「ういろう」と聞けば、名古屋の菓子というイメージでしたが、小田原市本町にある「ういろう」の本舗、(株)ういろうで、その由来と歴史を学んできました。以下は同社の説明文から抜粋。
「ういろう」とは、もともと外郎家の姓なのです。約600年前、外郎家二代目外郎宗奇(ういろう そうき)が、自らつくって客の接待に供したのが始まり、外郎氏の菓子ということから、いつしか略して、この菓子を「ういろう」と呼ぶようになったのです。
外郎家の先祖は、陳延祐という人で、元の順宗皇帝のとき、大医院並びに礼部員外郎という役でしたが、元が明に滅ぼされたとき、日本に帰化したのです。1368年、筑前博多に来て、陳外郎と名乗りました。
その子大年宗奇(たいねん そうき)が、京都に招かれて朝廷に仕え、客の接待に自らつくって供したのが、この菓子の始まりです。
外郎家五代目藤右衛門定治が、北條早雲に招かれて小田原に移るとき、弟に、典医の職と菓子の製法を残して来ました。京都の外郎家は、その後、室町幕府と共に兵火にかかり、世継ぎもなく絶家してしまいました。
この京都の外郎家に仕えた職人等によって、他の地方に「ういろう」と名付けた菓子が現れたのは、江戸時代に入ってからです。
小田原へ来た外郎家は、菓子の「ういろう」をつくって客の接待に供し、多くの人に喜ばれていましたが、これを商売とすることは、江戸時代までなかったのです。これは、封建時代の慣習が許さなかったからです。
明治時代になって、「お菓子のういろう」の商標が、内閣特許局に登録されたのを機会に、販売するようになりました。
「ういろう」の本舗は、全国で小田原市に唯一軒あるのみとのことでした。
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