フランス紀行 2011

〜モナコ〜プロバンス〜パリ〜ドーヴィル〜モンサンミッシェル〜

 

11)モン・サン・ミッシェル 〜モネ 幻の作品を求めて

 モンサンミッシェルにまつわるもう一つの謎について触れておきたい。


 モンサンミッシェルの参道を少し横へ入ったところに、目立たぬ小さな礼拝堂がある。その入り口に、ジャンヌ・ダルクの像があった。サン・ピエール礼拝堂と呼ばれているらしい。

 しかし、ルーアンではなく、モンサンミッシェルに、なぜ、ジャンヌ・ダルクなのでしょう? 本来この質問は、ジャンヌダルクについても随一の研究家であるターナー先生にお尋ねすべき質問であるけれど、今は事情が許さないので、ああだこうだとつぶやいてみます。きっと数ヶ月後には、先生の補講をいただけるかと思います。

 先生の過去記事を引いておきます。

http://turner-b.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-aca8.html



 ジャンヌ・ダルクは大天使ミカエルの啓示を受けて、フランスを救うべく百年戦争に参戦したと伝えられています。 

 一方、モン・サン・ミッシェルは大天使ミカエルのお告げによって造られた修道院。そして百年戦争のとき、要塞としてイングランドとフランスが対峙した場所。

 きっと後の世の人が、百年戦争の勝利から、ミカエルを信奉し、そのつながりで、彼女とモンサンミッシェルを結びつけたのではないかと思われます。あるいは、本当に彼女はここを訪れ、戦ったのでしょうか?



 そういえば、今回の旅で、ジャンヌダルクを学ぶ小学生たちにも出会ったのでした。ひさしぶりに、ルーブルに行ったときのこと。こういうのをみると、ほのぼのしてうれしくなる。

 彼らにとっては自分たちの国を救った英雄だからね。あの戦いに負けていれば、イギリスとの国境は変わったはずだ。日本人が坂本龍馬を好きなのと同じかもなあ。

 モネは、モンサンミッシェルの下絵を準備していたという証言がある。しかし、その下絵はその後、発見されていないし、本絵(油絵)も見た人はいない。この話は、ターナー先生がどの研究者よりも詳しい。まずは熟読いただきたい。

 http://turner-b.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-5330.html


 モネと親しかったジャーナリストのジュフロアは、1890年のある日、モネのアトリエで断崖や積み藁が描いてあるデッサン帳の中に、ルーアンの大聖堂の下絵とは別に、MSMの日付なしのデッサンを見出したという。そんな証拠の記述が残っている。
 石・砂の巨大建造物の連作・・・その彼方の、究極のテーマとして、MSMを描く構想をモネは抱いていたのではないか、と1891年のデュラン・リュエルの画廊で開催された《「積み藁」展》のカタログに書いている。

 クロード・モネに関する優れた研究書『Claude Monet, une vie dans le paysage クロード・モネ 風景の中の一生』を書いたマリアンヌ・アルファン女史も・・・・・・“モネはMSMに魅せられて作品にしたいと何度か訪れていた。しかしデッサンまではしたものの作品として完成したものは存在しない”と断言しており、“(モネは)つかみどころのないこの巨大な建造物を前にして、神の畏怖を前に、大いにためらったのだろう”と解釈し述べている。

 このミステリーを考察したい。

では、「①モネが描くとしたらどうだったのか?」「②なぜ描かなかったのか?」

1つ目の問いを推察するために、モネが描いて来た、教会や塔や、

とにかく、モンサンミッシェルを想像させる絵を集めてみた。

 ここで大胆な新学説を発表します。モネは密かに描いていたのです。

しかも左右を逆に。この図をご覧いただきましょう。

 次の4枚は、モネがヴェトゥイユの教会を描いたものである。

ここでモネはモンサンミッシェルを密かに描いていたという仮説を展開したい。

 ヴェトゥイユはパリの北西に約50キロ、メダンとジヴェルニーの間、セーヌ河に面した小さな町。モネは1878年ここに家を借り、 1883年まで住んだ。モネはこの地に大層魅せられ作品を描く。その後、ジヴェルニーに住んでいた時、再びここを訪れて教会とその周辺を描いた。 尋常ではない執着がこのモチーフにあったのだ。

 つまり、モネは訳あって、モンサンミッシェルを描けなかった。その創作意欲を満たすべく、別のモチーフを借りて表現したと、仮説できる。

 一番目の問いである、「①モネが描くとしたらどうだったのか?」については、それに相当する作品群が、ヴェトゥイユでの連作に存在すると言える。

 では 、モンサンミッシェルそのものを、「②なぜ描かなかったのか?」 

2番目の問いである。

 

 神やミカエル大天使を崇拝のあまり描けなかった、、、と解釈したいが、すこし解せない点もある。新しい説を組み立ててみる。

 彼の絵には、宗教も神も天使も出てこない。彼は洗礼を受けた記録はあるが、自身の作品の中には信仰心は全く表現していない。

 彼は、人間すら点景として風景の一部として扱っている。彼の関心事は、自然であり、光や色彩、そんな純粋な対象だけであった。対象が教会であろうが、歴史的建築物であろうが、霧にかすんだり逆光でシルエットとなって扱われているのであり、そのときはもうその事物が持つ意味はほとんど失われているに等しい。その彼が、なぜ、モンサンミッシェルだけ特別なんだ???

 私はこう解釈したい。彼がどう解釈して描こうと、モンサンミッシェルの持つ神格性、その大きすぎる意味が観る者の心を支配するのが恐かったと。いかに光や色彩で成功しようとも、そこに観る者の意識は留まらないことが恐かった、と説明したい。

 神やミカエル大天使を崇拝する人々の意識に配慮した。その代わりに、名もない小さな村の同じ形状を具える教会、ヴェトゥイユの教会をモチーフに、真に表現したいことを、純粋にやり遂げたと仮説する。




 ここまで新説を展開した上で、だけど、、、、、、モンサンミッシェルの神聖さと偉大さを前に描けなかったのだという説のほうに、心は惹かれるのである。

陽に輝くパターンであればこんなものだろう

霧にけむるパターンであればこんなものだろう。(+シルエットも組み合わされてるけど)

夕焼けでシルエットになるパターンであれば、こんなものだろう。

モン・サン・ミッシェル @3月18日

1879年 ヴェトゥイユの教会、雪

オルセー美術館 モネ

1902年  ヴェトゥイユ 

1879年 霧のヴェトゥイユ 

メトロポリタン美術館 モネ

ポール・シニャック 「モンサンミッシェルの眺め」1897年

これは非常に稀な例。やっと一枚を見つけた。

 この偉大なる遺跡、聖跡、モンサンミッシェルを絵に描いた画家は少ない。

知名度から考えて、極端に少ないと言っても良い。

 サンミッシェルに対する畏怖の念がその要因だと指摘する研究者もいる。一晩のうちに、大津波で森を島にしてしまい、言うことを聞くのが遅い司教の額に指を当て頭骸骨に穴をあけてしまい、百年戦争ではジャンヌダルクに啓示を与えて、フランスに勝利を導いたほどの、力を持つ 大天使・ミカエル。 島の尖塔の先には、このミカエル像が剣と盾を持って睨みをきかす。

 モンサンミッシェルが観光的に良いイメージをもたれ始めたのは、古くからではない。百年戦争の時は戦いの地であり、フランス革命の頃〜1863年まで牢獄として使われていた。修道院として復活したのは1865年と聞く。

モネの求めた色彩の深み、ジヴェルニーの睡蓮の池の水面を想いながら、

これを聴きたい

Blue in Green  -Miles Davis

http://www.youtube.com/watch?v=PoPL7BExSQU&feature=related


Blue in Green  -Bill Evans Trio

http://www.youtube.com/watch?v=mW_7gRH7ASE

1901年 ヴェトゥイユ、曇り日

リール美術館

 今回の旅、やっとモナコからモンサンミッシェルまでたどり着いた。しかし、実はまだまだ語り漏らしていることがある。 ここまでは、連休の時間にまかせて、かなり急ぎ足で書いて来たが、本来書くのは遅いので、あせらずゆっくり、漏れを書き加え仕上げていきたい。

 気まぐれで、飽きっぽいから、その後は、また5年くらいは沈黙して何も書かなくなるだろうと、予言しておきます。

 とりあえず、あともう少しおつきあいください。

モンサンミッシェルの中腹にある、イエス像

モンサンミッシェルの聖堂へお連れする。

参道を登っていきましょう。

光と闇の対比を感じさせる聖堂・・・・・・神々しい部分と、監獄の暗さの部分

大聖堂から見る、ただただ広く、

何もない平原。

それは、ノアの大洪水の後の光景

のように見えたのです。

おっと、書かねばならない思い出がもう一つ。

モンサンミッシェルで飲んだ40年物のカルヴァドス。

またお酒のことか、と思われるでしょうが(笑)

はい。自分に正直に好きなものを極める、です。


 今日の締めくくりは、モネの純粋で深遠な世界に戻ります。

聖堂のてっぺんに尖塔がないじゃないかって?尖塔は、1897年に完成したそうだ。

この絵はその直前の作ということ

モンサンミッシェルの眺め by Y」

 どさくさにまぎれてもう一枚。これは私の作品。10年前くらいのね。 近年、日本人が描いたモンサンミッシェルは結構ある。宗教心がうすい日本人は、神をも恐れずか? ミカエル大天使が降臨すれば、頭蓋骨に穴をあけられることは、ほぼ間違いない。あの天使は気が短い、だって夢で数回告げて、対応が遅いと頭蓋骨に穴の罰だ。



しかし、そんな日本人の僕でも、このときモンサンミッシェルの外形はデッサンしたものの、いっさい着色できなかった。白いまま抜いてるでしょ。周りの空と海と砂浜しか着色できなかった。描いてはいけないような、畏怖を感じていた。

 ミカエル大天使に尋問されたならば、「私は描いていません。周りの空気を描いただけです。どうかお助けください」と弁明するつもりだ。

 
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