■エピソード1 「 パリ モンパルナス 佐伯祐三の扉 と 里見宗次さん 」

パリでの作品制作のときの懐かしい話をひとつします。
モンパルナスのカンパーニュ・プルミエール通りで、雨の中、
油絵を制作しているときのこと、
白髪の老人がうしろから声をかけてきました。
「あなたが今
描いている扉は、昔、佐伯祐三が描いた扉ですよ(註1)。
色は塗り替えられてしまったけどあのころと何も変わっていない。
ほらすぐ斜め前のアパートには、かつて藤田嗣治がすんでいました。
あなたは絵の修行をしているのですね。
これは私の作品をのせた名詞です。よかったら持っていてください。」
名詞は屏風のように折りたたんであり、
広げると50cmほどもある。
ご自身の代表作品が何枚もカラー印刷されたものだった。

〔註1)佐伯祐三の絶筆となった、プルミエール27番地の扉である。
佐伯の絵では黒い色だが、
現在は、茶色に塗り替えられている。形は変わっていなかった。

下写真が、里見先生と出会った日(1990年11月)に撮影した27番地の写真

下写真が、2008年の同じ場所 ・・・・・18年の歳月 !!!
下写真の2Fが藤田のアトリエだと先生に教えていただきました。
里見先生を知る マダム 侑加さん
里見先生との出会いから18年の歳月がたち、
とある事から、マダム 侑加さんのブログを発見(以下の枠内)
| モンパルナスにある(里見)先生のご自宅アパルトマンは フジタに薦められて同じ敷地内に売りが出たって教えてくれて買ったのよ… スープの冷めない距離で先生は フジタ画伯と楽しく暮らしていらしたようだ… 佐伯祐三のことも語られていた… 彼は、我々がさそってもカフェで珈琲をすする時間なんてないと言っていたのよ そして、フジタや僕が住んでいるアパルトマンの扉を描いたの… 27番地って僕のところ… あれから、長い時間が経った 昨日不思議なコメントを2通も戴いた… http://ameblo.jp/madame-yuka/entry-10015486455.html http://ameblo.jp/madame-yuka/entry-10014565248.html しかし、奇遇だ! 神のなせるわざとしか思えない… 里見先生が引き寄せたのだろうか… コメント文からすると、その頃私は、27番地の扉を開けて出入りしていたのだ… ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ コメント文 私(YASUHIRO)はこの扉の前で、雨の中、油絵を書いていました(90年11月)。まさにそこで、里見先生に声をかけてもらい、暖かい励ましの言葉をいただきました。屏風のような、代表作品を印刷した名刺をいただいたのです。なぜあそこで出会えたのか!18年ぶりに、謎が解けました。しかも、帰国後、先生にお手紙をだしましたが、そのとき、27番地の事に気づかずにいました! なんてボケなんだ。 この扉は! byYASUHIRO
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里見先生を知る マダム 侑加さんならではの 佐伯祐三の扉についての 新解釈を転載する
これはきっと 美術史の一節 を将来書き換えることになるであろう、そのために
http://ameblo.jp/madame-yuka/theme-10008957901.html
| 私は、思った! この扉がかすかに開いているのは… 当時、佐伯祐三は自分の余命を知っていた だから、モンパルナスのキャフェにたむろっていた当時の新進作家たち… マン・レイやレオナルド藤田、勿論ムネ・里見等が一緒にコーヒーブレイクを誘っても 「僕には時間がないんだ!」と、ムネ・里見が聞いたとおりだったわけだ… 命を削るように巴里や巴里郊外の街を描きまくっていた 和ろうそくの大きな焰が消え入る一瞬をも大切に… そして、けっしてこの繪だけは売らないでくれと これが、彼の集大成された画である事を 当時画壇に華々しくデビューし、もてはやされていた モンパルナスの寵児・藤田嗣治宅にそっと入っていきたかったのではないだろうか… 佐伯祐三は、27,rue campagneのこの「扉」を押して入れば そこに藤田嗣治やムネ里見など画壇の仲間たちがいたのだから 佐伯はこんな形で、自分の完成した作品を 彼らが住む扉をかすかに押し、メッセージを送ったのではないだろうか… 巴里には、27番地の扉のようなものならいくらでもある でも、14区の27,rue campagneでなければならなかったのは 藤田嗣治へのメッセージだ 私は、日曜日以来ず~っとつかえていた問題が こうした仮説を立てる事ですっきりした… その後、藤田嗣治はここを引き払い巴里郊外の家に移っている この番地が意味する「こと」を知っていたムネ・里見は数年前に他界した… 何度となく私は、里見先生からその話しを聞かされていた… 先生のお宅を訪ねご一緒にお食事に出かけるためにもの門をくぐった折に 天国の先生からのメッセージだったのかもしれない… 私がこれだけは、独断と偏見と云われても良いから記録しておくようにと レオナルド・藤田展は2月から福岡で開催されるという… 藤田嗣治と佐伯祐三がこうして繋がるなんて誰が想像するだろうか 閉まりそうな扉は、自分の命の終わりを予感してと解している学者や評論家が多い 違うと思う、佐伯は完成させて、ようやく藤田嗣治を訪ね あの世でコーヒーブレイクを楽しめる境地になったのではないだろうか 27Rueの持つ背景を誰も知らないことに私は気づいた… |
■エピソード2 「 パリ 画塾 アカデミー グラン シュミエール 」
アカデミー グラン シュミエール

アカデミー グラン シュミエール の教室内 と デッサン予約の掲示板

グラン シュミエールといえば、
1906年に開校したモンパルナスの画塾で、
かつてシャガール、ジャコメッティー、佐伯祐三らが学び、
後にパリ派の画家ザッキンが教師を勤めたというところ。
場所は、モンパルナス ババンの
交差点から1本筋違いの文字通り グラン シュミエール通りにある。
この界隈は画材店が多く、また、モジリアーニが住んだのもこの通りであった。

ここの裸婦モデルはすばらしい。
洗練された身のこなしや、 指先の演技力
などを見ていると、そのまま、クリムトやエゴンシーレのモデルのよう。
さすが、描かれなれている。
最初、30分程度のポーズを2回描いた。次第に時間を
短くし、最後は5分のポーズを数回クロッキーした。
最後の5分で人物を全部描くというのは、相当にスリリングな体験。
本当に本質をつかまないと、とてもそんな勢いで描けない。
教室には、黒人も、アジア系も、欧米諸国、、、様々の国籍の、様々なレベル
の”絵描き”が来ている。まさに、かつてエコールドパリ、パリ派と呼ばれた人たちが、
ロシアのシャガールや、イタリアのモディリアーニ、日本の藤田と、、、
異邦人の集合体であったのと同じ状態が、今もこの画塾にはある。
描き方も様々。ある人はまず紙を真っ黒に塗りつぶし、練り消しゴムや擦筆で
白く抜いていく描き方、ある人は鉛筆で、木炭で、、手法は様々だが、
みんな相当にレベルが高く、自分がはずかしい。
金髪の老人画家が、私に向かって、
「Are
you
GAKA?」
と日本語を交えて聞いてくれた。Yesと答えることは出来なかった。
3時間ぶっつづけのクロッキーをしたあと、
心に残るのは、心地よい敗北感。
まだまだダメだ!全然ダメだ!と自分を叱咤激励する気持ち。
終わった後、ババンのカフェにはいった。
パリ在住の日本人画家 山田さんに
ボージョレ・ヌーボーをごちそうになった。
おりしも今日はヌーボー解禁日(1990・11)。
窓の外には、かつて、藤田やキスリングやモジリアーニが
夜毎狂乱を演じていたカフェ ドームやロトンドが見える。
ここはかつてエコールド・パリのベル・エポック
を築いた中心地だった。

