フランス紀行 2011

〜モナコ〜プロバンス〜パリ〜ドーヴィル〜モンサンミッシェル〜

 

4)ゴルドへ  〜セナンクの祈り〜

 この場にふさわしい 祈りの音楽を聞いていただこう。

Lacrimae Pavan, J.Dowland (1563-1626)   - Hesperion XXI    - Jordi Savall

<http://www.youtube.com/watch?v=Pd0d_t8uGE4>

Fantasias for the viols VII (PURCELL)        - Hesperion XX    - Jordi Savall

<http://www.youtube.com/watch?v=95OQB_kIfwk>

Foliak & Kanarioak                                      - Hesperion XX    - Jordi Savall

<http://www.youtube.com/watch?v=dkOfYDvSJLU>


 ヴィオラ・ダ・ガンバという古楽器、15世紀〜17世紀に使われ、その後、数百年、歴史から姿を消していた楽器。ほぼセナンクの衰退〜復活の時期と一致する。

 これらの古楽器を演奏するのは重鎮、Jordi Savall(ジョルディ・サヴァール)だ。

 中世の世界に引き込まれる。

 プロヴァンスの美しき三姉妹を訪ねたかった。

長女のトロネ、次女のシルヴァカーヌ、三女となるセナンク。順番に訪れる予定だったのだが、旅の日程が、1日短くなり、セナンクのところにしか行けなくなった。

 ゴルドへは、エクスアンプロヴァンスから北へと入っていった。途中、シルヴァカーヌもちかいことは知っているが寄る時間はなかった、もう日は暮れ、早く今夜の宿に入らなければ、夕食もままならない。ほぼ直線の道、ほぼ農道だが、これをまっすぐ北へ北へひた走る。まわりは、果樹園とぶどう畑が一面に広がる田園風景。この時期、なんと桜が満開だ。桃の花も咲いている。桜は日本のものと思っていたが、チェリーでも採るためのものだろう。妙に、フランスの田舎の風景にとけ込んでいる。大地が深い緑であることが、SAKURAをより際立て、日本の桜とは別のものにしている。

 真っ暗になってから、今日の宿「やつがしら亭」に到着した。一発で来れたのはNAVIシステムのおかげだ。あんな田舎道、NAVIがなければ、とても不安で走れなかったと思う。






















 翌朝、まずはゴルドの丘に登った。ミストラルのような風が吹き、雨も降り、お土産物屋さんもレストランも9割以上が閉まっている。本当は、ここの広場にあるIMAGINEという店で、みつばちマークの入ったリキュールグラスを求めたかったのだが、かなわなかった。翌日も訪れたが、閉まっていた。残念。


 ゴルドの丘から北へ数キロ行ったところに、一番若い三女セナンクの住む谷がある。 若いセナンクは、1148年生まれ。ん? 三姉妹については、私はターナー先生のようにうまく説明できないから、このブログを読んでいただきたい。

<http://turner-b.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_25b9.html>

モンサンミッシェルの聖堂より望む

 聖地 ゴルドの丘から北の渓谷に入ったところに、セナンク修道院がある。  

色彩のない修道院の中で、今も質素に生活するシトー修道会の修道士達。

三姉妹の修道院のうち、今も実際に修道僧が暮らしているのは、ここセナンクだけ。

 ここで受けた感動は、想像を超えていた。こんなに感動している自分に驚いたのだ。

 すべては、黒と白と、木と石の色のみ、しかない。色彩がないからこそ、光が美しいのだ。蝋燭の炎があざやかに見えるのだ。


 神への祈りと労働に身を捧ぐ。生涯独身を貫く。自給自足。あまりに厳しい生活のため、40歳を越える人は少なかったと言われる。17世紀には、修道僧は激減し、衰退し、一時完全に途絶え、歴史から消える。修道活動を復活したのは、1988年だ。

 現在も、早朝4時の起床~夜8時の就寝、祈りと労働の生活を続けている。


 中世の停止した時間。ここでの価値観は何だろう? ここでの喜びは何だろう?

高貴な信仰。こんな純粋な世界感が、今も残っているとは!


 サティの音楽が、頭の中でこだまする

Gymnopedie No.1 - Erik Satie

<http://www.youtube.com/watch?v=3439BgooWmQ&feature=related>

Gnossienne No.1

<http://www.youtube.com/watch?v=PLFVGwGQcB0&feature=related>

Nocturne No.4

<http://www.youtube.com/watch?v=8AXqKqTpRyc&feature=related>

 Jordi Savall(ジョルディ・サヴァール)を知ったのは、十数年前。本当に偶然だった。最初の10年くらいは、名も知らないままCDを持っていた。そのCDは日本で売られてもいなかった。名前を調べることも困難だった。

 ブルゴーニュ地方の 聖地 ヴェズレーの サント=マドレーヌ大聖堂 を訪れた時、教会に続く坂道であるお店に入ると、この曲が流れていた。一気に心が共振をはじめた。こんなことはめったにないことだ。

 わけもわからず、とにかく「今、流れている曲をください」と言った。

それからずっと、これらの古楽器の曲を聞くたびに、ヴェズレーの教会が思い浮かぶ。この曲は、ノートルダムやシャルトルの大聖堂には似合わない。中世の質素な教会にこそ似つかわしい。セナンクは、ヴェズレー以上に、この曲が似合う。と思う。

 私がセナンクを訪れたのは、2011年3月16日だった。東日本の大地震から、5日後のことだった。

 こちらに歩み寄り、声をかけてくださるセナンクの女性職員がいた。

「日本は大丈夫すか? 私たちの心はあなたたちと共にある。」といって、

手を合わせて祈ってくださった。 目がきれいな女性だった。

 院内をガイドをしてくださる間も、何度もこちらに特別な配慮をしてくださった。各場所の一通りの説明が終わるたび、私たちのそばに来て声をかけていただいた。


 東日本の震災に遭われた方々に、ここであらためて合掌したい。祈りたい。

 予言の話をする。予言者と言えば、ノストラダムス。1999年に人類が滅亡するという予言、いや後の世の人の解釈は、子供の頃、ずいぶん恐れたものだ。だけど、何もおこらなかった。

 ノストラダムスは、ここゴルドから車で1時間ほど南西に下ったサンレミで生まれた。サンレミにはゴッホの入った精神病院があり、今回の旅で訪れたことも後述するが、ノストラダムスは実は精神科医。科学の世界に住みながら、神秘の世界にも住む人だった。


















 <WIKIからの引用>

ノストラダムスは改宗ユダヤ人を先祖とし、1503年にプロヴァンスで生まれ、おそらくアヴィニョン大学で教養科目を、モンペリエ大学で医学を、それぞれ学んだ。南仏でのペスト流行時には、積極的に治療にあたり、後年その時の経験などを踏まえて『化粧品とジャム論』などを著した。

他方で、1550年頃から占星術師としての著述活動も始め、代表作『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』などを著し、当時大いにもてはやされた。王妃カトリーヌ・ド・メディシスら王族や有力者の中にも彼の予言を評価する者たちが現れ、1564年には、国王シャルル9世から「常任侍医兼顧問」に任命された。その2年後、病気により63歳で没した。



 私はどちらかといえば、不徳にも?神仏や神秘を信じず、科学を信じる方の人間だけど、そんな私でも、 科学では説明つかない、偶然すぎる出来事に驚くことはある。

 やはり一番驚いたのは、ターナー先生が書いたことが現実に起ってしまう偶然。怖いくらいだった。


 2011年3月4日の予言から引用する。

 http://turner-b.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-7f66.html


 モン・サン=ミシェル、かつて“シシィの森”と呼ばれた緑豊かな森と岩山 を、一瞬にして呑み込んでしまった「大津波」が、貴方に押し寄せようとしてい るのだ。さぁ、決してわたしの手を離さないで!!


 2011年3月11日、

 私がモンサンミッシェルを目指して

 旅立とうとした10時間前に大地震は起った、

 大津波は現実のものとなった。



 本当に恐ろしいことが起ってしまった。

 生きている私たちは、何ができるか? 

 できることをしたい、と思う。 ターナー先生が言われている通りだ。


 ターナー先生は、今は脚を痛められ、歩くこともままならないが、

 (と書いてから、先生のブログを今読むと、ウォーキングを始めたと書いてある。

  間が悪い(笑)。なんじゃこりゃ!。でも良くなった証拠で良かったです。)

 台湾の大震災のときは、ボランティアで駆けつけておられる。

 現在のお仕事も、聖職だと思う。

 できることではないと思う。本当に尊敬する。


 生きている私たちは、悲しんでばかりはいられない。

 価値を生まないといけないのだ。

 新しい価値を生むには、消費も仕事だ。消費とは価値あるものの輪廻。


 悲しい顔をして止まっていてはいけない。

 生産する、消費する、、、

 スポーツする、音楽を聴く、文や絵で自己表現する、それを楽しみ対価を払う、、、、

 お酒を造る、楽しんで飲む、、、、、、(すみません、これは自分への言い訳です)

 すべては復興の原動力になる。


 戦後の焼け野原から、奇跡の復興を果たした日本。

 世界一の経済大国になった。戦前の日本を遥かに越えた。

 世界の奇跡と言われた。

 もう一回、奇跡を起こそうじゃないか!






 祈りの曲を、

Jordi Savall, Hespèrion XXI Pavana&Gallarda by Inozzenzo Alberti (1535-1615)

<http://www.youtube.com/watch?v=BNNq8qYeUDc>

 





 少しだけ、ヴェズレーの教会にも触れておこう。

 サント=マドレーヌ大聖堂・・・・861年にヴェズレーの丘の上にベネディクト会士たちが建立した教会。その際に、修道士の一人がマグダラのマリア(サント=マドレーヌ)の聖遺物(頭蓋骨)を持ち帰るためにプロヴァンス地方のサン=マクシマンに派遣された。ジョフロワ修道院長 (l'abbé Geoffroy) はマグダラのマリアの聖遺物を公開し、それが様々な奇跡を起こしたとされる。


 辻先生の著作にも、ヴェズレーの教会を訪れる話がありますね。詩人の大岡信さんらと訪れておられる。辻先生は、こう書かれておられる。


 「ヴェズレーのマドレーヌ教会が、シャルトルと並んでフランスの魂の故郷と見なされるのは、簡潔ですがすがしい教会建築の美がフランス精神の形と見事に照応し合い、そこに無限に無垢なるものへの祈りが結晶しているからだが、同時に、なだらかな麦畑の拡がりのなかに盛り上がるヴェズレーの丘の持つ地形的な端正さが、この土地を何かフランスの中心にある聖なる空間というような気分を人々に思い起こさせるからである。日夜丘を越えてゆく雨や風がいかにもこの土地を鞭打ち浄める聖なる営みであるかのように、空を覆う灰色の雲まで不思議な神秘な色合いに見える。この土地の精霊に魅了された作家ロマン・ロランが教会の参道に住みついた気持ちは、ここまでやってくるとよく分かる。」

 (辻邦生 春の風駆けて パリの時 (中央公論社))P245あたり

 十数年前、ヴェズレーを訪れたときの写真を掲載する。辻先生の文を読むと、

その意味がはっきり理解できる。

S修道院 @3月16日 雨

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この地にふさわしい音楽を添えたい。

ロストロポーヴィチ が ヴェズレーの聖堂で演奏したのは1991年

Mstislav Rostropovich plays the Prelude from Bach's Cello

Filmed at the Basilique Sainte Madeleine, Vézelay, Yonne, France in 1991.


http://www.youtube.com/watch?v=Kv67nVCQFSc&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=ufVV1H5pkA8&feature=related


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