12月31日(金曜日)
ふやけた昨日からは一転し、部屋の掃除をし、H氏から届いた交換のSE-A7000を返品の箱詰めし、お正月の買い出しに出かけた。買い物リストを持参したが、それでも買い忘れがあって、地元のスーパーで補充を行った。どうにもならないこの頭。ここで、親戚の求君と修君(大阪在住)に会った。赤野勢はうるさいのでスーパーでも目立った。法事も開催できず修君と会うのは久しぶりだ。風呂は強めに焚いて温泉のように温もるために。滞っていた仏壇と神棚の清掃とお供え、墓掃除。丁寧に行えば1時間を要する。まぁ僕の場合墓迄の時間は2分だから多くの人と比べると、放置しているとしてもそれなりに手入れはできている。午前中の英会話を復活させたので、実活動時間は半日だ。日暮れまでギリギリ動いた。夜は、バーボンを飲んでジャズを聞く予定だったのに、コップ一杯で酔ってしまいそのまま就寝。未だ疲れが残っている。
21年の総括として、酒=77日呑んだ(79%)。読書=83冊(136%)。映画80本(363%)。水泳=59km(87%)。食費=60万円(133%)*前年の旅行中の食費除く。
娯楽=ELAC BS283購入。EOS R5購入。LUMIX LENS35-100mm、12mm、25mm購入。サトウキビ=5,881kg収穫(113%)
12月30日(木曜日)
午前7時起床。よく寝た。今日は何もしない日。新聞を読んで風呂に入り、Facebookを見た。それから修理から戻ったSE-A7000のセット。SE-A3mk2はSB10000の低域に変更、SE-A7000は中高域としてダイヤトーンDS251mk2に接続。ヤマハCA5200でAPO(音場補正)をセット。出て来る音は、張りがあって、響きがあって、低域には馬力が戻ってきた。やはり46cmウーハーを駆動するには200W級アンプが必要。キースジャレットのケルンコンサートをチェックすれば、ピアノが弦を叩く楽器だと言うのがよく分かる。クリフォードブラウン/Memorialは勢いのあるトラペットが流れてきた。ウイントンケリー/Smokin’ at the halt noteは180gの重量盤。ウエスモンゴメリーが弾きまくる。ウイントンケリーがそれを追っかける。実にスリリングな演奏。こちらを弛緩させる隙間はない。お正月にはタコはあげないけど、エラックBS283からSB10000のホーン型スピーカーに戻してクラシック三昧の計画だったが、DS251mk2の登場でLPのジャズ三昧に急遽変更。楽しむ選択肢が多いのは実に良い事だ。
夕刻S子氏が来て、昨日の総会で悔しい思いをしたのを刻々と話された。目に涙も浮かんでいた。余程悔しい思いをした事だろう。僕は相談には乗れなかったが、もし、総会で話さなかったとしたらもっと大きな後悔が残ったはずだと返答した。伝家の宝刀もあるし、こうして話す人も居る。一方相手側はその想いをぶつける人はいないよ。裕福な自分の支援者を顧みたらと伝えた。
12月29日(水曜日)
まだ精糖をやっている。じっちゃんの残りの精糖だ。同じ仲間として落とし前をつけたい僕の気持ちの問題で、決してじっちゃんの為ではない。その後、地元大学の面々がやって来た。彼らは毎年ここで絞って精糖化している。先生は同じで生徒が変わる。僕はこの先生と話すのを楽しみに待ち受けていた。一つの事例から、理路整然と話が進み大きなテーマとなって結論づけられる話の構築力は尋常ではない。覚える限り記憶に沈殿させて、会話が終わった後スマホにメモした。サトウキビとは関係ないが、作業をしている時、友人と同じ事「身体は酷使しないと保持できない」といみじくも話された。みんなそれぞれに、従来のセオリーとは違う生き残りを模索しているんだと思った。連れて来た学生たちへの精糖作業の指導は昔のNTCの組織で働いていた事を思い出させ、出来るだけ数値化と方向性を示しながら作業に加わって貰った。何だか懐かしい感じだった。いやではない。小学生や中学生は苦手だが、大学生だと何とかなる。それにボランティアのK子が参加してくれた。彼女は学生達に結構厳しく当たっていた。彼女の友人で紅茶のインストラクターの見学者もみえた。スリランカの紅茶の話をしたらキャンディ(高原地帯の都市)の紅茶が好きだと言われた。少し懐かしかった。リプトンはタンザニア産が多いと知識を披露。こんな珍しい人は大歓迎だった。ホントいりいろありまんな。そういえば、昨夕、地元のスーパーで「チカちゃん」(先般サトウキビを精糖した農家のおばあちゃん)に会ったので声をかけたら、「岡村君かね」(マスクをしているので分かりにくい)と返答が来た。80歳を越した人なのに、直ぐに人の名前が出て来るとは、恐れ入谷の鬼子母神。ボケが遠い存在のおばあちゃんだった。
12月28日(火曜日)
三菱ダイヤトーンDS251mk2を設置した。Facebookでジャズが良いとの評判なので、オスカー・ピーターソンのPlease Request を演奏してみた。評判は本当だった。ピアノがコロコロと転げる(オスカーピーターソンのピアノはコロコロとならなければ、オーディオ装置の性能が悪い)。解像度はないと言われたが、レイ・ブラウンの弾くウッドベースの中低域はすごく良く再現性が高いと言うか、ライブではこの音は恐らく聞き取れないだろうと思う程だった。クラシックはどうかな?レコ芸のアカデミーを受賞したアーノンクール指揮のブラームスピアノ協奏曲を演奏したが、悪くはない。SE-A7000も帰ってきた事だし、次回はこれで鳴らして見よう。何もしたくはない日だが、南国市に行って水虫の薬を処方してもらって、ついでにすぐ近くにあるサニーマート(スーパー)で、自分の出荷した砂糖が販売されているか確認した。白下糖が1000円で販売されていた。高いけど一つ購入した。自分の名前が付いた商品だから。誇らしい感じがした。帰って、プラスティックの容器(コンテナ)を洗浄し、伝承館へ砂糖の回収に向かった。今年は自分の倉庫で保管するつもり。早めに夕食を終え、ビルエバンス/ワルツフォーエバーを聴いていると、窓をコツコツと叩く音。顔を出せば息子くんと友人の町田君だった。お土産に砂糖を渡した。息子は元気でやっているみたいだった。明後日から、町田君と一緒に千葉に「帰る」との事だった。元気ならそれで良いだろうと思った。
12月27日(月曜日)
確かに冷え込んでいて、朝の4時はキンキンだった。7時過ぎに釜に火が入り建物が温まって人心地ついた。伝承館での作業の事。だが、じっちゃんの精糖の番が来れば、殆どの作業を僕がこなさなければならず、段々と暑くなって、午後1時から5時までの時間はポタポタと落ちる汗をかき始め、お茶1.5リットルを飲んだ。作業が終わると汗が引き急激な寒さがやって来た。その繰り返しを3回。肘も痛くなって湿布薬を貼り何とか終えたのが午後6時半。怒涛の1日だった。「おらは、見るだけで申し訳ない」とじっちゃんは言うが、僕は自分の気持ちを収めるだけなので気にならなかった。お寺さんで夕食のお惣菜を頂き、風呂に入って、ビールで流し込んだ。いつもの如く野菜たっぷりの料理で感謝。食事後すぐに寝てはいけないが、起きている体力はなく布団に潜り込んで気がつけば朝だった。
12月26日(日曜日)
寒くなった、薄氷が庭の鉢に張った。いくら寒くなっても、もう心配はない。午前中はかっぱ市場へ砂糖の出荷。今はよく売れているので補充が重要だ。太陽が出る前にセブンイレブンへ行ってタワレードからの品物を受け取る。ブルックナー全集/ギルギエフ/ミュンヘン交響楽団。BD盤。ベルリンフィルのカメラワークも上手いと思ったが、こちらも負けず劣らずだった。時間がないので1楽章のさわりだけ見たが堪能できると思う。思えばブルックナーは足を怪我した夏からよく聴いた。ダニエルバレンボエム/ベルリン国立歌劇場楽団の演奏から始まった、次にベルリンフィルの演奏を指揮者を変えて編集した全集、朝比奈隆大阪フィル全集へと。しかし、ベートーベンやマーラのようにすんなりと記憶に残らなかった。オリジナルの楽譜も多々あるし馴染みにくい音楽構成でもあるような気がする。それで益々闘志が湧き意固地になって、BD(映像)にたどり着いたと言うわけでもある。これはお正月に残して置き、先ずは今日の課題を片付けよう。
伝承館は精糖の仲間で運営されている事もあって、僕の苦手な協調も重要だ。僕は終えたが他の仲間が残っているのを放置もできず、じっちゃんのサトウキビを寒波の来る27日までには取り上げておかねばと決断し、強行した。400kgくらいが残っているとの事だったが、何と始めるとその倍の800kgはあった。寒い北風は吹くし、日の暮れは迫るし焦った、目処がつかなくなって、もう一人の組合員に連絡して手伝ってもらい、日の暮れ前に何とか済ませることができた。僕でさへ疲れたから、主人公のじっちゃんもヘトヘトだっただろう。92歳ですから。
昨年度は多くのメンバーが寒波で打撃を受けたし、じっちゃんも含まれていたので諦めがついた。しかし、今年はじっちゃんだけが寒波の影響を受けるとなれば、気持ちとしては収まらないだろうと思った、それは、歳から来る疲れ以上に彼に打撃を与えると忖度した。正しいのかどうか不明だが、僕はそれで気持ちが収まった。
12月25日(土曜日)
「テレビも無ぇ、ラジオも無ぇ、ピアノも、レーザーディスクは何者だ」。僕も同じだ。「日曜日も勤労感謝の日も、クリスマスも無かった」。サトウキビ一色だった。それが今日で終わりを告げる。寒波襲来で平年の計画を1ヶ月縮めた。肩の荷が下りたとはこの事を言うのだと実感した。サトウキビは伝承館で精糖するが、その工場の利用料は36万円。結局砂糖の販売で80万円、材料費が40万円発生しているから、収支は4万円。これだけ命の火を燃やしてたったそれだけ。まっ、来年は違う収支になるのだが。今日はK子がボランティアで来た。サトウキビが好きな女。変わった人だ。クリスマスなのに他にすることがあるのだろう、こんなおじいさんばかりの集団に来て何が面白い?砂糖を何個かあげたらすごく喜んでくれた。もう何年も来ているから、ほとんどの作業が出来て手伝いとしては最高の人材だ。でも、若いエネルギーを砂糖につぎ込むには勿体無い、世界を相手に戦ってみたく無いのだろうかと心配する、どんな人生観をお持ちだろうか?土佐ロイヤルホテルさんもサトウキビを栽培していて、絞るには些か半端な量のサトウキビが残っていて、僕のサトウキビと一緒に焚いてあげたら、余り芳しく無い品物が出来上がった。情けは無用だったと思い知る。でも笑いも涙も今日で終わる。遅くなったが帰ってワイン片手に新聞の書評ページを眺める。気に留める本は無かった。今日は大汗をかく作業を行ったので疲れで夜更かしは出来ず8時過ぎに就寝。
12月24日(金曜日)
シュウちゃんにナンキンをを食べたか?と聞かれ冬至を知って、よしみちゃんがお寿司を持ってきてくれて、会話にケーキの話題が出てクリスマスを知った。25日までに700kgを収穫しようとしているから余計な事に頭が回らなかった。何とか収穫し終え、今年のサトウキビを終了した。ニュースでは盛んに寒波襲来の報。今年の1月にサトウキビがこれによって打撃を受けたので今年は脇目もふらず急いだ。かっぱ市場から砂糖がないとの連絡を受けて、親戚からは白下を5個持ってこいとの催促、ヤフオクからダイヤトーンDS251mk2が落札されたので入金催促。伝承館にサトウキビを出荷した次いでに諸々の用事を済ませて帰り着いたのが夕刻の5時半。猫の手も借りたい。本当に良くやっていると思う。夕食を献立て風呂から出たのが夕刻の8時。布団に入って眠くなるまで宮本武蔵を読んだ。インドに行った時はるばると遠くに来たもんだと思ったが、定年後の農家への転向も僕本来の路線からすれば遠くに来たもんだと感慨を新たにした。コロナで他の選択肢が無かったのもあるし、農家への道が真っ直ぐに開けていたのもあって軌道に乗った。インド映画に「巡り合わせのお弁当」(カンヌ映画祭で絶賛)があって主人公のフェルナンデスが呟く、「例え人生の列車を乗り違えても、巡り合わあわせは決まっている」と。僕にとって農業はそんなものだろう。
12月23日(木曜日)
今日は大きな事故に繋がる所だった。サトウキビの葉を刈り取る機械を軽トラに載せて、畑に向かう途中で、この機械を荷台から落下させてしまった。付近に人がいなくて良かった。この機械は200kg近くあるので怪我するだけでは済まない可能性があった。サトウキビの収穫はシュウちゃんに手伝って貰ってもらい、400kgを刈り取って伝承館に運んだ。更に、残りのサトウキビも全て刈り取ったので、明日は葉を取り除く作業だけ。午前中に終わる予定。
Facebookでオーディオマニアのサイトがあって、参加すると三菱のDS251で盛り上がっていた。ヤフオクで8500円で手に入れたとかあったので、僕も入札を申し込むと何とライバルなしで落札された。ジャズに良いとの評判だった。お正月は無いかと思っていたが、サトウキビの収穫が思惑早く終えたので音楽三昧出来そう。タワーレコードから、レコ芸の推奨レコードがもう直ぐ届きますとの連絡が来たし、役者は揃いつつある。
12月22日(水曜日)
疲れでヘトヘト。右手が痺れるし今日は何もしないと決めた。洗濯と購読誌の購入と昼寝のみ。昨年の記録も同じようなもの。差異は昨年は1月28日まで収穫に要したが、今年は12月25日で終いをつける。寒波を考慮して作業を早めた。それで少々無理をした。家事が疎かになって家の中が乱雑になった。皮肉なもので、こう言う時に限って初めての来客がある。隠すことはできずそのまま上がって貰う。僕としては少々手を広げすぎたのかな?と反省。芸西村にも優れた人材はいる、その発掘が面白いのと負担と重なり合って僕は身動き取れなくなっている。さぁ歳とともに動きも頭の回転も遅くなるので、整理が必要だろう。1日は20時間くらいで回転しているから、あっと言う間に時が過ぎて行く。
寝る前に布団の中で宮本武蔵/吉川英治を読んで朦朧となると就寝だ。これは名書籍だと思い分厚い単行本を買って、若い頃読んだ、理解力が今より低いその時でも、この本は僕の支えになるだろうと予感があった。根幹に武士道があって、恋が乗っている。剣の戦いはほんの薄皮だと思う。まぁ「お通さん」も武士道の精神を持って(耐える女の設定)恋をするなんか余興としても、武蔵の剛直さは好感が持てる。はやり僕にとって座右の銘の存在だ。今回の読書はアマゾンで全集が500円位だった時に買ったkindle版だ。
12月21日(火曜日)
3時40分、伝承館に到着、機械を点検してサトウキビを絞り始めると、仲間がやってきた。1番釜は僕のサトウキビから。出来上がりに愕然。砂糖が緑がかっていて、仲間内で言う「ねずを打っている」から。原因は不明だが、僕はサトウキビがこの寒さにやられたのではないかと思った。2番釜はそれ程でもなく、原因不明。それで、22日に600kg収穫する自信を失っていた所、今年は収量が少ないので頑張って獲れ。何とでもなると励ましてくれる。それで、今日の午後はものすごく疲れが出てきてしんどく、天気予報も24日は晴れるようだったので、22日の収穫を23日に変更して頑張る事にした。疲れ以外は至って元気で、毎日重いものを持っているのに腰痛が引っ込んだのも不思議。じっちゃんも精糖工程で厳しい指導をされ、肝心な混ぜる工程では根を上げてを依頼される他は、耄碌爺さんさんとは対極の頑張り。からかったら乗って来るし、この歳まで生きるだけでも大仕事なのに、サトウキビの栽培、刈り取り、出荷まで一人で行う。そして言う「一人ですると、時間がかかるのう」今迄手伝ってくれていた友人たちは亡くなったからだ(奥様も)。長生きをすると友人を無くするのも教わった。まだ呆れる話をされた、来年はもっと増やす(サトウキビの作付け面積を)
役場のサトウキビに詳しい女性が来られたので、サトウキビの品種農林8号について質問した。一つは、この品種は冬寒い高知には向かないかも知れない、前に渡した苗は干からびていて、弱いタネだったので、そこから生まれた子は、大きく成長しても良い砂糖が出来る可能性が薄い。僕がその質問をぶつけた背景には、この品種を混ぜると糖度が落ちてしまったからだ。
夕刻5時半に仕事を終えて帰宅。夕食は鹿児島で加工した鰻。芸西村で獲れた蕪の三杯酢、カリフラワー。明日はOFF日だが疲れで9時に就寝。
12月20日(月曜日)
城山三郎の「毎日が日曜日」と言う本があるが、僕の場合は、毎日が月曜日だ。明けても暮れてもサトウキビ。今日もシュウちゃんに頼んで、収穫。220kgを刈り取った。伝承館に運び込み、ここで「白下糖」の製品化。カッパ市場に出荷する。年末が近くなって、急激にこの商品の動きが早くなり、天童よしみに似た店員さんに、早く持ってきてと指摘されていた。急いで帰り、脱葉機のブラシワイヤの取り付け整備。太陽のある内に済まさないと、機械の奥の方にあるネジ穴が見えなくなるから。そしてコンテナの水洗い。せっちゃんに黒蜜の成分表のラベル印刷。忙しかった。食事と入浴を済ませたのが8時。30分の湯冷ましの後就寝。忙しかったのですぐに夢の中に突入出来るのが救い。
12月19日(日曜日)
シュウちゃんにお願いしてサトウキビの収穫を手伝ってもらった。2日間で600kgを刈り取るため。この寒波で、サトウキビの葉がやや黄色味を帯びた。今年の1月初めに経験した、第1波は全く問題なかったが2波でダメージを受けた。その経験を元に12月18日が1波とすれば、12月26日の2波がやって来るまでに収穫を終えなければならない。そのために急いでいる。今日は380kg、明日220kgを刈り取るつもり。シュウちゃんの仕事は遅いが綺麗で丁寧だ。今までの僕は、さっさと始末出来ない人にイライラしていたが、シュウちゃんを見ていると、何だか僕が鷹揚になったようで、「無理せんと休んでや」と言っている。それだけ説得力ある丁寧さなのだ。サトウキビ仲間の実ちゃんにも似たような動きかな。これからも時々手伝って貰おうと思う。夕刻5時に伝承館へ運んだ。重たいものを持ったのに、腰痛もなく割と平気だった。ただ、食べる量が増え体重は増加気味だ。
夜の音楽は、モーツァルト交響曲22番から、ベーム&ウインフィルの最強コンビ。CDの再生にPanasonicUB900を使った。高域が綺麗だが、低域に馬力がない。CD専用機ソニーXE7ESに劣る。
12月18日(土曜日)
昨日の財産区委員会の会議を欠席、本日の先祖様の部落集まりも欠席。全てを製糖に注ぎ込んでいる。3時半起床、伝承館に出かける。本日より寒波来襲、冷え込んだが、製糖作業が始まれば大量の薪を焚くので寒さ知らずと言うか暑くて汗をかく。今日は疲れていて、作業をしながら居眠りもした。仲間の奥さんに頼んでコーヒーを入れてもらった。頼めばコーヒーがやって来るのは何十年ぶりの事か。今日は、室戸からやって来るサトウキビ農家と折半で焚く。彼等は供出量が少ないので、僕のサトウキビと併せないと焚くための200kgに満たないのだ。何度も書くが僕のサトウキビは出来が良く、彼等の持ち込んだ糖度の低いサトウキビをカバーしていいのが仕上がった。午後4時に終えて帰り風呂に入った。先祖様を主催する奥様より、欠席の差し入れ。せっちゃんから電話でグル煮を取りに来てと電話。ついでに、ケンピ屋さんの商談の結果を聞かせてもらう。結論は決裂。この件は僕が「土佐の里」(高知1番のJA市場)へ商談を独り占めしたとガセネタで、仲間の顰蹙を買っているとの経緯を披露して話が盛り上がり、お酒も出てきてなかなか腰が上げられなかった。ついでに、やっちゃん(高知のパン屋さんで、昔は近所に住んでいた人、僕の砂糖を販売してくれている方、カメラマニアで高知の県展で入賞多々、ペンタックス67を使う、せっちゃんの友人)にも電話をして、蜜の事とか、カメラの事で話し合った。帰って食事と居眠り。10時前に部屋に戻って就寝。結構忙しかったなぁ。
12月17日(金曜日)
久しぶりに午前中家の中で過ごす。溜まっていた郵便物や書籍の自炊をして机の上を片付けた。午後は伝承館で「崩し」の製品化。かっぱ市場に納める。200g600円のタイプが欲しい(いままではとの要望だったので対応した。帰って夕食の準備や風呂を焚いたりすれば、いつもの時間がやってきて、音楽を聴く暇もなく8時半に就寝。
12月16日(木曜日)
夕刻から雨予測で、8時前に畑に出た。今日は330kgの刈り取りだ。計算では240本。午後3時半に終えた。キッチリ330.1kg、読める収穫。その頃雨がぽつぽつ落ちてきて、伝承館へ急いだ。サトウキビを下すとせっちゃんから電話。「明日商談に行くので崩しが1kgを2個欲しい。今から作って、私も行くから」。ご主人に申し訳ないのでその電話でお詫びをした、快く奥さんを貸してくれた。終えたのは午後6時半。もう風呂を沸かすには暗すぎる。2日続けて風呂無しシャワーのみ。
昨晩のCDで分かった事は、手持ちの音楽を聞き直す必要がある事。何故ならスピーカーをエラックに変えて、音楽の表現が大きく変わったから。少し表現が悪いが「手垢の付いたCDはジャケットを見れば音が分かる」から、ジャケットで聞く音楽が選別されていた。が、評価が一変すれば聞き直す必要があるのだ。昔のセンスであるが買ったCDはどれもこれも魅力的で、飾っておくには勿体無い。それにしては、CD枚数が多すぎる。
12月15日(水曜日)
今日は製糖作業の日。10月27日からずっと休みなく農作業をフルタイムで続けている。労働基準監督局からはお咎めがあるかも知れない。まぁ自営業というのはこんなもの。仲間のみんなも疲れている。だがその割にハイになって明るい。やけくそかな、それとも結局は砂糖を焚くのが好きなのかなぁ?じっちゃんは高齢で、今日は休むように師匠が言い渡したが、早朝、伝承館に顔を出して、昼間はサトウキビの刈り取りを行って、夕刻再び伝承館に顔を出した。師匠は休んだらと言ったのに仕事をしていると、半ば呆れたが、僕は「仕事をすることが休憩だよね」と、じっちゃんに伝えると、「そうよのう」と同意。今更92歳の爺さんに休めと言っても休み方を知らないだろう。仕事をして、仲間とワイガヤをして帰る、それが生きるヨロコビ。みんな大なり小なり共通しているんでは無いかなぁ。僕も同感。だが、僕だけはひっそりとした自宅に帰りその格差に寂しさが大きいけど。
夜の音楽はジュリア・フォーダム/明日を夢見て。これは、今まで上手く鳴った事のないアルバムだが、今のシステムはかなりCDから克明に情報を拾い出している。彼女の評価を変えなければならないかも知れない。
12月14日(火曜日)
サトウキビ185本を刈り終えて集計すれば、403kg。僅か3kgオーバー。納得のいく収穫。伝承館に持ち込んだ。午後は再びそこで、焚き上がった砂糖を包装して、価格表を貼り付けて出荷した。これで当分の店頭在庫は十分出来た。帰って風呂を焚き夕食と明日のお弁当を献立た。
昼間の作業時、ブルックナー交響曲1番/ダニエル・バレンボエム/ベルリン・フィル(ハイレゾ)を聴く。夜、同名曲を小澤征爾/ベルリン・フィル(SACD)で、前者はヘッドホンで、後者はスピーカーで。ヘッドホンの方が緻密な音をよく再現し、ブルックナーの荘厳さが出ていたように思った。ブルックナーは1番から既に成熟した重厚さを纏っていたのに気がついた。19年はマーラ、20年はベートーベン、21年はブルックナーをよく聴いた。僕の意思ではなく結果としてだ。さて、22年は?もう明確だ、ヴィルヘルム・ワーグナーだ。
12月13日(月曜日)
今日は220kgのサトウキビを収穫し伝承館へ持ち込むと、川村さんのサトウキビは収穫量が少なくて、僕は400kgまでOKとなった。(1日で焚ける総量1000kgが上限)買い物をして再びきまさごで、サトウキビの刈り取り。僕のは、1本の重量が揃っているので、刈り取る数量を数えていると自ずと総重量が推定出来る。当たり前のようだが、高さが人の身長程もなく、しかも不揃いな高さで、直径が1cmに満たない他の人達のサトウキビは、かなり慣れたベテランでもおおよその重量を推定するのが難しい。結局収穫後、測定してから重量が分かるので、収穫しすぎや、予定の収量に満たなかったりする。サトウキビは放置しているだけでは上手く成長する事はないのだ。その後合計で400kgになるように刈り取った。明日出荷。
タワーレコードから、レコ芸の「2021年度レコード・アカデミー賞」の案内メールが届いた。もうそんな時期。ブルックナー交響曲全集/ギルギエフ/マリンスキー劇場管弦楽団とアンドーシュ・シフ/ブラームスピアノ協奏曲1-2番、アーノン・クール/ハイドン交響曲100番をプチった。〆て36000円。お砂糖の収入ではなく年金からの支払い。ギルギエフは美人で歌も素晴らしいオペラ歌手アンナ・ネトルプコを発掘した人としても有名。お正月休みは無いけど、お正月に聴くために買った。レコ芸はハルモニア・ムンディの作品に過大な評価をしがちで公平さにおいては少し怪しく、僕は購入の対象外としている。その会社の「バッハのヨハネ受難」が日本人による演奏で推奨されている。この宗教がかった音楽は、日本人は深い所で理解できないだろう、例えば身の回りの文化、友人、家族、食べるものなどなど、中世のヨーロッパを感じさせる事がない。演奏家は幾ら技術を磨いても根底は変えられない部分があるのだと思う。特に民族や宗教に関する分野では。
12月12日(日曜日)
かっぱ市場では砂糖が比較的よく売れている、今日は伝承館で「崩し」の袋詰めの作業を80個15:30まで行い出荷した。サトウキビは3月の植え付けから、夏の草引き、12月の刈り取り、精糖、最後に包装出荷まで全ての工程を一人で行ってお金が入る仕組み。長い間製造メーカーで働いてきたが、川上から川下まで一気通貫で携わった事はなかった。その代わり給与は、妻子を養うほど頂いたが。自演の今年度は80万円程の収入で、草刈り機購入や混合油、釘などの経費が40万円程発生し、一年身を粉にして40万円の実入りがある。割りが合うのかどうかは、何処に価値を置くかの問題である。生活の足しにはならない。実際入金される貯金口座からお金を引き出す事はなくても、車検とか、地震保険とか自動的に引き落とされた結果、1年間で預金が少し減るくらいで、これをアテにした買い物は出来ない。勿論これは承知の助であるが。仲間はどうか?と言えば、「孫」に消えると言う。僕にはそんな環境は無いが、よしんばあってそうするのかどうか不明。帰ってきまさごでサトウキビの刈り取り100本。僕と同日に焚く川村さんのサトウキビの収穫具合によって僕の収穫は変えなければならない。1日に1000kgは消化出来るが、それ以上は無理な為。
夜の音楽はモーツァルト交響曲/カールベーム。一桁台の交響曲には馴染みがなく、ふぅ~んて感じ。心地よい弦の音は相変わらず。
12月11日(土曜日)
3:30までぐっすり。4時から伝承館で絞り始める。みんな元気だがヘトヘト感がある。みんなは11月11日からは休んでない。焚くか収穫かどちらかを行っている。僕の製糖は師匠超えをして、砂糖が高品位で安定して来た。石灰の調合も混ぜ方も技術が上がった。さっさと出来るし、砂糖の質が良いので、煮詰める作業も流し込む作業も早い。ここまでは良かったが、「ちかさん」の砂糖は難解だった。粘い上に中々炊き上がらない。40分も混ぜて何とか師匠の承認を得た。「ちかさん」とは芸西村の農家の主婦で81歳。よく喋る、僕が混ぜているところに来て色々と話しかける。耳が遠いので、僕は大きな声で話さなきゃならない。混ぜるにも体力を使うが大きな声で話すにも体力を使い、炊き上がった時にはどっと疲れた。「ちかさん」は芸西村から1歩も出なかった人なので、芸西村の歴史や各地区のことを知っていて、僕の近所の事も教えてくれた。先日の「しゅうちゃん」と言い、僕の18歳から64歳まで芸西村不在の間隙を埋め合わせる情報を頂いた。サトウキビの執り持つ縁で、芸西村の人と仲間の輪が広がって行くのは、僕の定年プログラムには入ってない出来事でジワジワと人生設計が曲げられていく、可とするか否とするかは死ぬ間際の判定になる。クタクタに疲れているが、風呂はなくシャワーのみ。映画も見る体力なくそのまま就寝。
12月10日(金曜日)
今日は少量の刈り取りだが、他にもすることがあって気を引き締めて取り掛かった。先ずはサトウキビ100本を刈り倒して葉を取り除く、ショスタコ4番/7番をギルギエフ/マリンスキー劇場管弦楽団で聴きながらの作業。ギルギエフ氏はソビエト崩壊以降に注目された指揮者。この人のシエラザードは名盤中の名盤。2時前に終えて伝承館へ出荷。ここでは集落活動センターの面々が精糖作業を行っていた。僕は、ここで「崩し」の作業を行い市場に出荷する。精糖の合間に暇そうにしている女性陣にも手伝って貰い、午後3時半に終えた、手伝って貰った女性には崩しを一袋プレゼントした。市場は4時に閉店するのでギリギリだった。夕食の買い物を済ませて自宅に帰ると、時間指定の宅急便が丁度来られた。知人からリンゴを送ってくれたのだ。このリンゴは新品種で、食べ慣れた味とは微妙に違う。リンゴも進化しているのだ。食事をして早々に自室に引き上げると猛烈な睡魔で8時半には就寝。
12月9日(木曜日)
連日の作業で腕が痛く、今日の作業開始は9時から。266kgを収穫した。作業中はAirPod を使い、ブルックナー8-9番/ダニエルバレンボエム/ハイレゾ音源を聞く。昨晩のカールベームよりか幾分荘厳感が高い、譜面が違うかも知れない。収穫したサトウキビは伝承館に収めた。作業に来ていた愛媛県の農家の方が、僕の背の高いサトウキビを見て、どうやって育てたのか?と真剣に聞かれた。彼らの2倍以上の長さと4倍の重量があるからだ。一旦家に帰り風呂を沸かして、お弁当を持って再び伝承館へ。午後5時から精糖作業に入る、今日は2交代で朝の3時から午後5時組と、午後5時時から11時組があって、先の班は翌日も午前4時からの作業を行う。みんなヘトヘト。愛媛から来た農家の方は19年間もここに通っていると言われるから、強者だ。3人の男性ばかりの仲良しが一行さん。年老いて自由に物が言い合える仲間と一緒に作業ができるヨロコビが収穫よりも価値が大きいだろう。作業は午後10時半に終わり帰宅した。熱々の風呂に入って、前に書いたイタリア旅行記をMacBookPro で眺めながらイタリアワインを舐めた。この時気付いたのは、写真ではなく、写真に添えた文章の方に価値が高いと言う事だった。前に書いた文章を忘れているので、テレビ番組の旅行記よりも興味深いのだった。
12月8日(水曜日)
気がつけば7時前。朝ごはんを食べ、かっぱ市場に出荷する砂糖にプライスを貼る作業で11時。店頭品在庫は「崩し」が殆ど無くなっていた。伝承館に行き「蜜」を精糖組合に出荷24.1リットル。それから「崩し」の作業を14:30まで、それを持ってかっぱ市場に出荷。多分この土日まで持ち堪えられないから、追加必要だろう。帰ってサトウキビの刈り取り200kg相当。
5時に終え風呂を沸かして買い物に出ようとする時、よしみちゃんから電話。「筍のお寿司が出来た」と電話。貰いに行くと、一緒に「グル煮」をくれた。帰って食べながらお礼の電話、グル煮は栗が入っていると言う、僕は芋かと思っていた。聞くほどに料理の苦労が偲ばれる。「感謝」。お袋の味はもう忘れたが、時々近所の主婦から貰う料理で代用満足している。野菜の付け合わせは、STAUBでキャベツ、舞茸を無水調理。心持ち野菜の風味が残っている。
夜の音楽は、ブルックナー8番/カールベーム。この曲に関しては、朝比奈隆/大阪フィルに馴染みがある感じ。
12月7日(火曜日)
3:30起床、精糖工場へ。今日は3釜600kg、外部の人が1釜。こちらは高齢の女性と男性。僕の「きまさご」のサトウキビは2年目で初めて焚くが出来具合は中々良い。心配(サトウキビは同じ株から3年収穫した後に味が良くなる)は杞憂だった。天候に助けられたのが大きい。そんな嬉しさもあったが今日は疲れ果てた。帰るとぐったり。
文字を追う気力もなくビールを呑みながら昨晩放映のブロムシュテッド/N響/ドボルザーク8番を見る。彼は指揮棒を使わない。手のひらだけで指揮をするが、小さなフリであらゆる言葉を伝えている、それが小気味良い。バーンスタインのような熱血漢の指揮ではないが知性溢れる指揮だ。どちらかといえば、各人の演奏会個々人の力を引き出す感じ。でもN響メンバーは一生懸命だが、少し力不足でもたつく感じがある。それで音が荒れる。ベルリンフィルを聞いてすぐわかるのは、グイグイ押す「力強さ」好き嫌いはあるだろうが、頼もしい。そんな安定感がない。
12月6日(月曜日)
今日は中学生の同級生に声を掛けて、今日のみの仕事をお願いした。どうしても600kgを収穫したかった為。運動になれば良いと始めた農業にのめり込んでしまい、家事を放棄、英語の勉強も疎かにして、没頭している。こんな筈じゃなかったのに、耕作面積を増やして、芸西村1番のサトウキビ農家になってしまった。しかしながら、地元の店で売れる、よく売れるから自ずと熱がこもる。昨年は製糖工場に完成品が残っていたが、今年は在庫品はなく作っては出荷して売れている。又、元気が続いているのと出来上がる砂糖が例年に無く出来が良いのも拍車をかける。実際のとこと「寝ても覚めても砂糖ばかり」ちょっと普通の人には理解してもらえない。それだけ燃えている。お爺さん、お婆さんが必死になって働いている。実際この光景を見ると、そんなのあり?若者のように活気が漲っている。「しんどいからちょっと休ませて」と言う人はないし、皆んな立って食っている。婆さんの年齢にある師匠の奧さんの肌は光っている。
頑張って430kgを収穫した。明日のお弁当のお惣菜を作った。AmazonでクリックしたSTAUBが届き、無水でブロッコリーを茹でた。弱火で8分蒸らし5分。蓋を開けると綺麗に火が通りこんなブロッコリーは食べたことが無い。半分食べて弁当に詰めた。
夜の音楽はブルックナー7番/ベーム。実に気持ちが良いが、2楽章で強い睡魔。20:30で就寝。
12月5日(日曜日)
毎日が日曜日なので、曜日の感覚はない。いつも混雑している国道55号線に出た時車が少なければ休日だなと感じる程度。今日なんか、夕刻まで畑にいたから全く失念状態。今朝は喉が痛く7時まで寝ていた。疲れが溜まっているのだろう。新聞をゆっくり読み10時から作業開始。西下の畑のサトウキビ収穫は午後3時に終えた。最後の畑「きまさご」に移動。こちらは2年もので大きく発育し、本数少なくても収量多い筈だから、多分作業は楽、但しここも柵が倒れているから、柵の撤去に時間を要するのは同じ事。短時間だが150kg切り出した。伝承館へサトウキビ出荷。サンシャインで買い物。夕食にFacebookで見た卵料理に挑戦した。玉ねぎの代わりに白菜、パセリの代わりにニラ。出来上がりは全くひどい失敗作だった。まぁ野菜たっぷりで薄味なので我慢して食べたが、満腹感は無かった。
夜の音楽は、Johanness Brahmsピアノ協奏曲1番/ベーム/ポリーニ。いい演奏だったが、半分ほど居眠りで、又喉が痛くなるかもしれないと電源を切った。寝たのは20:30。布団に入ると5分とは持たないで落ちる。体力の限界で生きている感じ。でも意外と粘れる。(どこかに病魔が潜んでいるかも知れないが)
12月4日(土曜日)
8時から、製品化しておいた砂糖をかっぱ市場へ出荷。その足で伝承館に向かい、「崩し」(砂糖は固まると、簡単に料理に使えないので、予め僕らが使いやすいように2cm角の角砂糖のような大きさに切りそろえて出荷する)を作りかっぱ市場に再び出荷。家に帰って、サトウキビの切り出し。これで3つ目の畑を切り出した事になる。昨年から比べると1ヶ月も早いが収量は1200kgも少ない(収量は74%)。植え替えを行わず、肥料も施さないので当然の結果。だが、出来てくる砂糖の質は抜群に良くなった。17時に作業を終えると、よしみちゃんが再びキュウリの佃煮を持って来てくれた。「冷凍して保存しておきや」。お寺に行って売れ残りの砂糖を引き揚げて来た。ついでにパンも大量に貰った。石油を買って寒さ対策に備えた。朝からフル活動、まさか第二の人生が農業になるなんて思っても見なかった。お寺さんが師匠を紹介してくれた事と、我が家の土地がサトウキビの育成にぴったり合っていた事とそれなりの面積の土地があった事、コロナで大阪の仕事がストップした事など、偶然が重なった結果、たどり着いた運命のような出会い。
夜の音楽はブルックナー2番/ベーム/ベルリンフィル。ウインフィルとはやや違う、ウインフィルがしっくり聞こえる。頑張りすぎたのか扁桃腺が腫れて喉が痛い、終盤まで聴かず就寝。
12月3日(金曜日)
さすがに疲れが溜まりしんどい。疲れていると気が利かない。精糖作業は一人が色々なことを掛け持ちし、しかも自分の精糖には重要な見極めがある。今までは師匠が指示してくれたが、段々と口数が減って来ている。今後の予定をたてるとき、「独り立ちできるかどうか聞かれたが、他所様の砂糖には責任を持てない」と回答した。出所の不明な砂糖を炊き上げるには、「オリのつき方」(石灰を入れて不純物を沈殿させる見極め)と、「釜の上げ方」(最終工程で、窯の火を止めるタイミング)がイマイチ僕のものになってないからだ。もちろん自分の精糖は殆ど完全にできるようになったのは、自分の畑で採れるサトウキビの性質を理解したからだが。サトウキビは畑と品種と栽培方法によって砂糖の振る舞いが大きく変わる。まぁそれが伝承館の精糖のこだわりでありノウハウであるのだが。伝承館とはその技術を後世に残す目的で設立された意味もある。色々な課題が見えて来るようになって、人が集まれば組織が形成され、意見の相違が生まれ、選択肢が増えるのは仕方ない。僕の視線はいつも技術やメカニズムを見ていて、人を見てないので、どうしても深読みに欠けている。今更どうしようもない事ですが。5時に終わり、帰った。早速風呂を沸かし入った。全ての活動は風呂で体に纏わりついた汗を流したい、一緒にしがらみも流したい。
12月2日(木曜日)
朝一「喜ら功」さんへ弁当の買い出し。村道はいつも時速40kmで走っている。所が、いきなり狸が道を横切った。車を見ても躊躇はしない。ガタンと前のタイヤにショック、後輪で乗り上げたショック。やってしまった。僕は狸がよく跳ねられているのを見て、車のスピードが速すぎるんだとドライバーを非難していたが、実態はそうでもなく、道端から一直線に駆け出して来るから跳ねられるのだと理解した。ただ僕の場合は速度が遅いので血を出したり、内臓が飛び出したりはしない。動物を跳ねるのは後味が悪いが仕方ない、タヌキは近くの川に捨てた。その時は冷静でなかったが、あとで考えるとそのまま持ち帰り、淳子ちゃんに頼んで「タヌキの脂」を取って貰ったら良かったと後悔。8時からサトウキビ収穫。倒れたサトウキビを取り出すのは大変な労力で、結局1日半を使って400kg切り出した。夕刻5時までかかった。明日は3時半起床なので急いで帰って、風呂食事を済ませ、9時前に就寝。
12月1日(水曜日)
夜中眠りが浅くなった時、遠くで強い風の音を聞いた。朝起きて雹でサトウキビがやられてやしないか確認すると、それは大丈夫だったが、風でサトウキビが全部倒れていた。僕の育成法は柵をしているから、柵ごと倒れた為、切り出すのが大変。決して豊作のまま終えるとは信じてなかったが、大打撃だ。柵は切り刻み(幸いに竹なので)、来年もう一度初めからやり直すしかない。2つの畑に2ヶ月を要する筈。気を取り直し、午前中は昨日精糖した砂糖の加工、包装紙で包んで重さを図り、付箋を貼る。蜜は小口の容器に入れて封をする。帰って、午後サトウキビの切り出し、30分で終える作業を2時間半かけて行った。5時に終えて風呂を焚いて食事を作った。昨日頂いた焼き鯖の食べ比べだが、今日は買い物に行く時間がなかったので、「とうやくの腹身」を焼いて比較した。それでも不公平なのは、鯖は最高の鯖を使っているのに対し、とうやくはありきたりを賞味する。一般的に焼き鯖はパサパサで余り美味しくないのだが、福井のはしっとりとして、脂が乗っていて、お醤油なしで頂けた。対するとうやくもはらみのため、何とか比較の舞台に乗れた。こちらは師匠の奥さんからの貰い物で少し塩が効いていた。アテの野菜は秀明君からのキャベツ、きゅうり、曽我さんの奥さんにもらった岩手の塩漬けワカメ。こちらもドレッシングなしで美味しかった。まぁ今日の作業も相当しんどかったので、何でも美味い条件下にあったのだが。
Amazonブラックフライデーの最終日。洗剤とニューバランスの運動靴と充電電池と自転車ライトとSDカードとストーブをクリックした。
11月30日(火曜日)
さすがに600kg収穫の翌日は辛い。動作が一段と緩慢だ。まずは師匠、曽我さんが焚くこれで半分、次に僕のを3釜。丁度昼時で食事なし。出来上がりは上々、師匠曰く、「俺の優越感が無くなった」色、味とも良好。僕が見てもそう思う。でも3釜焚きあげた後は脱力感が凄かった。雨も強くなって、帰ると風呂を沸かし浸かった。汗と製糖が付着しドロドロだったので。風呂は余り焚いてはないのでぬるめのお湯だった。夕食も献立る気力はなく、お昼のお弁当のお惣菜をビールで流し込んだ。宅急便屋さんから電話、アマゾンでプチッタPCが届いた。しばらくして又宅急便、今度は知らない人からの贈り物。おかしいなぁ、送り先に確認すると依頼を受けただけ。もしやと思い、知人に電話。贈り主は知人だった。福井の焼きサバ。高知のサバと食べ比べて欲しいとの事だった。ありがたい、でも食事の後だった。
新聞を読んでいると、雷、豪雨、雹がやって来た、一人だし恐怖を感じた。何かが起きるのではと部屋の南側に移動した。北側の崖から石のような固形物がゴロゴロと落ちてきたのだ。「地震、雷、火事、オヤジ」最近上位3つがかなり本格的に怖くなっている。4位の位置にいるせいなのかなぁ。雷も落ちて地響きがした。
眠くて眠くて我慢できず9時過ぎ就寝。テレビはもう2週間くらい見てない。
11月29日(月曜日)
年寄りは忙しい、何故なら動作が緩慢で処理能力が落ちるから、今まで通りのことをこなそうとすると、時間が長くかかる。したがって予定をこなすには予定外の時間も必要。この理論は正しい。今日も時間一杯働いた。余りにも忙しかったが出来たことは多くない。
朝8時からサトウキビの切り出し、200kgを上げるのに4時間を要した。伝承館へ供出し、かっぱ市場でサトウキビの価格表を貰う。帰って、加工したサトウキビに値札を貼って出荷。その足で野市の「ダイキ」で搾りかすを入れる袋を購入。昼飯なしで帰って「つくね芋」掘り、同級生のシュウちゃんに手伝って貰う。虫食いと良品を区分けし、虫食いはよしみちゃん、淳子ちゃん、シュウちゃんにプレゼント。良品は持ち帰り来年のタネ用に埋めた。頑張ったつもり。よくやったと思うが年寄りの理論実践した。でも、こんな充実を毎日出来るか?元気印の僕でも自信がない。
夕刻お惣菜を4種作り、美味しくないものを今夕食に、美味しいものをお弁当のお惣菜に。
夜の音楽はN響でマーラー交響曲1番。演奏は真面目で正確だが、妙にゆとりがないので面白みに欠ける。多分世界の中の日本人像はこのようなものではないか。芸術に限らず、僕達民衆においても。眠くて最後まで聞けず8:50に就寝。
11月28日(日曜日)
今朝は冷え込んだ、8時からサトウキビ収穫作業開始。午前中200kg取り終えたから午後は楽勝かと、弁当を買いに行ったり、他の用事を行った。ところが、収穫に手間取り5時を迎えて380kgしか収穫できてない。明日は220kg収穫し合計600kgを目指すつもり。ギリギリまで働いたので風呂を沸かす暇もなく、夕食を作る時間もない、ああ困ったと思った矢先。よしみちゃんから「お寿司を作ったので取りに来ぃや」ありがたい。家に帰ると、今度はよしかずさんから「お餅を取りに来い」との電話。この2人は兄妹。僕が独り住まいをご存じだが、5人家族のような量がある。そしてお寿司は美味い。身体酷使の後は無性に米が食いたい、餅が食べたい、炭水化物が欲しい。それを知ってか知らずか、バッチリとタイミングが合った。炭水化物はてき面に下腹が出る。これを落とすには水泳か、自転車しかない。今はできないけど。
寒いのと寂しいのは僕の中で同意語、昼間は真冬でも持ち堪えられるが夜は完敗、部屋の温度は外気温と同じなのが僕の部屋。窓は薄く雨音が聞こえる。ペアガラスは50万円もする。それで考えた。冬の間開け閉めする窓以外は包装用のプチプチを張ろう。これなら1万円で負担は軽い。サトウキビの合間を見つけて実現しよう。
今夕はブラームス4番/ベーム。ベートーベンと比べると際立った所がなく標準かな。ベームのアルバムは全体に基準が高いのだが。もしCDプレーヤーを変えるとどんなドラマが展開されるのだろうか?スティングの新作も聴いた、相変わらず軽快でマスカラ、スネア、ハイハットにキレがある。
11月27日(土曜日)
3時半起床。弁当を持って伝承館へ。今日は製糖1000kg。200kgを1釜として5回。絞る→沸かす→灰汁取り→澄まし→焚きあげ→陶器へ汲み出し→陶器から型枠へ流し込みの7行程。それぞれにノウハウがあって一朝一夕に覚えきれないが、伝承館で僕は今3番目の番頭さんだ。昨日よしみちゃんに注意を受けた。つくね芋を入れたカゴをいきなりトラックに積み込んだのを見て、トラックの横を開けて少しでも楽な作業をしなければならないと。百姓は細く長く体を労って行うものだと。今日は、製糖でも力任せに仕上げの工程を4回もこなすなど、よしみちゃんに注意を受けたことを全く無視して行ってしまった。調子が良いので抑制が効かないのだ。
仕上げの工程とは、釜の火加減を2分に1度位の間隔で確認しながら、釜の砂糖を焦げつかないように竹の棒でかき混ぜ、水分を飛ばし、最後に残る砂糖成分を取り出す工程だ。一番難しく、砂糖になるに従ってかき混ぜる棒が重くなる(砂糖が粘るので)。火加減は強すぎると焦がし、弱すぎると結晶が進み砂糖の固形物ができなくなる。
自分の切り出した砂糖を焚くには失敗しても良いが、他人の持ち込みの砂糖を焚くには緊張する。ホンの一瞬の判断間違いで6万円くらいの個人補償をしなければならないからだ。12月中旬ともなれば棒を掻き回すのに力が出来てきて苦痛も軽減するが、今はまだ身体に馴染みがなく、4回も行うとぐったりくる。この工程は30分くらい。汗は流れないが服が濡れる程度に内部では発汗している。大体水1リットルくらい飲む。一杯水を飲んで大飯を食って寝る幸せな農家の一日を送っている。
今日の砂糖の出来上がりは極上で、伝承館1番の出来と言っても過言でない。それを高知のスーパーマーケットに供出する。
追加を下さいと言われても際どい神業で出来上がっているからちょっと難しい。
疲れはてて帰り、暗がりの中で薪を探し風呂を焚いた。夕食はラーメンライスの店に行って炭水化物で仕上げたかったが、疲れで断念。
11月26日(金曜日)
昨日製糖するためのサトウキビは運び出したので、今日は少し気が緩んで昨日に続き皮剥。残2列を午前中仕上げ。午後はつくね芋掘り、ちょっと信じられん位の芋が収穫できた。掘っている間に理恵ちゃんから順子ちゃんが集まってきて分けて欲しいと言われるので、プレゼントした。「シュウちゃんも言ってたよ」と理恵子。後でシュウちゃんも現れて貰って行った。よしみちゃんには電話して取りに来て貰った。よしみちゃんはお返しに大きな白菜とほうれん草を持ってきた。5人家族の量だ。明日のお弁当用にほうれん草の卵とじと、白菜とサバ(缶詰)の煮付けを作った。昨日のメインは芋だったし、今日は白菜だ。少し食べすぎたなと思ったが、寝る頃には小腹が減った。この11月~12月は仕事が忙しく、一人で全てを行うには家事に犠牲も出るが仕方ない。仏壇の水もそのままだ。
Windows11の発売タイミングでPCを買い替えと計画してたが、AmazonブラックフライデーでパナPCが33,000で出品されていたので注文した。34型の湾曲ディスプレイ(HUAWEI)をセットすれば、ノートでも十分だろう。これが当たればVIERAの購入はずっと先に延期できる筈。
夜はブラームス1番/カールベーム/ウインフィル。流れるような演奏、流暢といえば気取りがあるがこれにはそんな気負いはない。
11月25日(木曜日)
6時に起床、「喜ら功」さんへ弁当購入に。トラックの停まる店として有名。昔は疑問がなかったが、今日ふと思ったのは、「何でトラックの運転手が好む店は美味い?」
「それは、トラックの運転手は大飯を食い、しかも美味くて安くなければならないからだよ」
「どうしてトラックの運転手は大飯を食うの?」
「・・・・」
そうなんだ、トラックの運転手も、普通乗用車の運転手も、運転に関しては消費するエネルギーはほぼ一緒。なのになぜ大飯を食うの?理由がありません。
それで、今日は実際にトラック運転手の後について弁当屋さんに入り一緒に弁当を買った。僕は大盛りで彼は普通のだった。一つ問題は解決したが、何故美味い所を知っているのだろう。
毎日そこを通るから、大型車が駐車できて、安くて美味かったのが評判で広がった。そんな所かな。多分量は関係ないだろう。映画からのイメージが強すぎたのかな?
朝からサトウキビの収穫。1日で400kg収穫。切り出しはその倍の重量。葉と穂先を切り落とし、それを棄てる作業も入れると、800kg+400kg。質量測定に400kg。トラック荷台に乗せる400kg。作業場に降ろす400kg。つまり2,400kgを今日は運んだ事になる。9-17時とは言え大変な重労働。昨年は機械の力を借りても400kgの収穫は難しかったのに。作業の分散化を行った結果。僕の考察は間違ってなかった。(と思う)
夜、カールベーム/ウインフィルのベートーベンピアノ協奏曲5番を聴く。カールベームのアルバムはこれまでのところ全て良い。こんな素晴らしい演奏が1979年に発売されていたとは。その頃もっと真剣にクラシック音楽を聴くべきだった。岩崎宏美、サザンオールスターやアリスなどを聞かずに。悲しいかな、僕は営業に出ていて、音楽は強烈なイメージを訴求するものしか受け入れしなかった。クラシック音楽はこちらから出向いて受け取りにゆく姿勢が必要なのだ。又、僕の周りにはそれを示唆する人も居なかった。カラオケで演歌の分野ならT君と言う先生が居たけれど。
11月24日(水曜日)
幸福とご不幸。いずれも今日、電話で話したこと。一人は若い息子が家を建てたお祝いの日だった。親として誇らしい。そこまで成長したかと。いいねぇ、羨ましい。一人は長年面倒を見て、最後は付き切りの看病をして父を看取った話。息子が両親を看取るのは、慣れない(誰でも慣れては無いが)上に、不器用だ。でも熱意はこもっているだろう。両親の為であり自分に悔いを残さないためにも。
「涙の数だけ人生が深くなる」とは僕が言って、「涙の数だけ強くなれる」と」言ったのはZARD。僕らの歳になるとみんないろんな経験をして生きている。
「英国サスペンス/ザ・ベイ」の続きを見た。余りサスペンス感は無かったけど。結局、映画やドラマは勿論筋を見るが、その裏には結局、監督が見たいものを撮る、とずっと思い込んでいたが、最近はどうやら、もっと根底にはその中で自分の見たいものを見ている。見たいものは、自分の経験や知識や感情などで育まれたフィルターを通してだ、いくら監督が喚いても、キャスターが熱演しても、それを受ける器がなければ受け取れない。器を広く深くすが生き様かな。
今日はかっぱ市場で砂糖を出荷した。M子が気を利かせてレジ前に大きな展示台を用意してくれた。もう冷蔵の必要がないと伝えた事もある。多分単価が大きくいちばの売り上げを左右する産物だとの認識もあるのだろう。
帰ってサトウキビの葉を取り除く作業。友人が来たが見るだけ、一緒に昼ごはんを食べて帰った。ブロックの注文を20個頂いた。今日も一杯汗をかき、水を飲んで体を動かした。夕食に本日発売されたアサヒ/生を飲んだ。先入感が先立つかも知れないが確かに美味かった。@200/500ml。
11月23日(火曜日)
厳しい作業をこなしながらも割と元気にいられるのは、早寝の為。昨晩も8時半には寝て6時起床だから。今朝は友人が来て6時半から橙を収穫しているのを7時過ぎに気がついた。いつも突然なのでどうしようも無い。それに僕は7時半には出かけなきゃならないからあまり会話はなかった。彼が車を使うので、僕は自転車で出かけた。今日の作業は「じっちゃん」のサトウキビと「曽我さん」のを混ぜて焚き、良い味が出るかの試験。この2人の砂糖が売れ残ってしまうから今ある大口注文に優先的に提供しようとの思いだ。ところが結果は余り芳しくなく、僕の砂糖と別の仲間のを提供することになった。それらは安定したいい味の砂糖が大量にできる体制にあるからだ。
その結論を聞き、僕は昨日製糖した砂糖の包装に移った。他の仲間は奥様がそれを行うので、作業が早い。僕は一人だからどうしても遅れる。
出来上がった製品を計測し「かっぱ市場」を訪問してプライスのバーコードを依頼した。帰ってサトウキビの皮を剥ぐ作業を5時まで。この段階で僕のエネルギーメーターを確認すると80%の残量があった。余裕綽々だ。
食事を終えて、6時半から21時まで「英国サスペンス/ザ・ベイ」を見た。TVの部屋と食卓のテーブルのある部屋は間に障子が入り間仕切りできるので、暖房代節約の為閉じて、手元のiPadのどこでもDIGAのアプリを使って見た(便利だ)。内容は警察が殺人事件を追う過程で複雑な家族の人間関係が暴かれて行く定番手法、全6巻の内4巻を見た。この種の娯楽映画は安価に仕上げているから、登場人物の演技もさる事ながら、脚本が次々と興味を引く方向に流れて行く必要があるし、定期的に大きな転換点が必要だ。言わば一人の創作力にかかっていると僕は見た。
11月22日(月曜日)
雨音で目が覚めた。4:27。今日は僕の砂糖を焚くのでみんなに4時集合のお願いをかけた。その肝心の僕が駆けつけたのは5時だった。3:30の目覚ましは全く用を足さなかった。よほど疲れていたのだろう。僕の精糖は、絞り汁がどす黒く、オリがつかない(不純物が簡単に沈まない)状態で、行く末が案じられたが、仕上がると誰もが羨む美形になった。みんなから綺麗やねと言われて嬉しかった。外部の人には単なる「黒砂糖」に見えるが、僕ら仲間内は、そのちょっとの差が大きく映り、「良いだの、ツッパッタだの」重箱の隅を突っつく議論をする。内製加工する奥様方も加わって。それが結構楽しく1時間でも2時間でもそれだけで会話できる。社会的には殆ど無用な話だし、外部の人には分からない会話と専門用語で満たされているが、「生き甲斐」と言うモチベーションを与えてくれる。そして何とか皆んながwin-winの状態で今日を終えたのは良かった。日中大雨が降って、それだけでも話題になりそうだったが、砂糖に熱中し、雨君の出番はなかった。(楽しいひと時の後家に帰ると寂しさが募るが)
買い物があったので少し早く退散した。帰って風呂を沸かし、ちょっと1杯飲んだ。食事の後、ご住職が猪肉の煮物を持ってきてくれた。散歩がてらと言うが。申し訳ない。後で奥さんから電話。芋を煮込んだが、失敗して溶けていると。この人の料理は野菜中心だから、いつも大歓迎で、僕とは嗜好が同じだ。
明日は他所のサトウキビを収穫に行く。大口注文があって、その対応の為。又皆んなとワイガヤで午前中過ごせる。一般的に言えば爺さん達の懇親会です。僕たちは一応仕事の仮面を着ているけど。
11月21日(日曜日)
3:30起床。お弁当を持って伝承館へ。今日は5釜(1000kg)の精糖予定だった(この内1釜は私の分)ところが、仲間が多く収穫しすぎて3釜焚く為、私のは翌日に持ち越された。それで今日は1日火の番。3つの釜に火が入ると流石に熱い。水を何杯飲んでも収まらない。仕上げのかき混ぜるの手伝って汗だく。5時に終わった時は疲れて座り込んでしまった。肉とニンニクで栄養を付けて8時には床に就いたと言うかへたり込んでしまった(エネルギー残量ゼロ)。
11月20日(土曜日)
夕刻「どいて、電話に出んがぜよ」(どうして電話に出ないの)とよしみちゃんが怒鳴り込んできた。高知の人は、怒ったように発言するから、他府県の人は驚く。要件はきゅうりの佃煮が出来たので持ってきてくれた。(来る前に電話したらしい)。この人の料理の腕は確か。(前回は五目寿司)。明日のサトウキビ製糖のお弁当にぴったりだった。玄関までバイクで乗り込んできた元気のある、「はちきん」さんで、帰りは怖いから、家の向こうの道を曲がるまで見送った。もう80歳近い人だ。その後、ご飯を食べていると、今度はお寺の奥さんがパンを持ってきてくれた、「明日の製糖の時食べてや」、いやぁ貰い物ばっかりで悪いなぁ。今日は師匠からブリカマとスイカをもらったし、高知の友人からは柚子を搾ってもらった。サトウキビの収穫でしんどかったが、久しぶりの大勢(?)の接触で癒された。これなら寂しくなんか無いぞ。音楽がなくても寂しくない1日だった。
11月19日(金曜日)
朝早く曽我さんご夫婦がやって来てサトウキビを収穫し始めた。僕も一緒に作業せざるを得ず、昨日の続きの葉をむしった。10:30に収穫が終わりお帰りになった。僕は急いで部屋に帰り、ラジオ英会話を聞き始めた。すると30分くらい経っただろうか、師匠から「柿の木へ集合」の命令が降った。曽我さんご夫婦、師匠ご夫婦と僕。五人のいつものメンバーで隠すことがない。毎日会っているような感じなので、取り止めのない話になる。この懇親会で決まったのは、21日(日曜日)に続いて22日(月曜日)も製糖する。ついては、今から収穫を始め2日間で2釜400kgを収穫することを決定した。と言うのは、かっぱ市場での販売が余りにも好調で、品不足なっていると言うのだ。いやぁ大変だ、一刻の猶予もないぞ。英語どころでは無い。僕の中では本末転倒になっているが、仲間との共同作業上仕方ない。元来、定年後は一匹狼で好きなことをして過ごす(筈だった)ちょっと道を間違った。
柚子の仲間と言い、楽しい人たちと出逢いで、趣味も頓挫しがちだ。かなり限界近い身体の酷使なので、この仕事ができなくなって3ヶ月くらいで死去する、高知の老人の生き方そのものを実践する可能性が高い。コロナの猛威とカーボン使用制約で趣味が実践できるのかも危なくなっているだけに、生き方の転換も選択肢の内に入ってきた。
夜は月蝕を撮影した。EOSR5 100-500mmRレンズを使った撮影ISO=800で赤銅色の月が撮影できた。A3サイズへの引き伸ばしが可能な画質だ。
11月18日(木曜日)
お昼のご飯を食べていると、曽我さんがやってきた。今日は岡山県の蒜山高原の放し飼い鳥の卵を使った、卵かけご飯と、カブの千枚漬け。かき込み飯でなきくて良かった。食べながら話を聞いた。曽我さんのサトウキビと僕のサトウキビをミックスして精糖したいとの事。前回の精糖で大成功したので、その延長。ミックスのベースに僕のサトウキビを使うと良いのが出来るのだ。「売ってくれ」と頼まれたので、断った。すると、「盗んで行く」との事。まぁこんな会話をして、次回の日程(11/21)に僕も参加する事を決めた。午後は脚の痛みが少し軽くなったので、サトウキビの葉を毟るのを始めた。すると、近所のまさのりさんが来て言うには、「よいかうが、はみに噛まれた(マムシに噛まれた)」芸西村は暖かく未だ蛇がいるのだ。そういえば、餌になるカエルがサトウキビ畑でピョンピョン跳ねているから、マムシもまだまだ頑張るのだろう。「気を付けてや」と。
夕食に野菜炒めを「あごだし茶漬けの元」を使って味付けしたら、大正解だった。もう一品は、ごぼうを薄く切ってキンピラゴボウに、調理は自家製のサトウキビ蜜を垂らし、唐辛子を1つ砕いて入れた。久しぶりに体を動かして美味しいご飯を食べた。できればこんな日々を送りたいな。
11月17日(水曜日)
相変わらず脚の痛みは続く。痛みがあると頭を使いたくはない気分。只々単純に痛みと向き合っていたいだけ。でも結局そうはいかず(じっと我慢するのと痛みを天秤にかけると前者が勝った)、午前中は英語の勉強。午後はインドネシア旅行記の執筆。昔の日記と照らし合わせて、写真にコメントを書き込んで行く。心情は今の要素が8割を占め、決して当時の気持ちが表現できている訳ではないが、ただただ写真をHDDに残しておくのがもったいないだけかも。書くと時間を忘れる。
夕刻パンと牛乳を買いに近くのスーパーへ。顔見知りのおばさんに忙しいかね?と聞かれ返事に窮した。(物凄く忙しいが痛みで何もできないのを簡潔に説明できない)この人は、1を聞いて10を知る人なので、ブレは許されないのだ。
帰って風呂を焚き、夕食を献立、軽く済ませた。動かないので腹も減らないし、食ってはいけないだろう。でも、たくさん準備しないと安心できないから厄介だ。
今年は不運が続く、いつになれば回復するかなぁ。去年のサトウキビ精糖は27日から。今年は少しでも早めたいのだが、どうにもならない。
夜、「ハード・キル」ブルース・ウィリスの映画を見た。シナリオが雑で、せっかくの有名人起用なのにつまらない。只々鉄砲の撃ち合いに終始し、そもそもこの戦いがなぜ始まったのか、動機が不鮮明。昨今の映画事情として、コロナ感染で自由に街中を歩けない、制作費がNetflixに独占されて映画会社のスポンサーが集まらない、いい脚本家も使えないなど。この映画は配信映画の黎明期にハリウッドのあり方を問われる映画を象徴しているかもしれない。かと言って危ないかと言えばそうでもないらしい。どうやら娯楽は先進国で(15億人)増えそうだと予測されている。ベビーブーマー達がリタイヤし需要を支えると分析されている。僕はテレビや映画を見たり安易に過ごす事はしたくはないが、痛みが消えない限りなんともしようがない。
11月16日(火曜日)
一晩では脚の痛みは回復せず、午前中は家の中で過ごす。明日は精糖する日なので、仲間に欠席を連絡した。父は膝が痛くで動けなくなった時、「膝さえ痛くなかったら、まだまだビニールハウスでピーマンを作るのになぁ」と言ってたのが思い出される。Me too.だ。最近妙な感覚にとらわれていた。今年はえらく順調にサトウキビが生育し、ちょっと怖いほどの出来具合なのだ。そして内心、このままうまくいくはずがないと思っていたら、やはりその通りとなった。そんな面では悪い運命が早く現れて安心した。
お寺の奥さんが晩飯のお惣菜を持って来てくれた。もう、もらったりあげたりで差し引くの計算ができなくなるほど入り組んだ関係となった。ご住職には僕の砂糖をプレゼントしたが、美味くて食べ始めるとやめられなくなるとこぼしていた。そんなサトウキビをモノに出来ない辛さ。治るのだろうか?長引くのだろうか?動けないと益々一人生活は困窮する。風呂を焚くのは大変な重荷となった。掛け流しのお湯でゆっくり浸かる憩いは1日の締めの行事だし、今日は問題無いがお惣菜の準備だってなおざりでは身体に悪いし、献立るなればどうしても時間と労力など手間がかかる。座ってても痛いし寝ても痛いし、どうしようもないところで耐えるしかない。
夕刻曽我さんがいい病院を紹介してくれた。仲間っていいなあ。僕を見て、「お母ちゃんの有り難さを知った」と言われた。「これから寂しい秋です、時折手紙を書きます」/因幡晃/わかってください。ここまで酷い痛みだと、寂しくても頭が回らず手紙も書けない。
その夜、コリーニ事件/ドイツ2019年を見た。ドイツの現役弁護士フェルナンド・シーラッハの小説を映画化したもの。新任の弁護士カスパー・ライネンが国選弁護人を引き受ける。事件の首謀者は67歳イタリア人で黙秘を押し通す。ここでなんとか真相を話して貰わないと、単に事件は処理されてしまう。映画は、この弁護士が、少しの断片から、イタリア人のコリー二の背景をこじ開ける。映画はその手法を描いたものが表層で、背景にナチスの暴挙と戦後戦犯の軽減を意図した安易な立法への批判がある。そして、もう一つ下層と言うか根底に、このイタリア人コリーニの男の生き方(美学)がある。と言う3階建の映画と見た。コリー二を演じるのは、あの「続・荒野の用心棒」である「フランコ・ネロ」で実に上手く男のロマンを演じた。日本では高倉健さん的な演技かな。
11月15日(月曜日)
10時間の睡眠の後起きれば、再び股関節が痛む。朝食の後、昨日の伝承館で出来上がったお砂糖の加工。お寺の奥さんにも手伝ってもらって、正午に完成。食事の後かっぱ市場に出荷。値段表を付けて店頭に並べた(値段は僕が勝手に決められる)。昨年よりも10日ほど早い出荷。足の痛みはますますひどくなるが、サトウキビの葉っぱを剥いた、これをしなければ明後日の作業ができないため。
独り住まいの寂しさ軽減にFacebookを始めた。フィリピンのレナードさんにジョイスさんの行方を尋ねたが、返事なし。コロナが落ち着くとフィリピンに彼らを訪ねて行こうと思っている。フィリピンでは庶民のレストランで食べる料理が意外と美味い(だが一人で入るのは危険、いつ誘拐に合うのかわからないため)。真ん中に米、周りに汁モノの料理を並べる。それにサンミゲルのビールもこれによく合う。海辺のリゾートなんか行かなくても街中で楽しめる(僕的には)。Facebookは昔、PM本部の仲間だった面々からコメントが来た。久しぶりだから良いかな。
足の痛みはますますひどく、夕食後動けなくなって薬を飲んだ。薬が効くまでこの本文を書き、歩けるようになれば離れに帰る歩行が出来る。寝る事しか出来ない。
11月14日(日曜日)
4時起床、精糖作業を行う。僕の砂糖は400kg。2釜。つまり、2行程。出来上がり仕様は、「白下」2番釜は「白玉のブロック」。僕のはいつものごとく同じ重量でも汁が多い、一方僕の後の行程の人は汁が少ない。そこで、2番釜は半分提供し、半分もらう5:5のブレンドする事とした。それが功を奏して、近年稀に見る上モノと言うか、特選品クラスが出来上がってしまった。これには師匠もビックリ。師匠の砂糖は糖度20%と高く、自慢の品だったが、伏兵登場となった。これにみんなはビックリで、ブレンドの品はレベルが高いとなった。外部の持ち込みには対応できないが、仲間内の融通は大いに推奨されると思う。ベースとなる僕の収穫は多く、いつでも要望に応えられる。午後3時半に終了し、絞りかすを捨て、再びサトウキビの皮むき作業を5時の夕暮れまで行った。
精糖作業は一杯汗をかき重労働なので、この日のメニューはカレー。塩分多めで、炭水化物をかき込んでも支障はないだろう。
夜の音楽はブルックナーを予定してたが、8時前に強烈なお誘いが来て、前後不覚の就寝。
11月13日(土曜日)
柚子、サトウキビと連続で随分と頑張れるなと思っていたら、今朝は右の股関節が痛んだ。精糖作業の午前4時からで9時ごろまでは何とか我慢できたが、次第に痛くなって10時には我慢できず退散。病院では「骨に異常はありません」との事だった。土曜日なので、痛み止め、座薬、胃の薬、湿布など考えられるモノを全部用意してもらった。帰って少し寝たが、寝返りの度に痛くて目が覚め、大きな地震でさらに目が覚め、とうとう起きた。サトウキビの絞りかすを入れる大きな袋を仲間が紹介してくれたので、それを求めに野市に出かけた。午前10時の頃と比べると幾分痛みは引き歩けるようになった。帰って、更に50kgのサトウキビの収穫をして作業を終えた(明日400kgを絞る為)。風呂を沸かし日経NEを読みながらゆっくりと入った。
今日は汗を流さない運動不足の日だったので、夕食は調味料なしで献立た。当たり前だが殆ど美味しくなかった。明日は作業で汗を流すし、身体に良くないインスタント食品もあるので、これで良いのかな。
前後するが、朝1、NHKの取材があった。先日黒潮町の放映があった事を伝えると、NHKは芸西村しか取材しないのでそれは民放だろうとカメラマンは言う、毎年ここしか報道をしないのだとカメラマンのN氏は力説する。かなり贔屓にしてくれている。僕たちも江戸時代の製法にこだわり味を大事にしているから、報道し易いのだろうか。
もう一つ、伝承館の隣の窯で炭焼きを始めることが決まった。その人に「僕を弟子にするように頼んでくれ」と師匠に伝えた。師匠は「やめとけ」と言われたが、僕はハマりそう。
11月12日(金曜日)
柚子期間中、英語は休んだ。再開すれば英訳はそんなに退化してなかったが、ヒアリングはさっぱりダメになっていた。”rather”(かなり)が早くて、一瞬の出来事のように聞こえて、殆ど無視。まるで浜松駅でひかり号を待っていると、のぞみ号が一瞬のうちに通過するみたいなもんだ。僕としてはこの部分は飛ばして次の言葉を受けて判断するしかないだろうと結論づけた。
今日は無性に腹が減って、食べても食べても満足感がなく、禁断のコーヒーを飲んでからやっと落ち着いた。エネルギーのインプットとアウトプット管理はかなり正確に管理しないと、老人の体は病魔に侵される(と思うので)。柚子の激しい労働を止めても体は切り替わってくれなく、体はあの激しい労働の対価のエネルギーを求めていたのだ。サトウキビの収穫作業では埋め合わせできないのに。
午後はサトウキビの収穫350kg。作業中にお寺さんご夫婦が来てくれた(声援に、応援ではなく)その代わり、夕食のお惣菜や明日の朝食のパンとか。明るい間はギリギリまで農作業をするので、夕食を献立る時間がないのを見越しての事だった、ありがたい。
今回の収穫作業は事前にイメージした通り、下の葉を事前に取り除いておくと、収穫の作業が早いのと、来年の2月ごろ新芽の為整地する作業がないなどメリットが大きい。それに事前には時間があるので丁寧に下の葉が取り除ける。朝から作業をすれば500kgの収穫も可能だ。
一人で黙々と作業をする慰め用に、AirPods を購入した。2019年マンハッタンを歩いた時余りにも多くの人がこれを装着してたので気にはなっていた。しかしBluetooth通信だから音質は有線より着実に落ちると思っていた。しかし、ここにきて、音源がAirPods用にドルビーアトムス配信されたり、2世代になって音質改善されたりしたので、触手を伸ばした訳。結果自然な音質で誇張もなく、装着の違和感もなく作業に最適だった。驚きはBluetooth通信が思いの外遠くまで届く事だった。今日のサトウキビ畑は岸の上に置いたiPhoneから隈なくカバーされた。
夜、エレーヌ・グリモーの弾くベートーベンピアノ協奏曲5番をAirPodsとデノンのポータブルアンプを通した有線と聴き比べた。ヘッドホンは同じくアップル製。結果はロスレス音源でもあって雲泥の差。クラシック音楽の随が溢れてくる気持ちよさがある。一方AirPodsは全てが丸め込まれた音楽だった。
11月11日(木曜日)
昨晩は夜更かししても良い日だったのに疲れで9時半に就寝。5:35起床。日経新聞を読んで、ラジオ英会話を聞きボルトン翻訳の日常に戻った。タブレットや電子辞書、キーボードを駆使してこれらをこなしているが、妙に指先が軽くて的確なのだ、明らかに老人の操作ではない(と思う)。連日の指先作業は、筋肉疲労を引き起こすが、一面指先の活性化に繋がったようだ。ピアニストがなんで高齢で、あそこまで弾けるのか、長生きできるのか、指先に理由があるような気がした。
午後はサトウキビの切り出し。葉っぱを取ってから切り出す。今年は下方の枯れた葉を予め取り除いてあったので、今回は中ら上にかけて取る。昨年は、いきなり切り出して、脱葉機にかけて葉を取り除き、それでも取れない葉を鎌で取り除いていた。全てが手作業だった2年前と比べると速度は上がったが、今回ほどの速度は出てない。
今日は、「ワークシフト/リング・クラットン」の著書に気になる掲載があった。2025年ごろになれば、「二酸化炭素排出券が支給され、思うように移動ができなくなる。」との指摘だ。丁度今COP26が開催中だが、このまま行けば2030年には18%も二酸化炭素が増加すると言われる。そろそろ気候変動が目に見えて異常化するはずだと。そうなれば悠長なことは言ってられなくなる。それが近づいていると言うのだ。
老後の楽しみに旅行を挙げたが、コロナで断念し、後2年くらい静観して開始しようと言う矢先、こんな事態になれば、カメラの楽しみと一緒に旅行の楽しみを葬り去らなければならなくなる。
併せて、アメリカの国防総省は中国の台湾併合が6年以内の可能性を否定できない。こちらも、旅行は断念せざるを得ない要素。
こんなはずじゃなかった老後の楽しみが、崩れてゆく。まぁそれは僕だけじゃなく、世界中の多くの人々にも共通している事だが。1946-1964年生まれのベビーブーマー達にとって、大きな試練が襲って来るかも知れない。Y、Z世代にも僕達のような楽しみは他の理由でないのかも知れない。
11月10日(水曜日)
昨晩は腕が痛くて眠りが浅かった。もう柚子作業は限界に来ている。約束も今日まで。ボーナス1万円をつけてもらって終了した。この柚子作業はみんなととりとめのない話をしながら行う作業は楽しかった。もしかして、他の人もこのために来ているのかもしれない。作業はきつく、高いところに登るので怖いし危険、バラが刺さって傷だらけになる。それでも来るのは楽しさの共有?。そして、木から黄色の玉が次々と消えてゆく作業の達成感かな?。都会の人にとっては、この美味しい空気も付け加えるべきかな。そして僕の宴は終わった。給金を農協で入金すると、ここ最近に天引きされたガス代や車の保険金、地震保険などが丁度補填された結果となった。そして誰もいないシーンとした家に帰ってくると急に寂しさがぶり返して来た。でもまだ体は動く、「負けないぞ」と鼓舞し、風呂を焚き夕食を献立7時過ぎに仕舞いをつけ自室へ。ブルックナー3番/朝比奈隆を聴く、だがもうこの時間で睡魔、いくらなんで早すぎる。ところどころで居眠りをしながら聞く。昨年はベートーベン一色だったが、今年後半はブルックナーに集中している。ブルックナーは気が小さく、演奏会で批判されると直ぐに譜面を修正したので、同じ交響曲がいくつもの版で存在するから、指揮者の解釈で演奏が微妙に異なるのとは違い、抜本的に音楽が変わるから、中々お気に入りが見つからない奥の深さを持っている。しかも、居眠りで途切れ途切れに聞くから尚更だ。75歳が健康年齢の定年とすれば、今ある音楽をキチンと評価するだけでも人生が不足するのに、まだまだ増やそうとしている、ウインフィルが特別に演奏を吟味したレコードセットの案内が届いたからだ。(ベルリンフィルに対抗してかな)これを買わずしてどうする。(後日結局予約した)
11月9日(火曜日)
朝晴れていれば、昼から柚子取りとメールが来てたので、10時30分に出発。途中で弁当を買って、現地で食べて12時から作業開始。葉っぱに水滴が残っていて濡れながらの作業。太陽は来てくれず、結構肌寒い上に段々と濡れてくる。手袋が濡れて柚子が滑って落ちる。柚子を取り込む肩から下げる袋も濡れて重くなる。それにもめげず4台の手押し車を一杯にした。成果はまずまず。
夕食にアサリ酒蒸しに挑戦したが、失敗(ヘルシオのメニュー通りのセッティングなのに)。他には蒸し野菜に橙と麺つゆの2杯酢でいただく簡単なもの。米を無性に食べたくて、お惣菜はいわば付け足しで良かったのが幸いした。ここ最近米の美味しさに目覚めている。身体を酷使しているからだろう。逆の表現をすれば、身体を動かさないとあまりおいしくはないし、米を欲しがることもないし。今、同年代の仲間はこんな美味しい米を食っているのだろうか?多分、答えは別の意味でYesかもしれないけど(高級炊飯器と高級米で)多分、味覚は僕のと違うはず。雇用主からイノシシの肉は食べないか?打診されたが、食べないと断った。近所からもどうかねと言われるが、同様。ずっと昔は珍しかったので興味があった。しかし一度食べると美味しくないし固い。牛や豚の美味しい肉を食べ慣れている身としては、ちょっとです。申し出はありがたかったけど。
疲れて、8時半に就寝。
11月8日(月曜日)
早く寝たのに5時20分起床、たっぷり8時間。外は真っ暗。もしかして雨?雨量レーダーを見ればゆずの入河内のあたりが雨。程なく、農園主からのメールで中止連絡。芸西村は雨がなく晴れていた。それできまさごのやりかけのサトウキビの枯れた葉っぱを取る作業を続けた。枯れた葉っぱと言えども大量になると重い。太陽もあって汗が目にしみる。午前中から始めて、昼の食事を挟んで再び取り掛かる、途中で雨が来たが作業を続けていると雨は上がった。雨は大したことはなく再び太陽が出て来た。松山千春の「恋」にこんな歌詞がある。「今度は本気みたい・・・」だんだんと空が暗くなって来て、先ほどの通り雨とは違う雲行き、「本気だ」。と言うところで作業は終了。家に帰ると大雨が来た。
午後3時。風呂を焚き、家の掃除。本来毎週日曜日の予定だが、1日繰り下げ。掃除を済ませると、侘しい独り住まいの不安や、重い気分が消えてゆく。それは他の人にも共通する事なのかよくわからないが、凄く凄く落ち着く。雨の音さえ心を鎮める。随分前に不安な時や寂しい時の解消法として難解な書物の読書を発見したが、それにも勝る道だ。だが、単なるボロ家だからそう映るのかも。
夜の音楽はブルックナー7番/ダニエル・バレンボエムをハイレゾで、iPhone7からオンキョーのHFプレーヤーで取り出し、デノンDA10のポータブルアンプでDA変換し、ソニーのヘッドホンXBA30で聴く。アップルのヘッドフォンと比べ、細密な粒立ちで奥行きや広がりがある。こんな音が隠されていたのか?一線を画したとはこの事か。感動し目を閉じ、気がつけば8番の演奏になっていた。随分とお疲れで居眠りしていた。今度は本気で就寝。
11月7日(日曜日)
入河内の神祭で柚子収穫は休み。指先が痺れ、手のひらに電気が走る支障が出てきたので丁度の休憩日。しかし僕は僕で農作業の段取りがあって、きまさごのサトウキビの皮剥ぎを行った。2列を2/3まで仕上げた。全部で7列あるので3日必要。手の支障もあるのであまり無理はできない。本来なら今夕から雨が降り、明日の柚子収穫は中止の予定だったはず、しかし前線が南に下がり雨が遠のいたため、「明日も柚子収穫をするぞ」とメール連絡が来た。嫌だなぁ。それで少し早めにサトウキビを終えて風呂を焚き食事の献立。毎日の献立には少し迷う。スーパーに行って物色しよう。牛肉の細切れが値引きであったので購入。キノコとブロッコリー、こんにゃくを買い足した。最近野菜蒸しに凝っている。簡単だし調理が早く、いろんな野菜が一気に蒸せるので気に入っている。それに、今丁度橙が見事に熟れて、この酢にめんつゆを足すと丁度のドレッシングが出来上がる。橙は香りがあって「秋」を教えてくれる。一年は優に食せる実がなるが、食べられる期間は12月までだ。料理は何にでも合うのが良い。
夜の音楽はブルックナー8番SACD。ソニーのBDプレーヤーの下に鋳鉄のインシュレーターを敷くと、音が良くなった。SACDの再生にはPS3に登場願っていたが、BDプレーヤーでなんとか我慢できるようになった。8番は憂いを帯びた演奏で、今の季節には丁度かな。などと目を閉じていると、8時過ぎなのにもう夢の世界へ行っていた。明日も仕事だしと言う事で9時前に就寝。
11月6日(土曜日)
4時に目覚めトイレ、もう目はパッチリ。目覚ましの5時20分迄は布団の中で過ごそうと横になっていると、5時27分に目覚ましが鳴っているのに気が付いた。お疲れですね。朝方は寒かったが、10時前には暑くなってジャンパーを脱いだ。昼の休憩時間にスマホで本を読んでいるといつの間にか眠っていて、気が付いた時はここが何処なのか、いつなのか分からなかった。お疲れです。でも明日は神祭で休み。みんなも休みで、ご年配のT氏もウキウキで軽口を叩き、H子は殆ど午後の時間帯嬌声が谷にこだましていた。僕も心が弾んだ。それで夕食には寺尾で鯵の刺身。2匹分¥1200円。これは高い。高いがうまい。同時に買った鯖寿司もどうしようもない旨さ。ごはん部は食べ尽くし、身の部分は明日焼いて食べる。こちらも申し訳ないが旨すぎて表現できない。
今夕の夜更かしは推奨できる。「AK-47カラシニコフ」を観た。ソビエト連邦が誇る20世紀最大の発明。おそらく、ドイツのビートル・ワーゲンに匹敵する価値あるもの。故障がなく分解が簡単で直感的。ずっと前からこの銃に対する知識欲が渦巻いていて、WOWOWで放送されたので録画しておいた。メカニズム部分の話が少なかった(この銃の解説を昔本で読んだこともあるが、メカニズムを単純化の極致にしたことが功を奏したと)が、それでも僕的には感動する物語だった(冷静に見れば、見せ場のアクションはなく、女優はそれほどでもなく、つまらないと映るかも)。この銃は後年アラブやアフリカで悲劇を頻発させるが、勿論カラシニコフ氏の想いはそこには無いと思う。映画の最後にも字幕でその補足があったほどだ。
11月5日(金曜日)
寒いと身構えていると肩透かしだった。今日の日中は暑くて支給される500mlの水だけでは不足だった。空はあくまでも青く、柚子の玉は黄色く熟れ青空によく映える。未だ僕のカレンダーに柚子の季節が定着してない。しかしここに来ているメンバーは一年が巡るのを柚子で思い出すらしい。いい季節で、身体が動き、仲間と冗談を言い厳しい作業もこなせる幸せ。柚子収穫は健康のバロメーターだろう。しかも「お駄賃付きの」。腕が痛くどうにもならなくなっているが。疲れ果てて帰り着いたのに風呂は焚かなきゃ入れないし、ご飯は献立しなきゃ食べられない。一切合切が自前だ。まぁ気分に合わせて手加減できるから良いかな。今日の夕食は、ブリ白焼きに辛い大根おろし、ほうれん草おひたし、蒸し人参、フランス赤ワイン。昼間のお茶とコーヒーの飲み過ぎで食欲減退気味。
夜の音楽にベートーベン7番/ベーム。同曲をフルトベングラー。僕はどうしてもフルトベングラーの音楽が肌に合わない。聞き込みが少ないかもしれない。9時半就寝。
11月4日(木曜日)
8時間。よく寝た。疲れが溜まっているのか、取れているのかよくわからない。毎日身体のどこかにバラを刺して帰って来ている。メンバーに若い女性が一人いて、皆んな、「若いのにここに来れば傷だらけになって帰っている」と冗談半分、現実半分で話している。その上、僕は柚子の仕事には向かない悪い癖を持っている。それは、現役時代に習性として身についた事でもある。つまり、しんどい事は先に始めてカタをつけ、優しい仕事は後回し。柚子仕事にとって、これは最悪なのだ。「先に楽なことから始めて、後からしんどい事をする」のが良い。どういう事かと言えば、手前の柚子を先に収穫する(楽なこと)、そして奥の荊の中にあり、超難解な身体中棘に刺されて柚子の玉を取る作業は後回しなのだ。と言うのは、逆にすると、手前の柚子の玉に触り傷つける恐れがあるからだ。だが、いつの間にか、悪い癖に切り替わっている。
お昼の休憩にブルックナー交響曲7番/バレンボエム/ベルリン国立歌劇場交響楽団をハイレゾで聴いた。村を見下ろす高台に座布団毛布を敷いて寝転んで。実にいい感じ。何時迄もこんな幸せな時間があるとは限らない。この喜びを感謝しなければと思う。
11月3日(水曜日)
今朝は幾分寒く、早朝熱い風呂に入って身体を温めてからの行動。薪で焚く風呂は朝も熱々で入浴できる。多少手間でもこれは良い。だが、毎日厳しい仕事をしていると、帰って来て一人で風呂を沸かし、食事を作り、洗濯物を取り込む一連の家事をするのは辛いよりも、寂しい方が勝つ。雇われ仕事でない時はそうでもないが。今回のような時だ。一緒に柚子の収穫に来ている寡婦の女性もそう言っていた。今読んでいる「ワークシフト/リンダ・クラットン」も孤独についてページを割いている。未来社会には孤独が押し寄せてくると指摘(著書は2012年執筆)。この書籍にはCOVID-19は想定されないから、実際はもっと大きくシフトしているだろうな。まだ始めのページなので対処はどうするか未確認。
今日も随分とお疲れで、できるだけ体力回復の為、芋、ごぼう、ゆで卵、キムチ(市販)、チシャ。白ワインコップ1杯。なかなかの出来具合でした。
20:30就寝。
11月2日(火曜日)
食事で疲れは取れたが、指が腫れぼったい。肩に湿布の貼り薬を貼ると幾分楽になった。安芸市から入河内に向かう山道は狭く車の対向には難儀する。にもかかわらず、この道を名一杯飛ばすバカちんがいる。遅い車がいると後ろからピッタリとくっついて追い上げする。一度僕はどこまでついて来られるのか試してみたが、結構レベルは低いみたいだった(カーブでどれだけ付いて来られるか試してみた)。それで直線になるとくっつき、カーブで離れるのだ。そんな腕なら、後ろから煽るなよ。
朝は日が差さず寒い。ジャンパーを羽織っての作業。葉っぱが濡れているのでジャンパーも濡れる、濡れて寒くなる頃に太陽が出て来て暑くなるからちょうどの加減だ。別に無理しているわけじゃないが、どうして作業の中には引っ張ったり、それが外れたりして思わぬ方向に手が行ってしまう。柚子の棘は先が変色していて直ぐに折れる構造なのだ。それで、身体中が傷だらけになるが、今日は爪と皮膚の間にその棘が入って折れていた。これは痛い。痛いが取れない。右腕にも棘が刺さり、何箇所も蜂に刺されたようにプックリと盛り上がっている。今日も何度も脚立の上に立ち背伸びして頂上の柚子を収穫した。作業が終わった時は疲れ果てた。
夕食に、芋とかぼちゃを蒸したもの。モズク、鮭の身の素焼きに、辛い大根おろし。長芋とパブリカと鰹節。全部は食べきれず残りを冷凍。デザートに雪印ヨーグルト「恵」+自家製蜜。
夜の音楽はショスタコ7番。昨晩も再生したが途中でダウン、今日も途中でダウン。午後9時。
11月1日(月曜日)
雨が上がって半日後だが、柚子は再開。葉っぱが濡れていて、枝を引っ張った時に、ツユが口に入る。あまり体には良くないだろうとマスク着用。息でメガネが曇り、脚立の上は危ない。しかもここの木は背が高く脚立の最上段でも実に届かない。1番太い幹に抱きついて、最上部の枝を引き寄せる。それからハサミで切る。切り終わると枝が反動で元に返ってぶり返しがくる。そんな時に手に柚子のバラが直撃する。時々その先端が折れて手のひらに深く残る。自分が後ろに下がった時、背中を刺すバラは痛いが針は残ってないようだ。午後からは暑くなって、大汗と水補給。身体にはいいみたいだ。帰り買い物、サトウキビ仲間でお葬式に伺えなかった家を訪問、香典を届けた。もう20年来の入院だったとの事。アルツハイマーだから意思がないので、悲しみはあまり無いだろうと、失礼ながら推測。僕の母もそうだったから。今日はものすごい疲れたので肉とニンニク、長芋おろしと精力剤の食事。いっぱい汗をかき、たらふく食べて、バターンキュウの睡眠。何て素敵な生活でしょう。
10月30日(土曜日)
ジュンとネネの歌う「愛するって怖い」があるが、僕も「充実しすぎてこわい」がピッタリの状況。趣味はまるでレールの上を走る列車かのように、写真、映画、読書、音楽の駅に時刻通り各駅停車し、農業と英語と旅行の臨時駅にも止まる。あまりにもうまく行き過ぎだ。それで、いつ病気や怪我で破綻するかと思うと怖くてオチオチ夜も眠れない。というわけだ。元気年齢は75歳までとN子氏はいった。残り5年と少し。NIKONからZ9フラグシップ機が発売された。残された時間が僅かなら買ってみようか。このカメラはシャッター機構がないプロ用機として初めてのカメラで、血が騒ぐ。
柚子農家は安芸市入河内(にゅうがうち)にあって、海沿いの国道から20分くらい山に入る。ここに、昔美人のRちゃん、よく喋るW子、ひょうきんなX氏、Tさん、親類のS君夫妻、妖艶なH子、同郷のI子と娘、私と友人。の計10人。主なメンバーを紹介すると、場作りは80歳のW子氏、とても年齢が信じられない元気、タレントのチリちゃんに声が似ている。顔を見なかったら年齢を当てるのが難しい。僕はその事を直接言う「まぁ失礼ね」と大声で笑う。この仕事は彼女の笑いで保たれている、影武者的存在。Tさんはもう直ぐ79歳。この作業の番頭さん。作業は彼の指示で割り当てられる。嫌味が強く最初はたじろぐ。嫌味には、からかいで返すしかない。この歳で脚立の頂上にも立つ。年齢は彼に関係してないようだ。今日はメガネをかけていた(近眼ですぞ)「それで、人の取り残しが良く見えるんやね」とジャブを打つ。ゆずは黄色に熟れたのは目立つが、緑の未成熟児は見逃しがち。年季の入った爺さんには敵わない。X氏も80歳近い巨漢だが、脚立にも上がる。この人の冗談は少しずれていて、無視されがちで、時々誰かが相槌を打つ。普通ならめげるが、この人はめげない。連発だ。妖艶なH子は男勝りの仕事をする。脚立にも上がるし速度も速く取り残しがない。多分この人が1番じゃないかな。取り残しは仕事の恥。そして木の頂上に残っていると満月だとからかわれる。大きな脚立を下げて、そこまで戻らなきゃならない。明日は雨予定で休みで久しぶりに休日の喜びに浸れそう。
10月29日(金曜日)
ゆず収穫お手伝い3日目。朝は冷え込み、収穫場所が坂本に移動した。谷間にあって、朝日は午前10時から、それまではとても川風がとても寒く、身体もコチコチ。太陽が出ると灼熱地獄。柚子の収穫はとても難しい。棘の中に柚子があって、この玉を傷つけないように、左手で包み玉から5cm~10cm離れた枝を切る。そしてゆっくりと引き抜く。腕や手は豚皮で保護しているから大丈夫。そして取り出した玉を持って、再び枝をヘタの部分で切り落とす。その時、切った枝の残滓が木の上に残らないように通路に落とすように切り落とさなければならない。地上から作業できる内は何とかなる。ところが柚子の木は遥か上空まで伸びて、我々男性陣は脚立の3mの頂上に立って作業しなければならない。脚立の頂上はA4サイズの面積しかない。しかもそれでも届かない時には、50cmの遠隔の効くハサミを使って玉を切り出す。左手に玉を持って、前述の枝を切り離す。遠くを見ているときは未だ身体のバランスは保ちやすいが、枝を切る手元の作業はバランスを保つのが難しい。ナカナカ技術の必要な作業だ。しかも10名ほどが作業をするので遅いのは目立つ。それに僕は面子にかけても、トップクラスじゃないと許せない。指が痛むので頑張りたくはないが、ついついムキになる。そうやって頻繁に集荷場所に玉をコンテナで運ぶのが誇らしい。
ずっと昔、松下電器ステレオ事業部で生産実習をしてた時、スピーカー組み立てのラインに放り込まれた。流作業で滞るとパートのおばさんに睨まれるので、作業効率をなけなしの頭を使って考え、手前の人から流れてくる前に僕の手は空いていた。しかし、僕の前には同じ実習生で清水君がいて、彼は僕よりも更に早く、直前のパートさんを手伝っていた。彼とは寮も同じ松明寮ですぐ仲良しになった。が、彼は他にも数段上の技術の持ち主で、トランジスタアンプを自作したり、写真を撮影して自分で現像していた。競争心旺盛の僕も彼にだけはどうにも歯が立たず、世の中にはどうにもならないことがあるのだと、その時思った。話がそれてしまったが。
10月28日(木曜日)
柚子農家は安芸市の海沿いから、北の内陸部に20分位入り込んだ山奥に立地する。今頃は9-15時が日照時間。主婦は洗濯物が乾かないと嘆かないかな?携帯電話は昨年無理だったが今年は可能(au)、まぁこう言う山奥でなければ美味しい柚子は育たないのだが。その山奥に国鉄の橋が残っていると「トシさん」が言われるので撮影に行った。もう線路はなく、舗装をして普通の橋として農家が柚子の収穫物を運んでいた。こんな山奥に国鉄?そう、営林署があって木材を切り出して運んでいたとの事。今から60年位昔。トシさんはここの出身で小学校を卒業されている。現在78歳。マラソン、自転車のツーリングと若者のスポーツを営んでいる。マラソンはフルで4時間と少し。膝は大丈夫らしい。「幾つまで行くんだろうか?」とは本人の弁。車とカメラには造詣が深い。お爺さんと思ったら大間違い。
部落で今日は「23夜のお祭り」夕刻まとめ役から電話があって、お弁当だけでも取りに来てと。伺うと、消防団長さんが「おまんが、おゆげさんの草を刈ったがかよ?、助かった、ビールを持って帰りと2本」。行事に参加できないから、事前に出来ることはしようと。欠席したが面目が立った。飲み会はお寺さんのお堂だったので、帰りに奥さんに挨拶をして、今度は昨日のお寺の行事「土砂加地」のお寿司のお裾分けを弁当に詰めてくれた。夕食には寺尾の美味しい刺身の予定だったのだが。
昨日注文しておいたニコンf4フィルムカメラと、キャノンEOS5Dmk3の4つ切り比較写真各3枚づつが仕上がった。f4は古い50mmレンズf1.4と、新しい14-24mmで撮影したが、一目瞭然の差。またキャノンとの比較では、精細感はデジタルに軍配が上がるが(2000万画素)、白飛びするなどのダイナミックレンジが低い。それと、緑や空の濃いしっとり感はフィルムに軍配が上がる。フィルム恐るべしの感想だ。もしリバーサルフィルムを使ったらどうなるのだろう。一方でデジカメは最新のEOSR5を使ったらどうなるのだろう?使い分けは「ここ一番はフィルム、日常はデジタル」かな。
10月27日(水曜日)
いつもの顔見知りのメンバー達が集まった。ある意味、映画「アベンジャーズ」か「Gメン75」(古いか)の感じでみんなの性格が知れ渡っている。一人だけ知らない人がいたから、話をすると、去年も来てあなた(僕のことです)に細かな事を教えてあげたんですけど。「えっ」女の人は髪型を変えると別人になる(例え高齢でも)それですっかり忘れていた。もうご年配だから変えないで!(僕の内声)青空の下、汗をかきながら脚立に登ったり、地面を這いつくばったりして収穫した。何だか柔軟体操をしているみたいで気分が良い。サトウキビの間引きで腰痛があったので心配してたが、余り出てこなかった。昨年のようにがむしゃらに速度を上げるのは今回ご遠慮願った。指が痛くて、字が書けなくなった去年の事を覚えているから。3時45分に終えて安芸市で買い物をして帰ったが、そんなに食欲はない。風呂で本を読みたかったので酒も飲まず。ごく普通に1日を終えるかな?
そんな矢先、師匠から電話、サトウキビ仲間の一人で重鎮のおかあさんがなくなった。明日お葬式。柚子農家は新聞広告でも人が集まらず作業が遅れそうだとこぼしていたので、急な対応は無理だろうと葬儀は欠席する旨伝えた。
友人からの電話は大阪ではもう飲み会が復活しているとの事。こっちでは、高齢者が多い事、農業従事者が多い事が関係しているのか、飲む話は一向に伝わってこない。僕はそれでいいと思う。新しい生活に切り替わった。
それに1泊の音楽旅行を検討中だ(別に1泊でなくても良いが)。我が家は家が3軒ある。それぞれの家で寝泊まりができるようにすれば、雰囲気の変わった宿泊ができる筈。そこには趣向を凝らしたAVシステムと寝具を完備すれば、それぞれ性格の違った音質であるいは寝心地で楽しめる。訪問の楽しみがいが有る。いわゆる旅館の泊まり歩きみたいなもの。サトウキビシーズンが終われば施工しよう。これなら、毎日旅行できるぞ。一人で楽しめるぞ。
10月26日(火曜日)
何も部品不足だけが理由でない。「iPhone13が低調」日経新聞の記事だ。僕は最初からそう思っていた。17万円。PRO Maxの価格。価格は清水の舞台クラスだ。あるいは一生モノだとの決意が必要。Leilcaのスマホでさえこの価格だから如何に高価か窺い知れる。もう携帯するのは怖い、神棚に祭っておくのが良い。一般の人は、この価格にどこまで価値を見る?このスマホに何を求める?(新聞では最近のスマホカメラはプロ並みと書くが)僕はiPhone7を使っていて変更したが、何も変化はない。唯一カメラが暗いところでの撮影に強みを発揮すると謡う。と言っても、10年以上古いカメラの三脚使用と比べても画質は劣勢だ。三脚が使えない所もあるぞ、と来ればストロボがある。ストロボが使えないところがあるぞと来れば、これは仕方ない。EOSR5を持ち出すしかない。これなら肉眼を超える(これがホントのプロ並みだけど)。しかしそんな機会は滅多にない。小さな軽い三脚を持ち歩いてアジアの夜を随分と撮影したのは10年前の事だし、キチンとした映像が残っている。
てな訳で、どうしてもiPhone13は必要じゃない。僕が必要としたのは、「持っていることそのもの」G5契約だが高知ではG4の電波しかなく、しかも5Gの速さを実現するミリ波にはこのスマホは対応してない。ついでに、物凄く重い。
今日は大塚様のお妾さんの墓の移転の祝詞、前回は前の墓で、今回は新しい墓で。前の墓を掘った時に何も出なかったらしいが、太夫さんに言わせると、掘りようが浅い。昔の墓は2m以上深いので2m掘ってやめたのはちょっと早まったようだとの評。新しい社の下には何もないが、祝詞行事は行った。何もなければ良いが。
その後、きまさごのサトウキビ間引き続き。今日はスタートが遅く1列。残り2列を残した。次回は11月13日から。
明日から仕事に出るので、家事は今日で全部片付けたつもり。風呂は強力に焚いて、掛け流しの状態で入ったので気持ちよく疲れが取れた。化石燃料を燃やしている訳ではないので許されるか。
夜は日曜日の夜NHK教育で放映されたラベル/ボレロを聴く。若い女性が多い楽団で妙に艶かしい。フリーの音楽家たち、指揮は沼尻竜典。うまくまとめている。NHKは映像が綺麗だから良い。
10月25日(月曜日)
朝方の雨で目が覚めた、寝足りない気もしたが8時間寝たので良しとしよう。ボルトン翻訳は昨日の不足分を補って、本日分も少し進めることができた、6時の食事前に。雨は本格的に降り出し、雨の隅間を狙っての農作業は無理だった、カッパを着てまでする必要はないだろう。
今日気がつたのはiPhoneを交換したらクラウドから電話番号も同期するだろうと言うのは正しくなかった。一部が欠けていた。それで、手動で追加していると、曽我さんからコーヒータイムのお誘い。少しのご無沙汰だったがその間に、曽我さんは目の手術。師匠は眩暈がするので3日休んでいるとの事。そうなんだ、僕らは歳を食っているのだ。それを忘れて若い時のままで動こうとしているから無理がたたる。だが会話からはそれを是正する気持ちはないらしい(僕も含めてですが)
解散してから、書籍のスキャナーや郵便物の整理。母家と自分の部屋の清掃をして、当分仕事で忙殺され疎かになる家事を済ませた。清掃中に蒸し器が見つかり、夕食は焼売、キャベツと茄子を蒸した。それと奴。今日は動かなかったので腹八分目。
夜はNHKの昨晩放送されたベートーベン7番/テオドール・クレンティス。ギリシャ/デルフィの古代劇場で無観客の演奏。この演奏のCDは名盤。映像付きでもやはり、こきみよさは出ている。こうして毎週放送されるNHKのクラシック番組を見るだけでも十分満足しているから、これ以上番組は不要だと思いWOWOWを解約した。ボタン操作だけであっさりとしたもの。それでもまだ、AmazonプライムとApple TVの配信でドラマや映画は見られる。
10月24日(日曜日)
眠りは深いのに、睡魔は夜の早い時間に突然やって来て、本を読んでいても、文字を書いていても気がつけば寝入っていたと言うのがしばしば。運転中に来なければ良いが。今日もスケジュールが詰まっていた。友人への手紙、ホームページのアップデイト、ボルトン翻訳、山神様清掃、きまさごサトウキビ間引き、煙突掃除だ。ロック史の完読。誰かの訪問がなければ無理なくこなせるつもりで臨んだ。そして計画通りに事が運んだ。サトウキビの間引きは休憩なしで2列を終えることができた。よく頑張ったので9時にダウン。
10月23日(土曜日)
ロック史/西崎憲氏の書籍は難解だが魅力がある。話はロック以外にも飛ぶ、「結局音楽は創世記の自由奔放の終焉とともに停滞期を経て自己言及的になる、そうなると理解に苦しみ停滞する」確かに、ロックは70年代、ジャズは60年代がピークだった。そしてロックの分類はバンドの数だけあるように思える。例えば、フォークソング。この下にはサイケデリックやアシッドフォーク、フリータフォークの枝がある。そして90年代以降のバンドは全然知らない、派生元となったバンド名には多少聞き覚えがある程度。コメントに佳作だとあれば、ウェブで検索し、その下にアップルミュージックのアイコンがあれば、それをクリックして、アップルミュージックのお勧めする必聴曲をいくつかクリックすれば、西崎氏の言う音楽評価を垣間見ることができる。昔は、全く知らないアーティストの評価を文章でしか読むことができず、想像力で読んでいたが、今は違う、共有しながら読み進められる。逆に下手なことは書けない、それは新聞でも他の雑誌でも同じだし、ジャンルを問わない。又、この本はスキャナーしたPDFで開いているので、メモやマーカーをし放題。後で、検索すれば一発でそのページに辿り付ける。ロックで何か聞きたいが、ぴったりの曲はないか?そう思った時はこの本を開き、パラパラと検索して、アップルミュージックにたどり着けば目的を叶えることができる。素晴らしい。
午後きまさごのサトウキビ間引き。前回は蚊取り線香を腰にぶら下げていた。今回は、厚手のジャージを来て作業で、水も飲まない。小松農園から27日正式の開催案内が来た。逆算すれば、間引きは、何とか間に合う。
頑張ったせいで、夜は酒も薬も飲まないが朦朧として早々にダウン。
10月22日(金曜日)
朝まで雨が降っていた。肌寒い朝。残り湯を浴びに風呂に行く。見慣れた鏡に引き締まった体が映るがよく見れば皺だらけ。もうここまで来てしまったんだ。結局は朽ち果てる身なんだ。といつもの独り言。今日は忙しい。金毘羅様の清掃で、山に上がる。雨は上がり晴天。芸西村を一望できる展望台もある(誰も立ったことがないと思うが)。僕の裏山からは歩いて20分位で着くが、今は車で遠回りして30分かけて行く。清掃が終了すると、山本さんの奥様を荷台に乗せ、旦那さんは助手席、4駆を僕が運転し山道を登って駐車場へ。奥さん曰く、いつ迄こんなことができるのだろう?(Me too)それから雑誌の購入に野市、赤岡で食料調達。帰って、沖の田をトラクターで叩き、閉店する直前の16:45に農協へ、脱葉機を回収に行く。ゆず収穫で拘束される日が近いので、色々と気ぜわしい。
夕刻北角さんからメール。1975年、ステレオ事業部は全国の販売会社に音響プロモーター設置を推進していた。僕らショウルームの担当者はこの人たちと商談し、「音の市」の開催や「商品勉強会を開催」するよう、本社の逢坂課長に指示され、ステレオ事業部の掛川主任に報告をしていた。その時の高松ナショナル販社プロモーターが北角さん。家に泊まりにも行ったほどの仲。夜も遅く奥様には迷惑をかけた(僕は昔から人様の家に上り込むのは抵抗がなかった、中学生の頃でも女の子家でも躊躇せず出入りしてた、恋人でもないのに)。随分と長い付き合いだ。もう74歳だが頑張って仕事をしているとの事。この人の「人を立てる言い回し」は、他では真似できない独特の表現力を持っていて、みんな彼に踊らされていた。多分今でも変わってないはず。高松弁は抜けたかも知れないが。
10月21日(木曜日)
日記を書くタブレットに向かって「あっそうだ、今日は誰とも話さなかったぞ」と一人で叫んだ。家の建つ標高から下界に降りなかったぞ。家前のサトウキビの間引きを行った後、もう10m高い「きまさご」に行って、サトウキビの間引き。(ここは今月の初めに行って2回目、イノシシが来て、溝を掘り返していた)それが終わると風呂を焚いて飯を食った。コロナの心配は無いが、何と!寂しい人生ではないか。今はパワーで克服しているけど、やがては枯渇する。そうなれば悲壮。
一人だと、常に会話している(自分との会話ですが)、それで人と話さなかったと言う感覚がないのだ。しかしこれは「既に起こった未来」(PF・ドラッカー氏ではないが)かも知れない。
夕食はきゅうりの薄切りの上に蓬莱の肉団子を載せて。カリフラワーとちりめんじゃこのカチリを柚子の酢で。きんぴらごぼう(自家製のサトウキビ蜜を使って)。結構な味でした。
夜はどうしても耳に定着しないブルックナーの3番をSACDで聴く。厳格なブロムシュテッド指揮。これはおかしな事だ。そこで、もう一つのSACDプレーヤーである、PlayStation3を持ち出し、HDMIで接続した。すると少しだけ弦楽器に艶が乗ってきて楽しくなった。楽しくなると、音楽の残像が結実するようになった。つまりソニーのブルーレイを兼ねたSACDプレーヤーではある種の不協音が邪魔をしていたかなと思った。それは、先日エラックのスピーカー用に、敷いていたインシュレーターを取り除いた事が影響しているかも知れない。
入河内の小松農園からメールがあって10月27日ごろから柚子の開始とのこと。それまでに、沖の田を叩き、きまさごの間引き2巡目を終えること。明日は金毘羅様清掃の日。
10月20日(水曜日)
かっぱ市場に出した柿は順調に売れていた。次を出さなければ。今日は朝食をしっかり食ったのに腹が減って11時半に昼食の弁当を食べていたら友人が来て、一緒に弁当を食べた。友人は暇らしく、今から柿を収穫すると言えば手伝いに来てくれた。結構北風が寒く冬を想像させるような気候だった。今年は寒くなると言うのは本当だ。柿は袋詰めして28個を出荷した。田村のおばさんに目撃されて、「そんなに安く売ったらいかん、お母さんさんが生きちょったら言うけんど」とかなり強く言われた。確かに安いと思う。他の人は2個で200円くらいのを、僕は6個で300円。来年はもっと頑張ってみよう。帰ってからサトウキビ間引き。岡村家の先祖様のお祭りの日で、お参り。(普段はこの後懇親会だけど、今年はなし)
夕食に、蓬莱の餃子、かっぱで買った四方竹をピリ辛炒め、こんにゃくサラダ。もう一品欲しいがもう疲れて面倒臭さが先立つし、3品の量が多かったのもある。食が減った、腹八分目の食べ方もしている。それでも下腹は出るから、こまめな水泳で抑えている。要は、エネルギーの消費が減ったと言うこと。エネルギーを一番消費するのは、筋肉ではなく「脳」で、要は頭が働いてないと言うことだ。そして結構淡白なものを食っているのに体臭だけはますます強くなっている。それで洗濯の際に、ワイドハイター消臭/除菌が必須となった。いはやもはや。
夜の音楽は、カールベーム指揮ウインフィルのベートーベン交響曲1番、6番。ファゴットがいい音色で出ている。6番はカラヤン指揮ベルリンフィルのLPを聴き込んでいたが、このアルバムは良い時と悪い時があって(僕の気分のムラに反応して)結構難しい音楽だと思っていたが、ベームの方は、優しい音色で好感が持てるので安定して聴けるのではないかと思う。
10月19日(火曜日)
昨日から急に冷えてきて、風呂を焚く薪を多く焚べなきゃ湯温が上がらなくなった。昨晩は水風呂に浸かったので、今日は頑張って焚いた。毎朝新聞を読む時に、経済指標をエクセルに付けている。「数字は嘘をつかない」書籍に感化されたのと、日経新聞も憶測や、未熟の記事が多くなり、鵜呑みしてはいけないと思うようになったからだ。そこで、最近気がついたのは、金融業界では、岸田首相を見限っていると数値が示している。長期金利が0.09%を超えた。円が、ドル、ユーロー、豪ドルに対し全面安。他の通貨については時系列で見てないが、おそらくリンクしているかも(中国元のみはドルに対し高くなっている)。衆議院選挙が告知されたが、僕は自民党にとって厳しい選挙になると思う。そして、岸田氏は「成長」と旗を掲げるだけで、具体策がない。北朝鮮のミサイルは遺憾だと言う。僕にでも言える。巧妙に立ち回った首相の座だが、今まで何ら変革はない。残念だが。
今日は疲れていたが、首を寝違え痛むのとサトウキビの作業で腰痛を軽減するための水泳は必須だった。大阪のN子氏は「マッサージをして身体を労らなきゃとアドバイス」僕は水泳が一番効くと思っているのだが、マッサージを受けたことは一度もない。やるなら、フジ医療のマッサージ機の購入だろう。そこまでするか?雑念が渦巻く。
夕食を作る元気はなく、帰りにお惣菜を買った。いよいよ、柚子の仕事がやって来る。それまでにサトウキビの手当てを済ませてておく必要がある。風呂の煙突も掃除しておかなければ。息子が住んでいた離れが空いたので掃除をしていつでも使えるようにしなければ。色々とToDo-Listには書き込みが多い。
10月18日(月曜日)
5時過ぎに目が覚めて、ボルトン翻訳を進めた。6時の時報で切り上げて、車で西方にあるセブンイレブンへ出かけた。タワーレコードに注文してあったカールベームのグラムフォンでの全録音盤が届いたので受け取るため。田舎道と侮るなかれ、前を通る国道55号線は7時を境に東行きが渋滞するのだ。それで早朝に出かけた。ベルリンフィルを振るカラヤンよりも、むしろウインフィルを振るカールベームの方がどうやらモーツァルトやベートーベンは良いみたいだ。(僕はそこまで聴き込みが出来ない、評が良ければ、良いと思い込みそれを保有するのに価値を見出している)。エラックBS283はロック、ジャズが良いと評価を下したが、付属の脚で本体を浮かすと、途端に弦の艶が出てきた。それまでは団子だった。ウインフィルの一矢乱れないチェロのユニゾンが厚く奥から届く。涙が出てくる。これを感動と呼ばず、何と呼ぶ。
もう一つの朗報は、WOWOW4Kで絶景を放映中。海外旅行に出られないのでこれを見て旅行気分でも味わったらとの配慮だろうが、今日はふと思いついて、100インチのシアターで見たら腰を抜かしそうになった。目の前にフランスのモン・サン・ミシェルが大きく広がった。これはワインを飲みながら見るべきだと思いましたね。もしこれが8Kだったら、現実よりも遥かに綺麗かもしれない。カメラの撮影基本は動画も静止画も、基本は如何に「引くか」つまり余計なものは映さない事だからプロのカメラマンが厳選した風景は現実よりも綺麗と言うわけ。しかも最高の天候で撮影されている。当面動けないので、これは正しい生き方だと思った。
10月17日(日曜日)

天気予報は昨日から今朝にかけて雨予想だったが、昨日少しぱらついただけ。今日はキッパリと晴れた。確かに気温は幾分落ちた。ニコンf4で撮影した写真とEOS5Dmk3の写真を比較した。ネガはニコンD850で取り込む過程があって、比較をすれば色合いで不利。かくなる上は、写真屋さんで拡大印刷して比較するしかないだろう。それでどうなるわけでもないが。
午後は昨日収穫した柿を市場に出した。うまく売れれば3000円の収入。運動の成果として収入があるのは嬉しい。ついでに粗大ゴミセンターに顔を出した。当然というかそこにはじっちゃんがいた。91歳になるこのお爺さんは、廃品からめぼしいものを拾って自分で修理をして使うのが「趣味」だ。今日は直径10cmのタイヤとチューブをいじっていた。その目は輝いていた。
その後はサトウキビの間引き。洋服が濡れるほど汗はかかなかったが、臭くなるほどの汗は出た。
夕食に冬瓜、味付けは昨日発見したお茶漬けの素を振りかける。もう一品はオクラの煮付け。ご飯の代わりに、師匠からもらった芋を蒸したもの。食べる量が落ちて、今までの感覚で買っていると冷蔵庫に余り始めた。買う量を減らさなければ。残念だけど。
食事時のBGMはブルーススプリングスティーン/バルセロナ2002/4K放送。ブルースの成長とともにバンド仲間の成熟ぶりが伺えた。夜の音楽は、ブルックナー9番/サイモン・ラトル指揮。演奏はよく指揮者と馴染んでいるという表現がピッタリだと思う。レコード芸術誌にも同じ評価を書いてあった。
10月16日(土曜日)

ロック全史/西埼憲を読み始めた。これは凄く貴重な本。昔と違い、今はスマホを片手に、知らないアーティストや知らない楽曲は検索できて、記述してある曲のイメージと実際の音楽との参照しながら読み進めれるので理解が深い。検索にカタカナだと有名でないアーティストはヒットせずアルファベットで入力すると間違いない。しかも、クラシック音楽の作曲家と比べて、中間名がないので楽。ロックと言えば、アメリカ、カナダ、イギリスが主で英語圏だから更に確率が高い。「1910フルーツガム・カンパーニー/トレイン」など普段は思い出すことのできないバンドも登場し、記憶の底からメロディーが浮かび上がってきて、スマホの音楽に合致する。この本も字体が小さく510ページの大書。僕の音楽範疇は、クラシック、ジャズ、ロックだが、この本によると、ロックはいくつもの範疇に分類され、一口にRockと言うけれど、分類は詳細過ぎるほど。確かにイーグルスとビートルズは違うとは思うが、ではイーグルスとクィーンんの違いは判らない。
午後は雨が来て、その後晴れたが、サトウキビの葉が濡れて中止し、裏にある柿を収穫した。僕の知る限り、こんなに実ったのは初めて。しかも少しずつ減っているようだ、たぬきの仕業だ。それで、全てを収穫した。たぬきはこの柿を食べて、屋根に糞をして雨で詰まり困るのだ。柿は小ぶりで袋詰めして明日販売しよう。
今夕は安芸の寺尾で買った「すま」。先程のロックではないが、カツオの本場高知ではカツオと一口で呼ばず、その先の分類名で呼ぶ、技が細かいのだ。スマはカツオの名の一種。それが、何と大ヒットで、文字で表現できないほど美味い。お醤油に少し浸し、含むと柔らかな身と脂身が口の中で醤油と混ざってなんとも言えない濃厚さで迫ってくる。普通お刺身は一切れづつ頂くが、お一人様仕様なので、今回は2切れづつのタブーを犯した。あまりのうまさに「すだち」を挟む愚を忘れてしまったのは正解だった。師匠の奥さんにもらったカボチャをお茶漬けの元(粉末)とサトウキビの蜜で煮こんだのも、大正解だったし、ありきたりの高知のニラと卵に鰹節で炒めたのも普段にない味で、今日はなんだか体調がおかしいぞと思わざるを得なかったほど。
疲れるほど作業をしてないのに夜は眠く9時18分ダウン。
10月15日(金曜日)

それでは日中の写真はどうか、iPad Pro(初代800万画素)iPhone6(800万画素)、7(1200万画素)。も含めて比較写真を撮影した。結論、画角の違いはあるものの、新旧のカメラ性能の差は見つけられなかった。「スマホカメラは暗いシーンでしか進化が確認できない」。それで、今夕は三脚を持ち出しLUMIXGf2(古いカメラ)とEOSR5(最新のカメラ)で暗い庭を撮影した。「三脚を使ったこと」もあって、新旧のカメラは比較できないほど似通っていた。またiPhone同志の比較では、明るく撮影できるかどうかの差、そして旧カメラは暗い分だけノイズが浮く。多分ライバルのスマホカメラも暗いところで明るく撮影できる(ファーウエイが仕掛けた)方向に開発が向かったのだろう。背景が綺麗にボケるかどうかは、単純にはセンサーサイズに関係するので、スマホには不利。そこにデジカメの存在がある。だがフルサイズのセンサーでしか差異が大きく出せなく、マイクロソフトフォーサーズのLUMIXでは厳しい(つまり売れない)のがはっきりと出ている。お客様はやはり正しいのだ。
その後、iPhone13のみiCoudからダウンロードした写真が300万画素に落ちることを発見、iPhone13が悪いのではないかとアップルサポートで何と2時間チャット。結局iCoud自身に欠陥があることが判明した。
昼食を簡単に済ませ、農協に脱葉機の修理を依頼、それからサトウキビの間引きとやや少ない時間頑張った。農業は段取りが多いなぁ。
夜星野氏より電話。この人は名古屋時代のもう40年くらい前からの友人で77歳。病院から電話との事。胃癌。内視鏡で処置終えたとの事で声に張りがあって明るく病気は影響してないようだった。息子は直腸癌で大変な状況だったとの事。娘も独身のまま。コロナ終息でまた店を再開する、後1年くらい頑張るという(僕は死ぬまでがんばれと言った)。振り返って僕の友人関係は80歳くらいの人が多いのは何故かな?年下の友人は皆無で、この先どうなるか不安がよぎる。
10月14日(木曜日)

眠いが6時に起きた。今日は忙しい。朝食の後、録画番組を見る。大西泰斗の「定番英語」が始まっている。この先生は人気が高く、NHKラジオ英会話から発展して、テレビ番組迄持つようになった。今、日経新聞夕刊で特集の取材記事を掲載している。このテレビ番組は簡単な英語なのに、早くて聞き取れない。後で文字が出てくるとわかる。僕の英語力は読む英語だ。先生の指摘もこの事。日本人は学校で英語を勉強するが話せないのは、読む英語を勉強してきたからだ。全くその通り、しかも頑張ってボルトンを翻訳している(指摘と逆行)。昼食を取って郵便局で荷物を発送して、高知に向かった、途中ホームセンターで罠を買う。ヤマダ電機でiPhone13のケースとガラス保護カバーを購入、auショップで電話機購入。
急いでプール。おばさんのレーンに入ると「私はもう500mしか泳げなくなった、去年までは1200mいってたのにと悔やまれた」いずれ僕もそうなると覚悟。2km1時間4分。バタフライを入れたので平均速度が落ちた。と理由付け。
iPhone13pro maxはカメラが特徴。早速暗い庭先でLUMIX G9Proと、手持ちのiPhone7、6と比較写真。結論は長秒シャッター(3秒まで)がある分だけi13は明るく撮影できる。G9はプログラムオートで撮影した。iPhone13はよくよく見れば、カッチリした写真に仕上げる為、かなりどぎつい輪郭補正に気がつく。特に背景に強く効果が見て取れる。i7とi6は暗い分明るく補正すると、背景にノイズが浮いてくる。まぁカメラの性能は程々かな。G 9pro は設定が自由なだけ、狙いの写真が撮れる分だけ良いのかな?ただ、単純に写真を並べて、27インチ位のディスプレイで、一部を拡大しないで全体象を見れば違いは極小で、これは驚異かなと思った。
10月13日(水曜日)
農業には段取りというものがある。先ずは、蜂の始末。サトウキビの間引きは家の直ぐ前の畑に移った。そこで間引いた葉っぱや若い芽は、家の西の畑に捨てる。ところがここにはススメバチが巣を作り前を通ると危ない。それで、今回も掃除機で吸った。兵隊さんの多くが突然消えたから、仲間は右往左往している。巣の穴を吸い込み大きな穴になった。もっと吸い込むと、2段目の蜂の巣を吸い込んでしまった。「ズボッ」と大きな音がした。ぽっかりと大きな穴が空いた。それからめでたく、サトウキビの間引きを行い、不要物を畑に放り込むことができた。3列済まし時間切れで終了。
あまりにも暑くいっぱい汗をかいた。熱い風呂に入ってさっぱりして、ビールを流し込んだ。極楽。350mlで酔って、北欧サスペンスの続きを見たらやめれなくなって、結局0時まで見てしまった。何で自戒ができないのだろう。生き延びたいと思っているなら、健康のことを考えないといけないと大反省。
10月12日(火曜日)
体の何処かが調子悪いのではないが、どうも動きたくない。よくよく考えてみると、昨日気乗りしないのに2km泳いだのが原因かも。ボルトン翻訳はホウホウの体で2時間かけて終えた(途中居眠りも含む)。午後は大塚様妾さんの墓地を移動する為の祝詞の儀式があった。多分江戸時代だろうが、岡村家の先祖様を救ったのが大塚様。その妾さんが、まさのりさん宅の敷地内にあって、この度、まさのりさんは住居を解体して売却するとの事で、この妾さんの墓地が含まれているのがネックになるから、移転と合いなった。移転先は5m前。大塚様を守ってきた岡村家5軒が集まって儀式に参加した。その直後変なサイレンが鳴った。津波警報のようなサイレンだ。直ぐ後で地元の火災のサイレンに変わった。この仲間の一人は消防団員の為、急いで駆けつけた。僕らの家は30mの高台にあって、見下ろすと火災方向に煙が見えた。祝詞が終わる1時間半経った頃、鎮火の放送があった。
会は解散して僕はサトウキビの間引きを行った。西下の畑が終わり、後、畑2枚を残すのみ。1週間で終わるだろう。今日も暑く大汗をかいた。沢山の水を飲み服が絞る程濡れた。いいことだと思った。
夕食は魚が続き我慢ができず肉、安い肉で硬いが嬉しい。付き合わせの野菜は、有機栽培のもやしと、紫のキャベツ。別仕立てでナスの味噌和え。よくできました。
少し時間に余裕があったので、北欧サスペンス1~2巻を見た。会社で干されている企業弁護士と、出所仕立ての男とが、大会社の御曹司で行方不明になっているのを探す物語。アクションはなく、心理的な掛け合い展開。北欧サスペンスは暗いから、こちらにエネルギーが余っている時でないと、見た後に、なんだか自分が悪いことをした罪悪感に苛まされる。
夜の音楽はブルックナー8番。今日はCDプレーヤーで聞く。(実際SACD層の音と違いはわからない)
10月11日(月曜日)
昨晩は3時に暑くて目が覚めた。もうエアコンを切って寝ているのでまさかの暑さの逆襲。布団がグッシャリだった。異常だ。それで今日も妙に身体がだるく動きが緩慢になる。日課をこなすに時間がかかりそう、そこへ友人現れて、作業は中断。友人は自分のことばかり喋って帰った。少しは聞いてあげなきゃとは思うが、コロナで自分の世界に長く住み慣れたのか、聞くのが結構しんどくなっている。いや、それは老人病なのか?午後3時までかかって日課を終えて、セブン経由プールへ出かけた。
セブンではベルリンフィルのブルックナー全集の受け取り。ベルリンフィルが選んだ最適指揮者をあつめたもの、1番は小澤征爾2番はパーボ・ヤーボ。曲ごとに指揮者が違う。先に買った指揮者のラファエル・クーベリックはマーラー全集でこの逆を行っている。1番から順に演奏楽団を変えている。さてどちらが売れたのかな?この他に、カールベームドイツグラムフォン全集を注文してある。夜は聞くべき音楽があまりにも多く、僕は酷く眠く、音楽ファイルをこなす事が出来ないまま累積している。でも重要なことは、聞くべき音楽や読むべき書籍、見なければならないDVDが積み重ねられているのは、精神を落ち着かせますね。
10月10日(日曜日)
朝起きると身体が重い、眠い、一旦起きて朝寝をするも寝付けない。かっぱ市場へ買い出し。大きな冬瓜があった200円。新鮮なムロアジ3匹150円。僕より年上風のおばさんなのに冬瓜はどうやって食べるかね?と聞かれた、僕の知っている主婦は調理に精通した人ばかりなので、この歳になっても知らないのか?と少し呆れた。ダイドーコーヒーを買って覚醒させ、午前中のルーチンを済ませた。昼から、西上の畑の間引き。今まで不要な葉っぱは鎌を使って取り除いていたが、葉の根元をねじると簡単に外れることが分かった。ただ掴む作業は指に負担があるので、どこまで出来るか不明。こうすれば作業の後が綺麗なので、無理してやってしまいそう。今日も暑く一杯汗を流した。今年はこのためなのか、未だツクツクボウシが鳴いている。とうの昔に彼岸花は終わったが。
地球温暖化がいよいよ緊急課題となりはしないか。今一番温暖化に役立つ対策は、窓の3重ガラス。これにより電気と天然ガスの消費が一気に落ちると、今読んでいる書籍に記載されている。実現が見えないEV投資よりもうんと現実的だと。コロナ禍も落ち着きが見えてくると、政治家は一気に経済回復に動く、その結果化石燃料を思い切って燃やす政策が実施されるだろう。すると、来年はもっと気候変動の余波を受ける。熱帯に適したサトウキビを栽培してる僕には朗報となる。が、一方でラァナーナ現象が発生して、今年の冬も厳寒がやってくると報じられている。昨年は寒で主力のきまさごのサトウキビ3000kg全部をダメにした。今年はどうしても収穫を年内に終了しなければならない。一番時間を食う葉を取り除く作業を今から行っているのは、正しい事だろうと思っている。脱葉機を使っても時間がかかるから。
夜の音楽は滋賀の友人が送ってくれたCD「マイルス・ディビス編集」を聴く。編集してあるから音が悪いのは当然としても、ジャズが馴染むシステムは心地よい。
10月9日(土曜日)
きょうもサトウキビの間引き。畑は西の下段に移った。かがんでする作業は腰が痛む。だましだまし3列終えて午後5時。友人から懇親会のメール。急いで風呂を焚き夕食の準備、その間に友人到着。今夕はサバの柚子胡椒焼き、大根とエビのあんかけ、イタドリとウインナーの炒め物と結構豪華に作った。僕は主婦と同様毎日の作業なので手早く作り飲む。懇親会と言っても、我が家で飲むだけだが。久しぶりで午後6時から初めて11時まで4時間。テーマは「南国市のモノづくりセンター」で貝殻教室を出店しているが、いつまでこの施設が持つのか?問題の核心は地方、過疎少子化といった特有のものではなく、結局運営する人材にありだろうと結論付けた。市の助成金が半分あるらしく、運営が極めて官僚的らしい。どこも箱はできるが中身がねぇとなるのは同じか。やっぱり人と歓談しながら飲む酒はうまいし酔わない。ワインも日本酒の瓶も空いた。ピアノコンクールでスタンウエイのピアノだと優勝できる話にも出てきた。かれはヤマハのピアノを長年販売してきたので、忸怩たる思いでその番組を見たらしい。僕はヤマハのピアノは端正な音、スタンウエイは押しのある音と位置付けている。昔のオーディオマニアはスタンウエイかベーセンドルファーとの対比だったが。
発信人未登録の番号から電話があった。auからだった。iPhone13が14日入荷するとのこと。現在は3G、6+、7+を持っている。10も一時使ったが、MacBook購入時に下取りに出した。アメリカ、ドイツを撮影して活躍した。
10月8日(金曜日)

行列のできる店に並んで食べるのは、我慢してでも美味しいものを食べたい一心だ。万人が認めるには確かにそれなりの理由がある。カール・ベーム/ウインフィル/モーツァルトと来れば鬼に金棒的な存在。だが、私はその良さがどうしてもわからなかった。今日カートリッジの整理と、聴き比べを、このモーツァルト34、31、26番のLPで行っていたところ、ピタッとハマるカートリッジがあって、この組み合わせの凄さがやっと分かった。「人の好むところ訳あり、それがわからないのは、問題は自分にある」。人と接する機会が少なくなって、自分が天皇になってしまっている傾向がありはしないか。コロナが変えたものは、社会の仕組みや、行動ではなく、結局は自分本位にシフトしたことではなかったのか。そんな反省の声が、演奏のプチプチ音の間から聞こえてきた。
少しスタートが遅れたが、きまさごのサトウキビの間引きを今日で終えた。根元の枯れた葉も全部取り除いた。見た目にスッキリした感がある。師匠に言わせると、この1週間でうんと身が入ったとの事。続いて師匠は、昨日土佐ロイヤルホテルで、芸西村のサトウキビ取材があってYouTubeに投函するとの事。綺麗な女の人がインタビューすると言うので、渋々(よろこんで)出演したとの事。露出が増えれば売れ口が増えて、僕らは上手く回る事になる。今日は他に田村のおばさんが家の前を通りかかった、先祖様のお墓参りとの事。おばさん曰く、「素人目で見ても、このサトウキビは凄いと思う」。僕もよくここまで来れたもんだ。無肥料(有機肥料さえも使っていません)、無農薬4年目。なぜなら、僕が食べるためでもあるからです。
10月7日(木曜日)
午前7時15分起床。それまで6時の村の時報に気が付かなかった。車で出かけてテントを張って四国88箇所参りなんかもこちらでは可能だが、寝てしまった後は一気に朝まで行くのでテントは危なくてどうしても決断できないでいる。話は逸れたが、昨晩の夜更かしは面白いドラマだったのもあるが、メインに使っているオーディオシステムでオンキョーのパワアンプが壊れたので、音楽が聴けなくなってしまった。取り敢えず離れて考えようとAVに切り替えた。9月、10月はパワーアンプ計2台が壊れてしまった。何か対策が必要だ。
サトウキビの間引きを1畝1時間半程行い、風呂を焚いてプールに出かけた。途中で地元のホームセンター(ユーキチ)に寄って芋を掘るテコの付いたスコップのようなものを購入。「これも作り手が居なくなってのぅ」と店主が嘆いていた。16,000円。鍬にすれば高い。
プールで2000m。今日も1時間2分で規定内。プールから上がると18:40で真っ暗だった。高校生の頃、まじめに真っ直ぐ家に帰っていた理由は、この夜が暗いのに怯えていたから。今でこそ街路灯があるが、昔はなかったし、道を覆う真っ暗な竹藪を通り抜けるのは本当に怖かった。この歳になっても、暗さは恐怖。それで、家では1400ルーメンの懐中電灯を持ち歩いていたが、我が家にはいろいろなところにACのコンセントがあることに気が付き、今日は一斉にアイリスオオヤマの100WLED電球を取り付け庭に照明を当てた。これは大正解でした。庭の隅々まで光が届き恐怖が消えた。田舎暮らしには別の気苦労もあるのです。
10月6日(水曜日)
WOWOW北欧ドラマ「フォローザマネー8巻~10巻」を一気に見た。北欧サスペンスは暗い。しかし次型次へ見たくなるフックが潜んでいる。内容はタイトルの通り、お金の流れ。風力発電を手がける「エナグリーン」が収益が見通せないのに、粉飾決算で投資家の資金を呼び込み、会社を清算して一儲けを企むのが「悪人」達、これを立件しようと奮闘する刑事側。車泥棒の若者2名が、エナグリーンで危ない仕事を手がけた2人組みを海外へ逃すはずだった、この内一人が車泥棒に引っ掛かり、車や逃亡資金ごと盗まれてしまう。この3つの物語に、浮気や離婚や夫婦喧嘩の横串が入り複雑な物語に仕上がっている。結局、表の経済詐欺事件と、裏の家庭事情とが絡むことに集約されるが、どうも監督は裏の方に意図がありそうで、結末は、その裏が表に出て一件落着となってお終い。もっと要約すれば、「理性より感情に生きる」のがテーマだったかもしれない。見終わったのが23時35分。後味の悪い映画だったので、中々寝付けなかった。
10月5日(火曜日)

今日もピーカンの晴天、赤野の木こり。先日枝が錯綜して根元で切ったが倒れず宙に浮いたまま放置してあった。道路側に倒れる心配はないがもしものことがあるとまずいので、宙ぶらりんの枝を落とすことにした。ロープを渡して枝に引っ掛け、そのロープを軽トラックで引っ張る。最初は交通の邪魔にならないように斜め方向から引っ張ると、軽トラックの後ろが宙に浮いてしまった。やっぱり力は正面のベクトルが一番強くかかる方向で引かないと効力はないのか。地上に引き倒した枝は細く裁断して、使える部分は薪用に65cm切り揃えた。
急いで帰って、サトウキビ畑に行き、11月20日から収穫する品種「黒街道」の根元で間引きを行う。昨日師匠から時間があれば試したらどうかと言われたこと。みかんでも梨でも、枝に付く実は1個、それが美味い実に成長させるコツ。サトウキビでも同じだという。それで今日は少しの時間だが試してみて、全部に施すにはどれだけ時間が必要か算定する為。畑1枚に1週間と見積もった。
夜CDでデイビット・ゴードン・トリオを聴く。CDはLPに比べて音が抜けないから嫌いだとよく言われる。僕は逆だと思う。音が抜けているので、引っ掛かりのある高域が出ないのだ。それが抜けてないと判断されると思う。僕のCDプレーヤーはSONYのX7ESDで相当古いが、プリにはバランスケーブルで接続して引き締まって音が良く抜けている。これ以上何を望む?このCDは寺島靖国氏がテクニクス試聴の際持参した際、CD番号を控えて後で購入した物。彼の厳選するCDは演奏と音のバランスが素晴らしい。彼のサイトを訪れば膨大なCDが紹介されていて、迷う。直接会って話ができた昔が懐かしい。
10月4日(月曜日)
昨日のプールの疲れは残ってないようだった。英語の勉強に専念出来るぞ、その矢先、高知の友人来襲。やっとお帰りいただいて、さぁ遅れを取り戻すぞ、そこに師匠から電話、「コーヒータイムやから(柿の木)へ来い」PCを切って出かけた。11月20日からサトウキビを絞ることを確認。今年は気合を入れるぞ。僕的には11月10日からスタートするつもり。帰って、木こりに出かけた。道路にかかる木は出来ないが、畑に倒れる木は切れる。通りがかりの人が綺麗に切ったねと。4時半、母の友人田村のおばさんから電話、
「洗濯機を見てくれ」ホースの交換が必要だから買ってきてください。と僕。続いて木を切る話はどうなった?「あの人は変わっちゅうきに話が通じん」と田村さん、「そう言うあんたも変わっちゅうぞね、母も変わっちゅきに話が合ったがやね」と僕。赤野の木こりの後はここで木を切る仕事がある。師匠から鯛と鯵を頂いたので夕食は決まっていた。そこへこのおばさんからなすをいただき鯵とナスの唐揚げメニューが出来上がった。元プロの作るナスは1級品。僕ではそういかないだろう。
今日は頂き物で豪華メニュー。鯛は、オーブンで姿焼き。塩は黒潮町天日の自然物。スダチを絞って頂いた。問題は、この美味しい料理を食べきれない事。一旦冷やすと味は落ちる。
他にも栃木の知人からデータを消したので復元してくれとメール。何だか今日は千客万来だった。
夜はスティービー・ワンダー/イン・スクエア・サークルのLP。気持ちの良いシャリシャリが耳に心地よい。これは耳へのご褒美だ。
10月3日(日曜日)
今日も8時間半寝てしまった。随分とお疲れです。それで10時半から15分くらい又寝てしまった。もう良いかなと言うところで起きた。起きた時は此処がどこで、昼飯の後だったのか、前なのか記憶が戻る前に少し時間がかかった。それだけ深く寝込んでいたと言う事。それで今日は農作業お休み。
友人に手紙を書いて、フィルムの現像を行った。ネガポジ反転の作業、トリミンをネガフィルム一杯を使わずに、少し狭めるとうまく色が乗るのを発見した。当時のカメラとフィルムではホワイトバランスが上手く取り込めてない為だと思う。この作業は年内終了はちょっと見込めない。
掃除と風呂焚きの後、プールに出かけた。2km59分。今までの時間内に収まった。同じレーンで泳ぐ人が追いかけてくるので心持ち急いだのと、ターンを足だけで行ったので、1mくらい距離が短くなったのが相まった為。帰りも睡魔に襲われず昼寝が効いた。
夜の音楽は、ベートーベンピアノ協奏曲5番/レバイン/シカゴ/ピアノはブレンデル。5番はショウルームで何百回も聞いた(これしか音源が用意されてなかった)、それでわかったのは、音楽はこうして何十回も聞けば真髄に近づけることだ。転じて、絵画も毎日壁にかかっているのをチラッと見る事で絵には意図があるのを感じられるようになる。書籍も同じ。それを僕は1回のみで通り越してきたから僕は深みがない人間になってしまったようだと思う。今更どうしようもない事ですが。
10月2日(土曜日)
中森明菜がセカンドラブで歌っていた「恋も2度目なら、少しは器用に愛のメッセージ伝えたい♫」僕も同じ気持ち、「本格的な農家も2年目なら、少しは自由に作物も作ってみたい」という事で、今年は葉ニンニクに挑戦だ。一般的な感覚の家庭菜園からすれば広大な土地があって、その片隅を耕して60個ばかり作付けした。来年はこの畝の延長線上に安納芋を作付けするつもり。僕が強く食べてみたいを熱望する野菜だ。これに時間を食ってしまい、木こりには遅すぎ、余った時間で5時まで草刈り。サトウキビ畑の周りのみ。(サトウキビ畑の中には草は生えない)畦や岸に草がないと気持ちが良い。(自己満足しかないが、手入れのされている畑でありたい)
昨晩は調子に乗って、イギリスのドラマ(ペンブルックシャー・マーダー)で実際にあった話に基づく刑事物3巻を一気に見た。アメリカ製のドラマに比べて圧倒的に暗い。がネチネチと追い上げる展開が小気味良い。どうも僕の嗜好はこの積み上げ型が好きらしい(農作業に似ている面があるかも)。俯瞰してみれば、安易な場面のみで、主に俳優の演技に頼るだけの物語。お茶の間劇場としては仕方のない面も。映画館が経営危機に見舞われている、一つはコロナ禍で密集を避ける傾向、一つはネットフリックスやアマゾンプライムのように配信の伸長。3つ目、要素は小さいが大画面のTVが安価となって家庭劇場がそこそこ役目を果たすようになった。ネットフリックスはまだ映画のように作品に対するお金のかけ方が大きいが、競争激化でお茶の間劇場のような安易な番組となるかもしれない。映画の行方は映画そのものよりも見ものだ。
夜、お寺さんが来て、パンを持ってきてくれた。少し話したところによると、ダイワロイヤルホテルは芸西村のサトウキビを全面的にバックアップして、しかも自分ところで砂糖の精糖も体験イベントとして取り込む計画があるとのこと。近所のしゅんろうさんも今年でサトウキビをやめると言っていたから、僕としてはサトウキビは増やせるだけ増やすと、売れ口があるかもしれないと思った。まだ1000㎏位の余裕がある。10トンくらい作れば、原木のまま販売することも可能かもしれないと淡い夢。
10月1日(金曜日)
ここ1週間余りは夜が全く使えなくなっていた。それで昨晩は8時過ぎに寝たら、何とか今夕は遅くまで起きていられた。テクニクスパワーアンプSEA7000vr4の調子が良くない。右チャンネルから「プチ」と突然大きな音が発生する。最初は1回だったが、最近は2回。檜和田さんに電話「何とかして」と。手持ちのアンプオンキョウM580と入れ替える。併せてヤフオクで山水B2301に入札を申し込む。オンキョウのアンプは制動力がなく、ドボンと鳴る(200hz以下で使用)だが、この部屋は低域が床に抜ける構造なのと、聞く音楽が古いものばかりだから、意外とマッチしている。温まるまでに時間がかかる以外はそれ程文句はない。
天候は晴れ、モネの里に行って、フィルムカメラNikonF4とCanonEOS5Dmk3の比較写真撮影。CanonEOS5Dmk4の70~200f2.8を持参のご夫婦がいらした。高知で見かけるカメラは殆どがCanon。僕は高知県人の気質として気難しいNikonが似合っていると思うのだがいかがなものか。僕の持参のレンズ70~210mmf2.8はTamronで、駆動モーターが遅くしかも音がする昔のタイプ。しかしきつい逆光以外不満がなく像はシャープだ。レンズは、その時点で高価でも最高のを選んでおくと後からでも使える証拠みたいなもの。今日は太陽光線が強く、色々と光のマジックが使えた。楽しいひと時だった。帰りに安芸市でフィルムの現像を依頼、ポジフィルムだと思っていたら、ネガだった。
ついでの寺尾で刺身。さごし、クロダイ。ミツワスーパー(香南市)の刺身よりは鮮度が落ちるのをはっきりと認識。それでも赤ワインで十分に楽しめる鮮度ではあった。(鮮度の低い刺身だとワインでは生臭く感じる)
9月30日(木曜日)
朝のうちは天候が良く、午後は撮影だと意気込んでいたが、昼丁度に曇り始め食事が終わる頃には雨が来た。写真は中止、木こりに切り替える。木こりは運動の為で、友人が困っているから助けてあげるとか、伝承館の薪を作るとか余計な魂胆は一切なし。閉口するのは「蚊」蚊取り線香を3つ目焚くが効果なし。怪我をしないように慎重に進めている。早めに終えて、帰りに村のスーパーで買い物。汗で濡れているので店内の冷房で身体が冷えるから、買い物はあらかじめ決めたものだけを買うことにした。
今夕は、イトヨリのすり身を使ったワカメスープ。わかめは宮城県産の生食用。これに土佐ぶなしめじを加えた具沢山のスープ。アボガドのわさび醤油(これはアボガドが固く全く失敗)、大豆豊富な豆腐(当たり前だと思うが)。ベジ食でカロリー低いはず。
昨日すずめ蜂を掃除機で吸い込んだ成功事例を記載したが、今朝はその掃除機を置いてある6畳の部屋ではスズメバチがわんさと飛び交っていた。きちんと掃除機のホースの口をガムテープで止めてなかった為。幸に朝早くて、蜂の動きが遅かったので再び吸い込んだ。しかし2匹が部屋から出てしまい、1匹は耳元近くに攻撃してくる、というのは、白いタオルを片手に持っていたからで、丁度このタオルの長い毛先に足を取られていたので捕まえられた。あわや大惨事となる所だった。
今月の総括、サトウキビの草退治に目処をつけて一服出来た。読書は10巻。(10巻読むと心の平静が得られます、僕的にですが)とりわけ中谷美紀の本は優雅に過ごす刺激を受けてよかった。食費は57000円(サトウキビ仲間との懇親会があった為)。ボルトン翻訳は2300語/1日。新記録だが、今まで1時間の所を1時間半に延長して、1ページ翻訳を日課とした為、翻訳速度が上がったわけでない。プールを再開した。ELACのスピーカーを購入して深い音楽性を楽しむことができるようになった。
9月29日(水曜日)
半日の農作業と2kmの水泳は等価か?昨日久しぶりの水泳だったが、それ程の疲れがない。明日に出てくるのかな。今朝は普段と同じ感じで起床し、普段と同じ食事だった。午前中高知の友人が来た他は、何も変わった事はなく、疲れのだるさも無かった。午後は、赤野にある友人の畑の木こり。今日持ち込んだチェーンソーのエンジンがスタートせず、結局ノコギリで切り倒して行った。まっ、運動が目的で木こりは付属みたいなもんだからそれでも良い。帰りに農協で、エンジンを診てもらったら、ガソリンの吸いすぎとの見立てで、彼らがスターターを引っ張ると5回位でスタートした。恥ずかしいなぁ。
帰って、スズメバチの対応。かなり巣も大きくなってサッカーボール大。キンチョール、農薬も効かず、今日は4m位のパイプを蜂の巣に近づけ、そのパイプには掃除機を繋いだ。作戦の3つ目だ。電源を入れると、コツンコツンと音がしてスズメバチが一瞬で吸い込まれてゆく。攻撃をするにも、巣から出れば一瞬にして仲間が消えるから、先に出た蜂はどうしたら良いのか困っている、そして巣に戻ろうする、すると一瞬にして吸い込まれる。今日はすべてではないが、かなりの蜂を吸い込んだ。この掃除機は前回はマムシを吸い込んで大活躍している。
オーストリアに暮らす/中谷美紀は、ドイツ語の引用が増えてきて、読み飛ばす。クラシック音楽評はかなり本格的だ。普段会話するメンバーにウインフィルの演奏家が多いためだろうか。(彼女の夫はウインフィルのビオラ演奏者とマネージャー)レコード芸術誌などの書評よりも結構深い部分がある。内側から見たクラシック評というべきか。音楽源をディスクに頼る僕たちなんかはとても書けない視点がある。彼女のインド旅行記とは全く違った深さで、それで多分、こちらの本は売れ行きが良くないはず。と言うのは、小難しく知性を振りかざすのが鼻につくかも。
今日の夕食に、昨日作ったジャガイモレモンを少し変更し、ジャガイモ、イサキ(魚)、スダチのバター炒めに挑戦。これは、昨日よりも更によかった。白菜を間引きした15cm位の葉っぱをお浸しも。
9月28日(火曜日)
身体の隅々まで血管が通り、血は回っているのだろうが、どれくらいの頻度で血の入れ替えができているのだろう。今日はプール。2km1時間1分。往年のタイムはかろうじて維持。プールから上がると身体が軽く、しかも頭の回転がすごく良くなった感じ、言い換えると強烈なコーヒのカフェインで目覚めた感じ。澱んでいた血が循環されたのだろう。食事でもして帰ろうかと思ったが、あまりにも気分が良かったので、食材を買って帰った。今夕は、ジャガイモのレモン風。シメサバ、カリフラワーの胡麻ドレッシング、こんにゃくサラダ。とヘルシーで固めた。7月中旬から9月後半までの間、怪我とコロナ蔓延でプールを敬遠してたが今日から解禁、弛んだ身体を引き締めよう。コロナで生活習慣が一変したが、これだけは続けるつもり。
滋賀の友人に手紙を書いた、メールはない携帯電話はない人だ。手紙を書くには2時間ほどかかる。その内の1時間ほどは音楽評だ。毎回自作のCDを送ってくださるので、その評価だ。殆ど知らない演奏家でありながら、昔の人で有名な人物だ。YouTube であらかじめ予備知識を仕入れてからCDを聴く。CDは殆ど昔の録音で音が悪いので、あらかじめアンプの電源を入れて温めて、音がこなれて来てからとなる(かなり大袈裟な準備)ELACを聴き続け少しわかって来たのは、このスピーカーはかなり反応が良いという事。クラシックは良くないと評価したが、録音の良いものはそれなりの反応がある。ロックもかなり明確に良いのと悪いのとに分類できる。このスピーカーは手放しで音源をうまく再生してくれないのだ。バーブラストライサンド、ヒューイルイスなどはBGM用のスピーカーのようにかまぼこ型の音になってしまう。多分そのような録音だろう。AB型の人のように扱いの難しいスピーカーだ。
9月27日(月曜日)

朝の英語の時間に曽我さんが訪ねて来た。栗を一杯持って来てくれた。「まぁコーヒーでも飲みや」と台所へ。(昨日掃除しておいてよかった)。「身体が痛い、腰が痛い、それでオルソに行って、注射や整体マッサージを受け、その間に仕事をしている」僕は、「もうすることがない」そしたら、「野菜を作り、野菜を作ったら、そんな暇はないきに」そう言えば、僕は初めて自分で食べたい野菜がある事に気がついた、それは安納芋。これは、多分誰でもわかる旨さがある。これを目指してはどうか。曽我さんは芋の作り方についても教えてくれた。畝を高くすれば、細長い芋が出来る。農業はノウハウの塊みたなものだから、それぞれの作物について一冊本が書けるほどの蘊蓄がある。この年でそんなに多くは吸収できないが、少しづつ広げよう。英語を中断した価値があった。
昼から、赤野にある友人の畑の木こりに出かけた。暇だから、出来るだけ運動になる作業を選んだ。木こりは倒れる木がどんな挙動をするのか分からないので僕としては慎重に事を運んだつもりかなり大きな森になっているのでしばらくかかるが、どうして今しなければいけない理由はないから、気が向けばと言うことにしよう。ただ、切った木が道路を塞ぐので、それだけは慎重に進めなければならない。
下着のシャツは殆どが百円ショップで買った綿なしのアクリル製。汗を吸わないが、乾きも早い。農作業には最適だ。直ぐに穴が開くので、着れなくなったものは大事に旅行用として残していて、旅先で捨てながら荷物を軽くすることができるなど、されど100円ショップのシャツなのだ。しかし今日は、普通の綿のシャツだったので、汗をかいた後、帰る道すがら寒いの何の。もう朝晩は秋の気温になっいた。今度の台風一過でガクンと気温が落ちるだろう。
大阪のショウルームで常連のKさんが、僕の出勤日に併せて訪問してくれて、購入したばかりのCDを一緒に聞いて評価しあった。彼は月に10枚前後購入されていた。今では懐かしい思い出となった。そのKさんが好きそうなアーティスト/ユリアを今夕は再生した。女性ポップス歌手。2曲目にスカボロフェアが入っている。ゴム毬が弾けるような低音が控えめに入っている。全体の音もかまぼこ型で主張がなく凡庸、しかし耳をすませばユリアは歌を大事に歌っていることがわかる。そこをどう聞き取ってあげるか、中々含蓄のあるアルバム。今まではこの程度の音なら選外扱いだったが、ELACは一考させる粘りがある。
9月26日(日曜日)
「怖いきに、行きな、少し貰ったのがあるきに持っていっちゃう」僕がしんこを食べに中土佐町まで行くと話したとき、お寺の奥さんの弁。今高知では、メジカの子(しんこ)が上がっている。釣ってから3時間以内が勝負だと言われる魚。この間に料理して食べないと味が落ちる。漁期は9月末までの出漁できる時と条件が厳しい。そして火曜日から台風16号の影響で海が荒れるから、明日しかチャンスはない訳だ。怖いと言われる所以は、高知の西部では依然としてコロナが蔓延しているからだ。それで、これで我慢しろと言われた。全く異論はない。
その頂いた「しんこ」はうまいのなんの。今日は飲むまいと思っていたが、しんこも少しだったので、お酒も少しだけ飲んだ。極上。稲葉晃じゃないが、「♪これから秋です手紙を書きます・・・」高知の人出は「これから秋です、おいしい刺身が刺身を食べます」となるだろうな。絶好の季節が巡って来た。明日は安芸市の寺尾で刺身物色だなと決めた。
今日は親類の庭の草刈りと、我が柿の木の周りの草刈り。重労働じゃないが汗は出る。でも夏ほどではない。今日気がついたが、大量の汗は水気が多いのか臭いはあるがそれほどでもないが、今日のような中途半端な汗は臭いの何の。あまり服も濡れてないのでそのままスーパーに買い物に行った。コロナだから、距離が保たれていて迷惑じゃなかったろうなと判断。
9月25日(土曜日)

天候は今日まで持つと言うので、前西前東の草刈りを終えた。多分これでサトウキビ畑の草刈りは年内終了したのではないかな。サトウキビが大きく育ち、草が負けて生えなくなっている。周りの畦などはまだ必要かもしれないが。明日から大きな仕事がなくなる。家の片付けに着手かな。未だ遊びに出かけるには時期尚早かも知れない。
世間の人も変わっただろうが、変人である僕も普通のひとのようにコロナで変わった。例えば8月の食費16年=75,000円17年=98,000円18年=74,000円000円19年=84,000円20年=54,000円21年は52,000円。このようにきっちりと出ている。コロナ後、外食はほぼ皆無で、本や新聞を読みながら食べている。農作業に半日没頭し、時々映画を見て、夜は音楽に耳を傾ける。それで1日を楽しく回せるようにもなった。多分これからもこんな感じで過ぎていくものだと諦観するようになった。
夕食に手結港(5km西)でこの日挙がったサワラ。このもちもち感はここでしか味わえないもの。これに、ナスとキャベツを湯がいたものの上に、サバの干物を焼いて身を解したものを載せて三杯酢で頂く。友人から貰った赤ワインで。刺身にワインは合わない?いいえ全く問題ありません。
夜の音楽は、ショスタコ5番「革命」インバル指揮/フランクフルト。スネアドラムの小気味良い連打(たぶん行進を想定した)があまりにも気持ち良すぎる。名演と言われるだけあって感動する。本来なら、キチンとスーツを着て対峙しなければならない芸術。敬意が必須なのに、僕はぼろの運動着と下着のシャツでだらしの無い恰好で椅子に寝そべっている。実際毎晩、シンフォニーホールやブルーノートで聴ける以上の音楽に遭遇している、それも屈指の人の。ライブは、行き当たりばったりのアーティストと楽曲で、また違った魅力はあるが、純音楽に接すると言う面では、再生音楽は一枚上手のような気がする。ここまでくれば。
9月24日(金曜日)
今日は余りにも天候が良くて農作業は中止。高知市にある県立牧野植物園に出かけた。これは、母も習った牧野富太郎植物学者が、精魂かけて育てた植物園を県がお守り発展させている所。全国の植物園を訪問したが、恥ずかしくないレベル。レストランも良い。山の高台にあるので見晴らしも良い。僕が訪れるのに問題があるとすれば、自転車でもうこの山に登るのは難しい年齢になった事。30km漕いだ後の標高140mはキツイ。それで車で出かけた。LUMIXGF2に12mmLEICA、G9 Proに35-100mmのLUMIXレンズ、キャノンR5に70-300mmのDOレンズ。GF2だけが古いカメラだったが、明暗差の激しい場面以外ではなんとも言えない素晴らしい発色。LEICAレンズとはこう言う事だとその気品に(お値段も含む)納得。Canonは300mmをマクロのように使ったら、溶ろけるクローズアップが撮影できた。2時間楽しんだ後「土佐の里」に向かった。何か珍しいものはないかな?ところがぼんやりしていて一時停止線で交通巡査がいるのに、無視したら、呼ばれた。「しまった」と思ったが、ぼんやりしてたことが幸いし速度が遅く、許してもらった。こんな事もあるんだ。「ここはよく取り締まりをしているから、気をつけるように」と言われた。『ここは一停止をせず、事故が頻発しているので、気をつけるように』ではなくて。
「土佐の里」は一年前と比べるとなんだか色褪せた感じ。僕は3年後に厳しくなるだろうと昨年評価したが、当たらずしも遠からず。
帰って、アマゾンプライムで「ツモロー・ウォー」を見た。異星の人を食う怪獣と戦う物語。30年後の未来はこの怪獣で人類が滅亡する。それで、現代の人々がタイムマシンに乗って未来へ戦いに行くのだ。ツッコミは30年後も、怪獣と戦う武器がマシンガン。そしてマシンガンが余り効かない。相手は生物。何故マシンガンの弾でなく毒薬を使わない。再び物語は現在に戻って、その怪獣は未来に現れたのではなく、既に現在に到着している可能性がある。と言うので、調べるとロシアにその痕跡があった。その宇宙船に入って退治しようとする。何で最初から宇宙船全部を爆破しないのだろう?結局は爆破するが、その間に何人も仲間が亡くなった。話題の割に妙に詰めの甘い映画だった。
9月23日(木曜日)
NIKON/F4に装着した富士フィルムプロビアはISO400だった。前回土佐くろしお鉄道を撮影したときはISO100と誤った設定だったので、もう一度撮影し直した。所有のカメラでシャッターを押して一番気持ちの良い音がするのは、このNIKON/F4。高性能ライフルで撃ったように精密な音がする。連写はもっと気持ちがいいけど、フィルムが勿体なくて出来ない。
帰ってから西前の畑の草刈り。ここは狸の死骸があって、前回の草刈り時は腐臭が激しかったが、土に帰ると言うか事前に還るというか、バクテリアか、腐った肉でも食べるイノシシかだれかのご活躍で、今では主な骨しか残ってなかった。その骨を拾ってからの草刈り。繁茂した草の間から曼珠沙華が顔を出しているところは残した。柵からはみ出て倒れているサトウキビは根本から切り倒した。あと少しでここも完成する。
夜は、モーウィのサラダ。クックパッドではツナ缶推奨だが、鯖缶を使った、レモン汁は半分推奨を丸1個。砂糖は使用せず。結果は◎。だが、なぜツナ缶なのか完成してわかったのは、見た目が綺麗でない。その食卓にお寺さんがパンを持ってきてくれて、何を食べている?と聞かれたので説明した時に分かった。
夜はブルックナー5番/朝比奈隆のSACDシングルレイヤー盤。やや弦がごった煮風。スピーカーの所為か、録音かは不明。広大で荘厳な音楽を描くアントン・ブルックナー氏は意外と神経が細かったらしく、人の批評で直ぐスコアに手を入れて、幾つもの改定版がある、朝比奈氏は5番には原版を使った演奏だった。昼間の影響か81分の全曲を聞き終える前にダウン。
9月22日(水曜日)
確かに「マーフィーの法則」は存在する。例えば除草剤を散布した後では必ず雨が降る。それで今日の法則は、かなりの仕事量があるので、朝飯は納豆、しじみの佃煮、味噌汁、鯛の干物と、僕としてはかなりの量と豪華版。昼飯抜きで頑張るつもりだった。ところが、こういう時に限って師匠から食事に行こうとお誘いの電話がある、ダイワ・ロイヤル・ホテルのランチ。きっと量が多いだろうと案じると正にそれだった。でも久しぶりに、師匠ご夫妻、そがさんご夫妻が揃って、いつもの懇親会メンバーとなった。今年のサトウキビの収穫開始は11月20日と決まったと連絡を受けた(昨年は12月からで、今年にずれ込んで寒さでダメになった)。僕はこの日に備えて1000kgを用意するつもりだ。少なくとも11月に2000kgを出荷する。そんな予定を伝えた。師匠の近所では庭木の手入れをされてた方が転落して亡くなったと言う。高い所に登るのは気をつけねばと戒めた。2時に解散し、帰ってサトウキビ畑の草刈り。西上を完成させた。結構作業がキツかったので上手いこと腹が減って良かった。
昨晩までLPで最適カートリッジを探していて、205Cmk3に決定した。それまではmk4だった。今晩より、SACDを評価している。結構ダイナミックレンジが広いので、ピアノシモで音量設定するとffでビックリする音が出る時がある。音楽はマーラー交響曲3番/バレリー・ギルギエフ/ロンドンフィル。プレーヤーはSONYのBDプレーヤーBDP-S370、S💲304(¥19800)だったと思う。年末のバーゲンで買ってきた。どうしてもパル規格の映像を見たかったので購入。そして1昨年SACDにも対応し、HDMIなら信号が取り出せることがわかり、YAMAHAのAVプリCXA5200に接続しデコードしている、しかしいかんせんメカが¥198Kだから限界がある。それでも、CDとは違う彫りの深い音が出る。いつかは専用プレーヤーに登場願いたい。候補はマランツSA10。一方でベルリンフィルからのアルバムはBDオーディオ提供があったりして、この場合PanasonicのUB90で対応できる。今のままで静観するか、行動するか?悩みどころ。
9月21日(火曜日)
昨晩はあまりよく眠れなかった。思い起こすと、「四万十の美味しいお茶」飲んだのが理由かもしれない。夜の睡眠とカフェインは僕の中では随分と関係があるような気がする。今日は曇りのち雨だったが、快晴。曼珠沙華をキャノンR5で撮影した。それから墓掃除、普段も手入れしているので、最近生えてきた草を引くだけ。しきびを入れ替えて終了。それから西下のサトウキビの草刈り、台風14号で内部通路に枠からはみ出たサトウキビがぼつぼつ。草刈りを中断して、枠の追加、この作業は明日も続く。急を要する仕事では無いから、ゆっくりと。汗の量が減って、水も500mlで良くなった。
夕食は、クックパッドから、梅ごぼう。レシピ通りに作れなかったが、まずまずだった(梅干しに良いものを使うのがコツだと見た)。もう一品はキャベツ、こんにゃく、手羽を中心に、冷蔵庫の残りの野菜を入れて、圧力鍋で15分加熱。味付けは味噌(大さじ1杯)こちらも中々いけた。次回も同じ味を!と言うわけにはいかないし、それに出来上がりの色が悪いので、お客様には供せない。
夜は、LPでピンクフロイド/ファイナルカット。最後に残った3人組のピンクフロイド最終盤。プログレッシブ・ロックのジャンルに分類される。。70年代当時ピンクフロイドは注目のアーティストだった、そのプログレと言うのがいまいち理解できない当時も今も。ただ、ELACがやって来て、今まで聴いていたのをもう一度聴き直せば新たな解釈ができるのでは無いかと期待を込めて聴いてたが駄目。
9月20日(月曜日)
ボルトンの書籍英訳は、毎日2000文字を超える目標で先月より基準を高めた。1時間15分~30分。翻訳速度は一定で、時間を増やしただけ。そして翻訳ソフトにかけて検証すれば、誤訳もまだ多い。notがつけば否定。では、not とwithout(無しで)が重なった時、どう訳する、否定の否定は肯定か?まさか。こんな問答で時間を食っている。(基礎がない証拠です)
読書はスティーブン・キング「眠れる美女」に移った。もう少し味わって読んではどうか?と声もあるが(自分の声です)、文字は食事のように身体を通過して記憶の底に沈めるのがいいのかな、読み返して咀嚼し、記憶にとどめるのは好きじゃない。 (多分、間違っている)
もう一つの読みかけは、中谷美紀のオーストリア滞在記。こちらは、庭の手入れと旦那や子供の食事の世話の奮闘記で、女優としてはすごく頑張っていると思う。(僕ら農業専門から見れば、庭仕事は甘ちゃんの様だけど)
北欧サスペンスがWOWOWで始まった。「フォロー・ザ・マネー」これは風力発電会社エバーグリーンの工事で犠牲が出て、会社の管理を追求する刑事、エバーグリーンの内部で不正があるのを上手く収める社内弁護士、、エバーグリーンでは社長が外部から脅される話。車の整備士夫妻が家の購入の為に車の盗難アルバイトをする話(これだけが的外れの物語)4つの話がそれぞれ進んでいく。僕の頭では話がこんがらって、こう言う捻りのある物語はなかなか理解できない。ハリウッド映画のように、正義と悪がわかりやすくて老人には良い。
9月19日(日曜日)

キッパリと晴れ渡り、幾分涼しい。未だツクツクボウシは鳴き、曼珠沙華は満開で、我が家ではないが何処からともなく金木犀が漂ってきた。昼からはきまさごの溝上げ。ここは標高50m。丁度1億5000年前に氷河期が終わり海水面が60m程後退したと言われる通り、ここは浅瀬か波打ち際だったので、丸い石がゴロゴロしている。溝上げに混じる石も一緒に上げるので、石拾いも兼ねた作業だ。今日だけでもバケツ15杯分あった。畑の管理とは作物も植えるが、水はけや石除去なども小まめに手当てしてこそ管理と言える。家の周りに有望な土地があるのは大事にしなければならないと思った。5時キッパリに止めて、風呂焚き、買い物。今日の夕食は、白菜の納豆と昆布和えで、買い物にゆく前に仕込んで置いた。メインは鮭の西京焼き、長芋のすり下ろし。炭水化物は乾麺のうどんをパスタ風に炒めた薄切りの牛蒡を味付け乗せた。とややベジ食。因果関係は不明だが、ベジ食はよく眠れるようだ。
オリジンストーリーを読み終えた、人類の歴史を描いた一大絵巻のような大作だった。この本の根底を貫いているのは「エントロピー」つまりエネルギーが高いところから低いところに流れる基本に沿って話を綴る。宇宙の最後もこれに当てはまると締めくくった。結構重かった。
夜は、CDでキースジャレット/スタンダートコンサート。ベースのゲイリー・ピーコックが一際目立つ。LPでモーツァルトNo39/カールベーム。弦も丹精に描く、悪くはないが、耳をきわ立たせるような艶があるかと言えばそれはなく、正しく再現すれば、そんなものなくて良いのだよ、そんなDGの主張が見え隠れする。結論として、新しく導入したELACはどうやらジャズが得意。弦の艶はテクニクスM10に軍配が上がるようだ。
9月18日(土曜日)
昨日は身体を酷使することなどなかったのに、眠りが深くて、昨夜の吹き荒れた雨風を遠くで聞いたような感じだったが、結局朝まで目覚めなかった。起きて見回すと、折角築いた岸が又崩れていた。雨は多くなかっただろうが、南から吹き付ける風に乗って雨が岸に染み込んだのだろう。今は蛇の季節で寒くなってからの修復作業だ。
今日も買い物に出かけた、途中Sea Houseで食事。魚介類のぺぺロンチーノ、美味しかった。結構な量オリーブ・オイル使っていたし、塩辛かったが自分ではここまで踏み込んだ味付けはできないから、思い切って強烈な味を楽しんだ。食後のコーヒーを飲みながら、読みかけのを読んだ(オリジンストーリー/ディビット・クリスチャン)。この本は人間を語る本だが、その根源からつまりビッグバンから宇宙の誕生から始まる、太陽系、地球の誕生、生命の誕生、そしてホモ・サピエンス、農耕型社会、そして階級社会が出来上がると言う壮大な構想の本で難解。だがカフェインの力を借りて今日は一気に30ページも読み進んだ。
買い物はiPhone13ProMax256GBだ。9月24日に連絡があるのかどうか不明。結構もったいぶった対応。僕の見立てではこの機種は12ほどヒットしないだろう。そんなに強きになるなよ!と言いたいのだが。
帰ってきまさごの溝上げ。イノシシが一晩で溝を潰したが、僕は3日かけて修復する。
夜は、バイアンプ化。つまり、ELACのスピーカーはバイワイヤリングの端子が付いている、この短絡線を外し、低音側にはテクニクスA3mk2を接続し、高音側にはDENON PMA2500NEを接続するとても贅沢な方法だ。その結果何が起きたか?はずはHigh-Resolution Audioで試そう。
ベンチャーズ/ダイヤモンドヘッド(ノーキエドワーズ)はあのギターが歪んで独特の音を出しているのがわかったとか、松田聖子/ひまわりの丘は、残響音を一杯効かした弾むような歌声。オルフ/カルビナ・ブラーナ/オイゲン・ヨッフム指揮では100人くらいの歌声がキチンと分離して聞こえるとか、凄いことが起こった。ソースを変え、SACDでマーラー2番/ギルギエフ指揮、きちんと奥行きまで出てくる。金田一さんこれは事件ですぞ。と言う感じ。
9月17日(金曜日)
台風が来ると言うのに、嵐の前の静かさだ。午後、雨の来ない間にシキデンさんに行ってスピーカーの購入手続きを済ませた。店で開梱してラックスのプリメイン509で鳴らしてもらった。それまで、ダリのスピーカーが鳴っていたのに、急に大人しくなった。「えっ、ダリの方が大人しいはずなんだけど」「ダリは機種によって随分色が違う」と店の声。再び梱包してもらいELACのBS283BLACKは我が物となった。
購入記念に夕食は、わさび菜とトマトのサラダ。長芋と沢庵の鰹節和え。空心菜とベーコン炒め。と豪華版。空心菜炒めはシンガポールでレーマス君と食べた味が忘れられず何度か挑戦するが、あの味が出せない。勿論今回も失敗。それでも取り敢えず記念の食事会(一人ですが)。
風呂から上がって、スピーカー設定。椅子を退けて、三脚を立てマイクを設定し、音響特性を補正する。(今や耳で音の調整はしないのだ)。さてその音、CDでオスカーピーターソン/プリーズリクエストは高域が引っ込みシャリーンの音は出ない(元喫茶メグのオーナー寺島靖国がよく使う言い回し)。がっかり。LPでアートペッパー/イレブンは管の凄みが出てビックリ。溝の奥まで音を拾っているような感じさえする。ゾクゾク感がある。本来はエージングが必要だが、マルチでもあるし、音響補正があるので殆ど不要なくらい上手くおさまっている。問題は、ビクターのスピーカーの上に置いてあるから、地震で落下しないかと言うこと。明日は、これをバイアンプ化する。
9月16日(木曜日)
作業の急遽予定変更したと言うのは、急遽台風が予想を変更したからだ。四国にも影響が出てきそうだ。それで、山道の落ち葉の清掃、裏の畑に溝を掘って水を逃す作業を午後一杯使った。溝堀は主に耕運機の溝上げ機械を使うが、水が流れるように勾配を取るには、鍬を使い、タケの根は斧を使い、結構な重労働。太陽はなかったが大汗をかいた。この溝上げ機械は車輪の幅が狭く、最終畑から出る時バランスを崩し、機械と一緒に人間もひっくり返った。坂道だったので、僕の方は随分と下方に尻から飛ばされた。幸に怪我はなく安心した。かなり服装が重装備だったのもある。台風に備えた時に限って何もなく通り過ぎるジンクスがあるが、それはそれでいい。
WOWOWでドラマを放映しているが、「グッドドクター」「グレイズ・アナトミー」この2つはもうコロナ感染を扱っている。アメリカのこの反応の速さはやっぱり注目に値する。日本の株価が、経済的な理由もなく(実際は菅さん退陣)上昇し続けている。が、僕はすぐに急落すると思う。(何に於いても)反応の鈍い日本は経済がアメリカを出し抜いて成長するわけがない。
娘から向こうで保存していたネガが届いた。取り敢えず、スマホが我が家に普及するまでの記録が手元に集結した。毎日フィルム2本分だけ現像している。年内終結が目処だ。
9月15日(水曜日)
この所、夜が眠くてどうしようもなくなっている。昨日は、家からほとんど外出しなかったのに眠くて午後10時に寝て5時半に起床。それも深い眠り。身体のどこかが悪いと疲れやすいかもしれないが、ここまで眠れるとは?まっ、それは置いて眠い目でiPadを開き発表されたiPhoneの記事を読んだ。今度の機種は買いだ。それにしても20万円近くなる。併せてキャノンR3の記事も読んだ。2500万画素のプロ仕様だ。73万円。カメラの趣味が段々と遠くになってゆく(価格のため)。iPhoneのカメラの進化が、結局は一眼カメラをニッチな市場へと追いやる。一方で僕の目の能力では、10年前に買った一眼カメラで撮影した映像も、最近のカメラで撮影した映像も実際には差が見つけられないから、カメラは行き着く所まで行ったと見て良いかも(僕的には)。今や、持つことだけが楽しみの世界かも知れない。それに、少し支障が出始めているのは、LUMIX、NIKON、CANON、FIJIのカメラを所有しているが、メニュー画面が深くなって、思う通りに操作できにくくなってきているし、全メーカーのメニューを覚えきれなくなっている。カメラは持つ楽しみから、飾っておく楽しみへ昇華するしかないのかな?
昼からいっときの間雨が上がったので草刈りに出かけた。エンジン音が高いので、危険なことが起きても気が付かない場合があるので、少しは周りに気を配っている、そんな中、肩を叩かれ、ぎくっとした、振り返っても誰もいない。ホンの一瞬凍ったがすぐ溶けた。大粒の雨がやってきたのだ。雨が肩をたたいたのだ。頭全体は大きめの麦わら帽子と、防虫ネットで武装しているし、腕も、脚も、石が飛んでこないように厚めの衣類で包んでいるから、雨は後方しか当たらないためこんな事が起きた。しかしここまで来たら、向こうに行きついてから止めようと強行。そしたら雨はいつの間にかやんでいた。5時の明るさを勘ではかり帰ってきたら、5時15分だった。
毎日大汗をかいているから、体からもう臭いの成分も枯渇したのではと思うが、いやいやそんな事はありません、しっかりと臭い。風呂を沸かして汗を流した。何度も書くが、この疲れと汗の煩さと引き換えに、熱い風呂に入ると極楽とはこの事かと思わずにはいられません。
「読書と英語と農業と食事」を時間通りに回して1日が過ぎてゆく、実に正しい定年生活です。
9月14日(火曜日)
朝から雨、まるで梅雨時のような雨。これじゃ草刈りを強行するにはいささか厳しい。それで溜まっていた購読の書籍を自炊した。最近は難解な書籍が多いと感じているが、僕の読解力が落ちているかもしれない。メモに取って図解をしなければ理解できない時もある。それで読書速度が幾分か落ちている。だから自炊を急ぐこともなかったが机の上が一杯なのはどうも気分が悪いため。自炊(スキャナーで電子化する事)後は、新刊でも旧本でもキッパリと捨てるから片付くものの、少し勿体ない気もする。しかし、裁断した本をもう一度ノリで製本化する気力はない。また、次々と新しい本を購入しなくても、昔読んだ本もすっかり忘れているので、新刊のように読める実力が備わってきたから、もう書籍は買わなくてもいいわ、なんですが。先日放映されたWOWOWに「VHSを巻き戻せ」があった。映画がコレクションとして形で残る、懐古主義を取り上げたもの。今は配信で、自分のアイデンティティをどう表現するのか?精神が宙を舞うとあった。パッケージはみんなそんな運命を辿る。でも待て、僕のように一度観た、聴いた、読んだ作品が忘却の彼方に行ってしまい、手持ち在庫を回すだけでも、決して飢餓感はないとならないだろうか。いやいや集める事に価値があると僕は信じていたい。
夕刻雨の合間を見てEOS R5に10-22mmを装着して近所を散歩した。f=4.0でISO=320で撮影。本体にセンサー手振れ補正があって、1/8秒なら全くぶれなく精緻な写真が撮影できる。芸西村は大体撮り尽くしたので、この性能を他所で試してみたい浮ついた気持ちもある。
9月13日(月曜日)
雨模様のぐずついた天候。洗濯物にアイロンを当て、溜まっていた買い物レシートをエクセルに打ち込んだ。その結果食費は47,000円~54,000円/月の間を行ったり来たり。そんなに食えないし、そんなに良いものは食ってない事になる。どこかで美味しいものを。そんな好奇心はこの1年半途絶えている。でも、ベジタリアンじゃないが、ベジ食が定着してきたので外食に飢えているわけではなくなった。引き換えに硝酸カルシュウムのリスクに晒される。極論すれば、外食で野菜を減らして血管を細く血圧を上げるか、結石で痛い思いをするかの二者択一だ。
午後遅くから草刈り。混合ガソリンを使うが、昨年1年間で6,367円、今年は既に7,620円。約8リットル分多く使っている。昨年は新規にサトウキビを作付けしたので草刈りの頻度がどうしても高くならざるを得ないが、今年はグッと減るはずだが、8月10日以降の雨で、草が成長した。1週間位でゴム長を履いて入らないと危ない(まむしなど)ほどの背丈の草が繁茂している。昨年は9月に1度だけ草刈り、今年は8月末をカウントすればもう2回目。そして、サトウキビ畑の溝には、「水草」が一面の立ち込めている。本来なら、カラカラの土で枯れている筈。
夜はエネルギーがまだ残っていて、「間違いだらけのレンズ選びの本」(月刊カメラマンが廃刊になって、時々こうしたムック本が発売される)を読む。キャノンR5のボディで今までのFEレンズを使うにはマウントアダプターが有れば、AFも効く。手持ちのFEレンズにはAPS-C用のレンズがあってこれはEOS5Dmk3のFEマウントには装着できないが、R5にFEマウントアダプターをつければ使用が可能となる記事が数行掲載されていた。それで早速装着すると動くではないか。何と!R5はフルサイズなので、手持ちの画角10-22mレンズはそのままの大きさで写る。EOS20Dでは18mmに換算されるから、随分と広い。明日早速実写だ。
9月12日(日曜日)
午前3時ごろの大雨で目が覚めた。ちょっと尋常でない雨の降りかただ。小学生の頃は大雨が降ると楽しくて、裸足で家から飛び出していた。今振り返ると、あの頃の雨は今と比べると甘ちゃんだったからできたこと。今の雨は目が開けられないとか、庭に置いた甕を満水に出来ないとかの降りかただ(滴下の勢いで水が飛び出る)。昨年よりも今年は酷い。地球の天候はそんなに急激に変化するものではないと思うが、明らかに昨年と比べると変化が分かる。この前の土砂崩れ対策に、芝のタネを貼ってくれた、雨の度にここから種が流れて壁面の土砂に根を張ると言う。でもこの降りかたでは種も流してしまうのじゃないか?と心配。ほぼ一日中雨が降っていたが、小降りになった午後3時半、草刈りに出た。草を刈って刈って土のむき出しまで進むと、泥を跳ね自分に飛び散るので、草は少し残す程度の刈り方をした。家から見える場所なので、ボウボウの草が坊主になると、自然を手中に収めたような感じで気持ちが良い。風呂を焚いて汗を流し夕食の買い物。すこし離れた香南市のA-MAXへ。キッコーマンの豆乳278円(芸西のスーパー)が146円で買える、これだけでも、ここまで買い出しに来る意味がある。道中は、ウィーンフィルのニューイヤー・コンサート特集のアルバム27枚セットを順番に聞いている。このアルバムは、年代ごととか、指揮者毎とかの区分で分けてなく、その筋の人たちが満足する分類法で1枚のCDにまとめられている(私には意味不明)。車にセットしっぱなしで、音楽が耳がつきだしたらCD交換。記憶力が悪くなっているので、毎回新鮮に聞こえる。
9月11日(土曜日)
インド紀行/中谷美紀を読んでいる。中谷美紀を知らなかった。テレビも邦画も見ない私は芸能音痴。その女優が旅行記を書いている。しっかりとした文体でしかもガイドさんやホテルの支配人、料理人など結構な会話が凝縮され、しかもインド宗教の神に対する取材が細かい。斉藤由貴の旅行記も見たが、格違い(彼女はスケッチと詩)。これは中谷が英語を話すからだろう。インドではカーストのどのクラスからかは知らないが英語を話すから、結構入り込めるのだ。彼女は現地ガイドさんを雇っての旅行だが、これは英語でのやり取りだろう。僕の人生では楽しい事をしてきた筈だが、今振り返ると、それは半分しか楽しんでないのでは?とも思ってみたりする。世界の言語がほぼ英語に集約されつつある中で、楽しみは圧倒的にそちらの方が厚いのだ。エスカルゴが美味いとか、キャビアでウォッカを流し込むとか知識はあった。でも、実際フランスやロシアに行って、話を聞きながら食べるあるいは飲むのとは大きな感動の違いがあるのだろうな。この本はそんな自己反省を促すほど、楽しい事を綴ってある。それに僕も行った事のある、コチのタージ・ホテルについての記述もあった。彼女は毎日のカレーとココナツミルクの味に辟易して、ここでタイ料理を注文している。僕は、ココナツ・ミルクタップリのカレー三昧で喜んでいた。料理人に料理を聞いたが、断片しか分からず、ベジとノンベジの境を感で聞き分け、選択した記憶がある(ビュフェ形式)。もっと語学があれば、材料や調理を聞けたのにとその時でも思っていた。
自分が歩いた道を中谷も辿ったのは偶然の一致か、もしくは南インドを回る定番だったのかもしれない、また、写真集(街の風景や車や人)が僕の撮影した写真とよく似ているのは、僕の訪問時と彼女の訪問時が同じころの2008年前後だったため懐かしさもあった。
午後、フィルムカメラとの比較のため、土佐くろしお鉄道の写真を撮りに行った。
9月10日(金曜日)
結論から言うと、随分と体力が落ちてきたな。普段は、午後2時からのスタートなのに、今日は午後1時から始めた。先ずはニコンフィルムカメラF4に、フジの「プロビア」(発色が綺麗なリバーサル)を入れて芸西村の琴ヶ浜が一望できる赤野へ行って撮影。比較用カメラはLUMIXG9Pro。帰って、西上の畑の草刈り。ここはお寺さん夫妻が芋を植え、それがビギナーズラックでプロ顔負けの生育。時々見に来るから、その畑に上がる道中も草刈り。そこで、スズメバチの大群に襲われた。直径20cmの巣があったのだ。幸い、僕は草刈り対策で顔や身体をすっかり覆っていたから刺されなかった。直ぐに引き返し、3mのパイプとキンチョールを持って逆襲した。パイプの先は、勿論巣の入り口に固定し、キンチョールを吹き込んだ。蜂も驚いただろうな、次にスプレーペンキを使って、蜂に色を付けようとしたが、キンチョールと違い噴出圧が弱く、パイプの先から噴き出てこなかった。それから、目的の草刈りに専念。怪我の影響で40日ぶりとなって、しかも8月の大雨をくぐり抜けたから、大木に成長。もう紐では役立たず、円盤のノコギリ刃で刈った。これは切断された草の全重量が刃にのしかかり、それを左端まで一緒に運ぶから重いのなんの。汗が噴き出る。その点紐の草刈りは草が木っ端微塵なので楽だが、中々大きな草は切れないし、微塵の粉が飛んで来る欠点がある。そうして1日の仕事をやり終えた。風呂を沸かし、ぬるま湯から入ると、今日もよく頑張ったと感慨が湧いて来る、至福の時を迎えるのだ。この悦びを僕は「金」と評価。風呂から上がり、キュウリとオクラチリメンジャコで作った簡単なおつまみで先ずはビール。単純だが、空腹と口渇感が最大の調味料。飲み終わり一呼吸置いて、メインディッシュの調理と食事。
もうその頃から、睡魔がやってきて、しばし居眠りの後、布団に入ったのが20:30だった。
9月9日(木曜日)

人類の進化が病を生んだ/ジェレミー・テイラーを読み終えた。この本は文字が小さく行間に一杯文字が詰まっていて、9.7インチのiPadでは文字が小さすぎて読めない、改めて12.9インチのiPad
Proにインストールし直して読んだ。まずは艱難突破。しかし中身が生物、宇宙、遺伝子など多義にわたり難題。理解不足の内容の一つは現在の清潔感が、人間の内部で共存していた菌、ウイルス、寄生虫を駆逐し、新たな病気を呼んだ。花粉症なんかが該当。次は、主に疾患と人間(生物)の生い立ち(700万年)の関係で、最新の治療方針を幾つか案内してある。その解説はとても一般知識では無理、医者でも研究医でなければと言う感じだ。読み返して理解を深めたいとはとても思えない本だった。アスピリンが癌の治療薬にとても良い効果を発揮するが、薬剤メーカーも医者も使いらがない部分はよく分かった。
午後は先ず軽トラの修理。昨晩からブレーキランプが点灯しっぱなし。夜は一先ずヒューズを抜いて対処。次に竹垣刈り、水2リットと引き換えで終えた。庭木も手入れしたので、気持ち良くなった。家が片付いているとホント気持ち良い。夕刻お寺さんが来て綺麗に刈ったねと。昨年分の余った蜜を持って帰った。
毎夜10時半に寝て6時起床を続けて、夜やっと普通の睡魔レベルに落ち着いて、音楽が聴ける余裕ができた。
9月7日(火曜日)
今日は起き上がれないほど疲れていた。目覚めたのは6:45分だった。さりとて昨日の作業は大業なものでもなく、しかも夜は10時まで必死に耐えてダウンしたから睡眠時間はたっぷりあった筈だが、なんでだろう?一つだけ考えられるのは、夕食が野菜と豆腐だけのベジタリアン食になっていた。やっぱり肉を食わないと疲れは取れないのかな?確かではないが。疲れは警告みたいなものだから気をつけよう。それで体力温存のため今日の午後は、久しぶりに高知のオーディオ店に行った。行ってLPでも買おうと、竹垣刈りは急ぐ必要はないし。昼飯は外食でマクドの店内は3組。ドライブスルーは行列だった。マンハッタンでは1100円もするビッグマックを600円で注文した。ドイツのオーディオ専門店で、言語が何処まで通用するのか試すつもりのエラックスピーカーの購入は、コロナで断念せざるを得ない。先行きも目処が立たないので、この店で購入することにした。ドイツの店の価格と同価格にしてもらった。1499€で。
今の中高域はSBX01。全く文句ありません。ロック、室内楽、ピアノトリオ満足ですが、たまには外食もしたくなるのと同じで、趣向を変えたい。今は、①元々のホーンスピーカー(余りにも良過ぎて勿体ない)②SBM01(弦が綺麗)と本機の3つで回している。果たして4つ目は凶か吉か。もう一つ期待しているのは、余っているアンプでバイアンプ接続を試す事だ。このエラックはバイワイヤーリングが凄く良いとHiVi誌で山本浩二氏のお勧めがあったので、それではもう一つ上のクラスで挑戦しようとの思惑だ。
9月6日(月曜日)
作業量を減らしているのに夜が眠い、遅くまで起きていられないというか、殆ど食事の後は何にも出来ない。モズの高鳴きがあって、ツクツク法師の鳴き声も少し弱くなって、曼珠沙華が所々に咲き始め、いよいよ秋がやって来た。入河内の柚子農家から、今年も来てくれるか?と確認の電話があった。OKの返事を送った。英語と読書の日課のお勤めの先行きが見えないが。
野球の一流のバッターは球が止まって見えると言うが、ぼくも、時々ボルトン翻訳の中、パソコンで本文を読み上げてもらうと、偉いゆっくりと喋るなぁと聞こえることがある。203ページを訳した成果だろうか。ワクチンでコロナ予防とはならない現実が見えてきて、海外旅行もまだまだ先の事だろうが、僕の体力が続く内に旅行が出来ると期待を込めて続けている。せめて本が辞書なしで読める、もしくは映画が字幕なしで楽しめるどちらかが目標だ。
竹垣の手入れは高所で梯子が時々ずれるので危なくてしょうがない。怪我続きなので、少し速度を落として慎重に進めた。聞くところによれば、祖父はこの竹垣の上に座って刈ったそうだ。僕はとてもできないし、そんなに綺麗に刈れない、ましてや、その祖父の年齢を超えているのだ。ただただ、だらしがないようにするとか、家に覆い被さらないようの実利だけ。
懸案のサボテンを切った。あまりにも成長しすぎて門燈の光を遮るようになっていた。はしごをかけて伐採し、裏の竹やぶに捨てた。なんとこの作業に1時間。サボテンは一枚の葉(というか果肉)に水を一杯含んでいて、運ぶのに重いの何の。次に金木犀。庭木は僕の背丈を超えてはならない規律を設けたので、とびぬけた部分を伐採。そして残るは、この作業のメインイベント竹垣の手入れ。電気のバリカンでまずは裾刈りをして上方ははしごをかけての作業。今日は1/4程終えた、最後の最後に電気のコードをバリカンでカットしてしまった。
夕刻5時まで誰とも話さず、風呂に入って汗を流した後夕食の買い物に出かけ、その時道行く人に挨拶したのみ。万全のコロナ対策だ。
夕食後もう一度入浴。疲れた身体には熱いお湯がものすごく気持ちよい。坂道を下るマウンテンバイクに乗った感覚だ(わかりにくい表現)。
9月5日(日曜日)
いったんフィルムのデジタル化は終了宣言を出したが、廊下の本棚の上に更に倍以上のフィルムが残っているのが判明した。僕の元奥さんが子供たちを撮影したものだ。これはさらにランダムに放り込まれてあるので、実際どのくらいの量があるのか不明。それに、先月スキャンした写真はまだ現像してないため、フォトショップエレメントでの作業が必要だ。現像後、「日付_被写体の説明」でフォルダーを作成しその中に現像したJPEGが残る。これはトリミングも含めて結構時間を食った。写真教室に行ったことのない人は構図はともかく水平度が出てない写真が多い、また、スキャンする際にフィルムが傾いているのもあって、水平角度補正が必要だし、最初にこうした作業の後、フィルムの不要な部分をカットしなければ、現像時正確な色が出ない。また、自動レベル補正、自動カラー補正、ブレ防止等の補正も必要。主にMacのショートカットキーを使って作業を進めるが、それでも時間を食う。
モズの高鳴きが、青空に響き渡り、まだ大汗をかく夏の気温だが、秋の気配が忍び寄る。曼珠沙華は芸西村でも咲いた。文旦の下草刈りでの場所でも咲いていて、もう直ぐツクツクボウシが鳴きやむと秋到来だ。夜は、「あかくち」と呼ばれるバッタが鳴き始めた。結構大きな鳴き声で、止むと周りの小さな虫が聞こえてきだす。「あれすずむしも なきだしてリンリンリンリン リインリン♪」実際はリィ~ンリィ~ンと鳴く。「あきのよながを なきとおす♪」実際は、午後11時くらいになると、虫の多くは鳴きやむ。文部省唱歌「むしのこえ」は間違った描写をしているようです。
今日で文旦の下草刈りは完成。そして手入れの割に文旦は不作だ。また、新芽のほとんどが虫に食われ、実がついてない。来年はこの対策も必要だ。これで遠くの草刈りは終了し、明日からは家の周り。雨とケガで夏の1カ月の休養が、草の成長を許してしまった。
9月4日(土曜日)

又も静岡の知人から無理をするな、適当に生きろケセラセラと。多くの人から注意を受けるので、やっぱり正しいことだろう。では、一体なぜ聞き入れないのだろう?考えてみるのに、行動を制限する理由が見当たらないのだ。今日のように晴れると出かけたくてウズウズしている。パワーがあり余っているのだ。そしてあの草の成長を見れば丁寧に根絶してやろうと闘志がひしひしと湧く。そんな状況ではブレーキが踏みにくいし、いざ走ると中途半端は許せなくなる。かくなる上は、行動範囲を減らすべきだろう。そうすれば何もしない日ができてしまうか、軽くなる。などなど考えているうちに、南半分の文旦の畑に隣接するおばさんが挨拶に来て、草刈機の石が飛んでくると言われた、息子さんが言っているらしい。「よく分かりました」と返事をした後、そうなんだ、ここを減らせば良い。と結論づけた。足を怪我するまでは午後1-5時の農作業だったのを、午後2-5時に改めているが、普段はもう少し短縮できるかもしれない。11-1月のサトウキビシーズンを除いては。
9月3日(金曜日)
菅さん続投しないと報道。人の顔には、地位に応じた顔がある。僕は菅さんがどう見ても首相の顔でないと思っていたが、やはりそうなったか。彼は肩の荷が降りたと内心喜んでいるだろう。G7の会議では浮いていたし、きっと惨めな思いをしたはず。菅さんよりフォン・デア・ライエンEU委員長がもっと目立っていた。
今日は雨、大日様の清掃日でみんな集まったが、僕が事前に行ったので、うるさなく喜ばれた。清掃は直ぐに終わり、文旦の草刈りに出かけた。老人の身体はきつい運動は無理だが、全く負荷の無いのも困る。毎日一定の負荷が必要。普段雨天はプールだったが、このコロナ禍ではためらいがあって控えている。それで、雨天でも草刈り断行。足の怪我で、しばらく遠のいていたので、立派な草が覆っていた。文旦畑は広大で北半分と南半分を分けて作業している。南半分は怪我の後半ゆっくり手当てした。が北半分手付かずだった。今日の作業では片付かず明日に持ち越し。夕食時、フィリップボードで幻冬社の書籍がKindleで半額セール案内された。早速、中谷美紀のオーストリアとインド旅行記/南部を買った。僕もインド旅行記は2冊書いたが、観光地訪問ではないので、ほかの人が読むと退屈なはず(僕としては傑作のつもりだが)。プロの作品を参考に、次号頑張ろう。インド旅行記は後3巻くらい執筆予定だ。
滋賀の友人から手紙が来た。この所毎週の頻度。文面が悲劇の自慢し合いの様相を帯びてきた。まぁ年取ると、身体の自由が効かず、怪我が多くなるので、ネタに事欠かないのも有りますが。
9月2日(木曜日)
国民の命を守ると言う菅さんは、アフガンで協力してくれた人たちの命は蔑ろにした。日本人1人を救出すために2台の飛行機を飛ばした。それも各国よりも1週間遅れた。バイデンとあれだけ親しく会話したのなら、アフガンの情報をもっと貰えたはず、それをしなかったのは、外交に弱いのだろう。マクロンがいち早く動いたので、彼に電話で聞けばよかったかも。安倍さんならきっとそうした。
スバルはROEが10%以上も悪化と記事、増産設備に販売が追いついてないのが原因と酷評された。何台作っても足りないと強気の発言があったのは2016年ごろだったかな?いずれこの会社はおかしくなると思っていた、それから検査体制で躓き、販売は急激に落ちた。この時代に品不足を強みに経営できるはずがないと思っていたが。
今日は草刈りは一段落ついたので、家の周りの草刈りや大日様の草刈りを行った。先日土砂崩れがあった北側の窓と網戸を洗った。網戸は高圧洗浄機を使うと綺麗に落ちた。余った時間で、ビニールハウスの廃材を片付けた。作業は細切れだが半日みっちり働いた。夜は、LIFE3.0を読み上げた。この本の難解な点は、生物学、物理学、AIの3つの最先端に、哲学が加わるものだった。サインカーブのように、よくわかる波と全く理解できない波とが交互にやってくる。出来るだけ要約ベースで読んでいこうとした。1週間と少しを要した。この本はAIが人間の意識を超える日が近いので、今のうちにAIへの条件を決めておこうと言うのが骨子だった。これに対して、現在どこまで研究が進んでいるのか3つの分野で説明してくれる。説明に余裕のある時は、その分野の歴史なども触れる。2~3回読み直し理解をする書籍でもあった。電子本なので、メモや引用はしまくった。食事時iPadで読み、寝ながらKindleで読み、メモは共有できるので便利。
誰か著名な人が、電子本は落書きができないので不便と言ったが、紙よりは絶対にこちらが落書きが自由だし、落書きのみを取り出すこともできるし、マーカー部のみの取り出しも可能。英文は単語単位で辞書が開く。多分あの著名人は電子本の使い方を知らないことを新聞で暴露した結果となった。
9月1日(水曜日)

西川クリニック泌尿器科で尿管結石の石の分析をお願いしてたのをすっかり忘れて、今日の受診となった。結果「シュウ酸カルシウム」で、一般的な結石の「石」。それでネット検索すれば、「紅茶、椎茸、生ほうれん草」が良くない。そしてそれは、この一年積極的に食べてきたものばかり。これにビールが重なれば鬼に金棒だ。結石は体質でも何でもなく、食べ物の影響だった。なんともはや。療法は水を飲みましょう。薬は不要ですと。
昼1は昨日刈った田をトラクターで叩いた。もう一日早ければ草がパリパリに枯れたのだが残念。昼2は上の病院、せっかく街に出たので、BOOKOFFで書籍購入。読書は紙と電子書籍で新旧を回しているので、半分の巻数は紙が必要。今回は、宇宙が始まる前に何があったのか/ローレンス・クラウス。ゾウがすすり泣く時/ジェフリー・マッソン。ワーク・シフト/リンダ・クラットン。眠れぬ美女たち/スティーブン・キング。いずれも、僕が眠れそうにもない魅力の著書。こんなてんこ盛りの生活をしてて良いのだろうか?後ろめたい気になる。週末は雨予定だからスキャンしてiPadに取り込もう。書籍シフト生活が明確になったのでWOWOWの契約を停止しようと思っている。
8月31日(火曜日)
8月の総括は、読書7冊。8冊に届かない理由は今読んでいるLIFE3.0がものすごく難解で、1週間を使っても読みきれない。
ボルトンの英訳は1日当たり1829文字で先月より微増。ただし、バイデンのアフガン撤退に際し、英文記事が掲載されたので、こちら計算すると一日で@2300文字。少し進歩かな。今日から訳後、原文をPCで読んでもらい、ヒアリングも強化する項目を取り入れた。Word2013にこの機能が備わっていたのを今日発見。
父が撮影し、我が家に残っていた膨大なネガフィルムをニコンD850でフルサイズスキャン。トリミング後でも4000万画素をキープし、データーは後世でも文句ない精度。全スキャンを完了した。
台風9号でやや斜めになったサトウキビを頂いたビニールハウスの廃材を使って修正、完了。
8月10日からの第二梅雨到来で家の裏が崩れる。議員さんに頼ると土砂だけ処理。
最後に足指のケガが8月14日で完治した。今年の8月はいろいろとあった。
8月30日(月曜日)
ネガフィルムのスキャナーは随分と進み、多分明日完成する筈。取り込んだJPEGの現像は後回し、他に大量の写真がある。これはPFUのスキャナーで取り込む。ネガに比べて再現性は劣る。他に娘に頼んで向こうで保管中のネガフィルムを送ってもらい、合算すると、子供たちのアルバムはデータだけど完成する。それ以降のスマホのデジタルカメラ分は各自に任せるのは当然だろう。
昼から、沖の田の草刈り。今日は村内放送で熱中症の注意を始めて行った。ここの所、コロナ蔓延で注意の放送ばかりだったが今日は違った。それほど暑かった。70×30m田の草刈りを1列半、これで休憩。車の中でエアコンを効かせてガンガンに冷やし(汗で濡れているからよく冷える)我慢ができなくなったら、再び草刈り。3回繰り返して終了の5時がやってきた。今日も2リットル。その間尿は出なかった。汗の気化熱で身体を冷やすにも限界があるのが分かった。帰って入浴、買い物、夕食。
読書。LIFE3.0。この数値の意味は、1.0=ダウインの法則による遺伝子の進化(ゆっくりとした変化)。2.01=医療やAIによる人間能力の補佐(急激な変化)。3=知能や身体的改造による、スーパー人間。もしくは、Aiによるロボット社会の実現(爆発的な変化)。現在のありとあらゆる科学/化学/遺伝子/原子レベルのテクノロジーを総合的に、しかもある程度わかりやすくして網羅、現状と未来を描く壮大絵巻。ユバル・ノアが幼く見える程。中にはサラ・コナー(T2の)も登場するページもあるが、わかりやすくしても半分理解不能だ、方向のみ理解するところもある。この本は月末ダッシュに適さない難解書だった。
8月29日(日曜日)
今日もきっぱりと晴天。気分は昨日と同じ、自転車でどこかに出かけたいが、農作業も後が詰まっている。何とかして今日中にきまさごのサトウキビ柵の完成を目指さなければと頑張った。サトウキビの在来種は僕の根性のように真っ直ぐでなく、畝の上に芽を出してくれない。畝から斜め方向の溝の上に伸びている。これに対し畝の上にある碁盤の目の柵からのはみ出して、先の台風で斜めに倒れ掛かっていた。それで溝の上に、更に策を追加して、斜めに伸びたサトウキビに修正を加える作業だ。汗が噴き出る。湿度は低く、気化熱で身体が冷える、それでも汗は出る。今日も2ℓを飲み干した。身体の中に溜まった滓のようなものが抜けたような感じがする。調子が良い。特に最近調子が良いのは、尿酸値対策の献立によるものか。もっと早く対策を実施すべきだった。しかしやばいのは、この調子の良さに便乗してやり過ぎて、また、怪我などをするのではないかとの懸念。まだ足の痛みは残っているので、注意散漫にはならないと思うが、これが消える頃は気を引き締めたほうが良い。
アフガンの記事を読んで、アメリカ人らしいなぁと思ったのは、バーグラム空軍基地の撤退に際し、冷凍庫には大量の食糧、娯楽設備などほとんどの物を残して行ったと書かれてある。そこに足を踏み入れた貧困にあえいでいるアフガン人は、この裕福な暮らしを見て果たしてどんな感想を抱くだろうか。その辺りに配慮しないアメリカ人の大雑把さが、結局は憎しみを増幅させているのに、なぜ気がつかないのだろうかと思った次第。
8月28日(土曜日)
毎夜毎夜左腕の血管が膨れて皮膚が盛り上がり心臓の鼓動と共にピクピクする。手の付け根で脈拍を取るが、それが腕の丁度真ん中位でそれが起きる。静脈の右側で、どうもその下を通る動脈の鼓動らしい、もしかして動脈瘤で血管が塞がり、ピクピクが表に出てきているんではないかと心配になって、村の診療所を尋ねた。やばいなら紹介状を書いてもらおうと。すると先生は、多分何ともありませんし、行くのだったら安芸病院の血管外科を尋ねなさい。紹介状は不要ですと言われた。急ぐ状況ではないとも。それで気分を良くして、このままじゃ収まらないし、酒を飲んで分かち合う友もいないし、今はそんなときでもない。それでこの高揚した気分を収めるには、自転車しかないと、昼食後「モネの里」に向かった。ここから東へ34km、ちなみに高知市の播磨屋橋32km。晴天で気分は良く、快適に飛ばしたが、2時間半。56歳の力が余っている時と比べて30分多い。そんなもんだ。レストランでビール。美味い。格別な味。園内はもう曼珠沙華が咲いていた。係員に聞けば今年は少し早いと言う。ツクツク帽子の蝉時雨の中散歩した。帰り道、大学生のツーリンググループにあっさりと抜かれた。①若い②自転車のタイヤが細い③練習が足りている。それに比べ当方は、①70歳前②マウンテンバイクでタイヤが太い③1年ぶりのツーリング④酒を飲んでいる、と条件は7倍も悪い。それでも暗くなってはと頑張ったら買い物をしても2時間で帰ってきた。何のことはない、行きは向かい風で、帰りは無風だった。体力と言うか、ボブ・ディランの歌のように「風まかせ」だった。
8月27日(金曜日)
我が家の土砂崩れは近所の岡村土木が請け負うかと思いきや、違った。村内だが和食の業者さんだった。その棟梁がやってきた。同級生のH君だ。すっかり変わって昔の面影はない。話を聞けば僕の知っている同級生で一番良い人生を歩んでいるようだ。息子3人は、それぞれ村内で仕事をして上手く回しているみたい。すごくおおらかな感じの棟梁だった。いつか飯を食おうと誘ってくれた。いいね。同級生に会うといつも襟をたださないと思う。ズルズルと自分の型にのめり込んでいってしまってだらしなくなっている修正だ。車庫の倉庫も一杯だし、農業資材を置いてあった小屋もぐちゃぐちゃだし、いつかは整理するではダメだと言う事だ。それで午後は先ず墓参り。先日の大雨で道が塞がっている。その整備から始めた。とどめに大雨の影響は草の他に「竹」も大きく成長させて道に新芽を出している(一般的な孟宗竹は春のだが、直径2cmの土用竹は春と秋に筍が出てくる)雨後の筍宜しく酷いもんだ。取り敢えず切り拓いたが明日は除草剤退治が必要だろう。結構これに時間を要して今日のメイン(サトウキビの柵)には届かず、余った中途半端な時間で浜の松葉を拾いに行った。米袋一杯で2ヶ月の風呂の焚き付けに使える。今日はことの他「暑く」、体にこもった熱が中々抜けなかった。汗で身体が冷える限界を越していたようだった。
大量の水は汗となって蒸発せず、ただただ流れ落ちて靴の中に溜まり、歩くとジュクジュクと靴が鳴った。
8月26日(木曜日)
土砂崩れは議員さんにお願いすると、土砂だけでも取り除きましょうと妥協策が出て来た。ただユンボを上げてくる通行を、先日の草刈りで石が飛んでくるクレームをされた方が、家の前を通ってもらっては困ると拒否され、機械が使えず手作業で土砂を取り除く事になった。大人4人が交代で土砂を掘り起こし、一輪車に載せる、それを横のみかん畑に捨てる。昼からの作業だが夕刻までに殆ど取り除かれた。この作業のためにエアコンの室外機2台が邪魔で農協の電気部に相談に行ったが、けんもほろほろの対応。仕方なく家に帰りインターネットで方法を調べれば、僕にもできそうだった。僕は少々お金が高くても、地元に貢献と農協を贔屓にしてたが、やっぱりねと、少し考えた。自分で出来ることは自分でやろう。夕刻近所の友人を訪ねて消息を聞けば、コロナで収入源の「貝教室」が閉鎖となり、商売は終わった。オクラの仕事も、この雨でオクラ不振で仕事はない。一方で、首のヘルニアが出て手が痺れているとの事。高血圧もやってきて薬のお世話になっている、急に老いが来たと嘆いていた。Me
tooと伝える。友人の高血圧は明らかに食事のせいだと思う、コンビニでビールのお惣菜を買って夕食だし、朝は菓子パン、昼はラーメン。これではどんな健康な人でも、何がしの疾病は来るだろう。注意しても実践しないだろうけど。僕も食事にはかなり注意を払っているつもり、それでも好みが偏る。一人暮らしの誤謬の罠に陥るのだ。
8月25日(水曜日)
高知県で感染者111人の新記録。連日の役場からの放送。僕としては何にも変えることはない。書籍の購入に出かけたが、人との会話はない。後は黙々と農作業。夏の太陽が戻って汗をいっぱいかいて水を2リットル飲み、つくつく法師を聞く。風呂を焚いて入る。今日の風呂はガンガン薪をくべて、ぬるま湯から水を足しながら入った。身体が冷える頃に満水となって水を止めると、冷えた体がじわじわと温まってきた、茹で上がる前に上がった。思い切り動いて飯を腹一杯食って夜には音楽を聴く極上のパターン。いつまでこんな事を続けられるのだろうか。今夕はモーツァルトのセレナーデ。1975年頃、高松の兵庫町商店街で買ったLP。当時は、作家であり、音楽マニアであった五味康祐氏に影響を受けていた頃で、推薦のレコードを買った。買うまではどんな音楽か不明。それが当時の常識。今では考えられない。しかも買ったなりあまり聴かずこのアルバムの良さは分からなかった。今、当時とは比べ物にならないシステムで再生し、ファゴットの素晴らしさに酔う。これを五味氏は指摘したのだろうか。彼のスピーカーはタンノイ。僕のはコーン型のリニアフェイズ、そん色はない、きちんと奥行きが出ていて、クラシック音楽もこなせているようだ。
8月24日(火曜日)
疲れが残り朝食後再び寝てたら、曽我さんが起こしに来てくれて、久しぶりの食事会のお誘い。今日はローソンで四万十豚の弁当(期間限定をTV放映)を購入、昼飯にと計画してたが冷蔵庫で保存し、久しぶりの三人で近況を交換。明らかに昨年と比べ、行動力が落ちている会話が多い。この店は、あまり美味しくないし、コーヒーも不味いが、他にお客様が来ないのでマスクなしで長い食事会ができるメリットがある。昼から雨予想だったが、晴れたので、少し時間を短縮して解散。僕は、やりかけの草刈り、再び住人が出てきてパネルを立てても石が飛んでくるとクレーム。壁を塗り直すのでお金を払うようにと捨て台詞で家の中に消えた。役場からは、土砂崩れの対応はできない返答、家の前の草刈り、妙に死骸の臭がするので探していると大型の狸か、子供の猪かどちらかが溝に横たわってほぼ白骨化、死肉はウジが貪っていた。死臭は1週間位前からだったので、来月いっぱいで消えるかも、それからの処理だ。まぁ毎日色々ありまんなぁ。この分だと、今年の後半はとんでもない事が起こりそうで要注意だ。夜は久しぶりに高級な方のプレーヤにカートリッジ305MCmk2でストラビンスキー春の祭典/ショルティの名録盤を聴く。46cmのウーハーが頑張って揺れていましたね。もう一枚ウエン・ショーター/Night Dreamer。ブルーノートでの初のリーダー作だが妙に廃頽的。何もかもうまく行かない私にピッタリの音楽かもしれない。
8月23日(月曜日)
今日は高知の友人が来たし、役場は土砂崩れの現場を見に来てくれた。どう言う判断を下すのか?昼から、昨日のクレーム対応で、2mの杭を立て、これに桟を渡し、1800mmのボードが立てられるようにした。理恵ちゃんが作業を覗きにきた。垂れ乳がくっきりと出る服を着てて、もう女を辞めたのかな?今はハウスの手伝いの仕事がないので、暇だとのこと。いや、病院通いで忙しいと。夕刻雨がきたので急いて引き上げた、車の窓ガラスが無いので雨には弱いのだ。
夜は、アフガニスタンの混迷記事が日経英語版で提供されたので、取り込んで翻訳に取り掛かった。かなりの長文で、少しだけ訳し明日からの作業に持ち越し。今日なんか体の調子が良くて、なんでも出来そうな錯覚があったが、結局食事入浴を済ますと、ぐったりで這って床に向かう体たらく。
8月22日(日曜日)
午前中曽我さん、午後節ちゃん、夕刻師匠ご夫妻。もっか目の前の友人知人ばかりだが、訪問があって中々賑やか。お陰で、翻訳読書は中断。リベンジは大変だが、久しぶりの会話。人との会話が下手になっている。書くほど整然と要点を伝えられてない。まぁ父も話すのが下手だったから自分の実力としてはこんなものかもしれない。雨が上がり熱射となって、午後の空いた時間つくね芋の下草刈り、大汗が噴き出した。畑に隣接した住人から小石が飛んでくる苦情、草刈りは中断して対策を考えながら風呂をたく。このところ災難続きだから、まずは苦情者の気持ちを抑えないと、と言う事で葡萄を買ってお詫び、180cmの板をたてて遮断する事で理解を頂いた。師匠は掃除機で取り込んだマムシを取り出して殺してくれた。小さくとも胴体の直径の1.5倍位の口を開けて最後の威嚇、首が切れても踏むと胴体は靴に巻きつく、ターミネーターT800の執念のようなものが記憶されているらしい。
今日の大汗で気持ち良くなった私は350mlのビールを飲んだら、ものすごく酔っ払って、眠くなってどうしようもなく、夕食を中断して仮眠。コロナワクチンの後妙に体質が変わった。入社当時、青山班長(僕らの青さん)を誘って守口の眠眠に飲みに出かけたが、あの時と同じ酒の効きかただ。業者の大城さんも酒に弱く、共にコップ2杯位で敢えなくギブアップしていた。青さんもこんな二人を前にして飲むのはつまらなかっただろう。その後誘ってもなかなかOKが貰えなかった。
酔った勢いで「ジュマンジ」を観た。今日の僕もあれと同じで酒を飲むと、別人の僕が酔っ払いの爺さんのアバターを演じていた。
8月21日(土曜日)
開いた口が塞がらないとはこの事。50年に一度の大雨はこれまで経験したことのないような・・と書く一方で、今日の記事はこれほど頻繁に水害に見舞われてはハード整備も必要と書く。先の50年に云々はどこに行った?
他にもイギリスでは協力者2万人のアフガン人を受け入れる、日本はお世話になったアフガン人の受け入れを探している(他国へ)。今回のアフガンに関して日本の位置付けは蚊帳の外。G7に出席した時、首相はどんな位置だろう?
私の災害はまだまだ続く、崖崩れの次は、マムシ。今日は午後師匠の家にコーヒーを呼ばれた。ついでに「ドロメ」(ちりめんじゃこの生)を貰った。という事で動かなかったので腹が減ってない。これでは晩飯が食べられない、それで鬱陶しい雨だから気分はらしに掃除をしよう。と頑張ったら、台所の裏の扉(洗面台がある)を開けると、あまり大きくは無いがマムシが這っていた。掃除中だったので吸い込んだ。そこまでは良かったが、じゃ一体どうやって処分する。師匠に電話をすれば、ホースの出口にビニール袋を取り付けて誘い出しそこで殺したら?了解です。取り敢えず今夕は、掃除機全体を大きなビニール袋に包んで冷蔵庫に仕舞った。温度設定は最強。冷蔵庫は常時4℃なので上手くいけばこれで処理できるかも。
どうしてこうも色んな災害が続くのだろう?
夜の音楽はカールベーム指揮ウインフィルのモーツァルト交響曲36番。名盤を聴く。LPです。歪っぽいが真迫の凄みが伝わってくる。昔はこの音質で想像力を加味して聞いていたのだろう。今は超高音質で目の前に展開される音像のみ感じれば良いだけの安直になった。書籍で読む物語よりも映画で見る方がより安直。iBookおすすめの書籍、Amazon書籍読み放題も主は漫画本だ。日経の電子本紹介でも筆者は漫画を読むと紹介してた。映画「ミッドウェー」を少し見た。南雲機動部隊の優柔不断が日本敗北の原因だ。それでも、この映画では愚直でも思慮深い日本人を描いていて、日本人の素が見て取れた。それに比べて今はどうだろう。大体に於いて老人はそう言う事に敏感に傾向にもあるが。
8月20日(金曜日)
まだ降り続く、3時間雨量が50ミリを超えた。隣の安芸市は5ミリ、如何に芸西村に集中しているか。その雨も昼には上がり、僕も早速文旦の下草刈りに出かけた、ここはあと少しで終わる。足の怪我から、少し慎重になって、草刈機も左に傾ける方法から右に傾ける方法に変更した。歯は左に回転しているので、右から左に引っ張るようにやや左に傾けて刈るのが効率よい。しかしながら、草の汁や、地面を擦ったときに石などが自分宛に飛ん来るから、防虫ネットを被るとか、前だれをするとか完全防備でのぞむが危険でもあるわけだ。それで、右に傾ける方法に変更したのは、これだと刈ったものが前方に飛んでゆくので、草の汁で汚れないのもあるが危険度は極端に減る。所が、今日は最後の仕上げで、車を停めた近くで草刈りを行ったため、前方に飛んだ石が車のガラスに直撃、ガラスは木っ端微塵に粉砕した。まぁ人への怪我ではなく、お金の出費が出るだけで終わるから不幸中の幸いだ。
この所、僕自身の災害が止まらない。少し気になっている。そんな中少し嬉しい事があるのは、尿酸値を下げるために、食事療法に取り組んでいて、食べないものリストを作った。その中にコーヒーもあったが、今日はたまらなくてローソンのコーヒーを飲んだ、ものすごく濃厚で美味しかった(毎日飲んでいる人にはわからないと思う)そして、その後胃もたれが全くないのだった。ここ数年はこれが付き物だった。明らかに体質改善が出来ていると思いましたね。
気を良くして、夜は久しぶりにカール・リヒターのバッハ。75枚目のアルバムを聴く。「岩に染入る蝉の声」の如く、快感が脳に突き刺さった。宗教音楽は理解できないが、感情は伝わってくる。悪いものの中に少しだけ良い事を見つけて生きてゆくしかできない。
8月19日(木曜日)
運動がないので食事を減らしているが、これが結構空腹で厳しい。病気や怪我も苦しい思いをするが、食事制限も意外と苦しいのだ。しかしこの雨ではどうすることもできない。多少の雨なら草刈りに出かけるが、この雨はそんなもんじゃないし、芸西村を狙って線状降水帯がやってくる。家の中でフィルムネガのデジタル化を進めた。このままいけば今月に目処が付くかも。
夜、昔一緒に働いた栃木県の小林さんから電話。芸西村の雨のご心配。豪雨の結果土砂崩れが起きた事を話した。氏は透析とパークゴルフ三昧。しかしコロナでゴルフは中断との事。
雨がなければ毎日畑に出かける人間でさえ、もうコロナで縛られるのはゴメンだ。どこかへ遊びに行きたいとウズウズしているのに、都会の人たちは家にいなさいとなっている。ちょっと精神が参るのじゃ無いかなぁ。今日は村のスーパーじゃなく少し遠くの大きなスーパーに買い物にゆく、これくらいなら許されるだろうと。そして食事制限をしているにもかかわらず、ついつい買ってしまう。冷蔵庫の中が一杯だ。レシートの分析では500円位多め(通常1500円が2000円に)。多分これは僕だけでの事例じゃなく多くの人々を含んでいるはず。今日の新聞ではライフコーポの決算が良いと記載。巣ごもりに「腐らす」需要が付加されている筈だ。
8月18日(水曜日)
今日も全面的に雨。多分昨夜の間と思うが裏山が崩れ、土砂が我が家に寄りかかった。危ないと薄々感じていたのでブルーシートを張っておいたが、それが帰って草の縛りを解いたのだろうか。目測3立法メートル。日曜日に息子の応援を頼んでいる。その後どう後始末を付けたら良いのだろうかが問題。
一方この雨で元気を得た草共は僕の足の怪我を見越してか急速に伸びた。普通の靴では草の中に足が埋もれて、いつ蛇にやられるかわからない。寸暇を惜しんでの言葉通り、午後3時から5時まで晴れたので、この間、一番酷いところの草を刈った。非常事態だから、紐を幾分長くして、少しエンジンの回転を上げて、丁寧に刈った。多分1ヶ月は持ち堪えるだろう。肝心のサトウキビ畑の中は、草も生えないほどキビの勢いが強く問題ない。周りのみ草が生えているのだ。終えるとざぁーと雨が来た。
昨夜は、大雨だったので、途中何度も起きて、雨量計を見て、危険度を測ったら、今夜は眠く早々に寝た。
8月17日(火曜日)
アフガニスタンをタリバンが制圧した。世界はコロナの蔓延で大変な危機にあるが、彼らはコロナ感染しないのか?いや、海外と交流がないのでそもそもコロナが入って来てない。ということだろうか。それなら、この内戦は不幸中の幸いとなる。20年間もアメリカはアフガニスタンを指導して何故民主化に導けなかった?日経新聞は「内戦に明け暮れた」と書く。何故この西日本の豪雨は続く?「高気圧の狭間にあるからだ」と書く、いずれも本質を取材してないように思う。専門家に聞きました。東京大学の○○教授はこう言った。彼らは高卒の僕にでも言える事と同じ事しか言わない。専門家ならもっと研究した事を言うべきだろう。タリバンは中国と友好関係にあるとも書く。そんなに上手くいくかね、ソ連も、イギリスも、アメリカも上手く運営できなかったのに。マスコミはこんなものだと知らなければならないと思ったね。
今日は病院で包帯が取れた記念すべき日。風呂もOKとなった。完治まで4週間と2日を要した。帰り昼飯に寄った喫茶店「パンプキン」のランチも心なしか美味しく感じる(本当に美味しくない、高知では珍しい店)。その店でExit Westをスマホに入れたkindleで読む。シリアから難民としてシードとナディアの若いカップルが西側に難民化する物語。スラスラではないが浅く理解するなら読める。Kindleは単語をクリックすれば簡単な意味が表示されるから、辞書を引かなくても良い、しかし、ものすごくパワーが必要で食べながら読むにはいささか不向き。食後のコーヒーが出てきたイミングで読み始める。今まさにアフガンから難民が続出しようとしている。シードとナディアはなけなしの金を代理店に巻き上げられて、見知らぬ土地で放り出される、現実と小説が交差する。そんな物語が、これからのアフガン市民に降りかかってくる。
今回の雨は芸西村に線状降水帯がかかりひどい雨が続く、あまり続くと避難しなければならない。天気予報を見ていると、予報士はどうも地域の名前について詳しくないようで(NHKの佐藤さんなんか)、それは雨量予測のシュミレーションが背景で流れる時によく分かる。彼らは事前にそれを見ることができるから、地名くらいは勉強しなさい、プロとはそんなものですよ。とマネージャーは指導できないのか?いぃや「できません」何故なら彼らは原稿を読むことで育った人達だから。
8月16日(月曜日)
ゴミ出しのついでにかっぱ市場へ買い物。何と「蜜」が完売。10個用意してたのに。早急に補給すべしだが、容器の瓶が不足。さて、どうしたものか?昼から、文旦の下草刈り。昨日の続き。今日は7月に刈った後もう伸びている草退治。そして、20cmはあろうかと思われるネズミのツガイを草刈り機で退治。イノシシと違って、紐で叩くと一気にダウン。皮膚が破れない程度で止めた。そのまま放置。多分明日には死骸は無くなっているだろう。今日も一杯汗をかいて、疲れて帰り、シャワーを浴びて夕食。夕食後そのままで少し仮眠。ここまで疲れると動きが緩慢になりますね。本も読みたい、音楽も聞きたい、がとても体力が持ちそうに無い。それに指が腫れて物が掴みにくい。7kg近い草刈機を4時間振り回した為。合わせてネズミを追いかけた時、足指の負担を考えなかったので骨折した指が今になって痛み出した。
夜の読書は出来なかったが、朝と昼に読んだ「鉄道の基礎知識/所澤秀樹」について。まだ40ページしか読んでないが、これは凄い書籍。此処まで微に入り細に入った本を読んだことがない。色んな専門誌をわからないなりにも読んだが、この比ではなかった。どれだけ詳細なのか?例えば駅についての書述で年に2日しか列車が止まらない駅を紹介している、そしてそれが時刻表に明記されているかどうかも。その駅は香川県三豊市の津島ノ宮駅。など細かいのだ。また駅員の雇用体系などにも触れ、鉄道ばかりではなく幅広く奥が深い。多分、僕もそうだが、多くの読者もこれを読んで記憶して、それが一体なんぼになるねん?と聞かれば、何んにもなりませんと答えるしかない。
8月15日(日曜日)
梅雨前線は南下したと言えど、雨は上がらず。しかし、今日からは農作業をすると決めていた。まずは、文旦の下草刈り、前回8月2日びっこを曳きながら軽く刈った残りを仕上げた。今回は普通にエンジンの回転を上げてバンバン刈ったので、一気に仕上げる事ができた。でも、草も大きく成長してたので、紐が耐えきれず、畑2枚に2本の紐を使った。雨の中の作業だったが、流れるような汗をかいて久し振りにいい気分だった。軽トラックのシートがビニールでできている理由がよく分かった。ドロドロの服で車に乗るからだ。帰ってシャワーを浴び、夕食。
今夕の音楽は?と行きたいが、すごい睡魔がやって来て、新聞を読むのが精一杯。8時半に布団に転がった。
8月14日(土曜日)
停滞する梅雨前線の影響で九州、中国地方に被害が発生している。NHKは数十年に一度の表現をまだ諦めていない。九州北部豪雨は2017年だったから4年しか経過してない。それをどう理解すれば良いのかな?それと洪水の年度を元号で言う。今から何年前とすぐに答えられる人は凄い。僕はスマホを開かないとわからない。小学校、中学校と歴史は好きで勉強したが、西洋の歴史と一緒に考えられないのは元号で覚えたからだ。今やグローバルな時代で、相手はいろんな国の人が多くなるはず、その国の歴史も知っていて損はないが、その頃日本は何をしていたかと照らし合わせば一段と深みが出る。それを元号で覚えれば全く役に立たない。国は将来を担う子供たちを育てたくないのかな?
病院で予定通り足の指を固定していた型枠を外した。歩くのが楽なった。帰って溝上げでもしようかと思ったが、雨が結構降るので今日はやめた。午後一杯を使ってフィルムのデジタル化を進めた。36枚のフィルム1本を仕上げるのに2時間要する。
夕食はピザと友人に貰った赤ワイン。足枷が取れたお祝いだ。雨でなくコロナでなければ一人でも飲みに行っていたところ。
ボルトンの翻訳を1年以上に渡って取り組んできてわかったとことは、1日1500文字、一日中2000文字、2500文字と500文字くらいを区切りとして増やすほどスキルが向上するみたいだ。ちょっとしんどいが、これをもっと一気に上げてみようかと思っている。何か突破口が見つかるかも知れない。
8月13日(金曜日)
定年退職者で毎日が日曜日。ましてや怪我をしているし、大雨だし、コロナ渦だから、何もしない。それでいい筈。なのに、現役の頃と変わらない焦燥を感じるのは、何もしてないからだ。
何かに向かって進んでいる。それが痕跡となって見える、残る。それが僕の人生には必要。
ダラダラ漫然はあり得ない、それで見渡せば、昔撮影したフィルムをデジタル化するのが一番遅れていると言うか、山積している、早くこれに目処をつけよう。
そして、その頃の写真を眺めていると、苦い思い出がフツフツと湧いてくる。あの頃も焦燥感に駆られていたなぁ。パソコンが普及し初めで、子供をほっといて打ち込んだなぁ。
フィルムからのデジタル化も段々と上手になって、キタムラカメラで仕上げるプリント以上の出来栄えになってきたので、思い出も深くなっていったのだ。
夜はハイレゾでブルックナー4番/バレンボエム指揮/ベルリン国立歌劇場管弦楽団を聴く。AKGのヘッドフォンK550/デノンのポタアンDA10を使った。ブルックナーは怪我の間中全曲聴く予定だったが、4番までで足踏みしている。2番は随分と聴き込んだが(リカルドムーティ/ウインフィル)、印象に残ったのは4番だけ。これからベルリンフィルのチクルスを購入予定だが、果たしてその良さが汲み取れるのかな?
8月12日(木曜日)
本格的な雨。例年暑さのピークは15日位迄なので、もしこの雨が終わったとしても、あの灼熱の暑さはもう帰って来ない。日中はともかく朝夕がめっきり涼しくなるからだ。一日中雨に降り込められると、運動のためにプールがあったが、怪我のため使えず、自転車も足が濡れるのでこちらもダメ。草刈りを強行するも足が濡れるのでダメ。運動としての結局は僕の雨対策は健常者向けプログラムであって、足枷の身としては大人しく家でじっとしているしかない。これがたまらなく苦痛。さらに動かないので食事制限をする、満腹感がないままと言うか、空腹でもっと腹に入る所で食事を止める苦痛、これもきつい。食べたらいいやんか!悪魔の声に耳を傾けずじっと我慢の子。動かざるもの食うべからず。疲れるがめいいっぱい動き、めいいっぱい食べる、そんな幸福は雨で奪われた。最近は少し農作業を増やして食の楽しみも出てきた矢先、これから数日間雨のため我慢。
「ハーベイ」聾唖の少女の物語を読んでいる。見えない、聴こえない人。まだ半部くらいだが、この著者はこのハンディゆえに、ものすごく丁寧に文章を書いている。プロ作家でもここまでの丁寧さはない。(ピアニストのマレイ・ペライヤの演奏のようだ)この本が人気なのはこういう理由があったのだ。そして、その障害をもろともせず、挑戦に次ぐ挑戦。マリで小学校の校舎を建設するのを手伝うとか、丸鋸を使って木を切るとか、高校生としては破格級だ。健常者でも怯む。普段僕は身障者の本を読んだり、スポーツなどを見たりはない。どうだここまでできるぞと言う意気込みに圧倒されると痛々しさで見ては居られない。でも著者は普通の事がしたいだけと気負いがない、それが読む方としては気楽。文章にまだ幼稚さは有るが、丁寧さがほんわか伝わって来て彼女の人柄が偲ばれる。多分会っても楽しいはず。
8月11日(水曜日)
午後から雨が降りそうな天気なので、昼食時間は短めで作業に入った。今日はサトウキビの1列目2列目の間の溝にはみ出て成長しているサトウキビを畝側の柵に固定する作業。両側に1本ずつ桟を入れる。顔を葉っぱで切られないように帽子の下に防虫ネットを被った。暑苦しいが仕方ない。下に置いたビスを取って、1.7mの柵に止める作業は立ったりしゃがんだりスクワットそのもの。曇っているのに汗が滴る。そこで被害にあったサトウキビを発見。イノシシに食われている。それも、今年補植した新芽を根こそぎやられた。昨日は水の溜まった溝を掘り返されて困ったなぁ程度だったが、今日は実害だ。畑から帰りによしかずさんに、罠を仕掛けてもらうようにお願いした。自分でも何か策はないか考えるべきだろう。結局今日は雨が無く夜になって降り出した。今夕は昼にセットしたヘルシオ無水カレー。いつものことながら、美味しい。具材の豊富さでCoCo壱を上回るレベルだと思う。材料費だけでCoCo壱の1人前に匹敵するから、おいしくて当たり前かな。弘前の知人にメールしてたら返事が来てた。昨日青森は大雨だったから。メールによると、弘前は無事だったと。コロナが落ち着けば遊びに行くぞ。
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ブロムシュテット指揮のモーツァルト交響曲38番プラハ、7月26日放送された番組を見る。カールベーム顔負けの名演だし、圧倒的な高音質。NHKは良い仕事をした。
8月10日(火曜日)
大腸癌の検査を村役場が行っていて、持参すると、もう提出時間は過ぎましたとにべも無く断られた。これ程無愛想が全員に徹底されているのは流石。その足で整形の病院へ、ちょっと見てみようか?レントゲン撮影の後、折れた指をかなり強引に曲げたり、強く押したり、僕がびっくりするほど動かしたが、痛くなかった。冒険するかね?慎重な人はもう少し型をはめているが?僕は後者を選んだ。が、先生が順調に回復していると言うのを聞いて、物凄く嬉しかった。僕は結構複雑な人間だと思っていたが、この先生の一言で舞い上がって世界が薔薇色に変わった。それから歩き方も変えて、右足の負担を増したが、本当に痛くなかった。記念にフジのスーパーで寝具の下敷きを買おうとしたが、いずれも吊り下げての展示で、袋に入っているのはない。店員に聞くとやはり無いとの事。つまり客が触りまくった品を買うと言うことになる。店員曰く、どうしても触って肌触りを確かめたいのでね!コロナ化のご時世でそれは無いだろう、触れるサンプルは一つで良いはず。まぁ田舎のスーパーはこんなものだ。遠くてもニトリまで行かなくちゃ。帰ってサトウキビが台風で倒れているのを修復した。今日で2日目だが、もう曲がり始めていた。今日の太陽は力強く暑さよりも痛みを感じた。作業は足の回復で気分が良くてスイスイと進んだ。意外と早く終えたので、家の前のサトウキビ畑の草刈りも少し行った。向こうも僕の怪我を見越したのか、「力草」が一帯に成長している。僕の方も勝手は許さんぞと、紐を幾分長くして丁寧に根から刈り取った。新しい草刈機はトルクが強いので、土の中に紐がめり込んでも回転が落ちず、根から刈れるのだ。少し時間がかかるが名実ともに根絶やしなのだ。
夕食後読みかけのNY市警リンカーンの物語、「カッティング・エッジ」を開いた。物語は佳境に入ってもうやめられず、一気に残りの130ページを読み終えた。結局物語は2転3転するが、ウォッチ・メーカー(頭の良い犯人)との対決にオチがあった。上下2段書きの460ページの本で、字が小さく、iPadは横にして半分ずつ読み、PCでは27インチの画面に2倍に拡大して読んだ。もう紙面での読書は出来ない歳になっていた。
8月9日(月曜日)
食卓には農協カレンダーが掛かっていて、今日は祝日となっている、世間は連休なんだと思っていたら、机の前のカレンダーは平日扱い??どっちが正しい?ボケとんのかな?昨晩は雨風が強く、トイレの途端屋根を揺さぶってうるさくてすぐ目が覚める。それで不覚にも7時まで寝過ごしてしまった。それで今日は何の日なのか分からなくなった。通っている病院も今日は休みだと告知があった。iPhoneのカレンダーは祝日表示が無いのでさっぱり分からん。
台風9号は随分と荒れたのでサトウキビを見回ると、柵から外れて成長したものは倒れて被害。それで仲間のサトウキビを見にゆくとやっぱり倒れて、通路に入れなくなっていた。まだ草刈りなどの作業が残っているから大変だろう。帰りにじっちゃんを見かけたので、車を止めて少し話した。仕上げても仕上げても次から次に仕事がやってくるとつぶやいていた。この人は自分でする事を見つけじっくりと取り組む性格で、止まっていない人。見ていると参考になりそうな所がある。91歳で現役の農家。
僕は昨日昼から夜まで草刈りを行なって、今日の午前中と午後3時までは布団から出られなかった。僅か半日の作業でこれだ。じっちゃんは休憩を挟むが、ほぼ朝から晩までのフルタイム。エネルギーが違う。
8月8日(日曜日)
まさのりさんは激痩せしていて、当分芸西に来れないと言ってたから(高知市在住)墓の掃除もやってあげた。その延長で、僕の家の周りを終え、本命のきまさごのサトウキビ畑の草刈りに着手。周りを刈り上げた。5時がきて引き上げようとしてたら道にイノシシの子供が居た。何も持ってないので、近くにあった石を投げたが、逃げない。それで草刈機の回転を強にして近づいた、妙に動作が鈍く、僕が周り道をして猪の動く方向に立てた。それで草刈機をイノシシに当てた。紐の草刈りだったので、主に目を狙った。首尾よく倒れたので口目鼻を中心に紐でしばいた。動かなくなって、近所のよしかずさんを呼んで、引き取って貰った。頭の部分の毛がほとんどなかったので、病気かもしれないと言われたが、僕が草刈り機で刈った為と伝えた。全長50-60cmの瓜坊、何かの原因で弱っていたのかもしれないと言われた。
その後買い物に行き帰りに純子ちゃんに会ってその話をしたら、私はイノシシを捌けるし、タヌキも捌いて、脂を取る事ができるよと、恐ろしい事を言う。中学校の同級生で昔も今も穏和な人だが、仕事はできるし(園芸組合での評判)家は片付いている主婦の見本だが、4つ足の解体に話が及ぶと結構怖いおばさんだなと思った次第。別れ際にゴウヤを2個くれた。
新しい本を読み始めた。「カッティング・エッジ/ジェフリー・ディーバー」でこの春、WOWOWで「ボーン・コレクター」を放映したが、その原作を書いた人。その続編。この人の本は他にも「ウォッチ・メーカー」があって随分昔に読んだ事がある。だからこの本をBOOKOFFで買ったと言うのではなく、カッティング・エッジについて昔えらく論議をした事があるからだ。この意味は「最新の」。僕は英語の堪能な方がこの言葉を使ったので、この業界(AV)では、New Productの方が良いとアドバイスしてあげた。相手も中々譲らなかったので、この言葉には記憶があったのだ。
他にもAmazon Kindleで、「ハーベン」「Silent Patient」「Numbers Don’t Liy」を買った。Silent・・のみ原書。アメリカでよく売れている推奨本。ユーザ書評で5.5時間で読み終えた、その間凍りつく体験だったとある。評価は5点満点中5点。多分僕は読むのに1年くらいかかる、値段は138円(多分今だけ)まだ翻訳はない、原書単行本だと3150円。
8月7日(土曜日)
僕に農業のきっかけを作ってくださったまさのりさんが、退院をしたと電話を受けて、彼が作り放置してあったキュウリとかぼちゃと、近所の方から言付かったお見舞金を持ってご自宅に伺った。げっそりと痩せて、もう農業は止めると宣言された。76歳。農業の仲間が去ってゆくのは寂しい事だ。親類の叔父さん夫妻も止めた。農業をやめると内心しんどい思いをしなくて良いので嬉しい。だが、それによって健康を蝕まれる。厳しい農作業は一面身体の循環を施している面もあると思っている。僕はゼロかイチではなく、コンマ7くらいが良いのではないかと思っている。段々と減らすけどゼロにはしないで生きたい。最近会って話すことは、「程々にせないかん」と言うことばかり。寂しい話であるが仕方ない。
怪我をして悪いことばかり続いたが、良い事もあった。それは、書籍で名作に恵まれたこと。近年無い感動の手応えがあった。もう一つは、素晴らしい音楽に巡り会えた。ステレオサウンド誌とHIVI誌で紹介のアルバムは僕の視野を広げてくれたし、グローバルのポップス業界が低音志向になっている事実に驚いた。高橋健太郎氏の「カーペンターズ考察」は、ここまで深く掘れるのかと感心。記念に取っておこうとOCRでスキャンし文字起こしした。
もしかすると、これまで、いつでもこんな環境下にあったのだろうが、僕の目や耳がそれを受け入れる能力を持ってなかったのかもしれない。コレがやってくるのが20年遅かったと思うが、加齢と共にどうにもならない事だ。
8月6日(金曜日)
結局4日かかって疲れが取れた。毎日7時間、今日は8時間寝てやっとスッキリ。夜も元気でいられる。「Have you seen the Rain」は1970年CCR(Creedence Clearwater Revival)が発表した名曲。クリームの「White Room」と互角の高音の素晴らしい音楽だった。今日は病院から帰ると、きまさごの草刈りを行った。多分この畑だけで4000kgの収穫があるはず、僕のメインの畑となる。灼熱の太陽と無風が重なって水の補給間隔が10分と持たない。皮肉にも水の補給時は真っ黒い雲が出て、休憩が終わるとピーカンの太陽となる。その内の向こうで降った雨が流れてきて顔にかかった。正に先程のCCRの歌(雨を見たかい)になった。この歌は晴れているのに雨が降ると言う理不尽な気持ちを歌ったものだが、単純に「天気雨」とも理解できる歌詞。久しぶりに思い出した。夕食に昨夕貰った刺身用の「とうやく」を塩を振って軽く炒め、上から柚子を落とした単純な料理が大ヒット。生の魚がダメになっていたので、久しぶりに大量の魚を食べた。太陽光に当たってビタミンDはたっぷりだから、生の肉で補給しなくても良いだろうと思った。
今日読み終えた、ファクトフルネス/ハンス・ロスリングは素晴らしい本だった。これからの生き方を変えるほどの説得力があった。今は随分と感化されているが、すぐに忘れるだろうから、又時間を置いて読むと良いと思った。
入院していたまさのりさんが退院して、畑の管理について打ち合わせを行った。原因不明の痛みで苦しんでいる。今は沈静化しているとの事。近所のお包みを預かって見舞いに行ってこようと思う。
8月5日(木曜日)
この所、晴天の空は東北の夏のように、キッパリと澄み切っている。入道雲はあくまでも白く絵に描いたよう。「おまん、偉いのう、日盛りに出て仕事をして、陽の弱い朝にすればえいに」とは近所のよしみち君の言。どうもこのパキンと輝く太陽があると、身体のダメージに関係なくどうしても天下に出たくなる。ふらふらと引き寄せられる。薄曇りとかだとそんな気分になれないが。それで、今日もビニールハウスの廃材を片付けた。ただ連日の作業で腰痛が強くなっているので、少し休憩を取りながらとなった。1/3は片付いた。夕刻お寺の節ちゃんが赤飯、夜に師匠の奥さん美和さんが刺身を持ってきてくれた。今週は貰い物が多い。激しい農作業の後は少し羽目を外したくなるが、名実ともに足枷があり、それにコロナでもあり、閉じこもりしかない。昨日から芸西村にもツクツク帽子が鳴き始めた。先週はまだひぐらしが聞こえたが。心持ちクマゼミの声が小さくなっている、そのかわりアブラゼミがうるさくなっている、アブラゼミは暑い午後に拍車をかけるような感じ。
8月4日(水曜日)
今日は病院の日だから、身体を使う作業はしないでおこうと決意した。疲れも十分残っているし。街に出たついでにbookoffで古本購入。手持ちのストックが底をつきかけたため。手持ち在庫がないのは不安と言うか焦燥感に駆られる。今回は「人類の進化が病を産んだ/ジェレミー・テイラー」「ザリガニの鳴くところ/ディーリア・オーエンズ」「鉄道の基礎知識/所澤秀樹」「実践ロイヤル英文法/旺文社」いずれも時間を忘れそうだ。大阪に出ていた頃は紀伊國屋で最新版を十分に吟味する時間があった。物色の距離は20m位、その向こうにあるジュンク堂は50m以上あった。高知のbookoffは僅か1m。寂しいが逸品がある。帰って裁断し、自炊の準備。ところがあまりにもいい天気。居てもたってもいられず、とうとう着替えてハウス廃材の整理。「いずれしなければならない作業だから」と自分なりの理由をこじつけた。身体を動かしてポタポタ落ちる汗をかくと、気分も体の調子もスッキリ。活動時間が短く水1リットコースだった。夕食は昨日の買い置きで済ますつもりだったが、息子が寝込んでいる事がわかって、弁当とかお惣菜を買いに行く事になった。今日は自転車、疲れが少ない分ペダルは軽い。息子はコロナワクチンの副作用で熱を発して朦朧としていた。ワクチンはDNAの書き換えに相当するので、僕のような高齢者は一部のDNAはもう使われてないから、アップデートの書き換え行数が少なくダメージがないが、若者はかなり全面的な書き換えがあって、身体が抵抗を示しているのだろう。とはいえ、僕も体質が変わった感じがする。まずは①刺身が生臭くなって、かなり新鮮でないと口にできなくなった。(高知にいられて良かった)②冷房に弱くなった。今日病院に行くときも、10分位冷房を効かして汗が引くと寒くなって、窓を開けて冷房を切った。時々夕食時も冷房を入れるが、28度設定でも寒い。これは歳の所為ではないだろう。
8月3日(火曜日)
ハンス・ロスリングが書いたファクトフルネスを読んでいる。「事実に基づいた視点を持とう。世の中は誤解が罷りとっている」のを指摘した本。ビル・ゲイツも絶賛。僕もこうして明文化されるまで薄々とは気がついていたがはっきりと認識はしてなかった。身体は依然眠いままだが、頭はこの本で目が覚めた気がする。例えばこんな事例を書いてある。今(2016年)、世界70億の人のうち、20歳以下は20%、2050年に人口は100億人を超えると予想されるが、20歳以下の構成比はどうなるか?①20%②30%③40%。3択。知識があるとされる大学の先生を世界中で調査したが、いずれも間違って正解率は20%以下と。チンパンジーでもどれかを当てろと言えば33%の正解率なのに。答えは①。人口が増えるのは大人が長生きするから。こんな誤解を解く話から始まる。思い込みというのは間違った判断をするとも指摘する。僕も早速日経新聞から主要な数字をエクセルに打ち込む作業を始めた。
昼から昨日持ち込んだハウスの廃材の整理を始めた。久しぶりにポタポタ落ちる汗を流した。今日の太陽は強かった。頑張ったが2割程度の進捗。疲れもピークに達し、夕食の買い出しはスーパーまでの僅か2kmの距離を車で行った。エアコンを効かせて。食事の後はもう寝るだけだった。2日分の累積疲れがやってきた。
8月2日(月曜日)
「柔道一直線」、1971年の梶原一騎の漫画ではないが、夜10時前に寝て、朝6時過ぎに目が覚める一直線だった。夜の寝苦しさとか、夢とか、途中放尿とか関係なく、寝たと思ったらあっと言う間もなく朝だった。それでも起きれば身体は泥のように重い。身体に鞭打って起き上がり食事。これじゃ何をするにしても無理だわ、もう一度寝ようと部屋に向かうと電話。近所のよしみち君がハウスの廃材を持ってきても良いか?と聞く。僕が回収に行くわと言ったが、もう作業をしていると言う。それは申し訳ないと僕。急いで着替えて駆けつける。ビニールを留めるため2cm角材3mが山の如く転がっている。それをトラックに積んで僕の畑の空き地に移動させた。2トントラックに2回。途中3回の休憩。彼の奥さんも手伝ってくれて3人の作業。太陽を遮るものはなく直火で焼いているようなもの。作業中、蟻に右手を噛まれ痛いのなんの。大きく腫れ上がったのも手伝い疲れ果て11時半に終えた。彼も自分のビニールハウスの張り替えた後、この大量の廃材の処分に困っていた。勿論業者に頼めば4万円の出費は硬い。僕もこの廃材でサトウキビの柵ができるし、短いのは風呂で焚けるからwin-winの関係。シャワーを浴び急いで病院に向かった。喫茶パンプキンで昼食。ヘルシーなランチで気に入っているが、コーヒーも含め美味しくはない。先生曰くまだまだかかりそう。帰って家の周りと親類の庭先の畑に除草剤散布。近所のまさのりさんは入院をしているとの事で、彼の畑の周りを草刈り。とにかく眠い。大量の水を飲むので食欲がない。夕食は軽めで、急いで布団に入った。
8月1日(日曜日)
昨日は久しぶりに農家に戻って、草刈り、サトウキビ棚作りなど行った。疲れた。そして、今日の文旦の下草を刈ったのはかなり本格的だった。1.8リットルの水を飲み、500mlの混合油を燃やした。草の勢いは7月のピークより幾分落ちているとか、葉を丸めて水蒸気の発散を抑える露草とかは我が世の春を謳歌し、この熱射対策で凌いでいるようだった。右足はギブスとか包帯で膨れているので、大きめの28cmの靴を買って対応した(実際の足のサイズは24cmだが)。そして今日も実にいい汗をかいた。どうも今年の夏は、例年と違ってジメジメした感じが少なく、木陰に入れば涼しいのだ。何か異変が起きている気がする。
今日から尿酸値低減に向かって活動を開始した。まだ戸惑いもあるが(うまくない)あの痛みと引き換えなら納得できる。
7月31日(土曜日)
日経新聞は本当に経済紙でしょうか?アマゾンの4-6決算は伸びが鈍って27%の増収になった。と見出し。巨大企業の27%は一体どう言うことかな?と考えた事があるのかな?27%は6,346億円になる。一方でコマツ(建機の)の決算は2.5倍の増益と違う紙面で書く。その売上額だが6,400億円。「たかが」6,400億円かな、どう受け止めて記事を書いているのだろう?前から気がついていたが幹部にマネジメントがなく、記者は海外記事の転載ですませているのだろう。
BDの整理を終えた。4,464タイトル。1タイトル2時間として9000時間。1日4時間見るとして6年を要する。録画はこれからも増えてゆくので、一生かけても見切れない。それで良いと思う。持っている事に満足があるのだから。
今月の総括は、足指の骨折と尿管結石(医療費39330円)。これに大きく影響を受けて、読書は▲6冊。水泳は▲9900m。ボルトン翻訳は1,732文字/1日(邦書1ページ相当に満たない)。そして前述のBD整理完了。
コツコツ前進は、捨てたサトウキビ畑の転倒防止柵完成。精糖したサトウキビ完売(記念パーティ必要だが、コロナと怪我で延期)。食費58885円(お客様ありで)総支出265000円
書籍「大富豪の投資術/マーク・モーガン・フォード」の最後に、嫌いな食べ物リストを作ること。があった。いよいよ、僕も、備えなければならない。まずは尿酸値の低下を目指す食事。大好きな鳥のレバーは疲れた時の栄養剤だったが、これが一番尿酸値を上げる効果があると。Webで指摘があった、他にも、僕の家業の砂糖も最悪に近い。
振り返れば、今まで僕は尿酸値を上げる努力をしていた。普通の人よりも勤勉に。
7月30日(金曜日)
今日は何もしない日。左膝への負担が大きいのでは?と心配しての休憩。だが、何かしないと人生損をしている気分になる貧乏性の私としては、砂糖のブロックをかっぱ市場に出荷し、蜜を瓶に詰め熱湯で殺菌した。製糖した砂糖は全部売り切れて完売。明日は瓶を袋詰めし、出荷する。大した動きはしてないので腹も減ってない。汗をいっぱいかいて腹一杯飯を食う、そんな昔が懐かしい。
自分の背丈で可能なつくね芋用の柵は地上高170cmまで。これに蔓を巻き着けてたわわに育っている。周りは草の成長が旺盛で、もうすぐそのつくね芋に襲い掛かろうとしている矢先。後2週間だけ待ってくれ、そしたら草を退治してあげられる。サトウキビ畑の草は、僕の身長の2倍くらいになったサトウキビの方が旺盛で、成長が止まっている。溝のみに草が見えるだけ。こちらはもう少し余裕がありそう。沖の田は後1週間くらいが限度、トラクターの出番だが、車の運転ができるから多分操作可能だろう。FRBのパウエル議長は昨日「市場との対話」で上手い立ち回りをして、株、債券の動揺を抑え込んだ。僕も「草との対話」をして2週間後には旺盛な草を押さえ込まなければならない。明日は病院。
7月29日(木曜日)
キッパリと晴れ渡った。日差しは強く、風もあって部屋の中はかろうじて30度を保っている。この温度だと流れるような汗はかかない。高知で一生を賭けるような仕事は無理だと思うが、定年後に住むには、僕は最良の場所だと思う。夏は涼しく冬もそれ程寒くはない。痩せ我慢をせずとも、車は冷房を入れなくても流れ込む風だけで十分だ。昼飯に弁当を買いに自転車で出かけた。労働者の為の弁当屋さんで量が多い店。これを2回に分けて頂くのだ。その自転車での買い物も、風で暑さはない、汗も流さない。これが炎天下での芸西村の夏なのだ。だから熱中症の話は聞かない。都会に住んでいる友人たちはアスファルトで固められた隙間に建てた家に住んでいるから、実際の気温は、気象庁の言う温度より幾分高く、冷房なしでは生きてゆけないだろう。可哀想だ。勿論ここでも寝る時は冷房を入れる、虫が入ってこないように、それと湿度対策だ。27度設定で寝ているが午前2時間半トイレに起きた時はもう働いてない。
もし日経新聞を見ていたとしてメモ用紙を用意して、縦軸に企業名、横軸に売上高、前年比、利益高、その前年比の表を作ったとしよう。昨日アメリカのIT企業が4-6月の決算を発表したと掲載記事があったが、記事だけではこのマス目を全部埋めきれなかった。日本を代表する経済紙なんですが。文章の書き方もバラバラで統一がなく、マネジメントはどうなっているのでしょうね。
「大橋悠依の記者会見に海外メディアを含む100人近い記者がつめかけたことが、快挙の大きさを物語る」と新聞記事。そう、記録的な演技には海外のマスコミも評価する、なのに、日本は海外の選手のインタビューがない、新聞でも見ない。何故だろう?
7月28日(水曜日)
今日は頭の調子が良くてラジ英語や翻訳が割とサクサクだ。たまにこんな事があっても良い。10時泌尿器科を訪れた。泌尿器科の先生の他内科医や他の先生も集まって物々しい雰囲気で説明が始まった。かなりの圧力と言うか、先生たちの関心を引く事例なのかものものしい雰囲気。要点は、尿管に穴が空いて尿が腹の中に漏れている指摘。造影剤を入れて今も漏れているか尿管を調べる検査を行う。契約書にサインした。令和の日付表記。食塩水を点滴しながら、CTの前で横たわると、東芝のCT機は僕の生年月日を西暦でディスプレイしていた。看護婦さんが頻繁に来て症状を聞いてくれる、血管に造影剤が入ると瞬間に頭が爆発しそうに熱を持つ、そして性器の先端が熱くなって尿が漏れている感じを受ける。それを大丈夫かと何度も尋ねてくれる。「兎に角変な事があると声を上げてね」CTは何度も撮影した。こりゃお金がかかるぞと思いましたね。終わると、点滴はまだ終わらない。撮影が終わったから造影剤はもう流し込まなくてもいいだろうと聞けば、今は造影剤なんか点滴してませんよ。それは検査の時だけ、これは食塩水。30分間身体に異常が出ないか、処置室の前で待たさせる。その間、僕は「マジタン」のゲームソフトを開き挑戦した。英語の単語の意味を4択で選択するゲーム。結構スムーズにゲームは進む。要は英会話は単語じゃない。語順(配置)の問題だと言うのがよく分かる。だからこのゲームでいくら良い点を獲得しても英会話は身につかない。所詮ゲームだ。時間が来て、やっと針を抜く、今や点滴の針は金属の針でなく、長時間挿入してても癒着しない繊維質の物なのだ、それで太いし、針のようにスート入らないし、抜けないし、血が飛び散る。看護師一人の手だけでは無理、僕の片手を協力させて無事終える(前回は多いに血が飛び、腕の中でも内出血して今でも紫になっている)。検査結果は尿が漏れてない、異常なしだった。ついでに尿酸値も教えてもらった。前回よりも0.3%下がっている。水を「キリンのアルカリイオン水」に変えたからだ。昼過ぎに終わって、スーパーで昼と夜の食材、無事のお祝いに「うなぎ」を買った。野菜、海藻、キノコ中心の食事を続けようと思った。
7月27日(火曜日)
今日から夏にギアが一段と上がった。部屋の中にいても室温が33度になった。晴れた日にはエアコンがなくてもいいはずだが。今日の暑さには理由があった、今日は北風が吹いている、ところが僕は扇風機を南の窓辺に置いて部屋の中に向けて回していた(つまり北向きに)。結局この部屋の空気が抜けなくなってしまったのだ。11時ごろに風向きが変わり室温が下がった、と言っても1度だが。昼から、足の治療に出かけた。今日の看護婦さんは、丁寧に包帯を巻いたが、強く足に血が通わないような巻き方だ。自分で撒き直すことはできないので我慢しているが結構厳しい。帰って、昨日の続きの農作業。2時間半位の活動なので足への負担は少ないだろう、でも汗は大量で美味しいビールが飲めそうだ。ところが電話を見ると息子から電話。折り返し電話をすれば、救急車で運ばれた病院からの伝言だとの事。(救急車対応の先生は内科医だった)泌尿器科の先生にCTを見てもらう事、どうやらかなり深刻な症状が見受けられるので、明日来るようにとの事。僕としては、尿管結石は身体と折り合いがついていると思っていたが、どうやら尾を引いているようだ。腹の水と、肺の症状は1ヶ月後に状況を見る事だったが、何かCT映像で良からぬ発見があったようだ。しかも急を要する。
7月26日(月曜日)
読破巻数が少ない、再び月末ダッシュを迎えた。今月はお客様を迎えて、大怪我をして、救急車に乗った。近所のおじさんは65歳を過ぎるとガクンと身体が変わると言っていたが、僕には実感がなかった。それが69歳を迎えた途端に出てきた。今まで良く無事に来られたと感謝しなければならない。気分を良くして、捨て子が親より立派になったので、認知してあげようと、外に出た。捨て子はサトウキビの切り捨てた葉先をまとめて隣の空き畑に放置したところ芽が出てきた。昨年はそれを切り捨てた。いずれトラクターで叩き整理しなければと思っていた。それが今年は全面的に芽が出てきて大きく成長し、その成長は親を超える勢いだ。あまり強い勢いなので、草も生えない。そこで、親に施したように柵を作り、来る台風に備えようと言うわけだ。足が不自由なので、ゆっくりと作業を進めた。地面に40cmくらいの穴を掘って2mの柱を立てる、全部で8本。今日はここまで、いい汗をかいた。
夕食時、突然真っ暗になった。壁面のスイッチを入れ直すと少し点くがすぐ消える。明日はスイッチを交換だなと。でもそんな余裕はあるのかな?
7月25日(日曜日)
結石の痛みもなくさわやかな朝を迎えた、布団の上でどちらに寝返り打っても痛みはない幸せ。普通の人にはわからないヨロコビ。食事の後ラジオ英語を聞く、前回の学びが遠い昔のように聞こえて来る。しゃべりを文字起こしできない。テキストの訳をみて理解する。その後翻訳も1時間半要した。わずか2日間のブランク、それも頭が真っ白になる時間が多かった、そして今までの記憶は脳の奥に沈んだ。その後、スーパーで飲み物を買って伝承館へ出かけた。ここでメンバーが薪作りをしている。手伝えなくて申し訳ないと挨拶して差し入れを置いて帰った。昼食後、SB10000のバスレフポートを全開にした。低域が伸びて床が揺れて返って音が返って不明瞭になった。なんか手当をしない限りいい音が出てこない。悪いことは続くものだ。4時に終えて、ここから15Km西にある「ほかほか亭」に弁当を買いに出かけた。自転車で。40分くらいかかる。帰りビールを飲みながらゆっくりと帰る、月見山の辺りでおじさんが家の前で金魚の世話をしてたので見せてもらった。金魚は人になつき近寄ると水面近くに寄ってくる、家の中まで上がって銀色のメダカも見せてくれた。奥さんも出て来て、世話の大変さを笑顔で語ってくれた。「欲しかったらあげるよ」。めっそうもない!その後、母の友人から電話、ホースを繋いでくれと。帰りに寄り道して繋いであげた。お金を差し出すのでとんでもない!その代わり、そのナスを欲しいともらった。ホースでナスに水をかけるためのものだったから。元百姓の作るナスは見事。一般人はとてもこんなに育てられない。その後お寺さんから電話、お惣菜を取りに来いと。その途中で、チカちゃん(口の立つおばあさん)に挨拶、後で思い返すと、この部落でも有数のはちきんばかりに会って挨拶とかをした事になる。うち二人は寡婦で、強くなければ生き残れないと言うことかなと思った。
帰ると、新聞やテレビで「まさかの予選落ち」の記事。まさかでなくそれが実力だろう、持ち上げるから、プレッシャーを感じるのだ。注目されてない選手が金を取る。オリンピックでは世界一の流麗な演技が見たい、録画して終わりから逆に見て、表彰に立った選手を初めから見る。下手な演技は見ない。
7月24日(土曜日)
午前2:30痛みで目が覚めた。何とも仕様がない、もんどり打ちながら時間を食って4時間が過ぎるのを待った。今までの経験で、石が通過して次の位置に行くまでの時間だ、そこで小休止となるようだったので。6時過ぎに少し楽になった。南国のかかりつけの医者でもらった座薬を入れて、やっと痛みは治った。食事を摂って、9時。掛かりつけの医者に電話をすれば、昨日の病院で撮影したCTがなければ診察できないと言う。その頃から薬が切れて又痛み出した。痛みを堪えて運転するのは辛い。やっとCTのデータを手に入れたのが10:30。医者に電話をすれば12時まで来れるのなら診てあげる。名実ともに歯を食いしばって運転した11:10到着。痛みで待合室の椅子にへたり込んだ。受付の女性が気を利かせ、処置室で座薬で痛みを取ろうと言ってくれた。ありがたかった、朦朧と1時間くらい寝ると痛みは鈍痛に変わっていた。次回の予約をして、薬は多めにもらった。部屋を出る時、「水が尿管を流れていると、潤滑油のようなもので、痛みが減る。薬は痛み止めにはあまり効かないのだよ」これが効いた。車に乗って少しづつ水を飲んだ。次に目指すは足の骨折の対処だ。車の中でお湯になっていたが水を少しづつ飲んで、次の病院に着く頃には痛みはすっかり取れていた。足は随分と腫れていて、まだまだ時間がかかりそうだった。帰りにスーパーで買い物をするついでに、ミスタードーナツでアイスティーとドーナツ。何だがこれがトドメを刺したような感じ。頭がすっきりした。買い物の後、帰る車ではワーグナーのタンホイザーをかけた。砂に染みる水のように音楽が耳に流れ込んできた。ああこの2日間は、頭がどこかに行っていたんだと明確に自覚した。夕食に大量の具入りの多めの味噌汁を作り水を飲みながら味噌汁を啜った。これだけ水分を取れば痛みは軽減されるだろうと思った、夜7:00、トイレにゆくとおしっこの最後にポロんと石が出てきた。米粒より小さかった。こんなもので人間を七転八倒させれるのか?
夜はランサム英語ではRANSOM (身代金の意味)ドラマ3巻を見た。酒を飲んだ方が良かったのかなぁ?一段落ついた感じ。
7月23日(金曜日)
今日も暑そうだなとうんざりしながら、朝食の用意をしているとき、どうも腰の筋をちがったような痛みが来た。無理して献立し、いざ食べようとすると、凄い腹痛、トイレに行った後痛みはますます激しくなって、食事が喉を通らない。もしかして尿管結石では。台所や食事をすぐ片付けて風呂で温めたが効かず、まずい状況。服を着て、自転車で近くのJAの集荷場所まで行って救急車を呼んだ。ますます痛みは激しくなって、少しだけ戻した。救急車の中でも戻した。もうなんともならない痛さ。病院は安芸病院。医者は痛み止めを施すのではなく、色々と諮問が続いた。今まで何度もこの経験をしてたが、先ずは痛みを取ってからと言う処置が多かったのだが。結局病院では歩ける程度の回復をし、家に帰りついて14:00事態が急転回し、痛みが引いた。吐き気も取れた。直径3mmの石が降っているとの事。それよりも問題は、肺に影がある。腹部に水が溜まっている。腎臓の外に石があるのでは?この3点は、どうもこの痛み以上に深刻な問題を含んでいるとの事。1ヶ月後にもう一度検査で変化を見る事で終えた。足の怪我に続き大変な状況を迎えた。タイマーのセットをもう少し手前に設定して、その範囲で楽しみつくす事を考えなばならないと思った。昔福岡県の「飯塚」で仕事を終えて、外に出ると街は異様に静かだった。未だ太陽は熱波を送っていたのに。しかし時は20時前で、通常だと家族団欒の時間だった。僕はそこからホテルのある博多まで1時間をかけて帰らなければならなかった。この事がずっと脳裏に引っかかり、時を間違えてはいけないよと忠告するようになった。正に今、僕はその立ち位置にいてる。曽我さんが言ったように年相応のはしゃぎ方をしないと!と思い至った。
7月22日(木曜日)
3日後に来てと先生は言ったが、その3日後が今日で祝祭日、医院は休館。結局5日後に行くことになる。この怪我の間にするべき事を考えた。一つはブルックナーの交響曲を全部聴き終える事。一つはワーグナーニールベングの指輪全曲を観る事。一つはBD/DVD の整理。今3600タイトル目。結構ハードな目標だ。こうして怪我の生活にシフトする体制ができたのか少し気分良く、夕食を五キロくらい西にあるミツワのスーパーまで自転車で買い出し。ペダルを漕ぐのは親指に負担をかけないからいいだろうと判断したが、途中で痛み出した。踏み方を少し変更して耐えた。いい気分で、缶ビール1杯を飲みながら帰った。夜はWOWOWのランサム交渉人1-4を観た。これは人質(ランサム)を取った犯人と交渉する仕事をドラマ化したもの。交渉人は、エリック・ボーモンとマキシン・カールソン、オリバー・イエーツ、サラ・ハラムの4人。主人公はエリックで頭の切れる交渉役を演じているが、これが実にかっこよく、よく人の心理を表現している。僕も少しだけ海外職場を歩いたが、このように頭の切れるインド人に何度か会ったことがある。もっと僕に語学力があれば、インタビューを試みただろうが、4年間ではその域に達しなかった。歩く姿勢とか、料理の注文の仕方とか、話の要約とかに、僕が今まで接したことのない人類だった。そんなのがこの映画に蘇ってきた。物語はそんなに面白くないが、このボーマンの要約に魅かれている。
7月21日(水曜日)
ボルトン翻訳は1日1ページの速度になった。農作業はできず出かけられないから、少し時間を多く当てているからで翻訳速度が上がったのじゃない。地名なのか人名なのか組織名なのかについては、相変わらず時間を食っている。氏にとっては既知の事だろうが、アメリカの政治に接した事のない私としては結構難解だ。こちらで「あんたどこ?」「にしぶん」それだけで会話はおわる。でも、県外の方には、そのにしぶんがわからない。そんな感じ。そして人名については、どっち側、つまり交渉相手側の人名なのか、当方のスタッフ側の人なのか読めないので、Web検索でも判断がつきにくい。出歩けいない分、オリンピックがあるじゃ無いか。確かに、でも僕はダラダラと見るのは嫌だから録画してピンポイントで見たい。取り敢えず、今週分の放送は録画設定済み。
7月20日(火曜日)
冷蔵庫の野菜が切れたので買い物。胡麻の葉、バジル、つる紫、マンゴー、柚子、夏野菜満載。ラジ英語と翻訳は少し丁寧に。高知の友人が来て、車と噴霧器を持って出て行った。今日はキッパリと晴れたので、風が通り室温が30.3固定。部屋の掃除。最近頻繁に掃除しているので、汚れや埃はないが、清掃後の気分の良さは変え難い価値があるし、この部屋の加齢臭は消えた。午後から、BDの整理。途中で遡っていったラベルの貼り直しも終え、これからは水面より上の作業だ。出掛けられず家の中にいると、色々と思う事がある。怪我をして反省しているのは、今まで少しはしゃぎ過ぎだったと。気分は良いし体もよく動く、殆ど昔と変わらない。そんな感じだった、だが実際は足のもつれは日常となり、椅子や絨毯やドアなどありとあらゆるところにひっかけていた。事故は突然起こらない、いくつか予兆が重なり、積み上がった結果起こる。でも、良かった。これを機会に年相応の動きに変更すれば良いからだ。もしこれがなかったら、もっとはしゃぎ大きな事故を引き起こしていたのかも知れないからだ。
風呂を焚かない、夕食は簡単なもので済ますとなれば、時間が空く。立ち止まって耳をすませば、ひぐらしが鳴いている。ほかには、潮騒。風があるからだろう。サトウキビの葉が擦れている音もする。山の中に暮らすのはこうした静けさと寂しさが同居する。檜和田氏がここは空気がうまいと言ってた。確かに。肺いっぱいに新鮮な空気で満たされる実感がある。電気もノイズが少なく澄んでいるのでオーディオの音も良いのだが・・。
7月19日(月曜日)
やっと疲れが取れたのか夜が楽になった。腰痛も楽になった。平常とはこう言う事だった。毎日の畑仕事はたとえ半日だからと言って毎日続けると疲れが蓄積すると言う事だった。医者に行った、包帯を解くと足は紫色だった。強い衝撃で内出血していた。「割れた骨は刺すと痛むでしょうね」「多分そう、でも手術で開いて取れないから固まるのを待つしかない」僕が思ったのは、この医者にはその技術がない。若しくは、これが一般的な処置。どちらか不明。病院を出ると昼期だった。土佐山田は古民家喫茶店の宝庫だから探したがどこもコロナで閉店。仕方なく帰り道にあるガストに寄って食事。味のついた外食は美味いな。帰って滋賀の友人に怪我の手紙。彼等は高知に遊びに来る予定だった。コロナのワクチン接種が終えるタイミングで、しかし、僕の怪我は少し時間が必要な為延期の連絡。その後、抜けるような晴天を祝してジャズをかけると、高域が幾分おとなしいのに気がついた。この所ずっとクラシックだったから。そこで、予備のスピーカーSBX01をSBM10に代わりに接続すると、何とシャリシャリ感が強くなり、JAZZらしい音が出てきた。夏の間はLPとJAZZに変更だ。結構楽しい音が出ている。LPの音は少し湿っぽいので、このシャリシャリと上手く合う。まるで、アジの干物と白菜のお漬物のように。(通じるかな)
7月18日(日曜日)
2019年5月にオランダ経由ベルリンに行った。ロシアからポーランドを経てオランダに達するが、上から見て地図のように国境に線が引いてあるわけでもなく、高低差のない道が延々と続いていた。オランダからベルリンも同じように広大な平地で、森はその一画に四角に区切られていた。畑も広大で猫の額の我が家のサトウキビ畑とは比較にならない。そんな平地での洪水は日本で言う濁流に飲み込まれるのとはチョット違うようだ。ライン川は船で上流まで上り下りができるゆったりした流れの川だし。春に降った大雨で地盤が緩んでいたと、日本では考えられないような報道。この洪水に対しドイツ人は大雨を甘く見ていたのもあるだろうし、水が中々抜けきらなく滞留するのもあるのだろう。一杯になったところで一気に溢れ出したのだろう。投稿映像を見ていて日本と違うのは、現地の人はカメラを振らないですね。ほぼ固定で撮影している場面の切り替えは、一旦停止してからだ、実に見やすい。日本人の投稿は左に右にカメラを振り回してよくわからない映像が多い。結局これがプロのカメラマン?にも影響してカメラを振り回すテレビ放映と繋がっているのだろうと思った。NHKは未だましだが、民放のカメラワークは投稿と何らかわらない、ドイツのアマが映像とはどう見られるか考えている。濁流に飲み込まれた車はVWが多く、少しだけBMWも、でもベンツは見かけていませんね。日本でもベンツが飲み込まれた映像は見ないですね。
雨で動けないのもあるが、骨折でも動けない。食事制限をするので、こちらが辛い。でも、いい気になって食べると身体全体がやられる。動けないので日頃なかなか進まなかったBD整理を一気に進めてかなり目処が立った。
肩が凝ってふと外の景色を見ればどんよりと曇った陰湿な雲。熱中している時は良かったが、余りにも静かな午後。風呂もたけない買い物にも支障がある、いずれ何年か先にはやってくる事。この不安を話す人がいない寂しさ。どうにもならない寂しさ。かなり息苦しくなる。迷ったら読書。逃げ込む先は本の中。未だ逃げるだけの気力が残っている。今の所は。
7月17日(土曜日)
小屋の樋に問題があって、雨が反対方向に流れて、下の岸に当たっている。一昨年はこれが原因で岸が崩れてしまったので、早急に手当てする必要がある。朝のうちは晴れていたので午後にでも行えば良いかと思っていたら、パラパラと降って来た。僕は慌てて小屋に走り込み道具を持って屋根に上がろうとした矢先、動噴の持ち手に躓いて転んでしまった。右足から血が出ているしものすごく痛い。とりあえず樋の修理を終えて部屋に帰ったがみるみる間に腫れて心持ち親指を曲げるのが難しいし、痛む。だが昼を回っていて近くの医者は閉まっていた。急患に電話して土佐山田にある整形外科を紹介してもらった。怪我をしたのは右の親指で、運転するには支障がないものの踏むと痛む。診断結果は、骨が粉状に砕けている。「元通りにならないかも知れませんよ、特に踏ん張りが効かなくなる」固定して、出血部分に薬を塗った。「足は洗わないで下さいね、こちらで洗いますから」と言われた。最近、富に足が意思についてゆかない事が多く、いろんなものを引っ掛けている。きちんとした靴を履かないと危ないなと思っていた矢先の出来事だった。農作業の時は完全防備で臨んでいるものの、こうしたちょっとの時は無防備だ。その間隙をついての事故。1ヶ月は難しいだろう。幸に草は殆どを刈り終えている。が、1ヶ月は難しいだろうから手に負えない状態で復帰となるかも。夕刻お寺さんが肉とパンを持ってきてくれた。お坊さん曰く「やすめと言う啓示だよ」と、もう少し遅い時間には師匠が桃を持ってきてくれた。あなたが早く動噴を取りに来てくれなかったので、蹴つまづいたと恨言を述べた。「たまにゃゆっくりしないと」と忠告。皆んな僕に休暇を勧める。
明日も雨だし、何にも出来ないので映画「ゴースト&ダークネス」を見た。ケニアで140人を食った人食いライオンのパニック映画。ツッコミは雄のライオンが狩をする(つまり、人を襲う)か?もう一つは、ライオンが火を恐れてないのは何故か?でも、これは実話であり、シカゴの博物館に剥製が飾られているらしいから、ツッコミは的外れだった。
今日は何もしてないのに眠く4時過ぎに昼寝、夜の11時就寝。(後で判ったのは薬に催眠作用があるためと書いてあった)
7月16日(金曜日)
朝から大雨。尋常ではない雨。午前中はラジ英と翻訳と居眠りで過ごし昼前にマクドに行ってビッグマックを頬ばりながら「イブの7人・・」を読んだ。コーヒーをもう1杯注文し読み上げようかとも思ったが、高知はコロナ蔓延もあるし早々に退散して、プールに向かった。昔はそうでも無かったが、今は食後の運動はキツイ。特に700m位がピークで1500m位まで続く。速度をやや落として息の切れるのをやり過ごした。1時間15分を使って2km。ここは長岡温泉の併設プールなので、あまり頑張れないのも後押した。僕は疲れてないと思っていたが、最後の1800m付近で隣のレーンから来る波頭を思い切り飲んだ。疲れで顔が上がって無かったんでしょうね。プールの水は決して美味しくはない。帰りにスーパーマルナカで買い物。バジル(香草)があった。家にはセイソウがあってスパゲティの上に刻んでふりかけた。匂いの強い野菜は他にもニンニクの芽があって、漬けた豚と一緒に炒めた。さて強い野菜同志を使ったらどれが勝つのか?興味あったが、結果普通の野菜になってしまった。個性が打ち消しあったのだろうと理解した。久しぶりにiPodを使うと古いIDのパスワード要求があった。もう記憶はないので、キャンセルしたが、何度も表示されるのでアップルに問い合わせると、購入証明書や、レシートなどが必要で昔のことだから持ってない。つまり、リセットも出来ず使い物にならないと言う結果となった。これがアップルの隠れた戦略で、新しいものを買いなさいと言う事。アメリカで企業の寡占化に警告が点滅しているが、これらの企業には普段目に見えない所で上手く儲ける仕組みに問題があるのかも知れないとも思った。
7月15日(木曜日)
やっと疲れが取れて平常に戻ったが、天候が冴えない。本来なら梅雨開けの筈だが。やっと午後に晴れて、文旦の草刈り。やっぱり今日も畑1枚しか出来なかった。草が成長して背が高く中々前に進めない。雨が来る直前に作業を終えた。家に帰ると、ドンと雨が来た、間一髪とはこの事。重い草刈り機を長時間握っているので終わると指の感覚がおかしくなっている。こんな夜は寝入る直前か直後に、草刈り機を振り回すように力一杯大きく手が動く。布団の周りに何も置いてないし、それを想定してやや広い1.5倍の布団で寝ている。が、箪笥などに当たれば骨折の恐れがある。母もよく動いたし、娘もよく動き小さい頃思い切り腹を蹴られた事がある。寝入った後の動きに責任が持てないのはDNAだろう(DNAと呼ぶかどうか不明だが)「イブの7人の娘たち/ブライアン・サイクス」を読んでいる。「ミトコンドリア」が物語の中心にある。オセアニアの諸島の人々はどこから来たのか?ミトコンドリアを調べれば分かる。それまでは風が東から西に吹いているから、南米から説が主流だった。それに現代に葦で編んだコン・テキ号で南米からニュージーランドに航海実験で成功している。だがミトコンドリアのDNAは台湾人と同じで、出身地が判明した。今までの常識的な理論が覆されている。次に、最初の人類ホモ・エレクトスがサピエンスと血縁関係にあるか?あるいはネアンデルタール人と、これはNOだとある。科学書籍なのに、コナンドイルのような推理を紐解く書きっぷりで時間を忘れる。記憶力が薄れているので、メモ用紙を用意して、話の筋を図表して理解しながらの読書となっているのが残念なところ。それとここ1年の話し相手は自己との対話みたいなもんだったので、久し振りに人と話すと言葉が出てこなくてついつい表現が浅くなってしまうのも残念な所。
7月14日(水曜日)
5時起床、流石に眠い。前日の疲れで午前中は回復期なのだが、お客様対応で鞭打って朝ごはんの味噌汁だけ作った。6時前に出発。高松でもう1泊して帰るらしい。ライラックのバイクを回収しての行脚らしい。こちらへの旅費は僕が負担したから、彼はそのついでに自分の目的も済ませたと言うちゃっかりさんでした。僕としては重いアンプを運んできてくれただけで嬉しい。その後、昨日休んだラジオ英語と翻訳を2日分頑張った。午後は文旦の下の草刈り。1ヶ月のブランクで、通称「ぬすっと」が50cmくらいに育っていた。ここまで成長すると刈る速度は流石に落ちて畑1枚のみ。露草を刈ると水気が飛び散って、服が草汁で濡れて染まる。5時終了。風呂を沸かし、夕食を献立て、疲れ果てて就寝。
7月13日(火曜日)
朝8時半。檜和田さんがやって来た。普通とは違う人だから、こちらで行動が掴めない。SEA7000を運んできてくれた。前に購入したが、不良品だったので、修理を頼んでいた。今度は動く品を持って来てや。と言うことで、それが実現できた訳。ついでにオンキョウのM509のボリュームが調子悪いので見てもらった。アンプ修理のやり方を少し見させてもらった。今回は接点復活剤を使用しボリュームの回転が偉く軽くなった。こんなにも違うものか?音は確認してないけど、感触はすごく良くなった。それとお土産に自分で煎じたお茶の葉っぱと言うか、薬草のお茶パックを貰った。こう言う売ってないものがお土産としては良いですね。そこも彼らしい。作業を終えて安芸市の「寺尾」に出かけて刺身を買った。檜和田氏はフカを買った。美味しくないと思うが。帰って昼食、その後彼は昼寝、僕は草刈り。昨夜雨がぱらついたので、草刈りの時土埃を巻き上げることのない今しかなかったのだ。いつもの如く大汗をかいているから、僕の方は多少の塩分は許されるだろうが、檜和田さんを見ていると、私の母と同じように醤油の海に刺身を付けて食べている。いずれ代償を払わなければならなくなるだろう?と思った。翌朝早いと言うので9時に懇親会を終えた。
7月12日(月曜日)
どうやら萌がきたのかも知れない。例えば、未だ霜が降りる寒い日に、南斜面の崖で微かな春の匂いを嗅ぐことがあったりしますね、土筆やワラビの生える前兆だ。それに似たような萌が、1年少しの翻訳で見えてきたのかも知れない。英文字を眺めていると何だか全容が見えてきて、文章の空間に解らない単語を辞書で引きポンポンと入れて行くだけで文章が完成する事が多くなったのだ。地名や、人名、組織名はこの本に関する限り最後まで未解決のままだと思うが、表現と現象、批評は何となく居心地が良いのだ。かと言って、1時間2000語を超えることは滅多にないから、速度が上がっているわけでもなく、1500語前後にとどまっている。翻訳は朝の毒されてない新鮮な頭で行っているが、夜寝る前に、少しだけ作業する事もある。そして頭が睡魔で朦朧としている時でも、楽しいひと時となってしまう(つい最近の事ですが)僕としてはこの恋の芽生えを何とか乗り越えたい。一段高めから見る風景はどんなんだろうかとても興味がある。午後は、きまさごと西の上だんの畑の草刈り。師匠曰く、「この1ヶ月の草の伸びは凄かった」僕も同感であります。もし、トルクの強いこの草刈機やまびこSRE2730に巡り合わなかったら、どうなっていたことやら、もしかしたら除草剤に頼ったかも知れない。それだけ勢いが強かった。近年稀に見る凄さだ。
7月11日(日曜日)
久しぶりに師匠から昼飯のご案内。「柿の木」喫茶店。人が全然入ってない店。かと言って味は悪くないし、まずいコーヒーも付いてくる850円定食。3人で長いこと話し合った。「今はなんでもできるし、薬も飲んでない。去年から比べると力も出てきた、歳をとって筋肉が付いたようだ。でもこんな幸せがいつまで続くの不安だ」と僕は疑問を投げかけると、「う~んと負担をかけて翌日休むような事をしてはいかん、毎日ほどほどの負担で休みなく」と言うのが回答だ。実際のところ、避けられないきつい仕事はあるから、時間が来たらやめるしかないと僕なりの結論。2人は朝と夕刻に仕事をする、昼は寝ている。それが効率的。僕は1時半~5時まで仕事をする。僕の活動時間は少ないが昼間のきつい時間に出ているのが問題あるかもしれない。
帰ってから、草刈り。汗が噴き出す。2リットルの水が身体を通過してゆく。ザルとまでは言わないが、かなり大きな穴の開いた容器みたいなもの。これが7月末から8月初めの炎天下だと3リットルから4リットルになる。身体に良いことはないと思う。ここらで仕事時間を考え直すべきかも知れない。
ドラマ「FBI」から離れられない。僕はドンパチを期待して見始めて、目的が変わり、ドラマ展開の安心感に、安らぎを覚え、今では、なんだかこの組織はヒューマニズムの塊のお茶の間劇場だと思い始めた。ちょっと湿っぽくなってきている。あまりそちら方面は好きではないのだが。
7月10日(土曜日)
鹿児島は豪雨。昨年は熊本、高知は雨がない。昨年はこちらでも降った。雨の振り方が明らかに局地的になっている。都城市に住む知人に電話をすれば、えびの市は40km離れているので問題はないと言う。それこそ雨に狙われたらひとたまりもない。雨がないので、サトウキビの棚作りは予定通り本日完成した。これで肩の荷が降りた。普段ならここで祝杯をあげるのだが、妙に飲む気分でもない。BD整理をしたほうが良い、とつまらぬ欲が出る。今後は頃合いを見て草刈りをするだけ。来週は梅雨明け、檜和田さんがやってくる。その受け入れをした後は、カメラを持って出かけよう。平日なら人との接触はない。車で出かけるにはEOS-R。重くても大丈夫。Newレンズ100mmマクロが発売された、これを入手すれば、システムは完成する。Rは失敗のない写真が撮影でき、旅行には最適だが少し重い。残念だが無理。旅行にはLUMIXしか持参できない。それではニコンD850が宙に浮く。「どうしてくれるんだ」定年後これさえ有れば生涯物として買ったが、暗いシーンが苦手とあって(半端な暗さじゃない)、万能選手じゃ無いのだ。もちろん三脚が有れば問題なしだが、この重たいカメラは三脚も重量級を必要とするので、結局撮影が想定できる場所、つまり2度目とか3度目の場所に担ぎ出すことしか出番が無い。100万円を投入したのに、欲望には限りがなくついつい目移りしてしまった。写真は上手くは無いが、カメラについて勉強させてもらった。その知識はどうする?と聞かれても、カメラで仕事をする訳ない。コンテストなんかに出品している作品を見れば、みんな意外といいカメラとレンズを使ってない。まぁ言ってみればスマホでもいい作品が撮影できると言うことなんですが。それを言うと僕の人生はなんだったんだとなってしまう。
7月9日(金曜日)
午前中は雨だった、午後はプールへ行こうかなと思っていたら、昼食後晴れてきた。それで、まずはサトウキビ畑の柵に取り掛かった。この畑が終われば肩の荷が降りる。強い日差しで汗が噴き出る。3時過ぎに庭に咲くヒギリを切ってかっぱ市場に運んだ。1本200円。持ち込むと、従業員も驚いていた。これが200円?今年は庭にいっぱい咲いている。稼がせてもらおう。谷屋敷のつくね芋も蔓を竹に這わせた。こちらは虫が来ているようなので消毒の必要あり。
夕食はきゅうり尽くし。横に寝るきゅうりで形は曲がっているが甘い。きゅうりの佃煮を作った。一つはピクルス。もう1品はきゅうりの仲間の「黒うり」。これをシメサバで和えた。量は多いが昼間の消費したカロリーよりも少ないような気がする。
夜はヴァン・クライバーンのチャイコフスキーピアノ協奏曲1番を聴いた。流石に、噂されるだけあって、物凄い感動の演奏だ。コンクールで、リヒテル(ピアノ演奏で有名な大御所)はこの人に25点を付与し他はゼロだった、と後日談がつくくらいの演奏だ。演奏の後スタンディング・オペレーションが8分も続いたと言う。世の中にはまだまだ知らないことが沢山あるなぁ。
7月8日(木曜日)
朝風呂を止めたのは暑くなったのと、農作業を終えて直ぐにお湯を浴びてさっぱりしたい(昨夜の残り湯を使う)ので、朝風呂でぬるま湯にすると夕刻まで温度が維持できない為。それで少しだけ時間ができるので、その余った時間をボルトン翻訳に回したら2500文字くらいの進捗があった。あまりややこしい交渉なんかが出てくると、途端に速度が落ちる。160ページ読んでの感想は、どうも海外の国に軋轢を生んだのはトランプ氏よりも、ボルトンの意向が強く反映されているような印象を受けた。それにマチス、ポンペイオと良い人間関係で、結局この2人も巻き込んで、内向き志向の政策ばかりが跋扈した感じ。
たまたま偶然だが、前回読んだ「日本国記/百田尚樹」と、今読んでいる「疫病2020/門田隆将」が同じことを書いてあった。「日本国記」ではミッドウェー海戦で参謀の意見を全く聞かないのと、情報を蔑ろにして大敗をきしたのと、「疫病」ではコロナ蔓延の初歩の時、厚労省はインフルエンザよりも軽いと言い、武漢以外からの入国は禁止しなかった。外部の意見を聞かない政府、情報収集をしない厚労省。時代は変われど全く同じ事を書いてあった。テーマも作家も違うのに。対象だけが共通の日本人だと言う事だけ。
管政権の官房長官で加藤勝信は、官房長官としての威信がないと言うか、単なる原稿読み者だと感じていたが、「疫病」で失望と非難を掲げる厚労省の大臣が、コロナ発生時は加藤勝信だったと書いてあった。どうりで、合点が言った次第。
7月7日(水曜日)
山陰や東北の人に悪いが、今年の梅雨は雨が少なく、しかも雨は夜降るので、日中は野良仕事ができる。そして汗でベトベトになった服は洗濯すれば翌日の昼には乾き、同じ服だが乾いたパリパリの服を着て野良ができる。今日は昼から先祖様、近所の岡村家が集まって墓清掃、大塚様の妾の墓も清掃し、結界を立てる。普段なら夜懇親だが、コロナで中止。もう今後宴会は止めたらと声も出ている。その後サトウキビ畑で柵作り。時々パラパラと雨が来るが、その時だけを凌げば又太陽が出る。その繰り返しで作業を進める。今週中に終える。もう急がなきゃならない仕事はなくなる。つまり、1月サトウキビ絞りを終えて、薪作り、切り倒した葉の片付け、柵の補強と一連の作業がおおよそ6ヶ月で終わると言う事。いよいよカメラを持って遊びに行ける時が来る。多分コロナも収束方向になるだろう。
夜は少々ムキになって取り組んでいるものがある。BDの整理だ。タイトルをシールに印刷をして、ディスクに貼っていたが、これを再生すると回転時、軸に負担がかかり、ブーンと音がする。それで一生懸命作った3200タイトルをBDから剥がし、フォルダーの面に貼り直している。つまり2度手間な工程を行なっているのだ。本来はもう終えている頃なのに。BDに貼ったラベルシールはうまく剥がれないのもあって、それは再びシールの作成し直し。3度手間だ。それで頭にカッカと血が上り作業にムキになっている訳だ。普段は、フィルム写真のデジタル化と旅行記、それとこのBD整理を順番に回していたが、この2度手間に執着してしまった。こう言うカッカとなるのが良くないだろうね。
7月6日(火曜日)
お婆さんが生きていたら目玉が飛び出すほど怒っただろうな。我が家の分家の時、いいところばかりの土地を持ち出した。残ったところが本家(つまり僕の家)だった。祖母はその為、分家を恨んでいた。まぁ結果圃場整備で、我が家の水田はいい場所にまとまったから良かった。分家の方は遠く離れた所に行ってしまい、悪事をすると応報を受けると家訓がある。その分家の草を刈ってあげた。彼等はもう高齢で動けないから。そんな事をしてあげる義理はないとお婆さんは言うだろうが、もう時効だ。一方で、僕が定期的に刈っているのを知る付近の人たちは、僕の仕事ぶりを見ている訳で、放置も行けないし、始末の具合は厳しく見ているので、親切心よりも、僕の意地が放置できないと叫んでいるのだ。帰って、家の周りの草刈り。今日は妙に草刈機の重さが身に染みる、よく考えると昨日の水泳での疲れが残っている。疲れを残さない。その為に野菜果物は欠かさないが、消化能力よりも消費能力が上回っている、いや、疲労回復能力が弱っている。
食事の後、「BS4K日本の歌」を4本くらい録画してあったのを、好きな歌、好きな歌手だけ残して1本のBDに収めた。それを100インチ4Kで見た。圧倒する高画質に驚く、ここまで見せるの?「藤あや子の紫雨情」は圧巻だった。綺麗な人やなぁ。「坂本冬美の津軽海峡冬景色」は石川さゆりを超える凛とした気品があった。この番組は素晴らしいが、かねてより嫌いな場面が多すぎると思っていた。DIGAの編集機能を思い出し不要な画面を切り落としたら、凄いアルバムが出来上がってしまった。
7月5日(月曜日)
オリンピックなんか開催してほしくないのは、通っているプールが、オリンピック強化練習で7月8日から26日まで使用禁止となるからだ。他のことはどうでも良いが、こればかりは困る。それで、泳ぎ納めとして、農作業を手短に片付けて出かけた。2km。50mプールが使用できて、気持ちが良かった。ただ速度を頑張ってあげたので、脚が攣ったりした。隣のレーンでは強化練習の事前が始まっているようで、泳ぎながらちらっと見ていると新幹線のように瞬く間に追い抜いて行く。昔はそんなに大きな差が出なかったのに。今日で69歳。こちらはおじいさんだものね。水温が幾分低く普段のように疲れない。その代わり帰りの車では暖房を効かせて体を温めた。誕生日のお祝いにヤマダ電機に寄ってiPad Proをあれば買いたいな?でも無い、しかも予約も取ろうとしない愛想なし。ヤマダ電機だから仕方ないけど、彼らは商売のショも知らないで、人生の大事な時を過ごす事になる。可哀想だ。アップルショップで注文すれば、8月4日にお届けと回答が出る。ペンシルはすぐ納品。一緒に発送はできないか問い合わせると、「できない」。「あ、そう」と電話を切った。僕がへそ曲がりなのか、世間がビジネス感覚を失っているのか?帰りにすき家のドライブスルーへ、窓を開けて注文をしようとすると、エアコンの室外機の熱い風が室内を直撃した。室外機にはこのためのルーバーが用意されているのだが、この店は設置してない。年取ると偏屈おじさんになると言われるが、僕が間違っているのかなぁ。帰ると息子くんがケーキを買ってくれていた。誕生日お祝い用だ。だがそのケーは甘く無い。微妙に甘さを排除している、不味くはない、奥ゆかしいのだが、外国で食べる強烈な甘さの直撃とは行かないまでも、ケーキだから、それなりの甘さがあってもいいのでは。息子の好意には感謝だがケーキ屋さんの在り方には疑問。文句たらたらの誕生日。水泳のタイムは5分遅れでそんなに悪く無い。
7月4日(日曜日)
静岡の土石流を見てわかったことは、土石流は低いところに向かうこと。山の傾斜地では等高線の混み合っている方に向かうのだ。それは芸西村の崩落危険地図を見てもわかる。僕の家の左右がその指定地だったから。昔父が言っていた、ここは丘だから安全。もう一つは、造成したところは危ない。前回読んだ地図の本でも、国土地理院が発行する昔の地図は参考になると書いてあった。昔住んでいた鎌ケ谷市道の辺中央の直ぐ西側は急峻な坂を下ると沼地で直ぐ又上り坂となって、僕らの住んでいたところと同じ高さになる。その沼地はメタセコイアの茂るいい公園があったが、いつの間にか埋め立てられて、住居が一面に広がった。凡人の僕が見ても、ここは日当たりも悪く、水に対してはやばい、それに地震があれば液状化だろうと思ったことがある。多分造成地とはそんな曰くを持っているのだろう。もっと探れば、怨念の捨て場所だったのだろう。だから人が住まなかった。
今年は夜雨が降り、昼間は太陽が出る梅雨だ。それで、毎日農作業が出来ると言うか、僕の休みが取れない。「晴れれば耕し、雨なら本を読む」ことわざを実践しているため。それで、毎日よく農作業の仕事があるもんだ、となるが、今年は雨と晴れで、雨後の筍の如く、草の成長が早い。その草も畑によって、又、同じ畑でも場所によって草の成長が違う。これは明らかに地下水脈の関係だ。彼らは水によって生きている。
昔からの土地で、評判の土地でさえも、こうした違いが明確にある。そこに暮らさないとわからないし、僕も農業を営んで初めてわかったこと。決して小金を掴んだからと言って、新たな土地に住もうと思ってはいけない、と言うのではなく、くれぐれも慎重にと言うか、国土地理院の地図をよく見る事だ。(僕も地図の本を読むまでは知らなかったが)
今日はその昔からある土地の境界に群生する竹を切った。チェーンソウの爪を研ぐと、スパスパと切れた。もうすぐサトウキビの補強柵が完成する。これが終わると、火急の用事は終わるのでそろそろカメラに向かおうかと思っている。
蚤を捕まえた。ゾンキ=スーパーマクロで撮影。
7月3日(土曜日)
前にニューヨーク証券取引所なんかで働く頭を使う労働者は、ストレス解消に、単純明快なストーリーの娯楽番組を好むだろうと、そんな人に「ドラマFBI」は支えられている思った。だが、僕の場合はどうやら違うみたい。激しい農作業(頭は使わない)を終えた夜は、このような単純明快なドラマがよく合う。一方雨でPCと向かい合った日には、むしろ知的な音楽を好む。どうやら、「ドラマFBI」の狙いはどちらだろうか、製作者に聞きたい。今日は家の西側の竹垣根を刈った。この竹は、春先と秋と2度大きく成長するので、垣根の手入れは2回必要。この竹垣で古家は強風から守られている事もあるから、大事にしなければならない。
過疎化が進む地方、高知県は全国ランキング3番目に人口が減っていると先日報道された。そんな中、我が部落は本日一人引っ越しがあって人口が増えた。近代的な洒落た家を1つ建て、車庫にはBMW-miniが鎮座。その下の方は、VWのビートル。この2件に関しては何だか田舎とは思えないような風景が見える。まぁその周りは僕を含めて愛車はホンダの白色軽トラ四駆ですが。それでも、家の密集度は低く、僕はいつでも自分の好きな時間に好きな音量で音楽が聴けるのに変化はない。ドンパチでズボンの裾を揺らす低音が出るシアターは母屋で、こちらは深夜の最大音量でも構わない。
7月2日(金曜日)
朝からキッパリと晴れ渡った。しかし湿度が高くどうにも我慢できず冷房のお世話になった。例年なら夏の晴れた日は、室温32度までなら扇風機で凌げる、風が涼しいから。だが今日は28度でギブアップ。ダニの痒いのが後押しして我慢できなくなっているかもしれない。ダニに関しては、とにかく洗濯、掃除の繰り返しで何とかこの部屋から出て行ってもらわないと身体全体が傷だらけになる。僕の歩く先々は加齢臭ムンムンだったが、洗濯と掃除が効き、匂いが消えたのは、皮肉にもダニのお陰か。
昼から、先祖様の清掃(7月7日)に向けてあらかじめ道中の道を清掃した。この山道は角度が急峻で、落ち葉が堆積すると降りる時に滑って危ない。大雨には落ち葉の土石流が発生するので、自分の事だと理解して自ら行った。この大量の落ち葉は有機肥料としての価値があるから、来年は利用してみよう。それが終わると、我が家の竹垣刈り、山道に覆い被さっている。先程清掃した山道に続く道だ。こちらは1/3で5時がやって来た、併せて雨もやって来た。作業は終了。次に晴れる日を待とう。
日本国紀/百田尚樹を読み始めた。多少日本賛美で、韓国と中国をやや冷たく扱っている。その片よりはヒンシュク感もあるが。この本の内容は日本の歴史書。非常にわかりやすく、一流小説家が歴史を書くとこんなに明確なのか。これでは歴史が楽しくならない訳がない。僕の頭には鎌倉幕府/室町幕府がすっぽりと抜けていたので、この本で空白が埋まったような気がする。まだ1/3だが推奨本だ。
夜は、滋賀の友人が送ってくれた「エリカ・モリーニ」のバイオリンを聴く。ベートーベン/ブラームス。ものすごく良い。必死さと言うか、真剣勝負しているのがわかる。聞いていて楽しい。評は凄い文章が並んでいるが、偏ったマニアの文章。それによると、演奏も3B(ブラームス、バッハ、ベートーベン)関係に偏っていて、残された音楽が少ないとの事だ。だから僕を含め一般の認知は薄い。
7月1日(木曜日)
月末ダッシュの余波で今日は少し腑抜け状態。だが、英語の方は調子が良くて、ラジオ英会話の最後で3名のキャスターが冗談を言うが、今日は理解できた。ボルトンの翻訳の方もスムーズだった。昨日はあんまり分からないので、もう諦めようかと思ったりした。午後は先祖様に続く山道の整備をするつもりだったが、雨が激しくなって中止。洗濯物を乾燥機にかけて、買い物。小降りになったところできまさごの溝掘り。本格的な雨の来る前にどうしてもやらなければならない事だった。汗が噴き出たが1時間で仕上げた。今日はそれを見越して先に風呂を焚いてから作業したので、ベトベトの服を洗濯機に放り込んで熱い風呂に入った。目下の問題は、ノミかダニか不明だが足を中心に食われてなんともならない状態。痒くて痒くて眠られない。脚が傷だらけになった。相手が見えないのが問題。滋賀の友人から届いたCDを聴く。「ユベール・スダーン指揮」のシューマン交響曲1番。まぁなんとも騒がしい人だな。と言うのが最初の印象。躍動感もあって、どう評価して良いか。まぁ僕はブランド嗜好だから、評に乗らない人は聞かないから、こんなもんだろうってところ。溝堀に1時間鍬を振ったお陰で疲れ9時半就寝。途中痒くて2度起きて、パジャマを電子レンジに入れて殺虫。2度目に退治できたかな?
6月30日(水曜日)
月末ダッシュ。もう一冊読み終えた。今日読み終えたのは、地図作りの現在形/宇根寛。内容は国土地理院の仕事内容の紹介。そのなかに1960年代の地図の紹介があって、ネットでアドレスを当たると、今はもう入れないが、我が土地を祖父が耕していた航空写真が見つかった。あの頃の畑は今でも夢に出てくる。四国電力の鉄塔があって道が整備されていたが、鉄塔の性能が上がり、2本に1本が廃止となって、道が寂れた、そして雑木が生い茂り森に帰った。2018年との読破差4冊迄迫った。ボルトン翻訳は1520文字/1日。先月より約200文字ダウン。日曜日にサボったのと、半分以上の日数で15分ばかりの居眠りをしているのがダウンの理由。特にNATOの会議、プーチンとの会談の所で時間を食っている。話の主導権がどちらにあるのか読めない為。水泳は▲7kmを残した。自己との戦いは誤魔化すことができないので厳しい戦い。隣で畑をしているまさのりさんは、左目の奥が痛む神経痛を患った。彼も80歳に近いが激しいテニスを週3回している。ものすごく元気な人だ、けれどどっかに無理があって疾患となったのだろう。年相応のエネルギーの使い方があるのだと知った。
6月29日(火曜日)
つくね芋が成長している。畑の草を刈ると共に、芋が伝う竹の柵を追加した。脇に生える草は横に伸びるタイプで、草刈機で十分飛ばせない。向こうも僕の事を見て作戦を練っているようだ(背の高い草は簡単に切られるから生えてない)。
我が家の庭は除草剤で草を枯らしているが、最近は葉が糸のような草になって、除草剤の液が葉に定着しにくい。こちらも僕の事を見透かしているようだ。敵も鋭い観察眼を持っている。
3時過ぎに切り上げて、再びキタムラカメラへ。「芸西村のフォトブック」制作にもう一度挑戦。写真はPCでファイル名を変更し、意図通りに並べて、アルバム編集を行った。注文後1時間で完成するとの事。その時間でプールへ行って700m泳いだ。温水の時期が終了し水は冷たい。その後フォトブックを回収し、「すき家の牛丼持ち帰り」を注文、帰って野菜サラダと共にアルバムを見ながら食事。久しぶりの弁当は味が濃くてうまい。盛りだくさんのスケジュールをなんとかこなして疲れ果てて就寝。
6月28日(月曜日)
再び月末ダッシュ。読書巻数が19年比▲6。先月は▲5冊まで迫ったのに後戻りはまずいぞ。かと言って、時間は限られている。19年は買っておいた雑誌を順に読破したから、余り頭を悩ます事はなかった。今年は、単行本メインで少し難しい分野の書籍が主で、しかもページが多いときたから、遅々として進まない、収穫は多いけど。その上、WOWOWのドラマに捕らわれているから余計時間が減っている(13本)。それに梅雨時期だが、毎日晴れて午後の農作業も休みが無しで、結局読書時間が減る。昨年比で時間的にプラスの面を見れば、酒飲みの機会が極端に減った事(5→1)。コロナの関係で、喫茶店など出かけて人と会うことが減った事がある(2→0)。月末ダッシュはしんどいけど1日が充実している。
6月27日(日曜日)
フォトブックというのが富士フィルムから提供されている。この制作に高知市のキタムラカメラに出かけた。ところが、任意の写真からフォトブックに写真を登録するのが難しくて手におえなかった。つまりこう言う訳、写真はカメラの記録する番号で並ぶ。一方僕はいろんなカメラを使って写真を撮影するから、写真が出鱈目に並ぶ。この中からテーマごとに写真を選択しなければならない。20枚程度なら全写真の位置が記憶できるが、56枚ではちょっと難しい。それに、登録を間違うと、最初からやり直しだし、候補写真の登録済みに印が無いので登録枚数が増えると、二重登録のミスも犯す。そうして、キャンセルして、もう一度並び替えをするのはもう嫌。と言うことで高知市まで出向いたのにとんだ無駄足だった。それで、L版のプリントを依頼することに切り替えて店を出た。老齢で根気がなくなっているのと、記憶力が落ちている。勿論このシステムが誤解を生む仕組みなのが1番の問題だが。店を出てプールへ向かったら、途中に古着屋があったので寄った。昔妻が僕のカジュアル服を見境なしに買って大量にあった、それを順番に着て穴が開くと捨てることを繰り返すこと10年。やっと夏用は殆ど着古して捨ててしまったから、ここらで購入も良いかなと決断(それほど大業な事でもないが)。4着で2000円。これだけあれば、この夏農作業は支障がない。身につけるモノでも中古に頓着しないから問題ない。iPadも一つは中古だ。カメラ&レンズも中古だし。LPレコードも中古。書籍は無論中古で結構間に合わせている。オーディオも中古がメイン。僕はモノにこだわるタイプだが、中古に対する偏見はない
6月26日(土曜日)
昼から雨、それもかなりまとまった雨と天気予報間の澤井さんはNHKの番組で言った。この人の予想は殆ど外れるから当てにしないのが正しいが、昨晩たまたま見てしまった。それで早朝5時45分、草刈機を下げてきまさごのサトウキビ畑に行った。朝からエンジン音をまき散らしても迷惑になることはない。今日は腕が痛いのは、昨日コロナワクチンを摂取したため。その代わり、師匠が言ったように、身体に無理が効く。元気になった。時々打って欲しい効果だ。それで、きまさごを終わり、西下の畑に着手、それも終わり、前西、前東と、僕のサトウキビ畑の全部を刈り上げた。昨年は1週間を要した工程だ。草刈機が新しくなって、どんどん刈れだしたため。でも終えた時は、もう手が上がらないくらい麻痺してて、腰を曲げるにも掛け声が必要だった。やり過ぎ。この疲れは決して歳のせいではないと思う。あの重い機械を6時間も振り回すのがどれだけハードな事か。コロナワクチン効果も吹っ飛んだ。昼休憩の後、「ダビンチ」5回目を見た。今回は「最後の晩餐」のシーン。壁の一点に槌で穴を空けて、ここに焦点が集まると明言した。いわゆる遠近法のことです。僕もこの絵を見た時、「あまりにも大きく、あまりにも瞬間を捉えたようで、そしてイエスの眠い目の意味が咀嚼できなくて」。絵画に知識のない僕でも色々と考えさせられる衝撃があった程。そしてこのドラマでは、殺人罪で捕まっているダビンチが、検察官に最後に、「絵を見て有罪かどうかを決めれば良い」と言った。なかなか含蓄ある決めセリフだ。
夕刻、師匠が「とうやく」を持ってきてくれた。しんどかったが草を刈っておいて良かった。「おまん、えらい綺麗にしちゅうのう」と褒めて貰った。「今年はえいのができるかもしれん」「いよいよ150万円じゃね」と。台風次第と私。
6月25日(金曜日)
コロナ2回目の摂取。ウイルスには2種あって、DNAタイプとRNAタイプ。今回のコロナはRNAタイプ。製法はDNAタイプで作り、RNAに転化させる。このRNAが塩基の中で所定の居場所に定着してくれると、パーフェクトだが、30億基の所定の場所とはそうやすやすとは行かないのでおおよその番地に行く。ワクチンは無害化しているとはいえ、人間の身体のDNAの情報でRNAを作り、そこから稼働する酵素が出来る仕組みに、突如未知のRNAが侵入してくるから、逆方向の情報とはいえDNAにどんな影響を及ぼすのかは不明。AIマシンのように、行き過ぎたら自動的にスイッチを切る安全回路は、ワクチンのRNAに盛りめないから、例えば10年後の癌の発症で検証するしかない。アメリカでワクチンを打たない権利がとり立たてられているが、あれはあれで正しい事でもあるかもしれない。まぁコロナで死ぬか、遺伝子改変で死ぬかどちらかだから、選択肢は狭い。
4月から始まったテレビドラマの呪縛に捕まって逃れられない。今日見た「凍てつく楽園」はスエーデンの刑事ドラマ。警察ものは、悪と正義が明確で、安心して見られる気楽さがある。カマラ・ハリスの検察物語のように、事件は泥沼でなく、明確で警察と検察が仲良しなのが現実離れしている節もあるが、この手の娯楽に社会性とかツッコミは禁物、カッコいい男と、美人のお姉さん、素直な子供がいればありとあらゆる娯楽ドラマが展開できる。
6月24日(木曜日)
どんよりとした晴天。きまさごの草刈りと、西前の柵作り。大汗。1リットルの凍らせたペットボトルを飲み終えて終了。Goto Eatの券を使ってケンタッキー購入。息子に半分あげる。ホームセンターですり鉢と擦りこぎ購入。雲行きが怪しい。夜8時から大雨。レーダーを見ると芸西村のみ大雨、他は降ってない。
新聞宣伝に書籍の宣伝が掲載された。「Kamala Harris.」Kindleで購入。原書1200円。翻訳1980円。iBooks翻訳2000円。未だ副大統領指名以前の2018年まで。かなり小さい頃から目的を持って生きてきた印象。母の影響らしい。文面が「ミッシェル・オバマ」の書籍に似通っているのは、アメリカ職業婦人の共通した特徴か?それとも間に立った編集者の意向か?不明。読むと元気つけられる。
本屋さんに行って定期購読のHIVIを買ってきた。ついでにステレオ・サウンド誌も。この本は季刊誌で年4冊。厚い本なので先月末読み終えたばかり、もう発売されたんか?まるで月刊誌の如くだ。今月は書籍に2万円くらいの出費。趣味の中で1時間あたりの経費が一番安いのが読書。身体が弱り動けなくなるとこの読書だけに頼って晩年は過ごそう。手垢のついた本がPDFとなっていっぱい収まっている。
6月23日(水曜日)
未だ暗かったから2時か3時くらいだろう。突然「石が動き出し痛みで目が覚めた」。尿管結石で時々やってくる症状。最近は七転八倒はないが、痛い。でもものすごく眠かったので、もっと痛くなれば座薬を入れ、熱い風呂に入ろうと夢の中で考えているうちに寝てしまった。明るくなって起きれば痛みは消えていた。昨日しんどいのに、重労働をしたから身体からの危険信号だろう。今日はお世話になった滋賀の友人にマンゴーを送った。今、フィリピンの旅行記を書いていて、ちょうど夕食に副社長とシャブシャブの店に行った仕上げにマンゴーをたらふく食ったと書いたくだりだったので思い出した。お皿いっぱいが500円。一方こちらは糖度が低いマンゴーで@2,300円(店で提供すればさらにもっとするだろうな)。検疫とかなんとかで、海外から自由にフルーツが入ってこない。東南アジアでは実に多彩なフルーツが安価に出回っていた。
今日は竹の切り出し、先日分も含めて約80本位伐採。
難しかった遺伝子の本も読み上げた。最後に倫理の問題になると、スーパー人間がやはり出来る可能性に触れていた。そして中国では倫理の問題を飛び越して実験が相当進んでいると。キリスト圏ではブレーキがかかっているが、中国には負けられない安全保障に関わる問題だとして、アクセルを踏むかもしれないと締め括った。やっぱりそうきたか?中国では量子通信が一足先に実用化され(日本では2030年と言われている)、遺伝子でも先を越され、中国は覇権国家になる道を進む。この本を読んで良かった。今だからこそ読む価値があったと思う。
6月22日(火曜日)
寝不足でしんどい。かと言って横になっても 寝付けず食事の後、ラジ英語を朦朧としながら聞いた。濃いコーヒーで頭を覚醒させようと試みたが効果なし、結局昼前に元に戻った。二日酔いだったのだろうか?昼から、サトウキビ転倒防止の柵作り。横と縦に竹を張り巡らす。今日は縦のみ。作業中、お寺さんが芋の草を引きにきた。我が家の畑で芋を栽培し、収穫した芋でお菓子を作るのだと意気込んでいる。来年もするだろうが、来年は僕もここに芋を植えるから、かなり本格的な芋畑となるはずだ。毎日が矢のように過ぎてゆく。昨晩谷岡さんから「一人だと寂しいろうがよ」と聞かれた。もちろん寂しいと答えたが、実際のところ寂しいのも瞬間だ。直ぐに日付が変わってしまう。どっちにしても困ったもんだ。
6月21日(月曜日)
父の懇意にしていた谷岡さんとかっぱ市場でばったりと会って、「どう懇親会は?」と聞けばOKとの事。3時半に仕舞をつけるように畑仕事を段取りした。今日は前西のサトウキビ畑の転倒防止柵の補強の為の竹の切り出し。大量に使うので、すっかり竹藪が消滅するから、新しい所からの切り出しとなる。この竹は、土地の境界の生えていて、所有者が不明な点もあって勝手に切り出している。まぁ皆様高齢化で、僕がこうして手入れをする方が綺麗に片付いて良いのかもしれない。40本ほど切り出した。
お客様を招いての懇親会は基本的の西か東かのメニューの2つしかない。東は「寺尾」で刺身。西は「三谷ミート」で牛。本日は東の寺尾。いさきがおすすめとの事で、これと鯵2匹。シメサバ。サブは酢の物でキュウリにシメサバを使う。腹の足しになるのは焼きそば。ウォーターグリルで仕上げると中々の美味で、見た目も豪華。
谷岡さんは農協の職員の時、父と何度もここで飲んだと言う。気を許せる飲むところが3軒あって、そのうちの一つが我が家だったと言う。中々頭の良い人で、色々参考になる。村のペットボトル回収と粗大ゴミの回収の2つの仕事に、秋は大型コンバインで稲の刈り取りをして小遣いを稼いでいる。僕よりは多い。前はヤンマーに勤めていたので、農機具の相談もOKだ。早速脱葉機のキャタピラーの交換お願いすることになった。9時解散。僕は洗い物をして少し寝た。それからTVをつけた。大瀧詠一の「ロングバケーション」特集を見た。昔の苦い思い出がよみがってきて目が冴えた。音楽からくる思い出は殆どが自己反省を催す事ばかり。結局風呂に入って寝床に着いても目が冴えたままで、まんじりともしない夜を過ごした。
6月20日(日曜日)
屋外でのプロジェクトは3つ、部屋でのプロジェクトは①LPレコードをハイレゾ化②フィルムから写真起こし③ボルトン補佐官英訳④BDディスク整理⑤旅行記の執筆の5つ。多分④が今夏には完成するはず。結構楽しく時間を忘れそうで、1時間限定と決めている。今日は晴天に近い天候で、昼から友人の木こり2日目。結構木が大きいいので道を塞ぐ時間も長く、見かねた近所のおじさんが手伝ってくれた。木こりは危ないが、今回は倒れてくる方向が見えるのでなんとなく安心。腕くらいの枝は長さ65cmに切断して伝承館行き、太ももサイズの木は割っての処理が必要で今日はそのまま放置。身体から吹き出す汗は尋常じゃない、ぽたぽたとエリの先から雫が落ちる。全身がシャワーを浴びた状態になる。正しい夏の症状で、こうなるとまず熱中症は問題は疎遠だ。身体が冷えて、木陰なんかに入って休むと寒い。多分他の農家の皆さんもこの状態で、熱中症なんか聞いた事がないのは大量の汗によることが大きいと思う。作業が終われば着替えないと風邪を引くほど冷える。
正しい作業を終えると、気持ち良い夕飯が食べられる。そして入浴後に襲ってくる厳しい睡魔との戦い。本日の日経新聞に農業の癒しと、在宅勤務の組み合わせが紹介されていた。たまにはいい記事を書くなぁ。
6月19日(土曜日)
夜中によく降った雨も10時ごろから止んで、午後は太陽が出てきた。西上のサトウキビの柵補強に取り掛かり仕上げた。一仕事終えて帰ると滅多にかかってこない電話着信があった。荷物の到着連絡だった。友人からさくらんぼが届いていた。そうか、もうそんな時期か?この頃、時が過ぎるのが早すぎる。まだ木曜日だと思ってたら、土曜日だった、こんな事がよくある。
理由の一つには、読書に囚われていて、時間の余白が一切ないから、時計が高速回転している。読書は一期一会だと思う。人の出会いもおんなじだで、付き合ってみないと表紙やタイトルだけでは良さがわからない。いまは「遺伝子の本」を読んでいるが、「遺伝子、DNA、ゲノム、染色体」これらの用語が今まで一つの意味だった。そのベールが800ページを越す大作だが読むにつれて、一枚づつベールが剥がれてゆく。こんな良書に巡り会えるとは幸せだ。
前作の量子の本にも共通しているのは、技術的な解説は意外と分かりやすく書かれているのでなんとかなるが、それを発見/開発した人が多技に渡り、又、彼らは国境を超えて動くので、人を名前で表現したり、地名で言ったりするので、混乱が広がる(英語圏では当たり前の様で、ボルトン補佐官の本でも、日本政府をTOKYOと書いたりする)。そこで、ノートに地図と人名を書いて、併せて年代も記入して読むとなんとなくスムーズな事に気がついた。どちらかと言うと、読書よりもこちらの方に時間を食われる。
さくらんぼはお裾分けに師匠の家に持参したら、お返しにえらく高価な肉をくれた。師匠は借りを作らない人だ。
6月18日(金曜日)
実は、水泳の疲れは昨日取れてなかった。ぶり返しが来て今日の午前中は動けなかった。朝食事の後再び寝た。眠気は取れたが身体がだるく起きている事がとても辛かった。終日雨で野良は出来なかったからの丁度良かったかも。少し滞っていた掃除を済ませ、先日買った書籍をスキャンした。読む本のストックがiPadの中に溜まると安心した。買い物は車で行った。そんなことでほとんど動いてないが、昼食も殆ど食べてなかったし、夕食は野菜と海藻で済ませたのでエネルギー終始は合うだろう。そんな抑制が出来るのも食が減っている証拠で決して良いことではないだろうな。
「遺伝子」の書籍で、人間の病気を司る遺伝子の数が、ショウジョウバエの異常遺伝子と60%一致だったと書いてある。中東やアフリカでは未だ人種の違いで紛争があり、アメリカでも人種差別が吹き荒れている。だが人間の違いはほとんどなく、蝿とも似ているし、小麦やトウモロコシとも最大で25000個の違いがあるだけと。要は生物の根本に置いて違いがないらしい。どうやら、遺伝子の組み合わせと振る舞いの違いが我々に差異をもたらすようだ。
僕につてはいつ頃から調べてないが、読書傾向が小説から、ノンフィクションに移って行った。昔は本屋に行って小説しか本がない感じだったが、今では小説が目に入らない。おかしなものだ。これも遺伝子の振舞い方が少し変化してきたのかな?高知県では本屋に関しては、帯屋町にある「金高堂」でしか、まともな本屋がない(もっと大きな書店は高松市までいかないとだめ)。しかしコロナ禍で街に出るのはリスクがあるからここ1年くらい訪問できず、新刊はもっぱらKindleの電子本でしか購入できない。田舎に住む不便さは、この書籍とCDショップと衣類だろうと思う。おじさんには衣類は不要だから問題は2点のみだ。
6月17日(木曜日)
久しぶりにやってきました。9時間半の睡眠。プールの疲れもあっただろう。よく寝れました。朝食を食べながら本や新聞を読むの時間を少しづつカット。コロナ禍で人の使った書籍を買い込むのは非衛生的だし、ましてや布団の中や、食卓でそれを読むのは言語同断だ。だが僕の場合、裁断してスキャナーにかけ、PDFに保存。iPadで読むから、ここで外部とは遮断されているから安心だ。
高村光太郎は「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。」と智恵子抄でこう書いた。転じて、「芸西は四角に区切られた空しかない・・」とサトウキビは言う。今年は台風が来ると言うので、2年前施工のサトウキビの転倒防止柵を強化した。未だ背の低いサトウキビからそらを見れば、30cm平方の空しかないはずだ。徹底して狭い枠で囲んだ。曲がったサトウキビでも味は変わらないが、真っ直ぐだと収穫しやすい、運びやすい、背の高いキビが出来るなどと利点はある。他にも3枚の未整備地があるので、梅雨の合間に完成させよう。
6月16日(水曜日)
雨で外の仕事は休み。未だコロナは落ち着いてないが、予防注射を打った事だし、プールに出かけた。先月は1昨年の記録にあと500mと迫ったが、再び9300mと差がついてしまった。プールを出てから高知市に向かった。ボールペンの芯を買うため。今やここまで来なければ買えない。次に向かったのはBookOff。「遺伝子の下巻」があれば買おうと思ったが生憎と在庫なし。「グローバリゼーション/ヤナン・チャンダ、イブの7人の娘たち/ブライアン・サイクス、カッティング・エッジ、大富豪の投資術/マイケル・マスターソン」計4冊。プールを出てから思ったのは、いまは未だ何でも出来る。自由に目的地に行ける。難解な本も読んで楽しい。しかし、こんな幸せがいつまで続くのだろう。段々と手足をもがれて動けなくなってゆくのは確実だ。こればかりは仕方ない事だが、一人だとその寂しさがひしひしと沁みてくることだ。
農協の貯金通帳に記載をして入金を確かめた。とうとう100万円(今年の収入合計)を突破した。来月かなと思っていたが、ひと月早かった。師匠にメールして達成記念パーティーの開催を打診した。おめでとうと賛意を頂いた。高知の赤牛で実施しようと思う。ワクチンの2回目が終わる7月初めが良いだろう。もうすぐ胡麻の葉っぱも出回る時期。これもメニューに加えよう。一人でお酒を飲むとコップ1杯で大酔いだ。そして暗くなるから、ここはみんなの力を借りよう。
今年は異常が続いているが、我が家のツバメも異常。13日(日曜日)に無事5羽が巣立った。恒例だとその夜は生まれた巣に戻って夜を越し、翌日からは我が家を離れる(少し寂しくなるが)。それが、今日で3日目だが暗くなると巣に戻っている。そして親から餌をもらっている。いつまでいるのだろう。親鳥を含め7羽が納屋を出入りするので、僕は洗濯とか、風呂焚きとかでそこを通るからぶつかりそうになる。ヒッチコックの「鳥」さながらのシーンだ。
6月15日(火曜日)

今日は妙に頭の調子が良い。もしかしたら、2000文字訳せるかな?ボルトン回想録の翻訳のこと。だが、1700文字だった。難しかった。例えば、Kalastajatorppa
Hotel (go ahead, try pronouncing it).こんなのもあった。「これはフィンランドにある「カラスタヤトロッパ・ホテル」の事。あなたは、この発音をしてみては?」こんな問いかけで軽いお遊びなんかも含まれる。拍子抜けする。580頁中153ページまで来た。どうやら、訳が進むのは、頭の調子ではなく、差し掛かった場面がややこしいのかどうかだった。
もう一つは、「遺伝子」の本を読んでいるが、酵素の使い分けで、遺伝子の衣を取り除いたり、切り刻んだり、ウイルスにDNAを注入する事ができる場面に差し掛かった。いわゆる遺伝子の組み替えですね。この組み替え遺伝子を大腸菌に入れて繁殖させれば、疾患治療ばかりではなく、人間改造が出来るとあり、1973年から遺伝子組み換えの規制をする国際的な動きを紹介している。これを読みながら思ったのは、遺伝子組み換えは無限の可能性を秘めて面白い。科学者は虜になる。DNAの持つ情報を頂いて、実際には課長クラスが采配をとり(RNA)社員に実行させる(タンパク質)と区分が明確で、コロナワクチンはこの課長クラスに組織変更を迫ったものである。中国の武漢で発生したコロナは、人為的な不明点が多いと言うのは分かる。意図的ではないにしても、研究開発の失敗、管理不足で漏れた可能性は大いにある。遺伝子組み換えはそれほど面白い分野であるようだ。
午後友人の奥さんの畑に生える木を切りに行った。大木で、うまくいくかどうか不安がある。取り敢えずした草を処理していると近所のお百姓さんが来て、木が茂って困っていたので助かると言ってくれた。ここにもハゼの木があって、今日はそれを伐採した。4時に終えて、今度は自分の畑でサトウキビの柵の補強。現在稼働中のプロジェクトは①きまさごの木こり②サトウキビの柵③赤野の木こり。完成めどを7月中旬に設定した。
6月14日(月曜日)
昔々、土曜日の午後8時三菱電機提供番組「プロレス」の放映があった。司会がマイクを持って力道山の試合開始前に叫ぶ「60分1本勝負」。正に今日の農作業は240分「1本勝負」だった。沖の柿の木の下、親類の庭先、家の西上の畑、全て大きな方の草刈機の「棒1本」を引っ提げて振り回した。終わりの5時前には腕の筋肉が妙な動きをし始めて重い機械を振り回すには限界があるなぁと感じた次第。昨年と比べると僕の持ち分の土地は殆ど草がない。(未だ6枚手付かずの畑があるが、トラクターが入れないので耕作の予定がなく、放置している)午後10時に寝て朝6時起床の生活に戻り、元気も戻ったので、「1本勝負」に出たわけだ。食事時「遺伝子」の書籍を読んでいるが、遺伝子は、細胞に直接指示を及ぼすわけでなく、情報をもらった物質が、タンパク質に命令して、細胞を形成するようだ。そして、新陳代謝が始まるが、遺伝子の命令には、その細胞の寿命も書き込まれているとの事らしい。理解不足かもしれないが、「人の寿命は決まっている」とよく観念的な発言を聞きますが、どうやらそれは本物らしい。翻って、厳しい農作業がどう僕の健康に影響するのか不明だが、どうやら寿命に関係ないような理解もあり得る読み込みをした。とにかくこの本は厚く、文字が小さく行間が混んでいるので、間違っているかもしれないが。
6月13日(日曜日)
疲れが取れない、エネルギー不足の原因は夜更かしだ。最近はなんだかんだ理由をつけて夕食後少しだけテレビを見て、少しだけ撮りためたBDの整理をしてもうなんともならない状態まで持ち堪え11時過ぎに寝ている。これを改め昨晩は10時に就寝すれば、今日はいつもの元気が戻った、でも少しだけ用心して仕事始めを午後の2時からとした。昼飯にここから3km程西にある喫茶店に出かけた。ここは知る人ぞ知るところで、こんなところでよく商売できるねと言われる程入り組んだ路地にある。「久しぶりやね」と言われた、ホント、外食は今年になって3回目だ。フィリピン旅行記を書きながら頂いた。
帰って谷屋敷のつくね芋の蔓が巻きつくための竹を立てた。草刈りも行った。前回から11日目だが、力草が一面に広がっていた。もう手で草を抜く事ができる限度を超えていた。紐の付いた草刈機で葉っぱを飛ばした。根から切ってないから、直ぐに回復するが、直ぐに切るから、草も成長しようがない。これを繰り返しているとやがて枯れる。その後、昨日切った木を伝承館に運んだ。師匠が運動公園の周りの草を刈っていたので、ついでに作業を見ていた。馬力の強い草刈機を買ったと言ってたが、成程バリバリと草が木っ端微塵になって飛んでいく。後で機械を持たせてもらったが重い。僕の機械よりも僅か5ccだけ排気量が大きい33ccなのに。師匠の草刈りは3ヶ月に1度くらいの頻度なので、草はもう立派な大人だ。作業を終えた師匠は肩で息をしていた。今日も7時間の作業だと。それでも、昨日のコロナ注射が効き元気が出てきた言う。嘘やろう、リポビタンじゃないぜよと言った。(後で調べると、実は何人かに一人はこのような症状が出るらしい)
6月12日(土曜日)
Are you supposed to be looking as if you're enjoying yourself?
「もし貴方が自身を見たとして楽しんでいると思われますか?」。コーンウォールの昼食会にやっぱりと言うか、当然と言うか英王室が出てきて皆さんに質問したのがこれ。
アメリカなら、さしずめ「Are you enjoy?」と単刀直入だろうがまさか、女王陛下はそう言うわけにも行かない。エレガント、優雅、気品では世界一とされる人は一言だけでも違いがある。この人の前で位負けしないだけの根性が座っているかどうかが試された機会だった。
僕ならビビるが、浜崎伝助さんなら、エリザベス女王を釣ってみたいと思っただろうな?
事前に質問状がない(国会のように)場で通訳は幾ら巧みに言葉を要約しても、その真意は英語圏の上流社会で生活しないと汲み取れないだろう。日本には下らないプライドの投げかけ合いのAfternoon teaの習慣もないし。日経新聞も日頃は日本ならではと賞賛記事を書くが、さすがに今回は沈黙。バイデンはしきりにマクロンと話し、ドラキが後で聞き耳を立てる。メンケルは意識的に距離を置いている感じ。みんな英語を通訳なしで話す。そこに菅さんの居場所が見つからない(報道写真も、メインからずいぶんとはずれた奥にいる)。きっと惨めな感じで会議に臨んだのではないかと推測する。開催場所がイギリスで無ければ、こうはならなかっただろうが。
屋上オクを重ねると言葉があるが、今日はまさにそれ、疲れの上塗りだった。ゆっくり作業を進めて、昨日切り倒した分だけを片付ける小作業だったが、それでも5時までたっぷり3時間半汗を流した。風呂を焚き買い物に出るペダルが重い、タイヤの空気が抜けているのではと思ったほど。今日は久しぶりに「肉」の日だが食指は湧かない。疲労回復にレバーを買って根菜と煮込む事にした。最近とみに食が細り、調理したものは明日への持ち越しが多くなっている。1日350gの野菜を食べましょう。たしかに調理はしているが腹に入らない。
昨夜、Apple Musicロスレスに驚いた。昨日はクラシックだったので今日はデュークエリントンの「The great Paris concert」(超有名定番)
を聞く。楽器の粒立ちに驚く。1963年の録音だが。目の前に楽団が展開する。この頃の楽団はホーンセクションがメインを務める。トロンボーンやサックスフルートなどがハーモニーを奏でる。それが実に気持ち良い。左のスピーカーの外から、エリントンが切り替えの掛け声を出す。このアルバムは2時間もの長編で聴き終えることができない
6月11日(金曜日)
今日も疲れている。朝から疲れている。疲れが取れないのか、エネルギーが少なく、もう疲れたのか。なんだかよくわからないが、昨日よりは少しましかな。頭の方は快調でラジ英語の聞き取りは4問とも正解だった。こちらは強烈なコーヒーの覚醒効果かな。まずは、昨日切った木を65cmに切り揃え、伝承館へ持っていった。帰っていつもの木こり。棘のある蔓と、グイミの木(こちらも棘だらけ、この2つが密集しているところに差し掛かった。この難物は、短く裁断すると凶暴さが取れる。農業4年間の教訓だ。大きなハゼの木2本、どんぐりの木1本。いずれも我が家の畑に傾いているから、切り倒す時の危険はない。結局疲れているのに3時間も頑張った。
Apple Musicがハイレゾ配信を始めた。先月のステレオサウンドで評論家の愛聴版をiPhoneに登録してあったので、これを呼び出しAAC記録フォーマットを24ビット96khzのハイレゾに置き換える。その一つエサ=ペッカ・サロネン指揮ロサンゼルス・フィルハーモニー演奏のストラビンスキー「春の祭典」を聴いた。ロスフィルはクラシック音楽をまるで映画音楽のような、割と軽いノリでダイナミックな演奏をするが、それがいかんなく発揮されて、少し怖くなる程の広がり。映画じゃないのだよ、と叫びたくなる印象だ。こんな小さな携帯電話からこんな素晴らしい音が出る。ビックリです。もうこれだけで一生過ごせると思わせる説得力があった。
6月10日(木曜日)
流石に昨日行ったあの重い草刈機を4時間もぶん回したツケが来て、午前中は身体が本当に動かなかった。一歩が重く、腕の一振りさえも厳しかった。眠れないが何度も布団で横になって眠ろうとした。疲れが取れないと言うか、エネルギーが枯渇したと言う感じ。それでも昼が近づいてくると少し元気が出てきて、食事の後午後2時から木こりを始めた。これもやり始めると、片がつくまでやってしまい、ヘトヘトで終えた。車で帰る時脱輪してしまい、トラクターを引き出して救出する羽目に。余計な作業を抱え込んだ。注意散漫になっていたのだろう。iPhoneで言えば、バッテリーが無くなって、赤色の電池残量で使っているみたいな体調だった。
食後の読書も取り止め、ドラマFBIを観た。前回は撮り逃し、再放送の録画で字幕版。英語に注意を引きつけられるのと、短い日本語訳を瞬時に見るのとで、ストーリーが吹き替え版のように理解できず、この単純なお茶の間劇場が理解不足だった。こちらも注意散漫。
つまり、今日は、年老いて注意散漫になる早期体験を挙行したと言うことか。
6月9日(水曜日)
ピーカンの天気。カメラを持って出かけたいが、安芸市保健管内でコロナ発生(つまり近所まで来ている)。動けない。その上、よしかずさんから、芝の山の文旦の下も刈っておくようにと。それを体よくこき使われていると受け取るか、ありがたいアドバイスとして受け取るかは自分次第。しかし時々農業のアドバイスもあるし、ピーマンもくれるから良しとしよう。ここは、草の層が厚くて、4時間ほど草刈機をぶん回した。元気印の私だが。流石今日は疲れた。スーパーへの夕食の買い出しにも車で行った。足がもつれて色んなものを引っ掛ける。いずれ年を取るとこうなる羽目にとは思っているが、今日は先取りした感じ。友人からは「ほどほどに」のアドバイスがくるが、人に見られて半端な農作業は嫌だし、結局手をつけると最後まで行ってしまうようになる。こうして運命の残り火を駆け足で駆け抜けていくような気がしている。
6月8日(火曜日)
高知県ではコロナが勢力を増やしていて、徳島県の感染者数を上回りそうな勢いだ。そんなコロナ禍で生活するのと同じような注意を払って、ハゼの木を切っている。新芽の青い葉っぱは、近づくだけで被れる人がいるほどだが、僕はそれを切っている。できるだけ木の切り口が服につかないように、葉は身体に密着しないように、切った時にでるおが屑は靴に紛れ込まないように。それでも量が多いのでいつのまにかくっついている。払い落とすが仕方ない時もある。でも、結果としてまだかぶれずにいる。
偶々偶然が偶然を呼ぶことがある。先日量子の本を2冊読み上げた。今読んでいるのは遺伝子の本だ。この本の冒頭に書いてあったのは「量子、遺伝子、bit」が先端科学として重要度を増していると。その2つ目に取り掛かったと言うこと(bitはパソコンに関するデジタル関係)。凡庸な私は単に中古本屋で買ってきた本を順番に開いただけなのに、結果として系統だって本を読むことになったのは僥倖だ。その遺伝子の本で先ず取り上げたのはメンデル。隔世遺伝の話。
話が長くなったが、僕のお爺さんは、割とハゼには強かった。僕はそんな体質を持っていたのを、今日初めて思い出した。僕が定年後農業に傾倒してゆくのは当然の帰結でもあったわけだ。昨晩は、コロナに感謝したが、今夕は前言を翻して遺伝子に感謝だ。
6月7日(月曜日)
今日から数日間晴れるから先ずは洗濯。シーツの洗濯が1週間単位でうまく回っている。
サトウキビ畑の草刈りを仕上げた。どこも完璧に草が刈れた。余った時間で、きまさごの畑に覆い被さる山手の木や竹を切ることに着手した。工程は1週間程度かな。この木は他人の土地に生えているが、空は完璧に我が家の土地を占拠している。ドングリとハゼの木。少しばかり試してみたが、ハゼには被れなかった。明日から本格作業に入る。友人から懇親会のメール。今夕は質素に済まそうと野菜中心だったが、友人のために急遽肉の買い出し。夕刻5時を過ぎていたので、2割引のシールが貼ってあった。友人は香美市の園芸組合にオクラの選別の仕事に就いたとの事。土日は、南国市のモノづくりセンターで「貝教室」とフル回転している。まぁそんな面では、お互い年老いても頑張っているわけだ。全国はコロナ収束傾向だが、高知は全盛期を迎えた。5月の連休中に高知県だけ発生が少なかったから、大阪と岡山から大勢の人がやってきて、あちこちに菌をばら撒いて帰った結果、全国より遅れて4次のピークを迎えている。落ち着いてくれないとプールへ行けない。まぁそんなたわいのない話をして終えた。少し寝た後、酔い覚ましに徹底して後片付けを行った。アルコールで拭き掃除をすると梅雨の時カビがやってこない副次的効果もあって便利な世の中になった。
僕はコロナがなければ、今のような地に足の付いた活動はなかったし、芸西村で新たな友人を作ることもできなかった。旅行記を執筆するなど自己との対話もなく、苦い思い出とともに、つれずれなく書きなぐることもなく、読書や、音楽の聴き方にも深みが増すこともなく、随分と「浅く生きてきた」かもしれない。僕の人生に於いては必須の出来事である。
6月6日(日曜日)
草と対峙して4年目。やっと、家の庭とか、畑の中で振る舞う草について少しわかってきたような感じがする。近所のお百姓さんはもう何十年も共存してたから、僕のような素人よりももっと知っているだろう。だが別段自慢すべきことではないらしく、ノウハウの伝授もなく、話題にも上らない。一方でにわか百姓が一番挫折する要因は、やっぱり草の繁殖にある。1週間はカイワレ大根の様な姿が、約40日で凶暴になる。トラクターでも、爪に大量の茎が巻きつき危険に晒す。増してや耕運機などではどうしようもない。作物の間に生える草を抜くには時間がかかり、1日で10mも進めば良いほうだ。草は畑はかりか家の周り、畔至る所に生える。家庭菜園の少しだけ規模が大きいのとは違う。僕はやっとその上に立てたと思う。
6月5日(土曜日)
高知の友人の母が亡くなり葬儀。父が亡くなり49日が過ぎた所で母が亡くなった。予期せぬ死は辛い。しかし、これには「必ず回答があるものだと友人に伝えた。自分の心の中だけですが」と条件付きで。
これで我ら3人の仲間はみな両親を亡くした。いずれはやってくるから避けようがないのだが。僕的には戦前の昭和が終わった感じがする。親達は子を育てるのに必死だったから、僕ら3人は親への感謝は忘れないだろう。だが、僕らは子供を育てるのに必死だったかどうか?やや疑問が残る。葬儀の席上、住職が言った「弘法大師が南無大師遍照金剛と唱えると、あの世に導いてくれる」このお祈りをしているのだ。そうか、亡くなってもお祈りが済まないと現世に居るのか。僕たちは子がそのような取り計らいをしてくれるのだろうか?別に期待はしてないけどね、と言うのも共通見解。次は昭和戦後の僕達の番だ。順当に行けば後24年後。虚しいですね。葬儀の後帰るのもなんだか気分が重く、北川村「モネの里」に行った。少し花と対話して気を紛らわそうと。普段、昼間は農作業か読書か、中途半端な目的無しはイライラ原因だが、今日はゆっくりと園内を散歩できた。格別何かについて考えこむことはなかった。
帰りに田野駅でお土産、安芸市で介護用手袋と包帯を探した。手袋は砂糖の加工用。包帯は自転車のハンドルに巻く。ドラッグストアのMacで手袋だけ発見。ついでに晩のお惣菜を買った。今や生鮮食料品もドラッグストアで買う時代。芸西村のスーパーサンシャインの半額の品がある。
6月4日(金曜日)
疲れが溜まっていたのだろうか、8時に目が覚めた。こんなことは初めてだ。雨で何も出来ないからコレでもいいか。でもゴミ出しだけは必須。車を引き出しゴミを捨てに行った。ついでにかっぱ市場に砂糖出荷。野菜も買い込んだ。農作業がないので、野菜中心の食事でも腹持ちする。遅い朝食をしてボルトン補佐官の翻訳を進めた、今日はこれだけのつもりだった。nothing(何もなかった)の訳が、前後の文面から入れるところがないと悩んでいると、午後2時半ごろ役場から電話があって、コロナの注射に今すぐきてください。問診票に記入する時間だけ待ってもらった。受付で問診票を出そうとすればリュックの中にない、取りに帰ってもう一度受付。お年寄りはいけませんね。大御所先生の問診はああ君か、何もないね。許されない問診だ。注射が痛いので、どうしても構える、看護婦さんは手をぶらんとしてくださいと何度も催促、僕は針が刺さるのを見るまで緊張で息を詰めた。腕の奥の方が痛かった。病室から出ると、隣のおばさん達に聞かれた。痛かった?丸で小学生の時のようだった。そう、年老いて子供帰るのだ。
帰って夕食の支度と風呂沸かし。食事の後、「コナン/ゼロの執行人」。内容は公安と警察の、それもそれぞれの検察の組織の戦いで、組織に疎い私は半分意味が理解できない。日本特有の込み入った事情の話。横山秀夫、高村薫もこの警察の内部事情の話を随分と書く。この組織論を知っている人のみ面白い。オーディオマニアの1960年の想い出話と同じだ。僕は今更、官僚の組織を理解する気もなく、漫然とこの映画を見た。捻って捻って深みを出そうとしているのが滑稽に見えた。同じ警察を扱ったWOWOWの「FBI」とはエンタメと言う構成力で大きな差。昔のコナンは、このタイトル通り、コナン・ドイルの推理探偵の線上にあったのだが。
6月3日(木曜日)
天気予報では雨だったが太陽が出ていた。それで、トラクターで沖の田を叩いた。草は10cm位で未だ放置しておいて良かったが、本格的な梅雨が控えているので早めの対策は良い事だと決行。昨年は5/30と6/24この間に手に負えなくなっていた。雲行きから判断するに明日は雨だから、今日は朝から頑張った。その為随分と疲れた。お酒を飲んで寛ぎたいところだが、DMR4W300に「FBI特別捜査官」が録画されている。ドラマは卒業したいがもうすぐ終わるこれだけは見たい。ボス役をしているセーラー・ウォードを見るのも嬉しい。今回のシリーズ9は、2種のFBI物語が一つになって、全ての登場人物が、現物証拠派と心理分析派に分かれて犯人を追及していったので、特大拡大版の90分(いつもは50分)だった。番組を見ている間に雨がやってきた(それほど大きな音)。
6月2日(水曜日)
明日から雨だと言うので、文旦の草刈りは是非とも仕上げようと頑張った。草刈機を購入してから、(何度も書くようだが)、大きく成長した草も怖くない。簡単に刈れる。その上、紐で木っ端微塵にする為、切った草が刃先に被さって来ないから、振るのに楽だ(円盤の鋸タイプは、切った草をこの刃先の平たい部分に乗せて脇に置く作業をしなければならない、その草が重いのなんの)。ミカンの木が低いので頭を打つのが気にはなるが、畑6枚を仕上げた。後3週間くらいは、草退治に余裕がある。だが、半日この機械を振り回すと物凄く疲れる。疲れが半端でない。それで、もう一段力の弱い草刈機を買うことにした。メインはサトウキビ柵の中で振り回すため。こうして、2台の草刈り機が揃って万全の体制が整った。カメラでもそうだったが凝りすぎの感はある。
ものすごい疲れで目が開けておられない、9時半に就寝。
6月1日(火曜日)
たまたま偶然が重なり、今日から読む本は、再び女性美人ピアニスト「音の記憶/小川理子氏」。僕らのクライアントでもあり、今はもう無理だけど前には話す機会もあった人。この人もかなり赤裸々に自分史を語っている。まぁ文章だから、かなり冷静に筆を運ぶこともできるが、あまり飾ってない。不思議なことに、ここ最近は見る映画や読む本から得られる感動がますます深くなっている。まぁこの歳になって、購入時の審美眼が向上し、下らない作品をピックアップしなくなったのかも知れない。それにしても没頭中は洗脳されてしまい、抜け出す時は結構重い負担がかかりドット疲れる。夜は興奮で寝付きが悪い。以前はこんな事なかったのに。農作業でも半日仕事なのに疲れてはぁはぁ言っている。老人は疲れやすいのかな。先日観た映画「セルビア・クライシス」で国王のペータル1世(老人)は劇中、実に活発に動いている。あの元気はどこから?元気印の僕が弱音を吐いている。
今日はきまさごの草刈りを終えた。サトウキビは今週急に伸び始め、来週は僕の背を越すだろう。4時終了、残る時間で芝の山の文旦草刈り三分の一を終えて作業終了。今夕はマカロニグラタンとサラダのイタリア風。鶏肉の代わりに竹輪。肉と魚は交互に、それで今夕は魚の番だが、生魚はワインと合わないのですり身で誤魔化した訳。ワインはfromイタリア。正に2週間彷徨ったイタリアの香りがする。ワインは友人からのプレゼント。北イタリアはあちこちの都市で店の前に張り出したテーブルで白ワインを飲んだ。700円くらい。どの店も美味かったのは歩き疲れていたからだろうか?未だエネルギーのある内にもう一度イタリアは行くぞ。そして今日は行ったつもりでキリっとしたワインを頂いた。至福の時。
5月31日(月曜日)
「月末ダッシュ」。営業時代良くこの言葉を聞いたし、行動した。あまり褒められた営業活動ではない。そして今日は、久しぶりに月末ダッシュを行った。昨日目標の10冊読み終えてフラフラのところ、ステレオサウンド誌もついでに読んでしまえ、計画比110%に臨んだ。無理して読んだ。夕食を終えて2時間。此方も500頁の大作だし、推薦レコードはApple Musicで確認しているから普通の読書よりも時間が伸びる。でも、実のある読書が出来た。まだテクニクスの仕事があるかも知れないし、オーディオの最新情報を知っているのは安心感がある。チェックした音楽は6月になればハイレゾで入手できるかも知れない期待もある。雑誌は物語がないので頭は混乱は無い。
深夜、目標達成でくつろいだ褒美に、映画「アルゲリッチ」NHK-BSP放映を観た。世界的有名+美人のピアニストを娘が監督し映画化したものだ。一言で感想を述べれば、この人は自分を曝け出しても怖くない強さがある。普通有名人は、全部を出すことはしないし出来ない。撮影監督が実娘ということもあるだろうが、寝ている姿とか、化粧をしてないくつろぐ姿とかをUPで撮影させている。そして、プロの音楽家には聞けないインタビューもある。例えば、同じ曲を演奏して飽きないのか?これに対し、娘への回答ではなくプロの音楽家としての反応がある「演奏するたびに発見がある」と。やっぱりすごい。離婚を繰り返し、父の違う子もいるのも、あからさまにその時の感情を聞く。桁違いの有名人がかくも易々とこうも階段を降りるのか。その度量の大きさに感動した。「映像の私は私ではない、本当の自分はここにある」と語る部分が、根底にあるからか?(それはピアノ演奏が私の全てだと言いたいのかな)ちなみに、高明な指揮者でも彼女の演奏と合わすのは難しく、指揮者泣かせのピアニストであり、感情の大きさ振れは大きく、ハマった演奏は特筆もの。僕は彼女のBOX50枚セットを持っているし、単品でもかなり持っている。じっくり聞いて行こう。もうすぐ80才になる。
5月30日(日曜日)
晴れ、ここ数日変な生活になっている。というのは、今月は10冊の読書を目標に上げたが、10冊目の「量子論」は難しく、しかも500ページを超える大作だ。それで政治家じゃないが、「石に齧りついても達成したい」と、あらゆる生活から少しの時間を切り取って読み続けた。アインシュタインでさへ、この「量子に関しては結論が出せず、晩年の30年は、周りからも評価されず不遇の時を送った」と言われる難物だ。それをわかりやすく解説しているとは言え、凡人の僕には難物に違いない。メモを取りながら読むと時計の針はグングンと回る。でもこれだけは言える。「①アインシュタインでさえ理解できないものを凡人がどうして理解できるだろうか」またソクラテスではないが「②量子力学は分からないと言う事が分かった」生活が読書中心に回るから、いろんな日常生活に支障が出ている。そして、作者の物語に没入する時間が長くなって、現実に戻るのに時間がかかる。頭が混乱する。
5月29日(土曜日)
お寺のご夫婦が畑を貸して、芋を植えたいと言うので、空いている畑を耕し畝を立てた。かなりの作業。多分畑を耕したことない人はこのしんどさは分からないだろうと思う、夕刻芋の蔓を持ってきて、30分位で植えて帰った。僕も思いのほか疲れて、ホント足腰が立たなくなった。夕食の買い物は車で行った(普段は自転車)。本来はこのような時、酒でも飲んで早寝するのが一番だが、今月の目標として掲げている読書10冊に届かないのだ。それで、疲れてはいるが回転しない頭を振り絞って、先に挙げた量子論を読み進める。だがこの本は難しい計算式がない代わりに、やはり、光の粒子と、電子との振る舞いについて、議論を戦わせる文章を延々と展開する。中心軸はアインシュタインとボーアとの理論の戦いで、現実に即するのか、理論上で解明できるのかに集約できる。朦朧としてきたところで本を閉じる。老後の孤独には最適な生き方だ。
その流れで、もう少し気力を振り絞ったのは、昨日から始まったWOWOWのドラマ「ダビンチ」を見る事だ。ドラマは金輪際見ないと思っていたが、この人の物語はぜひとも見たい、実際モナ・リザ以外の主な作品はこの目で見て来たからだ。そして、代表する伝記もイタリア旅行中に読んだ。第一回目はベロッキオの工房で「キリストの洗礼」に取り掛かる話だ。この絵の一番左にいる少女がダビンチの手掛けた作品だ。明らかに右の絵とは筆致が違うと言われる(僕には理解できない)それが、今回の物語だった。僕の印象ではダビンチを演じるエイダン・ターナーの顔が知的で繊細なダビンチ像とはかけ離れている。そして中との融合があったダビンチはこの物語で孤立しているのも意外だ。脚本家は事件性を持たせるためにあえてそうしたのかな?
5月28日(金曜日)
コロナ禍で田舎暮らし、自足自給のススメなど、うわべの魅力がいろいろと紹介されるようになってきた。だが2-3年で直ぐに化けの皮がはがれ退散する羽目になる。それは、外と内の要因がある。外は、自然との闘い。草、木、昆虫、動物が猛威を奮う。草は容赦ない、今の時期だと2週間で立派に育つ、至るところに、畑であろうが畔であろうが小道であろうが。木はそれ程成長はしないが、落ち葉が容赦ない。よく住宅の宣伝写真に木に囲まれたのが掲載されるが、多分あれでさえ、葉っぱの処理に手を焼くと思う、ましてや自然の中の木は容赦ない。昆虫や動物は意外な所に出没し驚かされる。
そして内なる要因は、片付けだ。家の周り、家の中、田舎生活は自動車修理工場や鉄工所のように、いろんな機材を整頓しておかないと、乱雑であふれかえる。一般の田舎生活を始める人は、道具をいとも簡単に買ってしまうが、それをきちんと片付ける事が出来ないのだ。道具を探すにもうんざりするし、乱雑な風景を見るのもうんざりする、そして、身の回りは、草、木のあばれ放題で、それを毎日コツコツと処置する習慣がないと、「だれもやってくれない」
この2つは逃れられない要素で、「相当あこがれている」のか、「体を動かすのが好き」でなければ、挑戦しない方が良いと思う。
つくね芋が順調に芽を出してきた。蔓が這うように竹を立てた。かなり頑丈に作ったので、大いに太陽を浴びることが出来そうだ。動物用の防護ネットも張った。全周囲ではないので、こんなのでは防げないと通りかかる人が言う。僕はそうですかと答えるが、本心はここの人が勝手に入り犬を連れて糞をするのを防ぐためだ。獣ではなく「人間対策」なのだ。だから、これで十分な対策になるのだ。
5月27日(木曜日)
今読んでいる本は「量子力学」流石に難しい。アインシュタインが流れの中心にある。この本を読むときにはノートを開いて、誰がどこでどんな理論を述べて、誰と連携しているのかを図示しておかないと、理論を理解するよりも前に、人間関係の連携で挫折する。そしてこの本がどこでどんな役に立つのか?「全く役に立ちません!」頭の体操ですね。量子物理学は30歳までが限界と言われ、現在のITプログラマーと同じ宿命にあるのは大発見。それ程ひらめきが必要と言う事。もう一つは、それを過ぎた年齢の人は、ひたすら哲学に走る。アインシュタインに哲学的発言が多いのは必然で、ニュートン以来みなそうしているのも面白い。
午後砂糖の崩し加工のため伝承館に行くと、師匠がやはり同じ目的で来ていた。先日のお礼を言い少し会話。身体は未だ何ともないがこの先どうなるのだろう?どんな結末でサトウキビ農家を廃業しなければならなくなるのだろう?未だ頭も動いているがと疑問をぶつける。「事故が一つのきっかけやろう」「それと癌」「身体を動かしていると急に来るぞ、来たら終わり」実に明確な回答。
今日は我が家でツバメの子供が一斉に誕生。聞こえるか聞こえないかのか細い声で餌をねだっている。後1週間もすれば、ひっそりとしている老人の家が束の間賑やかになるだろう。もう1組鳥のつがいが家の周りでウロウロして琵琶を食べ尽くした。此方は片方しか鳴かない。紫とオレンジの綺麗な鳥だ。風呂では10cmもある大きなゲジゲジのつがいがいて、びっくりして腰を抜かしそうになった。チンチンに湧いたお湯を掛けて茹でてあげた。高知では世間から一歩も二歩も遅れてコロナ感染が最高記録を達成したから、出歩かないようにしなければならない。プールの距離も記録が出そうだったが、自粛しよう。自然との対話ができる分だけ都会の人よりも豊かな時間を過ごせている。人生週末のカウントダウンは既に始まっているが、虚しい時間を自宅軟禁で過ごす人たちは、この2年間くらい人生を棒に振っているようだ。
5月26日(水曜日)
まだスキャナーで踏みとどまっている。トーンカーブをいじるといい現像ができるのを発見して、シルキーピックス10を使い倒すが、どうしても一箇所偽色が発生する。それでニコンの現像ソフトNDXをダウンロードしRAW素材をトーンカーブで現像するもイマイチ不足。結局フォトショップエレメントでRGBのレベル補正を行った後、ホワイトバランス補正をするのが早くて一番綺麗だと分かった。(多分シルキーを使い切ってないのだろう)
この作業は農作業の時間に食い込んで短くなったが、沖の柿の畑の草刈り(1ヶ月ぶり)、親類の家の周りの草刈り、家の近くにある柿の木が、よしみち君の家にかかり邪魔だと言うので伐採。明日は大雨だと言うので、少し無理をして時間延長した。寝る前には雨がやってきた。「小ずれ狼」の歌のように「シトシトピチャン、シトピッチャン♪」ではなく、深く重く間断なく忍び寄る雨で雨量が多い。梅雨末期のようなドサット来るのではないが。
5月25日(火曜日)
きっぱりと晴れないが、まぁ何とか天気はもった。父が撮影してた子供たちの写真はスキャナーで取り込んでいるが、焼き付けしてないフィルムもあって、フィルスキャナーを買った「Wolverine F2DTITAN フィルムスキャナー」。だがどうしても色が緑に被れる。そこで、フォトショップエレメントでヒストグラムの明るさ補正でRGBそれぞれを、ヒストグラムの山の範疇に絞った所、色はかなり持ち直した。しかし、これ以上明るさとかコントラストをいじると、黒い部分に白のノイズが浮き出てくる。簡易スキャンの限界(つまり小さなセンサーでSNが悪い)。また、父の使っていたバカチョンカメラでの撮影が上手く光を捕まえてなかったのだろう。そこで、ニコンD850に取り付けるスキャナーをAmazonでクリックしてES2を購入した。これだと、キャプチャーするフィルムと同じサイズのセンサーとなるから、少々の補正を施してもノイズは出てこない。TIFの10ビット信号で処理をしてのちに、JPEG変換だ。Adobeのライトルームなんかはもっと自由が効くようだが、まぁこの辺りで妥協しても良いかな的映像が得られる。フィルムは山の如くあるので、しばらく時間がかかりそうだ。
夕刻曽我さんから久しぶりの電話。サトウキビと芋の生育確認と肥料の問い合わせ。さらに日暮れ前、師匠からタイのアラがあるから取りに来いと。日頃人と話すことが少なかっただけに嬉しかった。コロナ禍で出歩かない分、毎日自然の中で暮らし季節の移ろいを感じている。最近はウグイスの声も段々と小さくなり山に帰っていったのだろうか、4月から良く聞いたコウジュケイの鋭い鳴き声もグッと減って、今はホトトギスがうるさい。今年は近くで鳴くから結構大きな声だ。蛇のつがいが裏の崖から僕の目の前に落ちてきて、鍬で殺して庭の目につく所においたら、夜の9時には1匹は無くなっていた。通いのタヌキ君が持って帰ったのだろう。
5月24日(月曜日)
雨で農業は休み。午前中はいつもの定番を済ませて、午後は掃除の後、高知のプールへ。途中、砂糖の委託販売をお願いしていた八百屋さんに行って売れ残りの砂糖を回収。あまり売れてないようだった。多分4万円位あるだろうから、これを地元の市場で販売するつもり、多分9月までには完売するだろう。プールは最初混み合っていたが、途中から僕だけになった。皆さん滞在時間が短い。会食と同じで長く泳ぐのは感染の可能性があると言うことか。
サンプラザで夕食の買い物。このスーパーはどうしても多くを買ってしまう。とても感じが良いのだ(接客ではなく、品ぞろえと配置が)。それで冷蔵庫に余り物が出始めた。金銭帳を付けていて、1日の買い物が2000円以内なら何とか回るが、それを越すと冷蔵庫に余るようになる。それほど食べられないと言うことだ。感覚よりも体の衰えが早いようだ。
5月23日(日曜日)

晴れ。翻訳の後はフィリピン旅行記に取り掛かった。フィリピンは楽しい思い出しかない。僕の心情と一番合う国だが、治安が悪く訪問するにはちょっとね。ここでは、女性だが最も気の合う人と巡り合った。なかなか頭のいい人で、僕の不完全な英語を完全に理解してくれる。そして音楽の選択が僕の好みだった。まぁそれらを紐解きながら書いていこうと思う。
昨日から読み始めた「量子論/マリット・クマー」は流石に難しい。原子核の周りを漂う電子を計算によって軌道を算出するところだが、もう概念だけでもついてゆくのができない。40分で15ページ位の進捗。この世界は、国境が無いようで、大学から招致を受けるが、その国は各国。まぁ最高峰の知は数えるくらいの人物しかいないようだ。ここに登場する人物は殆どがノーベル賞受賞者。彼らは受験勉強に苦労せず、我が道に大学で学ぶ過程が一時期あったな的感覚だ。言語にもほとんどの人が苦労してない。頭がいいと言うのはこう言うことなのか、と思った次第。
5月22日(土曜日)
家の裏の岸が崩れている。雨の度に崩れている。それでブルーシートを買ってきて被せた。風で飛ばないようにしなければならず、結構時間を要した。梅雨と台風の時だけの対策にしようと思うが、シートの下では草が枯れるから、秋になって外すと草がないので少しの雨でも危ないかも。その後、裏の竹藪が我が家にじわじわと竹が進出してきている。竹にドリルで穴を開けて除草剤の原液を注入した。雑草やこうした竹は、気を抜くとあっという間に我が家を埋め尽くす。此方も、少し余裕の時間があれば、対策をこまめに施してゆくと、雑草の草木は管理下に置ける。そのことが少しわかってきた。農家のおじさん、おばさんはこれを何十年もくりかしているので、慌てず騒がずだろう。(去年までは僕は慌てふためいていた)。定期的に淡々と雨の隙を狙って対策だ。
「センターオブジアース2」を観た。インディージョーンズの簡易版と言っては失礼だが、かなりの手抜きなのは、CGが大いに力を発揮しているからだ。それで大冒険が演出できる。今では宇宙でも崖の真ん中であっても、主人公がなんでもできる。そしてスタントマンの仕事が不要になった。しかしである。コロナワクチンで開発に拍車がかかったDNA操作が、病気のためにではなく、健常者の身体能力向上に利用し始められた記事が掲載された。いよいよ来たか。真っ先のスタントマンが飛びつくだろう、再び、CDではなくスタントマンの職場が復活する。コロナワクチンと、ウイルス変異のいたちごっこにも似ていなくもない。
5月21日(金曜日)
今日も雨天休日。午前中程作業、「ボルトン翻訳」はNATOへの拠出金をトランプが絞るところにかかっていて、交渉のやりとりの記述が複雑でここ数日翻訳に手間取っている。北朝鮮のキムジョングウンとのシンガポール交渉のところは物凄く早く訳せたので、僕の能力が上がったのかと錯覚していたがそうでもなかった。午後は、70年代の頃、ショウルームでオープンテープに録音した音楽の編集。アートワークを施し、曲目を区切り、タイトルをつける作業。いい録音はDSDに、他は96-24flacに。その後フィルムスキャナーが届いたので早速取り組むが、結構ノイズが多く保存するには厳しい画像。フォトショップエレメントでも補正しきれない。かと言って性能が割るのかと言えば、ポジフィルムはきちんとキャプチャできるのだ。ネガの取り込みが変だ。やっぱりニコンD850で作業をするしかないかな。午後4時がきて風呂を焚く時間が来た。丁度その時よしみちゃんから電話「たけのこのお寿司を持って行くから下まで降りてこい」と。これはとんでもなく旨かった。近所のおばさんは偉い。
夜の音楽はカールリヒター「ブランデンブルク協奏曲」パナのUB900で再生すると気持ちの良い音が広がる。中高音にSBM10を使っているがなかなか良くなった。カットオフ周波数を200hzに変更したのが効いている。でももっと違う音も欲しくなってもいる。エラックBS312なんかがが良さそう。シマの鈴木さんに相談すべきかな?いやもっと迷った方がいいのかな?当面草刈機の出費なんかもあるし。など、趣味の範囲での悩みだけで、大雨だが結構充実している。
5月20日(木曜日)
雨天の休日。午前中はいつもの作業。午後写真の整理。ミノルタフィルムスキャナーDual4を使って取り込みを行うも、遅い。エプソンGT9800Fに変更すれば、HDD容量不足のバグが出て使用できず。Wolverine F2DTITAN フィルムスキャナー 35mm 110 126 127 8mm スーパーをAmazonでクリック。16800円。一時はニコンD850のスキャナーES-2 を視野に置いていたが、簡易型で手を打った。それも2000万画素の解像度。これで午後3時。プールに出かけた。1500m。朝の時間に20分くらい寝たのが功を奏して、プールでは力強く泳げた。いつまでこんなことができるのだろう?プールから上がると身体が軽かった。真っ黒な雲が立ち込めてきて、ひどい土砂降りを覚悟したが、降らず風呂を焚くときも大丈夫だった。昨年は体調が良くなかったのか、梅雨がものすごく煩くて、そして草の手入れもなおざりだった。今年は又普通の体感に戻って梅雨は平気だ。少しでも雨が止むと草の手入れをしている。半日農業が定着し体の調子を取り戻したのだろうか。今年はこれで行けるかもしれない。
昨晩と、今晩はNHKで放映された名曲を少し観た。一つはカラヤン/チャイコフスキー悲愴。これは歴史に残る名演奏。あのハーモニーホールで演奏された。カメラの位置に座っていたので、厳かな雰囲気がよくわかる。演奏はキレがあって、スピード感があって、テオドールクレンティス顔負け。カラヤンの指揮は細部まで明確。もう1本はバーンスタイン/ウインフィル/マーラー1番。彼のは9番が名演の誉高いが、1番もなかなかどうして。此方の指揮は基幹部の指揮。始終微笑みがある。だがキレは鋭い。NHKは8Kでリストアしている。カラヤンは2Kにダウンコンバート、バーンスタインは4Kにダウンコンバートで録画。時間が不足して全部はまだ観てない。
5月19日(水曜日)
雨は午前中で上がり、午後からは時折日差しも覗くようになった。小さな草刈機の振動が激しいので農協に修理に出した。帰って、西畑の草刈りの仕舞いをつけて、文旦の草刈りに出かけた。日記を見れば前回から丁度1ヶ月。問題なく刈れる草の成長具合。草の汁が多く、服も顔も真っ黒に染まった。「バージニアウルフなんて怖くない」と言う映画があったが、内容はともかく、このタイトルをもじって「草の成長なんて怖くない」。昨年は親父の残した23ccのエンジンの草刈機を使い、力不足で5cmの草を見るとゾッとしていた。取り除くに1分位必要だった。今は28ccのエンジンで10cmくらいの草でも1秒以下で木っ端微塵だ。面白いほど草が刈れる。怖くないばかりか、楽しくなって、今ではもっと成長してくれないかなと、丈の長くなった雑草畑を探すようになった。
でも、今日農協であった百姓をしているおじさんも言っていたが、今年の気候はおかしい。5月にジメジメするなんて。田植えには良いが。たしかに、最近見慣れない鳥が来ているし、遠くで鳴いていた鳥が近くで聞こえるし、庭に梅の実がなって、普段は、みすぼらしい、庭の五月が立派な花を咲かした。明日から大雨が来ると言う。我が家が怖いのは裏の土砂崩れ。水対策を考えなければならない。素人判断ですが。
5月18日(火曜日)
湿気の多い曇り、洗濯と乾燥。インドネシアの旅行記完成。丁度香辛料の歴史を読んでいるところで、一方旅行記には食べ物の写真が多く、両者合体で上手くコメントが載せられた。午後は買い溜めの書籍を裁断しスキャン。昼前から降り出した雨も上がり、小屋の樋修繕。この樋から雨水が漏れ出し、岸の石を押し出していた。放置すれば崖崩れにつながる。この家は豪雨の危険があちこちに散らばっている。まぁ僕が修繕しているから仕方ない面もあるが。
Apple Musicから高音質音楽配信が始まるニュース。追加料金なし。音質向上が認められれば、flakで録音して、音楽ライブラリーに追加できるからCDの購入が不要になる。特にジャズの60年代の名作はハイレゾで揃える価値がある。録画済みBDの数と言い、CDのBOX企画と言い、聴く時間が限られているのにこれ以上増やしてどうするねん、と疑問もあるが先を信じてやりたい事をやるしかない。そんな中、NHK第二で日曜日に放送している「カルチャーラジオ」の番組があって、毎週録音している。それをスキャン中聞いた。エクアドルの高地に住む民族が世界3大長寿地区の一つで、取材した話。ところがここがあまりに有名になった為アメリカ人が移住してきて住民が裕福になって、動物性脂肪の摂取が増えて、結局長寿は終わった話。この番組はもう5年位録音している。有益な話なのでいつかは全部聞きたい。この先一体どう聞き分けすれば良いのだろう。幼少の頃「聞き分けのない子」(言いつけを守らない意味)と言われたが、いまもそれで悩む。
5月17日(月曜日)
日経新聞「私の履歴書」に今月は吉行和子が投稿している。毎朝見るのが楽しみだ。兄、吉行淳之介、妹吉行理恵は共に芥川賞受賞者。それでと言うか、文章が他の寄稿家と違って極めてうまい。短い文章に毎回真髄が織り込まれているし、幅広い題材からの背景がある。実業家の文章も起業から数十年分は面白いが、大体1990年ごろからは自慢話で精彩に欠ける。「企業ではないのだよ、貴方の想いの事だよ、このテーマは」と云いたいのだが。その点吉行和子はテーマからブレない。
今日はbookoffでOxfordの英英辞書を買った。少し読めるようになってきて、一気に新しい世界に飛び込もうと、わかっている単語を主に引くために。英和辞典と、英英辞典では意味は同じでも表現に随分と違いがあるから、慣れが必要だ。Amazonで英語の電子書籍を買うと、時々単語の上に簡単な意味を英語で書いてくれている。ところが、それが全く理解できない。そこでドラッグして、英和辞典を呼び出して意味を知ることになって、「あぁそう言うことだったんか」となる。つまり、向こうの世界には向こうの生活習慣があるように、表現にも癖がある。そんなものを会得すれば違う世界が見えてくるだろうと。それには、もう少し英語への傾斜が必要になるが、コロナ感染じゃないが、僕の方もステージが1段上がったようなので読むのに苦痛が減っているので精進したい。
5月16日(日曜日)
雨天休日。掃除の後、安芸市に出かけ散髪。短く刈って頻度を落としている。6ヶ月に一度。「魔が刺したと言うか、禁断の果実を齧った」のは5月の中頃WOWOW4K受信の為アンテナを変更したタイミングで録りためた番組を見るようになった。特にドラマ。「FBI」と「トレッドストーン」。20巻を観た。食事の後のなぐさみとしてちょっとくらいならいいだろう、そんな気の緩みがズルズル観続けようになってしまい、読書時間が大幅に減ってしまった。(まぁ、やるべき農作業は一応終えて、後は補正レベルになったのもある)怠惰な生き方は良くないと戒めていた筈なのに。明日から修正しようと、他のドラマは消去した。そして、今日はお別れとして映画「ランボー/ラーストブラッド」を観た。
「シルベスター・スターローン」としても最後のような作品だった。彼はこのシリーズを撮り続けて何かを会得したのだろう。全部を観てないが、今回感じたのは、殺しが実に徹底して描かれている。観ている方は小気味良い快感を得られる。例えば、落とし穴にかかった悪党どもは身体を鉄串に貫かれているのに、更に銃で2-3発トドメを撃っている。そうなんだ、そうしないと怒りは消えないぞ(観客心理を上手く捕まえている)。2つ目にはメキシコの悪党の人相が凶暴に振る舞うのに実にピッタリの顔つき(だから、徹底的にやっつけろと機運が高まる)要は、観客の感情が最後に向かって段々と高まるように仕組まれている。昔リフトのなかった田舎のスキー場で、せっせとカニ登りで頂上まで行き、一瞬に滑り降りる爽快感みたいなもの、あるいはサウナで我慢したのち水に飛び込むような。ウマイと絶賛。この映画は最終を漂わせたが、彼のことだからロッキー2のように、復活するかもしれない。
5月15日(土曜日)
天気予報が狂い今朝も晴れ間がやってきた。洗濯をし、芋の柵作りに出かけた。かなり頑丈に作ったので多分大丈夫。近所のまさのりさんに見てもらうと太陽が当たるだけ芋が大きくなると言う。理恵ちゃんも用事のついでに、ここでしばらく話し込んだ。来月で69歳。Me
too.昔はお爺さん、おばあちゃんだったが、自分ではそんな感じはないと言う。僕も同じ、身体はまだまだ動く。「もう休暇は終わりましたよ。仕事に戻ってください」と言われれば、いつでも戻れるような気がする。だが、死は迫っている、自分だけ例外はありえない。もっと遊びたい、もっと機器をいじり倒したい。残念だが時間が不足。
世界を変えた6つの「気晴らし」の物語/スティーブ・ジョンソンを読んでいる。ブックオフで適当に買った本だが、なかなか有意義な本。見方を変えれば、違う歴史が見えて来るのを展開した本。例えば、「女性が木綿の下着を求めたから」のくだりは、それ故に綿花の栽培→奴隷→蒸気機関→自動織機→大きな板硝子→丈夫な鉄骨→百貨店→モール。たかがこれだけの意図で、産業革命まで起こすのだと話が展開する。おもろいやないけ。多分原書だともっとウイットに富んだ文章だろうな。あの大統領補佐官ボルトン氏の書籍でさえ、原文は面白い皮肉で綴られているのだ。最近は睡眠と同じように本を開けばその世界に一気に没入してしまうようになって、これ又時間不足。頭が働くうちに面白い本も読み倒したい。
5月14日(金曜日)
雨のはずだったが晴れ。すっかり予定が変わり、日曜日は集会所の清掃当番だったが、この日が雨予想のため、変更して今日取り掛かる。草は大型の草刈機を持ち込んだので、割とスムーズに進んだが、大きな真っ黒の蛇が出てきた。エンジンを全開して草刈機の紐で頭を叩いた。僕は切れると思っていたが、切れずに皮が剥けるだけだった。蛇が動き紐が腹に触って腹が裂けた。近くの公園に捨てた。誰かが食べるだろうと思って。残酷だが、どうしようも無い。蛇を見ると体が反応してしまう。理性が効かない。その足で谷屋敷のつくね芋の柵つくり。昨年は6月22日に終えているから随分と早い。今年はサトウキビの柵を作る必要がない為だ。
友人は夜中の2時と4時過ぎに目が覚めてトイレにゆくと言う。僕は10時半就寝で湖の底から浮かび上がってきて目が覚めるのが5時過ぎで夜中のトイレは無い、夜ビールを飲んでも関係ない。最近はとても眠りが深く、朝起きた時布団が乱れていて随分と運動したんだなと思う。多分農作業での疲れだと思う。起きた時、体がふにゃふにゃで、一歩がなかなかでない。この時の血圧93-53。爬虫類では無いが風呂に入って体温と血圧が上がってやっと動ける様になる。農作業を収入とかの視点にすればかなり厳しいが、運動の一環でお金が入ると見れば、これは僕も体と精神にとっては非常に良いようだ。
5月13日(木曜日)
雨の予定と聞いていたが曇りから、晴れてきた。つくね芋の棚を作ろう。材料を揃えて取り掛かった。今日は蒸し暑くて、汗を大量にかいた。今日も飲める体調だ。5時に終えて風呂焚き、買い物。
息子は帰っていて相談があると言う。今の仕事を辞めて農業をしたいと言う。あまりにもからとつで、否定をしたが頭ごなしに叱るのもおかしいので、取り敢えずよく考える様にと切った。今の仕事が嫌で選択肢がないので農業と行き着いた訳。仕事は神聖な道場だと考える僕には気楽に仕事を変える判断が信じられない。定年後のアルバイトとは違うのだ。まぁそうは言っても、視野の狭い息子はよく考えたのだろう。そうなんだ、人は自分の器でしかものは見えないのだ。その夜、僕はよく考えて問題を整理して文章にまとめてメールした。
多分、息子は農業を始めるだろう。天候や災害の関係で僕の老後資金が消失するかも知れない。僕も、雨はプールで、午前中は英語と悠長な事を言っていられなくなる。僕の人生はゆっくりできないとは知っていたが、こうした道があったのか?と運命の神様の新手を見たような感じ。
それで、食後の読書時間はなくなり、風呂から出てフルトベングラーのブラームス4番を聴く。暖急が見事。揺るぎのない遅さの自信の現れか。ただ、音は相変わらず狭い帯域で、僕は感動の緒が掴めない。「一寸の虫にも五分の魂」と丹念に聴くがとっかかりがない。36,000円のアルバムだから全部聴き通すぞと意気込んでいるが。
5月12日(水曜日)
昨晩のニュースで朝一番はまだ雨が降らないと予報が出、5時起床で「きまさご」の草刈りに出かけた。2時間ほどして土埃が立たなくなって土が粘りだしなたと思ったら雨が降っていた。耳栓をつけ、麦わら帽子に黒の網ネットで顔を覆っているから小雨に全く気が付かなかった。農作業の悪い点は、悪条件でも目処が立つまでやり遂げる事にある。結局3時間で雨に濡れてきまさごの草刈りを全て終えた。とても重い草刈機を持って休みなく続けたので、肩がすくみ物が持てなくなった。りんごの皮を剥くのに一苦労。すくみは昼まで続いてやっと取れた。雨の日はプールと決めていたが、無理は止めようと思った。
父が撮影した孫の写真をデジタル化して取り込む作業、だんだんと子供達が成長するに従って笑顔が消えている。僕と妻の関係が影を及ぼしているのだった。僕は現役時代はいつも臨戦態勢で気をぬくのは定年後だろうと思っていたし、「仕事がうまくいかなくては、幸せはあり得ない」のが信条だった。もし、現役時代気を抜いて堕ちてしまえば、僕の生涯が負け犬になってしまう(多分そんなことはないのだろうが)だから少々の不和は仕方ないのだった。今この写真を見ていると、周りは決して臨戦態勢でもなく普通の生活をする普通の人だった。だが、これは誤算ではなく、選択肢の問題で、僕は後者を選んだ、意思だった。苦い後悔をしながらも写真の整理を続けた。フィルムは膨大で、完成には半年位はかかりそう。この作業は長く続けると参ってしまうので、途中で切り上げ、映画劇場へ「FBI」を見た。軽いドラマで最後に正義が勝つ水戸黄門スタイル。深刻な映画は今日は無理だった。見終わると友人から飲み会の案内。今日はキュウリの佃煮を作るぞ。と買い物に行き材料を揃えた、肉も少々。帰りに理恵ちゃん、淳子ちゃんに会って今夕のメニューを聞かれたので応えると、作り方を教えてくれた。淳子ちゃんからはニンニクを大量にもらい、これで作りやと。同級生はお節介だがありがたい。友人と映画論議をして9時前に飲み会を終えた。
5月11日(火曜日)
明日から4日間雨だと言うから、再び禁を破ってサトウキビ畑の整地。1日4時間以上働くと明日に効く、起き上がれなくなるほどの疲れが残るのだが、4日間の休暇が始まると思えば、我慢も出来ようと言うもの。一応今日で整地は終わり、残った時間「きまさご」の草刈りを始めた。きまさごのサトウキビは、2年目で昨年の様な草はもう生えないから20日に1度位で良い。それに草刈りの紐が強くなっているので、頑固な草も平気だ。もっと強烈な草が生えると、大型の草刈機もあって、昨年の様な草に対する恐怖はない。この大型草刈機は、かなり大きく成長した草でも木でも平気、円盤のノコギリ刃を使うよりは、綺麗に仕上がり、歯が石にあたり不快な音も立てない。ただし、紐に絡みついた小石が飛んでくるので大変危険。その上、草の汁が服に付着し取れないから、作業専用の服にせざるを得ない。最後に大変重いから、長く使うと手や肩から力が抜けて行く。それでも使わざるを得ない。まぁ刈った後は大変綺麗に片付くので気持ちが良いのだが。
そんなことで疲れ果て、少しだけお酒を飲んでドラマ「トレッド・ストーン」を見た。「ジェイソン・ボーン」をドラマ化したものだ。人間を殺人ロボットに仕立て上げる計画が主題。1作目は多くの断片が進行し、繋がりに欠け意味不明のまま終わる。昨日見た「地獄の黙示録」のように一本の筋に沿って主題を掘り下げて行くのではなく、幾つもの道が「いずれはローマにつながる」的な構成。ドラマは時間に余裕があるので監督も意図を発揮しやすいのだろう。これはNetflixが開発した手法で、今までは映画を配信するいわばお茶の間映画で、映画館との戦いは画面の大きさや音響だったが、このドラマ化は、構成そのものが変わり、新たな映像文化の創造を発掘したのでは無いかと思われる(違っているかもしれないが)だからテレビ俳優と映画俳優は違っていたのが、どうやら、同一の人材が起用されるかもしれない需要背景の様相を提起して来た。いや、僕がそんな指摘をしなくとも、ネットで検索すれば、「ゲームオブスローン」など超大作BOXセットが既に販売されていた。この流れコロナで拍車がかかると思う。
5月10日(月曜日)
NHK4K放送「地獄の黙示録」を見る。3回目。記憶と少し内容が違うのはファイナルカットの為か。ベトナム奥地にカーツ大佐を殺害にゆくウイラード大尉を描いた物語。4Kの精細感があったかと言われれば、そうかな?程度。ただサラウンドの効果はメリハリがあって、ヘリコプターは後ろに抜けてゆく。コッポラ監督はベトナム戦争の無為を描く為に軍旗違反のカーツ大佐を殺害する筋を描き、川を遡るに従ってカーツ大佐の概要が少しづつ現れる、決して軍旗違反でないカーツ大佐が浮かび上がってくる。一方で政府から烙印を押されたカーツ大佐は軍人の正義とはなんだったんだと苦しんでいる。その苦しみがベトナム戦争の無為を語っているのだろうと思う。それを視聴者に解らすために、ウイラード大尉の呟きがある程度効力を発揮する。ここをしっかり掴んでないと、もう一段下のレイヤーであるカーツ大佐の苦悩が理解できない。報道写真家の早口も殆ど無視をしても5%位の理解の助けがある。こうして概要を紡ぐというか、一段深いレイヤーに進むと言うか、結果カーツ大佐が浮かび上がってくる。この構成力にあっぱれだ。いや、映画構成が凄いだろうと(同業者に)自慢したいのが、もしかしたらコッポラ監督の本当の狙いではなかろうかと邪推も湧く。
5月9日(日曜日)
今日は湖の底から浮上してきた様な目覚め。深い眠りだった。ところが朝飯の時にも睡魔がきて、眠るとコレまた深い眠りで目覚めた時自分がどこにいるのか分からなかった。昼飯の後、昼寝したが同じ。一体どこまで眠れば満足いくのだろう?今日は昨日何もしなかったので疲れは残ってないのだが。老人の身体はコンディションが掴めない。午後は、サトウキビ畑の整地。粗片付けが完成し、あとは前西の畑と前東の片付けを終えると一応昨年度の始末ができた事になる。次の仕事はきまさごの草退治が待っていて、気を抜く暇がない。
昨日は4Kアンテナを設置したので、早速WOWOW4Kを受信するもこれと言った番組はなく、いよいよこの放送は終わりだなと思った次第。親類のおじさんは膝に水が溜まったと寝込んでいた。父の様にならないと良いが。夕刻よしみちゃんが玉ねぎを持ってきてくれた。夜寝れないと嘆き、ウエストが出てきたと警戒していた。「どこの若い衆に声かけてもらうつもり?」それでも夜はテレビをつけたままでないと寂しくて眠れない。自分も含めて老人の話題ばかりなった。もっとも、安全圏内でしか動けてないので仕方ない。
だから今の友は「本」。今まで気が付かなかったが、スリランカは仏教国だ。タイからお坊さんが多くきている。僕は指導に来ていると見てたが、「地図から歴史を読む」書籍を見て合点が行った。釈迦は隣のインドで生まれた、先にスリランカに伝わった。その後、中国やタイにも伝わった。僕の知識と反対だった。同様に新疆ウイグルはトルコ系の人種。その後トルコ人はこの地から西のキルギスに発展し、今のイスタンブールまで届いた。逆ではないのだ。
5月8日(土曜日)
皆な僕の時間が空くのを待っている。CDではマーラーの全集、ベートーベン全集/アンドリス・ネルソンズのハイレゾ。ナタリーデッセイのオペラ集。SACDのフルトベングラー全集。LD指輪全集。書籍は、JAZZの本4冊、量子関係2冊。電子本2冊。英語原書2冊。BDレコーダーに撮りためた映画/音楽。夜の3時間は昼間よりも過密スケジュール。これだけひっ迫しているとなんだがすぐには死ねないぞと安心感が湧いてきます。
そこへレンズが到着した。明るい単焦点レンズなので、早速暗くなりはじめると、近くを散歩して使った。装着は古いカメラGH1。手振れ補正がなく、ISOが200を越えると画質が極端に劣化する。その負い目を補う明るいレンズだ。そして結構暗くなってもf1.4は粘る。以前ホーチミンを夕刻散歩した時、f4.5~のレンズでブレブレだった。あの屈辱を何とか払拭したい思いがあったので、これで解決した。そして真っ暗になった時、自宅の庭で搭載している気持ち程度のストロボを使ったら、結構光が届きやっぱり明るいレンズは正義なんだと思った。一緒にG2に装着した14mmf2.5とも比べてみたが、この2段差はベンツと軽自動車のような随分と大きな違いがあると感じた。これからのレンズ購入は「明るさが正義」を貫くことだと思いましたね。
5月7日(金曜日)
再び雨。この頃よく降る。雨が降ると井戸の水が濁り、風呂の水も緑茶いろ。雨の日はプールと決めていたが、今回は休む。まだ疲れが残っているが昨日よりは楽。普段できてないBDの整理、ハイレゾの整理、父が撮影した写真の整理。振り返れば死支度をしている感じ。昨日の様な日を経験すると、それもありかな、長生きはできないぞと思った。仲間の蘇我さんも腫瘍ができているとかで、身体を酷使すれば、弱いところが病気に侵される。死ぬ時期をもう少し早めた計画が必要かとも思い、楽しみのレンズを購入する事に決めた。
もう一つ購入したのはMO。昔1995年前後、日記を書いていたが、永久保存ができるMOディスクに記録した。だが今となっては取り出す術がない。ネットで検索すれば、USB接続できるMOドライブが中古であった。どこまで記録が残っているかは不明だが、取り敢えず自分史の完結のための購入。これを纏めれば1995年~2021年までの自分史ができる事になる。
夜はSB-10000の中音、高音スピーカーを外し、SB-M01に変更した。ホーン型からコーン型へ変更するとどんな変化があるのだろう?結果は音がこじんまりしてまった。スケールの小さな主任の音で、部長のような広い視野をもった音が出ない。ただ戻すのも主任には魅力があって、当分このシステムで聴くつもり。マルチチャンネルアンプシステムなので、中高音は気軽に変更でき、バービー人形のように着せ替え出来て楽しめる。
5月6日(木曜日)
身体がだるくて重い。瞼も重い。昨日よりも厳しい疲れ。やりすぎ。今日は晴れているが午後農作業が出来るかどうか?無理したらいかん。毎日コツコツと、それが高齢者の農業なのに掟を忘れている。今朝も食事中少し微睡んで、ラジ英語の時布団で寝て、昼食時15分ほどうたた寝してやっと元気を取り戻した。作業を少し遅らせ午後は2時からサトウキビの葉っぱの残骸を使ってない畑に捨てる作業。大きなカゴに25杯分捨てた。4時に切り上げ文旦の下草刈り。半分仕上げて5時がきたので仕事を終えた。もう頑張るのはやめよう。疲れが酷いので、夕食にレバーとニンニクの煮込み。山芋おろし、ニラ炒め。食事が効いたのか不明だが、食事を終えた時にはもう元気を回復していた。明日も頑張れる勇気が湧いてきた。
5月5日(水曜日)
予定通り雨、それも激しい雨。昨日の無理が祟り、朝は8時まで寝てしまったが、疲れは取れない。午前中ラジ英語の時睡魔がやってきて30分ほど眠る。少しは回復したけどまだだるい、このまま夕刻を迎えると、空腹で美味しい夕食がいただけないし、雨の日はプールと決めているから決行。前回もそうだったけど、水が重い。身体にまとわりついてくる。クロールの後方で手を抜く時、水がくっつい来て手が上がらない。ターンは頭が深く沈み浮上までに息が切れる。ちょっとやり過ぎかな。1500m泳いで上がると雨は止み、太陽が出ていた。充実感はあったが、陸上でも一歩一歩が重い。何をするにも気力が湧かず9時半に就寝。
5月4日(火曜日)
昨日は暴飲暴食だった、調整のため朝抜き、昼は野菜中心。ぶりのアラの焼き物。午後からの野良仕事は、明日雨だと言うので、濡れたら重くなるサトウキビの葉っぱ部分を重点的に運んだ。空腹と暑さ。だが昨日のカロリーは均衡させねばならぬ。5時になれば止める作業を30分だけ無理して延長した。終えた時は肩で息をし少し休憩が必要だった。明日はゆっくりするとは言え、厳しかった。食後、動けず休憩がてら映画「ペット」を見た。犬の「マックス」の世界と、うさぎの「スノーボール」の世界がそれぞれ展開する。後半、トラの子供を助けるところで合流する。結局人間社会の縮図を描いたが、その意図は?なんだか結末を付けずに先へ先へと進み、首尾良く終わりをまとめるのがアメリカ流だとすれば、これはまさに正鵠を得ている。
5月3日(月曜日)
キッパリと晴れ渡る。結婚式じゃないが「このよき日を迎え・・」そのもの。今日も下界には降りず、自宅付近の高台(と言っても35m~50mまでだが)でサトウキビ畑の整地。切った葉っぱがあちこち散乱しているのをまとめて、空いている畑に捨てる。サトウキビの根元の草を引く。骨の折れる仕事。汗も吹き出し吸った上着は重くなる。息子が起きてきて通りかかったタイミングで夜飯を一緒に食べるか?と聞けばOKだった。野良仕事を4時半に切り上げ風呂を焚き、頭を洗い服を着換え野市(西に15km)に向かった。焼肉店は野市に幾つかあって選択肢があるため。息子の勧めで黒潮ホテルの敷地内にある焼肉屋さん「肉匠坂井」を選んだ。今は食べ放題と言うのが定番らしい。「すき焼き」ではなく、「焼きすき」が美味かった。息子と同じペースで食っていったら、たちまちパンクした。一日中家の中でじっとしていた息子と、昼から4時間厳しい汗を流した僕との食べる量が違うのはなぜ?一人生活だと気が付かない内に、段々と食が細っていると言う事(歳とっているのだ)。まっ僕はビールやハイボールなど腹の膨れる飲み物を取ったからと言うのを言い訳としよう。息子はこう言った「幸せがお金で買えたね」(昨日サトウキビが10個売れ軍資金があった
)
5月2日(日曜日)
滋賀の友人に近況の手紙。昨晩から書き始め3時間ほど費やした。文章を書くと、あっという間に時間が流れてゆく。メールで済ましたいところだが、ご年配だからこれが叶わない。時間が勿体ないと思うか、冷静になって文章を書ける時間が持てたと思うのか、ちょっとわからない。前回の手紙には、「農業を考える/岸根氏の書籍が入っていたので、その感想も書かねばと。この本はかなり難しく、数式が登場する。本の論旨は、農家と都市の人々の交流で、地域文化の保全や食糧自給率の向上を取り戻そう的な書籍。グラフ、マトリックスの表あり〜の、読み込もうとすると時間がいくらあっても足りない。僕的には、農家の事があまりお分かりでない教授とお見受けしたたが、感想を書くともなればそうはいかずしっかりと時間を食われた。
生命40億年全史/リチャード・フォーティー下巻を読んでいる。今は最後の生命絶滅の6500万年前の時代付近を読んでいる。色々と新しい発見があり、従来の歴史書が書き換えられているとの事。今日も息子君は出勤だった。早く帰ってきたので、少し話すと、彼も地球の歴史を読んでいて、偶然というか、好みは似るのだなと思った。僕の父は特にアフリカのサバンナに暮らす動物の番組を見るのが好きだった。DNAは連綿と受け継がれている。歴史に関する買い置きはもう一冊あって自炊済み。この書籍は、手紙を認めるのと同じように時間の経過を失念させるから、時々時計を睨みながら読むことにしている。特に骨が語る生命の歴史に触れる部分は引き込まれれてしまう。「検屍官シリーズ」を描いた、「パトリア・コーンウエル」氏なんかも、この様なコツコツ事実を積み上げていく考古学が好きなんだろう。僕も農業を始め、コツコツ積み上げに段々と惹かれていて、この書籍に魅せられるのは、こうした共通点があるのではなかろうか。
2021年5月1日(土曜日)
予定表にない突然の雨。昼からサトウキビ畑の整地を計画してたがこれじゃ無理。その内に雨は突然雹に変わった。僕は雹を経験するのは初めて。雷が鳴り、風が吹き荒れて春の嵐だった。3時過ぎに突然晴れて雨は止んだ。明らかに異常気象。雨が降れば掃除とプールだが、今日は妙に元気がなくて掃除だけ。
雨が上がり外に出れば、サトウキビの種を生けてあるところから芽が出ている。これはまずいと、掘り返し、現在植えてある空き部分に補植を行った。農作業はこれだけ。風呂を焚き食事。今夕は「ヒメイチ」(赤い小魚)を圧力鍋で焚いた。骨まで食べられて大正解。カツオのハランボ。こちらはただ焼くだけだったが、脂が多くて、そのまま食べられた。予定が狂ったので身体を動かしてなく妙に半端な気分。食事量は我慢た。使ったエネルギー以上の摂取はやばいだろう。昔はこんな芸当はできなかったが、今は何とかなるのは食が細っているからだろうか。
4月30日(金曜日)
晴れ。昼から財産区委員会の会議。会計報告があって承認を行なった。部落長との懇親会、年末の忘年会は予定立たず様子見となった。解散後、西の畑に切りっぱなしの木材を放置してあったので、裁断し回収、その足でお寺に行って、梅の木を伐採してあると聞いてたから、それも回収し、伝承館の薪置き場に積んだ。ついでに「蜜」20リットルを回収し持ち帰った。風呂を焚き、買い物をしていつもの行動。
バイデン氏の就任100日後の演説原稿が手に入ったので少しだけ読んだ。shy:シャイ、一般的には内気の意味だが、これを不足すると解釈し、「100日前夜の・・・」のくだりで、shyを「前の日」とする訳は僕には出来なかった。新聞には翻訳もあって合点がいった次第。ボルトン補佐官の英訳は、先月は@1700文字だったのに、今月は@1500文字。速度が落ちている。僕の英語力はどうやらピークを迎えた感じ、これ以上の上達は難しいかな。
夜、Rシュトラウス特集版/カールベームLPを聴く。中古盤でノイズが多い。昨日はハイレゾ再生で妙に鮮度が落ちていたから耳が衰えたかな、それともNASが悪い?色々思うところがあったが、今日は鮮度抜群。原因はリスニングポイントが変わっていた。いつもの場所に戻すと蘇ってきた。ここにマイクを設置し測定しチューニングしてあったのを思い出した。カールベームの演奏は、アクセルとブレーキの使い方が巧み。ウインフィルが完璧に一体化している。いわゆる、もたつきがない。プロだから、どこの合奏団にもそんなのあるわけないだろうと思われるかもしれないが、よく聞けば「ある」。だから速度を落とさざるを得ない楽団だってあるのだ。このレコードを聞く限りカールベームはオケを振り切っている感じだ。こんな演奏を聴くと疲れているのに、どうしても夜更かししてしまうから困る。
4月29日(木曜日)
朝方空腹で時間は早いが起床。昨夜は腹八分目の食事が妙に掴めず、少なかったようだ。新聞を開くとワクチンは外国で承認されたものは、日本で無審査で使えるようにするとあった。厚生労働省はどうも日本人は外国人と違う体質だと思っているようだ。でもコロナ感染は外国からいとも簡単に侵入して来たがそれをどう見るのだろうか?体質が違うと言うのとは明らかに矛盾する。僕に言わせれば、そんな事を言って既得権益を守ろうとする事自体が、外国との「体質の違い」と言いたいですね。そして多分アストラセネガルのワクチンが血栓を起こす原因も突き止められず、承認となるでしょうな。そこまで彼らのテクノロジーが高尚だとは証明できないのが日本のレベル。
もう一つ新聞ネタでマネシタデンキ。ソニーを先兵として、後発で割とデザインと品質のすぐれた製品を発売して成長して来た松下電器、ソニーがアメリカの映画会社「コロンビア」を買収し、それゆけアンパンマンじゃないが、そんなら僕らも買おうと当時の森下社長は「ユニバーサル」を買った。でも、ちょっとこれだけはマネシタデンキの手法が使えなくなって結果売却した、それ以降会社は凋落の道を辿った。そして、今ではソニーからは後塵を排して背中さえも見えなくなった。今日の日経新聞にソニーは利益が1兆円を超えたと報道。中村邦夫氏がかつて言っていた。デジタルの時代はオセロゲームと同じ。一気に負けが込むと。彼は他社の事を揶揄したつもりが自社の事だった。そんな面では先見の明があったのだ。
新聞を見ると色んな事を思い出すし、愚痴っぽくなるのは老人の常。今日も雨で、午後の農作業もない。今月は12冊の読書で、書籍のネタが底をつきそうだったので、午後は自炊を行って、iPadに5冊補充した。電子本にも買い置きがあるから5月は安泰だ。冷蔵庫に野菜と肉がないと不安なように、書籍の在庫も無いと不安だ。その書籍も段々と小説が減ってノンフィクションや科学モノに移行しつつある。一つには日本の小説家に面白い人がいなくなったように思えるから。二つ目には、独りよがりですが、世界で読まれている作家の本を読まなければと思い込んでいるから。
4月28日(水曜日)
予定通り雨は昨晩から降り出した。不覚にも7時起床。やはり昨日は疲れていたのだろう。午前中やっとベルリフィルのダウンロードを終えた。何とベルフィルの企画CDは全部購入していた。こちらも時間を見つけて聞かねばならない。ダウンロードにPCが食われているので、写真の整理はできず、Macでインドネシア旅行記を書き始めた。普通日本人はインドネシアにあえて行く国ではない。(バリ島を除いて)だがジャカルタは行くとびっくりする都会(大阪よりも活気センスがある)。イスラムの国だが酒も飲める。カラッとした気候で日本の夏の方が逆に暑く感じる。写真には色々と思い出が詰まっているので、2ヶ月位で仕上げようと思う。この間読んだ渡辺一史氏のルポの片鱗でも取り入れることができたらいいと思っている。
午後風呂を焚いて「ながおか温泉」に行った。行為としてはおかしいが、この温泉はプール併設。風呂もあり入浴するが、それでも自宅では寝る前にさぁ〜と浴びたい為。昨日のフルタイム農作業が祟り、今日も水が重い。2018年比4月累計距離△2.5km。自分の記録への挑戦。は、色んな指標が対比できて勿論農業の進捗やサトウキビの生育も含めて可能だ。この記録は、今の立ち位置と言うか座標が確認できるようになった事だ。今まで自分はコレで良かったのか?後悔は無いのか?不安で浮き草だった、一貫性がなくフラフラしていた。だから寂しくもあり、趣味のカメラや音楽に走ったが癒すことができなかった。この3年間との対比は僕のバイブルだ。羅針盤が示すからもう寂しくはないし、余裕ができてこの季節の風をジャカルタで感じたように気持ちよく受けることができる。
夜はフルトベングラー/シューベルト7番、ブルックナー9番を聴く。音質は悪く潰れている。それでも演奏にキレがあるのは伝わってくる。1944年戦争末期の寸暇を惜しんだ緊迫の演奏。聴衆もこの機会は2度とあるまいと思って固唾を呑んで聴き入ったのだろう。ラジオ放送されたものだったので戦後録音テープはソ連が持ち帰ったが、70年後ドイツに返還された。それをベルリンフィルのエンジニアが最新の技術で復刻したものをSACDに焼きつけた。解説書をめくると録音はアグファの茶色のテープ(今はコバルトなどが添加されて黒色)だった。音が悪いのにもかかわらずブルックナーの壮大な厳かが滲み出ている、一体生演奏はどんなんだったんだろうと推測するだけで楽しい。
4月27日(火曜日)
今日も禁を破って朝から農作業。明日から2日間雨予定の為。午前中はサトウキビ畑の整地完了。(去年は4/28に完成させている)沖の田圃も耕した。前回叩いたのは3/7だから40日ぶりで、草が大きく成長していた。2往復して草退治。帰るついでに、分家の畑もたたいてあげた。帰ると丁度5時前だった。良く頑張ったし、いずれも仕上げが専業農家と同じ出来栄えで自己満足。
夕食に、茹でた長茄子に、「ニベの干物」を焼いて乗せ、馬路村の三杯酢で頂いた。これは大正解。「にべもない」(素っ気のないことを意味する)言葉は、この魚から来ている。ニベの浮き袋でニカワ(接着剤)を作るらしいが、粘り気がないとの事。そこから淡白だとなり、素っ気のない意味に発展したらしい。確かに味は淡白だが、コリコリ感と、脂があって美味。此方の干物は塩味を利かしているので、三杯酢は自分で調合し、醤油を控えた方が良いかもと反省した。
夜は、「ワイルドスピード/スーパコンボ」を見る。ジャイソン・ステサムとドウェイエン・ジョンソンのいがみ合いとイドリス・エルバの改造人間が戦うアクション映画。WOWOWからの録画。今やアクション映画はこの二人が人気を二分し、マット・デイモンは演技派に転じたのかアクションで関係では精彩を欠いている。昼間の疲れにお酒が入り朦朧とした頭には、痛快で単純なストーリーは心地よい。ビジネスでは「ジョブ理論」など、できる人には頭を使う要素が増えて来て、ONとOFFの切り替えにこの映画のような中間緩衝材が必要となって来ているのではなかろうか。特にコロナ禍に於いては。映画業界はネットフリックスに代表されるように配信が幅を利かせているが、既存の映画会社が元気がないとは聞かない。僕の見立てでは市場が膨らんでいるのでは?コロナ後社会は変わるが、エンタメ市場は拡大するのは確実だ。ではどこが疲弊するのだろう。僕の見立てでは雑誌や書籍かな。
4月26日(月曜日)
田舎生活は厳しいが、恐ろしい事でもあると気がついた。と言うのは、今日かっぱ市場に買い物に行って、ついでに砂糖のチェックをしていると、近所のおばさんに会った。挨拶をして中々砂糖が売れない事を伝えると、「私が売ってきてやる」と申し出てくれた。コレはコレでありがたい事だ。近所のもう一人のおばさんも売ってくれているし。別に僕に借りがあるわけでもなく、単なる親切、近所のおせっかいだ。どうして打算的でない。打算的なら僕は安心する、そんな世界で生きてきたから、だが無償のお節介には困惑する。お返しの計算が出来ない。もしも、コレが逆のベクトルだったらどうなる。それも不可解な理由だと解決の方法が見いだせない。そんな空気がここにはある。サトウキビ畑から眺める芸西村の空気は綺麗だが。
4月25日(日曜日)
昨年までは誰かと話さないことが続くと無性に寂しくなって趣味では紛らわしようもない孤独感に襲われていた。しかし今年になって百姓2年目を迎える3月頃から段々とそれが薄れてきたのは、おおよその年間行動計画が頭の中に出来上がった事。午前中は部屋の中でラジオ英会話とか、旅行記とか、写真の整理、録画済みBDの整理とか、すべきことが山積して片づけている様なルーチンワークが完成したこと。午後は、何が何でも農作業に充てる事。その中に読書の時間を何とかねじ込むようになった事が影響していると思う。趣味の音楽、読書、映画、カメラも落ち着くところに居場所が見つかった気がしてきた。丁度コロナの時期で誰とも会わないのは時流にかなっているし、毎日汗を流し、芸西村の平野を見下ろしながら休憩し、鶯をからかっていると1日が矢のように過ぎてゆく。コレが最後の生き方なんだと納得もできるようにもなったすべての事が僕の中に納まった。
夜は「FBI特別捜査」のドラマを見た。この中で「アラナ・デ・ラ・ガーザ」が捜査官の長官役を演じているが、頬がこけ目の大きいのが実に知的で僕としては好感が持てる(ちょっと手強い相手として)。調べると、大学で理学療法を専攻した知識人。出演はテレビ番組ばかりで刑事モノが多い。FBI〜の番組は実にたわいのない物語で、アクションがほとんどなく心理劇場だ。この番組は頭を使わないで時間を過ごせる。今まで、この手の番組は軟化するから極力見ないようにしてきたが、硬派の生き方も少し鉾を納めても良いのかなと思ったのも、先程の充実感が影響しているかもしれない
4月24日(土曜日)
今日現在水泳は2018年の記録に今一歩(-3km)、読書は2019年の記録に程遠い(10冊)。加齢の中、自分の過去記録に挑戦するがナカナカ越えられない物だ。読書は自分との戦いというよりか睡魔との戦いで、水泳は農作業の進捗との兼ね合いで、昨日の様に感情に任せて気張っても簡単に解決しない問題だ。今日のプールも連日の疲れで思うように水が掻けなく速度が出なかった。平泳ぎでは水が重いし、バタフライで下半身が沈み、水面に頭を持ち上げるのが関の山で、とても首まで出すのが難しい。
帰りに金高堂書店に寄って定期購読の本と、ステレオサウンド誌から発売されている「ベイシー読本」を買った。一関にある喫茶「ベイシー」を経営する菅原正二氏を特集で編纂したもの。ベイシーはもちろんカウントベイシーに由来する。一関は仙台在住の時に何度か行ったが、訪問できなかった(契約が取れず、気分が落ち込んでいたのもある)。書籍のパラパラ見だけでも、ジャズ魂の真髄を貫く生き方が溢れてくる。どうにかしてこのような生き方はできないものかと、今までずっと目標にしてきたが、芯のない僕には近づくことさえ難しかったし、忘れかけていた時もある。そして今、再び書籍の上とは言え、スガワラさんに会う機会を得、少しだけカツが入るのかなと。他にも未読のジャズの本は「JAZZ遺言状」、「ジャズオーディオ魔境の旅」/寺島靖国、「コレがジャズ史だ」/岩波洋三、「ジャズ超名盤/小川隆夫」。「Jazz on record history」/Brian priestly。日本の3氏はいずれも敬愛する人。来週からジャズの本に取り掛かる予定。ここの所クラシックの音楽をいっぱい購入しているから、それを聴きながらとなって、ねじれの中で過ごすことになる。
4月23日(金曜日)
「勝って気ままは許さん」と大自然に対し腹を立て、サトウキビの整地を中断した。僕の家の西側にある親類の畑は放置したままで竹や雑木の生え放題。しかし今日サトウキビの切り屑をそこに捨てようと持っていったところ、余りにも多くの筍が生えていたので頭にきたのだ。普段竹を切るのはノコギリだが、今日は怒り心頭に発する。チェーンソーを持ち出し、筍以外に親の竹を10本くらい切り倒した。そのあとこの切り株に除草剤を流した。他の竹にも影響があるだろう。いずれこの畑は整地し、僕の家へ日当たりを良くするつもりだが、今日は暫定だ。これに時間を食ってしまい、サトウキビの畑の整地はあまり進まなかった。
それにしても、1月に製糖を終えてから3ヶ月間は毎日刃物を持って切って切って切り倒したが、大自然の勢いには歯が立たない。ここで生きてゆくというのは、家を守るというのは何て大変なことだろうと改めて感じた次第。他にも虫や蛇など敵もいる、反面朝から夜までいろんな鳥が鳴いて豊かな森を感じるのもあるが。
夜はダウンロードした音楽をNAS経由で聴くのは妙にベールがかかった様な感じ。それで、今度は別のHDDから、Macのオーディバーナ経由で聴くと音もスッキリ。明らかにNASの性能が良くない。だが、NASを買い替えるとなれば25万円ほどの出費だ。将来に控えるとして今はMacを活用するしかないかな?ハイレゾは確かに音数が増える。増えた分だけ気持ち良くなる。演奏を楽しむと言うか、音を楽しむ状態で毎夜過ごしている。
4月22日(木曜日)
「あんた、おばぁにモテるね」スーパーから買い物の帰りに、純子ちゃんの家の前でよしみちゃんに呼び止められ、すみちゃん、クニちゃんと話している時に純子ちゃんが顔をだして言ったこと。みんな80歳前の人。よしみちゃんの要件は「あんたくの山でタケノコを取ったからね」その前に電話を貰っていた事の確認。今の時期のタケノコの食べ方は背丈まで伸びたものを節を外して切って半日ほど湯がいて、太陽に干す。8月になったら食べられると言うかなり手の込んだ食べ方。芋を植えたと聞いたが何芋?文旦は偉い世話ができているね。オリンピックの森さんじゃないが、「女の話はあちこちに飛ぶから長くなる」。「女の話を無下に切ると後で悪い尾ひれが付く」ので付き合ったのだ。そんなことで結局30分ほど話した。僕は疲れていたので早く帰ってご飯の支度をしたかったんだが、暗くなったが気持ちに少し余裕があったのは、今朝新鮮な鯛(@400)を買ってあって、昼に調理し炊き込みご飯をセットしてあったからだ。旬の食べ物は美味い。
夜は、既にベルリンフィルの既購入CD (サイモンラトルアジアツアー、ペトロンコのベートーベン)アルバムを開いて、ダウンロード券を見つけ、ダウンロードを始めた。ベルリンフィルのアクセス権は何度でも可能で、失敗があっても後からやり直しが効くから親切。1ボックスあたり80GBもあるし、ベルリンからの通信で、結構時間がかかる。でも思わぬ拾い物をした感じだ。先日の杉の木と言い今週は何だが得した感じだ。
4月21日(水曜日)
7時まで朝寝坊して結構スッキリ起きられた。今日は作業を減らそう。家の裏の草を刈って、崩れて塞がった溝を直そう、家の樋に詰まった笹を取り除こう、前から気になっていた軽い作業を先に行って、サトウキビの整地の時間を減らした。こうして負担を抑えたつもりだったが、やっぱり作業を終えるとドット疲れが出てきた。スーパーで買い物をする時、カロリーが高い肉類に自然と手が伸びた。体が求める物を食べるのは理にかなっていると思った。最近は無性に米が食べたいとか、「きらこう」(弁当屋)の大盛り弁当が食べたいとか、明らかに求める物が変わって来た。それだけ厳しい仕事になっていると言う事だろう。
食事の後の読書タイムは居眠りに変わった。先日マーラー交響曲全集を買って、CDの他に、BDの映像が付いていて、2粒楽しめる事を書いたが、さらにアルバムをめくっていると、ダウンロード券が出てきた。ハイレゾが入手できるのだ。96khz24bit WAV、サラウンドFlakもあった。1回購入すると3粒美味しい訳。ベルリンフィルは意気な事をするね。眠いのを我慢して2番を少しだけ聴く。CDと比べて力強い。この強さがベルリンフィルだ。弦の恐ろしさもうまく出ている。フィルハーモニーホールで聴いた時は、コレ程鋭くなくもっと太かった。でも、僕はこの研ぎ澄まされた音の方が好きだ。
4月20日(火曜日)
昼に近所の山本さんがやってきて、「あんたくとうちの山の境を教えて頂戴」と言う、僕もよく知らないが「僕の土地だけは示せるので、残りはあんた所やろうと」、山に入った。同時にタケノコを取りたいと言うので、掘ってあげた。ところが帰る段になって、この杉の木の生えているところは僕の所だと言われる。そこでご主人に電話をされ、後で僕に代わって、「杉の木は全部あんた所やろう」と言われた。結局、このおばさんも僕も、山の境界がはっきりしてwin-winだったし、僕としてはかなり大きな杉の木が40本程、新に財産として追加されたわけで、儲けた感じ(昔おじいさんが、僕が大人になったころはこの木を切って家を建てれると言ったのを思い出した)。早速不要な竹を切り倒してやろうと闘志が湧いてきた。サトウキビの整地が終わってからの事だが。
帰って、西の畑下段に植えてあるサトウキビ畑の整地を行った。切った葉が山の様になっている、それを使ってない歩いて1分の上の畑に捨てる訳だが、水に濡れた葉っぱは重く疲れ果てた、汗も上着を絞れるほどかいてヘトヘト。今日はやり過ぎた。風呂を炊くのも結構な負担としてのしかかって来た。こんな事をしてたら死んでしまうぞ!と警告信号が発令された日だった。
4月19日(月曜日)
かなりきめ細かく時間をぶつ切りして、少しの空白に本を読む時間を捩じ込んでやっと前年には並んだ。今日読み終えた本は、「北の無人駅から/渡辺一史」800ページに及ぶ大作で読み応えがあった。無人駅の近辺に住む人を取材して結局は自分の事に帰結する構成だ。それがあまりにも素直な感想で、考えの工程に無理がない。僕も写真を多用した旅行記を書いているが、こう落とし込むのか?と随分と勉強になった。この本は5回の増版のある優れもの。無人駅で何かの発見がある旅行記やガイドブックのたぐいの軽い本ではない。一人旅行は結局自分を見つめる旅だと言われるが、この本はそれを昇華した様な本だった。bookoffでタマタマ見つけた本で巡りあって良かったと思う。
今日はきまさごのサトウキビ整地を終え、文旦畑の草刈り。徹底して刈り込んだので当分は大丈夫。剪定がうまく働き、見事な花を咲かせていた。年末の収穫は期待できそうだ来年は残りの木の剪定が必要だ。
4月18日(日曜日)
東芝の社長が先日その地位から降りた。社内からも信任を得られなかったのが直接の原因。勿論株主からの要請もあった。この車谷氏の顔写真を見て僕もピンと来た。「評判の悪い人相だ」。何故直ぐそう思ったか?芸西村の村長さんが同じ顔つきだったのだ。この村長さんは役場の職員にあまり声もかけないなど不評だと聞く、その結果前回の村長戦で50数票の僅差で当選した。顔が似ればやはり受ける印象も同じ。人類がまだ言葉を使ってない10万年位前の時代、以心伝心は表情で行ったと言われるから、人相は大切なんだ。性格が顔を作ると言っても良いだろう。
先日の農作業ダッシュが効き、今日サトウキビの整地はほぼ終えて、草刈機の紐で草を飛ばす作業に入った。この畑で半月を要した。夕刻友人から懇親会の連絡。慌てて食事を準備したが、彼は何と風邪をひいて咳が酷い状態だった。風邪かコロナか僕には判別つかなかったが、常識はずれ。帰ってくれとも言えず酒を飲んだが、結局コロナはこんな状態で蔓延してゆくだろうな思った。そして、本人曰く、大阪のコロナが蔓延しているのは、やっぱり気のゆるみかららしいねと話題を切り出す。僕はそのココロは?と思ったね。1時間半で切り上げさせてもらった。
4月17日(土曜日)
2018年4冊34,000m/2019年34冊11,050m/2020年24冊20,100m。そして2021年23冊29,500m。その年の1−4月に読んだ本の数と、泳いだ距離数。読書巻数と距離には関係がありそうだ。しかし、どの数字にも僕は挑戦中。何故なら今までのような出稼ぎがない。老人の挑戦は必要はないかもしれない、早死にする要素かもしれないが、どうも気持ちが収まらない。という事で、昼から掃除をしながら風呂を焚き3時にプールへ向けて出発した。途中スポーツデポで水着の下着とバレーボールの膝当てを買った。水着の下着はヨレヨレになって泳いでいる時、半分脱げかけていて不快だったため。膝当てはサトウキビの草引きに這って作業をすると腰の負担が減るため。下着の買い替えは実に快適で810円だったがコレで幸せが買えるのを有り難く思いましたね。水泳はやはり昨日の草引きの影響が残り、バタフライで水をかくと、負荷が多すぎる感じの支障が出た。夜はナタリー・デセイのモーツァルト「魔笛」を聴く、素晴らしい。弱音の扱いが見事。日本人はこうした繊細な表現が得意だと言われるが僕はただ淡白なだけと思う。それはともかく、オペラを歌詞カードなしでCDで聴く。そんなのあり得ないと思っていた事が、実はあり得る事だった。世界中にオペラファンはそんなに多くはいないと思うが、この感動をもっと多くの人が知ったらよいと思う。
4月16日(金曜日)
禁を破って朝から畑仕事。というのは、明日土曜日はまとまった雨が降る予定で、何もできない1日となりそうな為。「きまさごの」サトウキビは生育が早く、早い手当が必要なため。一日中草引きで格闘すると指は腫れて、物が掴めない支障があるが仕方ない。明日は完全休養なのでコレに賭けている。半日だと軽いが一日中だと重い疲れ。作業は、はいつくばって草を引く。地面を這っていると色んなものが見えてくるのは、現場現物主義の工場経営にも通じる基本かな。農業は機械化できない(肝心な費用の点が一番問題だが)のはこうした視点も必要なためだろう。腰痛も含め色んな支障があるが手抜きできない。夕食に、カッパ市場で買った「イシダイ」を生姜と砂糖で煮つけた。生姜と砂糖はやや多めに焚いたらコレが結構いける味だった。ご飯も、エンドウ豆の炊き込みご飯と、春の食材。これには塩を少々入れるとか、出汁とかを炊き込むレシピがあるが、美味しさよりも、健康第一で調味料は使わない。が、それでも少しの甘さが感じられる。夜の音楽は昨日聴いたドダメルのマーラーを今度はBDで観る。こんな至れり尽くせりの企画はベルリンフィルでなければ出来ない相談。それぞれはどこでもできるが、纏めるのは大変だと思う。映像には大好きな美形のホルン奏者「サラ・ウィルス」と東京で取材した時話した事があるチェロ奏者「オラフ・マニガー」も映っていた。
4月15日(木曜日)
朝はウグイスが鳴き布団の中で聞く、起きて部屋から出ると頭上では燕がさえずり、遠くではコウジュケイがけたたましく叫ぶ。豊かな森が鳥たちを育んでいる。みかんの花が咲いて、鼻腔を潤わせる。いい時を迎えた。田舎ならではのいい季節を迎えたが、僕には良し悪しの判断がつかない問題を抱えたままで、この気候のように晴れやかではない。近所で作業している、まさのりさんからも指摘されたが、「手を広げすぎ」だ。農業は趣味の範疇でほどほどに!ところが僕の場合は、完全に昨年の自分との競争モードになっていて、負けてはならじとムチを振る。問題は、その競争モードが僕の生きる糧であるのか、はたまた健康を損ねる要因なのか判断が出来ない事である。では程々にとは何か。作付け面積を減らす事なのか。畑の手入れをせず放置する事なのか?どうも後ろ向きは苦手。でも健康は気になる。人に相談すべき事でない、自分で結論を出さなければ、体調は自分しか判断できないし。今夕は、ドダメルのマーラー3番をCDで聴く。CDで十分な音質が得られる。だが、ハイレゾのダウンロードも可能だ。至れり尽くせり。(ウインフィルにはこの手の企画者が存在しない、頑なに伝統を守っているが、この時代にその姿勢はどうだろう)このアルバムは、マーラーの交響曲全曲を現在を代表する指揮者が順に(1-10)ベルリンフィルで演奏するのをまとめたものだ。こう言う企画はベルリンフィルならではだ。ちなみに、指揮者はネルソンズ、ペトロンコ、ラトル、ハイティンク、アバド(この人は古い録音)など、豪華顔ぶれ。クラシックファンなら見逃すことのできない企画。
4月14日(水曜日)
タワーレコードからセブンイレブンへレコード到着のメール。昼からのサトウキビ畑の仕事を4時半に切り上げて向かう計画だったが、時計が止まっていて出発が5時を回ってしまった。買い物ついでに、固定資産税も支払う。先日の収入が全部飛んだ。ミツワ・スーパーで「鯵とネイリ」の刺身購入。あまりの空腹で、鯵の刺身だけ帰ってすぐ片身食べてから風呂焚きに取り掛かる。空腹が我慢できないし、突然やってきくる、かと言ってたらふく食べると胃もたれがするので、腹八分目を守るとこの有様。今日のトピックはCDのこと。ナタリー・デッセイはオペラ歌手。33CDと19DVDのセットもの。今夕はDVDで「椿姫」(全オペラの中で人気1番、2番はカルメン)を観た。野外劇場でのオペラだった。ドイツ語と英語の案内があって、始まった。演奏の音が大きく声が小さい(実際の会場は大体こんな感じのバランス)このオペラは聴かせどころが連続してあるので、歌詞がなくても問題ない(オプションで検索すると歌詞はイタリア、フランス、英語がついていた)約15,000円でこんな幸せが買える。単純計算では@300。申し訳ない。先日のワーグナーのニールべングの指輪LD12枚の6,500円といい、こんな田舎で高貴な芸術が安価にしかも簡単に入手できるなんて、時代に感謝だ。
4月13日(火曜日)
再び雨、昨年と比べ明らかに気象が変わった。雨の日が多くなったように思う。多少の雨なら農作業に飛び出すつもりだったが、ここまで降られると躊躇。家の掃除、風呂焚き後プールへ。連日の水泳で大丈夫かな?行くまではしんどかったが、泳ぎ始めると身体が昨日のことを覚えていて、割と大きく強く水をかけた。1500m。水泳の距離は昨年同月を超えた。道中は「R.シュトラウス薔薇の騎士」第3幕を聴きながら運転した。夕刻雨は上がった。十市のサンプラザで買い物をして帰った。プールの帰りはいつもここで買い物をする。ちょっと違った陳列が新鮮に感じる。もう車の運転中に睡魔がやって来た。普段より幾分早いのは、二日連続の水泳の為か。夜、カールリヒター39枚目カンターテを聞くが妙にうるさく感じる。明らかの体調のせい、ものすごく眠いのを無理して聴いているため。
4月12日(月曜日)
昨日1日英語を休むと、たちまち翻訳作業が500文字ほど落ちている。元気さも頭も毎日変わりない負荷が有ってこそ保たれるのであって、若い時の様に弛急が効かないようになってきてのだろう。日々コツコツが大切。今日は曇りのつもりだったのに雨がやって来て、砂糖の崩し作業(多分コレが最後)の後は草引きもままならず、「ながおか温泉」のプールに出かけた。僕的にはかなり速度を上げたつもりだが、若い人から追い上げられた。数え間違いがあるとは思うが55分1750m。少し遅すぎる。泳ぐのは1週間ぶりで感が取り戻せないまま上がった。「70歳過ぎると大分違うぞ」と脅されている。僕自身は未だ現役のつもりだが、そうはなっていないのを現実の数字が示している。夕刻、大きな睡魔が襲って来そうな気配、演奏時間の短い「ラファエル・クーベリック指揮バイエル放送交響楽団」による「ウエーバ魔弾の射手」をLPで聞く。多分このアルバムはレコード芸術誌で評価を得ている筈だ。1300円の廉価盤だがすごく音が良い。弦に艶があって、アナログならではの音だ。クーベリックはフルト・ベングラー直系の弟子との位置付けとの事。だがそんな評価は余りされず、世間の矛先はカラヤンに向かった。時代が悪かったかもしれない、彼の活躍した時代には有名な指揮者がごまんといた。しかも戦争はなく、東西の先進国は割と自由に往来ができたし、録音技術の発達やレコードの流通も広く行き渡ったので、埋もれてしまったのだろう。老子じゃないが、「危機の時には英雄が生まれるが、波風立たない時には自然が強い」と言われる所以である。
4月11日(日曜日)
今日は伝承館の清掃。薪の整理組と、煙突修理組に分かれて作業。その後、人件費の精算。昨年の製糖作業は人件費が支払われることになった。勿論他からの持ち込みを焚いてあげたからだが。厳しかった。その費用を組み入れると、2020年度として農業で100万円目指す計画に対し、80万円の成果。経費は、機械代40万円、その修理10万円。ビスや釘燃料代が22万円、差し引き8万円の収入となる。昨年は春から大きな竹藪の伐採や、仲間との楽しいひと時や、1日に4リットルの水を飲んで草引き、凍える中で収穫、650kgもの文旦の販売も併せて、それら全てが8万円に凝縮される。定年後の遊びとしてはコレで良しとすべきだろう。すっかり健康を取り戻し、長い睡眠時間や、多少の家の修繕ができる様になったし、砂糖を配ったおかげで近所との関係もつつがなく過ぎて行くのも、農業のお陰だ。僕には電気とその業界での営業しか出来ないと思っていたが、農業も十分ではないができたのだ。金額は少ないが、やはりコレは成果だった。夕刻買い物から帰る時、近所のおばさんに呼び止められて、スナックエンドウと、ニンニクの芽を頂いた。買った食材は明日にまわし、今夕はコレを主食に置いた。砂糖外交のおかげだ。
4月10日(土曜日)
晴れ、幾分寒い。午前中は室内で研鑽。旅行記はマレーシア編。今回は車の移動がないので(ホテルで会議)、コンパクトカメラでも綺麗に撮影できている。完成形を鑑賞するのに32型4KのアドビRGBが保証されたPCモニターにするのか、シャープの8Kにするか、それともVIERA4K有機EL。と迷っている。iMac(現行でも5K)が27型以上になる噂もあって、ここは静観かと思ったりもする。気になっていたCDをタワー・レコードに発注した。ナタリー・デセイのオペラ。ハーディングのマーラー全曲。ネルソンズのベートーベン全曲。前の候補だったブリュッヘンはネルソンズに変更した。全部で4万円。それだけの価値はあるのか?答えは聞いてみなければ分からん。毎夜カール・リヒターのバッハカンターテを聞いている、この音楽に聞き覚えないが、バッハは昔現役の頃、どうしても残務整理を休日にしなければならない時、好んで再生したのがバッハの無伴奏バイオリンだ。すぅーと資料の中に入って行けて、時間の経つのを忘れた。バッハさんと昔から相性が良いのだ。それは、無伴奏以外でも同じだった。カールリヒターのCDはまだ60枚近く残っているから、計算上、買ったCDが聞けるのは早くても6月の後半になる。梅雨で農作業が出来なくなる頃となるから、丁度良いかもしれない。午後はサトウキビ畑の整地、この1月中頃の大寒で打撃を受けたサトウキビは腐り嫌な臭いを振りまいている。何百本も抱えて空き地に捨てた。身体に腐臭が付いて、風呂で良く洗い流そうと思いきやボディーソープが切れていた。買い置きの詰め替えチューブはリンスやシャンプーばかり、なんて事だ!残りにお湯を注ぎ足し誤魔化した。
4月9日(金曜日)
サトウキビ畑の整地を急いでいる。新芽が随分と伸びて来ているのに、昨年切った葉先が山になって株を覆っているからだ。これではサトウキビとしても新芽の出ようがない。桜の開花が1週間ほど早いから、サトウキビも同じく早くなっているはずだ。葉先は雨に濡れて水分を含みずっしりと重いので半日の作業と言えども結構重労働。その分、夜長く寝ているので収支はゼロかな。夕刻スーパーで父の飲み友達のT氏に会った。彼は父が安芸の農機具メーカーに勤めていたのを芸西村支所農協にスカウトして来た人だ。腕が良くて村の人は助かったに違いない。話してみると僕よりは年下だが、見た感じは老成しているので、僕を呼び捨てにする。もう定年しているが、稲の農繁期には作付けと刈り取りに駆り出され忙しい(大型コンバインが操作できるので)。前にT氏を呑みに誘ったら?どうも肝臓に支障があるらしく、延期していた。今日はどうやら回復に向かっているらしく、誘いをかけると、近々と言う返事。まぁそんなお酒の話をして別れたが、妙に口寂しくなり、ほろ酔いの柚焼酎(アルコール2%)を買って、帰り飲みながら帰った。酔いは浅く弱い酒で良かったと思っていたら、食事の時間になって効いて来て大酔いになってしまった、眠くなって30分ほど寝た。昼間の疲れも加算したのだろうと思うが。とにかく2%のお酒で今夜は随分と予定を狂わしてしまった。その上結構寒い、シャワーとお風呂のチンチンに沸いたお湯を流し場に溜めて10cmの深さのお湯に浸かった。酔っててもコレくらいのお湯なら問題なしだろう。
4月8日(木曜日)
朝一番に友人からメールが来て、父死去との事。94歳。まぁ随分と長く入院していたし、危篤を何度も経験しているので、友人も覚悟が出来ていただろう。僕の場合とは違う。それに母も健在だし、家族は大勢いるから、家族葬だとはいえ、見送りは盛大だろう。僕は別の機会に弔いに行こうと思う。今日は晴れていたし、サトウキビの整地に向かいところだが、もう一度文旦の消毒を。昨日文旦に小さな虫を見つけた為。実を結ぶ前に消毒しなければと思った。一方で機械の調子が悪く、今日も最初は噴霧しなかった。一度家に帰り呼び水を入れると復帰した。そうして噴霧しているとまた止まった、今度は吸入ホースが水面から出ていた。ここには呼び水がないのでもう諦めた。帰って呼び水を入れるとまた動いた。この機械は呼び水を切らすと噴霧しない。未だ70リットルくらい残っていたので、新しい噴霧の先を装着して、沖の柿の木に噴霧した。この噴出先は物凄く噴霧するので、高い木でも遠くから届くが、すぐに液が無くなる。液を頭かかぶらないから良いかな。我が家には色んな道具が揃っている。普段より少し早めの食事をし、時間に余裕ができる筈だが、酒も飲んでないのに眠くなって、食卓で15分ほど居眠り。元気を取り戻して風呂。夜の音楽はカール・リヒター/バッハのカンターテ、単調な音楽なので簡単に眠りに誘われる。ガーディナーの全楽曲104枚を買いませんか?タワーレコードからメール。ガーディナーもバッハのマタイ受難曲とカンターテを録音している。曲がダブルが持ち味が違うので興味がある。一緒に、ブリュッヘンのベートーベン交響曲全集SACDの案内もあった。2011年の録音だから魅力がある。クレンツスのベートーベン交響曲7番も発売されたと。こちらは購入するとすればハイレゾだろうな。こうして夜も忙しくなりそうだ。
4月7日(水曜日)

やっと晴天、回り道をしたが、今日からサトウキビ畑の整地。昨年に比べると1週間ほど早いが、昨年は不要(師匠に言わせれば、いらんことした)な作業があったので進展してないが、実際は逆に2週間くらい早く取り組んでいる。また、作付け面積を増やしたので、これに1週間ほど取られるので、結局昨年と同じ進捗となる。急がないと、ダニが身体にくっつくようになる。もう既に小さいのは潜んでいて、朝起きた時足首が噛まれて痒い。未だ小さいので痒みは長引かないが、直径1cmくらい腫れると4日間くらい痒い。寝ている時に無意識に搔くと膿んで長引く事もあるから厄介だ。先日サバ子を圧力鍋で炊くと骨まで食べられたので、今日はあじ子で試した。少し大振りだったのでサバより5分多く煮込んだらやっぱり骨まで食べられた。今回は味付けを薄味にした為あまり美味しくは無いが、一緒に煮た生姜を挟んで食べるとなんとかなる。今日は日経新聞に読む記事が多く、しかも朝起きるのが不覚にも6時の時報を聞き逃し遅く、読書の進捗が悪い。夜はテーラ・スイフト/フォルクローレ。Apple
Musicのストーリーミング配信。DENON 2500NEのDACに接続してDA再生。元音源を知らないから、この音で結構満足している。
4月6日(火曜日)
番外編の雨。昨日あんなに晴れていたのに。天気予報をチェックしてないミス。前から課題だった読書時間をどう捻じ込むかについて、やっとだがパターンが出来上がってきた感じ。昼の休憩時間を15分延長して13:15までと、眠くなければ22:00〜30分。合計1時間を確保し、1日おおよそ70ページ分の読書をする。ここしばらくこのパターンで暮らしてきた。これだと月に6冊から8冊読める。すると今話題の本や、興味のある地球の歴史や宇宙、最先端のエレクトロニクスと趣味のカメラとオーディオを網羅できる。ここ3年間で積んだままの本を読み進められる。ぼろ家の掃除をする事と同じくらい読書は充実感がある。村上春樹の本もこの一環で読み終えた。「一人称単数」。これは実話だ。いや実話に近いお伽噺かな。軽い話の様ですいすいと読める、が、目を凝らすと結構深い2重構造。音楽の話も登場する。シューマンの「謝肉祭」ルービン・シュタインの演奏が一番良いと書く。今や、謝肉祭で検索すればトップにルービンが出てくる。この本の影響だろう。彼の演奏は少しじっくり聞くと確かに凛とした強さが感じられる。だが本を読みながら寄り道してては先に進めないから中断し、再び本に戻る。まぁそんなこんなで、2月の初めから少しづつ生活を改めて来た。これもコロナの恩恵だ(自由に外出出来ないから)。雨だったが予定の柿の木の下草刈り、文旦の下草刈りを強行した。雨に濡れて身体が寒くなったし、もう若くはないから無理せず4時が来たので止めても良いだろうと判断した。それと共に猛烈な空腹がやって来て我慢できなくなった。家に帰り簡単なおつまみを作ってビールを流し込んだ。トイレと言い空腹と言い、突然催して我慢できなくなるのはやっぱり歳のせいかな。
4月5日(月曜日)
妙に今日は久しぶりに頭が冴え渡っていて、ボルトン補佐官の翻訳がやっと原書1ページが翻訳出来た。僕としては快挙だ。少しづつではあるが速度が上がっている。旅行記はマレーシア編に移った。書式を変えているので、前書いたイタリア編は今のフォームに変更しなければならないが、それはちょっと後回しにしよう。今回は3日程度の日程だから、ページ構成は少ないから、4月中に終わるかも知れない。昼から、除草剤を家の周り、サトウキビの周り、今度取り組む谷屋敷の周りに散布。一昨日植えた芋にマルチ・シートを貼ってT字型ストッパーで固定した。マルチが風でバタバタしないように土で覆った。隆江さんの娘さんが「ヤックと時間がかかるもんやね」犬を連れた理恵ちゃんは、「やり過ぎ」や。色々批評はあるが、僕の農業暦に沿って動いている。疲れて、夜の音楽は途中で放棄して床についた。
4月4日(日曜日)
天気予報通りの雨、10時ごろから激しくなった。過去の菜種雨の表現が似つかわしくなく、今日の雨は激しい。農作業は叶わず、昼食の後は掃除と風呂焚き。午後3時に出発、海洋堂に寄る。友人のT氏が会教室を開催中。30人の来客でまずまずとの事。このビルは3Dプリンターで仕上げたフィギュア製作の場所。高知にこれだけのビルを運営できるだけのフィギュア人口が居るとは信じられないが今日は一杯。車を止めるにも難儀した。僕の見立てでは良くて今年一杯かな?ともあれ、高知に新しい風が吹き始めた。プールは1650m。水が重い。水をかくのに腕に負担がグッとかかる。昨日の畝上げで酷使したからか?水に入るまでは自覚症状無いが、1000mを過ぎるとグッと来た。這々の体で上がった。思い起こせば昨日は汗が滝の様に流れ、何度も息を切らせた。あれが効いたのだろう。夕食を早めに切り上げ、「オペレーション・ローグワン−2」を見た。段々とストーリーに慣れてくると、銃の構え方や、各国の精鋭を集めたとは言え、動作がアマチュアだったとかツッコミが多いお茶の間映画の域を出ないのに気がつくようになる。2幕は、アラブの意義などの会話に多く時間を割いて、退屈だった。どの映画もアラブ過激派との銃撃戦は、まっすぐ立ったままの過激派がただ撃たれるだけの場合が多い。そしてやたらと人数が多い、何故だろう。
4月3日(土曜日)
今日も出勤で、早く帰ってきた息子君に言われた。「今日はおじいちゃんの命日じゃ無かった?」「6日やろう」と私。でも後で調べると、今日が命日だった。慌てて、仏壇にお酒を備えて合掌した。昨日のつくね芋全滅はかなり痛く、今日も引きずっていたので、つい気が回らなかった。お墓には毎日薪を取りに行っているので、放置したままではないのが言い訳だ。つくね芋は近所のM氏が種を2株分けてくれたので、急遽予定を変更して、谷屋敷の畑を耕し畝立てし、芋を切って植えた。マルチシートは半分ほどかけた。作業をしていると、隆江さんの娘さんが声掛けてくれ、犬を引いた理恵ちゃんがやって来、我が家の田を使ってくれるよしかずさんも通りかかり、純子ちゃんの息子も話しかけてきた。お百姓をすると、皆んなが安心して声かけしてくれる。そして皆んな作業をよく見ているので手抜きはやばい。先方はプロだから採点は厳しいのだ。しかし2019年まではまだ指摘される様な未熟さが残っていたが、2020年、毎日のお百姓仕事と5000kgのサトウキビ収穫はすっかり自信をつけさせてくれて、かなり完璧な作業ができる様になったと思う。例えば溝を上げる管理機なんかも、一度も倒さなかった。(これは車軸の間隔が狭いので、結構ひっくり返す時が多い)。今夕食に「牛すじとキャベツの煮込み」と「茗荷の皮の甘酢炒め」。発想は良く、材料も安かったが、どちらも僕の歯で噛みきれない繊維があって途中で吐き出す始末。年老いてついて行けなくなっている。今までもフードプロセッサーの出番が結構あったが、益々活躍の場が広がりそうだ。明日は掃除やプールなどがあってスケジュールが混み合っているので、夜は音楽ではなく、明日の読書分を進めた。
4月2日(金曜日)
伊東の友人にタケノコを送った。昨日と同じ。一緒に、インド旅行記も同梱した。僕としては写真はともかく文章が上手くかけていると思う傑作版だ。旅行記は随分貯まった。どうこうする目的はないが。午後は、サトウキビ畑を整理するのに、葉っぱや、穂先の捨て先の為の整地を行った。これで半日使った。そのあと、確認の為つくね芋を掘ったところ、全部腐っていて、本年度の作付けは断念しなければならない大変な事が起きてしまった。どうしよう、代わりにピーナッツでも植えようか?思案中。それとも身体を休めと言う天啓と理解しろということなのかな。でもかなりのショック。やけくそではないが、今日はいっぱい汗をかいたこともあってビールを飲んだ。流石にこれだけ汗をかくとビールは効かない。夕食は「ひじきとぷりぷりエビ」。「セリと豆腐和え」。後者は結構工程が調理に時間がかかった。味噌と塩を控えたので、少し物足りない味だった。それで食事の途中だがおじゃこの佃煮を作って追加した。これで味の均衡が取れた。居酒屋でもできる機転だ。タケノコは3本茹でた。薄く切ったので、2回目が茹で上がった時は、もうそのまま食べられる状態だった。店で売っているタケノコは濃い味でしか提供されないから、このような微かに塩が効いたか効かないかの微妙な味が良いかと思う。食事の後、BDレコーダーの録画番組編集の為電源を入れると、「オペレーション・ローグ」が録画済みで、少し見ると引き込まれて1巻全部を見てしまった。そんなつもりではなかったのに大失態。
4月1日(木曜日)
穏やかに晴れた、先ずはたけのこ掘り。滋賀の友人に送った。タケノコ+米糠+砂糖。料理に必要なもの一式。師匠の奥さんには、文旦のママレードを持っていった。先日五目寿司を頂いたお礼だ。文旦の皮のママレードを作るのは大変だった。水に浸し1日その間4回水を交換する。翌日お湯で煮る、お湯を捨てる、これを3回繰り返す。最後に砂糖、焼酎で2時間煮込む。種も一緒に煮込むのはとろとろ感を出す為らしい。出来上がりは、文旦の皮のピリピリ感が残るが何とかいけそうだった。それから家の周りの草刈り、サトウキビ畑の周りの草刈り。これで今日は終わりだ。草は早めに手当をしなければとんでもない力を発揮するようになる。(昨年は除草剤で一気に枯らしたが、今年は無農薬認証を取得する為使わずにいる)先にサトウキビの整地をするのか、つくね芋を植えるか迷っている。今日の夕食も頑張った。三つ葉とかしわのわさび和え。インゲンとイカのバター炒めと春野菜にシフトしたメニュー。レシピはクックパッド参照。手持ちの材料を入力すれば、調理方法を教えてくれるので便利。タケノコが出始めたので明日は調理する予定。夜はLD「ラインの黄金」をやっと見終えた。指輪を盗んだ神ヴォータンに、「こんな呪いをかけた」と述べる、だが最後に指輪を奪った巨人に呪いが受け継がれ、その矢先、呪いで巨人族の一人が殺された。この呪いは以降3巻に続く根底となる大事な部分。このLDは貴重品なのか、シリアル番号が付与されていた。半端な価格ではなく、持ち主は意を決して購入したのだろう。大事に扱った痕跡がある。
3月31日(水曜日)
読書は昨年同日比▲3冊まで追いついた。いよいよ文旦の消毒。まず、自宅で500リットル入りタンクを高圧洗浄機で洗い、軽トラに乗せて水を300リットル汲んだ。次は噴霧器にホースの接続。エンジンを回すと水が出ない。取説を読んでも不明。農協に行って診てもらうと、水を吸い込むバブルが閉じていたとの事。次にガソリンスタンドに行き、噴霧器のエンジンにガソリンを入れてもらい山に向かった。ホースを2本延長すれば、全てのミカンに届く事がわかった。カッパを着、介護用の手袋の上にゴム手袋、帽子、マスク、ゴーグル。物凄く暑い。剪定した木は消毒が簡単。剪定してないのは、上向いて噴霧し、霧が顔にかかる。済ませた木は約40本、消毒液は100リットルで済んだ。後2回は必要だ。でも、今日で文旦にケリを付けた。帰って衣類全てを洗濯機に放り込んでシャワーを浴びているとお寺の奥さんが来てくれた、要件はお金の精算だ。お砂糖を売り込んでくれた為、大きなお金は振り込みだが、小口は現金だ。仕方なく下着で奥さんの前を横切って、部屋に入り着替えた。昨晩は毛虫が首を這った跡が腫れて痒くて苦しんだ。市販のムヒでは効かない。タヌキの脂があった事を思い出し塗ると少し楽になった。
3月30日(火曜日)
どうやら地震が来そうな気配がする。と言うのは、我が家の庭には観賞用の梅の木が植っている。祖父の趣味が高じたものだ。これだけは伐採しないで育てているが、今年は実がなった。今まで見た事がない。観賞用の梅は品種改良され花だけが大きく開花する様になっているからだ。それが実を付けた。梅の本能が今年は子孫を残さなければと自覚したのではなかろうか。幾つもの木に実っている。だから地震に備える動きを少しづつ始めようと思う。今日も文旦の剪定。1本仕上げたところで雨が来た。急いで帰り洗濯物を取り込んで、伝承館に出かけた「崩しの加工」のため。そこには師匠がいて少し会話。去年は4月5日から桜が咲いたが、今年はもう満開過ぎだ。と言う。それで今年は台風が来るぞ(関連性は分からないが)、ここ数年サトウキビは無傷でいられたが、今年はそうはいかないぞと言う。僕もそれを肝に銘じて、サトウキビの手入れを怠らないようにしよう。文旦の剪定は今日で終わりとし、明日消毒を行って仕舞をつけようと思った。「崩し作業」を終えると、まだ師匠はグランドの周りで竹を切っていた(師匠は村の運動公園の管理を請け負っていると)。急斜面での作業だ。いくら仕事とはいえ結構きつい。僕は日が落ちるまで手伝った。竹は自宅で何度も取り組んできたテーマだから、扱いは慣れているつもり。ガンガン切り崩した。少し恐縮されたが行きがかりだ。日没でやめた。その夜、夕食を準備していると、師匠の奥様が五目寿司を持って来てくれた。今度はこちらが恐縮。他の人ならお礼に砂糖をあげるが、同業の奥様に砂糖はあげられないので今日は貰うだけになった。色々考えた結果、目の前にあった文旦でママレードを作ってお返ししよう。レシピを開くと、皮を切り刻んで水で晒すとあった。今日はここまで。
3月29日(月曜日)
Version (バージョン)略してVer.パソコンやスマホは、これによって使えるアプリが制限される。僕のスマホのiPhone6はVer10.2.1でアップデートしてないのは、「英熟語1000」「コトバンク」が使えなくなるため。もう一つのiPhone7は14.4.2でこれは最新のセキュリティ対応する為。バージョンはこの為に知っておくべき重要な事。一方コロナワクチン。これを摂取した人としない人の「世界的アプリ」がイギリス主導で開発される動きがあるらしい。ここまでがニュース。この先は推測だが、コロナは色んな変形タイプが出現し、再び猛威を振るっている。有効なワクチンは現有のまま使えるとしているが、後発のワクチンは多分さらに有効な筈だ。何故ならDNA操作だから、それ故Verの違いが発生するのだと思う。それで先のOSの話につながる。2021年年末近く忘年会時期「君はどのバージョン」「その古いバージョンだとこの店には入れないよ」こんな会話が交わされるようになる筈だ。車は今は年式でそれが決まるが、いずれこの概念が入ってくる筈だ、すでにテスラはそうなっている。それと共に「アップデート」の言葉も流行する筈だ。外国人に「バージョンアップ」は通用しません、それは日本語ですから。文旦の剪定中、毛虫が首を這っていた。直ぐに叩き落としたが、後が爛れて痛い、かゆい。今朝から足首が痒い。小さな虫刺されの跡がある。身体について来たダニだ。僕は極めて昆虫に弱く、その季節が巡って来た。
3月28日(日曜日)
予定通りの雨。11時半、プールに出かけた。今日は南国市の長岡温泉プール。帰りに土佐山田の三谷ミートに寄って肉を買うため。今日はお寺さんご夫妻を迎えて懇親会。奥さんには砂糖の販売を手伝ってもらっているお礼も兼ねて。三谷ミートの肉は土佐の赤牛で、脂身が少なくあっさりしているが、肉の味は極上。帰りに野市のマルナカスーパーで買い物。ここだけが駐車場に屋根があって濡れない為、大雨にはここに限る。その上お金が無かった。役場で、役員手当の2万円貰ったのがあったと思っていたが、財布を除くともう数千円しかない。マルナカで使えるWAONには三千円くらい残金がありそれを使う。今日のメニューは、フランスパンにチーズ、干しブドウ。うずら卵にブロッコリー新芽。豆腐の酢漬け。トマトと玉ねぎに馬路のポン酢。これが終わり次第すき焼きに突入する、僕として豪華版のつもり。フランス風にしたかったが、お寺さんが日本酒愛好家なので断念。すき焼きは奥さんにお願いした。よく考えると、前に師匠の奥さんにすき焼きを作って貰った。それぞれやり方が違うし、味も違う。もう一人、おじさんの奥さんのも食べた。どれも美味く優劣はつけれないけど。一人物故に、こんな楽しみがあったと気がついた次第。奥さんは材料を揃えるのと、後片付けをこちらがするのが分かると、嬉々として料理してくれるのだ。今日は羽目を外してお寺さんは呑んだ。二人で8合。解散後、酔い覚ましに古い台所を磨き上げた。綺麗になるとなんだかホッとしたし、不思議だが農作業を終えたような達成感がある。シャワーを浴びて今日はハイレゾを聴くぞとPCを立ち上げるも、再生ソフトの「オーディオ・ディバーナ」が立ち上がらない。酔っているので操作が間違っていたかもしれない。今日はやめだ。と寝た(翌朝確認するとPCの電源は入れっぱなし、HDDは電源の入ったまま抜いていたなどめちゃくちゃだった)。
3月27日(土曜日)
あれからもう10年経ちました。僕が定年を迎える前の年2011年、東北で大きな地震がありました。これに呼応して、国や専門家は東南海地震がいつ起きてもおかしくないと言い始め、30年以内には地震は来ると。実はもっと前から言い始めたが、最初の日付けを忘れてしまった。まぁそれは置いておくとしよう。所が今日の新聞にも又後30年以内の文字が踊る。今まで経過した日々はリセットされている(昨年もあと、30年以内と言っていた)。報道する側はこの「何故」をどうして書かない?記事を描く人たちは専門化されているはずだから、その部門の人たちはアフリカのエボラ出血熱の流行がいつの年だったのか記憶はなくても、この地震について書かれた前の記事は記憶に残っている筈なのに。おかしいぞ。別件でもあるぞ、NHKは東南海地震に備えるとして、夕刻の地元放送局編集の「高知一番」で時々特集で報道をしているが2019年ごろからシリーズで続いている。これでさえ2年目を迎えて、現在、あと28年以内で地震が来るとは言わずに30年を通している。IoT
の文字が2019年から20年の始めに記事の中で踊ったが、今はDXに移っている。何で止めたんだろう?デジタルデータが成否を握るIoT は決して消失したのではなく、益々重要性が高まったのに。こうした現象を要約すると、「骨のある人が減って軽薄になっている所為」ではなかろうか。ルネサンスCEO柴田氏のインタビューを日経エレクトロニクスで読んだ。IT企業だから確かに社長として最先端を知っておかねばならないし、それを公言するのは吝かでない。しかし経営方針についての取材なのに記事全体が細部にシフトし過ぎているのだ。読後感は余りにも軽薄な印象。これじゃ人はついてこないなぁ。CTOだったら良かったのに。と思った矢先あの火災だ。これじゃ燃えて仕事をする人(粋に感じること)はいなくて、実際工場を燃やしてしまった。調べてみれば、これは僕だけの感想でなくても「EEタイムス」なんかにも掲載された。ホネのある人が居なくなったのは何故だろう。変わり者と言われても僕はそう思われたくない。文旦の剪定も全ての枝を吟味して判定している。にわか百姓と見られるのは嫌だ。それで、今日も1本の木の剪定で終わった。でも満足の行く仕上がりだ。夕刻買い物に行くとき、道端でイタドリを採取してた良美ちゃん(76歳)に声かけると、みかんの剪定を褒められた。やっぱりきっちりやってて良かった。
3月26日(金曜日)
Sherpa(ネパールなんかで登山家を案内する人をシェルパと呼ぶ)ボルトン回顧録で出てくる。どんな辞書を検索しても他の訳はない。「何で政治家の会議に山登りの案内人が出て来る?」随分と考えた、3日間くらい経過して、ふと思いついた。この場面はカナダで開催されているG7に関しての記述だ。G7は別名Summit(サミット)と呼び、1973年に起源を持つ、山の頂上を指す言葉。つまり、各国首脳は山頂に登るのに、閣僚(随行)をシェルパと呼んだのだろう。やっと胸のつかえが取れた。翻訳は102ページまで来た。ついでにAmazonで英英辞書を買った。電子書籍で2440円。この辞書は英英の横に日本語訳が付いている眺めて面白い構成。辞書に使われる英語は単純明快で、流石に辞書というだけあって分かりやすい。これを寝る前に少しだけ読む、横向きでKindleを開く、ところが、いつの間にか涎を垂らしている。口が開いていたのだ。脳が何とかなっているのかな。弘前の知人からのメールは、体重を落として糖尿病が治ったと嬉しいニュース。生き伸びような!いつ迎えが来るのかわからないから。僕もそれまで楽しむまでか。今は何ともないが。タワーレコードから毎日山の様なメールが届く。うんざりするも、文旦剪定の休憩に見るのも楽しい。その中に、マーラーの交響曲全集がベルリンフィル演奏で紹介されている。指揮者は今をときめくメンバー九人。1番から9番までそれぞれ違う指揮者が振る。しかもBDの映像付き。又、ナタリー・デセイがオペラを歌ったCDもあった。しかもDVD付き。毎晩ジャズにシフトしていると前に書いたが、いずれクラシックに戻るだろう、その時に聞く楽しみが必要だ。
3月25日(木曜日)
朝から雨。日曜日まで晴れる予定じゃなかったのかなぁ?でも昼から上がり、予定通り文旦剪定。どんなに頑張っても1日に2本が最高、3段目の畑は全く手が入ってないからもっと時間がかかりそう。その上、途中で妙に気だるく休むようになった。僕の作業には休憩の概念が無かった筈なのに。衰えて来ていると言うことか?そこへ同じ部落の「しゅんろう」さんが犬を引っ張って来合わせた。この人は余りものを言わないので有名な人。だが、僕には会うと結構声をかけてくれる。この人もサトウキビを栽培しているが、持ち込んだサトウキビの括り方は厳格そのもの。それで分かったのは多分職人肌の人じゃないかな?だから気難しい。83歳、「膝が痛くてもう百姓はできん」と言う傍らで、ここまで歩いて来ている。ここは山の中腹だから相当な坂道、僕は毎日4駆の車で来ている。この人の基準からすればこんなのは屁じゃない。と言う事だろう。話はブツ切れで「どうで、おまん晩酌はしゆうかよ?」、「してないけど日本酒は飲むのが好き」、「最近の若いもんはビールばっかりじゃきに」続きがあるかと思えば、そのまま犬を引いて行ってしまった。多分自分の中でその次の会話があって話が終わったと言うことだろう。僕も毎日一人か二人位の会話で、自分の中で話をしている事が多い。一風変わった人の様に見られるかもしれない。誰でもそんな一面を抱えているのが少しだけ表面化しただけかも知れない。コロナで現象が活発化するかもしれない。既に僕の友人のT氏は一つのテーマで話をすることが無くなって、何時もこう言う「話は変わるけどね」。ツィターで200文字の制限など、色々とこの現象を助長するものが増えて来た。FBやインスタで自分を出したい気持ちはわかるが、論説が展開できないとなると、人間関係が希薄、軽薄、自己中になって行くんではなかろうか。
3月24日(水曜日)
母屋の縁側の板敷がめくれている。大掃除してわかった。雨漏りで合板の接着が剥がれたからだろう。古い家だから本来は少しリフォームして改修するのが今の時期だと思う。しかし、南海トラフ地震がもう直ぐ発生すると言うのに、家にお金はかけられない。この家は倒壊が目に見えているからだ。それで、瓦用のボンドをたくさん買ってきて、該当部分の屋根全体に目潰しを行った。瓦と瓦が空いていて、大雨の時に、空いた間から毛細現象で水が上がって来て瓦を回り込んで雨が漏るのだ。それに、雨量が増えて、今の樋ではでは間に合わなくなっている、屋根の勾配をもっと強くしなければ、毛細現象は防げない。多分。それから、再び文旦の剪定。大きな枝は切り口に腐敗防止の薬品を塗った。この薬品を買うに、電話番号や名前のサインを求められる。夕食に、朝買っておいた鯖(生食用)を捌いてシメサバを作った。塩は黒潮町の天然もの、昆布は日高産。これが大正解。上手いのなんの。料理が中々上手くなって来ている。付け合わせの野菜はイタリアンパブリカ黄色。普通のパブリカよりも細長く、ナスのような形状。野菜は見た事がないものがあると必ず購入。食の偏りを回避のため。おひとりさま食堂の自衛手段。コロナで色々な社会の構造が変わるが、最も基本的な「衣食住」は一番影響を受けるだろうな。僕の見立てでは食は戻らない。自分で作るのはともかく、持ち帰りが増えて、店食はかなり特色がないと難しいのでは。芸西村ではスーパーが3/21開店した。前のスーパーは高速道路の為に移転せざるを得なかったのが理由だが、今度は店を大きく広げた。人口減、高齢化の真っ只中なのに、何故?外食が減ったぶんだけ取り込みの採算があるのだろうか?惣菜コーナーが一気に充実したのだ。僕は屈せず買わないけど。
3月23日(火曜日)
日経新聞もたまにはいい記事を掲載する。火曜日の夕刊は、音楽紹介欄がある。今日紹介されたのはCereste。イギリスのポップスシンガーでジャズ寄り。アデルみたいな感じ。携帯のApple Musicで試聴し良かったので、夜はDENON DAC2500NEにUSB接続し聴くがやはり良い。これは買っても良い。オンキョーミュージックではハイレゾもあった。5000円。アマゾンCDは1800円。この人の音楽は聞いていて気持ちが良いが、約2時間のアルバムだから時間がもったいない気もする。今日もいつもの山に入って文旦剪定。初めの頃からすると随分と上手くなった。要はコロナと同じで、葉っぱが密にならないように枝を切る事。欲張らないで、1本の枝から沢山の枝を出さない、思い切って1本。こうすると枝と枝の間が空いて太陽が地面まで差す様になる。混み合っていると貝殻虫がまとわりついて、枝が真っ黒になる。昨年の柚子収穫のアルバイトからすっかりみかんに目覚めてしまった。そして、木に残っていた文旦を販売すると思いの外売れた。これですっかり舞い上がってしまい、消毒用の動噴も修理し、剪定も本格化したのだ。美味しい文旦の作り方の本が書けそうなくらい傾倒している。そうして、今までの農作業が変わると身体が欲しがる音楽が変わった。JAZZにシフトしたのだ。サトウキビの製糖中は日本酒に甘いのが欲しかったが。不思議な現象。それで今夕はケニードリュー/Under Currentを聴く。名盤。この頃(1960年)のジャズマンは皆んな若い。勢いに任せて吹きまくり叩きまくり、いわゆるノリや凄みのある演奏で技法はそこ除けだったんだ。だから、この頃のアルバムは皆んなが名盤だ。その中でマイルスだけが毎回新しい技法に挑戦していた。他は、今を磨くのみ。まるでルネッサンスの絵画の様。良くも悪くもジャズはこの頃のものが極上。ジャンル分けの流派や技法の分析、進化は後からついて来た。
3月22日(月曜日)
やっと晴れた。昼からみかんの剪定に行った、この作業は3月末まで、4月になればサトウキビやつくね芋に手を貸さなければならない。僕の農業は3部作(文旦、サトウキビ、つくね芋)。今日の剪定は2本完了。この間電話とメール着信。電話は、弘前の友人。ヤマダ電機はホールディンス化により、傘下の子会社では契約社員が解雇された。友人もこの一環で解雇。暇になったから、消息の確認だったと言う。「別に解雇されたって、孫のプレゼントが少し減るだけの話だろうが」と僕。「コロナが落ち着くと弘前に来ないか?」もちろん答えは「行く」。海外に行く事は出来ず、どこかに行きたいと思っていた。北陸には友人のN氏と、在職中お世話になった濱谷さんがいる。ここで一泊してから弘前に向かう計画だ。メールは友人からで、今夕一杯のお誘い。勿論OK。とは言え、わたしの家で、私の手料理で。良く飲んで、よく話し、ビールが切れて、日本酒。友人も帰り、夜も更けて音楽タイムとなった。お酒をたらふく飲んでいるときはジャズだろう。マイルスの「Star People」カートリッジはオルトフォンMC20。澄んだ音が響く、これがある限りジャズから離れられないと思ったが、気がつくと妙にしんとしている。?が3つほど点灯。麻酔の注射を打たれたようにスコンと眠りに落ちて、音楽が終わった段階で目が醒めたっていう訳。出だしの気持ち良さだけが残っていた。昼からとはいえ、寒い中汗をかく仕事をしてからのお酒だ。眠らない訳がない。
3月21日(日曜日)
昨晩の雨は強かった。山道脇の溝は落ち葉でつまり水が溢れた形跡がある。これから大雨の来る前に清掃は必須だ。雨は降り続き、農作業は出来ない。午後少しだけ本を読んでプールに出かけた。昨日の水泳から中1日しか空いてなく疲れは残っているがじっとしているよりは動いている方が落ち着く。今月はこれで累計10km。昨年対比でまだ負けている。読書数も負けている。たとえ去年の自分が相手でも負けたくない。高知で趣味のカメラに関するお友達を見つけるのは、多分その気になれば出来るだろうと思う。が、積極的になれないのは、この負けん気に火がつくと、購入意欲に火がつくとからだ。ニコン、キャノン、パナと揃えて来たが、ソニーとフジはまだ手を下してない。それに、持っているカメラにしても、単焦点は数少ない。もしお友達と議論なんかになったり、何処かに撮影に行くとなれば、焼け木杭に火がつき暴走購入に走りかねない。そうなれば破綻はしないまでも、他の趣味に大きく支障が出る事は必須。オーディオとカメラは現地でお友達を作らない事が逝く迄の大切なポイントだと思う。
3月20日(土曜日)
良い事は続き、朝お坊さんが「仏様に」とおはぎを持って来てくれた。昨晩何度も電話したが出てくれなかったのでと。ありがたいことだ。孫が高知東工業に通っていて、今日春野球場で試合があるから、朝から居ないので持って来たと言う。これを機会に食事の後、しきびを切って墓掃除へ行った。先日除草剤を散布しておいたので少しスッキリしていた、残りの草は手で引いた。春先は除草剤の効きが悪く2度くらいの散布は必要みたい。その後雨になった。昼からサトウキビの「崩し」ケース入りを作りかっぱ市場へ出荷。「ハナズオウ」の花卉は売れず引き上げた。おじさん宅を訪問し、「スターチス」をもらって墓に挿した。昼抜きだったので、早めに食事を献立た。冷蔵庫の余り物でカレーをヘルシオで作る。これは毎回美味しい。多分、無水と多少の圧力が効いているのと思う。午後7時からリンカーン・ライムの「ボーンコレクターを追え」6-10巻を見る。たわいもないニューヨーク市警の捕物帳。映画版はアンジェリーナ・ジョリーが「アメリア」(女市警)役を務めたが、このドラマ版はアリエル・ケベルで、僕はこちらが好演だと思った。4時間に及ぶ大作で、今度は居間の座椅子でなく、自分の部屋でイケアのカウチに横たわり見た。それでも身体がこわばった。事件に躓いて進展が見られない時、「現場を見よ、推理を働かせ」「解決できない事はない」これが毎回毎回、リンカーンから口癖のように出る。後半は、彼の言葉をアメリアが代わりに言う。見ている僕は、何て!勇気を与えてくれる映画なんだと感激した。たわいもない展開の中にも一寸の魂が宿って居たんだ。多分、どんな映画にも、小説にも、会話にも魂があるはずだが多分僕は見逃しているはずだ。
3月19日(金曜日)
今日は良い日だった。昼前師匠からメールが来て、久しぶりの昼食会。僕はその前に、かっぱ市場にキンカンと砂糖のセットを置いて来た。この話題を引っさげて昼食会に臨んだ。「おまん、いろんな事をするのう」。又、偶然かもしれないが、レシピ付きの砂糖がよく売れている事も伝えた。レシピについて問題がなければみんなにコピーをあげようかと思う。これが最初のいい事。次に週刊となった清掃、日常の風呂焚きを終えてプール。今日は最初から飛ばした。それなのに、時間は1時間7分。多分数え間違いだろうと思う。プールはコロナ対策の為体温計を設置してあり、30度のプールで泳ぐと0.5度くらい低下するのが確認できる。それが今日は低下無しだった。あれだけ、クロールのスピードを上げられた事は近年なかったし、途中で気持ちが良くなって、あれぇもうターンかと思った次第。やり過ぎは禁物だと自制した。プールから上がると、幸せ感に満たされた。何のいい事も、先への希望も全く変化がないのに、ただただ幸せ感が僕の周り一杯に広がったのだ。これって何ですか?これが2つ目の良かった点。帰って、食事。風呂に入る前にアンプの電源を入れて、CD演奏。風呂から上がって、マスネ「サンドリヨン」(日本語訳では灰かぶり、さえないいことを意味する)オペラを見る。ストーリーは「シンデレラ」のオペラ版。良い子の子女二人が王様のパーティに招かれるが、父の連れ子のサンドリヨンは家で留守番。このメトロポリタンのオペラは実に音がよく、映像のキレも抜群で、なんて気持ち良いのだ!プールの疲れも忘れて見てしまった。これが3つ目。本来だと、4つ目もあったが、明日に持ち越した。関係ないが、メトロの常任指揮者であったジェームス・レバイン氏の訃報があった。
3月18日(木曜日)
又しても日経新聞でおかしな英語。英語を日本語の中に含めてもちっともかっこよく無いと思うのだが。今回は聴き慣れないpent up(先送り)と書いてあった。消費がコロナで先送りされる事を意味する。英字新聞ではdelay
(遅れる)などを使っているのを見た事がある。こっちが直接的でわかりやすいですね。でも一般的に使われる「延期」はpostpone だ。英語の世界に少しだけ顔を突っ込むと、妙な日本語英語が見えて来ます。日本には表現豊かな日本語があってどこの言語にも負けない語彙があるのだから、そちらを使えば良いと思う。変な英語で知識人ぶるのはやめた方が良いと思う。ちっともかっこ良くないし、返って浅はかに見える。僕は人を見下すつもりはないが、昨日レシピを入れた砂糖を展示すると、瞬く間になくなっていた。ここで買い物をする人は料理を知らないのだと思いましたね。気を良くした私は、キンカンの甘露煮のレシピを作って、砂糖とセット販売する準備を行った。前にもやろうと思っていたが、どうしてもレシピのデザインが思いつかず悩んでいた。今日は目の前にあるが如くイメージができて制作にかかった。かっぱ市場の社員さんと話し、セット販売のプライスも作成した。取り敢えず5個。単価500円。そんなに儲かる話ではないが、何だか釣り出かけるような気分。FRBのパウエル議長が市場(しじょう)との対話(FF金利の操作に関して)を謳うが、私も市場(いちば)との対話をしているのでパウエルさん同様結構面白い。
3月17日(水曜日)
夜更かしで今日は眠い。ラジ英を聞きながらガクンとなった。机に被さって寝てしまう。学生時代以来久しぶり。動いていれば眠くないから、午後は砂糖の「崩し」を作った。今回はレシピ入りだ。売れ行きに効果があるのか不明。カッパ市場のおばさんの提案だ。2月の市場での売り上げは文旦の出荷もあったので、大阪に勤めている時と同じくらいの収入があった。サトウキビの作付け面積を拡大したのも功を奏している。しかし3月までが限界だろう。暖かくなると砂糖の販売は止まる、4月からは冷蔵庫での陳列になるからさらに売りは下がる。後、ブロック2箱、崩し用のブロックが4箱残っている。午後4時から文旦の剪定中、思い切り鋸で手を切った。チョット深いので痛みが続く。帰って「たぬきの脂」を塗って、水仕事ができるバンドエイドを貼った。一人住まいは料理があるから休めない。今日はカッパ市場で買った「ぐれ」@750を刺身に下ろした。もちもちした食感。食べきれず息子に。皮を湯引きしポン酢。これは美味かった。骨、頭はサトウキビであら煮煮。一緒に直径が2cmくらいある太ネギを2本。徳島のワカメも。大正解だった。時々自分は料理の天才じゃないかと思う程美味い時がある。今日はその時。風呂に行く前にアンプの電源を入れる。部屋に帰って、ショスタコ5番「革命」/インバルを聴く。馴染みのないメロディだが打楽器の使い方に特徴がある。ロマン派の音楽が出尽くした後世代のショスタコはメロディで作曲する事はできなかった。モーツアルトが出し尽くしたからだ。それで打楽器で勝負に出た。「偉い」。近年録音技術が成熟して来て、ダイナミックレンジの広い音楽が録音できるようになった。これからはマーラに続き、ショスタコの全容収録出来、注目されるはずだ。でも年取ると耳が衰え、弱音が聞き取りにくいから、僕にとってダイナミックレンジの拡大は寄与しませんが。
3月16日(火曜日)
武蔵野大学がビジネス英語クラスの広告を新聞一面を使って行なった。おかしいのはメッセージを英語で書いた。これは主張があっていいのだが、日本語訳も添えてある。?それでこの広告は一体何が目的なのかが薄れてしまった。と言うのは、ビジネスで英語をバリバリと使いたいと望んでいる人が、武蔵野大学を受験するとしよう、それだけの目的を持った人なら、まぁこの程度の英語メッセージは読めますわな。日本語訳が無くても。多分推測だが、原案を作った若いコピーライターが老人の学長に報告すると、学長は言っただろうな「訳が無いと判らんじゃない?」。そんな「日本のビジネスシーン」が目に浮かびますわな。山の桜が満開だ。今年の春は早い。サトウキビはまだ冬枯れのまま立ち尽くしているのもある。もう直ぐ切らなきゃと思っていた矢先、もう新芽がその間から出ている。これは大変と、文旦の剪定を中断して冬枯れのサトウキビを切ることに。一緒に先ほどの話しではないが、新芽も刈り取った。農協から動噴の修理が完成したと電話。かっぱ市場では、崩しが売れて棚が空いていた。どう見ても手を広げすぎだ。これでは、朝からの農作業が必要だ。一方で英語は最低2時間かけないと落ちる。まだ海外旅行の夢は途切れた訳じゃないから温存しておきたい。二進も三進も(にっちもさっちも)行かない中で、13日録画した「リンカーン/ボーンコレクター1-5巻」を見てしまった。見始めるとやめられない。困ったもんだ。
3月15日(月曜日)
昨日ミカンの剪定の時、山から降りて来た登山家のご夫婦と話をしたら、今は登山ブームだと言う。しかも、芸西村のタコの山が脚光を浴びていると言う。それを聞いて、僕の西隣の掃除を余儀なくされている道は、そのタコの山に続く表参道と思い出した。しかし、途中で道が雑木で塞がれている。このルート開設をすればタコの山縦走が可能だ。そこで役場に相談に行った。「もし道を開くつもりがあるなら、やってあげてもいいよ」。すると、調査して業者に頼みますとつれない返事。僕の友人が「貝教室の開催」で相談に行っても、芸西村だけはつれない返事だった。香美市は凄いが。と言っていたのを思い出した。まぁ何でもやって見なきゃと心の中に納める。毎日挑戦だ。帰って、BDプレーヤーUB900のアナログ接続で、ソニーX7ESDと比べた。やはり低域のどっしり感はないが、中域以上はガラス細工のような細かな表現をする。そこで、前に読んだ記事で、インシュレーターを加えるとどっしり感が出るのを思い出し敷くと、それなりになった。UB900はHDMIかアナログかの設定が必要なので、都度切り替えるのは面倒でさて、どうするか?色々と思い出す事が多い日で、頭が冴えていたのかな?そういえば、今日は「warewareha(我々は)」のキーを打つのに、左小指薬指が滑らかに動いて、しかも間違いなく打てた、嬉しかった。最近上手くいかなかったのは、いつの間にか歳をとっていたと言う事なのかな。老齢の件では、我が家にある古い動力噴霧器が動かないから、農協に持っていくと、ガソリンが腐って、バブルが詰まっているとの事。暫く預かって直しますと。我が家は僕も機器もみんな老齢化して腐って行く。後、少しだけ楽しませてくれと言うのが今の気持ち。
3月14日(日曜日)
部落で、あまり付き合いのない人と飲むのは嫌いじゃない。それに毎日一人で晩飯と言うのも飽きが来ていた。同じ部落に大工さんT氏からお誘いがあって伺う事にした。大工さんとは、行事で飲む事はあっても、家にお伺いするのは初めてだ。名目は、「グレを釣って来たから」。愛媛まで行って釣って来たと言うから、原価でも2万円はするから、高い刺身である。(こちらの魚屋さんで買って3千円くらいで済むのだが)。ビールを下げて伺った。他にはA氏(63歳)とTN氏(75歳くらい)まず最初の話題はコロナ、芸西村で大流行の菌を撒き散らした人とかなり仲の良かった大工さんの話。次はTN氏に部落長になってもらう為の説得。この辺まではまだ酔ってなかったので覚えているが、次第に記憶がこんがらがって来た。A氏は僕の元妻の兄と同級生で、僕の離婚の事を詳しく聞きたがった。村は小さく情報は早いので、広報で回覧するよりも早く徹底される。イノシシの肉を煮た、すき焼きもあったが、こちらは硬くて美味しくなかった。少しだけ頂いた。村の中の些細な事が酒の話題であって、飲む為の当てみたいな感じですね。この日は文旦の剪定を行なった。普段と違う筋肉を使う為、疲れ方が激しい。水泳で満遍なく筋肉は使っているつもりだが、そうではないですね。もう少し話して居たかったが、9時前に退散した。それにものすごく寒かった。夜は冷え込んでいるのかなと思ったが、家に帰ると暖かかった。大工さんの家は背後が西の山に張り付いていて、多分午後2時には山影になって太陽が当たらない場所。日射時間が短い為家全体が寒いかなと思った。
3月13日(土曜日)
着々と岡村王国が仕上がっている。今日はDIGA 4Kが届いた。4T201。既にあるプロジェクターはエプソン830。スクリーンは特注のキクチ、グレーマット100インチ。この間を結ぶHDMIケーブルには銅線では無く、光に変換して伝送する最先端のもので、FIBBA KING-A(5m) 価格は¥28,400。えっ!ケーブルに3万円。そうです、4Kの為には仕方ありません。DIGA設定段階で驚いたのは、スマホとの連携を要求されるので、行なった所、DIGAに記録した映像がスマホで見られるということ。つまり、お風呂なんかにスマホを持って行き見られるし、もちろん外でも可能。iPad Proなら、勿論WiFi環境が必要ですが、もうミニテレビのようなものだ。驚き。写真も同様。恐ろしいですね。さて、4Kの映像。暗くなる夜を待っての確認。店頭なんかで4Kテレは見ているが今ひとつはっきり自覚できなかったのは、画面サイズ割に多分細密度が高すぎるためだろう。ところが100インチでは4Kの恩恵がはっきりと自覚できる。先ずは「紅白歌合戦」歌の方は兎も角、素晴らしい映像。「ブレード・ランナー」少し解像度は落ちるが、大画面の迫力が解る。「ターミネーター2」これは凄い。LDも2K版録画も持っているが、全くの別物。「山椒大夫4Kリストア版」びっくりの画像。「山口百恵」VGAと違わない画像でがっかり。字幕だけは4K。2Kでは映像では比較はしてないが前のUB900の方が精緻な印象。ではUB900の音は?オーディオ機器に接続してソニーのCDプレーヤーと比較。アンプとはHDMI接続、CDプレーヤーの方はバランス接続。こちらは古いがソニーのCDプレーヤーにどっしり感で軍配あり。残るはUB900をピンケーブルで接続したらどうなのか?のみ。夜は忙しく、近頃はLDオペラ、カール・リヒターのCD、ステレオ・サウンド誌と3つを回しているが、さらに4Kシアターが加わるとパンクかな?
3月12日(金曜日)
まぁ呆れる記事の多いこと。①半導体の微細加工(現在は5ナノが最高)の技術が日本にないので、基幹産業である日本の自動車産業にリスクがあると来た。自動車の半導体は40ナノの古い技術で作られているんですが、その現実を知っているのでしょうな?②世界一のスーパーコンピューターがマスクによる飛沫を分析した結果、不繊布のマスクが一番効果があるが、通気性は良くない。一方でガーゼは効果は少ないが、通気性が良いと発表した。世界一のスーパーコンピューターを使わなくても、そんなこたぁ常識としてそれは分かっているよ。日経新聞は日本のハイテック現状を嘆くが、己の社のハイテク度の評価をしては、この惨状はひどいじゃないですかね。昼から雨予想だったので(まだ降ってないが)、午後掃除と風呂を焚いてプールに出かけた。昨年は3月に15km。3/12現在で4.5km。だいぶ遅れている。今日は頑張って2km、1時間5分。若い頃から5分の遅れ。平泳ぎ500mが無ければ同じ記録が出たのかも知れない。今は体調の為の水泳で、全ての種目を500m単位で行なっている。一番得意なクロール、左顔上げだけだと55分くらいの記録は出るはず(と思っているが)。しかしこれは極端に動かす部分が限定されるから今はしない事に。プールから上がると大雨になっていた。食材を買って帰り、野菜中心の食事とした。昼飯にスパゲティだけの炭水化物だったから。さすがに+500mは効き、9時には朦朧として来た。農作業は長時間少しづつエネルギーを奪うのに対し、水泳は短時間で大きなエネルギーを奪う。その違いは、夜のくつろぐときにあると思う。農作業の場合、本を読んでいても、映画を見てても、睡魔はじわじわとやって来て、我慢をしながら30分くらい延長できるのに対し、水泳の場合は、全く疲れなど感じさせない状態から、ある時から急に視界が狭くなってどうにもならなくなる。多分泳ぎ方なども関係しているとは思うが。
3月11日(木曜日)
今日は震災を振り返る日で、他のことに触れるのは不謹慎だと思うが、刺身について報告したい。自宅から20分(自転車)ほど西寄りに手結港(ていこう)がある。小さな港だ。ここで水揚げされる漁獲量も近年大したことはない。そしてこの近隣の店で捌かれる。そのうちの一つ、ミツワスーパーに今日は買い出しに行った。芸西のスーパー、「サンシャイン」は閉店し、3/21のオープンまで買い物ができない理由もある。かねてより、このミツワは刺身がうまいとの評判だったが、今日はその手結港で上がったヒラあじ神経止め¥398を購入。おろしショウガとネギ醤油で食べたところ、コリコリの絶品。これ有名な寿司屋で握って貰ったら1巻500円は硬いねと思わせる味。新鮮さとコクが同居していた。左右の2枚あったが、ペロリと。こんな幸せはここでしか味わえない。一人寂しい夕食だが、とても豪華な夕食だった。美味しさの秘密はもちろん魚にあるが、午後石積みを完成させるべく頑張って大汗をかいたのも支援しているだろう。重い石、バケツで運ぶ土砂、何十回も繰り返した。手が震え出した。正しい労働の報酬としてのヒラ鯵だったのだ。ここは日本酒で一杯と行きたいが、夜にオペラが待っているので、涙を飲んで我慢。ワーグナー「ラインの黄金」2面の途中から、黄金を盗んだ妖怪から指輪を騙し取るまで見た。
3月10日(水曜日)
朝トイレに行くと壁に真っ赤な血糊、床にも血の塊、便器にも血が塗ってある。足跡からすれば、アライグマか、ハクビシンか。僕は良く寝るわりに眠りが深いから夜中にどんな騒ぎが起きたのか全く分からない。日中は鍵をかけない家だが、寝るときだけは自分が信用できないから鍵をかけている。血の量から推測すればかなりの大怪我だ。昼前、そのトイレ方面から「マーター君」、黄色い声がする。部屋から出ると、純子ちゃんが「突き」を持ってきてくれた。突きとは、ズガニを小突いて粉にして炊き上げたお汁。これに塩で味付けし、ナスを入れて煮込むと絵もいわれぬ美味が出来上がると話してくれた。昨夕彼女の家の前で理恵ちゃんと三人で同級生の井戸端会議をしてた時に、この話題が出たので、蟹はいらんが食べられるようにしたら欲しいと冗談で言ったら、持ってきてくれたわけ。律儀な人。又何かでお返しが必要だ。五人分あるらしいから、今度師匠を呼んで大懇親会をする時に披露しよう。午後は確定申告をまとめて役場に出した。何とサトウキビに関わった経費は22万円。柚子とサトウキビとの収入が18万円。赤字。これに時間を取られたので、沖の柿の木の下草刈りと、岸の上にある土砂の掘り起こしを行っただけ。運動がないぶん食べては調子を崩すので昼飯抜きだった。夕食の料理をしながらカツオのタタキを頬張った。夜、ニコンからフラグシップZ9の開発ニュース。待てばよかったのかなぁ。いずれキャノンも出すだろう。だがR5で一生ものの買い物をしたつもりだからこれ以上は無理だ。それに旅行記を書いているが、当時のコンパクトデジカメ(LUMIX TZ5)で十分な撮影が出来ているのだ。実際のところそれ以上何を望む?って感じだ。それに、あの当時は四六時中カメラを触っていたので、実際のところカメラの性能の限界まで使い倒していただろうから、あの写真があったのかも知れない。今のカメラを使い倒すには覚えきれないほど機能があるから、これ以上は無理と言うのはお金の点だけではないのだ。寝る前にカール・リヒター28枚目。100枚全てがバッハの宗教音楽。どれも同じ調子だから、CDレコードを変えても変えなくても毎回同じ新鮮味を味わえる。
3月9日(火曜日)
αbc理論。京大の望月教授の証明が晴れて解読できて評価に繋がったと公表された。それでαbc理論はどんなもんかと前に読んだ、「宇宙と宇宙をつなぐ数学」加藤文元氏の本を広げて見たら、やっぱり分かったような分からん話。rad(a.b.c)が出てきて、c>d1.k乗では有限個数ですよと言うのが理論らしい。乗の値がが整数倍だと無限個数だが、1.1乗と言うように、小数点があると有限個数になると言うのだ。それを証明する論文を理解するのは、数学者でさへおぼつかないとの事(この本でも解説無し)。世界の数学者が束になっても望月先生に歯が立たないと言うのはおもろいやないけ。望月先生の高度な数学とは裏腹に、僕の今日は単純な石積み。計算不要の作業。本来は、石の面をPCで管理して計算すれば、隙間が寸分もない石積みが出来るはずだが。隙間だらけのこの作業はもう直ぐ完成だ。今度は崩れないように、バックに石を入念に控えさせた。農作業は山積しているのに、残念ながらここに囚われている。急がなければ、さとうきび畑にダニが増えてからでの畑整地作業は避けたい。夜は、ベートーベン/ピアノ協奏曲4番を聴く。指揮はズービン・メーター、ピアノはラドー・ルプー。この演奏は名盤が多く本作品を推奨する人は少ない。が、僕はブレンデルのピアノ、ギーゼキングのピアノよりもこちらが良いと思う。ハツラツとした演奏でキレがあるのだ。その上London赤レーベル盤で音が良い(当時はドイツグラムフォンのレコードよりも、ロンドン盤が平均して音がよかった。ショルティもメーターもこの赤盤だった)ルプーは発売当初アシュケナージと覇を競っていた記憶がある。アシュケナージは光っていて一気にピアノ界で抜きん出た。ルプーは生真面目で大化けしなかった、自己を曲げない生き方をしたのだろう。これ以降、レコードが注目されることはなかった。
3月8日(月曜日)
健康診断の日。8時出発だから、朝起きてから何もすることがない。それでボルトンの翻訳を始めた。そしたら、ルーキーの言葉が出て来た。よく、野球の記事で見かけるから、英語の辞書、グランドコンサイスでは「野球選手一年目」同じ音に聞こえるrooky では「くすんだ」とあった。おかしいぞ、日本人はやたら英語を日本語の中に混ぜて使えば体裁が良いと信じているから、これは真意を調べておこうとオックスフォード英英辞典で調べた。するとrookie 「a person who has just started a job or an activity and very little experience.と解説してある。「仕事を始める人、活動を始める人、大変小さな経験を始める人」とある。確かに野球選手の新人として該当しないわけではないのだが、僕なんかが高知にもやっとできた、コメダでコーヒーを飲んでもルーキーとなるのだ。最近は新聞でこの様にどうも引っかかる記事を目にして気になっている。エビデンスを示せ。→「証拠を示せ」と言いたいのだろうが、絶対におかしいぞ。Demonstrate the evidence.書くんだったらこっちの方が余程カッコいいのに。とぼやき診断に出かけた。松下健康保険のコースは頸動脈検査が無く、今まで目安にして来た食生活の評価が頓挫した。胃は慢性胃炎で、膵臓は形として問題なかった。今まで言われて来た膵炎は一体なんなのだ?先生に聞くと、ある一定範囲でオーバーしている人もいる。多分アミラーゼの事だと思われるがとの注釈付き。取り敢えず安心。嬉しついでにシキデンへ行ってLPレコードを購入。ジャケットにルネッサンス時代の「聖母子」の絵が掲載されてあって、この絵は一度見たら忘れられない印象を与える絵画だった(似たような絵はウフィツイ美術館で見ている)ので購入。解説ではロストフ・クレムリン博物館所蔵とある。これと、ラドー・ルプーピアノのベートーベン/ピアノ協奏曲4番名演を購入、こちらはベルリンで聴く予定だったが急遽マリア・ジュアン・ピレッシェに変更された。色々聞きたい音楽がある中に、また追加してしまった。帰り道に桂浜があるので水族館へ。キャノンR5は魚の瞳認識もする驚きの性能ぶり。魚を正面から撮影すると意外な表情が見て取れるので面白い。水族館は1200円の入場料。でもイラストの絵が不味く魚名を調べることができない(一つの水槽の中に3種の魚が入っているので)、それで従業員を捕まえて文句タラタラ。水泳1500mを経て帰って6時から友人と懇親会。今日も結構忙しかった(自分的には)。
3月7日(日曜日)
去年は何をしていたのだろう、特に農作業方面で?記録をめくると、大阪の仕事がなくなり、サトウキビを一気に増やす決断をした所。そのためには、我が畑に覆いかぶさる竹藪を2箇所切り倒すことが必須で、毎日竹刈りに精を出していた。今年は崩れた岸の修復だが、同じように一つの事にかなり時間をかけている。月後半には文旦の手入れをしているから、今年も同じような時期に手入れが必要だ。又、柿の下草刈りなどもあった。比較すると、昨年は真面目に農作業を行なっている。今年は午後からの作業に限定しているので進捗が遅い。それと石を運ぶので2時間以上続けると翌日まで疲れが残る。昨年はその上15kmも泳いでいるし、本も5冊読み、お酒も8回飲んでいる。自己比較すれば明らかに弱っている。自分は若いつもり(誰でもそう思っているらしい)だが、老化が進んでいる、数字が示す。それに昨年のように元気がない。今日は沖の田を叩いた。帰って直ぐにお寺でお砂踏み。年一度の行事で、四国88ヶ所のお寺の土を入れた袋があって、その袋を踏みながら、書いてあるコトバ通りに呪文を唱え、自分の住所と名前を書いたお札をカゴの中に入れ、88回お祈りを行う。それで88ヶ所を回ったご利益があると言うのだ。帰りに若奥様の恵美子さんが五目寿司をくれた。これに味噌汁を作り、納豆で夕食とした。明日は健康診断だから、あまり豪勢には出来ないのだ。
3月6日(土曜日)
高校卒業と共に母の食事を離れて以来現在まで守っている僕の食生活の信条は野菜があるかどうかだ。自炊は問題なかったが結婚して以来の15年間は、うまく行かなかった。再び自炊の時が巡って来て、野菜多目は欠かさず実践中。水泳で腸を捻る運動をしているのも関係しているのか、野菜中心が良いのか分からないが、便通は良くて、トイレに3分以上滞在したことがない。それも腸の中身がスコンと抜けるような感じだ。田舎生活はお金がかかる。物価は高いと書いたが、高いが野菜や魚に関しては新鮮だ。新鮮さの価格と考えなければならないとこの頃は思っている。今日はその魚で「エソ」と言う得体の知れない魚が丸一匹二百円で売られていた。大きな魚だ。ぞれで今夕200度のオーブンで20分加熱した。白身の淡白な味で、馬路村のゆず醤油と美味く会う。だが、二百円の価格の訳が分かった。小骨が多いのだ。お箸を使うのに器用だと自負していたが、チョットこれには降参した。料理に工夫が必要だ。だが、美味い。大きくて半分しか食べられなかった。残りはだし袋に入れて味噌汁へ。エソを買ったかっぱ市場では意外と砂糖が売れていた。このままだと、来週の半ばに崩しの製品を作らなければならない。それと金柑も売れていた。まだ木に随分と残っているので追加しよう。コロナで人との接触がなくなった分だけ、こうした小口販売の儲けで憂さを晴らしている。もう一つは、EOS R5にずっと昔のフィルムカメラで使用したレンズ28-80mmf3.5-5.6を装着し、近所を撮影した。暗くなっていたが、手ぶれ補正が効き意外と鮮明な写真が撮影できた。このレンズはもう1000円の価値しかないだろう。普段使うこの画角のレンズは125.000円なので、この差は一体何なんだ?と思う。確かに周辺が曲らないなど違いは少しだけあるが120倍もの差ではない。どう判断すれば良いのだろう?夜は「オオカミの子供雪と雨」を見た。これは感動物語。「天気の子」以来のズシンと来る重さがあった。
3月5日(金曜日)
予報通り朝から雨。雨の日は水泳と決めている。途中で五台山にある牧野植物園で花の撮影。今日はEOS5Dmk3に100mmマクロ。EOSR5に180mmマクロ。大きな木が茂る下では5Dは手ブレでどうにもならず。R5は長いレンズなのに平気。AFの中心をどこに置くかについても、R5はファインダーのどこにでも焦点を合わせられる。そして近接のピントが5Dはどんなに頑張っても甘くなる。手動の補正はピントの山が掴みにくい。雨の日で暗く条件が悪くなればR5の一人舞台となる。まぁこれを超えるカメラは他にないですね。ニコンとLUMIXをサブにと思ってましたが、全然歯が立たない。これらのレンズの補強を考えていましたが、一考すべきで、資金は全てEOSR5に回した方が良いみたい。R5はとんでもないカメラであるのが分かった。夕食には徳島のワカメとタコ酢。カボチャと間引きした人参の潰しサラダ。水ぎょうざ。一人用としてはこんなもんでしょう。1年を通じて同じものを作らない方針で臨んで料理に工夫をしているが、最近は食べ残しが増えて来た。そんなに入らなくなった。例え水泳に行ったとしても。距離が少ないのかな?だが風呂から上がり、ゆっくりと椅子に横たわると身体がワタのようになる。動く気がしない。精神の堕落かもしれないが、本も読まず、映画ブレードランナー(Blade
Runner=刺客が走る)を見た。原作は「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」4Kリストアを42PX10の1366×768のHD画質で見た。その映像は今まで見たこともない精緻な描画でこれが2004年に発売されたプラズマテレビとは思えない映像。送り出しはDIGA4W300でおうちジャンプを経て、D端子接続できるBZT600で受けている。もう一つは、このブレードランナーは今まで見て来たストーリーとは少し違い別バージョンだった。(後で調べるとFinal
Cut )雨の降る屋台で「いらっしゃい」というのは同じだったが。屋台で思い出したが、アメリカのマクドナルドでハンバーガーを頼むと、「お持ち帰りですか、店内ですか」と聞かれる。もちろんTake
Outなんて言われない。「To Go or For Here」だ、僕の行った店ではForを省いていた。アメリカ滞在3日目で、少し耳が馴染んでいたので混乱はなかった。日本の店で使っている「take
out」は爆破する意味もあるので和製英語をうっかりと本場で使うとやばい。
3月4日(木曜日)
今日はシーツの洗濯日。なんとか天候が持ちこたえて乾燥機のお世話にならなくてよかった。木曜日を超えるとなんだかこの週の峠を越したみたいな感じがする。かと言って、日曜日に休憩するわけじゃなく、いつでも休憩出来るから、曜日なんて関係ないと言えばそれまで。今日は昨年から中断していた竹垣を切り終えた。余った時間で、岸の修復。当初は明日で完成するはずだったが、岸を突く石不足で長引いている。石はその上から崩れて来た岸の分を流用するため、その崩れた土砂を取り除きながら、石を掘り出している。気の遠くなるような話。又、明日からの雨に備えて、山道の溝に溜まった落ち葉を取り除いた。この溝が詰まると、雨が道を流れて、大雨だとその道から我が家に溢れ出す、そうすると我が家は土砂崩れで埋まってしまう。いっそ大きな土砂崩れで家が崩壊すれば良いのだが、半壊だと自費で修繕しなければならず、半端でない金額が発生する。田舎生活について少し書いているが、こうした自然災害のリスクと直面しているのもある。まだ少し薄暗い6時に起床し、部屋から出ると、既に目覚めた鶯が遠くで鳴いている、魚屋さんで売っているサワラの刺身も美味くなった。春が来たんだなと思う。こんな良さもあるのだが。
3月3日(水曜日)
今日もカメラで遊んだ。明日から1週間ずっと天候が悪い。天気予報は結構当たるので、それを信じて、ピーカンの今日は「モネの庭」に行った。フランスの画家クロード・モネの暮らした庭を全く寸法でここに再現した。フランスからの承認ももらっている。冬季閉鎖後、3月1日オープンで、チューリップが自慢とのWeb記事。今日もLUMIXを持ち出す。動きのない花なら、古い機種も使えるだろうと、GH1、G2も持ち出した。35mm換算で、24mm、50mm、70-200mmの3本。感想は①ここでは35mmが最適の長さだがそのレンズは持ってない。②望遠でぼかすよりもマクロがあればなお良い。③70-200mmはよく仕事してくれたが、写りはやはりライカレンズに劣る。④古いカメラはバッテリーが限界で、僅か2時間程度でも空になった。⑤GH1は長く使っていて、これのみ手足のように自由に扱える。カメラはここまで使い込まなきゃ良い写真は撮れない。帰りに田野駅でほうきを購入。近所のよしかずさん曰く、ここのほうきが一番良いと。600円。見た感じそうは思わなかったが、とりあえず買った。帰ると風呂焚きと食事。鯨の肉で野菜を炊いた。味付けは岡村製の砂糖と、黒潮町で買った天然の塩。なかなか絶品。外食はできず、家で楽しむしかない。夜はニーべリングの指輪「ラインの黄金除夜」を見る。水底にある黄金で指輪を作れば、世界が征服できる。水の精が守っていたが邪悪な悪魔がその黄金を取り上げてしまう。今日はここまで。手持ちのニーベルングは2013年の録画と、2020年の録画と2種あるが同じ内容。指揮は同じくレバイン。
3月2日(火曜日)
経済格差(所得格差)は、株の保有格差に代表されるが、都市部と田舎にも格差が広がる。田舎生活は厳しい。今日は「山の神様」の清掃。お金が1000円。参加は意志でその仲間に入るか入らないか。入らなければ見えない蔑視、入れば費用。今はコロナ渦で「お客」(宴会)はない。あれば手持ち弁当を用意。皆の手前みすぼらしくならない様に1000円くらい。ここで暮らすには固定費が高すぎる。都会から田舎に移り住んだ事例が多くないのはそのせい。物価は決して安くない。消費の多い都会が圧倒的に安い。物価が安いのは40年くらい以前の物流が発達してない時代の思い出しかない。午後は、田舎で数少ない撮影地「のいち動物園」でLUMIX
G9pro撮影。100-400mmレンズ装着。キャノンやニコンと比べるとセンサーサイズが小さいので、カメラ自体の重量が軽いのがメリット。撮影については①天候は太陽があったり雲に隠れたりでISOを頻繁に変更しなければならないのが分かった。(フルサイズよりも頻繁に)②動物の動きにはやや弱くAFの追随機能は役に立たない。③いつの間にか手ブレスイッチがOFFになる。本体だけの手ブレ対応ではブレてしまう。など、望遠で800mmのレンズは動物撮影に最適と購入したが、チョット難しい感じだ。アフリカで象やライオンを撮影するぞとイメージしていたが、アフリカにはここ数年は行けず、カメラも対応できてないのが分かった。このままでは重いキャノンを持ち出すしかない。その中間の軽くて実用的なのはフジ。これだと最初から揃える必要がある。問題を一つ抱えた。もう一つは、ヤフオクで落札した「ニィーべリングの指輪」が届いた。6300円。11枚セット。視聴15時間必要。ドイツでのコンサートツアー(自分で選び訪問する必要がある)は4夜となるが、自宅ではその倍の10日間必要だろうな。ここでも時間を食う問題に直面したわけだ。オペラは見るのでなく聞くものだと気付かされたのは、車の運転中に演奏を聞いたからだ、前方を風景が流れて行く中、歌がピタッと風景にはまる時がある。これは歌詞付きの映像を見るよりも余程良い。オペラ劇場に来ている人たちが決して字幕を見てないのは、会話がよく分かっている人もいるだろうが、多くは演劇と歌のミックスの気持ちよさを聴いているからではないだろうか?と今では思う。映画とは違うのだ。
3月1日(月曜日)
日本でも中国人は人気がない。人気がないのはよその国でも同じ。それで中国人憎しで暴力沙汰に発展しているようだ。既にアメリカでは中国人が不明な理由で殺されたり傷つけられたりしている。問題は中国人だけを標的にすれば良いのだが、欧米人には日本人や韓国人も同じように見えるから危ない。コロナが終息すればマンハッタンのジャズもパリのルーブルも予定しているが、どうやらそうはいかない雲行きになってきたようだ。斯くなる上は、中国人の旅行者がアメリカや各国で大金を浪費してイメージ回復をしてくれれば良い。いや、そうなれば、それはそれで、中国人はお金を持っている事で狙われやすいか?いずれにしても、ひとり旅海外旅行は危険信号が灯っている。明日は部落の行事で「山の神様」の清掃。村の行事は、田植えとイネの収穫に絡んでいるから、もう春が始まったと言うこと。ウグイスは盛んに鳴いているし、夜には虫が鳴き出した。「山の神様」は家の隣の山道を登って行くから、我が家の竹垣が伸び放題で、だらしがないと思われては嫌だから、刈った。全部は終わらなかったが、20m程の山道側は完成した。田舎暮らしは、僕のようにあえて農作業の選択をしなくても、住むだけで古家の修繕とか、先祖様の残したものの片付けとか、庭の草木の手入れ、やることがいっぱいあって、それなりに力仕事が必要で、どうしても頑強な身体が必要。もう一つはそれなりの付き合いをするとなれば、お金もかかる。金銭でめくじら立てないためには、ある程度の固唾を飲むの事も必要だし、かと言って都会のようないい収入の道があるわけでない。テリトリーの広い空間と、綺麗な空気、明るい太陽、豊かな緑がメリットだが、結構厳しい。それでもここに固執するのは、先祖から続く土地を離れることが出来ないからだ、僕の意識の中では。
2月28日(日曜日)
昨日、師匠が「蕗のとう」を出したらどうか、キンカンよりもいいぞ、と言うので、早速出した(村のかっぱ市場です)。10本で200円。1個だけ売れた。お笑いだ。もう一つは師匠の奥さんがキンカンの煮込みのレシピを届けてくれたので、早速作ってみた。キンカンは横に切って、タネを取り。水で煮込む。次に焼酎で砂糖と一緒に煮込む。タネを取る作業とヘタを取るので1時間を要する。出来上がりを師匠宅に届けた。僕の評価は砂糖が少ない気がする。もっとベトベトになるまで砂糖が必要だと思う。とにかく一度作ればレシピはできる。明日これをもって砂糖と抱き合わせ販売だ。午後には金毘羅様の清掃。近所の有志が集まって行く、参加するもしないも自由、だが秋の無料の懇親会にはキッチリと顔を出す人もいる、夫婦でOKだから。噂話を聞く所によれば、近所では二人脳梗塞で倒れリハリビ中だとか。仕事をやめ家で過ごすことが多くなっていた人達だ。友人は先日のゴルフで疲れ階段を登れないようになっていたとか、いつの間にこうなったんだろう?と嘆く。いずれも身体を動かさないと錆びつき澱が溜まって行くのではと僕の診断。しんどい時、もっとゆっくりしたらと、悪魔の囁きが聞こえるが(大阪の友人はよく僕に言っていた)、それに乗っては身体が蝕ばまれてしまう。師匠の教えを守り現役でいられるために厳しく生きよう。まぁその分疲れて10時前に床につくのもあるが。夜は、久しぶりのフィル・コリンズを聴く。線の細い高域が気持ち良いと前向きに受け取ったら良いのか、痩せた音楽だと後ろ向きに評価して良いのか、微妙な境にある音を出す。長らくこの機器と付き合っているから処方箋は実に明確。このまま聴き続けアンプのエージングが終わるまで待つ。若しくは、プレィヤーをSL1501に変更し、カートリッジに101Cを選ぶ。いずれも気持ちよくなれる。今夕はそれどころではなく眠くて、片面だけを聞いて終えた。
2月27日(土曜日)
パナソニックが配当金を五円下げた。減益の為。なぜ減益か?航空機に納入するアビオシステムが不振だったの表明した。社外の人材をスカウトして体質を変えると豪語した?元マイクロソフトの樋口さんは2017年専務役員になったが、どんな成果を出したのだろう。専務といえば年収4000万円くらいかな?説明責任はないようだ。来期にかける意気込みは「持ち株会社に移行する」と組織をいじって成果を出すらしい、肝心なテスラとの電池事業はどうするの?撤退するのか、投資するのか?普通の人が考えるような疑問に答えてない気がする。そしてまだ、遵法すべき精神などを唱えているだろうな。実行しやしないのに。新聞はインフレ懸念で株価下落に大騒ぎしている。インフレならば引き締めを行うからだ。コロナ対策でお金を放出したから、当然インフレは起こるのは当たり前。それを騒ぐのは今更感がある。もう少し当たり前の事を普通に書けないのかな?多分経営者も同じだと思う。頭の良い人がいじくり回しておかしくさせている。午後、サトウキビの製品化に伝承館へ行って作業。4時に帰って風呂を焚きながら、崩れた岸の修復に石を集める作業。最近妙に身体の具合が良くて、手先も器用に動き足取りも軽い。寒い間何かと不調が続きそれが常態化していて、調子の良いのが逆に気になる。妙なもんだ。夜は滋賀の友人から届いたタンゴを聞く。友人の専門はタンゴだ。SPレコードからのCD化ですごい針音の上に音楽が奏でられる。どう評価して良いのか分からない。タンゴの世界も、名演は昔の時代に多くこうしてSPレコードから復刻らしい。2020年世界の音楽業界は122億ドルで、70億ドルがストーリミング配信。CDなどのパッケージは5億ドル、アナログレコードは6億ドル。アナログのヒットで、パッケージメディアは何とか前年5%ダウンに収まった。へぇLPと逆転したんだ。CDが便利で音が良いのに。音楽ついでに、今夕、ニューべリングの指輪4部作/James
Levine/メトロポリタンのLDが落札できた。5000円。手元にはBDやDVDでシーズンの一部、若しくは完結ものがいくつかある。ワーグナーはベートーベンが交響曲の真髄を完成させたとして、その分野に進出を諦め、オペラに求めたのがこの作品。結局宗教がらみの音楽は、これで終焉したと見る著書もあるほど。だから、色々とオペラに手を出す前に、一度はこれを極めておく。それにはJames
Levine/メトロポリタンの組み合わせが最高だろうと思った。オペラの本場はミラノだが、いかんせんアメリカと経済力が違い、舞台演出がメトロポリタン優位だ。どうしようもない。LDの画像は薄いが、音はCDレベルで問題がない。DACはAVアンプ搭載のものを通すから、最新の音だ。1時間くらいで音に艶が乗ってくるし。
2月26日(金曜日)
午前中師匠の家でプリンタ設定。午後、牧野植物園で蘭の撮影。今回はニコンD850の100mmマクロ。前回はキャノンR5の100mmマクロだったので、比較の意味。ニコンはレンズの手ぶれ補正のみで結構ぶれる。ニコンには明るいレンズが手ぶれ補正よりも効くような気がする。それにシャッター振動が凄い(気持ちは良いけど)から、速度はあまり下げない方が良いと思う。ニコンレンズの充実はこちら方面で考えよう。帰りプールで1500m。道中の音楽はヴェルディの「ドン・カルロ」これは素晴らしい音楽だ。聴くだけでも感動する。常々オペラは見るものばかりだと思っていたが、そうでもなかった。夕食は師匠の奥さんが持たせてくれた炊き込みご飯に、野菜炒めを追加したメニュー。野菜炒めは稲庭うどん付属のだし汁パックを使い少々辛すぎた。夜、ニコンのD850の写真を吟味した。ブレやピント外しが結構多い。キャノンR5と比べると圧倒的に失敗作品が多い。まぁ、キャノン撮影時は晴れ、ニコンの場合は雨で、どうしても光量不足の影響があるものの、R5は安定している。それにキャノンのレンズはf5.6でも被写界深度は結構深い。一方ニコンは、f7.1でも背景ボケが多く、暗い影響でこれ以上は絞ると手振れする。こうして書くとR5有利に聞こえるが、D850は時折なんとも言えない色でピタッとハマった決定的1枚がその中に含まれて、如何ともしがたい。多分世の中のニコンファンは、スペックなどが劣るものの手放せないのはこの為か。まとめると、失敗のないキャノン。当たると凄いニコンという事か。
2月25日(木曜日)
師匠の家で懇親会。午後に岸を築き半分程度まで出来上がった。「石積みは時間をかけてじっくりと取り組まなければ直ぐに崩れるぜよ」、と人から言われる。僕の作業は早急すぎるのだろうと思う。多分石の顔を見て、どの石と相性が合うのか考える時間が要ると言う意味だと思う。それをジャンプするのに、後方に石を厚く控えさせた。それで石が不足し中断となった。丁度4時。風呂を焚いて入り出かける。懇親会のネタは、先日買ったPCの入魂式だが、既に設定済みなので、お酒を呑むだけ。料理は、シャブシャブ。師匠は大の肉好きな為。曽我さんはカツオとブリの刺身持参。実際上手くて何も言えない。病気になりそう。こんな素晴らしい人たちに巡り会い幸せだ。名古屋でもいいご夫婦に巡り会い、心の支えとなった。大阪にはファジー会がある。東京会場のみ、一部再会出来ないのはご本人死去の為。こうしてみれば、僕は家族には上手く恵まれなかったが、何にも変えがたい貴重な友人に恵まれている。夕刻から雨が予想されたが、22時に退散するまで待ってくれた。帰りは自転車。10分。帰って酔い覚ましにLPを、極上のオルトフォンで聴く。(普段は205Cmk3)半分は眠ってしまった、そのうちに雨がやってきて、いい感じになった。
2月24日(水曜日)
やっぱり睡眠時間を削るのは難しい。8時間以内7時間以上が僕の体調。そう言えば、父も母も晩年は長く寝ていた。だが、どうしても1時間以上の読書タイムの確保は必要。どこにねじ込む?そしてもう一つは、書籍はスキャンして、iPadで読む。もう雑誌も、単行本も字が小さくてそのままでは読めない。iPadで拡大して読むしかないのだ。そのための時間も必要。スキャンには1冊につき15分くらい必要。裁断→スキャン→編集→保存→分類→バックアップ。時間を食うメニューが目白押し。かっぱ市場でキンカンと砂糖をセットで販売する方法を提案すると、レシピも要りますね、明日シノさんが来るから相談してと。レシピは自分で試食しないと責任が持てないのでこれも時間との相談。せっちゃんからは、「白下」がもっと要ると言われかっぱ市場から引き上げる。結局せっちゃんは友人のパン屋さんで40個くらい(1釜分)を販売し、元学校の教員にしては、凄い営業力だと感心。川竹も元公務員で玉を30個。意外や周りには営業マンが控えていたのだ。岸の修復2日目、鶯が今日から鳴き始め、崩れた石の中にマムシが冬眠してて起こしてしまったし、大きなムカデのつがいを殺した。急がないとダニたちが騒ぎ出す。
2月23日(火曜日)
またつまらない事で政界が揺れている。@3,594円。総務省の幹部が接待を受けて、食った飯代の一人当たり単価。新聞記事が正しければ、居酒屋で立ち飲み程度、とても2時間を越す会食とまでは行きませんわ。ビール2本におつまみ2品程度でこの価格となる。しかも相当な場末の居酒屋でなければこの価格は難しい。そんな事で目くじら立てるなと言いたい。が、本当はそんな価格じゃない。領収証はなんとでもなるから。のどちらかだが、資本金24億円、売り上げ600億円弱の企業が、接待に場末な居酒屋を使うわけがない。から、多分後者。そして、数回に渡る接待とその録音を暴露した根拠は、普通に考えるなら、東北新社の言い分を総務省が叶えてくれなかった為。マスコミはなんで?をもっと掘り下げないのかな?。経済連の中西会長はこう言った「いまの気候変動の問題はディストラクティブ(破壊的)で、経済環境まで壊してしまいかねない」、これを聞いてなんで今更そんなことを言う。菅さんが宣言したからだ。それほど大事なことなら、自身の就任時に発言すべき事だったのでは、お上が言ったので舵を切った、彼はただの日和見だったのだ。日立で実績を確としたから少しは尊敬してたが、こんな人だったのかと気落ち。山口百恵のように芯がないのか?昼から除草剤散布。昨年は21日に散布している。今年は2回程寒があったので、草の生育が遅れたのか?実質的にもう春は始まった。崩れた岸の修復に着手。蛇や虫が出てくる前に仕上げなければならない。今度は2箇所あって大掛かりだ。3月5日までと一応句切ろう。師匠が先日注文したパソコンを持参した。直ぐにやろうかと言うと、「入魂式を雨が降る週末に行うのでその時まで、待て」と。それは曽我さん夫婦を含めての飲み会の事を意味する。あれ程村民から慕われている師匠でも家に上がり込んで酒を飲ませる人は親類を除くとそんなに多くないはずだ。師匠も曽我さんも奥様がいるから、それぞれとウマが合わなければ成立しない飲み会で、このパズルに僕がピタッとハマったのだ。努力でなく偶然に。サトウキビの栽培を通じて。その晩、PCの設定を行った。富士通のPCは中国のレノボに買収された。音声ガイドで初期設定を行うが、中国人が日本語で案内するのでなんか変。このPCは17インチのディスプレイで老人には見やすくて良い。CPUはAMD製、今やインテルは遠のいた。インテル不振とか聞いたが、中級以下はもはやAMDだし、アップルは自社製のiPhone用のCPUを使い高速になったので本当だ。
2月22日(月曜日)
「おまん一人やきに気をつけちょりや」とお坊さんに言われる。僕も心配だから手のむくみで病院に行ったら、リュウマチかも知れない。僕自身の見立ては骨からくる神経の圧迫症状だと思うのだが、取り敢えず血液で検査する事になった。それに左足の痺れと冷えも診てもらったが、血流は問題なし。何かこの異常は問題を抱えていると思うのだが。来週の検査を待って、高知の病院で診てもらおう。取り敢えず様子見で一先ず落ち着いたから、月曜日恒例のプール1750m。今日の水泳は保有エネルギーに影響なく疲れも何にも出ない。もっと泳ぐべきだったと上がってから気がついた。帰り「のいちの本屋」さんで注文の本を受け取りに寄ると、オバマの本が出ていた。早速読まなければ。ボルトンの翻訳も出ていたのでめくると、上下2段で570ページだから、原書と違わない分量。読むのに時間がかかっているわけだ。昨年11月〜1月まで3ヶ月本を読むのが遠ざかっているから、ここらで読書時間をねじ込まなければならない。毎日結構いっぱい詰まっているが大事な事だ。睡眠の8時間はこの歳にしては少し確保しすぎと思うからここだろう。夜はマンハッタン・ジャズ・クインテット日本公演をLDで見る。こんなお宝がラックの中に潜んでいた。ベースにエディゴメス、ドラムスにスティーブ・ガット。MJQとしては最高の布陣だと思う。日本公演だという事なく手抜きがない。ルーソロフのトランペットが凄いテクニックを披露宴。指使いでなく息遣いで様々な音を出していた。サウンド寺下の摩耶さんに、そのMJQの「ライブ・イン・ピットイン」のCDを紹介されて、日本公演はちょっと違うぞと、それ以来マークしていた。もっと遡る1985年愛知県岡崎市の小原さんにMJQの「枯葉」が良いぞと紹介された。このアルバムはSJ大賞を取得するなど名盤。結局この人達は紹介されっぱなしだ。元祖MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)は「ヨーロピアン・コンサート」(歴史に残る名盤)を高校2年生の時、大丸裏の徳広レコード店で見つけて購入したのだが。
2月21日(日曜日)
昨年の今頃、マスクが足りない。どこに行っても買えない状況で世間はパニックになった。僕は、除草剤散布のために使用する買い置きがあったし、出かけなくなったので問題がなかったが、これは5月には終息するなと読んだがまさにその通りで1980円だが販売が始まった。そして今ワクチンが不足で騒いでいる。不足のpandemicだ。だが、これも5月とは言わないまでも不足は9月くらいまでには終息するなと思う。経済は共産主義国も含めて需要と供給で成り立っているし、現在はこんな状態でも絶対的に需要の方が強いのだ。これだけ求められているものが、供給されないわけがない。供給=すなわち金。誰もお金が好き。僕だって金柑の220円に結構必死。果敢にやる。毎日かっぱ市場に出荷するのが楽しいのもあるがお金も入る。マスクとかっぱ市場で思い出したが、昨日はどえらい目の綺麗な若い女性の社員がいて、ラベルの事で対応してくれた。が、マスクをとったらやっぱり普通の人だった。mask=口を覆うものとの理解だが、辞書では仮面の意味が先に来る。半導体基盤なんかをエッチングするときにも、「覆う」意味で使う。英英辞書ではズバリ顔隠しと書いてある。花王はファンデーションと口紅の売り上げダウンで経営に影響が出ているとかだが、かなり多くの女性は、覆うことで、男性から好印象を受け結構得をしている人が増えたん
じゃないかと思う。ファンデーション以上の効果があるのでは?
2月20日(土曜日)
かっぱ市場に文旦を出荷した。指示の通り事務所の籠に入れて納品した(ここに商品を置けるのは注文品のみで優越感がある)。その足で安芸市に行ってキンカンを入れる袋を買った。帰ると丁度昼。昨日の残りのクリームシチューとパスタで仕上げ早速キンカンの収穫に取り掛かった。キンカンは口で言うほど楽じゃありません。玉が小さく木にしなるように実がしがみついているので、ハサミでヘタの所を切らねばならない。バケツ一杯の収穫には1時間半位要した。今度はこれを400gに袋詰め。結局2時間少しかかってしまった。全部で10袋。価格は1袋220円。手数料を引くと実入りは187円。もし売れればの話だが。大した金額ではないが、大阪の仕事が途絶えたいまは、少しの金額でも入ってくるのは嬉しい。キンカンを納品すると、僕のお砂糖の所にお客さんがいたので商品説明。隣の人のを持っていたので、説明で僕のに切り替えた。昔、オーディオのヘルパーさんと長年付き合ったが、彼らの喜びを、僕は今日感じた。それで、ワンポイントが必要だと感じ、小さなPOPを作成した。その効果は明日わかるはず。その後は、先日の大風で屋根のトタンが飛ばされたのと、小屋のトイも飛ばされたのでその修復。結局今日も人との濃厚接触はないし、殆ど会話はない。かなり寂しい過ごし方だが、今はこれで良いかも。車の中で流れているCDは「ドン・カルロ」ザルツブルク音楽祭のアルバムだ。歌詞が分からずともなかなか良かったので、夜はLDで同名のオペラを見た。でも字幕を見ると素晴らしい音楽が遠ざかりストーリー展開に気が向かいCDでの感激が薄れる。もちろんLDはメトロでJames
Levine指揮、カルロ役にプラシド・ドミンゴだから惹きつけないわけがないのだが。
2月19日(金曜日)
カサノバ氏。日本マクドナルドの総責任者。彼女のインタビュー記事を読むと感動しますね。経営者の前に、マクドナルドがどんなに好きかがひしひしと伝わって来る。最後に本人もそう言っているし。アメリカでも日本でも結局は経営に差があるわけではないと思いましたね。記事にはマクドの成功ノウハウを書いてあるが、読んでそうか真似しようなんてとても出来ない、マクドなりの定着したやり方があって、トップからボトムまでが一体化しないと実現できないノウハウだ。一部を切り取って導入するなどと言う姑息な方法は無理、だからノウハウを公開する。こんな感動を与えてくれる人は滅多にいない。もう一つ感動が岡村さんにも訪れた、かっぱ市場から「ご指名」の電話がやってきた。「文旦はあといくつ残っている?、どうしても欲しい人がおるきに、明日持ってきてや、店に出さずに裏に置いてちょうだい」との事。バーの姉さんが同伴出勤を申し込まれたような気分だ。しかし、大玉はもう山にはない、小玉をさらえて収穫したが、要望の5袋が出来るかどうかのギリギリ。薪割りも大詰めを迎えて、昨年切ったものは全て割って伝承館に運んだ。明日以降は、岸の修繕と、先日の大風で飛んだトタンの穴を塞ぐのと、違う仕事が待っている。何かと色々とあるもんだ。
2月18日(木曜日)
長年の誤解。春闘でよく使われる「ベア」。僕は今までbear=支える、引き受ける、負担する、このような意味の範囲での活用かと思い込んでいたら、何とbase upのことだった。略してベア。英語の世界では野球用語として使われている。賃上げについての活用はない。DXなども意味不明。言葉のもてあそびのような感を受ける。本質を突かない言葉が世にはびこり、何もかもがおじさんには不満。若かりし頃は自分もこのようだったのだろうか?昨晩見た、ジャズメイア・ホーンの演奏で、サイドメンのサックスが吹きまくっている。そこに、ジャズメイアが無理やり割っている緊迫したもの。こんなスピード感と緊張感の冒険は若く無くてはできない事。若さには特権があるが、決して上滑りではないのもある例だ。日本で一番信頼できる新聞としての日経の表現には失望している。早く英語力上達でNYtimesを日刊としたい。電子版の料金は日経もNYtimesもほぼ同じ料金で切り替えても経済的には問題がない。今日は腕が痛くて、それに寒くて薪割りは休んだ。それで、砂糖の出荷の後、のいち動物園に行った。キャノンEOSR5と100-500mmの組み合わせ。結論から言うと、こんな失敗の少ない写真は初めて。水中を泳ぐカワウソの機敏な空気の泡を引くクイックターンもピタとピントが来る、と言うか、ファインダーの中で泳ぎに応じてピント枠が追ってくれる。僕は構図だけを考えてシャッターボタンを押せば良い。一種の堕落ですね。ミーヤキャットの立った姿もアップで、動き回る子猿もバッチリ。何故だか不明だが、遠くのオラウータンは完璧にカメラと目線があったし、レッサーパンダも目線をくれた。500mmだからからか、UPで捉えることができた。アップで捉えてくれるのは瞳認識の機能、動物の顔のみにピントを合わせる。f7.1だが手ブレもない。この写真は、カメラの腕が相当良いか、何度も通ってその動物を熟知しているとしか思えない高い技術を要するレベル。それがいとも簡単に撮影できたのには感動した。雑誌「カメラマン」の記者で豊田慶記氏が割と好きだが、彼に言わせるとα9はもっと失敗が少ないと。ただ僕にとっては画素不足で対象外。しかしここまで来るとプロのカメラマンの位置付けが脅かされる可能性もある。特にスポーツ報道に於いては。その後、温泉併設のプールへ行った。1500m。温泉で水流のマッサージ。たまにこうした贅沢もいいな。800円だし。高知のプールと交互に利用しよう。今月の累計は6800m。
2月17日(水曜日)
今朝は冷え込んで来た。近日これで寒さは終わりかなと思っていたところに襲撃ありか。昨夜中から風が強く、雨戸や車庫の扉が音を立てる。慣れ親しんだ音は子守唄で関係ない。電車の線路側で暮らしている人は、よくあの騒音と振動で寝られると思うが、僕の場合と事情は同じだろう。午前中は滋賀の友人に手紙を書いた。何時も貰ってばかりだから、今度はこっちが先手だ。書くのは農作業で文旦、薪割、芋の作付けの3大作業について。いつの間にか僕は農家になっている。頭の中に農作業日誌ができている。近所の人たちのように専業ではないから、農業に投資はないが、専業農家と同じように毎日何かある。今日はかっぱ市場で砂糖が売れていたので、伝承館で崩しの作業を行った。崩しは砂糖のブロックを小さな塊に砕いて、200gの袋に入れて販売するもの。手間がかかり、容器なども追加で費用が発生する。しかし、買った人はブロックを削って料理に使う面倒さは無く、使い勝手が良い。月曜日の夕刻突然売れたので補充が必要になった。この崩し用の製糖品はコンテナ5箱あって、1箱を販売するのに2ヶ月を要している。そして夏場はもっと販売に日数がかかるので、今年は持ち越す事になる可能性が高い(つまり捨てることに)。今日の強い風は、我が家のボロ家のトタンを吹き飛ばした。作業場の小屋のトイも外れた。修繕が必要だが寒さと風があり危険。暖かくなる後日にしよう。小学校北側のビニールハウスも被害を受け、大勢の人で修復していた。寒いので直ぐに塞がないとナスが寒にやられてしまう。新築のビニールハウスは風速50mでも大丈夫だが、我が家のような古いハウス(人に貸してある)は少しの風でたちまちビニールが風に持っていかれる。風と雨と雷は農家にとって死活問題だ。ビニールハウスが戻ってくるなら300万円くらい稼げるナスの栽培も魅力あるが、このような自然災害を心配しなければならないのは大変だ。やはり投資の必要ない路地もの農業が身の丈だろう。
2月16日(火曜日)
毎日同じことの繰り返し。地球誕生の35億年前、極小の細菌が光と反応して酸素を10億年も吐き出し、地球は酸素のある惑星となった如く身辺整理は済んでいる。BDの整理は最後のフォルダーに移った、旅行記は次のステップで2009年1月4日出発のインド旅行記となった、ボルトン翻訳は84ページ目で金正恩とトランプがシンガポールで会談するのを調整する場面だ。この本を読むと、北朝鮮問題も、イランの核問題も、その内の一つで、安倍さんも登場し、日本の事、拉致問題も、その内の一つ。決して日本のマスコミがこぞってトランプは拉致問題を理解したと言うが、そんなもんじゃないし、キムとの会談も、うまく締結できないと踏んでいる。会談が決裂したと報道されたが、初めから決裂含みだったのだ。世界情勢を一手に牛耳っているアメリカで政権に着くとか、それに従事するの、結構面白い事だろうなと思った。それがひしひしと伝わって来る本だ。午後は、文旦の出荷。薪割りは伝承館へ行って積み上げた。そこで師匠と合って、少し話した。毎日会っている。毎日会っても飽きない人。この人がいなくなったらどうしよう、生きる指標を失う事になる。しかし、本人は全く健康を顧みずタバコをゴンゴン吸う。帰る途中でみかんの収穫。まだまだ出荷できそう。帰って風呂焚き、風が強くなる。その間に買い物。自転車がうまく漕げない程の風。理恵ちゃんに帰りに会って「あんたこの風で自転車を踏むのは偉いね」僕は、引いている芝犬をからかいながら話をする。この犬とも結構会っているから、この犬も僕をよく知っていてすごく喜んでくれる。帰って風呂に薪を加える。夕食後BDの整理。頭が朦朧として来た所で就寝。今日も無事終わった。
2月15日(月曜日)
ボルトンの翻訳はここ数日1時間の取り組みで、1000文字をこなしている。1500文字の翻訳がおおよそ1ページに相当する。もう少しレベルが上がれば、年内完成も見えてくる。アマゾンで買ったこの電子書籍を、iPad Proで表示し、それをiPhoneの文字起こしスキャナーでTEXT化し、ワードに貼り付ける。そこから、翻訳しているので、文字のカウントができるのだ。もう一方の日課である2009年2月の「インド旅行記」は900頁で完成をみた。今文章を校正している所。所要3カ月の大作だ。完成版を27型のLGモニターで確認すれば精細感がなく、輝きあるMacBookproの画面から格落ちし感動が薄れる。もし他人にプレゼントしても、感動が薄れるんじゃないかな。これは写真集にコメント付きなので、インドの事が良く分かると自負しているのだが。午後は師匠のパソコン購入のお供。僕は結構この種の買い物に駆り出されるのは、後のメンテの相談に乗ってくれるのも期待のうちに入っているのだろう。僕のPCも2014年製でもうそろそろ寿命かな。帰りにかっぱ市場を覗くと文旦の在庫が3個。昨日10個出荷したので結構売れている。家で5セット作り出荷。その足でプールに向かった。1750m。中途半端な距離は明るいうちに帰りたいので目安の2kmに届かず切り上げた。bookoffで古本購入。手持ちの本の在庫の山が低くなって不安がある為。「日本国記/百田尚樹。北の無人駅から/渡辺一史。世界を変えた6つの気晴らしの物語/スティーブン・ジョンソン。2100年の科学ライフ/ミチオ・カク」。中古本だが6600円も使った。裁断してスキャンにかけるので、再販は難しい。裁断後の市場が有れば有り難いが。夜はカール・リヒター。今日は最後まで聴き通せた。
2月14日(日曜日)
午後伝承館で、残っている大きな薪を割っていたら師匠がやって来て手伝ってくれた。早々に終えたので、今度は二人で薪を積む場所の整理を行った。全部が完全に仕上がって、いつでも大量の薪を持ち込むことができるようになった。今年は少し余分な程の量を持ち込もうと思っている。他の人は薪に無関心らしいと師匠はこぼす。4時半に終えて、風呂焚き。雨が来たので風呂の薪は在庫分を使った。少し暗くなってから雨が小降りとなりLUMIX
G9proに50mmf1.4を装着。暗さ耐性のチェックに出かけた。「明るさは正義」それが今日の結論。街路灯の明かりが目立つようになっても、f1.4は粘って1/8秒、ISO400で手ブレは起きない。もう直ぐ家に帰り着く所ではもっと暗くなって、シャッター速度1秒も試したが、大きく拡大しなければ問題なしのレベル。1/4秒は完璧な範疇だと確信。このカメラを使う限り、50mm以下では1/8秒は絶対安心保証付きとの確証を得た。また、手ブレ対策のズームレンズがあるが、2段ほど暗く、僕は明るい単焦点が好みだと知覚した。帰ってLUMIXのサイトで作例を見れば、気になるレンズ42.5mmf1.2では人物よりも、結構風景画が多く標準レンズとして使っている印象を受けた。なぜ?僕は花の撮影に効果があるのではと踏んでいたが。花の撮影作例は45mmf2.8のマクロレンズが多かった。僅か2.5mm程しかないのにこの作例の差はなんだ?。最低至近距離を調べるとその理由がわかりました。42.5mmのレンズは50cm。これでは花を撮影して背景をぼかすには厳しいでしょう、だから作例も少ないのかと合点が行きました。結局背景まで割とはっきり撮りたいが手ブレは嫌と言うのがマイクロフォーサーズの明るいレンズの位置付けで、85mmの美しいボケは、フルサイズが合っていると思いましたね。キャノンRF85mmf1.2は30万円。価格よりも重さが問題だ(1.1kg)。夜はカール・リヒターの音楽をかけるも大きな睡魔。昨晩に続き9時前に就寝。8時間くらい寝ても、まだ昼寝をしている。どうなっているのでしょう。気が緩んでいるかな。
2月13日(土曜日)
カメラの購入でお世話になった方に、高知のタタキを送る事にした。「司」のタタキは高知のブランド品だから問題ないだろう。他にも高知市に出れば「とさのいち」で掘り出し物はあるが、今はコロナ動かないほうが良い。しかし待てよ、空港店は営業しているかな?問い合わせるとOKだった。文旦を荷造りしてかっぱ市場に出荷。その足で空港に向かった。空港の駐車場はガラガラだった。建物の正面に車を停めて(普段だとほとんど不可能)、ビルに入ると、案内表示は飛行機便の欠航ばかりが目について、夕刻の6時に東京便があるだけだった。空港カウンターの職員も立っているが覇気はない。欠伸を噛み締めていた。「司」の店員も久しぶりのお土産の対応にあたふたしていた。それで価格を間違い、帰る道中に電話があって払い過ぎとの事。僕の電気、機械への持論は使っていると意外と長持ちするが、使わないで放置するとたちまち故障する。これがどうやら人間にも適応するようで、人間も機敏に動いてないと対応度が落ちるらしい。帰り道、スーパーで夕食の買い物、ガソリン補給を済ませばもう午後4時半。風呂を焚く。焚き物は徒歩3分の所に昨年切り倒した木、コンテナカゴに2杯、2回往復して持ち帰り焚く。約1時間。僕は毎日超忙しい生活を送っているが、それには、こうした普通の人にはない無駄な時間も含まれているし、寝ている時間も1時間ほど多いから、食事の準備を含めて3時間ほどが余分に食われている。他にも普通の人とは違ったことがあってこちらにも3時間ほど余計に費やしている、それで残りの時間が5時間位しかないので、超忙しいとなる訳。逆にぼくが一番困るのは「暇な事」で、もしコロナ渦で暇を持て余すような状況に陥っていたら、僕は錆びついて故障していたんじゃないかと思う。
2月12日(金曜日)
朝から、伝承館の後片付け。みんな集まって清掃を行った。やっぱりここでも、H氏は僕のすることが気に入らないのか、僕の作業の後を必ず自分で行う。たかが床をこするだけの作業だが。それ以外はだべっている。僕はもう気にしないでおこうと、彼が来るとその場を離れ別の作業を行った。黙々と働くのは、師匠と奥さん、じっちゃんだけ。昼過ぎに作業を終えて、僕は薪割りに行った。芸西病院の東側にある所。随分通ったが、今日で終いをつけた。かなりの量薪はできたが、後20釜分の2山作る必要がある。今の進捗は50%位かな。今日もよく動いた。よく動くとご飯が美味しい。動かない日は1食抜くと同じ感覚を味わえるが、気持ちとしては寂しい。だから共同作業でも積極的に動くのが良い。ゆずの収穫もおんなじ。多く収穫しようがしまいが賃金は同じなのだが、自分の幸せ度が違う。普段の日は体の負担は大きいから、作業はできるだけ半日に限定。それは僕の中の法律みたいなものになった。今日のようにそれを犯すと何処かが痛み出すし、睡眠も6時間程度に減ってしまう。夜は、クール&ザ・ギャング
LDを見た。日本のエンターテナーと比べ、やる事が垢抜けている。例えばターンするのもフィギュアスケーターがターンするのと同じように頭を最後にくるっと回す。それにマイケルジャクソンの踊りの原型のようなものが彼らにあった。パワフルで見せ場が多くてキレがある。本来夜はBDの整理に当てる予定だが、疲れで作業をしたくないモードだったし。
2月11日(木曜日)
今日はキャノンレンズ100-500mm購入日、併せてFEレンズからRFレンズへのマウントアダプターも。FEレンズは28m、100mm、190mm、24-105mm、70-300mm、70-200mmと古いが数ある。これらがマウントアダプターを使う事で、新機種R5で使える。ニコン党を目指したが、どうしても新進気鋭を考えると、キャノンに傾いてしまう。ニコンの決算が黒字転換するらしいから、夢よ再びを願っている。(現実はソニーが躍進し、多分復活は困難だと思う)。だが、大金を叩いて買ったが、結局海外旅行はLUMIXかなとも思う。単焦点の12mmと42.5mmを追加すれば大概のものは写せるはず。LUMIXは軽い、本体もレンズも。写真評論家が、フジやマイクロフォーサーズを支援し、自身も買っているのは、この重さにある。1日出歩くとフルサイズはトンデモナイ脚へのダメージとなる。フルサイズは話題を呼ぶが、現実的でない。しかし、国内の車旅行とのセットでは問題がないし、三脚も可能だ。そのR5は今日県立牧野植物園で試した。FE100mmマクロとマウントアダプターとのセット。一枚だけ黄色のシンビジウムでホワイトバランスを崩したほかは、全て狙い通り。ピンボケも手ブレもない。恐ろしいほどのヒット率。それでこの100mmマクロレンズは背景を注意しないと、ボケがうるさくなるなぁ〜。とレンズの性格までも教えてくれた。85mmのf1.2だとどんなになるのだろう?と新たな欲望も。しかもミラーレスだから何処にでも焦点を合わせることができる。今思えばLUMIXG9でも可能だが、気が付かなかった。そして帰ってから、深夜自分の部屋から見える遠くの海岸線を走る土佐くろしお鉄道を撮影した。500mmの望遠この時f値7.1。駅舎は遠くて暗いのでAFが随分と迷ったが、列車が入り明るくなって、ピントが戻った。シャッター速度は0.6秒だった。駅の信号機の赤いランプもブレてない。手持ちです。ただし大きなレンズなので、この時だけでしたが。昼間の出来事と言い、恐ろしいほどの現実がやってきた。これは事件だなと思いましたね。
2月10日(水曜日)
6時起床、朝は随分と明るくなった。先日水泳に行った時気がついたのは、両腕に力こぶができていた事だ。サトウキビの収穫と製糖で毎日1トン余りを上げ下げしていたのが効いたのだろう。腕を曲げるとぷっくりと硬く膨らんでいた。小学生の頃は木登りの機会が多く力こぶがあったが、それ以降は柔らかな腕に甘んじていた。昔の事を思い出しついでに、昨晩友人と懇親、友人は同窓会であった高校生時代の思い出を語っていた。僕は仲間が語るこの昔話があまり好きでなく、同窓会には出席しない。もちろんテクニクス会もだ。昔話の何処が嫌いかと言えば、余りそれが検証されてなく、話し手が美化する一方なのだ。もちろん自分も旅行記で昔話を書いているが、それには写真と言う事実が付随しているから収まっている。今は2009年のインド旅行記で、カメラはEOS20D
840万画素。レンズは24-105mmLレンズ。何とも言えないボケと発色が記録されていて、2004年発売のカメラにしては、これで、もう随分と完成していてたんだと思う。もっとも30万円位の予算、それでさえ、友人を介して安価に買って貰った。これに刺激を受けて、今日はニコンD850の70-200mm、LUMIX
G9の同じ距離のレンズで超頭対決を試みた。画質の軍配はニコン。だが、家の周りを1時間ほどかけて歩き撮影したが、たったそれでもニコンは重すぎる。肩と腕に響く。このカメラは国内車旅行向きだろう思いましたね。それと、背景のボケはLUMIXレンズにあり、ニコンはもはや、ステイタス的存在かなとも。
2月9日(火曜日)
所詮器が違う、日経新聞のパナソニック囲み記事をみるとテスラのイーロンマスクに翻弄されている文言があった、大坪氏はスペース・ロケットを見て「なんやそれ」と反応したとか、楠見氏は社長交代のメールを送ると、「いいね」が帰って来たとか、日本側の反応も鈍いが所詮相手にされてないのが見て取れる。そしてこうも書いている「テスラに電池が作れるかな」記事の出所はパナソニック広報だが、マスク氏の態度を批判するつもりでゴシップを漏らしたつもりだろうが、この記事を見れば、「マスク氏はもっと大きい」印象を受けた。今や人材は、ゴロゴロいて、自己実現のために技術者は気軽に転職するのだ。パナソニックの社員だって可能性ありだろう、かつて、東芝から技術者がサムスンに行った様に。既にバッテリーの世界ランキングは中国、韓国が上位でパナはもうその下にある。1年前は首位だったのに。他社では真似ができないと思っていただろうが、もう後塵を拝している。(トヨタと合弁した電池事業も作れずに、トヨタのEV戦略の足を引っ張っている)ヨーロッパでEVが140万台も売れる様になって様相が変わった。そして、世界一売れているEV車は中国の上海汽車で50万円から。もはや価格競争は待った無しだ。日本電産の永守氏が言う2025年よりも遥かに早いスピードで進んでいる。このスピードにパナソニックはついていけないだろう。電池を手放したのは正解だったかも。一方で縮小するしか経営能力がないTOPの下で社員はモチベーションの維持に悩んでいるだろう。ましてや在宅勤務。40〜55歳までの年齢の人は人生一番の勝負どきに差し掛かっているが、つまらない愚痴をこぼして酒を舐める時を過ごさなければならないのは可哀想だと同情する。僕は燃える時を知らず人生を終えてしまう生き方を知らない。彼らは、それも人生だと飲み込んで収めてしまうのだろうか。
2月8日(月曜日)
昨晩は疲れで9時半就寝、今朝の起床は6時。短い人生を寝て過ごしている。食事の後、せっちゃんが訪ねてきた。「まぁ君、あんた、どこか悪うない?」「どいて?」と僕、「ゆんべから、ぎっちり電話しても、出んきに、寝込んじゃせんろうかと訪ねてきた」そこで電話機を袋から出して見れば着信記録がいっぱい。悪いことをした。「僕は疲れて、電話を開けることさえ、すっかり忘れていた」と返した。要件は砂糖が売れたから準備しておいてとの依頼。僕は着替えて早速伝承館に取りに行った。再び師匠とここで会って、「白下は、のうなるかもしれん」と確認しあった。昨日の疲れは未だ残っていて、今日は休日のつもりだったが、砂糖の準備や、かっぱ市場での文旦の在庫切れの補填とかがあって、なかなかじっとしているわけにいかず、走り回った。やっと落ち着いたと思ったら午後4時。高知市に出かけた。南国市でメガネの注文分を受け取り、プールに向かった。今日の2時間のみかんの収穫作業が効き、水をかく手が重い。1500mをヘトヘトになりながら泳いだ。だが、あちこちの痛みや、硬くなった身体がほぐれた。毎日限界迄エネルギーを使っているのは、これは良いことだろうか?判断がつかない。夜、モントルー・ジャズ・フェステバル1991年を見る。当時VHSに録画してあった番組を定年後DVDに焼き直したもの。今回はギターのラリー・カルトンがリードする版。高田みずえの「私はピアノ」の中の一節に「♪二人して聞くわラリー・カルトン♪」が出てくる。1980年の唄。作詞作曲は桑田佳祐。ラリー・カルトンはJAZZであるが「ヒュージョン系」であり、70年後半から80年代全般に流行った音楽ジャンル。だから桑田さんはラリー・カルトンが有名になるかなり早い時期から知っていた事になる。まぁ凄いと言えば凄い。コロナで怪しくなったが、スイスのモントルー・ジャズ・フェステバルは一度参加してみたい一つ。そういえば、コロナではヨーロッパのクラシックコンサートが全て中止で、指揮者は演奏が可能な日本に、2週間の監禁をされたとしても是非来たいと人気が高まっているとか。舞台に立たないと練習だけではスキルが維持できないらしい。
2月7日(日曜日)
午前中ホームページの原稿整理。いろんなところに書き殴ってあるので、とりあえず2017まで年別にまとめた。パソコン、NAS、外付けHDD、内臓HDD、その都度気の向いた時に使い分けて、フォルダー名もその時の気分だから収拾がつかない状態に陥っていた。几帳面にしているつもりだが、気が抜けているところがあって、かなり放置状態。いい加減でないつもりだがいろいろと手を広げ過ぎかも。午後薪拾いの為、かっぱ市場経由としたところ、僕の出荷した文旦が店頭から消えている。売り切れだ。昨夕9個準備してあった。今朝開店の8時から昼までの4時間少々で完売。早速引き返し5個準備した。その後、放置してある松から薪になるところを選り出して裁断。これを軽トラに積んで伝承館へ。ここでもう少し細かく粉砕し棚に積む。そうこうしている間に師匠があらわれて、粉砕を手伝ってもらった。一人なら4時過ぎには帰宅する。師匠は6時までやるぞと叱咤激励。腰が痛くて曲がったまま。だが、薪の棚はは見る見る間に高さを増して、背の高さを超えた。疲れて食事の準備もできない。スーパーでお寿司を買って帰る羽目に。夜はウインフィル/ニューイヤー・コンサート1991年クラウディオ・アバドをLDで見た。ニューイヤー・コンサートは毎年違う指揮者と決まっている。1936年から続く伝統行事。主にヨハン・シュトラウスの音楽を演奏する。ウインフィルの演奏技術は極めて高く、ほとんど指揮者は細かい棒使いをしないのも特徴。肩だけとか、後ろの転落防止柵にもたれて目線だけなど、信頼の証が見て取れる。一方ベルリンフィルは細かに指揮が必要で、だがその通りに彼らは演奏する。そのウインフィル、キレがある。ピシッと決まるのは見事。見ていて思わず唸って拍手する。どうしてこうも感動的だろう。原因は何処にあるのだ?わずかVGAの荒い画面の中からそれが湧き出てくる。こんな感動を独り占めして良いのか?罪悪感さえ感じる。BDの整理を行っているがニューイヤー・コンサートは他にも10巻以上あると思う。
2月6日(土曜日)
ボルトンの英訳を午前中。進行ペースは相変わらず少し改善されている。話せなくても、聞けなくても、読めれば良い。これが最後の砦。単語を覚える速度で忘れて行っているから、正に自転車操業。止まれば終わる。BDのタイトルの見出しなども英語で書いているから、今は読めても止めれば、タイトルが読めなくなるリスクを持っている。まぁ自分を信じて生きて行くしかあるまい。午後は、防風林を伐採した松の回収。手に負えない幹は遠慮している、腕の周りクラスの枝で、まだ芯の残っている古木のみ65cmの長さに揃えて回収。この和食川水門の所で作業をしているが、つい先ほど大きな交通事故が起きた。先日も大きな事故に遭遇したが、こんなことは今までない事。いずれ僕が巻き込まれる事故が起きやしないかと心配。木は2回に分けて運んだ。大方片付いた。ついでにかっぱ市場で文旦のチェック。在庫が4個しかない。急いで帰り、5個追加した。砂糖の売れ行きはさっぱり。格安で勝負するか思案している。松の断片を持ち帰りこれで風呂を焚いてみる。やっぱり松は火力があって、薪には最適。今日も話した人は2人。ワクチン接種の準備でまたもや厚労省の不手際が目立つが、僕には関係のない話。ワクチンが行き渡った段階で接種すれば良いと思う。夜は「清水みちこ」のライブを見る。テレビを日ごろ見ない僕は、モノマネの元人を知らないので理解できない。清水はこんなものだと思って見てほしいと言っていた。こちらをわきまえている。それは凄い。でも早々に切り上げ、自分の部屋で、渡辺貞夫/MAISHA(アフリカがテーマのジャズ)
LDを見る。予備知識として渡辺貞夫は一時アフリカに傾倒してたことがあったのを知っている。それがこの音楽か?だが妙に結びつきにくい。アフリカはコートジボワールが多かった。ここは白人が多い町で、現役の頃LUMIXの会議で、見かけ話をした記憶がある。びっくりするほど綺麗な人だったので。同じように、このLDでも白人の女の子を随分と撮影している。この子もちょっとあり得ない可愛さだった。だから予備知識としての渡辺とアフリカといえばもっとドロドロとした生きるだけの生活をイメージし、音楽も野性味タップリだとか思うが、彼の音楽はもっと都会的に洗礼されていて、マンハッタン的だと感じたのは、おそらくこのコートジボワールの影響だと思う。
2月5日(金曜日)
スケジュールの無い日が続く中、予定ができると、ストレスとなるような気がする。たいしたことじゃ無いけど、結構事前から行動が制約されるのが億劫になる。今日は父の兄の一周忌。13:00からだが、11時から支度を始めた。自転車で10分の所にあるのだが。どうもこれは歳のせい。そうすると、朝の8時ごろからその後の段取りを考えるなど、行動に妙なバイアスがかかる。年とるのは嫌だね。いざ事が始まると、その割には安心しお坊さんのお経を聞きながら居眠りしていた。実に気持ちが良かったのだが。墓参りの時、その裏で松(村の防風林)を切っている業者に出会った。聞くと松は自由に持って帰って良いとの事。伝承館の薪用として最適だ。帰ってすぐに取りに出かけた。膨大な量なので、もちろん今日中には無理。4時が来たので一旦伝承館に持ち帰ると、師匠も別の所から松を持ってきていた。少し近況を交換した。師匠は村の公園の整備に忙しいようだ。それなのに、僕は焚き物を置くスペースを作るよう依頼した。明日から松の薪運びに専念する為。キャノンのレンズが届いたとの事だが、取りに伺うのは少し伸ばそう。夜はBDの整理。後1500枚位整理しなければならない。もしこれが2月中に終われば、3月からWOWOWで4K放送が始まり、いよいよ4Kの録画時代がやって来るが、今までのぶんと重複しない録画が出来そうだ。これを機に、シアターのBDプレイヤーを4Kに買い直せば、100インチ4K放送が可能になる。そのプレイヤーをレコーダーにするのか、プレイヤーにするのか?迷う所。
2月4日(木曜日)
日課のボルトン翻訳、妙に速度が上がった感じ、何故だか不明、優しい場面に差し掛かったのかな、1時間で700文字。2009年の「インド旅行記」はシンガポールに帰って来て(早朝)、出発までの時間(深夜0時)、ボタニックガーデンへ行っている所。この公園はその後何度も訪れた。定年後も娘を連れて2018年に行っている。当時はEOS20Dで撮影している、2018年はLUMIX GH1。公園で灼熱の太陽に焼かれて飲むビールの何と!芳醇な味わいの事よ。旅行記はパワーポイント600枚2.5Gを越した。昼から文旦を荷造りしてかっぱ市場に納品。昨日からは2個売れていた。それから、薪割り、後4日くらいか?道中でじっちゃんが作業してたので、車を止めて少し話し込む。切り倒したサトウキビを5cmくらいに刻んでいた。本等に律儀な作業をする人だ。4時が来たから、文旦を再び収穫。この土日で売る為のもの。金柑も売れそうなので、袋を買って出荷してみよう。何だかちょこちょこ売ることに妙な興味を抱いて来始めた。そんな目で見れば、我が家には何か他にも売れるものがありそうだ。
2月3日(水曜日)
息子から充実している!と言われたが、する事が多いのであって、本来の趣味にはまだ、程遠い状況にある。早く身辺整理を行なってから楽しもうと思う。それで急いでいるのだ。それが充実とみなされる。バタバタしているだけなのに。伊豆の人は、「じっとしておれん性格」だと言う。午前中はバイデン氏の就任演説絵を訳し完成させた。日経新聞の訳との比較では、随分と言葉を端おって、文脈が続くように、前後を文節を超えて訳しているなぁと思う。多分それは「訳」文を理解する為に必要な対処だろう。僕の訳は、そのままコンマの区切り単位で訳してあるので、英語独自の言い回しがわかる。何よりもバイデンの熱が伝わる。それに日本語に変換した後では、前後を入れ替えて理解できるので、あえてここで日本語脈絡重視の訳を行なってない。と言うか、そんな事をすれば、会話が聞き取れなくなる気がする。映画の字幕を見て英語を理解するようなもの。字幕を見なければ分かるところもあるが、字幕を見た途端、英語は別の世界に行ってしまうのと同じだ。お寺さんから文旦10kg1000円でと言う要望があった。ただみたいなもんだから、もう差し上げると申し上げた。130kgもだ。兼ねてよりタダで貰おうというような雰囲気があって、前には僕の砂糖(20個)も持ち帰った。僕はこの人と会うと警戒心で一杯になる。人の気持ちが離れて行くのを何故敢えてするのだろうか?それが僕には理解できない。夜はそんなことで妙に寂しくなり、大らかな愛を持っている「ジーナ」の声を聞きたいと、LDを探した。寒い北側の廊下で見つかった。今まで気がつかなかったが、ジーナは加藤登紀子が演じていた。それを知って少し落ち込むが、久しぶりなので暖かくなった。映画は「紅の豚」。
2月2日(火曜日)
どういう訳か昨晩食い過ぎたのに、朝は空腹だった。食パンでは満たせないのでホットケーキを焼いて食べた。ジューサーの材料が乏しかったので、禁断のトマトとバナナの組み合わせを使った。ところが今回は凝固しない、何故?多分少量の大根が入っているからか?良いことを発見した。他にも朗報があって、いよいよインド旅行記が終盤近くなった。完成すれば誰に見せようか?ちょっと思いつかない。自己満足だけにとどめるか。午後は、よしかずさんに了解をもらったので文旦の収穫、帰りにかっぱ市場に行けば、僕の「崩し」が全く無い。売り切れだ。慌てて帰り、伝承館へ走った。ここで「崩し」を作り明日出荷しなければならない。30袋作って今日は終わる。帰りにスーパーに行って恵方巻きを買おうと思ったら売り切れだ。遅かった。代わりに材料を買って自分で作った。製糖が終われば暇になるかなと思ったが、なかなかそうは行かず、引っ張られている。それにBDディスクの整理も行なっているし、重い雑誌「ステレオサウンド」も買い込んだ。ミヤンマーのクーデターについても詳しく知りたい。何で今なのか?お寺に文旦も納品せないかんし。毎週金曜日タワーレコードの店長が一押しのCDを紹介されるがこれも聞かなきゃならんし、かと言って寝る時間は削れないし、困った。
2月1日(月曜日)
ワクチン耐性ウィスルかも知れないとイギリスの機関が発表した。今蔓延中の新種のコロナは今のワクチンでは抑えきれないと。その理由はすでに抗体を持ったコロナ感染者が、このウィルスに感染している調査結果が出た為だ。僕の旅行プランは大幅に後にズレる公算が高くなり、もしかして5年くらいは覚悟する必要があるかも。5年といえば今買ったカメラが陳腐化する期間でもあり、購入を急ぎ過ぎた感がある。ソニーのカメラ戦略、いやカメラに関わらずAVでもいつもとんでもない機種をぶち上げて、次第に下ろしてくる行動をしている。α1もそれに習って、来年か、それ以降かに、α7RⅤなんかがグローバルシャッターなんかで登場すれば、目も当てられない惨状を来す。こうなると、他のカメラメーカーが追随するのは難しい。(ソニーがセンサーを供給すれば別だが)今のカメラ全てが陳腐化するのだ。コロナが落ち着くまで待てば良かった。目先の幸せ「キャノンで楽しみたい」僕の作戦は破綻した。それとは関係なく今朝は不覚にも7時迄寝てしまった。9時間ほど寝ている。これでは1日が短くなる筈だ。お寺の要望で分担を200個供出する事になった。おおぶりは無いと断ったが、それでも可と。まだまだ必要だと言う。共同栽培のよしかずさんに相談しないと応じられないと答えた。それからプール、流石に農作業の後の水泳はキツイ。1200mで腕に来た。腕が上がらなくなった。2000mでそれが来れば納得できるが、今日は早すぎる。やっとこさ1500mで上がった。帰路、キタムラカメラでフォトブック作成。タムロンのレンズについて尋ねるが、一蹴される。この店員の思い込みか?推奨はニコンレンズ24?70f2.8が良いという。30万円だ。僕は、タムロンに比べ2段は暗いと言うが無視される。帰り、あまりの空腹で國丸でラーメン+チャーハン。よくないと思いながら腹一杯食べる、学生時代のように。
1月31日(日曜日)
パナソニック社長の津賀氏はいよいよ持って経営力がないようだ。サンヨーを買収し、社の宝であった角形充電電池、と高効率の太陽電池を全て手放した。もちろん会社の売り上げはサンヨーを吸収するよりももっと下がっている。どうしてこんな惨状を招いたのか?原因は指摘する人によってまちまちだが、僕が感じるのは「商品に疎い」事。これはどんなに努力しても得られるものではなく、本脳みたいなものだ。松下幸之助やそれに続く歴代の社長は皆んな商品が好きだった、中村氏以降それがバッサリと遮断された、それから凋落が始まったが、津賀氏はそれに拍車を掛けた。CAPA(カメラ雑誌)で平井氏(元ソニーの社長)がインタビューを受けている。車やカメラの事を熱を込めて語っている。津賀氏にはこれに該当する記事がない。挙句の果てに、パナは何をする会社だろうと放言している。ソニーがエックスペリアを諦めないで続けている理由を先日のα1のカメラとリンクするスマホとして発売する事で証明した。このスマホは23万円。アップルにはできないコンセプト。こんな道筋を平井氏はつけて社長を退任したんだなとカメラの発表を見て思った。ソニーはリーマン以降、マスコミや株主から散々叩かれたのに、持ちこたえられたのはここにここに勝算があったのだ。一方のパナソニック、掃除機やトースター冷凍庫などの分野で他社のブランドに一位を奪われて見る影もない。津賀氏が手を引くと言ったからだ。開発の余地は一杯あるけどね。こうして、津賀氏が命をかけた目玉のBtoBの両電池を手放した。彼は一体何を目指しているのだろうと考えた結果、たどり着いたのは、身の丈経営なのだ。津賀氏の経営力は今の6兆円規模ではなく、もっともっと小さな町工場だったかも知れない。それこそ創業の時に戻れと、多分今でも社内で戒めているのを身をもって実践している人なのだろう。皮肉なことに彼のメッセージは「暮らしアップデート」だが会社は「ダウンビート」だ。今日は芸西病院の東に伐採した木を回収に行った。直径が30cmを超える木で、チェーンソーで溝を掘って、そこに斧の歯を打ち込み、斧の歯の頭をハンマーで叩く方法で木を破った。全体の1/3程度の回収。それを伝承館に持ち込み、さらにここでもっと細かく破って、薪の棚に積み上げた。物凄いエネルギーの割に、積み上がる薪の高さは20cm位で、ちょっと先が長い。帰りに禎子さんの文旦をコンテナに2杯収穫した。今年は不作。小さいのは落下している。これは集めてかっぱ市場で販売しよう。大きなのは藁で囲って熟成し、頃合いを見計らって、友人に送ろう。
1月30日(土曜日)
滋賀県の友人とは文通だ。こちらから手紙を出せば直ぐに返信があって、当方は1ヶ月くらいしてから返信するややいびつな手紙にやりとりだ。僕が農業を抱えているのと、先方はコロナで出歩けない為だ。手紙を書くのに結構時間を使うようになった。そういう点では、やっぱり能力が落ちているのだ。午後は、カッパ市場で砂糖の売れ行きをチェック。店のおばさんが、ちょくちょく顔を出せばよい事もあるよと教えてくれた。昼からは掃除。母屋と自分の部屋。今年で3回目。ペースは落ちているが仕方ない面もある。特に僕の出入りする台所と自分の部屋は、サトウキビの搾りかすが落ちていて、足に刺さる。ヌスットと呼ばれる雑草の種も落ちている。毛布なんかにも着いていることがある。だらしないけど、農業をやっていると仕方ない事だ。私生活と農業はまだ両立できてないのだ。まだしばらくはかかりそうだ。当面は新たな驚きのない日々が続くはず。僕も体力の回復と日常を取り戻してゆくだろう。新たな事に飛びつく好奇心を押さえればと言う条件付きだが。
1月29日(金曜日)
毎日が僕の日常に戻った。規則正しく、しかも当面は体を休める事。日課はラジ英のみ。ボルトン翻訳はお休みし、バイデン氏の就任演説を翻訳。1時間で1400文字くらいの速度。ボルトン氏の場合は、700文字がやっとだから、倍くらいの速度が出ている。そして、バイデンの文章は感動が多い、多分英語がすらすらと分かり、もし現場にいたとしたら、涙が出ただろうと思う。感動の語り口が目に浮かぶ。どこで間を取ったらいいのか、よくわかる原稿だ。いいスタッフを抱えている。午後遅くから薪割り。小枝はコンテナに詰めて持ち帰り風呂沸かしに使う。車で聴き続けたチェリビ・ダッケ(バイエルン放送交響楽団の指揮者)のCDも終わりを迎えている。実現しなかったが、フルトベングラーの後釜と言われた人だった。僕の印象は、ブラームスに造詣が深いと思った。ベートーベンはイマイチだった。ブルーノワルター氏もマーラーが良くて、どうも世評と違う印象を持つのは何故だろ。BDの整理が終われば、もう少しクラシックを研究するのに傾倒出来そう。
1月28日(木曜日)
急に自由となった。気が抜けて痴呆になりそうで、まずは身の回りの整理から。シーツの洗濯から始める。シーツは毎週1回洗濯をする事にしている。別に洗濯が面倒なわけじゃないが、冬場は動き始めるのに決意が必要だ。シーツを剥がす時、枕カバーを剥がす時、物凄い静電気が発生し、これが痛くて気分が悪い。そろそろと行ってもパチリと来る。ファブリーズで水蒸気を振りまいてもあまり関係ない。それでじわじわと一日伸ばしになりそうなのだ。僕は加齢臭を抱えているので、それだけは勘弁して欲しいと思い切って行動を起こす。こんな工程があって、僕にとっては大きなドラマが始まるような気がする。大げさかもしれないが。それから、部屋の片付けと撮りためたレコーダーの番組をBDに焼く。一方で、BDのファイルをエクセルに整理する。こうして諸々の整理をしているとあっという間に1日が過ぎて行く。夕刻の少し前に、薪割りに出かけた。昨年切り倒したドングリの木を60cmの長さに切り、1/4カットして伝承館に持ち込む作業だ。体力がいって、しかも腰にくるので毎日少しづつ進めようとしている。伝承館に行くと師匠が薪の棚の整理をしていた。カッパ市場の状況を報告し、製品を出した方が良いと伝えた。帰って風呂焚き、食事。夜も又、BDの整理。疲れでキーボードの打ち間違いが多くなったところで切断し就寝する。
1月27日(水曜日)
6時から応援。「寒(かん)」に遭ったサトウキビは臭いが酷く、どうなるのかと思っていたが、火を加えると何とか普通の砂糖に戻った。僕もまだ残してあるが、これで諦めの踏ん切りが付いた。応援は、曽我さんも加わり、五人組となった。作業やら冗談やら分からない楽しい時間がジワジワと過ぎていった。11時45分、僕は失礼して「おゆげ様」の神祭の準備に行った。集まった人たちから、「おまん、カンショはシビちゃぁせんかよ?」(寒さでダメージを受けてないか)と聞かれた。僕の作付けは広大で、しかも彼らが知っている普通のサトウキビとは全く違う成長をしているから、少しは気にかかるのだろう。その後、再び伝承館に戻り製糖作業を手伝った。師匠もこれで本年度は終わりと宣言した。奥様もホッとしたとため息を漏らした。僕は、裏の工場に行って、崩しの作業を行った。製糖する砂糖はレンガ状の塊で使い勝手が悪い。それで、包丁で細かく砕いて200g単位でビニール袋に入れる製品を「崩し」と呼ぶ。これが比較的売れているのだ。それで他の人は200g600円の値段を付けている所、僕は300g700円の価格をつけている。圧倒的に僕の方が量感あって安い。それに2重の袋に入れ、中袋はチャック付きだ。果たしてどうでるのかなぁ。師匠は手伝いのお駄賃として、お客様が持ち込んだお酒を僕にくれた。最近は自分で勝手にお祝いをして、コップ一杯程度だが酒盛りをしている。友人を呼ぶのも面倒だし、どこかに行く勇気はない。今夕はそのお酒で酒盛りをした。
1月26日(火曜日)
予定では、師匠のサトウキビを製糖する予定だった。奥様が調子を崩し、明日に延期。ぽっかり浮いた休日。日常のラジ英とボルトン補佐官を翻訳し、インド旅行記を書いた。旅行記はブバネッシュアル訪問の所(終盤に近い)、こちらはセールスマンがあまり熱心でなく、お客様を集めたイベントはなく、メモでは割と楽だった事を綴っている。この旅行記は本来だと65型有機ELの画面に映して楽しみたい所だが、PCのモニターで楽しんでいるような輝きが表現できるのか不安で、もう少し吟味に時間が必要みたいと思っている。一方でカメラ業界に動きがあって、ソニーからα1(80万円位)が発表になった。この事を知っていたら、キャノンR5は購入せず待ったのに、非常に残念な話。一方で夜、R5を持ち出し月明かりで撮影するとシャッター速度何と3.2秒(カチャと音がして、しばらくして、カチャと音がする)でも手ブレせず、夜にこんな明るい写真が撮影できて驚き。とうとうここまで来たのかと感慨深いものがあった。僕の腕ではキャノンR5でも十分すぎるのだ(多分、EOS5Dmk3で十分なレベル)。製糖作業が忙しくて、せっかく購入したカメラもまだち家で眠っているだけだが、持っている安心感がある(僕の中では、これが一番大事なこと)。午後はメガネの修理と新調を兼ねて出かけた。ついでにプールに寄って久しぶりだがリハビリに努めた。1500mを泳いで上がれば身体が軽くなっていた。約50分間だが血を高速で循環し続けたのが良かったのだろうか。とにかくこれは欠かすことのできない薬にも匹敵する重要なものだと改めて認識しましたね。帰りは雨が酷くなった。普段なら外食するのだが、今はどうもやばい信号が灯っているので、疲れているが自炊。
1月25日(月曜日)
何もしなくても良い日と決めていたが、「蜜」が欲しいとせっちゃんからの要望で5個都合して持参した。伝承館へ行ってシールを取ってこなければならず、午前中2時間潰れた。身体が怠く、ラジ英を中断して少しだけ寝た。昔は昼寝も2時間とか3時間とか取っていたが、今では15分程度が限界で直ぐに目が覚める。覚めても未だ眠いのだが。午後は、録画済みBDの整理。1400枚迄来た。友人から懇親会の呼びかけ。急いで買い物に行き、酒のつまみになるような献立を考えた。毎日が自炊なので、考えるのも素早いし、料理もかなりの速度でできる。完成してない時は、飲みながら仕上げる。この辺りは慣れたものだ。南国市にものづくりセンターが出来て、説明会が開催されたと友人の話。ここで貝教室を開催する計画を立てている。友人はこの貝教室の開催に向けてあちこちで商談を行っていて、結構な高知通となっている。僕もサトウキビでこのような活動をすれば良いのだが、どうも売り込みに関しての営業的なエネルギーを使い果たしたのか一向に意欲が湧かない。もう一つ友人はコロナ通で、高知で発生している感染経緯を結構把握していて安全ゾーンを教えてくれた。僕の対策は、芸西村から出ないこと。
1月24日(日曜日)
4時半起床。重い体を引きずって伝承館へ。今日は製糖作業の応援。今日の作業は物凄く辛い、収穫と製糖を連続でこなした翌日の為だろう。人生の終盤にいい友を得たが、この人の付き合いは、このきつい作業とワンセットだ。人生楽して快楽は得られないと言うことか。じっちゃんが僕に言った。「今日はたいそいろう(体がきついでしょう)」91歳でも68歳でも連日の作業は疲れるからよく分かっていらっしゃる。今日のメンバーは気の合う人ばかりで、サトウキビの収支が赤字になる事について本音で話し合った。一つは、新しく幹事を迎えた事に対する負担金額の不満、もう一つは製糖した砂糖が売れないためにどうしようか?。行き着いた先は、来年は作付けを減らそう。その後僕は余った時間で、製糖の製品を梱包し、かっぱ市場に出荷できるように作業を終えた。それを境に今日の作業は終了し解散した。その足でかっぱ市場に行くと、お正月に出荷したサトウキビの大半が売れていたので、持参分の補充を行い、家から不足分を持ってきた。今日も疲れ果て、最後のエネルギーを振り絞った感じ。人生の最後に来て、こんなギリギリのことをしてて良いのか?夕食時、イギリスBBCのサイトでバイデンの就任式演説原稿が手に入りipadに保存した。日本語訳は日経新聞にもあるので、さて僕の能力はどの程度か明日から試そう。夜の音楽は久しぶりの「ロメオとジュリエット」グノー作曲のオペラ前半を聴く。去年の今頃ミラノスカラ座でこれを見た。もう一年が巡ってきた。
1月23日(土曜日)
4時半起床。5時から伝承館でサトウキビを絞り始めた。期待の新しい品種「農林8号」の糖度は17.5度。黒街道は19.1度。いずれも期待値を下回る。「寒」の影響もあるかも知れない。製糖で煮込んでいる内に嫌な匂いがも取れ色も良くなったし味も良くなった。結果良しだ。工程の途中で蜜を抜き、自宅用に取った。併せて、この後の他の人の行程は全て蜜に仕上げ、外部に販売するが、そのチェックは、今日のメンバーで僕しか経験者がいなくて、その予行練習も兼ねていた。無様な格好は見せられないからだ。蜜を取るために受け入れ業者の社員さんも一人応援に来たので練習をして良かった。その成果もあって、これは上手く行った。でもものすごく疲れた。6時に終えてスーパーで買い物をして帰った。風呂を焚いてぬるま湯から入ってのぼせた頃に上がった。普段はこんなだらしのない事はしないのだが、今日は特別。それから食事。ワンカップ大関を1杯。疲れた体にお酒が染み入る。お酒の嗜好が「土佐鶴」(辛口)から変わった。甘口じゃなければ、砂糖を焚き出して好みが甘口に変わったかもしれない。もしくは、余りにも疲労が激しいかも。そして、よくないとは思いながらも食事の後直ぐに寝た。あまりの疲れにダウンである。
1月22日(金曜日)
朝のうちに雨は止んだ。昼からサトウキビの収穫を行った。昨日は80kg収穫できた。残り120kg。脱葉機の歯が欠けているので今回は手剥を行った。先の方まで収穫せず、手袋で脱葉できる範囲で切り取った。収穫できるサトウキビはまだあるが、今日のところはこれで終わり。気持ちとしては今年の分はもうこれで打ち止めにしようかと思っている。どうやら、サトウキビの加工賃の支払いが40万円近くになる可能性。一方で販売は未だ緒に付いたばかりだ。経費を回収できるかどうか不明。自分の中ではスッキリしない終わり方だが、先日の「寒」でサトウキビがダメージを受けて、刈り取りしている時に妙な嫌な匂いがして、止めようと気持ちを後押しする。早めに作業を終えて、明日のお弁当のおかずを作って8時には寝た。
1月21日(木曜日)
新聞の記事は本当か?といつも疑問の目で見ている。文章はどんなに書いてもバイアスがかかるが、それには検証と言う正義の錦の旗が少しだけ真っ直ぐに整えるからなんとか共感できるのであって、検証を伴わない記事は信ぴょう性に欠けると思うのだ。「コロナ禍で貧富の差が広がった」。「社会の分断は深まった」とある。確かに貧の方は落ちたと思うが、富の方は言われるように増えたのだろうか?株価が上がったので時価総額が増えたのだ。それは間違いでないと思うが、それは現実だろうか?と思う。例えばアップルの株価は100兆円の資産価値があるが、では皆んなが売れば100兆円ものお金がみんな手にできるのか。答えはNo。一人や二人が株を売れば確かに一株13500円(1/21現在132ドル)ほどは手に入れられる。でも富の計算は全株放出を前提として、富裕層の富を計算しているのだ。ウォーレン・バフェトの率いるバークシャー・ハサウェイがアップル株を10%程度持っていると言われるが、全数を放出すれば@132ドルはたちまち下落するのではないか。それにイーロン・マスクがテスラ株2割を保有していて、世界一のお金持ちになったと言っても計算上であって、手放して富を得るのではない。それに、経営者自身が手放すとどうなるか、多分手放さないだろう。取らぬ狸皮算用で世相を分析すれば間違った政策が出来上がると思うのだ。確かに傾向値としては正しいのだが。新聞はFake newsやDoubtがゴロゴロしているように思えてきて、妙に安心できない。だが、考えるスパンの長い書籍にはそう言った「落とし穴」は見つからない。Newtonなど月刊誌でも同じ。要は1日や1週間単位で読み物を発行するとそうなると言うことか。権威ある新聞社でも。
1月20日(水曜日)
疲れで朝起きるのが辛い。今日は伝承館で砂糖の製糖。僕の分ではない、応援のみだ。これで3日間応援ばかり。それは不満でないが体が辛い。でもこの歳になれば、辛いと言って休むと余計に身体が弱る。「歳を取っても百姓を続けないかんぜよ」と言う昔からの言い伝えを守るのは大事だ。師匠の手を見ればひび割れた指に真っ黒な砂糖の汁が染み込んでいる。実は僕の手も同じようになっている。農家の「手」ははっきりと農作物をあぶり出す。父もピーマンの汁で真っ黒だった。街には出れない手。コロナ禍だからそれでいい。少ない人数で焚く製糖作業は結構辛いものがある。それに一番厳しい仕事は僕がやらないと高齢者には厳しい。じっちゃんは僕に最終の揚げ釜で混ぜるのを許してくれている(これは熟練を要する工程で、混ぜないと焦げる、混ぜすぎると温度が下がり、蜜が結晶化するので微妙なのだ)。僕の腕を見込んでと言うよりか、自身も辛いのだろう。昼飯もかきこむ程度の時間しかない。ホント昭和初期の工場の仕事場みたいだ。でも「終の仕事」が見つかったからこれで良いのかな。今年末の収穫を、翌年にずらせば、H氏のいない状態で製糖できる事も分かった。販売のタイミングを外すが気分はこれで改善できる。帰ると、風呂焚きと、お昼のお弁当の残りで夕食を済ませた。そのまま台所で30分くらい寝てしまった。そんなのは初めて。酷い疲れもあるが、年と共に身体のエネルギーも少なくなっているのだろう。自分の部屋に帰り、BDの整理を1200枚まで進めた。ここまでは一発検索でディスクが探せるようになる。
1月19日(火曜日)
寒さがやってくると天気予報があったが、庭の甕に氷は張ってなく平年並みかな。食事の後、曽我さんのサトウキビを収穫のお手伝い。西風が冷たく鼻水を垂らしながらの作業だった。ここ数日寒いと鼻水が流れている。仲間の応援で昼までに800kg収穫。曽我さんの奥さんが弁当を持ってきてくれたので、サトウキビを刈った後の、葉っぱの絨毯の上にコンテナを置いてみんなでお弁当を食べた。西風をまだ残っているじっちゃんのサトウキビが防いでくれて強い太陽に炙られて何とか人心地ついた。帰って睡魔と戦いながら英会話。その後昼寝。ボルトン翻訳。それで終わり。風呂を焚いてスーパーへ買い物に行き、お寺でお惣菜を貰って夕食。最近もらうばかりでお返しができてない。何処にも行かないからどうしようも無い。風呂から出て、自分の部屋に向かう5mの庭を横切る時澄み切った空気に無数の星を見た。スマホのアプリで検索すれば星座名は明確だし、しばし見てたが、寒いしこれに熱をあげると風邪を引くので室に入ることにした。エアコンをガンガンに効かせて、カール・リヒター「クリスマス・オラトリオ」を聴く。
1月18日(月曜日)
昨日の一次試験に関して高校教諭が消去法で回答を選択できないと新聞にコメントしていた。この先生は試験のパスが課題であって、内容の理解は二の次だと理解している節がある。こんな先生に教えられる生徒は可哀想だ。国際舞台に立つ若者の芽を摘み取っているように思いましたね。試験提供者は思考力が必要な問題にしましたとコメントしているにもかかわらず。かの高校教諭はこの意図がわかってないようだ。午後はじっちゃんのサトウキビ収穫の手伝いだ。昨年、年を顧みず1000kgも作付けを増やしたので、自分で収穫できなくなったのだ。僕ら気の合う仲間がお手伝い。彼らの奥さんは旦那さんに教育されているので、サトウキビを25本くらいで一束にしようと集める。結び運ぶのは僕だから、彼女達に言った「僕はあなた達の旦那さんのようにはできないから本数を減らすように」この何でもない事は、数時間の作業で大きく体に効いてくる。なんせ、積み下ろしで500kg位は上げ下げするから。腰が痛み出すのは勿論だが、肘の関節も痛む。挙げ句の果ては、足の左親指が痺れ冷たくなる。北風は冷たく鼻水が垂れる。こうして午後の作業を終えた。帰りスーパーで買い物、海岸で松葉を拾っていると犬の散歩に来たおじさんに声をかけられて、しばし昔の風呂を焚く話。僕はそれを現役で行なっている旨話した。おじさんは作物の肥料にするのかと思ったと言う。今日は北風が吹き冷たかったので、無性に酒を飲みたくなってスパークリングワインを買ったが、これがキリンレモンのように甘くて失敗。やっぱりきちんとした店で買わないといけない。夜は友人の送ってくれたネパールのエベレストに取り組んだ写真家「白川氏」のビデオを見た。僕もこの山は白川氏と同じように飛行機で行って撮影したいたから、共感できた。
1月17日(日曜日)
気怠く物憂いが、だらけないのは、野菜と果物を意識的に摂取している為かと思う。朝一番に「サトウキビのレシピ」(A4)を仕上げ、ボルトン翻訳とインド旅行記と続き、昼食で中断。午後からお寺さんの来襲があって再び中断、その後少しインド旅行記の捕追を行なって4時前、もう風呂焚きの時間。昨日のサトウキビの絞りかすを畑に捨てると薄暗く夕食時間。夕食後はBDディスクの整理を行った。とにかく2000枚を越すアルバムを一発で検索するように出来れば、160枚単位でファイルしているフォルダが最大限に生きる筈。寝る前に大阪から帰って来たDVDプレーヤーでモーツァルトオペラ「魔笛」を見る。下らない詩だが、こうも素晴らしいモーツァルトの楽譜が付くと芸術に昇華する見本。それを舞台衣装が別の解釈で見ものにする。芸術のレイヤーを積み重ね素晴らしい映像が届く。ヘッドフォンを手持ち最高のAGKを選び、デノンのDACで増幅し聴いた。7インチ低解像度画面だが至福の時が得られた。これとは関係ないが、大学一次試験が新聞で公表され英語の長文を読んだ。スラスラとは読めないが、全文読み通せた。NHKラジオ「シンプル・イングリッシュ」とほぼ同じレベルだった。ただ試験問題は質問に答える方法が難しくこちらに技術がいるなと感じた。イタリア語も少しわかればオペラがもっと楽しいのだが、僕の一生の時間では英語だけで精一杯。英語のオペラを見たことがあるが、酢の利いてないお寿司と同じで腑抜けだったから、オペラはやっぱりイタリア語がいい。
1月16日(土曜日)
二人で蜜を焚く予定だったが、ジッちゃんや師匠の奥さんにも手伝ってもらい、僕はブロックを焚くことができた。蜜よりも1時間工程が長い。2釜仕上げ、一つは焦がして一つは温度が足りず結晶化した。夕刻7時半終了。僕の中では今日の作業はどうなるのだろうと?疑問符一杯だったが、なんとなく収まった。後400kgを収穫するのかどうかはもう少し待ってからの判断としよう。今日は帰るのが遅く風呂もない。帰りにお寺で晩飯のお菜をもらい、それを肴に酒を飲んだ。あまりの疲れに酒も効かなかった。滋賀の友人から手が届き、病気は問題なしとの報告。一安心だが分厚いタンゴの書籍が届き重い課題を頂いた。そして、お寺さんから、砂糖を納めているパン屋さんから、サトウキビを使ったレシピを作れと催促。明日は着手しなければならず、こちらも重い。日曜日は何にもしないでのんびりと翻訳とインド旅行記を書こうとの計画は頓挫。やぶれかぶれで、寝る前に「ベスト・キッド」を見た。わかりやすい英語だが、筋を見失う事も多いのは、長文の会話部分だ。終わりまで見る体力不足でとこに着く。
1月15日(金曜日)
何事も放棄してサトウキビのみで生きる生活。今日も予想に反して600kgを収穫。しかし脱葉機の調子も良く午後2時には終えた。後、400kg程残しているが様子を見よう。その足で安芸市に行って脱葉機のワイヤーブラシを注文した。早、壊れたかよ?と聞かれたので、大きなサトウキビをかますと、一発で壊れるようだと答えた。ついでにスーパーのサンシャインに寄って明日のお弁当の食材を購入した。お弁当にはマグロのフレーク炒め物。シメジをゆの酢で炒める似たような献立を考えた。本日の晩飯は、大根の葉をかつおぶしで炒めたものを熱いご飯にぶっかけて頂くシンプルなもの。重労働の日にはやたら米だけを食べたくなる。夕刻ラジオ英語の金曜日を聞き、一応今週分はこなした。頭に入っているのかどうかは別。「こなした」事実だけの自己満足。明日は4:30起きだから、8時半にはとこに着いた。
1月14日(木曜日)
最後の収穫
今日は仲間のI氏に600kgのサトウキビを進呈するので、収穫に来たらどうか?ついでに僕の分400kgも手伝ってや。と言うのが実現した。結果今日は640kgを収穫した。一口に640kgを言うけれど、これを持ち上げ運びトラックに乗せ、下ろし脱葉し、結束し車に積み込み、下ろして計量し、伝承館の壁に立てかける作業は累計でその重量の3倍も4倍も持ち上げる。大変な重労働。仲間の奥さんは、少し休みたいとこぼしている。大した収入にならず(多分今年は赤字)でキツイだけだから。まぁそれだから仲間の結束は結構良いのだが。夕刻5時半に終えた。意外と時間を要した原因は脱葉機が葉を落とさなくなっていたからだ。それだけ手作業が増えたのだ。僕は手の痛みをこらえながら作業した。風呂から上がると手も足も痛み、特に小指がどうしようもない。薬指と一緒に湿布をして2本を一緒に包帯で巻いた。眠気も尋常ではなく、8時過ぎにとこに着いた。寝ている間に、腕や腰の痛みの夢を見た。
1月13日(水曜日)
味噌をつけたくない人生の最後
トランプは大統領末期になって自分の人生に泥を塗った。自業自得と言えばそれまでだが、ボルトンの書籍を読むとこの人は人を鼓舞する力が強いのに驚く。(ボルトンの翻訳はやっと文章が繋がり始めたので、少し理解が深まった、それまでは一文と次の文章のに関連性がない訳文もあった)僕も、自分の周りで、不愉快な人がいて、ややもすると対立になろうとする若気があるが、トランプ氏の事を考えると、「関わらない方が良い」のだろう。そうすると引っ込み思案となり、寂しさが覆い尽くすようにもなる。二者択一だからそこを趣味でカバーすれば良いと、頭では上手く計画出来ている。この家はこの部屋は、右を見ても、左を見ても僕の趣味で覆い尽くされているし、好奇心は旺盛だ。所が人生上手く行かず、チョット魔が差してトランプ氏や馬氏のように口が滑り「味噌を付けた」のかな的な行動や言動を取る。これぞ、持って生まれた宿命なのかな?とすれば、僕が毎夜聞くカール・リヒターのバッハの宗教曲が意味も分からず身にしみるのも、既定路線だった?サトウキビに没頭するのも決まっていた?深くワカラナイけどそんなものかも知れない。
1月12日(火曜日)
ボルトン補佐官の英訳も随分と軌道に乗ったかなぁ。旅行やニュースなんかの海外サイトは、何となく読めだした。勿論全く辞書不要ではないが。随分と時間を投入した甲斐が出てき始めたと言う事だろう。夜の間に雨が降って、朝は上がっていた。昨晩と今夜は映画を観た。「バトルエンジェル・アリータ」と「アーヤと魔女」。先はSF、後はアニメ。いずれも主人公は少女。そして生き方が前向きで「めげない」。たまたま録画した映画の中から適当に選んだ映画だったが、偶然にも同じ傾向の映画だった。サトウキビから少しだけ解放されて気持ちに余裕ができたから、映画も深く見られたかな?などと思う。どうも歳の所為か、少し頭の回転が遅くなって来ているので、一つのことしか集中できなく、他に思うことがあれば他は浅いのだ。手紙が届き滋賀の友人がガンの恐れがあると来た。奥様は既にガンで治療法が見つからないでいるとのこと。お正月にはずいぶん久しぶりに深く話し合ったとあった。別の亡くなった友人からもそのような話を聞き、末期にならないと本音が出ないのかなぁとも思った。「生き力」がある時は他に寄りかからなくても自立出来ると言うことかもしれない。英語にはI'm afraidとかI wanderとかCould Iとかの婉曲な言い方があって、「慮る」のがありありを多用するみたいだ。異種民族が集まって生活しているのためなのか。日本語にはそう言うのはないから、心の内で思っていても口には出さないかも知れない。口には出さないから、自ずと話し合いもないのかなぁ。
1月11日(月曜日)
ニコンD850は手ぶれ補正のない大三元レンズで揃え暗い所では不利だ。じゃあ明るい場面でとなれば、他の機種もいい仕事をする。フジのXT100何んかも、かなり暗くてもいい仕事をするので、明るければ何も問題なし。それにしても、GH1は結構引っ張れる。軽いし三脚を付けてもD850よりも取り回しが良い。このカメラは何かがあると踏んでいたがやっぱりそうだったのか!て感じだ。さてR5はキャノンの従来機と比べ幾分操作感覚が違い、慣れるには時間が必要。シャッターの感覚は排気の爆音をマフラーで消した最新のスポーツカーのような感じ。メカが複雑な動作をしていますよ!的なニコンの音はない。人前ではニコンがよく、ホールドの弱い僕の手にはキャノンか?今日の外出は、R5と5DmkIII、其々に24-105mmF4を装着。同条件で撮り比べ。前もっての予測は差がない筈。結果、その通りで、幾分R5の方がAEに得点をあげるものの、甲乙付けがたい。「精緻な絵」的な匂いもしないでは無いが、言われなければ分からない。2台下げての散歩は辛いものがあり、5Dは肩にズッシリと食い込む。写真はiMacの27インチ5Kで確認。普段見慣れている我が家の近辺も比較写真としてじっくり見れば、色んな所に思わぬ発見がある。昼間だけに限定すれば敢えてR5を購入する理由は無かったのかな。でも、夕刻5時半を過ぎてからの散歩はR5の独壇場で何んとも動かしがたい優位性を発揮する。もちろん5Dに重い三脚を持って行けば何ら遜色はないが、薄暗い中、不気味な風切り音だけが聞こえてくる鳥が巣に急ぐシーンなんかは、三脚を使っては対応できない。夜、LUMIX G9pro で昨日の狸の置物撮影を行った、ニコンD850も50mmF1.4で撮影の追加を行った。LUMIXの方は、1/5秒まで手ぶれ補正OKでISOは6400、ニコンは明るいレンズだが1/40秒でISOは25600。いずれも、GH1では不要だったホワイトバランスの補正が必要だった。画像の比較ではややLUMIXの方にノイズが少ないかな?本来はD850が圧倒的有利のはずだが、いかんせん手ぶれ補正がないのでISO設定が高いのだ。
1月10日(日曜日)
After Corona とWith Corona
ウイルスに対して楽観的な見方をしてはいないだろうか。コロナは変異してイギリスで猛威を振るっている。アメリカではベトナム戦争の死者を6倍上回っていると言う。1970年ボブディランのBlowin' in the Windが反戦歌として歌われ、戦争は1975年に集結した。アメリカは大きな犠牲を払ったがコロナ死はそんな比じゃないということ。これを政権も国民も大きな潮流としないのは何故か?恐らく若者に影響しないのと、ヒスパニックの貧民が犠牲になっているのが理由じゃないかと思う。転じて日本も非常事態宣言下で営業を続ける居酒屋もある。芸西村だって、コロナに感染し店を閉めていた唯一の居酒屋も、復帰パーティを企画した張り紙があった。ブラジル大統領ボルソナーロ氏のように「風邪みたいなものだ」と思っているフシがある。僕はそう思わないけど警戒が緩んでくる時もあるから、毎日の感染者数値を見て気を引き締めよう。多分Withがかなり続き、Afterがくるときには、別の感染症、例えばマラニアなんかが入ってくるのじゃないか不安がある。昨日サトウキビを焚きに来た、クニサワさん90歳のような生き方は出来ないだろう。この人は高知市から電車で通って芸西村でサトウキビを栽培し、伝承館で絞って貰う。じっちゃんは91歳で、栽培も製糖も自分で行う。普通なら病院でチューブに繋がれた日々を送って居そうな年齢だ。僕は寿命が短いから早く楽しもうとカメラを注文したが、昨晩入荷したと電話。Canon R5とレンズ。「超望遠の100-500は当分ダメみたいだから取りに来てはいかが?」と言うことで、今日はR5の話となる。レンズは15?35mmf2.8、24?105mmf4。今回は中距離に大三元を外した。ニューヨークでEOS5mk3に装着した24?105mmが大活躍したので大三元を2本持ち歩くのは大変だと思ったから。それに、中距離は単焦点で勝負するつもり。撮影は暗くなって庭の狸の置物を門灯だけで撮影する比較。ニコンD850は24?70mmf2.8だが手ぶれ補正がなくISO12800、シャッター速度1/20秒。対するR5はISO3200シャッター速度1/2秒。明らかにキャノン有利。この速度で手ブレなし。それに門灯は蛍光灯だがニコンはやや緑っぽい。これに対しパナの1号機GH1(今から十四年前の機種)に50mmf1.4のレンズを装着し三脚を使って撮影。ISO100、シャッター速度5秒。結果これが一番綺麗だった。最新のテクノロジーもローテクの三脚には負けるのだ。R5はAFが凄いとの評判。これは明日確認。とにかく三脚なしで1/2秒がOKなのは何処かで活かせると思う。それと電源を入れての立ち上がりは瞬時だ。
1月9日(土曜日)
4時起床。伝承館へ。師匠と二人で絞り始める。今朝は一段と寒く、作業中に手が悴んでお湯に漬けたり、火に当てたり。足はどうしようもなく(帰って見れば、軽い凍傷だった)6時過ぎやっと釜に火を入れてから人心地ついた。2番ガマに点火する頃はよく喋るおばさんも来てくれて、工場が明るくなったのと、太陽が顔を出して空気が澱んだ。9時ごろには役場の事務員さんも来てくれて、パンを齧る余裕もできた。よく喋るおばさんは松前漬けの話をされていて、今日は僕の顔を見ると自宅に取りに帰ってくれ、食べさせてもらった。セロリとスルメがいい働きをしていて、すごく美味しかった。手が込んだ味だった。主婦でなければ出来ない料理だ。我が家の母も病気になる前は、何でも作ってくれた。あの頃の幸せが帰ってきたようだった。僕の砂糖は今までにない出来具合で、師匠が勝負だと言っておられたが、正にそのレベルに達した。誤算は冷ましの時間を通常通り15に混ぜ、30分に流し込みをかけようとタイマーをセットしたが、すでに20分くらいで固まり始めた。今日の寒冷をうっかり忘れていたのだ。又、外部から依頼を受けたサトウキビがベテラン三人3挑戦するも皆さん惨敗で、今日で上手いこと行かなければ、諦めるところ、僕が2つの新手を打ち出し大成功。師匠は本当に喜んでくれた。午後になると3番釜もフル稼働し、大汗をかきながらの作業で、水を大量に飲むような状況。上のシャツは汗で寒くなり着替えた。外部のお客さんの分も焚いたが今日は全部成功した。師匠曰く今年は余りにも上手く行くので、来年が心配だ。
1月8日(金曜日)
駐車場の上の小屋に住んでいるので、夏は暑い、冬は寒い部屋で、今朝の部屋の気温は外気と同じ2度(午前6時)だった。それから日の出迄に更に1度下がる筈だが、この頃は起きて食堂で飯を食っているから、自分的には暖かい。午前中はラジ英とボルトン氏の翻訳。今日はどう言う訳か、両方とも難しく聞き取れないとか、訳しきれないところがあった。"say"を「セリフ」とは訳せない(翻訳機はそう訳す)。又ラジ英では"waste"(無駄)が聞き取れない。これは番組最後に一言喋る内容でテキストには書かれてない内容。でもこの辺あたりを克服しないと、自由に話せない筈だ。1時間だけ、インド旅行記の執筆を進めた。アムリツァーの店を尋ねている場面。シーク教徒が多くみんなターバンを巻いている。ここでも夜遅くまでイベントを行った。現地セールスもよく対応してくれたし、僕もタレントのように行く先々で、よく丁々発止ができたもんだと、今更ながら感心する。昼飯時宇宙の本を読んだ。重い星ほどよく光り寿命が短いそうだ。太陽クラスでは100億年。それよりも重いと10億年程らしい。人生もよく光り短いタイプと、のんびりと長い生涯を送る人と2種。星の生涯とよく似ていると書いてあった。そう言う面ではトランプ氏は年齢の割に頑張って足掻いているから、ぽっくり行くかもしれない。僕もそうありたい。午後は少し寒さが緩みサトウキビ伐採に出た。普段は汗の出る作業でも鼻水を垂れる寒さだった。180kgを夕暮れギリギリに収穫した。
1月7日(木曜日)
寒くなると言われたが午前中はそれほどでもなく、氷は張ってなかった。手の痺れが突然治ったのは、枕をやめた事だった。現役の頃相次ぐ出張でホテルが毎日変わるから、枕を使わないで寝る習慣をつけた。それが最近ではニトリでいい枕を見つけたり、反発のマットレスなんかを買い込んで、柔らかくして寝ていた。ところが、僕の身体はせんべい布団で枕なしの方が合っているような気がした。未だ一晩だけの実験なので如何とも言えないが。今日は午後からサトウキビの収穫。前回の教訓を生かして、また、自分の手の具合を慮って、短く伐採した。手剥ぎの手間は省けたが、180kgの目標に140本も収穫すれば大丈夫だと踏んでいたら、短いがために、160kgしかなかった。明日は200kg収穫しなければならない。午後から冷えてきて鼻水が流れ出した。今日は同級生のさっちゃんとカッパ市場であって少し花卉栽培について話を聞いた。厳しい5月は市場から割り当てが来て、それ以上の出荷ができないとか、この年末年始は市場の休暇タイミングの関係で10日間も休みが続いたとか、結構大変みたいだった。この人のご主人は珍しい「ブルースター」の品種を栽培し、全国に名が知られている。そんな人ですら苦境に喘いでいる。飲み屋の感染拡大が問題なのに何故人は飲み屋に行くのだろう。命をかけて酒を飲む必要はサラサラない筈だが。GoToトラベルも中断し、飛行機の爆音を聞かなくなった。今こそ空の澄んでいる時だし、飛行機の光跡もない時、星の撮影には最適な時だが、いかんせん寒い。芸西村は星を見るのに最適地で有名な観測者の大きなドームが伝承館のすぐ上に建っている。だから普通の観測や撮影なら庭先でできるのだ。星とか星雲はビッグバンの10万年くらい後からできたそうだ。宇宙の歴史からすれば、直ぐの感じだ。
1月6日(水曜日)
午前中ラジオ英会話。午後カッパ市場へ砂糖の出荷。帰って、師匠からもらった黒街道の新種をタネにするため、畑を耕し、埋めてビニールで囲いを行った。師匠は、常々サトウキビをこれ以上は増やせんやろう言うのに、こんなところで炊きつける。風呂を焚き、買い物に行って夕飯を食っていると、息子が帰ってきた。昨日の事故の話でしばらく話し合った。ブレーキ跡がない正面衝突だ。多分居眠り運転ではないか?息子は毎日車で通っているから、僕が注意する前に自分から言い出した。明日から寒いと注意されたが、明日から再びサトウキビの収穫だから仕方ない。今夜もカール・リヒターのバッハ。このBOX盤は99枚あるから、毎夜1枚聞いても100日要する。受難曲の対訳を読むと、聖書に縁のない僕には難解だが、ただ音楽だけ聴けば気持ちが良く夢の世界にいざなってくれる。サトウキビの精糖の無い時は、毎日自宅か自宅周辺の畑で過ごすから人との接触がない。コロナにとっては好都合だが、人と話さないので寂しい、だから難解でも人の歌声が聞こえるこのCDは心が休まるのかな?と思った。洪水でじわじわと周りが水に沈んでゆく風景のように、周りがコロナで侵されていく。このCDを聞き終えるころにはコロナのめどが立っているだろうな。
1月5日(火曜日)
11時間寝た。お目目ぱっちりとは行かず、何となく気だるい。何をするにも動作が鈍い。録画番組の編集をしていると、お寺の奥様が来て、パン屋さんへ砂糖の営業に行くからサンプルを欲しいと来た。何となく動き出した感がある。英語の勉強は少し待ってもらい、病院へ。手足が痺れるのを見てもらう。ついでに膵臓の検査結果を聞く。何と、看護婦さんは師匠の娘だった。「昨日は5釜焚いたらしいね」。血液検査の間の会話。まず痺れは、ビタミン12剤で様子見。検査結果は当面は静観。その足で安芸市へ向かった、蛍光灯を買うため。ついでに散髪も、インクも、夕食の食材も。ところが安芸市の手前で僕の7台前の車が大事故。仕方なく山側の隠れ国道を通って安芸市へ。買い物を済ませて帰るがまだ事故の渋滞が続いていた。車は大破。後で知ったが、死亡事故。帰って谷屋敷の畑を叩いた。トラクターの音を聞きつけ、近所の淳子ちゃんがお漬物を持ってきてくれた。僕はお砂糖で返した。夜友人を呼んで懇親会。貝教室を小学校で開催して、七十二人の生徒から手紙を貰って泣いたと言う。いい話だ。それでちょっとばかり飲みすぎた。飲んだ酒が、友人に貰った「バレンタイン」でよかった。これは悪酔いをしないのだ。
1月4日(月曜日)
師匠と二人で製糖する。5時集合の約束だったが、裏をかかれるといけないので4時半に着くも、師匠はひと釜分を絞り終えていた。更に1時間遅かった。師匠とはこんな人だ。ついて行くのが難しい。人格も体力も要求される人。通常5人で作業をするのを2人で行うから大忙し。座ったり立ったりしゃがんだり屈んだり。ラジオ体操を一日中繰り返した。途中から友人と、師匠の奥様、孫が加わり少しは楽になるが、肝心なところは、この2人しかいない。今日はサトウキビの上半分と、下半分の興味ある製糖を行った。上半分の糖度は15.4度、普通なら砂糖の塊にならない不作の絞り汁。これを師匠の指導のもと砂糖に炊き上げた。そして、誰にも批判されない立派な砂糖が出来上がった。僕も含めてみんないい意味でがっかり。これが悪ければ、下半分は極上品になるはずだったのだ。ところが「良い」となれば、下半分は極上にならない計算になる。結果、下半分は「悪くは無いのが」出来上がった。これを少ない容器と多い容器に入れて、友人に持って帰ってもらった。友人は近くの八百屋で販売するため。商談も任せた。この国家公務員退職の友人は意外と商才があるので、僕の出番は無いと思った。5時に終えて、買い物を済ませた。ドロドロに疲れたので、先に風呂に入ると眠気がやってきて、食事を終えた8時には寝てしまった。食べてから2時間は寝てはいけない健康上の掟を破った。近年に無い疲れだった。
1月3日(日曜日)
昨日は暗くなる直前のギリギリにサトウキビの収穫を終えたので、今日は開始を1時間はやめた。だが、今日の列は妙に直径が細く、隣の列から24本借用して200kgに合わせた、150本の収穫(昨日は120本)。これで2日間で390kg収穫した。明日の朝、伝承館に持ち込み製糖する予定。これで累計3100kg収穫した事になる。農家でもこれほど栽培してないから、僕は専業サトウキビ農家と言える。仲間と楽しみのために始めたが、妙に熱が入り、組織も絡みなんだか妙になってきた。年賀状ではもっと気を抜けの文面が多いが、どうにもならない様になっている。一方で師匠の生き方は、「バリバリやってぽっくり行くぞと」口癖の様に言われるのを、僕も共感し、病院で寝付くのは少しで良いと思っている。今「宇宙の始まり」の書籍を読んでいる。宇宙はいつどんな形で始まったのか?から始まる興味深い本。その中で多分こうだろうと思われる推測が書かれている。無の状態から、何らかの限界点に達して爆発したのが132億年前。ジワジワでなく爆発だったらしい。それを業界用語でインフルエンサーと呼ぶ。その要因だが、下地がある説と、見えない限界点を越すものとあるようだが、いずれも経験値や証拠が無いようだ。これで宇宙の本は2冊目。生物の歴史を昨年、一昨年と楽しんだので、今年はこちらだ。「はやぶ」さも書籍として発行されるだろうから、この世界はかなり賑やかになるはずで、忙しさに拍車がかかりそうだ。
1月2日(土曜日)
午前中年賀状を認め、午後はサトウキビの伐採収穫を行った。サトウキビはどこまで甘いのだ?これは3m近くあるサトウキビの部位の話、根元は甘いが、先は酸っぱいのだ、それでこんな疑問が出る。大学の先生にも話を伺ったが結論はない。そこで、僕が実験をする事になった。3mを越すサトウキビの真ん中を持って重量バランスが取れるところで半分に切断。作業は30分くらい余計だが、1本で済むところを2つに分割した。これで上と下部を分けて製糖すればどんな結果が待ち受けているだろう。暗くなる直前に終えて、風呂を沸かし冷凍庫の中にある物で夕食を作った。食材の買い置きがなく、お正月だと言うのにかなり寂しい食事。味付けも貧弱でまさに今夜も精進料理Ⅱだ。今朝は4時に空腹で目覚め、朝食を摂った。多分明日も同じパターンか?自分の部屋に帰って昨日の続きでバッハのマタイ受難曲を聴く。評価によればカール・リヒターの指揮が一番のお勧めでそれを聞いている。第1部は「最後の晩餐」のところだった。ミラノにあるダビンチの壁画を思い出しながらこの音楽を聞くと何となく音楽が見えるような気がする。無宗教の私を含め多くの日本人は、宗教が生活の一部となっている人達の世界観が理解できない(だろうな)。頭の中ではそう言う尊いものがあるとは理解できても、言葉の背景に、人々の動きの中にそれが含まれてはいないだろう。長年培ったものではないから。翻訳機によって言葉の障壁は無くなるだろうが、根の所では、中々他所の文化とか、想いは理解できないだろうなと思った。ただ、この音楽を流しておくと気持ちが良い。
1月1日(土曜日)
キッパリと晴れた。天気予報で騒ぐほど寒くなく、まぁ言ってみれば平年並みの寒さだった。7時にまるまさに皿鉢料理を取りに行き、熱い風呂に入り、息子を呼びに行った。久しぶりにお正月を家族で迎えるわけだ。息子はまたもや話をじっくり聞くので僕は妙に酔えなかった。それからカメラを持ってぶらぶら散歩してローソンに新聞を買いに行った。帰って年賀状を書いているとお寺さんから電話で飲みに来ないかとお誘い。半分書き上げ、風呂を焚いて出かける。その矢先、名古屋の星野さんから電話。ご主人は脳内出血で大変な目に遭ったと言う。奥さんは来年店を閉めると言う。僕の友人は年配者が多いので先行きが心配だ。お寺さんの食事は精進料理で僕には物足りないが、朝からの飲酒で弱っている胃にはちょうど良かった。寒い中帰っての直ぐの入浴は厳禁だが挙行したのは、チンチンに沸かしたので、風呂場全体が暖かいのと熱いお湯を洗い場に5cmくらい溜めて、その中で身体を洗った。腰はほんの少しだけお湯に浸かっているだけだから問題なし。それでも掛かり湯を頭からかぶったりして、結構暖まった。風呂に200リットル、洗い場に50リットルくらいはお湯を使うかなり贅沢な入り方。田舎だからできる技。夜はカール・リヒターのマタイ受難曲を聞く。訳詞はないがなんだか厳かな感じを抱く。お正月に合っている様な気になる。