直近のサトウキビの支柱が完成したので「自由に遊びに行って良いぞ」と言う解放感に近いのが原因か。先日の雷で僕のAVCネットワークが壊れ「再構築し整理できた」ので何かモヤモヤが取れたのが正解なのか。妙に掴めようがない。いずれも些細な事だが。
8月31日(水曜日)晴れ
台風対策は雨で処置が出来なくても構わないと腹をくくったら、一日中晴れて、予定通り昼から農作業、西上の柵は残り1日の工程となったが、もし明日から雨で作業が出来ないとしてもここまでくれば大丈夫。近所の農家の方が、ビニールハウスをやめるから廃材を取りに来いと言う。支柱立てはもうすぐ終わるからもらいに行くと答えた。夕刻6時から西谷の砂防ダム説明会があった。僕は、少し変更はできるのか聞いたが、変更は他の人との調整のなるので難しいと言う。だがゼロではない解答を引き出した。「実際線を引かないと何とも言えない」のには僕も同意、そこで相談しようと要望は保留した。今回は平面図のみだったが、正面図で高さの確認もしておかないと日当たりの問題が出る。ちなみに当初の予定ではサトウキビ畑の真ん中を通る予定だったと言う。作り物があるので変更したと言う。もう一つ質問をしたのは、では一体どの程度の雨量を想定しているのか?」「100年に一度」。「具体的に言ってくれ」、後から。これはコンサルタント会社から連絡があって450mm/24時間。役場はそんなことも知らないで工事を始めようとしていた。彼らにとってやっぱり工事のための工事だった。説明では想定被害地区の全容が明らかになった。僕の家の直ぐ西側、つまりサトウキビ畑の直ぐ下は土砂災害の地区となる。
台風余波で波が大きくなって、塩霧が飛んでいる。サトウキビの大敵はこの霧。僕の家まではまだ来てないが師匠のサトウキビは飛沫感染しそうな感じだ。もっとも、今夕雨が降れば問題解決するが。
夜の音楽にベルリンフィルのデジタルコンサート、Brahms2番。さすが4Kで解像度が良い。一部プログラムには「あなたの国では見ることができません」と表示された。視聴制限は宗教的なものなのか?それとも人種的なものなのか?不明。欧米諸国にはアジア人軽視が根底にあるので仕方ないけど。
8月30日(火曜日)晴れ
老人の身体も、車も使ってなきゃ錆びて回復が難しい事を前に書いたが、ロシアのノードストロームのガスパイプラインの装置も同様だろう。ロシアはドイツにガス供給で戦争支援国を痛めつけているつもりだろうし、事実、ドイツは困っている惨状が日々刻々と報道される。目を転じてロシア側の状況はどうだろう。掘り起こしたガスは順次出てくるからその処置も難しい(ある採掘場では燃やしているらしい)、地下にコックをつけて閉めると言う簡単なものではないはず。しかもそれを配達する機器は動かさないと経年劣化する。回転系は油膜が下に落ちる、パイプラインもガスがなければ腐食する。そして1番の問題は、ロシア人はそのような細かなメンテがあまり得意じゃないことだろう。もし、戦争が終結しても再開は危険が伴うぞ。どうするのかな。それとも再開は永遠にないのかな。
修理に出したiMacは費用が10万円近く発生すると電話があった。買い直した方が良いとアドバイスされた。それで中古店を当たると9万円で所有してたiMacの次のバージョン(2017年製)があるとの事だった。未だ忙しくiMacで音楽編集をする時間は無いが、買い直しても良いかなと思った。
昨日はカメ虫対策を行ったが、今日のニュースではとんでもない台風がやってくると言う。僕のサトウキビ畑は未だ2つの畑に脆弱性がある。しかも完成には未だ3日くらいを要するが、それまで雨予測だ。一つはなるようにしかならん。雨が止めば作業をして来たらやめると柔軟に考える。それとも、禁を破って午前中も作業をして強引に作業を進める。さてどうしたものか。
ハイホー(プロバイダー)と相談した。速度が出ない件は、IPV6変更で解決する。つまり、IPV4ではアドレスの自動割り振りが一杯になって、誰かと共有しながらIPアドレスを使用していた。それがIPV6で専用になるので速度アップが期待できると言う。AppleTV+が夕刻ストップするのは忍びないし、Berliner Philhamonikerのコンサートもノンストップで見たい。
8月29日(月曜日)晴れ
厳しいが待つわけには行かない。サトウキビの柵の補強を午前中に終え、午後はカメムシの消毒を行った。多分これで十分ではなく、次は秋雨前線開けにもう一度必要だと思う。今回で繁殖が抑えられれば良いのだが。一日中働いたら、水を5リットル飲んだ。大のペットボトル2本では足りなかった、身体のどこから水が抜けているのだろう。頑張ったので、一挙に農作業が進み明日から少し家の中で過ごせる余裕が出来た。コロナで外には行けないけど(高知県は全国2番目の感染者多発地区/人口10万人あたり)。映画「ダイハード」の様にヘトヘトになった。ビール500mlで充分酔ったが、21:30まで意外と持ち堪え、外に行けないぶんライブの映像を見た。1986年マウントフジJAZZフェスティバル(BETAに録画→DVD)。マウントフジは1989年度は現地で見ている。ゴンサル・ルバヤカヤのピアノを堪能した。DVDの「チュニジアの夜」はアートブレーキ(まだ現役だった)がドラムスを叩き、カーティス・フラーがトロンボーンを吹いていた。かつての黄金コンビ。彼らはこれ以降弱って、アルバムに接することはなくなった。目が弱ったのもあるが割と鮮明な画像で楽しめた。
夏はJAZZだとばかり思い込んでいたが、ワルトビューネなど、夏のクラシック番組も見る様になって、夏の音楽も僕の中ではイメージが変わりつつある。
8月28日(日曜日)晴れ
ほとんど雨がなく、庭の甕に張った水も半分を切った、半分を切ると甕が太陽光で発熱するから、水の蒸発の拍車がかかるので、ここ数日は目に見えて水位が下がっている。地球温暖化も、じわじわと温暖化が進むのではなく、ある分水嶺を起点に急激の変化し元に戻せなくなるのではと危惧する。もしかしたら、我々は薄氷の上を歩んでいるのかも知れない。
そして、これは危ないと警告されても、経済活動は大事だと言う輩もいるし、先進国が蒔いた種だから発展途上国は今まで通りだとか、それぞれの事情で調整は進まず、地球の人類は絶滅寸前まで突き進むのではないかな。それは今までの動物がそうであった様に、人間も動物の範疇から逃れられるものではないかも知れない。先日読んだ「予言者と魔術師」は大書だったが、それなりに工夫されていて理解しながら読み終えたのは、この様な事が事例を交えて書かれていた。
朝はひんやりとしたが、日中は相変わらずの猛暑。しかも、来週は雨風が強くなると言われ、さらにサトウキビにカメムシが湧いて急に葉が黄色くなり始めた。
8月28日(日曜日)晴れ
どうやら来週の中頃、西日本に接近する台風が発生しそうだとラジオのニュースで報道された。今施してる柵の補強が間に合えばよいのだが、まだ3枚の畑が未整備だ。最低限の施し優先で取り組もう。しかし指先が痛く無理ができそうにもない。できることしかできない。
今夕は焼きビーフン。クックパッドを見ながら進めた。焼きビーフンとは野菜炒めにゆでたビーフンを絡ますのだった。それであれば、ベトナムでよく食べていた「フー」も作れるのではないかと思った。
ビーフンは春雨とか、葛切りとかの乾物の売り場になく、インスタント麺のコーナーにあった。スーパーの専門家の目には違う食品に映るのだろう。
音楽CDがたまる一方の話に続き、BDがたまる一方も課題だと思う。整理しているが、4,600タイトルを超えた。1本2時間として9000時間つまり1年分溜まった。観れそうにもない。どこかでやめるのか?しかし。先日大曲の花火が4Kで放映された。長岡も4Kで録画した。見比べるのも1興だろう。そんな欲張りを考えているとこれから先も録画は止められない。もう録画してある安心感だけで生きてゆくだろうか。
8月27日(土曜日)晴れ
役場から手紙が来て、西谷の砂防ダムの説明会が31日に実施される案内だった。僕の土地が削られるので、少しだけ要望を聞いてもらわないと、それで元役場職員だったサトウキビの師匠に相談に乗ってもらった。近くの喫茶店「柿の木」で。ここは海が見えるいい場所だが客が居ないのが特徴で、僕ら老人が安心して行ける店。アドバイスは出来るだけ事情を言って、納得がいくような交渉をするがいいが、現場で話すのがいいのだろうと。
帰ってアップルiMacの修理相談、本体は受付不能(旧型)それで近くのアップル指定店へ行け、予約をお願いすれば16:00に空き。それで久しぶりに高知に向かった。全国から比べると高知市は田舎だが、芸西村でしか車を運転しない僕にとっては、その混雑ぶりが怖い。
帰りにブックオフで書籍3冊、牧野富太郎伝記と天声人語英語版とアラブへようこそを購入。今日は殆ど作業なかったが、夜の9時には眠くて翻訳がデタラメになって筆を置いた。睡魔が来たと思ったら、もう何もかもめちゃくちゃそれがここ最近の出来事。やっぱり70歳激変説は超えられないか。
8月26日(金曜日)晴れ
やっと体調が戻った。だが今日は暑く汗が滝のように流れる。ヤマダ電機で買った6個セットの2リットルの水は1週間で無くなった。当たらない天気予報を見れば来月から1週間ばかり雨予想。その前に柵の支柱立ては終えるつもり。それと、ボルトンの書籍ももう少し速度を上げようと、夜の音楽を犠牲にしてまで進めるが、こちらは農作業と反比例して作業が増えれば翻訳は睡魔で激減する、又、水を多く飲めば夜の目やにがひどく文字が見えなくなる。
8月25日(木曜日)晴れと曇
朝の新聞や英語の時間が妙にしんどいと言うよりか、何にもしたくない感じ。おかしいな、昨日は何にも疲れる様な事をしてないぞ。やはり加齢のせいか?突っ張って抵抗して来たつもりなのに。それで11時から、英語は止めてスキャンの作業に切り替えた。何でこんなに気怠い?そうだ、昨日のコロナワクチン接種の影響ではと思い至った。午後、サトウキビの転倒防止の支柱立て作業は厳しい暑さ。鼓動が激しい、止めようか?でもいつかはやらなきゃならない、自分しかない。しんどいながらもコツコツとそれが農業には肝心だ。補強は7本完成した。そうこうしている間に大汗をかいて、大量の水を飲んだら、あの気だるさは抜けてしまった。ワクチンの効果も抜けてしまったのだろうか。汗の量は半端でないから心配だ。
夜の音楽はBerliner Philhamonikerの映像配信。丁度昨日、円/ドル相場と円/ユーロ相場が逆転した。これを記念にチケット購入へと進んだ。19.000円/年間。眠いのを我慢すれば、午前2時、ベルリンで開演されるコンサートがライブで見られる。明朝はペトロンコの振るマーラー7番だった。今夕はBrahmsをちらりと見ただけ。ベルリンへは当面行けないし、先にウィーンに行く必要がある。しかしコロナでまだ動けないから、映像配信は吉だった。
8月24日(水曜日)晴れ
大日様の掃除。僕が草を刈ってあったので楽。集まったメンバーは松浦英夫さんが亡くなったのではないかと噂話に没頭した。その後、僕が年々広場の周りを片付けた為、竹が目につく様になって、みんなで何本か切り倒した。広場は又広がった。子供の頃遊んだ広場の大きさに帰った感じ。
これが終わるとサトウキビに水をかけた、サトウキビの枝を捨ててあった畑から新芽が出ていたので、未だ空きのある畝に移植したそれへ。今年の収穫は期待できないが、来年は株が活躍する筈。汗だらけの身体を洗って病院へ。役場から昼前電話があって夕刻にコロナワクチンを接種できる為。当初は9月30日予定だった。急遽変更はこれで2回目。遅れてもいいやと思っていると意外と早く回ってくる。病院では同姓同名の方と同じ部屋で注射。一人は肩の痛み、僕は接種。肩は先生が、コロナはサトウキビの師匠の娘さんである看護師さんが。間違わない様に気をつけていると言われた(当たり前だろうが、滅多にない事)僕も、この小さな村にそんな方が居るとは初めて知った。
夜は「さらばベルリンの灯」を見た。ジョン・バリーの音楽が有名で映画は知らなかった。ドイツのネオナチを探るイギリスのスパイを描いた作品。哀愁漂う音楽が強すぎて、主人公が情報を探るのに利用した女性との恋愛感情を超えてしまった感がある(この映画のキモ)。スパイ映画なのに、ひねりがないのか、非常にわかりやすい英語が使われていて結構理解できた。その後のひねりや自虐は、経済失速や反戦運動で(ストレートが必ずしも正義ではない風潮)生まれた文化かも知れないと思った。字幕の方はかなり割愛した表現で、僕の同時通訳と一致していたのかも知れない。映画よりもこちらの方に重点が置かれてしまった。
8月23日(火曜日)晴れ
今日も暑い。どうにもならない暑さ。草刈りに土埃が舞うのでマスクをしたが、熱が逃げず、危険を感じやめた。動作は緩慢となって作業はゆっくりと進むが何とか今日で草刈りを終えた。もうサトウキビの根に近い葉は茶色に枯れはじめている。次回の草刈りのタイミング前には葉を取り除く作業が必要になるだろう。明日からは台風の為の柵補強。温暖化で、台風や旱魃など自然災害のリスクが高まっている。素人細工でどこまで対応できるのか不明だが、応力の基本は目視で検討がつくから、脆弱な部分を見つけて補強を施せば何とかなると思う(かも知れない)。
そして、これが終われば多分時間にゆとりができると思っている。併せてコロナ感染者が県内百人を切るようになれば嬉しいのだが。そうなれば外出できる。
夜の音楽はマーラー3番/バーンスタイン、丁寧なリマスターの効果か?それともSEA7000の実力か?すごいホールトーンが記録されている。安易なBOX版とは思えない鮮度が詰まっている。SMEはちょっと異様な技術を投入したようだ。音だけでこれだけの説得力を持っている。「これは事件ですぞ」と思う。
8月22日(月曜日)晴れ
以前、アップルテレビの「テヘラン」を観た。全16話の長場で最後から2つ目のシーンでイラン革命防衛隊のボスの殺害を計画するが、直前に息子がボスの車を乗ることになって、結果、遠隔操作によって車のブレーキが効かなくなって谷に堕ちて亡くなってしまう。この長編物語のキモはここにあったが、昨日ロシアで起きた、Aleksander Dugin の娘殺害もDugin 氏が直前に違う車に乗った事により、計画は失敗し娘が死ぬ事になったのと全く同じ話。アップルテレビが渾身の力を振り絞って撮影した映画だけに世界には多くの視聴者を数えた事だと思うが、彼等はこの事件を聞いて唖然とした筈。「まさか」,No Way、ロシア語で「ни за что」(インバーシト)。映画テヘランではイスラエルの関与が疑われ、ロシアではウクライナの関与が疑われた。
今日は気温が高く36度、昨日比+1℃。この差は体感温度し随分と大きい。身体が意志通り動かない。ものすごくしんどい。汗だけでは身体の熱が逃げず、休憩には車でエアコンを効かせて冷やした。暑さに強いと自認してたが今日はダメだった。
頑張った褒美にハマチの子の刺身。脂はあるがしつこくない、冷えたハイボールによく馴染む。ピーマンともやしを牛肉でパリッと炒めたのもシャキシャキ感があって良かった。強力な援軍はマカロニサラダと南京の煮付け(夜須のお惣菜屋産)で充実した夕食だったのに、その後料理の先生が今日は法事でお弁当だったのでどうぞと散歩のついでに持ってきてくれた(コロナで法事が弁当に変わった)。流石にそれは食べられず冷凍。
今日は他にLINEを接続した。iPhoneの電話帳が全部登録されて通知された。これはまずいと削除。電話帳を全部削除した後、改めて申請する。そうすればiPhoneの電話機能が半減する。痛し痒しの関係。
8月21日(日曜日)晴れ
3時半に目が覚めた(それでも6時間寝ている)。食パンをセットして自分の部屋に戻り、マイケル・クライントン/エアーフレーム(原文)を読んだ。こちらはボルトンの書籍と比べて大変優しく、単語の意味をやや大雑把に解釈して訳せばある程度躍動感を持って読める。と言うか時間を忘れる程没頭できる。そのうちに眠くなるので、眠気が来て布団に直行。気がつけば朝の6時。午前中は英語、午後は食糧の買い出し、帰って草刈り。僅か2時間の作業でも水は1.7リットル。未だ日中の気温は真夏の35度(木陰)を維持している。今日は焼肉。うなぎも夏バテには良いだろうが、大量にかき込むとすれば焼肉だろう(と思うが、いつまで続くやら)。今日はビールなしで水。喉の渇きが激しいので水しかない。水を多く飲めばそれだけ目脂が出るが仕方ない。
夜の音楽は、ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲/バーンスタイン、気怠いこの曲を、高速列車で駆け抜けるような実に気持ちの良い演奏。
8月20日(土曜日)晴れ
昨日は調子に乗って張り切りすぎたのか、夜の9時に寝て、起きたのが6時過ぎ。寝過ぎて疲れた。横になって寝たせいか腕が痛い。今日の農作業は少し抑えよう。身体はエンジンと同じで使ってないと動かなくなるが、使いすぎると痛む。その中間の適度に使っていると調子が良い。特に老人の身体はそうだ。しんどいから休むのも良くない、厄介だ。
24日は裏の大日様の大掃除だが雨予想なので、僕が草刈りだけは済ませておいた。その足で、サトウキビ畑の草刈り。多分草の成長ピークは終わった、次回からはもっと草刈りの間隔を空けられるはず。毎年同じことの繰り返しだからわかる、今年は水はけ用の溝には除草剤を撒いた、離れている上に、水は逆流してサトウキビの方向には流れない為、強情な草が枯れるので些か作業が楽になった。
夜の音楽はブラームス/ハンガリア舞曲集/アルフォンス兄弟。ジャケットが有名だったので中古レードを高知のシキデンで買った。名曲/名盤。2人で弾くがまるで一人で弾いているよう。フォルテシモの強打は特筆。CDでなくても高いダイナミックレンジが記録されている。完璧を極めた演奏なら、知らない楽曲も理解できる。これなら寝る前に「シンバルのシャリーン」を聴いときゃなきゃ的癖はなくても良い。
8月19日(金曜日)晴れ
朝はひんやりしていた、26.6度。日中は暑く少しだけ季節の変化を感じた。午後は文旦の草刈り。文旦畑に進出した竹に十分な除草剤の原液を注入して、来年は無いよねと念押しした。ついでに畑に近い竹藪の竹にも何本か注入して進出していけないよと言い聞かせた。来週チェックに行って、ご理解されてないようだったら更に注入を繰り返す。大概繰り返すと完全にご理解いただける。帰ってサトウキビ西上の草刈り、ここは1年目なのでサトウキビの勢力が周りの草に浸透してない、それで遠慮会釈なく草は奔放する。2週間に1度の草刈り。草刈りはほぼ日課みたいになって、少し分かってきた事がある。一つは頻繁刈るとと草の種類は一つに集約してくる感じ。2つ目には草には流行があって、昨年は「ひっつき虫」と呼ぶ草、今年は「力草」いずれも当地の呼び方。力草は背は低く、横に広がるタイプで、草刈機への耐性が強い、つまり、草刈りの歯と並行に茎が伸びるので、歯から逃げやすい。ちなみに上に伸びる草は草刈り機の歯と90度で当たるから、簡単に切れる。草はその辺りを考えて、エース級を投入した訳。彼等にも頭脳はある。
8月18日(木曜日)晴れ
朝のうちは愚図ついたが、そのうちに晴れ渡った。庭では千日紅とサルスベリが満開で見事。千日紅も集団で咲けば周囲の雑草の影響がなくなる、サトウキビと同じ現象が起きた。来年は庭一面に育ててみようか。花は仏壇に再び供えた。英語は進展はないが後退してないようだ。最低2000文字の翻訳が基盤として定着した。あと27ページで終わるがこの本は2段書きで、1ページは通常の2ページに相当するから、直ぐにとは行かないが、終わりが見えてきた。ボルトンの知性とトランプの奔放ぶりが如実に描かれている。又ジェームス・マチスの的外れも、ポンペイオの良識ぶりもあった。アメリカで政権に就職すれば、事件が刻々起きて寝ている暇なんか無い面白さがあると思いましたね。それを追いかける多分マスコミも同様だろう。この書籍は一語一語の意味を咀嚼しているので、深読みもできた。随分と時間を食ったが僕の人生には必要な事だったと思う。
夜、小澤征爾のウィーン国立歌劇場を紹介するのと、歌劇「フィガロの結婚」の見方を紹介する番組を見た。その時に、他言語を操れる能力について話されていて、まだ些か能力に欠けるもの、やっぱりこれは必須事項だと思いましたね。
午後から草刈りを行うも、2リットルの水を飲み干せなかった。明らかに季節は変わり、夏は今日から後退し始めたと実感した。
8月17日(水曜日)曇
多分であるが、同じ年齢の人と比べて僕はかなり激しく体を酷使している筈だだし、大量の水を飲んで続いているのは、多分夜の睡眠と食事の影響かなと思う。
料理の先生と知り合って極端に野菜の種類が増えた。大汗と一緒に抜けてゆくビタミンがこちらで供給されているはず。と言うのは翌日に疲れが残ってないから精力的に動ける。今日も計画通りに沖の田を叩き、西下のサトウキビ畑の周りの草を刈った。曇っていたが水も計画通り2リットル飲んだ。
Amazonからハブが届き、おうちジャンプが可能となった。これを機に夜はハブの電源を切り、クイックスタート機能も切った(勿論おうちジャンプも不可能に)。必要な時は設定を変えれば良いと思う。と言うのもDIGAは使ってない時にも凄い発熱量があるのでびっくりした為。
夜の音楽はベートーベンピアノ協奏曲4番/バーンスタイン。ピアノは、なんとグレン・グードルだ。ホールトーンが全体に乗っていてCDでも十分干渉に耐える音。この曲はマリア・ピレスのピアノでベルリンで聴いたのが印象的だった。指揮はバレンボエム。マリアは緊張もなくサラッとオーケストラに合流した。これがベテランと呼ぶべき存在なのかと変な所で感動した事がある。まぁテレビでしか見たことのないフィルハーモニーホールで聴いた喜びも加味しなければいけないが。
8月16日(火曜日)晴れ
DIGAの「おうちジャンプ」が出来ない、色々試すと、母家のスイティングハブが壊れていたのが判明。おうちジャンプは同じハブ内で無ければ動作しない為(僕のいる離れには親のルーターがあって、そこにスイッチングハブが1個ありDIGAに接続、さらにLANケーブルで母屋のスイッチングハブに供給し、そこに母屋の番組録画用DIGAにつながる)。早速Amazonで注文した。併せてPlayStation3をサブ2号機のAV機器に接続し、アナログ接続(今まではHDMI)、アナログ接続の方が音良い印象。気を良くしてソニーBDPS370もアナログ接続し、SACDを聴く。音が良くなったのはプリアンプ交換なのか原因不明だが、気持ち良くなったから良しとしよう。こんな安価な機器でも耳をすませば耳慣れない楽器が聴こえて、さすがSACD(今回はマーラー2番目/ノイマンチェコフィル)だと感心する。SACDは高域が空まで抜ける感じだし、背後で僅かに引くベースのピッチカート音もその気になれば聞き取れる。こんな複合機でなく、専用機を買ったならどうなるのだろう。一生かけても聴ききれないディスクがあるのに、さらに購入して増やしているから、早くSACDを入手すべしだろう。しかも今回は単なるテスト試聴なのに普段気がつかない楽器の発見とかがあって、ディスクは記憶だけでなく、新たに聞き直す必要が有るかもと気がついた。
今日は室戸岬で大風が吹いた。サトウキビのが倒れると収穫時大変なので倒れない様に柵の補強を行なっているが2番目に大きな畑の半分を済ませることができた。水2.5リットルと引き換えに。靴の中に汗が溜まりチャポチャポ音がしていた。明日から草退治に1週間作業休み。
8月15日(月曜日)晴れ
朝からネット構築。ルーターを交換すると最初から設定のやり直し、契約書を取り出して再設定。新しいルーターは前のルーターの設定をWAPSで転送できる便利な機能が付いているのを設定した後から知りました。残念だけど。設定が間違いなくできて一安心。それでも1時間をくったので、英語の翻訳は2000文字止まり。
午後からの気温は異常なほど上がって、母家のLAN回線の設定は汗まみれになった。今まで都度構築していたのを一掃し整理し直した。その後きまさごの柵の支柱と西下の柵の支柱に取り掛かった。LAN再構築が出来たので気分が良く、夕食は普段よりもさらにゆっくりと味わって頂いた。何だか久しぶりのような感じだった。
その余裕で夜はLPでスメタナ/わが祖国/クーベリックを聴く。時々今まで聞こえてない楽器があったりして頬が緩む。
8月14日(日曜日)晴れ
ネットが使えないのは不便、これだけ不便だとは。都度携帯の電波を使って通信。一番はヤマダ電機に行ってアンプの修理を依頼し、ルーターを買ってくる事。安芸市行くからついでに曽我さんにお土産を渡した。帰って5時だったので、裏のお墓にシキビを供えた。筒が倒れているのは穴を掘って埋め直した。たったそれだけの作業だが大汗をかいた。夜の音楽はどうしようかと迷ったが、YAMAHAのプリアンプの代わりに、テクニクスのアンプSU-C2000で代用する。ところがこれがワイドレンジで、低域の量感が増えYAMAHAよりも良い。アンプが治ってきてもこの場所に居られない。別の所で働いてもらうよりない。こんな事、仕事の面でもよくありましたね。
少し調子に乗って遅くまで聞き込みました。
8月13日(土曜日)晴れ、雨
あと少しできまさごの柵の支柱が完成と言うところで雨が来た。もう5時だったので風呂を焚いると、雷が鳴り出した、たかを括っていたが、次第に近づいて来て大きな音がした。身体が汗で濡れているので、普段はオーディオ、パソコンのコンセントを抜くのだがそのままにしておいた。一旦停電になったが、すぐに回復したので雷は問題なかったのかなと思っていたら、夜確認するといろんな機器が動かなくなっている。どうやら大変な被害が発生しているようだ。雷のせいだろう。先ずはルータが動作しない。次にプリアンプのYAMAHA CA5200の電源が入らない。こちらはネット回線からの影響なのか、FMアンテナからか不明。最後にiMacの電源が入らない。こちらは雷なのか、この部屋の熱の影響なのか不明。iMacは2度目の故障。この機器は随分と問題が多い機器だった。書籍を読む為に買ったつもりだが、ほとんどはiPadで済ませているから、iMacの出番は余りない。だが処分するのももったいない。どうしよう。ネットが使えないので必要な時だけモバイルデーター通信に切り替えた。お金がかかるけど仕方ない。さて、明日はきまさごの最後を仕上げて、西下の2番目に大きな畑の支柱を作るつもりだったが、予定変更、まずは屋内LANの再構築だ。そして反省は宅内の長いLAN配線は雷の電磁波を拾うことと肝に銘じ、見直しが必要。2つ目にはFMアンテナは廃止する事。もうFMが無くても聞くべき音楽はたくさんある。今まで不思議と無事だったのは行幸か。
8月12日(金曜日)曇
そろそろ夏の天候が怪しくなってきて、朝夕の気温が違った。盛夏ももはやここまでか。身体も敏感に反応し、今日は1.5リットルの水で事足りた。1リットルの節約だ。先日まで休憩に身体の熱を逃すのに車のエアコンのお世話になっていたが、木陰で涼むだけで事足りる。今日は東北地方の前線の影響もあるだろうが、それが過ぎると季節が変わっても良い時期だろう。
夕食に「しんこ」を頂いた。メジカ(カツオの亜種)の子をしんこと呼ぶ。ややコリコリ感に欠けるが脂が乗って美味い。今しかない旬の食べ物。今年は料理の先生のお陰で旬の食べ物を多く頂いた。それだけ元気を貰ったと信じている。
夜の音楽はバーンスタイン/聖セシリアの為の頌歌/ヘンデル。僕的にはかなり好み。CDの後半になって気持ちが良くなってくる頃に、強い睡魔でたちまちダウン。70歳になって変わったことといえば、睡魔の堪えが効かなくなりつつあることかな。
8月11日(木曜日)晴れ
新聞によると、台風が週末に来るらしい。西日本への影響はないが僕としてはサトウキビの柵を補強し昨年のように倒れるのを防がなければならない。時間をかけて納得いく補強をしているので時間を要する。一番大きな柵は土曜日に完成する予定。2番目に大きな柵は日曜日に着手するつもりだが、草が伸びているので判断に迷う所。草退治にシフトすれば4日間くらい頓挫する。何にしても。8月中には完成させるつもり。完成後はかなり負担が減るから出かけられる余裕もある。
コロナワクチンの接種日が9/30に決まった。3回目の3/2から7ヶ月空く。10月になればコロナ対応は解禁で(個人的に)、仕事も楽、それでテクニクス会、名古屋の友人に会う大旅行が決まっている。ついでに東京まで足を延ばすのか?こちらは未定。特に名古屋は、T君に静岡のT氏が駆けつけて3人の懇談会。翌日は焼肉の文福でHご夫妻と静岡のM君が駆けつけて懇談会で大行事。岐阜3名の友人に会えるか調整中。もしくは岡崎のO氏。何れにしてもそれまではじっと我慢の子でコロナを回避しなければならない。
8月10日(水曜日)晴れ
昼間は晴れたが夜は雨が降っている。心持ち朝のクマゼミ合唱が収まって、午後からツクツクボウシがあちこちで点在するようになった。モズがたか鳴きを始め、猛暑の中ソロソロ秋の気配が漂った。暑い暑いというがどれくらい昨年より暑いか、新聞によると3度くらい。これは結構な数値。何もかにも変わってしまったと、農家のおばさんが病院で嘆いていたのを聞いた。経験が作物には大事だから嘆きは大きいだろう。一方僕のサトウキビは例年になく良い、このまま行けば最高記録を樹立できるかも知れない。暑さのせいかもしれない。サトウキビは他の作物と違って、太陽光から二酸化炭素を吸収する数値がすごく良い。まぁそれがあの糖度に変わるわけだが。
夜は久しぶりにポータブルCD→ヘッドフォアンプ→AKGのヘッドフォンで音楽を聞く。滋賀の友人に手紙を書く為。手紙は4日間くらいかけて書き、今日が最終チェック日。毎回送られてくるCD評を書くのに時間がかかる為。ほとんど知らない作曲家と演奏者。ネットで調べれば、その世界のフリーク達が熱意を込めて書き込んでいる。ベートーヴェンやモーツァルトは正しい(と思う)評価を探すのに時間がかかるが、マイナーな曲は思い込みの少ない評価を探すのに時間がかかる。こうしてA4、5枚くらいに近況を含めて書き込む。この人が唯一の手紙を書く人で、他はメールで済ませられる。手紙は文章が精査できて駄文がないが、メールはかなり恥ずかしい文章がある。フェイスブックの登録はその中間。
8月9日(火曜日)晴れ
こんなに腰が軽い。今まで一体何だった?僅か20分で痛みが飛んでいった。みんなに親切にしてあげたい気持ちになった。それだけ雲が一掃された感じ。頭もすっきりとした。
午前中英語の時間もなんとなく楽しい、ところが役場の人が来て、西谷(きまさごの奥)に砂防ダムを作るから、我が家の土地を提供してと来た。僕の大事に育てているサトウキビの畝1列を提供しろと言うのだ。それはできない。取り敢えず現場を見ようかと案内し、地図を広げると、ずっと西の端にある日当たりの悪い使ってない畑の提供になるようだったのでOKした。
しかし今までかつて土砂崩れが発生したことはない谷になぜ今砂防ダム?つまり1000mmの雨が降っても大丈夫な谷に、一体何ミリの雨を想定しているのだろう?そんなことがあったので翻訳は3000文字で終えてしまった。
午後はサトウキビの柵の支柱立て。小口をしっかり立てれば風に強いはず、その理論を今年の台風向けて実践するつもり、まぁ素人判断ですし、他所の農家が捨てるビニールハウスの廃材で組んだ補強なので心もとないのもあるが。
8月8日(月曜日)晴れ
健康年齢72歳(男性)の平均は大事だが、70歳を迎える直前から腰痛が激しくなって、座って英語を勉強するどころではなくなった。それで、村医者に行った。「前回のレントゲンで骨は大丈夫、注射でもするかね?」「注射は要らないが他にないかなぁ?」「電気をかけるかね?」「それをお願いしようか、それと湿布は効くから処方願います」待つ事30分。先ずは10分腰を温め、その後電気治療をしますねと整体師。アルコールで拭き電極を付けると、痛いようなビリビリ感。肉が震えている。我慢するのか、声をあげるかどうしようと迷ったが、兎に角我慢した。10分間のタイマーが鳴って終わった。すると?何だ?この軽さは?今までの腰痛が嘘のようだった。整体師はいつでも来て登録をすれば利用できると言われたが、僕の感じとしては、これで完璧に回復した。
料金を支払う時、2割か3割か聞かれたが、不明。パナソニック健康保険に電話するも夏休み。取り敢えず精算で次回補正するとの事。
帰ってからの農作業は楽しかった。これでどんどんできるぞ。
8月7日(日曜日)雨、晴れ
テレビ会議があった。コスモスベリーズOB会の。近況報告があって前回の参加者はほぼ同じことを言っていた。新規参加者は写真を見せたいとか、未参加者に対する告知方法など提案された。元会長は会社の事を報告したが、音声が途切れて判読出来なかった。次回報告会が開催されるという。この会議には同じ世代の人達がどんな過ごし方をしているのか興味があって参加している。でもニュースはない、それが安心なのか不満なのかよく分からない。僕の不安は誰かが何かやっている、それを知らないこと。置いてきぼりは居ても立っても居られない事だ。
午後かっぱ市場で「ヒメイチ」を買った。骨まで食べられる調理をヘルシオにセットした。他にゆず味噌もあるようだが、あいにくと今はゆずが無い。出来上がりは骨がやや硬くて厳しいってところ。味は極上だが。(翌朝残りを口にしたが、骨は溶けていたから、余熱で仕上がったのだろう)
午後きまさごの支柱の続き。今年こそは台風で倒れないように支えをしっかりと作らねばならない。念入りにビスを打ち込んでいる。もしこれで越冬できれば来年は随分と時間が余る。文旦と柿に手を入れよう。サトウキビの植え替えも出来よう。色々と楽しみは広がる。年間収入を150万円に設定も出来るかも知れない。楽しみは広がるが健康年齢は72歳と報道された。今しかない。そして今日はサトウキビ仲間のジッちゃんに会った。92歳。まだ現役でサトウキビを栽培している。72歳限界説は贅沢かな?
8月6日(土曜日)晴れ
毎日、日経新聞で数字を拾っている、その数字の中には高知県の農産物も含まれていて、ピーマン、ナス、オクラ、ミョウガ、ニラなどがある。ところがここに来てミョウガがめちゃくちゃ値上がりしている。ちょっと買えないなと思っていたら、近所のH君が袋にいっぱい持って来てくれた。精々食べても1個か2個。これじゃ半年分あるぞ。料理の先生に預けて調理を頼んだ。
午後は、EOS R5に100-500mmのレンズを装着し、ユリの撮影に出かけた。丁度今がピークで白い花を咲かせている。結構綺麗だし、緑の草が繁茂する中で一頭地抜けた顔を出し威容を誇っている孤高が気持ち良い。キャノンのレンズは絞りと距離によって背景が旨く写らない性能を持っていて少し難儀。たくさん撮影してたくさん捨てるのが流儀か。
その後サトウキビ畑で草引き、腰痛で厳しい。その後草刈り機で草を飛ばす。疲れ果て、夜の音楽は無し。滋賀の友人の送ってくれた祇園祭の写真拝見。キャノンパワショットS120で撮影したもので、1200万画素。27インチのモニター画面では甘い画像、手ブレ、ピンと外しが散見。昔のカメラで動きものを撮影するのは苦痛だったのを思い出した。
8月5日(金曜日)雨、曇り
どうあがいても英語は遅れ気味。でも、僕としては特筆すべき新発見がある。英語は書かないと覚えられない。それで辞書で牽いた英単語はノートに書くようにしている。が、頭がついて行かず、何度も同じ単語を書いていることがある。何とか出来ないのか?そこで、手書きのノートをOCRスキャンでテキスト化し、それをエクセルに取り込んでソートをかけると、何と自分のオリジナル辞書の完成する。そしてエクセルのクイックアクセスバーにセルの読み上げを登録すれば、英単語の発音も確認できる。それは全く自分流の電子辞書ではないか。かと言って英単語の語彙が増えるわけではないけど。
午後は雨上がりでうるさかったが、みかん畑の草刈り。太陽がなく何とかなる。今日は、早めに切り上げ風呂を焚く。18:00から財産区の会議というか懇親会。会長が辞任し次の会長へのバトンタッチの挨拶会だった。会長は芸西村役場の議員も辞職するとの事。ボケなければ良いと皆んな心配。折しも今は芸西村の選挙が迫っている。12人の立候補で10名選出される。その噂話が花咲く。僕は生涯の中でこれほど選挙の内幕について聞いたことはなかった。確かに政治とはこのような密室から生まれるものだと確信した次第。人間の持つドロドロの世界だった。
8月4日(木曜日)晴れ
この頃英語が少し遅れ気味、今朝は少し早く着手して挽回までとはいかないが、日課を果たそうと奮起するも、友人が来て頓挫。まぁ僕は何にもしてなく家の中で涼んでいるらしいから、訪問して慰めてあげようと思われている節がある。淳子ちゃん宅を訪問する理恵ちゃんもそんな感じ。もう少しドラマ風に仕立て上げれば、こんな田舎でも小説として田舎の風景を表現げきるかも。
ところが高知県を舞台にそんな物語がアニメとなって登場し、そこそこヒットしたのがある「竜とそばかすの姫」高知県高岡郡越知町片岡沈下橋付近が舞台のドラマ、アバターとなって大人気になった高校生「すず」(何とその高校のモデルは都立武蔵野高校らしい)のアバター名は「ベル」(なんの捻りもないけど)。これをアマゾン・プライムで観た。中々感動させるアニメだった。この映画を見れば現地に行ってみたくなるのが人情ってもの。伊野町から仁淀川を上って途中からさらに分岐する山奥、映画のように電車の駅は近くにない、一番近くのJR波川駅が登場するが片岡沈下橋から車で30分も要する不便なところ。とても映画のように郷愁が感じる地区ではない、それでもこのような、ど田舎が舞台になる背景には、都会では物語が生まれにくいのか、斬新性がないのか?細田守監督が頭をひねった(だろう)。確かに田舎は人との間隔が狭いから人間像を描きやすいと思う。
8月3日(水曜日)晴れ
あまりはっきりしない天気、こういう時は風が吹かず大変。朝からエアコンのお世話になる。英語は理解が進めば進むほど深みが増して難しくなる。到底自由には使えない限界が見える。文章をよむとか、聞くのは未だ努力のしがいがあると思う。ツクツクボウシも鳴き始め、東北では大雨が降って異常気象。ニューヨーク州でも先週大雨。石油石炭燃焼で温暖化が進み、北極のメタンガスが噴き出して益々拍車がかかる、これから先の気象はさらに危なくなる。書籍によると、持続可能な節度を持つ生き方をヴォークが提唱し、技術開発で克服する生き方をボーローグが提唱し、リン・アメリアはどっちにしても人類は自然を制御できないから、過去の生物と同じであるから消滅の運命を辿るから、足掻いても仕方ない。と3つの生き方があるようだ。
午後は文旦の草刈りに出かけた。前回からの空白は3週間目に突入しようとしているので危険信号が点った。直射日光は厳しく測れば50℃を越している。その上、防虫ネットや透明のフェイスカバー、前垂れ2枚など厳重に身体を覆って体温を発散しようがない。2リットルの水は2時間で身体を通過した。他の栄養成分も一緒に流れているだろうな。
夜は身体が熱を持って、エアコンを効かせても蒸し暑かった。
8月2日(火曜日)晴れ
今日も暑い日、だがキッパリと晴れて冷房なしで過ごせる。自分で決めた設定温度32度超えでエアコンを入れた。蚤の襲撃はトイレに発生源があるようだった。が、ハッキリとした原因は不明。午前中は英語、午後からきまさごの柵の支え打ち。海岸の散歩を止めた為か午後の作業は辛くなくなった。ただ猛烈な汗で2リットルの水を飲んで胃がやられている。対処は冷たい水を止めることだけ。身体が熱を帯び、風呂に入ることができず、ただただ冷水を浴びるのみ。水道の水は生温く、井戸水を被る。こちらは縮み上がるほどの冷たさで、徐々に体を慣らして浴びるようにしている。
今夕は食事を早めに切り上げて、新潟県の長岡市に行った(つもり)。ここで花火大会が開催される。部屋をギンギンに冷やし、100インチのスクリーンで4kの花火を観る。以前友人と大曲の花火を観たが暑かったし横にもなれない狭さだった。今日はソファに横になってワインを頂く。音は、5.1ch。放送は22.2chだが、受信設備はない。それでも大迫力。こればかりは小さな画面では、あぁ花火大会があったね!となるが、100インチではかなり現場の雰囲気が再現される(自己満足)。落語家の立川談春氏がわざとらしい演技で興ざめ、編集で彼のみを取り除いた。落語家らしい機転の効く言葉も無かったし。
8月1日(月曜日)晴れ
茹だるような暑さが続く中、ウクライナのドネツクの住民には全員撤去の命令がゼレンスキー大統領から下された。調べると緯度は48度、稚内よりも北のサハリンに位置し、カナダのバンクーバーよりも少し南。そこでは9月1日に最低気温が13℃に低下する。決して今が早すぎはしない。そう言えば高知は今から盛夏を迎えるが、後2週間もすれば朝夕はすごしやすくなる。
昼から除草剤散布。草刈りもするが家の庭とか溝とかは草刈機が入らないから。それから日課となったサトウキビに散水、やっと先日植え付けたサトウキビ(子供)もなんとかありついた感じ。葉が丸く巻いていたがやっと開いてくれたようだ。
サトウキビの師匠から電話、「トウヤクがあるから、取りに来い」新鮮な採れたての魚、いただいて帰りチルド保管。その足で高知のイオンへ。「ジュラシックワールド」のレイトショーを見るため。僕は年齢とともに意固地さがますます強くなったせいか、この映画をまともに評価できなくなったようだ。①恐竜は爬虫類で体温の調節ができない。雪の上を歩く事なんて不可能。②それゆえ、運動量も限られていて、ほぼ瞬発的なことしかできないのに、バイクや車を追いかけたりしている。③隼が急降下する時にやっと出せる速度が300km/時。それなのに飛ぶ恐竜は、飛行機を追いかけて打撃を加えている。飛行機は時速500km以上は出るのに。④繁殖したバッタを殺すのに火を使っている。昆虫の殺傷は農薬だろう⑤恐竜の脳は小さい、それゆえ人に懐くことはない「ブルー」がオーウェンに懐いているのはおかしい。⑥人が踏んで割れそうな氷の上を大きな恐竜がオーウェンを追いかけて来る。氷は厚いのか、薄いのか?どっちだ。このあまりの馬鹿さ加減に映画を興ざめさせてしまった。簡単にどんぱちで迫力を出すのではなく、恐怖や戦い方に工夫をする練りが必要だったと思う。知的アクションが必要だろう。
最後にこの映画は子供向けでもあって、分かりやすい英語が使われ、字幕はなくてもはっきりと理解できる部分が各所にあった。
7月31日(日曜日)晴れ
須崎市には線状降水帯が発生して大雨、雨は南国市まで近づいてきたが、芸西村は24時間雨量が11ミリのままだった。午前中は英語と沖縄旅行記を書いた。MacBookpro INTELi7 CPUだが、メモリー16Mで動きは快適。昼食後「魔術師と預言者」を読んでいたらいつのまにか眠っていた、首が傾き痛いなと思ったら目が覚めた。随分とお疲れ。午後はきまさごで柵の支えとなる支柱を打ち込む作業。ものすごく暑い。汗が噴き出て水を飲むも追いつかず車でエアコンをかけて涼んだ。穴を掘る作業は疲れが激しく、再び車で休憩。このしんどさが結局70歳を越して無理が効かなくなった証拠だと結論づけた。が、5時を回って気温が落ちるとたちまち元気が湧いてきて、あれは熱中症だったかも知れないと思った。この夏の暑さは異様だ。NYタイムズはアパラチア山脈近辺の洪水を報道していた。こちらも異常気象だろう。読み始めた書籍は、この異常気象に、「経済の縮小」で応える方と、「テクノロジーで克服する」方との選択肢を提供するもので、1000ページの大書籍。僕は書籍を読み終えなくても、異常気象の行方は何となくわかるような気がする。2050年の人口100億に達する前に人類の破滅があるのではなかろうか?と。地球上の全人口が政治や人種や宗教に関係なく一生懸命にエネルギーを燃やして住みにくくしている。これじゃ持たんぞと思うわけ。僕の死後の事であるが、この結果は聞きたいな。
7月30日(土曜日)雨
台風の影響を受けた雨、時々風も強く吹く。だが午前7時まで寝てしまった。それで疲れが飛んでいった気がする。当分は自分のスケジュールで行動出来る。ゆっくり新聞を見て食事の後英語に取り掛かったのは10時過ぎだった。少々遅れ気味だが遅れたからと言って誰に迷惑がかかるわけでもないし、テキストを出来るだけ理解しよう。英語は14年間勉強してきて3歳の子供にも劣る語彙力しか無い。今更焦ることなんか何にもない。自分が授けるだろう勲章が少し先に伸びるだけ。「神の方程式/ミチオカク」を読み終えた。この世には4つの力があって、それをアインシュタインとファラディが明らかにしたが、それを1本の計算式に統合できないか、出来る道があるかもしれない、それが「ヒモ理論」かもしれない。その話を物理学が誕生する14世紀ごろから紐解いている。それが解決できたとして世界は変わるのか?いや、変わらないだろうね。でもいずれは解き明かされるだろう、数世紀後?。と締めくくる。中々重い内容を軽く表面を撫でてゆく。深読みしなければ、なかなかの良書。日経新聞の書評面でもわかりやすいと高評価。さらにこの本ではビッグバン(宇宙の創生)以前のことにも触れていて中々幅が広い。
7月29日(金曜日)晴れ
今日は忙しくて英語は頓挫。朝お墓参りの準備をして、10時からお寺さんに来てもらい、7回忌の供養をしてもらった。本来は7月5日に済ませるはずだったが、お墓の方は悪天候と他の行事で延期になっていた。
炎天下だったので、作業用の扇風機を設置した。自宅から30mの電源コードを2本伸ばせば、何とか足りた。無事済ませ後片付けを終え、12:30ジャノメミシンのセールマンを迎えた。Gパンの裾直しが出来るミシンが欲しいと言うので持ってきてもらった。一番安い機種を望んだが、Gパンは無理だと言われたその上の機種になった。前の機種で糸通しのやり方を取説で見てよくわからなかったが、説明を受けると理解できて、その後取説を見れば難しくなかった。つまり、よく慣れた人が取説を作ると、(ミシンについて)常識の上の表現なので、素人には分かりにくいと言うこと。糸は数字が大きければ細くなるが、針は逆で小さくなる。針にも糸にも専門業者があって、メーカーの指定機種がある。機種の中にはミシンの外装をカメラ仕様にした20万円モノもあって、この感覚は昔のオーディオメーカーの感覚だった。後個人的な事でセールスマンは、車と燃料も自前、駐車場料金も。大変そうだが、きっとその方が節約するだろうと会社の読みもあるだろう。
夜はお坊さんと友人を交えた懇親会。今日はお坊さんの小学生から社会人になるまでの話を聞いた。8歳の年上だが、師は高知県の山奥で育ったこともあって、随分と生活環境が違っていた。
皆んなが帰った後、イタリア映画「ファルコン」を見た。よく分からないが、無茶苦茶な刑事2人がマフィアと絡み逃げられなくなって、2人の間に亀裂が入る。後で評価記事を探索したが、僕が観た以上の深読みはなく、「よく分からない」がこの映画の総評かもしれない。観ている時は、何かが隠されていると勘繰っていたのだが。
逆にいえば、このようなよく分からないが映画を深読みし、一筆書けるだけの語彙を持つのが映画を見る意義かもしれないと思った。
7月28日(木曜日)晴れ
押し入れの布団を布団圧縮で整理した。3軒ある自宅の押し入れの中が布団で一杯で押し込んでいた。それを僅か500円/1枚の出費で旨く手なずけられて棚に布団が整理でき空き空きになったことは喜ばしい。今まで全く気が付かなかった。昨日同様に蚤退治は完璧に取り組んだ。改善されているるのか不明。しばらく続けるしかない。一方でサトウキビの新芽を植え付けしているが、その際かどうか不明だが、小さな蟻に刺された。電気が走るような痛みがあって、急いで家に帰りズボンを電子レンジにかけると小さな蟻がポロんと落ちてきたので犯人はこれではなかろうかと。凄い痛みだったが、夜になると直径5cm位の腫れになっていた。触るとヒリヒリと痛みがある。医者に行く必要性がないだろうとの素人判断。太陽は強くじっとしているだけで汗が流れ落ちる。水は2リットル皮膚からこぼれた。夕刻日が落ちて琴ヶ浜を散歩。腰痛は運動不足から来ているかも知れないと思い。
食欲はなく、そうめんを献立て食した。昨晩も夜中に痒みで起きたから、睡眠不足もあって、夜はコトンと落ちたが、再び11時半痒みで目覚め蚤1匹を退治。
7月27日(水曜日)曇り
降るかな?少しだけ降ったが後は曇って午後にはとうとう晴れた。夜寝ていると急に酷い痒み、電子レンジにかけるとノミが数匹落ちる、それを確認するのが楽しみになった。寝入って直後の事なので、覚醒には時間がかかるが。又、衣類はその都度何度でも電子レンジにかけるとノミの死骸が発見できるから、一度クリーニングするだけで良いというものではないと言うのも分かった。洗濯機や掃除機のフィルターはビニール袋に入れて一度冷凍庫で冷やした後取り出すと、ノミが死滅してて良い。寝具は全部夕刻にコインランドリーの乾燥機でクリーニングする。痒いのを我慢できず足からは血が流れる。「ムヒ」は効果なく、腰痛に貰った湿布薬を貼ると、その辺一帯の痒みが抑えられる。まぁ大変な日々を過ごしているのです。
夜はジャズに切り替えた(未だ聞いてないクラシックレコードが沢山あるが)。以前格安なので買ったクラークテリーの4枚組CDセットを聴く。流石にいい音は望めないが、しばらくすると味みたいなものが聴き取れるようになって気持ち良くなる。もうその頃には睡魔が襲って来て、後少しこのままで居たいが我慢できずダウン。これが70歳の限界か。
7月26日(火曜日)晴れ
昨晩も2回痒くて起きた。その都度蚤退治。一体何匹いるの?もっと真剣に取り組まなくては、寝具は洗った後コインランドリーの乾燥機にかけた。洗えないのは布団は掃除機のレイコップで吸った。台所にはバルサンを焚いた。ノミに対し二つの誤解があった、一つは電子レンジで1分30秒加熱すれば死滅する思い込みは。→2分まで延長しないと死滅しない(それでは下着が焦げる)。水に漬けると溺れて死ぬ→洗濯機だけでは死なない、ゴミフィルターに掛かって生きている。少しづつでも退治が進み無くなる事を待つしかない。一度噛まれると3日くらいは痒い、1日に何度も噛まれているので、累計で全面的に痒い。
サトウキビ畑の草刈りで昨年は車の窓ガラスをを割ったが、今年は住居の窓ガラスを割った。余計なお金が発生する。草刈りは安全を期して完全防備で臨み、暑いが仕方ないと思う。しかしあまりの暑さに注意散漫となってこんな結果になった。
SL-1015がとうとうこの暑さでやられてしまった。今更ながら新しいレコードプレーヤーを買うべきか?取り敢えずSL-1200LTD が動いているので我慢しよう。先にSACDプレーヤーでないのか?と葛藤。でもCDを聞く限り現行のソニーX7ESDで全く不満はないし。むしろCDを聞く時間がないのが問題である。
そういえば、午前中の英語を始めてから趣味は完璧に頓挫している、残り少ない時間をどう使うのが効果的か?英語はどうやっても進化しないのがよくわかった。現地に住まないと絶対に聞き取り出来ないし、慣用句の使い方が分からない(runとかsee)日本の教材で江戸時代の英語を勉強しても意味がないとも思う。一方で岩にしがみつくように固執しているのも悪くないとも思う、英単語は覚えられなくても日本語の語彙は増えるみたいだから。まぁこちらも迷っているのですが。
7月25日(月曜日)晴れ
ノミの勢いは衰え知らず、朝起きるとあちこち新規に噛まれている、旧来の痒みも加わって大合唱だ。掃除洗濯を欠かさずこまめに施し、どこかでヒットするのを待つしかない。痒くて目が覚め夜も上手く寝られないのは辛い。頭が呆然。午前中の英語も中々進捗せず、11時に風が部屋を抜けなくなってエアコンのお世話になった。イタリア旅行記も編集し直しているが頭は混濁。でも傑作本が出来そうだ(自分でそう思うだけ)ただページ数が多いので製本は無理だろう。午後、ディナーで料理の先生に「ラタトゥイユ」を振る舞う事になって食材購入。その後、植え付けをしたサトウキビに散水する為、動噴やホースなどを準備して本格的に取り組んだ。それまでジョロでチョロチョロやっていたが、この炎天下続きでは歯が立たなくなった為。その後草刈り。西下完成。お風呂を沸かす間ラタトゥユの準備。風呂はガンガンに沸き冷たい井戸水で薄めて入浴、下からガンガン湧いてくるので水は掛け流しの全開。公共の水道水ではもったいなくて出来ませんね。料理は上手く仕上がってお褒めを頂いた。
夜はジャッキーマクレーン・クインテットSJ選定版を聴く。LPは帯域が狭いけど良い音が出てくるので気持ちが乗る。一方CDでは聴きなれない音が出現したりして解像度抜群、どっちに軍配をあげたら良いのか迷う、その迷いが一番楽しい。
7月24日(日曜日)晴れ
蚤を6匹殺した。それでも痒みは止まらない。どこから来ている。昨年も、その前も被害に遭っている。こまめな洗濯が一番効果があった。捕まえた蚤はレンジで1分加熱すれば完全に死んだ。服や下着を加熱する時は1分30秒を実行している。洗濯してもそのまま居着いたのもあったので、柔軟剤を入れることにした。油面が昆虫が浮上するのを抑え込め、虫類は水中で窒息する。その繰り返しで少しづつ退治してゆく他無い。この事がなければ、良い天候だし、サトウキビの生育も順調だし言うことはない。英語の勉強の合間にシベリウス1番/サイモンラトル/ベルリンフィル/ハイレゾを流したがキレが良くて実に良い。昼から安芸市に出かけた。パン焼き器の羽を生ゴミと一緒に捨ててしまったらしいので、部品注文の為、同時にUSB-Cケーブルを2本購入するため。先日Amazonで新しく買った充電器は小さくても45Wの出力を持つ。Ganをスイッチング素子に使った為小型化が実現できている。ギャンは電車の制御など商用設備からと思い込んでいたが、そうでもないらしい。コストがこなれるといずれ降りてくるだろうが、このように下から上がってゆくかもしれない(テクニクスのアンプにも使っている)。イノベーションは止まらないから、どんな分野でも安泰はないだろう。もう70才、ビジネスに身を置いて仕事をすることはないだろうと思っていたら、20年前の営業時代、全国のプロモーターが集まった会議で、僕は一生懸命商品説明している夢を見た。未だ働きたいのだろうか?
7月23日(土曜日)晴れ
入口に吊るしてある竹の洗濯竿の中に蜂が巣を作っていて近づくといきなり刺された。一瞬の出来事。キンチョールを持ち出し巣に振りかけ蜂も退治した。幸いに蜂は小さな種で、最初は痛かったがすぐに治った。蚤にもやられ散々。ピーカンの晴天で昆虫たちも種の温存に精を出している事だろう。今日から午前中の英語の勉強はエアコンなしで窓を全開した。風が抜け暑くないから。曇天や雨は気温が低くてもじっとりと汗ばむからエアコンが必要。室戸岬程ではないが、芸西村も海洋性気候なので高気圧が勢力を張り出す今は却って過ごしやすい。朝も気温が下がりエアコンは止まったまま。
午後はきまさごで草刈り。それを終えてその下段の草刈り。途中でお惣菜屋さんへ、今日は鰻を売っていた。2500円、2匹買って一つは親類のおばさんへ。一つは料理の先生を呼んで一緒に頂いた。僕の睨んだ通り、この鰻は美味しかった。こりこり感のある一級の味だ。
ビールを飲んだので、音楽は難しく「カールさんの古民家」を見た。勿論編集して良いところばかりを放映していので、納得しそうな番組だった。新潟なので11月~3月は対象外だった。(僕は騙されないゾ)
7月22日(金曜日)晴れ
「今度こそ梅雨明けだ」と自分で宣言したが、全国は一律雨模様。高知県だけが晴天に恵まれていた。今週になって蚤にやられている。昨晩なんか足の上に止まったのを捕まえたし、頭から腕に落ちてきたのも捕まえた。シーツや枕カバーを洗った。着ているものは電子レンジに入れて加熱した。毎年同じ被害にあっているのに対策がない。噛まれると水膨れになって痒いのと、掻いて潰れると膿のような液体が出て厄介だ。
今朝は朝まで全く前後不覚に眠り、目が覚めると7時間後だった。夜中に何があっても分からないのは少し危ない気もするが、爽やかな目覚めも悪くない。
午後は炎天下、トラクターで畑を2反叩き、きまさごのサトウキビの草刈りを17:00まで行った。鶯はまだ「ホーホケキョ」と鳴き農作業を慰めてくれる。(普通夏はチャッチャと鳴くが、異常気象で狂っているかも)
クマゼミはホンの数日前は単独行だったが、今日からは完全に集団活動で風情よりはうるささを感じる、これが本当の夏到来だが。立派な入道雲を追いかけて出かけたい気持ちを抑えているのは、芸西村でも7名の感染者が出たから。もう誰も信用できない状況。
ポストに選挙のカードが入っていた。高校生の友人であるY君のお姉さんが芸西村の村議会に立候補するので応援よろしくとメッセージが書いてあった。高校生の頃泊まりで彼の家に勉強に出かけた。隣の部屋は姉の部屋だった。僕らはタバコを吸い部屋の中は煙でムンムンしていた。その時姉は何とも言わなかった。憂のある顔つきをして廊下ですれ違った時の事。立候補のカードを見れば少々の物事には動じないぞと言わんばかりの顔つきだった。(実際にはお会いしてないので結論は下せないが)
7月21日(木曜日)晴れ
今日はだるくて眠い、午前中は殆ど居眠り、午後「ヒモ理論」本を読み始めたが、これも途中で居眠り中断。こんな事してては1日終わってしまうと、無理して草刈りに出かけた。今年は昨年に増して草の成長が異常で18日経過でも手に負えない成長。新聞によると熱波で農作物に被害が出ているようだし、バイオ燃料で儲けようとトウモロコシに転化しているとの事。どんな結末が来るのか不明。一方で化石燃料は異常気象で消費に火がついた。このままじゃ地球は持たんぞ。などとほざく僕は冷房をガンガンに効かせた部屋で音楽を聴いている。ギンギンに冷えた部屋で毛布を被りジャズを聴くのはたえられませんなぁ。中島みゆきじゃないが「そんな時代もあったわね」といずれはなるだろう。
コロナで出かけられないから、これでセーブエネルギーになっている筈だと独自の理論展開は誰も賛同してくれないだろうし。
JAZZピアニストのイリアーヌの不運は同じコンセプトで美人のダイアナ・クラールが急浮上した事だ。僕的には同等の技量だと思うが、彼女は高音質のアルバムを多出した。オーディオマニはこれに飛びついた。店頭でも使われ寡占化が進んだというのが実態だろう(と思う)。
夏は汗を流して炎天下でジャズを聴くのも宜しいし、逆に冷えたところでウィスキーを飲みながらも良い。もっと転じて北欧のシベリウスなど暗い音楽も凍結を呼び起こして良いのかな。何れにしても夏は音楽の季節だ。
7月20日(水曜日)晴れ
すべての月、すべての年/ルシア・ベルリン書評で絶賛。痛ましくて読み進めるのに苦労した。何度も止めようかと思った。短編集だがいずれの主人公も酒依存症か、麻薬依存症、立ち直っても直ぐに元に転ぶし、(主人公の私は)努力はなく敗退的。そんな主人公に同化して物語を読めるか!アメリカの低所得層は皆こんな感じなのか?どうか不明だが、高評価の裏にはこの敗退者への賛同者が多く居るのだろうか?僕は読み終えてホッとした。これ以上感情を乱されないから。
明日からミチオ・カク氏のヒモ理論。丁度130億年昔の光を発見したばかりで、文中に繋がりが見つけられるか?
師匠の奥さんが、僕が茄子の煮付けを買ったと、お寺の奥さんに話したようだ。お寺の奥様は、「まぁ可哀想に、私に言えば作ってあげたのに」と電話があった。手結にあるあの汚いお惣菜やさんの事で有る。今日も16時に行くと行列が出来ていた。あっという間に売り切れの鉢が出来た。そうです、ここのは美味い。申し訳ないが、庶民の奥様料理とは格が違うのだ。
それにお惣菜を頂くと倍返しで、お惣菜を買うよりもお金がかかり、それに費やす時間も負担だ。それは心の中の事で口外はしないのだが。
夜の音楽は、久しぶりにJAZZ。ジャズのレコードは最近買ってないなぁ。高知市にはCDショップも無いし。大阪に出かけていた頃が懐かしい。SJ選定版(相当古い)のイリアーヌのピアノトリオ。最新のJAZZはヒップホップなどを取り込んでいる(日経JAZZ特集)らしいから、敢えて新作を追いかける必要もないか。
7月19日(火曜日)雨
梅雨の末期的な雨。線状降水帯の発生も梅雨末期と同じ。どこが違うのか説明してほしいもんだ。一方睡魔も雨が降ると居座り、ここ数日は8時間直行型が主流を占めている。よく寝たなと言って起きる日課。午前中英語。この間にも居眠りして遅々として進まず、午後も続けた。だが翻訳速度に進化の兆しはなく、毎日同じところを行き来している。でもチャーチルと同じで「諦めない」。午後4時雨も上がり部屋の掃除。福岡のM氏から電話。博多のPayPay野球場で始球式があってVIP用の部屋で観戦し、懇親出来たことを話されていた。他にも黒川温泉の10万円の宿泊。コロナで話す機会が減っているから、電話では一方的に捲し立てる。
僕は今こそ「聞く」商売ができるのではないかと思う。(もしくは、そんな商売をする小説が書かれるはずだ)それほどみんな話し相手に飢えている。僕のように農作業と音楽や映画で上手くストレスを抜けないのだろう。
STEROSOUND誌SUMMER号を買った。もうすぐ読み終えるのはWINTER号。忙しく読書もままならず春号はPassしている。
夜の音楽は、ガーシュイン「ラフソディー・イン・ブルー」「パリのアメリカ人」/バーンスタイン。当時のLP2枚が1枚のCDになってプレスされている。真面目なリマスターが活き活きと蘇る。グラモフォンも頑張って全集を出してほしいなぁ。
7月18日(月曜日)曇
雨予想だったが、日中は曇りで逃げ切った。午後サトウキビの柵作り横串と、きまさごのサトウキビを紐で結えた。今年は豊作らしく、自由奔放に成長しているので、先日作った柵からはみ出る茎がある。それを束にして結え、柵内に収まるよう矯正するのだ。成長すれば外す。曇りだとは言えそれでも結構汗をかく。昨晩の残り湯で汗を流し、手結のお惣菜屋さんで4品購入。帰って本格的に風呂を焚く。薪は手早く切らなければ蚊に刺されるので大変。
極上の夕食の後、Amazonプライムで「ウインストン・チャーチル」を見る。主に1941年のダンケルク撤退の場面と政界を描いている。首脳陣はドイツとの講和を主軸に置くが、チャーチルは頑なに否定する。が、その根拠が描かれてない。もっと敵国の情報を増やし、なぜそう結論づけたのかを描画しないと片手落ちだろう。それを映画は地下鉄に乗って市民の声を聞いたのを理由づけにしたのは、この映画を狭量に見せてしまった。戦闘の場面はない、ただただチャーチルの言葉を綴った映像、最近はゼレンスキー大統領が、英議会でのオンライン参加時に、流用した。「勝つまでは譲歩しない」フレーズを。
映画の後、少しだけBS日本の唄(録画編集済み)をお部屋ジャンプリンクでシアターシステムで見た。100インチ4K。藤あや子の「北の宿/奥飛騨慕情」。4K至近距離でも崩れない藤あや子の容姿は感動ものです。ちなみに音声はAACだが、2KのAACとは規格が少し違い、しかも転送レートが少しだけ多く音の抜けが良い。僕のAVアンプはこの規格に対応してなく、「PCM」変換で再生することになるがそれでも違いはある。
7月17日(日曜日)晴れ
よく眠れるが身体が怠い。息をするのも絶え絶え。昨日見た、「ナイトオンザプラネット/ローマ編」で、後ろの座席に座る神父さんが途中で息絶えたシーンを思い出す。それ程生きる活力が減退してた。多分人はこの極端なお迎えが来た時に逝くのだろうと思った。それでも午後になると元気を盛り返して来て、未着手だった最後のサトウキビ畑の柵に取り掛かった。汗が滝のように流れるので、汗止めの鉢巻を巻いた。サトウキビは成長し顔にかかるので煩いし顔を切るので痒い。鬱陶しい作業だった。
シャワーを浴びてスーパーで食材を購入。トコロテンのお徳用を買ったら、それだけで腹が膨れて困った。無理やり、山芋のとろろ汁を流し込み今日はこれで終わり。
夜は、ブロムシュテッドとアルゲリッチのベートーベンピアノ1番を観た。丁寧なブロムシュテッドの指揮に対し、我が道を行くアルゲリッチが意を曲げて併せていた。でも3楽章で爆発し、アルゲリッチらしを垣間見た。4K録画だったので、後日大スクリーンで観るべきだと思った。
自分の部屋に帰り、ショスタコ5番をバーンスタインで聴く、作曲家の苦渋が1楽章に凝縮されていると評されるが、バーンスタインは明るい演奏のように振った。
ニュースもにならない何でもない僕の世界が又1日終わった。こうして平々凡々した毎日が過ぎて行き、いつか終わるのだろうな。まるで先日見た「ナイトオンザプラネット」のように。
7月16日(土曜日)朝は雨
ゲーム用椅子AKRACINGが届いた25kg、重い。家の前で開梱、パーツに分けて運び入れた。組み立てると大きな造作物で僕には少し不釣り合い。背もたれが大きすぎる。座面が高く下げても深く掛けると足が届かない。椅子面先に少しだけ掛けると足は届く。午前中は雨だったが、午後3時に雨は上がり柿の木の草刈り。2ヶ月ぶり、昨年もこんな感じ、今年は柿の勢力が強く実は大きく育つのか心配。帰って、浜辺を散歩3日目。右の腰の付け根が痛んでいたが、いつの間にか取れていた。足場の不安定な砂浜を歩くから、脚が思わぬ方向に捩れてリハビリに繋がったのだろうか?その疲れが響き毎日怠い。夜「ナイトオンザプラネット」を見た。ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキの夜のタクシーの中で繰り広げられる物語。それぞれには関連がない、終わりに何か結びつけのドラマがあるかと思いきやそれもない。最後に「ちょっと思い出しただけ」の歌が流れる。その歌詞が強いて言えば総括なのかもしれない。ただ一見では「訳がわからん映画」だった。Webでもストーリーは語れど感想はない。主なヒットはDVDを買わないか?の宣伝だけ。評価を書きにくい映画だった。
7月15日(金曜日)雨後曇り
朝は身体が怠く目覚めても起き上がれない。食事は肉類少なく野菜たっぷりの健康食なのに、それだけでは回復しない70歳の老人の身体かな。昼には元気が出てきて草刈り。文旦の草刈りをやっと終えた。累計7日間を要した。次にサトウキビの草刈りを終えれば、再び文旦の草刈りかな?草刈りはモグラ叩き。夕刻琴ケ浜を散歩した。先日の台風でアシがたくさん打ち上げられていた。早めに夕食を終えたので、「紅の豚」をLDで観た。このアニメはいつ観てもハードボイルド風で気持ちが良い。
7月14日(木曜日)午前中晴れ
結局梅雨は上がってなく、ぐずついた天候が続く。6月に梅雨明け宣言が出た時、暑い7月8月をどう乗り越えようかと思ったが杞憂だった。今日も昼から草刈り、暑さが身体に作用しているのか疲れが激しい。この3日間は午後9時に寝て朝6時に起きる生活。それでも昼寝をしている。
7月13日(水曜日)晴れ
アマゾンプライムデェー、ゲーム用椅子と大容量の洗剤とUSB電源アダプターぷちった。¥54000。
先日財政破綻を宣告し、大統領と首相が辞任したスリランカは、僕がASOMに勤めて一番多く訪問して仕事をした国だ。確かコロンボでかなり大きな病院を経営する人が、パナソニックの代理店を経営していて、日本で言うパナショップクラスの店を数軒経営していた。そこのAV関係の技術指導に訪問したのだ。責任者のニルラマン氏はウイスキー党で随分と夜はこの人と飲んだ。伝統の踊りがあるイベントにも行ったし、本部長が来たので社長さんと遠浅の海辺で豪華ワインを頂きもした。そんな人達が今や厳戒令で身動きできなく、経営さへも不安に苛まれていると思うと、事態の改善が速やかに終われば良いと願うばかり。スリランカの人々は皆真面目で勤勉だった。ただ、多分政権内は賄賂と血縁が蔓延し腐敗してたんだろうと思う。それはタミル人とシンハラ人との戦いが集結した後で、何とか事を穏便に収めたいがために起きた事かもしれない。インドほど階級は厳しくはないが、所得により、出入りできる場所は限定されているから、一般人は裏が読見にくい事情もあるのだろう。英語が通じる国。高価なセイロン茶も此処では800円で詰め合わせセットが購入できたので、随分とお土産に使った。宝石の宝庫でもあり、一緒に行った女性は5万円ほど買った。彼女に言わせると、日本で買えばその3倍。店は刑務所のような鉄の檻の中で買い物をする異様な雰囲気だった。食事はインドの人に申し訳ないほど美味い。同じタミル人なのに。僕の分析は肉料理が許されるかどうかだ、片やヒンズー教で御法度で片や仏教で何でもありなのだ。
午後炎天下草刈り。1時間に1度の休憩。芝が成長し時間を要する。16:30終えて、手結に夕食のお惣菜購入に行く。此処のおかみさんの味付けに参っている。午後3時から6時までの短時間営業。5時にお惣菜はなくなると見越して行かねばならない。あんまり綺麗ではない、HACCPはどう思うか?でも味は一級。もしくは高級。
7月12日(火曜日)曇り
料理の先生を無理やり誘ってプールへ。水着も買わせたので14000円の出費を強いたがお金持ちなので問題ないだろう。それから、映画「トップガン」を観に行った。高知の映画館はいつでもソーシャル・ディタンスが確保されている息子の弁の通り、スキスキだった。
ある国の核開発施設を古いF18戦闘機で爆破する計画の指導官に任命させられたマーベリックは基地の居酒屋でペニーに再会する。ペニーはジェニファー・コネリリーでいい女に成熟していた。ミッション・インポシビルに似たような筋書きで、核施設を攻めて、帰りに追撃されるも、グースの息子に助けられ、敵国のF14を奪って無事帰還する物語。評判通りなかなか素晴らしい感動モノ。そこでツッコミだが、まずはペニーは居酒屋の女主人でありながら、車はポルシェ911、大型ヨットを所有し、財政の収支が合わない設定。次に、トマホークで敵国の滑走路を爆破する。それだったら、核施設も爆破出来るのではの疑問に答えられてない。更には、相手国は第五世代の戦闘機を配置し、米国の戦闘機F18では圧倒的に劣勢と冒頭に釘を刺す。そんな国なら、今更ながら核施設が完成し実験もないだろう、すでに大量に保有してしかるべきだ。最後のとどめに、相手国の滑走路をトマホークで爆破し成功したのに、盗んだF14がその滑走路からどうして飛び立つことができたろう。トマホークは別名「精密誘導爆弾」でメートル単位で対象を設定出来るから、滑走路は一定間隔の穴で使用できないはず。こんな辻褄が合わない事を全部打ち消す感動が「トップガンマーベリック」だった(矛盾した書き方)。そこがアメリカ映画の良さかな。最後に高知の映画館でも音量がやや高かった。ドルビアトムスは採用されてない。2Kの映像だった。視角としては100インチを至近距離で見る我が家よりも広かった。音は固めで映像にマッチ、我が家はやや音楽寄りで軟弱だと思う。
帰って、友人と懇親会。
寝る前にショスタコの7番にまつわるドラマを見た。ソ連がナチスに蹂躙された時、ショスタコの7番を利用してアメリカの支援を引き出したスターリンの策略を描いた物語。
今日は色々と忙しく感動も多かった。
7月11日(月曜日)晴れ
午前中は英語、午後は文旦の草刈りとほぼ定番の行動。汗が吹き出る。草刈機の紐で石が飛んで来て身体を傷つけないようにガッチリとガードしているので、それだけでも暑い。よく熱中症にならないなぁと感心する。(風があって、汗で濡れたシャツに当たるとひんやりする為かな)水が無くなって、作業を終えると丁度作業終了時刻である17時だった。帰ると丁度淳子ちゃんが鮎のお寿司を持って来てくれた。獲れだて、まだ小さいのを5巻。旬の食べ物、ありがたい事だ。
夜、ブロムシュテッド(指揮者)のインタビューを見て、指揮者は自分の中に閉じこもる孤独に耐えなければならないと自己分析するが、それだけでは詰まってしまう。やはり、友人や知人、家族の接触があってこそバランスが取れると。田舎生活も同じ、都会と同じように孤独だけで生きては行けない。どうしても周りに委ねる部分がいる。個人だけではあまり強くなれない。
7月10日(日曜日)晴れ
ツバメの第2陣が旅立った。今回はガレージの中だったので、飛び立った後はドアを閉じた。午後投票に行くも、所定の投票所でなければ投票できないと指摘され、投票は断念。その足で山の文旦の下草刈りに行った。1ヶ月ぶりだか驚異ではなかった。しかし、先日の台風4号の豪雨で岸が崩れている。修復には時間がかかりそうで諦めた。谷を2つ跨ぐと同じ芸西村でも雨の降り方が違ったようだ。前回除草剤で処理をした竹は上手く枯れていた。イノシシが掘り返し、草を刈ってくれてもいた。今年の文旦も実のつき方が少ない、肥料が不足しているのかもしれない。草刈りはエンジンの回転を上げたのでスムーズだが、紐が5mも進まないうちに消費されてしまう。時間かコスとかの判断が必要だ。
夕食は料理の先生をお招きしカボチャグラタンを提供した。塩が強すぎて失敗した。そのかわりに「孤独のグルメ」エピソード7と8を上映し誤魔化した。映画を見ながら水を何杯も飲んだ。これは体に良くないぞと思いながら。
7月9日(土曜日)晴れ
午前中英語。毎日3時間ベースに乗ったので速度が上がった。スムーズではないが、NYタイムスも一通り目を通している。マスコミは安倍氏の記事/報道であふれているが、日本は横串共通でどのチャンネルにも相違はない。だが外国紙は視点が違うし、UKはジョンソン氏が一面だ。多様性について考えさせられます。(その結果「竜とそばかすの姫」は放送延期になった、ネットでも何故?の書き込みは多かった。
午後は、ここ数ヶ月の郵便物の整理。法要の後片付け2を行い、家の中を片付けた。やっと畑仕事に出たのが午後4時。束の間の太陽光と十分な雨で草は1週間で豹変している。今は土が湿っているため、草刈機でも根から引けるのが強み。
古民家再生で移り住む人がいる番組を見た。田舎にしゃれた家を建てて、東京から引っ越してきて終の棲家とするご家族を取材していた。が、彼らは未だ60歳代で、隠居するには若い。それが田舎に引っ込むとしばらくは豊かな自然に囲まれてこれが目指していた生活だと思うだろう。しかし、いずれは退屈する、孤立する。僕の経験では地元でアルバイト的な仕事をして溶け込む、地元の友人を作る、地元の行事に参加する、地元の役員を引き受ける、こうして自分の生き方をいくぶん放棄してまで活動すれば、そこに生きる理由を見いだせる(と思う)少なくとも、きれいごとでは人間生きられないと思う。テレビはそんな本質を取材し、その上に田舎には似合わない古民家があるとすべきだろうな。
7月8日(金曜日)雨
午前中英語、午後プールへ出かけた。再びコロナ蔓延して来たが、混み合ってないから大丈夫だろう。2km。もう少し伸ばしたかったが尿の為断念。身体が水平になっているので足に溜まる水は膀胱に行きやすい為だろう。月に10km泳げば下腹の出っ張りは消える。60歳までは20km/月ベースだったが、いまはもう無理。髪を切るのと、作業用の長靴を買うために帰りは国道を選んだ。散髪屋で安倍元首相が撃たれたニュースを流していた。フェイスブックでE氏が近隣の住宅建築にモラルもない業者の駐車を指摘されたが、日本も中産階級が消滅し、思いやりが地に落ちた。安全な国日本はいずれなくなるだろう。低所得と超リッチの2極分化はグローバル経済下で大きく躍進し、治安は悪化するだろう、人種、国に関係なく人間の性だと思う。超リッチクラブに入るには少なくとも数十名以上の管理監督者になるとか、世界に通じる特殊技術保持者になるしかないかな。僕はいい時代を生きて死ねる。
帰ると師匠から「とうやくをあげるから来い」貰いに行ってしばし懇談。
夕食後、ブルックナー9番/ギルギエフ&ミュンヘン。BDの映像。今ひとつ音の解像度が悪いのはスピーカーの所為だが、しばらく聞くと団子なりに音がまとまって来た。指揮者とはズバリそのもので楽団を指揮する。それも指で。それが如実にわかる。面白い。ブルックナーの意図やギルギエフの解釈など難しいことを言わずとも楽しめる。ブルックナーは長いので最後までは聞くこと出来ない。
7月7日(木曜日)晴れ
午前中は英語だが、昼前に切り上げて、少し早めに先祖様の墓清掃に取り掛かった。杉の落ち葉を拾う事15分。やっとメンバーが揃った。それで倒木を取り除こうとなった。急いで家に帰りチェーンソーを持ち出した。倒木は下手に倒すとお墓を傷つけるのでメンバーはロープで北と南西方向の2手に分けて引っ張り、その間に僕が切る。上手く倒れて無事終えた。僕はそれを短く切って積み上げた。後で風呂に焚くつもり。他にも倒れてはないが枯れた大枝があってみんなで引き倒した。今回ほど疲れたことはないと感想だった。解散後僕は草刈り。気温が高く草を刈る前に防備をするだけで大汗が噴き出た。2度の休憩で水2リットルを飲む。昨年同様、水を飲むほど夕刻と早朝に白い目やにが出る。余りに酷いので文字が読めなくなる程。何かの因果関係があるのかな。16:00に一旦やめてお惣菜を買いにゆく。ついでに風呂も焚く。用事を済ました後再び草刈り。畑の周辺部に差し掛かると、切り倒した昨年のサトウキビから新芽が覗いているのを発見。これを大事に引き剥がし、サトウキビの植わっている畝に植え替えた。追補ですね。新芽は今年の収穫に適さないだろうが来年は期待できる。
夕食は買ってきたお惣菜ですます。気持ちは4皿だったが実際は3皿分しか腹に入らなかった。
夜の音楽はストラビンスキー/火の鳥/バーンスタイン。古い録音とはいえ激しい演奏だった。
7月6日(水曜日)曇
今日も忙しい。午前中は英語に専念したが、洗濯とか、靴や傘を干すとか雑用があって、英訳は2000文字だった。午後は役場から招集があって伝承館の将来についての検討会があった。食品衛生法と組合員活動についての指摘。このままでは立ち行かなくなる。東北のいぶりがっこの事例が紹介された(食品生成法の適用を受けるには個人経営には費用がかさむし、高齢化で借入金を抱えてまで継続する意思はない)。どうやらこちらも余命2年間。僕らも決断しなければならないが、60歳代は1名のみで伝承館の本来の目的である技術の伝承も危うい。釜も崩れかかっている、ステンレス釜では味が良くないらしいから、杉の釜を新調するとすれば100万円も発生する。事業利益では賄えない。僕は止めても良いかな。しかし他のメンバーは困るから協力しなければならない。重い空気が流れた。取り敢えず時間切れで解散。次は医者訪問、膵臓の検査結果。数値は前と変わらないよ。お酒を飲むと背中が痛いのは何でだろう?別の原因かもしれないね。取り敢えず退散、法事にお寺で借りた椅子(もう座布団に座ってお経を聞くことができない人ばかり)を返却、活魚料理「藤」に皿鉢の返却とお金の支払い(5万円)。師匠に砂糖を届けた(不足しているので融通してほしいと)奥さんを誘い夕飯の買い物に夜須のお惣菜やさんへ行った。帰って風呂の釜に火を入れて、草刈り。暗くなった頃中断して帰宅、熱い風呂のつもりが薪に火が回ってなくぬるま湯に浸かる。疲れ激しく夜の音楽に至らず。
7月5日(火曜日)雨
台風4号の雨は酷く、芸西村も線状降水帯に見舞われ一時260mm(24時間雨量)を記録した。激しい雨で夜中に目を覚まして、雨量計を見たり、24時間累計雨量を確認したり、不気味な夜で睡眠不足。午前10時30分親戚一同が集まって7回忌の法要が営まれた。お坊さんの読経も雨の音にかき消される時もあった。家の西を流れる水路は更に落ち葉を運んできて水路を詰まらせて、道に山水が溢れた。お経が終わる頃雨は止んだ。しばらくすると料理が届いた。6名に7皿の皿鉢料理だ。これでもかと言う圧倒する量で喜ばれた。ビールはエビス。このグループはアサヒが嫌いな人たちだ。料理の残りは全部弁当箱に持って帰った。これが赤野流。少し寝た後、片付けに2時間。風呂に火をつけてから、Appleテレビで「テヘラン」最終回を見る。妙に終わりがあっけなかった。脚本と監督の技量の力不足かな。その後「グレイハウンド」を見た。素晴らしく感動する映画。第二次世界大戦アメリカからイギリスに輸送する船団を、主人公(トムハンクス)がグレイハウンドの護衛艦船長としてドイツのUボート攻撃を回避する物語で、船長のリーダーシップとUボートとの対戦を深く沈考する2点を強調した映画。コロナで上映が不可となってApple TVが上映権を75億円で買い取った映画。追加料金なしで観られた。潜水艦の映画「Uボート」や「レッドオクトーバー」といい、いずれも心理作戦、人間の極限が描写され、普通の戦争映画とは違う面を持っている。体力勝負の地上戦映画と異なり人間味に溢れたキャラが映画を盛り上げる。
雨の心配電話やメール、誕生日のお祝いメールがあったが、法事と酔っぱらいと疲れで返事は夜になった。
7月4日(月曜日)雨
相変わらずauは繋がらない。オーディオ専門店の社長さんから業務連絡が来るがベルは鳴るも通話できず。取り敢えずSNSで出られないお断り。お寺さんは葬儀が3件入って明日の我が家の7回忌は時間変更だと徒歩で伝えに来てくれた。また、料理の先生は法要に手伝うことはないか?と訪問してくれた。法要のためにシキビと花を購入に行ったが、シキビはなかった。雨の中、自宅のシキビを切った。Auは悪い仕事をして、僕の運も悪い方向にあった。
買い物以外の準備物は完了し、14:00前に娘を迎えに行った。今回は迷う事なく娘を認識。その足で安芸市に法要と夕食の買い出し。すき焼きと、刺身の献立。帰って風呂を沸かし、夕食を献立た。息子も帰ってきて役者が揃った。刺身は鯛、カツオ、イカで舌鼓クラスの味。肉は脂身少なくエネルギーも程々の肉質。美味しい料理に、賑やかな会話。こんなのは何年振りだろう(数えれば2011年夏以来で11年振りだった)。6日には製糖組合会議、7日先祖様と連続の催事があって、賑やかさを超える状況が待っている。
7月3日(日曜日)
6時50分、昨日のお礼に料理の先生を誘い近くの話題になった喫茶屋へ。7時前の開店前にほぼ駐車場が車で埋まった。噂に聞いて訪問したが、噂のように感激するほどの味ではなかった。高知県は結構食べ物がうまく、他の喫茶店でも同様の味は出しているから、こんなもんかと思った次第。次は無いだろう。昨日の自転車回収後、家で7回忌の準備。全部は出来なかったがほぼ目処がついた。法要は準備に時間がかかって大変だが、更に子供たちが帰ってくるので、その準備と2重の忙しさがある。まぁそれが法要と言えばその通りで、これは生者の為の催事だろう。雨は酷かったが、午後2時に上がって2時間だけ草刈りと、墓への道を覆う竹を取り除いた。
朝は昨日の自転車(50kmくらい)が効いてしんどかったが、この昼からの作業ですっかり体の硬さがほぐれ、調子が良くなった。再び雨が降り出し作業をやめた。
今夕は作業の疲れ回復に、こんにゃくとニンニクの炒め物。麺を食べたかったので糸こんにゃくがその代わりでうまくハマった。
夜の音楽にバーンスタインのモーツァルトピアノ協奏曲20番、指揮とピアノがバーンスタインだ。彼は大谷翔平のように両方できる。しかもピアノタッチがポロポロと気持ち良い。
同時刻NHK教育でファビオ・ルイージの同名曲が演奏され、ピアノはアレキサンドル・レルニコフ。少しだけ見たが、こちらは少し精緻かな。NHKは良い仕事をしている。関係ないがNHKで先日オフコースの映像をリマスター処理後4Kで放映した。こちらもちらっと眺めると映像もさることながら音が良かった。夜は音楽のために取っておくべきだろうと思った。
7月2日(土曜日)
iPhone13の調子が良くない。1年以内ならメーカー保証が受けられるので早急に対処すべしだろう。メールは通じるからもしかしてSIMの接触不良かなと思った。午前中はピーカンの天気。英語の後、草刈りを進めて、1番大きな畑と、家の前の畑半分を済ませた。午後は高知市に自転車で行くことにした。電車を使っても到着時間は同じだ。所が飛行場を過ぎると北の方で雨が降っているではないか、早く行かないと追いつかれると急ぐものの、高速道路との交差する南国市で大雨となった。携帯で雨雲レーダーを確認すればもう少し待つだけで雨雲は抜けるようだった。だが空は暗く先行き危ないなと思った。上町4丁目の「池澤魚店」に到着した。彼らは未だ来てないとのことだった。30分ほどぶらぶらして合流。メンバーは日本橋のオンキョウヘルパーさんが主で合計16名のタタキを食べるパーティだった。T氏を中心に3つか4つのグループで、お互いは交流があまりないような感じだ。でもまぁ一人でこれだけのメンバーを募って旅行するのだから相当な引率力。それはどうやら彼の舌にありそうだった。Facebookで掲載しているように毎日相当な麺とお酒が彼の身体を通過しているようで、腹が出ているというか本人は臍から下が見えないのではないか?と思わせた。タタキは極上で美味かった。ここまでの味は久しぶり。(自転車で37km漕いだからなんでも美味しい状態になっているのもあるが)午後7時解散。それから豪雨。近くのゲームセンターで雨宿り。迎えの電話をするも携帯は通じず、メール。だがメールも送信確認はできない。雨の間隙を縫って帯屋町商店街へ、ここで傘と自転車の鍵を購入。さて自転車をどこかに止めて電車で帰ろうか?それとも自転車で挙行するか?だが雨は上がった。行け!しかし、市内を出ると再び豪雨。丁度そこに中華料理店があったので入った。ここでゼムピンを借りてSIMの接触を確かめようと思ったら、店の奥様が出てきて「auじゃないか?」と聞かれた。どうやら通信障害が出て、電話が通じないという。料理の先生にメールで迎えを頼んだ。しかしその時のメールも通じないようだったし、果たして高齢の先生がメールを見るか?という問題もあった。仕方なく雨の中傘をさして自転車で帰宅。殆どずぶ濡れ状態。途中高須の高架下でメールを開けば返事が来てたので、「ごめん駅に迎えに来て、JRでなく、土佐電鉄のほう」と返信して、再び豪雨の中自転車を漕いだ。しかしごめん駅には待ち人来ず、30分も待ってやっと来た。JRのごめん駅で待っていたと言う。やれやれ。そして車に乗った途端雨は上がり、しかも少し行くとそこから芸西村までは雨の痕跡が無かったのは皮肉。
予想外の大雨、今日に限って電話が通じない、パーティーが遅く終わり、ゴアテックスの雨合羽を買う店は閉店してしまった。3つの悪条件が重なってとんでもない状況に陥った。
出かけるとき自転車は往復70kmで体力的にもしんどいから電車にしようか?随分と迷ったのに、今回は裏目に出た。
7月1日(金曜日)
ピーマンの収穫の日雇さん3名(僕を含む)を雇用主が招待してくれ焼肉の豪華昼食会だった。無論僕らは高齢者で食べ放題は無理だった。定食と焼肉数点というのが落ち着く先。自分では自覚なかったが、こうして一斉に食べ始めると箸の進みが意外と少ない。それでも腹一杯になった。情けないなぁ。帰って家の周りに除草剤散布、沖の畑をトラクターで叩きに行った。終えると16:30。そこから1時間だけサトウキビ畑の草刈り。サトウキビも大きく成長して、草が日陰で成長するようになって草は簡単に刈れるようになっていた。次回は土中の栄養を主にサトウキビが吸うようになるから、草の成長は更に弱くなるはず。
熱った身体には水風呂が良いがいきなりでは少々キツイ。ガンガンと薪で焚いて熱い風呂に入浴し、水をドンドンと出して薄めてゆくと身体は結構早く冷めて行く。くしゃみが出るころに水を止めて再び湯が沸くのを待ってから出る。水不足が報じられているのに多少の後ろめたさはあるが、我が家の井戸水なので、困るのは自分だからこの暑さではこの贅沢は仕方ない。
今日は運動量が少なかったのか夜を持ち堪えている。滋賀の友人が送ってくれたベルリンフィルの名手達のアルバム。名の通った四重奏団のような堅牢な結びつきが演奏の根底にあるから安心して楽しめる。
6月30日(木曜日)
滋賀の友人からまた手紙とCD。いつも申し訳ない。手紙を書くのに随分と時間がかかるようになった。文章が続かないので断片的になるのと、そのために全体で筋の通らない文章になるのを修正しているといつのまにか1時間くらいは過ぎてしまっているのだ。その繰り返しで累計で多分5時間くらい費やす。ピーマンの仕事を終えてもなかなか日常に戻れない。料理の先生が言っていたが70歳を超えると急にガタンと来る。そのせいなのかどうか不明だが、半日の農作業は疲れが酷く、しかも炎天下と来ている、9時前に就寝し起床は午前6時。夜中に目が覚める時もあるがそのままダラダラと寝てしまう。それで読書の時間が犠牲になっている。リアルの本は今買わないと手に入らないから購入する、それでこの半年で随分と溜まった。いつか挽回する時があるだろう。
Facebookの仲間にT氏がいる。元オンキョウ社員であり、元高松ナショナルショウルームのお客様でもあった人。その彼はFacebookによると麺行脚を全国ベースで挙行されている。毎日どこかで一杯という具合。その彼が7月2日の夜高知に来るから合流しないかと電話があった。16名のツアーだ。少しコロナが心配だけれど参加することにした。ただ夜の帰りはしんどいので少し早めに退散することをお断りした。今年は付き合いが広がる。
6月29日(水曜日)
腰痛と背中が痛むのとが心配。午後は両親のお墓の支払い、住民税の支払いを済ませ、「スッチャン」の49日だと聞くので、お酒を祭ってもらうように親類のおばさんに託す。スッチャンは僕の家に来てよく飲んでいた。いつも酒臭い匂いで僕を膝の上に乗せて訳の分からない事を言っていた記憶がある、それも度々。亡くなる前も酒を呑んでくだを巻き訳の分からないのは同じだった。そして量も半端でなかった。そんな強い人でも歳には勝てず逝ってしまった。それから病院。診断結果、腰痛と骨とは関係がない、背中は膵臓の検査をしましょうね、結果は来週の水曜日。次に夜須のお惣菜やさんに夕食を購入。帰って1時間半だけ草刈り。草の成長は今の1週間が春先の2週間に相当する。ちょっと目を離すと大きく成長している。太陽は力強く余りにも発汗が凄く、夕食時にビールを空けるしかなかった。その余波で早々に就寝。
6月28日(火曜日)
朝、iPadを2個並べ、一つはNYタイムズ、一つは英語の辞書(ウインダムズ)手元にiPhone6 PlusでグーグルWeb検索画面。これでNYタイムズを読んでゆく。不明な単語は辞書、熟語はWeb検索。あらかたの筋を把握した後、翻訳にかけると自分の間違いがわかる。その相違を調べるのが勉強。もちろん翻訳機も万全でないから、自分なりに解釈する。見る記事は、NYタイムズから本日の集約版の通知が来るので(iPad初期画面で中央から上にスワイプして通知画面を検索すれば、Briefingと書いた見出しが見つかるのでそこをクリックする)最近は中絶記事を中心に纏められていた。日本人の感覚と欧米人との宗教観念が違いがこの記事の重みを変えている。緩い記事はtoday のアイコンまで遡って、全紙から探さねばならないがなかなかそこまで到達できない。
他に、今日はPCを買った。今までVAIOを2013年から使って来て、動きが緩慢になって来たので、買い替えた。購入に際し色々な勧誘があるが全てをお断りして持ち帰った。機種はNECで一世代前、Windows10仕様で、11へアップデイト対応機種だった。CPUはAMDラディアン。今はインテルが盛り返しているが2020年の調達はAMDが主だったのだ。
officeが添付されているので、アカウントでアクセスすれば、以前に保存したデータが読め、電源を入れて1時間くらいで実用になった。家庭内LANと結合すれば、前の機種とも連携できて、この場合外部とは隔絶された環境なのでウイルスの心配なく、自由にやり取りができる。
昔はアプリソフトを買って随分と入れたが、今回はそうすることはほとんどなく、買ったまま使っている。NECと富士通のパソコンはホントに親切だ。(パナは中古を買ったがこれにはofficeが付いていて何とか実用になったが、新品はそうは行かないだろう)
6月27日(月曜日)
昨晩はものすごい疲れで20:30には寝た。が、2:30に目覚め4時ごろまでHPをアップデイトするとか、本を読んで4時に再び寝たら今度の起床は6:30だった。よく寝たと思ったが、午前中の英語の時間に再び30分ほど居眠り。よく疲れています。午後は昨日の続きで竹垣切り、3/4くらいまで仕上げて時間切れ。今日も気温と湿度が高く少しの作業で汗が噴き出た。1時間半で飲み物休憩。エアコンを効かせて寒くて寒くて震えがきた頃休憩を中止して再び作業。冷えた服や体は5分位しか持続しなかった。夕食の食材購入は汗だくのドロドロではちょっとまずいので、風呂に入って汗を流してからエアコンをかけた車で出かけた。普段は自転車だがこの暑さでは又汗だくになると思ったから。水ばかり飲んでいたので食欲はなく、雑炊。食べているうちに盛り返してきて、ちょっと食べ過ぎてしまった。
夜の音楽はバーンスタイン2枚目。「心配な年齢」と僕は訳したが「不安の時代」が一般的な訳だった。バイオリンが不安な感情を弾き立てる。
6月26日(日曜日)
沖縄にはまる人は多い(と思う)何とか無理すれば、結構通えるはずだ。それは心の解放だろうか。青い空と気持ちよい風。日本と違う文化。
インドにもはまる人は多い(これは事実で、ジョージ・ハリソンも染まった)独自の文化と数十年遅れた社会基盤。旅は自分にないものを提供してくれる。現役のころそれに気がついて、これはお金を使っても体験する価値があると確信した。それよりずっと前は、旅で使ったお金は形として残らないから、無駄だと思っていた。
いつまでもこの体力が続くわけではあるまいが、思い出は形として心の中に刻まれるから、いけるときに行くのが僕的に正しい結論だろう。
沖縄旅行中に墓屋さんから電話があって、「墓石は設置しておいたから」と。それで、今日はその墓周りにある草木に除草剤を散布した。笹とか雑木なので7月5日の法要までに間に合うのかどうか不明だが、もう一度手当すれば何とかなるだろう。次にその墓に通じる山道に僕の家の竹垣があって、これが道を半分ふさいでいるから、笹刈りを始めた。リョービの新しい笹刈り機を購入した。軽い、切れる、騒音がないと書いてあったが、まさにそれで今まで使っていた日立製から比べると雲泥の差で、しかも軽量なので頂上が平たんに仕上げることができた。今日は片面だけ刈って時間切れ、明日は片面と庭木の予定。
夕食時に西澤潤一氏の光ファイバー開発物語を録画で見た。日本にも世界が注目する技術者が居たんだ。もう今ではそんな感動を見る影はないけど。そんな感想だった。
食事後、沖縄で撮影した写真を眺めていたら寝てしまっていて、これはいかんと布団に潜り込む。今朝は午前中の英語勉強時間にも何度か転寝して睡眠は足りているはずなのに、体はそうでもなかった。
6月25日(土曜日)
雲行き怪しく室内で旅行の総括を行った。沖縄旅行は4日間総費用訳10万円だった。2020年ミラノは14日間45万円だった。更に沖縄はマイレージポイントを使っている。国内旅行は高いな。午前中は他にラジ英語。今年のラジ英語は単語の活用方法、記憶すれば価値がありそうだが、その記憶がさっぱり。NYタイムズも何度も同じ文章を引くので、辞書を3つくらい開いている。やれやれだが諦めない。
午後はバケツをひっくり返す大雨で外に出れず写真の整理。G9pro12mmf1.4は開放絞りでは映像が甘い。雨が上がって安芸市に供養のお供えの手配で葬儀屋に行った。その帰りホームセンターのマルニで生垣を買うバリカン、竹笹の垣根は竹の繁殖で道が通れなくなっている。マルナカで夕食の素材を買って帰り、余った時間で墓の周りの草刈り。昨年手抜きで大きく木が成長、墓からの展望効かなくなっていた。明日はその木や竹に除草剤注入予定。木や草はマメに対策すれば必ず落ちると信じている。夕食はスーパーで売っているソバと蕎麦つゆで、かけ蕎麦。プリプリエビのマヨネーズ。野菜炒め。久しぶりの作業と熱い風呂、野菜中心のカロリー低い食事。沖縄の食事はカロリーが高い感じだった。旅行中は肩こりや腰痛があったのに、鍬を振れば痛みは治るようだ、変な身体になってしまった。
6月24日(金曜日)
快晴、食事は京都風の薄味で気品がある、高級旅館の味。失礼ながら、この立地と調理人のご主人の人相とはイメージが全く似合わないが実に良い。9時にタクシーで役場前へ、タクシーの運転手さんが気を利かせて高速バス停へ案内してくださった(僕は名護へ行き、それから乗り換えるプランだった)。そして寸刻をおかずバスは来た。バスはもときた水族館方向に向かい(遠回り)高級ホテルばかりを回って客を拾い名護から高速道路で浦添迄向かう。距離は80kmだが高速道路を使っても所用時間は3時間。いかに渋滞が酷いか、そしてこれなら自転車でも行動は可能な距離。高知は東西200kmあって、自転車では1日で到達しない。那覇市を散策しても道は曲がりくねっていて、戦後の区画整理が進んでない。そしてその後の道路行政も権益が優先して進まなかったのだろうと推測。その上、路肩駐車も公然だから渋滞に拍車がかかるのだろう。バスは「那覇市県庁前」で下車、「お菓子御殿」でお土産購入。有名なのは「ちんすこう」小腹がすいたので、マクドナルドで昼食。少しだけ食べてゆっくりできる店は、ここかスターバックスしかない。他は食べ終わると直ぐにお金を払って出る仕組みの店ばかり。13:00にモノレールで空港に向かった。ANAの搭乗手続きは全て機械相手で仕組みを知らないと困惑するだろうなあ。登場までの待ち時間にフェイスブックのT氏に問い合わせ、高松の夕刻でも開いているうどん店さんを紹介してもらった。「おか泉」さん。駆けつけて「冷やおろし天ぷらうどん」1100円を注文。なかなかの味。国道32号線下道を走り徳島県の三好から高速道路で帰った。家に着いたのは21時だった。無事帰ってきてよかった。
6月23日(木曜日)
晴天。朝食の後、腹こなしにしばらく泳いだ。びっくりしたのは、沖の岩に登って飛び込んだ時のこと。角度が付かず結構顔面を打った。今まで随分と泳いでいるがプールでの飛び込み禁止が僕の腕を鈍らせていたのだ。次は「美らちゅう記念公園前」。ここで水族館。この水族館はカメラで撮影できるように、人物の反射を抑えていた。初めてこんなのに出会った。f1.4の開放絞りで高速シャッターを切るので、殆どぶれなく撮影できた。これがLUMIXの単焦点レンズを使った良さ。シアターと呼ぶ劇場もあった。水槽を四角の黒枠で切り取り、スクリーンと見立てたアイデァ。そこでこれ程巨大なジンベイザメは初めて見た、大阪よりも大きな感じ。
次はイルカショー。高知なんか、イルカ1匹でインストラクターも一人だが、ここは7匹、インストラクター5名。規模が違う。それに芸が細かい。
次に「熱帯ドリームセンター」。ここは植物園。シンガポールの「ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ」ほど大きなガラスハウスじゃないけど、そこそこの熱帯植物とランが楽しめる。特に根のあるランはここが一番だと思う。この中にあるレストランでアイスクリーム休憩。かなり高い満足度(600円だから)。再びバスに乗って宿のある今帰仁村(なきじんむら)で下車。小さな食堂で「そうーきそば」(今までで一番味の良い)を食べ、村のスーパーでおつまみとビールを買ってタクシーでホテルオーシャンズへ。ここは全くの素泊まりの簡素なホテルだった。道の行き止まりにホテルがあり静観この上ない。波の音しか聞こえない。が、前の海は少し汚れていて泳がなかった。地図で調べると河口に面していた為か。
もう何もすることはないは無いので寝た。
6月22日(水曜日)
中々目覚めが来ない。頭は覚醒しても身体が動かない。やっと9時過ぎ近くのマクドナルドで「ビッグエッグマフィン」。帰って荷造りして近くの観光案内所で今日の訪問先を決めて、「トヨタレンタカー」に行くとありません。次に近くの「タイムズレンタカー」へ、ここもダメ。そこで電話をかけまくると、全て8月までいっぱいとの事が分かった。未だ観光シーズンではないから、たかを括っていたわけだが、甘かった。取り敢えず那覇バスセンター迄行き作戦を練ることにする。バスの移動で満座毛を目指そう。ところがバスは渋滞で中々動かず浦添市を出るのに随分と時間を食った。その途中「アメリカンビレッジ」で下車し、アメリカ食を食べようと。でも観光化され美味しくなさそう。バス停近くの「フォーシーズン」さんでステーキ200gをオリオンビールで流し込む。上手かったのは塩と胡椒の缶を空中で振る動作。次にバスを待って恩納村役場前下車、万座毛へ徒歩で700m(こんなことしている人は誰も居ない)、急な上り坂をキャリーバックを引いて登った。何と万座毛は入場料が100円。観光散歩は一瞬の内に終わる。再び山を降りバス停。時刻がきても来ない、だが綺麗な名護行きのバスが来たと思ったら、近くの満座ビーチホテルに入った。バス停が違っているのではないか?ふと思った。そうこうしている間に向かいのバス待ちの人が来て親切に教えてくれた。「ここで待てばよい」、30分くらいの内に来るだろうと。そして20分遅れでやってきた。「みゆきビーチホテル前」で下車。ホテルはでかく閑散としていた。前の海で泳いだ。ゴーグルを忘れてきたので裸眼だったので平泳ぎ。夕陽を撮影して食事に出かけたが、レストランは貸切でダメ。引き返し反対方向の居酒屋へ、結局1時間ほど歩き、夕食にありついた。居酒屋はライブ演奏会真っ只中(+1000円のライブ料金加算)。マスクなくコロナ関係なくみんな大声で叫び喝采。注文したのは「島ラッキョウ、豚の耳、ふチャンプルー、オリオンビール、久米仙水割り」みんな立って手を振りましょう的な踊りには参った。飛び入りで歌うのもあり。大分、大阪の若い女性が歌った。都会でステレスを溜め込んでここで発散?そんな感じを受けた。21時30分店を出て30分ホテルまで徒歩。
レンタカーが借りられず、困ったがアプリ「ナビタイム」をインストールして、バス路線と時刻を詳しく調べることができ、また一つ旅のこなし方を覚えた。そしてこの渋滞では運転するのは無理だろうとも思った。ホテルの方は、コロナでレンタカー屋さんが淘汰し、また大手は車を本土に引き上げた結果、旅行客が回復してきているのに車が不足する事態となっていると、説明してくれた。こんなところにもコロナの影響が出ていた。
6月21日(火曜日)
朝5時前に起きてHPをアップロードし、食事を作った。天気予報通り雨。6時過ぎに高松向けて出発した、高知から沖縄は直行便がない、それで直行便のある高松空港へ。所要時間は2時間半。雨の高速運転は厳しかったが、早めに降りて国道の最短距離を走ることにした。徳島県と香川県のを跨ぐ猪鼻トンネルは新規のトンネルで大きく変更され、くねくね曲がった道は、高度の低い位置から直線に変更されて従来20分くらいかけていた道がわずか7分くらいで、しかも冬場の雪の影響なく貫通されたのは良い事だ。
それから広大な香川県まんのう町をトロトロと走り抜けた。信号なし、交通渋滞なしの田舎道。高松空港駐車場は一泊1000円。少し高いかな?ネットで検索すれば近くに駐車場が甲南パーキング@800であった。そこに車を預けると、「沖縄の方は、搭乗券を見せて貰えば無料になります」と。今回はついているぞ。
登場の手続きの後、呼び出しがあって「Mobileバッテリーは入れられません」。「入っていません」蓋を開けてください。「有りませんね」「だから言ったでしょう」。
その後空港のアナウンスは、「視界不良で飛行機の機材が到着しません」。展望デッキで待っていると東からJALが降りて来た。これで多分ANAも降りてきて沖縄に行けるだろうと思った。
沖縄は14時に到着。市内にはモノレールで移動。見栄橋駅で下車9分の徒歩でJALホテル着。
「支払いはANAのVISAカードで宜しいか?」「もちろん出来ます」と返答に、ユーモアは無かった。第一牧志公設市場で伊勢海老、大きな車海老、赤い魚を注文して2階で頂く。やっぱり沖縄の魚は美味くないのが正直な所でした。(高知の新鮮な魚と比べるのは酷かな)
市場本通りのアーケード街で店をぶらつく、ここはベトナムの市場のムードだった。人間は同じような環境下にあれば、同じような行動を取るのかな?それから40分かけて美術館まで徒歩。汗が吹き出す。美術館は400円。沖縄の絵画展。やっぱり沖縄は戦争の呪縛があって暗い絵画ばかりだった。戦争は人類に大きく気持ちを萎縮させるのだろう。
19時30分ホテル帰宅、沖縄ではまだ太陽があった。少し休憩して沖縄料理の店に行った。2階はライブがあります。1階は食事だけです。1階は閑散としていたのでこちらを指定。
らふてい、ゴーヤチャンプル、チジミ風の何とか、カリカリサラダ、オリオンビール、泡盛の水割りを頼んだ。
他に客は居なく、コロナは大丈夫だと思った。
6月20日(月曜日)
雨予定だったが曇のち晴れ。午前中は英語。昼食どき足に虫が触った感じがしたので見ればムカデだった。いつの間に入ってきたのだろう。食卓はどうしても食べ物が落ちるから虫も寄り付く。夕刻拭き掃除。午後はサトウキビ畑の草刈り。疲れて空を見上げれば、青い空と白い雲、山には新緑。草刈りで生産性が上がるわけじゃないが、農作業を運動として見なせば、老後の過ごし方として良いではないかと言い聞かせる。(本当はこんな事をしてて良いのだろうか?もっと大事なことがあるのでは無いか?と焦る気持ちが強いが解はない)。そしていつまでこんな平和でいられるのだろう?完成はできなかったがめどが着いた。旅行から帰ってきたら草が山になっているのは目も当てれれない。昨年と比べると刈る間隔が5日ばかり長い。その5日間草の成長は随分と違うみたい。草との戦いはこまめなメンテに尽きると反省。
出発前に行うべきリストを作ってひとつづつ潰して行く。もうテキパキと頭の中で采配できない。思いついた事をメモして集計するより選択肢がなくなっている。
旅行に大事な3大要素、カメラ、書籍、音楽をチェック。この内、後の2つは忘れても現地で調達出来る、便利な時代になりましたね。
6月19日(日曜日)
曇、天気予報では一日中晴れ予定だった。でも終日鬱陶しい薄曇り。昼からサトウキビ畑の草刈り。2区画刈り終えた。とりわけ今年作付けしたサトウキビ畑は、サトウキビが土の栄養を吸う力と草が栄養を吸う力とが未だ互角以下で、たった2週間で草が畑を覆い尽くす。かなり成長したそれを刈るのに時間がかかった。疲れ果て帰り熱い風呂に入る。この頃は熱い風呂の中で少しだけ頑張って、飛び出して冷たいシャワーを浴びる、冷えた体で熱い風呂に入る繰り返し。サウナじゃ無いけど割と気持ちが良い、風呂はどんどん沸いてくるので冷えた身体で入っても熱いまま。それもこれも井戸の水と薪で沸かす風呂だからできる事。その薪もどうやら今年で底をつきそうなので、いよいよ山に木こりに行かねばならなくなる。木はふんだんにあるが、問題はそれを運べるかどうかだな。
夕食は冷蔵庫の中を漁って作り、明日の夜、空にする計画。21日から3泊の旅行が始まる。
夜の音楽は、今日から先日購入したバーンスタイン全集。100巻ある、毎日聴き続け来年に聴き終わる予定。ソニーの企画でリマスター済み。1947年録音だが音が良い。ストラビンスキーから始まった。ロシアのウクライナ侵攻でロシア人のイメージが落ちたが、チャイコフスキーとストラビンスキーの音楽は排除する事ができない。特にストラビンスキーはダイナミックレンジの大きな曲を書いているからオーディオファンには欠かせない存在だと思う。
6月18日(土曜日)
雨、曇の鬱陶しい朝。寝苦しく3時過ぎに目覚めた。眠くなかったので、ホームページをアップデート、滋賀の友人に手紙を書いた。5月27日に手紙をもらったままだった。手紙はいつも2通頂くのに対して僕が1通だ。朝食の後英語と居眠り、これぞ僕が今まで培ってきた生活スタイル。NYタイムズを読んでいるためか、翻訳がスムーズ。昼食は多めに摂って昼寝。その後ミシンを倉庫から取り出し、ダウンロードした取説を読みながら操作方法を習得3時間で掴めた。急いで水泳装具をセットして出かける。高須のスポーツデポで水着を購入。新しい水着はarenaブランドLAR0300¥6490で体にフィットしてなんだが泳ぎやすくなった感じ。水着には「泳げ出したら買ってください」とコメントが書いてあった。確かに膝頭の上をぐっと締める感じが非常に良いし、水を彈きスピードが出そうだった。2kmを泳いで帰って来た。途中で大きな睡魔に襲われた(時間的には少し早すぎ)
もう食事の時間には居眠りのこっくりさんがやって来て、食べるの?寝るの?と誰かに聞かれそうだった(誰もいないが)
6月17日(金曜日)
晴れ、ピーマンの日。ビニールハウスの中は熱い、僕と同級生の女性は気分が悪くなって早退した。僕も汗が流れ落ち、靴の中に水が(汗が)溜まりチャプチャプ音を立てていた。久しぶりにハードな仕事。雇い主も参っていた。僕は昼までの契約なので我慢して逃げ切ったと言う感じ。
帰って熱い風呂に入り冷房をかけて昼寝。これは実に気持ちが良い。元気を取り戻して、NYタイムズを読んだ。トランプはバイデンに投票で負けた時、副大統領のペンスに投票のやり直しを指示して、それを断った。そしてトランプはペンスを目の敵にして議会乱入の時ペンスを吊し上げるよう仕向けた。2021年1月6日の事。そのペンスが次回の大統領選挙に出馬するとの記事だった。
溜まっていたレシートも家計簿に打ち込んだ。昨年の6月と今年の6月預金の減額が70万円で収まっている。コロナで動けず、農業が忙しく余計な事をする余裕がなく、世間の人と同じくお金を使う機会がなかった。
明日から毎日が日曜日。今日は記念だ。豪華に行こうと、手結のお惣菜屋さんで親子丼、ふきの煮付け、昆布巻き、ほうれん草のおひたし4品も購入、650円。缶ビールを開栓した。浪費と言ってもこの程度に成り下がった。
夜は昔録画してあった吉本新喜劇を観て笑いで涙を流した。久しぶりのお笑いだったので喉が渇き、レモンサワーを開栓。今度はマッコイ・タイナー日本公演を観る。日本公演となるとがいこくじんあーは手を抜くが彼は真剣、プロ根性丸出し。βからDVDへのダビングだが中々音も映像もしっかりしていた。
6月16日(木曜日)
薄曇りでじっとりとしている、ピーマンの日。これで全ての収穫作業は終わった。細めの規格外はもらって帰り友人に送った。午後は東の小屋に樋を追加した。トタンから落ちる雫で足元の板を腐らしていたので対策。今年の長雨対策を進めた。次に墓周りに除草剤。今日は見逃したタケノコ対策。竹は切らずに、除草剤を注入する。
僕の住む小屋にとうとう燕が卵を産んだ。ドアを開けないようにしていたのだが、ドアの隙間から入り込む方法を見つけたようだ。春先は母家で子を育てたが、どうやらこの小屋の下がお気に入りらしい。子供が産まれると頻繁に餌を持ってこなければならないのに、ドアの隙間からでは十分だろうか?作業が終わったのは15:30。洗濯物の乾燥と、夕食の買い出しを兼ねて車で出かける。
夕食にキューリのビール漬けを作った。麻婆茄子、長芋のステーキ。と僕的には豪華メニュー。でも疲れが激しく、21時でダウン。
6月15日(水曜日)
小雨、ピーマンの日。今日はこのハウスで収穫するのは最後。全取り作業。1列を仕上げることが出来なかった。10箱収穫したが。
昼は、芸西村で一番流行っているレストラン「藤」へ唐揚げ定食を食べにゆく。目的があった。7月5日に両親の7回忌を執り行うので仕出しを頼みに行ったのだ。7家族が集まるのにサワチを7皿頼んだ。どんな展開になるのだろう。今回は墓石も建立するので何かと物入りだ。
帰って昼寝の後、墓近辺に除草剤散布。次に文旦の下草刈り。今日も正しく、午前と午後に大汗をかいた。実に正しいことをしていると嬉しい。
帰って風呂を沸かし夕食。19:00には全てを終えて自室に引き上げ、音楽の世界に突入。ワーグナー/マイスタージンガー前奏曲。東京のショウルームで何度となく演奏した曲。何かが起こるのに僕だけが取り残されているような感じを抱かせる曲調。これは何度も繰り返し演奏するうんざり感よりも、楽曲がさらに気持ちを落ち込ませた。結局その先には両親の逝去が待ち構えていて、因縁があったのだ。演奏者は違うが同じ曲を今日聴いて、あの頃の嫌な想い出は蘇るのか?と聞かればノーだ。もう乗り越えた。新しい友人達もできて、あの頃とは違う価値観で生きている。それは多分良いことだろうと思う。
6月14日(火曜日)
朝から雨、どうやら梅雨入り。昨日花を鉢に植え替えたが、この雨で完璧にありついた。一方でサトウキビ畑の草もしっかりと成長した。文旦の草刈り次の作業だろう。今日は休みなのでNYタイムズを見てたら、肝心なところがサインインの表記。えぃ、この際だから入会してしまえとサインした。旅行と音楽のページも面白そうだった。訳がスムーズにいかない時は、翻訳機に投げた。僕的には違反だが、あまりにも面白い文面があるので手早く読みたい。
午後はAppleTVで「テヘラン」を見ようとするも、回線混雑で断念。諦めて、BDディスクで「ダイハード/ラーストディ」これが実にいい。親父と息子が事件をキッカケに仲良くなる展開。ブルースウィルス氏は映画界を引退したが名作は残る。
今日もひどい疲れで20時半に就寝。
6月13日(月曜日)
今朝も眠い目をこじ開けて食を作った。たっぷり8時間の睡眠であったがまだ覚醒してない。
食事をしながらNYタイムスを読んだ(日経休肝日のため)。今夕の19時NHKニュースでその内容が報じられていた。ボルトンの翻訳が終わると、契約しても良いかな。年間20ドル。円安だから2700円。それでも悪くはない。ピーマンの日。開口一番「もう一回しかないぞね」。そう、今週でピーマンの仕事は終了する。
帰って昼寝、風呂の薪を切ってプールへ出かけた。少し水温が高い25mプールで1km、水温の低い50mプールで1km。50mプールでやっとアドレナリンが出始めてもっと行けと号令がかかり出す。それだけ泳いでももう前回のように体は軽く、頭は回転しなくなって、泳ぎに馴染んできた。2020年3月は15km/月泳いでいるから、今、弱ったとしても10km/月くらいは行きたい。「70歳を越すと急にガクンと来るぞね」とは料理の先生の言葉。もう2週間で70歳。
夜の音楽はチャイコフスキー交響曲5番/ベーム/ロンドンフィル。チャイコフスキーの「運命交響曲」版。4楽章は強く展開で、これからと言うところで限界、ダウンした。
6月12日(日曜日)
ピーマンの日。昨夜は20時半から眠り、今朝目覚まし時計で5時起床。これだけよく眠れるのは疲れているからだ。昨日は運動らしきものはなく、一昨日の水泳の影響が今出ている。段々と身体も馴染んでくるだろうから、こんな疲れはそんなに続かないと思う(老化でそうでもないかもしれないが)。今日は晴天下でビニールハウスの中。少し頭痛がしていた。マスクをしているので余計に暑い。
午後は、先日工事をしてくれたトイの修繕。綺麗に水が流れずトイから水が溢れるのだ。それで自分で修正した。「電話をして大工さんに直してもらったら?」これは普通の人の考え。自分で考え好きなようにしたいのが僕の考え。と言うので午後の3時間を使って修繕した。
それから、文旦の草刈り。午前の部と午後の部と2回大汗をかいた。今日の作業は自分でも過酷だなと感じていた。
夜、風呂から上がって音楽を聴く頃には大きな睡魔が来ていつの間にか椅子で寝ていた。これでは音楽どころじゃないと、就寝。ピーマンに行って疲れ、今まで就寝時間が21時半だったのに、ここのところ20時半と早くなってきている。19時半でも可能な感じ。
6月11日(土曜日)
天気予報通り雨。午前中全部を英語に宛てた。休憩がてらの居眠り時間を2回とって覚醒し、やっと4700文字の翻訳を終えた。最初の2時間で3000文字で次の1時間で1700文字。時間が経過するとともに単語が記憶に残り速度が増すのが分かったが、これ以上椅子に座るのは腰痛で厳しいので翻訳には限界がある。
近所に土佐ロイヤルホテルと、海辺の果樹園の2つの立派なホテルがある。芸西村近辺は農地の最適地でもあるがリゾート最適地でもある。その海辺果樹園が土日限定ランチを始めたので行ってみた。3つのコースがあって、真ん中を選択した。1500円。少し物足りないかな?物量が。パスタ、サラダ、ナスの煮物、ケーキ、フルーツとしてメロンだった。レストランマネージャーが挨拶に来て、今日から始めたサービスなんです。1号客なんですと言った。多分これでは赤字だろう、どうせ赤字になるなら、もっと価格を上げて内容も濃くして、話題を呼ぶしかないのでは?僕は中途半端な設定だと思った。
帰ってAppleTVPlusで「テヘラン」エピソード2シリーズ2~5を見る。主人公の「タマル」はなかなかイランを抜け出せない。次々と自分でミッションを設けて、イランに平和を呼び込もうとしている。
6月10日(金曜日)
ピーマンの日。ピーマンのお手伝い最終日は6月18日(土曜日)と決まった。しかしご主人に今朝来たメールでは、関東地方で野菜の栽培が芳しくなく、高知の園芸連は出来るだけ遅くまで現状の栽培物の出荷をする様に農家に指示を出した。ご主人にどうする?と聞けば、秋のスタートに間に合わすように逆算すれば、当初の日程の変更以外の選択肢はないと言われた。ウクライナ危機が石炭燃料使用拡大を呼び天候の異常化で先行きが見通せなく無くなったが他に選択肢はないと言う。そして、肥料をはじめとする材料費の高騰が拍車をかける。かなり危ない橋を渡るのが今の農家の姿みたい。それにも関わらず、芸西村では農家の投資が拡大し、僕の家から見る下界の芸西村平野はほぼビニールハウスで埋め尽くされた。Y氏は1年くらい不作でも持ちこたえられる資金が必要だが、みんなどうしているのだろう?農家の経営に疎い外部の僕がみてもこの光景は異様だ。バブルに近い。破綻しなければ良いと願うばかり。
一方新興農家の若者は言う、サラリーマンでは子供を学校に遣れない、もう農業で稼ぐしかない。
午後帰って、英語の勉強、うたた寝を繰り返して覚醒し、1900文字の翻訳。その後プール。1時間2km泳破。タイムに変化はない。表面上依然として昔の体調である。しかし水泳前にたっぷり昼寝が含まれているので、実際には信憑性が薄い記録。
夜は、いつも寝てしまっているが今日は頑張った、「ニーべリングの指輪、ラインの黄金序曲」3面から見る。アナログ映像のLDと言えども音声はPCMでしかもDACはAVアンプのを使うから音が気持ち良い。いつもの場面で寝てしまう。
6月9日(木曜日)
ピーマンの日。今日はすごく太っていて、一列の往復だけで、午前中を終えてしまった。雇い主に申し訳ないが何ともならない。
午後は、大工さんが来てくれてトイを付けてくれた。やっぱり僕のアマとは違う仕上げ。根本的な違いは、トイを受ける金具を最新式のものを使った事。これはビス穴が3つあって、真ん中を先に止めると、高さの調節が効く。2つ目にはその金具を止めるに、スクリュウ型の釘を使った事。この大工さんは器用な事でも有名で大いに勉強になった。次回足場が良ければ僕も出来るぞ。僕はこうした技術持っている人に無条件で引かれる癖がある。職種の範囲はない、時計の修理や料理の先生、田畑を耕すトラクター乗り、アンプ自作何でもありだ。
その後、文旦の草刈りに出かけた。後少しのところで、近所のおばさんが出て来て話し込まれた。多分やめて欲しいのだったのかもしれないと後で気づいた。勿論僕は夕刻の17:00の時報で止めるつもりだったが。
夜は、チャイコフスキー5番/ベーム。昼間めい一杯の農作業でお疲れか、15分も経たない20時30分に床につく。最近は目覚ましの5時前に起こされるまで一直線。
6月8日(水曜日)
休み。朝から英語に取り組むも眠くてカウチで居眠りを2回繰り返しやっと覚醒した。
最近懇親会を2回続けて開催して友人知人が変化していることに気がついた。もう一方的に喋りまくる独演会になる事だ。「溜まっている」のが感じられた。いつもなら、それぞれは飲み歩いて発散させている人達だ。だが、コロナ初期蔓延時はともかく、オミクロンで窓が閉じられ、それを僕がこじ開けると、独演会の悪鬼が飛び出したと言うわけ。多分世界のどこでも発生している現象だろう。何も環境変化が無ければ僕もそうだったかも知れない。ところが今年はオミクロンにも関わらず忙しくしているというか、人間関係が活発になって適度に散発の機会が増えた。
午後は、納屋の東側に資材を置く屋根を延長して、納屋の拡張をしているが、そこの外壁のトタンがボロボロなので、張り替えた。また、夕刻大工さんにたまたま会ったので、もう一つの納屋のトイを直す事を頼んだ。先日自分でやってみたが上手くできなかったので諦めていた。たかがトイ、されどトイで、この不具合のため、崖崩れを起こし隣の家に流れ込んだのは3年前の事。もう2度目は起こさない。梅雨の来る前に雨周りの手入れは必須だ。
6月10日(金曜日)
ピーマンの日。ピーマンのお手伝い最終日は6月18日(土曜日)と決まった。しかしご主人に今朝来たメールでは、関東地方で野菜の栽培が芳しくなく、高知の園芸連は出来るだけ遅くまで現状の栽培物の出荷をする様に農家に指示を出した。ご主人にどうする?と聞けば、秋のスタートに間に合わすように逆算すれば、当初の日程の変更以外の選択肢はないと言われた。ウクライナ危機が石炭燃料使用拡大を呼び天候の異常化で先行きが見通せなく無くなったが他に選択肢はないと言う。そして、肥料をはじめとする材料費の高騰が拍車をかける。かなり危ない橋を渡るのが今の農家の姿みたい。それにも関わらず、芸西村では農家の投資が拡大し、僕の家から見る下界の芸西村平野はほぼビニールハウスで埋め尽くされた。Y氏は1年くらい不作でも持ちこたえられる資金が必要だが、みんなどうしているのだろう?農家の経営に疎い外部の僕がみてもこの光景は異様だ。バブルに近い。破綻しなければ良いと願うばかり。
一方新興農家の若者は言う、サラリーマンでは子供を学校に遣れない、もう農業で稼ぐしかない。
午後帰って、英語の勉強、うたた寝を繰り返して覚醒し、1900文字の翻訳。その後プール。1時間2km泳破。タイムに変化はない。表面上依然として昔の体調である。しかし水泳前にたっぷり昼寝が含まれているので、実際には信憑性が薄い記録。
夜は、いつも寝てしまっているが今日は頑張った、「ニーべリングの指輪、ラインの黄金序曲」3面から見る。アナログ映像のLDと言えども音声はPCMでしかもDACはAVアンプのを使うから音が気持ち良い。いつもの場面で寝てしまう。
6月7日(火曜日)
ピーマンの日だったが、昨晩の食事で胃酸過多、胃がムカついて最初の2時間はきつかった。いくら野菜中心が良いと言っても、メインの調理が煮付けだけだといけない事を学んだ。
ビニールハウスの中で大汗をかくと戻った。一緒に働いている淳子ちゃんも血圧が治ったという。僕は大汗と、大量の水が身体を浄化しているのではないかと思った。
午後は、墓と仏壇、床の間にシキビとサカキの交換。その後、納屋東の庇に、トタンの交換。1/3の工程で時間切れ。梅雨が来るまでに完成しなければ。
夜は友人のT氏と懇親会、料理の先生におつまみを作ってもらっての豪華料理。懇親会中に高知のK氏から電話。高校生の同級生が会いたがっていると言う。もう一本はサトウキビのお金は振り込まれたか?とお寺さんからの問い合わせ。話題はT氏の昔の事独演会。僕は何度も聞いていたので耳にタコ状態だったが、料理の先生は初めてで興味深く聞いていた。色々と賑やかな夜だった。
みんなが帰った後、酔っ払っていたがそれ程眠くなくて、高校生の頃よく聴いた「シネジャズ」のLPを聴く。あの頃こんな大人びた音楽を聴いていたとは驚愕。ただメロディの理解だけだったのだろうと回想する。真空管アンプ作りの先生でキヨ君の想い出がいっぱい詰まったLPだ。
6月6日(月曜日)
昨晩はY氏の息子のH氏よりポテトサラダを頂き、今日は母親のY氏より、じゃがいも煮付けを頂く。じゃがいもは「出島」玉が大きく煮崩れしない。夕食に頂いた。
今日は半年ぶりにプールに出かけた。ちょっと怖かったので、ゆっくり泳ぎ1500mで止めた。最後の500m競泳用の50mプールに移動した。水温が3度低く、入口で監視員が寒いよと言っていた。
上がると身体が軽かった。この日体力としてはまだまだ余裕があったがこれで打ち止めとした。身体が軽くなって、頭の回転も凄く良くなったみたい。古着屋で黒のGパン、綿シャツ3枚合計1900円を購入。主に作業用として。古着屋の服特有の臭いが残っているが、吹き出る汗と激しい洗濯回数で臭いはすぐ消える。
6月5日(日曜日)
晴れると耕し、雨が降れば本を読む。定年後の過ごし方理想の姿。ピーマンは休みで、雨が来るまではサトウキビ畑の草引きと柵の取り組み。雨が来て、AppleTV plusで「テヘラン・エピソード2の1、2話」を見て食事。食後「フォード&フェラーリ」の映画。テヘランは裏切りの裏切りで構成されているから複雑すぎて理解できず。フォード&フェラーリは素晴らしい音質で映画を引っ張る。レーサーのケンの奥様モリー(カトリーナ・バルフ)がいい引き立てをして映画を引き締める。この映画はどの点をとっても完璧だった。
映画が終わる20時半、ますます雨は激しくなった。家が古いので雨音は恐怖の音だ。まだ大雨未対策の部分が残っているので早急に手を打つ必要がある。
6月4日(土曜日)
7時間の睡眠の後、目覚まし時計で5時起床。ピーマン収穫に出向く。僕も、仲間の日雇さんも、Y氏も疲れの極限で仕事をしているみたい。11時に終了し、家に帰って草引き。昼の時報と共に家に帰り食事。後、昼寝をして再び草引き。終えると、草刈機で草引きを終えた後の処理を行う。今日は午前中のピーマンと、この草刈りの午後とで、2度大汗をかいた。服が十分に臭っている。16時に仕事を終え風呂を焚き、夜須のお惣菜屋さんへ出かけた。最近ここの料理に凝っている。そこらのお惣菜屋さんのレベルを超えている。(店は汚いが、多分容器を変えて、高級旅館の割烹料理として提供しても通じる味)刺身は親類のおばさんにあげた。おばさんはおじさんが車の免許証を返上したので、不便になったと嘆いていた。帰って新聞を見ながら夕食。昨日と同じく18:30で睡魔がやってきた。19:00食事も片付けも終えNHKニュースを見ながらうたた寝。風呂は超ぬる目で、雑誌HIVIを隅々まで読んだ。
夜の音楽は、睡魔との闘いをしながら、「ツァラトストラはかく語りき/ベーム」を聴く。ベームは可もなく不可もなく淡々と振る。それが音楽の中庸を進んでいるようで、大きく振れる他の指揮者を聴く指標になる感じ。書評もベームのリヒャルト・ストラウス演奏は評価が高い。
今週の出来事にフジからHX2sのカメラが発売された。かねてより、同社のカメラの単焦点レンズが気になっていたので、これを期に揃えてみようかと食指が湧く。
6月3日(金曜日)
二日酔いはないが身体がだるい。9時からピーマンに出勤(遅い出勤は連絡済み)。みんなから飲み過ぎはハウスに入ればすぐに戻る。確かに、この高温の中、汗を大量にかいてお昼前にはすっきりとした。
帰って草引き、これはさすがにきつい、腰が痛む。無理して2時間。明日完成できる目処をつけて終了。トラクターを引き出し、沖の畑を叩く、昨年も6月3日に叩き、しばらくは十分だとたかを括って1ヶ月放置したら草は大変な大きさに成長して、草刈機で刈った後でなければ叩けない状態になっていた。この反省を活かすと、6月20日頃叩く必要がある。帰りに、親類の畑も叩いた。祖母はこの親類を嫌っていたが、先方もヨボヨボのお年寄りだから時効だろうと僕的に判断。
18時半から夕食、もうこの頃から睡魔が訪れて来た。最近の20時は何処かで居眠りをした後の時間帯となった。もう夜の音楽は子守唄に成り果てた。
6月2日(木曜日)
午前中は英語。だが眠くてカウチに横になってうたた寝を繰り返し、効率上がらず。午後、料理の先生と食材の購入に出かける。この近辺では安価な店として定着しているA-Max。その後、土佐山田にある「三谷ミート」で土佐の赤牛860円/100gを購入。今まで800円だったから7%値上がりしている。急いで帰って夕食懇親会の準備。家の清掃は終えているから、肅々と食事の準備に専念する。ナスの天ぷらは、家の外で簡易コンロを使った。揚げ物はどうしても家の中が臭くなる為。先生の指導で油を大量に入れたのが成功して上手く揚がった。16:45僕は安芸市に今夜の主役となるK氏を迎えに行く。K氏はチェコ市民だから、余り高知の事情に詳しくない、芸西村は尚更。それで伝承館をご案内した。
M君は遅れて来る予定だったので、先に飲み始めた。先ずはテーマの旅行プラン。3週間の旅程で、「プラハには何処から入って来る?」「ドレスデンから行く」。「シュターツ・カペレで一晩聴き、散策後ゼンパー・オーパーでオペラ。3日目で散策後、5/11プラハ」のつもりと伝えた。
K氏は翌日スメタナのフェスティバルに参加。昼間は美術館が良いと言う。後はK氏の案内でチェコ観光。4日くらい滞在かな?それからウィーン→ザルツブルク。オーストリアには7日。最後にハンガリー。スロバキア訪問は予備。ざっとこんな打ち合わせを行った。そうこうする内にM君登場。主役はM君になって延々と独壇場が続く。妹と父の面倒を見るのが目下俺の役目、と言う中々の苦労人。
彼は僕の祖父の話もした。中々泣かせる話。友人にもらったワインも空けた。僕も飲み過ぎとは思いながらもついついと行ってしまった。ナスのビール漬けを教えてもらった。後日挑戦だ。
フラフラで送って行った(運転は料理の先生)、料理の先生も旅行に行くからこの企画に参画している。
まぁ飲み過ぎと、有意義な懇親が出来た。M君曰く「縁とは摩訶不思議なもの」納得。
6月1日(水曜日)
今日もピーマン。朝5時過ぎ起床。トイレにも行かず一直線だがそれでも疲れている。ピーマン収穫は本当にきつかった。昨日の暑さも堪えた。80歳になるY氏も昨日は昼から寝込んだと。
仕事を終えて赤野へナスをもらいに行く。明日の懇親会も打ち合わせ。そのついでに安芸市で鍬の修理の受け取り。専門業者による鍬の柄付けは職人気質を感じる。手に持つとそれが伝わってくる。こんな仕事のできる人になりたかった。帰って昼寝。2時間ほど草引き。1時間英語。夕食後、眠さを堪えて料理の先生と明日の料理の打ち合わせ。僕は厳密に計量したい、先生はあるものでなんとかする考えで、まとまらない。4人分だからキチンとしないと、と説得してエクセルの表にまとめた。
打ち合わせを終えた後、体力の限界が来て、ダウン、今日は一段と疲れが激しかった。
5月31日(火曜日)
今日もピーマン。昔、「今日もコロッケ、明日もコロッケ、これじゃ年がら年中♫」が流行ったが、まさに今はこれ。夢にも見る。農家の人は偉い。身体も大変だが、精神的にもやられる。
終わって、サトウキビ畑の草刈り。全部仕上げた。これはいささか疲れた。
あまりにも疲れて20時20分床につく。
5月30日(月曜日)
今日もピーマン。今日は休日出勤。昨日このビニールハウスに沢山の中学生がやってきて、ピーマンの収穫をした。それはコンテナ60箱との事。これを青果市場出荷して売上金は彼らの部活費用にする企画。その後始末を僕らが今日の出勤でつけるわけだ。僕ら農家の目でまだ残っているピーマンの実を収穫し、その後、根から草刈機で一気に切り落とす。根無し草となったピーマンは糸で牽引のステンレスワイヤーにぶら下がっている。これを、僕ら兵隊が本体の木を溝に沿って落とし、埋められるように進行方向に向かって並べる。その後ぶら下がっている糸を集め袋のなかに回収する。高温のビニールハウスの中の仕事。汗が噴き出る。極限の疲れ。雨で太陽が出てないだけ幸せ。
帰って風呂に入り、Apple TV Plusで「ファインダー」を見る。シリーズ全10巻。だが2巻目で通信速度が遅くなって回線ダウン。いよいよプロバイダーの変更が必要だ。
このストーリーは未来を計算で弾く博士と頭の良い女の子が、帝国の未来を計算で割り出した。帝国の皇帝はそれが気に食わず、何かと邪魔をする。100億人を統率する帝国の皇帝の器量が小さく、中小企業の意地悪おじさん的な思考をする(その方が面白いが、実社会でそんな狭量な指導者は失格するのだが)。それはさて置き、100インチでも4Kの細密で広大な宇宙都市が描かれていて、映画予算を超えたスケールに脱帽。
5月29日(日曜日)
毎日が日曜日だけど、本物の日曜日かと言って特別な事はない。ピーマンハウスに行き、7~8コンテナのピーマンを収穫する仕事。昼までだが毎日となれば疲れが溜まり、夜の睡眠だけでは疲れが取れず毎日ヘトヘト。まっ良いのは横になれば直ぐに眠られる事くらい。明日は休みだと逃げ切り体制だったが、明日はピーマンを上げる(切り落とす)ので出勤してくれと。気力がガタンと音を立てて崩れたような感じ。
午後は、サトウキビ畑の草刈りを16:30まで。疲れ果ててしかも大量の汗。焼酎の水割りを3杯飲んで食事をすると、急に酔いが回って来て、8時過ぎに寝る羽目に。普段から時間不足を嘆いているのに、酒を飲むと更に時間が減る。一体この堕落はなんだと、叱咤する。
夢の中で友人だったK氏が出てきて商談に行くから難波まで送ってくれと言われ、僕は赤い京阪バスを運転して送って行った。降ろした所は大分駅だった(辻褄が合わないが、大分駅は随分登場する駅なのだ)昨晩の酔いはうるさい酔い方だったので、どこかしら致命的疾患があって、友人が呼びにきたのではないかと勘ぐった。
5月28日(土曜日)
ピーマンの日。暑い、ラジオでは気温30度と言うが、この汗の出方は40度近い。じっとしてても汗ばむ。昔、タイのチェンマイをあてもなく散歩した、会議は夜からで僕は昼過ぎに到着し、時間が余った、部屋でのんびりする気にならずホテルの周りを万歩計が15000を示すまで歩いた時もこんな感じだった。あの時も40度だった。その時は太陽がきつく持っていた折りたたみ傘を開いて歩いた。午後はサトウキビの柵作り、今日で完成した。残った時間で、きまさごの草刈り南1列を仕上げた。これから毎日草刈りの日々が続く。
滋賀の友人から小包が届く。CDが入っている。ブルックナー8番とあとは知らないアルバム。何度か聞き直さなければ評価ができない。返事を書く以上に骨が折れる。
5月27日(金曜日)
一転して晴れ、朝イチに、しゅんろうさんが小夏を持って、カンショの種をくれた人にあげてくれと言伝を頼まれた。夕刻渡しますと返事した。午前中は英語。怠くて度々居眠りをする、自分のいびきで目が覚める。午後は、滋賀の友人に手紙。13:30からサトウキビの枠作り。16時に曽我さんが「仕事の邪魔をするぜ」と訪問された。本来の目的は芸西村で芋の蔓を購入するため、ついでに私の家訪問。彼も半日仕事をすると、半日休むと近況。僕もそのつもりだが、山積する仕事があって難しい。「無理したらいかん」と仲間の合言葉を誦じて帰られた。入れ替わり料理の先生の来客。先生を連ご案内して夜須のお惣菜屋さんを訪問。汚いけど、味の評判が良く地元では知り渡っていると聞く。早速お試し分を購入した。帰って家で味を吟味したら評判に違わず美味い。料理の先生は、材料と味付けの調味料を舌と目で分析する。僕らが音を聞いて、スピーカーのセッティングを変えるように細かく。
僕の生活に無かった機会が周りの人によって「増える」と言うか、「変わっていく」。僕の中でのすごく小さな多様性が始まっていると言うか、広がっていく。今までの人生とは全く違う世界かな。
5月26日(木曜日)
ピーマンの日。今日もしんどかった。しんどいのはピーマンも末期で、枝の剪定がなく、上に伸び放題。先端は雄に2mを越す。踏み台に伸び上がっても身長不足。踏み台も劣化してグラグラ。その上、足場はぬかるんでいるので、椰子ガラを敷いているからふわふわで踏み台が定まらない。普段よりも増して運動が多い為、(だが5時間で万歩計は2300歩だった)。本当の運動量としてはどうなんだろう。帰って長崎ちゃんぽんの冷凍食品で昼食。昼寝は取らず畑に向かおうとしたが雨がやってきて断念。それで昼間でも映画鑑賞が出来るように障子を濃い紺色の紙に張り替えていると料理の先生から、映画を見ようと連絡あり。早速暗くなった部屋でリドリー・スコット監督の「最後の決闘裁判」¥399円を払ってAmazon primeでレンタル視聴。アダム・ドライバーが悪役として登場していた。スターウォーズでもカイロ・レン役で悪役出演。この人の人相は結局こちら方面に向いているという事なのか。39歳で若いのに凄い存在感のオーラを放つ役者。一方正義役はマット・ディモンで安定した存在だがもう51歳。ボーン・アイデンティティの頃のような動きにキレはない。また映像はAppleTv Plusのようなキレはなかった。
今は、家に居ながらにして、こうした最新作の映画を観られる時代なんだ。DVDやBDにせっせこ溜め込んだアルバムを一体どう評価せよと言うのだろう?映画を見終わった後、少しだけ録画ビデオで2013年の東京JAZZを観る。確かに録画映像は明るくメリハリがあるし、音も新鮮。(2Kで映像は甘いが)ディスクは音楽もので生き延びる方向があるのかな。
見終わってすぐ、サトウキビの師匠ご夫婦が訪問。川エビを持ってきてくれた。入河内のミカンを栽培している方からの差し入れとの事。久しぶりで暫く歓談した。近年に比べ私生活が忙しい。考え方を変えると、これまで無風状態だったが、本来の姿に戻ったと言うべきか。でも、みんな高齢で楽しい時間を過ごすには有限である事を認識して今を大事にするしかない。余りにも充実した晩年。
5月25日(水曜日
今日はピーマン。昨日ほどの暑さはないが、汗は流れ落ちた。コップ3杯、朝の野菜ジュース、コーヒーと十分な水分を取って臨むが、10時の休憩までは持たない。身体にこびりついた疲れがじわじわと顔を出してきて収穫の速度が落ちる。12時の終了まで歯を食いしばって頑張る。
帰って食事の後直ぐに昼寝30分。計算通りの生活。午後は、西上のサトウキビ畑の柵作り、3枠完成。
先日会ったチェコ在住の方によれば、今チェコは「プラハの春」フェスティバルの真っ最中。これはスメタナの誕生日5/12を基点として毎年開催されているとの事。それで今夜は、ラファエルクーベリック指揮バイエルン放送交響楽団の重量級LPで「スメタナ/我が祖国」を聴く。LPとは思えないダイナミックな演奏で堪能。レコード会社はオルフェオで音が良いことで有名なレーベルだった。聞き込んで来年に備えよう。ドボルザークもチェコ出身で後年アメリカに渡った、こちらは秋にフェスティバルが開催されると言う。
5月24日(火曜日)
今日は休み、親類のナスハウスにチェコ帰りの青年が勤めているので逢いに行った。8月まで日本にいて再びチェコに帰るとの事。向こうでは旅行のガイドが職業と言う。それで来年には訪問しようと考えて取り敢えず面談に行ったのだ。あいにくこの日は母を病院に連れてゆく為時間がないという事で、我が家に誘って一緒に食事をする事にした。僕は目的が音楽の旅だと伝えると、一緒にウィーンも回って来たら?近くだしと言われた。ウィーンは別の機会にと思っていたが問題ないらしい。ドイツのドレスデンは日帰りコースだという。という事はアムステルダムでコンセルトヘボーを組み込もうと思っていた予定を変更すれば良いだけの話。兎に角、東欧は難度が高いと思っていたが、これでハードルが下がった。料理の先生にも連絡して、料理のお願いと、一緒に話を聞こうという計画を立てた。(先生も快諾)
今日も体はだるく、英語の勉強している最中に何度も居眠り。15:00にPCを閉じて、サトウキビの枠2個を仕上げ、この畑の枠を完成させた。
5月23日(月曜日)
それでも朝は元気。ピーマンの収穫に出かける。10時の休憩の後からは収穫スピード落ちる。気力はあるのに手が動かない。帰って、ビワが熟れているので収穫し、友人に発送。結構時間を食った。サトウキビの枠は1個しか手をくだせなかった。しかし終わりは近い。
夜は、Dvořák交響曲9番/Karl Bohm。ノイマンチェコが定番だと思っていたが、なかなかどうして。そういえば、来年はチェコに行く予定。「チェコフィル」かつてはあのインバルも指揮した。現在は、セミヨン・ピシュコフ。やはり聞くのはスメタナかDvořákが、難解なヤナーチェク(村上春樹の小説に登場する)もチェコ人。そうやって調べるとゾクゾクしてくる。
5月22日(日曜日)
ピーマンの日。疲れた。帰って新しく植えたサトウキビの草刈り、疲れは更に酷く重なった。もう限界、お寺さんから山菜おこわはどうかね?と電話があってこれ幸いと貰いに行く。お坊さん曰く、1週間ほど寝ないと疲れは取れんぞね。確かに。買い物から帰って、20分庭の草を引く。もうヘトヘト、ダイハードのジョン(ブルース・ウイルス)のように、これでもかこれでもかのように疲れ重なる。
夜に、Schubert交響曲8番を聞くも途中までで昏睡。これではいかんと布団に直行。
5月21日(土曜日)
予期せぬ雨。雨の日は心が落ち着く。それに暗い。朝食後AppleTV Plusで「テヘラン」(ドラマ)シリーズ1残り4~8番まで一気に観た。ピーマンの収穫作業と同じようにどっと疲れた。その後英会話。疲れで途中居眠りし、1日の目安が達成できなかった。仕方ない。食事を作るのもしんどくて、近くのラーメン店にニンニクラーメンを食べに出かけ、ついでに書籍購入、ドラッグストアで冷凍食品のスパゲッティを購入。最近冷凍食品に凝っているのは、素晴らしいアイディアがあってこれでもか、これでもかと問いかけてくる、しかも安価。他の加工品と比べて保存用添加物が少ないだろうと踏んでいるから。もう一つは量が適切な事。ピーマンから帰って来て何もする気がない時食べるには丁度なため。サトウキビの枠を3個完成。夕食には「むつ」を焼き、頭は出汁に取って山芋のお汁を作った。この日もスロベニアワインを呑んでよく酔った。
5月20日(金曜日)
ピーマンの日。少々のお疲れ。仕事の終わりが待ちどうしかった。気力が湧かないのはお疲れなのか?老化か?かと言って休む事はできない。昼に終わり帰ると、家の前の畑2枚の草刈り。西下のサトウキビ1枠の柵。ここで17:00の時間切れ。今日は料理教室。春雨の酢もの。ついさっき淳子ちゃんから貰った鰻、これは七輪の炭火で焼いた。半分は白焼き、半分はたれにつけて蒲焼き。天然物で味は淡白。七輪を使ったのは、この冬に炭をもらったからだ。炭の火力は十分強い事がわかった。次回友人と酒を飲みながら、七輪でいろんなものを焼いて楽しもう。
5月19日(木曜日)
ピーマンの日。10時前になって急に背中の筋が痛みだし居ても立っても居られないようになった。丁度10時の休憩がやってきたのでほうほうの体で椅子に座り込んだ。Y氏が湿布を持っていて貼ってくれたら、痛みはすぅ~と引いていった。頑張って昼まで収穫した。帰って食事は眠くてコックリしながら頂いた。急いで終えて寝たら1時間半の昼寝だった。それでもまだ疲れは残っていたが、これ以上は夜に響くと鼓舞して起き上がって英文翻訳。何もこんな時にとは思うが、むしろ翻訳に没頭する方が疲れを忘れて良かった。
夕刻風呂を焚くとき焚き付けの松葉が少なくなっていたので、海岸の防風林に出かけると誰かが一掃してあって、僕は随分と範囲を広げて採取した。コンテナ4箱、多分梅雨の間は凌げるはず。
友人からワインを贈って来た。レコードのライナーノーツのように、内容のワインに写真つきで解説があって、否が応でも食指をそそられる。スロベニアの赤ワインに目が止まった。聞いたこと無い国だ。もしかして旧ユーゴスラビア?そうでした。世界一のワイン生産地のイタリアの隣だから言わずとも先が読める。明日の夜に開けよう。
昨年購入したカールベームのCDは47枚目を聴いている。シューベルトの交響曲。全部で65枚、この制覇が終わらない内に、バーンスタインの100枚を購入した。本来は夜のゆっくりする時間帯なのに、眠くなるまでは一生懸命CDを聴き続けている。何でそんなに頑張るのか根拠はないが、一個一個片付けるのが好きなのかな?
5月18日(水曜日)
日銀の黒田総裁が円安は日本経済にマイナスだとのコメントを出した。企業の工場の海外移転が進んでいるし、輸入の原材料高騰があるからだ。僕は昔、円高で個人的にも苦しみ、サムスンの躍進を後押ししたこともあって、「それはあり得ない」と密かに思っていたが、本日の決算特集で、2022年3月度の企業決算は純利益が68パーセント増とあって、やはり円安は増益なんだと確信した。この状態がもう1年くらい続けば設備投資の効果が出て来て、全企業均一ではないが、どこかに、世界市場で特出する会社が見えるのではないか?と密かに期待する。それがウクライナ復興支援に結びつけば尚良い。
今日は本来だとピーマンは休みの日だが、ピーマンの木の切り落としを行いハウスを開けるため、特別に出勤してほしいとの要望で、9時半まで応援した。それから帰り、文旦の草刈りを行った。最近は草刈機を使うと妙に右肘が痛む、連続2時間がやっと。それで丁度昼が来たので終了した。帰って昼食、その後昼寝。これが存外長く目覚めは14:30だった。疲れているのだ。もう今日は農作業はしないぞ。
英語に取り掛かった。少し上手く訳せるようになった「感じ」。日経新聞の夕刊に英文記事が掲載されるが、少し辞書の応援は必要だが、かなり読める。英語の勉強に義務感は感じてない。
ボルトン補佐官の英文記事を読んでいるが、同時期のアメリカ政権をHRマクマスターが描き翻訳で読んだ、そしてトランプからバイデンに移行する時代をボブ・ウッドワードが描き翻訳を読んでいる。一連の書は2016年から2021年を視点を変えて描き、アメリカ以外の国をアメリカ政府がどう見ているのか参考になる。だからと言って何とかなる訳じゃないけど。下らない事に頭を悩ますのはとてもいい感じだ。
5月17日(火曜日)
良く寝れば目もよく開く。今日は昨日の疲れもなくピーマンに行った。ビニールハウスの中は意外と寒く、みんな寒い寒いと言っていた。午後は、夜須のセブンイレブンへ行ってタワーレコードで注文のCDを受け取った。当然ながらアメリカのCDで豪華なライナーノーツは英語。ヨーロッパ系のCDはドイツ語やイタリア語で全くどうにもならないが、英語だと辞書があれば何とかなる。全容を見渡すと、ニューヨークフィルの演奏が主、氏の名盤はグラムフォンに多いので、彼の功績の半分(以下)しか手にしてない。しかし、バーンスタイン自身が作曲した「ウエスト・サイド・ストーリー」などは全曲含まれている。音質は丁寧なリマスター処理が効き良い様に思う。
それに時間を食ったが、西下のサトウキビの枠も1つを仕上げ、前東の畑をトラクターで
叩き、何か栽培出来るようになった。
最近気になっていた、「鯛とオカラの蒸し料理」はクックパッドで調べると「芸西村の郷土料理」と表記があった、レコードを求めにでかけたついでに、親類のおばさんに作り方を聞いた。メモして料理の先生に伝えた。そこで情報を集結しレシピを作り、後世に伝承できる様に体系化するつもりだ。
5月16日(月曜日)
79歳のY氏と僕は向かい合わせでピーマンを収穫する。毎日の出来事を報告しあう。その中で、去年まで出来ていたことが出来なくなる。休みたい。でも、多少しんどくても続けていなければ、起き上がれなくなる。遠くの友人たちはなにかとアドバイスをくれるが、やっぱり地元での高齢者の意見が一番身近で受け入れやすい。今日は細々とする事があったが、最後に柿の木の下の草刈りと、文旦の下草刈りが一番疲れた。夕食を献立している時にはもう眠気が来てて、食事時は少し休んでまどろんだ。これはやばい。寝る2時間前の食事に気をつけていたが、今夕はそんな訳にも行かず8時過ぎに自分の部屋に入るなりバタンキュー。
5月15日(日曜日)
以前勤めていたコスモスベリーズのOB会のメンバーによるOB会(呼称仲間ネットワーク)がテレビ会議で開催された。懐かしい顔ぶれがiPad12インチの画面で名刺サイズくらいで表示され、お互いの近況を語り合った。昔一緒に仕事をした仲間だったので懐かしかった。友人のT君も出席していて、語り合う仲間がいないのでこれ幸いにと参加を決めたと言っていた。次回は8月だが
掲示板も開設するそうで、僕も投稿したい思っている。
サトウキビ畑の柵は一番面積の大きな畑を完成させ、2番目の大きな畑の柵に着手した。予定外の雨がやってきたので15:30に仕事を切り上げて、風呂を焚いて入った。少しだけ普段の時間帯よりは早いが、食事を済ませた20時過ぎには、どんな楽しみよりも寝る事以外選択はない状態だった。
5月14日(土曜日)
先日の大雨で風呂への廊下に雨漏りがしていたので、今日は梅雨を控え雨対策の日と決め込んだ。雨漏り部分はとたんの張り替え。裏の岸は草刈りと溝掘り、我が家の全ての樋の笹つまりチェック。いはやこれだけで、午後の時間を全部使った。夜は、料理教室でふチャンプルを教わった。その後、AppleTV +で「テヘラン2~4」を見る。このシリーズは1編が50分。が8回分。シリーズ2も8回あって、6月17日に完了する。ドラマはイランに潜入したイスラエルのスパイを国外に逃すのを基本としているが、副題にテヘランの変電所乗っ取りが含まれる。Appleの自主企画の番組(何と7000億円の予算)で、中々面白く、見始めるとついついエキサイトしてどうしても終わりまで見てしまう。罪作りな番組を作ったものだ。
5月13日(金曜日)
昨晩は非常に眠く8時過ぎに床についたが今日は大丈夫みたい。雨、農作業は出来ず、高知大丸で開催されている「うまいもの博」に行った。サトウキビ畑の草を引いてくれたお寺さんへのお礼の品物の購入するため。僕自身は農作業は一人で手掛けたい気持ちだが、こうした無償のボランティアの気持ちは汲まなきゃならない。それが田舎生活で、お礼(おとめ)に何かをあげるのが、しきたり。
高知市としては大イベントだが、規模は都会のデパ地下の規模を下回る細々としたもの。これが田舎の70万県民の購買力の反映と言えばそれまで。僕は珍しいと言うよりか、テレビ、ラジオ、新聞で報道されている「価値」そのものを買いに出かけた。
田舎生活をしている以上都会と同じものが無いと嘆いているのではない。僕自身は、そんな商業的価値にもう興味はないし、うまいものは芸西村で毎日味わっているのだ。近所の主婦を煽てあげ、美味いもの得る。これに勝る「価値」はないと思う。それは、お金で買えないのだから。
帰って風呂を沸かし、雨音を聞きながら風呂に入った。雨の日の風呂は妙に風情がある。まだ明るく、雨の向こうに大日様のお堂や、入り口に繁茂する梅の木が見える。
夜の音楽を聴く前に、タワーレコードから届いたメールを見て、バーンスタインのBOXをクリックした。100枚セットで2万円。ソニーミュージックだから名盤が少ないはず(グラムフォンに名演が多い)のを加味しても@200は申し訳ない価格。前回買ったカールベーム盤も全部聞いてないのに、良く買うよ。
5月12日(木曜日)
朝から雨。昨日の草刈りの疲れが今日も残り身体がだるい。英語も集中すると眠くなって布団で横になる。(多分これが血圧に良くないみたいだが)部屋からは遠くに太平洋が望める。雨脚が強くなれば見えなくなる。気分が重い時にはこうして景色を眺める。コインランドリーで洗濯物を乾燥機のかけ、ついでにラーメンを食べて帰った後再び英語。午前中と同じく睡魔が来れば横になるのを繰り返し3700語を訳する。
夜、先日購入したハイレゾ音源/Lizz Wrightを聴く。DAC はNUFORCEのuDAC3ヘッドフォンはAKG K550。柔らかな低音が溢れてくると至福を感じる。ベースは弾ける様でゾクゾクくる。ニューヨークは在宅勤務が40%になり人が減ったため、治安が悪化したと新聞報道。もうアメリカで深夜ジャズクラブを徘徊するのは無理かもしれない。しかし、ここでこうして楽しめるなら、それも良しとするか。
5月11日(水曜日)
ピーマンの日。ビニールハウスは家から近いが、雨で車で出かけた。ビニールハウスの暖房を切ったとの事で実が大きくなってない。今回「実」を収穫して良いのか、次回に伸ばすのか「判断に迷う実」が多く、今日は6コンテナしか収穫出来なかった。帰る頃には雨が上がり、昼食後は文旦の下草刈りに出かけた。耳栓(ノイズキャンセラー)をしての作業だったが、長時間なので、仕事を終えると、耳が鳴っていた。もう一箇所残っているので、頑張りと耳のケア必要。それが終われば肥料。作業中はなんとか雨は降らなかったが、夜になると雨が降り出した。
夜は滋賀の友人が送ってくれたCDの試聴し感想を書く。あまり語彙が浮かんでこず、程よい感想が書けたかどうか心もとない。作業の疲れで頭が朦朧としているのも影響あるかも。
5月10日(火曜日)
朝起きて、昨晩焼いたパンを確認すれば、上手く焼けてなかった。原因は小麦を混ぜる羽を装着してなかった為。今日はピーマンの日。天気予報は2展3転し、結局晴れた。太陽があるから暑い。大汗をかいて作業を終えた。昼食後昼寝。毎回昼寝しているが、疲れは残り、夜も早く寝ている。その後サトウキビ枠2枠完成。
最近意味もなく涎を垂れるので、脳梗塞の疑いがあると友人は言うから、病院でMRI検査。結果は問題なしとの判定が降った。一安心。
帰って風呂を沸かし、余った時間で裏山に通じる道の落ち葉拾い。この週末大雨との予報の対応。山道を降りてくると曽我さんが待っていた。彼は今日で畑の草引きに一区切りつけたので、様子を見に寄ったと言う。僕にあまり仕事をしてはいけない、身体を休めないと忠告。来年はピーマン仕事を断る勇気を持つことだ。
5月9日(月曜日)
毎日少なからず事件がある。活動している証拠だろうが、今日の事件は映画のストリーム配信。AmazonとAppleTv +の2本立て体制だが、途中で切れる。ハイホーに電話をするも、不明で、技術サポートに電話をかけ直してくれと言う、症状をその部門に伝達してくれるかと聞けばわからないと言う。又、電話の転送はしてくれない。最初の問い合わせと同じ番号にかけ直すと音楽が流れるばかりで待ってほしいのか、故障なのか不明?先日Appleサポートで親切な対応をされた為この格差は歴然。パナソニックの関係会社で信頼していたが、サービスには微塵もそのかけらはない。この契約は早急に切らないといけない。
怒りは治まらないが、映画1本だけは見ることができた。スパイダーマン/ノウエイホーム。まず、マーベルコミックファンでなければ理解できない。その上内容が複雑。内容は、スパイダーマンは世間から悪だとの評判をなんとかしなければ、それで人の記憶を消すため、ドクター・ストレンジに頼むが、これが失敗し、過去スパイダーマンが消した怪物が復活し、これと戦うのが主題だった。映画を見終えて後でテーマは何だったんだ?と振り返ると分かる次第。
この日は雨で運動しなかったので、琴ヶ浜に出かけ砂浜を1時間ほど歩いた。芸西村はこの素晴らしい砂浜の海岸が4kmほどあるから恵まれている。そしてこれだけで疲れ果て、夜は9時に寝てしまった。
5月8日(日曜日)
高知には変わった人が多い。東部の北川村では映画館がある。それだけでも珍しいのに、そこのオーナーがシンガー・アンド・ソングライターで、映画の上映前に演奏会などを催すらしい。調子に乗って映画上映が始まらないなどとアクシデントがないように気をつけねばと、インタビューで話していた。今はクラウディア・カテリーナの「ひまわり」を上映しているとの事だった。一度訪ねる必要ありだ。
今日もピーマン、午後も昨日と同じサトウキビの作業。夕食は八宝菜の料理教室。野菜多めの豪華版。僕は添のお酒として高知県西部にある三原村の「どぶろく」を呑んだ。明日はピーマン休みで気分は解放された。
5月7日(土曜日)
ピーマンの日。ビニールハウスはセンサーによる温度管理なので、8時ごろが一番暑く大汗をかく。その後、天井の窓が気温の上昇と共に上がり過ごしやすくなる。今日の様に太陽が照り、風がないと窓が空いていても気温は再び上昇し続けて、再び大汗。その頃がちょうど10時。連絡が入って15分の休憩。そこで汗が収まる。次の2時間は暑いが昼の終了を楽しみに頑張れる。
今日はサトウキビの枠をするために、木の桟を車に積んで出かけたが、家の駐車場で車を旋回する時に、荷台から飛び出した桟が当たって水道のコックを開き、それを知らず2時間は水が全開で放流されたままだった。先日はコックの閉め忘れで1晩中水を放流した。今月の請求が怖い。
夜の音楽はJAZZ BAR/寺島靖国氏監修のアルバムCDを聴く。このスピーカーはウッドベースの中音域が充実しているので楽しい。生の演奏と比べると音像は狭いが、この広大な音域が目の前で展開されるのはライブを超える気持ちよさがある。何もマンハッタンのビレッジバンガードまで行かなくてもここで十分楽しめる。アルバムは全編を通してシンバルの気持ちの良い響きが貫いている。寺島氏はそれを「チャリーン」と呼んでいたが、僕の好みと一致する。もう直接話す機会は失われたが、著書の上では会える。こんな人を知っているのは財産だと思う。
5月6日(金曜日)
今日は休みでゆっくりできる。下の離れに閉じこもって英語の勉強。今の時期窓を閉めたまま、エアコンも不要なのでここに人がいるとは思われないので、一人きりの時間が使える。
午後は、買い物、日曜日の夜八宝菜の料理教室なので、その材料集め。
買い物リストは、iPad Airのpagesに Applepencilで手書きしたのを保存し、スーパーでiPhoneを開き手書きメモを見ながら買いもの。これは便利。ちなみに、アップルの店でペンシルを買ったので、それには僕の名前が刻まれている。
帰ってサトウキビ棚を1枠仕上げる。
夕刻滋賀の友人からレターパック。中にはCD。独自の編集と、ジャケットはオリジナルデザイン。中々凝っていて、痒いところに手が届くデータの表記。音源はFM放送なので音質は望めない。問題は夜になると僕が直ぐに眠くなる事で、音楽評を書くまで起きておれない事。
5月5日(木曜日)
結局探していたスピーカーのバナナプラグは見つかった。Amazonでバナナプラグを買って、スピーカーコードに取り付けていたら、ドライバーで指を突き血が出た。それでバンドエイドを入れてあるカゴを探れば、そこに3日間探しても見つからなかったバナナプラグが鎮座していた。いつかは見つかるだろうと思っていたが、偶然も何やら意味深だった。
午後は、淳子ちゃんに貸す約束をしてた畑は未だ昨年の捏芋を収穫したままだったので、片付けなきゃいけないと思っていた矢先、旦那に指示して片付けを行ったと言うのだ。申し訳ないので、今日はその後処理を行い引き渡せる状態にしようと畑に入ると、そこここに柵を組んでいた木螺子が落ちている。もしやと思い旦那さんが通りかかったので聞けば、ビスは畑に落としたと言う。「あちゃー」だ。トラクターは入れないし、人が歩くのも危険だ。取り敢えず片付けだけで終えた。理由は後日淳子ちゃんに話そう。その後サトウキビの柵を1枠完成させ終了。
夜、SB10000のホーンスピーカーを外し、エラックに入れ替えた。音像定位が明確になって、しかもLPレコードが生き返ったような躍動感。滋賀の友人から送ってきたCDもボヤけず明瞭。50年前のホーン型名機も解像力だけは何ともならなかったと言う事。
5月4日(水曜日)
かっぱ市場では、僕のブロックと呼ぶ砂糖が品切れになっていた。午後伝承館でブロックを包装し製品化した。ついでに白下糖を引き上げようとするが、どれもカビが来ていた。6万円の損失。帰って、冷蔵庫の中の白下糖を確認すれば、こちらもカビが来ていた。こちらも同額の損失。残るは2コンテナ12万円分のみ。ここでの教訓はお砂糖は製作する時に仕上げの形が重要だと認識。その後、きまさごでサトウキビの柵作り。1枠のみ完成。1時間に1枠が実力かな。
5時に終えて風呂たき。食事をすればもう睡魔が囁いている。気になっているバナナプラグはもう一度探すが見つからない。どこにしまったのだろう?「全く記憶がありません」
仕方なく昨日と同じでヘッドホンで音楽を聞くが疲れて8時半にはもう朦朧として来た。この連日の疲れ具合は一体何だ?病気かしら?とても尋常ではない。
5月3日(火曜日)
ピーマンは休み。ゆっくり英語を勉強しよう、と思いきや、「昼食会を11:30からするぞ」と電話が来る。ラジ英は聞くがボルトン翻訳は途中まで。久しぶりに師匠と会うが、膝痛でびっこを引いていた。今年急斜面で木こりを強行したのが災いしたようだ。曽我さんはサトウキビ畑の草引き、丁寧にやって1日で1畝だとぼやく。僕はピーマン応援で二進も三進も行かない、皆で苦境を伝えあった。帰ってスピーカーをエラックに変更するもバナナプラグが見つからず演奏を断念。午後遅くサトウキビ柵作り。2時間を要して2列完。自分としてはいい感じ。5時に風呂を炊き買い物。普段の生活に戻った。幾分寂しいが落ち着く。休日につき夕刊はなく、英ガーディアン紙を開き、辞書片手に読む。ピーマン収穫時左手にピーマンを2個挟むことから指先が鍛えられ結構自由に動くから、右手にお箸、左手に辞書2冊を開きながら読み進める異様な体勢で食事を楽しんだ。トップ記事はアメリカの人口中絶の裁判記事のリークだった。
夜の音楽は、AKGのヘッドホンでCDを聴く。ブラームスピアノ協奏曲。繊細と言うべきか、芯が細いと言うべきか判断に迷う微妙な音と演奏。ヘッドホンの解像力の高さは音楽を変える。最新のスピーカーもこの方向にある。一方僕の持つ多くのスピーカーは昔のタイプで音が団子状態で飛んでくるから馴染んだ音楽は心地よさを再現する。音楽は昔の録音が多いのでそれも良しだ。だが最新の録音盤は現行の機器ではまずくはないか?
5月2日(月曜日)
ピーマン仕事。ピーマン仕事中は大概高知放送のラジオ番組が流れている。ニュースや天気予報が何度も放送されるのでよくわかる。ニュースはコロナ、知床観光、ウクライナの3つしか無いが。他は歌が流れる。でも少し配慮が必要だなと思ったのは、パナソニックの歌のない歌謡曲で、「知床旅情」が流れてきた。何もなければ今の季節にはピッタリだがこの時期に流すべきでは無い。1988年3月24日中国で列車事故が発生した。高知の高校生が多数亡くなった。この時を境に尾形大作のヒット曲「無錫旅上」は放送されなくなり、彼は沈んだ。プロジューサーにも過去の知見が必要と言うことだろう。
午後3時に仕事は完了し、帰って除草剤を散布した。岡村家(近所の共同墓地)の先祖様の墓地を通りかかると、大量の筍が群生していた。早速切り倒すものの、大きく成長した筍は危険そのものだし、倒れる方向によっては、墓石を倒す恐れもあるのでやばい。慎重かつ大汗をかいた。
夕刻近くのスーパーに買い物に行き、缶ビールビールを飲みながら帰った、気持ちの良い5月の風に吹かれて美味かった。
5月1日(日曜日)
昨晩の夜中から歯が痛む。でもピーマンの仕事。痛みを堪えて仕事をしていると、明日は午後も手伝ってくれないか?との依頼。僕は歯医者に行こうと思っていると伝えた。
帰って砂糖黍畑の柵作り。今読んでいる本(食の歴史/ジャック・アタリ)によると、農業生産で一番多いのはサトウキビ17億トン。次にトウモロコシ12億トン、米8億トン、麦7億トンと続く。それを読んで、僕のサトウキビは含まれてないが、世界のメジャーな植物を作っている自負を持った。3枠のみ仕上げ、沖の田を叩きに行った。周りのビニールハウスの窓を閉めての作業。知らない人のハウスだけれども、操作しない訳には行かない。叩き終わるとその持ち主が現れて、そのままで構わんよと言ってくれた。この頃から妙に歯の痛みが薄らいできたので、家に帰って歯間ブラシで丁寧に掃除をすると、痛みがすっかり取れた。原因は何だろう?ともあれ、明日はフルタイムのお手伝いができる。
その夜シューベルト交響曲1番/カールベームを聴くが、1楽章で混沌として就寝。1回にできる事が少なくなっている上に、5-21時(16時間)が僕の活動時間で、その中でも1時間が居眠りをしている。
疲れているんだが、果たしてそれが健康のためなのか?どうかが不明。+に考えれる事は、連日30度近くの高温下で大量の汗をかく事と、1000回位のスクワットとカラダの伸び曲げひねり。ーに考えられるのは、疲労の蓄積で寿命を蝕んでいる事。
4月30日(土曜日)
今日はOFF日だかから、ゆっくりと過ごしたい。日記も仕上げて投稿したい。それで、台所にあるiPadで書いていたpagesの原稿を、別の部屋で新規購入のiPad Airで開こうとしたら、共有出来てない。keynoteは共有出来ていた。それで色々と試すが僕には手に負えない事が判明し、アップルサポートにチャットしたが、それでも解決できず電話対応に回される。しかしこちらも解決出来なかった。トラブルマニュアルに事例がないと言う。一旦昼休憩を挟み、再び電話対応に。所が原因不明で突然リンクが出来た。先方も原因を説明出来ず申し訳ないと、でも解決したので終了させてもらうとなった。つまり今回は、僕の挑戦範囲以上のサポートは無かったから安心した(僕の知識も満更ではないと)。午後遅かったが、それから草引きと、サトウキビの棚作りを完成させて色々な物事が落ち着く場所に居座ったのが今日の出来事。一方で色んな事が通り過ぎていったので随分と疲れた。田舎の僕達の間で流行っている言葉に、「やろうと思っていた事が完成できないで、あっと言う間に1日が終わってしまう」。年老いて処理スピードが明らかに落ちているのが共通認識。
4月29日(金曜日)
ピーマンの日。ビニールハウスに入ると直ぐに雨。雨は激しく、物凄い音で会話が出来ない。10時の休憩は携帯電話で知らせていた。もう右手が痛くなってしまい、柚子収穫時の腱鞘炎再来だ。そこで今日は左手を使って収穫した。作業効率が落ちるが仕方ない。帰るとひどい疲れで、残り湯に入って布団に潜り込んだ。目が覚めると雨は止んで、太陽が出ていた。昼間布団で寝るのは久しぶり。60歳までの土日は日常の事だったが。
農作業も切羽詰まっているが、右手の痛みもあって作業に出るのをやめた。又、iPad Airが届き設定も必要だったので丁度良かった。設定はiPhoneからデーターを引き継ぐので色んな煩わしい設定作業は不要だった。AIRのM1プロセッサーは流石の速度で快適だ。
夜、定期購読の書籍の購入の為、野市の本屋さんへ、ついでにCoCo壱で夕食。コロナ前は水泳の帰りの定番だったが。スクランブルエッグのキーマカレー¥1280を注文した。カレーで千円を越えるのは異常だと思うが。
この夜アフリカ象の物語を、Appleテレビ+で見る。4K映像は鮮明でアフリカの大地の木々や草原の草を克明に表現する。100インチは自慢できるサイズじゃないが、自分的には結構感動した。物語は旱魃に苦しむ象一家をカメラで追ったもの。息絶える仔象も容赦なく映していた。
4月28日(木曜日)
ピーマンから帰ると、家の前のサトウキビ畑の草が綺麗に片付いていた。いったい誰が?(後で、お寺さんご夫婦が作業してくれたと判明)あまりの対応に苦慮し、お返しを考えねばならない。ありがたくもあり苦しくもある。昼飯を食べていると、近所の家の修理に来た大工さんの訪問があった。瓦が古いから修繕をとの誘いかけだった。僕は、壊れた瓦は自分で交換するし、シリコンを詰めて応急処置もできる。古い瓦は予備を沢山抱えていると説明した。そんなお仕事をされていたがです?違うけど、大概のことは自分で出来る、パンも焼けるしPCも組み立てれるし、裁縫もできると伝えたら、何かあったらまた言うてねと帰られた。僕の弱みは人間関係でハード部門では困っていないのだ。彼は訪問した先が悪かったのだ。
その後、西上の畑に行くと、隣の畑に物凄い数の筍が生えていた。僕の土地ではないがこれは一大事と、片手にバケツに除草剤、右手にドリルを持って竹やぶに入った。1本づつ丁寧に竹に穴を開けて除草剤を注入していった。全部には至ってないが、いずれ効果があるはず。家の周りの竹はこれによって笹の葉を落とし始めた。多分今年は竹の受難の年になるだろう。
4月27日(水曜日)
今日もピーマン。収穫が多くて本来なら休日予定が仕事日になった。収穫の腕は午前中5時間で7箱を出せるようになった。ひどい時には5箱の時もあった。速度を上げる最も効果的な方法は大きさを吟味しないで、目で見て瞬時に判断することだ。そして指に2個から3個まで挟みながら収穫すること。振り返って収穫し残しがないのか確認しないようにその場で仕上げる事。などだ。一番早い、Nちゃんは、収穫しながら次の実を探していると言う。僕はJちゃんを追い抜いたと思うが。その道にはその道の達人がいて、独自の哲学を持って仕事をしている。僕がこの仕事をして得られる賃金は今日届くはずのiPad Airよりもまだ少ないが、ピーマン仲間になって社会参加の意義は大きい。それは、親類のおばさんが、「食べるに困ってなければ無理しない」、と言うのとは少し違うと思う。英語や読書の時間がなくなる辛さはあるが見合う価値がある。
4月26日(火曜日)
アップルから注文した製品の発送案内が届く。これに合わせて、スタンドを注文した、併せてAKGとJVCのヘッドホンパッドも注文した。あまり使わない間に耳当てパットがべとついてしまった。かと言ってヘッドホンで音楽を聴く暇も無いのに。
雨だったので、近くだがピーマンのお手伝いに車で出かけた。ついでにまだ乾いてない洗濯物を載せて行った。作業は毎日汗だくで毎日着替えなけりゃならないが、雨で乾かないのだ。ツバメが来ない間は納屋に干せたが、今はそれが出来ない。
ツバメ関連では、今夕は大雨予想で雨が吹き込んでくるのに納屋の扉を閉めることができない事。ツバメが出入り出来ないため。田舎に住むには色々と決まり事がある。人間関係についてはもっと複雑。昨年迄は、それ程でもなかったが、今年に入って急に大きな渦に巻き込まれてしまった。
4月25日(月曜日)
もし僕が怠惰でなく北海道の層雲峡の旅館を早く出発し、そしてカメラの趣味がなく道中で何枚も撮影しなかったら、午前中の早い時間に斜里町に到着し、きっと遊覧船に乗っていた可能性もある。アメリカに初めて行ったのは2001年8月。その後のテロ事件(9.11)と言い、結構危ない直前にその場に居合わせていたのは何だろう?。
斜里は本当に寒い所。普通なら、オホーツクの海を眺めて感慨に浸るのもよしと思える場所だったが、寒くてとてもとてもできず、車でヒーターをかけ通り過ごしたのだった。冬服でさえ寒かったのに、海の中に放り出されたらどうなるか考えるまでもない。
ピーマンのお手伝いの後、サトウキビ畑に行くと嫌な草が成長していた。それも草刈機で取れないサトウキビの根元に密集していた、どうやらこの草には意思と目があるようだ。半分だけ引いてこの日を終えた。明日もう一度挑戦。柵作りも道半ばだし、文旦の草刈りも中途半端、英語は手付かず。最悪の状態で推移している。でも一つずつ片付けるしかない、農作業に近道はない。コツコツ。
4月24日(日曜日)
夜中から雨が降り出した。雨音を聞きながら眠るのは最高の子守唄。アップルTVを購入したままだったので、設定を行った。説明書がなくても感覚で行えるのがアップルの良さ。設定にはスマホを併用すると文字入力が簡単。リモコンとスマホはシームレスに使える。設定後、スマホで検索し「ドライブ・マイ・ウエイ」を590円でレンタルした。この映画はアカデミー賞を受賞した作品。原作は村上春樹氏。それとは知らず観たが、LPレコードを演奏するシーンや、考える時間をたっぷり取るところなど、ハルキ流が見えて最後のクレジットを見ててなる程と納得した。チエホフの「ワーニャ伯父さん」の芝居を演じるのが根底にあって、それに携わる人間関係を一枚一枚ベールを剥がすように物語が進行して行く構成。死後の世界に触れて、「これでよかったんだ」と納得するところで終わる。それは筋として正しい結論だが、タイトルの「ドライブ・マイ・ウエイ」にどうも結びつかない。そこで私は考え込む!主人公の妻が病死するが、それでも乗り越えて行かなきゃと、主人公の車を運転する運転手と確認し合う所が主題に近い結論かな?いや、ハルキ流はそんな素直な表現はしない。真意は何処にあるのだ?
4月23日(土曜日)
今日の予定のビニールハウスに行くと誰もいなかった。それで、昨日のビニールハウスに行けば、お母さんと呼ばれて居るよっちゃんが収穫をしていた。昨日の収穫量は多くその日のうちにそのハウスを仕上げることができなかったのだ。これから収穫が増えて来るので、2日働いて1日休むスケジュールが変更となるらしい。5月の暫定の出勤日は中旬までしか明確にならなかった。
「ピーマン頭」と言えば、中身が詰まってないたとえ話だが、そのピーマンも1コンテナとなれば結構重く、収穫用の手押し車に4コンテナも載せると引っ張って出口に行くまで一苦労。毎日そんな作業の連続。疲れないわけがない。そして今日の午後は、草刈りや食料の買い出しなど忙しかった。そして雨が来た。
4月22日(金曜日)
ピーマンのお手伝いは、午前中のみとなった。収穫用のコンテナに7.5カゴ。どんなに頑張ってもこの記録が抜けない。暑くて汗が流れて来る。それも足を引っ張る。僕の対面は淳子ちゃんで、結構取り残しが多くそのカバーをしているから余計に時間がかかる。この日は疲れて昼食の後1時間ほど寝た。それから、サトウキビの柵作り続きの作業。同時に手強そうな草引き。
たったこれだけの作業なのに、今日は余りにも疲れが激しく午後9時に就寝。
4月21日(木曜日)
腰の痛みは引かず、近くの医者に行った。近所ではあまり評判は良くないが、もう少し通ってから判断しよう。MRI検査では股関節の症状や、水が溜まるとか、近くの骨の壊死は確認されず、再び薬の処方となった。続くなら今度は腰の神経を調べることになる。半分安心して帰る。昼飯にペペロンチーノの冷凍食品189円を食べる。身体に良いのかどうか不明だが、イアタリアのレストランも真っ青になる味わい。雨もやって来て、農作業は無理。昼から英語、料理の先生が携帯電話の操作の為訪問、食事に誘ったが大雨で断わられ、あり合わせで焼き飯を作って食べることになった。渇水で我が家も井戸の水が切れたが、西部の物部川水系では深刻な水不足。この雨で人心地つくだろうか。
4月20日(水曜日)
ピーマンのお手伝いを終えて、料理の先生の携帯電話購入にお付き合い。iPhone 13proグリーンの新色。店頭でいくつかの設定が必要だったが、なかなか指が動かず、僕が代行した。パスワード文字入力が難しかったのは、指が自由に動かないのと、指が乾いているので、認識しないのも理由だ。数字は僕のと同じにして、先生が忘れても対応できるようにした。一通りの設定は紙に書いて写真にも収めた。世はスマホが当たり前だが、老人には難易度が高い。
帰宅してつくね芋を植える段取りをしたが、何とつくね芋は腐っていて種にならず。僕としてはこれ以上仕事を増やすなと言う御告げだと思い断念した。文旦とサトウキビだけに限定しよう。
4月19日(火曜日)
ピーマン収穫。今日からお手伝いは午前中のみ。午後食事の後、昼寝してから、西上段の畑につくね芋用の畝を作った。大汗をかいた。エネルギー消費メーターは完全に0を示していた(と思う)先日脚が痛くて動けなくなったが、その痛みが奥の方で少しぶり返してきている。
4月18日(月曜日)
今日は休み。午前中英語に専念したが、本日分を消化したのみ。午後、文旦の消毒。井戸水が枯渇し消毒に使用する350リットルには少し不足した。もう花が蕾状態でこれ以上遅くなると、消毒が出来なかったかも知れない。
4月17日(日曜日)
ピーマン収穫日、今日は事の他寒く、ビニールハウスに入るとホットする(ダジャレでなくて)身体は疲れが残り怠いが、中は高温で発汗し実に気持ちが良い。浪廃棄物が身体から抜けてゆく感じがする。よっちゃんが、タケノコ、葉っぱの煮付け、イタドリをくれた。昼飯に頂いた。葉っぱは絶妙な味付けで美味しかった(調理を聞けば、タケノコの味付けの汁を利用したとか)。百姓の料理は汗をかく分だけ味が濃いが、元気の源になる。15時終了、小夏の収穫に向かい、文旦の下草刈りを終えたのが17:00。風呂を焚きながら庭掃除。先日の大風で庭は笹の葉っぱが襲来し空き家同然の庭に成り果てていた。予期せぬ所にタケノコが生え除草剤注入する。
4月16日(土曜日)
久しぶりのピーマン収穫。勘が戻らず7箱。他の人の収穫漏れをフォローしたのも祟った。足も重く、先日痛めた右脚の痛みがぶり返してくる。休憩すれば元に戻るから病院にも行かず、作業終了後収穫した「小夏」を持って料理の先生宅に届ける。帰って風呂を焚きながら家前のサトウキビ畑の草刈りを行う。夕食時、睡魔が襲ってきて何とも出来ず食卓でうたた寝する。強制的に目覚めて入浴後就寝。
4月15日(金曜日)
午前中は英語と洗濯。午後はみかんの草刈り。小夏が熟れているので収穫。すると、近所のNさんが登場。ポカリスエットの差し入れ。僕は寸暇を惜しんでの草刈りなので先に進めたいが、話し終わらず結局1時間、夕刻5時になってやっと解放されて帰宅。なぜこうも最近は僕のゆく道に障害が多くなったのだろう?僕がTo-Doリストを増やす分だけそれが増えるので、昨年に比べて処理能力が目に見えて減ってきた。心情として、「ほっといてくれ」なのだが、人生の反省として、一人では生きられないのがわかっているだけに、そうは拒めない。気の弱さもあって、ただただ、リストが積み上がっていく。それで、今年は昨年のように収穫できないかも知れないし、書籍も読めない、英語は退化するだけ。イライラが募る。
4月14日(木曜日)
ホテルの朝食はバイキング。野菜中心に採ったが分量が多すぎたかな。晴れて気温はさらに低下。旭川へ向けて出発。道中は高速道路のようなもの。レンタカーを返却し、バスで旭川空港へ。時間にゆとりがあったので、空港前の駐車場を一周する。飛行機は途中揺れるも無事定刻に到着。林真理子/奇跡を読み終えた。主人公の博子と田原の大恋愛を綴る物語だが、林真理子の腕では大恋愛を表現しきれず、彼女/彼氏の職業観や家柄のしがらみ中心に展開。読後の感想は林真理子氏は本当の恋をした経験がないのでは?と思わせる筆致。高知には17:30着。雨が来たので、スーパーマルナカに寄ってお惣菜を買って帰る。疲れ果てたが、何か吹っ切れるものがあった。眠くて旅行記には至らなかった。
4月13日(水曜日)
誰とも話さず、勿論人とも会わず、ただ車で走るだけ。オホーツク海に接するサロマ湖を目指した。今度は石北峠1000mを超えた。勿論氷点下。ただし凍結はない。理由はないが、僕の中では峠は上がる時ワクワク、下りションボリ。オホーツク海側は気温低く、平地でも雪が残っていた。サロマ湖は殆ど海同然だった。他に特徴はなかった。展望台に上がるも誰も居なかったし、寒かった。それで良い。Facebookの反応もただ呆然とするのも良しとあった。無論僕も文句はない。次にアイヌ文化に触れるのを目的の斜里町を目指した。途中JR網走本線「藻琴駅」の併設食堂で厚切りトースト。伺うと食事提供は3駅あるらしい。無人駅が主体だがこうして食堂がある事で、乗降客が集められる。「北の無人駅から/渡辺一史」を読んで、一度は行ってみたいと思っていた。斜里町の博物館でアイヌ文化と知床の動物達を見る。夥しい種類の鳥類と動物達がいた。今ではここでしか生息してない。人間が食べ尽くしたから。本日の探訪は終わり。一路紋別を目指して走る。180km。2時間半で到着。公道だが、準高速道路だった(勝手に解釈)。紋別プリンスホテルは満杯。夕食はお勧めの居酒屋RINさん。訪問すれば一杯で姉妹店「明酔」さんを紹介されて訪問。しめ鯖、ホッキ貝、爆弾サラダ、海鮮丼、焼きキャベツ。お酒は北の勝鳳凰と高知の酔鯨。
どれも美味しかった。どうしてこんなにお酒がうまいのか不思議だった。店を出ると雪が降っていた。
4月12日(火曜日)
コメリでサンドイッチを注文すれば、モーニングセット(トーストとサラダ)が無料?ちょっと意味不明なサービス。自分で調理する事なく、後片付けもない非日常があった。ホテルの隣でトヨタレンタカー、パッソ4WDを14日まで3日間借用申し込み。2万円を払って富良野に向かった。僕は20年前の軽トラックしか知らないので、エンジンスタートに車の鍵を刺す穴がないとか、方向指示器が自動復帰しないとか、エアコンが優先的に入ってて、切るにはどうするのか?など違和感大で、戸惑いながら運転した。最初ブレーキは左足で踏んだが微妙な制動が出来ず右足に変えた。旅行前天候を調べると最悪の雨ばかりの日だったが、何と日差しもあって晴れ男の面目躍如。途中「せるぶの丘」で休憩。普段では機会のない、オーナーに話を伺う事が出来た。コロナの打撃で半減したとか、5月の積雪の心配とかされていた。「7月10日来れば良いよ」これは長年培った個人の感想のように思えた。そのあと作業をしてた従業員さんにも話を聞けて、会長は農機具を製作しているオーナーでもあると紹介された。広大な土地を花だけで埋め尽くす発想や視点は素人の想像外だった。道中は、畝った丘で時折停車、撮影しながら富良野へ。ここも目的なく青の池かトマム」に迷ったが後者を選択。トマムは放漫なリゾート計画で破綻して、現在星野リゾートに経営を委ねた。その施設を一目見ておこうと。途中白樺を撮影。そして到着すれば山の中に大きなタワーマンションが4棟。対向する車もなく閑静とした佇まい。正面と左側面の山にスキーリフトが3機。大きなプールドームも見えたが客の車はない。山の中に六本木ヒルズを持ってきた感じ。不動産経営に素人の僕でも対象は誰だ?と疑う。大事なマイルを消費してこんな勉強をしなくても良いのにと苦笑。それで今日の訪問は終わり。今日の宿大雪山麓の「早雲閣」をセットすれば、178km先。車は60km/平均で走った。畑の広大なうねりと白樺並木では車を停めて撮影したとしても、この平均速度が守れた。大雪湖では水が氷結し不思議な風景を醸し出していた。早雲閣グランドホテルは丁寧なもてなし。入り口に積んだ薪が、フロント前の暖炉で燃やされていた。フロントの社員が言った「うちの露天風呂は自慢の一つです」早速訪ねると、外気温は0度だが、お湯は底が熱く、上部が肌温。立ち上がると寒いが座ると快適。こんな適温のお風呂は初めてだ。夕食はバイキングでタバラガニとステーキに800mlスーパードライ生を頂いた。美味いの何の(両方とも)。天候は夜予想通り雨となった。二重窓なので雨音は聞こえず。
4月11日(月曜日)
5時起床で6時前ゴミ出しを兼ねて出発。高知龍馬空港へ。7:35のANA562便で東京へ、富士山を撮影しようとカメラを取り出していたら、客室乗務員さんが、12:20ごろ左に見えると言ってくれ、後ろの席に移っても良いよと。写真を見せると凄いと喜んでくれた。全く馬鹿なおじさんを演じてしまった。羽田空港で昼食。欧米人らしき人に券売機で好みの一品を買う方法を尋ねられを尋ねられて英語で対応。生の英語に久しぶりに接して嬉しかった。続いてANA4783便で旭川市へ。旭川空港の観光案内で交通便を聞けば、何と「旭山動物園は閉館中」との事。これのみを目的として来たのに。仕方なくホテルに荷物を預けて徒歩で旭川市の美術館へ。到着すれば閉館日。次に博物館を調べると同様。最後に向かったのは高砂酒造さん。「国士無双」とはここのブランド名だった。4つの試飲で純米大吟醸酒「生」を買った。普通、吟醸は味が無いものだが、こちらは生なので甘くコクもあった。再び徒歩で「フィール旭川」へ。ここでお惣菜(チーズ入りメンチカツ、ニシンの甘酢漬け、ポテトサラダ、ごぼうサラダ、五目おにぎり、蟹のお稲荷さん、オリオンビール)を買って、ホテルで夕食。コロナが怖くて、ラーメン村、サンロク街へ足を踏み入れる事が出来ない侘しい夕食だった。気温は高く高知と違いはなかった。人との接触は少なかったが、何となく当たりが柔らかい感じで心温まる。高知のガサツさはない。
4月10日(日曜日)
チェビリダッケのブルックナー8番が日経日曜版でベタ褒め。僕は1993年ミュンヘンでの録音を持っているが、褒めたのは1994年版。老いによる細部に詳細を究めていると評価している。楽譜が読めない僕は評価を前提として聴くしかない。怒涛の日々が過ぎてゆくが、今夜は久しぶりに音楽を聴く。明日から旅に出るから音楽を聴けない。普段ならそれはおなしいぞとなるが、今回は短期で音楽がない、その代わりに書籍がある。今回は林真理子/奇跡を読むつもり。もう一冊はEXIT WEST、こちらは地域の設定はないが、シリア難民の物語。
音楽を聴いていると、何も無理して旅に出なくてもこれで結構楽しい。いい音を聴く快感は価値があり、特に今時はエアコンも不要で余計な音がしない。
今日の夕刻はコウジュケイが2羽張り合いのなき比べで五月蝿いの何の。それに加えて、昨晩から我が家にお泊まりに来ている燕さんご夫妻は、早朝から窓のすぐ向こうの電線で止むことのないお喋り。夜は、秋の虫が鳴き始めた。
ピーマンの雇用主の母は夜寂しいからテレビをつけっぱなしにしていると言われたが、僕は賑やかな虫だけで十分だと思う。
4月9日(土曜日)
今日はOFF日、午前中英語、午後砂糖の「崩し」を作りかっぱ市場に出荷。筍を友人に発送、帰ってつくね芋を植える畑を叩く。これで時間切れ。淡々と進めたができる事は限られている。9時前に睡魔がやってきて就寝。
4月8日(金曜日)
痛みを堪えてピーマン収穫に向かう。案の定、予定より遅れて収穫作業をしていた。10時前に本日の予定のラインに戻り、夕刻予定の線で仕事を終えた。ヒデ君も明日の休日を気を揉むことなく自由に過ごせるだろう。夕刻は少し痛みは楽になった。料理の先生に500円払ったお弁当で夕食を終えた。風呂から出ると思った以上に疲れが出て9時前に就寝。
4月7日(木曜日)
症状は変わらずで、しかも眠い。ピーマン収穫は休みの連絡を行い、布団に潜り込んだ。昼まで眠り軽めの食事。午後も眠る。良く眠れる。夕刻起き上がり食事。
4月6日(水曜日)
右足の痛みは尋常じゃなく、再び寝返りが打てなくなった。午前2時に起きて痛み止めの薬を飲むも、少し和らいだだけで効果はなくまんじりともせず夜明けを迎えた。本日の休みを雇用主にメールして再び寝る。9時に医者に行けば前回と同じ症状なので痛み止めの薬を処方されただけ。薬は眠りを誘い日中でも寝てしまった。一人暮らしはただ寝るだけでは済まされず、風呂を沸かし、食事の用意が必要だ。この先短い人生だとしても、痛みを堪えての病気持ちなら、いっそ死んだ方がいいなどと考えが及ぶ。もし入院するようなことがあれば聞きたい音楽や読みたい書籍などがある筈だったが、頭が朦朧としてその気になれずただただ寝るだけ。健康な時にこそ本も音楽も楽しめると思った。
4月5日(火曜日)
料理の先生がカーテンを購入するので一緒に出かけた。カーテンは遮光度によって区分され、遮光1から3まであるが、価格は一律。長さも2.4mか、1.4m以下で、価格は2種類のみ。色目は明るい基調が主だが、黒っぽいのもある。何で随行したのかと言えば、お金の支払いに僕のVISAカードを使いポイントを貯めたいから。僕は先生から現金でお金を貰う。VISAには年会費を払っていてポイントをANAマイルに変換する場合、2倍のレートで溜まるからだ。世界のCOVID-19の行方は未知数だが、来年は外国旅行を復活させようと思っている。身体の自由が効く間に挙行するつもり。
そんな矢先、畑からの坂道を降りたタイミングで右腰が痛くなった。最初は少ししんどいかな?程度から次第に厳しくなって夕刻はとても歩けない所まで来た。風呂の中でマッサージ、少し楽なって寝たが、寝返りが打てないほどの痛みとなって、前回11月13日にも同じ症状があったので、その時の薬を飲んだ。座薬はきつく、出すハメに。30分くらいで薬が効き始め寝返りできるようになった。身体は早い速度で痛んで来ている。人間ドックの詳細結果も届き、緑内障疑いを指摘され、尿酸値は過去最高を記録している。想いを遂げられず動けなくなるのはまずい、早いうちに済ましてしまおう。
4月4日(月曜日)
AppleTVが届いた、生憎と仕事でセットする暇もない。映画「ドライブ・マイ・ウェイ」がこちらで見えるのだが。
今日もピーマン仕事。いよいよ背の低さは問題となって、ブロック3段を準備して貰った。すると首の上向く角度が小さくなって非常に楽になった。収穫スピードは昨日の9.5箱(コンテナの箱の事)から、11箱に上がった。昼飯はかっぱ市場でお寿司を買って、近くの川の土手で食べた。遠くの山は桜で色づいている。そう言えば今年は忙しくて桜の撮影も全くなかったし、ツツジも見に行かなかった。いづれも芸西村内に名所があるのに。
収穫が早くなった分だけ帰りが早くなる。16時には帰り着いた。香南市のスーパー、ミツワさんに刺身を買いに出かけた。今日はお寺さんに招かれて宴会だ。それで買い出し。ひらめ、イカ、ブリを買って、その足で酒屋さんで「桂月」の日本酒生を求める。お寺の奥様に、イカの料理と、ネギのぬた和えにゲソを使ってと、丸で料理人へお願いするが如く要望を出して家に帰った。親類の畑の草刈りを済ませて風呂に入って、夜、お寺さんに出かけた。この日は近所の金比羅様の桜下で、面々が飲んでいたので、花見日和だったのだろう。当方もお寺さんの庭にある桜を愛でて盃を交わした。お寺の桜は割と有名で、村の青少年部が毎年花見をしていたと言う(もちろん、コロナで中止となっているが)
4月3日(日曜日)
今日は7時からピーマン収穫。お寺さんから呑みに誘われたが、疲れを口実に明日の夜に変更をお願いした。今日のハウスは一層背が高くなって、コンクリートブロックに似た発泡スチロールを2つ重ねた踏み台を用意して貰った。すごく楽になった、収穫しながら無駄話をすれば、きよちゃんは昨日の休みの日に五台山を往復したとの事。僕は何度か自転車で行っている。距離は70km。それを自分の脚で走っての事。今日はしんどく無いか?昨晩少し疲労があったが、今朝は何とも無いと言う。高知には変人が多いのは、自分を見てても分かるが、この人は格別だ。よっちゃんは午前中の休憩時間に「蕗の煮物」をおつまみとして持って来てくれた。美味しかったので残りを全部持って帰った(貰って行けとお言葉を頂いたので)こうして、それぞれの人達のベールが剥がれて行く、ゆず仲間、サトウキビ仲間、そして今回のピーマン仲間。サラリーマン時代とは違うキャラの強い個性が林立している。田舎生活の面白さと微妙な人間関係を渡り歩く不安定さの混合社会。
定年後は、おやじキャンプ飯(YOUTUBE)のように孤独を楽しむ生活を描いていた。趣味もその傾向だった。だが一人の寂しさと、世の動きに繋がっていない不安が相まって、仲間と戯れる、人の生き方を傍観する魅力に耐えきれず、堰を切ったように、孤独から遠ざかってしまった。
しかし、今度は不器用さが、いろんなしがらみを引き起こし、蜘蛛の糸に絡まった生活になった。さて、従来の生き方と、どっちが良いのだろう?答えは死ぬときに出る。
4月2日(土曜日)
今日はいきなり休み。料理の先生がスマホに変えると言うので付き合った。店に行くとiPhone13には新色の緑があったのでそれをお勧めした。13とPROの違いはレンズにあると説明すれば、それでいいよと。僕は10万円くらいするよとあらかじめ伝えていたが、15万円だったので躊躇したのに、先生は気にも止めない。娘さんに何と叱責されるのか不安だったが、言わなければ分からないと平然と答える。125Gタイプを予約した。その後寺尾(魚屋さん)に寄り、ぶりと鰺と赤貝を購入。先生は赤貝以外は食べないと言う偏食人。
帰って、畑の草を刈る。一気に伸びた草は中々草刈り機でも始末できず、たちまち燃料とカッターの紐が無くなる。大型の機械でないと刈れないので、重くて腕が痺れる。でも刈った後は達成感があり疲れが吹き飛ぶ。
夜英語に着手するが30分でコックリさん、急いで布団へ急行、横になって伸びをすればその後は前後不覚。
4月1日(金曜日)
ピカピカの一年生。ピーマン農家で収穫のお手伝い。雇用主は、ひでくんと奥様のえみこ様、従業員は、母のよっちゃん、近所のじゅんこちゃん、きよこさん。畑の面積は6反もあり広大。高さ1.8mに成長した木から35g以上のピーマンを見つけ出して剪定、収穫する。見て重さを類推するのは大変難しい。又、僕は背が低いので、高い実を切るのは伸び上がって、首を後ろに折っての作業。休憩時間に首が痛くて下向いていたら、どうした?と聞かれるので、「借金で首が回らなくなった」と答えた。朝7時から夕刻4時半までの作業、しゃがんで伸び上がるスクワットを1,000回、疲れ果て、夕刻食事する7時ごろは、もうコックリさんが訪れていた。
3月31日(木曜日)
明日からは、日雇いの仕事に出るので柵作りは保留、洗濯や書籍をスキャナーする為の裁断など身の回りの整理、午前中の英語勉強の為、来客に邪魔されない隠れ家に机PCなどを移した。午後は草刈り。家の周りと畑の周り。久しぶりに持つ草刈り機は重くて手が竦んだ。一雨ごとに力を増してくるから、間隔を空けないで草を刈るのが肝要。墓はお彼岸に手入れしたばかりなのに、もう草が繁茂。昔の人は3月の中旬をなぜお彼岸と決めたのだろう?もっと後の日程が、本当の墓守としては最適なのに?調べると、日の長さが同じになる時期と書かれていたが、昔にはその様な天体の知識はなく、これは後付けだろう(Web掲載は鵜呑みにできない)。田植えと収穫に関連している様な気がする。
明日の厳しい仕事のため、9時には寝てしまった。
3月30日(水曜日)
健康診断の時、胃カメラで不審な凹みが見つかり生体検査をしてたが、その結果を本日確認すれば、問題なしとの事だった。一安心してかっぱ市場で鯛を2匹買って着て、塩竈調理を行なった。料理の先生もご招待して味わってもらった。僕は、皮は食べないでと伝えたがそのまま食べられて、塩辛いとの評価。皮を除くとほんのり塩加減との事。そうなんだ。クックパッドの説明は正しいのだ。他にゴボウのキンピラ。これは30cmくらいのゴボウをピラーで薄く切ったものを加工したので、麺の様だとの評価。普通は5cmくらいの長さに抑えるけどと言われ、評価は辛い。大根は牛肉をダシに、わかめスープの素で味付けしたら、妙な味だが食べられなくはない。その大根には葉っぱが10cmくらいあったので、カチリのちりめんと鰹節でカリッと炒めたら、好評でご飯の上にかけて食べれば美味しいと満点を貰った。「それにしてもあんたはマメやね」と言うのが総合評価。
そうです。僕は同時進行のプロジェクトをかなり多く手がけている。どれも中途半端で完成を見ないが、どれも少しづつ進めている。この様に気を張っているのが僕にはストレスがないようだ。
3月29日(火曜日)
4月からのお手伝いの下調べ。みなさん近所の顔見知りの人たちだから気兼ねはない。よろしくお願いしますと挨拶をした。帰る途中で友人の家に寄れば、すごく痩せた友人がいた。本人は変わってないと言うから良いのだろう。でも帰ってからよく考えると、余り良いことではないかも知れない。この日も生憎と英語は頓挫。午後は、サトウキビの柵作り。本来、柵は6月末までに完成させれば良いが、農業は早めの手当が余裕を生み仕事を楽にさせる。それで急いでいるだけ。かっぱ市場から、出荷した砂糖にカビが生えていると電話があって駆けつけた。今年は桜の開花も早いがカビの襲来も早い。ついでに買い物をすれば、イタドリがあった。大きな束が280円。料理の先生に電話をすれば、生のイタドリは料理したことがない。酸っぱいから。それでクックパッドを開くと、食べる前の下処理の方法があって、24時間必要だと。早速取り掛かり、取り敢えず6時間後に調理、先生に試食してもらうと、行けるとの評価。こんな方法もあったんだと先生は認識を新たにしたようだし、ITに疎い先生もYOUTUBEは必要だと感じたようだ。そこでiphoneの購入を決断したようだ。
3月28日(月曜日)
慌てて起きて洗面の後、地元の、「土佐ロイヤルホテル」に出かけた。中央から見れば芸西村は辺鄙な村だが、黒潮カントリーと土佐カントリーを背後に控える為、メジャーなダイワハウスが1980年代にリゾートホテルを建立した。ホテルは地元との密着度が高く、芸西村役場は売り場改装費を実質負担するなど、思い入れが強い。又、僕たち製糖組合は彼らのサトウキビの収穫を支援し、彼らは店舗やホテルメニューの材料として自身の製糖した砂糖を使用すると共に、不足分は我が組合が補足するなど関係がある。そこで新メニューが発案され、試食の運びとなって我が組合員を招待して下さった。メニューは朝食ブッフェで提供される為、我々はその朝食にもご相伴に預かったという訳。その試食はクラッカーの上に、黒糖で作った甘いジャムのようなペーストを載せるシンプルなもので、食感はキャラメル風だった。我々田舎のおっさんはどんな服を着て行って良いか問い合わせすれば、「泥のついてない服と靴」の通達だった。そうです、僕らはほつれたズボンやシャツ、草の汁が染み付いた帽子に前垂れ、重量物に耐える靴が「制服」で、一年の殆どがこの格好だから正常が何か非日常がどれか判別付かなくなっていたのだ。食事の後は、師匠の家で曽我さんご夫妻と私の5名でコーヒーをいただきながら、だらだらと過ごす。この組み合わせは現在最強のメンバー。つまりこのようなダラダラと時を過ごす為に、と言う意味で。午後は、サトウキビの柵作り。
夜は料理の先生に焼き飯を振る舞った、先生は見ててイラするらしく、すぐ手出しをする。しかし拝見していると大変参考になる。そうかご飯をほぐすときは火を止めるのか。味付けを薄くしたので、OKのお墨付きをもらった。
3月27日(日曜日)
天気予報通りに晴れた。午後から畑仕事。素人がトラクターで畑を耕すと、どうしても畑の四隅に土が偏って、畑の隅から2m手前は深く掘れてしまう。その厚くなった四隅からバケツに土を盛って低いところに移した。何十杯も移した。骨が折れると例えがあるが正に今日はそれ、肩で息をした。それから、生けてあったサトウキビを地面から抜き出して、20cm位に切り揃え、2本を1セット(4芽)で50cm間隔で植えて行った。2列完成した。17:00腰も痛くなって切り上げた。
多分、今夕は音楽を聞くのが難しいだろうなと思っている矢先、お寺のご夫婦が来られ、歓談。お坊さんとはワインを飲んだ。歓談時間が長くなってボトルが空いた。フラフラでお見送りの後、シャワーで倒れるようにして布団に。
3月26日(土曜日)
天気予報通りに夜中に風が出て来て、その後明け方雨がきた。昨夜は酒を飲んだ事もあるが、食わずに飲んだので朝は猛烈に腹が減っていた。かと言って、昨夕は買い物に出なかったので食べるものがなくパンの切れ端を齧り、リンゴとバナナのジュースを作って飲んだ。これに納豆があれば嬉しいが生憎だ。お茶に牛乳を混ぜて大量に飲んで腹を膨らせた。昼は友人とどこかに行こうとメールをすれば仕事でダメとの返事。大雨の中一人で出かける勇気もなく、ありあわせで焼き飯を作る。この頃から妙な腹痛があった。腹痛はあるけど空腹だから食べた。午後は、昨日英語を頓挫したのでその挽回。ボルトンの翻訳8000文字を目指したが、7600文字で時間切れと腰痛肩こりで断念。着替えと洗面用具をまとめて安芸市にある銭湯へ行った。立っても肩まで浸かる風呂で歩いたら、のぼせるのと同時に腹痛が治った。余り空腹でなくスーパーでお寿司とひじきを買って帰った。雨は上がり、明日は晴れそうな予感がする。雨の日でも運動は続けていたが、ここ最近はコロナの関係でプールを断念しているから運動なしの日がある。海岸に出て走れば良いのだけれど濡れるし寒いなど言い訳をするようになった。こうして歳を取るのかな?
夜は村治佳織のギター4K放送を見る。ハイレゾでアランフェスを聞いたことはあるけど、顔を見るのは初めてだ。母屋では4K録画だが、おうちジャンプでこの部屋では2Kで再生される。音は
480kbps(BS放送は256kbs)が主のようだから音は良いはず。同じAAC圧縮だが規格が違うのできっと高音質なのだろう。この規格を有したDAC搭載のAVアンプは今の所DENONだけと認識しているが、違うかもしれない。とにかく、ピント張った弦のように演奏も緊迫の中にあった。
3月25日(金曜日)
昨日の柵作りで目の中に入ったおが屑が、今朝目覚めの時突然動き出し、水で洗っても取れず、結局病院に行くこととなった。診察台に看護婦から頭を押し付けられ、写真を撮影して確認できたが、その前に麻酔の目薬を何度かさしている間にこのゴミが流れ、急に痛みが止まった。さぁ大変、先生はまぶたをひっくり返してもゴミが取れず、結局はうやむやになった。まだ痛かったら来なさいと。帰る道中でまた、ゴミが動き出した。運転中なので頭を何度か振った。もちろん前を向いたままなので、目玉を動かしたのと同じ効果があったのか、また急に痛みが止まった。先生は麻酔が切れるとまたゴロゴロ感が出ると言われたが、これ以降は普通に戻った。それから役場に行って、役員の手当てを貰った。コロナで全く活動が無いけど手当てはある。コロナの恩典ですね。2万円だけど。
午後は柵作り。完成。次に明日は大雨だと予測があって、サトウキビの新規植え付けの為に畝を3列作った。これは厳しかった。特に最後の2時間は、機械で畝を作った後、溝に残った土砂を畝の上にかき揚げ、畝を平らにならす作業。上がった息が戻るまで何度か休憩し17:15完成した。機械を家に戻す時はぐったりと来ていた。もう買い物には行けない、冷蔵庫にあるもので済まそう。不思議に腰は痛くなかった。それでも風呂は焚かなきゃ、薪を切って焚べたり湯加減を見ていると、次第に疲れが取れて来た。今晩は回復不可能かと思っていたがそうでもなかった。まっ、安全を見越し食事の後すぐ布団に入り、「孤独のグルメ9」をkindleで見たがとても睡魔に勝てず就寝。
3月24日(木曜日)
昨晩食べすぎたすき焼きも、朝はすっかり空腹で目覚めた。ごぼうをゆがいてジュースにし、自家製のパンで朝食。ボルトンは5300文字で目標を上回った。午後はサトウキビ柵作り。後1日の工程となったので、17時前にトラクターを引き出し畑を叩いた。夕暮れが遅くなって18:20ごろまで作業ができ出した。明日畝上げして、サトウキビの植え付けを行うつもり。もう春が来て作付が迫っているのだ。寒かった冬も遠い彼方にある。ひであき君に会って、4/1からの打ち合わせを行った。
昼は十分食べたのに、夜は空腹で昨日に引き続き腹一杯食べた。昨日体重を測ればほとんど変化なく、増やそうとしても体重は増えなくなった。血圧にも問題がありそう。56−93だった。昨年も余りにも低く(39-65)、計り直しを行った。いつもじゃないが時々このような事がある。高血圧も問題だが。肺活量は3.6リットル。レクサス級。同年齢と比べると600ccつまり軽自動車のエンジン1つほど余裕がある。これが多分僕の元気度かな。
夜は再び滋賀の友人からのCD、ブルッフのバイオリン協奏曲1番。ムター&カラヤン盤も持っているので比べた。ムターもいい。が、このCDの方が俄然いい。独自の解釈だが演奏がダイナミック。その後、THE BANDのLAST WALTZを聴く。ライブ盤なのによくまとまった録音だし、演奏に熱がある。僕的には名盤。これを発売当時買っておいた僕の見識には恐れ入る。多分書評の影響だろうが。調べると、1976年の録音、なんとマーティン・スコセッシ(敬愛する映画監督)が撮影もしている。そしてこの年、彼は「タクシー・ドライバー」も撮影していた。眠い目をこすりながら3面4面を聴いて倒れるがごとく就寝。
3月23日(水曜日)
人間ドック。胃に異常あり、念のために組織検査、1週間後に電話で確認。腎臓に水疱があって様子見。心電図で時々波形が逆に出ているなど体は着実に進化を遂げている。昼飯をセブンのサンドイッチとコーヒーで簡単に済ませ、土佐山田にある三谷ミートに行ったが生憎の休日。帰り、スーパーフジで肉とすき焼きの材料6500円を買って帰宅。
サトウキビの柵作り1列に着手するが、雨で中止。
風呂を沸かし、食事の後、滋賀の友人から送られて来たCDを聞き感想を書く、奇抜な演奏でサーカスを見ているような演奏をどう評価して良いやら。一度聞きには面白いが次に楽しんで聞けるかどうか?しかし今夜は音が乗っていて、昨晩とは違った演奏。かくも体調によって評価がこうも変わるとは不思議なレコード。書きかけたがもう一度聞き直し訂正しなければと思い、iPadを置いて聞き始めればたちまち睡魔の世界。
疲れは今日の雨のように身体に染み込んで、睡魔がウイルスのように繁茂した。
3月22日(火曜日)
悪の権化プーチンと記事は掻き立てる。一方で、HRマクマスターの「戦場としての世界」の中東編を読むと、アメリカがイラクの大量破壊兵器保有の疑いに対し武力行使、フセイン殺害に至った経緯は、プーチンの行為とよく似ている。どちらも正義を形取ったものだが、どちらも悲惨を呼び起こすものでしかない。歴史を遡れば日本軍だって満州事変をでっちあげたし、イギリスはアヘン戦争で露骨に侵略している。戦争に正義はなく、侵略の理由はでっち上げだった。
朝から雨で、氷雨だった。英訳は4300文字。よしよしだ。昼飯時に高知の友人がやって来た。もう少しのタイミングで4000文字が頓挫するところだった。今日時間を食った単語はlay、トランプの奇抜な考えを一先ずは「置いといて」の意味と、ボルトンがトランプに「嘘をつく」のと両方受け取れて、辞書で単語の事例文を探して時間を食ったりした。ここは、前後の文脈と照らし合わせればわかるはずだが、前後の訳もふらついているのであてにならない。340ページも訳したのにまだこのレベルだ。
3月21日(月曜日)
LPレコードを再生すると、ボーカルがどうも左寄りに聞こえる。プリには左右バランスはなく困っていた、ところが針先を見れば少し左に傾いていた。それでカートリッジを変えると、ボーカルがセンターにきた。最初は耳がおかしいかと思っていたが杞憂だった。安心した。30年以上古い代物なので当初の性能は出るはずがない。LPはナローレンジだが気持ちの良い音の塊が飛んでくる魅力があるが、安心して聞いておられるか?には「否」だ。気を張っていなきゃならない。針圧を0.5g増やすとボーカルが一層前に飛び出して来たので当面はこれで固定しよう。
調整は中本マリのジャズボーカル/アフロディアの祈り。その後THE BAND/LAST WALTZ。録音は良くないが、ギター同士の会話が楽しめる、むしろこの音の悪さがアルバムの人気と言うか、ロックンロールの「ノリを支えている」とも思える。眠いがなかなか針を上げられない。
今日は明日の雨を計算し少し早めに仕事を始めた。トラクターで畑を叩いた、少しはアドバンテージが確保できたかな?と思うその矢先、蘇我さんが「邪魔するぜ」とやってきた。近所のしゅんろうさんも「カンショを植えるから用意してくれ」と来た。
今日の英訳は3300文字、これら余計がなければプラス1000文字は固いのに。28日は土佐ロイヤルホテルの朝食会に出席するよう勧められた。僕の翻訳はかなり本気モードなのに、翻訳とは「このような障害を乗り越えて行う作業」だと観念するようにもなって来た。英語に傾倒する事で読書は疎遠になって来た。全てをバランスよく回す事が不可能だとよくわかっているのに、寸暇を惜しんでスケジュールを詰め込もうとしている。もうそんな歳ではない事もよくわかっているのに、昔のように振舞っている。
どうして、お茶を立て、風流を楽しむ余裕を持てないものか?きっと今の僕に一番必要なのはこれなのに。何で落ち着きがないの?(小学1年生の成績表に書かれたコメントを今でもしっかりと保っている意志の強さは見事だ)
3月20日(日曜日)
夜トイレに起きて寒さを感じ電気毛布のメモリを1つ上げた。もう春だから草も伸び放題なのに、寒さを感じるのは歳のせいだろうか?もうすぐ70歳。紫のお祝いをしてもらうと良いと言われた。昔の船頭さんは60歳はお爺さんと歌われたが、僕は遥かに超えてしまった。
午前中、隣の畑に来られた、まさのりさんと談話30分。それで、今日の英訳は3300文字。毎日4000文字超の記録が出ていたがこのロスは挽回不可能だった。その間洗濯物を干すなど作業もあったので尚更厳しかった。英訳は毎日かなり際どい時間勝負をしている。誰のためでもなく、自己満足のためにだけ。微妙なためコンスタントに記録を出すのは難しい。
本音は邪魔が入らない方が理想だが、こうした緩衝材があるからこそ、飽きずに続けられているかも知れない。実際コンを詰めるとドット疲れる作業でもあるからだ。
午後は西下段に柵を施す作業。柵のための竹を切った。今回は畑が狭いので60本。明日の夜は雨との事で22日は作業が止まる、23日は健康診断でこれまた作業が止まる。焦って作業が雑になり、強度を落としても不味いが月末までの期限に間に合わす必要もある。都会の人には想像出来ないだろうが、ここは高台で遠方に土佐湾を眺め、燦々と輝く太陽の下で鶯がすぐ近くで鳴く。遠くではコウジュケイ。そして今日からはうるさく喋る燕がやってきた。ノコギリを引けばカエルが鳴き声で呼応する。人はやってこなくても、やっぱり自然の緩衝材があるのだ。
夜はメンデルスゾーン/イタリア/バーンスタイン盤。テンポが良く小気味良い。何だが余裕で振った感じすらする名演。問題があるとすれば、中古レコードで盤の汚れが酷く、針に直ぐ埃が溜まって音が歪み出す事だけ。
3月19日(土曜日)
お墓にしきびを供え一応お彼岸の体裁を整えた。残るは仏壇のみ。それにしても忙しいのはサトウキビの柵作りに、この1週間で伸びた草退治が加わるから。昨年は徹底して退治したので草の様相が変わった。と言うか、品種が減って均一化された。つまり僕の草刈りに対応できる草のみが生き延びたと言う訳。動物や植物はこうして環境に対峙して来たんだと勉強させられた。いわゆるダーウィンの進化論ですね。タイトルからは進化を意味するが、内実は消去法なんです。隣ではまさのりさんが、つくね芋を植える用意をしていて、僕も忙しい中に準備をしなければと焦る。
昨日の雨で井戸は復活し、お風呂はふんだんに水を使えるようになってめでたしめでたし。
夜、友人の奥様と1時間の電話。暫く話をしてなかった、最近町内会の会長に推挙され、物凄い量の仕事を仰せつかったと嘆きがあった。元々事務職の有能な人だったので、「ズボラな私」と謙遜されたが、多分うまく事を運ぶだろう。ただ、副会長に事務(PC操作)を自慢する人がいて嫌味な人がいるのが問題だと言う。それはつまり僕のような人の事を指すのですが。
夜、レイブライアント/PLAYSを聴く。初期のCDで、音が痩せていろんな音の要素がカットされた寂しいアルバムだった。だが、さすがマルチチャンネルの威力か?楽器の粒立ちは明確で、正にピアノタッチが手に取るようにわかる。良い装置とはつまらないソースでも立派な音楽に帰すると言うことか。又オーディオに火が付いた感じ。FYNE AUDIOに面白そうなスピーカーがある。
3月18日(金曜日)
アマゾンプライムで「ワイルドスピード/ジェット・ブレイク」¥199を観る。この映画はシリーズもので、昨年は「アイス・ブレイク」を観た。ヴィン・ディーゼル主演。近年のアクションものは、この人と、「ジェイソン・ステイサム」と「ドウェイ・ジョンソン」の3名が握っている(と思う)。僕はどなたでも好きだが、ややジェイソン氏が好きだ。昔は、「アーノルド・シュワルツェネッガー」と「シルベスター・スターローン」の2巨頭だった。アクションも正義と悪の対立から、近年は敵の敵は味方的な複雑さを増し、上映時間が長くなったし、途中筋読みを失い、後半になってやっと筋を見つけ戻ってくる始末。しかも、それは脚本に問題があるのか私の頭に問題があるのか不明。さてこの映画は車の追っかけシーンを主にした映画で、今回もありそうにもないCGが大活躍する。最近は役者の背景の風景には巨大スクリーン(LEDのRGBでカラー表現)を使ったり、役者は40台の3Dカメラで全身をデーター化されて、先のスクリーン上に配置されたりしているから、アクション映画と言っても役者は声の表現力が在れば良いだけとなるかも。ウクライナのゼレンスキー大統領が、AIで擬人化され、ウクライナ人に投降を呼びかける偽SNS配信するとかにロシア軍に利用され、映画の技術が戦争にも使われている。高速でレンダリングできるMac Studio などは、制裁対象となるべきだろう。映画の内容はドミニク兄弟喧嘩が3/2を占め、後半は兄弟が仲良く意気投合して悪を懲らしめる。メデタシの結末。
3月17日(木曜日)
今取り掛かっている畑は面積が狭いので、思った以上に進捗があるが、明日は雨で、これから雨が頻繁に降るようになるから、作業はそんなに上手く進まないかも知れない。
また、自慢の風呂だが、井戸水が枯れた。芸西村は渇水で水道節約の放送を連日行なっているが、我が家は一足先に渇水となった。井戸を覗くと水面が遥か下に見えた。夏の日照りでさえ枯れなかったと祖父は言っていた。僕が帰省してからも今までこんな事はなかった。それで地震を疑ったら、何と東北で地震があった。東南海地震が近いかも知れないが明日の雨に期待。
アップルテレビを注文した。先日アマゾンの配信映像で007を見て、結構感動し、アップル動画は見られる契約をしているので、今回思い切って機器の注文をした。4K仕様の64G版だ。
次回の雨の日に見ようかと思っているが発送日程の連絡がない。
3月16日(水曜日)
いよいよ、もう一つの砂糖キビ畑に転倒防止柵を施す作業。少しの合間があればサトウキビ畑の草を刈る作業も組み込まなければならず、寒さが遠のくは忙しさが近づくのと同意語だ。そして春本番、もう汗は尋常でない。と言うことはビールが美味いのと同意語だ。今作業に取り掛かっている畑の上の段にも畑があって、こちらは芋、つくね芋、サトウキビと混合の予定だが、未だ整地をしてない。こちらも3月中。さらに芋やサトウキビを植える作業もある。大きな作業を指折り数えるだけでも大変な作業量。幸いにして、ボルトンの翻訳は4000文字を2時間以内に可能となったから、少しだけ余裕ができたはず。ボンクラ頭も少しは進化している。
料理の先生にジャガイモの煮っころがしを習った。感心したのはジャガイモの角は面取りする。角がこぼれないようにする為。成る程ここまでするか?鴨料理にかけるリンゴソースも習ったが、少しハードルが高く無理かなぁ。出来上がった料理を食べながら酒を飲んだ。
3月15日(火曜日)
朝から沖の田を叩こうと思っていたが、バッテリーが上がってエンジンかからず。充電を行うも、ほとんど変化なし。コーナンで8800円の65AHタイプを買った(標準品は85AH)。これでも多分動くだろうと思ったが正解。多分農協に頼めば4万円コース。午後は、伝承館で砂糖の加工を行い明日かっぱ市場に出荷する予定。
HIVI10月号に山本浩司氏の推奨ハイレゾが掲載されていたので、久しぶりに購入。この人と和田博己氏は僕の好みと一致する。リズ・ライトとハービンハンコック。7130円だった。NASにはまだインストールしてないので、PCにDACを接続し、ヘッドフォンで聴く。HPはゼンハイザーHD598。非常に広い帯域の音で伸び伸びとした音が出る。超低域が左から聞こえる。本来なら右も出ているはず、だが僕の右耳は低域の感度が低くなっていて無理だった。オーディオ投資は僕の夢だが、ここらで終止符かな?と思うところもある。
7回忌に併せて両親の墓を建立するつもり。墓石には、慣例に従って戒名などを彫る事を推奨されるが、今回僕が決めたことは、外国の墓にもあるように、生まれた時から、死ぬ時までの西暦の年月と、本命と、建立者指名だ。岡村家が続くとすれば、ひ孫たちが見ても判別できるようにとの思いを込めて。
3月14日(月曜日)
飲んだか?と聞かれて飲んでないと答えた。僕たちの作る精糖組合で販売した「白玉糖」を材料にしたビール。これではいかんと、その後早速購入。1本600円。黒ビールだった。肴は鯵。味は?余りにも美味すぎた。美味いのには伏兵があって、今日の午後は炎天下サトウキビの柵作りが最終を迎え、かなり気合を入れて始末をつけた為、暑いの何の。しかも水の用意がなく、体から水が抜けていた状態だった。だから美味い環境が整っていたわけ。だから本当の味は不明と答えるのが正直なところ。
その後、こんにゃくの刺身と糸切り昆布をヌタで夕食を頂く。これにも文句が付けられませんわ。夜、チンチンに沸かしたお風呂を水で薄めながら入ろうとしていると、水が止まった。井戸が枯れた。12月からの渇水でとうとう我が家の井戸も影響が出始めた。しばらく待つとまた出るから、1日置けば復活するだろうが、綱渡り状態になっている。
ロシアの侵攻が止まらない。ウクライナに言いがかりをつけて占領する意図だが、実際のところ理由はそれだけだろうか?西側陣営の情報しかないから不明。しかも今回はロシア以外の東側陣営の情報はほぼないので、結局のところアメリカの言動が正義となる。
ベートーベン交響曲7番/カールベーム指揮ウインフィル/NHKホールでの録音。名盤。スッキリクッキリ録音されている。印象は3楽章で少し長く引っ張るような気がする。そこが重厚でベートーベンらしくも聞こえる、そして4楽章はピリリと辛めの引き締まったテンポ良い演奏、と僕は見た。これぞ芸術だと。ベートーベンが指揮する演奏は聞いた事がないが、氏の意図を超えた演奏の一面を代表しているかも知れない。実際の演奏を聴くと感激で涙が出ただろうな。これが録音された1977年は高松にいた頃だだから、その気があれば行けた。実際に東京の知人を訪ねて別の日程で東京に行っていた。残念なのは未だクラシックの醍醐味に目覚めてなかった事。
3月13日(日曜日)
午後は雨の予報で、朝から作業をするも雨は来ず、結局5時まで作業。しかし、柵はあと一歩のところまで進捗。明日は完成する。残り15日で西下段の畑の柵が出来るかどうかが問われる。疲れで音楽も無しで睡眠へ。
3月12日(土曜日)
4時から英訳を始め6時に終えて4400文字。朝の新鮮な頭脳を使うとこれだけの性能が出る。午前中日課をこなしながら洗濯。朝食後の英訳は3200文字で少し能力がダウン。日経新聞の書評覧に面白そうな書籍、Kindleで検索し3冊購入。候補は5冊あったが他の2冊は紙での提供で断念。時間に余裕があれば読みたい本ばかり。午後はサトウキビの柵作り。毎日同じ作業で飽きないか?全然!むしろ毎日進捗があるので達成感があってやり甲斐が沸く。
3月11日(金曜日)
昨年の日記を開いて健康診断を思い出した。慌てて予約をすれば3月23日。忘れるところだった。何時も中間より少し悪い評価で来ているが、今年も欲は言わないけど昨年並みでいて欲しい。これですっかり予定が狂ったので、午前中は禁を破って竹切りの農作業。お昼は野菜中心の食事の禁を破って喜ら功の唐揚げ弁当。やっぱり熱々のジューシーな肉は美味い。夜は刺身イカを貰ったので、禁を破ってビールを飲んだ(酒は仲間がいる時だけにしようと決めていた)。そして夜は英訳を取り戻そうと頑張るが一文の訳だけでコックリ、椅子からころげ落ちそうになったので、1日3000文字訳の禁を破って8時半に寝た。如何に自分の取り決めた禁を破るのはたやすく、気楽なことかと気付かせられた1日だった。
3月10日(木曜日)
1昨年はこの畑でサトウキビの転倒防止柵を作るのに18日要している。今年は日雇さんを雇って今日で13日目だ。意外と遅い。というのは今年の最新バージョンは倒れないように頑丈に、しかも背を高く設定して進めているので余計な時間を食っている為。しかしこれとて、12月になってサトウキビが5mを超えるようになってからの大風が吹けば、一気に倒壊するだろう。しかも近年天候はますます凶暴になりつつある。この柵作りを年間行事とするにはいささか厳しいものがあり、しかも柵になる竹が枯渇する。先の心配をするのは杞憂だが。
最近は農作業から帰って直ぐに風呂を焚き入る事が多い。そして風呂は直ぐに温もらないのに入って震えることも多い。時には風呂から出て薪を焚べる事もある。薪はその場しのぎで少量だ。だが、冷えた身体は、少々の薪では温まらず、再び薪を焚べる事になる。火力の小出し追加は解決にならない兵法で、風邪を引きそうな寒さに震える。この教訓は色々示唆する事が多い。でも今更知識を得てとしてどんな役に立つのだろう。
今日からホトトギスとコウジュケイが鳴き始めた。鶯と相まって春の陽気を運んで来てくれた。
3月9日(水曜日)
ウクライナ危機とペブロスカイトの関係について。ロシアはいよいよ窮地に陥って無差別攻撃を始めた。西欧から持ち込んだ武器によるソ連軍の被害は甚大で侵攻が思い具合に行かない為だろう。シリアから市街戦に慣れた傭兵の募集をしている情報もある。いずれも大きな誤算。プーチンはすんなりと降参すると見ていたのだろうか、クリミア半島のように。
危機は長引き、石油が高騰した。一方で世界中でコロナ禍による在宅勤務が身近な存在となりつつある。僕はこの2つはどうも関連があってまだ見ぬ解答がありそうな気がする。そして、一つの示唆が日経エレクトロニクス2月号にあった。それが「ペブロスカイト」。太陽電池に従来のsi 系の材料を使わず軽量化でき、発電効率が10%も良くなる素材。当然経営者はここぞとばかり投資のアクセルを踏む。最先端はHISの澤田社長。あの旅行会社の。サンヨーの虎の子を買ったパナソニックではない(なんとも情けない話だが)。続くは中国の起業家達。もしこれが数年内に本格化し稼働を始めると、時を同じくして車のEV化によるバッテリーの高性能化の相乗効果で、電力の供給が変わる。と同時に石油の依存が急激に萎む。本当に年率数十%の減る可能性だってある。つまり、アラブなど石油原産国はそれを見越すと言うか、技術開発を遅らせるため今こそ、石油の増産をすべきだろうと思うが、彼らは出し惜しみをしている。結局泣きを見るのは自分たちだと解らない。石油依存が低下し普遍化すれば、アラブは西欧の関心を得られず、次第にアラブに内紛の戦火が及ぶに違いない。評論家ラナ・フォルーハーがいみじくも言った。人間の本質は戦争が好きだ。
3月8日(火曜日)
今日もいい天気。サトウキビの棚作り。棚に使う竹の切り出し。大変な労力で夕食時身体が怠いが、ご飯は大量に掻き込むことができた。昨晩ウイスキーをたらふく飲んだが、今日への影響は全くなく、腹の調子もすごく良かった。朝空腹で焼き飯を作ったが、胃もたれなく、昼飯時には空腹だった。やはり野菜中心食は身体の調子を整える。
夕食後早めに部屋に引き上げたが、大きな睡魔はまだやって来ず、ブルックナー交響曲5番ギルギエフを見る。ロシアのウクライナ侵攻で、西欧各国はロシアに制裁を課した、西欧にいるロシア人達には、プーチンの評価をどうするのか問い詰めた。ギルギエフはプーチンを肯定した。それで、コンサートは出来なくなり、ミュンヘン放送交響楽団の常任指揮者の地位を解雇され、渋々とロシアに帰国せざるを得なくなった。丸で戦時中、戦後のヒットラーとフルトフルト・ベングラーの関係のようだ。
3月7日(月曜日)
薄曇り、少々寒いが動けば何とかなる気温。虫もまだいなくいい感じ。ポカポカ陽気になれば一気に虫が噴出し、作業に厳しさが増すが。今日も柵作り。毎日5m位の進捗。長い竹だが少々曲がっているので扱いにくい。腕を上げて背伸びしてドリルを回す。運動量は少ないのに息が切れる。なんてザマだ。午後3時間の作業で切り上げ風呂に入って飯を食う。今日は酒を飲んで酔っ払い8時半に就寝。三谷ブルースの如く。
3月6日(日曜日)
この良き日を迎え、まるで何かの記念日の為の天気。きっぱりと晴れ渡り、日差しは暖かくそよ風があって、こんな日に家の中にこもっているのは、罪だと思える天候。サトウキビの転倒防止柵に着手しているが、前回と違うのは、柵の高さを180cmに上げた(前は170cm)ので、足の踏み台が無ければ届かないのだ。他の人なら何ら問題がないのに、こればかりは仕方ない。(僕の友人関係は皆、背は高く踏み台は不要ですが、もうこんな厳しい作業はできなくなっているので、おあいこか?)残り5日間の工程だと踏んでいる。
夕食にグレのあら炊き。薄味だが結構行けた。合わせの野菜に、わさび菜のお浸し、スナックエンドウ。満足。
夜は翻訳を開始するも、やはり30分でコックリさん。22時の壁を越せずダウン。
3月5日(土曜日)
今日は邪魔者は現れなかったが、買い物で高知に行く必要があった。一つはBDディスクとパンミックスの購入。一つは書籍。一つは野菜。まずは北京オリンピックは結構録画したので、その保存のため。夏のオリンピックも整理してないままだが、パンミックスは自己流のパンと、パナソニックが監修したパン粉との比較で技を磨く必要がある。書籍はブックオフで気になるタイトルが並んでないか?チェック、と言うのは、最近kindleで購入した「戦場としての世界/HRマクマスター」はプーチンを分析していて、今にもウクライナ侵攻がありそうな書きっぷりだったので、書籍に心が傾いたから。野菜は、淳子ちゃんから貰った鴨肉の料理を、先生に教えて貰う為の材料購入。さすがと思うのは、先生も鴨肉の料理はした事がない、だがクックパッドでレシピを見せれば、たちまち全容を理解する感の良さがあるのだ。僕は昔から職人さんを尊敬しているが、正にそれでした。
それで、農作業は断念。それでも疲れがあって、夜英語の翻訳を試みるが30分でコックリさんでした。
3月4日(金曜日)
昨年倒壊したサトウキビの転倒防止策の残骸利用も使い果たし、新たな竹の切り出し作業。この竹は直径が小さく長いし(8mくらい)、肉厚なので丈夫。だが重たくものすごく疲れた。日雇さんを雇っての作業。僕はそれでも無休憩なので、「少し休んで水でも飲んだら」と逆に勧められた。コロナワクチンで昨日はダメージがあったが、今日はそのワクチンのエネルギーで元気が有り余っていたのだ。滋賀の友人から書籍を出版したから是非読むようにと案内。実際のところもう僕は他の書籍を読むには限界にある。1日の中で30分の猶予もない首相のスケジュールに近い。
そんなこともあって、夕食後早めに部屋に引き上げ、日記を記録しようとすれば、たちまち朦朧となってダウン。「落ちる」ごとく夢の中へ。
日経新聞から、数字だけを拾ってエクセルに打ち込み、平常時の数値を上回ると赤字、下回ると青字になる設定をしているが、ここ2週間は数値に色がついたままだ。株価の日経、ダウ、ナスダック、ストック、通貨のドル/元レート、材料の原油、金価格、スズ、アルミ、プラチナ、パラジウム、10ミリ異形棒10ミリ、大豆、ロイター指数、小麦、トウモロコシ。僕が指標とした項目の多くが対象となった。戦争は大きく世界経済を狂わしている(別に僕が指摘するまでもないが数値が語っている)。
今日からウグイスが鳴き始めた。
3月3日(木曜日)
昨夜、寝ている時に悪寒が来て、毛布の目盛りを1つ上げた。そして午前中も寒気は続き関節が痛くなった。名古屋の友人も3回目については同じ事を言っていた。ワクチンのせいだ。友人と違ったのは、彼は寝込んで、僕は農作業を挙行した事だ。激しい作業を続けて悪寒と関節痛は午後3時ごろ消えた。正しい選択だったのだろうか不明だが克服はした。英明君に3月20日からのピーマン収穫の応援するのを延期して貰って10日間の猶予をもらい、サトウキビの柵作りは何とか仕上げる目処をつけた。服がドロドロで風呂を沸かして、温もり切らないまま入浴、湯温が上がるまで水の中で待機逆上せた頃に風呂桶から出ることができた。最初の30分は結構寒くて辛かった。
夕食に昨年暮れに伊尾木川で採れた大きな鮎を焼いた。ナショナルの「煙らん亭」で18分。香ばしく美味しかった。夕食のタンパク質はこれだけだったが、身が大きくて念のために控えていた鯖缶詰はお役ご免だった。
3月2日(水曜日)
忙殺の日だった。朝一番からコスモスベリーズのOB会事務局から電話で、会の解散とその後の手続きについて電話があって、終えるとコロナの注射。帰ると高知の友人が来て1時間半居座り、食事の後、きまさごで柵作りをすれば2時間半後に曽我さんがぶらりと来てコーヒー。その後の風呂を沸かすとお寺さんが夕食を取りに来いや。家に帰って、料理の先生に明日の献立を聞けば1時間15分の長電話。今日が今年のピーク。お客様が来てくれるのはありがたい事だ。電話も今となってはありがたい事だ。だけど、どうした事だ。今年の突然の潮の流れの変化は?「僕に英語の勉強を辞めさせ、何処にも行かずに家でみんなと楽しめ」と言う事だろうか?先月は月末ダッシュの読書も出来なかった。そして2月の食費が35千円と過去最低記録を樹立。恥ずかしいながら、近所で食べ物を貰って生活していたのだ。落ちぶれ果てても拙者は食うことだけはできる筈だったのだが。
マイナンバーカードが保健証に、デジタル庁が騒いでいたが、何と現実。コロナの注射に行った時、面白そうな機器があったので早速試してみた。何度かエラーが出て、「次へ」を押して行くと、カードと保険証が合致するようだ。しかし、何処で終わるのかが不明で、看護婦さんがその辺でカードを取り出しても良いですよとアドバイス。ちょっとハードルが高く、多分普及は無理だろう。ここには師匠の娘さんの看護師さんが勤めていて、彼女はITにもたけている活発な女性で、この機器の指導ができた。多分大きな病院では専任が必要だろうし、小さな病院ではIT女子不足でお手上げか、本部に電話で問い合わせだろうな。マイナンバーカードの登録も結構ややこしかった。拒否感があるのも普及が進まない理由だが、それ以上に登録が難しい。スマホになれた人が前提となるので、昭和の世代が消えかかる2040年頃に何とかと言う事だろうか。
3月1日(火曜日)
午後から雨の予定だったので、午前中柵作り、午後に英語の勉強。夕刻、映画007「No time No Die」アマゾンで¥399払ってレンタルした。雨の中ツタヤに向かう必要もなく、返却の煩わしさもない。筋に、「羊たちの沈黙」で語られるハンニバル・レクター博士のパクリがあったり、ダニエル・グレイグのアクションが少なく心理的描写が多かったりで、精彩を欠いた。氷が割れて、体重の軽い少女が湖に落ち、体重の重い大人が同じ氷の上に立って救ったり、妙にCIAのエージェントがハイで浮いていて場面に合わなかったり、新「Q」の存在が一人で成し得ない事をしたり、僕の(映画の)読解力が貧者だったのか、シナリオがずさんだったのか判別つかない映画だった。レンタルは30日有効なので、もう一度見直すかも知れない。
2月28日(月曜日)
朝食事の後、心臓が痛かった。ここ数日食事の後心臓が妙な感じだ。父母も心臓の病気で亡くなったので、これは一大事と高知の父が入院していた心臓の病院にかけつけた。ずいぶん待って院長先生に対峙すると一笑された。「あんた、心臓の位置が間違っているよ」「兎に角検査してみるかえ」エコー検査や、走りながらの心電図を撮った。その後面談、「やっぱり、なんちゃぁ無かったろうがぇ、大丈夫。終わり」とあっけなく放り出された。そして何だか痛みも消えた。なんだったのかなぁ。
帰ってきまさごの柵作り。そう言えば、このために大きな深い穴を掘ったが、掘る道具は胸の前で、長い鍬を開いたり閉じたりする作業で、アスレチックジムでは、ゴムバンドを両手に挟んで開いたり閉じたりする運動に似ている。慣れない作業で胸の筋肉が驚いたのだろうか?
その夜は、少しだけウィスキーを傾けた。お祝いのため。
2月27日(日曜日)
今日は暖かく、黄砂が飛来して土佐湾を眺めると霞んでいた。日差しは柔らかく汗ばむ陽気で、いつもの通りの春がやって来た。こうして穏やかな日を過ごせるのはありがたい。日本の政治家はあまり評価をしてないけど、兎に角87年間平和が続いているのには感謝しなければならない。今回のロシアの出方はクリミア半島併合の西側反応が生ぬるかったからだとの反省の声が多いのを鑑みると、平和は紙一重の匙加減で均衡されている感じがする。2019年香港の法改正についてアメリカの反応は薄かったのは、台湾侵攻にお墨付きを貰ったと中国に変な誤解を与えたかも知れない。
テクニクス会事務局から、棚橋正夫氏の投稿記事が西宮市のHPに掲載されたと連絡が来た。開くと、映画の一コマのような戦争体験がビジュアル化されていた。ウクライナでは正にこの状況が今起きているのだと思った。
夜の音楽にLP 山口百恵/Golden Flyghtを聴く。ロンドン録音。ワイドレンジじゃないけど、音が素直。こじんまりまとまった音の塊が飛んでくる。実に気持ちの良い音だ。こんな事をしてて良いかな?と思うが彼らの為に、なすべき事もない。
2月26日(土曜日)
伝承館で昨年度の労賃の支払いがあった。伝承館の収支は+で終えたと収支報告があった。そして本年度も勤務時間の内2時間カットで精算、工賃を十円上げた状態で固定すると。組合員の高齢化に伴い、年1名の追加人員増が必要。販路が広がる一方で、生産数量が高齢化で激減しているので、引退した農家の高齢者に栽培の促進と畑買いを検討の話があった。帰ってこの会議に不参の曽我さん(ワクチン接種のため)から電話があり長いこと話し合った。
結局英語の時間は激減し500語の翻訳のみ。午後は、きまさごの竹柵作り、一昨年これを仕上げるのに1カ月を要した大変な作業量。その時はサトウキビがある程度伸びた5月22日から作業を行っている。昨年末の大風で倒壊しなければこの作業は不要だったが。今度の仕様はもっと丈夫にすることを目的に、柵の高さも180㎝(従来は170センチ)とし、5m間隔で木の杭を打ち込んだ(従来は竹)。また、2.5間隔で竹の杭も併用し、これも深さ30センチ程打ち込んだ(従来は10センチ程)結局は手間をかける程いいものができる。今回は完成を3月20日(近所の農家に応援開始)に設定しているので、結構焦っている。
夜はカーリーサイモンのLP ”Boys in the Tree”を聞く、2曲目くらいから音が歪だした。インサイドフォースキャンセラーの調整とか、針圧を重めにしたが改善せず。LPの録音が悪いと烙印を押したが、Chick Corea/ケルンコンサートも同じ状態。これはおかしいと針先を見ればほこりがこびりついていた。刷毛で拭くもなかなか取れず液体を使った。昔の岡村君では考えられない失態、それだけボケが始まりノウハウが溶け出した。恥ずかしい話だ。
2月25日(金曜日)
今日は文旦の作付けに苦土石灰を撒いた。苦土石灰はアルカリ性で土地を中和させる。次に鶏糞などの肥をやれば良いかと思っている。1時間くらいで終わったので、倉庫の片付け、煙突の掃除、夕食の買い物と次々と案件を仕上げていったら、結局いつも夜と変わらない時刻になった。倉庫も掃除をすればスッキリとして気持ちが良い。キッチリとするのが僕の生き方だとすれば、料理の先生は行き当たりばったりの生き方。「あなたも、少しは気を緩めてはどうか」その意味はよくわかる。そして僕はそうすれば楽だけどストレスが溜まるのも、今までの経験でわかっている。中々生き方は変えられない。
2月24日(木曜日)
文旦の剪定は今日で終わり、消毒も済ませた。後は肥料を撒くだけとなった。久しぶりの達成感。
ランニングハイの中毒症があるが、農作業ハイとかオーディオハイの中毒症は聞いたことがない。しかし、毎日ではないが、夜は気持ちの良い音を聴いて感動している。これをどう表現すれば伝わるだろうか?いつも思う。オーディオ雑誌に登場する評論家諸氏では殆どお目にかかれない。僕が評価するのは村上春樹氏か五味雄介氏の2名。何度か本を読み返したが、凡人にはその筆を盗むことは無理だと観念。
ウクライナの危機。プーチンも世界情勢を読んだつもりだろうが、侵攻に踏み切ったとは驚き。瀬戸際で踏み留まらなかった(読み間違えたかな)。プーチン曰く、「隣国がNATOに加盟すれば脅威と映る」感覚は僕には理解できない。1941年ごろのレニングラード包囲が教訓にあるのだろうか。プーチンも僕も同じ年齢で、この頃を体験できているとは考えにくいのだが。
2019年夏デンマークの空港で、日本人の若い女性に、ポーランド行きの飛行機乗り場を聞かれたことがあった。バイオリンケースを持っていたので、音楽留学生だろうと思った。この国までは音楽の門が開いているのだろう。その時、そこから東では音楽関係を聞かないぞ、もっと東のサントペトルブルクでは音楽やバレエの声を聞く。やはり、何か暗い影が音楽の足を引っ張っているのだろうか?とも思った。
ウクライナのキエフは首都だが、ずっと昔からこの街を知っていた。と言うのは、ムソルグスキーの「展覧会の絵」(1971年エマーソン、レイクアンドパーマのLP)と言う名曲があって、その中に「キエフの大門」があるからだ。中央アジアを訪問する機会があれば、この大門を見たいと思っているが、もう僕の存命中は無理だろうなぁ。
2月23日(水曜日)
昨日は電源ボックスの変更で音質向上したが、音像の定位が左に寄った。耳を疑った。もう歳なのか?と。それで本日もう一度マイクで自動調整をすれば、右側の低音用スピーカーが外れていたのを発見。再設定すれば今度は音像が右寄り。マイクの位置を正確に中央に設定し直すと中央に決まった。オーディオは少しの振舞いで、微妙な音の変化をするから楽しい。今のところ、このシステムは最高の状態にセットされている。が、惜しむらくはジャズが良すぎて、僕が求めるクラシックはその次だと言うのが辛い。
午前中はお寺さんの焚き木で時間が潰れた。午後は、文旦剪定。やっと目処がついた。
夜は料理教室。味噌汁の作り方を教わった。いつも、味噌汁のパックを買って済ませていた。だが先生のやり方では、美味しいのが味噌汁パックを使わずとも短時間で出来上がる。感激でこれを肴にバーボンを2杯呑んだ。
2月22日(火曜日)
今朝の室温4.5度。朝日が出る前に氷が張っていた。今朝は高知の友人が来て英語は中断。どうした?もう毎日と言って良いくらい英語の勉強が中断されている。この変化は?付け加えて、Amazonに注文していた電源強化ユニットが到着した。いわゆるテーブルタップですが、オーディオ用です。タップは6口、KUJO TECHNOLOGY、コンセントはViborg:VM-511¥27,000円たかがテーブルタップ、されどテーブルタップ。(オヤイデはこの分野で有名メーカーだがもっと高価で手が出ない)音の純度が上がり、音の響きや残響が増えて、JPOPはお風呂の中で歌っているように聞こえる(音の処理に厚化粧しているので音質劣化が如実にわかる)。低域が締まり、ゴム毬が弾くような低音が出る。あまり低くない低音も硬くない。こんな事件があって、益々遅延。オミクロンと共に人々が来てくれるようになった、きっとこれはいい事だろう。
ウクライナは東部がロシアに併合された。クリミア半島のパート2。プーチンは世界情勢を深く読んでいる。ここまでなら大丈夫と。一流の政治家だと思う。
午後文旦の剪定と山際の溝掘り。お寺さんと、純子ちゃんにそれぞれ、赤飯と太刀魚寿司をもらう。
2月21日(月曜日)
ボルトン翻訳は一段と難しくなった。特に欧米人の文章にありがちな、記載の時間がいとも簡単に前後する。こんな調子だ、「今」「過去にもあった出来事」「今に結びつける」。普通は過去→今の現象とすればスッキリする。よちよち歩きの翻訳家には、この時間の飛躍には(多分接続詞が動詞の中に含まれるので、文章が繋がらないと思う)なかなか付いて行けず、断片の裏を取るため、Webを開いて、アメリカ政治行事、世界的な会議開催などの日程を確認しながらの作業で益々延滞気味。
まぁここで苦しんでいる代わりのご褒美は、きな臭いウクライナ情勢をリアルに掲載したNYタイムズとイギリスのガーディアンが少し辞書の助けを借りるだけで読めたりしている事。僕の購読紙は日経で海外のニュースは古く、同じネタを何度も使い回ししている。有事には(昔、朝日新聞と言われたが)今では海外サイト。
文旦の剪定は草刈りに邪魔となっている枝のみを取り除く作業に変えた。このショートカットで明日には完了する筈。
夜は料理の先生の教えに従って、少量の野菜でも種類を多くを実践献立。調理時間が増えるのは仕方ない。
夜は、滋賀の友人が送ってくれたCDを聴きながら書評を書く。音が悪くあまり楽しくはない。一方で、僕の視野は有名ブランドの楽曲と演奏家に固定されがちで、このCDは見識を広めてくれる。送られて来るCDはご自身で編集し、ジャケットや楽曲は全てオリジナル。世の中にこれしか無い優れもの。楽曲以上に見事な作品として届けられている。
2月20日(日曜日)
ボルトン翻訳は遅れ気味。今日は集会所の清掃だ。部落の行事が多い為。英語は益々逼迫感を覚えて来た。というのは今読んでいる本は「メタバース」Facebookのマーク氏も社名をメタに変更したほど世の中が変わるのを説いた本。要は、架空の出会いを演出する場の提供がある。もう既にVRCHATで始まっている。デモ映像を見たが、自由に参加できる部屋があって、テーマに興味があれば入っていける。Facebookのグループみたいなもの(文字ではなく)。自分の声で参画できる。もちろん日本のサイトは日本語だ。だが圧倒的に英語圏のサイトが多い。そこに参画できないなんて寂しいではないか。日本国は外国人から見れば非常に人気が高い。片言英語でも受け入れはしてくれそうだが、ある程度、深い話もしたい。それにはどうしても英語は身につけたい。字幕吹き出しのサイトもあり、こちらは翻訳機能が付随するが、やはり直接の会話が良い。いずれにしても5Gが普及する来年はメタバースが庶民に降りて来ている。これには乗り遅れたくない。
今日も文旦の剪定。風が強く寒く、先日と同じ。山からの泉がみかん畠の北側に湧き出ている。文旦にとっては良くないから、溝を掘る。泥は重く息が切れる。こちらも昨年イノシシに潰された。消毒をしてないから、ミミズが多くそれを目的にイノシシはやって来るのだ。
夜の音楽はモーツァルト/35、39番、リカルド・シャーイ/ウインフィル。ベームのと比べると、躍動感がある。
2月19日(土曜日)
朝食の後、雨が来た。「今日も運動なしの日かよ!」自分の中で声がする、「呼応してやるよ」と短時間で一番きつい仕事、きまさごの溝あげを挙行した。山手から泉む水をこの溝で受け止め川に流す。このため溝は深く、水分を含んだ土で重い。15m位を2時間掘った。イノシシが来て、直ぐに溝を埋めてしまうが、それでもサトウキビのためにはやらなきゃならない。雨と汗で濡れたが、まぁ今日の運動はこれで良し。昼飯に久しぶりに野市の「真田うどん」を食べに出かけた。美味しかったが、もう僕の食べる分量を越した量だった。いつの間にか食が細っていた。無理して掻き込んだらそのまま夜まで残った。これは大変と夕刻雨の中を琴ヶ浜に向かった。この砂地を1km、往復で2km走る。砂地なので膝の負担はないが、踏み込む力が吸収され歩幅が縮まる結構な運動量。芸西村はこんな特異な事をするには恵まれている。波打ち際を走ると、時々大きな波が来る、さらわれては大変と、陸に向けて全速力で走る。この繰り返し。雨は冷たく頬を打つがすごく快適。「ワカンねぇだろうなぁ」(松鶴家千とせ氏は亡くなった)帰って「パラサイト半地下の家族」を観た。ハリウッド映画のようにテンポが小気味良い。この脚本は優れもの。終始一貫、起承転結が明確で、タイトルが常に映画の底にある。モノクロ版で観て、黒つぶれし判別つかない場面も想像力を掻き立て想像の起伏を添加する。流石、アカデミー獲得の価値ありだ。ツッコミがあるとすれば、死んだ元家政婦さんを庭に埋めたとあるが、匂いに敏感なこの家の主人は腐臭に気づかなかったのかなぁ?臭いと半地下のテーマは直結しているのだが。
夜の音楽は運動と昨晩の睡眠不足で針を降ろすには降ろしたが耳を傾ける間も無く、落ちた。
2月18日(金曜日)
山神様の清掃。明日は雨なので一日繰り上げ。日庸さんに秀明君は3月後半から来て欲しいと。僕も英語があるので、昼から毎日、若しくは朝から夕刻までだと1日、間を開ける。のを要求した。逆算すれば、文旦の剪定はもう目処をつけて、サトウキビの柵作りに着手しなければ間に合わなくなる。それで今日の文旦の作業は少し丁寧さを抑えたが、それでも7本が限界。残りは未だ50本近く。途方に暮れている。僕の決断は、目処をつけて放棄する事。
夕食事時読みかけの書籍「ザリガニのなくところ/デリラ・オウエン」を開く、あと少しで終わるので強行した。物語はノースカロライナの湿地に住む孤独な少女が殺人の疑いをかけられ、裁判沙汰になる話。文章が実に読みやすく、スリルよりは心理的な描写を表現する筋で、読み方によっては深く入って行けそうな文学度の深さもある。(少し気が重くなるが)21:30息苦しさを抱えて終えた。風呂に入って、洗濯物にアイロンをかけながら映画「ホース・ソルジャー」を見た。余りにも面白いので、アイロンの後、続けて見た。内容は、米軍が911事件の後、アフガンのマザー・リシャリフ奪還する話。最新兵器と馬で突入するアナログが交差し、アナログの部分で現地のドスタム将軍とネルソン大尉の友情が芽生える所を重点的に描く。僕も一時インドで友人が出来た時、彼らの言動が正にこんな感じだった。大陸の他民族の中で暮らす人が育む人間関係様式と僕は見た。中々良かったが終わると午前1時だった。久しぶりの夜更かし。
2月17日(木曜日)
金比羅様の清掃の日。12:30集合なので、11:30に英語を止めて文旦の荷づくり。かっぱ市場に商品出荷。社長が文旦が少ないので「どんどん持って来てよ」と声をかけてくれる。この社長は口論すれば手強そうな40代女性。登り口近くの店でラーメン定食を掻き込み上がった。今日は寒い日で皆んな凍えていた。金比羅様のある山頂は更に寒い。早々に済ませて帰る途中、英明くんから4月からピーマンを手伝ってと依頼を受けた。ドンドン僕の人生が意図しない方向に流れていく。
読書と音楽、カメラで生きる老後設計はどこに行った?確かに趣味だけではさみしいが。
まぁ、コロナが収束すれば、旅に出かけられ逃避できるのではないかと期待。
それに、ステレオも調子がおかしい。音像が前面に定位しない。電源や位相、配線周りなど今一度出来るものは全て点検が必要だと思った。
2月16日(水曜日)
今日は曽我さんが来られて2時間半居座った。要件は「寒いので野良の仕事に出たくないから暇を潰しにきた」。おうそうか、「協賛するよ」。と言う事で英語は中断。一体歯車が何処で狂ったのだろう。昨年の、あの寂しさは何処へ行った?僕の努力なしで流れが変わるのはよしとしないし、レールのポイントが自動で切り替わるのは怖いがどうすべきか分からない。来客が増えたので飲み物の「メニュー表」を作った。せめて喫茶店のメニューを超えようじゃないかと。もう一つ変えた、もう自分は話さない事に。話す話題を準備してないし、聞き耳を立てて、いくつか質問を挟む。余ったエネルギーは英語に回そう(しかし今日は結局時間がなくて何にもできなかった)
外は寒かった。文旦の剪定4日目。風が強く木の上に立つと枝も自分も揺れて、どちらが基準なのか分からなる。すると枝を見て自分が不要な動きをして落ちそうになる。鼻水が垂れて来る。袖で拭いて少年の頃に帰る。山に陽が落ちて寒さが一段と厳しくなって作業を止めた。
早く風呂を焚いて温もろう。ところが、薪が古材で勢いよく燃えずぬるま湯に浸かって1時間(寒くて吐きそうになった)かかってお湯になった。それから食事。やれやれ。
2月15日(火曜日)
朝飯時、理恵ちゃんから電話。滋賀の友人と1時間電話、近所の友人と30分電話。もちろんオミクロンの関係で電話は重宝する。不思議なのは今年になって急に交際が激しくなった。それも異様だ。それぞれ要件は異なるが。僕って人間はそんなに人から好かれるタイプではない。なのに何故?2022年に暦が変わった途端に。順調に翻訳を進めていたが、急ブレーキ。
午後は文旦の剪定。風が強く木の上に立つと強い風で体も木も揺れる、危ない事この上ない。その上寒い。4時過ぎに終えた。夕刻は料理教室。冷蔵庫の余り物を使って。正式なヌタの作り方を学んだ。こんにゃくのピリ辛も。先生の指導で店頭のお惣菜コーナーに並ぶ品と同じものが出来た。小松菜のソテー。炒め方の順番に工夫が必要、カチリも入れて塩分を控えた。野菜には多少なりとも塩分が入っているので、胡椒だけの味付けで十分だと言う。朝のジュースに使う果物を買わなくなって、食費が目に見えて減って来た。その上、身体が軽くて疲れにくくなっている。一体これは?気持ちの所為かも知れないが激変した。
2月14日(月曜日)
文旦と砂糖の出荷。その足でワークマンでゴム長と作業靴を購入、いずれも親指保護の鉄板入りの安全靴。帰って、きまさごの水路の溝上げ。仕上げるにはまだ3時間程必要。石拾いも必要併せて5時間。畑は手をかけるほど次から次に作業が出てくる。しかし明日からは文旦の剪定に戻るのでここの仕事は中断となる。
夜の音楽は、「ジャッキー・マクリーン・クインテット」SJ選定版。モノラル録音。録音日はライナーノーツにも、ネットにも記述はない。多分1950年前後。場所はNYと記述。もしその頃のNYを散策する事が出来ればどんな驚きが有るのだろう?想像するだけで楽しい。彼らもただ楽しくて食っていけるだけで演奏してた事だろう。ジャズの理論を体系的に考えていたのはマイルス・ディビスだけだっただろう(勝手な僕の思い込み)。それじゃ、ていうんで、マイルスの音楽を探すと、「スケッチ・オブ・スペイン」楽団との共演アルバムだった。音は良くないが、黄色に赤のジャケットはジャズ心を騒がす。こうしてジャズのレコードに針を下ろすと際限なく深みに入って行く、実に正しい夜の過ごし方である。
2月13日(日曜日)
随分と寝たが午前中の翻訳時にも2回ほど、うたた寝。夜の睡眠だけでは疲れが取れてない感じ。翻訳は2000語、通常1時間半の工程を2時間費やした。雨は降り止まず、午後は映画を見る事にした。ツタヤでレンタルを借りた。BDを探したが見当たらなかった。後で分かったのは、もう映画なんて多くの人がレンタルしないのだ。ネットフリックス、アマゾン、アップルテレビに移った。それでもまだまだネット環境がない人とか、そんな知識のない人はレンタルを借りる。当然デジタルから遠い存在の人達だから、BDプレーヤーとかの設備はなく、DVDプレーヤーが手元にあるのみ、だからレンタルはDVDで良いのだと言う計算が成り立つ(ホントか確信はないけど)「命をかけた伝令」を借りた。第二次大戦時、フランスの奥(ドイツに近い)、連合軍は撤退したドイツ軍を追って、これから再突入する部隊がいる。本部はこれが罠だと気付き、「罠の伝言と撤退する命令」を前線に伝えに行かす。選んだのは二人の若い伝達者達。結果としては成功するが、道中の道のりには「レイダース」を彷彿とさせるハラハラドキドキの冒険が多数あって、故意の見せ場を作りすぎ、もっと地に着いた脚本で演じて欲しいと思った。(まぁ実話だけだと間延びして映画にならないきらいもあるが)今日も運動なし。
2月12日(土曜日)
今日は明日の疲れが残っているのか(木の上に登って、安定しない足場で剪定作業を行ったので普段使わない筋肉を相当使ったためと思う)、英訳が遅々として進まない。難解な部分で直ぐ眠くなる。今日、午後からの文旦剪定も木の昇り降りに脚がついて行かず手で身体を引き上げる。かと言ってどこか局所がしんどい訳じゃない。全体に重い感じかな。久しぶりに休憩を挟んだ。本当のダルさは入浴の後からやって来た。食事時お箸が重たかった程。これはまずいと早々に切り上げて自分の部屋に引き上げた。
布団が電気毛布で温もる間、スメタナ/わが祖国/ラフェエル・クーベリック/バイエルン放送交響楽団を聴く。レコード会社はオルフェオ(音が良い定評)だ。しかも180g重量盤。(大阪のディスクユニオンでよく見つけたもんだ)。ところが、一箇所傷があって、そこから先の演奏が出来ない致命傷を持っている。まぁこれがアナログのどうしようもない点。ホーン型スピーカー特有のふあぁとする弦の音が広がりが気持ち良、特に弦のユニゾン部分。この快楽は誰かに聞かせてあげたい程。ひとりでは勿体無いと言うか申し訳ないと思う。
2月11日(金曜日)
昨日午後には雨が上がり、今日の午後は葉っぱも乾いているだろうと、文旦の剪定作業に着手。昨年は3月13日からで遅きに失したので、害虫が来る前に終えようと料理の先生を雇った。先生は何でも出来るようだ。みかんの木は上に上に伸びる。栽培者としては横に広がって欲しいのでこの矛盾を解消するのが剪定の基本1だ。次に葉が重なると黒いカビが付着するので風通しを良くするのが2つ目。3つ目は今年実をつけるであろう枝を見極めて残し、去年実った枝を切る、僕の目では判断がつかず無視している。木の上に登って無理な姿勢で作業をするので、多分明日は足の筋肉痛が始まるはずだ。日曜日は再び雨の予定。雨がやって来る度に暖かくなるので急がなければならない。これを終えると、消毒、追肥と結構時間が取られる。しかし、今年は大きな実をたわわに付けるぞと意気込んでいる。
先生の顔がチラつき、簡単な食事でも野菜中心にシフトせねばと献立に少し余計な時間がかかる。まぁそのせいもあって買い物も自転車で行くようになって体の馬力が回復してきているから、自分の為であるのだが。いつまでこれが維持できるか不明だが物凄く気分が良い。友人を招き酒を飲みたい気分であるが、もう少しの辛抱。ワクチンの3回目接種の案内が届いたから早晩収まるだろうと思う(申込みは回線が混んでいて出来ないが)
夜は、カールベーム日本公演を録音したライブ盤LPを聴く。その中でベートーベン交響曲7番。この演奏は本人も大層気に入っているし名盤に近い。カールベームは日本に来た時は時計の工場見学を要望していたそうだ。精緻なのが好きらしい。彼の定番はモーツァルトだが、ベートーベンもブラームスも良い。僕は彼にゾッコンだけど、海外ではもう終わった人との評価らしい。日本だけがまだ騒いでいると言う。1975年の録音、オーディオ機器もほぼ同時代作。僕だけが現代で回顧じゃなく、新境地で楽しんでいる。
2月10日(木曜日)
昨晩から降り始めた雨は今日の昼まで降り続いた。昼から上がったが農作業は断念。書籍の取り込みと、近年の取り込んだデータの整理を行った。地震や火事に備えてバックアップが必要だ。分かってはいるが中々動けてない。とても重要なことだから蔑ろにしてはいけないと思う。する事が多い中で優先順位をあげよう。大阪ショウルームが閉鎖になった。預けていたLPが帰って来た。その中にカール・ベームのブラームス交響曲全集がある(何とこれが2000円位で購入できた)。2番は傑作との評価(ステレオサウンド誌)。同じ演奏をCDでも持っているので聴き比べすれば、CDの方がゆったりと伸びやか。LPはひとりで気を張っているような緊迫感がある。良し悪しの問題ではなく、メディアの主張を感じる。ヨナフ・カウフマンのLPも帰ってきた。彼のオペラチケットは世界中で入手困難らしい(ネトロルプコと共に、メトロでは2人の共演があるが見るのは高嶺の花)。それでメディアで楽しむしかない。熱演だ。ソニーミュージックの最近の録音で180g盤、大きな音まで歪なく録音されていて、内周には録音されてない。女性のオペラ歌手ももちろん好きだが、男性の圧倒的な声量は匠の技を感じる。近年久しぶりに一日中殆ど動かなかったので、夜も遅くまで音楽を聴いておられる、啄木の滲み入る蝉声ではないが、心地よく耳を滋養してくれる。このLP大阪ショウルームで演奏した時は、雑誌評価の割に大した事ないと思ったが、今落ち着いて聞けば、よく練られた企画だし、音も演奏も素晴らしいのが解る。バタバタした気持ちでは決してうまく鳴ってくれないアルバムだ。機器の性能よりも、こちらの心構えを問われるようだ。
2月9日(水曜日)
も一人の岡村さんがいて、柚子とサトウキビの仕事をしないで毎日ボルトン翻訳を少しづつ行っていたら、現ページよりも何処まで進んでいたのか計算する。何と30頁先を走っている。また、去年の岡村さんは年初から今頃までに読書を8巻終えている。随分と頑張っていたんだ。今年の現岡村さんがそこに追いつくのはかなり際どい。それに加齢の足枷が加わるし、料理を教わる余分なものも加算された。さらには昨年年末の大風でサトウキビの転倒防止柵が全滅し新たに作り直さなければならない大作業もある。こちらは2ヶ月を要する。もう殆ど余裕がない。その代わりに一人暮らしの寂しさは何処かに行ってしまった。僕の性格にはこの忙しさが合っているみたい。故桑原氏とは2日を置かず話した時、彼の口癖は「ゆっくりするつもり、なんにもせーへんで」それをかなり強要されたが、結局正反対で走っている。バタバタしている方が近所の人にも親類の付き合いにも良いみたい。
膨大な仕事量は到底なし得る能力を超えていて、放棄せざるを得ないのに、断念出来ず引きずっている。すっきりした方が気が楽なのに。僕の活力が「まだまだ」と叫んでいるので、もうしばらくは放置しておくのが良いかな?
夜の音楽はArt Brakeyだ。1961年の録音でカーチス・フラーもウエイン・ショーターも参加している。叩きまくり吹きまくって、そこから何かを読み取る隙間がない。若かりしジャズメンの生き方と言うかその頃の風潮か。ただがむしゃらにやっていて、後で評価とか分類とかが付いて来ている。それでいいのだ。
2月8日(火曜日)
映画「プライベート・ライアン」を4Kで観た。精彩で色乗りが良く、まるで映画館。過去に一度見ているのにストーリーはほぼ忘れていて新鮮。この映画の脚本はしっかりとしていて、筋にブレがなく、話が戦争でなく個人的なものに移っても、とって加えた不自然さがない(さすがスピルバーグ監督)。内容は、第二次大戦中、一人のライアンに帰還命令を伝えるために組織した数名、伝令者たちは次々と命を落として行く、その過程でミラー大尉(トムハンクス)は言う。部下が一人を救うため何人死ねば良い?「それを果たすのは、胸を張って故郷に帰れるからだ、ライアンに伝える事だけじゃない」この映画は表層はドンパチの戦争映画だ。しかし深層でしっかりと先ほどのテーマが息づいていて場面場面で顔を出す。それに2度目でやっと気づいた。トムハンクスの好演がそれを支え、エイブラハム・リンカーンの手紙が重み付をする。映画でしかなし得ない「技」。また、この映画の英語は殆ど理解できなかったし、理解出来たところでも直訳とはかなり違う字幕になっていて、かなりひねっていた。どっしりと疲れる重い映画。トムハンクスは演技が素晴らしく重厚故に、2度目の視聴が厳しい映画が多い。
ジェイソン・スティサム(トランス・ポーターが有名)の映画は重くなく何度も見ても良い。痛快なため。映画の味付けは監督8割役者2割?としても、俳優の映画人としての人生観や生き様は、映画のどこに表れているのだろう?それとも役に徹しているのだろうか?今日観た映画のテーマじゃないが、「役者を通じて胸を張って死ねるか?」という事だろうか。それは興行成績だけではないと思うけど。サラリーマン人生しか知らない私は想像しようもない。
料理の先生が来てくれて、僕はフェイスブックで見た料理を披露した。ご指摘は、「岡村さんはいろんな料理が出来るけど、全部自分のもになってない」「何度も同じものを作って会得しないと」と厳しい。
今日の映画と言い、料理の指摘と言い、押しつぶされそうな1日だった、おまけに氷雨が深深と降っていた。これをなんと言う。泣きっ面に蜂。八方塞がり。弱り目に祟り目。一難去ってまた一難。踏んだり蹴ったり。過去の人々もこの二重苦三重苦を潜り抜けてきたようだ。
2月7日(月曜日)
ユーミンは魔法の鏡を持っているが、僕の生活には鏡がない。母の鏡があるが、夜、風呂にゆく暗闇の廊下にあってみることはない。だが今年は鏡が増えて毎日ではないが頻繁に自分を映している。僕の鏡はガラスの「鏡」ではない。接する人が鏡だ。そんなに多くの人じゃないが、観察すれば、確かに僕を反射している。ガラスの鏡よりも正確に。でも、今までなぜこの存在に気が付かなかったのだろう。自分が話すことに気を取られていたのだろうか?いや、コロナで出かけることが少なく、会う人が限られて接触は貴重な機会となったし、その後は前の会話を反芻している。それで気がついたのかなぁ?コロナは僕に色々な特典を与えてくれた。僕が前向きに生きているなんておこがましいが、今回は向こうから得点が転がり込んできているようだ。もしもコロナがなければ、傲慢で、僕は色んな気づきなく過ごしていたかもしれない。感謝である。
今夕は近所の同級生の淳子ちゃんが貝飯を持ってきてくれた。先日のイノシシを頂いた事といい、収支はプラス気味だ。
今夜は夜の音楽を再開することができた。昨晩9時から寝て、今朝は7時起床で目が冴えているため。音楽は聴かねばならぬアルバムが山積している。そのCDを机の上に積んだら30cmの高さになった。義務でも業務でもない。単なる僕の課題で、固執するのは異様かもしれない。料理の先生は「いちがいなわね」と高知弁で指摘された。僕は高知県人なのに、この正しい意味を知らない。「意固地になっている」ような感じで理解している。人との接触(機会ではなく深度)が増えて、高知県人の「地」が見え隠れし、ここにも手鏡が顔を出すようになっている。
2月6日(日曜日)
高知県の連日コロナ感染者数が200人を超えて出かけてない。文旦出荷の際、市場で買い物をする程度。パンの材料が尽きた。ありがたいことに、今日はお寺さんが夕食の差し入れ。そして、この会話が今日の最初で最後の会話。人との接触がない。新聞によるとイノシシや鹿も感染しているそうで、動物から人間に再び感染するのかどうかは未確認との事。こちらは昼間は見かけることもないので安心か。サトウキビ畑の畝上げをしているが、もう3週間も雨が降ってないのでカチカチの溝で、溝上げ機の爪が立たないし、盛大な土埃を上げる。それで、コロナ対策じゃないがマスクをしての作業となった。掘り下げた溝の土は鍬で畝の上に均す。その鍬作業が結構キツく腰を叩きながらとなる。それで、夜はすぐに頭が朦朧となって9時に就寝。
本来なら、確定申告の伝票を纏めたい所だった。それにお客様の訪問や電話もあって2時間ほど予定外だった。どうした事?今年になって急に交際が賑やかになっている。
2月5日(土曜日)
たかが猪、されど猪。ジビエ料理は馬鹿にしていた。所詮は牛豚鳥の下級クラス。だが今日頂いた「角煮」は想像を絶する高貴なもので、豚を遥かに凌駕していた。料理の先生の「作品」だった。調理によって此処まで昇華するのか?驚嘆はさらに続き、汁に続いた。これは教わる事は不可能な境地だと思いましたね。僕もこれに見合う野菜でジュースを作った、隠し味は黄色く熟れたシークワーサーだ。先生は、僕の料理にコメントするだけでは役不足と思ったのか、此処らでガンと一発見せしめが必要だったのか不明だが「金字塔」が打ち立てられた。僕を睥睨して下僕として支えるようにしたかったのかも知れない。まぁそれ程の味覚だった。
僕はお土産用にパンを焼いていた。小麦粉がなくそば粉を1/3ほど加えたら、発酵がなく小さな塊の黒いパンが出来た。慰めに「これでも美味しい」と言ってくれた。オミクロンが蔓延し、買い物に出かけてないから有り合わせで作ったから。
昼間、曽我さんから電話。今日は寒くて出かける意欲が湧かず、日向ぼっこしていると言う、僕も同じだと伝えると「安心した」という。もしこの寒い中、仲間が仕事をして先に進めれれると焦るからと言うのが理由。一緒にさぼっている仲間が欲しかったのだ。今日はそれ程寒かった。
2月4日(金曜日)
清濁合わせ飲む。農作業の時ヴァレンティーナ・リシタのピアノソロ。チャイコフスキー全曲。を聴いている、オーケストラ用の交響曲も含め全部が一綴りのアルバムに収められている。所謂チャイコフスキーのコンプリート版です。これをきっかけに思い起こせば、ベートーベンは2021年終えた。Bruno Walter(指揮者)も同年聞いた。ナタリー・デッセイ(オペラ歌手)はもう直ぐ終わる。2019年は坂口安吾を読み終えた。村上春樹や宮尾登美子も発売ものはコンプリートだ。レオナルドダヴィンチの絵画も後はモナリザの微笑みを残すのみ。フィルメールは見た。父も母も振り返りコンプリートしたつもり。こうして僕の人生が終わりに近づくのに併せて故人を一挙に飲み込んでいる。別に意図はないが結果としてそうなったのでまとめてみた、そしてそこから得られるものがあるのかとの考えて見た。一人の人を一口で言い表すことなど出来ないし、人は接する角度で違う人間像を現すからなんとも言えない部分もあるが、総じてこんな傾向にあるとは言える。その結実は何か?僕の人生を豊かにしてくれたのか?混濁した頭は回答を出せず、ただの通りすがりで風景のようなものだったのではないかと。テーマはあるが結論がないのでした。
2月3日(木曜日)
出会いがなければ寂しい人生だったんだろうな、と言うのは今日は節分だった(知らなかった)。節分といえば恵方巻きとイワシ。買い物に出ない、テレビも見ない、人と接しない。仙人の私は料理の先生が恵方巻きを持って来てあげると電話をくれなければ、それで終わっていたかも知れない。
今日の翻訳は2時間3500文字でまぁなんとかギリギリのライン(調子の良い時は4000文字)。毎日2時間辞書を引くわけで、英語単語も覚えるが、日本語の語彙も同時に身につくのは最近わかったこと。恵方巻きと言い、捨てる神に拾う神ですね。
午後は畑の石拾い。昨年ほどではないが、サトウキビの残骸を取り除くと畑に結構石が目立つ。この石は管理機の爪を痛め、草刈り時には僕自身に石が当たる厄介者。石拾いは腰をかがめ地面を這うので、腰が痛い。石は丸石で海岸で波に揉まれたもの。昔ここは海だった。我慢して3時間。バケツ6杯の石を拾った。もうこれ以上出来ない。
4時に切り上げて、仏様のしきびと神様の榊を取って、飾り直した。風呂を沸かし、早めに終いをつけて、1月の決算をしようと思ったが、前述の恵方巻きが届いてお酒を飲んだため、布団に直行となった。
2月2日(水曜日)
文旦が調子良く売れている。このまま行くと2月中に完売だ。砂糖の売れ行きは止まって少しづつの販売となった。このまま8月まで細く長くだろう。今日は頭の調子が悪く、2時間を要しても2500文字しか翻訳できなかった。出来ない時は出来ないで割り切るしかない。
「宇宙が始まる前には何があったのか/ローレンス・クラウス」を読み終えた。結論は「何もなかった」何もないところから「有」が生まれるのか?結論「生まれる」。無の状態は不安定だから。分かったようで、わからない。
物理学者の書籍は難しいが、とりわけ哲学の分野に入って理屈をこね回すと、元の立ち位置を忘れてしまい、落ち着き先を明示されても宙ぶらりんの結論しかイメージできない。頭のメモリー不足ですね。しかしなぜ、物理学者は哲学とこう密接な関係を持っているのだろう?むしろ、そこを僕は問いたい。もう一つ、海外書籍の翻訳は、訳者後書きでなぜこうも、作者が語っていることを、自分の意見として繰り返すのだろう。僕は、「それは本文にあるじゃないか」と憤る。訳者あとがきは、この訳にはこんな風に訳する事もできるが、作者はどう思っているか交信したとか、それを通じて作者の人柄を描くとか、それが訳者の後書きに当てはまると思う。
しかし、本当のところ、ただ訳しただけで、作者との交信もないままで終わってしまうのが現実だろう。だから、本文の繰り返ししか書けないのではないかな。
2月1日(火曜日)
今日は寒い。寒いが気力はある。最近野菜中心の食事に拍車がかかって、身体が軽くなった。こんな効果があるとは知らなかった。誰もが試してみるべきだろうが、誰も耳を貸さないだろう。また、歳を重ねて動きが悪くなっている僕らの年齢には必要かも知れないだりうが。その野菜もかっぱ市場で買えるような、普段見たことのない物を摂取すると良いだろうと勝手に思い込む。勿論都会の人達も百貨店とか、個人商店の八百屋なんかが有れば、そんな珍しい物もあるだろうが、スーパーなんかは年中見慣れた野菜しかないだろうな。でも、毎日そんなものばかり食っていると、くら寿司マクドやすき家やトン太郎のラーメンが食べたくなるのは仕方ない。今は、その欲望を封印して、自炊に励むのだ。その結果身体の調子が良いのをどう考えたら良い?
コロナは何もかも変えつつある。悲観的に捉えるか、前向きに捉えるか?これを機会に変転するか?ここは田舎だから、畑仕事さえ真面目にやっていれば外を吹き荒れる嵐も通り過ぎてゆく楽観的な見方もできる。変えなくても良いのも選択肢。
それで今日は10年1日のごとく鼻水を垂らしながら、きまさごの畑の整理。竹の柵の片付け。意外と早く進んでいる。
1月31日(月曜日)
今日も寒かった。寒いがゴミは捨てなければ(ゴミは車で出しに行く)、ついでにかっぱ市場で文旦の売れ具合をチェック。文旦は順調に売れて完売。3kg500円は売れないが、4kg500円は飛ぶように売れる。客は厳しい目で見ている。店員のK子が僕に言った、「岡村さん地域振興券は今日までだよ、まだ残っていたよね」何と店員は僕の財布まで見ていた。親切だが怖い。田舎はそれに慣れなきゃ。
地域振興券の残りはコーナンで肥料を買って使い切った。肥料は苦土石灰524円×4袋を購入。文旦に撒くつもり。今回肥料を買ったのは初めてで、今までの作り物は全て無肥料だった(それだけ土地が肥えていた)。農作業はその後で行った。きまさごの竹の整理は意外と早く進捗した。5時に切り上げると、せっちゃんがおこわと赤飯を持って来てくれた。いつもの差し入れ。今日は料理の先生がやってくる日で、早め早めに済ませたがここで中断、元の木阿弥。話によると、集活についてのH氏の動向が伝わって来た。会長に立候補するらしい。参加者は不満が募ると憤っているとのことだった。僕はこの組織には参加してないので関係ないが。H氏は伝承館でのトップであるから就任には関心があるので、ご注進となった次第。
先生からはナスの煮込み、ポテトサラダ、ネギとイカのヌタ和えを教わった。豚の角煮も教わったが、こちらは複雑でパス。(僕の認識不足だった。ただ煮込めば良いのは間違いで、煮込む過程で脂成分を取り除く作業が必要だった)材料はなんでも良く代替えが効くのが先生流。御礼に「美味しんぼ」のアニメを観せてあげた。お土産に猪のお肉を進呈。
1月30日(日曜日)
定年と離婚と職探し両親の重い病気、かなり呑気な僕でもいたたまれなくなった2012年の今頃を思い出すのは、映画ノマランドを観たから。ネットフィリックスが渾身の力を込めて製作した映画。でも制作費は500万ドルで安価。
車で生活をして放浪する老年者の生活を描いたものだ。テーマが斬新でしかも、一種の社会現象を描いたとしてアカデミーを獲得したのだろうと思う。決して芸術性ではなく、報道記録として。僕の総括では、車生活は精神の自由/解放が主目的なのに、金銭に拘束される不自由さを描いていて、果たしてどっちを取るのか?問いかけるようだった。偏見では給与生活からはじき出された敗北者だとしか見えない。もちろん、人の精神は弱く傷付きやすく、お酒に溺れる人が多く、自殺も年々増加している現代社会の一面ではある。希望はなく、あるのは傷ついた人たちの、傷の舐め合い。それもわかるが、そちらは政府の仕事に回したら、映画はやはり一面では娯楽だ。その要素は欲しい。
例えば、ストーリーに出逢いがあったが、そこからは愛が芽生え、路上生活でも希望がある方向に行けば、纏まるかなと思ったが、常に出逢いは孤独の状態にリセットされる。観てる方は同情よりも落ち込みがより激しい。システムは、離れの家で50型プラズマ。
僕の信条は、家整いて身収まり、身を収めんと欲するものは先ずその心を正しくする。この構造上にある。土台が崩れたら自己の確立/存在はない。なのに、この映画は逆だ。だから、景勝地も所々映るが、決してそこからは「解放」と言う言葉が浮かばなかった。
泣きっ面に蜂。決して一人で見る映画ではない。
夜の音楽に、モーツァルト交響曲40/カールベームを聴く。力強い演奏に柔軟さが加わるウインフィルの技巧は、耳に心地よいばかりでなく、精神の昇華を施すような包容力があって、先の映画を中和させ、かつ眠りにいざない、2楽章まで至らずダウン。
日中、西下の畝を管理機であげ、鍬で後処理を行う汗をかくきつい仕事だったから疲れがあった。
1月29日(土曜日)
携帯電話の使い方男と女についての考察、それはコインの裏と表と言っても良い程。今まで気が付かなかった。自己中で生きてきた為だろうが。ふと周りを見て分かった。正しく携帯電話は携帯し、おしゃべりを楽しむのが女。その点では必須のアイテム。だから言ってみれば失礼かもしれないが、通話が出来れば良い。3Gでも4Gでも関係ないのだ。ところが、男にとってはそうはいかない。先ずは機種の比較で負けない見栄が第一、次にデジカメに負けないカメラ機能。4K動画編集機能の機敏さなど、機能寄り嗜好が強いのだ。僕なんか殆ど通話がなく、英語の辞書あるいはウキペディアで検索、時にカメラ機能だ。このように持ち物に対して男女の思惑が違うの品物はあまり無い。そこで、もう一段と深掘りすると、「花か花へ」の蝶々のように、周波数ホッピングのように、会話が急展開するのが女。結論よりも話す事に意義があるようだ。一方で結論を出したがるのが男。結局それが機器への要望というものだろう。
親類のおばさんが、法事のことで電話してきたが、結局それは通知のみで、ジャムの作り方、砂糖の選び方に展開して行った。僕には異論はないのだが。1分で済む話が8分になる。
CAPA(カメラ雑誌)に松任谷正隆(ユーミンのご主人)がエッセイを書いている。1ページだが、冒頭の書き始めから、最後の一文まで筋が一本通っていて、そういう事を言いたかったんだと納得できる「良文」がしたためられている。僕は、男として、竹を割った性格でもなく、俺についてこいと言う親分肌でもなく、交渉力も政治力もないのに、終始一貫を求めたい男の部分だけが残っているのに気がついた。
今日の作業はサトウキビを支えた柵(竹)を使えるものと捨てるものとを仕分けして畑の隅にまとめた。曽我さんが来たし、お坊さんも来た。たぬきも来て庭に糞を落とした。
1月28日(金曜日)
「一皮むけた」とは、ある経験や出来事を経て、一つ人間性が上がった事を表現する。男でも女でも普段は十二単を着ていて人と接する、一皮では「素」は見えてこないと思うのだが。それに経験が増えると面の皮が厚くなり、2~3皮ではとても足りない。駆け引き、ジャブ、バイアス、合いの手、抜き打ちと同情、あらゆる手法で剥きにかかる、そうして得られた「素らしき物」を評して、あの人はこうだ、ああだと、噂するし自分の記憶にしまい込む。が、それは決して素じゃ無いと思う。自分の事を眺めて見ても、「料理」と「農業」は長い間、僕の辞書には無かった。所が今では既定路線とでも断言できる程定着している。そんな風に見ていると、自分でもおかしいし、増してや他人は簡単にわかるはずなどないと思うが。(IoTではサンプルを増やすと、アルゴリズムが出来上がり、素の傾向値が把握できるらしいが、それは置くとして)
そんなこんなでオミクロンで出不精になって思う事は多々有るが、今日はそんな事言ってられない。先ずはセブンイレブンでCDの引き取り。昨年9月に注文したアルバム。「Wiener Philharmonikerだって言いたい」(僕が勝手にサブタイトルを付けた)と、自分たちで指揮者と演奏家を選んでアルバムにしたもの。古くはRafael Jeronym Kubelikがマーラの交響曲を楽団を変えて録音した。それをBerliner Philhamonikerが逆手にとってマーラの交響曲を指揮者を変えてSACD化した。それを今回ウインフィルが真似たと言う次第(僕の勝手な解釈ですが)
その足でニトリに届いた椅子を回収。リクライニングにオットマン付き¥398。これを、離れに設置してAVシステムとして楽しむのだ。寝具一式も揃ったし、機器も万全で、明日からこちらでお世話になる。
旅行に行けない分だけ、気分転換に泊まりに出かける。旅先では違った個性の音楽が聴ける(普通なら料理ですが)のは、楽しみだ。ただ、この機器との付き合いは未だ新しく(機材は古いが)、どこまで皮が剥けるのか不明。時間をかけて徐々に手を加えるしかない。このシステムだけが僕の中で単純なスピーカー接続だ。
1月27日(木曜日)
ボルトン翻訳が中々進まず、昼までに1300文字カウント。読んでいるのはヴェネズエラの政変の所。マドゥロ独裁政権に新人グアイドが挑戦している。アメリカはグアイドに肩入れしている。アメリカの武器は経済制裁。ところが財務省が歩調を合わせず対外政策に支障をきたしている。文中にヴェネズエラの政権に絡む人物が多く登場し、スペイン語名ですんなりと読めない。建物名、地区名なども都度調べなければ分からない。時間ばかりすぎて行く。もう諦めようかと思うが、ここまできたからには遅延ありきで臨んではどうかと内部の声。まぁ随分と単語には鍛えられて、他の英文がすんなりと読めたとかメリットは確かにある。ヴェネズェラ絡みでもう一つは、美人コンテストでTopを何度も獲得、Top50の写真リストまで用意されている。どれを見ても甲乙付けがたい。そこで先に登場したお二人の写真を拝見すれば、こちらもかなり整った顔付き。この国の水準は男も女も高い。この国は石油など天然資源に国政を委ねるから汚職も含めて政情が安定しない。一層の事、美人、美男を輸出し歳入に計上すれば丸く収まりそうな気がするのだが。
離れにAVシステムを設置し、そちらで寝泊まりする計画を進めているが、今日はダイヤトーンのスピーカーの下に敷くインシュレーターをセットした。3万円ほど覚悟してたが、Amazonで3980円のがあって、そちらをプチると今日届き効果は中々良い。それならと言うんで、MacBookを下げてハイレゾを再生すれば、クラシックもロックもいいではないか。午後の時間を随分食ったけど満足だった。そして居住する所に有るメインシステムはSB10000のホーン型スピーカーに戻した。音が広がり、クラシック音楽に奥行きが出てくる。それで夜の音楽はベームのモーツァルト交響曲38、39番を演奏。オーケストラが目前に広がり、ベームの立ち位置で聞いているような錯覚を受ける。至福の時間だ。
1月26日(水曜日)
今日は暖かいと言うか暑い。日が翳り風が吹くと寒いが、再び太陽が顔を出せば暑くなる。都度洋服を脱いたり来たりはできず、暑いまま作業を続けた。気持ちよく大汗をかいた。コロナがすぐ近くまで来ているので、病気にかかる前にすべき作業は済ませて置こう。カメラを持って出かけるのはもう少しの我慢だ。きまさごのビス外しは終えた。昨年度切ったサトウキビの葉っぱの残骸も捨てた。後は、竹の残骸を近くの藪に捨てて、畝を起こし、柵の支柱を立てる。作業はほぼ頭の中に映像として浮かんでいるので作業に迷いがない。時間だけが必要だ。明日は御神母様の奉納日で、草刈りは事前に僕が仕上げた。夕刻カレーを作って頂いた。今回は成功。
1月25日(火曜日)
いよいよ芸西村の幼稚園と小学校は閉鎖となった。かっぱ市場に文旦の確認に行くとお客様は少し減っているようだと。文旦も売れ行きが少ないので、価格変更のため一部引き上げた。勝負に出るため。きまさごの柵の後片付けは随分進んで、後1日を残すのみとなった。次の作業に入る前に、文旦の剪定が優先かな。作業をしていると、みねおさんが犬を引いて来て、「おんしゃぁ、偉い」としきりに褒めたのは、この残骸から一本一本ネジを外し回収していたため。そのまま捨てて腐らせばいいではないかと言うのがこの人の考え方だったのだ。指摘の通り回収しても半数が使えないものばかりだが。僕には時間はたっぷりあるから問題ないのだ。
1月24日(月曜日)
芸西村にもコロナが蔓延して来た。それで今日は何処にも出かけなかったし、人にも会わなかった。黙々と農作業に精を出しただけ。都会の団地で暮らす年老いた身寄りのない老人の話を聞いた(電話で)ワクチンの接種申し込み方法も知らなかったとの事。そんな人は、このコロナ渦でどう暮らしているのだろう?どうストレスを発散させているのだろう?僕には汗を流す仕組みがあって、美味しいビールを流し込める夕食があるが。と思うと申し訳ない。でも視点を変えるとこんな素晴らしい生活を知らなければ、ご自身の不遇もわからないかな。
夜、料理の先生が電話をくれた。やっぱり出かけられなく人と話が出来ないのでストレスがが溜まると。そうか、出かけるよりも人との会話が必要なのか?「人」の「ノ」の片一方は棒で支えているのだ。棒が必要なんだ。僕には農作業が棒の代用をするが、そもそも動きたくない人や、身体の弱った人や高齢者は動く事はできず、棒が見当たらない。「人」がいなければ、テレビが代用を勤めるのかな。
元に戻るが、ついでにコールスローを作りすぎて余った話をした。まるで、この台所を覗いているように、水が溜まるとか、マヨネーズは最初に入れない事とかを指摘された。僕がパソコンの操作を電話で聞かれるごとく見えるようだ。恐れ入谷の鬼子母神。
1月23日(日曜日)
むさ苦しい家にもお客様は来てくれる。汚い家でも清掃してきちんと迎えたい(自己満足のためにも)むしろ、お客様を迎えることそのものよりも、きちんと清掃した所に佇むのが目的かもしれない。ともあれ、丁度雨の日だから清掃する時間もあった。
お客様を迎えると言っても、僕ら定年退職者の行動目的は、時間を潰すことであって、生産性を上げることではない。ズバリ「映画を見るため」。どうでも良いことなのだ。
その前にお寺さんから電話があって、「崩し」5個の注文があった。急いで伝承館に駆けつけ、作業を済ませ納品し、風呂を焚いた。(映画は2時間半の大作で終わると暗く薪を探すのが大変だから)
映画は「ワンダー・ウーマン1984」B級映画だが、それなりにお金がかかっている感じだ。なんでも願い事が叶える魔法の遺物を入手したマックス・ロードが、これを悪用して世界制覇を企むが、結局欲望は破滅の道を進むことをワンダー・ウーマンに説得され、欲望を破棄し元の世界に戻る。めでたしめでたしの内容。少し人生の教訓みたいなものをちりばめているが、それは、おこがましい感じを受けた。びっくりしたのはこの映画は結構会話が字幕なしでわかるのだ。逆に言えば優しい言葉で構成された映画なのだ。この辺り世界配信を前提に企画されたハリウッドの魂胆を覗いた気がする。
映画が終わり、夕食。マルちゃんの焼きそば。高温水蒸気で作る焼きそばは格別な味。とても3人前130円とは思えない。電気製品の調理器具がほぼ揃って、僕の腕ではなく、プログラムで美味しい料理ができる体制が整った。感に頼るのではなく。
1月22日(土曜日)
夜中に地震の夢を見た、長い地震だった。夢だろうと思ってその夢を見ていた、朝友人が来て揺れたやろうと言う。あれは本物だったんだ。僕の夜の熟睡は深く部屋に鍵を掛けて寝るのは、何があるのか分からない為。もし浅い眠りだったら、ここでは鍵などかけなくても良いのだが。そして友人曰く、明日は雨。
友人は気の利いたことも言うが殆ど自分の話だけを語る。そして、その話を横に広げようとすれば、まるで菜の花を飛び交う蝶の様に、次から次へと話が変わる。もう一人の友人も同じ感じ。皆さん思いつきで話を転換する。いつもBy the wayだ。僕も認識してなかったが、友はいつからこんなになったのだろう?また、僕はいつからそんなことに気がつく様になったのだろう?思うに、サトウキビの精糖はかなり人間関係の信頼を深掘りしないと、作業が上手く回らないと言うか、良い砂糖が出来ないから、2018年以降だろうか。つまり、以前の僕は彼らと同じだったんだろうか、もしそうだったらぞっとする。
それで午後の仕事はきまさごの山沿いに水捌け用の溝を掘る事にした。掘るのは管理機だがガソリンがないので、車に積んで給油に行った(ガソリンだけを買ってくるのが難しくなった)。深い溝を掘るには何度も何度も往復を繰り返して少しづつ掘り下げて行く。機械で取り残した部分は鍬で補足する。2時間ほどかけて掘った。大汗をかいた。イノシシが来て昨年度の溝は全部埋められた為だ、さて今年はどうなるのか?
その後、倒れた柵から木ネジを取り除く作業で本日の仕事を終えた。
夜は遅れた翻訳を取り戻そうと頑張ったが志半ばで、睡魔に倒れる。
1月21日(金曜日)
これをどう評価する。シャープの電子レンジが壊れたので修理に出した。ヒンジが壊れたと思った。これは使い方ではなく欠陥だと思っていたら、やはりそのようで、5年経過したが無料だった。前に電子辞書でも蓋の開閉で表示が不安定になって修理に出した、これも5年ほど経過していたが、やっぱり無料だった。シャープの製品はあまり買わないが、故障はするが欠陥品として丁寧に無料修理してくれるし、偽ったりしないのが良い。故障しないのが良いか、故障しても対応してくれるのが良いかどうか?
もう一つ、ニトリに寝具を購入に行った。椅子も合わせて買ったので結構な買い物になった。レジでポイントの貯まる申請をしますか?「ハイします」アプリをインストールしなければなりませんが、「説明員を呼びますか?」僕はもうお爺さんだし、農作業の貧相な服を着ていたので、それなりに見られたんだろう。僕は未だ大概のIT関係については理解も操作もできる、と思っていたがそうは見られないし、又、ニトリの店員は高知で競合する店がないので結構強気というか横柄なので、上から目線なのだ。僕が店員ならアプリ登録する時、持参されている携帯がiPhone13pro maxやGALAXY S21やエックスペリア1などを持っている人には敬意を表して、発言を変えるけど。そして、そんな見極めの出来ない人に見下されたのが不快だったのだが。
もし、柚子やサトウキビの仕事をしてないとして、毎日1ページ英語の翻訳をしてたら、それでもその時のペースで進んだ所に追いつくには計算上、3月5日までを要する。僕的には少しでも日程をはやめたいから、今日は3時間も頑張ったが。実際これだけ根気を詰めるのはもう苦しい。なんでも出来ると突っ張るのはさておき、もっと素直になったらどうかね?と誰かに言われそう。
1月20日(木曜日)
オミクロンの蔓延と、インフレの到来で政府は慌てている。いずれも前もってわかっていた事だ。大学を出てない僕でさえわかる事。毎日ジョンホプキンスのCOVID-19感染実数をプロットしていると自ずとわかるし、世界各国の政府がコロナ対策で市中にお金をばら撒いた、これではお金の価値が落ちるのは火を見るよりも明らかだったはず。立派な教育を受けて社会に出た人達は何を生き甲斐にしているのだろうか?外国の先例をみらなうセンサーを磨く事だったんだろうか。多分彼ら政府筋の人達はこの事を分かっているはずだ、が実行力が伴わない。国民のためにも、自分のキャリアを磨くためにも何かを成し遂げたいと思わないのかな?一面ではかわいそうな人達だ。そして、間の抜けた岸田氏の新聞掲載の写真を見るにつけ、TOPがこれじゃ何も動かないや。その証拠にミサイルが飛んで来ても平気だ。そして国民を守るのは私の責任だと堂々と発信する。まぁそれでも良いけど、そんな政権を見て、僕が一番心配する事が一つある。国政じゃない。東南海地震の可能性だ。近年政権が弱った時に必ず大地震が来ているからだ。
午前中親類のおじさん宅にこんにゃくを貰い行った。このこんにゃくは生で頂ける優れもの。午前の貴重な時間を使ったので、ボルトンの翻訳を終えたのが午後2時過ぎだった。その上今日は底冷えがして、エアコンと石油ファンヒーターの併用で過ごした。この部屋は太陽が無いと熱量不足で凍える。窓にプチプチの対策はまだ施せてない。前の空き家を清掃した。布団も干した。スピーカーを置くためのブロックも洗った。後は、掛け布団と電気毛布を用意すればここで過ごせる。来週は雨の日が続くので、トイレが近いここで寝よう。西下のサトウキビの柵の片付けは、ネジを全部外せた。明日からはきまさごに移る。
1月19日(水曜日)
かっぱ市場に出荷した文旦の売り上げが良くないので100円値下げした。値札をプリントしてくれた方は自宅が柚子を収穫する農家の娘で、文旦についてしつこい程色々質問された。女の子でもそういった面に関心があるんだと認識、昨日の忠告の件と言い、世界は僕の基準を中心として回ってないようだと思いましたね(当たり前か)。午後サトウキビ畑で倒れた柵の片付けを行なっていると、お寺のご夫婦が訪ねて来られ、干し大根の作り方を教えてあげると、台所でご教授頂いた、僕はそれを見ながらお坊さんと日本酒「南」を開けて飲んだ。空腹だったので、二人とも真っ赤になった。その後世間話で午後5時まで。今日の柵の片付けは分は明日に回そう。それで世界が変わるわけじゃ無いし。
夜の音楽は、ブルックナー交響曲4番をもう一度、N響とベルリンフィルと比べる。今度の比較では速度は同じかな、しかしベルリンの方は強弱が激しく、小さな演奏時でも音像が崩れない。N響は不安を感じさせる。これだけ聞けば決して悪くは無いのに、世界の一流品と比べると「何だか変」を感じる。世界の舞台に立つとはこの事だろう。僕は2008年に海外に出る仕事を得て、「しまった遅かった」と思った。その代わり東京ではエキサイティングな経験が出来たけどその全部を合計しても、海外で闘う醍醐味の衝撃は大きかった。
その驚きを当時大学生だった子供たちに伝え軍資金も渡したが、目先の事が大事らしく、それで椅子を買ったりした。そんな失望も含めて僕の人生だけど。
1月18日(火曜日)
歴史にもしはありえないが、もし柚子とサトウキビがなければ英語は何処まで行っていたのだろう、逆算して日程を追うと、ラジオ英会話は11/25、ボルトン翻訳は12/4のレベルを彷徨っている。時間を惜しんでももう追しなければならない。午後からプール。僕の後ろにピッタリついてくる女性がいて、僕も意地でコースを譲らずどこまで来るかな?試すと1500mで遅れ始めた。そして1800mで1周して今度は僕が彼女の後を追うようになってコースを開けてくれた。しかし、もう僕はクールダウンの時で、そこから引き離すことが出来なかった。
夕刻、料理の先生がお土産と称して鮑飯を持ってきてくれた。僕が英語を猛追しているが、太刀打ちできてない旨話すと、「遅れてもいいじゃない、世の中はそれで変わらない」と達観を披露。そう言えば、僕が趣味で取り組んでいるものは、全て何の役にも立たないものばかり。やめても太陽はきちんと昇るし、世間に迷惑はかからない。先生はよく見ている。やはり多くの生徒を見てきただけはある。料理ばかりじゃなかったんだ。結局帰られたのが8時で、僕はそれからご飯。直ぐに眠るつもりだから空腹でもあまり食べる訳にはいかず、ちょっと辛かった。
1月17日(月曜日)
お寺さんご夫妻と高知のお披露目広場に出品している業者さんと商談。商品を置いてもらうに、POPや料理のレシピを持参しなかった反省ありでした。すっかり営業感覚が抜けていた。その足で、やっちゃんの店を訪問。スーパーの中で結構大きな店舗を構えてパンの生産販売を行なっている。やっちゃんはカメラマンでもあって、店舗に受賞作品を掲載している。秋山庄太郎賞を沢山受賞している。暗いシーンの作品が多いが手持ちだそうだ。絞りも8以上を使っているとか。ペンタックス675使用との事。ご主人に手解きを受けたが、入賞はやっちゃんのみ。それでも、やっちゃんは才能を引き出してくれたと、ご主人を敬う。だからパン屋の商売もこれ程の規模になったのかと思った(6店舗に出店)次第。受賞作品を見ていると、2つの要素を捕まえている。一つは構図。当たり前の事だがものすごく良い、その上出来上がりがその場で確認できないフィルムカメラで構図を確保している。又、画面端に正確にピントを当てているなど、マニュアルフォーカスで撮影している。これはプロの使う手法。僕にはとてもついて行けないレベルだった。話しの中に随分と自信が込められていた。一線を超えた人の発言だった。今年はホント出逢いが多い。
1月16日(日曜日)
5時間睡眠が定着してきた。よくない傾向だ。午前中の英会話の時間にどうしても居眠りの時間が増える。その結果ボルトンの訳は3000語を超えなくなる。もう2年も費やしているがまだ半分に満たない。話は変わるが日経新聞の記事を丸ごと信用できない現象が僕の中で起きている。この新聞だけでは世界情勢を切れない。それでNYtimesの購読で欠けた部分を補おうと思うが、ボルトンの翻訳でさえこんなに手こずっているから、未だ今のレベルでは難しい。多分だが、英語ができずして正しい世界情勢を判断を下すことは難しいのではないか、在宅勤務が始まった今は簡単に外国人の社員も参入できる。中国の日本語熱なんかも脅威だ。僕はもうビジネス戦線から離脱し趣味のレベルだから許されるが。
午後から収穫した文旦をサトウキビの葉で囲った。2週間ほど睡眠だ。また、つくね芋、農林8号(サトウキビ種)を数本土中に埋ける。さらにはサトウキビ畑で転倒防止柵の残骸からビスを外し片付けを西下の畑から始めた。意外と早くすすむ。きまさごの分も終えると、文旦の剪定に取り掛かろう。
それから、時々は前の家で暮らす事も考えよう。DS 251とデノンNE2500でシステムを組み音楽が聴ける体制が出来れば引越しが出来る。別荘的存在となるはずだ。
夜の音楽はブルックナー2番。1番のニュアンスが少し含まれる(ように感じる)楽曲。ゲルギエフは極端に短い指揮棒。何とも掴みづらい楽曲なのか、結構指揮が細かい。ブルックナーの交響曲は熱量の大きな曲で、彼自身は若い頃から成熟した大人との交流を望んだと言う。僕もこの人について探索を始めようと思ったのはほんの最近からで、やはり若い年齢では向かなかったのだ。ブルックナー関連で日曜日に放映されたN響のブルックナー4番を見た。カメラワークのまずさもあるかもしれないが、演奏が妙にまどろっこしい。ファビオ・ルイージがキレのある指揮を行なって引っ張ろうとするが、彼らがついて行ってないような気がした。(気のせいかもしれないが)
1月15日(土曜日)
気合を入れて英会話。だが10:30曽我さんの来客、コーヒーを飲みながら懇談。彼はコーヒーに砂糖が必要。勿論芸西村の「白玉糖」を使う。(コーヒーに白玉糖はよく合う)12:30まで、その後しゅんろうさんがビールを持参。先日のつくね芋のお礼として。奥さんに厳禁をお伝えしたがどうやら聞いてくれなかったみたい(芸西村の人は律儀、料理の先生に言わせると、少ないお金でもそのときに言う方がお互いの為に良いと)。それから買い物。帰って料理の仕込み。本日は料理の先生の講習会(改まると、先生もレシピを用意しなければならずご負担をかけるので、僕の料理に最適なコメントをいただく形式、これだとwin-winの関係になる)。お土産に入河内大根を渡した。料理の常識を知らないから、当たり前の基本的な事も聞く事になる(例えばランギリ)。調理には、どうしても守らなければならない掟があるようだ。例えばナス。材料選びと切り方には法則がある、勿論その先の調理も見据えてだがそんなことを伺いながらメモ。僕の非常識は段々とと普通の人のレベルになっていく。野菜中心の食事が基本で、僕の理念と合致している。手作りだから大した出費もなく美味しい料理ができるのは習得した知識の賜物。音楽と農業では使わない脳の活性化も図れる。
夜は、昨晩最後まで聴けなかったブルックナー交響曲4番を最後まで、4番は重要な音楽で、ゲルギエフの表情も他の曲とは幾分違うように感じる。明日の夜はNHKで同名曲が演奏される。
1月14日(金曜日)
今日も冷え込んで、庭の鉢に氷が張った。お寺さんから、14:00に高知市にある「お披露目広場」に出店している業者へ砂糖の商談に行こうとい相談を受けていたので、材料を準備するも連絡がなく、15:00に中止の連絡。僕個人も含めて今年の砂糖販売は販路が広がり、他のメンバーも在庫が尽きるいい兆しだ。じっちゃんの砂糖も同様で先日のあった時に精糖の感謝を頂いた。段々と体は弱るが、それでも続ける根気に敬意を評し、今年も手伝う予定。彼は冗談も通じるし、製法のご指導は厳しいし、僕的には相当敬意を評している。勿論生きている事だけでもその対象だ。僕はこの人から長生きの秘訣を盗んでいるつもり。それから、N氏に手伝ってもらって再び文旦の収穫。昨年は2/20まで文旦を収穫していたのでこれも1ヶ月早いのは、収量が少ないため。販売状況を確認しながら、保存数を決めよう。文旦の保存は、地中に藁で包んで埋める。夕刻、曽我さんから依頼を受けていたカップが届いた(モノタロウにネットで注文)ので、自宅まで届けたら、お礼に「入河内大根」(にゅうがうち)を頂いた。奥さんにお礼を述べて、ついでに食べ方も伺う。入河内大根は、安芸市の山奥に在する。入河内は柚子の収穫で毎年お邪魔している地区でもある。大きくて6kgあった。みずみずしくサラダでいただける(辛くない)。高知新聞にも掲載があって、調理方法についての案内があった。「こまどり温泉」(入河内のさらに山奥)で食できるとあるので、訪問の予定。
1月13日(木曜日)
昨日1日英会話をお休みしたら、その挽回に午後1時まで要した。10月末から柚子収穫のお手伝い、11/12からサトウキビ精糖で休んだラジオ英会話は、挽回中で11/16の時点を漂っている。午後、かっぱ市場を覗くと、文旦が1個も残ってない。慌てて帰り、用意した文旦を陳列した。土日は重要。調べると昨年は10kgを98個と別途個人に200kg出荷している。今年は遠く及ばないが手入れは必須、収穫が終わると肥料と剪定が必要。近所のよしかずさんも今年は肥料を使うと言われた。帰って、崩壊寸前の前東東のサトウキビ枠を外した。再び文旦の収穫。5時に終えて、I氏にサトウキビの包装材料費の支払いに行った。一年がサトウキビで終わり、新年は文旦で始まる。農家としての暦と言うか僕の風物詩が出来上がったような感じだ。今日は「前川種屋」で石油の買い物ついでに、みかん「はるか」の苗木を注文した(9月入荷)。この蜜柑は美味しいらしい。手を食わないからいいかなと判断。
夜の音楽は、ブルックナー交響曲4番、流石にこれは有名だから既知の曲。別名「ロマンチック」。この雄大な曲はブルックナーが過ごしたリンツの自然と、音楽家としての裕福な財政が支えたと評されている。このシステムではコントラバスが右からかすかに躍動しているのが聞こえる。ちゃんとしたシステムなら別の表現があるかも知れない。
1月12日(水曜日)
伝承館大掃除の日。寒かったが動いていたので何とか均衡が取れた。昨年よりもかなり徹底した清掃ができた感じ。9時から15:30まで。帰って今度は自分の倉庫の清掃をした。サトウキビの収穫から放置したままだったから。4時過ぎ風呂を沸かし、釜を焚いている間に庭の草引きをした。冬でも元気に草は生える。庭の草引きは時間の割に効果が上がらないので嫌な仕事。だが、黙々とする作業はいろんなことを考えられる。拡大した人間関係のこと。(炭焼きの師匠と電話番号の交換もしたし、木を伐採に行く約束もしたし、料理の先生にも料理を習い始めた)どこまでが可能で、何処までが限界なのか見極める必要もある。それは従来から続けて来た趣味をどうするかも迫る。英会話の勉強は進歩がないが、オミクロンは猛威を振るっているがどうやら先が見えてきたかもしれないから。そして海外旅行解禁となれば、英会話はもう一段階段を登らなければならない。そのための時間確保も重要だ。結局僕の場合は時間の投入が解決の糸口だと思う。併せて、もし行けたとしても(海外旅行は音楽の旅)、日頃から音楽は聴き込みをしないと良さが理解できない。そんなこんなを併せてスケジュールを組むと、とてものんびりとはしていられない。だから無心になれる時間の重要性を思って「禅」は組めないけど、黙々と草を引きながら考える(無心じゃないか)。
夜はゲルギエフのブルックナー交響曲1番。このAVシステムはBDプレーヤーが原因なのか、アンプなのか音が冴えない。ブルックナーは楽しい演奏ではないが、ゲルギエフは統制の取れた演奏のようだとみた。1番は人気のないというか、耳馴染みのしない曲なので、こうした全曲盤(チクスル)でないとあまり録音されてない。演奏が終わった後、観客はまばらな拍手。どうやら演奏をどう評価して良いのやら戸惑っているようだ。本場のドイツ人でさえ、戸惑っている。
1月11日(火曜日)
朝から雨が来た。梅木のくにちゃんから砂糖を持って来てや。段々と僕の砂糖は味が良い評判が広がって注文が来だした。格安で提供した。雨は本格的になって暖房を入れても肌寒い。温もる間少しだけステレオのスイッチを入れて音楽を聴く。ついでにオーディオ雑誌を開く。生演奏と再生演奏の比較について書かれた記事に目が留まった、小野寺弘滋氏が、最適なセットをすれば再生音も生演奏と差異はないと指摘。MeTooだ。生のベルリンフィルの演奏を聴いた時、CDと変わらんじゃと思ったことがあったから。でも比較なんて考えなくても今のオーディオは気持ちの良い音が出る。ずっとこのまま聴き続けていたい、雨も降る事だし。だが、日課としてのタスクは後に回すと蓄積され後で大変なことになるから、後ろ髪引かれる思いで電源を切る。多分僕にとっては聴きたいが聴けない時が1番良い時で、時間が余りある状態と言うかそんな体調になった時は、もう聴く気力も失っているだろう。
よしみちゃんからお寿司の差し入れ、お寺さんから汁の差し入れ、先日の先生からの進呈分もあって食べきれないから、腹空かしにプールに行った。普通に混んでいたが、待つことなく泳げた。2km1時間。バタフライのみ前のように泳げない、体を持ち上げる力不足、腹筋が足らずターン時足がプールのヘリにあたり、アキレス腱を強かに打つなど鈍くもなっている。他は遜色なかった。
帰ると、瞼に幕が降りて来て、家事が手際よくできなくなった。エネルギーを使い果たした感じ。こう言う1日の終わり方はとても良い。
1月10日(月曜日)
先生から頂いた味噌は危険だった。これだけでご飯がススム君だった。量を限って、他の野菜も味噌汁も摂らないと、と箸の向きを変えた。世の中には美味いものがあるもんだ。一方で僕はかなりマズイもの(味が薄い)を食っている。心の中で、それだけ健康になれると信じていたが果たしてどうだろうか。先生に言わせると栄養バランスらしいが。
昨夜はオスカーピータソンンのLPを演奏したら、冒頭部分で感動した迄は覚えているが、気がつけば演奏が終わっていた。まぁアナログだから仕方ない。岡崎の友人の年賀状には「アナログ街道真っしぐら」と書いてあった。この人の耳は良く、オーディオ機器もそんなに新しくは無いがキチンと調音されていた(と思う)。1980年代販社訪問の度にお宅にお邪魔したものだった。僕のジャズとクラシック嗜好はこの人の影響もかなりある。
お正月から禁断のコーヒーを4日間飲み続け分かったことは、やはり睡眠に影響していると確信した。だいたい睡眠後5時間でトイレに起きるが、それ以降中々寝付けないで夜が明けるまで、まんじりと待っていた。コーヒーをやめると、トイレに立っても再び寝付けるのだ。どうやら身体がだんだんと選択肢を狭めているようだ。拡大して解釈すれば、多分性格も段々と極小化しているのだろうか。例えば頑固に。
午後は文旦の収穫を行なった。カゴに12箱。明日は別の畑で収穫し終える予定。販売の足は芳しくない。一旦土の中に囲うべきなのか?それとも値段を下げて一気に捌くか?音楽を聴きながら考えた。今夜はモーツァルト35番から、やはりベーム/ウインフィルの組み合わせは良い。昔の録音でも音がくっきり、一人一人の演奏が手に取るようだ。最近は空気録音と言って、スピーカから再生されている音を録音し、ネットで公開するのが流行っている。それ用の専用機材もある。これなら、仲間といい音の共存がはかれるようだ、オミクロンで楽しみ方に変化かな。
1月9日(日曜日)
十分寝たと思ったが目が覚めたのは午前1時だった。トイレに立ってまた寝たら4時半だった。さすがにもう眠れないので起きてボルトンを翻訳。今年は1ページ半に挑戦(昨年は1ページ)。だんだんと文章も難しくなって、オックスフォードの英英辞書や英文のウキペディアなどを動員しないと、ジーニアス英和辞典だけは訳せなくなっている(それだけ、ボルトンは博識だと言うことになる)。それでもわからない方言(多分スペイン語)があったりして、原文でもイタリック体で別物扱いになっているなど、僕にとっては惨状を極めている。そして難しい文章に差し掛かると、どういう訳か眠くなる。その都度よく眠れる。午前中の時間一杯を使って目標を何とか達成できた。その後料理の先生から電話。午後3時ごろ訪問すると言う。味噌の佃煮を持って来ると言う。これをチャンスと捉えて、手袋、服装の要望をした。昨日下見した文旦の収穫を手伝ってもらおうと、そして収穫袋詰めも手伝ってもらい、明日は市場に出荷するだけになった。人手があると作業は捗る。
お礼にご飯を食べていかないかと聞けばOK言う。独り身の気やすさか、元来気遅れしない人なのか不明。僕も楽しい時間を過ごせて良かった。
1月8日(土曜日)
また一つ人間の輪が広がってしまった(誘惑されそうだ)。炭焼きの人と仲良くなって、炭俵1袋を頂いた。その方の話によれば3日薪を焚き込めて、火力は煙を見て操作する、煙突から流れる汁は木酢と呼び、肥料になる。又害虫を寄せ付けない効果もある。この方は炭焼きに関してノウハウの塊のようだ(セイさんという方から教わった)。僕も手を出したいと思っているが、もう少し考えよう。3日間休み無く薪を焚く作業と、薪と炭にする生木と2種の木を集めるのは生半可で無い為。興味をそそられるが。
文旦の木を見にったら、惨状が目に入った。1個も実って無い木がある。でも実っている玉は太い。収穫は暫時だろう、明日収穫して市場に出そう。一つ試食したが何時もの如く甘くて芳醇な味だった。
今日は午後かっぱ市場を覗いて売れ具合を確認。崩しは相変わらず好調。又、先日出荷したつくね芋は完売だった。伝承館で製品化作業を行った。帰って風呂を沸かして食事。少し早めの終いを付けたら途端に眠くなって、8時過ぎ就寝。数分で夢の中へ。
1月7日(金曜日)
再びかっぱ市場に製品出荷。この3連休に備えて。作業が終わると午後4時だった。5時までは畑の整地をしても良いが、もう少し腕の回復を待とうと家事方向へ舵を切った。今日を早めに終えて、オペラを見ようと。すると料理の先生から電話着信履歴。掛けると「ナスの辛子漬けを持って来る」と言う。では「懇親会をしよう」と提案。友人のT氏を呼んで3人で始める事になった。2人だと気づまりだが3人だと大宴会。この差は何だ?多分内省の会話が少なく、公声が多いからかな?僕はこの料理の先生が生きている間に料理のメニューを盗もうと思っている。ご本人にも伝えた。
人間の幅という表現があるが、それを円に例えて考えると、人は色々な違った色の円を持っている。その円の交わり具合で友好関係が深さが成立すると仮定するなら、今日の友人とは生き方や音楽で円が交差し、この先生とは、料理と旅行で交差する。赤、緑、青の円が交わるところは白になるように、人それぞれの円の色も違っていて交わったところには新たな色ができる、新たな自己啓発の始まりだ。この歳になって今更発展も無いだろうとは思うのだが。
この先生には、少し遅くまで残ってもらい、焼いたパンを持って帰ってもらった。Panasonicのパン焼き器(SD-MDX4)は中々美味いパンが出来る。
ちなみにこの商品は店でこう言われた。「これはメーカーから価格指定の商品で値引きが出来ません。アップルと同じです」と。よく聞くと掃除機も対象品があるらしい。貧すれば鈍するか。
1月6日(木曜日)
この文章をもし弘前に住む友人が見たなら怒るだろうな天候の話。冬型の天気図は西高東低。日本海側には大雪が降る時、太平洋側の芸西村は朝の冷え込みは厳しいがそれとて10時を過ぎれば強烈な太陽で暖かくなって11時には部屋の暖房は切らないと汗だくになるほど。西高東低の天候が続けばありがたいが、時折今日の様な雨の日がある。雨の日は気温が上がらず暖房も効きが悪く震える。一度冷えた体は中々暖まらず震えが止まらない。雨が上がり早く太陽が出て冬型の天候になるのを祈るばかりだ。日本海側の人には悪いが。
21年度の欠けていた金銭の記入をすれば、厳密にはサトウキビの収支は年間で4万円の収入があった事になった。他の労賃や、文旦、柿などの販売を含むともう少し金額は伸びるがそれとて、僕が望むカメラが買えるほどにはならない。タワーレコードから発売されるピエール・ブーレーズ全集などBOXものでさえ購入には躊躇する程だ。
だから、出来上がった砂糖は完売しなければ赤字に転落する。そして砂糖が売れる時期は1月まで。その危機意識で今日も空いた時間、伝承館へ「崩し」の製品化に出かけた。今日は41個作った。僕的にはこの週末の3連休が販売ピークだろうと思うのだ。それまでに製品を揃えておかねばと焦っている。
夜の音楽はモーツァルト交響曲35番~。モーツァルトは30番を越してくると彼らしさが増すし、カールベームも何となく躍動感に溢れて来るように感じる。僕も至福の時を過ごせるwin-win の関係だ。
1月5日(水曜日)
7時半かっぱ市場に砂糖の出荷。お正月休みには引き上げていた為。併せてつくね芋も出荷。電子レンジが壊れてヤマダ電機に修理、栄産業でビニール袋購入、ケーズデンキでパン焼き器購入、佐川急便で交換用アンプを返却。帰って宅急便の手配。慌ただしく、結局は午前中の英会話の時間が確保できなかった。余り忙しくて昼飯は食ってなかった。夕飯はレンジがないので冷や飯だった。昨日もっとゆっくりしようと思った矢先なのに。年末に友人から手紙をいただいていたので、その返信を終えるまではお正月は来ないと思っていた。僕にとって年末のすべき事が全て終わったのは今日なのだ。明日晴れて本当の意味の「お正月」を迎える事ができる。
音楽を聴くシステムはダイヤトーンに変更しているのでJAZZは良いがクラシックは難しいと思っていたが、SEA7000に変更してからは何とかクラシックもこなせる(無理矢理だが)寝る前のJAZZも良いがクラシック音楽が最適だ。耳が洗われ心が浄化するような気がする。何時迄も聴き続けていたい麻薬の様な成分が頭によぎる様になると、これで1日が終わったなと言う気がする。JAZZだと聴き続けてしまうから困る。
1月4日(火曜日)
7時間も寝たが未だ眠い。なかなか疲れが取れない。親類の叔母さんは「もっとゆっくりしぃや」と言う。そうなんだろうな。指先が痺れているし、慌ててすることはない。午後は明日から始まるかっぱ市場での商売のために「崩し」を作った。多分当面は対応できるほど。5時まで作業をして帰って風呂を焚き、食事を作り、一人黙々と食べた。夜の音楽を聴くのは元旦から休んでいて今日で2日目。お正月はジャズ三昧のはずだったが、結局は農作業に当ててしまった。今夕はゴチア・シェビリ。彼は16歳のピアニスト。ベースはスタンリー・クラーク。僕が四国ショウルームに勤めている1974年一世を風靡した人だったが、今はじいさんになっている。この少年をブルーノートで見出し、レコーディングしたとライナーノーツに書かれている。ジャケットは澤野工房のようだが、プリントはアメリカだから違うのかな。Facebookで生演奏とレコード演奏の比較論議が盛り上がっていた。僕はどっちも良いが、いい音で楽しむにはレコード演奏が良い。こんな音質は生では再現できない。又、生演奏だと演奏テクニックを見ようとするし、レコードだと演奏の背景を読み取ろうとする。聞き方が違うから、比較はできないと思う。ゴチアの演奏は綺麗にまとまっているが妙に引っかかるアクがないのは、僕の感受性が低いのか、内容が希薄なのかよくわからない。
1月3日(月曜日)
昨夜遅くお寺さんから着信記録があった。それで今朝電話すると、僕が無事帰り着いたのか心配で電話をしたとの事だった。電話に出ないので、わざわざ私の家まで来て玄関の靴を見て確かめたとの事だった。何から何までお世話になってしまった。僕は酔っても足はふらつかないし問題ない自信はあるのだが、最近深く酔ったことが無いのでどうだかわからない。午後はつくね芋ほりを仕上げ、明日販売するために洗って土を落とした。よしみち君に要らないか持っていくと、欲しいと言われ、代わりに「南」のお酒を頂いた。このお酒は美味い。酒に詳しくなくても、これは飲めばわかる、それ程違う。昔、故桑原さんが僕に買い求めるよう電話して来て、僕もこの銘酒を知った訳。結構強いお酒なので一人で飲むのは勿体無い。誰かを呼んで飲みたい。
今日は無性に眠い、朝の英語の時間に居眠りをして、昼飯後に居眠り、晩飯後にも、一体なんだろう?サトウキビの疲れが出て来たのかな?早いが8時半に就寝。
1月2日(日曜日)
午前中英会話、眠くて眠くて途中何度も居眠り。年賀状を書き終えて、午後からつくね芋の収穫。料理の先生を呼び出し取りに来てもらった。お土産に白菜やパンやセロリの佃煮を貰った。近所のじゅんこちゃんからイノシシの肉と沢庵をもらった。じゅんこちゃんの沢庵はこの辺りでは定評がある。一度食して見たいと思っていた。少し立ち話をして離婚後の事を話してくれた。別に聞きたい訳ではないが、娘さんが帰省していると言うので、高知の人なら砂糖をあげても良いかと思っていたので聞いただけ。じゅんこちゃんが別の受け止め方をされたようだ。夕刻お寺さんから懇親のお誘い。風呂を沸かしたが直ぐに温まらずぬるま湯で済ます。こうしたところが不便かな。懇親の話題はやはり精糖組合での人間関係。少し面白く少し溜飲を下げた。肉とコンニャクの煮付けが中々美味い。2日間煮込んだらしい。若い方のお坊さんの作品。買っておいたシャンパンを持参した。お坊さんは何でも飲むから僕の興味に付き合ってくれる。最後に日本酒で仕上げ。よく呑んだ。
1月1日(土曜日)
岐阜の友人からお正月の行動計画が届いた、寒くて雪が舞っているそうだ。それでも、もっと寒い下呂温泉に行くらしい。もう一人の岐阜の友人も別のホテルながら同じ下呂温泉に行くらしい。どうやらオミクロン耐性があるようだと信じている。僕は出かけられない足枷を感じているし、自宅の薪で沸かす風呂は温泉よりも掛け流しに於いてはきっぷがよく流れるので引け目は感じてない。年賀状を書くのに追われていたが、少しの間LPでジャズを聴いた。ハービーハンコック/処女航海。チャーリー・ミンガス/直立猿人。今回初めて、直立猿人のアルバムの素晴らしさが分かるような気がした。DS251mk2の表現力がなし得た技だろう。音楽には繰り返し聞かなければ理解できないものもあるし、今回のように表現力が良くなった事で理解できるのもある。不思議なモノだ。
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